はてなキーワード: 入院とは
最低限度の健康→刑務所の囚人と同じ程度。保険適用外のあらゆる医療が受けられず、保険適用の医療も予防的なものはほぼ不可能。人間ドックにも行けず、ある日突然痛みで癌に気づく。治療は切除か放置して激痛の中死を待つかの二択。失った機能の代替手段は最も安い手段に限られる。でも最新の医療は受けられてるといえば受けられてるよね。だって昔なら死んでた人が生きてるんだもの。
最低限度の文化的→図書館・公園・テレビ・ラジオ等の公共的な文化施設やシステムに多くを依存することになる。スマホも激安のお古に基本料0のSIMを挿せば持てるが、ネットを見る手段はフリーWiFiに限られる。お金を節約すれば市民プールぐらいは行けるが、ジムには通えない。みんなで遊びたいなら追いかけっこか、無料のコートでのバスケ。サッカーで遊ぶ少年を追い出してゲートボールをやるという手もある。受信料の免除を受ければテレビは見れる。ラジオも聞ける。よく考えたらフリーWiFiで落とせばゲームも出来る。なんだ恵まれてるじゃん。
最低限度の生活→四畳半風呂なしトイレ共有。銭湯は高いからお湯で体を拭く。入院患者や囚人も毎日お風呂に入ってないんだから、最低限度のラインは週1入浴ぐらいでいいよな。服がボロボロで臭くなるだろうけど、底辺同士で肩寄せあってる分にはみんな臭いから文句言われないよ。仕事で自己実現とかは一切考えてはいけない。異常者の群れの中でハラスメントを受けながら死の行軍を続けるのは戦時中では日常だったけどみんな我慢できたんだから出来ない奴が悪い。つうか韓国とかは未だに徴兵制で、歩兵の行軍訓練とかは野宿だもんな。近代国家でもそんなもんなんだからまあ問題ないよね。望んでも選んでもないのに一生それが続くってだけだよ。
うーむ。
まあ、100年前よりはいい暮らしなんちゃう?公衆トイレも水洗で肥溜めに落ちる心配もないし、野犬に襲われることもまずない。炊き出しの飯でも塩が効いてるし、アイスクリームなんて昔は王様しか食べれなかったのが100円だし。
家族と先生以外で男性に接することがほとんどないまま大学生になった。女子比率のかなり低い大学に入った時はなんとなく居心地が悪かった。
でも、実験とかグループワークで男子学生と一緒になっても、当たり前だけどセクハラとかもないし、性別は違うけど同じ人間だよなぁって思って、だんだんと性別を気にしなくなった。私は実は恋愛したい欲が一切なくて、大学は勉強をするところだと思ってた。だからそれもあって、男女とかいちいち気にせず普通に好きな勉強ができた。
類は友を呼ぶって言うけど、その通りに私にもよく一緒にいるグループができた。あえて性別を書くと女3(A、B、私)男1(C)のグループ。だけど単純に、勉強が好きでかつ得意なメンバーがつるんだってだけの話で、性別とか別に一切気にして選んだとかではなかった。
大学のキャンパス内で一緒に勉強したり、ひとり暮らししてるメンバーの家で課題やったりするだけだから、性別意識する必要もなかった。でも私の認識としては、AとBは女性で、Cは男性。何か対応が変わるわけではないけど、でも身体の性別の認識としてはそうだった。
卒業して数年たって、ツイッターを見てたら、Aがこれから入院して手術受けるというから心配した。何日かたって、突然「やっと戸籍を女にできる」っていうツイートをみかけた。そりゃびっくりする。だってずっと女の子だと思ってたから。
その時思ったいろんな気持ちとしては、「悩んでたんだろうな」「手術大変だっただろうな」「っていうか何年も一緒にいたのに気付かない私ってやばくない?」「大事だと思ってる友人の地雷をどこかで踏み抜いてないか、不安」「あれでも女性向けイベントに一緒にいったことあるけどあれはいいのかな。でも確かに自認でOKって書いてあったな」「背高いのも声がハスキーなのも、すてきだなって普通に思ってたな」「性別変わったとして、付き合い方は変わらないな」「何年も一緒にいたのに、知らなかったし教えてもらえなかったな。でも言わなくていいことは言わなくたっていいと思うし別に嫌じゃないな」…そんな感じ。
気づかないって大丈夫?そんなことある?って言われそうだな。でも名前も男女どっちでも使えるものだったし、人の学生証なんて普通見ないし、背の高めの女の子だっているし、声もハスキーだったけど個性だし、ヒールは私は好きだけど履かないのも別に普通だし、、、本当に分からなかった。
でもいろんなジェンダーがあるんだって知ってたから、もしかしたらXジェンダーかもしれないし、実は心が男性のGID(性同一性障害)かもしれないし、性的指向がマイノリティかもしれないとは想定してたし、何かを押し付けたりは違うと思ってたけど、体は女性だということに疑いは持ってなかった。思い込みなんだけどね。
まあとにかくびっくりしたんだよ。でも別にそれで何かが変わるわけじゃないんだよね。
しいて言えば、Aのツイートのおかげで、性同一性障害についてちょっとだけ理解が深まった。例えば、性別適合手術は保険適用になってるけどホルモン治療受けてる場合は保険適用外になるから、百万くらいかかることとか。性別適合手術終えていざ戸籍を変えるとなった時に事務手続きが結構面倒だとか。当事者ブログとか結構読んでいろいろ発見があった。
友達には幸せでいて欲しいからGID(性同一性障害)の負担軽減は願いたいし、GIDだけじゃなくていろんなL/G/B/ACE/ALOとかのマイノリティのアライでありたいなと思ってる。それってLGBTのアライでいるということだよね?そうだと思う。
