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はてなキーワード: 青年とは

2020-11-23

年代青年が海に山に恋人と連れ立って青春謳歌しているというのに

薄暗い部屋に閉じこもって昼夜逆転して女叩きしてエロ絵でシコって

惨めだわ、悲惨だわ、青春と呼ぶにはあまりにも悲惨すぎるわ

2020-11-20

なんでおれがツイッター作れないのかと悲しくなる

いま40歳ぐらいで、中学生ぐらいかインターネットの普及始まったし、ネット界の成長とともに思春期青年期を過ごしてきた。

HTMLホームページを作ってみようって世界を見ながら育ったし、

スタイルシートってこんなことができるんだよってページだって読んだんだ。

なのにどうして俺はちょっとしたWebサービスの一つも作れないんだろうか。

どうしてツイッターだのインスタグラムだの、優れたサービスを作ることができなかったのだろうか、

という気持ちになった。

 

でもまぁ大正まれからってみんなテレビ作れたわけじゃないし、あたりまえよな…

今の高齢者自分自身高齢者介護したことがないから己の危険性を理解できない

中年層は介護経験を持っている人が増えてきたおかげで認知症高齢者介護の大変さを身を染みて理解してるのが増えてきたが、

現在高齢者過去高齢者を働きながら介護した経験がないので自分危険性を理解できてない。

戦争経験者もしくはギリギリ戦争に行かなかった世代は老人のいない青年時代を過ごした。

その上でどんどん認知症が進み、統合失調症のように時間感覚あいまいになり、自分が何をやっているのか理解できずにさら暴走していく。

尊厳死を求める声が出てきているのも高齢者自身ではなく、危険高齢者たちをみて同じことをしたくないと思っている介護者の意見からだ。

anond:20201120105158

あー

そのパッケージ臭、ワイが小学館青年マンガ誌を読まへん理由やわ(スピリッツとか)

2020-11-19

訳す

ツイートの箱が邪魔だったので記事は斜めにしか読んでいない。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hoarding-examples.hatenablog.jp/entry/2020/11/18/%E3%80%8A%E5%BD%A2%E5%AE%B9%E8%A9%9EA_if_%E5%BD%A2%E5%AE%B9%E8%A9%9EB%E3%80%8B%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0%2C_awkward%E3%81%AE%E8%AA%9E%E7%BE%A9%EF%BC%88%E3%83%90%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%BB

https://hoarding-examples.hatenablog.jp/entry/2020/11/18/%E3%80%8A%E5%BD%A2%E5%AE%B9%E8%A9%9EA_if_%E5%BD%A2%E5%AE%B9%E8%A9%9EB%E3%80%8B%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0%2C_awkward%E3%81%AE%E8%AA%9E%E7%BE%A9%EF%BC%88%E3%83%90%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%BB

IT HAD BEEN more than twenty years since I'd traveled Asia. Our seven-day tour started in Tokyo, where I delivered a speech on the future of the U.S.-Japan aliance and met with Prime Minister Yukio Hatoyama to discuss the economic crisis, North Korea, and the proposed relocation of the U.S. Marine base in Okinawa. A pleasant if awkward fellow, Hatoyama was Japan's fourth prime minister in less than three years and the second since I'd taken office -- a symptom of the sclerotic, aimless politics that had plagued Japan for much of the decade. He'd be gone seven months later.

私がアジア歴訪してからかれこれ二十年以上になる。七日間の行程の初日東京で、米日同盟未来について演説し、総理大臣鳩山由紀夫と金危機北朝鮮沖縄にある米国海兵隊基地移転案について議論するため面会した。鳩山は好ましいが若干コミュ障のきらいのある人物過去三年内で四人目、また私が就任してから二人目になるになる総理大臣だった──これは、日本過去十年紀の大半において蝕んだ硬化症的、無目的政治の症状であった。その七か月後に彼も去ったのだった。

"if awkward"に対するコミュ障という訳語は、原文にはそぐわないが、純粋意味を伝える目的では最適だと思う。書籍ならばぎこちないとした方が適切だ。独特というのは多少余計にオブラートに包んでいるかもしれないと思うが、まあTwitter治安の悪さを鑑みて専門家が言うならば正しいのだろう。当時2ch辺りでロンパリだとかルーピーだとか(今にして思えば身体的特徴をあげつらうのは随分だと思う)言われたような、よく言えば理系っぽいあの雰囲気を指す語と考えていいのではないだろうか。「君はいい友人であったが、君の父上がいけないのだよ」というセリフの中で「いい友人」に込められている「御しやす些末なことで慌てる様子に見ていてほんわかするアホさがある」というニュアンスと似たような感覚かもしれない。なお、"A pleasant if awkward, Hatoyama was..."と並ぶのは「ご紹介しましょう、少々コミュ障だが気さくな青年鳩山君です!」というような演出効果を与える書き方。


「厄介な同僚と指摘した」と報道するのは英語力がお粗末と言わざるを得んな。

2020-11-15

anond:20201115004547

昭和の頃は青年会とか先輩との付き合いとかで16歳からみんな酒飲んでたけどあんまり若いうちでのアル中って聞かなかったな

2020-11-09

なぜメンヘラは治らないのか: 常識的観察

精神疾患病識治療意思を持つことが難しい。問題が表面化した段階にはだいたい病気であることが当たり前になっている。特に思春期青年期に深刻な事態になると健康である自分イメージが本人にも周囲にも分からない。

つぎに、自己医師・(いれば)援護者が全体像理解するのが難しい。二次障害翻弄されることはもちろん、二次障害とその病歴・治療を軽視するのも良くない。治療全体像を描いて、今何をしているのか自覚的にならなければ、患者漠然とした無力感を与え治療から離脱を招く。

最後に、環境を変えるのが難しい。家族学校職場扶助を陰に陽に前提とする社会で、これらがむしろ原因になっているケースが多く、対処手段が少なく助けられづらい。助けられなくて当たり前だと本人も周囲も思っている。特に心理的環境は表面的な情報から実態が見えてこないので、患者本人との接しづらさも相まって無視無理解が至るところで生じている。

