「クラスメイト」を含む日記 RSS

はてなキーワード: クラスメイトとは

2021-05-29

anond:20210529140007

社会的成功してるリベラル資本の側で

高校大学時代クラスメイト製薬会社勤務だったり厚労省だったり医師会なわけだろ

自分が接種しないことと、接種したと対外的に主張することは両立できるから

ワクチン接種未接種を一目瞭然に判定できるリトマス試験紙はない

あるのは抗体検査であり個人医療情報秘密ならどうとでもウソ申告できる

2021-05-28

anond:20210528085214

ちゃごちゃヘイトしている連中が、仮に小熊ちゃんクラスメイトだったら、冷めた目で見られて無視され終わりだろう。

この時点であらゆる理屈を超えた圧倒的敗北感。

あんたらはあんたらの価値観で生きてれば良いんじゃ。関わんないでね。

スーパーカブに向けられるヘイトって

無意識性差別なんじゃないかなって

アニメ化にあたって青切符のくだりやナンパ男を蹴るなどの毒成分が抜き取られさわやか路線で展開しているのに、ニケツのストーリーをそのままに違法性排除しきれなかったのは制作としての落ち度だろうし、そもそも原作そういうハートフルストーリーじゃねーよなーと思うのでぶっちゃけアニメは知らん、まあ商業成功重要、そういう解釈で作るのも悪くないし、アニメ化での腕の見せ所なんだろう。終わり。

んで、元々の原作でのシン・主人公の子熊だが、そこらで言われてる通りのマイルドヤンキーアウトローを進むキャラで、ジメジメした青春を描くものだと解釈している。そもそも後ろ盾のない、無目的で生きる少女原付選ぶあたりからぶっとびの片鱗はある。学園祭クラスメイトの困りごとへの無関心、一方で原付バカにされたときの苛立ちと行動などがあったので、ナンパ男を蹴るという行為他者への無関心、気に入らないことへの攻撃からして違和感はなく感じた。こいつは一貫してあたまがおかしい。

そう感じたのだが、どうやら他の人を見ていると、この行動に違和感嫌悪感、そして作者への批判が集まる結果になってるのかなと思った。何でだろう。考えると結局はあのビジュアル少女からなんじゃないかなと。

例えば「内気な性格女の子がケリをいれることの違和感」みたいな、それあなた感想ですよね、と。内気な描写はあったか?それは絵のイメージからくるものではないか

例えば「もし男女逆だったら問題ある行為だ」みたいな、いやいや逆じゃなくても問題行為だろ、と。そういう作品なのになんで今更その行為が許されるかどうかを問うのか。それは少女あんな見た目だから、その行為理屈的におかしいとなっているのではないか

元の議論のニケツ違法問題ピックアップされたのも結局は少女たちが行う行為としては不適切という考えからなのかな。

するとこういう作品少女主人公で書いたかヘイトを産んでることになってるわけで、ヘイトの向き方も「作者が元々あたまおかし人間」という結論となったりするのは(作品として見れなくなっている理由は)、このビジュアル少女問題行為を行うことを受け入れることを無意識拒否した結果にも感じる。女子かくあるべし、の結果として世に存在が許されていないのではないか

男女平等もっと女性が脚光を浴びるようになるのもいいけど、逆に、ダークヒーローアウトローな、それでいて、(敢えて言葉を選ばず)フツーな女性って描かれてもいいんじゃない

追記

ヘイトという強い言葉を使ったのはすまない。アニメへの批判ヘイトというつもりはなかった。作品原作)の議論以外に作者への言及がちらほら見えたのでなんでだろうな、と思い書き連ねた次第だ。

追記2)

繰り返しになるけどアニメへの批判ヘイトというつもりはなかった。作品批判を越えて作者の人となりや学に言及するコメントに対する言葉。それも言い過ぎなら失礼した。

言葉足らずな汚い文章だったが色々意見ありがとう

2021-05-23

ベルセルク自分の話

三浦先生訃報を聞いてから時間が経ったが、ショックすぎて気持ちがまとまらないのでここに吐き出させてほしい。



高1のときベルセルク出会った。


リョナ趣味の後輩から主人公のやられが多くて興奮するから見てくれ」と勧められて以来頭にはあったが、グロが怖くて読んでいなかった。でも受験を終えて燃え尽き症候群に陥っていたから、この際フヌケの自分を変えてくれるならグロでもなんでもいいかと思ってなんとなく1巻を手に取った。


なんだ、この漫画主人公がめちゃくちゃやさぐれてるじゃねえか。自分の巻き添えになった爺さんのことも何とも思ってなさそうだし、美少女建物から落ちそうになってんのに助けないのかよ。


ジャンプ漫画の清く正しく美しい主人公しか見てこなかった自分にとっては衝撃的な展開の連続だった。


人を助けないし、自殺教唆するし、お供の妖精はいじめるし、一体なんなんだこいつは。


けれどもそういう殺伐とした殺るか殺られるかの世界観は、案外すんなり肌に馴染んだ。

これは自分の家庭環境ボロボロで、現代日本なのに親と殺るか殺られるかの戦いを毎日繰り広げてたからというのも大きいと思うが、とにかく「綺麗事で済ませない」といったベルセルク雰囲気自分感覚に合うな、という印象があった。

親の金でユニバに行くクラスメイトよりも、親代わりのガンビーノを殺しつつも愛を求める気持ちを捨てられないガッツの方が身近に感じた。


ガッツが鷹の団に入るまでのストーリーは読んでてキツかったが(親代わりの大人貞操売られてぶち殺すってどんな話だ?)、黄金時代ストーリー面白くて夢中になって読んだ。ガッツの初仕事(川沿いで奇襲かけたあと殿ひきうけたやつ)の話も、ユリウス伯爵暗殺も、ドルレイ戦も、そんなに上手くはまるわけないだろと思いつつも毎回読んでてワクワクした。

