はてなキーワード: アレンとは
モンスターペアレンツが、自分の娘にDQNネームを名付け、
それを知ったモンペが
「マトモな名前を付けた親に逆キレする」という話が、はてなブックマークにあった。
http://gasoku.livedoor.biz/archives/51908606.html
この話の真偽については、一部「ネタじゃないか?」との意見があるが、
そもそもこの手の
「自分の名前の由来・意味を調べましょう」という小学校の授業自体に、
問題があるのではないか?
この授業の前提としては
「親は、子供のことを考えて、最高に意味のある、最高の愛情を込めた名前を付ける」という
「素晴らしき親」「パーフェクトペアレンツ」が前提になる。
「適当に名前を付けられた」というケースも、あるのが普通では?
言い方を変えれば、「40人の中で、パーフェクトペアレンツでない親が数人程度いる」のである。
本人は「パーフェクトペアレンツ」であると意識していても、傍目には
まさにモンスターペアレンツ、DQNネームの親なども、それに該当。
「皆が皆、パーフェクトペアレンツである」という「神話」を前提として組み立てていて、
それゆえに
「パーフェクトペアレンツの無償の愛を子供に体感させる」という授業がなされる。
「パーフェクトペアレンツの無償の愛を体感させれば、子供の情緒にプラスになり、
パーフェクトチャイルドになる」という目論みなんだろうが、
この授業計画は、パーフェクトペアレンツでない親が混ざっている時点で、見事に破綻する。
その場合、後に残るのは
「パーフェクトペアレンツ(とその子供)による、ノンパーフェクトペアレンツ(とその子供)への差別・イジメ」だけである。
「親の愛情を子供に取材させて、体感させる」という授業展開だが、愛情希薄な場合、
あるいは愛情をうまく伝えられない親の場合、授業計画は破綻する。
で、
「お父さんお母さん、いままで僕を愛情一杯に育ててくれてありがとう」と子供に語らせるのが
この手の授業の「予定調和的展開」であるが、これって保守トンデモの「親守詩」と、
やってることが何ら変わらん。
いい加減、
「パーフェクトペアレンツっぷりを子供に体感させる授業」は、止めにしてはどうか?
現実世界は、文部科学省や教育委員会が期待するほど、パーフェクトペアレンツは多くない。
そもそも、「古き良き日本」では、結構子供はいい加減に命名されていた。
一番目の子供だから「太郎」、二番目だから「次郎」、てな感じ。
「もう子供なんかイラネ」「男児が欲しかったのに、女が産まれやがって」というホンネを隠さずに、
おおっぴらに「トメ」とか「ステ」と命名されていた。
突飛な仮説だが、
内部被ばくの“証拠”撮影 長崎大研究グループ - 47NEWS(よんななニュース)
ABCCは調査だけで治療はしないといわれてきました。なぜでしょう。
医者はアレンさんのことを、偏執病で統合失調症だと診断しました。その一方で、その医者は、オレゴン国立研究所の原子力科学研究者達に連絡を取って、「細胞の標本を送りましょうか」と...
ピューリッツアー賞受賞者「私がもっとも意外に思ったのは、非常に高度の教育を受けた医師が、自分の患者に対してどれほど残酷で非道になれるのか、ということでした」
米 放射能 人体実験 「プルトニウム・ファイル」著者 アイリーン・ウェルサム インタビュー
プルトニウムファイル いま明かされる放射能人体実験の全貌 | アイリーン・ウェルサム, 渡辺 正 | 本 | Amazon.co.jp
米科学アカデミーが世界の最新データを基に30日までにまとめた。報告書は「被ばくには、これ以下なら安全」と言える量はないと指摘。
はてなブックマーク - 放射線と発がん、日本が知るべき国連の結論 :日本経済新聞
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「マンクーゾ報告」と「T65D」 - あだち安人「サスティナビリティ」考
http://anond.hatelabo.jp/20110906150347
読んだけれども全部は内容を把握できてないかもしれません。アダルトチルドレンというのは、ずっと前にも自分の今は使ってないgreeの中にも書いたのですが、アダルトチルドレン オブ アルコーリック の前の部分だけを取り出したもので、アルコール依存症患者とともに子供時代を過ごした人(今は大人)について、を指す言葉で、その人たちが大人になった時に同じような精神症状を示し、それがどうも過去に起因するのではないかと、精神医学の分野の人たちではなく、アメリカで心理療法家や臨床で精神的な問題を抱えた人に心理的なアプローチをする実際に身近にいる治療者たちから、言われ始めそのような研究や論文も(英語の論文サイトで見た事もある)少しはできたりしてたらしいです。(少しはと書いたのはアメリカが元だけど、そんなにアメリカで持て囃された理論でもなかったと思うから)
しかし、虐待の連鎖については、調べてみたら有意な差は認められなかったという結果が出た事もあったと、日本の精神科医のサイトで見たこともありました。(この元の論文は探してるけどまだ見つけてない)