2020-11-06

情報科学なんかを専攻しちゃった人はかわいそうだよね

人を本当に尊敬することを覚えられないからね。

たとえば、数学物理文学などの世界には、人類史に輝く大天才がいるんだけど、情報科学にはそういう人いないよね。まあ、せいぜいノイマン程度か。

これからIT時代だ、みたいなブームに乗せられて、こういう浅い学問青年期を費やしてしまうと、人生価値が下がってしまう。

学生諸君自分の将来をよく考えた方がいい。

あのヘルメットを被りたかった

そこにはテレビで見たことがある、かっこいいヘルメットが置いてあった。

私は思わず手にとって、そのキラキラした装飾の細部や目元を隠す黒いツヤツヤのゴーグルに見惚れた。

子供向けの、戦隊ヒーローなりきりヘルメット。今思い出してもなんの特撮ヒーローだったかはわからない。

それでも当時、遊びに行った名前も思い出せない男の子の家で見つけたそのヘルメットに、私は一目惚れしていた。

それを被ってみようとした時、冷水のような声をかけられた。

「それは男の子が遊ぶものからダメ!」

持ち主の男の子が、ヘルメットを私の手から取り返す。

それから、二度と触らせてはもらえなかった。



小学校中学年のころ。ミニ四駆がかっこよくて好きだった。

当時テレビにかじりついて見ていたレッツアンドゴーというアニメに出てくるミニ四駆は、どれも魅力的でかっこよかったのだ。

頼み込んで買ってもらった一台のミニ四駆

完成させて眺めているだけでは飽き足らず、私は母と買い物に行くたび、ミニ四駆別売りパーツをせがんだ。

改造すればどんどん速くなる。アニメの作中で出てきたモーターは絶対に欲しがったし、コーナーを曲がるために必要ベアリングも買ってもらったし、ダウンフォースを発生させるためのパーツも揃えた。

私には年の離れた兄と姉がおり、末っ子として多分かなり甘やかされて育ってきた。

なにか欲しい物があれば、買い物に行くたび必ず一つは高価でなければ買ってもらえた。

他より少し高いウルトラダッシュモーターは特によく憶えている。手に入れた嬉しさでずっと手の中で眺め回していた。

他とは明らかに雰囲気の異なる、速さを強調するUltradashという金色の印字に心躍った。

そうやってコツコツ集めたパーツや工具はお菓子の空き箱に収まらなくて、これもアニメで見たようなミニ四駆用のかっこいいレーサーズボックスをねだって、買ってもらった。多分、クリスマス誕生日ときだ。

