はてなキーワード: 活躍とは
https://ameblo.jp/kekkon-monogatari/entry-12862020971.html
っていう回答について。
「女性の方が嫌ポイントが多い」って、それは女性がわがままで自己中なだけって話だよね。
女性が自己中でいられるのは女性同士がお互いの自己中を許容しあってるだけで、そういうのが許される社会的構造の中で生きてるだけに過ぎない。
共感の生き物とか言うけど、共感は全然してなくて、「私のわがまま聞いて!」に対して「いいよ!私のわがままも聞いて!」をやってるだけ。
その実わがままを受け入れるかどうかは別で、「主張は自由。押し付けは大罪」くらいのノリでしかない。
それを共感とはよく言ったもので、行動の伴わない共感は結局誰も幸せにならない。
それに対して「男性は女性に比べて愚痴らない」のは、わがままを口にしたところで何も解決しないことを知っているから。
自己中心的な考えを口にしたところで却下されることはわかりきってるから口にしないだけ。
解決ありきの情報発信はわがままではなくて改善案であって、事態を良くしようという前提があって発信するもの。
そうすると必ず出てくる指摘が、「すべての女性/男性がそうではない。」という指摘。
何が言いたいのかと言うと、それは男女の問題ではなくて、育ってきた社会的環境の構造上の問題だろうということ。
そこにジェンダーロールが大きく関わってくることは否定しない。
男性は早くから競争力が必要な環境に置かれて、愚痴が無力であることを学ぶ機会が多い傾向にある。
女性は天真爛漫が美徳とされて、過酷な状況からはあえて距離を置くような生活を求められる傾向にある。
仮にそうしたジェンダーロールが逆に機能する環境に置かれれば、男性だって女性らしく、女性だって男性らしく育つだけのこと。
例えば平日昼間のスーパーで人の動きなんかを見てると、あまりにも秩序が崩壊していて笑えてくる。
カートは自由気ままに動き回り、通路の妨げや人の流れなんてものは一切考慮されることなく、個人が自らを常に優先する世界がある。
圧倒的に女性が多いから女性がおかしいと考えがちだが、その時間帯にいる男性もそこそこひどい。
逆に平日夕方のスーパーでは、男女問わずに秩序が守られていたりする。
それはつまり、そこは男女差というよりも、ただそういう時間帯にいる=それが許される環境にいる人間の傾向でしかなくて、外に出て仕事した経験の有無と比例して愚痴を言うより先に手を動かして結果を産まなければ生き残れない世界にいたかどうかの違いの証明でしかない。
で、何が言いたいのかと言うと、それも時代の一過性だよねということ。
戦国時代から第二次世界大戦の徴兵を経て、男は外の世界で常に結果を求められる生き方を強要されてきた。
結局はその名残のなかで生きているから未だにそうなだけで、今みたいに平和な世の中なら男性でも自己中な人間はいくらでも出てくるだろうし、そうした中で結果重視で活躍する女性が出てくればそれに続こうという女性も増える。
これからはそういった意味で男女差はなくなっていくはずで、それを先天的な性差として開き直れば、これから先も平等なんてものが成立するわけがない。
それまで生きてきた環境の中で許されてきたものが、突然許されなくなったからと、「女性はそういうものだ。認めろ。」と騒ぐではなく、認識を正しくして解決していきましょうねという話でした。
この話題、何度繰り返されているのかわからないが、はてブで「女性だけの街プロジェクト」のクラファンは釣りじゃないですかねというエントリが話題となり、2024年にも再び女性だけの街が注目されることとなった。
何故ちょっと飽き飽きした様子なのか?の背景を説明するならば、筆者は2022年に最近の女だけの街の話題の流れを自分なりの雑な理解メモという増田を書いたことがあるのだ。そう、この話題ははてブで2年ぶりn回目である。
もう今さら女性だけの街の実現可能性について肯定的にも否定的にもされる議論へ個人的に飽き飽きしているので、これまで出た様々な主張の中から飛び切りの出来である主張を2つご紹介し、ただの論争に終止するだけでなく発展的な思考実験、議論、自己の価値観の検討をして頂こうかな?と思う。
