はてなキーワード: ライフワークとは
以前、[拉致問題][自民党]「父から聞いた話」/「安倍首相にガッカリした」という増田を書いた者だ。
予想通り、米朝首脳会談は拉致問題に関して何の進展も得られない結果に終了したと言っても良い。
トランプ大統領が拉致問題について言及した所、「拉致問題に関して物を言いたいなら安倍首相が直接来れば良い(日朝首脳会談をすれば良い)」と
金正恩は答えたと言う。
はっきり言って、安倍首相は金正恩に舐められていると言わざるを得ない。
安倍首相は拉致問題の解決はライフワークであると豪語しているが、
安 倍 首 相 の 拉 致 問 題 に 関 す る 舵 取 り が
逆 に 拉 致 問 題 を 長 引 か せ て い る 印象すらある。
「長引かせている訳ではない」というのであれば期限を区切り、「期限内に拉致問題を解決できなければ辞任する」ぐらいの意志を持って欲しいものだ。
金正恩が「安倍首相が直接言いに来れば良い」と言った事を受けて、安倍首相は日朝首脳会談を考えているという。
しかし、その時期として、自民党の総裁選の前辺りを候補日程としているらしい。
これも、自民党の総裁選を狙ったパフォーマンスにしか見えない。
拉致問題は、政争のための道具でも政権持続のための材料でも無い。
北朝鮮には未だ、日本から無理矢理連れて来られて苦しんでいる拉致被害者が居るんだ。
「2018年内に拉致問題を解決できなければ辞任する」ぐらいの覚悟を安倍首相には持って欲しい。
2018年内に安倍首相が拉致問題を解決できなければ、私は、次の選挙では民進党に票を入れる。
久しぶりに恋人ができた。
およそ七年ぶりのことで、私にとっては「大」を幾つ連ねても足りないほどの大事件だった。
なぜなら、恋人がいなかった約七年間の間、恋愛関係に発展しそうな付き合いは一切なく、誰かとデートはおろか二人で食事をするシチュエーションすらなかったのだから。
もちろん酒の勢いやワンナイトの類いもなかった。
男女交際一式は過去に経験しているけれど、石橋を叩きすぎて割ってしまうほど慎重かつ臆病なので、恋人になりそうもない相手とスキンシップやセックスを楽しめるほどの勇気や経験値は自分にはなかった。
セックスアンドザシティで「一年間セックスしないと女は再処女化する」というようなセリフがあったけれど(ニュアンス)、七年間とかマジでどうなるんだよ怖えーよと一人頭を抱えたりしていた。
たまに「いいな」と思う人がいても、結婚していたから「いいな」で終わりだった。
好意を向けてくれる人がまれに現れても、どうしてもタイプじゃないか、やはり既婚者だった。
その間、合コンとか街コンとか相席居酒屋とか、出会いに繋がりそうな場所に行ったこともない。
そんなこんなで約七年。
それでも、人に恋人の有無を聞かれ、長年いないことを話すと十回に十回驚かれた。
まあ、お世辞というか、お決まりのリアクションなのかもしれないけれど。
顔面は、石原さとみのようなハイパー美人にはほど遠いが別に悪くはない。
きちんと化粧をして何ら差し支えのない洋服たちでJJに載っていそうな系統のおしゃれをする。
ムダ毛は手入れするし、伸ばした栗色の髪の毛のケアにも勤しむ。
前髪も後れ毛も巻く。
社会経験も人並みに積み、良い会社に落ち着いて、世間知らずでもない。
初めましての人と対面しても、しっかりコミュニケーションが取れる。
だから「彼氏いないです」に対して、返ってくるのは「なんで?いそうなのに」だった。(社交辞令かもしr
と、思ってました。思ってたし、実際にそうだった。
私はオタクだ。
推しは天使だから常にありがたすぎて課金するし、イベントなどがあれば北海道から九州まで飛ぶ。
ちなみに「オタクだから彼氏いない=オタク趣味が相手に受け入れられないからモテない」のではない。
オタクだから「オタクごとが楽しすぎて恋人いなくても全然寂しくない」のだ。
オタクというのはアニメ漫画ゲームアイドル同人などのサブカルチャー的な匂いを強く発する言葉だけれど、個人的には「恋人がいなくても何ら寂しくなくむしろ面倒な付き合いがないので自分の時間を圧倒的に優先できて充実したハッピーライフ送れてる」と感じるレベルの趣味やものごとは全部オタクごとだと思っている。
だからシングルで過ごしていた長い間、私が「彼氏ほしい!」と本気で思ったことはほぼなかった。
いなくていい、ほしくない、と思っている人間に恋人ができるほど恋愛は強制的なものではない。
できそう、できなさそう、モテそう、モテなさそう、以前の問題。
オタクでいると、頻繁に会う友達がほとんどオタクになる。(私の場合)
趣味を全力で全うするオタクって、まるで結婚しない。恋人がいる子も少ない。
結婚している全力のオタク友達もいるけれど、その場合子供がいないか、子供がもう大きい。
ある程度の財力と時間の余裕を手にいれたアラサーのオタク活動は、それはそれは楽しくて。
「まだいい」「もう少しこのまま楽しみたい」で、どんどん年をとる。
それは決して悪いことではないのだけれど。
で、私も、気付けば七年も色恋沙汰から遠ざかっていた。
人肌恋しい時は何度かあったけれど、寝て起きたら大体忘れているし、オタクごとで萌えるのに忙しくてすぐにそんな感情は溶けてなくなった。
そんな中、三十路が見えてきて、いつまでもこのままじゃいられないなぁなんて、ようやく焦りを覚えたのが昨年。
結婚願望はあったので、婚活中のオタク友達に相談して、出会いが見つかりそうな場所に、生まれて初めて自らの意思で赴いた。
そんなふうに行動してみたらあっさりと彼氏ができた。
でもって今は半年でふられてしばらく、といったところ。
ズタボロに引きずっている。
とりあえず彼氏がほしかったので、「好きになれそうだな」の段階からお付き合いしたけれど、付き合っている内に見事相手をとても好きになった。
長い間恋愛を休んでいても、良い相手に出会えさえすれば相手を「好き」だと思う感情が、まだ自分の中に残っていることにとにかく感動した。
相手との時間を作るためならライフワークだったオタクごとを後回しにしてもいいと思えた。
そのことに、私は人知れず、ものすごく、本当に、素晴らしく感動した。びっくりした。
所詮、私は恋愛体質で、aikoの歌に共感してトキめいた若かりし日々と大して変わってなかったなぁとか思って、嬉しかった。
だけど、せっかくそんなにも好きになれたのに続かなかった。(ちなみに私がオタクなのが原因ではない)
私が相手を思ってしまったほど、相手は私を思えなかったらしい。重かったんだろう。
推しのためなら諸々重課金する女だから、愛情があっさり系でない自覚は大いにある。
それにしても、オタクごとで生きている喜びを噛み締めてきた自分が、他の感情に大きく左右されて、ごはんが喉を通らないほど苦しむとは思わなかった。