ミニ四駆をパーツや工具とともに持ち運べるアイテムを手に入れてしまったのだ。

そして次に興味がでてきたのがミニ四駆大会だった。

アニメでは少年たちがみずからチューンした自慢のミニ四駆を複雑かつ巨大なコースで走らせている。

アニメほどではないにしろ現実でも地方大会や某テレビチャンピオンなんかで何レーンもある長いコースが用意され、それらで競い合うことができる。

大会では独特な格好をしたタミヤのお兄さんが実況でレースを盛り上げてくれる。

とても、かっこいい。

でも、私は一度も大会に出たことはなかった。

家で、レーサーズボックスを開けて、ミニ四駆モーターを交換したり、専用の充電池を充電したり、ボディに穴を開けて軽量化に勤しんだりしていた。

女の子がいないから。

ミニ四駆大会で、紹介している映像写真を見て、私は気づいた。女の子がいなかった。

しかしたら写っていないところで何人かいたのかもしれない。

でも、小規模な大会だとしても数十人は集まるあの場所で、女の子ミニ四駆を手にレースを楽しんでいる姿を、私は見つけられなかった。

ミニ四駆は圧倒的に男の子の遊びで、男の子が触るおもちゃ

いつだか、父が「女の子が(そんなもの振り回して)恥ずかしいでしょ」と刀のおもちゃで遊ぶ私に苦言を呈した。

今思えば、狭い家の中で棒状のものを振り回すな、危ないという意図で注意していたのだとわかる。

実際、家の中で暴れまわってガラスの戸棚を割ったりしたことがあった。私はそこそこ家庭内ゴリラだった。

それなのに、私は女の子大会に出るのが恥ずかしかった。

周りは男の子しかいないのに、ミニ四駆を持って出かけていくのが。

なんで女の子ミニ四駆で遊んでるの?と言われるのが、想像するだけで実際にそう言われたわけでもないのに、怖かった。

それでもミニ四駆を走らせたい願望が高じて、ダンボール紙で部屋の中にミニ四駆コース手作りした。

もちろん、正規コースと違ってガタガタで粗雑な道。

ミニ四駆コースアウトしまくった。

複雑なものが作れないから、ただのO字コースなのに最初カーブを曲がれる確率が四分の一くらいだった。

激しく宙を舞うミニ四駆

私はアニメ必殺技と重ねて「マグナムトルネード!」と家の中で叫んだ。コースに復帰したことは一度もない。

母は男の子っぽいおもちゃを欲しがることに、特に反対しなかった。

いつも男の子っぽい趣味のものを売り場から持ってくる私に「これがいいの?」と不思議そうな様子で、それでも嫌な顔せず買ってくれた。

多分、年の離れた末っ子からワガママもよく聞いてもらえたんだと思う。

年の離れた兄の部屋は私にとって魅力的なもので溢れていた。

少年漫画から青年向け漫画パソコンゲーム機、かっこいいロボットポスター

私は嫌がられながらも入り浸ることが多く、自然と『男の子っぽい』ものに傾倒していたんだと思う。

兄の部屋にはメガドライブがあったから、私は今でもどちらかと言うとソニー派よりセガ派だ。

同じく年の離れた姉の趣味にはあまり興味がわかなかった。自分の中でワクワクする要素が薄かったのだ。

父はたまに冗談交じりで「まーた男の子みたいなおもちゃ買ってもらって」と言った。



成人してから平成仮面ライダーに触れた。

現夫と付き合っていた頃に、彼の方が仮面ライダーにそこそこ詳しく、新しく始まるライダー見てみよっか、と軽いノリで一緒に観始めたのがきっかけだ。

お互いオタクなので、色々と見る作品シェアしがちである

逆に言えば、そのきっかけがなければずっと敬遠していたかもしれない。私の中で特撮モノはなんとなく遠ざける傾向にあった。

そして観始めた。

もう、ドはまり

やっぱり変身して戦うヒーローはかっこいいな!!!という思いを強く、強くした。

大人の鑑賞にも耐えるビターな展開が多めだった仮面ライダー自分趣味とも合ったので、それからは毎年観られる限りは続けて視聴している。

大人の財力で手に入れたCSMベルトも我が家にある。

放送当時はなかなか手に入らなかったメダルも一式揃って同時発売の専用ホルダーに大事しまっている。

我が家にいる0歳児のイタズラする手の届かないところへ。

彼女がもう少し大きくなったら一緒に番組を観て、もし気に入ったのならベルトで一緒に遊ぼうと思っている。

プリキュアのほうが好きだと言うなら一緒に見るし、戦隊シリーズのほうが好みなら合体ロボット全部そろえて買ってくる。

どれにも興味がないならそれでもいい。

彼女の好きになったもの肯定していくつもりだ。



今思えば、あのヘルメット男の子にとって大事おもちゃだったんだろう。

自分大事もの勝手にいじくりまわされたら、それは怒る。私だって怒る。

当時の私はそんな配慮も知らない未就学児だった。それでも、その男の子の態度が今でも思い出せるくらい強烈な記憶として残った。

ヘルメットを取り上げられたことより、『男の子が遊ぶものから触っちゃいけなかった』ということに大いなる衝撃を受けたのだ。

男の子おもちゃ女の子が遊ぶのは恥ずかしいでしょ』

度々、周りの人から口にされた言葉鵜呑みにしていた過去自分

当時の『男の子っぽい』ものが好きで手に入れられなかった子どもたちと比べれば、私は恵まれていたんだろう。

それでも『男の子っぽい』おもちゃで遊ぶのは家の中だけ。男の子たちが楽しそうに遊んでいる『男の子っぽい』遊びには参加しない。

逆の場合しかりで、私は『女の子っぽい』遊びをする男の子バカにして、囃し立てたことがある。

自分と同じように傷ついてきた子に対して、同じ言葉で傷つける。なんて不毛で、馬鹿たことだったんだろうか。

ならいくらでも抵抗できる。大人から

恥ずかしい?

なんで、恥ずかしいの?

私たちは、恥ずかしいことをしているの?

「僕のものから触らないで」

そういう言い方じゃなかったことに、私は当時から続く男の子向け、女の子向けおもちゃ呪いのようなものを感じていた。

しかしたら親から言い聞かせられていたのかもしれない。おもちゃ屋で当然のように分けられる○○向け、の雰囲気でそう感じたのかもしれない。空気感暗黙の了解普通は。だって

そんな悪意のない制限物心つく前から課している世の中が窮屈だなと思っていたところに、バンダイクリスマスカタログについての記事を見た。

ライダー好きの女の子、プリキュア好きの男の子にも。2020バンダイクリスマスカタログが変わった件 - プリキュアの数字ブログ

2020年にして、ようやく、あのよくわからない呪いが解かれ始めている。

私は少し泣いてしまった。

自分は間に合わなかったけど、子供にあらゆる選択肢を与えられる親でいたいと思う。

2020-11-04

[]87日目

なわとび:602回

ボクシング:109kcal/21歳

徒歩:110.4kcal/3590歩

体操ザムライ見てて、フィットボクシングやるときも一つ一つの動作を丁寧にやっていこうと思った

少し前から夜明け前」をちょっとずつ読んでて、この間ようやく1部が終わって折返し地点に来た

島崎藤村自分のお父さんをモデルにして書いた幕末から維新にかけての歴史小説

1部の前半は木曽街道馬籠宿の庄屋の平穏暮らしぶりが描かれるばかりなのだけれど、後半に入ると怒涛の勢いで日本の情勢が転変していく様が描かれる

まり情報量の多さに幕末素人自分めまいがするような心地がした

主人公の半蔵は幕末青年らしく、自分日本のためになにかしたいと焦りを募らせるのだけれども、彼が依って立つ平田篤胤国学思想というのがどうもちょっと曲者

本居宣長あたりから発するものらしいのだけれども、神の国である特別日本古来のものを大切にしてそれによって国を作っていこうというもので、中国由来の儒学などの排斥を主張し、神仏習合を廃して純粋神道を取り戻そうと言っている

これって、詰まるところは日本SUGEEEのネトウヨ思想先祖なのではないか

半蔵くんは(ローカルな)ネットで真実に目覚めてしまった残念な子なのでは

ついでに日本各地で寺をぶっ壊しまくった犯人貴様らだったのか

なんというか半蔵くんの先行きに不安しかなくて、この先を読むのがちょっと怖い

2020-11-01

とんかつDJうける

くそ映画ってゆあれてたけどおもしろかった

アガった👆






── 追記 ──

がらんとしたダンスホールシャッターの降りた飲食店

専門家は言う「もう、コロナ以前には戻れない」。

それは嘘だ。

映画とんかつDJアゲ太郎』が、あの頃の気持ちを取り戻してくれるからだ。

とんかつDJアゲ太郎』は渋谷舞台だ。

主人公勝又太郎北村匠海)は、やりたい事がないために実家とんかつ屋「しぶカツ」を継ごうとしているモラトリアム青年

しかし、父親勝又揚作(ブラザー・トム)に「(その気がないなら)継がなくてもいいんだぞ」と言われてしまう。

気落ちしていた揚太郎出会ったのがクラブWOMB」だった。

まず、邦画として、かなりできの良い音楽映画だ。

プレイリストを見ても納得が行く。CCMusicFactoryの「Gonna Make You Sweat」やMaroon5の「Sugar」等ポップな曲を使いつつも、クール・ハークが発見した「Apache」を何度も使用するなどクラシックへのリスペクトは欠かさない。全体的にヒップホップEDM・ポップの新旧曲を満遍なく使用している印象がある。パンフレットを見てみると、監督音楽プロデューサー等複数人選曲をしたらしい。それが偏りを避けることにつながったのだろう。

