はてなキーワード: エヴァとは
このご時世で40代前の失職だわどうするよと思っていたけど意外と悲壮感はない。考えなしすぎると言われたらそれまでだ。
プライベートも仕事も自分のことが後回しにしすぎていた。これがいい機会だ。エヴァも完結したし遅すぎるかもしれないが自分の人生を考えるよ。今が一番若い。
sds-page また著作権法の趣旨を勘違いしてる人が出て来てる。お目こぼしされてるのは権利者のビジネスの方。真っ黒なのは海賊版だけで独自の発展を加えた二次創作は本来自由にすべき物 https://hon.jp/news/1.0/0/29634
さすがにこの点についてはいい加減争いがないと思ってたんだけどいまだにここで詰まってる人もいるのね。
https://funabashi.vbest.jp/columns/general_civil/g_others/4434/
二次創作を行うことは、著作権法においては「翻案」という行為に該当します。
翻案とは、著作物を編曲・変形・脚色するなど、オリジナルの本質的な特徴を残しながら、具体的な表現に修正・増減・変更などを加えて別の著作物を創作する行為をいいます。
翻案についてポイントとなるのは、「他人から見て、オリジナルの本質的な特徴を直接的に感得することができるかどうか」という点です。
一般的に「二次創作」と呼ばれる作品については、オリジナルをベースとしていることが誰の目にも明らかな場合がほとんどですので、原則として翻案に該当するものと認識してよいでしょう。
逆に、他人から見てオリジナルをベースとした作品であるとはわからないレベルに改変が行われた場合には、もはやオリジナルとは全く別の著作物であると考えられます。この場合、翻案には該当しません。
つまり他の人が見て明らかにダイワスカーレットとかゴルシってわかるキャラを使ってる限りは翻案にあたるのでアウトですよ?
という話ですが、キャラクターに同一性が認められる限りは「同一性保持権」にもひっかかるからアウト。
今のところ、東方、艦これ、ウマ娘、映像研、アズレン、エヴァあたりが先行事例になっとる。
今後も規約を守ってくれる限りは翻案権だの同一性保持権だのはいわないよって言ってくれる公式が増えてくることによって
グレーゾーンだったものがグレーゾーンではなくなり、逆にダメなものはだめって白黒はっきりしてくる。
今までは広大なグレーゾーンの元に同人業界が広がってきたのは確かだけど、
力がある絵師さんは二次創作に頼らなくてもオリジナル同人で稼げるようになってきた以上
グレーゾーンはどんどん狭まってくる。
明確に許可されている範囲が可視化されることで、二次創作は違法に決まってるだろって話も薄れてくる。
それでもグレーゾーンは絶対に残るけど、今迄みたいに二次創作ぜんぶダメっていう人が減ってくる。
そうしたら、今フェミが言ってるようないちゃもんも減ってくると思う。
ちなみにこれとは別に、電子書籍による有料配布のみNGって扱いにしてる会社は結構多いから、ここも気をつけてな。
結局みんな現実に戻って人とつながったところで「気持ち悪い」って言われるよねってエスプリ効いてて
キモオタ的にはやっぱこの世はクソだ!って救済に感じたんだ
冒頭のこれまでのあらすじで「あ、これは良い流れだぞ!」とピンと来て予感は的中。
終始ニコニコしながら大満足で観終えた。
観劇前の予想では、今更エヴァで新しい着地点もなにも無いだろうから旧劇場版と同じ事やるんだろうなと思っていたらその通りだった。
やってる事は「父にありがとう」「母にさようなら」「そして全てのチルドレンに、おめでとう」と「現実に帰れ」をまた繰り返しているだけだが、それを実にわかりやすく描いていた。
終盤は「あ~、エヴァンゲリオンが終わるんだな~」としみじみしながら観ていた。
はてなブックマークって話題が集まるところなんだから大衆の注目が集まる作品の話が集まる想像なんて容易につくのに
「シンエヴァネタバレすんな死ね」とか書いてる奴ってブコメで書いてる奴、正気か? ネタでやってるのか、本当にアホなのか。
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まあ普通の人だったらはてブを見ないという選択を取るか、はてブフィルターみたいなフィルタリングができる拡張機能を利用するとかして自衛すると思うので
ちょっとヤバい人だと思う。そういうヤバい人のコメントなんて読んでも何も参考にならないと思うので、非表示にすることをオススメしたい。
で、このタイトルに引っかかって最後まで読んでシンエヴァのネタバレが書いてあったら、こういうコメントする奴ってどう思うんだろうね。ほんと、笑えるよ。
シン・エヴァの(特に後半以降に関する)最大公約数的な解釈として「この映画は虚構!」「もう何も残っているものはない」「お前らも現実に帰って結婚したら?」という見立ては、おそらくおおむねその通りの解釈が可能だと思います。それは至極まっとうな話ではあるんですが、しかしそれを物語や登場人物に託すことなく、また映像演出的にも暗喩をもちいることなく、かなり直接的な表現(具体的には特撮の撮影スタジオで動くエヴァンゲリオンや登場人物たち・あるいは宇部興産)として出してしまう(ゴルゴダオブジェクトなる代物を出す、あるいはマイナス宇宙なんて大層な世界まで行ったのに!)、そういうことをやってしまう制作者たちがこれから手掛けるであろう「映画」や「物語」がつく嘘は信用することが出来るのだろうか。
映画/物語の作り手・物語世界に対して最も重い責任を負う立場の人間が、映画/物語のもつ現実やその確からしさを一切合切放棄する・新劇場版4部作の物語世界に対する不義理を、「よくやった庵野秀明さん」「成長したな庵野秀明さん」「やっと解放された庵野秀明さん」あるいは「エヴァってもともとこうだから(笑)」「あれのよさが分からん旧劇場版至上主義(笑)」「早くお前らも成長したら(笑)」と考える人びとが思いのほか多いのでかなりつらい。いいのか...
