「勢力」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 勢力とは

2021-04-01

[]放任の乱

幌生家の足軽大将、地弥呼と海賊大将、摩利砲鐸が衆人環境

書物侮辱したと受け取られる行為を働いたことに端を発する戦乱は

関係者の間で和睦が成立した後も各地で炎をあげ続けていた

さながら、

山名宗全の没後にも貿易港での細川氏への恨みを晴らさんと京に居座った大内氏のような

応仁の乱が終わっても山名から播磨を取り戻そうと戦い続けた赤松氏のような

戦意に溢れすぎた人間がたくさんいたかである

戦乱に乗じて自らの勢力を拡大したいだけの野伏まで参入して

状況は酷く混沌としていた

かねてより幌生家は領民の行動に注意を促すことが少なく放任気味であった

こたびの戦においても私掠船行為自主的に始めた領民への制止が出されたのは

騒動勃発からしばらく時間をおいてのことだった

なお、幌生家そのものは表向きなんら反応を示していない

このような放任の期間が戦乱の拡大にどれほど寄与たか

評価簡単ではないが危機管理の例として興味深いものがある

なお、中つ国地方の幌生家においては既に混沌常態化しており

一足先に代替時代突入していたとの説が主流となっている

2021-03-31

アーツ前橋作品紛失問題

はてなでは意外と話題になっていないようだが、アーツ前橋という公立美術館作品6点が行方不明になる、という事件があった。

館長も辞任して一件落着かと思いきや、その後出た報告書で館長による隠蔽疑惑が指摘されたり、その報告書に館長自らが反論したりして、泥沼の様相を呈している。

まとまった記事としては美術手帖を参照されたい。

アーツ前橋作品紛失に関する調査報告書が公開

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23795

紛失問題報告書に関して、アーツ前橋館長の住友文彦が反論

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23803

一般の人にはあまり知られていないかもしれないが、アーツ前橋というのは近年アート業界ではかなり高い評価をうけている美術館である

たとえばこういう企画展

https://www.artsmaebashi.jp/?p=13991

堂々と掲げられた「本展のキーワード」の、「周縁性、ローカルジェンダー福祉ケア老い共同体移民」というあたりが、この館の方向性を端的に示していると思う。

ざっくりと言ってしまえば、社会問題を扱う現代アートを精力的に紹介しつつ、ワークショップによって地域との結びつきを強めていく、というスタンスである

個人的には、なんか優等生的だなという印象で、反感を抱かないでもない。

しかし、年々予算が削られ、文化政策への風当たりも強くなっている斜陽美術館業界からすれば、「SDGs」的なアピールによって先端的な雰囲気を放っているアーツ前橋は、地方美術館のあり方として、ひとつモデルともいうべき存在であった。

その方向をカリスマ的にリードしてきたのが、2013年の開館当初から館長をつとめてきた、住友文彦その人である

前橋市と館長、どちらの言い分が正しいのかは現時点でよくわからないが、すでに美術業界から擁護の声も出ている。

たとえば東大教授美術研究者加治屋健司。

アーツ前橋作品紛失の最大の原因は、予算、スペース等から美術館が借用作品の保管場所として外部施設を使わざるを得なかったことにある。その状態放置問題に適切に対処してこなかった所管部署文化スポーツ観光部及び同文化国際課に責任がある。これは専門職の館長ではなく行政職の職掌である

https://twitter.com/kenji_kajiya/status/1375731293581807616

スペース・予算の確保は行政職の仕事なのに、彼らはそれを怠っており、そのせいで悪環境作品を置かざるをえなくなったために今回の事件が起こった、という論理である

これは大局的に見れば正しいかもしれない。

ただ、美術の保管場所というのは確保するのに非常にコストがかかるので、無尽蔵に確保できるというものではない。

それに、少なくとも現状で保管場所がまともでないにもかかわらず、作品を預かることにしたのは、やはり学芸員なのではないか

まともな環境作品を置くことすらできないのであれば、そもそも作品を預かるべきではなかったはずである

そういう批判はあったようで、彼はあとから補足している。

他館の学芸員からお話を伺いました。館の作品管理問題があったと私も思います。それはすでに各所で指摘されており館長も認めているので、私はそれを前提としたうえで報告書問題を指摘しました。それを館の問題を認めない発言と受け止めた人もいたようですが、それは私の発言趣旨ではありません。

https://twitter.com/kenji_kajiya/status/1376207390836592642



とはいえ前橋市の報告書住友文彦の責任を追及したように、加治屋健司が行政職の責任を追及するという構図には、結局のところ学芸員行政職の党派性問題なのではないかという感も否めない。