「しようと思えばいつでもできるだろう」と恋愛をさぼった結果、自尊心を守りたいくせに恐ろしく自己肯定感が低い卑屈野郎になってしまっていて、今日日「結局私なんて誰にも愛されないよ〜〜〜うわ〜〜〜〜」と枕に顔を埋めるバカみたいな日々を送っている。自分が嫌すぎる。
長い恋愛ブランクのつけが、今になってボディーブローのように効いている。
付き合って入る最中はブランクなんて問題なくて、むしろ新鮮みがあって楽しかったのに。
経験値低すぎて、防具弱すぎて、失恋の一撃が重いったらありゃしない。
これから傷ついて立ち直ってを繰り返して強くなるのか…って、ため息がでる年齢。
一度でも、二度でも、ほんの少しでも、リハビリしておけばよかったな。
でも少し後悔している。
だから、オタクと呼び呼ばれるそこのあなたが、もし「将来結婚はしたい」「ゆくゆくは相手ほしい」と思うのなら、ちょこっとでも恋愛してほしいなぁと思った。
15年程前、父と話していた時に父がこんな事を言い出した。
「実はな、俺の中学時代の同級生に北朝鮮に拉致された人が居た。」
と言っても、父とその同級生は仲が良かった訳では無い。
そもそも、父が中学の頃は一つの学年で40人のクラスが6組まで有ったらしい。
その中で、1年だけ同じクラスになった事のある人の中に、後に北朝鮮に拉致された人が居たという話。
調べてみたら、その拉致被害者は確かに拉致被害者に認定されていた。
父もそんな同級生が居た事は忘れていたらしい。
珍しく同窓会に行ったら、そこで話題になり「あいつは北朝鮮に拉致されたぞ。」と言われて知ったらしい。
ただ、やはり、そういう話を聞くと感傷的になるのだろう、父も、その同級生に日本に帰国して欲しいと思ったらしい。
その同級生は未だに、北朝鮮に拉致されている。
だからこそ言いたい。「私は今、安倍首相にガッカリしている」と。
父の同級生に北朝鮮拉致問題の拉致被害者が居るという事を知り、北朝鮮拉致問題に興味が出て、拉致問題について調べる様になった。
その中で、ある一人の拉致被害者の話に興味が出た。その拉致被害者の名前は有本恵子さん。
有本恵子さんの拉致の経緯について説明する。
有本恵子さんは神戸に生まれ、神戸市外国語大学という大学に進学した。大学生を卒業後ロンドンに語学留学に行った有本恵子さんは
現地で出会った人物に仕事を紹介され「市場調査」の仕事を始めたという。そして、帰国予定の昭和58(1983)年8月9日に「仕事が見つかる 帰国遅れる 恵子」
という電報が実家に届き、同年10月中旬にコペンハーゲンから手紙が届いたのを最後に音信が途絶えた。
この「市場調査」の仕事を紹介した人物が北朝鮮の工作員だったらしい。
(よど号ハイジャック事件で北朝鮮に亡命した人達が北朝鮮の工作員として当時ヨーロッパに出向いて、
語学留学にヨーロッパに来ていた日本人を誘い、北朝鮮に連れて行っていたらしい。)
音信が途絶えてから5年後の1988年9月、北朝鮮に拉致されたとされる石岡亨さんという人物の札幌の実家に一通の手紙が届く。
その手紙には石岡亨さんと有本恵子さんと松木薫さんという三人が北朝鮮の平壌で一緒に暮らしている事が書かれ、写真が同封されていた。
この手紙はポーランドの消印が押されており、非常に小さく折りたたまれていたらしい。
おそらく、北朝鮮旅行に来たポーランド人に出国する際にこっそり手渡された物なのだろと考えられている。
有本恵子さんが生存していて北朝鮮に居る事を知った有本恵子さんの両親は、当時、朝鮮総連と繋がりが有ると言われていた社会党の議員で、
地元の有力議員だった土井たか子議員に話をしに行った。しかし、社会党が動く気配は無かったため
有本恵子さんの両親は、当時外務大臣だった自民党の安倍晋太郎議員の事務所に連絡を入れた。
安倍晋太郎は有本恵子さんの両親に自分の秘書を同行させて、警察庁、外務省へ赴き話をする様に指示したという。
しかし、警視庁も外務省も「国交がないのでどうにも出来ない」としか言えず、外務省は「危険ですので、秘密にしておきましょう」と口止めをしたという。
後に、小泉内閣の時に北朝鮮から日本政府に渡された報告書では、石岡亨さんと有本恵子さんは、石岡亨さんの実家にポーランドからの手紙が届いた二カ月後の
1988年11月に死亡したと記されていた。
この、安倍晋太郎議員の秘書をしていたのが、安倍晋太郎の息子で、現在の内閣総理大臣の安倍晋三だ。
謂わば、安倍晋三は政治家としての心得を父親から学んでいた頃から北朝鮮の拉致問題に触れた立場に有る。そして、
「拉致問題の解決こそがライフワーク」と豪語していた事さえある。
それなのに、第二次安倍内閣になってからの数年間、北朝鮮の拉致問題は進展していない。
拉致被害者の帰りを待つ人は80代後半~90代の年齢になっている人も居る。もう時間は残されていない。
森友・加計問題は野党が自民党に難癖をつけているだけと言えば確かにそうかもしれない。
だが、「拉致問題の解決こそがライフワーク」とまで豪語した安倍首相だからこそ
今の任期内に拉致問題を解決する気概を見せて欲しい。
正直、拉致問題の解決へ向けた進展を出せていない安倍首相にはガッカリしている。
もし、今期の任期中に安倍首相が拉致問題を解決する事が出来なかったなら、私は
次の衆議院議員選挙では、自民党を見限り、立憲民主党か民進党に投票するつもりだ。
今期の任期中に、安倍首相には政治家生命の全てを賭けて北朝鮮拉致問題を解決して頂きたい。
18年3月時点での勢力図を書いた。反省はしてないけど、指摘は随時受け付ける。
帝王:b:id:death6coin(国力:67,709)
太古より存在する大陸最大の国家。帝王自ら旗を振り、自国の発展に勤しむ。文学、芸術、哲学などの文化的活動も盛ん。その圧倒的な国力であらゆる戦地に恐ろしいスピードで現れる。
国家元首:b:id:sds-page(国力:32,217)
大陸2番目の巨大国家。国内の施設はブロックでできている。科学の発展が目覚ましいが、内政やサブカル、貿易にも力を入れる。スピードや戦法に目立った特徴はないが、死の国に次ぐ国力でやはりあらゆる戦地に現れ一定の戦果を獲得する。
大国故に誰もが認知しているが、誰もよく知らない国。国王を筆頭とし国中が穏やかで、誰もがサブカルに身を委ねながらのんびりと暮らす、理想郷のような様相を見せる。隣国のみならず大陸全土において盛んな貿易、資源分配を行なっており友好国が多い。
女王:b:id:msdbkm(国力:26,824)
三大大国に匹敵する国力を有しているが、勢力争いからは一線を画しており、莫大な国力で余裕の内政を行う。女王のライフワークなのか、あちこちに財宝を放り投げては、それを求めて各国が争う姿を見て楽しんでいる。
魔王:b:id:vlxst1224(国力:8,972)
