http://www.sukima1gyou.com/loglog/eid1092.html
上記の記事で、スティーブンの父親(アレン)がこの件に関して言っていることが、いいこと言っていると思うんだけど、ちょっと意訳されすぎじゃね?と思ったので、訳出し直してみます。
インタビュアーの「スティーブンがミーム化されたことによって何か変わったか?」との問いに対しての答え。
何かは変わったでしょう…。でも、何も失われてはいません。
妻と私は、昨晩、夕食の席で、スティーブンのことを考えながら、この件に関し、芸術の意味について少しの間話し合いました。
子供の写真は芸術のうちの初歩的なものですが、原則は、同様に適用されるのです。
芸術は、完成されたとき、又は公表されたときに、解き放たれます。
その〔解き放たれた〕時点で、作品の「意味」は、創作家にとっての問題よりも、鑑賞者にとっての問題になるのです。
そしてこれらの〔鑑賞者の〕イメージは、様々な変化を通じて、様々な受容のされ方や再解釈を産むのです。
ヘビ頭のスティーブンには、スティーブンや妻や私の中にあるよりも、遥かに多くの「日本文化」が存在しているのです。
私はこの画像を、風変わりで、めちゃくちゃな、ユーモアと慣習の構造物を見ても……幹か? それとも根か? としか思えません。