はてなキーワード: 保育園とは
そこまで面倒なママ友付き合いはなかった
子供の行き来がある家の親とは連絡取り合えるようにしてるぐらい
幼稚園だとみんな暇だから送り迎えのついでにランチいったりだのなんだの面倒らしいけど、保育園→学童だと親が忙しいからそこまで密な付き合いない
クソみたいな家族の元育った。
ドラマの登場人物か?というくらい暴れるアル中無職の父親、全員父親の違う子供を5人も産んだアバズレオブザイヤー獲得の母親。16歳も年の離れた妹にヘラヘラしながら性的虐待する兄。学校に行かずシンナーばかり吸って気が向くと妹に万引きをさせるこちらも年の離れた姉。
私は毎日何が何だかわからないまま起きて眠っていた。心の支えは飼っていた犬猫だったが、犬はそのうち山に捨てられ猫は「人にあげた」と母が言っていた。多分捨てた。
父親は私がまだ保育園児のころに酒飲み運転で事故って人を巻き込んで死んだ。記憶にあるのは父親が暴れだしたら姉と2人、トイレに逃げ込んでいたこと。1枚だけ写真があったが、顔にも見覚えはない。知らない顔の濃いジジイだ。その写真も今は持ってない。
母親は私が小学生のころにくも膜下出血で倒れて俗に言う植物人間になった。そこから20年以上も生きて数年前死んだ。生きすぎなので死んでからも反省して欲しい。
母親が倒れたことで兄弟はバラバラになり、1番下の私は独身の母の妹に引き取られた。もちろん伯母も変わった人間だったが、母よりはマシだった。静かな人で、スナックのママをしていた。彼女のことは、好きでも嫌いでもなかった。でも少しはありがたいなと感じていたと思う、きっと。
私が中学生になったころ、ある夜スナックから自宅に電話が掛かってきた。常連のおじさんだった。
お店に来たら、伯母がカウンターで倒れていたらしい。脳梗塞だった。
すぐに発見してもらえたこともあって、伯母はごく軽い呂律の回らなさや手の動かしにくさは残ったものの、日常生活に支障のないほどに回復した。しかしさすがにスナックを続けるわけにはいかず店をたたんだ為、その後生活に困ることになる。
生活に困った伯母はパチンコ屋でひっかけたおっさんとあれよあれよという間に結婚した。
脳梗塞後、伯母は少し人格が変わって常に人の悪口ばかり言っていたし、私にも毎日切れていたので2人きりの空間に他人が入ってくることに少しホッとした。
私は、小学生のころから本や図鑑ばかり読み、机の上でする勉強が大好きだったが、中学生になるころには勉強に取り憑かれていた。学年1位でなければ伯母にビンタされるということを抜きにしても、私は常に1位でいたかった。
勉強は一生懸命するものの、きちんとグレ始めていたので不良とばかり遊び、酒もタバコもセックスもとっくに覚えていた。まぁ初めて見た男の硬くなったモノといえばクソ兄貴のモノだったけど。よくたまり場で不良たちに勉強を教えていた記憶がある。みんな素直に聞いているのが面白かった。
高校生になった頃から、「大学には行かせない」と伯母に言われ始める。私には小学生のころから夢見ていた大学があり、その為に楽しんで勉強をしていた。伯母はなぜか「奨学金などという借金も許さない」と本当に頑なで、ガキながらにマジで意味不明だった。
家に帰れば毎日叔母と言い合いになるし、別にもはやどうでも良かったがおっさんにはずっと家庭内セクハラをされていてキモかった。お風呂中にわざと洗面所に来て話しかけられる、トイレに入ると7割の確率でノックされる、セックスの話をされる、私の下着を間違えたと自分のタンスにしまっている。きもっ。
高校2年の時、頭の中でパーンと音がした。朝起きたら、パーン、と乾いた音がして、ほんとうにしんそこ何もかもがどうでも良く思った。
私みたいな人間は何をしても無駄だし、クソみたいな両親から生まれたんだからどうせ私もクソなのはわかってるし、私にはキラキラした未来などないということに突然気がついてしまった。無駄だった、全部。どうでも良いや、未来などない。
その日から家に帰るのをやめて、男の家を渡り歩いて勉強もやめた。学校はたまに行っていたけど、伯母は特になんのアクションも起こしていなかったので何も言われなかった。何度か家に戻った時は、きもおっさんがアタフタと話しかけてくるものの、伯母は私を完全無視していた。
休みがちになり、成績も一気に下がった私を心配した先生たちが何度か「困っていることがあったら相談してみろ」、こいつらに相談したところで何がどうなるのか私にはわからなかった。
1人だけいた友人と私を心配してくれていた先生たちのおかげで、卒業式には参加できなかったものの卒業証書を貰うことができた。
