はてなキーワード: 小学校とは
誰もがもうなくなればいいのにと思っているPTA。やらなければいけないとしてもその活動内容がわかりにくく、どれぐらいの負担が待ってるのかもわからない。
特に小学校のPTAが一番わかりにくく負担が重いのではなかろうか。やる人と回避しようとする人にはっきり分かれ、不公平感も強くなるのが小学校のPTAではないかという体感である。
春近くになると足音を忍ばせて、PTA関係の手紙や立候補用紙が届くようになる。気が重い季節である。
外から可視化できないのはその学校ごとのPTA組織に活動内容の権限をゆだねられているから。
PTA会長以下本部役員はだいたい1年ごとに入れ替わる学校が多いと思う。引継ぎなどを含め次年度補助役として2年~のところもあると思うが、その1年でPTA活動の内容を把握し、それまでの地域や学校の慣習を鑑みながらPTA活動の内容を大きく刷新するのはあまりに荷が重い。自分が本部役員に選ばれた時のことを想像してみるとその重さが理解できると思う。
PTA活動の主なものとして言えば、例えば運動会。コロナでだいぶ簡略化されておそらく保護者も学校側もほっとしているのではなかろうか。学校活動の中だけだったら先生方だけでもどうにかなるが、保護者を呼んで大々的にやるとどうやっても手が足らなくなる。そこでPTA活動に運動会部のような形で組み込まれる。
例えば登校班。ある学校とない学校があるが、あるところだと班編成、登校指導や見守り、そういう活動がPTA活動に組み込まれる。ないと低学年の保護者によっては自分の子どもを学校まで送っていたりするが、自分に決定権限があるので個人的にはそっちのほうが気が楽である。
その他リサイクル、広報、ベルマーク、給食試食会、講演会への参加、地域活動への参加、本部役員の推薦活動などなど・・・。そういった活動が少なければ少ないほどPTAの活動も少ない。
自分は転勤族なので各地の幼稚園や学校を転々としてきたが、PTA活動の傾向としては
1.なった人に丸投げ(くじ引きやじゃんけんなどで決めるところが多い。文字通りなった人に丸投げでならなかった人はなにもしない)
2.全員積極的参加型(仕事配分を的確にしなければいけないのでみんなが大変 or 有能な人が効率的に配分し洗練された業務化している)
3.全員消極的参加型(一応全員参加の体はとっているが末端の人は年1時間ぐらいの業務しかない)
あなたの学校はどれだろうか。個人的には運動会も登校班もリサイクルもなにもいらないので本当に早くなくなればいいのにと思っている。
ガキの頃藤崎マーケットや小島よしおが流行った。今や何が面白いのかはさっぱり分からないが、ゲラゲラ笑っていた。小学校ではラララライだのそんなの関係ねーだのが流行りまくっていた。ハードゲイは今でもちょっと面白いと思う。
中学の気難しい頃は居間でテレビを見る事も減り、キャッチーなギャグで笑う年でもなかった。友達同士でお笑いが話題になる事もなく、漫画の話が多かったと思う。銀魂とかギャグ漫画日和のユーモアは新鮮で、一周回ってとかではなく逆張らず、順張りのノリで素直に面白いと思っていた。
オタクじみたのが多い男子校だったからか、グループ内ではニコ動を観てネットスラングで会話する事がクールな風潮があった。くだらないMADだかやらないかだかの話をして、PSPに落とした動画を観て盛り上がっていた。
スマホを持ってから家でまとめサイトを見るようにもなった。テレビでは見られないようなブラックでエッジが効いている「尖った」おもしろコピペを読み漁った。友達にネットの受け売りで話したおもしろトークはウケが良かったが、自分の言葉で喋るのが下手になったし、今でも尾を引いている気がする。
総じてテレビやお笑い芸人の「浅い」笑いから、「ディープ」でマニアックな笑いを好むようになった頃だと思う。まあ誰しもムキムキのアンパンマンやドラえもんのような「シュール」さを好むような感性の年頃でしょう。