読み進める度に胸が熱くなるようなシーンが次々出てきて、この先どんな物語が待っているのかとページをめくる手が止まらなかった。

(個人的にはプロムナード館での夢の話が好きだ。「夢に支えられ、夢に苦しみ、夢に生かされ、夢に殺される」……夢を表した言葉としてこんなにも的確な言葉は珍しいと思う)


そして黄金時代も佳境に入り、グリフィスが全てを失い絶望の果てに蝕を起こす。

無数のモンスター対峙する鷹の団の見開きの絵を見たとき、初めて気がついた。


(あれ、もしかしてこの人、メチャクチャ絵が上手い?)


バカなので蝕に辿り着くまで三浦先生の絵の偉大さが全く分かっていなかったのだが、大量のモンスターと鷹の団の苦悶の表情を前に、三浦先生凄さを""分からされて""しまった。


びたびたと飛び散る内臓。好きだったキャラクター割れ頭蓋骨と、はみ出した脳みそ。どういう骨格をしているのかよく分からないがとにかく気持ちが悪いことだけは分かるモンスターの群れ。一度見たら忘れることのできないガッツの咆哮の表情。抜ける女体。死ぬほどイカした造形の新生グリフィスことフェムト


ゴッドハンドの女が「愛、憎悪苦痛快楽、生、死、すべてがあそこに……」と言っていたが、まさにその通りだった。読んでるだけで頭がおかしくなりそうだったし、自分体験したわけではないのに脳みそ上下に全力で揺さぶられたような衝撃で心がめちゃくちゃになった。


蝕のシーンがショッキングすぎてトラウマになり、心ここにあらずな日が続いた。授業も全部上の空だった。何をしていても蝕のことが頭をちらついた。あん凄惨光景は二度と見たくないと思うのにもう一度触れさせるような、魅力を越えた魔力があった。蝕の絵は、麻薬だった。


蝕のショックから正気に戻った後は坂を転がり落ちるように、その時出ていた最新刊(36巻だったかな)まで一気読みした。蝕以上にショックなシーンはなかったが、ただただガッツの行く末を見届けたくて、三浦先生の絵が凄すぎてもっと見ていたいという気持ちが強くて、一心不乱に読み続けた。

(個人的には蝕以降のエピソードだとロスト・チルドレン(偽エルフの谷)の話が好きだ。エルフ女王の造詣がクリーチャーとしてクオリティが高すぎるし、女王になった女の子の親父が自分父親そっくりで「ああ、いるいる、こういうくそ野郎」「不幸な家庭があることをぼかさずに書いてくれるんだなあ」と、汚いことも忌避せずに描いてくれる姿勢に信頼が置けたからな)


やがて奨学金を借りつつも大学生になり、バイトを始め金に余裕が出てきたので、スイパラのコラボも行った。

普通なサンリオみたいな可愛いものコラボするようなところがなんでベルセルクコラボした?と思わなくもなかったし、店内にはファンシー雰囲気にはミスマッチキャプ画が張られてて一種異様空気が漂っていた。

どう見てもベルセルクファン自分場違いじゃねえか。コースターポスター目当てで行ったが終始いたたまれなかった。

注文したベヘリットチョコケーキ普通に美味かった。まあ中身スイパラだもんな。



そんなこんなでちょろちょろベルセルクコンテンツに触れたり、他の漫画アニメ浮気したりしつつ、ずっとベルセルクは続いていくんだろうな、早く次の巻出ねえかなー、でも三浦先生には無理しないでほしいしな……と思いながら、年1ペースで出る単行本を追っていた。



2018年の40巻発行から続刊の報が入らなくなって3年目。

相変わらず知り合いに「ベルセルクは良い漫画から読んでくれ、トラウマになるとは思うが読まずに人生終わるよりいいと思う」と吹き込み続けながらいつも通り41巻発行の報を待っていたある日、そのニュースは訪れた。




三浦先生、ご逝去享年54歳。




何が起こったのか全く分からなかった。職場トイレにいたのにどういうことなのか分からなくてしばらくぼうっとしていた。胸の上にどすっと重たい何かがぶつかり、心を胸の内側から弾き飛ばししまったようだった。


もうベルセルク新刊は出ないのか。もう、三浦先生のお描きになった素晴らしい新作の絵を見ることはかなわないのか。


そのことが信じられなくて逃げるように仕事に戻った。全く効率は上がらなかったが、何もしていないよりかはましだった。

けれども何をやっても三浦先生がこの世にもういらっしゃらないのだと知らされた衝撃が消えることはなくて、明日会社に行くのをやめようかと一瞬考えた。


仕事を終え、訃報を聞いてから4時間ぐらい経ったあたりで、自分もっとお金を落としていれば、先生に美味しいものを食べて気持ちよく寝てもらってと、健康的な生活を送ってもらえたのではないか自分を責める気持ちが湧いてきた。

もちろん自分高校生ときには既にベルセルクは大ヒット漫画だったし、その時点で三浦先生ポケットにはベルセルクマネーがドカドカ入っていたのだろうからファン一人がたくさんのお金をつぎこまなかったからこんなことになったというのは馬鹿げた考えだというのは分かる。

だがそんな考えが浮かんでくるぐらい、自分にとって三浦先生訃報がショックだったのだろう。


結局当日はショックを受け止めきれず、友人に話を聞いてもらった。

自分にとってベルセルクがすごく大事作品だったこと、もう二度と続きが出ないなんて信じられないこと、自分を責める気持ちになってしまたこと。拙い言葉での話だったのに、友人は最後まで黙って聴いてくれた。