高校卒業後は正式に家を出て、そこからデリヘルや水商売を渡り歩き、22歳の時に介護の資格をとってからはずっと福祉の仕事を続けている。
数年前には社会福祉士の養成学校に入学し、現在は何故か結婚までして主婦しながら社会福祉士をしている。
ところで、私は18歳から22歳までに3回中絶している。アバズレ母の子供らしく、ずっと男に依存して生きてきた。
セックスを献上することが何よりの喜びであり、生きる意味だった。男がいなければ自分に生きる意味はなくなり、文字通り男がいなければ生きていけなかった。男の言うことは絶対だったし、逆らうことなどできなかった。自分のために。
3回目に中絶した時、麻酔から覚める途中に「いたい!!!いたい!!!」と子供の絶叫が聞こえて私はぎゃあと叫んで体を起こした。はっきりと聞こえた。
中絶などなんとも思っていなかった私にも、少しの罪悪感があったのだろうと思う。
22歳のある日、珍しく朝に目を覚ましたらパーンと音がした。その瞬間、自分の全てに嫌悪感が湧いてきた。自分は何をして、どこにいるのか?いつまでこんなふうに生きていくのか?自分が嫌で嫌で涙が出たを
もう取り返しがつかないことはわかっていたけど、とにかくこの渦から抜け出さなければいけないと初めて感じた。
その日から大きく変わったことのひとつが、食べ物を美味しく感じたことだ。それまでの私は本当に食に興味がなく、空腹になるので限界がきたら仕方なく何かを摂取していた。
それなのに、ふと食べたにんじんがとても美味しかった。ピーマンも美味しい。マグロのお刺身も、チキンナゲットも、お米も、何もかもが美味しかった。
食べ物が美味しい、というだけで生きている意味になる感覚だった。
もう男への依存は憑き物が落ちたようになくなり、生きる意欲が湧いていた。
そこで人生を何とか立て直すために選んだのが、介護の資格を取ることだった。
介護の仕事といえば、学歴も職歴も関係なく、ほぼどんな人間でも採用される。しかも、こう言っては悪いが働いている職員の質も良くないので、普通に仕事ができればすぐに昇進できるだろうと思った。
福祉の仕事を始めてからは、どんどん人が好きになり、比例してどんどん自分を嫌いになっていった。
普通の人間みたいな顔をした私を好きになった人たちと友達になり、そんな顔をした私を好きになった男の人と結婚までしてしまった。
私は、クソみたいな人に育てられたクソ人間のエリートであり、現にクソなのだ。育ちや過去を言い訳にし、勝手に病んで、勝手に全てを諦めて、馬鹿みたいな生活をして、人を3人も殺して、平気な顔で生きているのに。凄くヤバい人間なのに。人間以下なのに。
今になってやっと、心臓がズタズタになる。人を殺したことも、大学を諦めたことも、私を育ててくれた伯母と縁を切ったことも、統合失調症になった姉から連絡が来た時に冷たくしたことも、母親に早く死ねと思ったことも、とにかく私のなにもかもが終わってる。
私という人間は、私の周りにいたどんなクソよりも極悪で、それは誰のせいでもない、私の問題だ。
それがわかっているから本当につらい。過去のせいにしたり、誰かのせいにして生きていきたい。でも、ちがう。
優しい人の手を振り払ったり、チャンスをないがしろにしたりして生きてきたのは私自身だ。
何もかも私が悪い。
誰にも話せなかった自分のことを、ここに残した。
わかんないだろって親の愚痴いってた保育士のセリフ小学校の高学年には完全に理解してたし
かけっこしてアメリカまで行くんだっていってたbくんは運動大嫌いになってたし
覚えてる容量が多いらしい
賛成というか、そうならざるを得ないだろうなあ
今もネット上では言われてるけど、子育てを強制されない権利っていうのは、いずれ重要な権利として主張されるし社会としても認められるようになると思う
そうなると誰が子育てやるの?って話になって、①子育ては公務員化する、
②子供の人権の方を落としてめちゃくちゃ適当な育児でいい、子捨て間引きOK
のふたつの道になると思う
今までが保育園とかシッターとかで①に近い道だったけどそれも効果がないとなると、②の子供の人権制限が入ってくるはず
軽い人権制限なら、平成初期くらいの適当な育児ok、だろうし、重い人権制限だと子供を売買の対象にするまで行くはず
国家による完全保育は金がかかりすぎておそらくなされないと思う
あと、カナダが安楽死の範囲を広げているという話が話題になっているが、おそらく行き場をなくした子は安楽死が取られるってこともあり得そう
これぞ間引きだわね
女性の人権を制限して子育てに集中させるのは?という意見も出そうだが少子化社会で女性は貴重な労働力なので女性の人権制限には向かないと思う
働かなくてもいいから育児してというのは人口が増えたたり相当豊かな国じゃないと無理