深淵の底から各国の争いを覗き見ながら、機が熟したタイミングで颯爽と現れ全てを根こそぎ奪っていく闇の王。国力やスピードでは他国に及ばないながら闇の者たちの支援により常に広大な戦果を獲得する。なお、光に弱い割によく光指す戦地に出没する。
雲上人の血を受け継ぐと言われる特権階級を持つ者達の連合国家。基本的に積極的に争いに参加はせず国力の増大に努めている(クマ出没の報告は結構ある)
参謀兼コック:b:id:sabacurry
東西南北の海を縦横無尽に駆け回る海賊団。その驚異的なスピードと、船長の失敗を恐れない切り込みで大陸全土にその存在を認知されている。また、一国を治めていてもおかしくない優秀な武将を参謀として持つ。なお、基本的に船上は無法地帯でノーパンだったりパンティー一丁だったりと他を寄せ付けない下ネタ振りを見せる。
大陸を渡り歩く旅芸人の一座。かなりの資本を有しているものの勢力争いには興味はなくサブカルの匂いを求めて今日も旅を続ける。一座が現れた際は少しだけ和やかなムードが訪れる。
西方の山に住む長老。大陸の生まれたわずか半年後に生を受けたと言われる。ちょくちょく小娘のふりをして下界に顔を出す。内に強大なパワーを秘めると言い伝えられているが真実は不明。家に帰ると酒を飲んで床で寝る癖がある。
考古学者兼冒険家。大陸中の遺跡を巡り、頻繁に解いてはいけない封印を解いて大陸に火種をもたらす。各国から高いポストでの専属化を要請されるが、本人は自己評価が低くマイペースで発掘を続ける。
ブサイクな父がブサイクな母と結婚し、当然ブサイクな子供が生まれた。兄だ。それで気が済めば良かったのに、なぜかもうひとり子供を作った。私だ。
両親は顔はアレだけど人柄がよく明るいので、親戚や同僚、友人たちとの関係は良好。ただ残念ながら、子供たちにはコミュ力は受け継がれなかった。
兄は大学を中退している。理由は詳しく知らないが、人間関係…たぶん恋愛絡みで失敗して行きづらくなったのだと思う。それからは基本的に家にいる。たまに派遣で働いている。
昔から兄妹仲は良い方ではなかったけど、兄の大学中退から、はっきりと兄妹仲は「悪い」に傾いた。四年制の女子大に通う私に「金食い虫」「女の大学は寄生虫(専業主婦のこと)予備校だろw」なんて絡むようになり、親に諌められても聞く耳を持たなかった。私の就活の時には細かい嫌がらせが始まり、父が激怒してもやめなかったので、私は一時近所の祖母の家に住まわせてもらった。
就職してからはひとり暮らしを始めたので、日常的に兄から受けるストレスがなくなり快適だった。ただ、帰省のたびに会う兄は、ここぞとばかりに攻撃してきた。兄いわく、私が何の苦労もなく生きていられるのは(自分では、しんどいことも多かったと思っているけど…)私が女だから。女だから就職できて、女であるだけで社会に許されているのだと。そして最後はこう締める。「でもお前みたいなブサイクじゃ結婚は無理w」。兄は女は全員、結婚を目的にして生きていると本気で信じているので、これを言えば勝利の決め台詞だ。「お前みたいのがババアになったらマジで悲惨だよなw」「生きる価値なしw」。
自分が女なら、という話も何度も聞かされた。パパ活wして男に貢がせて、キャバクラで楽して稼いで適当な男を見つけて結婚、楽なパートでもして生きるんだそうだ。「女なら」と妄想をする時、兄は少なくとも普通以上の容姿の女になっている。そしてキャバクラで稼げるコミュ力を持つ設定だ。兄が女になったら、現実的に考えて私レベルだ。結婚できない、生きる価値なしのブサイク女だったら、という想像を多分あの人はしたことがない。
兄は実家にお客が来るとき、部屋に引きこもって姿を見せないか、ここぞとばかりにバイトを入れる。でも、私の帰省の時期にはリビングを陣取る。帰省の時期を親に確認し、帰らないとわかるとふてくされるらしい。
兄の大学中退以降、私は何を言われても、兄に反論しなかった。最初は気を使って。今は相手をするのも馬鹿らしくて。と、親なんかにはそういうことにしていたけど、実は違う。見下している妹の帰省を心待ちにしている兄があまりに哀れで可哀想だからだ。可哀想は限りなく「可哀想www」に近く、兄が私を見下す以上に私も兄を見下している。
兄のツイッターのアカウントを監視している。女性芸能人に噛み付くのが趣味だ。マジで気持ち悪いし、お前は世界の誰からも必要とされてないってことを言ってやりたくて仕方がないが、それを伝えるには兄は何も持ってなさすぎる。兄はくだらない人間だけど、失うもののない男の発狂は怖い。だって私は結婚するのだ。
婚約者と両親は外で会わせた。兄のことは説明してあって、これからも会わせるつもりはない。親も(母親はしぶしぶ)同意してくれた。次の帰省の時、兄には結婚の報告だけするつもりだ。嘘だと笑い、会ったこともない婚約者をバカにし、女はこうやって〜が始まるのが目に見えているけど、そこは本当にどうでもいい。
ブサイクでも結婚できる。両親だってそうだし(婚約者はブサイクではない)。でも兄は無理だ。男をスペックで見ない女でも、中身にも良いところがほぼ0だから、裸足で逃げるだろうと思う。
あ〜〜〜〜ずっと誰にも言えなかったけど兄のことマジで嫌いだな!消えてくれるのが1番いい。私もクソだが兄もクソ。これからもネットで女たたき頑張れよな。ライフワークだもんな。バーーーカ
憲法を改正して一方の性別を強制的に排除することを認めるか、男性差別を禁止する刑法を新たに制定するしか二つに一つである。
なぜなら、この女性専用車両の問題は「男性差別問題」というイデオロギーのレベルの問題になってきているからだ。
私自身も含めて男性差別問題を重大視している人間からすれば、女性専用車両は廃止するという選択肢しかありえない。
これにマナーだのモラルだの反論されても、男性差別反対派からすれば猛反発するしかなくなる。
女性専用車両という名前の一般旅客車両に任意周知乗車する男性は「男性差別に反対する」ために乗車しているのだ。
彼らの考えを変えさせることは不可能である。キリスト教徒をイスラム教徒に改宗するように説得するようなものだ。
女性専用車両反対派の一人として言わせてもらうが、反対派は男性差別問題を取り上げることはライフワークになっているので、説得して女性専用車両に乗車する男性を止めさせるという行為は愚かそのものであると言っておこう。
結局兄に結婚バレた
https://anond.hatelabo.jp/20180511170729
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ブサイクな父がブサイクな母と結婚し、当然ブサイクな子供が生まれた。兄だ。それで気が済めば良かったのに、なぜかもうひとり子供を作った。私だ。
