はてなキーワード: 勢力とは
アメリカ編に対してどうしてもモヤモヤして言いたい事があるけどヒに投げるのは気が引けるので匿名に頼ってここに書き捨ててみる。
千空たちはゼノ勢力と遭遇した時点で航空機が到達できない外洋に一時退避して海岸沿いを迂回し違う地点に上陸し直して拠点構築を行うべきだったのでは?
そうでなくとも、なんで重火器で武装して挨拶代わりにマシンガン打ち込む様な勢力にわざわざ接近して仲間の大半を人質に取られた挙句に命を懸けた大陸間追いかけっこしてんです?
少なくとも一度目の通信でゼノが復活薬の製造法を知らないと分かった時に千空たちは何が何でも敵の勢力外に出るべきだったしペルセウス号という手段もあった。
そして、いくら飛行機が危険でも延々と飛び続けられるわけ無いんだからやるべきだったのはペルセウス号の空母改装でもなければ敵情視察でもない。
ていうか偵察という迂闊な敵地への侵入でゲンが第一人質になってさらにややこしくなった。
飛行機を作れる技術力と人数不明だが複数である相手が組織的に活動している事を分かっていれば誘拐は警戒しない方がオカシイ
それこそ敵制空権の範囲を鹵獲飛行機の性能から逆算してその外側に拠点作って現地アメリカ人を復活させて更なる数的アドバンテージを確保して、可能なら石神村との輸送海路を確立。
その後にアメリカ人(ゼノ含めて百人以下)VSアメリカ人(たくさん)+千空チームに持ち込む方がマンパワーが重要だと日本編でやたら強調してた主人公たちの考え方としては自然と言うか合理的だと思う。
漫画的には大量のモブによる人海戦術で強キャラ感を醸し出している新たなライバルを叩き潰すってのは台無し感がスゴイかもしれないけど千空ならやるだろうな、という説得力を日本での行動で証明してしまっている。
それでもあんな行動に出なければならなかったのはなぜ?
A1.ご都合よく大規模なコーン畑が存在する事とそこを管理維持してくれる勢力がいる事が分かったなら強行軍の必要がなくなる。(ゼノ達が敵対的である事はこの場合関係ない)
Q2.ホワイマンが何時攻撃してくるか分からないから急がないといけない?
A2.第一話みたいな地球外からの大規模奇襲だった場合は実質回避不能
分散的なメデューサ投下ならナイタール液の安定確保が出来る味方チームが石神村+ソユーズ島と主人公組に別れる(限定的ながら通信も可能)事が出来た時点で一撃での全滅は無くなった。
つまり警戒は必要だがどちらのパターンでも無暗に行動を急ぐ必要はない。
Q3.飛行機の爆撃されたら木造船なんか即死だから敵を無力化したい。
A3.ジャングル化している海岸沿いから交通網が壊滅している上にそれを開拓する事が出来ていない事は素人目にも予想できる。
だから敵の攻撃範囲=飛行機の飛行距離であり、海の上で安定生活が出来る艦艇と違って着陸する為に飛行場へ絶対戻らないといけない飛行機では移動可能距離は雲泥の差。
逃げるが勝ち。
つまり、わざわざ通信で大量のデントコーン(アルコール)によって維持される火薬(硝酸)の生産施設の存在をゼノが白状して時間の制約がなくなった事を知る事が出来たのだから飛行機が拠点に帰投するのを見計らいアメリカ沿岸から離れてゼノ達の勢力圏外の見極めを間違えなければ千空たちが負ける要素はゼロになるはずだった。
北米に到着するまでは確かにより早い目的地への到達が必要だったかもしれないがコーンの存在と敵対的な勢力を確認した後の千空たちの行動や思考がちょっと不自然で読んでて首の角度がどんどん真横になってきている今日この頃。
初っ端に銃撃しておいて民間船を制圧し、ボスの誘拐と言う斜め上の抵抗されたら皆殺し決定とか、中途半端に民間人の保護とかやっても軍人のふりをしたテロリスト以外の何物でもないからね?