ひょっとすると田舎の女性は子供五人育てたらもう働かなくてもいいくらいのお金がもらえるということはあり得ると思うけど
とはいえしばらくは中国除いたどこの国も大筋は変わらないんじゃないかな
ここがどう動くかで今後が決まると思う
中国は子育ての義務化に動きたかったけど、それは無理だとわかってそうなので、国家による子育ての養育に舵を切ると思う
そうなったらよその国も真似るんじゃないかあと思う
父(フリーランス)
母(パート)
私(一人っ子)
大の甘党だった父は、鞄に飴やらチョコやらを常備していて、朝保育園へ送る二人きりの車の中でよくそのお菓子を母には内緒と言って私にくれた。
保育園脇の駐車場でもらったお菓子を味わい、それがなくなったら父に行ってきますのキスをして登園する日常。
送迎時以外でも母の目を盗んでよくお菓子をくれる父に多分母も気付いていて、私に「歯磨きした後にお菓子食べちゃだめ」とよく言っていたけど、母に内緒で食べることを父から提案されたら禁止の効力なんてないも同然なわけで。
次第に私の中で
母→いつもダメダメばっかりで怒ってる、嫌い
父→いつもお菓子くれる、優しい、好き
になっていった。
当時は本気で父と結婚すると言い張ってた。
あるとき父が飴を手渡さず自分の口に含み、口移しで渡してくるようになった。
元々母も含め家族間の挨拶のキスは口にする習慣だったので、特に違和感も持たずに甘いものが食べられるならと喜んで応じた。
そのうちお菓子がなくても、父と二人きりのときは舌を絡めるキスが普通に。
父とはお風呂に一緒に入ることも多く、「痒いところはございませんか〜?」的な感じでお互い洗い合ったりしていた。
洗い合いながら、自分には無い父の男性器を面白半分いじり倒すこともよくあったり。
何歳のときだったのか定かではないけど「そこにチューしてみて」という父の言葉だけ未だにはっきり覚えてる。
おしっこする所だから汚いとかそんな感じのことを言った気がするけど、結果的には丸め込まれてした。
そうすると父はやたら上機嫌で、それが私も嬉しかったし、風呂からあがったらお決まりの「お母さんには内緒ね」のフレーズと共にお菓子をもらって最初の嫌悪感はあっという間に彼方へ。
その先は省く。
お菓子以外の“内緒”が母に発覚したのは、私が母へ挨拶のキスをするときに思いつきで舌を入れようとしたから。内緒ねと言われても、母と舌を入れるキスをしちゃダメとは言われなかったので。
そこから芋づる式に全部バレた。
結果見事に家庭崩壊、小2のとき母は私を連れ実家へ帰り別居生活へ。
父が大好きだった私は、父に会いたがっては母をキレさせついには心中未遂なんかもありつつ無事歪んで成長、今に至る。
そこそこ特殊なケースではあるだろうけど、程度によってはそんな珍しくもないんじゃないかという気もしてる。
後から知ったけどお菓子を口移しするのはペドがよく使う手法らしい。クソがよ
無理矢理行為に及ばれたわけではないので(むしろ自らすすんでやることすらあった)トラウマとかフラッシュバックみたいなのは今まで一度もないけど、他者への深い部分での信頼的なものは多分ずっと死んでるしこれからもきっとそうだろうなと。
こんなこと想像もしなかった、作り話だろ、そう思った人はぜひそのまま幸せな人生を歩んでくれ。
※追記
吐き出したものが思いの外たくさんの人に読まれててびっくりした。
これをオカズ扱いせず怒ってくれる人がいるおかげで私は一応人の心を保ってるよ。ありがとう。
ガチの奴らははむしろ衆目に晒さず非公開ブクマやらなんならコピペで文字だけ保存して“指南書”扱いしてたりするんだろうなとも思うので、それが機能しないくらい多くの人に注意喚起として頭の片隅に留めてもらえたら幸い。
①本当に加速したか?
岸田の「異次元の少子化対策」で既に実現して効果が測れるものとはなにか?
例えば、保育園不足対策で、幼稚園を認定こども園にしたり、園舎を立てたりする活動は全国で進んでいるが、10年前から始まって、まだ終わってない。岸田のやつはまだやり始めただけで、効果はプラスもマイナスも無いのではないか?
なんか今更?って感じだけど。
職場でもコロナ感染者が増えてきたしワクチン無料なのもあとちょっとなので、わが子のコロナワクチンのことを書く。
0歳で罹患した。5歳以下の乳幼児ワクチンはまだ出てなかった頃に感染。今まで見たことが無いぐらいぐったりして、親の私は頭が真っ白になってこのまま目を覚まさないのかと絶望したし、我が子に感染させた人を恨んだ。
ワクチンが認可された直後、速攻で予約して打たせた。運良く軽症だったけど、二度とあんな苦しむ愛するわが子の姿は見たくなかった!