日本では、虐待の連鎖も理屈や理由や統計は求めらずに一部専門家が言ったら、確定事項みたいに流布してしまっています。ACの流行の盛りは過ぎたと思ったのに、質問サイトではいまだに虐待の連鎖を心配して、被虐待者が自分が将来虐待するのではないかと相談しています。被虐待者に不安を与えて信者にして儲けようとしている人もいるかもしれないと思ってしまいます。日本の精神医学の学会ではACというものには懐疑的らしいです。なぜかというと、アダルトチルドレン オブ アルコーリックの人の症例や理論を拡大解釈し過ぎだし、誰にでもあるような事や、大して問題とも言えない事まで問題視する本をAC理論を唱える関係者がを出したりしてたからです。
虐待により精神的な問題を抱えるようになった人たちがいるのは事実だと思います。その人たち(自分もかもしれませんが)に適切な治療の場やサポートが与えられる必要はあると思います。AC本批判の医者の中にも極端な考え方をしている人も居ると思います。 精神症状の原因を外部に求めるのがいけないという書き方の本もありますから。どちらとも決め付けられない事だと思います。
こんなふうに意見が別れるのも、抽象的でどちらとも言えないもの決め付けられないものを、AC本は決め付けてしまっているからだと思います。
極端な考え方のものはともかくとしても、精神医学系の学会が、ACという考え方に関して疑問視していたと知って、書かれた疑問も読んで、ほっとはしたものの、なんだ、自分が思ってた事と同じではないか!もっと早く言ってよ!!と思ったことはありました。
認識の問題とか、自分の回復のために、そのような問題を書き綴って確認作業のような事をするのは、本人にとって害はないからよいと思いますが、お金を払って治療を受けに行くと、信者にされる可能性もあると思います。
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昼間に書き始め、途中でやめて、また書いているので、最初言いたかった事とずれてしまったかも。
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こういう問題について書こうとするとよくわからなくなってくる。
ただ、アダルトチルドレン オブ アルコーリックは、アルコール依存症患者とともに育った子供時代を持つ大人を指すので、例えてみれば、中国残留日本人孤児の人たちが今は大人なのに孤児と呼ばれているので、中国残留孤児だった大人と正確に呼び、その後半部の「孤児だった大人」の部分だけで呼んで「孤児だった大人」「孤児だった大人」と呼んでいるようなものだと思うから、何だかこっけいな感じがしてしまうのですが・・・
今自分が書いたものでも、つい「アダルトチルドレン」と繋げて書いてしまいました。 これを言うなら「アダルト チルドレン オブ アルコーリック」とすべきでした。その方がわかりやすかった。子供だった大人、どんな子供? アルコール依存症の人と一緒に居た、ということだと思うんで、そこから、心は子供体は大人、とか 見た目は大人なのに中身は子供で、そうなってるのは本人のせいではない、みたいな理論とか、大人になれない子供とか(これは批判のように捉えて嫌がる自分はACだと思ってる人もいるみたいだけど)、子供時代を失った子供とか(これはある意味そうなんでしょうけど、それを指摘して何になる?当事者でもない専門家が親切にもあなたは子供時代を失ってますよ~と言ってくるというこっけいさ。それって親切なの?かわいそう攻撃じゃないの?) 子供時代に大人の役割をさせられた子供とか(これもそうかもしれないけど、それをACと称する事に、関係者がお布施を募る事ができる以外、何の意味があるかわからない) ...etc
これらの状態を アルコール依存症の人と一緒の子供時代を送って育った大人、とどう結び付けていけるのかわからない。
アダルト・チルドレン という響きが、聞こえが良かったのではないか? 自己愛的傾向を持つ人々の心を掴むのに、格好のネーミングだったからではないか?
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子供時代に受けたトラウマが、精神症状を引き起こす事はあると思います。それを否定するものではありません。それに対しては個別にそれぞれの現在の状態に合わせて対応するべきだし、親に限らず他人から受けたトラウマで精神症状が引き起こされる事はあるでしょう。親と言う人と接するのは、自意識や自我が発達してなくて判断力がない時期からだから、混乱させられやすいという事は言えるかもしれません。
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アダルト・チルドレンというものを考える上で、こういう事も念頭に置いた方が良いのでは無いかと思ったので書いてみました。
心に傷を持つ人、空虚なものを持つ人、家庭に問題があった人、孤独な人、こういう人は都会に出たら、何とか商法や、壷や絵を買わされやすい傾向にあると思います。怪しい宗教なんかも付け入ろうとするかもしれません。(孤独なお年寄りが布団売りつけられるようなものです。)
それよりはマシかもしれませんが、本買ったり心理療法に通わされたりするのも、同じような面もあるのではないかと思います。
手を変え品を変え、有名人を引き込んだり、NHKで有名作家にカウンセリング体験を語らせたり・・・
これで得をするのは誰でしょう?
