はてなキーワード: いじめられっ子とは
元増田です
女子に嫌われた事が特に強くトラウマとして残っているのは、性別関係なく皆嫌われていても、女子に嫌われた事の方が男子に嫌われた事よりもずっとショックだったからです
僕は皆に嫌われていましたが、男子の友達は小学生の頃は同じいじめられっ子やクラスの中で立場が弱い子供同士で二人ほど居ましたし、中学校でも家が近くて同じクラスの良い子がやっぱり二人ほど友達になってくれました
女子に関しては、小学生1年生の頃に好きになった相手に嫌われてから、中学校を卒業するまでの9年間で、僕のような嫌われ者にも比較的他の生徒と同じように接してくれる優しい人が二人ほど居ました
友達と呼べる関係では無かったと思いますが、僕はその優しい人達の事が二人とも好きでした
その人達からすれば、他の相手とあまり対応を変えなかっただけで僕みたいな皆に嫌われているキモい奴が一方的に好意を持って来て本当に迷惑だったと思います
僕が「男らしさを降りた男性に魅力があるのか」という疑問を持ったのは、「従来の男らしさがない男性」を長所だと思ってくれる女性が居るのか気になったからです
貴方の仰る通り、「男らしさなんて関係なく人間として魅力のある男性」が「男らしさから降りる」事がジェンダー平等に近づくから良い事なのであって、
男らしさ関係なく初めから人間として何の魅力もなく、そもそも初めから「男らしさ」なんて物も持ってない事を日記を書いている内に理解しました
「男らしさから降りて良い」とは「男らしさを降りる=魅力的」ではなく、人間としての魅力を高めるという男らしさ云々関係なく人間として大切な事も同時にやらなければ何の意味も無かったのでしょうね
「うっせぇわ」という曲が話題らしい。
かなり大きなヒットとなっているらしく、ついには近くのラーメン屋にその音が流れだす始末である。
その時は、
「あのサビの不協和音とかが聞き手にとって良いアクセントになっているのだろう」
と、
音楽素人風情がもやしを頬張りながら感じた程度であったが、どうやらそれどころではなさげな感じだ。
その現状は
・高い再生数
等々々が物語っている。
かなり直接的かつ攻撃的にみえるものであり、厨学二年生的な全能感と痛々しさに溢れているような歌詞である。
大学生の自分ですら「こういった時期あったなぁ」とか少しノスタルジックになってしまった。
歌詞を見る限りは、
いわゆる難関大学を卒業した「社会の優等生」がルサンチマン拗らせてコンプ発症しました
といった感じのシチュエーションだろうか?
もしくは、
あたりだろうか?
嘲罵された、あるいはそう思っているだけの人間」
であるようには感じた。
なんとなく思うのは、
「この曲に気づいてはいけない」
ということである。
内容自体は、尾崎豊やamazarashiなどが
若者の苦しみなどを各々の文学的センスに包んで提供してきた「それ」に類似したもの
かもしれない。
しかし、この曲が圧倒的に違うのは
「汚く品のない歌詞」
とでも言うべきその短絡的表現、そしてレスバトルでのマウンティングのような直接性にある。
「私を見ろ」
と喚いているだけなのかもしれないのだ。
こうなったらどうしようもない。
同じ土俵に立つ(反応する)時点で相手の目的は達成されてしまうからだ。
もし無視しようとしても、あの奇天烈な音階のサビと尊大な発言に否が応でも
「何言ってんだコイツ」
とか
「手前よりまともだわ」
とか
「そんな時期だよねw」
とか
反応してしまう。
しかも大抵は相手にとって嘲笑・侮蔑となりかねない反応である。
共感する人たちからすれば気に食わないものであり、荒れるのは必至だろう。
延焼する野次馬もやってきて、更に注目する人が増える。
そうして「あの子」は色んな人に見てもらえる。
歌い手の方は歌詞のバックグラウンドに共感し、若者として歌ったのかもしれない。
