はてなキーワード: カリとは
ジョージ・オーウェルがかつて1984年の中で予想した「ビッグ・ブラザーが見ている」世界になってしまった今、社会的弱者だとか、性的なまなざしがどうかなどを気にしながら生きていかなければならなくなった。
日々、心をすり減らしながら働いて、ほんのひとときの慰めすら焼き払われるようになってしまった令和2年の空気に、政治的な正しさとやらが自分たちの日々のくらしにはなにももたらしてくれないことに気づきつつも、いつかは報われる、そう思いつつ過ごしていたと思う。
一見、素晴らしく見える言説。
貧困をなくそう、飢餓をゼロに、すべての人に健康と福祉を。
SDGsの17のゴールについて、文句を言う人はいないだろう。だって、そうあった方がより良い社会に見えるから。
これに反論するには、謳われているこれらのテーマよりより強い強度で、反証しなければならない。
しかしこれらのゴールは、そもそも反論する必要すらない、無敵の命題なのだ。
ひとは多くのテーマを投げられると混乱してしまう。マジックナンバー5と言われるように、17のゴールなんて扱えようもない。
それでもテーマ単体はそれぞれどうしようもなく正しい。ただしいのだ。
そうやって少しずつ罪悪感を逆手に取り、気づかないうちに、正しさを盾に作り上げてきたディストピアは我々が暮らす社会を次第に蝕んでいったように 思える。
こんなことネットで言ったら社会的に死ぬよね、みたいな枕詞をつけて、対面で、「ここだけの話」をするようになってしまっている。
1984年で描かれていた監視社会は気がつけば現実のものとなっていた。
そんな時代に暇空茜氏が登場したのは痛快この上ない出来事だ。
私はapos時代やブラウザ三国志時代の空白氏を存じ上げなかったが、Twitterにて「暇な空白」として現れた以降、フォローこそしていなかったがリストに入れて彼の振る舞いを眺めていた。
すぐレスバ対象にマウントを取るし、ピンフスキーにウザ絡みをし続けるさまなどは、見ている分には昔のインターネットが戻ってきているような気がして個人的にはめんどくさそうだけど好ましく思えていた。
彼を好ましく思わない人からは、承認欲求に狂った躁状態であるという揶揄を目にしたが、それは誤りで今も昔のインターネット然とした振る舞いの延長であると思う。
忖度なくマサカリを投げ、雄叫びをあげる猛獣でありつづけるだけであり、私のような新参から見ても変化してるとは思えない。
とにかく氏は特殊個体であることは間違いないが。そういう人なのだ。
そんな彼が暇を持て余して?始めたウソを暴くという戯れだが、この話を追っていてずっと感じていることがひとつある。
彼は一切攻撃していないのだ。
ただ淡々と記録をつまびらかにし、過去のデータや発言と照合して、それらを解説してオープン化しているだけにすぎない。
それが攻撃だと感じるのであれば、自身の振る舞いを顧みた方がいいと思うが、それはまた別の話。
正しい「とされる」ことをしているから、多少難があっても多めに見てもらえる、というバリアが彼の行動によって無効化されつつあるように見える。同時に相手がたの反論や非難の矛先を全て彼が受けることによって、矢面に立ちたくない、立てない事情がある他の人間も行動に参加できるようになっているのだ。
結果、暇空氏が一人で叩き出せるダメージよりも遥かに大きな数値を稼ぐことができていると思う。
むろん、暇空氏一人が攻撃もしなければならない場合だったとしてもかなりの数値だと思うけれど。
こういった暇空氏が端緒となった調査行動だが、彼が裁判費用として集め始めたカンパの金額を見るに、社会的に大きなムーブメントが産まれていることは疑いようがない。皆、彼に望みを託したいのだ。一方で、Twitter以外のソーシャルメディアではこの話題をあまり見かけない。
だからマイナーな運動なのだ、影響はないという意見になってしまうのはわからないでもない。しかしこれは(あくまで私の個人的な見解だが)実態を窺い知ることができないという観点から正しくないと言えるだろう。
私のFacebookのフレンドには、暇空氏が言う83-2人委員会の人間がいる。「ナニカ」に近いと目される組織で勤めている人間も複数名いる。財団の犬も。
社会人として、そんな交友関係の中で、この関連の記事に言及なんてできないのは自明であろう。
関係性に色々なグラデーションがある中、83-2人委員会に名を連ねているけれど、今のあなたの見解は?なんて今のインターネットの世界で聞けるわけがない。そしてそもそもFacebookは国内においては仕事の告知や自慢しか流れてこなくなっている斜陽気味のメディアだ。