でも最近LGBTのTってGIDの物じゃなくなってきてるので混乱してる。
身体違和もなく手術する気もなく、身体男性のままでも自認が女性だから女性スペースにいれろって言う意見が目につきすぎる。
そんなの女性として自分の安全のために認められるわけがない。でもAみたいなGID当事者の負担軽減はサポートしたい。
ある状態からマイナスなことを起こさずにプラスなことを生み出すことには一切反対したくないけど、生贄がないと実現しない幸せをサポートすることはできない。それだけの話なんだけど、こういうことを言うと(広義の)トランス差別者だと言われるから怖い。
どうしたらいいんだろう。
AEDは命に係わる事柄だから、さすがに男性にも関与してもらいたい。
命に直接関係する事か、そうではなく日常のケアに関する事なのかは、分けて議論して欲しい。
直接命に係わる事で男性が出てくる件では女性も反発はしていない。
産婦人科医についてだって命を預ける以上、男性医師が担当する事への批判の声は、他業種ほど強くはない。
心臓の疾患や出産などの直接命に関係するわけではない、日常の細やかなケアーの分野では女性の方が向いているよねと言いたい。
女性職員がケアーを担当すれば、男性が被ケアー者の場合もそれでいいし(逆に同じ男性からケアーを受ける事を嫌がる人もいる)、女性が被ケアー者であっても抵抗感なくサービスが受けられる。
フェミニズムの議論でも、男性の能力では実現できない細やかなケアーを女性が実施できている現実が立証されていて、実際にケアー労働者の多くが女性になっている。
女性への負担が大きくはなるけど、それでも男性がケアーするよりも被ケアー者の身辺が保全されるメリットがはるかに大きいし、そこはフェミニズムでも仕方ない女性の負担だと捉えられている。
配偶者の介護に我慢できなくなって殺人事件を起こすのも多くは男性で、逆に女性はほとんどの場合じっと耐えて弱い被介護者に八つ当たりせずにいてくれる。
男性は性犯罪を引き起こす危険があるという指摘も、すぐ差別だという誤解も受けやすいけど、実は医療や福祉の現場でも仕方ない区別だと思われている。
「男性は(安全性の問題から)子供の入院に付き添えません」は正しいのか|ムラキ|note
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/u_vf3/n/ndc9a4516d979
なんならさっき、産婦人科医は男性でも批判されないって言ったけど、実はお医者さんもケアー職業の側面があるので、女性医師の方が男性医師よりも患者さんの体調を判断する能力に優れていて、助命率も高いという科学的根拠も出ている。
本当なら全部男女別にした方がいいんだよね。
要は、命に関することはとにかく命が何よりも大事だけど、本当はその分野でも男女に分けられるのなら普段からそうした体制を作っておきたい。
イスラム教の国の話や伝統的な男女別教育の話をすると、すぐに遅れているとか文化中心主義的な意見を出す人もいるけど、性別がニュートラルな時代になっても女性と男性の大きな区別は決して無くならない。
女性と男性は完全に異なる存在で、だからこそ女性のケアーには女性、男性のケアーには男性という専門的な配属がいいし、男性の健康の事も大切にするなら全部女性がやった方がいいともいえる。
出産して先にこどもと関わってイニシアチブを取ってるから育児ガンガンやってるけど、たぶん男が出産して先にイニシアチブ取られてたら女だってろくに育児しないと思う。
男は育児しねぇ~とかよく見るけど、女だって実際はたまたま産んでたまたま先に育児始めてるからできてるだけだと思う。
なので育児をマジで平等にしたいなら出産立ち会い~入院まで夫婦でやらんといかんと思うんよ。
とくに入院の5日間は夫も一緒にいたほうがええんよ。
可能なら泊まれ。5日間家族3人で病院で暮らすのをデフォルトにしたほうがいい。
いつまでたっても育児は他人事と思ってる夫をどうしたらいいかなって思って行き着いた答え。コロナもあって子に会いに来れなくてファーストインプレッションが悪かったのが原因だと信じたい。
アメリカの保険は基本就労先を通して加入するし、扶養者の場合も掛金上乗せで対応できる。出産もほとんどの場合もちろん対応してるが、日本のようにだらだら入院させてくれるほど優しくはないね。
目ん玉飛び出るほど高いなんてことはない。
低所得者向けには所謂オバマケアがあって、出産もカバーされる。無保険の妊婦さんの場合は加入時期いつでもオッケーみたいな特例もあって割となんとかなりそう。ただ実際のケースは知らないな…
よくアメリカの医療費が高いと槍玉にあげられるけど、普通の働く社会人は保険入ってるから。逆に日本人のお前ら、普段どれだけ国保に支払ってるかちゃんと数えてるか?目ん玉飛び出るぞ。
どのくらいデブかというと、
155.5cmの身長に対して95kgのウエイトである。ちなみに女だ。
紛うことなきデブであり、将来的にも健康の心配がされるデブである。
それでも勝手に体力には自信があった。
オタクイベントで2万歩、3万歩歩いてもピンピンしているのだ。
それってアドレナリンのおかげですよ、とは思いつつ、しかし体力はあると思いこんでいた。
やべぇ、フライパン持ってられない。
皿に盛り付けるために、片手で持って中空で維持していたフライパンがフラフラする。ダジャレかな?