一度姉に連れられて新宿ルミネの劇場へ行った事もあった。既に芸人への不信感(?)があったので、嫌々。当時の感覚で、退屈というほどではなかったが、フフッと笑える程度の面白さだった。ずっとムスッとしてるのも感じ悪いかなと思いそうはしなかったが、まあ我慢しようと全然耐えられる感じだ。一切笑えないコンビも少なからずいた。偉そうに素人素人言ってプロ面する癖にこんなもんか、というのが感想だった。
高校の頃にはすっかりネットに毒され捻くれまくったガキになったので、順当にテレビのお笑いが嫌いだった。「マスゴミ」が大嫌いで、バラエティ番組を観てるいような人間が低俗に思えた。捻くれた性格がインターネットへ導いたのか、本当にネットに毒されたのか、あるいは相乗効果なのかは分からない。
この表現は嫌いだけれど、高校にもなるとクラスで「陽キャ」と「陰キャ」とがかなりはっきりと分かれる。それについて色々と気にかける事も多い年頃だ。無論自分は後者で、それが「捻くれた自分」をアイデンティティにしようと思わせた部分もあるのかもしれない。
昔よくあったネタ見せ番組は消え、芸人を名乗りながらネタも見せない(劇場での興行が基本という感覚がなく、ネタはテレビで見せるものだと思っていた)。ロケで飯を食ったりスタジオでトークするだけ。こちらは芸人の先輩後輩など知りもしないのに、内輪ノリでくだらないギャグに愛想笑いする彼らに嫌悪感すらも覚えていた。
思春期の焦燥に強く駆られる時期で、「低俗」である笑いを求める事自体が減った気がする。などと言いつつ、学年中で淫夢が流行り、とにかく会話に語録を挟むのがクールだった(最悪)。最初は「は?野獣先輩?114514って何?おもんな……」と心の底から思ったたものだが、無事イキスギィでゲラゲラ笑う身体になった。今思えば凡庸なオタク高校生だが、当時はゲイポルノで笑うヤベー俺ら、みたいな意識があった気がする。
大学生になり、流石に対外的な社会性の大切さに気が付き、斜に構えた態度は内面とSNSで大切に留めておくようになった。
「普通」になりたいとは特に思わなかったが、普通の何たるかは知っておいた方が良いと思い立った。その一環として、人気バラエティの「相席食堂」を観てみた。面白いと言われている回を選んで観たところ、これが中々面白かった。いつしか素直に楽しむようになり、シリーズの最初から通して観ていた。その最中、かまいたちの山内が出た回が強烈につまらず、不快感すら覚えた。つまらない癖にsupremeを着ていたのに余計腹が立った。消えかけていた芸人への嫌悪感が急激に吹き出した。
あまりに不快で、逆に興味が湧き色々と調べてみた。M-1なるお笑い(漫才)界最大の大会の存在と、かまいたちがそこでかなりの結果を残している事を知った。
自分は漫才が特に嫌いだった。コントを面白いと思った事はあるが、漫才で笑った事はそれまで人生で一度も無かった。これはよく言われるエンタの罪なのかもしれない。ジャリの頃好きでよく観てたので。
こんなにつまらない芸人が最大の大会で良い結果を残せるなんてどれだけお笑い界はレベルが低いんだと思い、ネタを観てやろうと思った。2018だか19だかのM-1を観た。
かまいたちのネタを見て、初めて漫才で声を出して笑った。面白かった。優勝したミルクボーイよりも面白かった。この時完全に芸人への嫌悪感が吹き飛んだ。内輪ネタや共有されたミームに頼らない、最大公約数的なお笑いでここまで面白くできるのかと。毎年M-1を観るようになった。良いと思う芸人のバラエティも。
その後数年経ち、やや熱は冷めてきた。テレビ的お笑いをつまみ食いして、自分は芸人やテレビ的笑いが好きというよりは、単にかまいたち他数コンビが好きなだけだったのだろうなと思った。
ただ、得られた事がある。フン、つまんね。これでプロなのか。などと思いながら品定めをするように観るのが間違いだった。笑いを求める人間が、「我慢しようと思えばできる」などと喧嘩腰になるのがおかしい。
あと、内輪感に入り込むという事を知った。確かに大して知りもしない芸人の内輪ノリは、見ていて不快さを覚える事も少なくないだろう。でも、前提となるミームや空気感を知り、彼らのノリに慣れてしまえば中々面白いものだ。たまにくどいなと思う事もあるけれど。ネットのユーモアとて、所見で笑えるようなキレのあるものもあるが、前提となる感覚や風潮を要するものも多いだろう。
漫才コントが下ネタや内輪ネタより高尚な笑いだとは別に思わない。テレビではとても出せないような下品でエッジの効いた笑いも未だ大好きだ。しかし最近、(多分ほぼインターネットだけで)流行っているオモコロ的なユーモアが苦手に感じるようになってきた。マイナーだけど特定層に深く刺さるようなあるあるや、気の利いたシュールさは、つい上手いなあと思ってしまう事もあるものだ。これも今までずっと愛してきた捻くれたユーモアの類だろうに。結局逆張りじみた感性そのものは変わっていないのだろうか。
逆張りがいけないとは思わない。自覚的な逆張りを貫ける人は好きだ。でも自分の価値観や信念に基づくというより、単にミーハーなものへの嫌悪感がそうさせているのなら、少なくともそれに自覚的であった方が良いと思う。芸人がよく言う「批評家気取りの素人」は、そういう素直さの大切さを言っているのではないかと思った。もちろんポジショントーク的なマウンティングもあるのだろうけれど。一度素直に受け止めて、それでも合わないなと思ったらその気持ちは大切にして良いと思う。嫌いは好きと同じくらい大切だ。
画一さや没個性を嫌う気持ちは誰にでもあると思う。その気持ちは大切にして良いものだとも。ただ、単にメジャーの逆張りをした所で、それはメジャーの裏返しでしかない。マイリノティにはなれるかもしれないけれど、それもまた没個性的なものだ。ありきたりだが、個性とは自分の好き嫌いを大切に重んじた先にあるのだと思う。
笑う時くらい小難しい事は考えない方が良いですよ絶対。
日本中に腐るほどいるであろう博士課程ドロップアウターの一人として自分の大学院生活を思い出してみると、えらく長いこと(なんと小学校よりも在籍期間が長かった!)研究室にいたにも関わらず最後まで先生方のおっしゃる「よい研究」「よい論文」とやらがなんのことか分からず、それが一番辛かったな。
いやお前幼稚園児じゃないんだからわからないことあるなら先生と議論して詳細詰めに行けよ、って突っ込まれるだろうけど、先生方みんな怖くて無理だったんだよなこれが。かすかな記憶をたどると先生と話し込むときはいつも「はい、はい、仰る通りです」って壊れたスピーカーみたいに繰り返していたように思う。
なんでだろ、いろいろ世話していただいた(学会出張とかにねじ込んで連れて行ってもらったもりしたし、今振り返ると相当な時間と予算を割いていただいていたのだろうと思う)はずなのだけど、今では思い出せるのは論文に赤入れられてるとき、発表にツッコミ入れられてるとき、叱られてるときと嫌味言われてるときのことだけだ。
…なんて書いてたら昔読んだブログ思い出した。これだ: https://next49.hatenadiary.jp/entry/20090222/p2
正しいこと書いてると思うんだけど、読み返すとやっぱむかつくなこのエントリ。指導者としての訓練受けたわけでもない研究者に教育者としての立場押し付けてる今の大学のシステムが悪いような気もするが。
https://togetter.com/li/2074664
春日部駅は約10年後に高架化をめざして工事が始まりました。それに伴い春日部会東口側の旧駅舎の改札口は役割を終えて、2023年2月4日より仮駅舎へと引っ越しになりました。
この記事を見て我が故郷春日部と、今から30年近く前の小学校時代の思い出がよみがえった。
図工の時間で「20年後の春日部」というテーマで絵を描く課題が出た。
100年後の未来だったら、ドラえもんのような空飛ぶ車だの不思議な形な建物だのを好き勝手書けるが、20年後という中途半端な未来は却って想像が難しかった記憶がある。
当時の自分に画力や発想力はないため、下書きの段階では春日部駅の西口から見た風景で、ビルが数本立っているようなスカスカな絵を書いて教師のチェックを受けに行った。
ひょっとしたら、多分当時の春日部駅とほとんど変わらない風景だったかもしれない。
教師は開口一番「うーん、夢がないなあ」と言い、書き直しになった。
級友たちは空飛ぶ車だったり今でいうハイパーループのチューブが縦横無尽に走る超未来の街並みやおおよそ街とは言い難い花でいっぱいなファンタジーな世界を描いてOKをもらっていた。
はっきりって子供心にも非現実的に感じ、とても「20年後の春日部」のテーマに沿っているとは思えなかった。
結局自分は1階と2階の両方に電車が出入りし、ビルが乱立する春日部駅を描いてようやくOKをもらえた。
その授業が終わってしばらくした後、旧友のだれかの非現実的な絵が(うろ覚えだが)市かPTAかの何かに推薦表彰され、子供心に「20年後にこの春日部は無理だろ」と思ったことは覚えている。
あれから30年近い時が過ぎた。
「春日部駅 西口」で検索してグーグルストリートビューで見てもらえれば分かるが、自分の最初の下書きが最も正解に近い。
20年以上経っても、空飛ぶ車はおろか、春日部駅の高架化すら実現できておらず、
下り方面にある開かずの踏切もずっと放置、駅上改札すらできてねーよ!
東口方面にあったロビンソンもLAOXも撤退し、衰退の一途をたどるんだよ!
何が夢がないだ?
これが現実なんだよ!
ついでに言うと、PTAが蛇蝎の如く嫌って潰したいと思っている『クレヨンしんちゃん』だけど、
わたしは性転換を半年後に受けるトランスジェンダー当事者なので、TSものの作品が苦しくて見られない
いやもちろんTSものの作品を発表する自由も楽しむ自由も全員に当たり前にあるわけで(どのような主張・思想のもとの作品でもそう)、それを侵害しようとしているわけでは決してないんだけど
実際の性転換って寝て起きたら美少女に!なんてものじゃなくて、性ホルモンを毎週注射して、日本だとまだ高度な手術が受けられないからタイに渡航して性器周りの手術を受けて(望む性の性器を移植できるわけじゃないから、機能は当然自然の性器に劣る)、顔や声の手術で見た目もなんとかそれっぽくして、周囲にトランスジェンダーだとバレないように必死に過去を隠して(トランスジェンダー差別はかなりある)、それで副作用、生殖機能、金銭、時間なんかの犠牲を払ってようやく心の性別と体の性別が一致するってもので(機能や見た目もギリギリ)
そもそもの性同一性障害だってぼんやり○性になりたいな~って思い始めました!みたいな軽い気持ちのものでは決してなくて、ほとんどが物心がついたころから○性であること、自分の体、○性として扱われることへの違和感を抱えていてそれが社会的・生物的性差が明らかになってくる小学校高学年ごろからはっきりとした「苦しみ」になって、それでも性転換を受けられるまで耐えなきゃいけないっていうすごく苦しい状態で それでほんとの性別として生きていきたいだけなのにトイレや銭湯の話題で叩かれたり「○性であることから逃げた負け組」「周りにいると考えたら恐ろしい」なんて存在を否定され続けて
だから、トランスジェンダーなんて誰もなりたくないデメリットだらけの存在だから、TSものの作品が流行って「漏れも女の子になって○○したいンゴね~笑」「寝て起きたら美少女になってないかな」「人生ヌルゲーで草」みたいな発言が散見されるようになると、(もちろん現実のトランスと魔法・創作としてのTSは全く別物だしそういうことを言うのは全くの自由なんだけど!)そんなことないのにな、ってちょっとだけ思ってしまう
いやまあそれだけの話なんだけどね もちろんこういった作品が先行して性転換って概念を広めてくれるおかげでトランスジェンダー理解が深まるという側面もあるけど、やっぱりトランスってまだまだ無理解と偏見が多い世界だから、みんながあと少しだけでもトランスのことを知ってもらえたらなあと...
※いわゆるスポーツ大会へのトランスジェンダー出場問題は批判されてしかるべきだと思うし(ホル注はドーピングなのではないかと思う)、お風呂やトイレに元○性が入ってきてほしくない...という気持ちもわかります。でも、それはあくまでトランスジェンダーの仕組みを悪用してスポーツ大会に出場したり心と体の性別がもともと一致しているのにトイレやお風呂のために性転換したりトランスであることを主張したりする「制度の穴」による問題なので、心と体の性が一致しないことへのせめてもの救済として性転換手術を受けているわたしたちが生きること自体を否定しないでほしいな...って思います。生きるのって難しいね
※わたしは少しでもトランスのことを知ってほしいという立場なので、失礼じゃないかな...とか考えずになんでも質問していいからネ!性転換の仕組みのことでもわたしの現状のことでも、個人の特定に繋がりそうなこと以外はなんでも答えるぞ!
幼稚園の時にあった紐結ぶ絵本とかマジで理解できなくて固結び以外まともにできないし、時計の読み方を理解したのは小学校4年生の時だし、左右を理解したのは中学生で、左右については今でも咄嗟に分からない
こういう人間もいるんだよね
史上最年少で政令指定都市である千葉市の市長になり、その後千葉県知事になった熊谷俊人という政治家がいる。
SNSを積極的に活用していて発信力があり、若くてリーダーシップのある有能な人物だと思っていた。
が、最近彼の言動に違和感を感じていて、自分の中での彼の人物評価が悪い方向に変わりつつある。
https://note.com/kumagai_chiba/n/n3a62ddf3ca1c
一見しっかりしたこと書いてるなと思いつつ、違和感を感じる部分がちらほらあった。
個人的に気になった部分はこんな感じ。
・医療の専門家でも何でもないのに、現場に過度に干渉するマイクロマネジメント的な発言
「内科や小児科などは基本的に全ての医療機関が発熱患者に対応することが原則であるべき」
「小さな診療所で物理的に動線が分けられないなどのケースは発熱患者の診察時間を分ければよく」
「幼児・小学生が事実上、マスクを常時つけ、私たち大人が当たり前のように経験してきた貴重な経験を一部、一方的に奪われ続けてきたことは日本人が永遠に十字架として背負うべきものだと考えています。」
「4月に見直せるなら、昨年の春~夏の時点で見直せたはずです。」
そして私が彼の評価を変える決定打になったのは、最近のTwitterでの小学校での黙食見直し論争である。
彼のTwitterのフォロワー数は29万人。地方のローカル局の情報番組並みの影響力はあるだろうか?
そのTwitter上で意見の異なる一般市民の発言にリプライをかまして反論し、知事に賛同するアカウントの意見をリツイートして吊るしあげのように振舞っているのは暴力的に感じてしまう。
なんていうか、意見が異なるフォロワーとの間に自ら進んで分断を作りに行っているようで、褒められたふるまいではないなと思ってしまった。
政治家である以上、意見が異なる人が出るのはやむを得ないし、公の場で論争が起きるのは当然だ。
だけど、地方自治体のトップという立場の強い存在である以上、自身のもつ暴力性には十分気を付ける必要があると思う。
例えば今回の黙食見直しの議論をSNS上でしたいのであれば、Twitterアカウントを持っている千葉県議とか、医療の専門家とかの公人同士でやるべきだったのではないだろうか?
そうすればフォロワーから見ても異なる意見についての理解が深まるし、政治家と市民の間の分断も広がることがないと思うのだけど。
ただの感想になるけど、若くして地位を得て周りから持ち上げられてしまうと、自身に対する全能感を得たり、権力の暴力性に鈍感になったりと、その辺の感覚が狂って行くのかなと思わずにはいれらなかった。
免疫無いやつは駄目だな。
俺は小学校の頃にブラウザの合戦ゲームにハマって2日休んで親に叱られた所で目を覚ましたぜ?
無理だよね。
まぁ、転生することがわかっていて、現時点で調査の時間が取れれば対策はある程度練れると思う。
が、それって今現在の未来に対しても同じことで、出来ている人間以外は出来ないんだよね
俺は戻ったら、1回目は小学校時代のバカを、2回目は中学校時代の、3回目は高校時代の、4回目はパワハラ上司をやって自害かな。
私は専業主婦になりたくない。これは専業主婦である母親を見てきた影響が大きいと思う。
私は、地方の、父親公務員、母親専業主婦という至極一般的な家庭で、3人きょうだいの真ん中として育ってきた。今は旧帝大理系大学院を卒業し、メーカーで働いている。
母は短大を卒業し、東京で事務仕事をしているときに父に出会い、30歳くらいで結婚し、地方へ移住したようだ。
1点めは、圧倒的時間を持て余していること。もちろん、掃除洗濯料理といった家事は行っていたが、実働時間はそれほど長くなく、むしろやらなくていいことも無理やり工程を増やしているような印象を受けた。
地方に住んでいて自分自身の収入がない者が余暇を生産的に過ごすことは困難で、多くの専業主婦と同じように私の母親もワイドショーなり韓ドラなりで暇をつぶしていた。
私としては、子供の面倒を集中的にみるためにそのような道を選んだのだろうが、もう少し自分の人生を主体的に歩むほうが面白いだろうなと思った。
2点めは、家族というコミュニティ以外に属することができないこと。一応ママ友はいないわけではなかったようだが、小学校、中学校、高校と子が進学するにつれて繋がりも薄くなっていく。
家庭という、大人2人と残りは子供という極めてクローズドなコミュニティで、父親には仕事のストレスをぶつけられ、子供は自分勝手に生きる中での生活はしんどいだろうと感じられることが多々あった。
3点めは、一般的な常識やバランス感覚が失われてしまうこと。これは2点めと必ずしも不可分ではない。
私の兄は現在30歳ニートである。突き詰めて言うとこれは母親が徹底的に甘やかしたのが原因である。
兄が仕事を辞めたいというと父は必ず反対する。だが、母はそんな父を退け、兄がやりたくないことを徹底的に排除する。
また、母は私たち子どもが大学進学後にパートを始めたが、つらいと言ってすぐに辞めてしまった。
子どもが良い大人になっても働かせないとか、パートすぐ辞めるとか、陰謀論信じてしまうとか、まあ一般常識が支配する環境下にいたらそのような意思決定は下さないだろう。
上に挙げた3つの理由によって(それ以外にもたくさんあるけど)、私は母は少し変な人だなと大人になって思うようになったし、それは母が専業主婦であることが大きく働いていると推察されたので、私は専業主婦になっても人生楽しくないだろうなと思うようになった。
とはいえ、共働きで子供を育てるのは決して楽ではないはずだ。逆説的だが、私の母も専業主婦でなければ私は旧帝大など進学できなかったであろう。
下の子は上の体たらくを見て早いうちから塾に入れてたのに万年1番下のクラス
12月に入塾して下のクラスから上のクラスに駆け上がるような同級生もいるようだが、うちのには無理
家でも勉強を見たり、夏休みは親戚の大学生をカテキョに雇ったりと手は尽くしたが偏差値は一向に上がらない
発達も疑って相談したりもしたが、発達は正常
ただの「馬鹿」らしい
うちの親族は皆当たり前のように公立から塾なしでストレート難関大コースで
まあそれなりに努力すればどんな奴でも平均は超えるよね、という考えで生きてきたが
考えてみれば、ガリ勉の馬鹿(運動神経も酷い)みたいな子が小中学生の頃のクラスにはいたわけで
そんな奴がいること自体は知ってたはずなんだが
こんなことなら小学校の時点でお受験させときゃよかったが後の祭り
勉強や学歴が全てだとはまったく思わないが子供が自分の子供がここまで頭悪いと流石に凹む
かなりの下方婚(相手はFラン大中退・ブルーカラー)した15年前の自分に、ほんの、ほんの僅かだが後悔を感じる
配偶者の性格や容姿は今でも大好きだし、幸せではあるんだけどね
でもやっぱ心のどこかで期待してたんだろうな
配偶者親族は中卒高卒が当たり前だが、それなりに生きてるしめちゃくちゃ人生楽しんでるし、うちの子らもああなればいいんだろうけどさ
ここでぐらい言いたい
あーあ、だよ
ほんと
0と1の間に無数の小数があるっていう程度は小学校で全員ならうくらいの前提知識なのね
最近SAPIXに廃課金して子どもに難関中学受験させる親たち、という話題をよく見かける。しかし自分が小学校から高校までずっと公立だったため、なぜ中学受験が勝ち組への最短ルートみたいな扱いをされているのかわからない。
高校でそこそこの進学校に行って勉強を続けていれば、指定校推薦で早慶上智ぐらい入れるし、予備校に通ってしっかり対策すれば、東大や医学部だって不可能ではないと思う。
地頭がいいから公立のペースは遅すぎて苦痛という子が、少し試験対策して身の丈にあった私立中学に進学するのはわかる。
でも大切な子ども時代を犠牲にして勉強してまで、難関中学に行くメリットってなんなの?中学によってはエスカレーター式で大学進学できる、親のステータス、他にある?
あー、なるほど。じゃあ大人に見えるけど全員子供ぐらいの精神性ってことだよね
人間性って教育によって成熟するから。田舎だとそこどまりってことか
気を使いまくりでめんどくさいだろうな
大人の世界の常識を言っただけで「傷ついた!!」とか言って騒ぎそうでうるさそ
よくいえば素朴
悪くいえば愚鈍って感じ
※以下の文章の中には精神疾患を差別したように聞こえる発言があるが、精神疾患の人々を差別・揶揄する意図は一切ない。むしろ彼らの在り方に敬意を示したうえで書いていることをここに明記する。
※また、一部生理についての過激な描写がある。苦手な人は見ないことを推奨する。
2022年4月、大学生になった。あまり他の大学では見られない学部で、演劇系のサークルに入った。6月になればバイトも始めた。サークルの先輩に薦められたバイト先だ。
その学部に辿り着いた経緯は成り行きではあったものの四年間勉強を続けるとしたらここがいいと思って選んだし、演劇系のサークルは前々から挑戦してみたかったから丁度良く、バイトも勤務時間が固定ではあるものの客がいない時間はスマホを弄るとかでない限り色々なことをしてもいいという比較的懐が広いところであるし、未だ趣味で収まっているもののいずれそれで食べることが出来たらと思う小説も息抜き兼たまの小遣い稼ぎとしては十分。これまでの人間関係で厄介そうなものはあらかた取り除いていたけどチャットアプリの友達欄にはそこそこ名前が残っている。
背伸びをしすぎていない、でも自分の理想を少しずつ歩いている。最高の環境だ。
勉強は自分の好きなものが多いから単位は今のところ落としていないし、サークルでは脚本が採用されなかったけど学園祭ではその採用されなかった脚本が原作として拾われて最初のうちだからと裏方仕事を楽しんでいる。バイトは繁忙期を終えて一通りのことは慣れた。趣味も、継続できている。友達は、この前学園祭に呼んだ。元気そうだった。
2月になって生活の基盤が固まって、人間関係や誰が誰にどういう扱いをするかもなんとなくわかってきた今の頃合いで、自分が思っているよりも無能だと理解して、皆が私のことをそこそこ雑に扱いだして、途端に人間不信が襲い掛かった。
この人間不信の根本がどこかはわかっている。小学校5年生の時の学級崩壊だ。産休の代理の先生が皆と『そりが合わなかった』ことによって起きた、たった半年間の学級崩壊。教育委員会も動いて、頼みの綱の隣のクラスの担任は途中で元から抱えていた持病で倒れてしまった。親は、母親はともかく私がどんな漫画が好きなのかも知らないし服装の制限ばかりしてくる父親は元々あてにできなかった。蕁麻疹が出来た。大人が信じられなくなった。同級生が信じられなくなった。別の自分の声が聞こえるようになった。クラスで皆が先生を無視しておしゃべりしている声がやけに大きく聞こえた。宿泊行事でいじめっ子と同じ班にさせられて『どうしようもなくて』そのままいじめっ子たちと同室で夜を過ごした。先生が生徒を羽交い絞めにした。生徒を体育倉庫に閉じ込めたまま委員会の集まりに戻ろうとした。私が「かんきんじゃないんですか」と言ってやっと開けた。そのころは誰彼もが病気じみていて、例の先生がいなくなって皆が落ち着いても私の病気じみた臆病と自罰は治らなかった。何もかもが憎くなった気持ちを小説に換えた。なまじ同世代のなかで頭はよかったものだから、心理学の本を読んで『昇華』というものがあると知ってじゃあそうしようと思ったことだ。小説を、同級生に見せた。「よくわからないね」と言われて、私の気持ちは何も伝わっていなかったのだと知って、ネット以外で作品を乗せることをやめた。
狂うとは、私の中では「これまで起きたことをなかったことにする」ことだ。
だから私は適度に怠け者で適度に有能で人を信じることが出来て人に作品を見せることや自分の感情を小説じゃない方法でさらけ出すことを怖いと思わないようにした。
怠けることは怖くて無能で人は信じられなくて人に作品を見せることや自分の感情を小説じゃない方法でさらけ出すことは怖かったけど、なかったことにした。
なかったことにした感情たちが、今更ぷちぷちと熟したトマトみたいに裂けて落ちたのだと思った。
明確に思えたのに、もう一度狂おうと模索してしまっていて、いよいよ病気じみていると思った。
いつだって安定しない生理の剥がれ落ちた子宮内膜と一緒にこの気持ちが洗い流せたらと思って、ダメだった。
病院に行こうと何度も進言された。学校を巻き込んだちょっとした騒動も起こして、診断書も貰った。
でも、行けなかった。
もしこれで『今までの感情に全部説明がついて片付けられて』『自分は悪くないと明言されて』『復讐なんて気持ちが芽生えないようになって』しまえば、その先に何があるのか全く想像できなかったからだ。
普通になってしまった自分が、狂ってしまった自分と同じことになったらと思うと怖かった。何より、復讐の消化兼昇華を趣味としてしまった私がどこにいってしまうのかわからなくなった。
後に残った小説みたいな言い回しのレポートも、小学校の頃の友達なんて誰もいない連絡先も、ただ『善人でいると騙される』と思って剝き続けていた牙も、全部意味がないものになってしまうことが怖くて、病院に行けない。
片耳が聞こえない母より先に五体満足の私が病名を持つことの気が引ける。
偏見のないフリをして古風な祖父とよく似た父はなんていうだろうか。
成人式で会うかもしれないかつての同級生に『あの頃がきっかけでこうなった』ことを知られることを考えて、怖くなる。
Wordファイルとふたりぼっちの戦いは、小学校5年生から今日までずっと続いている。
復讐は、終わっていない。
復讐のきっかけとなった思い出は、自己防衛がどんどん忘れさせてくる。
今度はもっとうまく狂わないといけない。
転勤直前+年度末+コロナ禍という地獄の世界で、それでもなお飲み会を開こうとする者達が暗躍している。
勘弁しくてれ。
もしも転勤直前の奴がコロナにかかったとして、誰も責任を取るつもりがないから企画できるんだろうな。
そもそも年度末転勤組は職場がただでさえ忙しい中で、個人の引っ越しも小学校の編入があったり諸々の一年生どもとの引越し業者の奪い合いがあってヤバイというのに。
この状況、コロナになって一週間が奪われたとして、後遺症で体力も無くなったとして、転勤する人間がまともに仕事納めや業務引き継ぎをするだろうか?
するはずがない。
俺だったら絶対しない。
職場の飲み会で移されたコロナで時間がなくなったのなら、職場の責任ということにして自分の引っ越しを優先する。
そもそも転勤先からして「前の職場でコロナになっちゃったんで、ちょっと色々バタついてますけどよろしく」とか言われて受け入れるはずがない。
それなら出戻りしない限りは関わることがない今の職場に全部のツケの支払いを任せて逃げていくに決まってる。
もし個人がソレを選んだとして、彼を責めるべきか?
絶対に違うだろ。
この時期に送迎会を企画した奴らが100%悪いに決まっている。
だがソイツらは責任を取るつもりなんて0だ。
狂ってる奴らだ。
死んで欲しい。