はてなキーワード: ハワイとは
けっこう好き
http://anond.hatelabo.jp/20170212102931
2017-03-13
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■入籍した
なんだか1日があっという間だった。
二人そろって、母とランチをし、祖母に会いに行き、父や妹ともケーキをたべ、ちょっと引っ越し作業して、とまぁいろいろ。
役所の時間外受付は、3人の強面のおじさんたちがいたけど、なんやかんやスリーアミーゴスみたいな雰囲気で楽しかった。写真もたくさん撮ってもらった。
このあっという間の一日のことを、これからの人生でどれくらい振り返るのかなぁと思う。
みんなに「もらってくれる人がいてよかったねぇ」と言われたりとか、
妹が帰宅時、絶妙なタイミングで「ただいま、お義兄さん」と挨拶してみんなで爆笑したりとか、
それなのに「おじさんおばさんじゃなくて、お義父さんお義母さんじゃん!」って帰る頃になって気付いたりとか、
私がこの人だと思える人が、私のことを選んでくれたとか、もう奇跡のようだよなぁとか、
あー。
やばいなぁ。
前日まではこれが旧姓を名乗る最後かもって思いながら電話出たりしてたんだけど、当日は割と実感ないもんだね。
ハワイの溶岩のニュースみて「どうせ死ぬならあの中に飛び込みたい」とあほなこと言っている隣の人に「あーわかる」って同意してはみたけども、
私はまだまだ死ねないし、まだまだ死なせないぜ。末永く爆発したい。
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そう思っていたのに、わたしはいまハワイの溶岩の前にいる。 から始まる小説
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なんだか1日があっという間だった。
二人そろって、母とランチをし、祖母に会いに行き、父や妹ともケーキをたべ、ちょっと引っ越し作業して、とまぁいろいろ。
役所の時間外受付は、3人の強面のおじさんたちがいたけど、なんやかんやスリーアミーゴスみたいな雰囲気で楽しかった。写真もたくさん撮ってもらった。
このあっという間の一日のことを、これからの人生でどれくらい振り返るのかなぁと思う。
みんなに「もらってくれる人がいてよかったねぇ」と言われたりとか、
妹が帰宅時、絶妙なタイミングで「ただいま、お義兄さん」と挨拶してみんなで爆笑したりとか、
それなのに「おじさんおばさんじゃなくて、お義父さんお義母さんじゃん!」って帰る頃になって気付いたりとか、
私がこの人だと思える人が、私のことを選んでくれたとか、もう奇跡のようだよなぁとか、
あー。
やばいなぁ。
前日まではこれが旧姓を名乗る最後かもって思いながら電話出たりしてたんだけど、当日は割と実感ないもんだね。
ハワイの溶岩のニュースみて「どうせ死ぬならあの中に飛び込みたい」とあほなこと言っている隣の人に「あーわかる」って同意してはみたけども、
外部刺激に対して生物が反応して動くことを走性といい、てんとう虫が重力に逆らって枝を登ることを「負の走地性」と言ったり、羽虫が光源に向かって飛ぶことを「正の走光性」と言ったりする。
「正の走西性」は、先ほどテレビを見ていてたまたま今シーズンのテラスハウスがハワイでやっていることを知り、西洋へ憧れる日本人を揶揄して私が勝手に思いついた言葉である。
しかし、なかなか良くできたコンテンツだと思ったのである。もちろん番組の内容が良いという意味で言っている訳じゃあない。純ジャパ(純粋な日本人)が少なからず抱いている西洋への憧れを絶妙に突いてくるな〜と思ったのだ。
これまでのテラスハウスは国内で撮影されていたようだが、今回の舞台は海外で、しかも日本人にとって近くて遠い、想像がギリギリまだ及ぶ範囲で、画になりやすい南国ハワイというのが絶妙なチョイスでやるなと感じた。
国内では表現できなかった非日常がハワイにはあり、それがまた視聴者の憧れを強いものとすると思う。ファーマーズマーケットでフレッシュなフルーツを食うとか。
キャストも全員?ハーフで英語ペラペラ。ウェーイ系の人間が憧れる日本語の中に英語を織り交ぜて話すあの感じ。欧米かぶれの純ジャパ留学生がみんなやるやつ。
その中にも女慣れしてないけどギターが超絶うまいとかいうキャラもいて、モテない男も微妙に自分を重ねつつ妄想ができる。「自分がああなりたい」と「あんな人を相手に恋愛がしたい」のどちらの面から見ても、若い視聴者の憧憬・妄想をこれまで以上に強く掻き立てていることと思う。
キャッシュが残ってる> http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:blIvDuDYfZoJ:chaiy.hatenablog.com/entry/2016/12/27/221556+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
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正直、迷った。この記事を公開するべきか、しないべきか。決して読んでいて気持ちのいいものではないし、ただの一個人の勝手な意見だから。でも、心にしまっておくのも限度がある。私の周りでも似たような意見を持つ人が多く見られた。どうせなら言いたいことは全てはき出してから新年を迎えたい。
この記事は「今の嵐は嫌い、昔の嵐は好き」というほぼアンチ化しているファン卒業間近の私が今の嵐について書いたものである。嵐大好き!という方は気分を害される可能性がありますのでご注意下さい。
