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2021-07-19

藤本タツキルックバック』を読み解く

振り返る藤野

全てはタイトルに集約されている。振り返るとそこには二人の思い出があり、しかし振り返ったところで藤野京本を救い出し、かつ知り合うことなどできず、京本藤野マンガをやめるというあやふやな決意を振り返らせてくれている。振り返ることがすべての起点になっており、かつ振り返れば君がいるという演出上の意味も含んでいる。実際に藤野はことあるごとに京本を振り返っており、フラッシュバックの折にも背中京本のことを感じている。ところが藤野背中をより感じていたのは京本の方であり、彼女美大受験後も藤野漫画を買い続けてサイン入りのはんてんを部屋に飾っていた。

二人のメンタリティ

ルックバックは振り返るという意味の他に、背中を追いかけるという意味も含まれている。京本藤野背中へのサインを書かせ、藤野を追いかけたいあまりに、せめて画力では随一になりたいと美大受験を決意する。この思いはすれ違って藤本に伝わり、藤本は一度は美大受験をやめるように進言する。この背後には藤野京本よりも自立していない内面が潜んでいるが、それは前項の通り藤野メンタリティにつながってくる。つまり藤野は常に過去思考型で未来を見ずに下を見て過去を見るタイプだったが、京本は上に憧れて未来を見るタイプだったということだ。

未来志向と過去思考

京本が常に未来を向いていた理由は、京本メンタルが常に引きこもっていて外の世界を知らなかったからであり、拡大思考しか存在し得なかったためだ。一方で藤野は冒頭の豊富人間関係から一度はマンガすら諦め、空手(手に何ももってない、という比喩)に逃げて失う方向へと舵を切っている。この一見した外面とは裏腹な藤野の内向性は、ラスト付近まで京本との「もしもの未来」を連想させる。マンガコマをよく見ると、京本が全く何事も連想できない人間であることに対し、藤野はすべてを戯画化できる想像力を持つ人間であることがわかる(この発想は作家は不幸なときでも不謹慎ときでも作品ネタにしてしまえるのではと考える、といった問題だけでなく、藤野自体いか京本に憧れられたか、という内面裏付け付与している)。

ルックバック

美大を境にして二対の関係消失し、孤独な部屋の風景のみが描かれる。そこには十分に背中を映した背景が使用されており、京本の姿はやはりない。しかしこの情景は実は(おそらく)藤野が思い出している孤独執筆作業風景であり、実は自分自分自身と常に戦って今に至ったのではないか、という思いがあった。実際にクラスメイトから無視され始めた彼女はほぼ一人で漫画家への道を成立させた。もちろん、この際述べた背景は他のアシでも描ける、という台詞強がりに過ぎない。こうしたいきさつから彼女の部屋には微妙な変化が見られる。最初クラスメイトに囲まれているのに孤独藤野の姿、後に京本と一緒に執筆する姿、後にまた一人に戻る姿だ。最大の変化は初心の頃に書いた4コマだろう。京本の部屋に投げ込まれ4コマ藤野は死後回収して自室に飾る。このことは京本ライバル関係であったと同時に仲間であり、しかし同時に合否を決める編集でもあったという現れに見える。ともあれ彼女孤独小学生から友情を知る中学生へと移り変わり、社会人で死を知って再び孤独でないことを知る。この描写を読者目線に変換すると、常に藤野背中を見る、という意味ルックバックという意味を成立させている。

犯人エピソード

自分罵倒する声が他人の絵から聞こえた、という下りは二人の微妙関係に適切ではあるが、実は藤野心象風景である「実は自分が殺したようなものだ(家からさなければよかった)」とリンクしている。よってあの話はデウス・エクス・マキナ的な殺しではなく、実質藤野心象風景京本を殺したと解釈したほうがスムーズに読める。ちなみに京本の部屋から最後に出てきた4コマは、藤野京本を助けるというものであった。つまりここで京本彼女を救うという妄想が受け入れられており、自分を救ったのはむしろ京本であったという逆説的な心境に至って立ち直るのである

並行世界説を否定しているわけではなく、当作はどちらかといえばその読み方が自然にできるようにしている。ただし現実は入れ替わらないことから、そのままちぎったマンガ京本の部屋に入り、救助するマンガが今の藤野の元に降りてくる、という演出ではないか個人的には感じている(※『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のオマージュだとしても)。最後漫画藤野がつるはしを背中に受けているマンガであり、彼女の代わりにつるはしを背負い続け、その重荷を目の前に飾っている。

戯画と写実と

マンガは極めて戯画的な分野であり、絵画ないし背景美術は(デフォルメも含んでいるが)写実の分野だ。現実性と写実性は漫画重要ファクターであると同時に、写実が戯画を殺し、戯画が写実を陳腐化させることも往々にしてありえる。そしてこの関係は補完関係でありながらも潰し会う関係であり、二人の関係はまさに一つの漫画だった。そうして我々が彼女たちの背中を見る時に、マンガのものをその背後に見るのである

また、以上の事実から藤野が主役であり、京本が「背景」であるという関係から京本が主役になりたいと切に願い、藤野背中を追いかけていた経緯も明らかとなる。故に彼女の死後の部屋にはたくさんの藤野の連載作品放置されている。

京アニ解釈は他の方が遥かに詳しく、こちらが書く意味はないと判断してのこと。

※誤字指摘ありがとうございました。

Background、良い解釈だと思いました。

anond:20210718051310

小山田圭吾ネットリンチするのはいじめと同じだからやめろって意見が、冷静な良識派を気取るやつらから出始めてるね。

違うんだよ、小山田圭吾のやったことを「いじめ」と捉えるからそんなエセ良識派なっちゃうんだよ。

あれは刑事事件に相当する陰惨な暴力。それも圧倒的な力の差で反撃できない弱者に対する直接的な傷害なんだよ。

たとえば小山田圭吾が「あるクラスメイトをみんなで無視したり悪口言ったりした」といういじめ行為告白したのなら、ネットリンチはそれと同じなのでやめろという論も成立する。

今回は違うだろ。直接的な暴力行為に対する言葉による批判だろ。

誰かが小山田圭吾に殴りかかったり、家の壁にバカ息子と落書きしたりしたら、それはやめろと言ってもいいよ。

そんなんだからいじめ」という社会的課題に対する解像度が低いままなんだよ。

いじめ許すまじ?

今みんながすごいいじめに憤ってる

謝罪しようと自分は忘れないしずっと許さんからなと。

私がいじめられてたときそんな奴1人もいなかったんだけど、みんな何してたの?

不幸にもたまたま当時私の周りには大多数ないじめ絶対許さん!な奴がにいなかっただけで、他のクラス学校にはたくさんいたのかもね。

たまたますごい低確率で助けてくれなかっただけで運が悪かったのかも。

だってネットを見るとほとんどの人がひどいいじめむちゃ怒ってるもん。

みんな私がいじめられてるの知ってたけどそんな熱量いじめに怒り止めに入ってくれた人いなかったな。

異物に触れないみたいな態度で傍観してたクラスメイト今どうしてるのかな?

こいつと絡むとやばいみたいな感じで誰に話しかけても当たり障りのない返事をして全員さーっと引いていったのびっくりした。

さーって音が聞こえるくらいの避けっぷりに思わず苦笑するくらい。

さすが進学校というか危うきに近寄らずみたいな処世術なんかな。

今になって思い返して心を痛めたりしてるの?

いじめ人達傍観した人達も誰も連絡くれないからわからないや。

ブクマカは同年代(ミドサーからアラフォーくらい?)の人も多いと思うんだけど、みんなすごく怒ってるんだよね。

一生許さんぞみたいな勢いの人いっぱいいる。

クラスには誰もいなかったけど。

その熱量で会いに来いよー。

茶も出すし近況でも聞かせてよ。

そんな感じで今この感じなんか変だなーと思って見てる。

障害者支援団体小山田圭吾いじめ加害に声明「強く抗議」「極めて露悪的」「重い説明責任

 

小山田圭吾氏に関する一連の報道に対する声明

 

東京2020オリンピックパラリンピック大会における楽曲制作へ参加しているミュージシャン小山田圭吾氏に関する一連の報道について、一般社団法人全国手をつなぐ育成会連合会(以下「本会」という。)として次のとおり声明を発表いたします。

 

 新聞等の報道によると、小山田氏は私立の小中高一貫校に在学していた際、障害のあるクラスメイトに対し、筆舌に尽くしがたい苛烈いじめ行為をしており、そのことを平成6年1994年)および平成7年1995年)の2回にわたり、異なる音楽雑誌インタビューで赤裸々に語っていました。小山田自身も、公式サイトにおいていじめ行為があった事実を認めており、謝罪もしています。(ただし、あわせて音楽雑誌側に事実を誇張していた旨の主張もしています

 

 今回の事案について、本会としては大きく以下の3点が重大な問題点である認識しています

 

 (1)障害の有無に関わらず、いじめ虐待は許されるものではない

 

 小山田氏のインタビュー記事採録がためらわれるほどの凄惨な内容であり、いじめというよりは虐待、あるいは暴行と呼ぶべき所業です。このような行為は、たとえ学生という未成熟年代であったとしても、許されるものではありません。しかも、そのターゲットが反撃される可能性が少ない障害のあるクラスメイトだったことも考え合わせると、小山田氏の行為には強く抗議するものです。

 

 (2)小山田氏の行為は極めて露悪的である

 

 上記のとおり小山田氏の行為は決して許されませんが、学生という年代であったことを考慮すると、行き過ぎた言動に走ってしまうことはあるかもしれません。

 

 しかし、そのことを成人して著名なミュージシャンとなった後に、わざわざ高名な音楽雑誌インタビュー面白おかし公表する必要性はなかったはずです。極めて露悪的と言わざるを得ません。しかも、インタビューでの発言では明らかに障害者を差別的揶揄している部分も各所に見受けられ、少なくともインタビュー時点ではまったく反省していないばかりか、一種武勇伝のように語っている様子が伺えます

 

 (3)なぜ小山田氏が楽曲提供担当となり、留任させることにしたのか

 

 小山田氏の公式サイトによると、「過去言動に対して、自分自身でも長らく罪悪感を抱えていたにも関わらず、これまで自らの言葉で経緯の説明謝罪をしてこなかった」と明記されており、東京2020オリンピックパラリンピック大会における楽曲制作への参加要請があった際にも、組織委員会に対していじめ加害者であったことは説明していなかったことが色濃く推測されます

 

 あれだけ露悪的なインタビュー公表されているにも関わらず、なぜ小山田氏が自身を「いかなる差別も禁じる」としている五輪憲章を掲げるオリンピック、そして障害アスリートの祭典であるパラリンピック楽曲提供を担当するに相応しいと考えたのか、理解に苦しみます。同様に、そのような小山田氏を起用し、今般の事案を踏まえても留任させる決断をしたにも関わらずまったく公式説明を行っていない東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会には、重い説明責任があります

 

 本会としては、すでにオリンピックの開催が直前に迫っており、小山田氏も公式事実を認め謝罪していることも勘案して、東京2020オリンピックパラリンピック大会における楽曲制作への参加取りやめまでを求めるものではありません。

 

 しかし、今般の事案により、オリンピックパラリンピックを楽しめない気持ちになった障害のある人や家族関係者が多数いることについては、強く指摘しておきたいと思います

 

 小山田氏が露悪的であったことも含め心から謝罪をしたのか、それとも楽曲提供に参画したい一心でその場しのぎで謝罪をしたのか、本会としては小山田氏の言動東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の動向について、今後も注視してまいります

 

 令和3年(2021年7月18日

 http://zen-iku.jp/info/4353.html

 

 

関連増田

オリンピック放映権持つNBC報道始めたな。海外メディア虐待って書いてるから

https://anond.hatelabo.jp/20210718233933

  

▼ まだコーネリアス話題やりたいみたいだから世間の反応持ってきたよ

https://anond.hatelabo.jp/20210718064636

 

▼ でもみんなずっとこういう反応だったじゃん。海外リスナーの反応は違ったけどな

https://anond.hatelabo.jp/20210718194852

https://anond.hatelabo.jp/20210715175156

https://anond.hatelabo.jp/20210715162422

  

コーネリアスパラリンピック

https://anond.hatelabo.jp/20210717132809

 

😩

anond:20210719022936

2021-07-18

あなたイジメ加害者ではないのか?

私はイジメ加害者だったことがある。

殴る蹴る、物を隠す、物を壊すという行為をしていないが、イジメに加担していた。


中学ときだ。

うちのクラスに、みんなに嫌われている男子がいた。どんくさいブサイクコミュ障、不潔感がある、友達がいないとか、いじめの原因はそういうものだった。

クラス全体に「あいつはキモいあんなやつは嫌われて当然だ」という共通認識があった。

一部の者たちは、彼をわざとらしく嫌ってみせた。直接に罵声を浴びせるのではない。彼とは接近・接触したくないと、まるで汚物を避けるようなリアクションで拒絶するのだ。

私はほとんど参加しなかったが、完全に潔白とは言えない。みんなが彼を侮辱するから、私も少しはその行動に加わった。


ある日、これがエスカレートして、落書き事件が起こった。彼を中傷する内容だった。犯人は分からなかったが、先生激怒していた。

私はヤバいと気づいて、以後はイジメになりそうな言動を慎んだ。他のクラスメイトも同じだったと思う。


こうして表向き、いじめは収まった。

しかし、「あいつはキモい」という共通認識は続いた。

例えば席替えで、彼と隣になってしまった女子は、そのことを不快だとグチった。まわりも彼女に同情していた。

もはや、本人のいる前では侮辱しない。プライベート友達同士が集まったときに、みんなで苦手な人の悪口を言いあう。それをゆるやかにクラス全体でやっていた。


1年後くらいに、彼は不登校になってしまった。その後にどうなったかは知らない。


(※一部にフィクションが含まれています)

謝罪したら許さないといけない風潮が嫌い

話題になっている件を見て思ったことを書く。

私は小〜中学生の4年間、見た目のことでいじめられた。

特に酷かったのはそのうち2年間。私はブサイクなのだが、廊下を歩くだけで男子は私の方を見て笑い、すれ違えば見た目がブサイクという意味あだ名を大声で叫んだ。どうやらある部活の生徒の間で私がブサイクで蔑んでも良い存在だということが共通認識であるらしく、クラスメイトや顔見知りの男の子以外にも、私の知らない子も私を見ては笑って私を呼んだ。席替えをすれば常に隣の席とは数センチ机を離された。必要な連絡も全て無視されるか、「ブスがうつるからしかけるな」と言われた。休み時間を終えて教室に戻ると、私の机の上にあったをノート教科書、筆箱等はすべて床に落とされ、給食で使う道具(箸やランチョンマットなど)が入った巾着袋には靴の跡がついていた。掃除時間では私の机は誰も運ぶことなく、最前席の時は私の机に触りたくないからか、その列の机は全て残っていた。ロッカーに入れておいた私のスクールバッグか絵の具バッグか習字セットは床に投げられているか、箒で掃いたゴミと共に隅に集められていた。そんなことが毎日続いた。

当時は華やかな子が多い運動部所属していたため、女の子たちは仲良くしてくれた。そのため、学校で悔しい思いをしてもその場で泣くことはなかったが、休日駅前デパートに出かけた際、親の前で大声でその不名誉あだ名を叫ばれた時と、親が手作りで作ってくれた巾着袋や手提げバッグがゴミと共にまとめられていた時は悲しくて親に申し訳なくて家に帰ってから泣いた。

それから私は、毎日毎日顔を隠して歩くようになった。休日出かけたり放課後塾に行く際は、顔を見られぬように一年中フードをかぶりマスクをして歩いた。同い年くらいの男の子を見たらすぐに俯き、その子たちが通り過ぎるまで静かに息を潜めた。

中学卒業する頃には男子たちは飽きたのか、他のブサイクを見つけて標的を変えたのか(おそらく両方だと思う)、私のことを気にする人はいなくなった。ある程度高い偏差値学校に進んだためか、高校ではブサイク扱いされることなった。それから大学に進学し、私は今20代の立派な社会人になった。女は化粧やファッションで化けると言うのは本当で、学年中の男子からブスと言われていた私でも見た目を褒められるようになった。その見た目を使ってお金も稼いだ。もう誰も私を見てあのあだ名では呼ばないし、私物を雑に扱われることもない。

それでも未だに地元を歩く際は顔を隠している。地元で同い年くらいの男の子を見ると、あの頃の思い出がフラッシュバックする。あの頃のトラウマで、高校から醜形恐怖症やうつ病などいくつかの精神疾患発症し、現在でも完治していない。

もし私が今、あの頃のあの人たちに謝罪されたら、それは許すべきなのだろうか。わたし11年間ずっとあの頃の記憶に苦しめられている。忘れようと思っても忘れられず、地元を歩くとパニックになる。夜中に急にフラッシュバックして涙が止まらなくなる。今も人前でマスクが外せない。話す時もコンプレックスの口元を隠して話す癖が治らない。

幼馴染と親に懇願されて参加した成人式で、当時私の顔を笑ったクラスメイトに初めて名前を呼ばれて話しかけられた。飲みの誘いだった。あの頃私のことをあだ名で呼び、ブスがうつるからと蔑んだのと同じ口で、私を誘い、連絡先を要求した。私はその後、家に帰って泣いた。あのひとたちが私に与えた傷すら忘れていたことが気持ち悪かった。それでも、当時の彼らが「若気の至りだった」「反省している」「申し訳ない」と言うのなら、わたしはそれを受け入れ、あの時苦しんだ私もその後の11年も全てチャラにして許さなければならないのだろう。何事もなかったかのように笑うべきなのだ

謝罪なんて自己満足だと思う。謝罪を受け入れなければこちらが悪人になってしまうのに。受け入れられなかった私は、いつまでも過去に執着するキモいメンヘラ女になってしまった。子供のしたことすら許せなくてごめんなさい。それでもあの頃泣いていた私のために、そんな些細なことを忘れられない粘着質な私のために、私だけは彼らを一生許すことはできない。

2021-07-16

anond:20210716130711

今こそ文春などのゲスメディアは当時の小山田圭吾クラスメイトである被害者を探し出してインタビューすべき。

何が「今」ではなく「過去」となっただ。被害者本来謳歌すべきだった30年分の明るい人生を奪った代償はどうするつもりなのか。30年前に謝罪して多額の賠償金でも払えば被害者に負わせた傷は癒えないにしても形式上は多少は償えたかもしれないが、今となってはあまりにも遅すぎる。

初恋が終わった話

好きだと気づいたのはクラス替えの後だった。

小学5年生でクラス替えをした時、アヤトくんとクラスが離れ離れになってひどく落ち込んだ。

そこでわたしはアヤトくんのことが好きだったんだと自覚した。

特にかかわりのないまま夏を迎え、校外学習に行く準備が始まった。もう10年以上も前のことなので記憶曖昧だが、なぜかご飯時間に私の班だけがアヤトくんのクラスと合同でグループを組むことになって、たまたまアヤトくんと同じグループになれた。

一緒にカレーを作ってる写真卒アルに載っているので卒業後もたまに見返したりしてた。

放課後に通っていた書道教室が一緒だったので、たまに書道教室で会うことが密かな楽しみだった。

5年生の時はそれくらいしか思い出はなく、ひっそりと思いを抱えたまま6年生になった。

6年生になると、またアヤトくんと同じクラスになれた。毎日楽しくて、勉強なんか身に入らずアヤトくんだけをみていたし、2日間会えなくなるから金曜日が大嫌いだった。

告白も何も出来ないまま時間けが過ぎていった。

そもそも、付き合うことの意味も分かっていなかったわたしは、気持ちをどこに向ければいいのかもよく分かっていなかった。

それでもアヤトくんの優しさに触れる度に好きでどうしようもなくなっていた。

私は漢字ドリル計算ドリルを進めるのが好きだったのでみんなより早く1周して、勝手に2周目を進めていた。そんな時、アヤトくんも同じく2周目に進んでいることが分かって、なんとなく、どっちが先に2周目終わるか勝負ね!なんて言って幼いながらも接点を増やしていった。

ほとんど同じくらいのペースで2周目がおわって、私たちドリル3周目を迎えた。もはやドリルへの執着ではなくアヤトくんへの執着だった。

3周目がおわるころに、担任が私とアヤトくんの異常なスピードに気づいて、クラスメイトの前で褒めてくれた。どっちが先に3週目終わるかな?と先生が言ってくれて、先に終わったら金ピカのシールをくれると言った。金ピカのシールなんて別に興味がなかったけど私とアヤトくんだけの特別勝負が公になって嬉し恥ずかしの気分だった。

もうすぐ3周目がおわるころ、アヤトくんはなぜかスピードを落としてしまった。そして私は先に3周目を終えて金ピカのシールをもらった。

何も言ってなかったけどアヤトくんはわざと負けてくれたんだと思う。その優しさでまた心がぎゅっとなった。

アヤトくんはこんなに優しいから、結構人気な男の子だった。クラスメイトの中には他にもアヤトくんのことを好きな子がいた。

の子は、3年生の時に理科でアヤトくんが作ったモーターカーを間違えて踏んで壊してしまったらしい。小学生にとって、自分作品を壊されたら阿鼻叫喚してもおかしくないが、彼は笑って許してくれたらしい。それで好きになってしまったと話を聞いた時、私もまた好きが大きくなってしまった。

そうこうして卒業の時期を迎えた。中学も同じなので特別寂しさはなかったが、アヤトくんと1番近くで話せたのはこの時期が最後だった。

3月11日卒業式が間近に迫った寒い日だった。

帰る準備をしてる頃、視界が揺れた。

人生で初めて経験した大地震だった。

花瓶も、窓ガラスもわれ、ガタガタと物音が落ちる音とみんなの叫び声が響いてこわくてこわくて仕方なかった。

揺れが落ち着いてグラウンド避難する時、怖くて立ち上がれなかった私に、アヤトくんは手を差し伸べてくれて一緒に歩いてくれた。

この日がアヤトくんの一番近くに居れた日だった。

卒業して、中学生になった。

サッカー少年だったアヤトくんはなぜか帰宅部になっていた。帰宅部の怖そうな友達とつるむようになったアヤトくんをみてなぜか寂しくなった。

ほんとはアヤトくんめちゃくちゃサッカー上手いのに、なんでってずっと思ってたけど聞く勇気はなかった。

クラスも遠くて接点もなかった。しばらくして放課後にアヤトくんのクラスに用があって行ったら、アヤトくんは髪を伸ばしてチャラくなっていた。そしてリュックにはピンクのよく分からないキャラクターキーホルダーを着けていた。その隣に全く同じキーホルダーを着けている女の子がいて心臓がばくばくした。

一瞬で彼女だと悟った。

中学から一緒になった、出会ってそんなに時間もたってない子にいとも簡単に取られてしまうことを初めて学んだ。思いの長さは強さじゃないんだと知ってどん底に落ちた。

この彼女は私とアヤトくんがドリル競争を繰り広げてたことなんてなんも知らないのに、もう彼女になれてるんだ、ってよく分からない嫉妬をした。

結局アヤトくんへの気持ちを諦められないまま中2になった。アヤトくんは彼女と別れたらしい。

それでも自分から告白する勇気はなかった。

ずっと好きだと思いながら何も言えず、冬になった。

バレンタインを渡そうとして渡せなくてゴミ箱に捨てたのも確か中2の冬だった気がする。

同じ頃、修学旅行で隣の部屋で恋バナしてるからおいでと言われてるんるんで向かうと、ギャル女の子がベッドの上で楽しそうに話をしていた。

「それでー、ちゅープリ撮ったの!」

そう言ってギャルは顔を赤くしていた。

キスなんてしたことない私は、ギャル大人に見えて仕方なかった。その後まもなくしてちゅープリを見せてもらうとアヤトくんが映っていた。

その後の記憶はほぼない。帰りのバスは心が虚無だった。もうあの頃のアヤトくんはいないんだとわかって、それなのに自分はあの頃で止まっているのが悲しかった。

中3になると塾が忙しくなって、次第にアヤトくんのことを考える時間はほぼ無くなっていった。

アヤトくんの志望校すらも知らなかった。

でも、6年生の時にあれだけドリル一生懸命やってたんだから勉強は嫌いじゃないだろうしそれなりの高校に行くんだろうなあと思っていた。

卒業間近に、アヤトくんが市内のバカ高に進むと知って、ああそうか、と思った。

もう何もかも変わってしまったんだと思った。

高校に入って、私は別の人を好きになった。

アヤトくんのことはもう頭の片隅にもなかった。

時は経って、

18歳になるころ、アヤトくんはデキ婚した。

大学には行かず、就職して養っていくらしい。

もうずっと別の世界人間になっていた。

アヤトくんがパパか。そう思ったものの羨ましいの感情特になかった。

私は都内大学に通い、それなりに自分生活を楽しんでいた。成人式でアヤトくんに再会すると「俺の事覚えてないよね〜?」と声をかけられた。いや、覚えてるよ!と話して、今私は大学に行ってるよ、と話したら別の世界にいる人を見るような目で「すげ〜な!しっかりしてるんだな」と言われた。

それからまた時が経った。

アヤトくんは離婚したらしい。

ふーんくらいにしか思っていなかったが、意外なところでまた再開する。

出会いがなくマッチングアプリインストールして適当スワイプしていると、アヤトくんがいた。

同い年なはずなのにすっかりおじさんになったアヤトくんの姿があった。

子供もいるし結婚歴もあるのに、結婚歴も子供がいることも隠したプロフィールになっていて心底引いた。

わたしはこんなおじさんが好きだったんだと思うとどうしようも無い気持ちにおいやられた。

きょうで五十一歳のワイ、貧乏神なのを自覚する

まれからこっち、ワイの関わってきた人、物、事、家族、親戚、クラスメイト、先輩後輩、職場、友人知人。

…みんなみんな、酷い目に遇うし衰退していくんや。

仲良くしてたししたい人々も居ったし、もう二度と逢いたくない人や場所時代もあった。

なんでかな、ワイの通ったあとには、不幸しか残らんらしい。

…てかそもそもなー、ワイは他人に会うのが苦手、いやもうすっかり嫌やねんなぁ。

なんか世間適当に接して、ほんで実は眺めてるだけの人生やったし、意味はなかったんやなぁ。

 この度は、東京2020オリンピックパラリンピック大会における楽曲制作への私の参加につきまして、多くの方々を大変不快お気持ちにさせることとなり、誠に申し訳ございません。心よりお詫び申し上げます

 ご指摘頂いております通り、過去雑誌インタビューにおきまして、学生時代クラスメイトおよび近隣学校の障がいを持つ方々に対する心ない発言行為を、当時、反省することなく語っていたことは事実であり、非難されることは当然である真摯に受け止めております

 私の発言行為によって傷付けてしまったクラスメイトやその親御さんには心から申し訳なく、本来楽しい思い出を作るはずである学校生活において、良い友人にならず、それどころか傷付ける立場になってしまたことに、深い後悔と責任を感じております

 学生時代、そしてインタビュー当時の私は、被害者である方々の気持ち想像することができない、非常に未熟な人間であったと思います記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが、学生当時、私の発言行為によってクラスメイトを傷付けたことは間違いなく、その自覚もあったため、自己責任であると感じ、誤った内容や誇張への指摘をせず、当時はそのまま静観するという判断に至っておりました。

 また、そういった過去言動に対して、自分自身でも長らく罪悪感を抱えていたにも関わらず、これまで自らの言葉で経緯の説明謝罪をしてこなかったことにつきましても、とても愚かな自己保身であったと思います

 それにより、当時のクラスメイトだけでなく、学生時代に辛い体験をされた方々やそのご家族応援してくださるファンの方々に対しても、不誠実な態度を取り続けることになってしまいました。本当に申し訳ありません。

 学生当時、私が傷付けてしまったご本人に対しましては、大変今更ではありますが、連絡を取れる手段を探し、受け入れてもらえるのであれば、直接謝罪をしたいと思っております

 今回、私が東京2020オリンピックパラリンピック大会に携わることにつきまして、否定的なご意見を頂くのは尤もであると思います。また、このコロナ禍において、国民の皆様が不安を抱えるなかでの大会開催に関与することへの疑問のご意見も頂戴しております

 本来であれば、様々な理由から、私の参加にご不快になられる方がいらっしゃることを考慮し、依頼を辞退すべきだったのかもしれません。しかし、課題も多く困難な状況のなか、開会式を少しでも良いものにしようと奮闘されていらっしゃるクリエイターの方々の覚悟不安の両方をお伺いし、熟考した結果、自分音楽が何か少しでもお力になれるのであればという思いから、ご依頼を受けるに至りました。

 そのうえで、今回の音楽制作にあたりましては、自分なりに精一杯取り組んで参りました。それは、私だけではなく、他のクリエイターの方々も同様であると思います。故に、私の関与により、開会式不快な印象を与えてしまうことを心から申し訳なく思います

 この度、様々なご指摘を頂いたことで、あらためて、自分自身の在り方について振り返り、反省再考をさせて頂く機会を得ました。それにつきましては、ご意見をくださった皆様に、感謝すべきことだと感じております

 私が傷付けてしまったクラスメイトご本人へはもちろんのこと、長年の私の不誠実な態度により、不信感や不快感を与えてきてしまったファンの皆様や友人たち、関係者の皆様に、心からお詫び申し上げます

 一人の人間として、また、音楽家としてどう在るべきか、自分は世の中や周囲の人々に対して、どういったかたちで貢献していくことができるのか、常に自問自答し、より最善の判断をしていけるよう、一層の努力をして参りたいと思います

 小山田圭吾 2021年7月16日

https://news.livedoor.com/article/detail/20543362

anond:20210715230245

小山田圭吾インタビューなんて定期的に言及されてるのによっぽどコーネリアス知名度ないんだな

この件に関してなんやかんやいってる人たちもとにかく何か正義を振りかざしたくて仕方ないんだなとしかみえない

じゃあ君たちが彼らのクラスメイトだったときに今その振り上げた手でいじめられてる子を守ったか?ってちょっとだけ思っちゃう

加害者がやってる目の前できちんと被害者を守ってくれる人たちがどれだけいるんだろう、このネット文句言ってる人たちの中にね

旭川もそうだけどいじめ傍観者誰も守ってくれない

あいつらはなんてひどいんだ!人のやることだとは思えない!ふさわしくない!って後から言うだけなんだよ

2021-07-14

友達いないって言う人はなんなの?

かにつけて「友達いないから」と言う人がいる。「友達少ないから」とならわかるけれども、「いない」と言い切れてしまうのはなんなのだろう。現に、その話相手になっている私は友達ではなくなんなのか。「友達じゃなくクラスメイトだよ」とでもわざわざ言うつもりなのだろうか。私のように勝手友達勘定から外されている人が何名もいたりはしないか

実際には、本当の意味で、友達がいない人もいるだろう。そういう人がいることを推しはかることはできないのだろうか。本当に、なんなのだろう。

2021-07-11

anond:20210711235202

ごめん格闘技嫌いだからなに言ってるか分からんキックの強さは鍛えられてたか大人一人なぎ倒すくらいは容易だった

小6の時クラスメイトプロレスごっこ無理やり入れられてたんだが誘ったやつは見事に中卒ドカタになってた

2021-07-06

初恋は実らないって言うけど、私の初恋は散々な思い出だった。

小学校高学年の頃の話で、地味喪女のくせに好きになった初恋相手生徒会役員もしていたリーダーシップがありスポーツもできる、まあモテる典型的男子だった。(以下Aくん)

特別仲が良かったわけではなくて、Aくんは私のことをただのクラスメイトしか思ってなかっただろうし、告白することなんて一切考えなかった。5年生のときに隣の席になれたときはすごく嬉しかった。

6年生の時も同じクラスで、卒業までAくんと同じ教室で過ごせるなら嬉しいなぐらいの気持ちでいた。でもそこで事件が起きた。

ちょっと本題からそれてしまうけど、私は6年生の時クラス全員から無視されるいじめを受けていた。どうしてそうなったかというと、席の場所で決まる給食当番掃除当番を決める班分けがあったんだけど、運悪く強気タイプ女子B子男子C男たちに当たってしまい、地味喪女だった私はそのグループの中でパシリのような役割になっていた。今までも何度かこういうことはあったので席替えまでの辛抱だと思った矢先、飛行機距離に住む祖父訃報が入り、1週間ほど学校を休まなければいけなくなった。1週間後学校に戻ってくると、クラスメイトたちが私のことを無視したり、バイ菌扱いしたり、暴言を吐いてくるようになった。おそらくパシリの私が居なくなりいない間にB子やC男達が他のクラスメイトたちにあることないこと吹き込んだんだろう。私はクラスに1人も味方が居なくなった。

もちろんAくんも私のことをいつのまにか嫌っていた。クラスメイトから毎日の扱いのほうがしんどくて好きな人に嫌われたショックなんてもうなかった。

それでも私はAくんのことが好きで、卒業なんてすぐだしと意地で学校に通い続けた。この気持ち墓場に持って行こうとしていたのに、

あるとき私がAくんのことを好きという情報がAくん本人に流れてしまった。

いじめ被害に会う前、私は当時友達だったD子にだけ話していた。私は誰にも言わないつもりだったが好きな人居ないの?○○は?××は?と消去法で尋問されAくんの名前を出されてうそがつけずにバレてしまった。

D子はクラスが違うので、いじめを受けた6年生のときにはあまり関わらなくなっていたが、漏れたとしたらそこからだろう。

本人にバレたのは放課後だったけど、嫌いなやつ(私)に好意を持たれていたと知ったAくんはショックだったのか号泣しながら帰宅してた。そりゃ小学生だったらいくら男でもいやなやつに好かれてたら泣くよな、ごめんな私のせいで

でも自分が泣かせたとはいえ泣いてるAくんを見て覚めてしまった 1年半くらいだったけど秒で終わった初恋だった。

2021-07-01

鬼退治👹でありそうな展開

<あらすじ>

桃子🍑はどこにでもいるアジア系少女に姿形は見えたが人間ではなかった。

なにせ桃からまれているのである哺乳類であるかどうかすら疑わしい。

とりあえず彼女は、岩を卵のように砕いたり、鳥のように高く舞ったり、馬のように地を掛けたり、わかりやすスーパーパワーを持っていた。

持っていたが、異能がバレたら碌な事にならないと育ての両親にキツく脅されていたため、わかりやすく力を誇示することはなく、クラスの隅っこ女子として過ごしていた。

そんなある日、わかりやすく悪いやつら ONI 👹 が、桃子🍑の街を襲うーーーー・・・

 

 

JRPG日本アニメマンガの展開でありそうなこと

少女桃子が街のひいては世界の命運を個人で背負う事になぜかなる。大人達は碌に仕事をしない。

桃子と同じ ⚔SADAME⚔ を持った少女たちと萌えてくださいと言わんばかりにわちゃわちゃしながら ONI と戦いを続ける。

物語中盤で、 桃子は ONI 達と同じ種族であることを知る。

人類と ONI との間で 桃子葛藤するがなんやかんやで人類側について ONI を倒してEND。

 

 

ヤングアダルト小説アメリカアニメマンガの展開でありそうなこと

少女桃子が街の命運を背負う事態にはならない。大人達がちゃんお仕事して ONI たちを辛くも追い払う。

ちゃんお仕事したひとりが桃子叔父警察官やONI 対策レンジャーだったりする。

桃子大人達に普通少女として守られ、 ONI が現れたら施設にみんなと一緒にシェルター避難する。

避難途中で ONI に襲われていた いけすかないクラスメイト を桃子がそれとなく助けて距離が縮まったりする。

ONIとの戦いで傷つく警察官やONI 対策レンジャーたちを見た桃子は、

力ある者である自分も ONI と戦うべきなのでは?と両親に想いをぶつけるが、

「それは大人仕事桃子仕事勉強する・遊ぶ・避難指示があったらシェルターに逃げること」と諭す。

モヤモヤしながらもそれに従う桃子だったが叔父が ONI に囲まれピンチの場面に出会す。

それを助けて以降、桃子は両親の目を盗んで ONI 退治をするようになる。

そしてなんやかんやあって物語中盤以降で両親にばれる。

危ないことはしないでくれと両親の泣き落としにあって一度は従うがシェルターピンチに再び戦うこと選ぶ。

再度、両親から危ないことはしないでくれと言われるが、今度は従わず自分の想いを伝える。

この街の人たちを守りたい」

叔父バックアップはいって、なんやかんや両親は桃子選択を見守る事にする。

叔父フォローも受けつつ、桃子は生まれ育った街を守るヒーローのひとりとして力を振るうのだった。

2021-06-24

anond:20210623174432

分かるな〜

学生の頃、友達付き合いが苦手なのもあって部活仲間の「真の友達」以外は偽物の友達不要人間関係だと思い込んでたんだよな〜

クラスメイトと表面上だけでも仲良くするのも大切だったと今なら思うし友達全員と深く付き合う必要なんてないしそんなのそもそも無理なんだよな

人との間に距離感の取り方ってのがあることがずーっと分かってなかった。20代半ばくらいまで。

本音開陳が善で建前社交辞令は悪だと思い込んでたんだよなー。

すぐ本音をぶちまけるから気に入ってくれる人はちらほら現れるけど、大体の人には「空気が読めない」と思われていた。なんで空気なんか読まなきゃならんのかと思ってたけど。周りの方が大人だったな。

2021-06-22

anond:20210622144135

あー思い出した5000人ぐらい

かい数字は忘れたけど、5000人ぐらいだよ確か

なんか東大行ってもクラスメイトだらけだってボヤいてる奴がいたな

そりゃそうだよな5000人もいれば

2021-06-19

anond:20210618193835

だいたい俺は間違ってもアホと言われるような境遇じゃないぞ。

中学での成績ではほぼ主要五科目オール5で通してたし内申の自己最高は43だ。もちろん母校の中ではトップクラス高校入学後こそ落ちこぼれたがな。

それでも日本人全員を母数とすれば上から数えた方が早いだろう。

上には上がいるというが、下にも下がいるものからな。俺がアホということになったら俺が中学の頃のクラスメイトの大半なさしずめ知的障害ってことになっちまうな?

それどころか世の中の人間の大半は公立の小中出てるはずだが公立の生徒の構成なんてどこも大差ないこと考えれば俺をアホとするならそのうち90%以上がアホ未満ってことになるな。つまり世の中の人間の大半は知障や。

そんな馬鹿な話はないからつまりお前の言葉の使い方が間違ってるってことや。一体お前の成績こそどうだったんや?

2021-06-18

anond:20210616144912

流石に分不相応だが東大目指してて、そしたら追い込み入ってる11月かに先生から君は学力も足りてないしそれ以前にコミュ力が足りない、そんなやつは官僚にはなれないという趣旨のことを言われた。

んで根暗だったのに自分に嘘ついてそこからいきなりクラスメイトに話しかけるようになったらなんか憑き物についたように性格自体変わっていった。

心配した母親が無理に精神病院つれていったらそのまま糖質として保護入院受験できず今に至る。

欝病の原因を親のせいにされがち問題

なんでうつ病のみんな、二言目には親の接し方が悪かったせいで……って言い始めるんだろ。

いやアンタ仕事のせいで鬱なったって言ってたし俺も話聞く限りそう思うよみたいな人多杉よ。そこは上司じゃねえのか

たとえば学生時代クラスカースト低かったとかも影響するわけじゃん。そこはクラスメイトのせいじゃん。脳の特性デカイじゃん。遺伝子ガチャのせいじゃん?

全部ひっくるめて親のせいってしてる人多すぎやで

昔は親の育て方が悪いか発達障害になったとか言われてたけど、なんかそういう思考スタイルのままアップデートされてないって感じだよ

2021-06-11

悔しすぎて新しい音楽を受け入れられない。

小学生の頃、ASIAN KUNG-FU GENERATIONにハマってから音楽を大好きになった。

雑誌ネット情報をもとにアジカンメンバーが影響を受けた音楽を辿り、

昔の洋楽を聴き漁るようになった。


小遣いはほぼCDで使い切ってたし、

まだ画質が良くなかったYouTubeニコニコ動画で好きなバンドライブ映像を食い入るように見ていた。

中学生になり、親に必死で頼み込んでギターを買い与えてもらってからは夢中になって練習した。

ギターを抱えたまま寝落ちしたことも数えきれないくらいあった。

授業中もハンドグリップでずっと指の筋トレしてた。

クラスメイトから見たら当時の自分ちょっと様子がおかしかったと思う。

同級生バンドを組み、アジカンコピーをして文化祭ステージに立ったときの興奮はよく覚えている。


高校生になってからバンドは続けて、放課後スタジオに入り浸り、

バイト代ライブハウスにも通うようになった。

気付けば地元高校生バンドマンの中では飛びぬけてギターが上手くなっていた。

ギターバンド音楽が楽しくて仕方がない。

この頃にはもう音楽で食っていくことしか考えられなかった。

ライブハウスのステージに立つ憧れのバンドマンだけが理想の姿で、

他のあらゆる大人のことをバカにしていた。


親や教師から大学進学を進められたがそれを押し切って東京音楽専門学校入学した。

東京バンドを組み直し、プロを目指して活動を始めた。

バイト代ライブハウスのノルマ、機材、スタジオ代、打ち上げに費やし、電気やガスが止まることは日常茶飯事。

バンド活動に集中するため、専門学校に行く時間が勿体なく感じて退学した。

親には怒鳴られた。さすがにちょっと心が痛んだし、苦しかったけどそれでも音楽にしがみついた。


そうこうしてがむしゃらにやっていたら、バンドにそこそこの人気は出始めた。

ガラガラだった下北沢ライブハウスのフロアは少しずつ自分たちのお客さんで埋まっていった。

遠征先の地方でも自分たちを目当てに来てくれるお客さんが居る。

物販の売り上げはガソリン代に消えるけど、それでもギリギリ赤字じゃない。

ライブ終わりに業界大人から名刺を渡されることも増えていった。


きっと誰でも名前を聞いたことのある大手音楽企業スタッフさんが親身に自分たちの面倒を見てくれて、

そこの傘下のインディーズレーベルからミニアルバムリリースできた。

音楽雑誌や小さくだけど記事が載った。メディアサイトインタビューしてもらえた。

から聴いていた憧れのバンドツアー前座で呼んでもらえた。

下北沢の中でもまあまあ大きいハコのワンマンソールドさせた。

これ一本で生活できる金額じゃないけど、一応バンド活動給料を貰える。

スタジオ代もガソリン代もレーベル負担してくれる。

打ち上げ居酒屋さえ財布を出さなくていい。


夢が一つずつ叶っていったけど、そう上手くは進まなかった。

メンバーが家庭の事情地元に帰ることになり、バンドを脱退。

その数か月後にまた別のメンバーが体調を崩し、脱退。

正式メンバーが2人になってしまったバンドサポートメンバーを入れて活動を続けたが、

CDの売り上げもライブの動員も伸びないし、後輩バンドにも追い越された。

残ったメンバーとぶつかり合うことが増えて、結果的バンド解散した。


そう簡単に諦め切れず音楽業界への未練から東京に残り、

いろんなバンドサポートとして活動してみたり、

元々所属していたレーベルとのつながりでシンガーソングライターの後ろでギターを弾いてみたりしたが、

以前やっていたバンドを超えるような成果は出せなかった。


30代になった今、地元に戻って営業仕事をしている。

高卒20代ほとんどを音楽に費やし、同い年より数年遅れで社会人になった割には、

まあ悪くない給料を貰えている。


相変わらず音楽は好きだが、どうにも新しい音楽を受け入れられない。

正確に言えば、自分より一回り年下のバンドを受け入れられない。

かにみんな良い曲を作ってるし、演奏も上手い。メンバー個性もある。売れるのは分かる。


でも、そこって本来俺が立ってたはずの場所じゃないのか。

俺が出るはずだったフェス舞台に立ち、テレビ音楽番組に出て、タイアップを受けている奴がいる。

仕事中、ラジオから勢いに乗った若手バンドの曲が流れてくるとどうしようもない気持ちになってくる。


なんで俺は音楽を諦めてサラリーマンをしてるんだろう。

なんで機材車じゃなく社用車運転してるんだろう。

なんで俺の音楽人生は上手く行かなかったんだ。


悔しすぎて新しい音楽を受け入れられない。

2021-06-05

大手企業就職して初めて格差を実感した女

田舎進学校

地域で一番の学校だが、全国的にはまったく大したことない、平凡な自称進学校

高校クラスメイト(アラサー)がTwitterで、

地方私立大学を出て、一般職として大企業に入った。そこで初めて東大旧帝大早慶を出ているエリートと交わった。彼らから見ると私はゆるふわ一般職しかない。日本には超えられない格差があることを知った」

と書き込んでいた。

いやいやいや、同じ高校クラスメイト旧帝大国立医学部に進学してるやん!

スクールカーストの低いガリ勉男子を見下して、人間扱いしていなかっただけやん!

自分勉強しなかっただけなのに、社会問題にすんなよ!

と怒りがわいた。

2021-05-30

こういう昔ながらのWebサービスがほしいんだが

システム増田さんが入室しました
増田:うっすうっす
田中:あれ、今日は遅いね増田:いやー残業疲れたわー
スズキ:お疲れー
田中:おつおつー
スズキ:そういえば今日ダイゼノン見た?
みゆきラストのアレは胸キュンだったよねー


最近逆にこういうことできるサービスってほとんどなくない?

チャットMMOオワコンになったよねーって話題すら出なくなったレベル

コテハンとしてクラスメイトみたいにそのコミュニティに属せて、個人個人ちゃん雑談して、たまーにオフ会とかある感じのこういう感じの雰囲気ってもうネット上にはあんまり残されてないんだろうか。

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