■打たせた理由
言葉も話せず意思疎通満足にできない子供相手にコロナ後遺症があるかどうかマジでわからんかった。
乳幼児検診で小児科医に診てもらっても「後遺症あるかわからんね!」が回答だった。ひどいね〜。
で、その頃コロワクで後遺症も改善するって論文もあると知り、もし親が気が付かない後遺症があったとしても打たせて改善するなら…と思ったんよね。
実際、コロナ罹患後は半年以上は何かしらの病気に罹りやすかったし、カルボシステインシロップを半年ずっと毎日飲んでるようなものだった。
ワクチン3回完了した後は徐々に体力つけ、現在たいした病気にも罹りにくくなり鼻水も極稀に出る程度になった。
今思うとあの病気しがちもコロナ後遺症もあったんだろうなと思う。ので打たせたワクチンが何らかの効果あったと思いたい。
ただ、今のさらなる研究で、ワクチンで後遺症が必ず治るってわけじゃないのがわかってきたらしいので、危うい選択だったかも。(ワクチン接種は感染したあと2ヶ月は期間を空けた。)
今後同じようにもらってくるとしたら溜まったもんじゃないと思ったので。
その後、何度か園でコロナ感染者発生したけど、発症しなかったので、ほんとに打っててよかったと思う。
ワクチン反対派の有名どころや医者が主張してることも確認したんだけど、なんか主張内容がヘンテコだったり、他人からそれはグラフの読み間違いだよと指摘されてたり、他の人を誹謗中傷して訴えられてたり、いわゆる陰謀論者だったり…って人が多すぎて反ワクチン、ワクチン慎重派の意見が信用ならなかった。
まともな人いたらごめんね。結果的にコロナワクチンのこと信頼してしまった。
■副反応とか
医クラはこぞって「乳幼児ワクチンは副反応軽い!」ってアピールするけど無いわけではない。
でも他の回数の時は熱もでないし、一回目、四回目の副反応で吐いた後も、他の症状もなく元気いっぱいに遊び回っていた。安心した。なるべく安静にはさせたけどね。
■打つ時やってて良かったこと
初回から三回目接種の時は常に軽く風邪引いて毎週耳鼻科通いだったんだけど、ワクチン接種は熱が出ても大丈夫な薬を処方してもらった。結果的に熱は出なかったが相談しておいて良かったな〜と。
乳幼児ワクチン打てる病院のGoogleマップ評価がどこもかしこも星が少なくて絶望した(※後述)ので
お医者さんは乳幼児コロワクについて質問しても丁寧に答えてくれたし信頼できる病院だな、と安心することが出来た。Google評価は当てにならんね。
少ないとはいえ副反応はあったわけで、すぐに近くの医者に相談できたのはよかった。親も仕事のことを気にしなくて良かった。
■打つ時やっておけばと後悔したこと
同じ腕にワクチンを打つと効能が上がるという論文があったので。大人は大抵は利き手と反対に打つので関係ないけど、子供はメモっとかなきゃわからなくなっていた。もし、これから打たせる予定の人がいるなら、母子手帳に打った腕の方向を記入するのオススメします。
■心配だなぁということ、不満点
1)接種会場が少なすぎ
医クラは子供のコロワク接種率が低い事を懸念点としてよく挙げているが、親としちゃ、「じゃあもっと接種会場増やしてよ!」としか思えない…
インフルワクチンですら、【どこでやってるのか】【いつから始まるのか】【何歳から接種できるのか】が明確にまとまって打てる病院を案内してくれるサイトなりガイドなりが存在しないのも不満だが、コロナはそれ以前の問題でそもそもの打てる病院数がない。
乳幼児コロナワクチンは私の市内で打てる病院が2つか3つしか無い!!!しかも一週間で水曜だけ一回とかだったり、アクセスの悪い辺境の病院だったり、昼の変な時間しか時間が無かったり(子どもの昼寝の時間はどうしろと?叩き起こせと?) 、Google評価が低い病院しかなかったりする。
そしてこの年齢のこどもは、すぐに熱を出したり体調が悪くなるので、うまく予約できてもリスケはザラなんだよね…
来年有料化してもコロナワクチンは打つつもりだけど、値段以上に不安なのは接種会場の少なさ、アクセスの悪さ。もし今より接種できる病院が少なくなったらと思うと気が狂いそうになる。
2)周りの理解がなさすぎる
なんで子供にコロナワクチン接種させるほうが肩身狭い思いをしなきゃならんのだ。
・親の年代は「一回感染したから免疫ついたでしょ」というカビの生えた古い知識でうんざりした。コロナは感染しても長期的な免疫つかないし、何度も感染するほうが重症化率、後遺症率が高くなるやべー病気です…
・ 私や主人の同世代は「新しいワクチンを子供に打たせるのは怖い」という意見も多い。
自分たちはコロワク打って、今もピンピン生きてる生きた実証じゃねえかと思うのと、コロナ感染した後にノーガードで我が子が大人になるまで放置するほうがよほど怖いだろ、と私は思っている。
新しいワクチンが信頼できる期間を待ってたら我が子が老人になってしまうし、ぼやぼや待ってたらその老人になれないかもしれん。
あと個人的には、健康食品あげたりスマホやYouTubeとかを長時間見せるほうが、コロナワクチンよりよっぽど将来の影響が怖い…。コロナワクチンより論文やエビデンスもないので。
・びっくりしたのは、かかりつけのでかい病院の小児科医が「年寄りには必要だが子供は重症化しないからお勧めしない」と コロナワクチン接種に反対したこと。
コロナって子供もワクチンなかったら重症化するし死ぬ病気だし後遺症がある病気では?
