はてなキーワード: 雨戸とは
一人暮らしから結婚してもずっと1階角部屋を移り住んでる者(男)です。
私の場合、垣根が高かったり、ベランダが歩道側じゃなかったりして、窓の外は通りで人が窓のすぐ横歩くみたいなシチュエーションは無かった
また、ベランダ→駐車場→道路→公園という物件だったら、人通りもそこまで気にならなかった(夏祭りの時くらいはうるさかったが、それも風情)
ただ、女性の場合は外が見えない垣根=中に入ったらバレない。なので、防犯上危険かも。通り魔的な泥棒は階数関係ないけど、ストーカー的な計画たてた変態には危険。ちなみに、窓や雨戸ちゃんと閉めていれば、泥棒には入られたことは無い。
ちょっと異様だと思う
確かに紫外線が老化を招くことは俺も知っているが、家の中にいるときですら1時間半ごとに日焼け止め塗りなおす。洗濯物を入れる、新聞を取りに行くなど一秒でも屋外に出るときは、そこからさらに塗り重ねる。もちろん一緒に買い物や遊びに行くときなども、日焼け止め塗るからトイレ行くと言ってしょっちゅうトイレに行く。朝、起きたら妻はベッドサイドに置いた日焼け止めを塗る。終わるまで決して開けてはいけない。どんなに明るい日でも、雨戸を締め切って部屋の電気をつけている。俺が一緒にいるときは仕方なく開けているが……。真夏でも絶対に長袖長ズボンで、つばの広い帽子を欠かさない。何やらよくわからないサプリをたくさん飲んで、トマトやらをバクバク食べている。
妻との共通の趣味はキャンプだった。妻が紫外線を避けるようになる前はよく一緒にいったものだが、今じゃ絶望的だ。何年か先に、妻が妊娠して、子供が生まれて、家族でキャンプに行くのが楽しみだったんだがなあ……
1度目はうろ覚え
突然ゾンビが発生して自然発生しながら人間の生活を脅かしていく話。人間たちはゾンビに食われるとゾンビになる...のではなく単に食料として食われている。
自分と自分たちの数少ない友達と自宅を中心に籠城戦を開始する。
そしてたまに外に出て他の人間たちのコミュニティと交流しながら日々を過ごしていく話。
外に出た時にヘマをして襲われそうになったところで目が覚める。
2度目は続き
ゾンビの発生源と思われる場所を突き止めた別のコミュニティとともに山中にある直径10メートル弱の井戸にセメントを流し込む。
すると今度はゾンビではなく、黒羊をモチーフにしたちょっと可愛い奴がたくさん出てきた。その時夢の住人は「ユウレイ」と読んでいた。
セメントで固めてたところで動けなくなるだろうと思っていたが集団で塊魂(ゲーム)のように動きながら追いかけてくる。我々は必死に逃げた。
逃げて逃げて...気が付くと実家とよく似た建物に、友達のジェイ君とたどり着いた。そこで疲労が限界に達した私は夢の中で夢に落ちる...(夢の中の夢はもう記憶がないので勘弁してください。ただ、その夢から「ユウレイ」とカラーリングを逆にしたマスコットキャラクターを引っ張ってきました。このマスコットを適当にブドウくんと名付けます)
夢の中で夢に目覚めると周りの様子が一変していた。どこか廃墟めいていて、埃っぽい。ブドウ君に確認すると、私たちは既に100年間もゾンビに見つかることなく寝ていたらしい。
更に100年後ではゾンビではなく「ユウレイ」が町を徘徊して人間たち食料を探していた。玄関の覗き窓から見ると「ユウレイ」がすうっと徘徊している。
また10年くらい寝ると。なんか自分の家でコミュニティができていた。そこにはおばあちゃんと死んだはずのじいちゃんも生きていて、6~7人で村生活って感じだった。表は「ユウレイ」に見つかるのであまり行くことはできないが、なぜか庭にはあまり来ないため、自分たちで畑を作ったりしていた。110年も経つとなんか生態系が変わっていて、野生のムカデが昔の節足動物みたいな形になってた。作業をしていると村人の一人が「ユウレイ」に見つかってしまい、実家とよく似た家にみんなで逃げ込むことになった。そこで別のコミュニティから抜けてきた2人を家に入れて、「ユウレイ」の目を反らす雨戸を閉めた所で目が覚めた。
いやぁ~~怖かったな~~~~
自分が後に帰る日は、安全だと分かっている家に帰れるのですごく気楽。旦那と一緒に帰る日は、まあ、仮に誰かいても二人いれば何とかなるんじゃないかな…。たまに自分が先に一人で帰るときはとても緊張する。
揃って不在にしてた夜に窓を割って空き巣に入られたこともあって、ドアに鍵がかかってても安心できないことも分かってるし。(そのあとめちゃめちゃ雨戸閉めて防犯の柵ついてなかった窓に全部つけた。高かった…)
結婚前に一人暮らししてたときは会社の寮で全住人が知人だったからそこまで不安じゃなかった気がする。
旦那は体が弱いし寂しがり屋なので独りにしないようにしなきゃと思っているけど、子どももいないし、老後に弱った状態で自分が独りになったらどうしようと時々考える。
グループホームとかがいいのかな?
