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はてなキーワード: 結婚式とは

2024-04-09

親友が狂ってきてる

俺と親友出会い就職新卒の時に面接で知り合って、入社式でも顔をあわせて、そのまま同じ支店になった。

それから親友が異動になっても俺が転職してもちょくちょくラインしたり飲んだりする仲だ。

俺は勝手にこいつを親友と呼び、そして俺にとって親友と呼べる男はこいつだけだった。

 

結婚前は、親友も俺も遠距離恋愛をしていて、彼女居住地が近かったので、一緒に長距離ドライブ彼女に会いに行ったりした。

当然、親友彼女結婚式も出席した。

俺はその頃、もう彼女と別れていたけど、目一杯親友人生の門出を祝った。

 

親友は、あまりかしこくはないが、まじめで、要領が良くて、人当たりがよくて、どこか気品があって、それでいてなんだかミステリアスで、男女ともに人気があるタイプというか、なんだか華がある男だった。

でも同時に、どこか他人に心をひらくのが苦手で、他人に対していつも批判的で、本音のところで素直じゃなくて、人を慕ったり、こびたり、大事にしたりするのがヘタだった。

かまってほしいのに、かまってもらうのがヘタ。

愛されたいのに、愛することはできない。

第一印象がとてもいいぶん、親しくなればなるほど欠点が目立つタイプで、よくトラブルを起こしては「人間関係リセット」をやってしまうやつだと知ったのは、最近だった。

そんな男だったので、親友にとっても、親友と呼べる友人は俺だけだった。

 

コロナ禍でも釣りに行ったりしていた親友と、昨年の夏頃から連絡があきらかに薄くなっていった。

先月ひさしぶりに会うと、近況報告もそこそこに、奴はビジネスバッグから封筒を取り出した。その封筒には、筆文字で書かれた屋号のようなもの電話番号や住所が記されている。そこから降りた畳まれA3よりすこし大きいくらいだろうかといった紙が出てきて、ビール枝豆のとなりに広げられた。

「数年前に、一緒に担当だった●●さん、覚えてる?占い師がいたろ。いっしょに四柱推命を占ってもらった。」

それを聞いて思い出した。そういえばそんなことがあった。言われてみたら、その筆文字で書かれた屋号も、なんだか見覚えがある気がした。

「ほら、俺が33歳の年。運命的な出会いがありって。このときはお前と笑ったよな。俺指輪してたのに、占い師のくせに不注意だって。」

そう、親友結婚していた。俺は結婚式にも出席したし、親友はずっと指輪をつけているタイプだった。真面目な男だ。遊んだりしない。

「いたんだよ。ほんとうに。運命の人が。」

そういう親友の目はとろけていて、なんだか別の人みたいだった。

ふと親友の手元を見ると、指輪を外していた。

その晩の親友は、今までの、人当たりがよさそうにふるまいつつどこか2面性があって、ドライだったり斜に構えたりするところが完全になくなり、素直で純情でロマンチストで、恋愛に夢中で他に何も見えないといったような、気持ち悪い生き物に見えて、とてもつらかった。

 

そう言えばかつて、「俺も結婚したいなあ」なんていうと、親友から子供がほしいならいいとおもうけど、そうでないならしなくていいと思う」と言われたのを思い出した。

親友は早くに結婚し、その頃は結婚7年目とかだった。結婚7年目というのが、実際どういうものか俺はわからないが、親友のところに子供はいなかった。

まり親友はいわゆるDINKS的なものを目指していると勝手に思っていたので、つまり好きで子供が居ない夫婦関係でいると感じていたので、そのせりふに違和感を感じたものだった。

 

親友から嫁さんの話、ぐちものろけも、聞いたことはない。

こちから、本気やノリや茶化しや冷やかしでその話題を振っても流されるので、いつからか触れなくなった。

家を買ったことは知っていた。

からそれなりに関係が良いのだと思っていたのだが、これよりあとになって、「家を買ったのは快適な家庭内別居のためだった」と知らされた。

 

親友の嫁さんと3人で会ったこともかつてあるし、俺はそれなりに嫁さんのことも知人であるつもりでいた。親友と嫁さんは、大学時代サークルの先輩後輩で、甘い雰囲気というよりも、仲間としての連帯意識が強い夫婦関係に感じていた。

親友にとったら初めての彼女だったのが今の嫁さんで、そんな嫁さんがそんな関係だったもんだから

からまり、もしかしたら今の不倫相手との恋は、

自分を失うような恋は、初めてなのかもしれない。

ふつう10代かそこらで済ませて、あとから青臭すぎて痛くて恥ずかしい思いでとして振り返ったり蓋をしたりするような恋は、親友にとって初めてだったのかもしれない。

 

まるで10代の少女のように占いなどを真に受けて、運命なんて言葉を甘く利用して。

「俺は離婚するつもりだ。不倫相手といっしょになりたい。お前は応援してくれるよな。結婚してなかったことにするつもりだから学生時代の友人や、今の職場人間とは関係を切る。転職もする。でもお前だけは応援してくれるよな」

 

俺が親友だと思っていた男はこんな邪ないきものだったのか。

恋愛感情ってのが人をそんなに狂わすのか。

それとも、そんなになるまで嫁さんとの不仲を抱え込んでしまって狂ってしまったのか。

俺はこいと親友で居続けたいのかな。

今まで親友と思っていた男とこいつが同じ人物と思えない。

でも、親友ならこんなとき正しい道に導いてやるべきだ。

でも離婚って正しくないのかな。

離婚って間違ってんのか?