一般にはさほど知られていないかもしれないが、美術館学芸員行政職の人間は、仲が悪いのがふつうである

なぜそうなるのかと言われると難しいが、技術職と営業職が不仲なのと構造的には同じであると思う。

まり理想を求める学芸員コスト重視の行政職という図式で、利害が一致していないのだから対立するのは当然なのかもしれない。

両者のいずれが力を持つかというのは、もちろんさまざまな権力関係によって決まるのだけれど、その勢力図を象徴的に表すのが、「館長が行政職か学芸員か」という問題である

現状で言えば、おそらく行政出身の館長のほうが多数派なはずで、その傾向は年々強まっているのではないかと思う。

現代アート畑の住友文彦を館長にしているアーツ前橋は、その意味でも稀有存在なのである

行政出身の館長というのもバックグラウンドはさまざまだが、教育委員会などから引退間際のおじいちゃんがやってくることが多く、そういう人の99パーセント現代アートなど興味も関心もない(のに反感だけは持っていたりする)ため、館長のくせに予算削減を推進する側に立ったりする。

今回の住友文彦退任にあたっても、後任に専門家を置けという動きが出ているのには、そういう背景がある。

後任に現代美術専門家を 「アーツ前橋」館長退任へ 芸術家署名活動

https://mainichi.jp/articles/20210330/k00/00m/040/038000c

ところで、先ほど「まともな環境がないなら作品を預かるな」と書いたけれど、現実的にはなかなかそうはいかない事情がある。

まず、あたりまえの大前提として、美術館が持っている作品を捨てるということは通常ない。

現実にはゼロではないのだが、やるとなると相当の覚悟必要である

から美術館作品は減るということはなく、ひたすら増えていくことになる。

加えて、美術品のほとんどは温度湿度を厳正に維持した収蔵庫で管理しなければならない。

「厳正に維持」というのは「24時間空調」のことを指す。

38度の真夏であっても、氷点下真冬であっても、24時間365日安定した温湿度でなければならない。

当然これには莫大なコストがかかり、倉庫が広くなればその分お金もかさむ。

まり美術作品は増えていくのに、倉庫を増やすのは容易ではないのだ。

「じゃあ預からなければいいじゃないか」と言うかもしれない。

しかしそうはいかない。

地方美術館美術作品寄付する人々というのは、たとえば地域小金持ちであるが、彼らはしばしばこういう考え方であったりする。

1. 蔵を掃除していたら、なにか絵が出てきた。

2. 貴重なものかもしれないので、美術館電話した。

3. 美術館で引き取ってくれないなら、廃品回収に出そうと思う。

「収蔵するか」「捨てられるか」という二択しか、ここにはない。

売るとか、他の美術館を紹介したらどうか、と言うかもれない。

名の知れた人気作家だったら、そういう手もありうるだろう。

でも、蔵から出てくる作品の作者というのは、典型的にはこういう経歴の人物だったりする。

〇〇県出身上京美術学校西洋絵画を学ぶ。卒業後に帰郷し、〇〇県立第一高校美術教員として教鞭をとる。戦後は〇〇県展の立ち上げに尽力し、後進を育てるなど、〇〇県画壇の重鎮として活躍した。

こういうプロフィール作家面白い絵を描くのだろうか、と疑問に思うかもしれないが、まさにご指摘のとおりで、美術史の大きな流れからすれば、なんの意義もない作品であることがほとんどだ。

しかし、地元での功績というのは地域にとって何よりも大切なものであるし、なによりそういう「つまらない」風景画には、地元民の心をこのうえなく鮮烈にうつし出したような、ローカルであるがゆえの価値がしばしばある。

日本都道府県ほとんどには県立美術館があって、そのそれぞれに多くの「凡庸地元作家」の作品が収蔵されていることの意義は、そこにあるというほかない。

そのような作品は、まさに、「収蔵するか」「捨てられるか」の二択だったところを拾われてきたのである

というわけで、いろいろ書いてしまったが、今回の事件は単なるカリスマ館長の不祥事という以上に、美術館業界の抱えるさまざまな問題関係しているように思われる。

気が重い話である

その他参照

調査報告書

https://www.city.maebashi.gunma.jp/material/files/group/10/hodo20210324_7.pdf

住友文彦の記者会見原稿

https://drive.google.com/file/d/1qQmOLCs2XI1VK9XzPgQpWyKlJZH809Yx/view

2021-03-30

anond:20210330154247

性的儀式を信奉する名称不明密教集団(「彼の法」集団)と混同されるようになり、風評被害を受けた。そのため勢力を減らし、江戸時代中期に消滅した。

立川流 (密教) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E6%B5%81_(%E5%AF%86%E6%95%99)