しかし、その歌詞は一般的な「お約束」を踏みにじるかのような逸脱したものだった。
故にたった今、自分たちはこの曲に踊らされている。
説明はめんどいのでWikipediaのリンクを https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%AD%A3%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BB%AE%E8%AA%AC
要するに「因果応報」「正直者は報われる」「最後に愛は勝つ」「お天道様は見ている」「罪のない犠牲者」ってヤツを哲学的に解説したものだ
良いことをすれば報われて、悪いことをすればバチが当たるという、よくある話
で、人間はコレを使って人を殴り殺すことが大好きだ
いじめられっ子に「いじめられるやつにも原因がある、加害者ばかり責めるな」「お前が不快だったからいじめられたんだよ」
泥棒に入られた人に「セキュリティ意識がなってなかったからこうなった」「わざわざ金があることを自慢してたから盗まれた」
たくさん頑張ったけど結局報われなかった人に「努力不足」「お前が人より劣った存在なのだから当然」
スマイリーキ○チや木○花に「そういう振る舞いをしてたからネットリンチされても仕方ない」「原因は自分にあったのにいつまで被害者面してんだ」
レイプ被害者に「夜道一人で歩いてたから悪い」「肌出して誘うような服装してたから悪い」「レイプ被害者にクンニ✋👁👅👁✋」と抜かすのはよくある事
よく見るよね、ここでも、ここじゃないサイトでも
特にお前らこういう理論大好きだよね、被害者という殴り返してこないサンドバッグをボコボコにするの
で、過去にこんな事があって、今もこんな事があってる
「○○という病気に罹るのは、そいつが過去になんかしたからだ、天罰だ!」とね
病気に罹らないように最大限努力し自重しても、罹ってしまうときは罹る
ほんの数分間、食料無くなったのでコンビニにマスクつけて行きさっさと買うもの買ってからまっすぐ帰って来ても、罹る
そして罹ったらお前達を始めとする無数の匿名、そして警察を名乗るバカ共(お前らのことだよ自粛警察、聞いてんのか!?)にブッ叩かれ、晒され
挙げ句「遊んでたからそうなったんだろう」と指をさして悪人に仕立て上げる
外で働かないといけない人や、どうしても在宅勤務が出来ず仕方なく職場に出向くしか無い人だって罹る
当然叩かれる、この場合差別が大好きなお前らを始めとする匿名は「そんな底辺職(底辺ポスト)だから悪い、ちゃんとしてればテレワークできる」とか付け加えるね
そうやって、被害者を悪人に仕立て上げる哲学が公平世界仮説っていうクソみたいな理論だ
「いい人だから報われ恵まれ幸運を得られる、苦しむ人や不運な人は逆説的に悪いやつ」という大きな大きな棍棒で、"悪いやつ"をミンチになるまで殴って殴って殴る
そんなクソみたいな理屈だ
見てないのもそこそこ
一覧はアニメイトのサイトが便利(https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=6212)
感想には偏りが強い
1話だけだとよくわからないが2chで流行った都市伝説を物語に落とし込んだアドベンチャーらしい
アニメ新規を取り込むよりも原作ラノベのファンへ向けた作り方と感じる(割りに評判が微妙?)
絵は綺麗だけどストーリーの方向性がよくわからないので2話まで見て好き嫌いが分かれるタイプ
ジビエート(実況しながら楽しむ)枠、詳細は下記
https://togetter.com/li/1651370
俺だけ入れる隠しダンジョン
隠しダンジョンで出会った魔法使いにエロ目的行為?など?がスキルポイントになるようにしてもらった
RPGベースにギャルゲってかエロゲを地上波用に仕立て直したらこんな感じになりそう