長文失礼しました。
「映画っていうパッケージの規模でいうと、ロボがでてきて性的なオマージュがあるアニメってのがエヴァンゲリオン」
「稲荷の総本山のひとつで京都にあるのが伏見稲荷で特徴は鳥居がやたらある」
これがネタバレだとおもった?
「今回のエヴァンゲリオンでは、地球の核にあたる部分に第三の勢力があってなぞの知的生命体が太陽系を統一する」
「伏見稲荷の鳥居は奉納されたもので千本鳥居も塚にある鳥居も金持ちの道楽で神秘も奇跡もないんやで」
こういうことがネタバレやろ
出てきたキャラや背景の絵がどうとかそんなの見てきただけの人間がそんな話だったとか理解できてるわけないし
ネタバレっていう汚染された自分の情報出してるだけなのがキモイだけですわ
どうせ映画内で「地球が統一されました」って明記されてても自分のなかではそうではないとおもっている何かのオマージュだとかいうんでしょ
なんで君のストーリーが完成されるために私らが映画みにゃならんのよって感じ
それは感想になるやろって?
自分が感じた事じゃなくてその新作映画をみて出来上がった自分の有頂天な姿をいかに神々しく彩るかのために
映画で使った内容をもってきてるだけやろ
他人の手垢でまみれて自分の変身した姿を穢される前に試着してどうだ俺は映画になってるみたいな
映画館でてすぐアニメの変身ポーズをとって無邪気に遊んでるのが幼稚園児じゃなくておっさんだってのがやばすぎってこと
自分の妄想や偏執を強固にするために新作映画の一部を切り取ってもってくるのとか節操ないわってことよ
そうじゃなくて自分は見た感想を書きたいっていう情報に対する熱意があるのだとしたら
いますぐ公開初日にみたままを書き連ねたいってのは「有頂天な自分が手垢にまみれる前の一番湯につかってうらやましがられたい」だけやろ
http://www.chosunonline.com/m/svc/article.html?contid=2021030880090
【社説】韓国与党が懲罰的損害賠償法の制定強行、ロシア・フィリピン並みの言論統制国になるなんて
国際新聞編集者協会(IPI)のバーバラ・トリオンフィ事務総長は「メディアに懲罰的損害賠償を求めることができる法律が導入され、言論の自由が制限されるならば、韓国を『コロナ流行期にメディア規制を導入した国』のリストに追加する」と述べた。韓国与党共に民主党はメディアの報道に最大3倍の懲罰的賠償を課す法案の制定を推進している。「フェイクニュースを防止する」という名分だが、実際には批判的なメディアにさるぐつわをはめる意図だ。
IPIは全世界100カ国の新聞、放送の発行人、編集者らが会員として加盟している最も影響力があるメディア団体だ。現在IPIの言論統制国リストにはロシア、フィリピン、タイ、カンボジア、ヨルダン、ルーマニア、アゼルバイジャンなど17カ国が含まれている。トリオンフィ事務総長は「これらの国はいわゆる『フェイクニュース防止法』を言論統制手段として使っている。韓国も問題となる状況であり、注視している」と述べた。世界10位以内の経済大国であり、民主主義国である韓国が独裁・低開発区と並んで言論統制国の汚名を着せられる格好だ。
ロシアは公共の安全に深刻な問題を生じさせる誤った情報を流布した場合、最大1億5000万ウォン(約1440万円)の罰金を科し、国家に害となる文章を削除しないウェブサイトを遮断する法律も制定した。ハンガリーはコロナ対策を妨害する情報を広めた場合、罰金と懲役刑を科す法律を可決した。何が誤報で害に該当するのか基準すら明確ではない。
文在寅(ムン・ジェイン)政権が推進している法律も同じだ。虚偽または不法な情報で損害を受けた場合、懲罰的賠償を命じるとしているが、それを判定する基準がない。インターネットのフェイクニュースだけが対象だと言っていたら、メディアもポータルサイトも全て対象に含めた。