こいつは本当は子供が欲しかったのかな。嫁さんに拒まれていたんだろうか。それなら、乗り換えたい気持ちもわかる。

 

頼んでもいないのに親友が見せてきた今の"恋人"の写真が頭にこびりついて離れない。

どこにでも居そうな、特段ブサイクではないが決して美人ではない、無理やり褒めるなら、きれいというよりは可愛らしい女の子だった。

親友にとっては絶世の美少女らしい。その魔法が解ける日も怖いが、不倫相手は嫁さんといわゆる正反対の見た目をした女だったのも、また怖かった。

アメリカでは皆既日食を眺めながら350組の結婚式が営まれている一方、私は無職童貞中年男性の身を子供部屋に転がし減りゆく預金残高を眺めながらいつ死ぬかどう死ぬかにしか関心がない。

2024-04-06

ブサイクが性被害に遭いやす理由

増田アラサーなんだけど昔からかなりジャイアンママに似ててまあ言っちゃうブサイクなんたけど、電車通学が始まった高校生の時から二児の母になった今も痴漢だの変質者だのに指だけじゃ数えきれないくら被害にあってるのね。うち2回はあまりにも悪質だったので警察呼んだこともあるのね。

でも可愛い友達(本音が言えない仲なんでしょ、じゃなくて若い旅行行きまくったり結婚式で役目振り合うような仲の友達ね)は全然被害にあったことがなくて、増田ブサイクなのになんでだろ〜と思って発言小町とかで質問してみたんだけども「本当は可愛いから痴漢にあうと思ってますよね。自虐風自慢ですか。見苦しいですね」とかいゴッサムティも真っ青の答えが返ってきて終わっちゃったわけ。

からこの間顔見知り程度のオッサンに「旦那じゃイったことないでしょ」「俺なら満足させてあげられるからね」とかいキモキモ言葉囁かれながら押し倒された時から一生懸命なぜこんな目にあうのか考えてみました。(ちなみにオッサン強姦まではされてませんのでご安心ください)


で、たどり着いたのが「若い女にはムラムラするけど、ブサイクにならそのムラムラをぶつけても罪悪感が無い」からかなという理由でした。合ってる?

可愛い子には多分罪悪感と、俺なんかがあん可愛い子に何かしちゃって良いのか...?みたいな葛藤が発生するんじゃないかしら。でもブサイクには全然そういう葛藤を抱かなくて済むし、なんならブサイクの性欲を俺が発散してやってくらいに思ってるんじゃないかなと思う。

から可愛い友達被害にあわず増田みたいなブサイクとか、私たちとうとう大人になっても可愛くならんかったよね...とよく若い頃一緒に悩んでいた友達結構被害にあってたりするのかなと思いました。

書いてて若干悲しくなってきたけど(笑)、もしこれを見てるよく被害にあう女性、もしお金があるなら本当は趣味かに使って欲しいけど、可愛くなれる手段があればとことんそれらを使って可愛くなるべきだと思う。増田はもう自分にかけるお金がないので諦めていますが。

何も悪いことしてないのに自衛するしかない社会なのが本当に理不尽だし本当に悲しいけど、みんなが幸せに暮らせますように。

2024-04-05

一万円の新札在庫がない!

と、最寄り銀行に書いてあった

皆さんの周りの銀行はどう?

結婚式参列のために交換に行った)

2024-04-04

結婚は家と家がするものなの?

2年前に別れた元彼結婚した。

共通の友人に根掘り葉掘り聞いて、結婚式の写真も見せてもらった。新婦の両親は品の良さそうな家族。お互いの実家を行き来してて両家仲良さそうと聞いて大泣きしている。とても悲しい。人は同じもしくは近いカーストの人としか結ばれないのか?

彼と私は大学2回生の頃から25歳まで付き合っていた。

私は地方出身で進学で関西に来ており、彼は地元の男だった。

付き合いは本当に順調で、私は彼の実家にもよく顔を出していた。注文住宅の一軒家、ペットの犬、何より優しく働きものの彼の両親と兄弟が大好きだった。

結婚意識し始めた25歳の春。彼が四国の私の実家に来たいと言った。私の実家は貧しいこと、フル奨学金で進学した事は事前に伝えていた。再度「うちの実家本当に貧乏から、驚かないでね」と伝えた。彼は「大丈夫だよ」と笑っていた。

私の実家は古びたトタン貼りの長屋タイプ貧乏平屋で、申し訳程度に片した物が散乱している部屋にアルコール中毒気味の痩せこけたパチンコ狂の父親プリン頭のだらしなく太ったパチンコ狂の母親祖母分不相応な吠えまくるチワワがいる。生計祖母年金と両親のたまの労働借金と私の仕送りで立てている事は内緒だ。

挨拶のために、事前に家を片付け、身なりを整えてもらい、食事地元料亭を予約した。彼らの自己紹介も事前に台詞を準備し、練習してもらった。彼はそつなく私とお付き合いしているという挨拶をこなしてくれた。家族は事前に準備した服を着用し、台詞をこなしてくれたが、彼の仕事と彼の実家の事をそれとなく聞きお金匂いに目を光らせていたので、少し憎く思ってしまった。

それからしばらくは今まで通りのお付き合いが続いたが彼の実家の定期イベントバーベキューに呼ばれる事はなく、なんとなく疎遠になっていき、私の実家に彼が来た3ヶ月後に、彼の浮気自白と強引な別れ話で交際は終わった。

納得できなかった私は彼の実家訪問した、彼は不在だったが彼の母親が出てきた。あんなに仲良くしてくれたはずの彼女は家に招き入れてくれず、近所の喫茶店に私を連れ出してくれた。私は別れに納得がいっていない事を泣きながら伝えた。彼女は冷ややかな目で私を見て「ごめんね。私にはどうする事もできない。」と言った。

