はてなキーワード: とがめとは
同番組では安室さんの激動のキャリアを軸に、平成の音楽シーンを振り返った。小室哲哉氏のプロデュースでアムラー旋風を巻き起こした1990年代については「敷かれたレールの上をきちんと走っていくことにとにかく集中していた。自分はこうしたいと考える余裕すらもなかったかもしれない」と回顧。
2000年代に入って小室氏のプロデュースを離れ、一時人気が低迷した時期についても赤裸々に語った。自分の方向性に迷い、歌とダンスだけでなく作詞・作曲に一時挑戦するなどかなり試行錯誤したと改めて吐露。そんな中、多様なクリエイターと曲作りを共にしたことで一気に視界が開けたという。
「それまでの『安室奈美恵』からの解放感があって、その作業がとても楽しくて。これまでこういうワクワク、ドキドキ感を持って(音楽を)やってたのかな?って。『奈美恵ちゃんはどんなのが好きなの?』『どんな歌詞がいいの?』って、今までそういう会話ってなかったし、今“作品づくり”をしているなって。初めて『音楽』っていうものに触れた感じがありましたね」と、小室氏と歩んだ90年代とは違った道を見つけ、再び輝きを取り戻した。
番組後半、引退を決める上で「最後に背中を押したものは何だったのか」と聞かれると「ファンの皆さんの中に、『いい状態の安室奈美恵』を思い出として残してほしいなって思って。一つのゴール地点はそこだったりしたので」と告白。また、「声帯を壊してしまっていた時期もあって、声帯も限界なのかな、声がうまくでないなとか」と、7年前に声帯を壊し、自身の喉に不安を抱えていたことも明かした。
最後には「いろんなことがめまぐるしく流れていった時間を濃厚に過ごして、25年間を悔いなくやりきったというのはありますね。14歳でデビューした女の子が40歳まで音楽に携われるなんて思ってなかったので、本当に奇跡だなって」と改めて感謝を口にしていた。https://www.oricon.co.jp/news/2127865/full/
アレン・ネルソン『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』より。
(貧困と黒人差別から抜け出すために海兵隊に入り、ベトナムで戦闘と残虐行為に明け暮れた著者が、帰国後に深刻な後遺症に悩まされることになった回想録)
実戦さながらのはげしい訓練をのぞけば、沖縄はわたしたちアメリカ兵にとって毎日がカーニバルのような楽しい島でした。
ただし、それはあくまでもアメリカ兵にとってであり、沖縄の人々にとっては悲しく屈辱的な島だったはずです。
ベトナムで戦火が拡大していた時代でしたから、沖縄のどの基地も、ベトナムに行く兵士、ベトナムから帰ってきた兵士で
あふれかえっていました。明日には死んでしまうかもしれない兵士たちは、ありったけのお金を使って酒を飲み、
女性と遊ぼうとします。そんな兵士たちが遊ぶことができる場所がたくさんあった沖縄は、まるで巨大な遊園地のようだったのです。
太平洋戦争最大の激戦地であったということ。多くのアメリカ兵がそこで戦死したこと。
しかし最後にはアメリカが勝利したこと。その結果、沖縄がアメリカのものになったこと。
わたしたちが教えられるのは、そんな勝者の視点から見た沖縄であり、何万人もの沖縄の人々が死んだことについては
いっさい教わりませんでした。
当時、沖縄はまだ日本に返還されておらず、アメリカのものでしたので、アメリカ兵は沖縄は自分たちの国の一部という感覚でいました。
しかし、そこに住む人々は、アメリカの島でありながらアメリカ人ではなく、それは東洋人であり、
つまりベトナム人と同じ人種で、住む国がちがうだけなのだと思っていたのでした。
わたしたちは東洋人の一人一人を見分けることができませんでした。みんな、同じ顔に見えましたし、それでもまったく問題はなかったのです。
なぜなら、わたしたちは東洋人を、そして沖縄の人々を人間として見てはいなかったからです。
アメリカ兵はベトナム人のことを「グークス(gooks)」という言葉でよんでいました。
それは東洋人をバカにして言う言葉です。サーカスの見せ物小屋にいる異形の人間。そんな意味もあります。
アメリカ兵が沖縄の人々をよぶときは、この「グークス」ではなく、「ジャップ」という日本人をさげすんで言うときの言葉を使っていましたが、
その意味するところは「グークス」とそれほど変わりません。そこからも、わたしたちが沖縄の人々を
どんなふうに考えていたかがわかるでしょう。
たとえば、街にくり出して飲んだくれたときなど、キャンプ・ハンセンにもどるにはタクシーを使いましたが、
料金をふみたおすのはしょっちゅうでした。タクシーの運転手が支払いを催促しても、わたしたちはニヤニヤ笑って無視します。