常にフェイクニュースを広めた張本人はむしろ与党関係者だ。今回の法律を推進する与党のタスクフォース(TF)団長は聴聞会で虚偽の写真を使い、企業経営者を攻撃した。文在寅大統領は「日本の福島原発事故で1368人が死亡した」と述べたがフェイクニュースだった。「外国の製薬会社が韓国にワクチン契約を早く結ぼうと言っている」という保健福祉部長官の言葉も事実ではなかった。そんな勢力が逆にメディアを掌握しようと棒切れを振り回し、大韓民国を言論統制国へと向かわせている。
腐女子の話などで赤十字の宇崎ちゃんポスター問題が再度持ち出されてたので、批判派のおかしかった点などを改めて整理しておく。
ただ、「なにを性的と取るか」は個人によって違い、時代によっても変化することには留意してほしい。
「胸を強調するためのアングルだ」という批判があったが、あの絵はどちらかといえば「先輩を見下すうざキャラ」という意味での煽りのアングルだと思う。
なにより「胸を強調したいだけ」なら、他に適したアングルやポーズがいくらでも開発されているのだ。
二次元の18禁文化に親しんでいる世代からすれば当たり前の事なのだが、そうじゃない人にはわからないのかも知れない。
これも尊重すべき意見とは思うが、ある程度具体的な批判なので少し反論しておく。
説明するのも馬鹿らしいが、例えばマッサージ広告でリラックスしている表情を「感じてる!アヘ顔だ!」と非難するのと同じである。
頭が悪すぎる。
問題意識自体はわかるのだが、宇崎ちゃんポスターに当てはめるべきかは別だ。
意見の分かれるところだと思う。
そもそも「性的搾取」という単語が曖昧なくせにレッテルを貼りやすい物なので、別の言葉で問題点を整理した方がいいとは思う。
誰かが定義を説明していたが、それでは結局「男性芸能人が起用されること」だって十分な性的搾取である。
そして性的搾取の話で「男の場合はどうなるのか」という流れになると出てくるのがこの「権力勾配があるから、性的搾取は成り立たない」論だが、これは雑。すごく雑。
「男と女」という(雑な)二分法の「男」の中にはゲイもトランスもいるし、あえて言えば女性に虐げられる弱者男性だっているのだ。
権力勾配を問題視する「人権派」や「リベラル」が、そういう「少数者の存在」を邪険に扱ってどうする。
雑さに甘えることを「マジョリティ特権」と批判していたのではないか。
これに絡んで、最近は「男性弱者の声を私はもっと聞きたい」などと宣う怪物もいるのだが、他の被差別問題に置き換えて考えれば、どれほどグロテスクな発言をしているか理解できるだろうか。
一見理解を示しているようで、今上がっている声には向き合おうともしない、かなり糞な論法だと思う。
論外。
論外だが、理由をつけて巨乳モデルまで叩きだす勢力もそれを支持する人もいた。
改めて言うが、論外。
論外パート2。
今ではそんな奴らはいなかったぐらいの勢いで矮小化されているが、実際にいた。
声を大にしてボイコットを諫めたポスター批判派は、自分は見ていない。
献血やポスターはどうでもよくてオタクを叩きたいだけの本音が、ヒートアップするうちに漏れ出てしまったのだと思われる。
一見聞くに値する意見のようだが、その他の広告が同じように批判・炎上していないので、「それだけが理由ではない」ことが自明だ。
公共やゾーニングの問題だというなら、他の広告も同じように批判してください。
「地下鉄の駅内や車内」で「セックス丸出し」の非常にセンシティブな広告を毎年出しているのだが、宇崎ポスターと同じように炎上しているだろうか。
そのことを指摘されても「whataboutismだ」「ようやく男が性的搾取されることの不快感に気づいた」「男が自分で被害の声を上げろ」と意味不明な意見ばかりであった。
(それに、「男が自分で被害の声を上げろ」の理屈だと女性が被る問題も「女だけで勝手にやってろ」となってしまう。非常によくない論だと思う)
長野県警では「BL的カップリング」を押し出していたが、これは「ゲイの性的搾取」を「公共機関が行った」と問題にならないのだろうか。
(イラストがエロじゃないから性的搾取や消費じゃないという反論は、「腐女子は性行為ではなく関係性を消費している」という言説で封殺されると思うのだが)