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追記
アダルト・チルドレンがキーワードになってたので、読んでみたら
今はACは、機能不全家庭で子供時代を過ごした子供たちの総称になっているそうです。
機能不全という言葉で用いられている機能というものが、そもそも抽象的なものでしか無いので、そのあたりが問題ではないかと思います。
自助団体 (自助という言葉が適当かどうかわかりませんが、そう自身で名乗られているので) からも、AC本の人には抗議文が送られていると、はてなキーワードで見ました。やっぱりねw
わかるとは思いますが アダルトチルドレンではなく、キーワードがACなので、リンク貼っときます。 http://d.hatena.ne.jp/keyword/AC
追追記
837 : 没個性化されたレス↓ : 2010/04/20(火) 00:09:36
ACを商売にしてる人はACに根拠が無い事がばれてくると今度は
「負の連鎖」とか「虐待の連鎖」というこれまたまっったく根拠の無い概念で
新たなお店を開いているようです
838 : 没個性化されたレス↓ : 2010/05/01(土) 18:57:32
根拠あるでしょ。十分に。
839 : 没個性化されたレス↓ : 2010/05/02(日) 13:58:54
ACに根拠があるかどうかに関わらず、
(傷付きやすく騙されやすい)ACをターゲットに商売をする人たちは
距離の近い親の本質を暴くことは、世の中の危険な人の本質を見抜くよりも簡単。
世の中、表面的にはイイ顔をしてても、中身は毒親みたいな搾取的な
結果として騙されたり、時間を無駄にすることだって多いのかもしれない。
840 : 没個性化されたレス↓ : 2010/05/08(土) 19:27:01
それに騙されて身動き出来ない人がいるということ。
>ACが自身の主体性を取り戻し、社会性を得ることの難しさに、
ウソ概念で騙されているんだから主体性を取り戻せるわけがない。
カネを搾り取ったがもうカネも出て来なくなったら主体性を取り戻せという。
AC業者の糞なやり方には本当に腹が煮えくり返る。
986 : 没個性化されたレス↓ : 2010/06/29(火) 22:37:15
アメリカのソーシャルワーカー達がアダルトチルドレンという無根拠なレッテル貼りを始めてから
もう40年という月日がたってしまった。
それを利用したAC業者やマスコミが被害を拡大させて、日本でも30年近くこの無根拠な概念が暴威をふるった。
このAC概念は無根拠なくせに極めて専横的で疑いを許さなかった。マスコミとAC業者がそうさせなかったのだが。
AC概念は人々を苦しめ、裁き、断罪し、この概念のくびきのもとで生きる事を強い、いささかの救いの道をも与えなかった。
ACは無根拠であるが故に疑いを許さなかった。ヒットラーのように。北朝鮮のように。
AC収容所の人間は小石のようなあきらめをしゃぶり乾きを癒すしか無かった。
ACに根拠は無いのに。
そして強制収容所の人々が「ここにいるから私は友と知り合えて生きていること許される」と心理的な合理化をするように
「ACを知ったからこそ私の人生がある」と合理化をするようになる。
商業主義の暴虐に痛めつけられ囚われの身となった人の心が、最後の誇りを失わないようにするために
強制収容所に30年幽閉された人が解放されてもとまどうように。
30年と言う月日をAC商業主義の暴虐に晒された心に「ACには何の根拠も無い」
と言われてもすぐには受け入れらないのはもっとなことだ。
このスレも次スレもこうしたAC被害者のリハビリをどうするかという問題も検討されるべきだろう。
http://logsoku.com/thread/academy6.2ch.net/psycho/1035617398/
某巨大掲示板のログですが、学問板なので、それなりにそれなりのモノの見方をする人も出てきてますが、残念ながらACと言われる人を責めるレスも時々あります。しかし、それに反論レスもあります。反論するのはAC理論が正しいとは思ってない人たちの場合も多いです。AC理論は否定するけどACと言われる人たちの中には精神的な症状がある人がいるのも事実だろうという認識です。
AC理論を唱えて儲ける専門家たちは、自分たちにとって一番楽な状態の人しか相手にしません。具体的な事をしなくて良くて、心理的なものの具合だけを診ていれば良い状態の人、過去の事で精神的に問題がある人、これらの人たちなら過去の事だから、今現在具体的に人権救済しなくてよいわけだし、ただでさえ、親の事で肉体的な暴力でもない精神的心理的抑圧なんて、そんな昔の事で・・・と言われるのが落ちで、グチや不満ではなく本当にわからなくなったり混乱したりして話したとしても、親の変な話をするというふうにしか受け取られなかったりする傾向にあるから、そういう専門の心理の療法家しか、自分たちの事をわかってくれない!と思いつめさせそこに依存させたり、信仰させたりする事もできる。
自分たちのところに来ない人たちの事はサバイバーと呼び、さも来ないのが変みたいに思わせる。
成人後も困った親から逃げている人たちもいる。そういう人は助けないのだから、おかしい。
413 : 没個性化されたレス↓ : 2007/11/22(木) 10:43:37
おばさんになってからの自認でしたから、既に生き辛さへの改善は進んでいたのですが、
嗜癖と自責の負のループに陥っていたのですがACと自認した途端、解放されました。
2. 思考の偏りの起因を知り、改善が進む。その際自己嫌悪から解放される。
AC論が正しいとしても、正しくないとしても、また自称だとしてもそれが役に立てば良いのではないかと思います。
極論、機能不全家族が原因で無いとしても、その考えに辛さを預けて進めれば良いのでないかと。
ただ、ACが免罪符であってはならないのでしょう。自己の努力が不可欠であり、その時こそ、AC自認が有効に働くと思います。
(意外にこの特効薬を求めてACを知りたがっている人が多いような気がする)
今抱えている問題は過去に起因していても、今の自分の問題であるという事ですよね。
414 : 没個性化されたレス↓ : 2007/11/26(月) 09:00:50
>413
誤った疑似科学的概念が人に仮の安定をもたらすというのはよくあることだ。
ここは学問板なので出て行ってもらいたい。
またそうした方が幸せは長続きするだろう。
それに耐えうる概念のみが生き残る。
事に気づいているからこそ、
415 : 没個性化されたレス↓ : 2007/11/26(月) 09:52:07
仮の安定ですか。
仮の概念により得た安定の方が私にはしっくりきます。勘違いなのかな?