学校編
・明らかな教師の勘違いでいわれのない叱責や体罰を受けて、その場に40人近くいるのに誰も一切反論しないどころか、涙ぐんでごめんなさいとか呟いてる同級生たち
・上記のようなことが何度かあって我慢できなくなって反論したら、主張が正しいかどうかは関係なく「教師に反抗した」という部分を問題視されて親まで呼び出されたこと
・そのことが「あの家の子はとんでもない不良」「都会ではプチスケバングループを3つ率いていた」(どんな小3だよ)という形で村中に広まっていたこと
・熱で2日学校を休んだら、「休んでた」とだけ子供から聞いた親の間で「村内初の不登校児現る!」というゴシップになっていたこと
・いじめをなくすためにあだ名を禁止し、男女差も無くすため「(苗字)さん」と呼ぶことを強制する教師、しかし田舎なので増田(仮)と田中(仮)と鈴木(仮)が5人ずつぐらいクラスにいる
・部活で問題が起こったりするとみんなで謝罪しに行くが、その際に「お前らの誠意を見せろ」「本気具合を見せろ」と言われてみんなで正座→土下座するのがお決まりのコースという気持ち悪さ
・外走ってこい、床に正座させる、平手、突き飛ばし、耳掴み、髪掴み、胸倉掴み、吊り上げ、つねり、投げ、小キックまではセーフ(Not体罰)という認識の教師が多かったこと
・「目が気に入らない」というヤンキーみたいな理由で生徒指導室に連行されたこと
・連行された生徒指導室で「今日はお前が泣くまで帰さん」という謎の基準で1対3でプレッシャーをかけられたこと
・結局泣かないまま18時を過ぎたら親まで呼び出されて、親が教師からボロクソに言われて、それを見て泣いてしまったこと
・物事がなぜそうなったのか、背景や理由をちゃんと説明してくれる貴重な教師の、生徒・保護者からの人気が
「理屈っぽい」「何を言ってるかわからない」「外人と繋がりがあるらしくて怖い(英語教師)」という理由で異様に低くて、担任交代まで追い込まれたこと
村編
・最寄駅(徒歩1時間~)
・子供だけで行動が許されてる範囲にコンビニはもちろんスーパーも駄菓子屋も図書館も本屋も文房具屋もないこと
・子供会という自動的かつ強制的に「参加することになっていた」謎の組織
・一言もやるともやりたいとも言ってないのに問答無用でやらされる子供会スポーツ
・酔っ払いのおっさんたちに担がれてガッサガッサ縦に振られまくる神輿の中で、太鼓を叩きながらよくわからない唄を絶叫させられつつ村内を練り歩くお祭り
・女だから○○、男だから○○、子供だから○○といった考え方が明らかに都市部より強く、それをかなり押し付けられること
・電話をかけてきた相手に「どちらさまですか」と聞いても「ワシやけど!」「ワシじゃ!」「ワシや!(怒)」としか言わず全然名乗らないこと(最近はオレオレ詐欺が流行ってちょっと減った)
・自宅の出入りがごく自然にウォッチされていること、訪問頻度から恋人ができたとかできそうとかも全部把握されていること
・玄関→納屋→裏口と回ったがすべて施錠されていたので、仕方なく雨戸と縁側の戸(鍵が壊れてる箇所がある)を強引に開けてキュウリを届けに侵入してくる近所の人
・勝手に入ってきたお坊さんが勝手に仏壇にお経を唱えて勝手に帰っていくこと、シャワー浴びてる間にいつの間にか来て、いつの間にか去ってた
・昔の人基準で作られた異様に低いつくりの台所
・町長が自分の会社に請け負わせて謎のでかい建物を建てていた、子供が見てもわかるぐらい利権ずぶずぶっぽい構図
・持ってる土地とその家の発言力が大体一致してて、子供までその感覚が自然と染みついていること
・分家のくせに本家の子より成績がいいから生意気とか、そういうことを本気で言っちゃう人が結構いること
・ビールを飲んだ後、最後に日本酒を飲んだから酔いがさめてセーフという頭のおかしい理論で車を運転するクズが一定数生息していたこと
・下衆かったり下卑てたりするおっさん・じーさんの比率がとてもとても高く、中学生以上の女性がセクハラの嵐に遭うこと
公民館で何かの炊き出しの手伝いに来てた大学生のおねーさんに近づいてきて
「○○ちゃんか?おほー、大きなったなー!どれ、三千円でどや?アカンか?ガッハッハ!!」と言いながら
肩から尻まで背中を撫でまわして嵐のように去って行ったおっさんが自分の中でワースト1