私はグループ内での信頼や絆、目標、価値観、考え、そして思いを知るのがとにかく好きだ。その為、よくテキスト重視で雑誌を買ったりする。
どんなに大きな壁が待ち受けていようとも決して諦めず傷だらけになりながらも頂点を目指す、そんな人間味のあるグループに惹かれる。
また、ライブの演出や構成が好きな分拘りも強いし、ここはもっとこうした方がいいんじゃないかと気になる事があればすぐさま友人と語り合うほどだ。メンバーの発した言葉や行動に不快を覚えれば叩く事だってある。それほど性格も口も悪い。
これから綴る文章はそんな私の個人的な意見にすぎない。共感を求める訳でもなく、喧嘩を売るつもりもない。どう思うかは自由だ。ただ、近年思っていることをこの場に書き留めておきたい。
私は昔の嵐が好きだ。詳しく言えば10周年前後の2007~2012年。この頃が好きなファンも多いだろう。
1999年にデビューした嵐。当時5人中3人が辞めたかったと話している。チケットが売れずに悩んだり、自分がどこに向かっているのか分からなくなったり。これからの嵐について深夜遅くまで語り明かした日もある。嵐という立場の自分に大きな葛藤を抱き、悩み、苦しみ、藻掻き続けた5人は「トップになる」というひとつの夢を掲げ這い上がってきた。その小さな努力の積み重ねが形となり、2008年頃、抜群の歌唱力とトーク力を兼ね備えた親しみやすいグループとして世の中に浸透していった。
そんな嵐のことをメディアは「仲がいい」と表現した。確かに5人の仲の良さは大変微笑ましいもので、歌っている時に目を合わせて笑ったり、ふざけ合ったり悪戯をして楽しんだり。その反面やる時はやる。ファンの為に真剣に仕事に取り組むその姿はかっこいいとしかいえなかった。
嵐はアットホームな関係性で見ていて和やかな、穏やかな気持ちになるグループだ。さりげない気遣いや思いやりを持ち、5人でいることへの感謝の気持ちを忘れずに仕事をしている。お互いがお互いを必要として「嵐」であることを誇りに思っているのだ。
その純粋な思いは5人のイメージや才能を圧倒的に開花させ、国民的アイドルとまで上り詰めた。
ライブが出来る喜びや有り難さを実感しながら作り上げる嵐のコンサートは誰が見ても幸せな空間といえるものだった。一緒に楽しんで一緒に笑顔になる。きめるところはきめ、魅せるところは魅せる。何しろ飽きさせない、つまらないと思わせない。グループとしてうまくバランスがとれていたせいもあり心の底から楽しいと思えたライブができあがっていたのだろう。
しかし、近年の嵐はどうも違う。こればっかりはどうしても挑発的な言い方になってしまうがいくつか例をあげて話したい。
まず一つとして仕事に対してのやる気のなさが取り上げられる。これは特に最近になって目立つようになってきた。リハが始まる直前まであぐらをかき、スタッフに「次○○(曲名)やる?」と聞かれても「やらない」と即答。これは本人達の気分もあるだろうから仕方が無いのかもしれない。
また、一部のメンバーに限るが、収録中にも関わらず寝ていたり、頬杖をついて人の話を聞いていたり。それを他のタレントに注意され頬杖はやめても指をトントンすることから苛立っている様子が伝わった。
二つ目は態度。クランクアップした役者さんに向けて花束を投げて渡したり、ゲストの前でもだらっとした格好で座っている姿が映っている。そんな行動を一部のファンは可愛いといっているが私はそうは思わない。少なくとも花束を投げて渡すというのは非常識にも程があると思う。それでも可愛いという人は自分がその渡された役者の立場になってみて考えてほしい。
三つ目は失言。「金いらない」「いつになったら飽きるの?」「チケット争奪戦が楽しみ」分かっている。バラエティだからふざけて言ってるだろう事も、ウケを狙って言ってるであろう事も。そんなこと分かっている。けど金いらない発言は流石にいらっときた。ファンは夢を買っているのだ。歌って踊って夢を見させてくれるアイドルが好きで、応援したくてお金を払っているというのに。そんなこと言うんだったら仕事なんてしなきゃいい。申し訳ないがそう思った。
また、去年に続き今年もコンサートという場でファンにガチ切れ。そんなに言いたいことがあるんだったらいっそのことはっきり言ってほしいものだ。今の嵐はいちいち文句をつけなきゃやってられないのか。
挙げ句の果てには散々今までファンと呼んでいたのをついには客扱いされるようになってしまった。これは四つ目の点として「近年のコンサート」の話にもなるのだが、私たちファンは彼らを明るく照らし、演出の一部になり、一緒にステージを作り上げる。確かにそうだ。だが、私としては一緒に楽しみたい。例として言えば2010年、11年の「Scene~君と僕の見ている風景」や「BeautifulWould」があげられるだろう。会場が国立というせいもあるかもしれないが同じ歩幅で、同じ距離感で、同じ方向を向いていたあの頃は本当に良かった。誰が見ても楽しいと思えるコンサートになっていて彼らと気持ちを共有して見ている景色が同じだった。それが私は嬉しかった。
けれど今、私はあの頃のようには思えない。ペンライトの演出が年々パワーアップしていってるのはいいが少々拘りすぎではないか?演出に頼りすぎていないか?制御ライトの制御を強制されてる気がしてあまり好ましくない。2014年のデジタリアンで使用されたファンライトに到ってはただ演出の為だけに作られたようなものだ。だってあれ、光が嵐に向けられてるんだもの。ステージにいる者だけが見れる、つまり映像映えするように、ということなんだろう。だからファンライト(ファン=ライト)なのかもしれない。