そういう意味でも学問板に書く資格が無いのは確かでした。本当にそうですね。
申し訳ありませんでした。
416 : 没個性化されたレス↓ : 2007/11/26(月) 11:59:34
>415
例えば「全ては神の思し召し」ということで安定する人もいる一方、
そこと格闘しなんら安寧を獲得せずこの世を去る人もいるわけです。
AC概念は控えめに言って「視点を固定した時そう見えるだけという誤認」にすぎません。
それでもよければどうぞ。
親に対して、細かい指摘ができる(細かく正当な指摘ができると言う意味)はてなブログの方でも、心理療法家についてはあまり疑ってないみたいだったけど
この方の親程度に自分に都合が良い事をするその手の専門家はくさるほどいると思う。
精神科医でも、ACとはまた別の話で、NHKでもうつ病の薬について、医者がわかっていて儲けのために依存させる事もあるかのような特集も前やっていたのを見た。わかっててやったかどうかはわからないが、今は規制されてると思うけど、リタリンで依存症を起こし、離脱症状などでわけがわからなくなりまだ若くて健康だったのに、自殺されてしまった方の遺族が訴訟を起こしていたのもニュースで見たことある。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1271342947 目を通すだけでも通してほしいのですが、(タイトル)
抜粋
>心療内科、精神科に行ったら、もっと惨めな気分にさせられ実際泣いて帰ってきた…
>これはあくまで私の私見ですが、
>精神科医の半分強、カウンセラーのほとんどが、ほんとうはその本人がケアを求めていると私は思っています。
>「あなたは甘えている」
>という言葉の裏には、
>「私はあなたより苦しいのに、なんであなただけ治療を受けられるんだ!私だって甘えたいんだ!」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1425822034 うつ病の診察中に精神科医からの言葉に精神的ショックを与えられました。
はてな日記の親の心理的搾取を理性的に指摘されている方も、機能不全という言葉は信じて使ってらっしゃるようでしたし、自分が精神科医にかかった時に、医者に言われた事で、微妙な事でカチンと来た事や無駄なアドバイスだと思ったと言うような指摘は書いてありましたが、精神医療の構造的な欠陥 (昔 医師会の当時の会長に「家畜経営」と言われた精神病院の経営の仕方など、自分たちの利益のためなら人を壊す事も構わない、人間を獲物にしてる) までは、関係ないからという事もあるでしょうけど、全然言及されてません。
弱みがある人間が行けば、いい餌食にされる可能性は、弱みの無い人より高いと思います。 悪い医者ばかりではないと思いますが、精神医療はいろいろと矛盾を内包して闇の部分が多すぎます。
ACというものについては、学問板といっても、2chなのでスレ内では、自称とか言って責めるような意見も煽りとして存在してました。しかし、アダルト チルドレン オブ アルコーリック でも アダルト チルドレン オブ アビューシブ ペアレンツ でも アダルト チルドレン オブ ディスファンクショナルファミリー でも アルコール依存症の人と一緒に子供時代を過ごし大人になった人 という意味や、虐待する両親の元で子供時代を過ごした大人 という意味や、機能不全家庭で子供時代を過ごした大人 という意味なら、ACは居る、存在している、と言えると思います。
しかし、AC専門家?サイトで13の特徴とか、非科学的な啓蒙活動をするのは、間違っているのではないかと思うし、そこに挙げられているようなACというものについてなら、居ない と言えるのではないかと思います。
参照URLが間違っていたので返信されていたことに気づかず,
気づいてそうか納得できないかーと思っていたら,こちらですでに納得していたんですね.
これまた参照URLが間違っていたので気づかず..
すでに納得できたようなので特に返信することもないのですが,
質問の回答を書いてしまったので貼り付けておきます.
GTDについてはあんまり良く知らないのでなんとも言えませんが,
こんな風に書いているので,人生の目標をGTDで探すのは不適切なのでしょう.
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/0812/31/news002.html
しかしデビッド・アレンさんはここで彼の経験に基づくアドバイスをしてくれています。それは「日々の仕事を片付けられないと、将来の目標など見えてこない」というものです。日々仕事に追われていたり、ストレスにさらされていると将来のビジョンは描きにくくなります。疲れた頭では自由に未来を創造することは難しいでしょう。日々の仕事をコントロールする術をまずは身につけることによってのみ、トップダウンのアプローチが可能になるのです。
将来の目標や価値観について考えをめぐらせることは悪いことではないですが、ボトムアップから始めたほうが結果的に自由な思考が可能になるかと思います。
やるとしたら,おそらく「人生の目標を探す」というプロジェクトを登録し,
次のアクションとして「○○を読む」「○○について考えをまとめる」とか登録するのではないかと.
具体的に将来の目標を考えるための手段としては他の方法を試すべきなのでしょう.
下記は目標達成可能性最大化を実践している知り合い(東大卒)から薦められた本です.
http://www.sukima1gyou.com/loglog/eid1092.html
上記の記事で、スティーブンの父親(アレン)がこの件に関して言っていることが、いいこと言っていると思うんだけど、ちょっと意訳されすぎじゃね?と思ったので、訳出し直してみます。
インタビュアーの「スティーブンがミーム化されたことによって何か変わったか?」との問いに対しての答え。
何かは変わったでしょう…。でも、何も失われてはいません。
妻と私は、昨晩、夕食の席で、スティーブンのことを考えながら、この件に関し、芸術の意味について少しの間話し合いました。
子供の写真は芸術のうちの初歩的なものですが、原則は、同様に適用されるのです。
芸術は、完成されたとき、又は公表されたときに、解き放たれます。
その〔解き放たれた〕時点で、作品の「意味」は、創作家にとっての問題よりも、鑑賞者にとっての問題になるのです。
そしてこれらの〔鑑賞者の〕イメージは、様々な変化を通じて、様々な受容のされ方や再解釈を産むのです。
ヘビ頭のスティーブンには、スティーブンや妻や私の中にあるよりも、遥かに多くの「日本文化」が存在しているのです。
私はこの画像を、風変わりで、めちゃくちゃな、ユーモアと慣習の構造物を見ても……幹か? それとも根か? としか思えません。
引きこもる空間を与えているからそもそもいかんのでは(http://anond.hatelabo.jp/20100624142449)
コメントありがとう。
http://anond.hatelabo.jp/20100624140030なんだが、
人から干渉されずにその世界に入ることができ、かつそこが安息の空間なら、一生そこから出てこられないよね。外のみんなは一所懸命努力しているのに。
いや、子どもの部屋にはパソコンもテレビもないんだ。持ってるのは携帯ゲーム機のみ。パソは親のものだ(ペアレンタルコントロールかかってる)。
ただ、昼間は誰も家にいないから、独り占め状態だけどね。
だから欲望を通すために親側にコミットメントしようとする。その時に「高校合格したら」とかの条件を付ける。そうすりゃ初速くらいは得られるのではないか。
携帯ゲーム機を取り上げ、リビングのテレビも捨てて「高校合格したら」と言ったら、やる気になるんだろうか???