当時も今も浮気の件は嘘で、私の実家ドン引きたから別れたのだと思ってる。ハリボテの家族ぐるみの演技も見破られたのだ。親にあんな嘘をつかせてまで、私は幸せになりたかったのに、結局なにも手に入れられなかった。

そういえば、友人が結婚する事になった際、相手の身元調査するって言ってたな。

当たり前なのかな。どんな項目でNGが出るのかな。

家とか育ちとか、関係なく自分好きな人と結ばれると信じていた。そんなの夢物語だよね。

anond:20240403133047

知らない叔父さんから親子になれるようなことしとかないと結婚式に呼ばれないやで

結婚式をやってよかった

20代結婚式をやって、もう今は中年の歳だが

自分結婚式Blu-rayを見返すことで

花嫁自分れいだなとか旦那かっこいいなとかもう亡くなった祖母の姿とか

式の前から憧れていた曲を流しながら入場退場する自分たちが見れて幸せに浸れる

なにより新婚のときの初心に帰ることができる

父親花嫁の手を花婿にバトンタッチするところでなぜか嫁である私が感動してしまった

祖父母花嫁姿を見せることができて、祖父母が私の姿にものすごく感動していたことを思い出す

結婚式の準備は大変だし、面倒だけれどたくさんの人達から祝福されて、自分達にスポットがあたりキラキラ輝ける日があるのはいもの

2024-04-03

anond:20240403103915

結婚式三次会カラオケだった

夫婦揃ってカラオケ嫌いだけど主賓だから断れないし

二人で場をシラケさせてほんと申し訳なかった

男でいるの疲れた

女性のほうが生きやすいと思う

こういうと

現実を知らないだけ

美女はそうかもね

・は?生理とか辛いんだけど?うわべだけ見て言ってるだけでしょ?

と言ってるくるのがよくいるが実際問題男だと

・働かないと人権ない

ファッションも単調

現代社会では女性の方がなんやかんや擁護されやす

って思ってるから

女性の方が生きやすいと思う

美女じゃなくていいか女性になりたい(ブスは嫌だけど…)

ウエディングドレスとか着てみたいしパンツスーツハイヒール履いてるのとか憧れる

結婚式とかでよく見るドレスもいい

もう似合うならいろんなコーデ着てみたい

2024-04-02

anond:20240331120719

ライブに行ってても、映画館でも、友人の結婚式二次会子どもとの遊園地、なにをやっていても、常にお前の頭の中には「休日出勤しておいた方が良かったのかな」という気持ちが張り付いてくるだろう。

たとえ仕事を残したままであろうと、目の前のライブに集中できないようでは社会人として大成できないぞ

妹は32歳くらいまで国試浪人医者では無い)していた

32でやっと諦め専門分野に近いところに就職半年妊娠結婚して退職

子供産んだ後に結婚式も行い、家も買った

子供産んだんだから実家から支援結構あった

妹の大学時代から国試浪人間の面倒を誰が見ていたかと言うと私が面倒を見ていた

私大学費も出し、年金や、予備校代、奨学金なども払っていた。子供1人育てられる位は出したと思う。

なので私が結婚しても結婚式をあげるお金はなかったし家を買うお金もあまり貯められなかった

お金は帰ってこないつもりで出してるので返せという気持ちは無いがまさかここまでお金出してきたことが無駄になると思わなかった

仕事を辞めてしまったので妹の稼ぎは無いし、半年で辞めてしまったのでお金を稼ぐ大変さも知らない

国試浪人2浪目から毎年諦めろ、諦めさせろと両親妹vs私で喧嘩したが挑戦し続けたい妹とそれを擁護する両親を退けられなかった

浪人留年せず大学出て就職したお前には留年国試浪人の辛さが分からない、挑戦せず安牌な道をとったお前にはわからないと言われてきたが頭悪い方が悪いと思う

諦めがつくまで人の金で挑戦し続けられる環境があって、家族を持つ幸せも、家も買って、 おねえちゃん子供いらなかったの?と聴いてくる妹が羨ましい

2024-04-01

https://anond.hatelabo.jp/20240331120719

ライブに行ってても、映画館でも、友人の結婚式二次会子どもとの遊園地、なにをやっていても、常にお前の頭の中には「休日出勤しておいた方が良かったのかな」という気持ちが張り付いてくるだろう。

そんなこたぁないわ

2024-03-31

新社会人に告げたいこと「休日出勤絶対にするな」

一度休日出勤したら「休日出勤」って選択肢休日に入り込む

もしも一度でも休日出勤したら、もう二度とお前に純粋休日は訪れなくなる。

休日出勤したほうが良かったのかも知れない」という気持ちをいつだって抱えたまま過ごすことになる。

ライブに行ってても、映画館でも、友人の結婚式二次会子どもとの遊園地、なにをやっていても、常にお前の頭の中には「休日出勤しておいた方が良かったのかな」という気持ちが張り付いてくるだろう。

休日出勤をすると仕事は物凄く進むのは事実

取引からメール電話はほぼ0で、社内チャットほとんど止まっているし、会議の予定もない。

会議集会時間変更されたという連絡が来ないか新人上司がなにか言いたげにしてないか、そういったことに対してアンテナを張るのに使っていた意識さえも目の前の仕事に全部使える。