女性だけの街の実現へ向けて、あまりにも名言すぎるので引用する。
この主張では老若男女問わず肉体労働の苦役から開放されるため、現在は重すぎる男性基準の機械を改善し相応の機械が開発されるべきという主張であった。
この主張から男性基準である労働環境を是正して老若男女が働けるよう労働のユニバーサルアクセスを達成しようという意見がこの時は大勢を占める形で落ち着いた。
その後、はてなでは労働のユニバーサルアクセス論が支持される傾向にあったが、2024年に入り散見されるようになったのは労働のユニバーサルアクセス論を支持するトップコメが生まれると男女共同参画社会は新自由主義なので賛同できないという主張が返された。
つまりこれは、自民党が推進する男女共同参画社会や女性活躍社会は労働人口の減少に伴った人手不足を解消するため女性を労働現場に導入しようとする新自由主義の考え方なので労働のユニバーサルアクセスから肉体労働へ女性を起用することは支持できないという考え方。
いわゆる反自民をベースとした主張ではあるものの、新自由主義へ対して一石を投じる興味深い主張で、保守的とされる自民党が事実として人手不足の懸念から左派的である女性の社会進出を主張し、その対抗論として反新自由主義の保守的な主張が起きるとは非常に興味深い現象である。
このエントリ内のエントリからこれまでの女性だけの街に関しての議論は追えると思うので以上2つをご紹介しエントリを締めたいと思う。
AIに要約してもらった。
この文章は、ゲーム開発の変遷に対する筆者の考えを述べています。
昔のゲーム開発は、リードプログラマーが自前でエンジンや物理演算を作り上げる職人芸的な仕事でしたが、今ではUnityやUnrealのような汎用ゲームエンジンが普及し、エンジンを書く仕事がほとんどなくなりました。
これにより、ゲーム開発はコードを書く作業から、コンテンツ制作に重点が移り、以前のようなプログラミングスキルがあまり必要とされなくなったことを嘆いています。
また、技術の進化によって、昔の職人技が不要になり、その結果、ゲーム業界で活躍する機会が減ったプログラマーもいると指摘しています。
筆者は、時代の変化についていけない自身や同世代のプログラマーが「老害」となりつつある現状を認識し、技術職の未来に対する不安を表明しています。
九州出身で東京に出てきた自分(女)からすると東北北海道出身の男の方がよっぽどクソ率高い。
叩かれるの前提で書くけど
自分の周りで「あいつ人間としてクソだな」ってやつが東北、北海道出身ばかり。
自分の不倫が原因で離婚して、子どもとの面会交流をしなかったり養育費未払いのやつとか、
女に金を出させる売れないバンドマンとか、
地元の観光交流大使をやってたのに震災後全く地元に帰ってないことを公言してたやつとか。
ちょっと前に話題になった、旭川で川から女子高生を落とした疑惑の事件とか
以前たまたま読んだこの記事のDVモラハラ男性も北海道出身だった。
https://bunshun.jp/articles/-/71971?page=1
東北北海道は生きるのに厳しい地域だから自分を守るために自己愛性が強くなるのか?
寒さが厳しいから家の中でできる娯楽=性欲の発散が娯楽の中心で、我慢が効かなくなるのか?
そんで自己愛性は遺伝したり虐待も連鎖するから、特定地域でその割合が高くなったりするのか?
なんてことを考えてた。
大谷翔平はどこまで活躍し続けるんだというくらいだし、見えてる限りは人間性も素晴らしそうだし
北島三郎も中島みゆきもドリカムもジュディマリもGLAYもサカナクションも北海道。
でも私の周りのクソ男はだいたい北国出身なんだわ。
ちなみに九州の親戚や友人の男は
まあ確かに威張ってる人もいるけどそういう人は男の甲斐性があるからちゃんと家にお金入れるとか、浮気しても帰ってくるとか。
根が腐ってる人はあんまいない印象だけどね。
あとなんだかんだ女が強い。
そんな実感。
町田の藤尾、主審にボール交換されて抗議してるシーンくそダサすぎる...