わざわざ、波風を立てるようなことを書かないのだ。書いてしまうような人は狂人であろう。(おそらくその手のタイプの人はフレンド関係のままだけどフォローをはずされているだろう。)
しかしながら、わたしと同じようなソーシャルグラフを持つ友人とリアルで飲む時に、ポロッと話題に出してみると面白い反応を得られるのだ。
お互いの認識を恐る恐る確認するようなやり取りをした後、「あれまじでやばいよね」みたいな形になる。
そして、「暇空にカンパしたもん」というように、陰ながら支持している旨を明かす。「おれも」と返す。そして、「これはFBでは言えないよねー」「そうそう、角が立ちすぎる」なんて会話になるのだ。
極めて個人的なサンプルであるが、800人くらいフレンドがいる中で、その中で近似したソーシャルグラフを持つ200名の中で、たまたまリアルで会う機会があった人のうち15人弱がそんな感じだった。
普段積極的にインターネットに触れている党派性に染まっていない層はWBPCの話について好ましく思っていないと思っていいんじゃないだろうか。
一方で、ソーシャルグラフが近くない友人、実家近辺の友人や大学時代の友人はこの問題を認知すらしていないからここが課題だと思われた。
左のいつメンがいれば、同様に右のいつメンもいて、一般的な生活者だったらどっちのいつメンの話も聞きたくないのだ。怒りに満ちた言葉や、皮肉になってない当て擦りの言葉なんかもう、たくさんなんだよ。
そういういつメンは言葉遣いも悪くなる。怒っている人には近づかなくない。だから先鋭化する。
そんなところに突如として現れたのがこの冷静さに満ちた動きなのだ。観客をするにもリテラシーが必要とされる。
かわいそう、良さそうといった感情によって蹂躙されてしまった社会と世間を取り戻す智慧の革命と言っても過言ではない、かも。
あけすけに語られる不恰好な言説ではなく、冷静にウィットを込めて、時には自虐も入れてソフィスティケートされたうえで投げかけられるから、抵抗なく飲み込める。これを冷笑という向きがあるのかもしれないが、そう知覚してしまうこともわからないでもない。しかし、冷笑というよりはポップであると感じる方がおおいのではないだろうか。
本件はもはやcolabo問題ではない。
ナニカが何かは観客席の人間からはわからないが、最終的にはナニカ疑獄に収束すると思うし、そう願いたい。これは静かな、静かでポップな革命だといえよう。これがきっと、戦後の本当の終わりを示す標なのだと思う。
印税入って通帳見たら振り込まれていたのは二次利用の電子分かな?っていうめちゃくちゃ低い金額で二度見した。
今まで出てた単行本の部数から比較しても少なすぎない?という数だったので、色んな物削って真面目にやるのが馬鹿らしくなるわ。工場動かすのだって損だろう。
頑張ったお金っていう判りやすい価値の見返りがなかったのでガッカリ。
別に何万部も刷れって言いたいのではなくて、せめて並の金額を出してくれというだけだよ。
今後のやる気もごっそりなくなった。
よく発行部数少ない漫画に、聞いたことあるかもというタイトルが上げられてるけど、それは売れてる方の漫画です。
売れてない作家はタイトルすら知られてないし本もないので手に取られることすら無いですよ。
検索で出てくる部数はたいてい売れてる方です。
擦ったら射精するのはわかる。
でもどういう段階を経て射精に至るのかが自分の体なのによくわからない。
擦っても射精できない時もある。そういう時はガッカリする。ふがいなさで涙が出てくる。
まず男性器を大きくすることだが、エッチなものを見ただけで勃起することもあるし、エッチなものを見ながら男性器を触って勃起させることもある。
次に、男性器を触り続けると気持ちよくなってくるが、まだ射精しそうという感覚は来ない。この射精しそうという感覚に至れない場合、いつまで経っても射精できなくてそのうち勃起も終わってしまってガッカリする。
男性器を触り続けているとカウパー液が出てくる。カウパー液が出ないと射精できないかというとそうではない気がする。うまく言えないけどカウパー液は必須条件ではない気がする。
射精するためには射精しそうという感覚を呼び起こす必要があるわけだが、その効率的な条件がいまいちわからないため、現状は尻や足に力を入れてみたり、ぐっと男性器に力を入れて勃起を高めてみたり試行錯誤している。他のお兄さん方はどうされているのでしょうか?