「この映画・物語は虚構」というのをその物語世界のなかであからさまに出してしまった、撮影セットの中でエヴァやシンジや綾波に演技をさせてしまった(ここは旧劇場版では比喩的な表現としてギリギリ踏みとどまっていたように思います)、この演出を制作側のだれも疑問に思わなかったのだろうか。事象の地平線まで行った先がミサトさんの酒瓶だらけの部屋で暴れるエヴァ2体なの、あまりにあんまりな映像じゃないですか?
前述のような物語世界の現実性に対する不誠実と思える演出や、碇ゲンドウ下車以降の「アスカ、おまえはケンケンといけ」「綾波、お前は田植えをしろ」「カヲルはもうええ」というような、(カウンセラーの碇シンジにとって)一切葛藤も迷いもない、エヴァを完璧に終わらせるための物語進行や、あるいはエヴァ世界に対する「他者」としてのマリ(初手で乳を押し付けてくる顔のいい「他者」、これ世間一般で言えばかなり視聴者に対して都合のいいアニメキャラ・虚構そのものでは?)の導きによる物語進行と宇部興産エンド、こういった要素がそのまま映画としてでてきてしまう状況(誰も「いやマイナス宇宙まで行ってエヴァがミサトさんの部屋で動いたら笑うだろ」「ゲンドウ以降のカウンセリング早すぎないか」「冬月研究室出身と乳がでかい以外の来歴がいっさい不明なキャラがなぜこのような大立ち回りを演じられるのかの部分っていつ説明したのか」とならなかったのか)、それに突っ込み入れず「よく終わらせた!」で肯定的に受け止めるファン含め、現状は庵野秀明さんにとって、旧劇場版でシンジくんが否定した「自分も他人も存在しない曖昧で脆弱な世界」「他人の恐怖が存在しない世界」そのものになってないですか
追記)マイナス宇宙・ゴルゴダ、これウルトラマン→特撮スタジオの進行か、いやそれって庵野秀明さんが好きだから以上に選択できる演出なのか?シン・として必要だったのか?
シンジが乳の大きいいい女と出来上がってしまって、俺たちみたいに40超えても冴えないどうしようもないおっさんはどうすればいいんだよ。
エヴァの世界ではシンジは不幸でないといけない。不幸なシンジこそが感情移入する器だからだ。
庵野秀明は結婚して自分の人生が好転して、俺たち置いてけぼりの人間を忘れてしまったんだよ。俺たちに乳の大きいいい女と出会えることなんてないし、逆に俺たちにはそんな世界こそが虚構の最たるものでしかないの20年前の庵野だったら分かってただろ。
なんで俺たちを置いてけぼりにしてしまったんだよ。
公園で迎えに来る人を待って、誰も来やしないで砂場にせっかく作った作品を壊すあの少年の気持ちを忘れちゃったの?
もう俺たちとはさよならなの?