こんなアホが日本代表とか恥ずかしすぎるし、ってか代表でも大した活躍してなかったな... https://t.co/LZC3nN9gsI— u29 (@U293131) August 17, 2024
1日ずーっと出かけることなく家にいたら
今日何やったっけ?って
何かをやっているんだけど何も思い出せない1日になってしまっていて、
ここは大黒摩季さんかな?って懐かしい香りがしたすみれの花時計って
そんなことも思い出せない1日になってしまいそうで、
確かにこれ話だすといつものスプラトゥーン3の話になって終わってしまいそうだけど、
そうねその話ならずーっと出来るんだけどさ。
でも夏休みスペシャルなので何か気の利いたことでも書いてみようかしら?とも思うけど出かけないとそんなネタの種なのか種のネタなのか、
そういうのをゲットする機会を失っているのよ。
こんなでも
何かをしなくちゃ!って切迫感に追われたら、
なんのお休みなのかしら?って
別に何もしなくてもいい夏休みだっていいじゃないって結論に至ったのよね。
何かを成し遂げなければならない夏!を自分に課しすぎなのよ。
でも本当にこの夏のお休みの目標はしっかり寝て英気を養いまくりまくりすてぃーで
もうあれよ20時に寝て5時に起きるという早寝早起きを絵に描いたような感じに実行しているのよ。
テレビを偶然にチャンネルをつけたら何かわからない競技をやっていてぼーっとみる夜中のそんなシーズンもう終わっちゃったじゃない。
あれいいと思わない?
知らない競技の知らない選手をルールも良くわからないのにみるの。
でも私1発で見て一瞬で覚えた高飛び込みの選手がいて名前がサラ・ベーコンってものすごく朝食感のあるジューシーな焼き立てカリカリのベーコンを想像しちゃって、
そして、
何位だったのかどんな技を決めたのかとか全部忘れちゃってるし。
でも何気に不意に出会って見るオリンピックの思い出ってそんなものでしょ?
たぶん日本で一番「サラ・ベーコン」って入力して書いてる人って私だけだと思う。
そのぐらい夏なのよ、
これが私の夏の思い出、
懐かしい香りがしたカリカリ焼きたてのベーコンのブレックファースト!
無理やり大黒摩季さんの文法に収めてしまいそうなぐらいら・ら・らなの!
あれやってみようかなーって
いつも目玉焼きを作る時はノーマルの卵をダイレクトに熱せられたフライパンに落として焼き固めるんだけど、
今はこの時期時間があるので、
ベーコン目玉焼きやっちゃおうかしら!ってもうサラ・ベーコン影響大!
あれためしてガッテンとか発掘あるある大辞典とかでそのサラ・ベーコン選手の活躍が取り上げられたら
でもその番組はもう今はないのが不幸中の幸い。
私が思い立ったら吉日!って思って焼きたいと思う
今日はベーコン目玉焼きを美味しく作ります!ってまるで割烹着を着た小保方さんをも彷彿させるようなことは、
さすがにもうみんな小保方さんのことは忘れてあげたいと思うけれど、
どうしても割烹着イコール小保方さんという方式が世間に植え付けられているのよね。
割烹着といえばって、
でもそんな話より私はサラ・ベーコンさんの腕前を見習って高飛び込みを決めるのよ!
もちろん、
もちろんマーケットに卵とベーコンを買いに行く時入店する際の飛び込み前転は忘れないわ!
もうあと
さらには何をかけて食べる論争について平和の祭典なのでみんな争わないでほしいの!
なにをかけて食べたって美味しいじゃない!
もう私のために争うのはやめて!
きっとみんなににっこり金メダルよ!
ベーコン目玉焼きメダルは私が拵えて優勝を決めた選手にかけてあげるわ!
そう
うふふ。
じ、実は月替わりのサンドイッチもあってそれも楽しみなのよね。
8月はオイルサーディンマヨネーズ味サラダたっぷりトーストサンド!