それで大ベルセルク展が9月に開催されるから絶対に行こうと思っていることを伝えると、友人は穏やかにこう言った。


「そうだね。でもたぶん売り上げは関係者のところに行くと思うから、ご家族とか近しかった人に届くと思うよ」


この一言が、沈んだ心を救ってくれた。


三浦先生ご本人には届かなくても、近しい方には届くのか。

一般的に言って、亡くなった方が気がかりなのはなんといっても残された家族のことだろう。自分の金が三浦先生のご家族のところに行ってその生活に役立つというのなら、天国におられる先生安心してお休みになられることに繋がるはずだ。


ショックで放心状態になっていたが、友人のおかげで「大ベルセルク展で金を落とす」という目標ができた。


今年9月に大ベルセルク展が無事開催されたら、ガッツマウスパッドと複製原画烙印ピアスを買おうと思う。そのためにいらないものメルカリで売って、給料から天引きする形でささやかながら貯金もすることにした。三浦先生がお亡くなりになられたショックは消えたわけではないが、今から少し楽しみだ。

2021-05-22

しか時雨沢恵一の『男子高校生で売れっ子ライトノベル作家をしているけれど、年下のクラスメイト声優女の子に首を締められている。』が長文タイトルの起点らしいといつだかTwitterで見た。

次点蝉川夏哉の『邪神に転生したら配下魔王軍がさっそく滅亡しそうなんだが、どうすればいいんだろうか』だそうですね。

これはさすがに極端だけど、それでもラノベタイトルって昔から長いよね。

自分学生とき刊行されてたものだと

ほうかご百物語』『えむえむっ!』『デュラララ!』あたりはむしろ短っ!って気がしてた。

バカとテストと召喚獣』『いつか天魔の黒ウサギ』『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『問題児たちが異世界から来るそうですよ?』くらいのものが多い印象。

IS〈インフィニット・ストラトス〉』『ノーゲーム・ノーライフ』『ソードアート・オンライン』みたいな単語カタカナの組み合わせはなんなら短い気さえした。文章じゃないからだと思う。

化物語』の三文字でソワソワさせてきた西尾維新はやっぱりすごいなぁとも思ってる。(化物語ラノベではないかもしれないけど)

それはそれとしてタイトルの長さは何でもいいのでオススメラノベ教えてください。

私は『人類は衰退しました』と『空の境界』が好きです。最近気になってるのは『探偵はもう死んでいる』です。

2021-05-19

anond:20210519000008

高校時代公民先生定年退職するとき受験関係の無い授業でまともに聞いていなかったクラスメイト一同が、花束とか送ろうと言い出したとき感情を思い出す

2021-05-17

高校生18禁同人誌を買った腐女子の話

高校生の時にCP左右固定で過激派の子同級生にいました(今はお互い成人しています)。

高校生の時には顔写真のない姉の保険証を借りてコミケや〇-book等で18禁本を買っては学校に持ってきてクラスメイトに自慢したり、苦手だからやめてという子の教室の机の中に入れたり、Twitter上では捨て垢を作ってAの地雷カプの二次創作をされている方に攻撃リプをする、焼きマロを送りまくる、送った焼きマロに対する創作者の反応をスクショして部活LINEグループで報告してくる等、昔からとにかくめちゃくちゃな子でした。

いくら注意をしても聞かず、口が開いたら愚痴が止まらないタイプ相手にしてるコチラの気が滅入る一方でいつから相手にするのを諦めていました。

高校生卒業したのをきっかけに徐々に疎遠になり、全く連絡取らなくなったなと思ったのをきっかけにLINEブロックしてしまったのですが、ある日Aを名乗るアカウントから「この絵描きを消したいから手伝って」とTwitterDMが来ました。当たり前のように断ったのですが、その数日後私のところに捨て垢から誹謗中傷リプが届くようになり、身に覚えのないトレパク疑惑をかけられ、高額で絵の依頼をしたにも関わらず理不尽理由一方的に断ってきたという嘘のDMスクショまで上げ始め面倒臭いことになったことがありました。

別の友人にAのスマホ電話番号を聞き出しいきなり電話をかけ本人に問い詰めたのですが電話をぶつ切りされその後まったく電話に出ず捨て垢も全部消去されてしまい結局消化不良のまま終わってしまいました。彼女はもしかしたら今もどこかで同じことの繰り返しをしているのかもしれません。もしAのような人物の標的にされている方がいれば全く相手にせず速やかに弁護士等に相談してください。私は今でも体調の悪い日にふっとAのことを思い出し心の中で消化不良を起こします。私はあなたのような手口で憂さ晴らし絶対しませんが、ここにだけ記録を残しておきます

anond:20210517100423

例え役所対応できなくても自分名前も言えない赤ん坊じゃあるまいし、中学3年生が自分保護者を探したり学校先生を頼ったりしないのは甚だ疑問。実質中3時の担任かそれに準ずる教員、それかクラスメイト家族避難所責任者的な人が一時的保護していたはず。震災とはいえそこまでコミュニティ機能していなかったはずはない。修学旅行で現地に1人置いてみんなでバスで帰るようなもんだぞ。

2021-05-16

小学生の頃の価値観

俺が小学生の頃、まだスマホも無い時代だった。

その時、クラスメイト灼眼のシャナを読んでいる友達がいた。

今の俺が見たら、オタクだ。二次元だ。萌えだ。って理解できるけど、

小学生の頃の俺はそういう概念が無かったし、

灼眼のシャナを何か調べるかっていう発想も無かった。

ただ一目みて、「カッコイイ」って思った。

小学生ながらにモテるためのマストアイテムイケメンが読むものだって

他人干渉されない独自過ぎる価値観灼眼のシャナを捉えていた。

結局小学生の俺には難しすぎて読まなかったけど。

今ってそういう風に物事見れなくなっちゃったよね。寂しい。

何か新しいコンテンツを見つけても、

どれくらい人気なのか?世間の評判は?周りの反応を気にしている。

実際にそのコンテンツに触れる前に他人が作った価値観判断しちゃっている。

情報が少なすぎた小学生の頃の価値観形成はもう二度と戻ってこないのだろう。

2021-05-12

anond:20210511173511

これはあおっているだけなのかもしれないけれど、かなり違和感を覚えた。

いじめをしてはいけないと教え」たらいじめをしなくなるのか?

「野蛮な連中を注意する」といじめがなくなるのか?

「隠キャにコミュニケーションを教え」たらいじめをしなくなるのか?

人は言われたとおりにいきるものではなく、やりたいとおりに生きるものだよ。

締め付けを厳しくしたらそれに従うとも限らない。

しろ、弱いものを見つけてはけ口にすることもあり得る。

とはいえクラス別にしたらいじめが解消されるかというと、それはどうかわからないとは思うけど。

唐鳳はgifted childが集められた学校クラスメイトから「お前が死んだら俺が1番になれるから、お前死んでくれないかな?」的なことを言われたらしい。

2021-05-09

(5/10追記あり) ポケモンとスーパーゲームボーイで疎外感を覚えた話

ポケモン赤緑が爆発的に流行った当時

うちにはスーパーファミコンしか無かった


クラスメイトの間でどんどんポケモンプレイヤーが増えていき

親にゲームボーイ本体ポケモンを何度もせがんだ

しかしうちではそのぐらいの価格帯の商品を買ってもらえるのは誕生日クリスマスだけだった


子供には長すぎる数ヶ月を過ごし、ようやくそタイミングを迎えたとき

ポケモン赤はプレゼントしてもらえたがゲームボーイは与えられなかった

代わりに与えられたのはスーパーファミコンに挿して遊ぶスーパーゲームボーイだった


素直にゲームボーイではなかったのは、携帯であるため親の監視外で遊ばせたくないという思惑があったらしい

それに加えて

ゲームボーイ本体より安かった

電池というランニングコストがかかる

・小さな液晶を覗き込むよりTV画面の方が視力低下の影響も多少はマシだろう

という考えもあったようだ


ようやく憧れのポケモンプレイできる!と有頂天になり

親が懸念していた通りポケモンにのめり込んだ

しかしここで大きな問題が発生した


友達と遊ぶときにはプレイ環境一式を外に持ち出すわけにはいかず

ソフトしかないのでそれぞれがゲームボーイを持ち寄って遊ぶ空間では自分プレイすることはできない


公園ではもちろん無理だし

友達ゲームボーイを借りるにしてもみんなまず自分が遊びたいのは当然だ、貸してもらえることなど少ない

友達の家で遊ぶときでも、わざわざそこのスーパーファミコンを借りるというのも不自然ハードルが高く実現することは少なかった

そもそもその時に発売していた初代スーパーゲームボーイには通信端子が無いのだ

通信端子のあるスーパーゲームボーイ2が発売したのはそれより後のことで、スーパーゲームボーイを既に持っている子供が買い換えるにもメリットが少なかった)


混ざれるはずなのに混ざれない

こんな些細なことで友人間ヒエラルキーは決まるのだ

一番は通信ケーブルを持つ友人

その下にゲームボーイポケモンを持つ友人

一番下が自分だった


悪意を持って明確に仲間外れにされることはなかったが

その場でポケモンを一緒に遊べる仲間の方が親交が深くなるのは当たり前で

それがすごく惨めだった



20年以上たった今、その時のヒエラルキーが流石にそこまで尾を引いているはずもなく

至って普通社会人として健やかに過ごせてはいるが

ふとあの時の疎外感を思い出す時がある


子供の時の玩具重要コミュニケーションツールであり

無かったら無いなりのフォロー子供同士ですることは難しい


現代の子供もそれにあたる玩具があって

他と同等に揃えてもらえない子は

かつての自分と同じように寂しい思いをしているのだろうかと

ぼんやりと思いを馳せるのだ




(5/10追記あり)

はてブを見る限り、結構共感があったようで、書いた甲斐があった。

寄せられたコメントの中からいくつか取り上げたいものがあったので、追記しておきます

ゲーム自体禁止の家庭で育った人

自分の回りにもいました。

貧乏から買ってあげられない、というケースは見なかったけど、親の方針ゲームを買ってもらえない子。

90年代当時の親世代にとって、まだゲームへの偏見や未知なるものという認識は多かったと思います


やはり、禁止されている子供は逆に執着してしまう傾向にありました。

友達の家を渡り歩く子供いましたねー。

大人になって反動ゲーム三昧の人もそれなりにいるでしょうね。

かく言う自分も、完全禁止でないにせよ少しずつ不便や不満を重ねていたので、

まだゲームやってます


スーパーゲームボーイを選んだ親の判断は正しかったのか?間違っていたのか?

これは、当時は仕方のない話かと思っています

特に恨んだとか、間違っていたとは考えていません。

子供コミュニケーションツールとして重要ポジションにあったことは理解できていなかったのですから


ゲーム世代が親になり、かつての苦労と大人目線での懸念から葛藤しているのもわかる話です。

ゲーム理解があっても程よい距離感で向き合わせるには難しいでしょうね。

ネット接続SNSの広がりもあり、フォローアップしてあげることの難易度も上がってしまいました。


自分の家に招けばよかったのでは?

自分の家に呼べば友達ゲームボーイを持ってきて、自分自分スーファミで遊べますよね。

ここは地理的問題なのですが、小学校から自分の家が一番遠くにあり、坂の上にありました。

いわゆる新興住宅地(○○台と名前のつくような所)です。集まるには不向きでした。

まり場になる友達の家がありましたが、ゲームが多かったり集まりやすい立地にあったのが大きな理由ですね。


ポケモンスタジアム(N64)で遊べばよかったのでは?

対戦というより、自分ポケモンを進めつつ、お互いの進行状況をその場で共有して楽しむ、という場でした。

ポケモンスタジアムは持っている子もいましたが、起動率はそこまで高くなかったですね。

ゲームボーイで何をしていたかと言うと、赤緑の出現ポケモンが違うので、

赤でしか出現しないマンキーを持ってない緑の子のためにその場でマンキーを捕まえて交換してあげる、なんて光景も有りました。

製作者にとっては理想の遊び方かもしれませんね。

うちの地域ポケモンスタジアムが脚光を浴びたのは、ポケスタ金銀が発売されてからでした。

しかし、そこまで来るとポケモン一色ってほどのブームでは無くなっていました。

あくまで、ポケモン赤緑の一時期だけがそれ以外がほぼ無いぐらいに占めるコンテンツだったんですよね。


他のゲームをやらなかったの?

やりましたよ!スーパーマリオワールド星のカービィスーパーデラックスなど。

ドラゴンクエストなど1人用RPGプレイしている様子を眺めつつ、自分は置いてある漫画を読みふけるなんてこともしましたね。

もちろんゲームだけじゃなく外でボール遊びもありました。

その話を盛り込むと要旨がボヤけてしまうので、今回はポケモン赤緑の話に絞っていました。

みんな揃ってポケモンに傾倒した時期があって、そこで疎外感を覚えたのは大袈裟に受け取ったことでもなく事実です。

バトエンカードすごろくなんかも出ていたので、ポケモンブランドを冠した交流ツールゲームに限った話でもないですけどね。


からでもポケモン始めてはどうか

あ、やってます

図鑑は剣盾時点までコンプしてますアンノーンビビヨンも今の所全種揃ってますよ。

対戦はあまり興味ないですが。

遊ぶ相手というか、語る相手がいなくなったのが悩みの種です。

友達はお店で買えないですからね。

財力ができたら別の問題が発生してしまいました。


タイトルだけでおおよそ内容が予測できてしま

ええ、それを狙いました。

あの時代を生きていた人が「ポケモン」「スーパーゲームボーイ」と聞いたら

ピンと来るだろうな、という期待を込めてタイトルに入れておきました。

2021-05-08

石原さとみさんの思い出

高校とき石原さとみさんががドラマに出だしててクラスメイト石原さとみ可愛いよねって言ったらB線て言われた。

俺が正しかった。

おしまい

2021-04-29

発達障害になるくらいなら生まれたくなかった

発達障害になるくらいなら生まれたくなかった


中学校はずっといじめられてた。みんなが当たり前にできることができなくて、どうして自分にできないのか理解もできなくてパニックになってよく泣いていた。勉強はできなくもないけれど得意な訳でもない。板書が極端に遅くて、授業後はいつも黒板消し係の人に急かされていた。運動は目も当てられないくらいできなくて、友達も少ないから体育の授業の「二人組をつくって〜」で余るのが常だった。中学くらいになるとそういう時に相手を探す行為自体無意味だと悟ったのでただ時間が過ぎるのを待っていた。そして先生と組む。

学校生活がうまくいかなくても頭がバカなので不登校という発想がそもそもなく、あと学校に行かないと親にクソほどキレられるので学校がある日は半泣きになりながらも登校していた。学校が嫌いだったか勉強も好きになれず、でも勉強しないと親に怒鳴られるので勉強は大嫌いになった。

勉強はしたくなかったか高校普通科ではない少し特殊学科を選んで入学した。これがたまたま合っていたのか、成績はクラスでも上位に入るようになった。授業は楽しいクラスメイトも優しくて、初めて学校いじめられなかった。高校卒業したら同じジャンル専門学校にでも行こうと思っていた。が、ある時担任にこの成績なら大学視野に入ると言われ、それを親に話したところいつのまにか第一志望が大学になっていた。高三の頃には中学いじめフラッシュバックメンタル限界を迎え、卒業式も保健室で迎えた。遅刻も多かったけれど成績は維持できていたので、地元のそこそこ良い大学指定校推薦で進学した。

大学生活は大変だったけれど今までで一番楽しかたかもしれない。

勉強の習慣がなかったか毎日の予習復習ができるようになるまで二年かかった。基礎もできていないから授業にもついていけない。それでも、今まで学んだことのなかった社会学心理学哲学法律外国文化歴史英語以外の外国語… 高校でやった普通科目がかなり少なかったのもあるのか、俺は義務教育でやったような国語算数理科社会みたいなやつだけが学問だと思っていたからとにかく衝撃で、全てが新鮮だった。

人間関係は相変わらずカスだったが、何とかグループに入れてもらってその人たちと一緒にいくつか講義を受けたりした。大学は一人でも勉強できる環境はあるけれど、「あの先生講義は楽」