1話で要点全てわかるのはありがたい
怪病医ラムネ
低予算だからなのかロークオリティ、怪異に犯された人をいろいろ治療
多分中高生向け
このジャンルが好きならちょっと前にやった地縛少年花子くんの方が面白い
回復術士のやり直し
復讐ダークファンタジー、回復しか出来ず虐げられてきた主人公が記憶をキープしたまま人生リセット
回復(ヒール)する際に経験値を奪ったりスキルを奪ったりする、それとは別にヒール使用時主人公にも強烈な苦痛が発生
エログロ多く地上波では黒塗りばっか、そこまで目新しさはないけどダークファンタジー好きならいいのでは
一クラス丸ごと異世界転生は意外性あるけど蜘蛛と化した主人公は結局転スラと同じパターンっぽい
貴族に転生した同級生がどう今後絡んでくるかだけどそこまでが長そう
追記・この先の展開が転スラとは全く違うっぽいので返信から引用
「「蜘蛛ですが、なにか?」は漫画セールしてたので読んだら、
早々に人間の姿を手に入れてスライムであることがほぼ死に設定な転スラと違って、
5巻くらいまで名前がついた人間/亜人キャラが誰一人として出てこない。」ここまで
怪物事変
五等分の花嫁∬
1期やってから間空きすぎて原作完結しちゃったし盛り上がりきってタイミング逃した感
前回終盤作画がネタにされるほど酷かったのでそこが直ってればファンは良しとしてくれるのでは
自分が陰で何かキッカケで変わりたいと思ってる人向け
ストーリー導入は強引
アニメ見ながら姿勢やらファッションやらオタクから一般人へ矯正できる、アニメとして面白いかは別
片方だけでも見てないとキャラ覚えるだけで大変そう
未見なら必見
たとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語
転生じゃないけど要はオレツエー型
このパターンが好きならいつも通りの流れだろうからあとは良きように
転生したらスライムだった件(第2期/第1部)
1期とかなり時間空いた、とりあえずクオリティキープいやさらにクオリティ増してるかも
途中でコミックス追い越す気がする
世界に存在する動物や虫はこんな感じで出来たんじゃね?ってコメディ
提案した動物が不採用になった場合はなぜ不採用か一言あるのが良い
スポーツ物、バレー強者が止むを得ずその環境を捨ててまた1から仲間増やして全国目指すぜって感じかな
大きくハズレはしなそうなストーリー
はたらく細胞!!
はたらく細胞BLACK
見てて気分が下がる、そういう仕様なので仕方ないが
バック・アロウ
物凄い金がかかってるっぽいのになんか古臭くね?なんだ?
BEASTARS(第2期)
超強力タイアップを引っ提げて2期
レゴシの呟く声が感情こもってる分声質なのか微妙に聞き取りにくくて悔しい
PUI PUI モルカー
無難に誰でも進められる
期待してるけどまだ
絵もこのまま安定してくれれば良い、ストーリーは今後次第
2話でリアルな引きこもり描写とエロ描写が出るのでそこで人によって好みが分かれそう
クオリティも充分、強いて言うなら先が長いのでもうちょっと展開早くてもいいかも
八十亀ちゃんかんさつにっき 3さつめ
安定
中部に住んでればより笑えるだろうに
自分が住んでないのが残念に思える楽しさ
もし3期あるなら早く企画して作り始めて欲しい
Re:ゼロから始める異世界生活 2nd season(後半クール)
レムが出ないとちょっと物足りないのは気のせい
鋼の錬金術師の機械鎧、あれでボクシングするのがイメージとして近い
ネトフリ原作が当たりと大外れの差がエグいので見るけど危なかったら切る
今後の展開はまだ未知数
1話だけだと何もわからない、アニメの表現を使いこなしたドラマみたい
いじめられっ子オッドアイのJK?が主人公、親友がいたが自殺したっぽい
この子を最終的に助ける為にガチャで知らない虐められている誰かを助けて回る?
多分最終回まで見終わって初めて評価が定まるタイプ、全体的なクオリティは異常に高い
※お手数ですがアニメとゲームカテゴリへの変更を手伝って頂きたいです
↑無事変更されました、ありがとうございます
この前、課内に新しい人が入ってくることになり、全員が自己紹介をした。しかしまぁ似たような趣味や経歴であったこと。
「以前はゲンバ、趣味はスロとフーゾクっす、高校の時にやんちゃやって新聞に載ったのが自慢っす」とか「あたしーフーゾクやってた、こども3にんいるー、あんまむずかしーことわかんなーい。なかよくしてね~^^」とか「XX研究所にいました。以上(拒絶)」とかそういうのはいなかった。まぁここに挙げた人物像は全部自分の想像でほんとにこんな人間がいるのかはわからないが。
結局クラスターにいるよなとその時ふと思った。でもいままで確かどこかで、そう小学校、あのカオスな環境は今思えばそういうのを無視して集めた、社会の縮図だったのかもしれない。私は今までずっとあれは子供の脳みそがまだどろどろで固まりきってないから起こる現象の1つだと思っていたのだが、そうではなくてクラスターを無視して集めた結果だったのだ。わかるように言えばちびまる子ちゃん、今もまだ放映しているのかわからないが、あの秀才もいればその逆も居て、卑怯者もいればいじめっ子もいじめられっ子もいる、完全な傍観者もいればウェーイがいて、空気な存在の人間がいる。あの空間だ。
最近昔のことがふとしたことで思い出されるのはもしかしてそういうのにノスタルジーを感じているからかもしれない。かといって戻りたいかというと二度とは戻りたくない。何一つまとまりがなく、意見に一致もなく、力だけで決まる。動物の集団。あれをなんとかしてまとめていた先生、あのときは全くそう思えなかったけどあんたはすごかったよ。同じように歴代総理、みんな髪が真っ白になってしまうのは、そんな教室をそのまま大人にした人間たちを面倒見る必要があるからなんだね。おつかれさまです。
いじめっ子がよくやっていたのが、自分の言動で相手を傷つけておいて相手がそれで泣いたり怒ったりしたら、泣くこと怒ることを茶化し、そんな事で泣いて怒るお前の頭がおかしいと言う。
当時はそれで「先に傷つけるようなことをしたそっちが悪い」と思ってたけれど、今やっといじめっ子の方が正論だと思い知ることができた。
同棲中の彼と些細なことでケンカになった。私からすると彼の些細な言動によって傷ついたのを発端に、ストレスから自傷や彼に何故そんなことをしたのか問い詰めた。一方、彼からすれば彼女が突然発狂し、責められ、問題をわざと大事にしているように見えていた。彼は至って冷静に私の方に問題があることを言い返したが、私は彼が問題の言動を認めずにこちらを責める意味がわからず、頭のおかしな行動はエスカレートするばかりだった。
落ち着きを取り戻した後日、話し合った。私の発狂、ヒステリーは、自分の意思でどうにかできるものだと、彼は思っていたことが分かった。虐められていた頃から治らない、筋金入りのものだと分かってもなお、薬でもなんでもいいからどうにか治してくれと言われた。しかし、治す協力はできない自力で何とかしてくれ、とも。
上記のエピソードで明らかにおかしいのは私の方だ。彼は正しい。よって私が問題の原因で、その問題点を自力で改善すべきである。
問題の発端がなんであれ、問題になるまで事を大きくした方に問題があるのだ。
いじめも、虐められていると認識し騒ぎ立てるいじめられっ子が問題で、いじめっ子はそもそもいじめだなんて思ってもない。いじめられっ子が騒がなければいじめは無かった。
ハラスメントも詐欺も、問題はされた側にある。された側の過剰反応ではないか?された側の頭の弱さや認識が間違ってるのではないか?
世の中いじめた者勝ちだ。搾取される隙を見せたやつの頭がおかしいのが問題なのだ。搾取できる人はドンドン搾取し、正しい競争を勝ち抜いていくべきだし、搾取される人は自力で搾取する側に回れるよう努力するか、できなければ死んだ方が楽だろう。
生きる権利があるから生きてるってよりも、生きるのにも死ぬのにも権利がないから生きてるが正解ですね。
あなたの主張って今流行りのアレですか?「生殺与奪の権を他人に握らせるな」ってヤツですか?私は例のアニメは序盤の序盤までしか観てないのであまり言うことはないのですが、この言葉ってある日突然襲ってきた鬼に家族を殺され、ただ一人残された妹も鬼になってしまい途方にくれる主人公に、鬼殺しのプロが言い放ったセリフですよね確か。主人公も最初は暴走する妹を必死食い止め、それでも妹は大人しくならなかったから主人公もついに絶望して鬼殺しのプロに妹を殺してやってくれと泣く泣く懇願したときの返答ですよね。ひどい話ですよね、まあここで妹を退治してしまったらストーリーが成り立たないのは言わずもがなですが、鬼に家族を奪われ妹を必死に宥めていた主人公を弱者と切り捨て挙げ句の果てに妹を殺したかったら自分で殺せという傲慢さ、なんだかこのアニメが非オタク層に流行った理由が何となくわかった気がします。長くなってしまいましたが例のアニメ批判はあまり関係ないのでここまでにします。
日本人って本当に自己責任論大好きですよね。だって他人が失敗したときもそいつに自己責任だって言えば自分が非難されるのを簡単に免れますもんね。従来の連帯責任が非難されるようになってから自己責任へシフトしていったように思えます。でも本来自己責任って自分自身を律するための言葉だったろうに、いつしか「何も努力せず自身の不遇を他人や社会のせいにする怠け者」へのバッシングの代名詞となりましたよね。でもその「怠け者」って本当にただ面倒くさいから怠けてるだけなんでしょうか?努力しても無駄、成果を出しても認めてもらえない、そうした学習性無気力に陥ってる可能性とかは考えられないのでしょうか?
「自分の自信は自分で守れ」と仰ってますが私の自信が今までの半生の中でじわじわと他人に奪われていったことについては想像できませんか?私の自信を奪った者たちへの非難はされないんですか?自信を守り抜けなかった私が全て悪いんですか?いじめっ子じゃなくいじめられっ子の方が全部悪いんですか?
あなたのような意見を聞くとどうもこの世の全ての人間は自分の意思で生まれてきたと聞こえるんですよね。でも実際は違いますよね?両親が勝手に性交したから子供は生まれさせられるんですよね?生まれる前の子供達は空の上から親になる人間を決めている、なんていうスピリチュアル与太話がありますが、それがもし真実なら虐待親の元に生まれた子供達は皆んな虐待されることを望んで生まれてきたことになりますね。
生存者バイアスにも程がありますね。成功者から見れば負け犬は皆んな努力してなくて失敗を社会のせいにしてるように見えるらしい。貧乏家庭に生まれ進学出来なかった子供も、虐待で心身ともに傷ついたり亡くなった子供も、先天性の障害を抱えた子供も、全部責任は子供にあると成功者は言います。そうですよね、他人に責任を押し付けるのは楽ですもんね。クラスでいじめが起きても、隣の家で家庭内暴力が起こってても知らない素振りをしていれば罪に問われないですもんね。
何も知らないくせに自己責任論で相手を諭した気になって、励ます振りをするのって最高に気持ち良さそうですもんね。そうやってずっと説法オ〇ニーしといてください。
社会って別に職場とかだけじゃないんです。学校も家庭だって小さいけど立派な一つの社会なんです。そして社会を殺すのは馬鹿な政治家でもテロリストでもなく大衆の中の無能たちなんです。あなたの職場にも一向に仕事が出来ない奴とか、学生時代体育の授業でチームの足を引っ張った運動音痴がいましたよね?こういう奴ら皆いなくなればいいって思ったこと絶対一回はありますよね?極論私が今存在せずこんな増田を書かなければ、あなたのその文章を打った貴重な時間を奪うこともなかったんです。生きるに値しない命は確かに存在するんです。いなければいい人間は存在するんです。ゴミはゴミ箱へ、ゴミ人間は処分場へ。現に死刑制度は今日の日本に存在し、生きてはいけない人間は次々定められています。法で裁けない罪という言葉があるように、悪と言っても色んな種類があるのです。そして自分が害悪だと自覚して死を選ぶこと、何がいけないのでしょうか?確かに今現在自死を選ぶと、発見者のトラウマ、電車を止めた賠償金、病院側の手間など結局社会に迷惑をかける羽目になってしまうのです。あなたも無能の飛び降り自殺に巻き込まれたくないですよね?急いでるのに電車が止まったらイライラしますよね?
別に誰かに認められたいから死にたい訳ではありません。タイムスリップして自分が生まれること自体無かったことにしたいです。むしろそれが一番理想です。私が元増田で「消えたい」という言葉を使ったのはそういう意味です。私の命には何の使い道もありません。成長性もありません。むしろ死んで血と肉と骨の塊になった方がよっぽど使えます。実際私の臓器提供意思表示カードには全ての項目に丸をつけてます。
卒業論文の提出が近づいてきた緊張からか、最近はなかなか眠れていない。眠れないと、お腹が空く。
深夜に重いものを食べるのは身体に良くないと聞くので、こういう時には味噌汁を飲むようにしている。
フリーズドライのナスの味噌汁にお湯を注いでいると、ふと、中学時代に同級生に言われたことを思い出した。
「おい、ナスが何か切ってるぞ」
陰口を言われたり、私が触ったものを○○菌が付いた、みたいなことを言われたり、
漫画で読むようなものよりは軽いけれど、いじめのようなものを受けていた気がする。
いじめられっ子ながら思っていた。
しかし、何もしなければ家庭科の評価が落ちてしまうので、確かカニカマを切っていた。
ナスに似ている、というのは馬鹿にされたことだとわかった。今なら、鏡見て出直したら?くらい言えるのかもしれないけれど、当時はそれはとてもショックで、同時にナスも嫌いになった。今でも自分の容姿はコンプレックスだ。
大学3年生になった時、キャンパスの変更に伴い、引っ越しをした。
そして、たまたま同じ専攻の学生と同じマンションに引っ越した。
彼女は自分とは逆の、クラスの中心にいるような人で、最初はどう付き合っていけばいいのかわからなかった。
しかし、私の部屋に黒い奴が出て、彼女に退治してもらってから急激に仲が良くなり、今では二日に一度は会うほどの仲である。
彼女は、良く私のことを褒めた。
真面目だということだったり、容姿であったり、とにかく色々なことを褒めてくれた。
卑屈な私は、それをお世辞だと思っていたけれど、自分の良いと思ったものを、憚らず良いと言う彼女と接していくうちに、
夕飯を作ったから食べに来て、と誘われ、
他人に出された食事だからと、無理をして食べたそのナスはとてもおいしくて、私はその時、ナスの味ではなくて、自分が嫌いなんだな、と気がついたのだ。
今でも、自分をいじめた奴らの名前は覚えているし、相談しても見て見ぬふりをした担任の名前も覚えている。
化粧を覚えても、服に興味を持っても、心のどこかでは、でも私はナスに似ている、というその一言が邪魔をする。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/42509
そして「こんなのリンチじゃないか、本当かどうかも分からないのに」というブコメもついている
おそらく、ここで「いじめ許さない」と言っているブクマカは別に
「小室さんが虐めをした、許せない」とは言ってない
「小室さんが虐めをしたなら、許せない」と言っている
途中でめんどくさくなったのでやめるが、この手のブクマカの書き込みがちらほら見ていて思うのが、てめーら幸せな人生だったんだな、と。
虐め加害者は基本的になんの罰も受けずにのうのうと生活しているから
なのだ。
別に人を殴ったり殺したりしたら普通は捕まって罪を償う。だがいじめは人の人生をぼろぼろにして精神を破壊するくせに、なんの罪にもならない
いじめていたからといってリンチが許されるか、というならば、人をいじめてもなんの罪も償わず、人の人生壊して平和に生きていくのが許されるのか?
他人を傷つけたことがあるだろう、っていじめって傷つけるなんてレベルじゃないよ、あれは破壊だよ虐殺だよ
学生時代のいじめの悪辣なところは、逃げ場がない学校生活で行われることだ。仕事してたら転職という手もある。余りに酷いことをしたらパワハラになったり会社も味方になってくれる事もある
だが虐めで被害者が取れる対策はだいたい家で引きこもるだけだ。
勉強は遅れるし学生生活はできないし、ただでさえ被害者なのになんのメリットもない。なぜか加害者は学校に来るので加害者だけが普通に教育を受け、友達と遊び普通に卒業する
性悪な過去をずーっと引きずった人は幸せになっちゃだめ、じゃないんだよ、性悪な過去を何一つ償わずにいるから幸せになるなっていじめ被害者は思ってるんだよ
お気楽に「リンチは~」とか言ってるブクマカ達は、そういう正論やご立派な性善説が通用するレベルを通り越して、いじめられっ子は憎悪を持っていると考えた方がいい
ブクマカの正論はいじめられっ子には全く届かない。そんなレベルの憎悪じゃない。憎しみで人が殺せるならいじめっ子はみな爆発霧散している
https://togetter.com/li/1640001
これを見て思ったのだが、昔からどういうことかクラスで吊し上げされやすい生徒というのはいた。
この吊し上げにされる生徒、実は担任が誘導していたと言ったら驚くだろうか?
事実はそうではないかもしれないが、クラスの中で吊るし上げられたりいじめられたりしても影響がひどくならない児童というのは大抵の場合いる。スクールカーストの最下部とでも言えばいいかもしれない。単に切って捨てられるだけの生徒だ。そういうのを便利に活用する教師というのは実はいる。
子供の健やかな成長?
正直、自分の教師としての立場が揺らぐのであれば、子どもたちなんかはどうでもいい。
ここまで悪意のある教師がいるかは知らないが、教員会議の中で自分が吊るし上げられないことが一番大切だ。
クラスの子どもたちが一致団結してことに当たるといういかにも集団主義者における美徳が評価項目の中でウェイトを占めているのだろうか。
だが、重要なのは「みんなが仲良く一致団結」ではなく「みんなが形はどうあれ一致団結」だ。クラスの中なんか外からは見えない。とにかく見た目上一致団結してさえいればそれでいい。教師は会議の中で「みんな仲良くまとまっています」とさえ言っていればいい。
このいじめというのはいじめられる本人にはたまったものではないし、人格形成にとんでもないトラウマを刻みつけるのだが、いじめがあっても見てみぬふりしたほうが教員にとっては最も負荷が少なくクラスを一致団結させられるという裏技として脈々と受け継がれている。
某国で仮想敵国を作ることで国民の団結を促すのと同じテクニックだ。さすが思想的に同じ源流を持つ二者は同じことをする。
当然そうではない教員もいる。いじめなんか許さない、きちんと教師のリーダーシップでクラスをまとめ上げるという先生もいただろう。だが、彼らの体力が持たなくなったし、彼らのノウハウなど受け継がれようはずもない。頑張ってクラスをまとめ上げるリーダーシップを発揮するくらいなら、いじめられっ子を一人用意すればいいじゃない、あまりに多忙な教師がダークサイドに落ちるのはあまりにもたやすいし、そうやってきた教師はそれしかなくなる。
また、頑張ってクラスをまとめ上げられる教師ほど「子供を平等に扱うべきだ」というモンスターペアレンツの的になる。クラスをまとめたい教師はどうしても全体の和を乱す子供に時間を取られて、乱さない子供には手薄になる。これが気に入らない両親によってクラスをいじめ抜きでまとめられる教師ほど追い出される。そういう教師を何故か学校も守らない。
いじめを利用して見かけ上のクラスの団結を高める。いじめられている子には「みんな君と仲良くしたいんだよ!わかってあげたほうがいい!むしろ君の方からガンガンいっちゃったほうがいいんじゃないかな!?」とか言えば引き下がる。子どもたちはそういう子をピックアップする。教師もいじめがあることなんかわかっているが「気づきませんでした」と言っておけばとりあえず守られるし、その学校を立ち去る羽目になってもどこか遠くで何事もなかったように教壇に立てる。
教師からすればそれがいじめではないように理論を偽装することなどたやすい。
いじめがある、両親が気づく、学校がのらりくらりとかわすのは実はこの辺の構図があるのだろう。「せっかくまとまってんだから余計なこと言うなよ」と思っているのかもしれない。
そして今日も学校はこういう「これがいじめだとは認識していませんでした」と。
そういうわけで、なぜ学校にはいじめがあるのか、そして痛ましい事件があとをたたないのか、と言ったことを書いてみた。
そんな自分もかなり熾烈な苛めにあってきたのでこの辺は結構調べた。
とうぜん「そうじゃない人々がそうじゃない」と言ってくるかもしれないし、クッソくだらない揚げ足取りもされるかもしれないが、「そうだった人がそうだった」と言っているのだ。
というのは冗談で、コロナのおかげで学校行かなくなって良かったと思ってるいじめられっ子のみんな。
良かったね。
無意味な学校行事やクソみたいな学校の規則に頭を悩ます事もなくなったよ。
何ら興味の無い科目の授業中にモニター越しにゲームしたり薄い本読んでてもバレなくなったよ。
逆に興味のある事を好きなだけ学べるようになったよ。ゲームを作ったり、プログラミングをしてみたり。
普段お世話になってるママンのためにお料理の勉強だっていいんじゃないかな。
近現代史を一切教えようとしないクソみたいな世界史の授業よりはるかに有意義だよ。
ソーシャルディスタンスのおかげで声のデカいスクールカースト上位ゴリラにドッヂボール中剛速球を顔面に喰らう事もなくなったよ。