和食も楽しみだけど、
多分今日のランダム焼き魚朝定食はどーせ鯖でしょ?って思ったので
もちろん鯖も美味しいのよ。
なので月替わりのサンドにしたわ。
夏に欠かせない1杯よ。
ごくごく飲むわ。
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://zenn.dev/sta/articles/2024-08-10-sat-what_is_si
少し前にブクマの集まっていたこの記事について、SIerでなぜITが軽視されるのか、SIerがしぶとく生き残っているのが何故なのかをもう少し深堀りしてみたくなった。なお俺自身は、もうずっと長いことSIerの中で働いている、現役のSIerの中の人である。
これから書くのはSIerの中でもBtoBの業務システムの中身の構築を主に手掛けていて、なおかつ元請けに近い組織の話だと思ってほしい。
まずSIerでITが軽視されがちな理由である。受託開発を主に手掛けるSIerの顧客は、だいたい以下のような特性を持つ。
このような顧客が日本社会にはまだまだいくらでも存在しており、その市場に特化した業態がSIerだ。このような市場は、いずれ消えると言われながら今でもしぶとく残っている。
こうした顧客の元では、新しい技術にチャレンジしてもあまりメリットがなく、枯れた技術や使い尽くされたフレームワークを使って、すでにどこかで見たようなシステムを生産するのが最適となる。古い技術は長期的には先細っていく運命にあるが、一方で経験者が多く失敗事例が出尽くしている、過去の資産を利用できるなどの利点があり、顧客側も冒険よりはリスク回避を望むため、古くて安定した技術を採用するメリットが大きい。
それを請け負うSIerで重宝されるのは、ITの知識よりも顧客業務を理解してロジックに落とし込むスキル、いわば業務をプログラム可能な形に翻訳するスキルだ。
顧客が自分で説明する業務のルールはだいたい矛盾していたり、条件が不足していたり、例外ケースが考慮できていなかったりするので、それらを整理してプログラム可能な形に変換する必要がある。特に金融などの業務がガチガチに法規制されている分野は業務ロジックを法律や制度に適合させる必要があり、そういう時に業務ロジックを「業務の専門家の立場で」検討できる人材がSIer側にいると顧客は安心して設計を任せられる。だからSIerでは上流工程が重視され、それができる人間が重宝される。
余談だが、俺自身は経理系システムを専門として長い間この業界で働いているが、俺がここに残っているのはIT技術も好きだけど経理の勉強をするのもそれと同じぐらい好きだったことが大きい。いざとなったら経理知識だけでも食いつなぐことができるぐらいには、そっち方面の知識もある。IT技術への興味は趣味で発散させており、仕事でそれを生かせる機会はなくてもいいと割り切っている。そういうタイプが、この業界には向いている。
閑話休題。
SIerでは上流工程が重視される一方、実装のフェーズでは使い尽くされたフレームワークを使って作るので最新技術への理解は必要なく、実装上の創意工夫が必要なほど難しいものや新規性の高いものを作るわけでもないため、設計書に書かれたことをそのまま実装できる人であれば十分、ということになる。そのため、実装要員は単価の安い人を大量に集めればいいという発想になり、かくして派遣ビジネスの隆盛へとつながっていく。
実装フェーズは業界全体で単価が安いため、元請けの比較的高給取りな社員に実装を任せてしまうと、それだけで利益率が悪化する構造があり、ハイスペックな社員はなるべく単価の高い上流工程にアサインしないと勿体ないという話になる。
実装のフェーズを丸ごと外注することも多い。フェーズ単位で外注する方式はウォーターフォールと相性がよく、発注のためにはきちんとした設計書を外注先に渡す必要があり、かくしてSEはドキュメントをひたすら書き続ける。
SIerは「ITを専門とする組織」ではなく「業務をプログラム可能な形に翻訳する専門組織」であり、翻訳した後の作業を自社の社員はあまりやっていないので、そもそもIT企業と言えるかは本来微妙な立ち位置なのだ。実際には翻訳の成果物である設計書でさえグダグダなことは多いのだが。