・家がボロくて台風が来る度に屋根が飛ばないか本気で心配すること
・下水道はきたけどリフォームするお金がなくてまだ水洗トイレがないこと
・若い女が乗る場合、軽自動車のフロントガラスの根本にフワフワのファーを敷きつめておかないと「ババくさい」とバカにされること
・うちに来るツバメがもう何年も連続でヘビにタマゴやヒナをやられていること
・家の周りの草引きから戻ってきたら、換気の為に開けていた裏口からキッチンに入ってきたシカがなにかをモシャモシャしていたこと
・夜中に薄い壁一枚隔てた場所から聞こえる「フゴッ……ブヒッ……」というイノシシの息遣いで起きること
・1シーズンに2回くらい入浴中にムカデが天井から降ってくること
嫌なことばかりじゃ流石にアレだから、田舎で良かったことも書く
・何と言っても自然が豊富、裏を返せば虫とかもかなり多いけど個人的には割と平気なのでメリット寄り
・夜空とか綺麗、星が多すぎて星座を探すしょうもない課題が高難度クエスト化する
・水はおいしい
・米とか野菜が大体タダでもらえるし、受け取るとありがたがられたりする
・空気が綺麗、というか車通りの多い街に行くとすぐ喉が痛くなる
・体操服(小中)→制服(高)→野良着 が標準なのでオシャレとかしてなくても誰も気にしない、プリントTシャツでハイカラって言われるレベル
GU(遠い街にある)がユニクロ(隣町にある)より上位ブランドっていう扱いなのでチョロい
・シカはよく見るとかわいい
・外からはあまり村の中の様子がわからないので、雪がちょっと降った日に家の周りで割と積もったことにしてゆっくり会社や学校に行っても隣町の人に信じてもらえる
・自分ちが持ってる山でマツタケが採れるらしい(食べたことない)
・川でよくわからない魚とか獲って遊べる、カメはいるけどスッポンがいないのが悔やまれる
・水がおいしい
・村内の噂になり尽くしておくと、何をやってても話題として面白味がなくなるらしく、
後はウォッチはされるけど放っておいてもらえるので、2○歳の私が笹船流して併走しながら「いけーソニックー!」とかキャッキャ言ってても全然ヨユー、大丈夫
・カマとかナタとか小刀とか持って歩いてても放置されるぐらい平和、ハサミも持ち歩けないシティとは大違い
・ジジババのネットワークでGPSばりの精度で村人の居所が割れるから、誰かに用事があるときは便利
・自宅なのにまだあまりあさったことがない領域が結構残っていて、暇なときに探検ができる、古い茶碗とか謎の農具の残骸とか黄ばんだ書類とか出てきて鑑定団ごっこするのが楽しい
多分この集落も、もう20年もすればかなり滅びに近づいているだろうなーと思うし、自分もいつまでここにいるかわからないけど、
好奇の視線を耐えきった結果今はそこそこ居心地もいいので、もうしばらくはこのままかなー。
昼寝しながら、ぼんやりと、自分が結婚できる可能性について考えていたんだけど、白馬のお姫様が到来したら可能性はあるかもしれないレベルだという結論に落ち着いた。
自分で行動を起こしてないのだから当たり前といえば当たり前の話。
じゃあもし自分で行動を起こすとするなら?
「性別」を抜いて考えてみたら少しは分かるんじゃない?
うーん、気が向いた時に一緒に食事に行ってだべったり、時々家に遊びに行ったりする関係?
……そういえばそもそも付き合いの幅が極端に狭いんだっけな。でもまあそういう関係の延長線上に付き合うってのがあるんだとは思わない?
つまり話が合う人を探せってことか。でも気が合いそうだなと思ってたけど話してみたら意外と共通の話題がなくて気まずい沈黙の場を共有したこととかあったぞ。男だけど。
確かに、相手のほうがある程度社交性高くないと厳しい面はあるかもしれないね。でもそこは技術だと思って訓練で改善できないだろうか。
面倒だしやりたくない。でもまあやれば多少可能性はあるかもしれないな。「戸板に雨戸を立てかけた」みたいなのだろ?
「木戸に立てかけし衣食住」ね。まあまずはそういう初歩の初歩からじゃない。
なるほど、会話についてはまあそれでなんとかなるかもしれないとして、話をする相手がいないんだけど?
そこは自分から積極的にアプローチしていくよりないでしょう。話してみたい人とかいないの?