風評被害じゃねーかw

巨乳タレントテレビに出てこなくなった

ここ1年くらい、地上波BS巨乳タレントグラビアアイドルを見ていない。

一昔前はイエローキャブ勢力とか年中テレビに出てたのだが。

綾瀬はるか長澤まさみ巨乳ではないからこの枠には入らない。

巨乳タレントグラビアアイドル青年雑誌DVDくらいでしか見られなくなってる。宇崎ちゃん騒動の影響がここまできたか

2021-03-28

anond:20210328182456

IQというくくりとはちょっと違うけど、いまだに100年前の価値観をかかえている国は多い。

中国ミャンマー軍政権、その他の独裁国家などが筆頭である

彼らにとっては進歩した人間というのは敵であり害悪なのだろうというのがわかる。

けっきょく、

人間は変わってはいけない、変わるべきではない(だからこそ奴隷を作りレイプ虐殺をするのだ)という勢力と、

人間は常に変わり続ける、進化し続けるという勢力の戦いなのだろうか?

anond:20210328094627

もうネットで散々言われていることだけど、『美白』を否定するんじゃなくて『美黒』という新しい価値を創るのでは、なんで駄目なの?

「白いことは美しい」しかし「黒いこともまた美しい」で良いじゃん?

ポリコレが嫌われるのってここなんだよな。

価値があるとされていたモノをブッ壊し、優れているとされているモノを貶めることでしか平等を実現できない。

今まで低く見られていたモノに対して価値を創り出すようなことをしようとしない。

他人迷惑を省みず、破壊という楽な方へ楽な方へと流されているか現代ポリコレはクソなんだよ。

こういうポリコレの傾向って結局声のデカい層の根底にあるのが、平等という正義の実現を望む意思ではなく、良い目を見ている奴らの足を引っ張ってやりたいという醜い性根だからだと俺は思っている。

あとはもし美白と美黒の両方が商品として並べられて、自由意思商品を選ぶ権利のある消費者達の手に取ったのが結局美白ばかりだったらどうしようという恐怖か?

もっと言えば、美黒という価値自体ができれば良いとは言ったけど、それも花王がやる義務はないだろう。

花王は数ある企業の一つでしかないんだから、白を美しいと思う人をターゲティングしてそこに特化した商品を売る企業として活動したって良い。

黒を美しいとする人向けの商品はそういう価値観がお好きなポリコレ勢力商品作って宣伝すれば良いんだから


別に今回の花王の話に限らないが、他人寄生し、他人のモノを破壊することでしか作り出せない平等正義があるとは思えない。

ポリコレ連中はその辺りをもう少し省みるべきだと思う。

「東アジア反日武装戦線」の初心と過ち

韓国発の映画『狼をさがして』は何を描いているか

太田昌国 評論家編集者

 韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督2020年作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」(以後、「反日」と略す)を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である

歴史像と世界像が一新されてゆく時代のただ中で

 描かれる時代は、アジア太平洋戦争日本帝国敗戦してから30年近く経った時期に当たる。活動を担ったのは、敗戦から3~5年経った頃に生を享けた、当時は20代半ばの若者たちだった。いわゆる「団塊の世代」に属する。その彼ら/かの女らは、敗戦以前に日本がなした植民地支配および侵略戦争責任を問うた。同時に、戦後過程はすでに30年近い長さに及んでいるにもかかわらず、日本がその過去清算することもないままに、改めて他民族に対する加害国と化している現実に警告を発した。手段として使ったのは爆弾だった。

 その標的はまず、戦前絶対無謬の存在として日本帝国を率い、戦後は「平和」の象徴となった昭和天皇に向けられた。だが、「お召列車」の爆破計画が実現できなくなった後は、戦前戦後を貫いて繁栄する大企業に的を絞った。