そして、美術が素晴らしい。

しぶカツのセットはまるで映画「タンポポ」に出てくるラーメン屋のようで、「円山町ソウルフード」らしい説得力のある店に仕上がっている。

出てくるとんかつも美味しそうだ。湯気に包まれ金色の衣から油がしたたる映像を見ると生唾が止まらない。パンフレットには「とんかつ濵かつ」の協力があったとのこと。本物のプロの仕上がりなのだ

とんかつ屋の主人を務めるブラザー・トムに至っては、もはや美術定義していいほどに頑固オヤジがハマっている。

それでも、本作における一番の貢献者は北村匠海さんかもしれない。

太郎の真っ直ぐで不器用キャラ表現しつつも、ダンスキャベツの千切り・DJ自身で行っているスーパーマンだ。カオスパッドを器用に操る彼の姿にはビックリした。バンドDISH//」でボーカルを務める彼は、映画『サヨナラまでの30分』でも美声披露していたが、やはり音楽センスがずば抜けているのだろう。

各所で批判されているYoutubeシーンの安っぽさだが、僕は評価している。

何も持たない所からビデオカメラを引っ張り出しお手製のミュージック・ビデオを撮る。これぞ、まさにヒップホップじゃないかしかも、アメリカ文化そのままにスケートボードグラフィティを撮るのではなく、現代日本風のタッチに置き換えたのも素晴らしい。

ストーリーにも言及せざるを得まい。

乱れ打ち方式ではなく、じわりと笑わせてくれるギャグ。何度壁にぶつかっても立ち向かう揚太郎の姿。そして、余韻のあるハッピーエンドエンタメ作品として上等に仕上がっている。

DJシーンも、あれほど長尺で用意されているとは思わなかっただけに不意を突かれた。やっぱり音楽映画ライブシーンがたくさんないとね。『涼宮ハルヒの憂鬱ライブライブ)』も『けいおん!』も『響け!ユーフォニアム』もそうだろ。

コロナもなく事件も起きなければ、第二の『翔んで埼玉』になってもおかしくなかった。今や叶わぬ夢だ。

だが、あの頃の渋谷の、あのアガった街を確かに描写している。それが『とんかつDJアゲ太郎なのだ

地の文一人称で冷静沈着かつ頭脳明晰みたいな主人公が、成長物語ってわけでもないけど√別で価値観変わるのって何かうーんってなるな

全体としてはゆっくりとした変化なんだけど、読者として受け入れ続けてきた主人公がバッドエンドとはいえ唖然とする選択をするのが流石にキツい

でもリアルで年単位青年期ならそれくらいの変化は当然するしリアリティでもある

主人公も読者も気づいていない主人公普段の一面や変化をヒロインからふっと指摘されるのは、別に強く感動はしないのだけど、何かよかった

書いてて思ったけどこれ単純にハッピーエンド好きの一種かな

受動的な主人公自発的に行動するときそれは善に向かって欲しいっていう

2020-10-30

anond:20201029131859

生々しい欲望駄々洩れさせると言えば普通にジャニーズアイドルなんかモロにそれだよね。

あの不自然に「子供っぽい」顔の青年男性がイキりスマイルで微笑みかけてる写真なんてもう欲望駄々洩れで、一体どんな連中がこれを好きなんだろうと見ていて大変微妙気持ちになるけど

よりフェミニズム的な言い方をすればあの「他者欲望を内在化させられた奇形の肉体」を見ているだけで実に痛々しいんだけど

ではそれを規制することが正しいかという話になると、かなり、なかなか難しいですよね。

なぜか? それはやはり「明白な規準を設けることが難しいから」だと思うわけですよ。

「誰が見ても奇形的で欲望の内在化で身体対象である」という説明は誠にその通りだと思うけど、それってそれらの概念理解できる人向けの説明であって、万人に理解できる説明ではないですよね。

そこをどうするの?って話だと思うんだけど。

勉強しろよ」では済まない話じゃない?それって。

漫画版鬼滅の刃のvs鬼舞辻戦に思うこと(ネタバレ注意)

あの最終決戦って色々批判されてるけど、一番はこれまで散々勧善懲悪勧善懲悪って言われてた癖に鬼舞辻に対してだけ勧善懲悪じゃない所でしょ。

勧善懲悪って「悪を懲らしめて善を勧める」って書いて勧善懲悪なのに鬼舞辻にちっとも「善を勧めて」ないじゃん。

それどころか心優しい主人公で、海のように広い心を持ってるはずの炭治郎ですら、鬼舞辻の言い分どころか存在まで全否定してぶっ殺してんじゃん。

それじゃ何の意味もないし、炭治郎のキャラがブレてるよ。

折角の子供人気なのに、子供に悪影響だよ。

せめて、鬼治郎が人間に戻ってる最中、引っ付いてくる鬼舞辻を足蹴にしつつ

地獄に落ちて罪を償え!!!何千年、何万年、何億年かかってもな!!!