このようなことから、私は嵐がどこを目指しているのか段々分からなくなってきていた。以前よりファンを大切にしていないと感じる人も中にはいるのではないだろうか。
更に近年の嵐について調べあげ、具体例をあげたいと思う。
・どんだけ売り上げ伸ばしたいねん
今回のアルバム発売後、事務所から通常版購入特典として「嵐から皆様へ感謝の気持ちをご用意させていただきました」というアナウンスがあった。なぜ初回を購入した人には送られず通常なのか。それは売り上げ向上の為なのだ。
実を言うと最新のアルバム、シングル共に売り上げが落ちている現状である。
◆嵐1stアルバム~現在「Are You Happy?」までの売上数
◆嵐シングル 2015年「Sakura」~現在「Power of the Paradise」までの売上数
原因としては昨年と今期のメンバーによる熱愛報道、ライブの内容、CD・DVDを買う需要制、また年齢が年齢の為、若手グループに担降りしているのが主な理由だと考えられる。先ほど書いた通り、失言の多さややる気の無さが気になって離れた人もいるだろう。
そんなこんなで今事務所は売り上げを伸ばす為に必死になっているのだ。何としてでも今までの売り上げ数に並んでおきたい、そんな概念があるように見える。だから発売から一ヶ月以上たっていても新たな「嵐クローバー」というキャラクター&CMを作り宣伝し続けていたようだ。
更には現在行っているライブのMCにてほぼ全公演でアルバムを買ったか買ってないか、買ってないなら是非お買い求め下さいと、まるでセリフのように呼びかけている。上からの指示で言っているのか本人がただネタとして言っているのか分からないが、何としてでも売りたい、そういう風に捉えられる。
11月のVS嵐にて「もう一度見たい名場面集」という企画があった。そこに第二位としてハワイで5人だけで語り合った回がランクインした。確かに素晴らしい回だった。15周年を迎えた今の彼らが本音で話し合う、それは私にとっても凄く好きな内容で、当時思っていたことや、もし嵐になっていなかったらなど5人の気持ちを知れて嬉しかった。
だがしかし、もうハワイネタはいいんじゃないだろうか。「辞めたかった」そう打ち明けられた時の2人の顔。気付いていただろうか。とても哀しい目をしていた。あんな顔、もう二度と見たくない。嵐で頑張っていこうと決意した2人にとっては、突然突きつけられた衝撃の言葉に動揺を隠せなかったのであろう。
そして、名場面集第一位はメンバー同士のキスシーンだった。何故これが一位なのか投票した人に伺いたい。赤さんが「俺らのファンきも(笑)」と思っていてもおかしくない。いや、思っただろうな、きっと。
去年のドーム公演にてある女性アイドルグループを招待し、その子達に向かってファンサービスをしていたという目撃情報がファンの間で話題になった。その公演はDVD化され、ファンサービスをする様子も映り込んでいる。これに対してファンは双方に激怒したのであった。
そして先週のドーム公演にはあるメンバーと共演した女優さんが来ていた。勿論そちらも満点のファンサービスを振る舞っていた。
毎回嵐のコンサートは招待客が多いので有名だ。共演者、関係者、更にはメンバーが連れてきている人も入っている。招待客にはファンサービスするくせに肝心のファンにはスルー。一部ではビジネスコンサートなんて言われている。共演者を見るよりも、何倍もの倍率の中やっとの思いで当選して、年に一度会えるか会えないかのプラチナチケットを手に入れてここまで会いに来たファンを見るべきではないのか。ファンサービスするべきではないのか。誰の為に行っているコンサートなんだろう。
・今更銀テの話
アリーナツアーでも話に上がったそうだが、先日のコンサートにてファンが銀テ取りに夢中になっていると「銀テじゃなくて俺ら見てよ」「取りすぎ」「1個でいいだろ」という発言があった。今更何を言ってるんだ。いちいちつっこむ私も私だが銀テ取るのも取らないのも客の勝手だろう。以前「銀テにロゴ入れ始めたのは全部客に取らせて掃除を短縮している」というのを聞いたことがある。それを取るなと?逆に銀テ発射されても誰一人取らずに嵐を見てたら。想像するとあまりにもシュールすぎる。ファンを見ないくせに俺らを見ろと。もう少しファンとちゃんと向き合って欲しい。
・回りくどいぜ兄さん
何でもかんでも遠回しに説教してくる。
例えば。「どうせネットでばらされるなら先にセットリスト公表しちゃおうか」つまり、ネタバレすんなよ、と言いたいんだろう。ならそう言ってくれればいい。某グループはファンに「楽しみが無くなるのは嫌だからツアーのネタバレは禁止」とちゃんと呼びかけている。だからファンは守ってる。何故嫌みっぽく煽ってくる。はっきり言えばいいのでは。
・調子乗りすぎ、自慢しすぎ
メンバーが特定されてしまうが、やたらと「第39回」と推してくる。正直言ってしつこい。受賞したからっていい気になりすぎじゃないか?前回の受賞者は自慢もせず何度もその話をあげることは無かったのに。
嵐のコンサートに行ったというと誰もが凄いね!という返事が返ってくる。私の職場では「宝くじ当てるのと同じくらいだよね?!」なんて言ってくる。確かに嵐のコンサートは入手困難な超プラチナチケットといわれる程大人気だ。現在の嵐ファンクラブ人数は200万超え。数字だけ見ると爆発的な人気を誇っているように見えるがこの中には退会した人も含まれている為、実際はどのくらいの人数がいるのか気になる。
肝心のコンサート内容は簡単に言えば「アルバム曲+定番曲(感謝カンゲキ、Love so sweet、Oh yeah辺り)+制御ペンライト=嵐のコンサート」となっている。ただ演出が凄い、それだけ。以前の楽しさはどこに消えたんだろう。いつもと同じ曲、同じ順番、更に説教付き。演出に頼らず、一度素で勝負したらどうだろうか。