あなたが所属されてる日本小児科学会さん、小児へのコロナワクチン接種おすすめしてるじゃん!?!?!?
http://www.jpeds.or.jp/modules/activity/index.php?content_id=531
と思ったが反論はせずに後日こっそり打たせた。
ワクチン関連のお悩み相談の回答の締めは、たいてい「お近くのかかりつけ医に相談してください」 なんだけど、まさかお近くのかかりつけ小児科医がコロナワクチン接種に反対するとは思わなかったです。打たせたけど。
乳幼児コロナワクチン接種会場の少なさって、こういう意識の小児科医が多いのが関係してるのかな?どうなんですかね。
・保育園の先生も、コロナワクチン接種した児童は我が家が初めてだったようで、どう対処すれば良いのか困惑されてたり、インフルワクチンと勘違いされたりした。
1)で書いた不満点と似ているが。平日に仕事の休みを三回取らないといけないわけで。他にも冬にはインフルワクチンも二回打たせないといけないし。
コロナとインフルワクチンは同時接種可能とは言われてるが、そんな病院数が少なすぎるし、何ならインフルワクチン打ちたいならコロナワクチン接種後に絶対二週間は空けろと指定してくる病院もある。
我が家は子供がひとりだけだが、子供が複数いるご家庭は積むしか無いじゃん?なにこれ。
とはいえ一回の量を少なくして副反応を減らしてくれているのはすごくありがたいので、これ副反応が辛い大人にも応用できないのかな?とは思ったりする。
あと今年の追加接種は一回で済んだので、去年頑張って三回打たせられて良かったな〜と思っている。
■まとめ
ワクチンの効果は実感しているし、良い効果があるという論文も数多く出ているようなので、有料化する来年以降も我が子にコロナワクチン打たせるし、自分も打つし感染予防にマスクも続ける。
が、子供へのコロナワクチンをもっと打ちやすい環境にしてくれ…と強く思います。
そして私の住んでいる街のコロナワクチン接種予約サイト、どうか来年以降も継続してください。電話予約とか前時代な仕組みに戻ってしまったら会社員の私は予約できなくなってしまうので!!!頼む!!!!
子供の入園とか入学のためのグッズをネットで調べてたんだけども
男の子はとにかく色味が紺色とか黒とかでさ
恐竜とか車はまだ、まだわかる
いきなり惑星
そりゃあ天体が好きな幼児もいるだろうけども、なんかもう男の子の興味を引くデザインの選択肢をただ増やすために無理矢理惑星をねじ込んだ感がある
マカロン、ケーキ、コスメ、ゆめかわいいユニコーン、ねこ、うさぎ、プリンセス、かわいいお花、リボン……
女の子のグッズってほんとかわいくて見てるだけでほっこりするんだよね
もう、保育園、幼稚園の時点でジェンダーでここまで差をつけるのかと
男児用の衣装が全然魅力がなくて地味でなんだかな~な思いをすることがある
女の子の衣装はフリルだのリボンだのレースだのとにかくかわいい!!パステルカラーのピンク、ラベンダー、水色、レモンイエローとかほんとかわいい!!
普段、着るような服は男の子用でもかわいいデザインのものが増えてきたなあという印象
西松屋行っても「おお、男の子の服かわいいのあるじゃん!」って思う
私の娘が通う園で、たとえば男の子がピンク色のマイメロディのレッスンバッグ持っていたら「!?!?(驚く) おお、男の子でマイメロディ好きなのか~そっか~」と珍しいものを見つけた気持ちになると思う
女児がピンク色のマイメロディのバッグ持っててもなんの違和感もない
せっかく子供を寝室に連れて行って寝かせてたのに、少し手こずってるだけで余計なお節介やいた義母が『まだ◯◯ちゃん眠くないんじゃない?』とか言って無理やりリビングに連れ去った。
なんとか寝室に連れ戻したけど、リビングに行けばアンパンマンが見れると思っている子供はずっと『あんぱん!あんぱん!』と泣き叫び、普段ならこんな時間まで起きてないのに全然寝てくれない。
義実家で過ごして1ヶ月弱、だんだんと義母義父の余計なお節介や声掛けが増えてきて、私は『そうじゃ無いんだよな』と心の中でイライラすることが増えてきた。TVも一日中付けっぱなしで、こんな事なら保育園行かせてた方が良いわ。
今から20年くらい前の小学校の高学年の時、児童会の募金活動と同時に空き缶回収があった。
アルミ缶を集めて回収に出すとお金になるからそれを募金にするらしい。キロ単位集めてでいくらになります。みんなで世界の恵まれない子を支援しましょう!おうちの人にも話をしてお金と空き缶を持ってきましょう!と先生による説明が行われた。
うちはシングルマザーなので空き缶だけでもいいですか?ととなりの席の子が質問した。
生活カツカツなんです、缶の飲み物だって買うの大変なので拾ったものがいいですと続けた。
場の空気が凍る。
数10円も持ってこれないのか!日本に住んでる子は恵まれてるんだ!となぜかその子に激昂する先生。先生も悪気はなかったと思う。
隣の席の子は泣いた。
お金用意するの大変なのに先生もひどいこと言うなぁって気持ちと、先生が怒り狂った記憶が強烈に焼き付いている。ユニセフのCMを見るたびにその事を思い出していた。
保育園に子どもを預けて日々自転車操業。両親こそいるけど育児に仕事、家事、私が倒れたら…なんて不安を抱えつつもなんとか生活している。
別に食うに困っているほどではない。
ありがたいことに食いっぱぐれのない仕事をしていたのでなんとかできる。
保育園の連絡帳にそっと義援金集めますのお知らせが挟まっていた。
ただ気持ちがいっぱいというか生活費の余裕がないというか、生活する上で気持ちの余裕がないのに、なんて思ってしまった。
今財布の中に入ってる数百円ぐらい出せるよ?出せるけどさ。