それでも、運転手がしつこく請求すれば、わたしたちは運転手を車の外に引きずり出し、気絶するまでめちゃくちゃになぐるのです。
それは女性と遊ぶときも同様です。女性がお金を要求しても、はらう気がなければ無視しましたし、
それでもしつこく要求してくれば、女性でもようしゃなくなぐりつけました。
街を歩いていても、わけもなく沖縄の人々をバカにしたり、おどしたりしました。
そんな悪行のかぎりをつくしても、アメリカ兵は逮捕されることはありませんでした。
基地のゲートをひとたびくぐってしまえば、わたしたちは安全であり、沖縄の警察の手がおよぶことはなかったのです。
軍にとがめられることもありませんでした。
アメリカ兵一人一人は莫大な国のお金によって兵士として育てられ、そして戦場に送られるべく沖縄にいるのですから、
わたしたちが牢屋に入れられるのはアメリカにとって割に合わない、ばかばかしいことなのです。
どんなことがあっても、わたしたちには戦場に行ってもらわなければならないのです。
そのためには、わたしたちの犯した罪ですら、アメリカは見て見ないふりをしたのです。
むしろ、アメリカは、わたしたちがじゅうぶんに暴力的な兵士に改造された証だと、沖縄の人々へのアメリカ兵による犯罪に
大いに満足していたはずです。
そういうわけで、基地のフェンスの中に逃げもどることさえできれば、どんなにひどい犯罪を犯したとしても、それを笑い話や手柄話にできたのです。
花束男が言うようにやっぱりその前の試合での天心に対する舐めた行為はやはり誰かがとがめるべきだったんだよ
一気にメイウェザーは聖人君子になってしまったけど練習もなくルールに細かく口出ししてギリギリまであれこれ注文つけて最後まで舐めた試合をしてた罰だよ
行為としては花束男がマットに叩きつけた侮辱行為だけど因果応報でしかない
安倍さんが撃ち殺されたのも似たような構図だと俺は思ったんだよね
安倍さんも宗教を票のひとつとして利用しようと悪巧みを考えたから思いも寄らないところから悪意がやってきて銃弾に倒れた
ほんと、ただの因果応報
先決問題要求の虚偽とは要するに、証明されていない勝手な前提をさも大前提のように持ってくる詭弁の一種
わかりやすい例でいくと大昔に進化論を否定する際によく使われてて、
「すべての生物は神が作ったのだから、進化論は矛盾している よって進化論は間違っている」
というように、そもそも『すべての生物を作ったのは神である』という前提が怪しいのに大前提として持ってくる感じ
大体は「○○が正しいのは大前提として~」として疑わしい『正しさ』の前提を前置きで持ってくる人が非常に多い気がする
ぱっと思いつくのでいうと、「(性的消費は滅ぼすべき社会悪だというのは大前提として)この作品の描写は性的消費にあたりますよね?」
「○○の格差が間違っているのは大前提として、格差を生み出している○○は滅ぼすべき悪である」みたいな
「いやそもそもそこの前提あってます???」って言いたくなることがめちゃくちゃあるのだが、リベラル自身はどう思ってるのだろうか
さきほど、Youtuberがプロモーション動画を作って軽く炎上していた
https://twitter.com/pla_gabu/status/1560262709655920640
動画を見たが、ようはDisney+やNetflixなどを共有アカウントの仕組みを悪用し低価格で視聴しよう、というサービスの片棒を担がされたって形。ファミリー向けにいくつかのアカウントを統合することが可能だが、それを赤の他人同士で行おうって魂胆だろう。もちろん各種の配信サービスの規約に違反しているだろうから、いつおとがめを受けるかわからない。そもそも知らない人同士でアカウントを紐づけるってことがどれだけのリスクなのかは火を見るより明らかだろうね。
おそらくこういう弱小Youtuberに案件を依頼して、動画作ったあとで非公開にしたら高額な慰謝料をふんだくるってヤクザビジネスも並行してやっていると思われる。
この人自身は、最近に「twitterの乗っ取り」「Youtubeの乗っ取り」「チャンネル収益1か月はく奪」「中国企業との企画がとん挫」「部屋の水漏れ」などのさんざんな被害を受けているのでかなり同乗していたが、正直うかつすぎなんだよな
【追記 なるほど……アタシの嫌いなものは投稿するな!と言っているように見えたんですね
投稿するなとは思ってませんよ!ただ「カプとして」だけでなく「腐向け作品として」ワンクッションや検索避けをきちんとつけてほしいということです。それだけだと納得してもらえないかと思ったので色々付け足してたらこんなに長く……】
お気持ちを表明したすぎてついにアカウントを作ってしまったので、お気持ち表明したいと思います。なるべくトゲトゲしくならないように努めるから、たくさんの人に見てほしい。
これネットで公言するとなんて言われるか、皆さん分かりますかね?