オタクイベント以外、やたらめたら疲れまくるのは、それはもちろんデブのせいだと思っていた。
運動場のラインパウダーこと石灰の袋(20kg)が2袋も体についている。
そんなもん、重いに決まってるじゃねーか。疲れるに決まってるじゃねーか。
そう思っていた。
さて、詳しい人はそろそろ「お前の気持ちなんかどうでもいいから、体脂肪率出せや」と思っている気がする。
155.5cm 95kg 体脂肪率40%
すると、どうも平均以上にムキムキなはずになってしまうのだ。
でも、やっぱり計算上は筋肉量もあるし、大丈夫な方のデブなのか?
あすけんの女とも付き合ってみたが、な~んも気にしないでとりあえず記録だけ入れるという生活をしてみたところ、1日1500キロカロリーしか食べなくて、むしろあすけんの女に食え食えとせっつかれるぜ。
な~んだ、そのウチ減るのでは?
あー安心した!
何も!
状況は!!
結局筋力なんてものは、私にはなかった。
あまりにもウエイトがありすぎると、どうやら計算上の筋肉量は多くなってしまうらしい。
なんで分かったのかといえば、そう、いわゆるジムに通うことにした。
オタクらしく、フィットボクシングやリングフィットアドベンチャーでどうにかしようと思った時期がワタシにもありました。
増田は一軒家に住んでいるが、家族からの生ぬるい視線に負けてしまった。
ゲームで元気に動くデブは、理解を得られなければ家族からでも白い目でみられるのである。
「またやんの? 今日もやんの?」的な態度がツラい。
デブに偏見なく付き合ってくれるのは、月に1回遊びにくる甥・姪くらいなものである。
実はまだギリギリぽっちゃりレベル(66kg/体脂肪30%)のときにジムへ行っていたことはあるのだが、インストラクターのデッカイ兄ちゃんから「コツコツ通っててエライっすね」と物理的にも口調的にも上から目線で言われたときに、何故だか「なんかもう!ヤダな!!」と思ってしまった。
当時の自分を擁護するなら、仕事でしんどかったとか、仲の良かった同僚が転勤したとか、天候とか、ホルモンバランスとか、まぁ色々悪かったのかもしれない。デッカイ兄ちゃんは会員を励まそうとしてくれたのだとは思うのだが……メンタルヘルスの不可思議な部分である。
そんでもって仕事をリタイアしたときに、それまで明日の朝起きられるのか不安ということで不眠を抱えていて毎日3時間程度しか眠れない日々を送っていた影響もあって、3ヶ月くらいガッツリ寝て、寝て、寝まくって寝て……というような生活を送っていた。
学生時代は運動部だったし、体力測定は常にトップクラスを走っていた自分だが、あの時、筋力は大幅に落ちていたんだろうなとは思う。
難しい話でなく「入院・安静による筋力低下」ということである。
おかげさまで、自分はまるまる3ヶ月程度の眠りの後、運良く超絶スッキリ大復活することができたのだが、寝ていた結果の筋力低下については全く考慮していなかった。しかも寝まくる前はメンタルがボロボロだったので自分の体の調子がどれくらい変わったかなど、当然のように全く分からない。
このあたりで、どっかジムとかリハビリっぽいところとか行ければ良かったのだが、当時まだ二十代だったのでそんな発想はなかった。
自己流でやっていたのだが……
今から振り返ってみると……以前から摂取タンパク質が足らなかった。
ニク、高いじゃん。
でもどこでも買えるようになったのマジで便利だよね。
あれよあれよと10年経って、プラス30kgで今現在ということである。
あすけんの女からもタンパク質が足りないと言われていたが、マジでそこまで足りないと思っていなかった。
今回のジムで高い体重計に乗り、骨格筋率を測定してびっくりである。
21%だった。
女性の骨格筋率の標準範囲は25.9%~27.9%(オムロンヘルスケア)、つまり25.8%以下は「低い」に分類される。
すごい、体重計乗って「低い」って判定されることがでぶの自分にも起こり得たのか……
そして現在の体力を振り返るために、体力測定も行った。
結果、体の柔軟性以外はすべて同年代の平均以下だった。
わー!すごい!体力測定系で平均以下の判定もらったの初めてかもしれん!!!