募金集めるって話した時、お母さんどんな気持ちになるんだろう。顔には出さないだろうね、私だってそう努める。
きっとその子の家も数百円は出せるんだとは思うけど。
隣の席の子は今どうしてるのかな。
募金の度に思い出してたりするのかな。
結婚してから数年経っていたが子宝に恵まれず、不妊治療の末の体外受精での妊娠だった。
また、出産も難航し、最終的には予定日から1週すぎてからの帝王切開での出産となった。
自分自身、特別に子供が好きと言うわけでもなかったけれど、「この世に生を受けたからには(可能な限り)子孫は残すべき」という思想があるので、子供ができたのはとても嬉しい。
2人目は経済的に難しいかなと考えているので人口増には貢献できないのだが。まあそれはしょうがない。
妊娠〜子育て(まだ1ヶ月も経っていないが)を経て、思うところが多々あったのでここに書き残そうと思う。
なお、自分で言うのもなんだが、俺はそれなりに妊活〜子育てまで妻をサポートまたは主体的に取り組んでいた方だと思う。
はじめに夫婦それぞれの検査をして、数値としては問題がなかった。
ここからの治療・対応としてはざっくりタイミング法→人工授精→体外受精という流れになるのだが、まあ男性側のやることがない。
然るべきときに備えて精子を溜めておくとか、運動とかして元気な精子を作っておくとかはあるけど、主体は完全に妻。女性。
人工授精あたりから妻は特に辛そうで、自己注射したり薬を飲んだり、副作用に悩まされながら、定期的にクリニックへ通っていた。
一方の俺といえば、行けるときはクリニックへ付き添うこともあったが、平日は難しいので土日祝日だけになったりした。が、行ってもやることがない。
妻の診察券を出して、待合室で1時間くらい待って、帰るだけ。暇である。
コロナのせいもあるかもしれないが、診察室に入ることも許されず、本当にただの付き添いにしかならない。
当然、辛そうな妻に対して「大丈夫?」とか「頑張ろうね」とか励ましの声をかけたり、妻の好きなスイーツなんかを買ったりして元気づけたりしようとするものの、あまりにも「不妊治療」に対してやることがないので、一種の疎外感すらあった。
男性不妊ではないことが確定した時点で男性側のやることがほぼ無くなるので、いわゆる「不妊治療に夫が協力的でない」というネットに溢れる愚痴はこういうところにも原因はありそう。だってやることないんだもん。
付き添い男性用に、不妊治療について・妊娠について・女性の体についてなどが学べるスペースでもあればいいのになと思った。
繰り返しになるが、大前提として妻の体調を気遣うような行動は取っていた。つわりが辛ければ食事を用意したり、背中をさすったり、元気づける声をかけたり。
妊娠してからは産院に定期的に通っていた。これも平日なので、行けるときは付き添うが、基本的には仕事があるので難しい。
なので「次回はxxがあるので来てほしい」とか言われたときには行くようにしていた。
が、これもまた診察券を出して待つだけ。暇である。
エコーをするところに同席させてもらうこともあったが、日によってはそれもない。無。
出産は妻に任せた、じゃあ俺は出産後のことを考えよう、と、保育園探しやら買い物の調査やらをやっていた。
そういう意味ではこの時期はそれほど暇じゃなかったかもしれない。
なお、男性育休は出産予定日以降でしか取れず、しかも出産が早まった場合には前倒すことはできない。また、予定日から遅れた場合にも後倒すことはできない。決め打ちである。
なんとも使いづらい制度だなと思った。男性育休が取れることには感謝はしているが。。
「初産の場合は出産予定日から遅れることが多い」というのは聞いていたが、とはいえ早く産まれたら仕事との両立はしんどいし、どうしたものかと悩んだ。
出産に向けて妻が入院し、自分も育休が始まったので、この間はやることがたくさんあった。
病院の都合で1日1回の面会で、差し入れを持っていったり洗濯物を回収したり。
出産後も同様。
ただ、ここでもまた疎外感を感じることが多々あった。
授乳や沐浴のやり方はもちろん、抱っこの仕方やおくるみの巻き方など、今後必要になる技術の伝授が妻に対してのみ行われるのである。
「え?俺も育児しますけど?眼中にないですか??」という気持ちになった。
病院にいる助産師の方々はそれぞれテクニックを持っていて、本とかネットに書いてない情報だったりする。
そういうのが全部妻にしか伝授されない。
そうすると何が起きるかというと、ネットで調べた知識しか持たない夫と意見がぶつかる。
夫が見様見真似でなにか行動すると、妻から「そうじゃない!助産師さんがこうだって言ってた!なんで知らないの!」みたいな叱責を喰らう。いやそれ聞いてないのよ。
なので妻に任せたくなる。見て学ぼうとする。でも妻も産後で体はボロボロなのでできない。詰む。
出産後しばらくはこんな感じだった。
なお、妻とは「情報格差がある」ということを認識合わせできたので、今は良好な関係に戻せた。よかった。
職場でよくある「タバコ部屋会議」を思い出した。俺のいないところで重要な話をされても困る。夫はいなくてもいいってことなのかなとすら。
全体を通して思うのは「男性をないがしろにしないでほしい」ということ。
出産は女性にしかできないので、女性が主体になるのは当然。だけど夫もなにかしたい。
何かしたいからネットで調べたりするけど、知らないことを知らないということもある。生理のこととか全然知らない。悪露って知ってます?俺は知らなかった。
また、育児関連の雑誌やらを見るとだいたい「ママがんばれ」みたいなことは書いてあるけどパパについては書いてない。書いてあっても「パパはサポート頑張ってね」とある。
あ、パパはサポートなんですね、育児の主体にならないんですね、みたいな気持ちになる。
俺頑張ってるよ?主体的に行動してるよ?