このあたりです。コイツ盛ってるやろと思われるかもだけど、実際に言われたことあります。
先に断言すると、少なくとも私はBLや腐が苦手なのとLGBTの人たちが苦手・嫌いなのかどうかは完全に別問題です。
そもそもBL・GLとは、男性同士・女性同士の恋愛模様を「題材とした作品の総称」です。「同性に恋愛感情を抱く人そのもの」のことではありません。余計なことかもしれませんが、言っちゃえばBLGL作品は必ずしも本当に同性愛を知る人が書いているとも限らないです。あくまで想像上の産物なんです。
分からない方々に向けてご説明すると、バ●やバ●ロマンとかで皆さん一度は嗅いだことがあるであろう「森林の香り」と、ガチの森林の匂い。全然違うけど、表面上同じようなもんに見せてますよね?これでなんとなくニュアンス掴んでいただけると嬉しいです。
私はBLで描かれる男性同士の恋愛描写を見るのが生理的に苦手なんです。見てしまった時には、テレビのチャンネル変えてたら恋愛ドラマのベッドシーンに遭遇した時みたいな……そんな感じの気持ちになります。でも、実際のLGBTの方々やその恋愛を軽蔑も差別もしていないです。むしろ、認められる世の中になったら素敵だと思います!
ただ、BLが苦手だと言うとすぐ差別者扱いされることの繰り返しなので、最近は段々あまり関わりたくないとは思い始めた日々です。
ここで若干気づいた方もおられるかもですが、BLと腐向けって、同じじゃね?って人。いますよね。腐女子さんの中にすらいると思います。「腐女子って呼び方嫌い。BL愛好家って呼んでほしい」って人見かけたことありますし。
私も昔はそうでした。なので総称して、BLが苦手と話していたんです。もちろん、誰かれ構わず話してたわけじゃありませんよ?
そんなある日……一次創作BL、いわゆる商業BLにお詳しい方にアドバイスを頂きました。
「BLが苦手と一括りにすると、オリジナルのBL作品と版権作品のキャラクターのBL創作が混同しちゃうから気をつけて」とのこと。目から鱗でしたね……
確かに、腐っているという表現は今のBLの受け入れられつつある現代には不快な表現かもしれません。しかし、商業BLもひっくるめてお好きな方でなければ「BL愛好家」とは言えないのかもしれません。まあ、このことについては後ほど。
私はBL自体どちらもNGですが、商業の方はそもそも見に行かなければ見かけることも少ない、配慮をなさっておられる界隈です。ただ、昨今の腐向け界隈は違います。長すぎましたがここからがやっと本題です。
先ほども書きましたが、ここ数年は腐女子への理解が進み、受け入れられつつあるからか、オープンに腐ァンアートを発信する人が増えています。昔は影の存在でしたから、世の中から受け入れられたのは喜ばしいことなんでしょう。
しかし、BLや腐向けが好きな人、好きでも苦手でもない人、苦手な人の3種類がいるとします。好きな人が自由を手に入れることのできた今、苦手な人が陰に追いやられつつあると思うのです。
腐女子もとい、二次創作BLのお好きな皆さん。胸に手を当てて思い出してみてください。オープンになりすぎていませんか?