 戦後日本象徴する言葉は、長いこと、「平和民主主義」だった。それは新憲法を貫く精神でもあると多くの人びとが考えていた。

 天皇戦争責任が問われることも裁かれることもなく始まった戦後は、「一億総無責任体制」となった。この体制の下では、日清戦争以降、断続的にではあっても半世紀もの間(1894年1945年アジア太平洋地域戦争を続けた近代日本実像を覆い隠し、この戦争全体像を、最後わずか3年半の「日米戦争」に凝縮して象徴させることが可能だった。広島長崎の「悲劇」を前面に押し出し米軍占領下の沖縄辺境ゆえに無視して、日本全体があたか戦争の「被害国」であるかのようにふるまった。「反戦平和勢力」の大勢も、そのことに疑いを持たなかった。

 1960年安保闘争の時にも、1965年日韓条約反対闘争の時にも、戦前日本帝国がなした対外政策と関連づけて現在分析する言動ほとんど見当たらなかった。すなわち、日本社会総体として、近代日本が持つ「植民地帝国」としての過去をすっぽり忘れ果てていたと言える。

 1960年代後半、この社会思想状況はゆっくりとではあっても変化し始める。日本は、高度経済成長過程で目に見える形での貧困は消え失せ、急速に豊かになった。この経済成長最初の基盤となったのは、1950~53年の朝鮮戦争による「特需景気」だとする捉え方が常識となりつつあった。

 時代はあたか米国ベトナム侵略戦争の渦中で、沖縄を軸に多数の米軍基地があり、インドシナ半島輸送される米軍物資調達地でもある日本は、再度の「特需景気」に沸いていた。近くに住むアジア民衆が苦しんでいる戦争によって自分たちの国が総体として豊かになっていく――この際立った対照性が、とりわけ若い人びとの胸に突き刺さるようになった。

 加えて、米国でのベトナム反戦運動は、黒人先住民族インディアン)の権利回復の動きと連動していた。植民地主義支配人類史に残した禍根――それが世界じゅうで噴出する民族問題の原因だとする意識が、高まっていった。

 「東アジア反日武装戦線」に所属した若い人びとは、それまでの歴史像と世界像が一新されゆくこのような時代のただ中にいた。彼ら/かの女らは、日本近代史と現在が孕む問題群に、「民族植民地問題」の観点から気づいたという意味では先駆的な人びとだった。

「重大な過ち」の根拠を探り続けた歩み

 「反日」はこうして獲得した新たな認識を、すぐ実践に移そうとした。当時刊行された「反日」の冊子『腹腹時計から鮮明に読み取れるのは、次の立場だ。「そこにある悪を撃て! 悪に加担している自らの加害性を撃て! やるかやらないか、それだけが問題だ」。政治性も展望も欠いた、自他に対する倫理的な突き付けが、行動の指針だった。「反日」が行った、1974年8月30日東京丸の内三菱重工ビル爆破は、8名の死者と385名の重軽傷者を生み出す惨事となった。

 「反日」にはひとを殺傷する意図はなかった。事前に電話をかけて、直ちに現場を離れるよう警告した。だがそれは間に合わなかった。しかも、なぜか「反日」は三菱爆破の結果を正当化し、死者は「無関係一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表した。映画の前半部で、この声明文がナレーション流れる

 多くの人びとはそこで「引く」だろう。半世紀前の当時もそうだった。それゆえに、彼ら/かの女らは、日本では「テロリスト」や「血も涙もない爆弾魔」の一言で片づけられてきた。

 その責任の一端が、「反日」そのもの言動にあったことは否定し得ないだろう。だが、実はそこにどのような内面の思いが秘められていたのかということは、路傍の小石のように無視されてきた。そんな渦中にあって、獄中の彼ら/彼女らは初心を語ると同時に、自らが犯してしまった重大な過ちの根拠を探り続けた。獄外には、その試行錯誤を〈批判的に〉支え続ける多様な人びとの存在があった。映画『狼をさがして』は、これらの獄中・獄外の人びとの歩みを74分間の時間幅の中に刻みつけている。

過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない

 画面には登場しない「主人公」のひとりは、「反日」狼部隊大道将司である。彼は2017年5月、長らく患っていた多発性骨髄腫で獄死したが、死刑が確定してのち、彼はふとした契機で俳句に親しむようになった。生前4冊の句集にまとめられたその作品は、人間関係自然とのふれあいも極端に狭められた3畳間ほどの独房にあっても、人間はどれほどの想像力をもって、ひとが生きる広大な世界を、時間的にも空間的にも謳うことができるものかを証していて、胸を打つ。それは、ひとを殺めたという「加害の記憶悔悟」を謳う句において、とりわけ際立つ。