「…それで…少しは良い奴に生まれ変われ…!」

ぐらいは言っても良かったと思う。

追記

もう読んでないかもだけど一応返信しておきます

>作者の自由だろ

鬼滅の刃は人に売り物として出されている作品であり、言わば商品である品質ちゃんとしていなかったら文句言われんのは当たり前。

>それよりも転生後の現代の方がひでえ、鬼舞辻以外全員は転生してたら良かったのに

あれは確かに酷いが、酷いのはそこではない。鬼の中には人の時に悪い事をしないで鬼舞辻に無理矢理鬼にされた人(珠世や浅草青年など)もいるが、殆どが己の選択で鬼の道、要は悪の道に進み、人を食っているので全員とは思わない。たとえどんな状況であっても、人殺し悪事をしない、あるいは最小限に留めて、鬼にならずにあの世に行った人の方がずっと真人間に近い。

貴方意見は鬼舞辻のみを過剰に貶めたいだけだ。

>話の途中から復讐譚になった

みんながみんな復讐に染まるのはどちらかと言えば、青年向けやもっとヘビーな層向けの漫画雑誌でやるべき事じゃないか?いずれにしろ少年漫画しかも天下のジャンプの子供人気がある作品でやるべき事じゃないだろう。また、単純にコンセプトが変わったにしても、炭治郎のキャラがブレていい理由にはならない。

記事内で批判している点については同意する。カナヲのような味方側でも外道寄りの考えをするキャラ自爆特攻をするキャラは一人二人居ても良いと思うが、みんながみんなそのようになるのは倫理的に偏りを感じる。批判否定する立場キャラを作るべきなのは確か。

勧善懲悪を誤解している。勧善懲悪の本当の意味は「善いことをしよう!悪いことをすると罰があるぞ」である

これは私の考えが少し早り過ぎていたのと単純に説明不足であった。謹んでお詫び申す。

というわけで補足を書いた。(補足の方が長くなってしまった)

何故、私は炭治郎に対してここまで優しさを求めるかと言うと、単にキャラがブレているのが気になるからだけではない。

というのも、悪人からといって殺してもいいのだろうか?

悪人だったら死んでもいいし殺しても良いし何をしてもいいという考えは、デスノート主人公夜神月と全く一緒だ。

この考えが行き過ぎると最悪の場合、鬼舞辻と同レベル悪人にまで落ちる事になる。

かに鬼舞辻は最低なヤツだし死んでもいいのは私個人価値観として否定しない。

だが、それでも無限列車編でウユニ塩湖ように広い心を持っていた炭治郎であれば、例に挙げたようなほんの少しの慈悲を見せても良かったのでは無いだろうか。炭治郎の言う優しさというのはその程度のものだったのだろうか?

また、炭治郎は作品主人公であり、言わば顔でもある。そんな最重要子供の見本になるべき立ち位置にいるキャラが己の信条である『優しさ』を通さずに何を通せるというのか。正義を通すなんて以ての外である。それも話の終着点、最終局面という一番の重要場面で。終わりよければ全て良しって言葉もあるぐらいなのに、その逆であれば作品は全部だめだ。それでは折角積み上げてきた素晴らしい話が台無しである

何も殺さずに許せなんて言うつもりは全く無い。大事なのは罪をひたすら責めることよりも、償って善人になるよう促す事の方だと思う。人間は誰しも間違えるのだから、間違いや罪を認めて更生や改心を促す事の方が大事だ。それをキチンと描写して子供に学ばせるべきだと私は思った。

2020-10-29

anond:20201028222117

ならそれを手放しなさい

何も相続できなかったアフリカの人々に分け与えなさい

   

← それを聞くと、青年は悲しそうな顔をして、「先生、私は先生弟子にはなれそうにありません」と言い残して去って行った。青年日本で生まれ育ったことで大きな恩恵を受け続けていると自覚していたのである

2020-10-28

子ども〉のための哲学永井均)を読んだ感想 前半

理解」をどう考えているか、これについての私の根幹(基礎)はオートポイエーシスに準じている。

オートポイエーシスの詳しい説明は省くが、神経細胞情報伝達を行う際、シナプス行為理解しない。ひとつ作業を行うのみであり、結果のための行為連想しない。シナプスにとっては、「物質を伝達する」という行為目的であり結果となり、それらが組み合わさって何が起こるかを理解しない。

まり、最終的に現れるもの(たとえば人体の中で起こりうる結果反応など)はすべて、「行為副産物」としてしか存在し得ないということ。これは非常に重要事実である

本来理解」というものもそのように行われるべきである。一番重要なことは「わからない」ことである。わからない、を通過しない限り、「理解(と呼びたくなるようなもの、それに準ずる、付随する周辺のものもの)」を得ることはできない。

これについては同授業を受け持っていた河本英雄の「飽きる力」なんかを読めば少しわかると思う。

この文を書き始めた当初は、この前提を元に本文を整理していこうと最初は考えていたのだが、結局本文に「哲学哲学をしている瞬間にしか浮上しない」とはっきり銘打たれていた。だからもはや、一文を取り上げて「ここの箇所は〜」などと言語化することは意味を持たない。それ(ここでは〈哲学〉とする)が"それ"たらしめるやり方でのみ、発見できることであるならば、そう(そのやり方で)やる他ないと思うので、それに倣おう。

あとあちこちに書くのも煩わしいので、一度に留めるが、わたしが書いている内容について読み違えや相当しない批判(等)があれば、気づいた場合指摘してほしい。(それこそがきっと哲学なのだろうし。)

はじめに(5p)、から問いの合間に(125p)までを読んで

・〈哲学〉(「哲学」ではない)について

本文にあるようなやり方の〈哲学〉については実感がある。実感はあるが、しかしそれは子どもの時からすでに最初から青年の」〈哲学〉であったように思う。少なくとも、目の前に与えられた課題は年端のいかない子どもには大きすぎたし、それについて、しかし取り組む以外の選択肢を(子どもながらの純粋性ゆえに)持つことができなかった。だから最初から、なぜ〈他者〉がいるのか、という疑問は生じずに、〈他者〉と対峙するにはどうすべきか、をひたすら〈哲学〉し続ける時間が幼少期〜思春期であった。