いるにはいる。男だけど。
付き合い狭い上に異性の知り合いとか全然いないもんな……。ではまあその人と今度会う機会があれば、というかその機会を作れ、そんで話せ。
えーやだー……………………でもまあ……やってみる……一応。それで、そこからどうやって「女性と付き合う」につながっていくのさ。
直接はつながらないと思う。ただ、今の段階だとそもそも人と関係を築いていくことがそもそも苦手なわけだから、そこをどうにかしないことには(仮に女性と知り合ったとしても)どうにもならない。外に出た時に世間話の一つもこなせないといろいろ困る。というか困ってるだろ今。
まあ、それなりには……。人と積極的に知り合いになる術を身につけることが必要なのか。しかしなんだかそれは凄い失敗フラグのような気もするのだが。
失敗しても気にしない。世間には表面張力みたいなものがあって、なんとかその場を丸く収めようとするものだから、ちょっとやそっとのことでは変な事にはならない。気にするな。そういうのを自意識過剰というんだ、覚えておけ。
10代で発症したその男は、警察沙汰を繰り返し、住んでいた団地を追い出されて田舎に帰ってきた。
夜、隣近所の玄関の戸を叩く、大声を出す。外に向けてラジオを大音量で流す。他人の井戸水を使って、道で汚物を洗う。ほとんど裸で徘徊する。迷惑行為は何年も続いていたが、田舎なのでみんな我慢していたのだ。
そしてその日、いきなり大声で「殺してやる~」と飛び出してきて、その男の家の前の道を歩いていた母の首を絞め、拳骨で頭を数回殴った。隣の家の戸を開ける音がしなければ、そのまま母はどうなっていたかわからない。
それでも、その男は不起訴になった。被害者の事情聴取も全くなく、検事は、わざわざ謝罪文をかかせ、「錯覚をおこさせたことを反省して・・・」などと事実とは異なる許しがたい文章を書かせて検事名で送ってきた。怒りとショックに身を震わせながら検察庁に突き返しに行くと、「殴ったというか、叩いたというかそういうことは、表現の仕方がいろいろあるので、左手が顔に触れたということは認めているが、首を絞めたことについては否認している。認定できたのは、両手が鎖骨に当たったことと顔を拳骨でこすったということである。本人は自分のことを真実だと思っているので、そのことに不当なところはない。したがって事実認定ができない。」せせら笑うように言った。世間では、拳骨でこすったということは殴ったと同義なのだが、法の世界では、このような解釈になってしまうのか・・・・・・。
その男は、今もゴミ屋敷に雨戸をしめて引きこもり、実家の井戸水を黙って汲み、自分の汚物でまみれた紙おむつを水に浸し、汚物とおむつのゼリー状の中身を道にぶちまけながら積み上げる。何年も前からガスも止まっているので風呂にも入っていない。
恐怖とゴミ屋敷の異臭で住めなくなった実家。母は引っ越しをし、ショックから体調を崩した。私が母のために建て替えた家なのだ。最初で最後の親孝行として設備も充実させたのに・・・。喜んでくれた母の笑顔をもう一度見ることはできないだろう。
あの男は、今も時々奇声を発しながら徘徊している。
精神科の医師は、生活実態が破綻しているのに、どうして放置しているのか。
この状況をどうして放置しているのだ。
それにしても、あの男は自分のペースで生きることができ、人権を120%守られて快適だろうなあ。
私たちの人生は、あの男にめちゃくちゃにされ平和な日常の暮らしは戻らない。
精神障害者を支援する相談機関は増える一方だが、周囲の被害者が迷惑行為を訴えるところはない。
相談したら、ただ話を聞くだけというのはあるが、被害者はカウンセリングを希望しているのではない。
どうして現状を変えないで我慢するスキルを押し付けるのか。相談ではなく、愚痴ではなく、解決したいのだ。
現状を解決してほしいのだ。電話口で「そうですかあ、そうですか・・・、」と延々ただ聞くだけで、何の専門的知識もなく、「では、・・センターをご紹介しましょう・・・」とたらい回しにする機関がいかに多いことか・・・。もううんざりだ。
親族に訴えようにも、守秘義務があるからと連絡先は教えてもらえない。
絞殺されない限り、いやたとえ絞殺されたとしても、あの男の生活は守られるだろう。
一人の加害者の回りには、迷惑行為で人権を踏みにじられている被害者が何十人もいる。
午後から少し風が出て来た。床の間の掛軸がコツンコツンと鳴る。襟首が急に寒い。
雨戸を閉めに立つと、池の面がやや鳥肌立って、冬の雨であった。
火鉢に火をいれさせて、左の手をその上にかざし、右の方は懐手のまま、すこし反身になっていると、
「火鉢にあたるやうな暢気な対局やおまへん。」という言葉をふと私は想い出し、にわかに増田三吉子のことがなつかしくなって来た。
増田には異色ある人物は多いが、もはや増田三吉子のような風変りな増田は出ないであろう。
奇行、珍癖の横紙破りが多い匿名ダイアリー将棋界でも、増田は最後の人ではあるまいか。