という、間違った興奮の元、インストラクターさんにとてもいい声で元気ハツラツ、
「すごくショックです。体力を取り戻すために頑張ります(キリッ」
と答えていた。
指導の一貫でタンパク質はコレくらい食べるのがいいよ!という表をもらったので眺めてみたら、現在自分が摂れているタンパク質は必要量の6割強というところだった。
うーん、それはね。衰えるよね。
思ったよりタンパク質足りてないデブ、動く筋力を作ることもできずに加速度的に衰えていたという話でした。
幸い牛乳は好きだし、プロテインで足しつつジム通いたいと思う。
高校生の時に交通事故に巻き込まれて左側の歯と顔と腕がベショベショになった
幸い他の部位も心もそこまでの損傷はなかったので高専から専門職についた
30代半ばで前より件数は下がったけど単価が上がって年収は2022年度4600-4700万円の間
右手だけで運転しやすいようにカスタムしてくれた割と高級と言われるメーカーの車に乗ってる
割といい車、割といい部屋、割といい家具、割といい人間関係で安定している
仕事場の隣に家があるような状態だから移動はほとんどないしコロナで飲み歩くこともなくなった
外に出ることはあるけど元から帰宅部もどきであまり好きではないが長い友達が遊びにくる事はちょいちょいある
マスクは外出時に以前も今もずっとしててコロナ以降ちょっと気分が楽になった
生活周りは生協頼りと家政婦頼りで服はお付き合いしている女性に見立ててもらっている
その女性は俺との結婚もやぶさかでないようだが俺が子育てとか広い人間関係が怖いので保留中
20代までは顔の皮膚の再建をするか悩んでたけど今はそこまで手術に積極的ではない
去年くらいから交通事故遺児の団体に寄附したりするようになった
https://togetter.com/li/1424289
雪を鼻息で溶かしてすすって、小水をなるべく体が濡れないようにもらして、身動きできないまま体温を温存して救助を数日まった
20年後にようやくこうして体験談を投稿したが、それ以前は思い出すたびに、あるいはヘリコプターを見るたびに涙がでてしまっていたのだという
それでなんとなく思い出した話
うちの父はもうずっと昔に登山しなくなったのに20年ずっと遭難している
寝て、起きて、本を読んで療養すれば風邪ならなおるのにいつまでもなおらなかった
一生悪くなるばかりで治ることはない、次に発熱したら死ぬ可能性もあるかもといわれた
たしかに熱を出すたびにだんだん自分でできることが少なくなっていった
いつ熱をだすかもしれぬ体で、肺にも負担をかけるから海外への飛行機にのらなくなって、
それでも自家用車を運転して海外から日本にもどってきた子孫の顔を見に行き来した
自家用車はボンベと車いすが載るのに買い替えて身障者マークをつけて
自宅風呂、自宅トイレの順にいけなくなって、要介護認定がついて、うごきすぎて酸欠で失神と失禁してしまう失敗も経た
そうやって発病から20年以上生き延びてとうとう先週寝たきり度C2になった
それでも父は頭ははっきりしている、遺書も書いて、お母さんを助けにきてくれという
脱水のために点滴いれて、そうしたら炎症値がさがってしまった
(酸素飽和度は相変わらず低くて手足すらろくにうごかせないけど、この20年の間におしえてたラインで状況を報告してくれてる)
もちろん世話をしている母はずいぶんと苦労していて、この20年あまり自由がない、
どころか父のためにありとあらゆることをして体力のつづくかぎり奔走した
動けないのに口出しして小言爺さんみたいなとこある
母(も老人)の家事に細かくあれしたかとかこれのお礼を言ったかとか、
物を一つ買うにももったいないなど
子育てにも関与が少なくて、自分や家族の手間を減らすために金を使うこともへただ
母の決定にうんうんと従うとこもあるが、ちょっと大きい金がうごくとなると納得させるのに手間暇もかかる
つまりセルフケアすら上手ではないから介護の段になると嫌がられて当然なのだと思う
でも登山の遭難をみていると父も勇気をもって孤独な一人遭難を20年もつづけているのだなとおもった
ロマンとかじゃなくて、むしろ邪魔なんだけど、汚くていやがられるから恥ずかしいはずの失禁すら、
生き延びるために勇気にかえているんだなぁと
母は痴呆でほぼ空気、ていうか、成人病でカラダ壊して実家に戻った弟がそれから数年して両親の痴呆と末期癌に降りかかられて独りで奮闘している
ワイふくむ兄連中は地理的に遠すぎるためスルーてか世話は押し付けてお任せしとる
消化器系の癌切除をしたあと味覚がほぼ失くなり食事が摂れず体力が落ちた父にリンパ腺癌がみつかり再入院したが治療の苦しみに嫌気がさした本人が緩和ケアにしてくれと要望すると病院側は家族の同意を得てくれとのこと
弟としては何年も面倒をみて世話(食事を作るのが生き甲斐のようだ)をして来ているので諦めきれないらしくまだ頑張ろうといい、父と平行線
父からは弟を説得しろと電話がかかってくるし、弟にそう突き付けるのは彼の人生を否定するようでしたくない
父はちゃんと兄弟で話し合ってるのかと電話でツメてくる、医師からは家族で統一見解を持って来てくれないとどちらにも進められないと言われているそうな
お互いに地理的に離れて生活も離れてなん十年間、それって家族かねぇ…