腐向けイラストのサムネイルに、ワンクッション入れていますか?入れなくとも、腐注意の一言を添えずに投稿していませんか?後述しますが、カプではなく、腐向け創作自体を苦手とする人も存在します。
検索避けされた腐向けイラストに、キャラクターの名前をリプライしてしまっていませんか?検索やトレンドには、リプライでも出てきます。トレンド入りしたキャラクター名から、モブ男に組み敷かれる推しを見せつけられたこともあるので、おそらくそうだと思います。
ここから、あらゆる反…意見を想定して考えまくった自論を展開させていただきます。
1つは、散々言ってきた通りBL自体が苦手だからです。言うまでもなかったですかね?
「なんでBLだけクッション入れないといけないの?もう立派な王道ジャンルなんだから、他のものと混ぜてもいいと思う!」
と思った人もいるでしょう。
BLは、大好きな人もいれば、私のように受け入れられない人もいます。なので例えばパクチーだと思ってください。
「パクチーはなんで『この料理はパクチーが入っています』って書かないといけないの?もう話題の野菜なんだから、にんじんとか玉ねぎと同じ扱いして!」
と言われているような心境です。世の中には残念ながら「人を選ぶもの」は存在するのです。
もちろん私の言う「人を選ぶもの」は「同性愛者さん自体」ではなく「BLや腐向け創作」のことです。
そして2つ目の理由。これに該当する仲間がいればとても嬉しいので是非教えてほしいのですが、
「既存のキャラクターの性的指向・セクシュアリティを改変される」ことがめちゃくちゃに嫌なんです。自分の知るキャラクターの大切な部分を侵され、弄られてしまったような、表しようのない喪失感とショックを受けます。私の場合、推しているジャンルじゃなくても見られません。
ここで「でもそのキャラが異性愛者だとは限らないでしょ!もとから同性が好きな可能性もあるじゃん!」と言いたい人は少なからずいると思います。
まずはあえて勘違いされるであろう言い方をしますが、全ての版権キャラクターは公式からの言及がない限り、異性愛が普通だと思います。
「普通って何?普通とか普通じゃないとか差別だ!」と思うでしょう。
この「普通」とは、「ノーマル」ではなく「デフォルト」です。人間という生き物のデフォルト設定、と私は思ってます。
分かりますよね?お手元のスマホの着信音やら何やら、全部デフォルトの状態が決まっています。デフォルトのままでなければならない理由はありません。けど、何もない限りはデフォルトのままなんです……伝わりますかね?
よって、何の言及もないキャラクターは原則的に同性愛者ではない、と考えることは、何もおかしくもないですし、差別や否定でもないと分かってほしい。
その方が、とある国際的に人気のあるジャンルの公式タグを見て回っていた時のこと。
「海外の腐女子は公式タグつけて腐イラスト出してんだし、私たちだって公式タグで腐イラスト出さない?」
( Д ) ゚ ゚
その方は思わず「腐向けが苦手な人もいるのでやめてほしいです」とやんわりコメントしたそう。すると
そ う い う 『 感 情 論 』
お分かりでしょうか?もはや腐女子の皆さんにとって、腐が苦手という意見は「感情論」でしかないのです。
「私だって苦手なカプありますし、見るとキレることもありますよ」
ここで問題なのは、その方の注意を「キレている」と認識しておられることもまあまあなのですが、その方の言う苦手は『誰と誰の創作BLが苦手だ』という意味ではなく『創作BLが苦手だ』という意味だという本質が伝わっていない点です。
例えると、「パスタ」と「スパゲティ」の違いみたいなもんですね。
ただ、この二人目の腐女子さんがいうことも事実。NL厨の皆さんも、きちんと検索避けやワンクッションをしましょう!カプ名はミュートしやすくなるので◎ですが、キャラクターの正式名称を付けるのはご法度ですよ!
腐向け創作が苦手と言えない世の中。苦手な人が黙って耐えるしかない世の中。このまま完全に確立していくのを止めたいです。
嫌なら見るな?はい。嫌だから見ないようにしてます。それでもたくさん見かける、嫌でも目に飛び込んでくるものには、せめてカーテンくらいつけてください。
それは同性愛にフタをするのかって?違います。「BL」「腐向け」という大きなジャンルの特殊性を、どうか自覚してください。
エロが苦手な人もいれば、グロが苦手な人もいる。なら、BLやGLが苦手な人がいて何が悪いのか?