 映画でも紹介される「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」もそうだが、他にも「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」「春雷に死者たちの声重なれり」「死は罪の償ひなるや金亀子」「ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな」「いなびかりせんなき悔いのまた溢る」「加害せる吾花冷えなかにあり」「秋風の立ち悔恨の溢れけり」などの秀句がある。

 「反日」のメンバーの初心と、結果としての重大な過ちを冷静に振り返るこの映画制作したのは、韓国映画監督キム・ミレとその協力者たちである。ふとした機会に「反日」の思想と行動を知ったキム・ミレ監督がこの映画制作したのは、「人間に対する愛情、その人間を信じること」からだったという(「『狼をさがして』――金美禮監督に訊く」、東アジア反日武装戦線に対する死刑・重刑攻撃とたたか支援連絡会議=編『支援ニュース』420号、2021年3月6日)。社会正義のために、加害国=日本搾取され殺された東アジア民衆の恨みと怒りを胸に行動した結果、数多くの人びとを死傷させてしまった、つまり自らが加害者になったという事実に向き合ってきた「反日メンバーに対する思いを、かの女はそう語る。

 だが、その裏面には、次の思いもある。彼らは「長い期間にわたって、自らのために犠牲になった人々の死に向き合って生きねばなりませんでした。苦痛だったかもしれませんが、幸いにも『加害事実』に向き合う時間を持つことができたのです。8名の死と負傷者たち。それがこの作品制作過程の間じゅう私の背にのしかかってきました。しかし、彼らと出会うことができて本当に良かったと思います。この作品は、私に多くのことを質問するようにしてくれたからです。どう生きれば良いのか、今も考えています。」(キム・ミレ「プロダクション・ノ-ト」、『狼をさがして』劇場パンフレット所収)。

 74~75年当時の「東アジア反日武装戦線」のメンバーからすれば、韓国の人びととの共同作業は「見果てぬ夢」だった。日本自分たち戦後の「平和民主主義」を謳歌している彼方で、韓国および北の共和国の人びとは、日本植民地支配を一因とする南北分断と内戦、その後の独裁政権の下で呻吟していたからだ。

 そんな時代が40年近く続いた後で、少なくとも韓国では大きな体制変革が起こった。表現言論の自由を獲得した韓国新世代のなかから、こんな映画をつくる人びとが現われた。キム・ミレ監督は、この映画日韓関係の構図の中で見られたり語られたりすることを望まないと語る。過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない。日本韓国も、どの国でも同じことだ、と(前出『支援ニュース』および2021年3月18日付「東京新聞」)。

脈打つフェミニズム視線

 最後に、もうひとつ、肝心なことに触れたい。この映画を際立たせているのは、女性存在だと思われる。

 刑期を終えたふたりの女性が、生き生きとしたその素顔を見せながら、獄の外から窓辺に寄ってきた猫との交友を楽し気に回想したり、かつて自分たち闘争に大きく欠けていたものを率直に語ったりする。前者の年老いて元気な母親は、娘が獄に囚われてから、娘と自分たちを気遣う若い友だちがたくさんできたと笑顔で語る。二人は自宅の庭を眺めながら、「アリラン」を歌ったりもする。

 キム・ミレ監督らが撮影する現場に付き添う姿が随所に見える女性も、長年「反日」の救援活動を担ってきた。撮影すべき風景、会うべきひとについて、的確な助言がなされただろう。

 死刑囚の獄中書簡集を読んで、あん事件引き起こしたひとが自分と変わらぬ、どこにでもいるふつう青年だと知って、縁組をして義妹となったひとの語り口もごく自然だ。女たちの運動を経てきたと語るかの女の言葉を聞いていると、獄中の死刑である義兄とは、媚びへつらいのない、上下関係でもない、水平的なものだったろうと想像できる。