だの「この授業が面白かった」「課題の提出期限が変わる」「今度こういうイベントがあるらしい」とかの情報があると段違いで勉強やすくなるから友人はいた方がいい。

大学三年のある日、そのグループの人たちに合わせて一緒に取っていた言語学関係講義発達障害存在を知った。

俺のことかと思った。

俺が発達障害

気になるとそのことしか考えられない。

数日後には県内発達障害を扱うメンタルクリニックを予約していた。初診は1ヶ月後しか受け付けていないと言われたがメンクリでは珍しいことではないらしい。素直に1ヶ月待つ。




「恐らく、自閉症スペクトラムと呼ばれる発達障害可能性があります




絶望した。


自分障害者なのかあんなに知りたかったのに、いざ面と向かって発達障害だと言われるとそこには絶望しかなかった。

俺は「あなた発達障害ではありません」と言われたかったのかもしれない。自分普通なのだとその証明医者から貰いたかったらしい。そのことに、発達障害だと診断されてから気付いた。

今までできないなりに努力もしたつもりだったけれど、お前の能力では努力してもどうにもならないのだと、現実を突きつけられた気分だった。

医者に進められるがままにwaisというIQテストを受けることになった。

waisの結果は最悪だった。

総合的なIQは平均以下の90、特に低い処理速度が65、作動記憶が70。

典型的ADHD、その上自閉もあるからコミュ力もない。

自分のできないことが数字として可視化され、心理士に読み上げられる。情けなくて悔しくて、でも誰にもこの感情をぶつけることができなかった。

俺はメンクリに来たことを、誰にも言えなかったから。

それから投薬が始まって、聞いたこともない名前の薬が沢山出された。

一番飲んでいた頃は一日で

ストラテラ120mg

インチュニブ2mg

コンサータ18mg

ルーラン12mg

セロクエル12,5mg

ルネスタ3mg

レンドルミン0,25mg

を飲んでいた。ストラテラのせいで異様に目が覚めるから睡眠薬で無理やり寝て、それでも3-4時間で起きてしまうから毎日睡眠不足だった。卒論がうまく書けなくてそれを主治医に言ったらこうなった。

卒論は何とか間に合い、俺は無事大学を卒業できた。

大学卒業後、よりによってアスペに不向きな接客業就職してしまったので結局ストラテラは減らせなかった。仕事はできない上に人間関係も上手くいかなくて、薬を減らしてもっと無能になるのが怖かった。夜は眠れない。朝が来たら仕事に行く。

その状態一年働いて、心身共に限界がきてついにこの前仕事を辞めてきた。

ストラテラもやめた。

一気にやめたら副作用なのかちょっとしんどかったけど。

貯金がなくなったら自殺しようと思う。

もう嫌なんだよね、俺が何かするたびにおかしい目で見られて、俺が喋ると会話が止まるの。仕事ができないのも悔しくて、だって俺さ、接客業やりたかったんだよ。この仕事に就きたかったんだよ。バイト接客業やってさ、楽しいなって思って就職して、でもできなかった。やりたいことだったのに、好きだったのに、できなかった。

俺は空気が読めなくて、喋り方もおかしいかダメなんだって

普通じゃないってなに?

数が多いってだけでお前らが正しいの?

俺がおかしいから、お前らに合わせないといけないの?

指摘されたこととか、怒られたことを思い出して俺の何がダメだったのか、どうすればよかったのか考えてるんだけどさ、

もう何も考えたくない

何も考えたくないよ


貯金が尽きるまでは本を読んで、ゲームをして、アニメを見る生活を楽しもうと思う。

多様性を認める社会

ダイバーシティ

そんないつ実現するか分からない理想社会を語るんじゃなくてさ、今困ってる俺を今助けてくれよ。

発達障害に生まれた俺が全部悪かった

発達障害になるくらいなら生まれたくなかった

2021-04-28

狂気が足りなかった母

https://topisyu.hatenablog.com/entry/2021/04/28/073000

さんざん学校見学説明会文化祭連れてったけど、うちの子ダメだったな。

①晴れた日に、②子ども趣味・特技に強い学校説明会文化祭に連れてったよ?