俺たちはどこに行けばいいのよ
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 93 | 10606 | 114.0 | 57 |
01 | 66 | 6793 | 102.9 | 68.5 |
02 | 63 | 13554 | 215.1 | 48 |
03 | 27 | 4329 | 160.3 | 57 |
04 | 12 | 1915 | 159.6 | 50.5 |
05 | 5 | 543 | 108.6 | 17 |
06 | 28 | 2061 | 73.6 | 47 |
07 | 56 | 4041 | 72.2 | 36.5 |
08 | 117 | 7880 | 67.4 | 45 |
09 | 86 | 7199 | 83.7 | 41 |
10 | 170 | 16100 | 94.7 | 49.5 |
11 | 224 | 24958 | 111.4 | 48 |
12 | 244 | 26096 | 107.0 | 47.5 |
13 | 190 | 13592 | 71.5 | 47 |
14 | 165 | 15818 | 95.9 | 51 |
15 | 160 | 16121 | 100.8 | 46 |
16 | 196 | 16649 | 84.9 | 40.5 |
17 | 151 | 19146 | 126.8 | 49 |
18 | 135 | 17096 | 126.6 | 35 |
19 | 134 | 15251 | 113.8 | 56.5 |
20 | 140 | 21600 | 154.3 | 45 |
21 | 203 | 25684 | 126.5 | 31 |
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23 | 149 | 15977 | 107.2 | 43 |
1日 | 2996 | 328356 | 109.6 | 44 |
チンク(13), 呉座(6), コンテンツホルダー(7), 麹町(4), オリンピッグ(7), サイゲームス(6), 魂のルフラン(3), redundancy(3), 記憶にございません(6), 北村紗衣(4), 渡辺直美(27), ウマ娘(74), コンサル(22), 茶(19), 著作権(30), 馬(36), プール(13), ひろゆき(10), エヴァ(41), 競馬(14), ガイ(23), 従う(20), 表現の自由(22), ダブスタ(20), 従っ(13), 抗議(22), LINE(38), エロ(64), 犬(31), オリンピック(24), フェミニズム(25), 権力(23), 舞台(18), フェミ(82), 尊重(18)
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もしかしてみんな、エヴァの弔いはしたけれどもガイナックスの弔いはまだしてないんじゃないか?と。
というのも、ガイナックスは「いつの間にか終わっていた」からである。
ガイナックスの現状はだいたいの人が下記の記事を読んで知っている通り。もちろんあくまで庵野監督視点の話なのは考慮しないといけないが。
【庵野監督・特別寄稿】『エヴァ』の名を悪用したガイナックスと報道に強く憤る理由 | 庵野秀明監督・特別寄稿 | ダイヤモンド・オンライン
ガイナックスで才能を発揮したクリエイターたちはだんだんと離れていき、その彼らが新たに設立したカラーやトリガーといった会社が往年の「ガイナックスファン」を虜にするようになった。
エヴァに夢中になっていた人たちは、いつの間にかガイナックスへ目を向けることがなくなっていったのではないか?ガイナックスが2010年代に制作したアニメをぱっと挙げられる人は多くないだろう。
ご存知の通りガイナックスは現在アニメを制作できる状態にない。2020年に役員が総入れ替えされ、代表取締役社長はカラーの版権管理会社の代表が務めている。今後は版権管理が運営の主軸となるのだろう。
発表されていた「トップをねらえ3!」「蒼きウル」は旧福島ガイナックスの株式会社ガイナが引き継ぐと発表されており、ガイナックスは制作しない(なお数年音沙汰なし)。
というわけで、ガイナックスの墓標は既に立っているとみなしてもいいのではなかろうか。
それは2015年のテレビアニメ「放課後のプレアデス」であった。
これを知ったとき、不謹慎ながらも自分はちょっと美しいなと思った。
この作品、一見ただの魔法少女アニメのように見えながらもガイナックスらしさに溢れる壮大なスケールのSFを繰り広げるアニメだったし、希望を描いた物語だったから。
「有終の美」とか「最後の花火」とかいった言葉をつけるのにふさわしい内容の作品だなと思った。
同時に作品がかわいそうだなとも思った。
シンエヴァを見た。