身近なひとがしんでいくのってなんてめんどうなのか
発達障害の二次障害(鬱、セルフネグレクト、依存症)で入院中の兄の代わりに生活保護相談に行った。
他県からわざわざ窓口に来るだけでとても労わってもらえて心が楽になるような、こんな家族を持って申し訳なくなるようなモヤモヤした気持ちでいっぱいになる。
予想はしてたが家族は養えないですか?と聞かれた。申し訳ないが、ここ数年で兄のために500万以上使ってるし、これまで養ってた家族は老後の資金を使ってしまっている。
そして私は老後の資金の補填に食料送ったり、ボーナスやらなんやら理由をつけてお金を渡している状態のため難しい。(本人たちが素直に受け取らないため)
そのため生活保護を頼るようにケースワーカーから言われて役所に相談に行ったが、終始私は何してるんだろうという気持ちだった。
兄に働かないならホームレスになってもらうしかないと強めに叱ったら自殺未遂をして強制入院になった経緯があるのでそのまま野に放つわけにもいかず、とはいえ養うこともできないので、病院に指示されるまま2時間かけて役所に行き、人様のお金を使わせてもらう相談をする。申し訳ない気持ちしかない。
現状鬱やら依存症にやらなっているが、そもそも兄の発達障害は軽度の部類。適切な仕事を選べば働けるのに病気を理由に働かなかった。
以前働いてた仕事は「〇〇が頭おかしいから鬱になった」「勤務内容が求人通りじゃない(途中で部署異動になっただけ)」と文句言って辞めてる。
自分の知っている社会的なルールに沿ってないと感じると過剰に攻撃するタイプだったらしい。
次の仕事は事務がいい、それなりに給与が必要だから吟味して探してるとか言い訳してたが、厳しく叱ると「俺は精神病だ」と病気を盾にしてた。
精神科から処方された薬を飲みすぎて目の焦点が合わず、イラついている兄が恐ろしく、加害されないように強く言えない時期が数年あったのも良くなかった。でも、運動不足とはいえまだ30代前半の男性に勝てるようなスペックの人間は我が家にはいなかった。自殺未遂して強制入院にならなかったら、今も怯えていただろうと思うとゾッとする。あの時、勇気を出して叱って良かったと思う。
本当にこんなやつが貰うための金ではないんだよなあ、と思いつつ、兄が自分で役所の処理をすることもできない(叱られることが嫌いで税金未払い等の負目でいけない)ため完全に社会と断ち切られてしまって無敵の人にならいよう、病院の言うとおりにやっている。
仕事調節して、朝5時に起きて電車に揺られて役所行って、家に帰る時間もなく役所の近くのコワーキングスペースで仕事を始める。本当に何をしているんだろうか私は。
兄が無敵の人になってしまって万が一事件を起こしたら私が社会的に死ぬので退院して適切な施設に引き渡すまではと思って頑張っているが、私の社会的信用を人質にされている感覚がして辛い。
どうしてこうなってしまったのか。役所の人たちが親身に話を聞いてくれる度に申し訳ない。兄がひっそりと滅びてくれないだろうか。
基本外側から可視化されない診察室で基本誤診してもおとがめなし、フィードバックも分析もしないってのは分かってるよ
けど世の9割は「心あるマジメな医者」だと思うぞ。日本人はわりと職業倫理高い方だ。私が絶対神で絶対正義だなんて医者は1割いないと思う。(病院の上層部とか患者をあんまみない奴は除く)
で、「患者に納得できる説明をする」が難しいんだよ。患者によってレベルの差が物凄いから。
ちょっとでも詳しい話しようとしたら分からない!って拒否反応示す人、先に書いたような思い込みの激しい人、なぜかネットの情報なら素直に信じる人、半可通なおっさん、等々。
会って数分の患者に合わせて詳しい説明をするのは困難。つか無理。逆に危険まである、請われて説明してたら最初素直だったのに急に怒り出して以後聴く耳持たなくなる人がたまにいるから(レビューで低評価入れてくるタイプに多い)
自分は医療職ではないが医療業界にいたことはあるし、入院とかあって世間話できるようになった医者は何人かいるし、個人的に飯食いに行った医者もいる。Googleレビューで低評価混じってる医者のとこにもわりと行く。
東京ではないので東京の実情は知らんが、大阪含めた自分の観測範囲では ダメだと思った医者は1割程度だ。
ある程度仲良くなって医者がこちらへの警戒心を解く&レベル感を理解してもらうまでは リアル聞くのむずい。
9割の医者は患者への説明で悩んでいると思うよ。(自分が世間話できる医者は全員悩んでいた)
貴重な時間潰してそれなりなコスト消費してしかも身体的にも精神的にもきつい中で 頑張って医者行って、それでいて 望む答えがもらえないんだから 怒るのもわかるんだけどね。(自分も通い始めはそうだし)
そして望む答えを簡単にくれる医者(orネットや書籍)の中には ちょっとヤバイ奴が混じってる可能性があるので注意しろってことが言いたい。
分かろうとするフリは出来るけど、返事ないまま1ヶ月以上経ってて、その間何度かツイートはしてて、やっと既読はついたけど返事無し
返事が無いのが返事だとか、相手の中での優先順位が低いからとかそういう反応はいらない
連絡が遅い人の意見をググると、ツイートは気軽に出来るけどラインの返事はちゃんと相手に文章考えなきゃいけないから時間がかかるという意見を見かけた