 そして、もちろん、韓国人のキム・ミレ監督女性だ。弱い立場にある労働者現実を描いてきたかの女は、男性の姿ばかりが目立ち、男性優位の価値観が貫いている韓国労働運動の在り方に疑問を持ち、スーパーで働く非正規女性労働者が大量解雇に抗議してストライキでたたかう姿を『外泊』(2009年)で描いた。日本でも自主上映されたこ作品に脈打っていたフェミニズム視線が、『狼をさがして』でも息づいていることを、観る私たちは感じ取るだろう。

anond:20210328104412

闇の勢力からんでるらしい

ユダヤによる金融支配の手下とも言われてる

イルミナティググると片鱗が見えてくるかも

ミャンマー多民族国家ロヒンギャだけじゃなく少数民族武装勢力複数ある。

ミャンマー軍はそれら国内武装勢力と命がけで戦って国を維持してきたのは俺たちだという自負がある。

抗日闘争に始まった軍が外国と戦ったのは中国との紛争最後で、後は国内独立勢力との武力闘争だけでなく国民党軍、共産党政治闘争含めてずっと戦い続けてきた。

2021-03-27

C#勉強をしている

本買ってきた

LINQRubyで見たことあるやつだ

迂闊に遅延評価確定させると遅くなって怒られるやつ

結局for文がいちばん勢力大きいの?1行で書けるよりもパフォーマンス重要?そう…

2021-03-26

言葉狩り勢力は早く「ほとばしる」を狩れよ

あれ、「ほと(マンコ)から尿が勢いよく出る様子」から来てるらしいぞ

キモすぎるでしょ

日常語でマンコがそういう風に言及されまくっているのは女性蔑視なのでは?知らんけど

俺はけっこう、ほとばしるって聞くたびにムズムズしています

ちんちんが…………

2021-03-25

スエズ運河をふさいでる船

愛媛会社の船なのか。

昨日、某評論家が、石油価格を吊り上げるための中東の某勢力のしわざみたいに言ってたけど、巻き込まれてとんだ迷惑だな。

歴史捏造を叩くな

○○は自分たちのやったことを無かったことにしたとか、○○特有歴史改変とか揶揄するが

そんなの国主導で、どの国もやってる事だろ

なら個人がしたって、1勢力がしたっていいじゃないか

自分たちの受けた仕打ち針小棒大に、悲劇的かつドラマティックに語ってもいい

相手がやったことをやってないことまで誇張してもいい

自分が有利になるように過去の非をなかったことにしていい

それを叩くんじゃねえ、真実主義者

2021-03-24

anond:20210324112050

そいつら味方につけてるから勢力をぐんぐん伸ばしてるよね

anond:20210324103031

そもそもフェミニズムって旧来の左派勢力と別なんじゃないか

"左派"という大きな括りだと内ゲバ扱いしてもいいかもしれないけど

謎の勢力オリンピックを中止しろ

いやいや、流石にそれはないだろ

オリンピックは中止すべきだったならわかるけど

から中止して誰が得するんだよ

そんなにうまく立ち回れない

人事異動の時期が近づいてきて、にわかにざわついている。

願掛けや希望妄想を述べるに留まらず、「政治」に勤しむものが目立ってきた。あれこれ「気を遣って」管理職を抱き込み、職務割当や座席配置が希望通りになるように操作している。

毎日毎度よくある小さな出来事までも、政治駆け引きネタと化している。誰かが誰かの隙を狙っている。

そういうことがあちこちで行われ、誰かが誰かに勝っただの負けただのを繰り返していると、どこかで歪みが生じる。

その歪みを吸収するのは、非正規だったり、正規の木っ端だったり、中堅年齢でありながら「どんくさい」人だったりするわけであり。

(かといって非正規無視放置すると、いつの間にか非正規がその部署内での事情通かつ権力者になってしまい、誰も逆らえなくなったりすることはある)

そうはいっても、組織勢力図が大きく書き換わることは少ない。いくら政治」でも、中枢にいる人にまで力を及ばせるのは至難だ。

それでなんだけど、私の新年度座席がどう考えてもおかしい。誰かが管理職へ吹き込んだのは間違いなくて、その黒幕の正体も見当はついている。

しかし、私はそんなにうまく立ち回れない。

2021-03-23

身内同士で喰い合いしてて、勢力弱まっててワロタ

なんかここ最近の流れ、全然関係ない身からすると一部勢力が勢い弱まって右翼ますますめちゃくちゃ強くなりそう。

2021-03-21

フェミのいうことを聞かない罪」なんてものを主張してしまうのは、自分権力者だと勘違いしているからだよね?