ワクワクもドキドキもハラハラもしない、感動もない。ただ「綺麗に風呂敷畳んだね、見てる人に殴りかかるんじゃなくて、言葉で説明できるだけの理性はついたんだね、監督おとなになって偉いね」という意味で「良かった」と思った。EOEでぐちゃぐちゃにされた子供の頃の恨みみたいなものが成仏していたのに気がついた。シンを見て成仏したのではない。自分はとっくにおとなになっていて成仏していたのだ。そういう映画だった。
徹頭徹尾オタクが気にしてること、気にしそうなことを説明して潰しにかかっていたのは笑いそうになった。ミサトさんが無責任で酷いって気にしてたんですかね? 昔のエヴァならあんな違和感たっぷりの説明的なセリフ垂れ流さなかったでしょうよ。アスカやレイ、カヲルがベルトコンベアで流れてくる商品を選り分けるように、事務的に淡々と処理されていくのは本当に白けた。有名声優が何人も説明的なセリフを言うだけに参加してるのもシュールだ。
それでも終わっただけで「良かったよ」って言えたのは、多分今のエヴァに新鮮な楽しさや驚き、痛みや苦しみを描く力なんて無いとどこかでわかって、諦めていたからだと思う。ちゃんと終わらせること以外期待してなかった。
リアタイ世代で録画を何度も見て、映画もおこづかいをはたいて全部劇場で見た子供だった私も、大人になって見えてなかったものが見えるようになった。良質なエンタメにもたくさん出会った。少ない知識に狭い視野で、初めて見たショッキングなエンタメだったからのめり込んで、特別に思った時期があったのだろう。そういう期限は切れていた。期待しないようになっていた。
余談だが子供だった自分はアスカが生きたまま腸食い散らかされるのがあまりにも怖くて、ショックで眠れなくなったりうなされたりした。生きたまま食われるなんて考えたことも無かったので、本当に怖くて震えた。思えば初めて見たグロっぽい暴力的で悲惨なシーンだったのかもしれない。EOEまでは本当にいろいろと心に傷を刻んだ作品だった。
とにかくエヴァは畳まれた。シンエヴァは畳むために作られたものだ。物語として楽しくする気なかったでしょう? 嫌いなエヴァオタクと、終わってないことに言及されること消すために時間とセリフがあった。
監督ももうエヴァは見えないところにしまって、自由になりたかったんだろう。だから面白くなくてもファンやエヴァオタクががっかりしてもどうでもいいのだ。破まではエンタメとして良いものに作り変えようという気が見えたけれど、もうそんなのはどこにもない。
監督がエヴァオタクを嫌いっていうのは有名な話だ。インタで自分でも言っている。今も嫌いだろうと欠片も疑っていない。
でも彼の会社はエヴァの版権使用料がないとスタッフが食っていけなかったんじゃないかと思う。彼を慕い、憧れ、優しいスタッフと理解ある嫁を食わすには、大嫌いでもエヴァオタクからキャラクターで金を搾り取るのが一番儲かる。
ところがゴジラが当たった。ウルトラマンも撮らせてもらえる。もうエヴァがなくても稼ぐあてが出来た。だからエヴァはとっとと畳んで開放されても良い。というわけで前は急げで完成に至ったのではないだろうか。モチベ上がったでしょう。キャラクターをサクサクとエヴァオタクが金を払う気がなくなるような処理しをして片付けた。もうこっちくるんじゃねえぞってなもんで。
シンゴジの時はじめて心から嬉しそうな監督を見たからね。監督はあっちに行くし、エヴァオタには付いてきてほしくないのだ。ちなみにオタクにいちいち「エヴァ」ってつけるのは、監督は特撮オタに関しては嫌いではないし、彼自身オタクだから。アニメと特撮のオタク。エヴァに散りばめられたオマージュのおおさからして、けっこうディープなオタクだと思う。
シンエヴァの感想をいくつか読んだら、それぞれのキャラクターの処理について不満を漏らすと、案の定卒業しろよとかキモいと叩かれていた。まとめサイトに晒し上げられていた。流石にそれは酷いくないか?今までキャラ萌え的な商売しまくって、金を搾り取られた人たちが嘆いたって良いだろう。だって公式はそういう商売をしてたじゃん。中学生が脱衣する麻雀、ヒロインといちゃつけるゲーム、シンジをカヲルで落とせるゲーム。それを元にした漫画。同人作家にカヲルとシンジのBL描かせて監督が対談までしてる書籍もある。その他にも把握しきれないくらい色んなモノが出ている。エヴァくらい節操がなく金のためにキャラを売っていた作品も無いだろう。
キャラクター商品はキャラクターが好きだから買うものだ。キャラクターが好きだから金を出す人たちからずっと搾り取ってきた。それで飯食ってたんだよ何年も。Qから8年も食いつないでるんだよ。ゴジラがあっても、大半はエヴァの収入があったから8年完成させずにすんだんでしょう。もういらないからポイしたわけだが。所詮オタクは一方通行で金をつぎ込むだけで、優しくされるどころか捨てられたって文句は言えないものだ。でも悲鳴くらい上げても良いんじゃないの?25年前から根本的に変わらない作品にずっとついてきて、どんなにエグい商売でも金はらってきた猛者たちだぞ?流石に期待しなかったから文句もない私より愛があっただろう人たちが叩かれてるのは可哀想だ。好きじゃない人ほど簡単にさよならできるもんなんだから。