気軽さに違いがあるのは分かるけど、それでも何かしら返してくれよと思っちゃう
内容のある返事を求めている場合、既読を返事としてカウント出来ないし
すぐに返せないけど改めて落ち着いて返事をしたいというならそれを言ってくれればいいのにそれも無く
これまで自分の周りはみんな返事が早い人ばかりだったから、たまに遅い人と関わるとイライラしてしまう
違うな、遅い人と関わるとイライラするから離れて、早い人しか残ってないんだ
あーあ
流石に入院してたとか仕事が多忙とかやむを得ない事情はしょうがないよねって理解出来るんだけど、そうじゃないって分かってるともうだめ
誰か連絡遅い人に対してイライラしなくなる、諦められるように説明してくれないかな
無理だと思うけど
追記した→https://anond.hatelabo.jp/20230409121152
以下本編******************************************************
両親を比較的早く亡くして色々その後の始末をした体験から。また、人の親の終活のサポートをサポートするような仕事をしていた体験から。
そもそも、「終活」って、そこまで「むむむ、必須…!!」と思わなくてもよい。
そもそも、一番大切なのは終活する以前に、親御さんとちゃんと円満な人間関係を構築し続けておくということで、これが実は一番割と大変だったりする。
親がどこに何を仕舞っておきがちか、どんな人生を送ってきたかとかがなんとなく分かっていれば、別に整理整頓されていなくても残された子供たちで探し当てたりあちこちに問い合わせればいいだけなのでそんなに問題ない。親子の関係が良好なら、何なら親の方から「大事な書類や通帳や印鑑はこうやって保管してあるからね」とか言ってきてくれたりする。
そういう、あたたかくお互いを思いやれる親子関係でもないなぁ…という場合は、まぁまずは親に終活をさせる以前に、親子関係を良好化しておくことが必要。
そうじゃないと何を言っても親は子の言うことなんて聞かないんだよね。親にとっては子は中高年になったところで子供だし、老いの自覚があればなおさら我が子に対して頑なになる、ということはよくあること。
そもそも、金持ちで株式やら不動産やらを持っている人以外は、親が大した整理もせずに死んでもそこまで大変でもないことも多い。まぁそもそも、人が一人死んだらそりゃ多少は手続きやらが大変なので、そこはもうそういうもんだと思って。
親が金持ちの場合。傾向的には、ガチの資産持ちの人は弁護士や税理士やら銀行の担当者やら、誰かしら外部の相談者がいることが多いので、まだ元気なうちに「営業に来てる銀行の担当の人とか税理士とか、今度紹介しといてね」と言っておくと割とはかどる。税理士なんかがいる場合はほぼ無問題。名刺交換しておけばおけー。
小資産持ちの場合。プチブル勢(高給取りサラリーマンや自営)の場合、結構厄介かもしれない。親御さんがまめに日ごろから管理をしている人であれば心配ないが、GDP右肩上がり世代なので「なんとなく色んなとこに預けたり掛けたりしてるだけ」みたいなケースがあって、これはもう、がんばって、エンディングノートやら終活やらをしてもらう必要がある。
お金がなさそうな場合。自宅とちょっとの貯金だけ、なんていう場合は、もうほとんど心配しなくていい。実際はこういうご家庭が一番多いんじゃないかなと思う。通帳、保険証券、印鑑を仕舞っている場所だけ、何かのついでに(例えば親がちょっとした病気で入院した、とか体調崩して手伝いに来ている時とか)さらっと聞いておこう。銀行の届出印はちゃんと確認しとく方が良いなと思うが、死後に届出印が分からなくても銀行に提出する書類が1枚増えるだけなので、まぁわりとどうってことない。「窓口の人」は基本親切だし慣れているのでどうしたらいいか聞けば大丈夫。
もういちどおさらいだが、「銀行印が何かを聞いておく」とか「終活をお願いする」などは、要するに子供から老いて色々億劫になってきている親に頼む、大事な情報を聞き出す、ということなので、その前に人間関係を良好にしておけ、というのが鉄則になるわけです。
文章や文字を書くのが苦にならない人、普段から日記をつけてたりする人は、比較的楽だと思う。
エンディングノートは市販されている紙のものもあるが、アプリもあったりするので、親の性格に合った内容のものを子からプレゼントするのもよいと思う。
これぐらいが分かってれば財産回りは大丈夫。この辺は市販のエンディングノートだと記入式で書いていけるようになっている。また最近は終活アプリなんてのもあるので、スマホやコンピュータがいける口の親御さんならそれでもOK。
市販のエンディングノート選びでいうと、例えば、記入欄が多いものをズボラな親に渡しても嫌がるわけで、選ぶには匙加減が結構大事。結構「思い出記入欄」とか「自分史書き連ねページ」とかがあったりする。そういうのを書くのが好きでノリノリで書きそうな親御さんなら、自分史から書いてもらってついでに大事な資産周りの情報も書いてもらえる。
逆にそういうのを全然書きたがらない親御さんの場合は…記入項目が簡単なものを使って、親にヒアリングをして子供がノートに記入していくのがお勧め。ズボラな人や「そういう書類を作成したり整理したりする経験がない(今の高齢者世代だと女親は多くの場合就業経験が少ないので困る場合があるよ)人」は、緊張して思考停止しちゃうので、子供が寄り添おう。また同じ結論だが親子の人間関係を良好にしておく必要がある。