とはいえ、パフォーマンスチューニングなどで技術面の創意工夫はしばしば必要になるのだが、それが実装の工夫だけでどうにかなるものであれば、大体は現場のエース級の人(自社社員とは限らない)がなんとかしてしまい、経営者を含む大部分の人にはその必要性があまり深く認識されず、エースの人がどうやって解決したかも理解されない、というのが実情ではある。技術のスペシャリストはSIerでは立場が弱く、裏で活躍していてもそれが日の目を見ることはあまりない。
こうした姿勢のためにSIerはたまに来る技術の変化の波に弱く、大波が来た時はしばしば多くの人が新技術に適応できずにドロップアウトしたりする。日進月歩のITの世界で、お前は本当にIT企業かという感じではあるが、そもそもITの専門組織とはいえない組織なので期待するのは無駄である。
ではSIerがしぶとく生き残っているのは何故なのか。
SIerとは「業務をプログラム可能な形に翻訳する専門組織」だと言ったが、もっと大きなことを言うと、総じて日本のSIerというのは、日本社会を現状維持させるために存在する業種なのだろうという気がする。(日本に限定したのは、海外の状況はまったく知らないからだ。)
顧客もIT化の波に対応しないといけないが、かといって現状の業務を変えたくないし、ITのことを学びたくもない。SIer自身も新しい技術を積極的に取り入れない。その両者が結託して、古い技術で社会を現状維持させている。その良し悪しはともかく、多くの人がそれを望み、その望みがSIerという業種を存在させている。まるで邪教徒たちの祈りが邪神を生き永らえさせているみたいな話である。
古い技術を革新しないと社会が変わっていかないとしたら、SIerは変化に対する抵抗勢力であり、SIerの古い技術者が変化の波でドロップアウトするのは、社会にとって必要な新陳代謝といえる。
だからもし、技術で社会を変えようと望むなら、SIerは来るべき業種じゃない。技術の先駆者たちが社会を変えようとして切り拓き舗装した道を歩きながら、すでに出来上がった仕組みを維持するために働いているのがSIerだ。技術で社会を変えようと望む人は、是非他で活躍して、技術変化の波を起こし、俺をドロップアウトさせてみてほしい。
そういうゲームデザインが良いか悪いかは別として、その手のはJRPGだとドラクエもFFもずっとそうじゃん。
厳密に言えば、ドラクエは2からだけど、ゲームデザインとして「パーティー」の概念があるターン性RPGは基本的にそうでしょ。
HPと攻撃力が厳密に比例するようなゲームデザインは悪いのでは?という問いの立て方が限定的過ぎて変なんだよ。
HP60%で攻撃力60%だと困るだろ、みたいな。なんでそんな変な前提を置くねん。
閾値があるようなゲームデザインであってもアリやナシや、みたいな検討にしないと。
(ゼルダの体力マックス時のビームみたいなのに触れている点からも、本来そっちに気が付くべき)
で、そう考えれば、パーティーを組むターン性JRPGは、基本的にパーティー全体の体力(全滅までの余力)とパーティー全体の攻撃力(ダメージソース)は、関係するでしょ。
アタッカーのHPが0になる(という閾値を超える)と、パーティー全体の攻撃力がガクッと下がる。おなじみの構図でしょ。
HPが減れば(ひとりかければ)攻撃力が下がる(ダメージソースが減る)という基本があるから、回復役を入れようとかそういう話になるわけで。
感覚的にも、パーティーのメンバーが一人また一人と倒れていくのにパーティーでの攻撃力が下がらないって違和感しかないでしょ。
アタッカーが戦闘不能になる、それを回復させる、またアタッカーとして活躍する。
ユーザー体験として、ジリ貧だなあ、みたいな戦闘って絶対経験あるでしょ。
アレでしょ。
(逆説的に、全員バーサーカーの脳筋パーティーみたいなのがロマンとして語られるのは、その前提があるから、ともいえる)
だから、このゲームデザインがアリやナシや?って考え方になる方が自然なのでは?
それはある意味ナシじゃね?ってのが、「サガ エメラルド ビヨンド」で、河津秋敏さんの「自分としては、回復はバトルを引き延ばしてプレイヤーの時間を奪っている要素だと思っているんです」に繋がるわけじゃん。
この、ある閾値を超えてある箇所にダメージを受けると、攻撃力が下がるというのは、RPGではあまりにも基本的過ぎて顧みられることすら無かった部分じゃん。
いくらなんでもコレを前提に置かないJRPGの話はダメでしょ。
「HPが減ると攻撃力が下がるゲームデザインがなぜないのか?」という問いなんじゃなくて、
「キャラクター単位でHPが減るとそれに比例して攻撃力が下がるゲームデザインはどうか?」という問いなんじゃないの?