・本当に仲が良いのか
例えば2010年「君と僕の見ている風景」特典映像の強化合宿。私はこの映像が大好きだ。ロケバスで自由に話す5人。寝るところをじゃんけんして決める5人。赤さん一人だけ皆と並んでないのが寂しくて結局一緒に並んで寝ちゃう5人。着地するときに支え合う5人。くだらないことで笑い合う5人。楽しそうにレコーディングする5人。私にとって手放せない大切な1枚だ。
その頃と比べると今は本当に仲が良いのか疑ってしまう。カットという言葉がかかれば真顔、無言。前はこんなんじゃなかった。勿論大人になったせいもあると思うが5人集まることが「仕事化」している気がして。いや、仕事ではあるんだけど。それぞれに壁が出来ている気がする。嵐はお互いに気を使っている、だから揉め事が生まれないなんて言ってたけど果たしてそれでいいのだろうか?気を遣ってると自分の気持ち、意見が押しつぶされるのでは。本当に思ってること、言いたいことが言えないのでは。こればっかりは私は一般人だし嵐でないのでわからないが。何にせよ、今の嵐でちゃんと話し合った方が良いと思う。このままじゃバラバラになっていく。
去年のツアーにて「なんだよ、原点回帰しただろ」「原点回帰の意味知ってるか?」等。そして今年はアンコールの声が小さいと怒られ「いつも出てくると思われても」なんて言われ、面白かったから笑ったのに「は?」とキレられる。
今の彼らはアンコールで出てきて当たり前、という風に思っているところがある。それに、しようがしないが、これも客の勝手だろう。アンコールするほどの価値がないと思ったらしない。この間の公演でもWアンコールを用意してたにも関わらずアンコールの声が無かった為、それにて終了となった。どうせ客としか扱ってないのなら、アンコールがどうとか、声が小さいとか、セトリがどうとか文句言わないでほしい。
他にも書きたいことは山ほどある。これでもかというくらい、次から次へと言いたいことが出てくる。
アイドルは人気になればなるほど、提供してくれるものと、こちらが求めているものに誤差が生じてくる。求められている事全部に耳を傾けるのはとても難しい事だ。
それに、嵐は世間に美化されすぎた。「嵐」の○○が好きで、「嵐」の○○だから使われて。正直、名前の頭に「嵐」をつけなきゃ誰なのか分からない。誰もが皆コンサートに行きたがるけど、結局は「嵐のコンサートに行った」「嵐に会った」そういう肩書きが欲しいだけなのでは。
もう疲れた。
どうして説教されなきゃいけないんだろう。どうして楽しいはずのコンサートで涙が出るんだろう。哀しくなるんだろう。
どうしてもやもやしたまま帰らなきゃいけないんだろう。
こんな思いをする為にファンになったんじゃない。ただ、あの頃のまま一緒に歩いていきたかったのに。ペンの指す方向に、先陣切って歩いて行くあなたたちについていこうと思えたからついてきたのに。あなたたちが見せてくれる夢を見たくて買ったのに。
どうして。どうしてこんなにつらいんだろう。
苦しい。
変わってほしくなかった。
変わらずにいてほしかった。
ちゃんと愛してほしかった。
でも。もう既に心は決まっている。
さよならまであと少し。
物語とは人が様々な場面で決断し行動する模様を描写したものである。
はてさて、物語における主人公はなぜ苦痛を受けなければならないか。
のび太はテストで点が取れないし、ジャイアンにマウンティングされてるし、しずちゃんに良いところ見せられないし。
アンパンマンでさえ自分の顔を削って人助けをしなければならない。
ハワイの浜辺で熟睡しているジジイを描写したところでそれは物語にならない。
な ぜ か
それは日常におけるストレスや困難の縮図をそこに見出しているからである。
そしてその苦痛を乗り越える姿に明日を生きる希望を見出しているのだ。
ジャムおじさんにパンを焼かせてしょくぱんまんに配達させればいい。
同年8月10日午後4時3人のメンバーが社長に解散要求をしたと報道されているが同じ時刻に社長はSMAPの後輩のコンサート会場で目撃されている。また、事務所によれば、8月12日SMAPの4人のメンバーが一緒に話したとあるが、1人は朝から仕事をしていて、1人はお昼から夜中まで仕事だった。
【8月10日の件】
「週刊新潮」2016年8月25日秋風月特大号((www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20160817/))に「SMAP解散の魑魅魍魎」という記事が掲載された。記事は「総力取材!特集」と銘打っている。しかしこの記事にはいくつかの疑問点がある。以下それらの疑問点について検証してみたい。
記事ではある「芸能関係者」が何月何日にこういう事があったと非常に詳細な時系列を述べており、それゆえこの記事は大変信憑性があるもののように見えるのだが、その中に次のような記述がある。
この「翌日」は2016年8月10日のことである。しかしこの日はジャニーズグループ、ABC-Zのコンサートが国立代々木競技場第一体育館で開催されており、ジャニー氏はこのコンサートを見に来ていた事が、当日コンサートに参加していた複数のファンによってその日のうちにTwitterで呟かれていた((www.cyzowoman.com/2016/08/post_21415.html))。ある呟きによると、ジャニー氏は開演3分ぐらい前に会場に入ってきたという。開演時間は17時であり、開演が若干遅れたという話もあるが、やはり17時ごろにはジャニー氏は代々木体育館にいたと見て問題ないだろう。とすると「16時から1時間半近く」メンバーと面談したというジャニー氏は一体誰だったのか?