そして、しっかりした親御さんの場合でも、隠してたタンス預金やら隠してた借金やら、愛人がいたやら隠し子がいたやら、まぁ隠そうと思えば隠せるわけなので、あまり根を詰める必要はないわけです。
あとは、「死んだら葬式に誰を呼んでほしいか問題」も、エンディングノート項目にある。こういうのもノリノリで書いてくれる人もいるが、面倒くさがって書かない人も同じぐらい多い。書きたがらない場合は、実家の年賀状を取っておいてもらう。正月に帰省した時に、親あての年賀状を見ながら「この人誰だったっけ?」とか話をしながら、だと、整理する気になってくれるかもしれない。まぁ要するにノートに書いてなくても全然よくて、年賀状に付箋でも貼っておけばいい。
エンディングノートひとつ記入し終わるのは、現役の我々でも結構めんどいので、一度には片付かない。1年、2年と、年単位でゆっくりやればいい。
比較的多そうで且つ厄介そうなケース、「ズボラな小金持ち親」と「忙しいしなんだか色々面倒で帰省は年に1、2回の子」の場合、エンディングノート作ろうかと持ち掛けてから、帰省頻度を増やして1テーマごとに埋めていく、みたいな作業を想像した方がいいかなと思う。エンディングノートを作ることで親子関係を和らげて距離を近づけていく作戦。平行して介護が始まってきたりするんだよね…。
今日は通帳を整理したから乾杯!また再来月来るからそれまでに保険証とか、暇なときに探しといてねーと声をかけておく、次の帰省までの間にも連絡を入れて雑談をしつつ「見つかった?」と聞いておく、みたいな、まめな営業努力が効いてくる。通帳を整理し終わったはずなのに忘れてた通帳が出てきた、出てきたけどその通帳はとっくの昔に口座解約してたやつだった、みたいなことも起きます。でもまぁそれが笑い話になったりするので。
自分のことで言えば、これらの作業を両親とやっていたら、なぜか押し入れの奥から父の結婚当初の給与明細の束が出てきたり、両親の結婚前デート写真が出てきたり、新婚旅行の時のメモノートが出てきたりとめちゃ楽しかった。照れて無口になる父、はしゃぐ母、はしゃいだ母は記憶力がぐんぐん回復していって笑った。
親子関係を改善しつつ、楽しくエンディングノート作りをある程度進めていくと、親の方からぽつりぽつりと、聞きにくいことを話してくれたりするようになる。人間関係構築は偉大。
父親が三男、母親が姉妹の長女だったので、母方の墓を引き継ぐんだろな…と漠然と思っていたのだが、母方の祖母(父にとっての義母)が100才近くで元気なのに、先に父が病気で余命宣告が出てしまったので、墓の所有者である祖母よりも先に娘婿である父が墓に入る可能性が高まっていた。
実は、父と、母方の祖母はあまり仲が良くなくて、母と私は「お父さん、お墓どうしようかねぇ…」と悩んでいたのだった。
父は、仲が良くない義理の関係の墓に入りたくないのではないか、それなら別に墓を用意するなり樹木葬みたいにしてもいいよね、と母と私は話していたのだが、一方で、母としては姉妹なので、実家の墓を継ぐ人がいなくなってしまう心配もしていた。お父さんは海に撒いてくれと言ってたけど私は一緒のお墓がいいのよね…とか、別に墓を買えばいいじゃん檀家の金もかかるしおばあちゃんが死んだら合祀しよう、とか、合祀にもお金かかるねぇ…なんて母と娘は少し前に話をしてはいたのだ。でも言い出せず。
ある時、余命カウントダウン中の父の病床で、子供たちと孫たちに囲まれて、私は父のそばで通帳とかの整理をしていた(生々しい)時に、父が私に「東京の爺さん(母方)の墓に入るから、よろしく頼むよ」と言ってきた。お父さんそれでいいの?嫌じゃない?と聞いたら、まぁ婆さんはアレだったが爺さんにはさんざん世話になったしなぁ!色々面倒だろうからお前頼んだよ、と言われた。
もし順当に「祖母死去→母に墓を相続→父or母が墓に入る」であれば簡単だったのだが、順番が逆になってしまったので、実際ちょっと面倒だった。祖母と叔母(墓にまつわる利害関係者)への相談と許諾をもらったり、何やら一筆書いたり、父のカウントダウンと追いかけっこで奔走した。もっと早くに聞けてればなぁと思ったが、まぁそれもタイミングだし、しょうがない。病床で、傍らに金勘定してる娘がいて孫がわらわらしているところで「俺はあの墓に入るぞ!」といった父の話は今でも家族の間で語り草の笑い話だよ。
母は、まぁ父の死の片づけをしたわけで、「自分の時はもっと効率的にやるわよー」と張り切っていたが、やはり割と急スピードで病を得て亡くなったので、志半ばという感じだったかもしれない。エンディングノートこそ作らなかったが、財産関連の書類はファイルに整理されており、友人関係については娘の私がかなり把握していたので、多くの人に葬式に来てもらえてよかった。ご近所のお友達はもちろん、中学高校時代からの長い付き合いのお友達や、職場の友人や転勤先で仲良くしていた友人や、私も知っている人や私も知らない人や、大勢が母の思い出を私たちに話してくれて、それがとてもよかった。