私は良かったと思ったから当初は否定的な感想や、点数の低い映画レビューを見ていなかった。けれど絶賛よりもTLに流れてくる苦言に、全部なるほどと納得したので見てみた。そうしたら感情的におかしくなって叩いてるとかアンチとかじゃなく、理路整然と嘆いていて、反論もなくそのとおりだと思ったものが多かった。ただ私にはそれに怒ったり悲しんだりする好意がもうエヴァにはない。良かったねー、終わったねーって流して終わった。
良かったで流した層、怒って細かく説明してる層が多くて、ほとんどの人が一回見ればリピートしない映画ではないだろうか。それでも何度かリピートしていろいろ考えてる人たちが少数いるけど、お金あるなあという感想だ。考察や小ネタ拾いは楽しくて好きだが、シンエヴァはそれをするには料金に見合わないと思ってしまう。そろそろ大抵の空白や説明のないところは、思わせぶりなだけでなんもない可能性が高い思いようになった。きちんと描けるなら描いてるだろうし、監督には無理だと思う。その上でエヴァは出来ないものはそれっぽく空白にしとけばファンが勝手に考察して想像して楽しんでくれるから、開き直って描いてないだけ。監督は25年かけても描けないものを描けるようにはならなかった。ピュアで傷つきやすく、作品が成功したために人間的に成長しなくても生きていけるようになった子供のままの人。それが痛いほどわかるのがシンエヴァじゃないか? 意味があるのかわからない考察をするなら、円盤をアマゾンで安く買えばいい。そもそも今回の映画、考察合戦する相手も少ないのでは。
監督とは反対に、声優は成長をひしひしと感じる人が多かった。声優の演技力にだいぶ助けられた映画だった。監督はそれに気がついただろうか。親子を多用するくせに父親も母親も描けないところに、それっぽい色を付けたのは声優陣だ。パンフのコメントは感慨深く読んだ。皆さんお疲れさまでした。緒方さん、宮村さん、山口さんは特にお疲れさまでした。シンジの声は最後まで緒方さんが良かったです。
貞本さんが参加されてなかったのは残念でした。彼の人間性とかは知らん。描く絵が好きだし、監督が投げ出したものを漫画版できちんと描ききったのを高く評価している。漫画版はキャラクターの心情もちゃんと丁寧に描いていたし、なによりきちんと完成させた。それが出来るか出来ないかが、本当のプロとアマチュアの差だと思う。貞本さんだってエヴァオタのいろんなものにさらされた人だったでしょうに、仕事を完遂した。傷ついたのは監督だけではない。エヴァの根本は監督の私小説だが、作品としてはたくさんの人の力で出来ているものなのだから、負の影響だって受けた人はたくさんいるでしょう。傷ついたからと膝を抱えて元気になるのを待ってても良いような環境にあった人は少なかっただけ。
もう少し仔細な話をすると、2chというか、オタクな界隈で「擬人化=モノや概念の美少女化」というふうに通じる時期があった。今はもっと多様と言っていいだろう。
当時流行っていたのは、覚えている限りだと、下妻市のシモンちゃん、びんちょうたん、当時ネコミミ新幹線として話題を呼んだファステックたんなど…
書いてて思い出したが、当時はやたら「たん」付けが流行っていた。
そうした後、擬人化たん白書なる書籍が販売されたりと、擬人化界隈は小さな広がりを見せていた。
商業化という面では、エロゲの題材のほかに、鉄道むすめなどある程度成功しているものもあるが、明確に大規模なマーチャンダイズが行われたのはおそらく、ヘタリアが契機のように思う。
AKB48やアイドルマスターがおよそ2005年、ヘタリアはおよそ2006年。この辺りで、通信デバイスの進化と趣味の個立化によって「キャラがいればいるほど、一人以上の推しがつく」時代に入る。
擬人化においてヘタリアがもたらしたもう一つの意義は「語らざる背景」にある。
これはこの後の擬人化のビッグマーケットである「艦これ」、「とうらぶ」などに通ずるが、単なるモノの擬人化に対して、「国」「艦艇」「刀剣」には、その名の由来となる歴史(背景)が付随することとなった。
これにより「最初のキャラ造形とその後の保守さえ矛盾なく頑張れば、残りのキャラの(膨大な)コンテクストは各自で拾ってくる」という、実に効率的かつ大胆大規模な商品が生まれることとなった。
上手いやり方なのだ。例えばネットで流行ったMeたんのキャラなどは、どこまで行ってもスーパーフリーズ現象ぐらいなものだ。他は同人で膨らませるしかない。
だが、のちに「ナマモノ」とも言われるこれらは、取扱注意がある反面、物語は湧いて出てくる。
しかも種類が多い。莫大な数だ。四十七士や48人どころではない。
かくして大量消費社会にあって物語を湯水のように消費するマーケットができた。
かつてあった擬人化たん白書を今作るなら、野球名鑑やタレント名鑑の厚さを超えてしまうだろう。そんな歴史をひたすら消費してきた。
そこにまた新たなナマモノ消費がやってきた。
ウマ娘だ。
やっとウマ娘の話だ。
それを、おそらくは初っ端から、しくじっていた。
もちろん実際にどういうやりとりがあったかは想像するしか無いが、企画先行で、根回しが足りていなかった(ないし認識が甘かった)可能性はある。
それはそれとして、プロジェクトとしては続行となり、擬人化が好きな筆者としては、新たな商品にワクワクした。