そうこうやって射精しそうという感覚が来たら、後はいつ射精するかという段階になる。とは言っても、この段階になると逆に我慢できずに射精してしまうこともある。変なタイミングで射精すると気持ちよさが中途半端になってしまうのでガッカリする。出来るだけ気持ちよく射精するには、擦る力を強めて勢いのよい射精ができるように集中することだ。擦る力を強めなくても気持ちよく射精できる方法は残念ながら知らないので、最後は擦る力を強めている。こちらの点もご意見をお聞かせください。
前回おでんつついたのが1週間まで昨日ちょっとつついて食べーの。
今メンバーは
一番ボリュームで食べ応えのあるであろう
玉子で戦っている感じだわ。
どこに出しても煮すぎのおでんで恥ずかしくないぐらいよ。
味もしっかり染みているわ。
でもやっぱりさすがに
次のメンバーも控えてるのよ!
次のメンバーが控えているので、
なんとかちょっと食べ進めて
投入したいところよ。
これもういい加減今シーズンおでん終売閉店セールしようかしら?って思うのよね。
食べることより作るのことが好きなのよ。
きっと。
おでんの鍋が。
そんで私が目論んでいるおでんの鍋で精製された旨味しかない三獣脂でつくる炒飯もまだやってないし、
おでんに参っている感じだわ。
あれ相当ルーシーのスープの出汁の塩分が強くないと染み込まないシミュレーション結果でてるから富岳なのよ。
ほんとあれで1回おでんのルーシーが具材に味が染みるシミュレーションを誰もまだやったこと無いと思うから、
やってみたら最新の結果の煮込み事情がアップデートされるかも知れないわ。
あともう1回ぐらい牛筋やスペアリブは投入してみたいところだけど、
たぶん、
フランケンシュタインを作った博士も最初は研究楽しかったけど飽きてフランケンシュタインに返り討ちにされるかの如く
とてもおでんの鍋の前では言えないわよ。
聞こえたらきっとおでんの鍋のルーシーに浸かっている具材たちがガッカリするじゃない。
それを知られてしまったら、
食べきれないおでん飽きたわーとは口が裂けても言えないわ。
まあ温めて少しずつおでん食べていこうとは思うけど、
最近のスプラトゥーン3の夜のお供のアテにとおでんもと思っていたけど、
この有様だとぜんぜんおでん食べ進められてないし、
肝心なスプラトゥーン3もとりあえずのログインボーナス的な1日1勝!と言う目標のノルマを掲げてそれだけをこなしている感じだわ。
だから本当にその日のゲームプレイ時間が5分で終わっちゃうときもあるから
おでん食べてる暇もないぐらいで仕上がっちゃってるわ。
こないだなんか酷かったのよ!
勝利数が20切っちゃって大体はどう戦っても最近50試合で勝ち25負け25とだいたい割合50%ぐらいになる感じになっているんだけど、
こないだは負けが立て続いちゃって、
勝つまでやるんだ!ってあれ逆に悪い流れよね。
躍起になっていたらなんとか最近の50試合の勝利数27まで持ってこれたから
それはそれでおでん食べてる暇も無いという、
どちらにしろおでん食べながら悠長にスプラトゥーン3やってる暇思った以上になかったみたいよ。
そんで、
今何のブキに入れ込んでいるかというと
塗りの楽しさにプラスして
狙っていないのに相手にまぐれで当たってキルしちゃう確率がどんなブキよりも高いのよ!
塗ってるつもりだけで一生懸命バシャバシャしているだけでキル数15とか超えちゃうと、
相手には気の毒だけど
こっちは投げた泡が粘り強く壁に反射したり地形を乗り越えて行ったりするので
私が予想しないところでヒットしているみたいよ。
狙わずにして当たるって愉快よ。
結構接近してきたときの敵の立ち回りもインクさえ切れていなければ
4連打で泡が放てるので、
だいたいそう言うときは張り切ってインク塗り撒いているのでインク切れが多いのよ。
そこはインク回復とメインインク消費減のギア付けてなんとか足しにはしているけど
そんなわけで、
どんな訳だよ!って思うけど
おでんが食べ進められないのと、
スプラトゥーン3はノールックでインクを撒き塗るオーバーフロッシャーが楽しすぎるってのが
また動きがあり次第お知らせします!
うふふ。
帰ったらキッチンの上に朝のまんまで置いてあって
当たり前だけど、
何も変わらずの姿で迎えてくれたわ。
そして中身も相変わらず熱くとてもごくごくと飲める勢いの温度ではないぐらい私を温かく文字通り迎えてくれた緑茶ホッツウォーラーは
そんで、
水筒忘れずに持ってきました。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
年取ってからあんまり食えなくなったけど久々に食ったら味うま過ぎギギイィダァ議
カリッカリの表面ぅんまぅぅういああぃぃぃあああ肉汁アツアツじゅるるるるふるるふぅぅぅぅぅうまいののおぉぉぉおおおぁぁ
そこで一気に流し込むコーラうんまぁでエアアナァァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ガッキャゴキュゴキュううんぁあ"あを"あ"" あ"あ"あ"!!!