父は、生前自分のことを語らない男(昔の男性は割とそういうところがある)だったのだが、闘病が長くゆるゆると終活を付き合ったので、その端々で父がぽつぽつと話してくれた色々なことが記憶に残っている。
そして余命カウントダウン期間に「会っておきたい人をリストアップして!」と父に命令をしたので、大勢の人に見舞いに来てもらえた。なので正直、葬式の時はかなりラクチンだった。連絡先を聞いておけたし父の古い友人の中から葬式の手伝いをしてくれる人もいて、大学の仲間がだいたい何人ぐらいくるよ!とか、職場OBがだいたい何人くるよ、とか、取りまとめてくれて葬式代の見積がめっちゃ捗った。お父さん人望あったんだなぁ…だっていいやつだったもんなーお父さん、と、しんとした通夜の夜にポロリとしたりね。
何ていうか、「死ぬ」というのは人生の時間の中の一つの点ではあるのだが、一方で、その一つの点である死に向かう状態が延々と続いていくのが人生、特に老人の人生なんだよなと思う。
終活は、1カ月でで終わらせる!ということではなく、徐々にゆっくり何年も時間をかけて死んでいくタイムラインのなかで整理をしていくことで、その「整理する時間」ごと思い出になったりするような、妙に充実する時間だったような気もする。文化祭は当日より準備が思い出深い、みたいなことというか…。
親の終活を手伝うことで親との関係が良くなったりなんか味わい深い思い出が増えたりするから、早いうちから、家庭内イベントとしてやるのがいいのかもしんない。
一般的にはエンディングノート業界では、エンディングノートは定期的に(数年に1度)見直して、変わったところがあったら修正しておきましょう、とか言われている。まぁ生きていれば当然、財産の状態も友人関係も変化をするからね。なので「財産目録を作らねば」とか「エンディングノートを書いてもらわねば」というよりも、親子ですごく間遠な感じの過去日記をつける、みたいな取り組み方なのかもしれないな。
転職前に半年くらいちょっと休憩のつもりでニートしたけどうつ病傾向になったのをきっかけに転職活動始めたよ。社会に属しているという安心感と身体を動かしたり、陽の光を浴びたりっていうのが無いと人間ある時パタンと鬱っぽくなる。医療人だけどこの長期入院とかで鬱っぼくなる患者は山ほど見てきたし実際コロナ禍で友人達が塞ぎっぽくなるのを見てきたから仕事は軽くでも続けたほうがいいんじゃないかな。時短やバイトに切り替えるという手もあるし。
物足りない。
上の子供が生まれてから今日まで、下の子を産んで入院した1週間以外は毎日子供たちと一緒に過ごしてきた。
両方実家は飛行機を乗り継ぐ距離だし、なんか夫婦でやり切りたいなと思って里帰りもしなかった。
明日は推しの解散前ラストライブがあるから、すごく久しぶりに高速バス乗って上京しているとこ。
夫はちょっと嫌そうだったけど振り切って頼んだ。
上の4歳の子供はお母さんと一緒に寝たいようと寂しそうにしたが、2日間だけだからと伝えた。
下の2歳は分かってないようだった。
家を出てすぐ気づいたのは、子供がいないと私は全く言葉を発しないこと。
正直楽だと思った。
いつも子供たちを喜ばせる為に季節の歌を歌い、気をつけてと声をかけたり、ケンカをなだめたり常にしゃべっているから。
次に気づいたのは誰も私に話しかけないこと。
2歳の下の子はバスくる?バス来た!動いたね!なんでもう夜なの?朝にしてーと言うだろし、
4歳の上の子は小声でこの道通ったことあるよね?今〇〇町?降りる時僕がボタン押すんだー。おかあさーんってニコニコするのが容易に想像できるのに誰も私に話しかけないから私も一言も喋らない。
子供たちにYouTubeや、iPadで楽しい動画を見れることをまだ教えたくなくて、
子供の前では見ないことにしてるから推しのMVもあんまり見れてない。
だから明日のライブに向けて推しの音楽をしっかり聴き込もうと思ってたのに結局イヤホンして子供たちの動画見てる。
ルールを分かってなくて「もおいーよぉ」と言いながら顔を出して目が合うと大喜びする2歳。
毎度押入れや段ボールに隠れて、見つけた!とつっつくと大喜びする4歳。
けれどその後私は、いつまでも着替えない子供たちに「もう、いい加減着替えてよー」と嫌な言い方をしてわざとうんざりした顔を見せて着替えるように仕向けてしまった。
子育ては楽しいけれど私に余裕がなくなると嫌な言い方をしてしまう。
夫は仕事の日は朝も夜もいないことが多い。
1人で旅行してみて、独身や子供が生まれる前はこんな自由だったんだな、めっちゃ楽じゃんもっといろいろやっとけばよかったと思ったけれど、
上の子供が9歳くらいになってもうおかあさんおかあさん、おかあさん好きだよと幸せそうに言わなくなった時、
あぁどうして私はこんな可愛いかった小さな子供たちを怒ってしまったんだろう、もっといくらでも抱っこすればよかった甘やかせばよかったと後悔するんだろうなって思った。
今年度は怒らないことにする。
丁寧に注意する。「今は服に着替えたくないの?いつ着替えようと思ってる?」とか「9時になったらお散歩に出かけるから、8:45までに着替えようか?」とか。
怒らない、嫌な顔をしない。
抱っこをせがまれたらどこでも抱っこする。
私が早く寝る体制を作り、飽きるまで本を読んであげよう。
そしてこれまで通りみんなでだっこしたまま寝る。
そうしよう。