この8月10日のジャニー氏との面談で4人が「解散」を申し入れたとの報道は新潮以外のメディアでも一貫している。どれも情報ソースが事務所である(SMAPから提供されたのでない限り、もう一方の当事者である事務所しかこの情報は提供できない)からであろうが、これまで「休業」でまとまっていたものを4人がいきなり「解散」を言い出したとされている。しかしもしそうであれば、ジャニー氏はじめ事務所側は驚き、説得にそれなりの時間を費やすのではないだろうか。「解散」ともなればジャニーズ事務所の経済的損失は計り知れない。もし16時からのジャニー氏との面談で「解散」が決まったのであれば、その面談は1時間以下であったことになる。そのような短時間で事務所にとってもこれほどの大事が決まるものだろうか?
【8月12日の件】
8月25日発売の「週刊文春」9月1日号((shukan.bunshun.jp/articles/-/6484))では、それとは少し違う時系列となっている。文春によれば、10日の面談ではジャニー氏が反対したため、12日に事務所顧問の小杉理宇造氏(文春の記事はこの小杉氏がソース元であると推測される部分が多い)がメンバー4人と面談し、その後役員会にて13日深夜(12日深夜で日付的には13日と思われる)に解散が正式決定した。ジャニー氏は最後まで反対であったという。筆頭株主であり社長のジャニー氏が反対なのに解散が決定できるのかという疑問はここではさておく。
12日にジャニーズ事務所から「SMAP解散」についてマスコミにレクチャーがあったことは、芸能レポーターがTV番組で話している((www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/187789))。また、8月25日発売「週刊新潮」9月1日号によれば、このレクチャーは「12日夜」であったという。週刊文春が13日早朝に自宅を出る中居を直撃し(注1)、解散発表が13日深夜(ネットメディアによる第一報は13日22時頃)であったことからも、事務所がマスコミにレクチャーしたのは12日の夜であり、この時には解散は決まっていたとみて間違いないだろう。
しかし、12日は中居はTBSでリオ五輪の生中継が朝9時から12時まであり、朝早くから少なくとも12時まではTBSにいた。一方香取はこの日「おじゃMAP!!」のロケを昼12時過ぎから深夜1時過ぎまで行っている。12日の深夜までこの二人が揃うことは物理的に不可能である。
12日に香取が収録したのは8月24日放送の佐々木健介とのロケと、8月31日放送の渡辺直美とのロケの2本である。佐々木健介は8月12日のブログ((ameblo.jp/sasaki-kensuke-blog/day-20160812.html))で「ノンストップが終わって、そのまま《おじゃMAP!!》の皆さんにお世話になりました」と書いている。この日11:48のエントリー((ameblo.jp/sasaki-kensuke-blog/day2-20160812.html))では「(ノンストップ)終わったすぐですが、これからロケに行って来ます」とあることから、昼の12時ごろにはロケはスタートしていると考えられる。また、12:30頃にはフジテレビにおいて佐々木、香取、及び番組レギュラーの山崎弘也の目撃談がTwitterに投稿されている(この日のロケはフジテレビ玄関からスタートであった)。また、同日18:30過ぎには表参道(この回のロケの最終目的地)で佐々木、香取、山崎の目撃談がTwitterに投稿されており、少なくともこの時間まではロケであったことがわかる。
その後、20時過ぎには代々木公園で渡辺直美、香取、山崎の目撃談がTwitterに投稿されている。その後渋谷でロケを行った後、亀戸に移動してのロケではロケの進行とともに「PM11:20」「PM11:50」「AM0:30」のテロップが画面に出た。さらに「おじゃMAP!!」では毎回ロケ後に山崎が番組を宣伝するための動画を撮影しているのだが、この回の動画((www.youtube.com/watch?v=qOb4tziidEo))では山崎は「今深夜1:12」と述べている。
注1:
8月17日発売「週刊文春」((shukan.bunshun.jp/articles/-/6453))によると、
というが、この日のTBSリオ五輪中継は朝7時からであり、自宅を出たのは5時前であると推測される。したがって、文春が解散について知ったのはそれより前である。
文春9月1日号に今までの報道と相違がある件を画像でまとめてみた((ch300flowers.moo.jp/newpage2.html))。
報道どおり「10日面談、11日の役員会で正式決定」であったとしよう。その場合、「なぜジャニーズ事務所はこれほど事を急いだのか?」という疑問をもたざるを得ない。以下この時系列が正しいと仮定して検証してみよう。
10日の16時からジャニー氏と面談したのであれば、面談時間は1時間以下である。「SMAP解散」は首相以下閣僚がコメントし、New York TIMES((www.nytimes.com/2016/08/20/world/asia/japan-smap-breakup.html))やBBC((www.bbc.com/news/world-asia-37075638))でも報道され、NHKすら五輪中継中に速報テロップを入れるほどの大事件である。ジャニーズ事務所にとっても大きな売上げ(注2)を失う事態となる。それほどのことをメンバーと1時間も話していないうちに「よしわかった」となるものだろうか。それまでメンバーから「解散」という言葉は出ていないことは各紙とも一致している。事務所にとっては寝耳に水の発言のはずである。そもそも「解散したい」「はいどうぞ」となるほどタレントの意志を尊重してくれる事務所なら、2016年1月18日のスマスマでの公開謝罪は行われなかったであろう。