ギリギリオグリキャップはしらず、マキバオーを読んでこなかった筆者は、それでもディープインパクトとハルウララ、そして何故かテイエムプリキュアは知っていた(確かエリ女で二着だった年で、知人が名前買いしていた)
せっかくの競馬擬人化ながら、当世最強の名高いディープインパクトが、噂ではトラブルで出せなさそうという話は、ちょっと残念ではあったが、
その後jraの2011-2013の激アツcmを見てからは全く気にならないどころか、その辺りはドンピシャで出てくる娘が多く、期待は高まった。
その後この期待は乱高下することになる。延期の発表、アイマスの有名Pの参加、その脱退、コンテンツ広報であるぱかチューブの勃興と黄昏、カンリニンチャンの失踪…
それでもウマ娘を待ったのは、擬人化コンテンツが好きで、一期のアニメが良かったからに他ならない。
この頃には、ウマ娘を契機として今の競馬を追うようになっていた。
まさか2018JCを目の前で見る日が来ようとは思わなかったが。
この時点では、擬人化コンテンツとしてのウマ娘を待ち続けていた。
だから、ゲーム内容はそんなに気にしてなかったのだ。多少面白ければよい。第一「クオリティアップのための延期」はあまり良い予兆では無い。まず安全にリリースをして欲しい。擬人化コンテンツの消費がしたい。
そういう思いだった。
2020年度。
コロナ禍吹き荒れる競馬界でいくつかの奇跡が起きた。キセキはあまりいい成績ではなかったが。
ディープインパクト以来の無敗の三冠馬・英雄の子コントレイル、史上初の傷なきトリプルティアラ・神威の子デアリングタクト、そして全ての記録を過去にせん勢いで疾る灼熱の少女・平成最後のアイドルホース、アーモンドアイ。
この三帝が一堂に会するJCは、今後100年は見ないだろう。
障害戦線では、老いて尚壮健な黄金の血統・オジュウチョウサンが記録を打ち立てていた。
カンリニンチャンが帰ってきたのだ。
この時点でも、ウマ娘は、擬人化コンテンツとアイドル要素の融合ぐらいに思っていた。
それは、最初の開発からは感じられなかった点でもあり、しかし競馬そのものを擬人化の範としたときに不可欠な要素だった。
そしてそれは、二期のアニメを経て、GIRLS'LEGEND Uで高らかに掲示された。
顔のいい女の子たちが、頑張るぞーってなしかめつらで、とっとこターフを走る光景は、ついに裏切られた。
相手を食い殺さんばかりの気迫、道々宿敵をねめあげる眼差し、食いしばられる歯、揺れる大地、高速で過ぎゆく背景。
それでも、レースを通して、シナリオを通して、曲を通して、「勝つことの意義」に魂を宿そうという意図が受け取れる。
そして、それを説得させるだけのゲーム映像技術を持ってきたのには舌を巻いた。
そうして、競馬そのものを追体験するようなゲームの熱が、今日このように広がって行くようなことは、全く予想しなかった。
ウマ娘で言えば、前評判のいいサイゲ屋のパンケーキを注文したら、ちょっと作り直すと言われたのだ。
焦がしたのかな?トラブったような音も聞こえた。まぁ食えるのが出ればいいや。変なものは出るまい。
そうして出てきたものが、行列ができるレベルの至高のパンケーキだったのだ。
魂消る。そりゃ魂消るさ。
ウマ娘がリリースされてまだ一ヶ月も過ぎていないが、自分の中では、このような擬人化史が去来していった。
ウマ娘を通しての競走馬の育成シミュレーションとしては、おおよそパワプロのようなシステムなので、こういうシステムが苦にならない人には向いている。あれもアスリート育成だしな。
その上で、シナリオ内で、史実の競走馬についてくる物語がなかなかどうして、熱い。
歴史を超えるリベンジなどというのは艦これに引けを取らない熱さである。
艦これとの比較として、お祈りゲーであることは同じであるが、大艦隊のうち6艦艇を率いるため育成が平らであるのに対して、ウマ娘は一アスリートを根から育てることとなり、まさに密である。一頭との濃密な関係が、レース本線を熱くする。
かつ、この娘たちが今「生きて」いて夢を「夢のまま終わ」らせないチャンスがある。
アイツが言うには「テーマなんてない。ケリをつけただけ」らしい。
なるほど、俺も同じ意見だった。
が、あの逆張りしか考えてないアホがそういうってことは逆だな。
どうせアイツの事だから間違えたことを言ってから突っ込まれて「なるほど!その考えがありましたね!考えを改めました!考えを改めた俺凄い!貴方からその言葉を引き出した俺凄い!会話形式で皆に分かりやすく理解の機会を作った俺天才!」と言い張る流れは目に見えてる。
そもそも「やったことにケリをつける」だって立派にテーマだろ。
撒いた種を刈り取るという行為そのものが庵野とエヴァにとってはテーマとして十分だ。
エヴァにテーマなんてないよ学派だったけど手の平クルンギヌスですわ。
まあ農業してる時点で「生きる」「働け」がテーマとして成立するからな。
いやー完全に出遅れましたね。
・戦闘がなんかかっこよくなかった
・使徒とか量産機の微妙にキモいデザインとヒト っぽさのある動きがエヴァというアニメのかっこよさだったのでは?
・音楽の使い方がシーンに合ってなくて変だった
・曲のセンスも悪かった
私は内容の辻褄が合わなかったりシナリオがつまらなくてもビジュアルとか音楽とか、何かが刺されば好きになるタイプなんだけど、全然刺さらなかった。全体的にセンスが悪くなかったか?
Yahooやはてなブログでの高評価を見て期待して劇場に足を運んだ
でも自分としてはこれは単なる未完成か投げっぱなしENDにしか思えなかった
本当にこれがあの好きだったエヴァシリーズの最後の映画なのか?
納得がいかなかったのでここでぶちまける事にする
前半の村パートは分かりやすかったのに対して後半のネルフとの決戦は半分以上意味不明だった
知らない用語が次々と出てきては、はい次と進行していきぽかんと置いてきぼりを食らった
本当に熱心なファンであれば設定を熟知してなるほどと理解できているのかもしれない
でもTV版と旧劇と新劇を見た程度の自分にはとんとついていけなかった
ゴルゴダオブジェクトがどうのこうの希望の槍カシウスがとか一体何のことなのか
最終的に劇場の中で理解は諦めてなんとなくのストーリーを追うしかなくなったのである
勿論TV版や旧劇場版にもこういう訳の分からない用語と言うのはあったがこれほど酷くは無かったように思う
綾波とアスカ、どっちが好きかと言えば自分は断然アスカ派である
それを差っ引いて聞いて欲しい
ケンスケやトウジが年齢を重ねて落ち着いており、シンジに対して優しさを示したのに対する対比かと思えるほどの当たりの強さだった
シンジが突然未来の世界に目覚めたのに対してアスカはその間も生きていた訳である
ならその分の成長と言うかシンジに対する心情の軟化があっても良かったのではないか?
シンジの親友二人の成長に対してアスカはよく言えば昔のまま変わらずであり悪く言えば何も成長していないと感じられた
セリフでは先に大人になったのとか言っていたが全くそうは思えなかったのである
そして最終決戦で使徒化してまで13号機を封印しようとしたのに失敗し、逆にゲンドウに利用されて取り込まれる
旧劇の様な八面六臂の活躍を見せる訳でも無く、本当にえっと思うような退場であった
その上シンジの事は好きだったと過去形でケンスケといい関係になっているのである
これはもう半分NTR物を見せつけられている気分になったしとてつもないショックであった
エヴァと言うのは極端に言うとシンジと綾波とアスカの物語である
100歩譲って加持さんならまだ分からなくもなかったが何故ここでケンスケなのか
ぽっと出の奴とまでは言わないがケンスケとそういう関係になったアスカは見たくは無かった
その上最後にシンジを迎えに行くのは綾波ですらなく謎の人物のマリである
本当にマリって言うのは誰なのか
しかし最後に重要な役割を果たす割にはこのマリという人物の人となりや目的、バックボーンなどの殆どが不明なのである
綾波はクローンで命令だしアスカは親に見捨てられて褒められたいと言う動機というかキャラクター性がマリにはない
最終盤でなぜかユイや冬月やゲンドウの近くに描かれていたりはしたが何故年を取っていない様に見えるのかの説明もなく余計に謎が増えただけである
分かる事と言えば何やら突然出てきてシンジの臭いを嗅いだと思えば若干寒いセリフを言い続けるエヴァパイロット
この掘り下げも何もない様なキャラが最終盤でシンジを迎えに行く重要な役に割り当てられ挙句に成長したシンジと仲睦まじい様子を見せられてもぽかんとするしかなかった
アスカはマリの事をコネメガネと呼んでいたがそのコネが何なのかすらも判明しなかった
そしてもう一度見ようだとか考察しようだと言う気力が湧いてこないのは何とも言い難い感情であった
何にせよこれで四半世紀続いたエヴァは終わったらしい
ゲイが祝福されない云々はともかく、
資本主義はキリスト教のプロテスタンティズムから生まれたとも考えられている
宗教改革におけるカルヴァンの思想は、より徹底した聖書中心主義であり、神は絶対的な権威をもち、人間の原罪はキリストの福音によってのみ救われるというものであった。その神による救済は「予(あらかじ)め定められている」であり、それを定めるのは絶対の権限を持つ神だけである、したがって「人間はすべて平等に創られてはいない。永遠の生命にあずかるもの、永遠の劫罰に喘ぐのも、すべて前もって定められている」とした。そのような人間がどのようにして神への絶対的服従を示すことができるかというと、現世の天職を与えられたものとして務めることでしかできない、と説いた。このようなカルヴァン派の信仰は西ヨーロッパの商工業者(中産階級)に支持されていった。そしてこの西ヨーロッパの商工業者の中から、近代社会を出現させる資本主義が生まれてきた。→『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
いずれにせよ、神は最初から私を救うか救わないかという正解を持っているが、それは私が死んで答え合わせがあるのであって、