でも彼の趣味学校外でやることだし、自分のペースでやりたいから、学校内でみんなとやる意味を見出せないようだった。

地元公立中のボロ校舎にも入ったことあるけど、私立きれいな校舎とか設備とかどうでもいいって感じだった。

クラスメイトと違う中学行きたいって動機で始めたけど、学年上がってクラス替えあってそんな気もなくなったみたい。

から受験させるの諦めた。私が。「憧れの志望校」もないのにハード勉強乗りきれんわ。

6年進学時に意向確認したら、趣味止める気ないし、止めてまで勉強したくないっていうし。

受験しなくても高校受験あるし、あんたは公立で内申取るの大変そうだけど覚悟あんの?って聞いたけど、まあピンとこないわね。

夫も私も私立一貫校出身で、一貫校の良さ有利さは身にしみて実感してるから、まあホント諦めきれんとこあったけど仕方ない。

今はとりあえず楽しそうに公立通ってるが、どうなることかねー。

2021-04-27

ちゃん

もう二十年近く前の話になるが、小学四年生か五年生くらいのときクラスに瞳ちゃんという女の子がいた。

いつも綺麗で真っ直ぐな黒髪おさげにしていた。

ちゃんはいつも黙々とノートをとっているような真面目な女の子で、いつも1人だった。

はいっても、寂しい感じの孤独ではなく、強い感じの孤独だった。

口をきっと結んでじっと何かを見つめる姿が印象に残っている。

ちゃんが無口なのは孤独からではなく話せなかったからで、それが場面緘黙症(なのだろう)と知ったのはつい最近だった。

自分と瞳ちゃんはなんの関わりもなかった。

クラスメイトも特に関わりはなく、目に見える場面では先生特に関わりがないようにみえた。

ちゃんは誰かに意思を持って無視されたり、仲間外れにされてる様子はなかったし、彼女に関する悪口を聞いた記憶もない。

クラスメイトが優しかったというより、彼女はあまり認識されてなかったように思える。

多分みんな、国語時間に出席番号順に音読をする場面でそっと瞳ちゃんを飛ばす時くらいしか彼女認識するタイミングはなかった。

そのまま関わりもなく同じクラスである期間を終えるのだろうと思っていたが、進級間近の「お楽しみ会」で自分彼女と同じグループになった。

お楽しみ会3月最後の授業を発表の場とするクラス内の行事で、大体2月の終わり頃から週に一度準備するための時間が設けられていた。

内容は自由で、くじ引きで決められた班ごとにマジック披露したり、クイズ大会主催したり、モーニング娘。ダンスを踊ったり。ちょっとした文化祭のようなもので、自分たちはみんなそのお楽しみ会が大好きだった。

ただ、それは班が打ち解けた場合のみであって、自分たちの班は正直瞳ちゃんという存在を持て余していた。

準備期間の最初の一コマは大抵なんの出し物をするかを班で話し合うのだけれど、瞳ちゃんは話せないので会議は難航した。

自分たちはたまたま女の子だけの班になり、「モーニング娘。ダンスを踊りたい」とほぼ全員が挙げていた。

しかし瞳ちゃん意見はそこに入っておらず、このまま決定していいものかと全員で不安気に瞳ちゃんの表情を伺っていた記憶がある。

当時は彼女がなぜ話さないのか、もしくはなぜ話してくれないのかとしか思っておらず、彼女にとってあの時とてもしんどい時間を過ごさせてしまたかもしれない。

自分たちは彼女に「何がしたい?」「何もしたくない?」「嫌なこと(やりたくないこと)はある?」「この班の誰かと話したくなかったりする?」と質問をした。

浅慮すぎて、はいかいいえで応えられる質問をすればいいと気づけなかった。

ちゃんは黙し続けていた。

そのうち誰かが「何をして欲しいか書いてもらおう」と言い出して、彼女ノートに何を書き込むのか全員で注視する。

ちゃんは真っ白な自由帳に「なぞなぞ」と大きく書いた。

結局自分たちの班は、モーニング娘。ダンス披露した後に、なぞなぞコーナーを設けることにした。

準備期間を通して、自分たちは瞳ちゃんノートを介してコミュニケーションを取ることを覚えた。

彼女ノートがあれば普通に会話ができたし、自分たちとなんら変わりない小学四年生だか五年生の女の子だった。

お楽しみ会なぞなぞコーナーは、瞳ちゃんが画用紙に大きく問題を書き出題する形になり、後ろの席で見づらいと声が上がれば自分たちがそれを読み上げてフォローをして、それなりに盛り上がったと思う。

それがその年度の最後の授業で、翌年自分は瞳ちゃんと別のクラスになったのでもうなんの関わりもなくなってしまった。

ちゃんには配慮のない質問発言で辛い思いをさせてしまたかもしれないけれど、あのなぞなぞコーナーを瞳ちゃんが楽しんでくれたなら良かったと思うし、もし今後場緘黙の方と関わることがあれば、もっと上手く接そうと思った。

ちゃんが元気だといいな。

2021-04-26

コミュ障とどうしたら発展するかな

クラスメイトくらいの、話しかければ応えてくれるけど自分からしかけてこない子、図書館かにいそうな子とかと仲良くなったり恋仲になりたいけど、私にはもう「クラス」がないな〜〜〜