両親は顔はアレだけど人柄がよく明るいので、親戚や同僚、友人たちとの関係は良好。ただ残念ながら、子供たちにはコミュ力は受け継がれなかった。
兄は大学を中退している。理由は詳しく知らないが、人間関係…たぶん恋愛絡みで失敗して行きづらくなったのだと思う。それからは基本的に家にいる。たまに派遣で働いている。
昔から兄妹仲は良い方ではなかったけど、兄の大学中退から、はっきりと兄妹仲は「悪い」に傾いた。四年制の女子大に通う私に「金食い虫」「女の大学は寄生虫(専業主婦のこと)予備校だろw」なんて絡むようになり、親に諌められても聞く耳を持たなかった。私の就活の時には細かい嫌がらせが始まり、父が激怒してもやめなかったので、私は一時近所の祖母の家に住まわせてもらった。
就職してからはひとり暮らしを始めたので、日常的に兄から受けるストレスがなくなり快適だった。ただ、帰省のたびに会う兄は、ここぞとばかりに攻撃してきた。兄いわく、私が何の苦労もなく生きていられるのは(自分では、しんどいことも多かったと思っているけど…)私が女だから。女だから就職できて、女であるだけで社会に許されているのだと。そして最後はこう締める。「でもお前みたいなブサイクじゃ結婚は無理w」。女は全員、結婚を目的にして生きていると兄は本気で信じているので、これは勝利の決め台詞だ。そしてこう続く。「お前みたいのがババアになったらマジで悲惨だよなw」「生きる価値なしw」。
自分が女なら、という話も何度も聞かされた。パパ活wして男に貢がせて、キャバクラで楽して稼いで適当な男を見つけて結婚、楽なパートでもして生きるんだそうだ。「女なら」と妄想をする時、兄は少なくとも普通以上の容姿の女になっている。そしてキャバクラで稼げるコミュ力を持つ設定だ。兄が女になったら、現実的に考えて私レベルだ。結婚できない、生きる価値なしのブサイク女だったら、という想像を多分あの人はしたことがない。
兄は実家にお客が来るとき、部屋に引きこもって姿を見せないか、ここぞとばかりにバイトを入れる。でも、私の帰省の時期にはリビングを陣取る。帰省の時期を親に確認し、帰らないとわかるとふてくされるらしい。
兄の大学中退以降、私は何を言われても、兄に反論しなかった。最初は気を使って。今は相手をするのも馬鹿らしくて。と、親なんかにはそういうことにしていたけど、実は違う。見下している妹の帰省を心待ちにしている兄があまりに可哀想だからだ。可哀想は限りなく「可哀想www」に近く、兄が私を見下す以上に私も兄を見下している。
兄のツイッターのアカウントを監視している。女性芸能人に噛み付くのが趣味だ。マジで気持ち悪いし、お前は世界の誰からも必要とされてないってことを言ってやりたくて仕方がないが、それを伝えるには兄は何も持ってなさすぎる。兄はくだらない人間だけど、失うもののない男の発狂は怖い。だって私は結婚するのだ。
婚約者と両親は外で会わせた。兄のことは説明してあって、これからも会わせるつもりはない。親も(母親はしぶしぶ)同意してくれた。次の帰省の時、兄には結婚の報告だけするつもりだ。嘘だと笑い、会ったこともない婚約者をバカにし、女はこうやって〜が始まるのが目に見えているけど、そこは本当にどうでもいい。
ブサイクでも結婚できる。両親だってそうだし(婚約者はブサイクではない)。でも兄は無理だ。男をスペックで見ない女でも、中身にも良いところがほぼ0だから、裸足で逃げるだろうと思う。
あ〜〜〜〜ずっと誰にも言えなかったけど兄のことマジで嫌いだな!消えてくれるのが1番いい。私もクソだが兄もクソ。これからもネットで女たたき頑張れよな。ライフワークだもんな。バーーーカ
その団体には私が生まれる前から両親は勿論親戚一同のほとんどが所属していたので、私は生まれた時点でその団体へ所属することが確定していました。
宇宙の持つ莫大な気(チャクラ)、輪廻転生、死後の世界、他の宗教がダメな理由、自分の生まれた理由、何故人は不幸になるのか、何故団員を増やさなければならないのか、どうしたら人は幸せになるのか。
端的に言うと、「団体に入って、勉強して、実践していけば幸せになれる」ということを物心ついた頃からずっと教わってきました。
子どもの頃の私は「こうして勉強して、この話を世の中に広めて団員が増えれば、沢山の人が幸せになって、この世から不幸がなくなる」と信じて疑いませんでした。
問題は、私はまだ子どもで非常に人見知りで喋るのが苦手な為、どうしても赤の他人にそのような話を広めて勧誘することが難しいということでした。
小学校1年生の時、学校が同じでよく遊ぶ友達に頑張って話をしましたが、その子から親御さんに話が行き、私の母親へ電話がかかって来たようでした。「もう二度とそんな話をさせないで」とのことでした。
でも母親は「××ちゃんにはもう話をしないでね。でも【私】ちゃんは良いことをしているんだから、大丈夫。こんなこともある」と、慰めてくれました。
私はその後も他の友達に頑張って話をしていきました。友達には理解してもらえませんでしたが、親に報告する度に褒められて嬉しかったのを覚えています。
子どもの頃から歌うこととピアノを弾くことが大好きで、よく母親の聞く曲の歌手のモノマネをしながら弾き語りをしていました。
ある日、いつものように歌っていると、父親が「【私】ちゃんは歌もピアノも上手いから歌手になれるぞ」と言いました。
ついで母親が「そうよ!団体の話を歌にして広めたら良いわ!」と満面の笑みで言いました。
両親はいつも色んなことを教えてくれて何でも知っていたので、私はそれを名案なんだと思いました。
その日から団体の教えを基に歌を作ることが私のライフワークになりました。
「死にたいと絶望していた時、あなたに出会えて私は生まれ変わった」
「こんな奇跡が起きるなんて」
というような恋の歌にしました。
作曲は最初こそ楽しかったのですが、中学生の頃、ある日母親に「今の部分、不協和音でおかしい」と言われました。
その時は色んなことに挑戦していて、「不協和音を効果として敢えて入れたらどうなるか」という実験でした。
でも音楽経験のある母親は私が反論する前に「それは正しくないからもっとこうしなさい」と言いながらピアノを弾きました。
とても綺麗な音でした。
私の中で積み上げてきた母への信頼が崩れ去った瞬間でした。
「何でそんなことがあんたに分かるんだ」
「あんたに私の何がわかるんだ」
「これは私の曲なのに」
それまで何でも素直に受け止めていた私に初めて母親に対する反抗心が芽生えました。
それからは母親の前ではピアノを弾くことも歌うこともやめました。
市のコンクールに応募した時も、音楽事務所にデモテープを送り付けた時も、どんな曲を作っても母親には一切教えませんでした。
それまで感じないように努めていた反動なのか、ありとあらゆる負の感情が自分の中でどんどんどんどん育っていきました。
負の感情を抱くことは団体の教えに背く行為で、私はそれを子どもの頃からとにかく重いことと受け止めていました。
そして、団体の教えに背いてしまった自分は本当にダメな人間なんだクズなんだと酷く落ち込みました。
団体の創設者へ懺悔の手紙を何枚も何枚も書きました。(事あるごとに創設者へ手紙を書くことはその団体では当たり前なのです。)
しかし書いた手紙は必ず両親に添削してもらい、了承を得てからでないと出せないことになっていたので、出さずにそのまま曲にしました。
今でもこの時作った曲を歌うと悔しくて涙が出ます。
そんな体験があっても、友達に団体の勧誘をすることはやめませんでした。
と言われました。
ついに言われてしまいました。
薄々気付いてはいました。
両親や親戚の人達の多くは大人になって、大変な思いをしてからその団体に出会い、入団し、救われました。
しかし、私は生まれた時からその団体に所属しているも同然で、大変な思いをしたことが無いのです。
「救われた」という経験が無いのです。
もっとはっきり言ってしまえばそれまで生きてきた中で一度だって「幸せだ」と感じたことなんて無いのです。
「あなたに出会えて幸せ」なんて歌詞を書くのに、そんな体験したことが無いのです。
沢山曲を作ってきたのに、全部親や親戚から聞いた物語で、私の物語なんて一つも無かった。
吟遊詩人を目指してる訳じゃないのに。
私は歌手を目指してるのに。
あぁそっか、お父さんが歌手になれるって褒めてくれて嬉しかったから。
お母さんが団体のことを歌にして世の中に広めたら良いって言うから。
私は本当に歌手になりたいの?
そう言えば最近お父さん家に居ないな。
お母さんも不機嫌なこと多いし。
「幸せって何だろう…?」
気付いたら私は彼の前でボロボロ泣いていました。
彼は「俺が幸せにしてやるから心配すんな」とか言ってたけど、その一言で一気に冷めて翌週には別れました。
その頃から精神的に不安定になって、学校も行ったり行かなかったりしました。
音楽の先生と仲が良かったので、音楽室の隣の準備室へはよく遊びに行ってピアノを弾かせてもらいました。
作曲は自分で何も生み出せないって気付いてしまってからは嫌になってしまってやめました。今でも流行りの曲を耳コピして弾き語りする程度。
結局そのまま何となく音楽関連の学科がある大学にAO入試で受かったから入ったものの、勉強もせず音楽ばっかりやっていたので、普通の勉強が分からず中退。
その後父親が団体を脱退したのがきっかけで、両親は離婚しました。
母親と暮らすのが苦痛だったので、2年くらいアルバイトで資金を貯めて一人暮らしを始めました。
団体は全国に支部があって、引っ越した際に自分の家から一番近い支部に住所を登録しに行かないといけないのですが、それを母から聞かされておらず知らなかった私は支部ではなく本部から呼び出されてお叱りを受けました。確か懺悔の手紙を10枚くらい書いて提出してようやく家に帰ることが出来ました。
そもそも何で引っ越したことが団体にバレたのか今考えると不思議なんですが、当時は団体に隠し事をしても気(チャクラ)で何でもお見通しなんだと信じていました。普通に考えて多分母親か親戚が通報したんでしょうね。母親は私の一人暮らしに反対して親戚にも相談していたようなので。
一人暮らしをするようになると、団体の運営費として毎月お金を納めねばならず、これが地味にキツかった。支部に5000円、本部に5000円、更に総本部に5000円の合計1万5000円。
納金した日には有難いお話を2〜3時間聞かされる。子供の頃なら熱心に聞いたと思うけど、内容のほとんどが「勧誘して団員増やそう。世界を幸せに!」だったので毎回とても眠かったです。
他にも行事とか諸々でお金がガンガンなくなりました。壺とかは買わされていません。
家族割みたいな特典があるらしく、未婚だったので「団員と結婚する」もしくは「恋人を勧誘して入団させる」この二択をよくオススメされました。
母親に対して反抗心はありましたが、団体には反抗する気がないというより反抗しても無駄だと思っていたので、お金の余裕が無くなって来た私は「早く結婚して割引してもらわなきゃ」としか考えられず、焦っていました。
特にやりたい事もなかったので、時給の良い配膳の派遣に登録して朝・昼・晩と3箇所の現場を回り、移動時間も含めて6:00〜23:30働きっ放しで15連勤等は当たり前。
(多い時は手取り30万、閑散期は9万円程でした)
団体への納金以外にも家賃・光熱費・食費・保険料・市民税等で毎月使えるお金は2万くらいでした。
恐ろしいのは「団体への納金さえなければ」という考えに至らなかったことです。
彼氏が出来ては勧誘し、断られれば即座に別れて次の彼氏を作り、また勧誘し、、、その繰り返しでした。
「勧誘する為に俺に近付いたのか」
「例え死ぬほど好きでも、私は団員とじゃないと結婚できないんだから、先に話して無理ならすぐ別れた方が良い」と本気で思っていました。
そんな時、久々に大学時代の音楽仲間の男性からご飯に誘われました。大学時代と言っても彼は5つ年上の大学外部の人間で、当時から既に社会人でした。
彼には異性というより、初めから父性を求めていたように思います。
色んな話をしました。
音楽仲間なのに、私は主に仕事の愚痴ばかり言ってしまいましたが、彼は終始穏やかに話を聞いてくれました。
とても心が安定した心地良い時間でした。
その後も何度か誘われ、正式に結婚を前提にお付き合いすることになりました。
彼と一緒に過ごすことが本当に楽しくて、初めて恋人と離れたくないと思ったのです。
そして、彼の家に転がり込むような形で同棲がスタートしました。
彼は本当に私との将来を真剣に考えてくれているのに、私は彼に団体の話をして、勧誘に失敗したら、また彼と別れなきゃいけないんだろうか?…と、不安になる日も増えました。
意を決して彼に団体の話をしました。ただし、あくまでも勧誘ではなく、自分がそういう団体に所属しているため、色んな面で出来ないこと(例えば葬式に参列しない、国歌を歌わない等)があるという告白をしました。
彼は「【私】さんがどんな宗教に入っていても気にしないよ。俺ももし入りたくなったら入るし。ただその団体のせいで誰かが傷付くなら、全力で止めるけどね」と真剣に答えてくれました。
止められることは無いしもしかしたら入団してくれるかもしれないと思い、ひとまずホッとしました。
同棲生活の中で、彼の物の考え方を更によく知るようになり、自分の中にある団体や母親から教わった「常識」が段々とおかしいことに気付き始めました。
→彼は私が作ったご飯を食べたり、私とハグした時に「幸せだ」と言う。
「あらゆる宗教的行事は気(チャクラ)的に問題があるため不参加するべき」という価値観。
→ただ他の宗教に流れてほしくないだけでは?
最後に、「どんなに生活が苦しくなっても団体に納金するのは団員の義務」という価値観。
「俺が人生楽しむために働いて稼いでる金なんだから【私】さんとのデート代は俺が出す」と言われて、ハッとしました。
団体に納金することしか頭に無くて、「人生を楽しむために働く」という発想自体が出来なかったんです。
彼と生活していく上で今まで大事にしてきた考え方が自分発信の考え方じゃなくて、
アホみたいに思えて、
最後に受付の女性から「皆さん絶対に後悔して戻って来るんですよ」と言われたけど知らん。
母親や親戚は「いつか目を覚まして戻って来るだろう」と思っているようで、憐れみの目で見てくるので気まずいのですが、特に被害はありません。
あと、クリスマスパーティーとか初詣とか参加出来るのが嬉しい。
彼とは結婚して、彼の扶養に入る為に今は派遣の仕事は辞めて、もう少し体力的に負担の少ないバイトをしています。
それは彼が音楽関係で仕事をしていて、羨ましいと思う自分がいることです。
「そういう人は沢山居る」って言われてしまうかもしれないけど、私の場合はただただ「団体のために」って思っていた期間が長くて、若かったのにすごいもったいない考え方をしていたと思います。
ああいう特殊な団体の中に居ても、考え方1つでめちゃくちゃ幸せに生きれたんだろうなと思います。現に幸せそうな人は見たことあるし。
子どもができたら少しは変わるかなとも思ったんですが、自分も母親と同じように子どもに無意識に何か押し付けてしまいそうで怖い。
団体の教えとかなかなか忘れられなくて混乱することもあるけど、宇宙の真理とか私には大き過ぎて毎日のことで手が一杯だからもう真剣に考えられなくて、混乱も浅い段階で落ち着きます。
昔は「宇宙の気の乱れで世界が滅びる」とか言われたら毎日怯えていたりもしましたが、今は「(本当でも嘘でも)どっちでもいっか」って思える。
仮に次の瞬間突然死して団体の言う地獄行きになったとしても幸せなんじゃないかな。
何が言いたかったのかと言うと、私みたいに子どもの頃からそういう類の宗教団体(もしくはそれっぽいもの)に所属している人は
と、思うってことです。
身バレも防ぎたくてわざとなんですけど、文体とかバラついてしまってすみません。
バレたら団体に殺されるとかは無いと思うんですが、入団者が減るなら殺されるのもアリかなと思います。嫌だけど。
長々と読んで下さってありがとうございました!
そういう時期もあっただろうし、受け取り方はそれぞれだろうけど、今のももクロの魅力って、
アイドルである姿と普段の姿がシームレスなとこ(もしくは、そう思えてしまうとこ)だと思ってるんだけどな。
無理して仕事しているわけじゃなく、ももクロとして10年やってきたからこそ、本来の自分と演じてる自分が融合しつつあり、運営もそれを認めて表に出してると勝手に思ってた。
そりゃ、完全に同一ではないだろうし、幻想かもしれないけれど、いい意味では『飾らない』っていう表現がしっくりくる。
人間として成長するのと同時にももクロとして成長したからこそ。人生かけてる。
恋愛しようが出産しようが、活動休止後に戻って来てくれると思わせてくれていたし。
まあ、おっさんなので若いファンとは受け取り方が違うだろうけど、握手会とかやってて話ができるアイドルとももクロはもはや別物で、会うっていう定義を握手会やツーショット会だとしたら会えないアイドルになってて、だからこそ、こじらせるオタク、オタク未満のモノノフも少なくて。
今回のことは、結局そういう幻想が砕かれたから衝撃っていう意見も多い。(と勝手に思ってる)
ももクロであることが当たり前だと思ってたのにそうじゃなかったから。
それでも、残った4人は大丈夫ってまた幻想を追い続けるしか道が残ってないのもつらいし、結局幻想なんだったら、お互いにいい未来は待ってなさそうだけどね。
でも、年金貰えるようになるぐらいまで、細々とでもいいから芸能活動だけで暮らしていける4人であってほしいし、他の趣味やライフワークを見つけるのもいいとも思う。
ハサミの使い方を忘れました。
■ちゃんとハサミを使えたボクの話。
それまでのボクは、ケータイサイトを作るベンチャー会社でちゃんと働いていました。
2000年に誕生し、2007年には株式上場。最初は4人だった社員も今では150人強に。そんな中でちゃんとした給料をもらい、取締役という役職ももらい、ちゃんと仕事をしていました。
確かに、朝9時30分に出勤し家に帰るのは午前1時とか2時とかだったり、土日も出勤してたりもしましたが、「ベンチャー企業なんてそんなもんだよね。」と人からも言われ自分にもそう言い聞かせて働いてました。普通に。
逆にそんな風に頑張っている自分が誇りだったし、「最近寝る暇も無い位忙しい」ってことが自分にとっては「美談」でした。
そうボクがちゃんと普通に「ハサミ」を使えてた頃の話。
ここで一度考えてみてください。
■ハサミの使い方を忘れました。
「ボクってカッコいいのかなぁ?」とか「ワタシってかわいいのかなぁ?」ってのは、「誰か」と自分を見比べて、鏡の前で悩めばわかるかもしれません。
「自分って健康なのかな?」ってのは、健康診断を受ければ解決します。
ただ、「もしかして、ボクって精神的におかしくなってきたのかも?」っていうのは案外自分では気づかないものかもしれません。
幸いにも(?)ボクには兆候がありました。
ある日突然「ハサミの使い方」を忘れたんです。
ハサミを見て「あ、これはハサミだ。」ってことはわかるんです。でも「何に使うものなのか?」ってことが分からないんです・・・。
でも、「何のための道具なのか?」って事が思い出せないんです。
他にも「会社の資料を作っているときに誤字脱字が増えてきた」「会社の会議などスケジュールを覚えていなかった」「机の上に置いてあるお茶が、いつ注いだものかわからなかった」など、いろんな兆候がありました。
でも、なにより会社に行きたくなかった。社長に会いたくもなかった。
部下にも会いたくなかった。
この時期、会社でボクの身に何があったのかというと上司の取締役が変わったことくらい・・・。
その方は他社から転職してきた方で、もともとは凄くボクとも仲良くしてくれていました。
ところが、直属の仲間になった途端そんな関係は造り物だったことに気付きます。
喫煙室で顔を合わせると、不機嫌な顔をされ一言も口を聞くことはありませんでした。仕事で相談すると「今忙しい。それくらい自分で考えろ。」と一蹴され、取引先に向かう電車の中で「あんたってこの会社に8 年間もいて今までどんな実績上げてきたの?何も無いんじゃない?あったら私の耳にも入ってくるけど。本当は社長もあなたの事なんて要らないと思ってるんじゃない?」なんて事も言われました。
なんとなくですが、「社長が僕自身を鍛え上げるために、この取締役にそう言ってあるのかな?」なんてポジティブに思ってた事もあって。
今までの同僚としての距離感ではなく、取締役としての距離感で接してくれているから、こんな冷たい態度なのかな?って思ったから・・・。
その数日後。その人に会議室に呼び出されました。
その一言で目の前が真っ暗になりました。
信じていたAさんBさんもボクの味方では無かったんだ・・・。
「そんな事くらいで他人に相談するし、仕事もできないし、あんたなんて生きてる価値ないんじゃない?」
『もうこの会社に居たくない。』
そんな気持ちがボクの心のすべてを満たしていきました。
でもそれは、自分の兆候(症状)を相談し解決してもらう為じゃなく、会社に行かなくてよくなるように「診断書」を書いてもらうためでした。
そう。ハサミの使い方を忘れてしまったボクは、もう一度ハサミを使えるなるようになることよりも、いまの現状(会社)から逃げ出したかったんです。
もう一度ハサミを使えるようになりたいなんて気持ちはこれっぽっちもありませんでした。
■ハサミの使い方を思い出した今のボク。
1年2ヶ月という長い休職期間を経て、この度元の会社に復職いたしました。
精神的にも安定しています。まだまだ薬は飲み続けていますが・・・。
でも、逆に薬さえ飲んでいれば普通に生活できるわけで、何てことはありません。
うつ病になる前の自分や生活には、絶対戻りたくないと思っています。
あんなに仕事人間だったボクが、会社と上手く距離をおいて物事を考えています。
今でも人混みは苦手です。
でも、そんな所に行かなくても生きていけるので不自由はありません。
そう。
特に趣味もなく、会社で評価されること・会社の仕事をこなすことだけが、ボクの生きがいであり、ボクの存在を必要としてくれる居場所だったんです。
そりゃぁ、その会社から「あんたなんて必要ない。」って言われれば、自分の居場所が無くなるんだから、うつ病にもなりますよ。
今のボクは、趣味であったり、美味しい食事であったり、大好きな自然だったり、友達だったり、ブログだったり、いろんなところに居場所があります。
御飯食べるための仕事。要するに飯の種って事です。
それくらいに割り切ったお付き合いを会社や人間関係に置いてみると、多少嫌なことも我慢できるのかもしれません。上司にガミガミ言われても、新しいカメラのレンズを買うためなら・・・って。
では、ボクがここまで変わることが出来た経緯をご紹介します。
■休職できた。
「休職」ってボクの中では重病(骨折とか入院とか)の方しかできないと思っていました。
よく勘違いする人が多いのですが「うつ病は心の風邪」って言う人がいます。
うちの会社の総務の人も「うつ病は心の風邪だからちょっと休めば治りますよ。」なんて、気休めを言ってくれました。
しかも外傷も見当たらない「脳の重病」だと。
だって、食欲もない・眠れない・何もする気が起きない・・・これって心(気持ち)でどうにかなるものでしょうか?
「心」なんて自分の体のどの臓器かもわからないのに、「心の病気」とか「心の風邪」って言われることが本当に怖かったんです。
心療内科の先生やカウンセリングの先生から「うつ病は脳の病気です。」って聞いて、本当に安心しました。自分がおかしくなっちゃったのは「心(気持ち)」がおかしくなったんじゃなくて、脳がちょっと壊れちゃったんだなと。
しかも、ちゃんと薬があるのであれば、怖くもなんともない。何となく「心の病気」って言われると、自分自身がおかしくなったように思っちゃって怖かったんです。もう元に戻らないような気がして。
当然の権利だと思いました。会社のストレスで脳に病気を持ったわけですから。だから休職することに何の抵抗もありませんし、恥ずかしくもありませんでした。
最初の診断書で「3ヶ月の休職期間を必要とする。」と記載してあったので、会社からは3ヶ月の休職期間をいただきました。
3ヶ月で治るんだと思っていましたが、治りませんでした。
そして、会社の休職期間の限度である「6ヶ月間」に休職期間を延長してもらいました。
多分、6ヶ月で治ります。うつ病になる前の仕事人間の自分には。
ちょうど休職期間が終わる6ヶ月後の頃、会社と面談を行ないました。
その時の総務の方の対応に疑問を覚えました。
毎回「調子はどうですか?」と聞かれ、ボクは「たまに、メマイとかします。人の多いところとかだと。」と答えます。事実、今でもそうですが・・・。
それを「明確な復帰の意思、どこに復帰したいかの意思表示がありません。」と言うふうに社長や他の取締役に報告していたようなのです。
人混みでメマイやパニック障害を起こしている状況で「はい!もう大丈夫です!元の取締役として働かせてください!」なんて言える人はいないと思います。
もう、休職期間も終り自然退職(自己退社)になるんだから、言いたいことは全部言ってやれ!って気持ちでした。
休職期間に入るときに社長からの伝言で「休職は認めるけど、戻ってきたら取締役解任ね。」って言葉を頂戴してました。
それ以外他にも例の人から言われたことの全てを総務の人に報告し、「パワハラではないか?」と詰め寄りました。
そもそも、総務の人は現場で何が起こっているのかを知りません。
噂レベルで「こんな事いわれたらしい。」と言うことは聞いていても、他の取締役本人の口から伝えなきゃわかってくれません。
だから言いました。
本当に。
今までのストレスを全部吐き出したんです。
抗うつ剤の服用者が暴れたり言動が荒くなったりってニュースを見たことがありました。
今思えば、この頃のボクはそんな状態だったのかもしれません。
でも、今のボクは当時のボクを責めたりはしません。
自己嫌悪もしていません。
薬の力を借りていたとしても、自分の気持を汚い言葉や罵声であれ会社に伝えられた自分を褒めてあげたいと思っています。
だって、それだけストレス溜まってたんですもん。たまったストレスを吐き出させてくださいよ・・・。
今思えば、休職してすぐにストレートに会社に気持ちをぶつければよかったなぁとも思います。でも、そんな気力も余裕もなかったんですよ。
自分の気持を整理して、相手の言うことを理解し、自分の気持と照らし合わせ、思いを伝える気力と余裕を持つまでに半年掛かったってことです。
その半年間のことは正直よく覚えていません。
ひたすら寝て、きちんと薬を飲み、食べられるものを食べる。
人間として何とか生きている感じ。
でもきっと、気力を貯めこむ期間として必要な半年間だったんだと思います。
おかげで気持ちが会社へ伝わり、会社の規程が「病気の場合での休職は1年間とする」と変更されました。
ただこれに素直に感謝できるまであと半年かかりました。当時は当たり前だろって位に思ってました。
一気にストレスを吐き出したボクは、やっと何かを吸収する余裕ができました。
人からのアドバイス聞いたり、本を読んでみたり、ちょっと難しいテレビを見てみたり、Twitterを始めてみたり・・・。
やっぱり自分の気持ち(想い)が自分の中に溜まっていると、人から何を言われても「そうは言うけど、ボクはうつ病だし・・・。」みたいな感じで聞く耳を持てなかったりします。
想いを全て会社に吐き出して、やっと「何か」をしてみようという気持ちになれました。
この想いの吐き出し方や吐き出し先は人それぞれだと思います。
ボクの場合は「会社のせいだ」と思ってしまっていたから、会社にぶつけたまでで。
まずは何故自分がうつ病になったのかをきちんと主治医やカウンセラーと相談し、答えを見つけることが必要なのかもしれません。
余裕が出てきたところでやっと気付きます。
「うちの会社でうつ病でこれだけ長く苦しんでいるのは自分が初めてだ。」と。そして、相手を思う余裕も出てきます。
「もしかしたら、会社の総務人事の人達や社長は『うつ病』について何も知らないんじゃないだろうか?だから、ああ言う対応しかできなかった。」と。
「だとしたら、そりゃぁ、仕方ないよね。」と。
簡単に言っちゃいましたが、「そりゃぁ、仕方ないよね。」って考え方は、ボクの中に初めて生まれた考え方でした。
仕事人間だったボクは「何にでも白黒付ける」事を求められ、必ず答えを出さなければいけなかった。「仕方ないよね。」とか「どうしようもないよね。」で片付けることなんて出来なかった。
全てにおいて私生活でも白黒付けて生きてきました。
「この世にはどうしようもないことがある。」
それに気付き納得できたことは、これからのボクの闘病生活を大きく左右する出来事でした。
「会社の人達や社長は『うつ病』について何も知らないんじゃないだろうか?」から「だとしたら、そりゃぁ、仕方ないよね。」と思ったボクは、「うつ病」について知ってもらおうと思いました。
せっかくなので会社の人だけでなく、全国の人にも。
■うつ病を楽しんでみる。
まずはブログやTwitterで「自分がうつ病であること」「うつ病の人ってこんな人」ってことをセキララに語ってしまおうと思いました。
当然、ブログで「ボクはうつ病です。こんな生活を送ってます。」なんて記事を書こうと思ったら、自分の生活で「あれ?」と思ったことを記録しなきゃいけません。
・ あれ?ボクは何でこんな事してるんだろう。
・ あれ?ボクは何でこんな事を考えたんだろう。
・ あれ?ボクは何でこんな事が出来ないんだろう。
・ あれ?ボクは何でこんな事が出来なくなったんだろう。
例えば、ある日「冷蔵庫にサランラップを仕舞っている」事がありました。
朝、冷蔵庫を開けたら冷蔵庫にサランラップが入っていたんです。
・・・あれ?ボクはなんで冷蔵庫にサランラップ入れたんだろう?って思いました。
「サランラップが冷蔵庫に入っていました・・・。うつ病って凄い。」って。
「疲れてるだけだよ!」
「冷たいサランラップって気持よさそう!」
などなど。
あれ?と思いました。
ちょっとでも人を笑わせる事ができるってことは、凄いことなんじゃないか?
急に目の前が明るくなった感じがしました。
そこであることに気付きました。
自分の中で「変な行動や変な考えを全てうつ病のせい」にするのって意外と楽だって事に。
だって、病気がボクをそうさせてるだけで、ボク自身がおかしいわけではないんじゃないか?きちんと病気と向き合って対処すればいいだけじゃないか?
これに気づいたときに本当に楽になりました。
今まで無かった「目標」ができたんです。
そして、このメモは主治医やカウンセラーに相談するときにも役立つんです。
それからのボクは、「うつ病を楽しむ」生活に切り替わりました。
■「ありがとう」って言われたくなる。
そんな日々を繰り返していると、Twitterでメッセージを貰いました。
「ブログを拝見しました。ご想像の通り、ボクも若干うつなのです。薬も服用しています。でも、まだ公表できていません。ブログを読んで気持ちが楽になりました。ありがとうございました。ただ、それがいいたくて。」
別に誰かを幸せにしたいとか何も考えずに書いているブログに、「気持ちが楽になりました」って言ってもらえるなんて思ってもいませんでした。本当に嬉しかった。
こんなボクに「ありがとう」って言ってくれる人がいるんだ。
「生きてて良かった。」って泣きながら母親に話をしたことを今でも覚えています。
それから他人から「ありがとう」って言われることをすれば、自分の存在理由を見つけることができるのかもしれないと思うようになりました。
同時に、きちんと自分からも「ありがとう」と言える人になりたいと思いました。例え、コンビニの店員さんであっても「ありがとう」って言うようになりました。外食したときはお金を払って店を出る前に「ごちそうさまでした」って言って帰るようになりました。
もしかすると、その事自体が別に褒められることではないのかもしれません。
人間として当たり前のこと。
だとすると、なおさら「今までやってこなかった自分」を恥じるようになってきました。
そう「仕事人間で余裕が無く他人に『ありがとう』とも言えなかった自分」が恥ずかしくてしょうがなかったんです。
普段探してみると「ありがとう」って言う機会は思った以上に転がっています。
それに気づかなかった過去の自分がおかしいんじゃないか?って思ったんです。
それが自信から確信に変わったときにハッキリと目が覚めました。
そして「うつ病になる以前の仕事人間の自分になんて戻りたくない。」と。
とはいえ、自分って何故こうなんだろうって、自信を無くす時はあります。
そんな時ボクは、あまり褒められる事ではないのですが、見知らぬ誰かと自分を比べるということをしています。
例えば、街でタバコをポイ捨てしている人を見かけたら、「自分はポイ捨てしないなぁ。」って思えれば、その人よりも自分のほうが生きてる価値があるのかもしれません。