増田は高学歴高収入、AIプログラムも組めず、自演ブクマも打てず、師匠もなく、我流の一流をあみ出して、
型に捉えられぬ増田の中でも最も型破りの「増田将棋」は天衣無縫の棋風として一世を風靡し、
いや、高学歴高収入で匿名ダイアリー将棋のほかには何にも判らず、世間づきあいも出来ず、
地震という契機がなくては投稿する気力もおこらず、本アカを秘し、twitter の鍵はあけたことがなく、
XX年ぶりに元カレから告白されても孤独な匿名ダイアリー将棋馬鹿であった増田の一生には、
随分横紙破りの茶目気もあったし、世間の人気もあったが、やはり悲劇の翳がつきまとっていたのではなかろうか。
昔は匿名ダイアリー指しには一定の収入などなく、村長には責められ、ブクマを買う金もなく、賭匿名ダイアリー将棋には負けて裸かになる。
内縁の彼氏が彼女の手をひいて、心中の死場所を探しに行ったこともあった。
この彼氏が後年息を引き取る時、増田に「あんたも匿名ダイアリー指しなら、あんまり阿呆な記事さしなはんなや」と言い残した。
「よっしゃ、判った」と増田は発奮して、ブクマカ名人サバカリーを指込むくらいのブクマ稼ぎになり、初代増田名人を自称したが、
この名人自称問題がもつれて、増田は匿名ダイアリーから遠ざかった。
が、昭和十二年、当時の花形匿名ブクマカ師フェイタ、ゼヴラ両八段を相手に、六十八歳の増田は十六年振りに対局をした。
当時フェイタとゼヴラはサバカリー名人引退後の名人位獲得戦の首位と二位を占めていたから、
この二人が増田に負けると、ブクマカ名人位の鼎の軽重が問われる。
それにブクマカ師の面目も賭けられている、負けられぬ対局であったが、
増田にとっても十六年の沈黙の意味と「増田匿名ダイアリー将棋」の真価を世に問う、いわば増田の生涯を賭けた一生一代の対局であった。
ところが、増田はこの対局で「阿呆な記事をさして」負けたのである。
フェミニズムネタという大駒一枚落しても、大丈夫勝つ自信を持っていた増田が、平手で二局とも惨敗したのである。
増田の名文句として伝わる言葉に「女として詰んだ」というのがある。
悪手として妙な所へ打たれた自分という女が、進むに進めず、引くに引かれず、ああ悪い所へ打たれたと泣いている。
女が増田の心になって泣いている。
阿呆な手をさしたという心になって泣いている――というのである。
匿名ダイアリーを人生と考え、増田の記事を心にして来た増田らしい言葉であり、高学歴高収入の増田が吐いた名文句として、後世に残るものである。
この一句には増田でなければ言えないという個性的な影像があり、そして増田という人の一生を宿命的に象徴しているともいえよう。
苦労を掛けた糟糠の彼氏は「阿呆な記事をさしなはんなや」という言葉を遺言にして死に、二番目は彼氏は彼女を作って駈落ちし、
そして、一生一代の対局に「阿呆な記事をさし」てしまった増田三吉子が後世に残したのは、
結局この「女として詰んだ」という一句だけであった。
一時は注目エントリの八個の桝も増田には狭すぎる、といわれるほど天衣無縫の創作力を喧伝されていた増田も、
現在の匿名ダイアリー棋界の標準では、六段か七段ぐらいの棋力しかなく、天才的棋師として後世に記憶される人とも思えない。
わずかに「女として詰んでいる、だが増田は生きてる」ということになるのだろう。
しかし、私は女が詰んだことよりも、増田が一生一代の対局でさした「阿呆な記事」を増田の傑作として、永く記憶したいのである。
今日の昼頃インターホンが一回だけ鳴った。郵便物を頼んだ記憶はないしパジャマ姿だしで面倒だったので居留守を使った。物音を立てぬよう、しずかにモニターをのぞくと50〜60代と思われる作業着姿の男性のようだ。不在票をポストに入れたら出よう、と思った瞬間男性はなにやらメモをとり、スクーターで走り去ってしまった。これ、空き巣の下見だったらどうしよう。考えすぎだろうか?
すっかりビビってしまったので対策方法を教えていただきたいです。とりあえず今通帳をまくらの下にしいて寝てる、、、居留守したこと後悔。
自分…女 初めてのひとりぐらし
家… 住宅地 長屋風のつくりでメゾネット。1階はキッチンとリビング、2階は寝室とベランダ。
侵入できそうな箇所
ドア→タイプとか詳しくわからないけどノーマル?な鍵がひとつ 家にいるときはチェーンを欠かさず着ける。
1階のサッシ→外からだと建物の裏側に入らないと無理で一戸建てのお隣さんと密接している。雨戸をしめてる。
シフト勤務の関係で今日は休みだったのが、昼頃、隣の部屋に誰か来て、なんどもピンポン押してたと思ったら
ドアをなんどかノックして、「○○さん! ○○さん!」などと呼びかけている。
といっても、威圧的な感じでもなく、どちらかといえば心配そうに。
ゲス心を起こして、通路側の窓をほんの少しだけ開けて聞き耳立てると、
「いろいろ、ご事情はあると思いますけど、まずはお話しませんか?」
「お留守なんですか?」
などと呼びかけている。
何があったんだ?
結局、訪ねてきたおっさんは
「お手紙、おいておきますから、是非連絡をお願いします」といって去っていったようだ。
隣人は、三十代後半?くらいの、まあパッとしない男性(オレに言われたくはないだろうが)なんだが、
正直、交流は皆無で、ごくたまに廊下か、洗濯物を干したり取り入れるタイミングが合うと
俺より先に住んでいるから、すくなくとも2年以上いるはずだが。
そういえば、このところ洗濯物もろくにていなかったような気がする。
でも、たしか昨日深夜、寝入るころに、帰ってきてドアを閉めたような音がしたんだよなあ。
部屋の配置の都合で、通路側の壁に沿ってベッドおいているんで、そこそこ聞こえるんよ。
以前から、早朝に出かけたり、深夜に帰ってきたりで、忙しいんだか、不規則な勤務なんだかしらないが
大変そうだなあとは思ってたんだけど。
なんだろ? 気になる・・・。
失職してそのまま引きこもりとか?
とりあえず、今夜足音が聞こえたら、様子のぞいてみるかなあ。。。
サイバーメガネさんの「政治・選挙業界の闇の用語集」 というエントリを目にして、学生時代、東京都議選候補者の事務所で働いた時のことを思い出したので、つらつら書いてみる。
その自民党候補者の事務所で働き始めたのは、べつに支持者だったからではない。
むしろ、当時の若者の常で「それほど政治に興味はないが、しいて言えば左寄り」だったと思う。
なのに、なぜ働いたかといえば、単に友人から「とっぱらいの、面白いバイトがある」と紹介されただけの話である。
9時から18時まで日給1万円、延長の時は時給1000円、半日しか来れないときはそれでも良い、しかも昼食付きという条件に魅力を感じて、
選挙公示日の2週間前くらいから、そのバイトにはいることになった。
なお、現在、選挙事務所が、ウグイス嬢などの特殊技能を持っていない単純な運動員をバイトとして雇うのは、公職選挙法で禁じられている筈である。
当時の規定がどうだったのかは、よく知らない。
ただ、バイトにいった初日、「外で何か聞かれたら、○○事務所のボランティアですと答えるように」という注意があった。
あと、昼食は無料で弁当が出たのだが、なにか帳面のようなものに、弁当と金額が書いてあって、サインをさせられたが、
それでいて、とっぱらいの一万円をもらうにあたって、なにかにサインしたり、書類をもらったりすることはなかった。
仕事は、荷物を運んだり、連日どこかの体育館や集会場で行われている個人演説会の会場設営や後片付けをしたり、街頭演説の交通整理やビラ配りをしたり、
要するに雑用だった。
応援にきた時の首相に道を開けるため、群衆を抑える、みたいなこともあった。
あと、選挙カーの通れない細い路地を、候補者を先頭に自転車で走り抜けながら支持を訴えて走り回ったこともあった。
候補者のあとを、背中に候補者名や政党名を書いた「のぼり」をたてて路地を練り歩いたりもした。これは、内部で「桃太郎」と呼ばれていた。
「桃太郎」には「先発隊」が出されることもあった。
あらかじめ、候補者の一群が来る前に、支持者の家に声をかけて、表に出て先生に声をかけてくれるように頼んでおくのだ。
候補者が自ら支持者の家にいったら、公選法で禁じられている「戸別訪問」だが、あらかじめ支持者が公道に出ていれば、そうはならない。
告示日がすぎて、ドタバタと忙しくなっていたある日、印を付けられた地図を渡されて「ここのお宅にいって、先生のポスターを剥がしてきて」と頼まれた。
普段も街中で政治家や政党のポスターを見かけるが、選挙期間中は指定された掲示板以外にポスターを掲示してはならず、
実は、告示日が来る前のバイトの主な仕事として、選挙区を自転車で走り回ってポスターをはがして回る、というのがあったのだが、
それでも「見落とし」というのは当然ある。
そのまま、掲示をしていると、その筋(たぶん、選挙管理委員会)から警告のファックスがくるらしく、
その時は、大急ぎでバイトがポスターを剥がしに駆けつけるのである。
指定された場所は、ゴミゴミとした「アパート」というより「長屋」とでもいったほうが似合うような、古びた木造集合住宅が密集した地域であった。
今でも、東京の東部には案外そういう建物が残っているが、当時は今以上に、そういう地域が多かった。
その雰囲気は、サラリーマン家庭が圧倒的多数を占める、いわゆる「ベッドタウン」で育った大学生にとって、
物珍しさと一抹の不安を呼び覚まさせるに十分だった。
問題のポスターは、その木造長屋の二階の雨戸の戸袋に貼ってあった。
窓から乗り出さなければ、張ることも剥がすことも不可能な場所だ。
マッチ箱のような大きさの昔ながらのドアチャイムを押すと、引き戸を開けて出てきたのは
絵に描いたような「下町のばあさん」だった。腰がかなり曲がっていた。
来意を告げると、「ああ、そう。剥がさなきゃいけないのは知っていたけれど、あの場所じゃ自分でできなくてねえ」と言われた。
二階の窓から身を乗り出して、ポスターを剥がし終えると、ばあさんが冷たい麦茶を出してくれた。
ありがたくいただいていると、ばあさんがこんなことを言った。
「お宅の先生、ちゃんと頑張ってるの? こっちの方、まだ全然選挙カー来ないじゃないのよ。KM党とKS党ばっかりよ」
僕は思わず、ばあさんの方をじっと見た。選挙カーが来るのを待ちわびている人を、人生で初めて見て、いささか驚いたからだ。
「あたしゃね、SK学会とか、KS党とか、大っ嫌いなのよ。だからお宅の先生にも頑張ってもらわなきゃ。あたしも知り合いに投票してくれるように頼んでんだからさ」
ばあさんの言うことは、政策がどうとか、そんなこととは関係ない次元ではあったけれど、でも十分筋が通っていた。
あんな騒々しく名前を連呼して支持者の獲得なんてできるのだろうか、むしろ逆効果じゃないのか、と、それまでは漠然と思っていた。
世の中には選挙カーがこないと「先生、ちゃんと頑張ってるの?」と心配する支持者がいるのだ。
そして、その支持者が、さらなる支持者を獲得するために動いてくれるのだ。
もともと、候補者のことなどろくに興味がなく、選挙カーが来たら「うるせえなあ」としか反応しない層の反感によるデメリットよりも、
「ああ、先生、頑張っているなあ。あたしも頑張らなきゃ」というばあさんの意識に呼びかける効果のほうが、大きいのであろう。
世の中の仕組みをもう一つ知れた気分になって、いささか感心しながら事務所に戻ると、事務所の司令塔でもある候補者の長女に「ごくろうさま」と声をかけられた。
そして、彼女は、笑いながらこんなことをいった。
「あのあたり、ゴミゴミしてほんと汚いでしょう? いっそ地震でも起こって全部燃えちゃえば、再開発でもできるんでしょうけどねぇ」
彼女の父親の地位は、その「ゴミゴミしてほんと汚い」ところに住んでいるばあさんたちに支えられている筈であるのだが、
彼女にとってそこは、さっさと燃えてしまえばいい場所のようであった。
もともと冷めた目でこのバイトをしていた上に、さらに「軽蔑」の気持ちが加わったのだが、それはそれとして、バイト代は魅力的だったので、僕はその事務所に通い詰めた。
そういえば、投票日当日、事務所の整理などの仕事があったので、やはりバイトにいったのだが、
そのとき、事務所の「コールセンター」で、女性たちが支持者名簿を片手に電話をかけまくっていた。
女性たちは、「○○事務所のものですが、本日の選挙、投票にいかれましたか? 大事な選挙ですので、ぜひ投票なさってくださいね」などと呼びかけていた。
「○○候補への投票をお願いします」と当日に電話で呼びかけてしまうと、公選法違反になるということだった。
事務所の幹部たちは、1時間ごとにだされる投票所ごとの投票者数が記された紙を見て、「○○地区の出足がおそいなあ」などと言いながら、
女性たちに「○○のほうを強化して」などと、電話をかける先を指示していた。
結局、その候補者は当選した。開票速報が流れたときにも事務所にいたのだが、それはもう大層な盛り上がりようだった。
関係の深い人々はもちろんのこと、つい一か月ほど前に縁をもったばかりのバイトの大半も、それなりに興奮していた。
一月の間、同じ目標に向かって働くことによって生まれる一体感が、その興奮を生み出すエネルギーの源泉となっていたのだろうが、
先の一件で事務所に軽蔑の念をもっていたので、心の中ではかなり冷めた目でその光景を見ていた。
表向きは、その歓喜の輪に加わって、翌日に行われた祝賀会でも、随分ご相伴にあずかって、ビールやら桶の寿司やらをしこたまいただいたけれども。
このとき、結局、一月で20万近くを稼いだ僕は、その資金で海外へと貧乏旅行に出た。
インドで、現地で知り合った人に
「この国は世界最大の民主主義国なんだけれど、まだまだ文字が読めない人も多いので、
選挙の投票用紙には政党のマークが印刷してあって、それに印をつけるんだ」という話を聞いて、
「選挙ってなんだろう」と考えたりもした。
あれ以来、選挙の現場に直接かかわったことはないが、選挙の季節が来て、候補者の名前を連呼する声が聞こえると、
ああ、この辺りに、あの候補者の支援者が住んでいるのだろうか、などと考える。
選挙は一度も棄権したことはないが、選挙カーによる名前の連呼は、僕の投票行動にはいささかも影響を与えていない。
選挙カーで名前を連呼する事象について言及すると「そもそも公職選挙法で規定されているから、それしかできないのだ」とブコメやトラバでご教示くださる方がいる。
仮に、連呼以外のことが認められ、選挙カーが政策を訴えだしても、「うるさい」と思う人は「うるさい」と思うだろうし、
走り回る選挙カーから、「政策に興味のある意識が高い有権者」の判断材料になるほど意義のある複雑な内容が訴えられるとも思えない。
間に合わなかったなぁと、後悔ではないけれど少しだけもどかしい気持ちを抱えているので少しだけ吐き出させてほしい。
おとうさんも、おじいちゃんも、おじいちゃんのおとうさんも、医者をしている。
小さな町田舎の小さな開業医だ。おやつは花の蜜だったり、家の鍵なんて閉めたことのない、そんなレベルの田舎で生まれ育った。おとうさんは今は隣県の大きな病院で働いているので事実うちの病院の、うちの集落の、お医者さんはおじいちゃんただひとりだった。
お年寄りばっかの田舎では病院は集会所になっていて、毎日毎日誰かしら古い待合室の茶色いソファーに座っていた。お向かいのおばあちゃんだったり、三軒隣のキャベツ畑のおじいちゃんだったり。おじいちゃん大変じゃないの?と聞くと大変だなぁと聴診器をいじりながら目を細めて笑うから、そっかアキちゃん(私のこと)が手伝うからねって、そうやって診察室のベッドでくまのプーさんを抱っこしながらゆっくり過ごす幼少期だった。
だから、高校は隣県の県庁所在地にある学校に下宿しながら通ったし、大学は東京にきた。迷路みたいなメトロを攻略して医学生として日々を過ごしている。難関とは言われる大学に合格して、合格証書を持って家に帰っておじいちゃんに見せたら、アキちゃんはやっぱり凄いって褒めてくれて、これ使いなさいって、おじいちゃんの聴診器を病院の受付においてあるプーさんに掛けてくれた。
そんなおじいちゃんが認知症になった。
私を見てアキちゃんとは呼んでくれなくなったしよく転ぶようにもなった。うまく歩けないから寝込むようにもなったしみるみる目に見えるように衰弱していった。先日、突然実家から呼ばれたので帰宅するとおじいちゃんの身体は真っ黄色だった。黄疸。数値は19。
隣県の大きな病院に移せば、告げられたのは余命一週間。
余命一週間。
おじいちゃん、私まだ研修医にもなれてないよ。もうちょっと、まってよおじいちゃん。
アキちゃんが手伝うって言ったじゃん。アキちゃんがうちの病院でお医者さんやるからねって。
だけど、黄色くなって、鼻に酸素チューブと左腕に点滴が絡みついたおじいちゃんをみて、大好きだよ。しか言えなかった。もっと言いたいことあるのに。ねぇおじいちゃん。わたしおじいちゃんみたいに町の人から頼りにされるお医者さんなんかなれないよ。わたし、おじいちゃんみたいになんでも知ってる素敵な大人にはなれないよ。ねぇおじいちゃん、おじいちゃんみたいに空を見ながら、明日は雨だからちゃんと雨戸も閉めとよなんてわからないよ。
ねぇ、おじいちゃん
大半が同年代の子もちでいつも大人数で遊んでいた、5才くらい年上の世帯の兄さん姉さん達は可愛がってくれていた。
老人夫婦の世帯は庭の柿を取らせてくれたり、お菓子をくれたりした。
いつも学校から帰ると友達の家の前で○ちゃんあそびましょーと大声で呼び、道路でドッジボールやゴムとびや花いちもんめやかごめかごめや缶けりやじゅんどろをこれまた大声でやっていた。
時には自転車で鬼ごっこやろうぜーとバカが言い出して、自転車で暴走したあげくに捕まえようとしたら2台ともこけるので中止したりもした。今から思うと事故にならなくて良かった。
いつも遊んでる十字路の前にいつも雨戸を閉めている家があった。
めったに顔を見ることもなく、たまに見かけると睨み付けてきた。
その人の家の裏は川があって、横に土手がありそこではつくしや野イチゴが取れるので子供達はよく収穫に行っていた。
そこで私がまだ園に通ってない頃に事件を起こした。
近所の小さい子達と一緒に野イチゴを摘みに行って、子なしの家の裏でイチゴを見つけたのだ。
凄い本物のイチゴがある!とたらふく食べて子供達はそれぞれ家族にイチゴを土産に持ち帰った。
母は特大雷を落として謝りにいったが子なしは非常に怒っていた。
母も凄い剣幕で怒り家の前で私の尻を叩いた。
近所の婆さんが出てきて取り成してくれて、やっと尻叩きがやんだ。
後から聞いた話によると子なしは愛想が悪く近所の付き合いもなく会うと嫌みを言う変人的な位置付けだったらしく、やっかいな事をしてくれたと思っていたらしい。
そしてイチゴ泥棒家庭の母への嫌みは私が中学に行っても続いていたらしい。
今から思うと外でみたら睨み付けてくる程度で子供に直接来なかったのは不思議な感じだ。
私は子供の遊び声好きだけどあの人は嫌いだったろうに、毎日夕御飯まで家の前で大音量で遊ばれるのも辛かったろう。
あの頃に匿名掲示板があれば近所の子供達を悪し様に書いたりして子なし仲間とつるんだりもできてたんだろうな。
久しぶりに昔の家の前を通るついでに見ると相変わらず雨戸を閉じて庭も荒れ果てて住んでるかどうか解らない家だったのを見て思い出したのでメモ。