普段の倍近い集中力が発揮され、みるみるうちに仕事は片付くだろう。

だが、それと引き換えに、お前の人生から「本当の休日」は永遠に失われる。


サービス残業も同じだ

会社っていう組織従業員に様々な負い目を感じさせることで、「自主的サービス残業をする」ように仕込んでくる。

絶対にそれに負けてはいけない。

給料が出るタイプ残業自主的にやるのは仕方がない。

そもそもお前が勤務時間中に処理できない量の仕事をもたせた上司戦略ミスだ。

まして新人なら様々な雑用を捺せられているわけだから、それらを巻き取って少しは余裕の有りそうな中堅にやらせることで時間を作ることだって出来たはずだ。

課員の業務進捗と残業時間管理し、業務量の調整を行うという責務を果たしてもいない上司が「残業を減らせ」ということほど無責任なことはない。

店で注文だけしまくっておいて「これもっと安くならないの?」と文句をつけるようなものなので、クッソつまら関西アメ横のの根切りトークみたいなもんだろうなとスルーしておけ。

残業をするのならば、残業時間シッカリとつけさせろ。

残業をするなと命じられて仕方なく返ったのならば、終わってない仕事をぶちまけて「帰れと言われましたので」と開き直ってしまえ。

仕事クオリティを下げて間に合わせる

とはいえ社会人なんだから与えられた時間は期日までに完成させるのが筋ではある。

そのために何が必要なのか?

クオリティを下げることだ。

クオリティ×完成度=業務量」という式の中で、完成度と業務量が変えられないならクオリティしか弄れる所はないわけだ。

クオリティは駄目駄目でいいからとにかく完成度100%まで持っていって早めに上司に出し、そこからクオリティ改善を残りの時間でやるのが社会人の基本スタイルだ。

とにかく一度完成形に持っていき、最終着地点において修正ポイント確認しつつ、逆算して何をやればもともと目指していたものに出来るのかを考えるというのは実際に効率がいい。

プラモだってまずは一度素組してから完成形の絵図を描き直すものだ。

100の時間が与えられたのなら、50までに一度完成させて仮提出したほうがいい。

100の時間の内90まで来て提出だと軌道修正が間に合わなくなることが多いし、かといって軌道修正が間に合う時間を逆算して残業しまくってもお前が報われることはまずないので、とにかく半分ぐらいの段階でゴミのような出来の仮組みを叩きつけることに専念しろ

上司や先輩は仮組み段階のゴミのようなクオリティの完成物に大量の赤ペンを引くだろうが、それは彼らの仕事なので気にしなくていい。

日本企業OJT(お前が・自分で・トレーニング)を採用学習コストを全て現場押し付けているので、現場がお前の学習コストを全額払う羽目になるのは組織最初からそういう仕組みで運用することにした連中の責任だ。

あとは与えられた赤ペンに合わせて修正していけばいいわけだが、そのとおりに修正したはずなのに再修正を食らうこともままあるだろう。

別に相手が嘘をついていたからではなく、あまりにも大量の修正点があったせいで完成形を見出しきれなかったというだけだ。

こういったことを減らす方法最初に出す仮組の完成度を上げることなのだが、そのために仮組みの提出を遅らせるのはよくない。

とにかく全体の半分の時間で仮組みを出すことが最優先事項だ。

そしてお前に恐ろしい誘惑、「休日出勤」というカードが迫ってくる

全体の納期は変わらず、自分能力気合で上がるわけもなく、でも早めに形にしたい。

そうなったらもうバリバリ残業をし、それでも足りなければ……となってくる。

これはもう社会人の常と言っていい。

仕事をしていると「あのときもっと早く休日出勤カードを切っていればギリギリになってこんなに焦られなくても……」と考えてしまうことが何度も何度もある。

だがそこで負けてはいけない。

最初に書いたが、一度でも休日出勤をすれば、全ての休日が「休日出勤をするべきだったかも知れない日」となってしまう。

こうなったらお前の人生に本当の安息が訪れるのは死んだあとだけだ。

たとえ転職したとしても状況は変わらない。

小売に入ろうと「休日倉庫の整理を進めておけば平日もっと動きやすいな」と考えがよぎってしまうようになれば、もう本当の休日はやってこないわけだ。

お前の人生を守るためにも休日出勤絶対にするな。

もしも休日出勤をするしかない人生になってきたなら、成果提出型の業態で働いて、そもそも最初から全ての日を「平日にしてもいいし、休日にしてもいい日」として過ごしてしまった方がまだ健康的でさえある。

平日と休日存在する業態で働くなら、絶対休日出勤はするな。

おしどり夫婦

これから書くのは自慢かつ惚気です。

おしどり夫婦ってのは自分たちから言い出す言葉じゃないけど、自慢かつ惚気ってのが分かりやすく伝わると思ったのでタイトルしました。

私と夫は「いい感じのご夫婦ですね(意訳)」とよく言われます

思い出せば結婚式当日、メイクさんにメイクをしてもらうわけですが、メイクさんが言うのです。「増田さんご夫婦は癒されますね〜」と。

それを聞いた時は、結婚式当日の新郎新婦の姿はどれも癒されるのではないだろうか?と不思議に思ったものです。

それからだいぶ経ち、先日子どものことで小学校先生面談をすることになったのですが、その時もまた「増田さんご夫婦は息がぴったりあってていいですね」と。

これまでも夫婦の在り方を誉めていただいたことはありましたが、いろいろな家庭を見てきてるはずの学校先生に言われるに至って、ようやく「うちの夫婦は本当に仲がいいんだな」と思えるようになりました。

それだけと言えばそれだけの話なんですが、この面談が終わった夜に、夫に言われました。

「増嫁さんは元は5chの住人なのに鬼女板の人たちとは違ってて安心する」と。でもこれだって私は何にもしてなくて、思わず鬼女板愚痴りたくなるようなことをしない夫の方がすごいんですけどね。