理想的と言っても良いほどのクソコメがあったので紹介しておきますね。

nobori_lupin そちらのことは知りませんけどムーブをしたら規制されても文句言えないじゃん。オタクオタクだったころは、ゾーニングして社会迷惑をかけないようにするので許容してほしいって方針オタクも多かった記憶

xnikki 倫理無視すると宣言した以上、もう萌えを始めとしたオタク表現社会悪としてバッサリ切るべき。ネットはもはや公共物。オタク表現の居場所を作ってはいけない

フェミさんの勘違いをこの上なくわかりやす表現してくれている奇跡コメント。

・そちらとはどちら?

規制するのは誰?

オタクオタクだったころも意味不明。じゃあ今のオタクは何なのか?

全然からない、俺たちは雰囲気オタクを殴ってる」を地でいってる。

私がこの文章オタクが従わなくても良いと言っているのは「フェミさんの主張する倫理」だけ。

オタクフェミさんの主張する倫理をすべて受け入れる必要がどこにあるんですか?」ということ。

社会的な倫理行政の定めたルールはどうでもいい、ということは一言も言ってない。

文章中で述べたようにオタクは強いものには従う。

フェミさんの主張する倫理」と「社会の求める倫理」が一致しているなら、あるいはフェミさん自身が何らかの権力を持っているなら従う。

今回zとqの二人はそれを認めさせて、その態度が倫理的じゃないとマウントかけようとした。

これに対して、「強者のいうことにだけ従うという態度が倫理的ではない」

ということを認めさせたところでなんか意味ある?というのが前回の増田で書いたこと。

>nobori_lupin、xnikki

の2名はまずこれが全く読み取れてない。

フェミのいうことを聞かない→規制されても仕方ない」は意味不明

支離滅裂なことを言ってるフェミ」については「知りませんけどムーブ」をかましても行政規制しない。

フェミがまともなことを言ってて、行政が「せやな」って思っていれば話は別だが、

第二波の頃ならともかく最近フェミはそのような存在だと受け取られていない。

いつまで自分たち絶対正義だと勘違いしている?

支離滅裂なことを言ってるのに、いまだに無条件で自分行政と一体化してると勘違いしてるフェミが多すぎる。

フェミのいうことに従わない」と「行政によって規制される」が頭の中で同一になってるやつが多すぎる。

そんな我こそが規制する権力者と一体化した存在と思い込んでるフェミ、この人に限らずはてなにはたくさん見かける。


いままでさんざんそう指摘されてるのに知らんぷりしてたけど、

xnikkiさんやnobori_lupinさんのおかげでこういう認識の人が本当にいることがよくわかっただろ?

こういう勘違いに陥ってるフェミがやるべきことはいい加減自他の区別をつけること。

自分たちの主張がオタク憎しで先鋭化しすぎており、社会の標準から大きく逸脱しているということをわかれ。

自分たちの主張が社会から認められる落としどころを見つけて、フェミ社会から認められればオタク自然ということを聞くから

今の時点でも十分認められてると思ってるんだったら大間違いだから

その努力を一切せずフェミ独特の論理押し付けようとしているから嫌われてる。

急がば回れ自分たちの尖った社会に請けいられるように着実に社会とすり合わせを行っていきましょうね、といってる。

nobori_lupin、xnikki のように「やっぱりオタクフェミのいうことを聞かない!→だから社会的に抹殺しよう」といっても

フェミのいうことを聞かない罪」なんてもの法律で定められてないってことにいい加減気づきましょう。

Arturo_Ui オタク対立項が「フェミ」という時点で、認知が極端に歪んでいる。二次創作とかエロ同人に関わってるオタク対立する勢力としては、真っ先に「警察」を挙げるべき。法的規制に関する認識ナイーヴ過ぎないか

警察が敵ではないとは言ってないじゃん。敵だとしても警察フェミと違って会話ができるし、行政にはできる限り逆らわないのがオタクだっていってんじゃん?むしろその話するなら、警察とは現時点で敵対勢力だとしてもうまく落としどころを見つけてやってるのにフェミはいつになったら落としどころを見つけようとする動きに落ち着くのってこっちが聞きたいよ。

マジレスってのはちゃん文章を読んだうえで答えることだと思ってたんだけど。ちゃんと読んだつもりのレスがこれだとしたらやべーやつ。やり直し(@^^)/~~~

z1h4784 yujimi-daifuku-2222氏の言うとおり、オタク(の一部であるフェミ勢)は自分より上のヒエラルキーに属しているとみなした相手には盾突かない権威主義者なわけ。それを揶揄されているということが伝わっていないようだ