!!!!!!!!!がビュルがビュがジョルュアだううう!!!!!!
ポテトもうみゃァァいい!塩じょっぱぁダッツ!!
あぁふぅっッッあふっいのおおおおおおッッアフいけどうみゃァアァァ井アウト!!!!!
ペチャペチャになったもう一個のチキンがブッ!!!!ンァうんみゃあアッペチャっモリュユユユユユユヌうんまああッッああああダァ愛がダァッッむっっっつつっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!
最推しジャンル20年以上前の古い作品だから公式とっくに無くなってると思ってたらまだ生きてて新作出しててびびったんだが昔はBL人気高い女性向けって感じだったのに新作がっつりオス向けになっててガッカリした。
最推しジャンルの公式は当時のスタッフインタビューで「女キャラばっかって恥ずかしいし嫌じゃないですか。ゲームは男だけの物じゃないんです。女性も楽しめる作品を作りたい」って言っててめっちゃ感銘受けた。なのに今や攻撃受けたら服破けて露出し胸揺れするめっちゃオス媚びゲー出してる…
多分スタッフ総入れ替えがあったんだよな。そうだよな。20年経ってるし多分当時のスタッフさんはもういないんだよ…そうだと思いたい。あんなに当時女性ファンの為にって言ってたのに今はめっちゃオスに媚びてるなんてガッカリすぎる。
しかも胸の揺れが少ない!とオスがクレーム入れてそれに対し申し訳ありませんと謝罪しアプデでえろ要素UPさせたこともあったらしい。ガチでめっちゃオスに媚びる会社になったようだ。90年代の時のインタビューは幻だったんかな…マジで当時こんな方もいるんだって凄く感動したのに。
もう一つ凄く古い好きなジャンルとっくに公式無いと思ったらまだ生きてて新作出してたと思ったら顔の倍はある奇形胸に異常に少ない布面積なえろ奇形女キャラばっかの超オス媚び会社に成り果ててた…昔はBL要素もあるため根強い女性ファンも多いって紹介されてた位だったのにどうしてこうなった
レビューサイトとかでも当時としてはまだ珍しい女性向けBL要素を扱った作品の為女性ユーザーが多いって言われてたのになぁ。結局どこもオス媚び作品しか出さなくなるんだな…。知りたくなかった。本当ガッカリ。絶対買わない。昔のは設定本とか関連商品全買いする位大好きだったのに。
この際女キャラばっかの作品を出すのはおいといて激しい胸の揺れ描写、布面積が異常に少ない裸に近い服、女キャラだけ服が破れる、顔よりでかい胸で奇形体型はさすがにきもすぎないか?かなり人を選ぶと思うんだが。まあ全然売れなかったみたいだし自業自得だね。
猫をかぶって生きている方だと思う。
それで、その猫を外してみなよ、なんでも受け入れるから、と言われて間に受けて素を見せて、ガッカリされてばかりの人生だと思う。
それを乗り越えてそれでも素を見せるのが大事で、受け入れてくれる人が見つかるのが人生だ、と物語は説くけれど、現実はそううまくいかない。
猫を外した私に、旦那は性欲を抱かなくなってしまった。いや、性欲はあるようなのだ。私の胸や性器には興味がある。私には興味がない。愛してるもきれいだよもあったものじゃない。
しかし私も猫をかぶるのをやめてしまい、嫌なことは嫌だと言ってしまう。何でも受け入れられるという顔もできない。どうしようもない溝を埋めるには、もう一度猫をかぶるしかないのに、それができなくなってしまっている今が、とてつもなく苦しい。
公開当初、劇場で見て細田守を見限った作品(大好きな監督からサマウォ以前が好きな監督へ)。でもおかげで未来のミライをフラットに受け流すことができた恩人(恩作?)でもある。そのバケモノの子を7年ぶりぐらいに見ることにした。もちろん酷評となるが、さんざ言われている人間界不要や監督の家族観とかとは違う部分を書こうかと思う。
改めて見た率直な感想がこれだった。
OPのCG、でいいのかな。炎のシルエットで描かれる演舞はとても素晴らしくて、後を知ってる2回目視聴ですら否が応でも期待が高まる。カンフー映画のようなケレン味のあるアクションが味わえるのでは、と。