しかし事務所は翌11日には役員会を開いて解散を正式決定してしまう。まるで「解散」という言葉がメンバーから出る事を待ち構えていたかのようだ。この時、木村拓哉はハワイで家族と休暇中のため不在である((www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/08/22/kiji/K20160822013218160.html))。木村自身にとっても大きな影響を与える決定を、本人不在のうちに行えるものだろうか。木村が帰国するまで待つ、あるいは「こういう事態になったから今すぐ帰って来い」と言えなかったのだろうか。
そして12日にマスコミを集めてレクチャー、13日深夜には発表と、ジャニーズ事務所は迅速すぎるほど迅速に動いている。まるであらかじめスケジュールが決まっていて用意されていたかのようである。これほど急いで五輪開催中に(事務所所属の中居と櫻井はTBSと日テレで五輪キャスターを務めている)「解散」を発表しなければならなかったのはなぜだろうか。
どのように発表するか、CMスポンサーやTV局にはどう説明するか、解散までのタイムスケジュールはどうするか、ファンクラブの取り扱いはどうするか。「解散」が決まったあとで事務所が決めなくてはいけないことは山ほどある。しかも、実質的な経営者であるメリー喜多川副社長と、その娘であり次期社長であるジュリー藤島氏は13日からハワイで休暇である((www.asagei.com/excerpt/64244))。重要なことはその前に全て決めてしまわなくてはいけないのだが、それに充分な時間があったのだろうか。疑問は尽きない。
注2:
「文藝春秋」2016年3月号((gekkan.bunshun.jp/articles/-/1792))によると、ジャニーズ事務所は
連結で年間七百億~一千億円の売り上げが推測される。そのうちSMAPの売上げは二百五十億円と言われています。[経済専門誌記者](p.195)
私と妻と4歳の息子の1家3人。妻の両親と、いわゆる「スープの冷めない距離」に暮らしている。
ハワイが好きで留学経験もある妻のために、普段から質素倹約に努め、外食やレジャーも我慢して、やっとたまったマイルを掃き出してハワイ旅行を計画していたのだが、妻が自分の両親も連れていきたいと行ってきた。
・孫の面倒をよく見てくれる。
・孫もよくなついている
・義父母のことは好きで、義父母も私のことも気をかけてくれているらしい。
以上のことから、行ってしまえば恐らくそれなりに楽しめるのだが、どうにも気が向かない。
というか、一緒には行きたくない。
・家族3人だけの思い出を残したい。せっかくの家族旅行は水入らずで楽しみたい。
・息子と思い出を残したいが、息子と義父母がベッタリになってしまうのが目に見えている。
・家計に余裕がなく、と言うか火の車で、次に海外旅行に行ける見込みもない。
・将来、自分の両親をハワイに連れていけるだけの余裕はまったくなく、あわせる顔が無くなる。黙っていくことすら考えている。
国内旅行やサイパン・グアムくらいならカバン持ちでもなんでもやってニコニコついていくのだが、せっかくのハワイに、行きも帰りも同便、部屋は違えど同じホテル。これで非日常感を味わえるはずもないし、私のせいで雰囲気が悪くなるシーンも想定できる。
【追記】
トラックバックありがとう。誰か読んでくれると思ってなかったので返信遅くなりました、すみません。
死にたいと思ったことは、これまでは全くありません。
「恥ずかし〜死にてえ〜」みたいに冗談で言うことはあっても、実際に人生を終わらせたい、終わらせようと思ったことは
どんなにつらくても悲しくてもなかったです。
それだけに、この心情の変化に自分自身危機感を抱いたという感じです。
*****
いま過労で鬱になって休職中で、ふっと「面倒だしそろそろ人生終わらせてもいいのかな」と思う瞬間がある。
そういう時のストッパーにしたいので、今死ぬべきではない理由を自分勝手にいろいろ書いてみる。
■基本編
・そもそも生きていること自体がレアなんだから、わざわざ自分で命を絶つ必要はない。
■他人と比べて編
・自分の人生なんだから他人と比べてどうこうという話ではないけど、
病気とか不慮の事故とか経済的理由とか寿命とか、のっぴきならない理由で明日生きられない人がごまんといる。
・自分の年齢で亡くなった人の報道をきくと、「ああまだ若いのに」とすごく思う。
ということは、やっぱりまだ死ぬには早いんだと思う。
■家族編
・いま死んだら多分、夫はすごく悲しむと思う。もしかしたら同じように鬱になるかも。
・同様の理由で、実家の人たちにも多大なショックを与えるからやめておくべき。
特に母はちょっとおかしくなってしまうかもしれない。両親が健在なうちはやばい。
・なんだかんだ、お金の負担もかなり掛けるはず。それもやだなあ。
・家族が自殺したってなるといろいろ世間的な引け目も感じさせそう。それもやだ。
・夫側の親御さんも悲しむだろうな。申し訳ない。
・まだ結婚記念日を祝ったことがない!祝いたい。
・旦那の誕生日にケーキを焼きたい。今年は買うつもりだけどいつか。
・産むのも育てるのもすごい大変みたいだけど、やっぱり子供も欲しい。
・とりあえず、大事な人ともっと一緒にいる時間を持っておきたい。バカな話をして盛り上がったりしたい。
■仕事編
・得意分野の中でもまだまだ成長の余地はあると思う。去年まで未熟だった部分を乗り越えるという体験をもっとしたい。
・そもそも働いたことのない分野がいっぱいあるから、将来のパートとかでもなんでもやってみたい。
・休職したきっかけになったことを言った人のほうが長生きするの悔しい。元気になってもっと成長して見返したい。
■食べたいもの編
・築地の食べ歩きをしたことがないから、してみたい。特に玉子焼きは食べたい。
・流行りがだいぶ過ぎたけど、一度ちゃんとハワイアンパンケーキを食べてみたい。
・芋きんつば食べたい。
・中華街で食べ歩きしたい。蒸したての中華まんとか、角煮がはさんであるやつとか食べたい。
・クラフトビールの飲み比べとかしてみたい。
・都内の美味しいベーグル屋さんに行きたい。有名店制覇したい。
・めちゃくちゃお腹が空いた状態で、コンビニの味付け卵を食べたい。
・おしゃれして旦那とちょっと良い店のコースを食べたりしたい。あるいはホテルのラウンジとかで甘いお酒を飲みたい。
■行きたいところ編
・巣鴨と帝釈天は行きたいと思いつつまだ行けてないからちゃんと行きたい。
・ハワイにもう一回くらい行っておきたい。アイスのお店に行きたいし、前回ガーリックシュリンプを食べられなかったから、美味しいお店を調べて行きたい。
・足湯も行きたい。
・昔行ったヨーロッパにもう一度行きたい。今度は夫と行きたい。
・パリ行きてえ〜
・箱根に行ってみたい。「はこね」って書いた饅頭買いたい。小田急のロマンスカーで行きたい。旦那と。
・沖縄行きたい。前回は随分昔だから、大人になった今行きたい。楽しそう。
・水着買ったのにまだ1回しか着てない!もう一回くらい着ておくかな...
・東急プラザ銀座とか新宿NEWOMANとか、話題になったスポット全然行けてないから一度は行っておきたい。
・池袋かなんかにある、雲みたいなシートのプラネタリウムに行ってみたい。
・一人カラオケやってみたい。
・肩甲骨ほぐしに行きたい。
・もう一回タイ古式マッサージに行きたい。
・代々木上原あたりにあるモスクが一体どうなってるのか知りたい。いっつも気になってる。
■その他やり残してること編
・銀のエンゼルが溜まってるのにまだ応募してない!
・30代、40代、50代の自分を経験してないからしておきたい。
おばちゃんになると肝が座って人生楽しいらしいから、それを体感したい。
・まだ人生において「これで満足!」という感覚を得たことがない気がする。そういうのちゃんとしたい。
・仏教的な意味での「人間らしく生きる」っていうのがイマイチ腹落ちしてないから、その辺整理したい。
というか、「これが人間らしく生きるってことか〜」って思ってみたい。
・新しい靴が欲しい。
・MA-1っていうの着てみたい。できるうちに流行りの格好しておきたい。
・高い基礎化粧品使って、やっぱ高いのは違うな〜って実感してみたい。
・ジョジョはもう一回くらい読み返しておきたい。
・ウシジマくんの続き読みたい。
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ざっと思い浮かぶだけでもこんな感じか。
先日話題になっていたらしい
娘が気持ち悪い(http://anond.hatelabo.jp/20161102211759)
と、さっきたまたま見つけた
父を気持ち悪いと思った過去。(http://anond.hatelabo.jp/20161107130534)
を読んで。まだ頭のなかで何も話はまとまっていないけど何となく僕の家のことを書いてみます。
僕の家族は4人構成です。現在23歳で大学4年生の僕(1年間休学)、2歳上で社会人の姉、母親、そして父親。幼い頃は普通に仲の良い家族だったことを記憶しています。僕らがまだ幼い頃には、父親は僕と姉を毎週のようにどこか遊び場に連れ出してくれて、時には家族全員でハワイやスキー旅行に行くような幸せな家庭でした。まだ僕と姉が同じ部屋の二段ベッドで寝ているときには、僕と姉がもうベッドで寝ようとしているのに、リビングで父親と母親がお酒を飲んで談笑しているのがうるさくて、「2人の笑い声がうるさくて寝れない」と叱りにいくこともありました。家族で何処か旅行に行った際に、父親と手を繋いだ姉が「私は大きくなったらパパと結婚する!」と言っている場面はなぜか今でも鮮明に覚えています。僕はそんな我が家が大好きでした。
僕が小学生の間ぐらいまではそんな感じの幸せな我が家でしたが、僕が中学生になったぐらいから姉が父親を遠ざけ始めましたような気がします。きっと数多くの思春期の娘と同じ様に父親に対する「気持ち悪い」の感情を抱き始めたのでしょう。確かに父親は面倒な男です。あまり僕ら子供のことに干渉するタイプの父親ではありませんでしたが、何回もこっちが注意してることをわざと直さないようなタイプの男です。それ頃から姉の極端な父親避けはずっと続きました。姉は帰宅して父親がいることが分かるなり、わざと足跡を大きくして不機嫌アピールをはじめたり、家の中ですれ違う際にはまるで化物とすれ違うかのように極端に避けて通り、家族4人でテーブルを囲んでご飯を食べる際にはわざとらしく父親から離れてテーブルの端っこに寄ってご飯を食べたりしていました。僕も父親や母親に不満を感じたことは多々ありますが、この姉の極端な「父親避け」はどこか僕にとっても不愉快でした。そして父親もそれに対してはなんにも言いません。不器用で鈍感な男なので、最初は気づいてないのかとも思いましたが、きっとそうではありません。父親は弱気なタイプの男ではないので「なんで平気なんだよ。一発ぶっ叩けよ。」と思ったこともありますが父親は何もアクションを起こしませんでした。きっとそれが不器用な父なりの愛だったのだと思います。そしてその「父親避け」は段々と母親にまで伝染していったように感じます。姉と娘が結託して父親を嫌って遠ざけ、父親は自分の家庭にも関わらず何も言わない。僕はこのあたりからこの家族全体のことを少しずつ「気持ち悪く」感じるようになっていました。そして僕が高校3年生になった頃だったでしょうか、父親が単身赴任で地方に行くことが決まりました。当然姉は喜んでいました。僕は特に何も思いませんでした。
そうして僕ら家族は2年間ぐらい、父親が関東で仕事の用事があって家に帰ってくる時ぐらいしか父親に会わない生活を続けていました。そんなある時、外で友達とダラダラ遊んでいる時に僕の携帯が鳴りました。母親からのメールでした。文面は「今日は父ちゃんが帰ってきています。大事な話があるので早く帰ってこれますか?」というような内容でした。僕はそれを見た時、あぁついに離婚するんだ、と思いました。僕は特にそれについて何も思いませんでした。そして帰るとリビングに僕以外の家族がもういました。僕が「なに?」と聞くと父親が「父ちゃん、癌になっちゃったんだ。末期の。」と言いました。母親と姉は先にそれを聞いていたようです。僕は特に取り乱しもしませんでしたが、どうしたらいいか分かりませんでした。その日は僕は家にいる気になれず、地元の親友に電話をして2人で居酒屋に行きました。
それから父親は家に戻ってきました。癌患者になった父親には母親も姉も前より優しく当たるようになりました。でも僕にはそれが余計に薄っぺらいものに感じました。父親は末期がんでステージ4b。末期の末期でした。医者の話では手術をして成功したとしても5年生存率は5%以下。父親の手術は成功しました。術後、ICUのベッドで管まみれになって横になっている意識を朦朧とした父を見たときには涙が流れました。姉は覚えていませんが、母親も泣いていたように思います。それから父親は退院し、仕事が続けられなくなったのでずっと家で安静にする日々を過ごしています。手術から3年経った今でも父親は生きています。癌だとわかった直後の父親に対する姉と母親の優しさはとうに消え、姉は父親のことを“あいつ”と呼んでいます。いまだに姉は帰宅して父親がいることが分かるなり、わざと足跡を大きくして不機嫌アピールをはじめ、家の中ですれ違う際にはまるで化物とすれ違うかのように極端に避けて通り、同じテーブルでご飯を食べる際にはわざとらしく父親から離れてテーブルの端っこに寄ってご飯を食べています。
母親は父親が癌だと分かった時、親戚の家で「どうしてこれまでパパに優しくしてあげれなかったんだろう」と泣いたそうです。また今も姉と一緒に父親を邪魔者扱いしているように見える僕からすれば、その涙はなんだったんだろうと思います。
外見の変化ではなく中身の変化らしいが、奥歯に物が挟まったような物言いだったから、その変化は彼女にとってネガティブな変化だったのだろう。
私は、会話を続けながらも、少しずつ気分がどんよりしていった。
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実際、私が通っていた中高でサラリーマン家庭の子は数えるほどしかいなかった。
彼らの親はほとんどが医師か薬剤師か弁護士か社長だったし、私の父もそうだった。
私たちは、その地方都市では自らは最も幸福な人種であると信じ込んで6年間を過ごした。
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楽しいことも苦しいことも分け合ったし、どんな些細なことも共有した。
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年に1回は2人で海外に行ったし、住んでいるところは離れていたが、3ヶ月に1度は会っていた。
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受ける業界も、企業も、大きく異なったし、学歴フィルターも目の当たりにした。
私は地方都市出身をコンプレックスに思うようになったし、自分がただのお山の大将だったことにも気付いた。
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彼女に初めて「雰囲気が変わった」と言われたのはその頃だった。
彼女の就職活動が上手くいってないことも感じていたし、反面、私のそれは順調そのものだったから、その言葉は上手く躱せた。
私が内定をもらったところは特殊な業界だったし、学歴も早慶以上の人間しかいなかったから、鼻についたのかもしれない。
とにかく、私はその時彼女より余裕があったから、色んなことを飲み込んだ。
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その後、彼女も何とか内定を貰い、私たちはそれぞれ大学を卒業した。
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就職してからは、サービス業で休みが不定期な彼女と、激務な私とでほとんど会うことはなかった。
会っても年末年始に地元に帰省した時に少しお茶する程度だった。
昔みたいに海外旅行に行くどころか、近況を報告する余裕すらなかった。
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なんとこの1年で彼女は彼氏を作り、仕事を辞め、同棲を始め、婚約したらしい。
おめでたいことだ。
そっちはどう?と聞かれるのでありのままを話した。
そこで言われたのが、冒頭の「雰囲気が変わった」というセリフだった。
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私の仕事、地位、彼氏、学歴、貯金、全部、これらは私が死ぬほど努力して手に入れたものだ。
私は今の自分を愛してるし、誇りに思っている。
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「雰囲気が変わった」
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多分彼女と前のように親しくすることはないだろう。
もう生きる場所が違うのだ。
お互いにないものねだりを続けても仕方がないけど、きっと会ってもどんよりするだけだ。
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このブログは彼女に直接言えないヘタレな私からの別れの言葉だ。
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