はてなキーワード: 自己肯定感とは
増田が言うように人がうらやむものを元々持っていれば、ちやほやされやすいので自己肯定感が育ちやすいのはそうかもしれない。
でも、自己肯定感って、
幼い頃に親にしっかり愛されていたか とか
はてなで清潔感が〜ファッションが〜っていうエントリ定期的にバズるけど、そういうことじゃないよなぁといつも思ってて。
結局モテるのは恵まれた環境で育った奴ってだけの話なんだよな。
もちろんセンスの良い人たちが子供の頃から周囲にいたり、いい洋服が買ってもらえたりするのはそうなんだけど、
モテる奴にあってモテないオタクにないものは自信とか自己肯定感なんだと。
親が会社経営してて〜官僚で〜医者で〜とか出身が昔からの名家で〜とか、自分の出自が人に言える奴は強いのよ。
自分なんて田舎出身の貧乏サラリーマン家庭だったから恥ずかしい思いばっかりで、
みんなが持ってるもの持ってないしみんなが知ってること知らないし、
育ちが違うから身なりも当然違うんだよね。仲間外れになるわけだ。
どうしてこんなに自分は自信が持てないんだろうと悩んだ時期もあったけど、
若い頃から自己肯定感高すぎなアイツらは子供の頃からみんな「持ってた」ってだけなんだって気づいた。
何もなくても顔が良かったらアイドルになったりしゃべりがうまかったら芸人になったりする人もいるんだろうけど、
子供の頃の貧乏生活から抜け出すんだ、別人になるんだっていう気持ちを抱えて頑張っている人もいるんじゃないかな。
有名になって昔の貧乏話を笑い飛ばせる人はいいけど、そうでない人も多いよね。
今だと芸能界でもいいとこの坊ちゃん嬢ちゃんや高学歴な恵まれた人たちがチヤホヤされているから
調子がいい時
自分を形作ってくれた全てに感謝。特に自分の肉体と精神構造の根幹を作った親には感謝。
調子がわるい時
自分を形づくってきた全てが悪い。この肉体と人格の製造者たるものどもこそまさに呪われて叱るべきだ。
これで、いいんだよな?
長いうえにちょっと生々しいので閲覧注意です。
はじめに、私は今30歳なので女子大生だったのは10年ぐらい前の話になる。
私自身は低用量ピルを5年程度使用していた経験があるが、アフターピル使用や中絶の経験はない。
どこにでもいるような女だけど、田舎社会における婦人科受診のハードルの高さについてどうしても言及しておきたかった。
大学4年の夏に、町で唯一の産婦人科を母に付き添われて受診した。
生理痛が重いので検査に…というのが表向き(というか母向き)の事情で、私の本心としては避妊目的で低用量ピルが欲しかったのだ。
当時、半年ほど付き合っている恋人がいて、そろそろかな~という予感があった。
彼氏は最初からコンドームを使うつもりでいてくれたが、就活を終えたばかりで妊娠するわけにはいかなかった私は、「コンドーム 妊娠 確率」「コンドーム 破けた」などのワードで夜な夜な検索しまくっては怯えていた。
(自室が無かったので親が寝た後に後ろを気にしながら調べていた)
そして確率の高い避妊法を求めて自然と低用量ピルに行き着いたのだが、調べる中で、保険証の履歴から親に婦人科受診が伝わることは避けられないと分かった。
(避妊目的のピル処方は保険適用外だけど、最初の検査などで保険証を出さなきゃいけなそうだった)
なんとかして親に言える理由で婦人科を受診し、合法的な名目で低用量ピルをゲットしなければいけない。
毎月の生理痛はそれほど重いわけでもなかったが、1年に1,2回失神する寸前ぐらいまで痛いときがあり、これを理由に行けると思った。
そういうわけで母に婦人科を受診する旨を伝えると、いい顔はされなかった。
私の真意を察していたのかもしれないし、ご近所の目を気にしたのかもしれないし、処女の身で内診を受ける私のメンタルを慮ってくれたのかもしれない。
(もう22なのに過保護か?)と内心思ったが無下にするわけにもいかず、大人しく母と一緒に病院へ向かった。
内診前に看護師さんが声をひそめて「セックスの経験はある?」と確認してくれたのが印象的だった。
たぶん、使う器具とか気を使ってくれたのだと思う。
問診では、母の手前「低用量ピルが欲しいんです」とはっきり主張することができず、生理痛が重いのも毎月ではないとバカ正直に伝えたので「またひどくなったら来てください」と言われるだけで帰されてしまった。
結局、ピルは手に入らなかったので、気休めとは思いつつ基礎体温を測って排卵日付近を避けつつ(コンドーム有りで)行為に及んだ。
彼氏は最初こそ私の心配を少し過剰に感じたらしかったが、パール指数などの数字を並べ立てて語る私の圧に押される形で、充分に協力してくれたと思う。
ただ、彼氏は就職でなく院進学が決まっていて、私と同じかそれ以上に今子供ができては困るはずなのに、なんで私だけがこんなに不安なんだろう…というモヤモヤは残った。
友達は高校生の頃から子宮内膜症が酷く、婦人科に通院していたが、「制服で婦人科に行くとジロジロ見られて本当に嫌だった」と聞いた。
見られるだけでなく「訳アリかな…」などとヒソヒソ言われることもあったそうで、田舎で学生が婦人科に行くのは本当にハードモードだな、と思った。
学生の頃は女同士でも生理や性の話をすることはほとんどなかったのだけど、
アラサーになって結婚・出産する人が増えてきて、少しずつ友人達とそういう話もするようになった。
仕事が忙しくなって生理が止まって病院に行ったらほとんど排卵していないことが分かったとか、
この前子宮筋腫の手術をしたとか、みんな何かと抱えてることが分かったし、
私たちが10代の頃から婦人科に気軽に通えてたら、もっと違った現在があっただろうなと思った。
そんなこともありつつ、就職で親元を離れ、いくつかの町でいくつかの婦人科を受診することになったのだが、東京のレディースクリニックで低用量ピルをもらったときにはあまりの気軽さに拍子抜けした。
「本当は産めるときに赤ちゃん産むのが一番ですよ」などと念押しされることもなく、問診・内診も女医さんだった。
今お世話になっているクリニックの先生は男性で、女性の仕事にも理解があり、嫌なところは全くないのだが、やっぱり内診のストレスは女医さんのほうが断然小さかったなと思う。(頭では割り切っていても感情として…男性の先生には申し訳ない)
例の地元の病院で実際にピルを取り扱っていたのか定かではなく、さっき調べたら閉院していた。
どうやら現在は婦人科を受診するには隣町まで出る必要があるようだ。
もし自分が当時アフターピルを必要とするような緊急事態に陥っていたら、と思うとぞっとする。
アフターピルについては昨年からはオンライン処方が解禁されたらしく、それ自体は大きな一歩と思うけれど、まだまだ条件が厳しすぎるのと郵送のタイムラグを考えると実用的ではないと思う。
アフターピルの妊娠阻止率は24時間以内の服用で95%、72時間以内で85%ということだ。
https://www.tsuzuki-ladys.com/exams/afterpill
一刻を争う状況で、最優先は望まない妊娠を回避することであり、その後の教育や相談体制の整備は別途考えることだと私は思う。
さらに言うと、妊娠阻止率の低いアフターピルよりも低用量ピルへのアクセスを向上させたほうが良いと思っている。
学生の頃のことに関しては、色々とバカだったなあと思っている。
母を騙す罪悪感が中途半端に残っていて言えなかったのだとは思う。
ただ、1年に1,2回とはいえ失神するような生理痛は普通に治療対象だったと思うし(バイト初日に倒れかけた)、
低用量ピルを使い始めてからの痛みと比べると、毎月の生理も充分重い方だった。
半年待たせたのなら1年待たせても良かっただろうし、言えば普通に待ってくれたと思う。
当時は自己肯定感が低くてセックスなしの交際が申し訳なかったのと、恋愛脳のお花畑だったので「付き合った人に全部を捧げたい」みたいな気持ちもあった(捧げるってなんだ気持ち悪い)
彼氏ができる前、うっすら男性不信だった癖に、彼氏が欲しくて男性心理が知りたくて2chに入り浸っていたので、男性はみんな性欲を抑えるのが辛いし可哀そうという思い込みがあった。
実際は男女ともに個人差が大きすぎるので、目の前の相手ととことん話すしかないのにね。
結局学生時代の彼氏とは別の部分で考え方が合わなくなってお別れしてしまったのだけど、その後別の人と結婚して妊活を始めるまで5、6年ほど低用量ピルを服用していた。
元増田とも被るけど、私にもかなり大きな変化があったので所感を書く。ホルモンの威力はすごい。
周りには言い辛いけど、最後のメリットが個人的にはかなり大きかった。
学生のときみたいに「私は(不安で)気乗りしないけどさせてあげる~」みたいなスタンスだったら今の結婚相手とも上手くいかなかったと思う。
不摂生のためか元々うっすら希死念慮があったのだけど、最初の1ヶ月だけそれがひどくなった。吐き気もあったかな。
ただ、私の場合、それが過ぎるとむしろ希死念慮がさっぱり消えて、なんで今までこんなしんどかったんだ?という心境に。
その頃仕事を始めたり実家を出たり交際相手と別れたり、変化が多すぎたのでピルが原因とは言い難いのだけれど、最近別のブコメでもそういう人を見たので、無関係ではないのかもと思って一応書いた。
妊活希望してピルを辞めたけどなかなか生理が来なくて結構焦った。普通は翌月にも妊娠できるようになるらしい。
ただ、どう考えても当時の職場がブラックだったストレスのほうが大きいので、ピル飲んでなかったらもっとやばかった気がする。
また婦人科を受診して、ホルモン薬を何回かもらい、今は自然に生理が来るようになりました。
私は上記のメリットのほうが大きかったのでデメリットも知ったうえで服用を続けたけれど、他にも血栓症のリスクなどもあるし、気軽に飲む/飲ませるような薬ではない、ということを強調するためにあえて因果関係不明な部分も含めて書きました。悪しからず。
そういえば、市販化に反対する根拠として挙げられる理由の一つに「女性にピルを飲ませれば良い、となると男性が避妊しなくなるのではないか心配」という声があるけれど、そういう男性はたぶんピルがなくてもちゃんと避妊しないような気がする。
ちゃんとした男性は猿じゃないので性病予防の観点でのコンドームの必要性とか話せばちゃんと分かるはず。
そういう意味では薬剤師の説明が必要なBPC薬にするのが落としどころか。
ピルを望む時点で自分の体と妊娠に対する知識と意識があるわけで、経済面さえクリアできれば女子は病院に行くと思うよ…
子供とあけっぴろげにセックスの話をするのが正しい性教育なのか?何歳から?など疑問は尽きないけれど、手探りでも子供の成長と逃げずに向き合って、段階的に伝えていけたらと思っている。
自己肯定感が低いね。ある意味で自己の価値評価を他人任せにしているように見える。他者に何をされても、たとえ尊厳を踏みにじられても自分は自分だ、と言い切れる強さと自信をつけられるといいですね
なんとか消化しようと思ったのだが、話せる友人も特にいないのでここに記す。
本番は規約で禁止されているためなかったが、それでも大変に満たされた時間だった。
私はというと、自己肯定感はほぼ無し、
しかし承認欲求と性欲だけは人一倍あるというどうしようもない女だ。
そんな女がこのサービスを利用したらどうなるか?答えは明白である。
信じられないほどハマった。
まずい。これは本当にまずい。
正直今までそういうのにハマっちゃう人たちってわからんわ…こわ…とか思ってました。申し訳ございませんでした。
普段会話のキャッチボールどころか、1人で投げっぱなしボウリングばかりしている私が、楽しく話せている。
そして何よりめちゃくちゃに褒めてくださる。
息をするように褒めのジャブが打たれまくるのである。
褒められ慣れていない私はただただその幸せを受け止め浴びることしかできず、すぐにノックアウトした。
さすがプロ…すごい。
これが諭吉の力。すごい。
このホテルまでの道のりで既にホクホクだったが、彼らの神髄はこんなものではなかった。
部屋に入ると、まずカウンセリングがある。
カウンセリングでは、マッサージして欲しい部分、して欲しくない部分、したいプレイ、NGプレイなどをヒアリングしてもらう。
してもらうのだが
びっくりするくらい喋ってしまった。
ギアスでも使われたのかと思った。
これからしてほしいプレイを自ら言うとか、正直めちゃくちゃ恥ずかしい。
非常に!恥ずかしいんだけれども!
…と、恥ずかしい思いをしつつ、ある程度こちらの要望を伝えたところで代金を支払う。
いや…良………
所詮マッサージとは名ばかりの、雰囲気だけのただの踏み台なんだろ?とか思っていたが普通に良かった。
そして徐々に中心部へ迫ってくる指先に嫌でも期待と熱が高まっていくが、この間にも褒め殺しジャブがめちゃくちゃ飛んでくる。
理性が飛ぶ…やめてくれ…
と最中は思っていたが、これは理性を飛ばしていた方が後々もっと楽しかったように思う。
何より、セラピストさんに触れて悦んで貰い、(当然表面上のリップサービスなのだろうが)褒めジャブを浴びせてもらえるというのは、私を脳内麻薬ドバドバのスーパートリップ状態にするには十分すぎる要素だった。
こんな精神状態で、学生時代から妄想し続けてきた両手拘束目隠しで玩具責めにあう、というのを想像してみてほしい。
…無理だ。
堕ちるなと言うほうが無理だ。
自分の意思に関係なく責め続けられるというのは、想像を絶する快楽だった。
今よがり狂ってるのは本当に私か?と一瞬俯瞰してしまったくらい。
結局あれは何分啼かされたんだろうか。
喉は死ぬわ酸欠で頭も足もフラフラするわで、最高の気分だった。
相手も仕事とはいえ、こんなに性癖をさらけ出しても褒め、肯定し受け止めてくれるというのは、これは錯覚おこしても仕方ないなあ…。
めちゃくちゃに褒めて貰えるので、嘘でも
健全な心、精神をお持ちの方は正しく受け止め、割り切って満足に到れるのだろうと思うが、日々渇望している私にとっては正に麻薬だった。
お金を払っているので、心の内ではどう思われていようが、目に見える形でこちらを傷つけてくることは無いであろうという安心感。
これは間違いなくまずい。
日々あんなに努力しても得られなかったものたちが、お金の力でこんなにも簡単に手に入ってしまう。
こうして人は何かに依存していくのか、と他人事のように感じている。
自覚があるだけまだマシと思っているが、依存している人間というのは「あ〜、自分依存してるな〜。」と思いながらも離れられないものなんだなあ…と、ぼんやり考えている。
あくまで、あちらは仕事としてお金を貰っているからあそこまでしてくれるのであって、私そのものを肯定しているわけではない。
そこを完全に見失ってしまった時が、私の真の終わりの時だろうと思う。
妻はとにかく、私に「悪いと思ってほしい」と言う。休日は朝寝坊していいけど、悪いと思ってほしい。一人で外出していいけど、悪いと思ってほしい。疲れていたら子どもとお散歩しなくていいけど、悪いと思ってほしい……
うん、悪いと思ってる、ごめんなさいと言い続けてきたけど、とにかくつらい。部屋に戻って、泣きながら自傷している。
私は、妻に「悪いと思ってほしい」なんて言ったことはない。専業主婦なのに料理が全くできないことも、部屋が散らかり放題なのも、少しでも気分を害するとすぐに激昂してしまうところも、それでいいよというか、どうにもならないならしょうがないという気持ちでいる。
妻にも、そのようにしてほしいと思うのは、価値観の押し付けや居直りのたぐいだろうか?
しかし正直、もう限界だ。せめて、その「悪いと思ってほしい」というのをやめてほしい。それは丹念に自己否定をさせて、自己肯定感を根本から壊していく呪いの言葉だ。
だが、正直、わかってくれる気が全くしない……。
日本社会ってあまり尖った人を歓迎せんのよ。社会はアホの方が多いからな。構造的に仕方ないよ。東大で男ばっかのムサ苦しい空間行ってな、東大生だからって大して優遇もされない社会に出ていくよりな、やっぱ慶應くらいのちょっとアホやけど世間的には賢いとされてて女子も多い集団の方がエエよ。サークルで女子大の子と遊ぶ手もあるけどな、女子大の子はアホやねん。東大生、それなりに女性経験あれば遊びには困らんけどな、結婚相手探しに苦労してる人多いよ。やっぱ結婚相手は賢い方がええやん。慶應くらいやったらなんとか話は通じるもんや。女子大の子はアカン。可愛いかしらんけど遊び止まりやわ。社会は正論を求めてないんや。賢いこと言ったって理解できる人の方が少ないんよ。それより正しさなんか気にせずに迎合してく方が楽ってもんよ。慶應の奴らはその辺諦めがついてる奴が多いな。東大落ちとかで東大コンプある奴ももちろんいるけど慶應生はどっちかっていうと下を見ることで自信がある奴が多いな。東大生は自己肯定感低めな人ばっかやな。勉強ばっかしてたっていう負い目がある奴多いよ。学問で上を見ると劣等感あるしな。遊びの面では上とは言われへん、早慶マーチあたりの奴らに劣等感あるよ。まあ適度に遊んで適度に賢いとされて女子もそれなりの数いてっていう集団が自己肯定感高く上を見ず優越感に浸って生きていけるんだから幸せってもんよ。
自己肯定感という「ありのままのあなたでいいんだよ」みたいな言説は、結局それはフェミトが男性に対して「男性性から降りてもいいんだよ」といったことと何ら変わらなく、現実問題としてより能力の高い人間が代替可能に存在している以上、なんの責任も取らないクソ言説なのではないか?
支離滅裂なはなし。吐き出したくて書いた。
普通の人でいいのに!を読んで、完全に私だと思った。私すぎてびっくりした。
あー私って本当に面倒くさいなぁ、自分のことを面倒くさいって公言する時点でそれが面倒くさいだろうなぁ。
自分の醜い部分が露出してしまう原因は分かってて、会社でできた友達がパリピだったからだ。友達は私が行かないようなところに連れてってくれて、すごく刺激的なんだけど、それと同時にコミュ障な自分と比較してしまう。好きだしたのしいけど、私とは違う。それがつらい。私は無理しているんだろうか?
この面倒くさい性格は確実に学生時代(小〜大)の冴えない自分を未だに引き摺ってるからだと思う。たいした青春もなく、恋愛もしてこなかった。(未だに更新中)
27歳にもなって、どんなに外見を磨いたって内側は変わらない。過去のヒエラルキーに縛られたまま。今を生きたいのに、過去を捨てられない。自分に自信を持つって相当努力しないといけないんだろうなぁ。何回も自信を持とうと思っていろいろトライしてみたけど、結局三日坊主で、それがまた自己肯定感を低くする。←そんな自分も嫌い。
この漫画を読んだとき、ちょうど自分がなんて面倒くさい女なんだ!と思ってたところだった。
好きな人がいて、パリピの友達経由だったんだけど、その人もパリピみたいな人。話せば話すほど自分とは真逆でつらかった。でも話してると楽しくて、私なんか全然釣り合わないのに好きになってつらかった。好きでいるのやめたいのにやめられなくて、これってただの執着な気もする。
最近会う約束をしようとしてて、ラインで連絡とってたんだけど、全然話噛み合わないし、日にちも決まらないから、やっぱ私と会いたくないのかなって思ってたんだけど、さすがに意味不明なLINEがきて、勢いで電話しちゃって、「私の送ったやつ意味わからなかった??」ってめっちゃ聞いちゃって、「転職で仕事の引き継ぎが忙しくて寝ぼけてたときに送ったから…」みたいなこと言われて、そうじゃん。来月から新しい職場になるって言ってた。なのに私ときたら本当自分のことしか考えてないんだなぁと思って最悪だった。私、本当最悪だった。しかも電話で嫌だったら断っていいよ!とか無理しないでいいよ!とか言ってて完全に面倒くさい女じゃん。これ電話した後に思って、もう完全に嫌われたと思いました。。
それで、私はなんて最低で面倒くさい女なんだって思ってるところでこの漫画を読んだから、結構きつかったし、なんかもうわからん。
まともになるにはどうすれば?どうすれば面倒くさくならずにすむんだろう。自分で考えなきゃいけないんだろうけど、難しい。
上の式が幸せを極端に単純化した方程式だ。幸せは現実と期待の差である。現実 > 期待の時に正の幸せを感じるし、現実 < 期待の時には幸せは負になり不幸を感じ憂鬱になる。
最近バズってる『普通の人でいいのに』とか、少し古いところだと『東京女子図鑑』『東京タラレバ娘』とかの主人公はね、みんな同じ問題を抱えている。自分が何を欲しいか理解していないため、期待値が高くなりすぎて不幸になっている。
Generation Yとも言われるミレニアル世代と同じ問題を抱えてるんだよね。
(参考:https://waitbutwhy.com/2013/09/why-generation-y-yuppies-are-unhappy.html)
小学校低学年までの頃は割と幸せな人が多かったんじゃないか。大人になってくるにつれてどんどん他人と自分を比べていって勝手に不幸になる人は多い。中学生や高校生の時点で既にそういうメンタリティは仕上がってくる。ミレニアルやそれ以降の世代の人達は、人生の良い部分だけばかりが投稿されたSNSを見て、他人の人生を羨ましく思う。自分の人生は良い部分だけでなく悪い部分も全て見えているが他人の人生の悪い部分が見えづらくなってきているため、自分ばかり損をしている気分になる。選択バイアスと観察者バイアスが相互に作用しあって壮大な勘違いをしでかす。その結果人生に対する期待値が膨れ上がってしまう。実際には自分が羨ましいと思っている他人も、実は自分のことを羨ましく思っていたりするものだ。結果、不幸の総量が増えやすい仕組みになっている。
『普通の人でいいのに』『東京女子図鑑』『東京タラレバ娘』で描かれている女も要は同じだ。東京という大量の多様な人がいる場所では当然キラキラした人も多い。そのような人ばかりが目に入ってしまう。またマスメディアに影響された価値観を通して世の中を見ているので、人生の期待値が無意識なうちに爆上がりしてしまっている。田舎にいる時はマスメディアの情報はあくまで別世界の情報として切り分けられるが、東京に来たらそうではない。そこにSNS等の影響も加われば効果はバツグンだ。
人間誰しも自分は特別だと思い込んでいる。世間様が用意した価値観に乗っかって自分はその定規の中で真ん中よりは上だろうと思い込む。現実離れした期待値を内面化してしまう。結果、他人を見下し、自分の周りに用意されたものの価値を見誤る。自分はもっと価値のある人間だという思い込みによって、自分の中での現状の価値を下げていく。自己肯定感が低いくせに自己愛が強い人は世間からの承認を求める。それが無いと自分の価値を確認できない。そのような自己中心的な人物に勝手に価値を下げられた方は酷く傷付く。しかし価値を下げた本人はそれを当然の報いだと思い込んでいるため、罪悪感すらない。自分が不幸なだけでなく、周りの人を不幸に巻き込んでいく。遂に自分の中での価値観が形成され、過去切り捨てた者達の価値に気付いた頃には既に時遅し。自分の愚かさに気付き更に不幸になっていく。
こういう作品に女の主人公が多いのは女の方が人間に興味がある人が多いからだ。男はどちらかというとモノに興味がある人が多い。看護師に女が多く技術者に男が多いのはこの影響だ。人間、他人に興味のある女ほどこの地獄にハマりやすい。SNSが無い時代からSNSのようなことをしてきた人々だ。あの人の旦那さんはどこどこに努めていてこれこれこういう役職だ。あの子の彼氏はイケメンだ。なんとかさんの子供は勉強がすごくできるのに比べてうちの子と来たら。自分のことは棚に上げて、自分が持っているものでマウントを取り合う光景は昔から存在する。更に日本人はコミュ障が多く他人と向き合うことが苦手だ。他人に向き合わないのに頭の中に創り上げられたインフレした価値観で周りを勝手に判断するので、地獄は更にすごいものになっている。自分は自分、他人は他人という切り分けができる賢い人にならないといつまで経っても不幸だ。
定年退職した父が、ハンドルネームを考えたから聞いてみてくれと言う。
父は公務員というお堅い職業の人間だった一方で、とても詩的な人だった。
何かあるとすぐ世の無常を感じて切なくなっている。
定年後は詩人として余生を謳歌したいらしい。インターネットでの活動も予定しているとのこと。
定年退職した父が、ハンドルネームを考えたから聞いてみてくれと言う。
咄嗟に思った感想は「中学生が最初に考えたかっこいいハンドルネーム」「ヒプノシスマイクに出てきそうなゴテゴテ漢字の羅列」だ。
隣で話を聞いていた弟が「ダッサwww厨二病かよwww」と大爆笑。そこまでは言わないようにしていたのに火の玉ストレートだ。
私がここで父を止めても、父の身に起こることは「センスの改善」ではなく「子供には全否定されてションボリ」という自己肯定感の低下だけだろう。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 92 | 12368 | 134.4 | 41 |
01 | 84 | 14673 | 174.7 | 67 |
02 | 76 | 8324 | 109.5 | 42 |
03 | 36 | 5732 | 159.2 | 55 |
04 | 51 | 6674 | 130.9 | 51 |
05 | 20 | 2592 | 129.6 | 62.5 |
06 | 28 | 4737 | 169.2 | 50 |
07 | 34 | 8555 | 251.6 | 93.5 |
08 | 106 | 11621 | 109.6 | 47 |
09 | 79 | 7398 | 93.6 | 50 |
10 | 101 | 6863 | 68.0 | 45 |
11 | 122 | 13732 | 112.6 | 52 |
12 | 133 | 17019 | 128.0 | 47 |
13 | 125 | 10453 | 83.6 | 37 |
14 | 147 | 13494 | 91.8 | 43 |
15 | 142 | 24135 | 170.0 | 41.5 |
16 | 122 | 15065 | 123.5 | 42.5 |
17 | 163 | 17817 | 109.3 | 44 |
18 | 182 | 20616 | 113.3 | 45.5 |
19 | 180 | 24762 | 137.6 | 52.5 |
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23 | 194 | 26537 | 136.8 | 34.5 |
1日 | 2874 | 340271 | 118.4 | 43 |
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■自己肯定感を分解する
> 自己肯定感が高い/低いと言いますが、そもそも自己肯定感ってなんでしょうか。
> とき、不運に見舞われてしまったときに、必要以上に落ち込んでしまう。
> 相互に作用しあってどんどん不幸になっていく(書いていて嫌になってきました)。
> 私はもともと自分を自己肯定感の高い人だと思っていたのですが、最近自信がなくなってきました。
> あなたが自己肯定感の低い人間だと自分を認識してしまっているとしたら、自分を嫌いになれることは素晴らしい才能で、自己愛と共感力の豊かな人間であること。
単なる趣味だから自由でいいんですけど、“人間は動物である” という当たり前の視点があってもいいのではと思いました
増田が行いたいことが「マーケティング」や「自身の印象管理」であるなら、“人間は動物である” という視点は不要で、
人間の文化・社会を眺め、ある程度 確立されている手法に従えば、プロでなくとも限定的な効果は得られるとは思います
パソコンの仕組みを理解していなくてもパソコンを使えるのといっしょですね
しかし、実際的な手法についてはとくに記載はされていないかったので このトラバ 以外もつけてみることにしました
ググれば秒でわかるかと思いますが日本で振り回されがちなマズロー・フロイト・ユングなど 大昔の方々 が唱えたことは
既に化石になっていたりします。一部取り入れられいることも科学的な補強が入ってます
たとえば脳科学とかですね
(なお、いまは局在論ではなく全体論だと思います。また脳腸相関など単一でどうこうではないです。とりあえずヤクルト飲もう)
ストレスを感じる状況・幸福を感じる状況に対し脳がなんらかの反応を示している点については
もちろんそんなことはなくて、脊椎動物の脳や構造、遺伝子を調べると、人間も含めて、共通なものがあることがわかっています
そこで 行動神経科学 (Behavioral neuroscience)、生物的心理学 (biopsychology または psychobiology) なんて視点があったりします
日本でも もちろん様々な研究をやっているので 学生さんや親御さんなら目にする機会くらいはありそうな気がします
そのへんに転がっている科学読み物なんかでもよく出てくる視点ですね
彼ら(動物たち)は 親や同種から称賛を受けなければ 自分 や 行動 を肯定出来ないと考えますか?
あるいはアクション毎に自分自身のことを否定してる個体がいると考えますか?
そもそも彼らが “その瞬間、自分がしたいこと” をするのにそれらは必要になると考えますか?
セックス(性別) に進化の過程で有性生殖になった以上の深〜〜い意味を寄せがちな人がなぞ過ぎる増田でも書いたのですが、
世の中には、詳細については興味が無くとも、“経験から知っている” ことってあると思うんです
たとえば、負の経験の学習 (動物が嫌なことを避ける学習・死の危険を避ける学習) ですね
負の経験の学習についてはみんな経験して知っていると思うので、実は記憶って遺伝するらしいですよとだけ補足して、
まとめたいと思います
○ 関連増田
実際には、自己に対する否定感情は、(人によりその頻度や強度は様々でしょうが)その時の環境や本人の体調に大きく作用され、瞬間的・個別的に発生するものです。
うん、だから生理的な(おそらく脳の機能的な)レベルで自己否定感情が起こりにくい人=自己肯定感の高い人なの。自己肯定感に理由は必要ないというのはそういうこと。んでそれはほぼ生得的な体質なので後天的な獲得は不可能だという話。
※基本自分用。ついでに公開という体。
元増田の言うところの分解する手法は大変有効で、社会的な事柄のみに限定すれば肯定感は高まる。だけどこの方法では社会の節目が訪れ、概念が180度変わるシーンでは無効化されると思う。例えば玉音放送前と後のショックの大きさについて数多くの証言が残されている。国家というアイデンティティを個人レベルに適用していた人は自信がもろく崩れた。海外でパスポートを失ったとき、辻仁成は、所詮肩書など紙切れに過ぎない。遠く外国において自分は何者でもなかった、と小説の後書きに記した。
自己肯定感を至極真面目に考えると、自己の定義から始まり、自己の発生箇所、範囲、形而上的な自己という精神について絶対に避けられなくなる。デカルト~フッサール~ハイデガーをつらっと見てゆくと、自己とは何かがますますあやふやになってゆく。分子や細胞など、SF的な見地でもいいかも知れない。自己という要素は認識や意識にまで還元され細切れにされる。
相対的な評価は、たとえそれが当時絶対的に見えても絶対性がまるでない。わたしというものを社会性と接続されるあらゆるものから切り離すべきで、そうでないならば、実際のところ自己評価、他者評価とは単なる一社会一形態・一時代のマーヤーに過ぎないことが理解できる。自己がマーヤーであるなら他者もマーヤーであり、そこには般若心経的な世界観が広がってゆくばかりだ。空とはなにもないわけではなく、"ある" と錯覚するものが多数の変じ易い要素によって形成され、例えば社会的な成果や経験に見える、といったものらしい。自己に言い換えるなら、自己が存在しているという実感は単なる各細胞(社会的なレッテルや成果を含む)の成り立ちに過ぎない。自己を考え、また認識することはまるで無意味だ。したがって元増田の希薄さとはまた違い、自他ともに興味が消失するところに真実があるものと思う(あるというより、ないのだけど)。
じゃあなんだ、どうすればよいのか。
自己と他人に無頓着になり、興味のみを追えばいいと思う。これは多少齟齬を含んでいて、他者に興味を持てない状態で他者に興味を持つというおかしなロジックを持っている。言ってしまえば他者に "ある" ものは追いかけなくていい。社会的な地位や金、恋人、そういうものではなく(仮にそういうものであったとしても)純粋に動物的に欲求するということ。たとえば奇妙な話、金という働きに極度の興味があるなら金集めに奔走してもいい。ただしその場合でも金にまつわる "ある" と錯覚する自己認識を持つ必要性はない。それは自己ではないから。
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地方都市の大学をまあまあの成績で卒業した自分は、「顧客から『先生』と呼ばれる職業」に就いた。ちなみに、学校教員ではない。
学生時代はそれなりに注目された人間で、というのも、自分には生まれつき特異な能力がひとつだけあった。それを以て、良くも悪くもほんの少しだけ特別扱いを受けて生きてきて、仕事もその能力に関わるものを選んだ。
ところがその特異な能力とやらは発達障害によってもたらされた偶然の産物であり、社会に出た瞬間に自分は無能と化した。特有の段取りの悪さ、睡眠障害、虚弱体質、感覚過敏、これら要因により溜まったストレスを引き金とした定期的なパニック発作。それまで「生きづらさ」に自力で折り合いを付けてきた自分が精神科のお世話になるまで、一年と経たなかった。
明らかに仕事の能率が落ちて、上長と相談して少しずつ雇用条件を緩くしていったが、気がついたら精神障害者保健福祉手帳が交付され、今では正社員を諦めて週4日の勤務。ボーナスも手当も全て消え、手取り月収は半減した。これを機に障害者雇用枠に収まって合理的配慮を受けようかと思っていた矢先に、どこぞのお偉いさんから、発達障害を悪く言うメールが回ってきた。そういう訳で同僚にカミングアウトする機会を完全に失い、現在の自分は「よく分からないが体調の悪い人」という扱いになっている。
それでも自分は今の仕事をやめられない。この能力を活かせる瞬間に、自己肯定感を完全に依存しているからだ。ハローワークで求職者登録をして、色々な求人を見ても、顧客の顔が頭をよぎる。転職したら自己肯定感を保証してくれるものが無くなってしまう、という恐怖に、今も苛まれている。
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仕事に自己肯定感を依存しているということは、私生活は思い切り虚無だ。
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自分も趣味と呼べるものを持っているのだが、最近はそれに興じるのが怖くなってしまった。表現に関わる趣味だったが、時が経つにつれてSNSのタイムラインは、より潤沢な資金と時間と能力、そして社会性を持つ人ばかりの世界となり、筆と心が折れてしまった。孤独に生きている横で、仲間達は別のことで盛り上がっている。それに興味を持てるような精神力は、最早残されていない。
自分にしかできない表現、なんてものも無い。これでも当初は自らの表現するものに需要があると思っていたのだが、明確にそれを覆す出来事が、つい最近あった。いや実際の所は分からない。「嫌いなのは作品ではなく、社会性に欠けたお前自身」という可能性もある。どちらにせよ活力が削がれることに変わりはないのだが。
そして、こうしたことに気付く頃には、他の趣味に没頭する気力が無くなっていた。今の自分は、余暇に何をするにも義務感を伴う。
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こんなとき、病んだ人間を救うのは家族や恋人の愛というのがテンプレートだ。一応、自分には家族も恋人もいる。
家族は、私が手帳持ちで正社員を辞めたことを知らない。彼らがイメージする自分は、いつだって明朗快活、何事も気合で乗り越えられる精神力を兼ね備えている優等生だ。それは一体、誰のことだろうか。
そして家族は、自分に何も喋ってくれない。気付いたら父母は事実上の離婚状態だったし、気付いたら自分の教育費は両親ではなく親戚が支払っていた。私の知っている一般的な家族とは何か違う、謎の共同体だ。
恋人のことは心から愛しているが、その人は自分と一緒にいるときよりも、友人と語りあっているときや、趣味に入れ込んでいるときの方が余程幸せそうに見える。と言うと、「人の感情や好みを他人が勝手に判断しないで」「好きだと何回言ったら信じてもらえるのか」といつも怒られるのだが、それほど好きならばもっと向き合ってほしかったことが色々あった。
しかしながら今思えば、お互い身内でも何でもないのだから、これで良かったのかもしれない。これ以上他人に負担をかけて生きたところで、何も楽しくないのだ。
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20代半ばにしてこんなにも空っぽなのだから、限りなく婉曲的に表現すると〝損切り〟をした方が良いと思った。
転職をして自己肯定感を得られなくなる前に。働き続けて家計が壊れる前に。恋人から「そろそろ結婚を」と言われる前に。趣味仲間が大成する前に。心がすれ違った家族の最期に向き合わされる前に。
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こうして自分は今日、書店でエンディングノートを買った。とても残念なことに、おそらくここ一ヶ月で、最も行動力に満ちあふれた瞬間だったと思う。
これ程までに精神を病んでも、まだ「立つ鳥跡を濁さず」の精神は一丁前に残されていて、使っていない銀行口座や家族が見てもどうしたらいいか分からない物品がそれなりにあることに負い目を感じた。なまじ責任感が強いと困るばかりである。かといって責任感が強いところで、その責任を果たすことはしないのだ。本当に社会の穀潰しである。