はい、自慢話で惚気話でした。

2024-03-30

助けて。旦那親族との旅行行きたくない

今まではコロナもあって中止してたらしいんだけど、今年はやるらしい。

旦那の義両親、義兄夫婦子供2人、私の両親、私達夫婦での旅行を先月したばかりなのに(旦那義両親発案で)

(なんとかがんばって私達夫婦観光にお付き合いさせていただいて日帰りにした)



今回の詳細はまだ聞いてないけど、コロナ前は貸切バス頼んで20~30人ほどでの旅行だったそう。

義両親や義兄家族との旅行旦那の顔をたてるために年1での旅行に参加してるけど、親族なんて冠婚葬祭ぐらいで良くない?と思ってしまう。

ちなみに義両親達はとても素敵な方達なので嫌なわけではないけど、私の性格友達付き合いでさえ半年~1年に1回行くぐらいのおひとり様大好き人間そもそも旅行が嫌い。自宅で1人でのんびりするのが好きなんです。





私自身が自分実家と仲があんまり良くなくて、私1人で実家に帰るのも年1(日帰りか1泊)

旦那を私実家に連れてくこともない。

結婚式でさえ親族だけの小規模なものだったけど旦那側が30人程度に対して私は両親しか呼ばなかったくらい今まで親戚付き合いというのが皆無だったのでギャップがエグい。



旦那に断ったら「困る」「なんて断ったらいいのか...」「よっぽどの事がない限り参加してくれ」って言われたんだけど、共働き販売業なので土日に頭下げて休みとって親族との旅行って嫌すぎて辛い。助けて。

2024-03-26

小さい頃から友達

虐待されたことも無くて学費も全部親に出してもらって大したことない大学行って、中小企業いってあんまり仕事できなくて、親の紹介でいい家柄の人と付き合って結婚して結婚費用親持ち新居も買ってもらって

教育養育費毎年500万くらい支援されて羨ましい

私は虐待されて未だにフラッシュバックしんどいし高いお金払って治療続けてもあまり良くならないし根性焼きのあともまだ残ってる

自分のどころか兄弟学費も出して、それなりの大学それなりの企業行って最年少で昇格したけどせいぜい4桁万円が頭打ちだし下の兄弟学費はまだ払ってるし、両親と両祖父母に毎月30万仕送りしてるし、結婚したい相手がいても両親に会わせる訳には行かないし、結婚資金も家買うお金も貯まらない

2024-03-25

結婚式に流したいからってビデオカメラ家族の様子を撮り溜めしてる父親が嫌いなので、結婚しないという選択をする

2024-03-22

本格的に死にたい

いよいよ人生でやれることなくなった。

死にたい

 

4年前に知り合った彼氏がいる。

当時彼は既婚者であったが、わたしに惚れているのは周りから見ても明らかだった。

飲み会の帰り道で「好きだ」と告白された時、わたしは、「気持ちは嬉しいけど、わたし不倫とかできるタイプではなくて。既婚者の方はごめんなさい」とお断りした。

 

その半年後、彼は離婚して、もう一度告白してきた。

「待たせてごめんなさい。大好きなんです。僕は君と一緒になりたい」

あの時の彼の顔をよく覚えてる。待ってないです、でも、ありがとう努力に免じて、交際関係を受け入れた。

「でも、わたし、君を悪くいうわけじゃないけど、バツイチ恋人が務まるほど、器が大きくないかもしれない」

大丈夫!君に嫌な思いはさせないし、大事にするし、幸せにする。不安や不満があったら、必ず言ってね。受け止める」

それからは、絵に描いたように幸せ恋人ライフ

彼はわたしお姫様か何かのように大切にしてくれた。

離婚したばかりで今すぐは無理だけど、かならず一緒になろう。世界中が敵になっても、俺は君だけを愛してるから

そう言ってわたしを大切にするピュアな彼に、わたしも次第に夢中になった。

 

彼にプロポーズされウキウキのワクワクでご両親にご挨拶に伺ったら、元嫁に親権を委ねた彼の親から、「新しい嫁がきたら孫に会わせてもらえなくなる」と結婚に反対されたのが2年前。

当時わたし妊娠していた。

彼氏は、「まだ早かったかもしれない。両親の説得にはまだ時間がかかる。でも、いつかかならず一緒になろう。だから赤ちゃんはいまはおろそう。」そう言ってくれたので、わたしはまんまと信じた。

 

彼が前妻と建てた家で同棲し始めたのもその頃。

 

この家に住み始めた頃に、ベッドが処分されていないのを見てイヤな気持ちになった。

当然のようにそこに寝るよう進める彼に、「さすがに、ちょっと」と断ると、彼はあからさまにイラついた。

「お前の家のベッドだって、他の男と寝てきたベッドだろう」

「それはそうだけど、「わたしのベッド」に他の男も寝たことがあるのと、「あなたと前妻のベッド」にわたしが寝るのは、心持ちがちがうじゃない?」

わかってもらえなかった。

でも、イヤという気持ちは汲んでくれて、和室に布団を敷いて、寝ることにした。

 

彼は、最初、「この家に住むのも一時的もので、ゆくゆくは手放すよ」と言っていたのに、「ダイニングテーブルお気に入りから、このまま使わせてほしい。ソファは、買い換えようね」と、心を変えた。

 

彼は、最初、「お箸マグカップ買ってきたよ。2人の食器を増やしていこう」と言っていたのに、近頃は「どんぶり?あるのを使おうよ」「ほしいなら勝手に買っていいよ。でも趣味悪いのはやめてね」と、投げやりになった。

 