しかし今作の大きな格闘と言えば鍛錬を除けば序盤と終盤の熊(熊徹)と猪(猪王山)(面倒なので略す)の2回のケンカぐらいだ。そして悲しいかな、これが見ていてさほど面白くない。二人の戦いは剣術はもとより、相撲や闘牛やボクシングといったようなもののオマージュのような動きが散見される。これが良くなかった。自分としては当初これら齧ったようなエッセンスの動きは小手調べだと思っていたのだが、実はまっとうな戦いの組み立ての範疇だったように思える。それの何が悪いって、二人に軸がなくなってしまったことになる。
古典カンフー映画のようなアクションを期待していた身としては、やはり「流派」は大事だったと思う。違う流派あるいは同じ流派の者が対峙して技を競う。それぞれの特徴的な動きの差異が画面に映えるのだ。それこそスターウォーズだってやってる。バケモノの子だと(恐らく)正統派の武術を扱う猪と、師匠も居ない独学の熊との対決で、実に映えやすい。ところがそういうのは確かに所作に現れているものの、お互いあちこちからちょいちょいとつまみ食いした動きにしてしまったためにもう、流派のぶつかりもなにもない「ただのケンカ」になってしまった。もっと言えば観客が居るせいで「興行的スポーツ」。年末格闘技かのようなエンタメになってしまった。「バケモノ」の活かし方が体当たりなのもマイナスだ。
長年練り上げた鍛錬を披露する、思わず唸るような動きではないせいでもちろんナイスバトルも生まれない。
どちらが勝つかわからない。であるとか、敗者をも称える歓声が起きる決着。なんてものは生じるわけがなかった。次期宗師を決める神聖(かはわからないけど)な戦いがリスペクトも生まれない野次馬がたくさんいるケンカに堕ちていたのは残念でならない。
(負けた猪も勝者並に称えられていたら息子も闇落ちしなかったりそれでも闇に落ちる姿が強調できたりしたかもしれない)
九太の応援が余裕で10カウント超えている賛否多そうなシーンもルールが最重要な興行ではなく宗師を決める心も重要な要素の杓子定規でない神事として見ていたので許せたが、その後顔アップで剣を振り回すとかガッカリ。
その主人公の九太なんかも悲惨で、やはり修行以外ではまともに動かない。成長後の図書館のシーンで不良相手に鮮やかに立ち回るかと思いきや、得意の横長のレイアウトのパンを使いつつなんと画面外で音だけでボコるという手抜き。団子ラリーは好きだけどそれぐらいか。バケモノ界は闘争の世界ではないし、武術を習った主人公が人間をボコるのもよくないのは分かる。ただ素直に成長後九太で気持ちよくなれるシーンが欲しかったな。
直近の過去2作だけみてもキングカズマのOZ内移動含めた格闘やおおかみこどもの躍動感ある動きとかセンスは落ちてないはずなんだけどどうしてこうなったのかなあと不思議に感じる。
(剣が震えるところとかは好き)
熊の家を斜め上から見た図と家までの階段の坂道、あとは修行場の廃墟っぽいところ?バケモノの子はだいたいこのイメージ。あと市場か。
渋天街という異世界に居るのに街全体の引きの絵とかがほぼ無いからせまっ苦しい。ワクワクしない。主人公も視聴者も異邦人なんだから、街をそれとなく見せて欲しかった。たとえば熊とケンカして街中をバルクールじみて走り回る追走劇とかはどうだろうか。アラジンの冒頭みたいな感じで。坂の上下を生かすならコクリコ坂もよく時代の雰囲気を醸すことができていたと思う。
バケモノの子はとにかく「今どこに居るのか」がわかりにくい。賢者歴訪のシーンは渋天街に必要だった賢者の住む街の全景が描かれるが、それぞれ1秒未満ぐらいの一瞬しか映らない。振り返ってどんな場所に行ったかと思い出そうとしても難しい。結局思い出としては賢者の対面シーンと道中が繰り返される狭い印象になる。
絵作りができていないわけではなくて引きの絵も多くて背景もモブも全員書き分けるなど緻密なのだが、画面ごとにどうにもキャラクターが支配的で背景が薄味。乾燥地帯イメージな砂色なのがそう感じさせるのかもしれない。逆に夜や昼夜の境目などの暗さと光は非常に美しくて心に残る。
今作は「時空」の時間を重視しているのかと思う。九太の成長自体がそれでテーマだし、同じ場面で季節が流れるシーンや同じ場所が繰り返されるのも時間の流れが見て取れるので効果的だ。あるいはその犠牲で空間が少々ワリを食った形になったのかもしれない。
(季節が流れるシーンやミライの家の書き方は好きなので時間や密室劇的方面が悪いのではなくバランスかなぁと)
バケモノ界はたぶん全体的に武芸を修めることに重きを置かれると思う。そして武芸の強さが絶対の指標じゃなくて弟子を取るとかも重視されてる。熊ですら過去に弟子を取ろうとしたことがある。つまり剣術は人口が多そうだけど学ぶのは剣術の裏にある精神性とかかと。それで九太は賢者の話を聞いて強いっていろんな意味があるんだなと理解したわけ。じゃあ数ある強さの中で熊と同じ道で強さを歩むことを自覚的に選択しなくちゃならん。
当初の九太は選択の余地がなかった。家族を失って一人で逃げ出して置いておいてもらえそうなのが剣術家の熊んところだったわけだ。そこから8年過ごすわけだけど8年後の九太は人間界に重点されてバケモノ界のシーンがすくなるなる。だから8年間かけて(腕っ節以外に)身につけたものがあまり描写されず、思春期や父親周りの不安定さがフォーカスされていってしまう。九太の成長は物語の最後の最後に持ってくる必要があるのはわかっている。でも8年も経ったんだから自主的な強さの理解をお出ししないと漫然と表面だけ模倣していたことになってしまう。それも家庭内で父の真似をする子が似てきたっていうつっまんない閉じた話になっちゃう。
同じく家族を失って別の家庭に入り込む「三月のライオン」では主人公は明確に「将棋が好き」と嘘をつき、契約をして将棋で強くなり続ける代償を払ってきた。そんな主人公も将棋と向き合い続けてやっぱり将棋が好きで自分の意思で将棋の世界に居ることを選択する。成長には同じことをするでも「そうせざるを得なかった」という消極的選択から「それでもしたい」と一歩進む必要がある。
九太にそういった前進要素がないのは必然だ。だって最後は熊を「胸の中の剣」にする必要があるから。上手な二人の父子なら8年の中で教えることができただろうけどお互い不器用な二人ではそれができなかったんだろう。感動のラストのために。九太は親近感がわく普通の青年に成長した。心は普通程度にしかならなかった。武芸を通して技と体は鍛えられたが心の強さは(幼少期の気の強さの引きつぎはあるが)あまり感じなかった。物語の最後には九太は剣を置くことが語られている。胸の中の剣を手に入れて現実の剣を置くのは修めた感がある。最強の剣士が無手となりにゃむにゃむするかのように剣を置くなら悟り・理解を経てするが映えるというもの。でも九太はそんなに到達点に達してないし人間的にも彼女や熊の支えがあってようやくここからって印象の方が強い。そんな彼が剣を置いたってただバケモノ界から人間界に戻ったって記号でしかなかった。
センスが良くていい旅もさせてもらっていい教師も反面教師も居るなかで8年過ごして出来上がったのがただの思春期の不安定な青年って…。すこしも「強さとは」が染み入ってないのが残念なキャラだった。
なんなら熊とそれを見つける物語でもよかったけれど、最後は信頼・絆一辺倒で「父と子」をやっちゃったね。
尺不足…かなあと。もっとバケモノ界やアクションや九太の成長を描いて欲しかった気持ちがとても強い。そして何のせいで尺不足だというと人間界パートになっちゃう。結局、不人気の人間界パート不要論に収束する。ヒロインの楓は細田ヒロインの中でもとても好きなキャラなのだが…。
そんな感じで当時細田にはガッカリしたわけだけど宣伝だけみるとそばかす姫はそこそこドハデで楽しめそうな映画っぽいんだよね。受け流したとは言ってもミライのダメージもそこそこあってまだ見る気が起きないんだけど、評判はいいみたいだし。(変わらない悪い点もあるみたいだけど)
脚本雇えと一言で談じると楽だけどこうやって書いてみて自分がオタクすぎる気もする。ポストジブリなファミリー向けならちょっとクセがあるけどこんなもんなのかな。これが細田監督の味だとも思うから今後の作品も賛否が大量に出つつも売れて行くんだろうね。
主婦側のレス漫画(男性が相手にしてくれない)を読んでるので感想書いてく。かなり中傷してるので具体的な作品名は伏せます。ちなみに自分は女。
普通にありがとうも言えない奴と暮らしたくなくね?されて当たり前だと思ってるのがカワイく見えるとしたらそれ以上の愛という演出ありきですよ
・会話に返事しなすぎ
相手が真剣に真面目に自分の気持ちを開示したり、譲ろうとしたり、そこ絶対茶化さずに聞かなきゃダメじゃん!の場面でスルーしてしまう。頭の中がいっぱいらしい。発達障害?