それなら答えは「そんな面倒くさいことを一人のキャラクターに設定しなくても、すでにパーティーと言う単位で行われているから」になるじゃん。
(逆説的に、パーティー単位でないゲーム、例えばシミュレーションゲームのユニットみたいなのは、ユニットの所属人数と攻撃力とが比例するゲームデザインになってるものが結構あるでしょ)
(そういや、レベルを吸われるのでパラメーターが下がるという珍しい体験悪化が行われる戦闘もまれにだけどあるよね)
こんなん議論するまでも無いと思うけど。
ゲームデザインとして、「ユーザー体験を悪化させるようなことはどこまでなら許容されるのか」みたいなのは面白そうだけど。
いくつか思いつくけど、結構あるでしょ。ポケモンがあるレベルを超えると言うこと聞かなくなるとか。雨降ると崖を登れなくなるとか。
意味の無いゲームデザインがなぜ意味が無いのか考えるのは、意味が無いからという答え以外無くない?
百歩譲っても、「こういう意味があるので体力に比例する攻撃力を設定したいんだけど」という前提を置いてくんないと議論にならんでしょ。
・知識ある人たちからしたら現状では占領を維持出来るほどの戦力ではないらしいが、南部のドニプロ川の橋頭堡を維持し続けられてることを考えると実際には占領維持が可能なのかもしれない。
++橋頭堡化説
・ロシア国内に入ってしまえば地雷原がないため機械化部隊を活躍させやすくなる。占領を維持して他に浸透するための入口にしたいのではないか。
++陽動説
・撤退戦でのリスクが高いらしいがロシアの防空網がボロボロでありドローンによる監視網、その他西側諸国が情報を収集してることを考えると大規模な部隊をロシアが送り込んでくる前に撤退は可能なのではないかと思わないでもない。他を攻撃するための布石として一番ありえそうな説。また一度越境攻撃を成功させることでウクライナ軍は越境攻撃をしてくる、とロシア側が認識したのなら全戦線においてそれを警戒する必要が出てくるため二重の意味で陽動が可能になる。
クリミア奪還が目的なら地理的には最も離れてるので時間稼ぎに最も適してる場所だろう。
・ウクライナにもガスパイプラインが通っており占領維持が困難な戦力であるのならこれはありえないのでなかろうか。
・プーチンの政治体制を揺らがせることが目的なのではないか説。ただこれが目的ならロシア国内で革命を煽るなど直接的な行動もしないと効果が薄いように思う。
政府認可の学校は、一般に.ac.jpドメインを持っているような学校のことだ
政府に「大学」「専門学校」と認可されるには、さまざまな制約を満たさなければならない
つまり、企業グループが集まって学校を作り、企業にとって必要な人材を育成するカリキュラムを作るわけである
このような学校は市場主義において非常に合理性が高いと考えられるが、私はこういったシステムが流行っていない現状が不思議でならない
少子化も影響している気はする。子供は偏差値の高い学校から順番に選ばれていくので、企業としては偏差値の高い学校の生徒を取るだけでよくなっている
つまり企業は能力の選別はするものの、大学には「教育の内容」を期待していないわけである
企業認可の学校が存在しない理由として、企業の教育への関与が薄いことが挙げられる
企業は、教育機関に対して高い期待を持たず、単に優秀な学生を採用することに重きを置いている
また、企業が自ら学校を設立しない背景には、教育事業に対するリスクやコストがある
教育機関を運営するには、多大な資金と時間が必要であり、短期的な利益を追求する企業にとっては、魅力的な選択肢ではないのかもしれない
さらに、少子化の影響で学生数が減少している現状では、企業が新たに学校を設立しても、十分な学生を確保できないリスクも存在する
しかし、企業認可の学校があれば、企業は自社のニーズに合った人材を育成できる可能性が高まる
教育内容が企業の要求に即したものであれば、学生は卒業後すぐに戦力として活躍できるだろう
これは、企業にとっても大きな利点となるはずだ
このように、企業認可の学校が成立しない現状は、企業の教育に対する姿勢や、教育事業への参入障壁が影響していると考えられる
しかし、今後の社会の変化や企業のニーズの進化に伴い、こうした学校が登場する可能性も否定できない
企業が教育に対してもっと積極的に関与するようになれば、企業認可の学校が現実のものとなる日も遠くないのかもしれない
毎年同じ内容を投稿しているが、今日広陵と明徳義塾が登場するので、このタイミングで修正して再投稿。