ママにはみんな「大変だね〜」というけどパパには言わない。「育休取ってくれたんだ。ありがたいね。ママを助けてあげてね」が限度。じゃあパパは誰が助けてくれるの?
褒めてほしいわけではない。ねぎらってほしいだけ。
主体的に行動しているパパは、ママよりも情報が少ないところから頑張ってるんだぞということを知ってほしい。
一晩でたくさんブコメやらをいただいていた。
「ねぎらってほしい」と書いたらたくさんの方がねぎらってくれた。優しい。ありがとうございます。
一方でこのエントリで書きたかったことがうまく伝わっていなかったり、書いてる内容に間違いがあったりもしたので、修正とコメントを追記する。
やってます。育児において暇だなんて書いてない。暇だったのは不妊治療の話。
食事の用意も買い物も掃除も洗濯もやるよ。もちろん、オムツ替えも調乳もミルク授乳も沐浴も寝かしつけも、育児記録をつけるのだってやるよ。やらないのは母乳授乳だけ。出ないからね。
不妊治療に関してはマジでできることが無さすぎて暇なんだよ。「暇」っていう言葉が気に食わないなら「蚊帳の外感」と言い換えてもいいかもしれない。
精子に問題がないとわかった時点で、あとは妻に頑張ってもらうしかない。
クリニックに行っても「あの男の人なんでいるの・・・?」みたいな視線を感じる気がするんだよ。自意識過剰かもしれないけど。
なにか参加させてくれって思うだけ。
あと、存在すら知らないことを調べるのって無理だから。何らかのキーワードありきで調べるしかないじゃん。でもそのキーワードで持ってるのって最初は「妊娠」くらいでしょ。
病院で出てきたキーワードを調べることはできるけど、そもそも診察に立ち会わせてもらえなかったらそのキーワードも聞けないんだよ。
妻から「こんな事言われた」がなきゃ無理。
それはその通り。情報格差という言い方が良くなかったかもしれない。
特に出産後の「妻は助産師からのフィードバック付きの実践の場が設けられているが、夫は一人でぶっつけ本番」になるのが辛いよって話。
ただ前述の通り、「存在すら知らなかった言葉」に出会う機会が少ないのも事実だと思う。医者と会話する場がないんだもん。
おっしゃるとおり。残念ながら参加できるタイミングがなくて、俺も妻もママ学級・パパママ学級に参加できなかった。
ただ、座学に関してはそれこそYouTubeの動画やネット情報等々でフォローはできたと思う。
その上で、前述の「フィードバック付きの実践の場」がほしい。座学やったら次は実習でしょ。
特に沐浴なんて、実際にやってみたら泣くし暴れるし、人形でやったところで・・・と思う。人形でやってないんだけど。
今はもう慣れてきたけど、経験した人なら最初の「これでいいのかな・・・怖いな・・・」という気持ちは理解できるでしょ?そのときに慣れてる人(助産師)が近くにいたら心強いでしょ?そういうこと。
あと、俺のいる自治体ではママ学級、パパママ学級はあるのにパパ学級はない。
また、ママ学級は3日間なのに対してパパママ学級は1日だけ。つまりママはパパより3倍情報がある。
その程度で褒めてほしいとか
男女間で環境に差があって、その中でもがきながら頑張ってる夫に対して、頑張っていることを認めてほしいだけなんだが。
「どうせ男は非協力的だから」みたいな態度が透けて見えるだよ。行政も、病院も、両親も、義両親も。
俺はまだ妻が理解してくれていると思えるからマシだけど、つらい思いをしている人はたくさんいると思う。
逆にパパ側が褒められててママ側はやってて当然みたいな態度を取られる
同情します。お互い頑張りましょう。
マジで、不妊治療も妊娠も育児も大変すぎる。これをこなした人は全員すごいよ。
全員すごい、それでいいのに、パパママ片方だけを上げるのがよくない。
男性育休は前倒しも後ろ倒しもできる
前倒しについてはおっしゃるとおり。間違ってました。ごめんなさい。
「前倒すことはできるけど、手続き最初からだから、有給使ったほうがいいよ」と会社から言われていたのを脳内で「前倒し不可」と変換していたようです。
2023はてな匿名ダイアリー ブクマTOP200
https://anond.hatelabo.jp/20240102011014
・エアコン、ガスコンロ:これを条件に絞り込んでしまうのはもったいない。中古で買えば安いし、備え付けよりもスペック良いのが手に入る。退去時に売却すれば多少リターンも出る。