・被害妄想が激しい
上の感謝しないに通じている
やってもらえて当たり前だと思ってんの?
面倒くさがり、仕事続かない、自分の感情に甘い、という描写があるのでADHD系の知的グレーにしか見えない
「できなくてごめん」と相手が謝罪している。ヤバすぎ。さらに自信無くなるだろ。疲れや歳や少し気が滅入るだけですぐ勃たなくなる繊細な生物なのに。そんな重い雰囲気で罪悪感を感じさせる必要がどこにあるのかわからない。パートナーなのに勃たないことを気楽に相談もできないやんけ。コミュニケーション不全をわざわざやるのが全く理解できん
君ら他人なの?
・変な自己嫌悪
意味不明なところでもう愛されてない、私に魅力がないなどと自己嫌悪に陥ってる。結婚してる時点で魅力はあるし歳を取るのは相手も織り込み済み。足りてないのは魅力ではなく頭のほう。下着の色は関係ない。
そもそもお前はパートナーの性癖を一度でも聞いたことがあんのか?「性的に魅力的な女性」の定義が見下してち○こを踏みつけながらヨダレ飲ませてくる女の奴もいるわけ。
・悩んでても言わないが不機嫌になる
言えよ
察してちゃんは3歳まで。幼稚。痛すぎ。昭和の女性なのかな?昭和女ってこんなんばっかり
せめて生理前ってわかってるなら相手に生理だからごめんとかなんか言えよ
本当に成人してる?
・話し合うことに抵抗がある
勃たないとかエロい気分になれないって心の問題をきちんと話してくれてる相手に、「話し合ってちゃんと解決しようよ!頑張ろうよ!」ってバカなのか?
お前は「今はあまり甘いものを食べる気分じゃない」「お腹が空かない」って言ってる奴に、無理やり口に突っ込んだら食べれるかも!甘いものを食べる日時を話し合えば解決!とか思ってんのか?永遠にお腹空かないのにどうして食べれないのか詰められるの?相手が不憫
理由を聞いて寄り添うのが先だろ
・浮気を考える
愛ある夫婦なのに、いい歳したオバサンが会社の優しい男に浮気心芽生えちゃった!キッショい
お前も妊娠して「ごめん妊娠しててor子育てで性欲なくて」って言ったら会社の若い子に浮気されてくれ。平等に。
人の話を聞け、真面目に仕事しろ、会社で仕事中に色気付くな。本当に成人してる?
思考が勝手に湧いただけでうるさい。どうでもいい。ネットリしてて気持ち悪すぎる
いいえ、受け身で無限に他人に気を遣わせ続けているケアテイカーです
自分のことしか見てない謙虚さは謙虚ではありません、自己主張できないことを美談にするのはやめよう
社交辞令を真に受けるのもやめよう
相手の事情も知らないのに意見を言っても意味なくない?ADHD?発達障害を疑う
幼稚すぎる
・沈黙を責める
今考えてるって言われただろ!!相手は考えてんだよちょっと黙れうるせえ自分のことしか考えてねえなマジで
幼稚!!!!!
いい歳したババアがキモい。いい加減そろそろ何が原因でどんな気持ちで何をしたいのか自己分析しろ
今まで人生何して生きてきたの?レスになって当然と言える要素しか見つからない
・オバサンって言われて傷つきすぎ
どちらかというと相手が失礼でエイジズムの濃い人ってだけなので怒るor不快になるべきとこです
・子供欲しいなー
上のような幼稚な思考回路の人間が子供を育てるのは悲惨な気がする。怖い
私が欲しいかじゃなくて育てられるかで考えろよ
犬でも猫でも先にまず育てられるかが問題だろ
後から「私は子供が欲しいんじゃなくて、旦那の気を引きたいだけだったんだ…」とかマジでやめろよ
・喧嘩したら気まずくなるのが怖い
夫婦向いてないから結婚するのやめようって判断できる能力が婚前に欲しかったね!!
・バイアグラを買ってくる
無神経すぎて草
セックス中も受け身で何がしたいとかどうしたら気持ちいいとか何が好きとか一切言わないし、無言で察してムーブして演技して、痛いとか下手くそとか萎える事言って相手の気持ち削いでそう
優しさのないクソ無神経なセックスしてそう
お前も男性に関する性知識ないんだからビビれる立場にねえだろwww
衝動性が強く、感情制御ができないADHDでは?普通は悲しい気持ちになっても行動に移すかどうかは理性によって選択しますので。
病院行ってください
キモい、幼稚、成人してると思えない、知的グレーのADHDだろ!!!!