LGBTとBL・GLを同化しないでほしい。それこそ偏見なんじゃないかと思います。自分達が差別されているのではなく、ましてや同性愛の方々が差別されているわけでもない。そもそも自分達が同性愛者さんと同じ視点にいると思わないでください。
この文章を読んで少しでも何かを感じてくださったなら、イラストのワンクッション、または「腐」と「カプ名」の二つの明記、そしてキャラクターの名称を添付やリプライしないこと……どうか実践してみてほしい。あなたの配慮で救われるオタクが確かに存在します。
あっ、でも一つ!
腐向けや腐女子さんを嫌っていることを公言し、過激で攻撃的な誹謗中傷をする、いわゆる「嫌腐」の人たち。この投稿は"決して"あなた方の味方をした文章ではありません。どんな理由であれ、人を侮辱し、自分の感情を投げつける行為はしてはいけないことです。あなた方の存在も、私や他の腐向けを苦手とする人々への偏見を生んでいる。暴れたいなら鍵をかけて、仲間内で暴れていてください。OK?
そうですあなたです。
最近の女性向けゲームは「原作でBLじゃないキャラクターをカップリングしたい」という腐女子さんの特性を狙って「BLとは断言しないが限りなくBLを意識した展開をしておきながら女性向けゲームを謳う」現象が非常に多いと思っています。多分勘違いじゃないです。某ゲームアプリはうっかり漏らしちゃいましたし。
あなた方には何の違いもないかもしれませんが、腐女子さんとそうでない人、ましてや苦手な人は大きすぎるほど違います。
お金をよりたくさん儲けたいのも分かりますが、あなた方がターゲットを欲張ることで、このトラップにひっかかり「好きなのに嫌い」の無限スパイラルに陥る女オタクもこの世で生きているのです。(私)
『推す』という感情は、苦手ならすぐ捨てて失くせるものではありません。オタクを舐めないでください。
ここまで書かせていただきましたが、話題になるならない限らず「これ私が書きました」と出ていくことは絶対しないつもりなので、なんかそんな感じの人が出てきたとしたら昨日の夕飯でも教えてあげといてください。
批判もたくさん出てくると思いますし、傷つくのもすごく怖いです。でも、人として悪いことを言っているわけではないと思いますし、伝わってほしいです。
とここで、腐女子腐女子言うなや!という方も多いことでしょうとも。まあ、最近は腐カプ化させることを『腐らせる』とも聞きますし、こっちからしたら腐らせられてる気持……失礼。何もありません。
私は実業高校出身なのですが、とある先生に教わったことがあります。
『人間に害をなす変化が「腐敗」で、逆に益をもたらすものを「発酵」と呼ぶ』
害は言い過ぎだと思いま……す…が、せめて歩み寄ってくださる方がいれば……
便乗して言いたくなったので書くやで。
急病・急死が気の毒だったし、なんとなくもうちょい総理やってほしかったなー、という思い出。
たまたまインタビュー記事とか読んだことあるし、森さんに接した人が口をそろえて
「個人としては面倒見が良くて良い人」
みたいなことを言っていたので、そうなんだろうな、という感じ。
ただ、いくらなんでも総理としてテレビカメラ前で言ってはいけないことがあるよね。
なんか失点があると国民感情的にすぐ総理変えろって雰囲気になってた気がする。
今にして思えばメディアのネガキャンがまだ大いに機能していた気もする。
カッコ良かったし選挙に鬼強かったしなんとなく好きだった。
すごい右からもすごい左からもめっちゃ嫌われていたが中道というか国民全般にはけっこう好かれていたと思う。
自民党本体をもっと改革したかったんだろうけど、そこにたどり着くまでに本人のモチベが無くなっちゃったイメージ。
余談として、総理辞めた後、東日本大震災後の妄言の数々にはガッカリさせられた。
小泉さんが中途半端に自民党をぶっ壊しちゃったせいで誰がやってもキツかったと思う。そこは同情する。
この頃からネットがそれなりに普及したせいか? 総理や閣僚の失言がめっちゃ取沙汰されるようになった思い出。
森さんみたいにテレビカメラ前で言うのは言語道断であるが、そうじゃなくて、支持者向けの講演会みたいなとこで喋った話がネットに出回るようになって、メディアにも取り上げられるようになった感じ。
色んな失言自体はもちろんダメなんだけど、支持者向け講演会というどちらかと言えばクローズドだったはずの場での発言を切り取られる時代になったんだなー大変だなー、と思ったことを覚えている。
難病でとてもお気の毒ではあったが、病気を理由に退陣したのはめっちゃ言い訳くさくてイメージ悪かった。
何かしたっけ?
