はてなキーワード: 差別者とは
「米軍基地で『黒人』の友人と二人で歩いていた時に、複数の『白人』の同世代の少年達に囲まれて脅されたことがあります」
それはお気の毒に。でもこれは肌の色と関係ない体験だ。「米軍基地で友人と二人で歩いていた時に、複数の同世代の少年達に囲まれて脅されたことがあります」でいい。絡んできたのが黒人の少年たちでも同じこと。
けっきょく人種に拘っているのはid:bearcub自身に他ならない。単純な黒人蔑視とは別の方向のレイシズム。
そういう図式に持っていきたい、という底意が透けて見える。しかし正確には
というだけの話。id:bearcubがそういう図式にしたくないのは「黒人に寄り添う自分は善人だ。米国在住の『黒人』と個人的に交流がある自分はいいやつだ。I have black friends!」というアピールができなくなるから。
こういう無理やりな「反差別しぐさ」をする奴は心の底ではゴリゴリの差別者の場合がある。要は、おのれの醜い感情を否定したいから「被差別者に寄り添う自分」を過剰にアピールしているわけだ。
誕生日おめでとう。
暗いニュースばかりが流れる昨今、天真爛漫な君はそんな世相もどこ吹く風で生きている。
まるで君の周りだけ哀しみや苦しみが存在しないように思える。なんか日常系漫画の世界を地で生きてるような感じ。
実際、リラックスが服を着て歩いてるようだよ。君はいつもニコニコ笑っている。
でもさあ、それでいいの?本当にその人生でいいのか?
同年代で正しく生き続けている人間は、俺なんかはそうだと自負しているけど、君と正反対の人間ばかりなんだよ。
喜怒哀楽の「喜」と「楽」をそうそう出さずに日々生きている。俺たち正しく生き続けた人間の心の中は曇りときどき晴れって程度で、君みたいに毎日快晴なんて奴は頭のネジが飛んでない限りありえない。義務や責任が君より圧倒的に多くて重いから。精神的に辛くない状態なんて学生時代で終わりになるのが普通なんだよ。
正規雇用者平均の2倍近い年収稼いで、首都圏に家建てて、妻子養って、同期に出世で一歩も遅れず頭フル回転で働き続けているから。まともに生きてたら人生って大変なんだよ。君みたいに楽しくニコニコ生きるのははっきり言って異常。
君の仕事、人気ないよね?底辺職の代表例だよね?社長以外で年収1000万稼いでる人いないよね???
こういうこと言うと「その仕事がなくなったら世の中困る」みたいな反論する人必ずいるけど、それって単なる反射で言ってるだけだから。
「優しい人が好き」って公言してはばからない女がオラオラ系の男と付き合うのと同じ。
本音では君の職業を尊重してる大人なんてそうそういるもんじゃない。問答無用で見下してるよ。
「採用面接のとき『親御さんはなんて言ってるの?本当にいいの?』って念押された」って言ってただろ?そういうことだよ。
今まで仕事で君に感謝してくれた人、労ってくれた人、みんなもし自分の子供から君の仕事に就きたいと言われたら取り乱すと思うよ。反射的に引っ叩く奴もいるんじゃないか。
結局、みんな局面に応じて「底辺職を差別しない自分」という役を演じてるだけ。世間は君の仕事を疎んでる。
もういい加減大人ごっこはやめにしろよ。大人の人生歩き始めろよ。
エリートは無理にしても世間から疎まれない職業に就くにはまだぎりぎり間に合う。背広を着る仕事にはなりふり構わず頑張れば多分就ける。
社労士取るでもいい。応用情報受かって上手いこと経歴をお化粧して上場してることだけが取り柄のIT企業に飛び込むもいい。
早くこっち側に登ってこいよ。そして、難しい顔して緊張しながら生きる「大人らしい大人」になれよ。今からでも年収600くらいは狙えるだろうよ。
本心を偽ってまで非差別者であろうとするのが世間の当たり前だし、その自分の中の欺瞞に無自覚で本心だと錯覚することすら当たり前だと知ろう。
まともな人間は背広を着て、東大卒と机を並べ、4000〜5000万の住宅ローンを頭金なしでも難なく組めるような仕事に就いてるんだよ(クリエイターとか芸術家は別だけどね)。
同窓会あったの知ってるか?
君の職業を「ふさわしくない」と見なしたみんなが去年を最後に呼ばないことに決めたんだ。
もちろん、差別心が露骨に出ないよう細心の注意払った表現、持って回ったような言い回しをしてたけどね。
一番の仲良しだった君へ。
早くこっち側に来い。
第3波フェミニズム以降フェミニズムはマルクス主義の考え方を導入してる(性的搾取とかが分かりやすいけどバリバリのマルクス主義用語をフェミニズムに転用している)
そしてマルクス主義を取り入れたことで階級闘争も取り入れた。フェミニズムの中の階級闘争とは当然男と女の対立である。男という抑圧者に対して女が社会的格差を是正するために階級闘争を仕掛けるという構図である。
しかしマルクス主義でも同様だが二項対立で考えようとした時どちらにも与しない勢力というのが現れることがある。このような勢力は排除されるかどちらかの勢力に取り込まれることになる。
さて男とも女とも言えない勢力と言ったらなんだろうかと考えるとトランスジェンダーだろう。体と心の性別が異なっておりはっきりと男か女かを断言することはできない。このような勢力は男と女の対立構造を考える上で邪魔で理論的には存在してはならないことになる(当然これは私自身の意見ではない)そのような勢力が現れた時フェミニズムはマルクス主義的考えを持つ限り彼らを徹底的に排除することになる。こうなった時もはやフェミニストは差別と戦うものから差別をする側になる。
わかりみが深い。
個人的に、女性専用車両論争があれだけヒートアップするのも、確実に「論争が楽しい」が含まれてると思う。
男側からすると、痴漢はクソってのは基本的に自明なんだよな。被害の深刻さとかについて認識の相違はあるかもしれないけど、そりゃそんなことするやつは最低だよなってのは99%以上の男が同意すると思う。
だから痴漢叩きは盛り上がらない。痴漢はクソですねというのは当たり前のことで、男も女もそれに合意してる。「痴漢はクソですね」「そうですね」これでは論争になりようがない。痴漢に擁護できる点なんてないもの。
いっぽう、女性専用車両は揉める。これは痴漢への心情とは独立した問題で、女性専用車両が絶妙な施策だから燃える。
女性専用車両は男性を排除しており、形式的には「公共交通機関が特定の性に基づく排除を認めている」ということになる。いっぽうで、それが痴漢からの避難所として有効に機能していることも事実だろう。実効性はあるが、理念からは良くない点が見つかる。理念と実効性が背反の関係になってしまっているので、人々はどちらを選ぶべきかで引き裂かれることになる。
それでも、「差別ですが実効性はありますね」という(議論の上での)落とし所はありえた。理念派は実効性があることを認め、実効派は差別であることを認める。これなら両者痛み分けで対立にはならない。
ところが「差別ではないです」という主張が実効性を主張する側から出てきてしまったのでさあ大変。差別とはなにか、という神学論争が始まってしまった。こうなるともう、本来の痴漢の問題とはかけ離れた、純粋に議論のための議論が闘わされる土俵ができあがったということだ。
もちろん、理念を重視してそれは差別だと主張する人も、本気で差別を憂えていたり差別に憤りを感じている場合が多いだろう。他の差別事例で差別者側が言っていたようなレトリックを平気で使う女性専用車両賛成派の人というのは遺憾ながらありふれているので、他の差別問題に真摯に取り組んできた人からみるとそんな理屈は容認できないっていう義憤は生まれて当然。
でもそれはそれとして、論争めっちゃ楽しいんだよな。相手の主張のアラを衝き矛盾点を探し比較のために他の事例を引っ張ってくるという知的作業は純粋にそれ自体が楽しい。「こいつの言っていることはムカつくが論理的に正しいことは認めざるを得ない」なんて言われたらもう快楽中枢ドバドバですよ。最高のお褒めの言葉じゃん。敵側にもそれなりの理があるならなおさら。その理をいかにねじ伏せることができるかというゲームはおもしろい。敵の熱量があればあるほどこちらもやる気が湧いてくる。
根底には「いやそれは差別やろ。たとえそれが許しがたい犯罪であったとしても、公的な対策は差別にならんようなやりかたで行われるべきやろ」という憤りがもちろんあるし、「なんでこんなに差別について深く考えてる人がこんな差別的な主張を支持しちゃうのか……」みたいなつらみや悲しみもあったりするんだけど、3割か4割くらいは議論が楽しいからやっているという面があるのは否定できない。
仮に「犬とダニのどちらがペットとして優れているか」だったら、たとえ知的作業が楽しくてもここまでの快感は得られないだろう。どちらも競技としてやっていて、本質的には別にそんなのどーでもいいと思ってるからだ。でも根底に憤りや正義感があればこそ、つまり本質ではどうでもよくないと思っていればこそ、自分が論争に参入する動機もできるし、同じ理由でヒートアップした敵によって自分のやる気が刺激される。お互いのやる気がお互いのやる気を高めあう永久機関かな。
私の主観のみを元にしている稚拙な考えではありますが、公開することによって補強あるいは反証されるといいなと思って書いています。
差別:被雇用者もしくは求職者が、属性で区別され不利益な取り扱いや不合理な格差を受けること
就労において差別が行われているという話を耳にしますが、常々つじつまが合わないと感じていました。
雇用とは、雇用することによって売り上げをあげるもしくは利益性を改善することを目的にしており、能力[^1][^2]のある人間をその能力性以外で差別することは企業の目的を妨げるからです。
差別が全くないはずはありませんが、市場原理によって差別はゆるやかになくなっていくはず[^3]です。
差別されているという声がよく聞こえ[^4]、雇用差別に対するガイドラインが設定される[^5]ほどに差別があるという事実は市場原理に反しているように感じられます。
差別によって利益を得る集団は誰なのかという点について、被差別属性の逆の属性をもつ集団が利益を得ているため差別がなくならないのではないか、という言もみられます[^6]が、これについても疑問があります。
就労差別の主体である企業は、経営者や株主が利益の追求を目的に運営しており、その目的に沿って運用されるものです。
属性は能力を規定するものではない[^7]ので、属性差別を行うことは企業の利益追求を妨げる結果となり、差別によって利益を得る集団[^8]がいたとしても経営者や株主の意見の方が勝ると考えます。
ということは、「差別によって利益が得られる」のではなく、「差別をしても企業に不利益がない」のはなぜか、が正しい問いであると考えられます。
差別をしても企業に不利益がない状況とは、企業と被雇用者を比べたときに被雇用者が強気に出れない状況です。
一般的に、被雇用者が強気に出れないのは人材の需要に対して供給が過剰になっている場合です[^9]。
供給過多により、需要と供給の交点があまりに低い状態で仕事を受けなければならないというのは、市場原理の負の側面に他なりません。
採用に関して考えると、求職者が多い場合になんらかの属性で足切りができればコスト減になり、わずかながら利益が出る、とも考えられます。
人材が供給過多であり、企業が自由な基準で求職者を選択できる場合、能力の低い求職者を属性で選択(足切り)しない理由はありません。
結論として、就労における属性差別は能力のない人間が過剰に供給されるため発生するのではないか、という仮説が導かれます。
"性差別" や "障害者差別" などの属性差別はこの問題の側面にすぎず、個々の属性差別を無くしても大元の原因を絶たない限り別の差別が生まれるであろうと予想されます。
「就労における属性差別は能力のない人間が過剰に供給されるため発生する」という仮説を検証するための以下の手法を提案します。
差別発生件数や給与などの待遇を、能力や属性別に比較することで、差別が能力に対して行われているのか属性に対して行われているのか明らかになります。
求人倍率や人材の流動性をもとに、業界ごとに人材の供給量を比較することで、人材の余っている業界、足りない業界を算出します。
人材の余り度合いと差別の発生件数が相関すれば「人材が過剰に供給されるため差別が発生する」と言えます。
市場原理に基づき、それはない、もしくはあっても少ないと考えます[^11]
その属性をもっていても能力を低く見積もらない企業があれば求職者はそちらに流れ、また競合他社も「差別をしない」という低コストな活動で業績を伸ばせるとわかれば追従するはずであるからです。
なぜそのようなことが起きるのか、能力のある人間を差別しても企業や差別者に不利益にならないのはどのような構造が背景にあるのか、といった点に興味があります。
ぜひ状況を教えていただければと思います。
質問に対して答えると、そのような状況は0にはならないので体験談が数件あっても反証にはならないと考えます。
しかしあまりに多くの声がある場合は、「能力のある人間を差別しても企業や差別者に不利益にならない構造」をもとに問いを考え直す必要があります。
結論で述べたように、本稿は「就労における属性差別は能力のない人間が過剰に供給されるため発生する」という仮説を提唱しており、本来ならタイトルもこの一文にすべきですが、長い本文を読まない人を呼び込むのではないか[^12]と考えて多少無難なタイトルにしています。
この考えが正しいとした場合、被差別対象から脱出するには専門性をつける、あるいは既にもっている専門性を活かせる職に就けばよいということになりますが、その解決法では雇用のパイが変わらないため被差別対象は減りません。
根本的に解決するには、全ての被雇用者が雇用主に対して強気に出れる状態になる、つまり「生活のために働かなければならない」という構造を変化させなければならないのではないかと思います。
「生活のために働かなければならない」とはつまり市場原理の前提である「社会の構成員皆が働かなければならないだけの需要がある」とイコールであって、私はこの前提は既に崩れている、つまり「社会の構成員全員が働かなくとも、健康で文化的な最低限度の生活を送るだけの供給を保てる」と考えています。
今回のコロナ禍で不要不急の経済活動がダメージを受けたことにより、この前提の崩れが明確になったとも感じていて、市場原理の次の理念が世界のどこかで生まれるのではないか、と期待しています。
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^1: はてな記法の二重丸カッコが脚注になりませんでした。どのように書けばよいのでしょうか?
^2: 能力とは、売り上げをあげるもしくは利益性を改善することのできる能力、もしくはその見込みのことを指します
^3: 雇用差別がゆるやかになくなっている過渡期であるためまだ差別が残っているのだ、とも考えられますが、どう検証すればよいかわからないためここでは扱っていません。要検証
^4: 差別されているという声がよく聞こえる: 私の主観です。要出典
^5: 公正な採用選考に向けて - TOKYO働くネット など
^6: 被差別属性の逆の属性をもつ集団が利益を得ているため差別がなくならないという言がみられる: 私の主観です。要出典
^7: 属性は能力を規定するものではない: 大変に議論の余地があります。個人的には、業界と属性を絞った局所的に見れば属性は能力を規定すると考えています。しかし全体として見た場合、「属性は能力を規定するものではない」としてよかろうという前提のもと本稿は書かれています。
^8: 差別によって利益を得る集団: 経営者や株主とは一致しない集団を指します。なぜ一致しないのか説明はつけられると思いますが言語化できていません。
^9: 一般的に、被雇用者が強気に出れないのは人材の需要に対して供給が過剰になっている場合: 一般的かどうかは分かりませんが、後の展開を書きやすくなるので…要出典
^10: 検証法の提案: 検証にかかる前に、仮説が成り立っているかどうか、"要出典"の部分を埋めてください
^11: 筆者が市場原理、ひいては個々人が利己的に活動することを期待しすぎている感はあります。ありますが…代替になるモデルなしには議論を進められないのではないでしょうか?
^12: 本文を読まずSNSシェア99割 米研究 これは嘘ニュースです - 虚構新聞 私はまた虚構新聞が謝罪する流れになると思っています
ネトウヨ高齢者の中韓差別などは確かに愉悦的差別の典型だと思う
これらは「病気に感染すること」「犯罪に巻き込まれること」への恐怖が原因であり差別者は被差別者を「脅威」と感じている
だから差別者を「○○を見下すのが楽しいから差別するんだろう、道徳的に間違っている」と押さえつけても全く響かず隠れた差別になるだけだ
何やら「アメリカの人種ヒエラルキーではアジア系は黒人より下で、黒人と白人の両方から差別されてる」などという与太が出回っているようで。
これは嘘っぱちですのでご注意ください(個々人の経験は別として、全体から言えば)。
むしろ、アジア系アメリカ人が他の人種的マイノリティ、特に黒人に対しての差別者であるとの認識すら、決して珍しいものではないのです。
※注意:この増田では基本的にアフリカ系アメリカ人のことを黒人と呼称します。
アメリカにおけるアジア系アメリカ人はその高い学歴、経済的成功から、他の人種的マイノリティより高い階層にいるとみなされています。
これは"中間層マイノリティ/Middleman minority" (Bonacich 1973)や"人種的ブルジョワジー/Racial bourgeoisie" (Matsuda 1993)といった呼び方や、"アメリカの人種的ヒエラルキーにおいて白人と黒人の間のどこかを占める、第三の存在" (Kim and Lee 2001)という評価など、古くからの認識です。
Bonacich, Edna. (1973) A Theory of Middleman Minorities” American Sociological Review 5: 583–594.
Matsuda, Mari. (1993) We Will Not Be Used. UCLA Asian American Pacific Islands Law Journal 1: 79–84.
Kim, Claire Jean, and Taeku Lee. (2001) Interracial Politics: Asian Americans and Other Communities of Color. PS: Political Science and Politics 34 (3): 631–637.
モデル・マイノリティ(ここで言う"モデル"とは"見本"のようなニュアンスです)という言葉もあります。ポジティブなステレオタイプを持つマイノリティのことで、アメリカではアジア系を指すことがほとんどです。
勤勉で、まじめで、よく働き、自立していて、etc., etc...ポジティブなステレオタイプゆえに支援の手が伸びにくかったり、ステレオタイプの押し付けが起きやすかったり(褒めてるんだからいいじゃん!的な)、ネガティブなステレオタイピングとはまた別の問題があります。
これは他のマイノリティをディスる、さらには人種間の対立を煽るのに使われる――アジア系の連中はあんなに成功しているのに、黒人はどうして貧乏なままなの?努力が足りないんじゃない?――場合があります。
一方で、このステレオタイプは就職等でプラスに働くこともあり、一筋縄ではいきません。
アジア系の中には上記の対立煽りを真に受けたり、黒人への蔑視を白人と共有する人も存在します。
アジア系アメリカ人の人種差別に関する意識は白人と近く、2008年の世論調査(***)では黒人の65%、ラテン系の55%が「人種差別は未だ、我々の社会における重要な問題である」と答えたのに対し、アジア系と白人でそう答えたのは33%でした。
また、「人種差別は存在するが、もはや重要な問題ではない」という答えは黒人で23.9%、ラテン系37.8%、アジア系50%、白人60%でした。
しかし、やはりマイノリティー、被差別者としての側面もあり、上記のステレオタイプの押し付け、落伍者への冷たい目、キャリアにおける差別("竹の天井"と呼ばれます)が存在します。
さらに、アジア系は集団内の格差が激しく、日中韓印系とそれ以外で状況は違うにもかかわらず、アジア系全体の恵まれたイメージから支援が届きづらいことがあります。
黒人たちと同様、シンプルで醜悪な人種差別にさらされることだって当然あります。
また、コロナパンデミックにおけるアジア系の人たちへの差別で、黒人が声を上げなかったとするのも間違いです。
100 Black Menという市民団体はAsian American Business Development CenterおよびHispanic Federationと共同声明でアジア系差別を批判してますし、黒人コミュニティや個々の黒人もtwitterなんかで差別を批判してます。
ただし、アジア系の人々が今まで黒人を差別していた/黒人差別に声をあげなかったという理由から、彼らのために声をあげたくないという黒人もいます。
例えば、黒人コメディアンのGodfrey氏はinstagramに投稿した動画で「エボラのパンデミックの時、君らはどこにいた?我々が警察に殴られているときには?」と述べ、「君たちのスーパーヒーローにはなれないよ。他にやること(無数の差別への対処)がいっぱいあるんでね」と答えています。
※トランプの"中国ウィルス"呼びを肯定していたり、中国人の食生活や、パンデミックに対する中国の責任、中国から入ってくる安い商品等への批判もしているため、単なる反中国論かもしれませんが。
アジア系アメリカ人とBlack lives matter (以下BLM)の関係もまた歴史的に複雑な背景を持ちます。
BLMが使われだすずっと前ですが、ロス暴動の前日譚として黒人と韓国系アメリカ人の間の緊張状態および、韓国系アメリカ人による黒人少女Latasha Harlinsの射殺事件がありました。
2014年の黒人射殺事件は中国系アメリカ人警官によってなされました。新人警官のPeter Liangが同僚とパトロール中、ガールフレンドとデート中のAkai Gurleyと暗がりで鉢合わせ、つい射殺(直撃ではなく跳弾)してしまったのです。
Liangは過失致死で有罪判決を受け、それに執行猶予5年がつきました。
この事件は中国系アメリカ人と黒人の両方から批判を浴びました。
中国系アメリカ人側は「白人なら起訴されないのに中国系ならされるのか」と起訴の取り下げを要求し、黒人側はBLMを掲げて射殺に抗議しました。
ジョージ・フロイドの死に関しても、関わった4人の警官のうち一人はアジア系アメリカ人のTou Thaoです。
アジア系アメリカ人団体Asian American CommissionはBLMへの連携を表明した上で、その声明文中にて「アジア系コミュニティにおけるアンチ黒人の深い根」の存在をあげ、コミュニティの変革を求めました。
※「(アジア系は)差別されてきたが、同時にモデルマイノリティ神話等から利益を得てもいる」等の意見も声明文には含まれていることもあり、一部のアジア系アメリカ人はこの声明に反発しています。
勘違いしないでほしいのは私が「黒人がアジア系を差別している」へのカウンターとしてその逆を言っているわけではないということです。
黒人差別に声を上げるアジア系、アジア系差別に声を上げる黒人、当然のようにいます。黒人のレイシスト、アジア系のレイシスト、当然います。白人、ヒスパニック、その他マイノリティも同様です。
なにかのブコメで黒ギャルメイクの配信者が差別者としてTwitchでBANされたというのを見た。
Twitterで「ganguro blackface」「kuro gyaru blackface」で検索すると、少数ではあるが、ブラックフェイスの文脈とあわせて話しているのを見ることができる。
「ガングロは翻訳するとブラックフェイスだろ」と言っている(と思う)人もいてややこしい。
YouTubeであれは違うんですと言ってる人もいる https://www.youtube.com/watch?v=h-ydqMWBWrw
https://anond.hatelabo.jp/20200611010824によればあれは差別発言だそうですのですももが差別者だから中傷される、というように訂正しておきますね
自業自得~
怒りのままに書いたので感情的な内容になったことはお許しいただきたい。
まず、性別問わず誰かに恋愛感情を抱くわけでもなく、性欲も湧かないという、いわゆる『無性愛者』であり、見た目は女性ではあるが、一部の男性的機能も持った半陰陽である。
半陰陽と言えば、フィクションの両性具有、いわゆるふたなりというものを想像する方もおられると思うが、現実世界では、両性の生殖能力を完璧に備えた人物はあまり存在しない。
かくいう私も、男性的機能はほぼなきに等しく、外見は完全に女性と言った出で立ちである。
そんな私が半陰陽だと発覚したのは二次性徴の折、女性よりも先に男性的特徴が強く出てしまったからなのだが、まあそれから数年、私は男として生きた。その方が面倒ではなかったからだ。
その後、なんやかんやで(治療したり)女に戻り、それ以来、一応社会的には女ということで生きている。
だがしかし、性が芽生える時期である思春期を男として生きた経験があまりにも強すぎて、いまだに女の子が好きなのである。
そして冒頭に書いた通り、恋愛感情と性欲が他人に向かない無性愛者。
前談が長くなってしまったが、まあそんなわけなので、生活の一部としてそういう話をしている。
理解されたいとかそういう目的ではなく、「好きな人が出来た」「こういう好みがタイプ」「体型が気になる」「髪型変えた」みたいなノリで発している。いわゆる日常会話である。
そんな私が突然、知らない団体から「DSDsについて未だに誤解が多いため情報アップデートして認識を改めろ(要約)」的なリプライをもらった。
DSDsって何?デュアルSIMデュアルスタンバイで合ってる?知らん人にいきなり失礼するならせめて専門用語やめませんか。
と思いつつ記事をポチッて現れたのは、まさかの『おまえの認識は半陰陽及びそれに類する人たちへの人権侵害です!!(要約)何故ならそれは〜』みたいな記事。
私はただ自分の性別についてツイートしただけなのに、まさかの差別者扱いである。
記事の内容は、男女どちらでもない肉体(半陰陽以外のものも含んでいたのでこう表現します)を持つ当事者たちはこんなに困ってる、尊厳を傷付けられている、と言った内容のもの。
私はただ自分の体と性指向の話をしただけで、私以外の苦しんでいる人々をどうこうという気持ちは全くなかったのに、いつの間にか人権侵害したことにされていた。
と言うか私は当事者ではないのか。
私の尊厳は他の何者でもないお前にたった今傷付けられたが。
あまりに腹が立ったので抗議したがウンともスンとも反応がなく、元気よく「悩んでいる人を救う!」とかツイートしてるので勢いでこうしてまとめた。
自分が自分の性別や肉体のことを話すのが人権侵害になるなら、例えば女性が「今日は可愛く化粧出来た、彼とのデートが楽しみ!」と言うのも、男性が「太ってきたかも、妻と子供と運動公園行こう」と言うのも同じく人権侵害のはずだ。
まあ当たり前の話だが、そんなことは全くない。その文脈で行けば、私が私の肉体と性の話をするのも私の勝手である。
それに人権侵害と噛み付いてくるのは、正直申し訳ないが、おまえが一番性別に関する差別をしていると、私は思う。
まあしょうがないよな、正義の棒で気に入らない奴を叩くだけでスーパーヒーローになれるなら、そんなに気持ちいいことはないからな。
最後に。
私はポリティカル・コレクトネスが必要なものであると思っている。
マジョリティマイノリティ関係なく、みんながより生きやすい世界を作るのには相互理解と許容が必要だとも思っている。
でも、行き過ぎると「当事者が許そうが私のポリコレ棒が許さん!」などと言った滑稽なことになってしまうので、程良いバランスの世界になればいい。
マイノリティな人間にも自分のことを発信する自由くらいくれや。
まあなんか、そういう感じです。
黒人差別とチー牛
黒人差別を引き合いにしながらブサイクな自分への容姿差別について声を上げる増田。
Aikoku_Senshi 「チー牛」ってなんJ発祥のホモソーシャル文化なのに陽キャに逆らえない代償として容姿差別していることにされる女の人は大変だな…。
増田の話の当該箇所は
・ブサイクなせいで中学生時代にひどい扱いを受けた(特に女子から)
・現在もチー牛のようなブサイクいじり概念は愉快なギャグのように流通している
であり、
これを読んで「『チー牛』いじりは女がやっていると主張してるんだな」になるやつは国語が0点である。
こんな低国語力なコメントを書く人やこのコメントに☆を付けた人たちは頭が悪いのだろうか?
確かに頭も悪いのかもしれない。がやはり、
増田への敵意や悪意がまずあって、なにかしら攻撃できる箇所を無理に探してこうなった部分は小さくないだろう。
このブサイク増田は明らかに、なんらかの敵意を買っているのだ。
ブサイク被差別の悲しみを表明した増田にAikoku_Senshi がやったことは何かというと
重箱の隅をつついて話逸らしや反撃を試みる
ということだ。
今回のトップブコメの場合は上で見た通り重箱の隅つつきすらできてない謎コメントになっているので
アクロバット誤読で攻撃を加えて差別の申し立ての無効化を図ったと言えるだろう。
これは差別の申し立てに直面した市民の態度としてはサイテーと言える。
これをやっているAikoku_Senshi が差別大好きで被差別者いじめるのが大好きな居直りヘイト野郎なのかというとそんなことはなくて
むしろ普段は「差別反対」濃度の強いコメントをする「良識派」なのだ。
わざわざ愛国戦士というidにして右派への当て擦りを欠かさないぐらいには左派の人だったりするし
最近もアメリカデモやら大阪なおみの発言記事やらに精力的にコメントしている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4686697237877638242/comment/Aikoku_Senshi
https://b.hatena.ne.jp/entry/4686708456876431778/comment/Aikoku_Senshi
むしろ差別反対を自分達の専売特許や錦旗にしてるぐらいのクラスタの人なのだ。
こういう人が、ブサイク増田の差別申し立ては全力で妨害・無効化を狙って動いてトップに立つ。
トップのAikoku_Senshi 以下も、左派良識派は絶好調だ。
kincity そもそもこの手のネタ喜んでるのネット上のホモソ供で、それすらも「女が悪い」に帰結して内面化するやつが多くて、それどんなマッチポンプ?差別に怒ったら差別者にそれを表明しろ。黒人差別のデモとの違いはそこ
2020/06/05
「チー牛はたぶん男がやっている」という全然文章の主題じゃないところに話を逸らし、
元増田が言ってもいない「女が悪い」を捏造したうえで被差別者に強い口調で説教と戦法指南をして終わり。
本題である本件差別には触れたくないでござる!この被差別者の悲しみには寄り添いたくないでござる!という気持ちだけはよく伝わってくる。
「軍師様」「消極的差別肯定派」などと呼んで激しく非難する態度そのもので
そういうことをあっけなくやってしまっている。
RRD 生まれつきのブサイクと、それを病んでネジくれた結果のブサイクは別物で、まともな大人の社会はきちんと区別するよ。ルッキズムとかネジくれてると、まともな大人の社会には来れないけどな。
2020/06/06
「生まれつきの在日と、生まれを拗ねてネジくれた結果の在日は別物で、まともな大人の社会はきちんと区別するよ。」
「サベツガーとかネジくれてると、まともな大人の社会には来れないけどな。」
ふだんの差別問題に対する立場や体裁をかなぐり捨ててしまうほど強い敵意を持っているらしいことはわかる。
(ちなみにそういうクラスタじゃない人が結構ブサイク増田に親身な同情と助言や励ましを寄せている)
「黒人差別」「女性差別」「在日差別」のようなオーソライズされた差別以外の差別の存在を認めることは、差別反対派にとって不快なのだ。
オーソライズされないところにも無数の差別があるということを認めてしまうと
「黒人差別」などの特別性が希薄化されてしまう気がして不快になっている。
彼等にとっての差別とは、
まず特別で、敵と味方に分かれるもので、特にぶっ叩きまくるための敵は不可欠な、ハレの舞台なのだ。
冒頭に挙げたような「ブサイクで疎外されて心を病んでいる男性の声」などは、彼等を不快にさせる典型と言える。
だって日本人男性なんて普段からぶっ叩きまくるための敵に設定してるんだもん。
設定がぶれちゃうでしょ、っていう。
だからそんなやつが被差別者の聖衣をまとおうとしてるのが彼等には気に食わない。
おめーは凡人でありせいぜい敵担当なんだから身分をわきまえろと。それが彼等の腹の底。
もしブサイク増田が醜貌の替わりに「部落出身」とか「アイヌ出身」とか言ってたら反応はガラッと変わって、
それなら彼等は絶対に今のような反応ではない。
オーソライズ済みの種類の差別の告発なら、それだけの特別性を持ってくるなら、男であっても大歓迎だ。
彼等はアイヌ増田にならもっともらしい顔で同情と寄り添いのジェスチャーを済ませ、
不賛同のブコメに道徳的驚愕のジェスチャーをしながら非難しまくったに違いない。
まあ別にアイヌにも黒人にも思いやりなんか特には持ってないんだけど。
id:Aikoku_Senshiの場合はタグ付けでの更なる誹謗中傷も奮っている。
俺の不幸は女が悪い論
上記の通り「女がチー牛で差別してる」はこの人の誤読だし元増田は女が悪いなんて言ってない。
またそもそも黒人差別社会へのデモに「俺の不幸は白人が悪い論」とまぜっかえすのとどう違うんだろうこれ。
顔ではなく性格が悪い
「差別されてるんじゃなくてお前の問題なんだよ」という差別の申し立て無効化の18番
顔でなく生き様が汚い
声を上げた被差別者に人格攻撃をして差別問題をなかったものにしようとする典型的なやつ
もうコテコテの差別野郎・ヘイト野郎の言うこと全部やっている。
でもこの人含め、多くの左派良識派はこんな感じでありつつ、あくまで差別反対派なのである。
被差別者であろうとそいつが男とか日本人だと不愉快になりそいつのすべてが許せなくなるだけで。
(ついでに蛇足ながら、ブサイク増田は自身が男だとは一度も明言していない。
差別反対派がブサイク増田を男と断じてるのは単に国語力の低さであり、またよりムカつく属性としての男性性を勝手に見てしまったため)
ブサイク増田も確かに差別に遭っており、ありふれた被差別者である。
そして友達の多いゲイや有能な黒人よりよっぽど生き辛い人生を送っている可能性もある。
このような事実に向き合えば、
差別反対とは「オーソライズされた差別を暗記して徒党を組んで激しい言葉で敵を罵ること」ではなく、
他人に思いやりを持って接することだということに気付く。
スマートだったり自分に好意的だったり恋人だったり家族だったり美人だったりする他人と
不潔だったり態度が悪かったり利害が対立してたり酷いブサイクだったりする他人とを
区別のない思いやりを持って遇するということだ。
知らないサラリーマンのおっさんの禿げ頭がもたれかかってきても、
「寝かせておいてあげよう」という優しい気持ちを同じように持てる心のことだ。
これは簡単ではない。厳しい訓練の取り組みがいる。
たまに「私だって差別者になりうる」「自戒を込めて」とかコメントしてアリバイを作ったつもりになってもダメだ。
生活を律して常に自分を観察するという一種の修行の日々を踏むことで
我々は少しずつ差別を理解しその心を自分の中から削っていける。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4686702358555672194/comment/Aikoku_Senshi
でも日本人男性のような身分の低いやつらが声をあげたら全力で攻撃して無効化を図りマース。
こんな人は差別反対でも何でもないということが、ここまで読んだ人には分かったと思う。
NL表記が差別だとしても腐女子やshipperにそのこと言われたくない。百合専門や男女専門の女オタクならまだしも。NLでなくちゃいけない訳では断じてないけど、批判してる中にただ単に異性愛や異性愛愛好者ヘイトの一環の連中もいるのに。異性愛ヘイトのために男性同性愛を利用したり公式で演者にBL同人朗読させたりするようなのもいても騒ぎにならないほど、女性向け同人だと圧倒的に多数派な癖に。女性的感性があれば男女よりも男性の同性愛を好む方が自然で、私が間違ってるとしても圧倒的多数派で創作における異性愛を好きになりにくい人に言われたくない。
追記:異性愛ヘイトの異性の同性愛愛好者(腐女子)の存在があり、そうした人達がNLは差別でHLを使えと強いる中にいる以上HLには肯定的にはなれない。リアルでの異性愛で糞なことが多いことは、創作世界においても異性愛が糞で生殖の為の欲求にすぎないこととは結びつかない。異性愛を貶し同性愛を尊いものだとするのは、過去の同性愛を貶し異性愛を尊いものだとすることと同じじゃないか。しかも当事者のゲイじゃないことばっかり。異性愛も同性愛も等しく尊いものというこれからの現実社会の理想像を否定してるじゃないか。女の体や精神を持っていても、創作の異性愛を同性愛同様に愛好しても悪いことではないでしょうに。白人女性と黒人男性のような歴史があるのに押し付けてNL使用者は差別だ(こっちは差別者じゃない)みたいなこと言われたくない。