からなるほど、やはり「疑念」が問いを生むのであり、疑念を持たないものは問いに遭遇しない。よく感じる違和感は、「問いを持たない人間」と(「問いを持つもの」と)の世界の断絶である世界には大きな断絶があるということを改めて実感したのだった。(断絶の是非はここでは問わない)

・〈ぼく〉という特別さの有無について

さて、書いたようにわたしは「なぜ〈ぼく〉が存在するのか」という疑念を持たなかったのでその問いに衝突していないし、そして付随する「〈ぼく〉という存在特別さとはいかなるものか」という問いにも当たっていない。しかし読み進めていくと、「特別さ」を論じれば論じるほどそれは「一般性」に落とし込められていくという矛盾が現れ、結局「言語での言い換えを繰り返すよりほかない」という結論(?)に達している。とりあえず本文の結論についてはさておき、わたし感想を書いておく。結果から述べると永井均認識論的傾向(95p)とは真逆であり、非存在論的(本文に即して使う)立場にいると言わざるを得ない。

まず78pに自分が二人に分裂した際に、もう片方をどう「認識」するかという問題。少なくとも、それが「〈ぼく〉であるか、でないかは、ワカラナイ」というのがわたし意見である。つまり意識としての〈ぼく〉が2地点に存在して、それぞれの思考でそれぞれを〈ぼく〉としない、という前提にどうしても立つことができない。

特別さの証明からは少し離れるが、「攻殻機動隊」という作品はこの独我論観点なしには見ることができない。登場人物たちは車を買い換えるようにボディ(身体)を換えることができ、脳(アニメ内では脳核と呼ぶ)に宿った意識アニメ内ではゴースト)はそのままで、新しい肉体を得る。しかしそれは本当に連続性を伴った自己なのか?確認するすべはない。

まあ結局、「確認認識)できるとしたら」という前提で論じている内容において、反駁することはない(できない)。なので、真逆認識論にたった時に、どのようにしてその「特別さ」を得るかというのを考えてみるとこうである他者認識できている限り、その「特別さ」を論じることはできない。理由はなんでもいいのだが、例えば「論理他者に向かって開かれている」ことは明白である。少なくとも、本書のように、本は他者が読むことを前提として書かれている。おそらく永井均としては「普遍化できない偶然性の問題」を「論理」立てることこそが〈哲学である、ということを言いたいのではないか、と思う。しかし、わたしの知る範囲ではそれは矛盾する。であればやはり(今の所は)前提を変えてみるしかないのである

ないことの確認はできない。つまりそれを鑑賞する他者がいないことを確認できない位置に移動して、ようやく「特別さ」が浮上するのではないか。そしてそれはすなわち、99pで引用されているウィトゲンシュタインの一節に他ならない。結局は「理解されない」ということを目指さなければ、少なくとも「特別さ」を論じることにはならない、ということだろう。

(余談だが99p9lの永井解説についてはまだ理解が追いついていない。いずれ何度か読み直してみよう)

言語言語性について

ウィトゲンシュタインの本を読んだことはないが、ウィトゲンシュタイン友達をつくらず、本当に人里を離れてたった一人で暮らしていたという逸話を知っていて、勝手に親近感を寄せているのであるが、それはともかく彼の主題命題)に「言語」があったというのは興味深い。

わたしは〈哲学〉についての興味をある時点である程度(完全にではないが)喪失した。それはそもそもわたし最初に向き合った命題が「他者」であり、自己ではなかったことなんかも関係していると思う。そして、「他者」を自分なりに〈哲学〉して18年くらいたったころに、自分なりの「納得」(102p)に到達してしまった。本来、〈哲学〉のみならず、人生だとか生きるだとかいうことは「満足」を永遠に避けることだと考えている。「得て」しまったらそこはゴールなのだ。ゴールっていうのは何にもない場所だ。しかし、「他者」に限っては、(とにかくわたしがそれを生きる上で最も苦手としているがゆえになおさら結論を得てしまった。そしてわたしは〈哲学〉する目的(あるいは理由)を喪失したのだ。

しか言語に関する関心が残った(に関する関心は重言だろうか)。本文でも「読み換えが無限になされる場所(98p)」について書かれているが、この点に関してわたしは非常に興味がある。物事表現が、「言語分野」に大きく偏っている人間社会面白いことに動物社会とは全く異なるらしい)において、その役割は異常なほどである言語をどのように理解し、駆使するか(論理思考など)、これを〈哲学〉とどう関連づけるか、というのも面白い命題である。例えば思考についていうと言語以外の役割が大きい。つまり「頭の中で考えたことを文章にする」というのは、その時点で「考えたこと」から抽出が起きているのである。おそらく永井のいう〈哲学〉は「考えたことまで全部」を含むはずであるから抽出された、アウトプットされた結果のみを受け入れる(ざるを得ない)という現状には実は即していなかったりするのではないかわたしは今の本業言語ちょっとだけ"学")なのであるが、こういった観点を与えられるのは、やはり読書(時には他者自分の内側に入れてみること)もいいなあと思った。

・世の人が平均的に上げ底を見ようとする世界は遠い

なんにしても、とにかく、「無駄」が必要である(115~116p)という、それこそが本質であるという点にはその通りなのでその通りとしか言いようがないし、やはりそうであった、という安心を再び得る。結局資本主義的な世界にいると、いつ何時も、寝ても覚めても視界に入ったものから、耳に入ったものから、全てにおいてから常に四六時中見張られ、「資本主義的な価値観に即して生きているか」を刷り込みをされ続ける(そしてこれはきっと死ぬまで終わらない)。おそらく、これは想像しかないが、哲学をやろうとアカデミーなかに駆け込んで、その中で安息を得たとしても、その「刷り込みから逃れることはできないのではないか。(数学者望月先生のように「数学を生きる」ことができるレベルまで達せられていればもしかしたら、刷り込みから逃れられているのかもしれないが、これもまた憶測の域を出ない)

〈ぼく〉という特別さの有無を求めるより圧倒的に明快で単純で本質的なこと(無駄を生きるということは)なのに、たまたま、悲しいことに、全くもって信じられないほどの不運な状況であるがゆえに、それが通用しない(しづらい)世界にいるのだ。それを嘆くことは10年くらいやって飽きたが、時折(残念なことに恒常的な機会を得ていない)こうして「本質」に触れることで「正気」を取り戻すというのは大事作業である

さて本文の(前半部分の)感想は異常であるが、2点反駁したい箇所があるのでそれも書いておく。

1箇所目(17p,9l)

あっさりと「哲学し続ける内的必然性をなくした」などと書いてあるから吃驚仰天である。内的必然性と引き換えに得ることができるものほど「瑣末な」ものはない。これでは魂を売ったのと同義ではないか。何度か他の場所でも書いているが、「価値観他者に阿るのは心臓他者に預けているのと同じことだ」とわたしは思う。他者自己存在理由にはなり得ない。少し引用を用いるが「心の哲学まとめWiki」より、一文。「〈私〉とは世界を開闢する場であり、そこから世界が開けている唯一の原点である」と考える(『〈魂〉に対する態度』p.123,p.187) 。

その原点である自己をなぜ切り売りできるのだろう?「欠陥を売り物にする方法で得た救い」なんていうチンケなものはさっさと捨てるべきである世界とつながる唯一の原点=〈私〉をもっと大事にしなさい。

2箇所目(111p,11l)

この人は政治政治議論をなんだと考えているのだろう。そもそも、少なくとも望むと望まざると関わらずに(生まれた時からすでに資本主義社会に生きているように)、法治国家に生まれしまったのだから、その国家の参画者である限り「政治を避けて」は生きれない。自ら国籍を捨て(例えばスノーデンのような)、亡命を図るなどの意図画策があれば別であるが、生きていれば必ず住民税がかかり、ものを買えば必ず消費税を払っているのと同様に、政治をせずに生きることはできない。酸素をなくして呼吸ができないのと同義だ。なのにこの人はまるで自分政治、または政治議論したことがないかのように宣う。しかし指摘したいのはそのアティテュードではなく、政治議論方法についてである

自分と同じ主張を別の論拠から擁護してくれる人は、最もたのもしい協力者だろう」とは一体、どうしたらこんな思想にたどり着けるのだろうか。圧倒的に間違っている。(これだから日本左派は無様なんだ)

はっきり言っておくが、政治議論はその主張の是非ではなく、その論拠にある。だから全く異なる人間政治家)を支持していても、その論拠次第によっては戦友となりうるし、同様に全く同じ政治家を支持していても論拠によっては一線を画する必要があるのだ。当たり前の話であるタイムリー話題したことだが、「マスクをつけないということは、マスクをつけたくないという人間擁護する態度を含意しない」。これは明白で、結果(マスクをつけない)が同じだからと言って論拠が異なる場合、それは全くもって「たのもしい協力者」なんかではあり得ない。

5000字も書いてしまった。後半は気が向いたらかく。

anond:20201023222401

ロト紋原作要素を一見かなり取り入れてるのに中身別物すぎて違和感あったけど

ダイ大はわりと最初から別物だったか普通に楽しめたな

ロト紋ドラクエ3独自アレンジしまくった青年向け漫画とすれば

ダイ大はドラクエ要素を取り入れたオリジナルファンタジー王道少年漫画って感じだった

2020-10-27

発達障害かもしれない姉との関わり方

増田(35)の5つ上の姉(40)は軽度の発達障害なのではないかと思うようになった。

ただの書きなぐりでオチもなにもない。姉との関係に強いストレスを感じているのでここに吐き出す。


増田:35歳、女、独身IT系正社員コロナで在宅勤務中。

姉:40歳バツイチ子持ちパート労働子ども中学生

両親:ともに67歳。父は定年後、地域ボランティアをしながらまったり生活、母は専業主婦

2世帯5人家族ひとつ屋根の下暮らしている。


姉は知的レベルが高くなく、人とのコミュニケーションにおいて問題を起こしやすいのである

子供の頃:周囲の人より勉強時間が多いのに勉強ができない

思春期青年期:他人をけなすことで自分の優位性を保とうとする

・成人期以降:他人から指摘を受けると「攻撃」とみなして怒り出す


コロナで家にいる時間が増えて、姉の人となりをいままでよりもよく見るようになってきたが、

・気に食わないことがあると家族相手でも人間関係にヒビが入るような暴言を平気で言う

・幼稚で極めて自己中心的性格傾向

が非常に色濃く目立つのである


姉は子供の頃は親が勉強しろと言わなくても自発的勉強机に向かっていたが、

成績は決して上位ではなく、よくて中の上くらい。

父の意向中学受験をするもあえなく失敗、その後、高校受験普通高校合格する。

姉は文系科目、現代文古文漢文日本史世界史は一切ダメ

数学化学は人並みくらいにできていた。あ、英語もできなかったな。

勉強机に向かってる時間は人の2倍、3倍あっても、成績はそれに応じなかった。

からすると何も言わないでも勉強机に向かっているので、

増田勉強しろって言ってもなにもやらないけど、姉ちゃんは言わないでもやるから偉い、

そういう表現をよくされていたが、子どもながらに、なんでそんなに勉強してるのに成績が

そこそこでしかないのか疑問でならなかった。


そんな姉は大学受験を志すが、ごく一部の理系科目でしか得点がとれないので、

合格圏内大学は俗に言うF欄しかなかった。

いくつか受けて、受かったのは1校だけ。いくつ受かろうが通えるのも1校しかないが、

それでも、F欄大学をあそこまで落ち続けるのはなぜなのだろうと疑問だった。


姉の大学生活の話はたいてい自分よりも成績が悪い人や留年してる人を

バカにする発言がとにかく多かった。

自分より下の人を探してバカにするのが日課なのかと思うくらいに。

就職に際しては、希望する職種があって、それを中学卒業文集にも書いていて、

父親も知っていたこから本人の意向確認し、仕事コネを使って、

採用前提の顔合わせをセッティングしてきた。


ところが、姉はその顔合わせをバックレるのである

職場の方が約束時間になっても姉が来ず、携帯もつながらないので、

事故にあったりしていないか心配になって自宅に電話がかかってきた。

当然ながら、家族会議であるが、姉はごめんなさいをするわけでもなく、

就職の世話なんて頼んでない、大学先生に紹介してもらうことになっているから、

そっちは断ってくれ、などと言うのであった。

父の紹介先のほうが待遇もよく、希望職種就職できるのにである

アカハラなどが横行するようなレベル大学でもなく、断っても卒業に支障はないのに、

当日何をしてたかも語ることはなかったようで、今も理解できない行動であった。


姉は就職とともに一人暮らしをはじめたが、2年ほどしたところで、

突然退職してきて実家に戻ってきた。

理由職場の人と付き合ったが別れ話がこじれたことらしい。

その後は実家に住むことになるが、新たな就職先も2年ほどで辞めてしまう。

理由職場上司と反りが合わない、というだけで辞めてくるのである

そんな理由で?と思うような理由会社を辞めてくるのである


2社目を辞めたところで、その当時付き合っていた男との間に子どもができたのを

きっかけに結婚をする。デキ婚である

しかし、旦那となった男は稼ぎが十分でなく、とても無職の姉と子ども

養えるものではなかった。

両親もデキ婚で苦労をしてきたので、不憫に思ってマンションを買い与えるが、

住み始めてしばらくしてから、姉が自分一戸建てに住みたいんだ、と文句をいうので、

当然ながら夫婦ゲンカは耐えない。ケンカと言っても姉が一方的

旦那罵詈雑言を浴びせるものだった。

親族の集まる場でも、自分旦那バカから、が口癖でどうしようもなかった。


かねた両親は新たに一戸建てを買い与え、

これで落ち着いて暮らしていけるかと思ったが、収まるどころかより一層、

姉の暴言はひどくなる一方で、当然ながら離婚である

ここまで結婚してから1年と経っていないのである

別れた旦那がえらいと思うのは、そんな姉に子供養育費を今も欠かさずに

振り込んでいることである子どもへの愛情はあるんだなと


その後はパートなどにいくも、半年や1年で辞めてくる、2年続けば良いほうだった。

家庭での会話は、パート先の同僚(といっても自分よりも年長の人たち)の

PCスキルが低いことをバカにすることだったり、

自分がF欄卒を差し置いて、付き合いのある人の子どもが受験する学校のことを

バカにするようなことばかりであった。

父が一度、子どもへの影響を心配して、人様の家のことをそんなに言うもんじゃない、

と叱るも、別に外で言ってるわけじゃないしバカからいいじゃない、

なんで私が怒られないといけないの、と斜め上のキレ方をした。


の子供はというと、そんな姉に甘やかされて育ち、友達親子みたいになっていて、

親がやるように周りの人をけなす言動の多い子どもになってしまっているので

将来が思いやられる。


そして、コロナである

姉はパート社員のなかで緊急事態宣言から間もなくして、まっさきにクビを切られた。

増田と両親からすれば、普段の振る舞いからして、そりゃそうだろうなと思うほかなかった。

その後、現在に至るまで、ただ家にいて、ネットしてるか酒飲みながら子ども

会うこともない誰かの悪口を言う日々である


いまは増田の両親も健在だから、なんとか、やっていられるものの、

両親の身に何かあったとき、この姉が協力的になるとは思えずどうしたもの・・・

2020-10-24

anond:20201024183030

飛び降り青年はたぶん時間の流れがゆっくりに感じたと思う。

落ちている間、彼は何を考えただろうか。

どんどん近づいてくるJDを見て彼は何を思ったのだろうか。

胡蝶綺、第十話で信長がいきなり眼鏡オッサンになっとるが…。

九話までは少年青年の間って感じだったのに。

一話で何年飛んだんだ…(史実に沿えば、二年は経ってない筈)

男子三日会わざれば…っすか。否、急に老けすぎでしょ。

2020-10-22

anond:20201022120751

これほんまそう、思ったこと大体言ってくれてて笑った。

「年が若くて美人なら天使のように優しいはず」ってのは少年青年?)漫画かにある謎ハーレム?設定(読んでないかネット上で垣間見るイメージしかないけど、あまり取り柄のない男性主人公美少女たちが取り合うという構図)の影響かなと勝手想像していた。

「天は二物を与えず」の言葉通り、顔面の造りが良ければ他にどこか欠陥がある、と考えるのが一般的かと思っていたけどね。

(ただ実際には天は二物も三物も与えまくってるやん、と思うことはしばしばある。)

2020-10-21

あなたにとって増田とは

増田は最高だ

おれは暗い少年時代を送っていた

そのまま暗い青年時代突入した

そして暗い中年時代差し掛かろうとしている

物心ついた時から暗黒だ

そんなおれに増田は光を、与えてくれた

希望はあるんだよ、と教えてくれた

待ってろ超富裕層、おれが、このおれが増田

おれの志は成功に導くだろう

かならずお前らの仲間入りしてやる

かならずホットエントリに入り、ビッグマネーを掴んでやる

この手にあらんばかりの金を

女を、この手に!

2020-10-20

anond:20201020193029

青年向けジャンプのどれかにフセインを撃ち殺しに往くカメラマン(なんでや)のマンガも載ってたなぁ。。。

anond:20201020095221

むかーしの、大原まり子SFに、そんなのあったなー(ジジイの顔と意識認識誕生して、成長するにつれて青年少年→幼年、と純心な精神構造になり、生誕当時の下品で粗野な言動を悔いて消滅してゆく人生

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