結局、この人も「総理としてテレビカメラ前でそれを言うのはアカンやろ」という感覚を最後まで持てなかったよね。
ボンボンでめっちゃ金持ちなせいか、庶民的な金銭感覚を持ってない、みたいな批判をめっちゃされていた思い出。
総理が庶民感覚を持っていてもそれはそれでおかしいが、庶民に寄り添おうみたいな姿勢はまったくなかった。
この頃の自民党には目に見えるというか国民感情を逆撫でするような失点があり過ぎて、政権交代に至った。
麻生さんというより自民党全体がぶっちゃけ緩んでいたと思うが、党首として麻生さんが緩ませた結果という気もする。
良い方向に日本を変えてほしい、自民党以外にやらせてみようという国民の期待を背負った鳩山さん。
ところが、就任数か月でもうコイツだめだろ……となったのに、何故か一部メディアがめっちゃ持ち上げていた思い出。
なんか麻生さんなら叩かれてるような金額の飯を食っていても鳩山さんは何故か叩かれていなかった。
この頃のメディアの報道姿勢からメディア不振に至ったインターネットの民も多いのではないだろうか。
なんだかんだ震災対応を頑張っていたとは思うが、専門家軽視? と言うのか、科学的にそれはアカンやろみたいなことがめっちゃ目立った。
今になって管さん意外とよくやってたよ的な評価をする人もいるが、やっぱ活動家気質というのか、国民の多数に何となく嫌われていたような。
自民党以外にやらせてみよ! ……やっぱアカンかったわ……と国民に思わせた張本人の一人。
民主党衰退の直接的原因だと思う。
鳩山さんよりも菅さんよりもすごい実務家気質っぽい感じで淡々とやることをやっていたイメージ。
ただ民主党全体に対する不信感みたいなものがめっちゃ醸成されていたため、誰がやってももうダメだったと思う。
最後っ屁的に消費税増税して終わったが、実際何をしたかったのか。
どうせ辞めるなら増税してから辞めたろ! みたいなノリだったんだろうか。
アベノミクスのおかげで新卒就職がいきなりめっちゃ売り手市場になった思い出。
本人の言動や支持基盤的に左からめっちゃ嫌われていたが政策的には意外と中道左派系というか貧困層を救おうとしていた。
ただ長期政権化した弊害なのか、政権後半・末期になると色々と緩んでいたし、本人の口が滑るしご婦人も色々と総理夫人としてはアレだったし。
本人のやりたいことをめっちゃ実現していたのだが、総理としてはあまりにもテレビカメラ前で喋れなさ過ぎた。
辞める前後で「実はこんな感じでめっちゃ良い人」みたいなエピソードがやたら出てきた思い出。
ただ、総理と言えども(むしろ総理だからか?)テレビカメラ前で潜在的な支持者にアピールできなきゃそりゃ人気でないよね。
今後に期待したい。
仕事としてvtuberのモデリングやりたいと思って色々調べてたんだけど
めっちゃクオリティ高いなーと思った作品を使ってるvtuberがデビュー直後即動画投稿停止してることがめちゃくちゃ多い
最大視聴回数 300(他は70とか)
登録者数40
最終投稿7ヶ月前
みたいな感じ
デザインとモデリング、ロゴや配信画面合わせたら有名な人に頼まない場合でも15万以上してもおかしくないし
始める前にたくさん時間かけただろうに
なんでそんなすぐ辞めるんだ…?
反応がないからっつってもそんなの想定内だろうし自分がやりたくてやってるんだから続けりゃいいじゃん…
謎だわ
(追記)
なるほど…
俺はたとえただの趣味だとしてもおもんなくてもかけた金を回収するまではとりあえず続けるタイプだから色んな人がいるんだなと参考になった
あと登録者数50人とかでも凄いと思うからやめんのもったいなって思うんだよな
そりゃ1000人とか10000人とかからしたら少なすぎるけど生身の人間50人がわざわざ動画開いて登録ボタン押したってことでしょ
50人って50人だぞ?