毎朝どちらかがあかちゃんにあげていた線香は、いつのまにかわたししかやらなくなった。

「親が来るから、少しの間出ていて」

そう言われることがあった。

ご両親には、この家でわたし暮らしていることを言ってはいないんだなぁ。と思った。

「ご両親の説得は進んでいるの?」

と聞いてみたことがあった。彼はイライラした態度で、「お前が首を突っ込むな」と返した。

そのくせ彼は、「あ、親が来る前にトイレキッチン掃除しておいて。だらしない暮らししてるとおもわれたら、めんどうだからさ」とも言った。

 

付き合った頃、「バツイチ恋人が務まるほど、器が大きくない」と言ったのは本当のことで、

最初の誓い通り、不安や不満を伝えることが増えてきた。

でも、彼は変わってしまっていた。

「面倒くさいな。お前、少しは黙れよ」

「気に入らないなら出て行けば?」

バツイチ恋人になるんだから、それくらい覚悟しておけよ」

 

同棲から1年経って、彼はどんどん怠慢になった。

わたし誕生日を祝わなくなった。翌々日に、あ、誕生日だったんだね。と言われた。

彼の誕生日の日は、昼間にラインが1通あった。「今夜は外食から、俺の晩飯いらないからね」

わたしは1人でケーキを食べた。

セックスが雑になった。わたし愛撫することは無くなり、奉仕することばかり求めた。やんわり拒むと勝手に口に突っ込まれた。口に出されることが増えた。「抱きたくはないけど射精はしたい」んだって

 

彼は、横柄と傲慢を増していった。

「お前がいなきゃ離婚しなくて済んだ」

「これ以上俺の人生邪魔をするな」

「お前のためにベッドを捨てたりソファを買い替えたりするような価値は、お前にない」

妊娠したのも、お前の策略だろう。お前が勝手に孕って勝手に堕したんだろ。俺は何も悪くないし関係ない」

「これ以上俺の人生邪魔をするな」

「お前との将来なんて俺は考えていないからな。早く出ていけよ」

 

なにがいけなかったんだろうな。

わたしは彼を愛してきたつもりなんだが。

彼はわたしと一緒になりたかったはずなんだが。

お腹のあの子を殺したのは、彼とわたしとあの子未来のためで、必ず未来でもう一度会うつもりだったから、なのだが。

 

わたしは悲しくなって、先月ついつい、彼のご両親にお手紙をお出しした。

あの時、実は妊娠していたことをお伝えした。

エコー写真検査薬を同封した。

わたしと彼は一緒にはなれないから、せめて彼のお家で、供養してやってください。と。

お二人にそれをお願いすることが、殺してしまたこの子に、私がしてやれる最後ことなんです。と。

 

数日後に彼は実家に呼び出しをくらい、夜中に帰宅した時は鬼の形相だった。

「親に余計なことを吹き込んだな。もうお前なんか死んでしまえ」

そう言って彼は、わたしの顔を殴り、突き飛ばし、馬乗りになって首を絞めた。

 

わたし自分の愚かさに辟易した。

 

あー、わたしはこんな乗り換えクズの虚偽のプロポーズを真に受けて、堕胎までして、お腹を傷つけ、胎児を殺した愚か者だったか。と、遠のく意識の中で思った。

かにわたしは、「困難な離婚をしてまでわたしと付き合いたいというくらいだから、相当の本気だろう」と思っていた。全く違う。

こいつは「結婚本質も知らず軽んじているだけのガキ」というだけだった。

やけに離婚がすんなり行ったのも、今思えばおかしかった。このジジイ事故物件だったのだ。前妻は、このDVモラハラからアッサリ逃げられて、ラッキーとでも思っていたかもしれない。

 

わたしは気絶した。

多分だけど、それで流石に慌てた彼が119番だか110番から通報したみたい。気づいたら救急隊に囲まれてた。布団の上で失禁していた。彼は警察に連れて行かれて、わたし病院検査を受け、問題がなかったので、警察と少し話した後、実家に連れて行かれた。

多分。記憶朦朧としてる。今もはっきりしない。

 

彼と出会った4年前、わたしは29歳だった。

最後の恋だと信じて、かけたけど、大外れだったうえに、取り返しがつかない時間若さを失い、傷をお腹と心に残した。

 

こんな男を信じて、夢だった結婚式も、ドレスも、ハネムーンも、注文住宅も、出産も、家族も、なにもかも、叶うことはなくなった。

 

じゅうぶんにがんばった。

できる限りのことはした。

彼に対し、人生で一番尽くしたし愛したし大事にした。

でもダメだった。

もうやれることがない、

 

なんだか、こんなわたしが、この先誰かを愛しても、愛すれば愛するほど、一緒にいられない気がする。

全力で大切にした今の彼にもこんなふうに粗末に扱われる。

私の価値は本当にないのだなと思う。

こんなわたしが、クズの子供を孕んで堕胎したわたしが、

仮にいつか、他の善良な男性と想いを通わすことができたとしても、愛されて良いわけがない。

そのような権利は私にない。

なんか、もう、死んでいいと思ってる。

首絞められて、意識が落ちる時、全然苦しくなかった。むしろ気持ちよかった。だから死ぬのは怖くないんだ。

わたしのかんはあまりあたらないけど、これが最後の恋だというのはすごく当たってる気がするの。

わたし死ぬからだと思う。

2024-03-21

高齢者一人暮らししていたが病院で死亡するなどして放棄されたゴミ屋敷掃除をした

アルバムがいっぱいあったけど、それも捨てる対象でかなしい

アルバムに入り切らない写真もいっぱいあって、結婚式子供写真やらあって

多分奥さんには先立たれて子供とも疎遠になっちゃったんだろうな

絵画教室通ってたのかな、初歩的な、石膏デッサンがあった

よくわからないが上手いと思う

アルバムも絵も全部ゴミ扱い

切ないな

終わった後にマスク外したら、内側が黒くなってた

なんで内側が

母親気持ち悪い

母親は私が育った地元に住んでいるので私の同級生の親と話をすることがあるのだが

同級生の親から聞いた同級生情報(マイホームを○○に建てて子供は何人産まれた等)をいちいち

私の方に垂れ流してくるのもうざい

ひどいときには一切つきあいのない同級生結婚式画像子供画像まで流れてくる

私の結婚式画像母親同級生の親に流出させてるんだと思うと気分が悪い

あっ私の子供の画像流出させてるんだろうな。同級生の親から情報を引き出しつつ、得意気に自分の孫の自慢もしてるんだろうな

私が知らない間に他人に私の子供の画像が回ってることを考えるとさらに気分が悪くなってきた

私の親世代ってネットリテラシーのない人が多い

母親から私が全然知らない若い女性(母の知り合いの娘?)がすっぴん部屋着で赤ちゃん育児してる画像を送られてきたことがあるが、その女性自分画像赤の他人流出してることを知らないだろう

母親は軽度の知的障がいでもあるのか、自己愛パーソナリティ障害でもあるのか、更年期障害なのか、発達障がいかのか、

こちらが「やらないでほしい」と注意したことも平気でやるので色々と諦めている

anond:20240320232712

90点ではないと思うけど、75〜80点くらいはあるかなって気持ちコメントしてみます自分が主に評価してるのはデザイン面と音楽面でそもそも増田には刺さらないような気がする…のであくまでこういう楽しみ方してる人がいるんだなくらいの気持ちで。普通に褒めてるところと皮肉が混ざってるよ。

まずゲートからし普通遊園地だし普通の窓口でチケット買わされて現実に引き戻される。

チケット最近窓口で買ってないけど多分変わってないだろうな…まあ普通。ゲートのまわりのポスターが、アトラクションPRポイントをおしゃれに示しているところが好き。歴代ポスターの変遷や、海外パークとの違いなんかも面白いけど遊園地内で分かる話じゃないので割愛

中に入るとまずギフトショップがあって商品が並べられていて資本主義丸出しで白ける。

入口ギフトショップ群はそもそもワールドバザールと言ってショッピングモールイメージしたエリア資本主義香りすら世界観の一部にしてるのかしこい。ちなみに屋根が付いてるからどんな天気の日でも安心して散財できるよ!さあ!

店ごとにテーマがあって並んでる商品も違うあたり凝ってる。ネイティブ・アメリカンの店にココペリが並んでたりする。

あと「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」みたいなお店チックな言葉は「ようこそ」「いってらっしゃい」みたいな平易な言葉にする、銀行お金を下ろすとピン札で出てくるみたいな細かい工夫が散らばっている。

私の友人がよく結婚式の前にディズニーに行くのはこの銀行理由だ。

中を覗くとなんの工夫もないデザインスタンダードレジ。どこがディテールにこだわってるんじゃ。

レジのうしろミッキーがおるじゃろ?

まあ店ごとにデザインは異なってたと思う、それくらい

売店じゃ出来合いのポップコーンチュロスホットドッグ。なにこれ?

ほんそれ

結局ハウスカレーが美味しい

アトラクションに乗ろうとするとどこにでもある麻縄で列が区切られていて長時間放置される。おもてなしの心とは?

ここは同意できず、列整備とかは他の遊園地とは群を抜く上手さだと思う。

Qライン待機列)の装飾やイベントも凝っていて飽きさせない工夫は結構多い

そもそも並ばせるなって話なら仕方ない。

ホテルに行くと喫煙室にたまっている大人たち。興ざめじゃ。

ほんそれ

2024-03-20

私たちって結婚するの?」と聞いてから恋人の態度が妙だ。

本当に何でもない日常の一瞬に、ふと聞いてみた。

 

その日、私が馴染みの美容院で「もう何年も同じオーダーしかしてないけど、あなたにすべてお任せするならどんな髪型がいいかな?」という話題美容師さんに持ちかけて、「でも、そこまで変えるなら結婚式写真とか撮った後がいいんじゃないか?」という流れになった。確かに、そういう記念的な写真を撮るなら私も一日でも若い方がいい。そう思ったら、何か「どうせいつか結婚するなら早いほうがいいかも!」となったのだ。

 

あと、以前、芸能人事実婚をしているという報道ふたりで目にしたとき、彼が「オレたちはタイミング見てそのうちちゃん入籍しようね」と言っていたので「そのうちっていつだろう」とその頃から何となく思っていたのもある。

 

私たちはもう、そこそこいい年齢の恋人同士だ。

交際期間は約3年。一緒に暮らし始めて約2年。独身謳歌している人が比較的多いはずの私のコミュニティも、結婚して子どもがいる人がずいぶん増えた。学生時代から親友は二人目の子どもを妊娠中だ。彼女だって、決して結婚が早かったわけじゃない。もう、結婚なんて相手さえいれば当たり前に選べる年齢なのだ

 

ツヤツヤの髪になって帰宅して、遅くなったのでキッチン晩ご飯をチンしながら唐突に「私たちって結婚するの?」聞いたら、彼は非常にプンスカしていた。「オレがずっと聞かれても交わしていたのにそんなにドストレートに聞いてくるなんて!!」「カップル結婚の間に100mぐらい距離があったら、今のセリフで80mぐらい一気に踏み込んできたんだからな!!」めっちゃプンプンするやん。

 

「オレたちはそのうち入籍しようね」というセリフまさかの交わしだとは思わなかったので、私もビックリだ。

なんか、彼の態度から察するに、多分だけどこの人プロポーズとか考えてたっぽい!!!!!「だ、だいなしにしちゃった!?」って聞いたら「そうだね!!!」とプンプンしていた。怒ってたっていうか、動揺しすぎて声が大きかったって感じかな。結婚の話を持ち出して、まさかこんな風になると思っていなかったので彼の前でシクシクと泣いた。

 

しかし、そんな散々な状況だったのに、その日から彼の態度が妙なのだ

 

ものすごく、ハグの数とチューの数が増えた。ニコニコしながら近づいて、「ダイスキ!」という回数も増えた。

普段からハグもチューもダイスキの回数も多い方だと思うけど、満開になった感じ。彼の中にあった「この人オレと結婚するつもりあるのかな?」という疑問が完全に晴れて「この人オレと結婚するつもりなんだ!」に変わったのかもしれない。ニッコニコや。

そこからはちょいちょい「もう、市役所行っちゃう!?」「もう、(私の)実家行っちゃお!?」「名字どっちがいい?そっちにする?どっちでもいいけど?」とか言ってる。完璧にソワソワしている。かわいい。ちょいちょいあまり名字のこだわりなさげな会話はあったけど、本当に名字私のになる選択肢あるんだ。ありがたき。

 

一度も顔を見せずに親族になるのもあれかなと思うので、次の長期休みで私の実家に来てもらうように話を進めている。

私は実家家系の末代なのだけど、ご先祖様に「え、ワンチャン末代じゃないかも」と知れ渡ったら、彼らの魂が本気出して子宝を授けてくれるかもしれないね

 

正直、結婚はしてもしなくてもどっち派だったんだけど、入籍するということが、この人とより長く仲良く過ごせる選択になればいいなあ。

令和日本カースト制度への恨み

2年前に別れた元彼結婚した。

共通の友人に根掘り葉掘り聞いて、結婚式の写真も見せてもらった。新婦の両親は品の良さそうな家族。お互いの実家を行き来してて両家仲良さそうと聞いて大泣きしている。とても悲しい。人は同じもしくは近いカーストの人としか結ばれないのか?

この気持ちと経緯をどこに吐き出したらいいかからいから、ここに書かせて欲しい。

彼と私は大学2回生の頃から25歳まで付き合っていた。

私は地方出身で進学で京都に来ており、彼は京都出身の男だった。

付き合いは本当に順調で、私は彼の実家にもよく顔を出していた。注文住宅の一軒家、ペットの犬、何より優しく働きものの彼の両親と妹が大好きだった。

結婚意識し始めた25歳の春。彼が四国の私の実家に来たいと言った。私の実家は貧しいこと、フル奨学金で進学した事は事前に伝えていた。再度「うちの実家本当に貧乏から、驚かないでね」と伝えた。彼は「大丈夫だよ」と笑っていた。

到着した実家は古びたトタン貼りの長屋タイプ貧乏平屋で、申し訳程度に片した物が散乱している部屋にアルコール中毒気味の痩せこけたパチンコ狂の父親プリン頭のだらしなく太ったパチンコ狂の母親祖母分不相応な吠えまくるチワワがいた。生計祖母年金と両親のたまの労働借金と私の仕送りで立てている事は内緒だ。彼はそつなく私とお付き合いしているという挨拶をこなしてくれた。彼の仕事と彼の実家の事をそれとなく聞きお金匂いに目を光らせる両親が憎かった。

それからしばらくは今まで通りのお付き合いが続いたが彼の実家の定期イベントバーベキューに呼ばれる事はなく、なんとなく疎遠になっていき、私の実家に彼が来た3ヶ月後に、彼の浮気自白&強引な別れ話で交際は終わった。

当時も今も浮気の件は嘘で、私の実家ドン引きたから別れたのだと思ってる。逆の立場でもそう思う。彼と私とで貧乏解像度が違うのだ。

関西に来てから、友人達実家に行くことが何度かあった。みんな「貧乏育ちだよ〜」と言っているが全然違う。経済観念が近いから仲良く出来ていたが、向こうはしっかりと躾けられたお嬢さんガチ貧困は私のみ。

友人Aの実家は、確かに郊外だが、木造造りの立派な御屋敷だった。蔵もあるし。

(本人曰く田舎の古くてボロい家)

友人Bの実家は、市内の駅歩15分の分譲ビンテージマンション

(本人曰く、駅から遠く古くて狭い家)

友人Cの実家は、漁港にある一軒家、家族漁業をやっておりイキイキしてて眩しかった

(本人曰く、都会のサラリーマン家庭に生まれたかった)

友人A、B、Cのような出自であったら今頃彼と結婚しもう子供もいただろうな。

彼にも友人にも私の貧困は見えていないのだ。実際見たとしても彼のように何も言わず、私に何も言わせず去っていく。

めちゃくちゃ勉強を頑張って就活を頑張って、仕事も頑張って、稼いだお金奨学金の返済と仕送りに消えていく。

そういや、同じように仕送り愚痴を言ってた友人。当時は同じ悩みを持つ仲間がいて嬉しかった。お互い支え合って仕送りしてたよね。彼女結婚した時に、そのお金がそのまま毎月貯められてた通帳をもらってたなあ(結婚式のスピーチで言ってた。みんな号泣してた)普通にお祝いももらった上で。羨ましい。羨ましすぎて吐きそう。私の苦しみまで、彼女の喜びの養分になっているようだ。

これ以上の恨み辛みとやるせなさはあるが、ダークサイドに落ちそうなのでこの辺で吐き出しやめよう。

2024-03-19

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

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