私が死ぬまで正解は分からない、正解はCMのあとではなく死んだあとである
だからこそ、目の前の仕事を全うするしかないし、仕事がないとしても人生を謳歌するしかないとさえ私は考えている
その、仕事を全うする、人生を楽しむ、といったことも神は最初から計画されていることだし、
もっと広く考えるならば、この世界のすべてが神が計画されていることである
つまり、自由意志があるようで自由意志がないわけであるが、個々人にとってそれはどうでもいいことなのである
なぜなら、我々人は、神様が何をお考えになっているのか、知りようがないからである
そして、それを知ることができるのはイエス・キリストのみであり、それ以外の預言者は偽の預言者である
人は神様が何をお考えになり、これからどうされようとしているのか、知る方法はないはずだからである
だから、別にキリスト教を信仰しろ、信心深くあれ、不信心は許さん、とはまったく私は思わないが、
人は機械ではなく、ロジックのみで動作するわけではなく、必ずしも論理的、科学的思考が正しいとも言えない存在であり、
特別な信仰はなくても、頭のどこかに神というか、なにか見えないものを信じる必要性さえあるように私は考える
水木しげる氏の、見えないものを信じる、にも似ているように私は思っている
キリスト教や宗教を悪と考える人たちがこの世界に多く存在することも事実である
しかし、本当に宗教が必要ないのか、人の心に平安を与える唯物論的ではない何かが必要ないのか、
個々人がそれぞれ考えておく必要があるように思う
そういえば庵野氏の昔のインタビューの中に、今の庵野氏の心情とは大きく異なっている可能性はあるが、
「飽食の時代だから心の問題を描いた」みたいな発言があったが、
たしかにそれはある側面では正しく、それがオウム真理教のような終末思想のカルトを多く生み出した
しかし、当時の庵野氏が言う、飽食の時代でなければ明日食べるもののことだけ考えるから心は問題にならない、
これは本当だろうか
もちろん、明日食べるもののことだけしか考えられなくはなるだろう、自分もそうなるだろう
しかし、エヴァで例えるなら、その極限的な状態でシンジにとってのゲンドウが死ぬ、シンジにとっての周囲の人たちが死ぬ、
でも、自分が生きてるからそれでいいや、みたいに思えるものだろうか
たしかに他人に対して思い入れがない、思い入れがない他人であればそうかもしれない
極限的な状態であれば、食料のために親が子を食べる、子が親を食べる、人が人を食べる、殺し合い奪い合う、
そういうことが起こっても不思議はない
しかし、人であるならば、どこかで我に返ったとき考えてしまうのではないだろうか
これでいいのか、何か間違っていないか、
そういった考えが人にあるからこそ、道具を発明したり、農業を発明してきたのではなかったのか
もし、人がそうでないのであれば、今でも殺し合い奪い合っているはずである
しかし、そうならなかったのはなぜなのか?
悲しいことだが、大切な人が無残な死を迎えても、これも神様がご計画されていたことである
神様の役割は、お賽銭のような賄賂をもらって人の願いを叶えることではないし、
すべての人類一人一人が不自由なく幸せになることでもないからである
逆に考えても、すべての人が幸福な世界なんてありえないとしか思えないわけで
あくまで個人的な解釈だが、まず聖書は寄せ集めの書物という考え方もあるわけで、
キリスト教の中にも聖書は無謬であり絶対的に正しいという考え方と、
いや、聖書にも間違いがある、本質的には神が絶対であり神を信じることである、という考えもある
だから、あくまで個人的な解釈だが、自分としてはキリスト教的に、
ゲイであれノンケであれ関係なく、すべての人たちが救済されるか救済されないか、という問題を抱えており、
それは神様が最初から決めているわけであるが、我々人は死ぬまでそれは分からないのである
だからこそ、一日一日を大切に生きていくしか、人にはそれぐらいしかできないのである
人は思い上がりやすく、この世界を宇宙をすべて悟ったつもりになりがちである
鋼の錬金術師のフラスコの中の小人ではないが、神に思い上がるな、と言われるまで人は自らの思い上がりに気が付かない
そして、人は基本的に怠惰であり、その思い上がりからも歴史的にも多くの悲劇を生み出してきた
神を信じなくてもいいが、自らが思い上がっていないか、常々肝に銘じておく必要があるように思う
ガンダムやマクロスやトップをねらえとの違いを一言で表すとしたらそうなる
ちなみに、エヴァのアクションパートのクオリティを感じ取れてない人は、話の土俵からこぼれ落ちてるのでお引き取り願います。クリストファー・ノーラン作品でもみましょう。
押井のビューティフルドリーマーで見たけど?だったけど
EOEの狂気が凄まじいのと作品としての完成度が高いから許された
(もちろん激怒したやつもいる)
そもそも虚構の世界に逃げているとされる人たちのオタ活の中心はとっくにエヴァなんかじゃないぞ
炎上商法狙ってるにしたってクソ寒すぎ