日本の高校野球の歪さとして、酷暑の開催と過密日程はよく言われるところだが、もっとも深刻なのは私学強豪校の過剰な部員数であると思う。広陵は150人、明徳は108人を抱えている。他にも鶴岡東や聖光学院などが100人を超えている。大多数が通学圏外の「野球留学」の選手である。
周知のように現在は超少子化の時代で、子供におけるスポーツとしての野球に対する人気もサッカーやバスケのはるか後塵を拝するようになっている。にもかかわらず、甲子園に出ている私学強豪校は、現在でも100人を超える部員を通学圏外からかき集めるという、子供の数が多くてスポーツといえば野球が王様だった時代にかろうじて許されたやり方を、最近にもなってもむしろ加速させている。
その結果として何が起こっているかは想像の通り。地元では有名だった中学生の野球選手が、通学圏外の部員100人超えの強豪校に進学して3年間公式戦に出ることもなく補欠やスタンド応援要員のまま(最悪の場合中退)である一方、その選手の地元の公立校は部員数の不足に悩まされ、弱体化に拍車がかかって連合チームになったりしている、という風景が広がるようになっている。かつては甲子園常連だった名門公立校も、部員100人超えの新興私学に太刀打ちできなくなっている。
こういう話をすると、「選手の自由だ」という反論が返ってくる。しかし、試合に出て活躍することよりも、補欠やスタンド応援でも甲子園常連校に在籍していたことのステータスを選択する自由とは、一体何なのだろうか。そんな選択はそもそもおかしいのではないか、と親や教師はアドバイスしなければダメだろう。そして、私学強豪で3年間補欠だった選手が、卒業後に大学や企業チームで活躍している例は残念ながらほぼない。選手の実力を成長させるのは、練習以上に試合の経験なのである。
甲子園出場経験のない地元の高校で活躍し、注目されて上のレベルに進む例の方がまだ多い。例えば阪神の大山と佐藤は、それぞれつくば秀英と仁川学院という甲子園未出場の地元の高校に進学し、そこで目立つことで野球の強い大学に進学することができた。部員100人超えの私学に進んでいたら、試合に出る機会すらなかなか恵まれなかった可能性が高い。
2010年代以降、予選の参加校数も減少の一途をたどっている。にもかかわらず、現在でも部員100人超えの私学校が減っているように見えない。私立高校のエゴイスティックな経営戦略のために、日本全体の野球文化が掘り崩されていると言っても過言ではない。
先日、猫島と呼ばれるところへ行ってきた。
猫を飼ったりしたことはないけれど、初めて猫に餌をあげて何匹もやってくるのはすごく心地が良かった。
猫島と呼ばれるくらいなので、人慣れしてるから登ってこようとするような猫もいる中で、猫を抱っこすることはおろか、撫でることすら出来なかった。
多分、猫に拒絶されるのが怖いんだなと。
人間に対しても距離感が掴むのが苦手な私だが、猫に対してもそう思ってしまうんだなって思った。
と言う話を友人にしたところ、親友と呼べるような友人から「なんでもコンプレックスに繋げるのやめない?」と言われた。
別に、真剣に嫌がられているトーンで話されてたわけじゃないけれど、自分の人間性に嫌になってしまった。
直近で、違う友人にも同じことを言われたこともある。
多分、正常な人には理解されないと思うのだけれど、この思考回路を単純にはやめられないというか、何事も全てコンプレックスに繋がってしまうのだから、本当にどうしようもないのだ。
例えば、料理屋で美味しいものを食べた時、食事が好きな人は「料理が美味しくて幸せ」という感情になると思うのだけど、私は「こんなに美味しいものを作る人がいるのに、自分は大したものが作れないな」と考えてしまう。
誰かの活躍なんて聞きたくない。
20代に出会った友人たちは、色々あって縁が切れているが、界隈的には活躍してる人も多いと思う(ネットを通じて嫌でも見てしまうことがある)が、知りたくないからなるべく触れないようにしてる。
最近はフィクションである物語作品を見ていても、登場人物と自分を比較してしまい、精神が参ってしまう。
それを冗談めかして数少ない友人へたまに話すことによって自分の精神の安定を計っていたが、相手もどこまで真剣に言っていたかはわからないけど、やめない?と言われたからには、もちろん控えるつもりだ。
吐き出す場も無くなってしまい、どうしようもなくなってしまい、こうしてはてな匿名ダイアリーに書いている。
よくストレス発散には「散歩して、美味しい料理を食べ、趣味に没頭する」(例はさておき)みたいな話がある。
でも私は散歩しても「無駄な時間を過ごしてしまった」と思うし、美味しい料理を食べてもさっきのようにコンプレックスが刺激されるし、そもそも没頭できる趣味はない。
趣味的なものは、全て「自分よりできる人、詳しい人はたくさんいる」と思って続くものは一つもない。
現在、人生最長記録である2年半くらい続いたものも、だいぶコンプレックスが刺激されてきて嫌になってしまったので、正直やめようかと悩んでいる。
多分こんな極端な思考回路な人は少数だと思うから、共感されないことはわかっているが、もし共感ができる人がいるならば、どうやって精神の安定を保っているかを教えて欲しい。
オリンピックであまり興味の無かった競技の記事なんかを読むと、だいたい「そのスポーツで一強となりつつある国が有利になり過ぎないように、複数の国が実質的に共謀してルールを変える」みたいな、ロビー活動の末の政治的パワー(主に西欧主導)みたいな、政治色の強い汚い世界があるという話で
そして大体、ルールを変えられる立場のオリンピック委員会なり国際協議委員会なりの代表者は、昔は選手としてその競技で活躍した人だったりして、その人も選手時代は「自分は与えられた環境とルールの中で全力を出すだけっす」とか言ってたんだろうなと思うと、いつ頃から大人の汚なさを身につけて政治的なムーヴをするに至るんだろうなという闇堕ち想像みたいな話になる
フェミニストでも批判している人はいる。個人的にこの意見に共感。
やっぱりこのドラマはリーンインフェミニズムをベースにしていて、とにかく上昇したい、活躍したい、認められたいという女性の欲望に訴えるものなんでしょうね。それ自体を否定しても意味はないけど、フェミニズムとはそういうもの(だけ)ではないということは言っておきたい。
「高崎物語」は、暇空茜の怨敵である堀口英利を誹謗中傷する内容のストーリーだ
好き嫌いcomでリレー小説形式で綴られるどう見ても嘘松な内容だが、暇空茜は堀口を貶める目的で真実として広めており、岩下の新生姜社長も盛んにRTして加担している
https://suki-kira.com/people/result/%E5%A0%80%E5%8F%A3%E8%8B%B1%E5%88%A9
その物語の内容は、堀口が地元の群馬県高崎で女性に性暴行したことを女性の兄やその関係者らが告発するという内容だ
女性を暴行するだけでなく、性的な異常行動が多く母親と近親相姦したり、人前で肛門をいじるのが常習化し肛門いじりにより潰瘍性大腸炎になったという
肛門いじりの際にはお菓子の「アルフォート」を使っているという設定だ
被害者女性の兄はイケメンヤンキーで、彼が大活躍して堀口を倒すというヒロイックストーリー
最近の暇空は、colaboに敗訴しのりこえねっとに敗訴し、久しぶりにヒットしたキッズドア叩きも、キッズドアが暇空弁護士の渥美陽子の関係者の関係者がやっているためストップをかけられ不満がたまっていた
また、8月中には堀口との裁判判決が出る予定で勝てそうにはないため、物語の中で堀口をこき下ろしてスカッとしたかったのだろう
その気持は、暇空の敬虔な信者である岩下の新生姜社長も同じだった
neko800@nekohachi1
フォロワーたちよ。おつまみは「岩下の甘らっきょう」にしなさい。
@shinshoga
あまりにもメシマズな話題が続いたので、ネコハチさんはどう料理されてるかと覗いたら岩下のらっきょう!救われました…😭
neko800
@nekohachi1
TLにカルマが貯まってきたら岩下の商品でリセットする事にしています。ありがとうございます☺️
@shinshoga
岩下の生姜社長は電波作文「高崎物語」を熟読して「アルフォートを肛門挿入」ネタを楽しんでいる
一般の大学生が誹謗中傷される作文を面白おかしく食品会社の社長が話のネタにしている
この会話相手の@nekohachi1は堀口を全裸にしたり滅多刺しにしたりする画像を作成して動画も作り収益化している人物だ
@nekohachi1のアカウントを見てくればわかるが、彼は一貫して堀口を模した中傷画像や動画を投稿し続けておりそれがメインコンテンツ
岩下の新生姜社長は@nekohachi1と相互フォローであり、「公金不正受給追求」などという「建前」すらつかない堀口叩きを支持している