親に何かを禁止されたり、取り上げられたりすることで、自発的に意欲がわいたり、それが長続きしたりするかい?
あと、引きこもっているといっても、学校以外の場所に出て行くのはOKなんだな。けっこう、外出はしてるよ。
だから、それをなんか、プラスに結びつけたいとは思っているわけ。
今のままだと、そういうことになるよね。
本人もそれはわかってると思う。
だから、闇であり、迷路なんだな。
もはやジブリの黒歴史となってしまったゲド戦記(映画)。映画のゲド戦記の主人公のアレンは、どう見ても、少年犯罪の凶悪化を念頭に作られている。(原作は違うらしい)で、同じように、少年犯罪の凶悪化を念頭に作られている代表的なキャラが、エヴァンゲリオンの碇シンジ。一方は黒歴史、もう一方はアニメ界に歴史を作った大ヒット。何が違ったのだろうか。
まぁ、ぶっちゃけて言えば、ストーリーや時代を考えると何もかも違うから比較のしようがない、という意見ももっともなのだけど・・・あえていえば、ゲド戦記のアレンは「全く共感できない主人公」であるのに対し、エヴァンゲリオンの碇シンジは、「そこそこ共感できる主人公」なのだ。なぜって、アレンは、作品の冒頭で父殺しを行った上、その理由が映画の中でとうとう説明されないまま話が終わる。一方の碇シンジは、性格的な問題は多少あるものの、ちゃんと殺人行為に激しく抵抗する。同じようなキャラに見えて、やっていることが全く違うのだ。
結局、主人公に全く共感できない話というのは、受けないのだと思う。ゲド戦記は、アレンの父殺しの設定を入れなければ、まだ、救いがあったかも知れないのに、と思えてならない。
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アレン・カーさんの「ダイエットセラピー」なるものを読んだのだが、いくつか「ほほう」と思った点。
以下はダイエットに関連する内容だが、同時に健康な食事について考えさせられた。
加熱などの加工や、味付けを必要とせず、そのまま食べておいしいものを積極的に取りなさい、と。
この書では、フルーツ、野菜、ナッツ類などがそれ、と書いている。
言われてみて、自分がいかに普段「誰かが味付け・加工したもの」を食べているんだろうと思った。
「そのまま食べておいしい」という概念さえ考えた事なかった・・・
もちろん野菜やフルーツも品種改良(人の手が入っているし)や農薬の問題もあるけど。
生まれて初めて有機野菜に興味が湧いた。
これが本当なのか良く分からなかったんだが、
ライオンとかの肉食動物は、実は「草食動物が食べた植物」を食べているらしい。
つまり、ライオンは捕らえた動物の胃などの中の植物をメインに取っているんだそうだ。
肉ばかりたべるのはハゲタカとかハイエナ→だから醜い顔してるでしょ?だそうです。
それに肉は基本的に熱したり加工しないと食べられない食べ物だから、
「そのまま食べておいしいもの」にも当てはまらない。
(魚の刺身とか生で食べておいしい超高級な牛肉とかどうだろう)
↓
牛乳も、大人の牛には必要ないもの
↓
なぜ人間に必要なのか?
だそうです。
(自分が子供の頃1日に取る水分の半分以上を牛乳で取っていたな。)
朝食は「そのまま食べておいしい」フルーツだけを取るのが一番良いそう。
朝ごはんがフルーツ、というのも変な感じだけど、すぐ慣れるよって書いてある。
試しにここ数日食べたが、空っぽの胃にミカンとかバナナ食べても全くもたれないし、
むしろすごくスッキリした気持ちになる。
他にもコーヒーがダメで水が一番良いとか色々書いてあったけど、
まず朝食にフルーツを取るだけでもすごく体に良いらしいので、それを続けてみようと思ふ。
アメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズ経営破綻のニュースが流れました。
私たち1997年大学入学世代は、外資系企業に就職する東大生が増え始めた世代でした。何人かの同級生が外資系企業に就職していきました。有名どころのゴールドマン・サックスなんかに就職していったのは、たしかにずば抜けて優秀な奴らでした。9.11テロの時は、「あのビルでつい最近まで研修受けてたよ。今は日本に帰ってきているから大丈夫。」なんて電話をして安全を確認したものでした。
でも、みんな既に「元」ゴールドマン・サックスとか、「元」ブーズアレンという肩書きになっています。みんな三年以内にやめちゃいました。たしかに高い給料をもらっていたようですが、それ以上に厳しい毎日だったようです。体をこわした人もいます。本当にタフな親友が弱音を吐くのを初めてみたのは、彼がゴールドマン・サックスに入って3年目の秋だったでしょうか。
私たちは、官僚と法曹界が急速に輝きを失っていく中での新天地として外資系企業に道を見出した世代でした。その後、ホリエモンのおかげで一瞬だけやってきた起業ブームを挟んで、外資系企業の高給ぶりが広く知られるようになって外資系ブームが続いていましたが、それも今回のリーマン・ブラザーズ経営破綻で、新しい局面を迎えるのだと思います。
流れをまとめてみると、
> 官僚
↓
↓
東大出たからには収入は他人の20倍に!でも安定は諦める
> 起業
↓
↓
東大出たからには収入は他人の5倍欲しい!会社での生存競争はどうにかなるさ
> 外資系
↓
それなりにリスクはデカイと思ってたけど、会社倒産って!? ←今ココ
↓
???????