文章読めてねー。フェミがそれを揶揄してるのはわかってるけど揶揄して何の意味があるの?ってのがスタート地点なんですがー。こういう「お前らが俺の意見に納得しないのはお前らが俺の真意理解してないからだ。真意さえ理解すればお前は俺に従うはず」って考えの人おるよね。こういう人のおかげで話題無限ループするの勘弁してほしい(@^^)/~~~

death_yasude 石原都政表現規制案も過去の話になったのかな2次元表現規制したいって動きは常にあるんだから次はフェミ賛同するだけで規制されるんだが右派の持ち出した規制案に左派が反対して今の状況が維持できてるんです

この勘違いしてる人もいるよね。フェミ左派=立件民主党共産党、みたいなやつ。オタクアンチフェミ右派自民党公明党、みたいなやつ。気に入らないオタクネトウヨって言葉浴びせかける人多いしね。議論にならないので(@^^)/~~~

tvxqqqq 内閣府男女共同参画局から公的広報ガイドラインが出てて概ねフェミの言うことと同じだと思うよ。 https://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/012/720/kouhoutebiki.pdf

この人はなかなか賢い。文意を取れば当然こういう返しが出るはず。この人だけが会話できる余地がある。公的広報についてはこの基準で話すのは良いことだと思う。宇崎ちゃんの時もこれをベースに話をしてる人わずかながらいたよね。そういう人とだけ会話したいのであってそれ以外の人は無能な勤勉&会話の邪魔しかないんだよね。

2021-03-19

anond:20210319031325

勢力としての総合パワーが落ちて「敗北」する(何も成果を上げられず誰も救えない)事が最悪である以上どうしても見逃してしまうんじゃないかと思っている

それにツイフェミって異常に攻撃的だからあんなもん通常のフェミニストがパージしようとしたって恐らく勝ち目がない

過激派の方がフォロワーが多くてRTいいねシンパも多いわけだしね

anond:20210319080552

日本国内にいる売国勢力を叩きだすまでオリンピックは辞退したほうがいいな

結婚式ビデオテロみたいに、恥をかかせようとたくらむ連中がうざすぎる

一般的に読めない名前をつける親は頭が良くない可能性が高い」

「読めない名前の子供は遺伝により頭が悪い可能性が高い」

適者生存とは、最も環境に適した形質をもつ個体が最適者として生存を許される仕組みの事だから

読めない名前の子供が増えている現状では、現代日本において頭の良い事は必ずしも適応的でないと考えられる。

いわゆるキラキラネームと呼ばれるものが増えだしたのは30年ほど前の事だ。その後どうなった?

幾多の批判に晒されながらも勢力を増し続け、今じゃ読める名前の方が少ないほどに一般化してしまった。

彼らが大人になる20年後世界想像できるだろうか?上級国民になれなければ、下流社会で生きていくしかない。

親の貯金と国の税金子育てする方が有利だというのなら、無計画人生の方が幸福だ。

しかし、いずれはそのツケが回ってくる。先人達の築き上げた信用が底を突いたとき崩壊が始まるのさ。

2021-03-18

闇の組織や闇の勢力は時々聞くけど

光の組織や光の勢力は全く聞かんなぁ

anond:20210318124424

え?権力をそういう定義で使うの?

言い返すことだけ考えて自分がどういう話をしたいのかわからなくなってない?

そりゃ暴力権力に含める定義ももちろんありだけど、それなら抗議を行う者はみんなその強さに応じた権力を持ってることになるよね

当然フェミも現時点で一定権力を持つ存在だし、しかさら権力を伸ばそうと今まさに活動している存在だよね

じゃあ反対勢力としては「騒ぐ必要はない」なんてことはまったくなくて、権力こちらより強くならないよう警戒しなきゃいけない存在ってことになるよね

 

反論パターンとして「いいえ、フェミ権力はとても小さくて警戒する必要はまったくないんです!」って言うこともできるけど、それこそフェミ人達バカにしてるし、既にいくつかの規制成功している現実にもそぐわないよね

また別の反論として「権力の話で暴力のたとえを出すこと自体おかしい!法的な権力の話に絞れ!」って言うこともできるけど、それならたった今出た「暴力あるなら少なくともその場では権力あるじゃん?」は的外れってことになるよね

それこそ「両方同時にいうのってバカだとおもわない?」だよね

いま一番混乱してるのお前じゃん

どっちかにしてよ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん