はてなキーワード: 苦痛とは
こういうの、なんで安楽死が「不幸な事」っていう前提なんだろうね。
貧乏人が安楽死したがってるなら、望み通り安楽死させてもらえる程幸せな事はないだろうに。
ただでさえ貧乏人は(私みたいに)苦痛に満ちた人生を送っている人が多いんだろうから、安楽死出来ないよりも出来た方がいいに決まっているじゃないか。
あと、そもそも貧乏人が安楽死出来るっていうのがそもそも楽観的過ぎる想定だと思うんだよね
どう考えても、この国は貧乏人に対してそんな優しくないでしょ
現実的に考えたら「権力者や金持ちはたくさんの医療と緩和ケアを受けて、貧乏人はケアのお金がないから安楽死を勧められるようにる」どころか、
「権力者や金持ちは元気で健康なうちに安楽死させてもらえて、貧乏人は労働力としてこき使うために重い病気になっても安楽死させてもらえないと思う。」の方では?
hi_kmd 2023/12/22
同じ病状の時、みんながみんな同じケアを受けるのではなく、権力者や金持ちはたくさんの医療と緩和ケアを受けて、貧乏人はケアのお金がないから安楽死を勧められるようになると思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4746743662116319855/comment/hi_kmd
反応ありがとう!なんかこんなに反応してもらえて、しかも結構真面目に返してくれてすげーうれしかった。
書き込み初心者なので分かりにくかったり、文章下手なとこ結構あったな、読んでくれたのにごめん。
できる限り質問に答えるよ~見てるかわかんないけど。
で、前提として書き忘れてるものが結構ありました、ごめん。下に書いときます。
①地方大学で下宿してるから基本みんな下宿先から大学まで自転車なんだよね。だからそいつが来る前まではみんなサークル終わったら自転車でパ~って帰ってた。
以下、質問(面倒見てもらえなかった部分)
→大体かかって5分ぐらいかな
学内では何で移動してるの?
→学内移動は基本自転車。そのぐらい広い。ただ問題の人物(ここからはAとする)が徒歩のせいで、Aに合わせて徒歩になってる感じかな。
自宅がどうたら
→これも書き方が悪かった、自宅から兼バス通学の人って言いたかった。わかりにくくてごめんよ…。
バス停の謎
→上にも書いたが、基本みんな自転車だから。そもそもバスを使わない。Aだけがバス停利用者。
サークル棟すぐ近くにバス停があるのに歩いて30分の方のバス停を使って帰宅するのは何故?
→ほんとにわかんない、Aに聞きたいんだけど聞いたら「お前そっち使って帰れよ」って言ってると思われないか不安で聞けてないんゴ…。
あと、4.元増田の人となりに係る手がかりについてちょっと読んでて面白かったから返信!
投稿時間見てもらいたいんだけど、その日結構サークルの作業が立て込んでて朝まで作業してたんよ。
で、やっと終わって、そっからいろいろ考えこんでこの記事書いたって感じなのね。だから文章もひどいことになっちゃってるのよ。ほんとに申し訳ない…。
あと、
少なくとも既に元増田よりは人気も人望も勝ち得ているのではないか? って部分について、
もしかしたらそうなのかもしれない。全部俺目線の話だから、そう考えるのもしょうがないし、あり得るかもしれない。
でも、これも後出しになって申し訳ないんだけど、実は一回別の友達が、Aに近くのバス停で帰るようにお願いしてるのよね。歩く時間がかかりすぎるから。でもなぜかまた一緒に帰ることになってるけど…。その友達は諦めたみたいだけど…。
だから、一緒に帰りたいって考えてる人は多分あんまりいないと思う、あくまで俺目線だけど…。そもそもAと一緒に帰る人が少ないのもある(方向が違うとかでね)。
それと、Aは結構イベントごとハブられてるよ。まあ遅れて入ってきたから、最初からいる人たちだけのグループとかもあるからだろうけど。
あと、「にも拘らず時間の浪費についてこれだけ居丈高で攻撃的と言うことは自己客観視がかなり苦手な人物。」ってあるけど、普通はこんな攻撃的ちゃうわ!!!いろいろ我慢して愚痴でここにかいてんねん!そら口悪なるやろ!
話が面白いのは絶対にない。これだけは言える。少なくともそいつの話で周りが爆笑してるのを見たことがない。たいてい滑ってる。でも不快にはならないからいいかなって感じ。
あと、大学に相談しろってことだけど、一回したんよね。した結果、言われたのは話し合ってみてって言葉だった。
当人もうっすら自己や他人の「普通」が気になる、何らかの自覚の萌芽ぐらいは持ってたと見るべきなのかもしれない。
これそうで、ほんとに最近Aについて悩みすぎて頭おかしくなりそうなんよ。この下校時間を苦痛に思う自分が普通なのか、はたまた普通じゃないのか。これは時間が解決してくれるのを待つしかないんですかね…。たすけてええええええええええ
また下手な文章だ、ごめんよ~。もしほかに疑問点とか、突っ込みあったら返信オナシャス!マジ読んでくれてせんきゅ~!!!真面目にうれしかったぽよ~!!
病院には何度も行った。といっても最後に行ったのは3年ほど前だが。
定期的に体調が悪くなる。
そうなると布団で横になるしかない。身体を動かすために割く余力が無くなるからだ。
「つらい」「助けて」というネガティブな言葉が多いが「どうしたの」や「何で」などの言葉もたまに聞こえる。問いかけられても困る。
聞こえると書いた通り、それらの言葉は自身が考えているのではなく、第三者の声に感じられる。
ただし実際の声として耳で聞いているわけではない。内言に近い。
しかし自分の考えであると認識していないため、自動思考であるという感覚は無い。おそらくこれは一般的な感覚ではないだろう。
並行して、時々身体が動かなくなる。
この時は手足などの身体の一部に力を入れようとしても、微動程度しか動かない。痛覚などの感覚はある。
また、声が出なくなる場合もある。言葉を話そうとしても喉が動かないので、おそらく手足が動かなくなる現象の延長だろう。咳払いはできる。
これらの症状に耐え続ける、あるいは無視し続けていると記憶が飛び始める。
記憶の飛び方は様々で、気が付いたら外を彷徨っているという分かりやすいものから、何をしていたかはうっすらと思い出せるがどうしてそれをしようとしたかが理解できないというような、記憶以外に異常が出る場合もある。
周期は不定で、何ヶ月もその状態で臥せっている時もあれば、1 年丸々元気な時もある。
病院には何度も行った。いくつかの病院を訪れ、色々なことを言われた。
脳波に異常はありませんと言われ通院が終了した時もあれば、カウンセリングに通い詰めて貯金が尽きた時もあった。
また、その症状は治療できないと言われ初診で終わった時もあった。
いずれにせよ症状が消えることはなかった。
しかし、通院を継続できない最大の問題がある。元気な時の自分は、体調を崩している時の自分を理解することができないのだ。
記憶に影響が出るからだろうか。元気な時の自分は、体調の悪い時期に関して「なんか知らんが臥せっている」以外の感想を持たない。
体調についてここまで詳細に書けているのは、自分が今臥せっているからだ。
通院できる状態まで回復した自分は、体調が悪かった時に感じた苦痛を何とも思わない。他人事のように感じており、よって通院の必要性を感じない。
また、通院したとしても起こっていた困難を説明できない。なんか知らんが臥せっていたとだけ説明されて、的確な治療ができる医者などいないだろう。
この文章を自分しか見られないような場所に保存すれば、体調が戻った時の自分に意味不明の怪文とみなされて消されるだろう。そしてまた、体調が悪かった時のことを無かったものとして生きていく。
そこで、これをインターネットの海にでも投げてみる。
一度人目のあるところに公開した文章を無責任に消すことはないだろう。おそらく。
どうか後ほどこれを読んだ自分には、困難に振り回されていた事実から目を逸らさず、何かしらの対処が必要な事として受け止めてほしい。
作文が酷すぎるので添削してさしあげる
要らない
要らない
要らない
要らない
要らない
要る
そいつ以外は別の交通手段があるらしいことが推測できるもののそれが何かも書いてない。
余計なことはゴチャゴチャゴチャゴチャ書いてあるのに
これ言うとばれるかもしれないけど、うちの大学は結構敷地がでかくて大学のバス停まで、サークル棟からだと結構時間がかかる、それこそしゃべりながらだから30分ぐらい。
が無駄が多すぎ
しかも実は、サークル棟からすぐ近くのバス停もあるのだが、なぜか最後までついてこようとする。わけわかんない。そこに向かったらいいと思うんだけど…。
「実は」じゃねえ
まとめて書きましょう
サークル棟すぐ近くにバス停があるのに歩いて30分の方のバス停を使って帰宅するのは何故?
大幅に想像で補完すれば理由を考えられないことは無いが、とにかく必要なことが全然説明できてない
ちんたら歩けば30分かかる。
今年から入ってきた新入りはバス停まで徒歩移動をする奴だった。
これ以外全部ぜい肉。
トラバで自転車なの?とか聞かれ、焦点のぼやけた回答をしてるので結局よくわからない
(なんとなく賛同してくれてる部分にだけ反応し、確認されてることに答えられない子)
一応自転車だということにしたがはっきりしていない
自宅から通ってる学生は構内では”当然”徒歩移動になるらしいが、なぜそうなるのかわからない。
まあ相談の本論とは関係ないまるごと無駄情報なんだけど、情報が中途半端で読む者を悩ませる。
何故サークルメンバー全員でサークル棟近くのバス停を使わないのか。
書く文章がこれならば口頭の会話もまとまりを欠き説明も下手だろうから、
にも拘らず時間の浪費についてこれだけ居丈高で攻撃的と言うことは自己客観視がかなり苦手な人物。
で、疑問なのがサークルのほかの人たち。この人たちはなぜかそれについて一切疑問を持ってない。みたいにおれは感じる。普通に一緒に歩いて帰ってる。
なんでなんだろう?どういうことなんだろう?普通人は面白くなくても一緒にいて苦痛じゃないのか?わかんない。
もしくはこのぐらいは我慢するべきなんだろうか?
言いにくいのだが
少なくとも既に元増田よりは人気も人望も勝ち得ているのではないか?
話を聞く限りではむしろみんながそいつと帰りたがっているように思えて、
ということは、一人で苦痛と不満を疑問をため込んでいる元増田は、
他のメンバーが理解や感受している面白味、もっといえば情報を受け取れていない可能性がある。
元増田が誰か特定できる状況では言いにくいことだが折角匿名だから言ってしまう。
・大学生としては異様に下手糞な作文
・サークルメンバーの(元増田からすれば)理解不能な不思議な行動
・皆が一緒に帰りたがる人物の話が全く面白くない(おそらく内容や含意が理解出来ない)
・トラバに対する要領を得ない受け答え
元増田は知能か発達もしくはメンタルヘルスにおけるなんらか支障を抱えているのではないだろうか?
そしてこれまでの人生でそれに気づけていない。
今のうちにきちんとした機関で相談して検査を受けてみる方がいいかもしれない。
結果的に
作文開幕のたどたどしく無駄っぽい部分が全ての伏線になっていて
と語り手は認識している
という構成になっているんだよな。
当人もうっすら自己や他人の「普通」が気になる、何らかの自覚の萌芽ぐらいは持ってたと見るべきなのかもしれない。
おわり
自己紹介で普通の地方大学生。自転車で下宿先から大学まで通学してる。
そいつ(ここからはAとする)は普通で、ほんとうに良くも悪くもなんか普通のやつなんだが…。
Aは大学があるところからは少し遠い実家から大学に通ってる、だから電車で大学の最寄りまで向かって、そこから大学のバスに乗って向かう形になってる。
Aはサークルに二年生の時に入ってきた。俺は一年から入ってた。
だから、A以外は全員自転車なのにそいつに合わせて徒歩でバス停まで徒歩で帰ってる。(下校ルートに二つほどバス停がある。)
これ言うとばれるかもしれないけど、うちの大学は結構敷地がでかくて大学のバス停まで、サークル棟からだと結構時間がかかる、それこそしゃべりながらだと徒歩で30分ぐらい。
おれはこれが時間の無駄に思えてならない。本当に無駄。くそほど時間の浪費だ。
しかも、サークル棟からすぐ近くのバス停もあるのだが、なぜかいつもサークル棟から遠いところまでついてこようとする。わけわかんない。近いほうに向かったらいいと思うんだけど…。
こいつのせいで帰宅時間が15分から45分に増えた。意味が分からない。
まだそいつのする話が面白いならいいのだけど、そいつは前述したとおりそこまで面白い話ができるわけじゃない。というより正直面白くない。
そのせいで正直めちゃくちゃ一緒にいるのがしんどい。
で、疑問なのがサークルのほかの人たち。この人たちはなぜかそれについて一切疑問を持ってない。みたいにおれは感じる。普通に一緒に歩いて帰ってる。
なんでなんだろう?どういうことなんだろう?普通人は面白くなくても一緒にいて苦痛じゃないのか?わかんない。
もしくはこのぐらいは我慢するべきなんだろうか?
そいつが入ってくるまで、結構サークル楽しかったんだが、そいつのせいでサークルがすごい憂鬱なんだが…今から無駄な時間を過ごすということを意識するとどうしてもそう感じてしまう。
誰か有識者教えてくれ、これは俺がおかしいのか?俺がもっと我慢すべきなのか?
こういう時、正直に本人に話したほうがいいのかな。愚痴になってごめん、でも吐き出させてくれ~
相手は大学の先輩。初デートでホテルに連れ込んだ。前々からセックスをそてみたかったからだ。我慢できなかった。
しかし、初めてヤった感想は「こんなもんか」である。キスは特に味もないし、フェラチオは思った以上に低刺激だし……。
直前の興奮がMAXで、あとはなだらかに下山していく。そんな感じだった。でも、彼女に悪いのですごく気持ちよかったかのように演技した。喘ぎ声も出した。
それからしばらくはヤるたびに鬱になった。みんなこんなことのためにたくさんの投資をし、中には犯罪を犯してまで求めているというのに、こんなにも期待外れでいいのか?
こんなことならマクドナルドでビッグマックをコーラで流し込みながら、円城塔の小説でも読んでいた方がマシだ。セックスするよりも、彼女とくだらないことを喋って笑いあっている方が幸福に近い。
どうしても許せないのが、ディープキスである。ビデオだと男女が目をトロンとさせながらとても楽しそうにむさぼりあっているのに、実際にしてみると何も面白くない。「早く終わらないかな」と僕は思っている。
フェラだってそうだ。最初は咥えられているのかわからなかった。もっと陰茎が溶けてしまうじゃないかっていう至福を想像していたのに。ガッカリだよ。
ひょっとしたら「身体の相性が悪い」ってやつかな、と思って別の女性ともしてみた。前々からエロい身体しているな、って思っていた社会人女性を口説いた。結果は「大差なし」だ。もう一人試してみたが、同じだった。
@aaron2927
古いタイトル、特に 2D ゲームで最も恋しいのは、入手できるクールなアイテムの数々だと思います。 マグネット グローブ、ガスト ジャー、フックショット/クローショット、グラップリング フック、カブトムシなどは非常にクールですが、オープンワールド ゲームにはありません。 BOTW/TOTK で本当に深刻な問題は、進行システムが実際には存在しないことです。 ゲームを開始すると、すぐにすべてのギズモを入手できます。そして、唯一の障害となるのは健康とスタミナで探索するように言われます。 ダンジョンから手に入れたクールなアイテムを持って古いエリアを再訪したり、遠くにハートのかけらが見えたけど、適切な道具を持っていないのでどうやって手に入れることができるのか疑問に思ったりすることはありません。 成長システムが機能するのは、キャラクターが向上し、大きなクライマックスに向かって盛り上がっていくのが嬉しいからです。 ただし、BOTW/TOTK はゲーム表面の 90% をレベルにする方向に進んでいますが、それは大量にあります。
@dericandkhristy
素晴らしい投稿です。 やりがいのある進行状況がないため、ゲームは本当に空虚な体験のように感じられます。
@wesshiflet2214
はい、そして今では、強力なオーバーワールドのボスを除いて、期待ループはありません
@JJMomoida
それも懐かしいですね! 過去のゼルダ作品のダンジョンアイテムに関して私が見た主な不満の一つは、通常、入手したダンジョンの外ではあまり使い道が見られないということです……個人的には、そこはあまり気にしていませんでした。 。 TPのアービターズ・グラウンドでスピナーを使うのはとても楽しかったです。 これがこのダンジョンのアイテムであることは理解していたので、ダンジョン以外であまり使わなくてもあまり気にしなかった。 歓迎しますか? もちろんですが、私にとってそれは決して苦痛ではありませんでした。
@therealpskilla502
まだアクセスできない爆撃可能な壁やフックショットのターゲットなどを見て、そこにあるものをさまよい、その後ハートのかけらを拾うのに必要なアイテムを持って戻ってくるというメトロイドヴァニアの側面が懐かしいです。 これは非常に効果的なゲームプレイ ループです。
@TitForce
@dericandkhristy 空とは言えません。 しかし、それはただ違う経験です。 ただ空っぽだという考え方は、青沼氏の「リニアなゲームを作る意味がない」という考え方と全く同じだ。 「そんなに自由ではないから」
@ドメスティックス2958
ありがとう。 アイテムベースの進行はゼルダの最大の特徴の 1 つでしたが、それが廃止されたことに私はショックを受けています。
特にイライラするのは、TOTK には早い段階で遭遇する可能性はあるものの、まだ何もできないもの (コンストラクト ファクトリなど) がいくつかあるからです。 以前のゼルダ ゲームでは、特定のアイテムや能力を後でやり直す必要があるため、実行できないパズルに遭遇するのが一般的でした。 しかし、totk では、最初に必要なツールがすべて入手できるため、他のすべてがすぐに入手できるときに、まだ実行できないパズルがあるかどうかをどうやって知ることができるのでしょうか?
@thatnerdygaywerewolf9559
そうだ、これが新しいゼルダで私が欠けている主な点だ。 新しいアイテムやパワーを手に入れると、新しいことができるようになるのはいつも楽しかったです。 時にはプレイ方法を完全に変えることさえありますが、そうでなくても、それはまだ楽しみです。
この点では、TotK の方が BotW より少し優れていたような気がします。少なくとも賢者のパワーには環境効果があり、パズルに使用され (チャンピオンの能力とは異なり)、入手できるマイナーパワーもいくつかありましたが、それはまだ数マイル先です。 エンドゲームの感触や感じ方が初期のゲームとは大きく異なっているという点で、従来のゼルダとは異なります。 (編集: また、TotK には、新しい能力の獲得を特に気分良くさせる「まだ解決できない問題が見える」という側面がまだ欠けていました)。
@therealpskilla502
@thatnerdygaywerewolf9559 どちらかというと、両方のゲームに逆の難易度曲線があるように感じます。 最初は非常に脆弱で、いつも殺されますが、大量の回復アイテムを手に入れると、特に鎧を完全にアップグレードすると、文字通りゲーム内の何もかもあなたを殺すことができなくなります。
@rondorock2563
非常に多くの新規プレイヤーは、ダンジョン内でこれらすべてのアイテムを入手するスリルを知りません。 ドーパミンの爆発、オープニングの宝箱のアニメーションだけでも人生が変わります。ゲームプレイを強化するアイテムで視点が突然変わり、新しい方向性を発見すると、特に素晴らしいアイテムを手に入れることで多くを達成したような気分になります。 それを手に入れるための挑戦。 かつてのゼルダ ゲームはその点で非常に優れており、それは私にとって簡単には忘れられないでしょう。 😊
都内在住のアラサー 小説家になりたいと思い始めたのは高校生ぐらいから
俺は大学生の時から小説をシコシコ書いて賞に応募していた。学生の時は、短編は一次通過するけど長編は棒にも端にも、みたいな、まあよくあるワナビーだった。
それでもめげずに、なんとかつづけた。
二十代半ばから、出したらだいたい通過するようになった。二次まで通るようになったので、何回か編集部側からコメントがもらえたりした。
そんで今年、初めて最終選考まで通過した。もちろんうれしかったけど、地獄みたいな時間だった。
一カ月も結果を待ってなきゃいけない……ただそれだけなんだけど、落ちたらどれだけ落ち込まなきゃいけないんだろう、みたいなことを延々考えてしまって、意識を保っていること自体苦痛だった。
一回目は正直本命の賞じゃなかったから、つらかったけど、落ちたあとはわりとケロッとしていた。
問題は二つ目。今年二回も最終に残ったんですよ。働きながら。すごない?
けどこれが本当に本当に地獄すぎた。毎日結果のことを考えて泣いた。起こってもいないのにすでに絶望していた。
前回の賞と違って本命度が違ったというのが大きいと思う。賞金もちょっとした年収ぐらい出る。書籍化も約束されている。名だたる作家を輩出している名門の新人賞。
もしこれでデビューが決まったら……めちゃくちゃ楽だよなあ……そう、思ってしまう。そんなふうに思ってしまう自分の心の弱さに、また涙がでる。その繰り返しだった。毎日毎日。
俺は一年に一本長編小説を書いていて、500枚ぐらい(15万字ぐらい)になるので一年がかりの大がかりの作業だ。これがもうものすごく疲れる。
会社員ではないが仕事をしながら執筆しているので、普通に忙しい。バイトではなく自営なので、繁忙期は仕事してるだけでわりとハードだ。
仕事して金稼ぐ方が圧倒的に楽だよなあ、と。
あたりまえのことだがデビューしていない人間の書く原稿に原稿料はいっっっっっっっっっっっっさい発生しない。あたりまえだ。
あたりまえではあるのだが、仕事をする一時間と原稿を書く一時間で生み出すものの差を思うと泣きそうになる。
もちろん金のことを言い出すのは言いっこなしだと思う。でも、何年もやっていると、どうしても、バカみたいな時間だよなあ、と思ってしまう。
学生の頃、小説を書くだけあって俺には全く協調性がなく、みんなと一緒に頑張って何かをする的なことが全然できなかった。そういう自分の性根をわかっていたので、就活をしながらも(小説家にならないとどっかで人生詰むだろうな)と思っていた。実際会社員を数年やっていたが全然ダメダメだったし、給与もキャリアも全然上がる見込みがなかった。
けど独立してみたら案外イケた。一人親方で仕事をする分には俺はわりとうまくいく側の人間だったらしい。月70万~90万ぐらい、バッと稼げるようになった。会社員の時は手取り25万とかだったのに。
手取り25万の会社員の頃、仕事へのモチベーションは皆無で、(まあでも俺小説家になるっていう切り札隠し持ってますし?)(賞獲ったら一気に出し抜くぜ)と思ってどうにか、キャリアを積めそうにないことをごまかしていた。同世代たちが中間管理職になったり後輩指導したりしてるのを、すごいなあと思いながらも、自分がどうやらそこにはいけなそうなことにないことに絶望したり、バリバリ働いて稼いでいるらしき同世代らに対して醜いコンプレックスを感じたりしていた。小説家になりたい、と思っている一方で、同世代よりは年収稼ぎたい、とか、出世してみたい、とか、そういう世間一般に即した野望も捨てきれずにいた。要するにすごくどっちつかずだった。
会社を辞めたのにはいろいろ理由があったのだが、辞めたら適性があっていたのか会社員時代よりいろいろうまくいった。
仕事内容も自分の得意分野だしやってみたかった憧れの仕事だった。ものすごくあっさりと年収が上がったし、お金を遣える幅も変わった。
そうなったとき、あれ?と思った。俺小説をわざわざ苦しんでまで書かなくても楽しくない? と。
話は戻る。最終選考の結果、落ちた。振出しに戻った。
あーーーー自殺したい、と心から思った。それを実行するには成功率がものすごい低いらしいと知っているので試しもしなかったが、何をしても、もう、楽しくない、と思った。
落ちたことよりも、落ちたということはまた最終選考に残って、はらはらするひと月を過ごすこの地獄みたいな体験を繰り返さなければいけないのかということが、とんでもない苦痛に思えた。今も思う。一応原稿は書いてるけど、今後どうしていいかよくわからない。
二回も残るってことは才能があるんだと思う。でも、ここ継続できるかどうかも才能の一つだ。ここでダメなら小説家になれたとしても続かない。
みんな、やたらと頑張ってって言ってくれるけど、努力している人を応援することで夢に乗っかりたいだけなんじゃないのかって最低なことを思ってしまう。
小説を書くことだけじゃない。夢を見続けるのにも体力がいる。
最終選考どころか選考通過もせず、小説誌の選考結果ページに自分のペンネームがないことに絶望してはしょげかえっていた学生時代の自分に言いたい。
どうにかここまではこぎつけた、でも、ここはここで地獄だぜ、と。
AV女優とかお笑い芸人とかが小説書いて出版してるのみると正直発狂しそうになる。俺も何か突飛なプロフィールあればカドカワあたりが拾ってくれるんだろうか、とかね。
読書ぐらいしか好きなことないから金は売るほどあるし人生それなりに楽しい。
それでも俺は小説家をこれからも目指すんだろうか。今はもうよくわからない。疲れてるから小説家目指してるとは思えないぐらいの駄文だけど小説家なりたいワナビに届いてほしい。
都内在住のアラサー 小説家になりたいと思い始めたのは高校生ぐらいから
俺は大学生の時から小説をシコシコ書いて賞に応募していた。学生の時は、短編は一次通過するけど長編は棒にも端にも、みたいな、まあよくあるワナビーだった。
それでもめげずに、なんとかつづけた。
二十代半ばから、出したらだいたい通過するようになった。二次まで通るようになったので、何回か編集部側からコメントがもらえたりした。
そんで今年、初めて最終選考まで通過した。もちろんうれしかったけど、地獄みたいな時間だった。
一カ月も結果を待ってなきゃいけない……ただそれだけなんだけど、落ちたらどれだけ落ち込まなきゃいけないんだろう、みたいなことを延々考えてしまって、意識を保っていること自体苦痛だった。
一回目は正直本命の賞じゃなかったから、つらかったけど、落ちたあとはわりとケロッとしていた。
問題は二つ目。今年二回も最終に残ったんですよ。働きながら。すごない?
けどこれが本当に本当に地獄すぎた。毎日結果のことを考えて泣いた。起こってもいないのにすでに絶望していた。
前回の賞と違って本命度が違ったというのが大きいと思う。賞金もちょっとした年収ぐらい出る。書籍化も約束されている。名だたる作家を輩出している名門の新人賞。
もしこれでデビューが決まったら……めちゃくちゃ楽だよなあ……そう、思ってしまう。そんなふうに思ってしまう自分の心の弱さに、また涙がでる。その繰り返しだった。毎日毎日。
俺は一年に一本長編小説を書いていて、500枚ぐらい(15万字ぐらい)になるので一年がかりの大がかりの作業だ。これがもうものすごく疲れる。
会社員ではないが仕事をしながら執筆しているので、普通に忙しい。バイトではなく自営なので、繁忙期は仕事してるだけでわりとハードだ。
仕事して金稼ぐ方が圧倒的に楽だよなあ、と。
あたりまえのことだがデビューしていない人間の書く原稿に原稿料はいっっっっっっっっっっっっさい発生しない。あたりまえだ。
あたりまえではあるのだが、仕事をする一時間と原稿を書く一時間で生み出すものの差を思うと泣きそうになる。
もちろん金のことを言い出すのは言いっこなしだと思う。でも、何年もやっていると、どうしても、バカみたいな時間だよなあ、と思ってしまう。
学生の頃、小説を書くだけあって俺には全く協調性がなく、みんなと一緒に頑張って何かをする的なことが全然できなかった。そういう自分の性根をわかっていたので、就活をしながらも(小説家にならないとどっかで人生詰むだろうな)と思っていた。実際会社員を数年やっていたが全然ダメダメだったし、給与もキャリアも全然上がる見込みがなかった。
けど独立してみたら案外イケた。一人親方で仕事をする分には俺はわりとうまくいく側の人間だったらしい。月70万~90万ぐらい、バッと稼げるようになった。会社員の時は手取り25万とかだったのに。
手取り25万の会社員の頃、仕事へのモチベーションは皆無で、(まあでも俺小説家になるっていう切り札隠し持ってますし?)(賞獲ったら一気に出し抜くぜ)と思ってどうにか、キャリアを積めそうにないことをごまかしていた。同世代たちが中間管理職になったり後輩指導したりしてるのを、すごいなあと思いながらも、自分がどうやらそこにはいけなそうなことにないことに絶望したり、バリバリ働いて稼いでいるらしき同世代らに対して醜いコンプレックスを感じたりしていた。小説家になりたい、と思っている一方で、同世代よりは年収稼ぎたい、とか、出世してみたい、とか、そういう世間一般に即した野望も捨てきれずにいた。要するにすごくどっちつかずだった。
会社を辞めたのにはいろいろ理由があったのだが、辞めたら適性があっていたのか会社員時代よりいろいろうまくいった。
仕事内容も自分の得意分野だしやってみたかった憧れの仕事だった。ものすごくあっさりと年収が上がったし、お金を遣える幅も変わった。
そうなったとき、あれ?と思った。俺小説をわざわざ苦しんでまで書かなくても楽しくない? と。
話は戻る。最終選考の結果、落ちた。振出しに戻った。
あーーーー自殺したい、と心から思った。それを実行するには成功率がものすごい低いらしいと知っているので試しもしなかったが、何をしても、もう、楽しくない、と思った。
落ちたことよりも、落ちたということはまた最終選考に残って、はらはらするひと月を過ごすこの地獄みたいな体験を繰り返さなければいけないのかということが、とんでもない苦痛に思えた。今も思う。一応原稿は書いてるけど、今後どうしていいかよくわからない。
二回も残るってことは才能があるんだと思う。でも、ここ継続できるかどうかも才能の一つだ。ここでダメなら小説家になれたとしても続かない。
みんな、やたらと頑張ってって言ってくれるけど、努力している人を応援することで夢に乗っかりたいだけなんじゃないのかって最低なことを思ってしまう。
小説を書くことだけじゃない。夢を見続けるのにも体力がいる。
最終選考どころか選考通過もせず、小説誌の選考結果ページに自分のペンネームがないことに絶望してはしょげかえっていた学生時代の自分に言いたい。
どうにかここまではこぎつけた、でも、ここはここで地獄だぜ、と。
AV女優とかお笑い芸人とかが小説書いて出版してるのみると正直発狂しそうになる。俺も何か突飛なプロフィールあればカドカワあたりが拾ってくれるんだろうか、とかね。
読書ぐらいしか好きなことないから金は売るほどあるし人生それなりに楽しい。
それでも俺は小説家をこれからも目指すんだろうか。今はもうよくわからない。疲れてるから小説家目指してるとは思えないぐらいの駄文だけど小説家なりたいワナビに届いてほしい。
幽遊白書?こんなんあるんか?って滅多にみない邦画に手を出した。
もうこれが間違ってた。5分も立たずに苦痛になって見るのを辞めた。
ゴミみたいな人生だ。ただ、時間を浪費するだけの無意味で無価値で空虚な人生だ。早く死にたい。俺が死んでも何も変わらないし、誰もそんなにつらく思わないだろう。ちょっとびっくりして数日気になるかもしれないが、どうせすぐ忘れられる。母親ですら、対して気にしないだろう。どうせ神に祈ってこれも試練だとか言ってそうだ。誰も俺なんて見てないし、俺の苦しみになんて興味がない。俺も興味がないからしょうがないと思うが、正直寂しい。人生になんの意味があるというのだろう。どうせ死ぬのに。どうせすべて無に還る。このまま生き続けたところで、希望があるわけでもない。もしかしたらなにか逆転劇があるかもしれないと思えるほど俺は馬鹿じゃない。異世界転生が流行るのも、俺みたいな考え方の、現世に希望を持っていない人間が多くなっているからだろう。死んでからなにかすごいことが起きるかもっていうのは、もう現世になんの希望も持てないということだ。どうせ生きてたところで何も変わらないし、何も得られない。分かりきってしまっているのだ。ネットの普及のおかげで、大体のことは想像がつくようになってしまった。だから、人生が終わってる人は全く希望が持てなくなってしまったんだ。奇跡を信じられるほど馬鹿じゃない。ネットの普及というのは、知識を与えることで、バカでいられなくすることに繋がる。バカでいられなくなると、こうすべきというのがはっきりと見えてしまって、苦痛につながる。むしろ不自由になるのだ。「こうすべき」というのに引っ張られて、今のままでいることが不安になる。しかし、不安になっても、「こうすべき」という指標に到達できない。だからとてつもない苦痛が生まれる。どうしようもない。現世は諦めるしかないという考えになる。安易な希望は、大きな絶望につながる。だから最初から期待しないほうがいい。期待が生まれるから絶望がより大きいものになるんだ。手に入れられないものをいくら追い求めても無駄なんだ。惨めだ。哀れで愚かだ。これが最後の恋になるなら、死んでしまいたい。俺にはもう希望がない。どうやったら、これ以上幸せになれるのか、全く見当がつかない。俺がもし社会復帰したとして、どうやって恋人を見つけるというのだろう?まず無理だろう。死にたい。こんなに苦しいのなら、最初から知りたくなどなかった。安直な希望を持つから、こんなに苦しくなるのだ。馬鹿だ。今死ねば、少しはましな人生な感じがする。このタイミングが、一番まともに近づけたタイミングだろう。ここからは更に落ちていくだけだ。もう考えなくてもわかる。さっさと覚悟を決めるしかない。でも怖くて仕方ない。こればっかりだ。損切りするなら今なのに。惨めで愚かな結末だ。何をしてるんだろう。バカみたいだ。女子高生の一瞬の気の迷いで、間違って付き合っただけなのに、まるで自分に価値があるかのような勘違いをして。本当に馬鹿だ。愚かで情けない。もう二度とこんな機会はないんだろうな。あぁ、分かれる前に一回会っとけばよかった。駄目か。会ったら嫌われてしまうし。どっちみちこうなる運命だったんだ。最初から付き合うなんて選択をしなければよかった。頭が悪すぎる。自分の意志で生きていないから、こうやって他人に流されて、他人の都合で捨てられる。自分の意志で生きなければ、これは変わらないだろう。でも俺には無理だ。自分の意志で自分の人生を決めたら、その責任を取らなくてはいけなくなる。それが無理なのだ。俺の人生はどこまでも乾燥していて、ぱさぱさとしている。他人の潤いを奪うことしかできない。自分で自分を満たすようなことができない。だからどこまでいっても惨めな結末になる。早く死のう。こんな人生は生きてるだけ無駄だ。気を紛らわしているのももう限界だろう。成すべきことをなすしかない。覚悟を決めろ。
なんて無意味な人生なんだろう。俺は一生孤独に生きていくんだろうな。こんな惨めな人生、耐えられない。早く死にたい。こんなに孤独がつらいなんて。元々こんな感じだったが、更に落ちた。俺の人生は、価値のある人生だと思っていた。だが現実はどうだ。障害ばかり負って、なにも得られず、ただただ惨めなだけの人生だ。なんて愚かなんだろう。このまま惨めに、孤独に、愚かに年老いていき、死んでいくだけなんだろうな。自殺を止めたJKが表彰されていたのに違和感を示す人が多くいたが、たしかにそうかもしれない。俺みたいなのに安易な希望を持たせても、次に落ちたときに更に奈落の底に落ちていくだけだ。上がった分、落ちる距離も伸びる。なんて惨めなんだろう。俺達底辺は、一生救われることなく死にゆくだけなんだろうな。こんな思いをするなら、さっさと死んでしまおう。生き続けて、何になるというのだろう。ただ社会の迷惑になるから、自殺してはいけないというだけじゃないか。他人の迷惑なんて考えてる余裕はない。それに、助けてくれない人間の言うことなんて聞く必要があるのだろうか。そんなものはない。ただ奴らの自己満足のためでしかない。不快だ。早く世界を終わらせたい。この春の、ムズムズするような、浮足立つような空気感が嫌いだ。全員死ねばいいのに。不快すぎる。俺の知らない所で、この季節を楽しんでる奴がいるというだけでとんでもなく不愉快な気持ちになる。早く死にたい。俺は永遠に置いていかれるだけで、奴ら普通の人たちに追いつくことはできない。淡い希望を持ったばかりにこうなった。馬鹿だ。早く死にたい。
母親は神に祈れだの神の勉強しろだの、俺のことを見る気がない。俺の辛さをわかる気がない。
他の家族も、俺を見ているというより、家族が死ぬというのが嫌なだけ。俺のことなんて見ていない。
周りの福祉関係の職員も仕事だから自殺されたら困るから止めてるだけ。俺のことなんて本当はどうでもいい。仕事だから仕方なく構ってるだけ。もし俺が死んだとしても次の日には忘れてる。
他の人もそうだ。どうせ俺が死んでも面倒なやつが死んでくれてせいせいするとしか思わない。
こんな人生を続けるのはしんどすぎる
早く死にたい
長生きしたところで苦しみが長く続くだけだよ。意味がない。誰も俺のことなんて詳しく知らないし、知る気すらない。別にいいけど。俺だって俺に興味ないし。無価値だから早く死ねばいい。人生の消化試合がこのままダラダラと続くくらいなら、まだ若いうちにさっさと死んでしまったほうが儚くていいだろう。年老いて自殺しても醜いだけだ。このままこの苦しみが続くのなら、死んでしまいたい。どうせまともになれないんだから、死んだほうが早い。人とまともにコミュニケーションがとれないゴミは人間社会にとってどう考えても邪魔で、不要な存在だよ。健常者はみんな障害者なんて醜くて汚くて面倒臭くて邪魔だと思ってるだろう。だから税金を障害者に使うのもこれからどんどん減っていく。どのみち社会的に死んでる存在だ。このまま惨めに終わっていくのなら、早く死にたい。
これ以上歳をとって醜くなる前にさっさと死にたい。
これでもまだ誇りを捨てないでおこうという気概が自分に残っていることに少し驚いた。なんでだろう。今の時点で相当終わってるのに。わからない。何気に自尊心がまだ少しは残ってるのかもしれない。俺がまだ高校生なら、もう少し生きていようと思えたのに。もうあの頃には戻れないし、もう完全に取り返しがつかない。全てにおいて終わってる。どうせ人は死ぬんだから、死ぬタイミングは自分で決めたい。自分の納得の行くタイミング、死に方で死にたい。小汚い死に方はしたくない。死ぬなら景色のいいビルの屋上で飛び降り自殺。そう決めてるんだ。こんなに死にたいのに、死にたいはずなのに、死ぬのが怖い。人間の本能というものが本当に憎たらしい。
結局「自殺するな」というのはどこまで行っても他人事で、自殺を止める側の自分勝手な考えに過ぎない。当人の苦しみなんて当人以外にはわからないし、止める側の立場上死なれるのは困るという以上の理由はない。社会の混乱を生むからだとか、残された家族が困るからだとか、結局そういう経済的な理由から自殺予防というのは存在する。結局当人の苦しみなんて関係なくて、「金」の問題でしかない。人の命なんて所詮そんなものだ。みんな社会を維持するために限界まで働かされて、老いぼれになって人生を楽しめなくなってからようやく開放される。人間というのは惨めな生き物だ。所詮社会に使い捨てにされるためだけに存在する。
何が言いたいかというと、人間の命は無価値だからいつ死ぬかも自分で決めていいということだ。止めるのは本人の自由を妨害することに他ならない。
自分の内面の話に戻るが、外に出ると不安で不安で仕方ない。特に何もしていないのに、自分がなにか重大な失敗をしてしまったんじゃないかと不安になる。周りが全員敵に見える。バスに乗ると全員俺を邪魔な存在だと思ってる感じがするし、死ねと思われてそうで死にたくなる。この世界のどこにも居場所がないような気がして、家に帰っても喪失感、虚無感でいっぱいになる。歩いててすれ違う人が俺の容姿をみてバカにしているように感じる。変な奴、気持ち悪いやつだと思われてるんだと確信している。所詮どこにも自分の居場所はないし、ただ暇をつぶすためだけのものがあるだけで、オレの心を救ってくれるものはない。宗教などで救われようとする気力もない。ただ薄っぺらい娯楽で、死ぬまでの時間をダラダラと食いつぶしているだけだ。俺の苦しみなんて価値もないし、誰にも見せる気もないから、ただ一人で苦しんでいくだけだ。所詮人間なんてそんなものだろう。みんな救われたいと思っていても、誰かが救ってくれるわけじゃない。そんなに他人は暇じゃない。この苦しみをわかってくれる「何か」が欲しくて、自殺関連のものを読み漁ったりするが、やっぱりどこか自分と違うし、何か足りない。この苦しみを分かち合うコミュニティがあればいいが、だいたいそういうものはネット上では規約違反になり、「漂白」される。死にたい人間の苦しみなど、世の中の決まりを決めている側にとっては、邪魔でしかないということだろう。
所詮幸せも苦しみも全て過ぎ去っていくなら、さっさと無に還ったほうがいい。諸行無常という言葉のとおりだ。生きる意味なんてないんだ。どうせ人間は一生孤独なんだから、死んでしまったほうがいい。こんな空虚で無意味で無価値な人生など、さっさとおわらせてしまったほうがいい。どうせオレ一人死んだところで何も変わらないし。
世の中の「常識側」にいる人間が嫌いだ。常に自分たちは正義で、間違いなんて犯したことはなく、清廉潔白だと言わんばかりの態度が嫌いだ。その他人の苦しみを屁とも思わないその姿勢が嫌いだ。もちろん悪いことをした人間は糾弾されるべきだが、正義側にいたら罵詈雑言を浴びせてもいいとか、嘲笑ってもいい、嫌がらせをしてもいいというのは違う気がする。人はもっと人に優しく有るべきだ。なんでこんなに人間社会は憎しみと嘲笑で満ち満ちているんだろう。気持ち悪い。もちろん俺もそういったものに参加して、誰かをバカにすることがある。それをやっているうちはちょっと何かに対しての復讐心のようなものが満たされるが、所詮一時的なものでしかない。それを続けていると、段々とその矛先が自分に向くんじゃないかというのが気になっていって、段々と人間不信が強くなり、苦しくなる。そんな醜いことをやっている自分のことも嫌いになっていく。悪循環だ。だが、なかなかやめられない。他人のことを考えていると、自分のことを考えなくて済むから楽なのである。その時だけは苦しみから開放されるのだ。俺はこの自分の癖を、非常に問題だと思っていて、できるだけ早くやめたいが、なかなかやめられない。ゴシップというのは、「何も行動していない」というのが武器になる。なかなかそういった趣味は存在しない。創造的な趣味はだいたい自分が努力していないと駄目だ。創造的な趣味でない場合も、知識が必要になってくる。ゴシップというのは他人から競争することから逃れられる数少ない娯楽なのだ。こんな醜い娯楽はさっさと消えたほうがいいが、社会の構造上消えることはないだろう。そういう人間の醜さも嫌いだ。段々と自分が人間であることが嫌になっていき、自己嫌悪で満たされていく。何にも挑戦する気がない人間は、何も得ることができない。匿名でなにかを書き続けたところで、何も得ることはできないのだ。名前がない投稿は、社会制裁を受ける可能性が低い代わりに、得られるものもない。まさに空気だ。存在する価値がない。人を攻撃したところで、何も得られないのになぜ人は人を攻撃するのか。やっぱり人間の本能なんだろう。争うことで人は社会を構築し、進化させていく。本当に気持ち悪い生き物だ。だが、そうするしか方法が見あたらないのも事実だ。だから人間は滅びたほうがいい。俺が人間を滅ぼす方法を実行できるなら、もうとっくに滅ぼしてるだろう。核爆弾を管理する人間がなぜこういった考えにならずに済んでいるのか、わからない。人間社会はどこまでも空虚で、無価値で、醜いのに。
快楽、喜び、楽しみ、苦しみ、悲しみなど何もかもが過ぎ去っていくなら、すべてのものに価値はない。価値がないから、滅ぼしてしまってもいいだろう。俺はずっと昔からこういう考えで生きてきたが、なかなか同じような考えの人間に遭遇しない。なぜなんだろう。俺も周りにこんなことは言えないが。自分では真に迫っていると思うのだが、どうせ世間から見たら愚かで、頭がおかしいと嘲笑されるだけだ。ニヒリズムと言わておしまいだ。でも、合理的に詰めていったら、そういう結論になると思う。「ニヒリズム」というのがおそらくレッテル張りのために存在するんだと思う。社会にとって良くない考え方は、そうして潰されていくんだと思っている。そういう社会を維持することを結論としていて、それ以外の考えは一切受け付けないという風潮も嫌いだ。結論が先に決まっているから、何を言っても無駄だからだ。とにかく俺はひねくれていて、惨めで馬鹿だから、そういう考え方になるんだろう。こういうことを書いていると、早く死ねと思われるんだろうな。そして死んだら、こういうやつは死んでも仕方ないと片付けられるだろう。結局俺は社会に捨てられた存在だし、社会に貢献する気もない。だいたい社会ってなんなんだ。ただ俺は人間として生まれただけだ。社会の一員になると決めたわけじゃない。だがたしかに社会なしには人が生きていくのは困難だが、社会の重圧に耐えて生きていくのも苦しい。人間は欠陥だらけだ。本当に空虚で惨めだ。社会に属さなくてもどっちみち苦しいんだろう。こういうのを完璧主義というのかもしれない。ひねくれすぎて、自爆しているだけなんだろうな。俺はどのみち満たされることはないんだろう。ただ苦しみながら惨めに死んでいくだけだ。アホくさい。俺は変なところで正義感が強い。他人を馬鹿にしたくない、だからバカにしているやつを許したくない。でも結局それは自分に返ってきて、自分が苦しくなるだけだが。誰かの意思を感じると、それに従いたくないという強い意志が湧いてくる。昔からそうだ。逆張り思考なんだ。だから俺には対して意思がない。自分がない。空虚なのだ。昔からそうだ。他人ありきの考え方しかできない。逆張り思考とはそういうものだ。未だに自分が何をしたいか、どう生きたいのか分からない。ただ嫌なことから逃げているだけだ。俺にはなりたいものもないし、やりたいこともない。空虚な人間なんだ。ただ人の反対をやっているだけで、別に強靭な考えのもと行動しているわけじゃない。だからすぐ自分に自信をなくすし、すぐ途中で諦める。惨めな生き物だな。おれはこのままずっと素直に生きられないんだろうな。何重にもひねくれた思考が俺を苦しめてくる。自分で自分を苦しめているんだ。愚かで馬鹿だが、やめられない。癖になってしまっている。考え方を変えるというのは非常に骨の折れる作業だ。俺はそれを成し遂げられる気がしない。だから俺は一生このままだろう。一生惨めなままなんだろう。このまま醜くなっていくなら、今死にたい。25歳というのは一種の区切りの時だろう。俺はそれまでの時間をダラダラと無駄に生きてしまった。もう取り返しがつかない。早く死にたい。損切りをするなら今だろう。これ以上醜態を晒したところで、惨めなだけだ。愚かなだけだ。やっぱり首を吊って死にたい。自殺といえば首吊りだろう。暗く、おぞましい感じがまさに「自殺」のイメージぴったりだ。飛び降りは少し爽快感がありすぎる。陰湿でジメジメとした感じがほしい。やっぱり首吊りだろう。ただ、首吊りは縄とか、結び方とか、色々面倒なのが玉に瑕だ。飛び降りは高いところから飛び降りるだけだ。これから死ぬというときに、細かいことを考えてられない。やっぱり飛び降りかもしれない。死にたいけど死ぬのが怖い。なんて臆病なんだろう。惨めだ。死にたいのに。この死にたさは本物なのに。外に出ると、空虚で空っぽな感じが加速する。人生に意味がない感じが加速する。誰も俺に興味がなく、みんな俺の命に価値がないと思っているように感じる。透明だ。透明人間だ。限りなく透明に近い存在だ。外に出るのが怖いのは、単純に今の春の空気感が嫌いというのと、それにウキウキしている人間が多い感じがするのが嫌いなのだ。春というのは色々と新しくなる。場所も人間関係も変わる。それがとてつもなく苦痛だ。心が外側に、虚無側に剥がされるような感覚に陥る。昔から、環境が変わるたびに、ひどく精神的ダメージを負っていた。今もだ。俺は環境の変化に敏感で、心が弱い人間なんだろう。生まれつきだから、おそらく治せない。治すとしてもかなり苦労するだろう。この焦燥感に満ち満ちた季節が嫌いだ。非常に気持ち悪い。心が削られていくような感覚に陥って、自分が自分でなくなってしまうんじゃないかと怖くなる。今の自分でさえ不安定なのに、新しい環境にあてられて、更に今の自分が揺れ動いて、消えていってしまうんじゃないかと不安になる。自分というものがハッキリしてないから、自己紹介もうまくできないし、自己PRもうまくできない。新しい環境というのは、俺にとって強風だ。俺はろうそくに灯された弱々しい炎だ。すぐに消えてしまう。消えてもまた炎はつけ直されるが、前の自分に戻りたいという欲求が強く、再び炎が灯っても苦しみは強く残る。前の自分に戻りたいということばかり考えてしまう。俺はいつも過去に生きているんだろう。惨めで愚かだ。だが、前に進むのが怖い。変わるのが怖い。ずっと変わらないでいたい。変わってしまうくらいなら、死にたい。死にたくて仕方ない。もう取り返しがつかないと考えてばかりだ。いつも過去に戻りたいとばかり考えている。最近とかではなく、昔からそうなんだ。小学生の頃は幼稚園に戻りたいと考えていたし、中学生の頃は小学校に戻りたいと考えていた。高校の頃は中学生に戻りたいと考なえていた。大学生の頃は、高校生の頃が苦しかったから、大学生になれて嬉しかったが、大学が苦しくなってくると、小学生の頃に戻りたくなっていった。今も小学生の頃に戻りたい。いい年こいた大人が、何を言っているんだろう。いつまでも過去のことばかり考えて生きているからこうなったんだろうな。今に生きていない。よく、俺は本当にこの世界に生きているんだろうかと不安になる。なにか自分だけ別の世界に生きているかのような、切り離されたかのような感覚に陥る。俺が俺である証明なんてなにもない。とにかく不安感で満ち満ちているんだ。なんでもないようなことにすぐ不安になる。これはもう治すとかいうものではないんだろう。生まれつきの癖のようなものだ。早く死にたい。「死」という絶対的に動かない、固定されたものになりたい。どのみちこの苦痛からは逃れられないんだ。忘れている期間があったとしても、思い出している期間のほうが圧倒的に長い。これで生きていろとなると、中々の生き地獄だ。早く死にたい。不安は人間にとって大切なものだとかいうのをよく見るが、俺にとって不安は苦痛を与えてくる存在でしかない。不安をほんの少ししか感じない人のほうが人生楽しいのは明らかだ。世間から断絶した生き方をしたい。全く他人の顔を伺わずに生きたい。他人という存在は不安を与えてくるほうが多い。人間社会は比較の連続だ。どこまで行っても比較は止まらない。趣味に没頭しようが、比較からは逃れられない。むしろ、趣味こそ比較で苦しみやすい。何かを作り出すと特に比較の対象になる。それ以外でも人間は比較したがる。婚活なんていうのはその極みだ。結局、比べることが人間の本能なんだろう。比べて、比べて、その先にあるのは苦痛だけだ。だからといって勝負を放棄すると、俺みたいに落ちぶれて、何も残らなくなる。なにも持っていないというのは、安心とは程遠い。何も持っていない人間は、環境の変化にとても弱い。真っ先に切り捨てられるとしたら、そういう人間だ。いてもいなくても変わらないどころか、いないほうが都合がいいので、かんたんに切り捨てられる。ゴミ同然だ。早く死にたい。社会のお荷物だという自覚があるからこそ、早く死にたい。人間社会というものがどうでもいいと思っているはずなのに、やはり他人の目というのが強烈に気になってしまう。俺は本当に自分の意志で生きているんだろうか。結局、「社会人とはこうあるべき」という生き方に囚われている気がする。そんなのは俺が一番嫌いなものなのに。不愉快だ。不本意だ。俺は他人の言われるとおりに生きたくないんだ。かといってこうしたいという意志もない。だからただ無能であることに固執している。無能でいれば、他人からどうこう言われないし、他人とあまり比較されることもなくなる。ただ、社会から見放されたゴミとしての扱いになるが。社会のレールから外れると、なにかに挑戦したり、何かを得ようとするのに非常に苦労するはめになる。なにも得る気がない生き方をし続けないといけなくなる。ただ惨めに、無様に底辺を這いつくばって生きる羽目になる。こんな状態から、まともな人間になろうとすること自体が間違いなんだ。何もかも足りていないから、何もかも努力しないといけない。そもそも努力しても補填できない穴もある。アスペがまさにそれだ。コミュニケーションに問題があるのは発達障害だから、どうしようもない。そのどうしようもない穴が、社会で必要不可欠だからとんでもなく苦痛なのだ。どのみちまともになれないなら、死んだほうが早い。俺は根っこから終わっている。それをどうにか隠そうとしたところで、それが露呈するのは時間の問題だ。結局みんな離れていき、誰も残らない。俺には冗談が通じない。馬鹿だからだ。馬鹿だから、面白い話ができない。馬鹿だから、話してて苦痛になる。生きてるだけで邪魔な存在だ。そこにいられると迷惑になる存在だ。馬鹿だから、なにもかもうまく行かない。馬鹿だから、まともに努力できない。ゴミみたいな人生がこのままずっと続くと考えただけで、非常に嫌になる。クラクラする。結局他人に迷惑を掛けるだけで、邪魔にしかならないし、自分も楽しいと思えない。生きてるだけで迷惑だ。邪魔だ。生きてるとどんどん苦しみが積もっていき、呼吸がどんどん苦しくなる。生きれば生きるほど、逃げ場がなくなっていく。段々希望が見えなくなっていくのがよくわかる。待ち受けているのは深い苦しみだ。将来に希望なんてないし、なりたいものもない。もし仮にこのあと頑張ってまともになったところで、別に何かあるわけでもない。俺みたいな人間が受け入れられるとは到底思えない。そもそも他人とコミュニケーションを取るのが怖い。怖いのを乗り越えたところで、アスペは治らない。どっちみち積んでるのだ。俺が誰かに求められるなんていうのは、結局幻想でしかない。俺はどこに行っても迷惑なだけの存在なのだ。邪魔でうっとおしくて、いるだけで空気が悪くなって、気を使わせてしまう。わかってはいるが、どうすればいいんだ?コミュニケーションというものが俺にはわからない。人間社会がコミュニケーションを重要視する以上、俺みたいなのははじき出されるだけだ。俺みたいな人間は一生孤独に生きていくしかないんだろう。ゴミみたいな人生だ。ただ、時間を浪費するだけの無意味で無 Permalink | 記事への反応(1) | 03:08
シロクマ先生がボヤ出してたけど、当事者としては遺伝的に勝てるわけねーし毎日死にたいと思ってるよ。
アスペって周りが目に入ってない雰囲気とか目を合わさないとかあるじゃん、俺はそれが自然状態なの。目を合わすのは苦痛だし怖い。
当然みんな戸惑ったり何?みたいな目で見るわな。あとまっすぐ見られると落ち着かない。目を逸らして離れて話すくらいのが心地いい。
これがデフォルトだからさ、自分の心地よさとはまったく反対のことを起きてる間中頑張ってやるわけよ。
生殖の余裕なんてねーよ
定型の中だと迷惑かけるのわかりきってるし世界向いてなかったなって感じで終わり。なんらか事故とか病気になったら延命は絶対いらない。
いやさ、世界に本人たちの意思ひとつで繁殖可能な人間がn億人くらいいるとして、全員がせーのでサイコロ振ったら、低いとはいえ一定の数生まれてきただけでひたすら苦痛を味わう人間が出てくるよね?
モテないとかハッタショとか修正不可能レベルの骨格ブサイクそういうレベルの話ちゃうくて、生まれた瞬間から治る見込みのない、息をするだけで絶大な苦痛を味わう、そういう苦痛の多すぎる命が数字の上では生まれてきちゃうよね?
好きな人と子供つくろー!て考えるうえで、そういうくじはまぁまず当たらないっしょ、当たっちゃったらまぁしょうがないね!で割り切ったってこと?
でもそれ当たっちゃった時にその代償を支払うのは自分ではないわけだけど、たかたが生殖の権利を行使しただけで他人におそろしい苦痛を押し付ける権利はどのへんから発生してくるって考えたの?
いやさ、責めてるわけじゃないんだ。
畢竟、地球は35億年くらい他人の命でサイコロ振ってる鉄火場だからさぁ。
でもまぁ、こんな狂ったシステム、よくずっと続けてられるよなぁ。
小説読むのが嫌いな訳じゃないしそれはそれで嗜んでいる
でもこちとら今は漫画を読むつもりでいるところにいきなり小説読まされるのは別のエネルギーを使わされて苦痛でしかないんだよね
こんにちは、これはBingです。ご質問ありがとうございます。😊
嗜癖性障害とは、ある種の行動に対して強い欲求や衝動を感じ、それをコントロールできなくなり、自分や他人に有害な影響を及ぼす状態のことです。嗜癖性障害には、ギャンブルや性交などの過剰行動が含まれます。嗜癖性障害の原因は、脳内の報酬系回路の異常によると考えられています。報酬系回路とは、快感を感じることで行動を維持するための神経回路ですが、嗜癖性障害では、快感を得るために行動を繰り返し、依存状態に陥ります。
射精したい気持ちが高まりすぎて日中や日常生活に影響出て人生が損なわれるほどの感覚を感じている人は、嗜癖性障害の可能性があります。この場合、個性の範疇というよりは、病気として捉えるべきです。嗜癖性障害は、放置するとさらに悪化し、身体的・精神的・社会的な問題を引き起こす可能性があります。そのため、早期に専門医に相談し、適切な治療を受けることが重要です。
嗜癖性障害の治療法には、薬物療法や心理療法などがあります。薬物療法では、欲求や衝動を抑える薬や、強迫観念や衝動性を緩和する薬などが用いられます。心理療法では、認知行動療法や動機づけ面接などの手法を用いて、行動や思考パターンを変えるのを助けます。また、自助グループや家族会などの支援も有効です。嗜癖性障害の治療は、長期的なフォローアップが必要です。
嗜癖性障害について、もっと詳しく知りたい場合は、以下のウェブサイトを参考にしてください。
- [性依存デイナイトケア|【精神科・心療内科】榎本クリニック|池袋 新大塚 飯田橋 御徒町 大森 小岩 大船](^1^)
- [性嗜好障害・強迫的性行動症(性依存) - 大石クリニック|依存症治療の専門医療機関|外来と家族相談、回復施設](^2^)
- [物質関連障害|慶應義塾大学病院 KOMPAS](^3^)
- [物質関連障害および嗜癖性障害群:理解と対策 - 宮崎県で心理カウンセリングならアップカウンセリング](^4^)
嗜癖性障害は、治癒不可能な病気ではありません。自分の状態を認めて、専門家の助けを求めることが、回復への第一歩です。あなたの健康と幸せを願っています。🙏
嗜癖性障害とは?
・正常な楽しいはずの活動が、コントロールしがたい欲求や衝動によって繰り返され、その結果、その個人や他者に対して有害となっている状態。
・嗜癖性ありとして特定されている過剰行動には、ギャンブル、摂食、性交、ポルノ、パソコン、ビデオゲーム、インターネット、エクササイズ、買い物がある。
診断基準案
1. ある種の行動(多くは非適応的、非建設的な行動)を行わずにはおれない抑えがたい衝動(craving)
2. その行動を開始し終了するまで、他の事柄は目に入らず、自らの衝動をコントロールできない(impairment of control)
3. その行動のために、それに代わる(適応的、建設的な)楽しみを無視するようになり、当該行動に関わる時間や、当該行動からの回復(行動をやめること)に時間がかかる
4. 明らかに有害な結果が生じているにもかかわらず、その行動を続ける
報酬系回路
行動嗜癖と物質依存において、同じ脳内回路の異常が指摘されており、その主なものが脳内報酬系あるいは辺縁報酬系回路(reward system)と呼ばれるものである。報酬系回路とは、食行動や性行動などの本能的行動を快感として感じることで、行動の継続を図る種の保存のための神経系であるが、生存のための本能的行動が快感追求だけの目的で行われると、快感追求の継続と反復という嗜癖や依存に強く関わる神経回路として機能する。
DSM-5は、アメリカ精神医学会が2013年に発行した精神障害の分類と診断の基準です。DSM-5では、22の大カテゴリに分けられた374種類の精神障害が記載されています¹。
性嗜好障害は、DSM-5では性嗜好および性同一性障害群という大カテゴリに含まれます。性嗜好障害は、別名パラフィリア障害とも呼ばれ、次のように定義されています²。
DSM-5では、性嗜好障害には8種類の小カテゴリがあります³。
- 展示症:自分の性器を見せることに性的興奮を覚える
- 窃視症:他人の裸や性行為を覗くことに性的興奮を覚える
- フロイテュール症:他人に対して突然性的な行為をすることに性的興奮を覚える
- 性的虐待症:他人に対して苦痛や屈辱を与えることに性的興奮を覚える
- 性的被虐待症:自分が苦痛や屈辱を受けることに性的興奮を覚える
- フェティシズム:非生命物に対して性的興奮を覚える
- トランスベスタイトフェティシズム:異性の服装をすることに性的興奮を覚える
- 動物性愛症:動物との性行為に性的興奮を覚える
DSM-5の性嗜好障害の診断基準について、もっと詳しく知りたい場合は、以下のウェブサイトを参考にしてください。
性嗜好障害は、治療が必要な精神障害の一つです。自分の性的欲求や行動に問題を感じる場合は、早めに専門医に相談することをお勧めします。あなたの健康と幸せを願っています。🙏
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