大きな流れとしては、どれくらいのリスクを受け入れるかという点で試行錯誤しているんですよね。でも、そういうチキンレースって、本来は東大生の得意分野では無いわけで…。
私は、再び官僚への回帰がはじまると思います。単なるチキンレースに参加するよりは、うまみも減ってしまったけれど、安定とそれなりのやりがいを見出せそうな官僚で頑張ってみようかという流れです。
そのためにも、「高い収入と絶対の安定」という本来両立しないはずのものを受け取ろうとあがいている上の世代の官僚を徹底的に健全化する必要があると思います。そういう世代間の不公平感が、一番やる気を奪うものですから。
インターネットホームページの住所にあたるドメインで、国内の個人や団体に割り振られる「.jp」の登録数が1日現在で100万3285件と、100万件を超えた。「.jp」のドメイン名を管理する日本レジストリサービスが4日発表した。1年前の同時期から約10万件増えた。個人がブログで情報発信を進めていることなどが増加につながっているという。
電網基点頁の住所にあたる域で、国内の個人や団体に割り振られる「.jp」の登録数が1日現在で100万3285件と、100万件を超えた。「.jp」の域名を管理する日本レジストリサービスが4日発表した。1年前の同時期から約10万件増えた。個人が電網日記で情報発信を進めていることなどが増加につながっているという。
こんな感じ?
一応JISのX0001からX0020に情報処理用語ってのがあるんですけどね。昔に決まったのは、たまに新聞にある「読み出し専用外部記憶装置」とか、そんな奴だったりする。
ちょっと平手打ち食らったくれーで親に泣きついて、教師が処分されるなどあってはならんことだと思う。一昔前は....なんて親父臭い言い方だけど本当に一昔前は悪さしたら平気でげんこつ喰らってた。本気ビンタで一瞬意識が飛ぶようなこともあった。でもその痛さで大人の怖さを知り、自分の犯した過ちの度合いを知ることが出来た。実際に痛かったビンタやその時の先生の顔は今でも覚えている。
今の子供の大半は先生なんぞ何の権力も持たないクソと思ってるよ。担任の先生が気にいらなけりゃ自分たちで悪さして先生を挑発して担任を変えるなんて事は朝飯前。そしてそのことを悪いとも何とも思わない。誰が悪いかって言うと親と教師、つまりは大人なんだけどね。子供が可愛いのか知らんが甘やかしすぎてその後に起こることがわかってねぇ。
当然こんな育ち方した子供は心の奥底に目上の人に何をしてもいいという教えを刻んで生きていくよ。そしてそれは紛れもなくあなたたち親に降り注いでくるよ。ませたこと言ったってガキはガキなんだ、精神の未熟な心が成長過程にあるガキは指導する人間によって大きく左右される。本当にやってはいけないことをした場合は殺す気で殴ればいいんだよ。その殺意を肌で感じたときに初めて己の行為を振り返るんじゃないの?
やぁ、元増田だ。
どうやら、本当にわかってない人達がいるようだね。
http://www.suzaku-s.net/2007/12/kosei-kyouiku.html
http://anond.hatelabo.jp/20071214154638
円環的時間に子どもを閉じ込める、というのは、どういうことか。個性を育てる教育とか要らないとか、ゆとり乙とか、そういう話じゃない。
http://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/blog/node/1870
ある方からのタレコミ。小4のお子さんが学校で長方形の面積を横×縦で計算したら減点された。学校に問い合わせたら,担任にも教務主任にも縦×横が正解と言われたとのこと。横×縦でも同じになることを自分で見つけたならば褒めるべきところを減点するようでは,創造性を伸ばすなというようなもの。
こういうレベルの話だ。俺は30年くらい前に小学校の作文授業で、「習っていない漢字」を書いたことによって減点された(日本語としては間違っていない。ただ、「まだ教えていない」ことだけを理由に×をつけられて減点された。理由も明記されていた)。「ゆとり」時代にカリキュラムにあったかどうかは知らないが、「つるかめ算」を意図しているであろう設定の問題で、空気を読まずに二元連立方程式でさっくり解くと、×になる。あくまでも、つるかめ算の操作を暗記して再現するのが算数のテストの答え方だという。ちなみに、ちょっと気の利いた学習塾などに行くと、さっくり解いたあとで求められる操作に数字をあてはめておくといいことぐらいは教えてくれる。このほうがまじめに空気を読むよりは速い。でも、答案用紙に連立方程式の痕跡は残しちゃいけない。
学習指導要領をどう弄ろうが、これが日本の公教育のスタンダードだ。
毎年、「あまり代わり映えのしないこと」(これ自体は、初等・中等教育では、ある程度はそういうものだろう)を教えつづける、という円環的時間の中にいる教師が、生徒を育てるのではなく、自分の授業が自己完結し続けるという循環の材料として子どもを使うという構図だ。その中において、教師の授業の「上を行く」子どもの行動は、夾雑物として扱われる。
一見、「創造性を育む」ようなお題目の内容であっても、「どのような流れでどのような形の解答にたどりつくか」ということが、教師の想定範囲に留まることが求められてしまう。そして、これは個々の授業内容に留まらず、どういうカリキュラムを学校として提供するか、という学習指導要領などの作成にも反映されているし、さらに敷衍すると、社会形成の全てにわたり、よくみる若者カルチャー叩きの構図と重なっていく。文化として、別に良くも悪くもない、というか、どうでもいいことが、単に老人の分からないということだけで罪悪視される。
モンスターペアレンツ叩き事例をよくみると、茶髪やピアスといった、それ自体は正直どうでもいいことについての「生活指導」に対する親の異議申立てが混じっていたりするよね。もちろん、それは自身が茶髪であったりピアスをつけていたりする親への叩きにもなっていたりする。
なんてことを書かなければもう少しまともな文章になったのに。
こういうのが親としての当然の権限・権利行使?
http://anond.hatelabo.jp/20071211052203
まともな事実!!? www
結局のところ、日本の指導的ポジションにいる老人達は円環的時間のなかに子どもを閉じ込めて、自分達の予期可能な範囲のことしか出来ない人々だけを生産したいってこと?
イノベーションとか口先だけだよね。社会を変革できるような人材、したいような人材は、叩き潰したいと思ってるんじゃないかというか。もちろん、子どもの親は、彼ら老人より若いので老人達とは考えが違うので、信用されていないし、決定権も奪われている。「モンスターペアレンツ」って、要はそういうことだ。親としての当然の権限・権利行使にはモンスターのレッテル。
梅田もっちーとか、エンタメとしては読まれても、あそこで肯定されているような人材がうまれやすい環境作り、なんて話は、フルボッコで否定だよね。うちの会社も、もっちーを社内講演に呼ばなくなったな。もっちーから切った可能性もあるが、どうも会社的にああいう話は禁句になったっぽい。一次元の価値観の中で、ある層以上は官僚か大企業サイコー、地方では地方公務員か教員、これ。そこからこぼれそうな人達は、それなりに。さらに下に非正規雇用。「けものみち」なんてものは、あってはならない。あったら生コン流し込んでおけ。「学習の高速道路」?日本にあるのはアメリカのフリーウェイじゃなくて、料金所がたくさんある有料道路。そして、学歴という通行許可証を集めないと、通ったことにはならない。
そして、ネットのコミュニティ、なんてものからは子どもを切り離せ!!!という大合唱。もちろん、大人になっても、ネットのコミュニティに参加しない、参加しても二次的、というのがいいこととされている。コミュニケーションは、地縁・血縁・学閥・職縁つながり。結婚はもちろん、そういう縁つながりの見合いが恋愛結婚より格上、ネット恋愛とかは論外、という価値観。
それで、どう世の中みんなが食っていけるのか、よく分からんけどさ、経済のパイを増やすよりも、そういう序列と秩序の維持のほうが上、という空気が、最近満ち満ちているように感じる。
ちょっと長いが聞いてほしい。
近年の子供は、集団による言葉攻めや、相手を孤立させる村八分などの、ちょっとした暴力よりもよっぽど凶悪な攻撃を行う。
携帯メールなどが普及したこともあり、その手口はますます陰湿で極悪になっている。
そしてなにより、虐めがあまり気軽だ。まるでメンコで遊ぶ感覚で虐めが行われる。
通常このような虐め、すなわち攻撃にあった子供は、状況を打破するために反撃を試みるはずである。
孤立させられている状況を考えると、反撃の手段は拳によるものになるだろう。
反撃は攻撃を、すなわち虐めを緩和させるための防衛手段だ。
攻撃者も、反撃というリスクを理解していれば、いじめにも慎重になる。虐めは無益だと気づくだろう。
攻撃すれば反撃される、必死に抵抗される、場合によっては自分も致命的なダメージを負う、
というシステムは動物でも熟知している自然の摂理だ。当たり前のことである。
ところが、虐められた子供が虐めた子供を殴ると、どういうわけか虐められた子供が非難される。
理由はどうあれ、最終的に暴力を振るった人間、相手を目に見えて傷つけた人間が最も悪いそうだ。
もし、このようなシステムを許容すると、できるだけ早く虐めを始めた子供が圧倒的優位になる。
相手を孤立させて虐めれば、反撃の手段を拳に限定できる。
しかし拳は「暴力はよくない」というステレオタイプにより禁止されている。
虐めても、顔に傷を負うとか、目をつぶされるとか、そういったリスクがない。
昨今の加害者過保護の風潮もあいまって虐めが発覚しても、それほどしかられることもなく、処分を受けることもない。
虐めが気軽に行われるのはリスクがないからである。虐めはノンリスクなのだ。
最後のストッパーになるべき教師も、昨今ではもはやただの案山子、親御の奴隷。
ノンリスクであるから、虐めに歯止めがきかなくなる。やり放題だ。
虐めの標的になった子供はサンドバッグになるしかない。逃げるしかないのだ。
どこに逃げるのだろう?
引っ越すのか?
人格を消すのか?
死ぬのか?
この状況に疑問を持たない大人はいないだろう。
モンスターペアレンツの問題も、学校へのクレームに関するノンリスクが問題ではなかろうか。
言い放題なわけだ。結果として教育現場が混乱し、自分の子供のデメリットになるのだが、そのリスクを理解していない。
そのようなシステムの穴、ノンリスクを利用する人間は、悪人か馬鹿である。
自分の子供がノンリスクを悪用する馬鹿に成り果ててもよいのだろうか?
それは虐めた子供にとっても自然のシステム、行動とリスクを理解させるチャンスであり、
虐められた子供にとっても自分を守る手段なのだから。
リスクを理解できなかった子供は二世モンスターペアレンツになるかもしれないし、
守ってもらえず、同時に自分の身を守る手段を奪われた子供は人間不信になるかもしれない。
どちらも攻撃者となれば、それはけんかである。子供のけんかは大賛成だ。
けんかを許容するシステム。ある程度のけんかで仲裁できる教師。
今の日本にはこの二つが必要である。
それにしても、現代人は「暴力は悪い」というステレオタイプに踊らされすぎではないだろうか。
私は正しい暴力もあると思うのだ。
自分の中学ではイジメとかカツアゲとかハブりとか村八分とか教師虐待とか日教組とかモンスターペアレンツとかはあったよ。クラス内でで授業を聞いてノートとってるのが自分だけのときもよくあったし日教組系の教員からいわゆる自虐史観教育も受けたし不登校はクラスに数人はいた。
その他諸々の不吉な単語やらとは全く無縁だったように思う。
(声がこもってる。なんか不潔。目が暗い)キャラなヤツも
ふつーにみんなと談笑してたし
様々な奇行を経て(主に厨二病)、
うざったらしいくらいに連中、机くっつけてくるし。
先生もまぁタマにキレることあったけど
時には冗談をまじえつつ、
その実やっぱり自分の武勇伝を語りつつ、
平々凡々な面白みの無い授業をするふつーのセンセだったし
みんなもそんな授業をとりあえずは
真面目に受けてる風に取り繕うふつーの生徒たちだった。
もちろん、たまにお茶目がすぎることもあったけれど。
先輩後輩関係も至ってふつー。
表面上は敬語を使いつつもおちょくったり、おちょくられたり。
他校の友人の話で世の中には「下克上」なるものがあるというのを知ったときは大層驚いた。
そりゃまぁ、万引きで呼び出されるワルも一人二人いたさ。
でも、そいつらだって人をイジメたり、傷つけたりするような奴らじゃなかったし
万引き発覚しても一日二日たてばまたみんなとフツーに馬鹿やってた。
だが、俺らには関係ない子だったし、
理由なんて気にする必要ないだろ?
俺の周りはふつーに平穏だったんだしな。
そうだろ?それで良かったんだ。
何を俺は今更不安になってんだ?
単にオイラの読解力が無いだけかもしれない、という言い訳から入るけど。
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20070211/p1
別に『賃金水準は、絶対的な生産性で決まるんじゃない。その社会の平均的な生産性で決まるんだ。』って部分にそんな文句はないけど、とにかく煽りすぎだろこれwwwww
前回述べたように、こうした企業が高い生産性を実現できるのは、その他の人々の支えがあればこそ、ではある。そうはいっても、やっぱり肝心なのはすさまじい労働生産性を達成している製造業なんだよ。
とりあえずこれを信じることにして(http://anond.hatelabo.jp/20070212044554って意見はあるけど)、これと
実はサービス業の多くは、あまり生産性が高くないんだよ。(中略)でも、だからこそ第三次産業/サービス産業は雇用吸収力がある。
これで、何故
になるのかさっぱり分からん。教えてエロイ人。
はてなに巣くうお気楽大学生どもが、バイトで途上国の高級官僚の何倍ものお金を稼げるのも、究極的にはシャープやソニーやスズキのおかげなんだよ。腐ったアーティストだの、エコロジストだの、勉強不足の新聞記者だの大学教師だのが高い給料をもらってのほほんとして、大企業批判にうつつをぬかしていられるのは、実はかれらが往々にして忌み嫌う大企業の大量生産システムのおかげなんだ。2ちゃんねるに巣くう(一部の)くされニートどもだって、その安楽な生活はかれらがとかく批判したがる大企業が高い生産性を実現している余剰にたかっているだけなんだよ。
んじゃもう、生産性的に(比較的)労力の無駄食いが多い部分なんてゴリゴリカットして、99%ってのは多少言いすぎにしても、これからは大企業様の恩恵を賜りながら僕ら皆でニートしてりゃいいんじゃね。マジで。出来ればその方がシアワセだと思うよ、僕は。
後どうでもいいかもしれないけれど
もっと卑賤なほうへ! メイド喫茶の女中さんがいる。日本の女中どもは、やはりメイド喫茶のあるタイの女中さんの数十倍の時給だ。どうして? 日本の女中さんはなんか手際がいいの? 目にもとまらぬはやさでオーダー取るとか? 「お帰りなさいませご主人様」というのを 100 倍の速度で言えるとか? 日本ならタイの女の子の 100 倍の媚びを売って、萌え度 100 倍、タイの女中喫茶なら平気なキモヲタくんが、アキバの女中喫茶だと店に入った瞬間に萌えオーラでいきなり射精とか? ねーよ。
ここの小見出しが『生産性の国際比較――サービス業は世界的に大差ありませんわよ』なんだが、サービス業をこんな感じで比較することに意味があるのか?よくわからん。タイでティーポット傾けられても、日本のご主人様のティーカップには一滴たりともお茶は入ってこねーべ。
あー、感覚的に世界を縮めまくってるとか?
それなんてストレイト・クーガー。
たとえば、ぼくは先日、ウィリアム・バロウズ&アレン・ギンズバーグ『麻薬書簡』という本を訳した。所要時間は一日半。しかも品質最高。一方、この本には既訳があって、某大学の先生がどっかに缶詰にされて「たった二週間で仕上げた」と自慢し、しかも「やっつけ仕事だ」と自負なさるとおり、目を覆うばかりのまちがいだらけ。この場合、ぼくの生産性と、この大学の先生の生産性のちがいは簡単に計算できる。時間だけで見ても、ぼくの翻訳の生産性はこの先生の 10 倍弱。品質を考慮すれば 20 倍以上だろう。
どれだけ数量作れたって、価値が無けりゃ意味が無いんじゃないんですか先生(いや、別に翻訳本に価値が無いって言ってるわけじゃないです)。生産性って生み出した物そのものによるのか?生み出した価値によるんじゃないのか。
上のメイド喫茶の話でもそうだけど、なんかこの辺りが(主に僕の中で)よく分からんことになっとる気がする。タイで「お帰りなさいませご主人様」って言われても、その笑顔も見えなきゃ声も届かない日本のご主人様にとってはほぼ無価値だもんなぁ。