・インターネット:これももったいない。インターネット無料物件、たいてい回線速度がクソすぎて使いものにならないから実質割高になる。引っ越し当初は適当なポケットWiFiでしのいで、余裕が出てきてから検討でも良いと思う。ポケットWiFiで事足りればそのまま継続でもいいし。
・子持ちなら、部屋はあればあるほど使う。余らない。親が使う部屋(寝室含む)の他に、子どもを寝かせる部屋と遊ばせる部屋が1つずつあると、おもちゃ片付けて布団しまってを毎晩やらなくて済む。みんなで川の字?リビングと共用?妻のストレス爆上がりするよ。部屋数で家庭不和を回避しろ。
・集合住宅ならエレベーター必須。2回に分けて上れば〜って妻は言ってるらしいけど、2回目で戻ってきたら子がギャン泣きとか最悪脱走とか全然あるから。往復しようにもそう簡単にできないから。あともし第2子を身籠ったときに、寝てる第1子を抱っこしながら大きいお腹で階段上り下りとか危険すぎるから本当やめたほうがいい。
・騒音問題は住民ガチャだよね…。少なくとも軽量鉄骨は選ばないほうがいいと思うけど。自分の子どもがうるさいからといって他人の騒音に寛容になれるわけではなく、結局うるさいと感じるものはうるさいので、防音性は高いに越したことはない。せめて似たような年齢層や家族構成が周辺に集まってる物件を選ぼう。
・転勤族だから今はあんまり真剣に考えてないんだろうけど、5年10年住む前提なら学区は選んだほうがいい。保育園は選べるけど学校は(受験しない限り)選べないから。治安はそこそこ悪くないけど学区の評判がクソやばい地域とか、立地は微妙なのに学区がブランド化してるせいで家賃相場が不自然に跳ね上がってる地域とか、色々なので、何を重視するのか(しないのか)夫婦でよく話し合ってね。
・固定費を削りたい気持ちはわかるけど、似たような年収の人たちが集まってる地域の学校に通わせるほうが安泰ではある。親が、じゃなくて、子が。(こう書くと釣りだと思われそうだけど)私の親の年収が2000万ぐらいで、同じクラスの団地の子から敵視されていじめられないよう話を合わせたり上手く立ち回るのは結構大変だった。よく言えば人生経験、悪く言えば不登校との綱渡り。子どもの世界にも、年収相応の処世術というものがある。回避したいなら、おとなしくタワマンなり高級住宅地なりに住んだほうがいい。飛び込むなら、子どもに処世術を叩き込む覚悟で。
四人以上だと途端にだめ。
この人はこう言ってるけど、こっちの人はどう思うだろ、と考えてしまってニコニコするしかなくなる。
発表したりするのはにがてじゃないけど、ママ友との多人数雑談が特にだめ。
例えばこんな会話。
Aさん(育休中医者):子ども(小学3年生、2歳から英会話スクールに週3通ってる)が英検に興味持ち始めたからさ〜、英会話スクールの先生に確認してみたんだけど英検やると日本語英語なるって言われちゃった!怖いよね〜
Bさん(開業医の奥さん):そうなんだ、ありがとううちの子(小1、保育園はオールイングリッシュのとこに入れてた)も気をつけようー
Cさん(子どもの幼稚園の為に辞めた元医者):そうなんだ〜にこにこ(子どもが小4で、先月英検3級受けに行った)
私:にこにこ(えーCさんの子どもさん公文で英検対策めっちゃしたっていってたよな、気まず〜)
あとこんなんもあった
Dさん(地主):こないだ新しくできたレストラン行ってきたよ、5000円のランチでさ、美味しいけどちょっと高いかも。あと少ししょっぱすぎたから子ども連れてはもう行かないかな〜
私:にこにこ(その店Fさんのお兄さんがオーナーしてる店じゃん…気まず…)
こんなんが多くてさ、地雷が多すぎて自分からは天気の話とか当たり障りない話題しかふれないし、相槌も曖昧になりがち。
みんなどういう気持ちで多人数で会話してるの?
どんな話題を振れば盛り上げられる?
うちの娘は2歳ぐらいで明らかに可愛かった
他の2歳は男の子との違いがちょっと髪が伸びた程度しかない猿といった風情だが、
うちの娘は均整の取れた日本人形だった
他の子より頭が小さくて太ってないのでスタイルがいいし、色白だし、
生まれつき髪が生えており、2歳の時にはもう腰まであるロングヘアだった
保育園で毛じらみをうつされて、髪を切ることになった時は悲しかったが、
まあこの辺がピークでちょっとずつ個性が出てくるのかなと思っていたが
4歳になった今美少女になりすぎて困っている