俺なら嬉しくて舞い踊るけどな
テニスのアンスコといえばフリフリ白パンツか、紺ブルマーのイメージだ。純白のスカートから躍動する脚、チラチラのぞきブルマー。実物は見たことないのに、なぜかドキドキしてしまう。この偽装された記憶はどこから来たのだろう。
ウィキペディアによれば、第1回大会はセンターコートに置いてあった芝生の手入れ用のローラーを新しくする資金集めを目的に、1877年7月9日から始まったそうだ。種目は男子シングルスのみのアマチュアの大会だった。
1884年に女子シングルスと、それまでオックスフォードで開催されていた全英男子ダブルスがウィンブルドンで開催されるようになった。1913年には女子ダブルスとミックスダブルスが加えられ、1968年にはプロ選手の参加が認められた。
世界中から強豪選手が参加するようになったため、地元イギリスの出身者は長らく優勝できなかった。男子シングルスでは1936年のFrederick John Perryから2013年のSir Andrew Barron "Andy" Murrayまでの77年間、優勝がなかった。また、女子シングルスでは1977年のVirginia Wadeの優勝を最後に40年以上イギリス人の優勝者は出ていない。
ちなみに、このように海外勢いに門戸を開いた結果、地元勢が淘汰され消沈することを「ウィンブルドン効果」という。
開催時期は原則として6月最終月曜日から2週間で、ちょうど英国の社交の季節だ。競馬のロイヤル・アスコット(「マイ・フェア・レディ」に出てくるあれ)、競艇のロイヤル・ヘンリー・レガッタもこの時期だ。
ドレスコードが厳しいのでも有名で、原則身に着けるのは白一色である汗じみが見苦しくないようにともいわれる。ブリタニカのページなので確かだろう。
https://www.britannica.com/story/why-do-tennis-players-wear-white-at-wimbledon
元々、ウィンブルドンでは女性はロングスカートや分厚いシャツ、それから帽子をかぶることが要請されていた。こちらではコルセット付きだったとも(ただし白い衣装について異説を紹介していることに注意)。20世紀初頭のテニスプレイヤーは道行く女性の姿と大して変わらなかったのである。だから本気で優勝を目指すことはおろか、ちょっと大きな球を返すのさえ大変だった。当時の男性がずっと軽装だったのと対照的である。
流れを変えたのはDorothea Douglass Lambert Chambersという選手で、1900年により簡素なシャツにネクタイ姿で登場した。7度シングルで優勝し、1908年には夏のオリンピックで金メダルを取っている。彼女は1910年にドレスコードやエチケットについての本を著している。
その後フランスのSuzanne Lenglenがテニス界のフラッパー(新しい女)として知られるようになった。飲み物をブランデーと入れ替えたり、強めのメイクをしたりといたずらも好きだった。負けると感情的になったことでも知られる。彼女は白のみのファッションを許容していたウィンブルドンに立ったが、エキセントリックなファッションセンスでも知られていた。ミンクやオコジョのコートをまとい、当時としては短いスカートでプレイしたのである。彼女が次の世代の女性たちに道を切り開いた。
そして戦後の1949年、Gertrude Moran(Gorgeous Gussie)がスキャンダルを引き起こした。というのも、ウィンブルドンの意匠は白一色だと規定されていたのだが、そのあまりにも「明らさまな」白い衣装に観客はショックを受けた。どういうことか。試合の前にMoranは公式開催主のTed Tinlingに衣装をデザインしてくれと依頼していた。一見すると規定に従った衣装に見えるのだが、実際にプレイするとフリル付きの下着が丸見えになったのだ。
これに関し、All England Club’sの委員会は「ウィンブルドンに野卑と罪を持ち込んだ」と猛烈に批判し、国会でさえ適切な衣装についての議論が起こった。Tinlingは33年のキャリアにもかかわらずウィンブルドンのホストを追放された。にもかかわらず、Moranは魅力的な姿から彼女は人気だった。彼女は後に「自分はただの女の子だったが、メディアが大げさに書き立てたのだ」という趣旨の発言を残している。彼女は60年代まで活躍した。
https://www.thecut.com/2018/08/womens-tennis-outfits-convtroversy-history.html
衣装に関する議論は定期的に起きている。全ての内容を翻訳していてはページが長くなるので、見せパンに関係するいくつかのみをピックアップする。
1958年にアメリカのKarol Fagerousは金のラメ入りの見せパンを全仏オープンで披露したが、すぐさまウィンブルドン大会への参加を禁止された。「対戦相手を不快にさせる」のがその理由だ。しかし、金のラメを白いレースで覆うことで参加を許可されている。
あるいは2016年のナイキがデザインしたベビードール風のテニスウエアがある。しかし、選手が身体を隠すのに苦労したし、ひらひらして浮いてくる。実際写真で検索するとしょっちゅう短パンというか見せパンが丸見えになる。なので、ナイキはすぐにその衣装を改善したそうだ。
https://www.slideshare.net/guimera/wimbledon-2014-fashion-through-history
見せパンについてはこちらも参照。たとえば6番目の写真のChris Evert、1976年のピンクの見せパンや、41番のTracy Austin、1981年の黄色の見せパンを確認できる。50番はTatiana Golovinは赤の見せパン(短パン)で、このときウィンブルドンは衣装がすべて白という規定に抵触するかどうかでもめたらしい。一応、下着の色は自由だということでおとがめなしだったそうだ。56によるとMaria SharapovaやSerena Williamsの赤の短パンが、そして色付きのネイルが問題になったらしい。
https://www.dailystar.co.uk/news/latest-news/bbc-bosses-blasted-focus-female-17086364
なお、大衆紙によると2016年にBBCの偉い人がテニス選手の見せパンやお尻ばかり撮影したと批判されたようだ。以前にビーチバレーの記事でも書いたが、カメラが性的にならないようにする工夫というのは必要である。
https://www.news-postseven.com/archives/20190904_1444086.html?DETAIL
エラリー・クイーンを読んでいた時に、確か「Zの悲劇」だったと思うが(いや、「レーン最後の事件」だったかな?)、ペインシェンスという娘が恋人とスキャンティ(パンティー、ショーツの別名)を買いに行く場面があった。同時代の小説での証言として興味深いのでメモしておく。
https://www.elle.com/jp/fashion/fashion-column/a35747586/history-of-pantslooks2021/
また、パンツでヒットしたのでここに記す。死文化していたが、フランスでは女性がスカートでないパンツスタイルをはくことが法で禁じられていたとのこと。女性の権利に関して非常に進歩的である地域に見えても、案外不平等なシステムの残滓が残っていたりするのもので、ときおり愕然とさせられる。たとえばスイスで女性参政権が得られたのは驚くなかれ1991年である。女性への制限、男性への制限、どっちでもない人への制限、みんなで少しずつなくしていきたい。
よくドレスコードなんかでもめる話で、ハイヒールを必ずはくよう要請される場所というのがある。なんかの映画祭でも話題になっていたことを記憶している。伝統に敬意を払うのは大事だが、はいていないと入場できないのはやりすぎのように思う。ドレスコードってのはみんなが居心地悪くならないようにするためのもので、人を縛るものとはちょっと違う。
例えば、足を怪我していたらどうするのか。もっと極端な話、脚が生まれつきない人はどうするのだ。茶化しているのではない。様々な疾患や障害があろうが困らないようにするほうが、誰にとっても生きやすい社会になるはずだ。
「Tennis Girl」というスカートからお尻丸出しの歴史的に有名な写真がなんと英語版ウィキペディアには掲載されている。ウィキメディアコモンズにはときおりとんでもない画像があるから驚かされる。
自分の投稿をブルマ増田としてまとめてくださる方がいる。あるいは、いつも応援のコメントをつけてくださる方がいる。ありがたいことだ。けれども、どうやって拾い上げているのだろう。一日に何千件も投稿されるはてな匿名ダイアリーの中から見つけるというのは大変な作業だ。すべてが注目エントリに入るわけではない。いったいどうやっているのかちょっとうかがってみたい。ブルマーというキーワードで定期的に検索をかけているのだろうか? それともそういうスクリプトが組めるのだろうか?
例えば女性のショーツ(そして見せパン)の形の変遷、チアの見せパンの歴史。また、古代エジプトでクレオパトラはカエサルと会ったときにどういう服装をしていたのか(絵画のようにトップレスになることがあったのか)、それからトップレスが許容されていていた地域の時代的変遷だ。これは身分にもよるだろうし、少し複雑になるだろう。あるいは、どうしてギリシア・ローマの流れを引き継いだ西洋絵画では、長らく女性器と陰毛があまり表現されていなかったのか。多くの古代文明では時に具象的に、時に抽象的に表現されているのに。謎は多い。