病院行け
https://anond.hatelabo.jp/20230112102805
ネットで有名なフェミニストが本来のフェミニズムから外れてポリコレ棒振り回しているの勘弁してほしい、というのはわかるし
それを代表として扱われるのは困るってのはわかるんだけど、その人たち本当に「外れ値」なの?
例えば、発言の過激さ(※適当に定義した点数。○○だから××点とかいう基準は無い)が30~70点の人がほとんどなのに10000点を叩き出す人がいたら、それは外れ値でよいと思うけど
30~70点という人が「大量」にいない限り10000点の人は「外れ値」とは言い切れない。外れ値1人に対して、少なくとも外れ値ではない人は20人くらいは欲しい。
次に、発言の過激さが10000点出すのが1人に対して、30~70点が3-4人程度しかいない場合。
これはもう10000点の人を外れ値とは言えないが、どちらの陣営もそれなりの人数がいればグループ分けが出来るし、30~70点の人数の方が多ければ「10000点のグループは少数派の意見なので…」と言い訳はできる。
問題なのは発言の過激さが10000点出す人が、30~70点の人よりも多い場合。
もうこれは外れ値でも少数派でもなく、10000点の方が基準といえる。むしろ30~70点の方が外れ値の可能性がある。
最近のフェミニストに対する低評価の原因として、外れ値とされている人たちが実際には基準なのでは? という疑惑もあると思う。
が、前記の外れ値かどうかを判定するためには判定の対象となる人を探す必要がある。
どこを対象として扱うんだよ、という問題がある。そしてどう区切っても対象人数はクソ多そう。
母集団のデータが取れないなら標本つくりゃいいけど、Twitterでフェミニストっぽい人を探そうとしても声のデカい10000点の人が目立つし、もしかすると青識のなりすましかもしれない。
アンケートの依頼を出せばそこまで偏っていない標本が作れるかもしれないが、金も時間も費やしたくはない。社会統計学とかの人たちがいずれやってくれるはず。
あたりの条件で調査すれば、日本での「フェミニストのあるべき姿」や「多数派フェミニストの主張」ぐらいはまとめられそうである。
そのまとめた結果から、元増田で上げられたフェミニストたちが外れ値かを検討したい。
全数は調査できずに標本を抽出したが、偏って少数派の意見ばかりになったとしても 「●●大学には○○という教授が~」 というマサカリが投げられるはずなので修正できる。
https://research-er.jp/search/researchers
とりあえず「フェミニズム」で検索して…え、993件もヒットしたんだけど、これ全部調査すんの?
………… とぅぎゃったーでも見てみるか…
フェミニズム関連の研究をしている教授とかは少ないだろうから、数名上げてそこが基準でいいかな…
とりあえず外れ値ではないフェミニストを知るためには上野千鶴子、小宮友根、牟田和恵の論文や書籍、発言を見ておけば良さそうですかね
なんでも公共の場で、こんな感じのことを言ってしまったらしい。
——マンガ編集者の提案に、愚直に従ったネームを返されるとガッカリする。
これにコメントが殺到している。パワハラ類型だの、ハラスメントだの、イキリだの、プロ意識が低いだの、作家のやる気を無くさせて潰してるだの、いじめだの… 中には、サイコパスだ、とするものさえあった。サイコパス?
彼らの中では無名の大衆が誰かを「サイコパス」だと断じるのはハラスメントにもイジメにもならないらしい。
だけど俺は個人的には、マンガ編集者にも非はあると思ってるぜ。なにせ、世間的にはマンガ編集は悪の職業だからな。
世間一般の理解では、マンガ編集は発注元で依頼主で、作家のネームは見積もりで、編集者の提案は修正指示に当たるようだ。そんな中で、リテイクに費用も発生せず指示の意図も明確にしないのならば無責任だとみなされるのも無理はない。集団リンチの社会的制裁を受けても仕方ない。コメントには、マンガ編集者は何の作業もせず文句を言うだけで給料を貰えるのだ、と言っている人までいた。「内心でガッカリする」マンガ編集者は作家とコミュニケーションが取れてないと思われている。「編集者の提案には必ずしも従わなくていいですよ」のような事を作家に伝えてないとみなされてる。
だからマンガ編集が公共の場で、業態の実情を知らない世間一般の人に向けてその考えを伝えたいなら、「編集者の提案には必ずしも従わなくていい」「もっと面白くして持ってくるのが作家」ってコンセンサスは取れてますよ、信頼関係は確立されていますよ、とワザワザ明言する必要がある。