※(例に出しただけで個人的には長野県警のポスターが問題だとは思っていないが)もし実際にゲイが搾取された場合にも、上記の人たちは「ゲイが自分で被害の声を上げろ」と言うのだろうか。
この長野県警の例はわかりにくかったようで反省しているが、上記のややこしい「性的搾取」の部分に絡む話でした。
県警ポスターが「直接的に性的な絵だ!」ということではないし、県警ポスターを批判したいわけでもない。
※偏見ではなく、女性の「セックスファンタジー」のためにゲイが使われている(ゲイ漫画とBL漫画は違う)ので、一般的にそう説明して差し支えないと思う
・宇崎ちゃんポスターが「公共の場での女性の性的搾取」(だからアウト)なら、BL押しのポスターも「公共の場でのゲイの性的搾取」でアウトになるはず
・なのに触れないのはダブスタ
という話。
また、ダブスタだよねって指摘であって、「長野県警含めすべての性的搾取を許すな!」という主張ではない。
追記終わり。
また、こうした意見を言うひとの「公共」の概念は「コンビニ」から「ネット」まで伸縮自在すぎるので、そこも整理してください。
最近よく見るやつ。
先ほども書いたように、「宇崎ちゃんポスターと同じように炎上していない」話をしているのであって、その言い訳には意味がない。
ダブスタだとわかっていて言い訳しているのだから、すごい卑怯者ですという自己紹介でしかない。
今見返しても、「ポスターを問題視してるはずなのに」それを作った赤十字よりも「ポスターを擁護するオタク」の方を叩く意見がやたらと目につく。どういう思考回路じゃ。
発言の総数ではこれが一番多いんじゃないだろうか。
知らんけど。
他の景品の時点で言え。
理解不能。(本当にいました)
とりあえず以上。
主張がばらばらでまとめるのが難しいし、他の派閥にもかぶってるしめんどくさかったのだが、指摘があったので。
https://togetter.com/li/1428213
saebou先生の反倫理的な「すごく高い倫理」と献血における倫理/安全性:「宇崎ちゃん」献血ポスター③
わざわざ書いていただいて恐縮ですが(細切れのTweetで主張されるよりはマシだが)、日赤は真面目に広報すべきで、おふざけはダメという感じで、「そうですか」という以上の話ではないですね。
本気でそう考えているなら、こういう広告が批判されるはずで、まぁ、後付けっぽさは拭えないですね。 pic.twitter.com/y5PYjJBnB1— 弁護士 吉峯耕平(「カンママル」撲滅委員会) (@kyoshimine) November 12, 2019
要は論外パート4。
しつこいな。アンタが好きな分には構わないから密かに楽しんでればいいのに、何で「この素晴らしさがわからない奴はバカ」と主張するのか。まあそのピントのズレ方が「オタク」の定義なんだけどさ。
オタクを叩きたいだけの論外さんのご登場だが、しかし圧倒されるなこの壊れ方は。
「この素晴らしさがわからない奴はバカ」なんて主張はしてないし、「性的だから嫌だ派は尊重すべき」と一番最初に書いてるのだが。
このピントのずれ方は一体「何の」定義になるんでしょうねえ。
ていうか、「アンタが好きな分には構わないから」の「アンタ」が(この人の脳内と違って)現実にたくさんいるから、ああしたコラボが成り立つんでしょう。
他人の楽しみ方や現実の在り方を決める権利があると本気で思ってるんだろうか。
どれだけやばいことを書いてるか、少し客観的に振り返るのがオススメです。
ブコメにて登場。はっきり言って狂ってる。
そうやってあの騒ぎを矮小化するってことは、「巨乳は公共にふさわしくない」「献血ボイコット」「赤十字は売血」というやばい派生ムーブメントに対しても、「ただの批判」「いちいち騒ぐな」「黙ってろ」と擁護してるってことだぞ。
ありえないわ。
それらも含めた一連の問題だったのに、いま総括して言うことが「ただの批判」かよ。目と耳をふさいで生きてるのかこいつは。
逆にそんな奴が何でこの話題に食いつくんだ。
そもそも炎上なんて1週間ももてばいい世の中なのに、ただの批判が原因であの規模の炎上が何か月も続くわけがないだろ。
ポスター批判派はこういう頭のおかしい人が結構いて、議論どころか会話すら成り立ちようがないのが困りものなのだ。
本人が馬鹿なのは構わないが、健全な議論を邪魔してくるから本当に害悪。
ああいうポージング・強調が公共活動に使用・許可されてお墨付きを得ると、他の所でも、女性がそういう内容を押し付けられそうだっていう危機感があったな。常に見る側の人にはわからないと思うけど…。
だけど、じゃあananのこういう広告は…?と疑問も湧くんだよね。この写真の車内広告で「おいしい胸」ってかなり露骨だと思う。
http://adgra-tokyo.blogspot.com/2017/09/anan.html
http://sax5.hatenablog.com/?page=1471532400
いや、だからお前は間違ってる!って否定したいわけじゃないけど。
女性用雑誌の広告だから危機感を抱かないということもあるのかも知れないけど、そうじゃない人もいるわけだし。
ananの広告に顔をしかめる女性は、自分の中でも結構思い当たる。
そうなると、じゃあ「宇崎ちゃんポスターだけあれほど騒がれた理由って、何?」となるんです。
別にこの人に答えを求めて詰め寄ってるわけじゃなくて、なんていうか、単純に決められる話じゃないよねっていう。
だからそもそもの発端である「環境型セクハラのようなもの」って決めつけは(のようなもの、って逃げ方も酷い言い種だ)悪質だった。
多分、宇崎ちゃんポスター擁護派の中には、宇崎よりもananの広告の方が際どいものに感じる人もいると思う。
で、それは個人の感覚の話だし、どちらかが絶対正しい!なんてことはなくて、意見をぶつけ合うしかない。
それであーでもないこーでもないと議論するのは健全なことだと思うんだよな。
でも、しつこいけどこの騒動では「不健全な」方向に話がどんどん転がっていったから問題なわけです。
広告に不快感とか危機感を抱いた人も、「胸の大きいモデルを広告に使うな」とか「献血をボイコットしよう」って話には「なんだそれ?」ってなるでしょ。
自意識について考えて
自由意志を担保するには物理から精神が派生しているのではなくその逆とするしかないという結論にはいたらなかったの?
ただ別の増田で『生きるのが辛いから意味付けしたい』というのがあった
■すごく疑問なんだけど「理想ガー」とか「生きる意味ガー」とか「男ガー」とか「女ガー」とか言う割には
なぜなの?
■なんのために生きてるのかな
生きる意味がない
生きる意味が欲しい
生きる意味を考える
とかいう謎の勢力がいがちなので、じゃあワイが適当に答え出したるわ!!!!
生物も、
生物かどうか意見が分かれるヤツ(ウイルスは生き物だと思います)も、
いずれも成長しているかのような振る舞いや変化を見せる
日本生物物理学会も “材料的には生命と非生命の物質の間に本質的な違いはありません.それでは,「生命」と「物質」の違いはどこにあるのでしょうか?“ とか言っている
『映画秘宝』の元・編集長による恫喝DM事件が発覚した当初、一部の『映画秘宝』関係者が「映画を観て、差別に反対し、社会の不正や権力に立ち向かう姿勢を学んでいたのに云々」といった主旨の言葉を述べていましたが、果たして本当にそうでしょうか?若い読者の中には信じてしまう人たちがいるかも知れないので、元・愛読者の一人だった私が記憶に基づいて(と言うのも手持ちのバックナンバーはほとんど処分したので)、これについて反論のような事をポツリポツリ試みたいと思います。
『映画秘宝』が現在のサイズになって間も無い当時『映画秘宝』は、自民党政権を援護射撃するメディアの一つでした。これは何も『映画秘宝』に限った話ではありません。当時は、例えば『ミュージックマガジン』の故・中村とうようが「自民党を壊してくれるなら小泉純一郎を支持する」と公言していたように、小泉政権を支持する反・権力系メディアやその関係者は珍しくなかったのです。
同じ頃『映画秘宝』は、当時の秋田書店の漫画雑誌『少年チャンピオン』で連載されていた漫画『アクメツ』を誌上で紹介した上で「この漫画は傑作なので『映画秘宝』の読者も読んで応援しよう!」と推薦していました。ご存知ない方の為に解説すると漫画『アクメツ』は、小泉純一郎をモデルとする政治家(※ハンサムに描かれる)が行う改革を応援する為に、主人公である高校生テロリストが改革に反対する勢力の人間たち(※こちらは醜い外見で描かれる)を殺害しまくる(しかも、その殺害の模様を映像で配信する)と云うのが大まかなストーリーです。
それだけではなく『映画秘宝』の読者投稿欄では「映画の中で公務員が死ぬ/殺される場面が出てくると、映画館で拍手喝采します」と云う内容の手紙を掲載したり、映画紹介記事の中に「公務員の奴らは他の仕事に就くことが出来なかった無能たち」という文を態々差し挟む形で書いたりと、当時の小泉改革により巻き起こった公務員バッシングの風潮に『映画秘宝』は全力投球で乗っかっていました。公務員バッシングをしてくれる雑誌メディアの一つとして『映画秘宝』を愛読しているネットウヨク的な人間たちも、当時は少なくなかったのではないでしょうか?少なくとも、読者投稿欄などに「小泉改革に乗っかって浮かれるのは止めた方が良い」という意見が載る事や、ライター内部からの批判記事が書かれたは無かったものと記憶しています。
町山智浩は小林よしのりに対して「ネットウヨクたちを生み出した責任を取れ」と批判したようですが、四人がかりで女性1名を標的にパワハラを行うような町山智浩たちが作っていた『映画秘宝』に対して、私は「貴方たちが過去に行った自民党政治への援護射撃の責任を取れ」と言いたいと思います。
奈良さん・小沢さん・ギンティさん・市川さんたちからの告発を受けた町山智浩ら4名は、近年『反・権力』の姿勢を盛んにアピールしていましたが、私の目から見ると「ナチスの戦犯が過去を隠して戦後を生き延びた姿に似ている」と思います。仮にも『反・権力』を謳うならば、過ちを犯した時には自己批判して、反省する事が肝要でしょう。それが出来ない、他人に厳しく自分たちに甘い町山智浩ら四人は、決して「反・権力」や「不正と戦う」と云う人間たちではないと私は思います。
元『映画秘宝』愛読者だった私。家族に『映画秘宝』を読むことを勧めてしまった私。この私にも『映画秘宝』のモンスターを育てた責任は有ると思う。だから、元・読者の一人として、恫喝DM事件の被害者に謝罪します。こんな人たちを批判するべき時の過去の時点で批判する事を怠り、彼らを増長させて育ててしまい、その結果として貴方を傷つける事態を招き、本当に申し訳ありませんでした。
今なお町山智浩ら四人に心酔しきっている状態の私の家族の洗脳をたとえ解けなくても、他の誰かの目を覚ます事はできるかも知れない。そのような一縷の望みを託して、読者だった当時の記憶を記しました。見出しに(1)と付けたので、気力が湧けばまた何か書こうと思います。悪文によるお目汚し、失礼致しました。
今ネットで見かける反出生主義者は本気でそう思っているんじゃなくて「どんなレスバトルにも勝てる魔法の理論」としてこの思想を持て囃してるだけなんじゃないかなと不安になる
一時期話題になったBAN祭りだって本気で彼らが右極化を憂えていた訳でなく他者をおちょくって怒らせるのが楽しい勢力が一時的にリベラルの味方のような行動をしていただけだったし
自分が子供を産むより今恵まれてない貧困層の子供達を助けるべきだとは主張しているけどそれを実践している人間が何人いるか?ただネット上で憂さ晴らしがしたいだけじゃん……
このままだと中途半端に仏教の教えと被る部分を利用してアレフや山田らの集団、ひかりの輪といったオウム残党に利用されて終了って感じでムーブメントが終わりそう
コロナによって東京オリンピックの開催がおじゃんになった世界線の2031年。
世は禁酒法ならぬガチャピンが定めた禁嫌法から10年が経っていた。
かつてガチャピンの片腕であったムックは禁嫌法の緩和を訴えるも反嫌法に基づいて電気椅子に送られてしまっていた。
「嫌い」をキめたくて仕方がない人々は、
はてなというアングラなサービスを使い日々「嫌い」という感情をぶちまけるのであった。
いったい、どうしてこんなことになってしまったのか?
このようにきわめて重大な法令を、
国民はなぜこのように圧倒的に、まるできまぐれのように受け容れたのだろうか。
コロナの流行は禁嫌指導者に大きなチャンスを与えることになった。
完全禁嫌プログラムには反対していたはずの人びとの注意はコロナに奪われ、
国家存亡の危機に際しては、人間の自由意志などは些細なことだと考えられた。
またコロナは、ガチャピンに広範な権力を与える思いきった法律制定に、国民を馴らしてしまった。
感情の節約が必要となり、感情節約の手段として、ガチャピンはリベラリストたちに禁嫌奨励することになった。
憲法修正第ガチャピン条はその自然な表現だが、コロナはまたスパルタ式理想主義のムードをもたらした。
マイノリティが良いものであり、マイノリティが生産能率の良い存在であるならば、禁嫌論議は、さしあたり反駁の余地のないものだった。
もしこのコロナとの戦いがすべての争いを終わらせるものであり、勝利が新たな輝かしい世界秩序をもたらすことを可能にすると考えるならば、
この効果的な禁嫌を無限に続ける時代に入っていくことを想像するのは、いかにも容易であった。
そして結局、コロナとの戦いは国民を、即座に結果があらわれないと苛立つように変えてしまった。
2022年と2023年は、やる価値のあるものは何でも、官僚式手続きや反論や快不快や便不便を無視して、即刻やる価値がある、ということになってしまった。
こうした諸勢力の結合は、抵抗し得ないものだった。国民は熱病にかかったように、息せききって、禁嫌のユートピアへの近道を選んだ。
このたびはツッコミをくらいまくるようなことを、増田にうっかり書き込んでしまい大変申し訳ありません
源氏の内輪もめとしては頼朝が源平合戦中にも範頼や義経の足を引っ張るような口出しをしたこと
(という記憶があるのだが検索してもいまいち出せない。範頼の九州仕置に掣肘は加えたみたい)
戦後二人を殺したことが念頭にあり、ブコメでも出ていた足利氏の兄弟喧嘩、戦争中ではないが三代将軍実朝が甥の公暁に斬殺されたこと
など、ある本で平氏覇権時代よりも鎌倉時代初期の方が内乱が激しく朝廷が苦労させられたという記述があったことを意識して書きました
一致団結した平氏側の範囲としては清盛が優遇した親族連中で考えており
(考えているうちに本人たちが自分を平氏と意識していたのかアイデンティティの置き方は気になってきましたが)
ブコメで指摘されている重盛のことは知りませんでした
平平合戦って北条氏が政権をとったことから逆算的に言われているだけなんじゃないですか?それって と思ってしまった
勉強不足でした
自分を差別主義者と認めたら、逆にお前がどんな理由で差別され排斥を受けても文句を言えなくなるぞ。
誰かが訴えてくる差別の基準に対してその基準はおかしいと心から思えるならそれは差別じゃないとこちらも訴え返すしかない。
現代の過激化したポリコレ勢力が力ずくで引いた差別の線引きが全面的に正しいとは俺も思わないけど、それならそれで「じゃあ悪で良いよ」と開き直るのではなく、自分の信じる正しさで以てぶつかり合っていかなければいけない。
オタクは反リベラルだから「オタクキモい」って言われても傷つかない。むしろ、「きもい」なんて反リベラルな表現を聞いて気持ちよくなる。なぜって、ちょっとの差別も赦さない窮屈な世の中にうんざりしてるからさ。
「きもい」の中でも「オタクキモい」は最高だ。自分が傷つかないサンドバッグとなることで「キモい」のような差別も「自由な表現」であり、傷つく人が繊細ヤクザなだけであって、差別表現は悪ではないと証明できるからだ。
選択的夫婦別姓の導入が進まないのは、これがイデオロギー闘争になってしまっているからである。
選択的夫婦別姓は、伝統的なイエや専業主婦家庭が減少し、同時に夫婦で共通の姓を持つことの合理性が減少し、他方で不合理性が増えたことが最も大きな理由である。妻が文字通りの「家内」で、家族を代表して家の固定電話に出る時代には、同姓は確かに合理的だったが、こうした風景はもはや既に過去のものになりつつある。選択的夫婦別姓に否定的な女性の国会議員たちも、当たり前のように戸籍と仕事で名前を使い分けている。夫婦同姓の強制が、現実の社会生活にとっては不便で不合理なものでしかないことは、保守派にとっても自明なのである。
それにも関わらず、保守派が選択的夫婦別姓に強行に反対するのは、これが純粋にイデオロギー的な問題であることを意味している。保守派が家族のありかたにこだわるのは当然として、離婚、中絶、育児、介護、性別分業など、様々なより重要と思われる論点がある中で、日本では強制的夫婦同姓を守ることが保守派の生命線になってしまっている。つまり、保守派がなぜ夫婦同姓に異常なまでに固執するのかと言えば、敵対する左派・リベラル派が従来の家族モデルを批判する文脈で別姓を推進しようとしている(ように見える)から、というのが根本的な理由である。
夫婦別姓問題をイデオロギー闘争にしてしまったのは、リベラル派にも少なからず責任がある。世論とくに若い世代は夫婦別姓の容認に傾いているが、それは人の生き方や価値観への押し付けや介入を嫌がるようになっていることが大きい。なので、伝統的な家族規範に対する批判の声をあまり強めてしまうと、それも若い世代には「特定の価値観の押し付け」に映ってしまうことになる。夫婦別姓推進派には、「頭の古い政治家は退場しろ」という声が多いが、選択的夫婦別姓に賛成する若い世代の多くは、そういう攻撃的な物言いを生理的に嫌っている。なので、野党やリベラル知識人への積極的な支持は大して広がらない。
選択的夫婦別姓の賛成派は数こそ多いが、伝統的家族観を積極的に解体したいという左派・リベラル派の思いとは逆に、大部分は「価値観の押し付けを嫌う」「強制的同姓は日本だけ」というきわめて消極的なものなので、組織されておらず政治的には強くはない。対して反対派は、これが保守の生命線であるとして、死に物狂いの姿勢を見せている。日本会議のような強固なイデオロギー組織が草の根の運動を展開している。
菅政権も選択的夫婦別姓に消極的になっている。民主党政権に象徴されるように、政権内の「内輪揉め」は支持率を激減させる。自民党内の選択的夫婦別姓への反対勢力は、政治生命を失ってでも反対するというほどカルト化してしまっている。だから無理に進めれば、このカルト化した反対勢力が騒ぎ出すことになり、「菅首相はリーダーシップがない」という印象を与えてしまうことは確実である。とくに支持率が低迷している現在は、もう絶対に手が出せなくなってしまったと言っていいだろう。
選択的夫婦別姓導入は、立憲民主党中心の政権が成立でもしなければ絶望的に不可能である。つまりほぼ絶望と言っていい。
(追記)
福島瑞穂は、夫婦別姓問題をイデオロギー化してしまった元凶だと思っているので、いつまでもこの人を先頭に立たせてはいけないと思う。夫婦別姓を望む当事者も、必ずしもフェミニストではないのはもちろん、伝統的家族規範が好きとか嫌いとか、そんなことを問題にしているわけではない。多くは、通名と戸籍でバラバラな現状を変えてすっきりさせて欲しいというだけであり、あるいは、生まれた姓にこだわりや愛着があるとか、両親の姓を失いたくないといった、より保守的な理由による賛成派も多い。
夫婦別姓のような、それで特に何かがよくなるわけでもないイデオロギーの問題より、シングルマザーや中高年独身女性の貧困問題とか、もっと泥臭い問題のほうでアピールすべきじゃないだろうか。既にやっていると言われるだろうけど。