2021-04-25

中学の時に仲のよくないクラスメイトがいた

ジャイアンタイプで、まあデカい顔をしていた

自分は地味グループでひっそりやってた

嫌われた理由はよく覚えていないが、人づてにジャイアン自分のことを嫌っている、と聞かされた

そう思うとたしかに態度に棘があったような気がする

嫌われて態度も悪い相手好意を持てるはずもなく、こちらも苦手に思っていた

中学卒業して高校進学となって、ジャイアン受験失敗の話が聞こえてきた

あいつ、○○高校落ちて定時制だって!○○ですら落ちるとか笑 バカすぎるよな」

伝えてくれた友人もジャイアンを嫌ってたんだなあ、と思えた

ジャイアンの家は飲食店経営していた

その後、ジャイアン実家仕事を手伝ってるとか何とか聞いたような けどそれも10年以上前の話なのでわからない

2021-04-19

"いじめ"は犯罪意識を薄める言葉

いじめという言葉があるせいで、いじめがなくならないのだと思う。

いじめは、脅迫恐喝暴行侮辱強要窃盗器物損壊等などの要素を複数含んでいるため、いじめという言葉を使わずに、

暴行を受けた」や、「窃盗被害にあった」のような適切な言葉を使うべきだと思う。


脅迫された。恐喝された。暴行を受けた。このような場合どうするだろうか。

程度によって変わると思うが、最終的に警察相談に行くと思う。

では、これらの犯罪要素を含む"いじめ"を受けた場合はどうするだろうか。

学校先生相談しようと考えるが、警察相談するという選択肢最初に浮かぶ人はあまりいないと思う。

これは、脅迫恐喝暴行侮辱強要などは犯罪だと認識しているが、"いじめ"は犯罪として認識していないことが大きいと思う。


このような状態になってしまった理由は、大きく2つの理由があると思う。

学校教育機関

加害者未成年

学校教育機関であり、加害者未成年のために、犯罪として罰するより、まずは加害者教育しなけらばならないと世の中に認知されてしまっているのだと思う。

いじめ被害を受けた家族は、警察相談することを考えると思う。

だが、警察相談するとなると、クラスメイトを含む学校全体を巻き込むことになり、今後の子供の人間関係や今後の生活意識し、できないことも多いのではないのかと思う。

なぜ犯罪を受けた被害者が人間関係を気にしないといけないのだろうか。

"いじめ"は犯罪であるにも関わらず、警察通報するのは特殊なことだと認知されているからだと思う。


学校先生立場としても”いじめ対応となると、何をしていいかからないと思うし、先生によって対応が変わってくると思う。

学校先生教育専門家であり、犯罪専門家ではないからだ。

教育専門家である先生に、犯罪対応をさせ、その結果により被害の子供の人生を左右されるから必ず成功しろ。というのはさすがに求めすぎではないかと思う。

学校という特殊な要素を無視したうえで、

学校先生に「窃盗被害にあったのですが、どうしたらいいでしょうか」と相談した場合警察相談してくださいとなるはずだ。

100人中99人くらいはそういうのではないか

加害者教育はどうなるんだ!と思うかもしれない。

だが、日本には矯正教育社会復帰支援を行う専門の施設存在する。少年院だ。

教育の専門=学校

犯罪の専門=警察

矯正の専門=少年院

とそれぞれの専門家がいるので、それぞれ専門に任せたらいい。


何度も言うが、いじめ犯罪である

だが、いじめという言葉オブラートまれているせいで、犯罪という意識が薄まってしまっていると思う。

「こらー、わんちゃんいじめちゃだめでしょー」と親に注意されたことはあると思う。

いじめ加害者の子供が持ついじめへの認識はこのレベルなのである

脅迫恐喝暴行侮辱強要などは刑法として、明確に記載されているが、"いじめ"は記載されていないのである

いじめという言葉犯罪意識を薄める悪い言葉だと思う。

2021-04-18

anond:20210416111343

中高のクラスメイトとこんな感じの付き合い方をしていた

交友関係が「広く浅く」な人になっていた それがいいかどうかというより、無い物ねだりで狭く深くの関係を求めるようになったね

2021-04-15

そうはいっても異世界に転生したくない?

俺は結構したい。何らかのチートのある人生は味わってみたい。

 

あとソードアートオンラインプレイしてみたいし、

突如テレポート能力には目覚めたいし、

事故で乗り込んだ巨大ロボットの適正が俺にだけあってほしいし、

親の都合でたまたま同居することになったクラスメイトの女となんやかんや乗り越えたりしたい

 

あとなんかある?

最近はてなって低年齢化が激しくなってないか

時代背景が今とは違う

豚肉なんて今とはぜんぜん違う価値

俺もバナナなんて食べたことなかった

小学生の時、クラスメイトが高熱で何日も寝込んで学校来れなくて

お見舞い行ったら「牛乳飲んだんだ」って自慢してて、とっても羨ましかった

その数日後にそいつは死んだけど、今思うとそれを予期してたか

親御さんは当時は高価だった牛乳を飲ませてやったんだろうなぁ

医者に見せる程の金はないけど、牛乳ならなんとか買ってやれる、そんな時代だった

2000年代まれ若者理解出来ないだろうな、俺らはてな民の幼少時代の話は

2021-04-12

「三塁で生まれただけの人たち」批判に覚える違和感

親に学歴資本があると、子も十分に教育文化的資本に触れる機会があり、

今の自分地位努力ではなく単純に生まれの差だ、ということらしい。

かにその側面はあるだろう。東京23区金持ちに生まれ子供と、

地方田舎で両親は農家なので旅行やお出かけなんてほとんどしたこともない子供では、

知っている世界や、文化や、与えられる選択肢は段違いだと思う。

からと言って、今高学歴高収入を手にしている人の努力無視して

(あるいはそんな努力なんてとても小さいものであるとして)

まれの差でしょ、と帰結するのはとても嫌な気持ちになる。

私自身、人口3万人もない田んぼに囲まれ田舎で生まれ育った。

東京10年ほど暮らしているけど、選択肢可能性は段違いであると断言できる。

でも、勉強して、(あくま地元から通える範囲の)ちょっとだけ良い高校に入り、

そこでも勉強して国立大学に入ったのは自分努力だと思いたい。

なぜなら、ほぼ同じような境遇だったクラスメイト達は、

専門学校短大Fランと呼ばれるような大学に進み、

仕事転々とし、今も地元で良い車に乗ることをステータスとして生きている。

受験の際には塾や予備校に通わせてくれたし、

大学は月4万円の仕送りをもらって一人暮らししていたので

私も十分2塁や1塁で生まれた人であるという自覚はある。

一応断っておくが、それ以外の学費生活費や教材のお金はすべてアルバイトで稼ぎ、

卒業後は東京で働きながら月3万円の仕送りを今も続けている。

親は別にいらないと言っているが、これは大学まで出してもらったことへの恩返しだ。

思えば親に「勉強しろ」と言われたことはないし、進路でもとやかく言われた記憶はない。

いつも私の選択肢尊重してくれていたように思う。

そういった意味では良い親だったから、今の自分があるのでこれも生まれ場所が良かったと言える。

しかし、誰もが誰も、環境が良かっただけで、何もせずに今があるわけではないのだ。

受験の時は何時間勉強したし、大学生活もそこそこ遊びながらちゃん単位は取った。

就職して終電帰り土日サービス出社も当たり前のようにやっていたから今があるのだ。

まれアドバンテージやディスアドバンテージ絶対にある。

でもそれだけですべてが決まってしまうような、あるいは今高い地位にある人は単純に生まれが良かったからだ、

というような決めつけに対しては声を大にして違うと言いたい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん