はてなキーワード: 研究室とは
卒業できません。
友人も数人博士に進みましたが、みんな留年して何とか卒業という感じです。
何なら、博士課程4年で何の成果もなく、修論の成果がギリギリ博士課程の年限に論文が出たものを再利用して何とか卒業した人もいます。
自分はというと、学部時代に留年をしまくって、今ようやく博士1年生です。
成果は、今のところ何も出ていません。修士とは違う学科の研究室にいますので、博士課程の結果が出ないと終わりです。
しかし、自分の考えた提案手法は今のところ何の成果も得られていません。
成果が得られないどころか、マイナスの結果ばかりです。意味がわからないです。
当然、論文も書けません。
一つ、確実に言えるのは、「3年での卒業」は不可能であることです。
「提案手法が使えない」ことがわかっただけで終わる可能性が高いです。
独自テーマでやってしまった以上、指導教官からの補助は望めないでしょう。
今はただ、3年経って退学をするまで待つだけです。
ポスドク問題とか言いますが、ポスドクって博士号取ってますからね。
多分僕はこのコースです。
どうしよう。
小学校の卒業式の予行練習の日、体育館に入場する時に男女2列で並ぶことになって、その並び順が決まった時、クラスのある女の子が泣いていた。
その様子に気づいた先生が、どうかしたの、体調が悪いの、と尋ねると、「○○君の隣は嫌…。」と言ってさらに泣き続けた。
○○君は、同じクラスの男子で、自分の中では変わり者でいつもニヤニヤしていてよくからかわれてるという印象はあったけれど、悪さをするわけでもなく、特に好きでも嫌いでもなかった。ただ、理由はわからないけど女子には嫌われていた。
○○君の様子を見るといつも通りにやにやしていて、平気そうにしていた。
先生は○○君の言い分を聞くこともなく、○○君を別の列に移動させた。
その様子を見た当時の自分は、女の子を泣かせるなんてきっとひどいことをしたんだろうな、と単純に考えることしかできなかった。
中学校の卒業式が近づくと、再び予行練習が行われた。小学生の時とやり方はほとんど変わらず、また体育館まで2列で並んで行くことになった。
すると自分の隣になった女子が突然、「コイツの隣なんか嫌だー!」と言いながら泣き始めた。
すると担任が飛んできて、「お前、場所変わってやれよ。」と言われた。周囲のクラスメイトも先生の意見にこそこそと賛同していた。こちらの言い分は一切聞かれることがなかった。
だけど、このまま泣かれ続けるのは苦しかったし、意地を張って同じ場所に留まり続けることは、中学生から見ればその女子との間に何かがあるのだと思われることは間違いなかった。
悔しかったし、つらかったけれど、泣いてはいけないと思って、必死に涙を堪えながら場所を移動した。
思い当たることはたくさんあった。その女子からは、見た目がキモいとか、仕草が気持ち悪いという理由で何度も嫌がらせをされたことがあった。わざと自分にだけプリントを配らないとか、友達と話している時にこそこそとなぜか聞こえるように自分の悪口の会話をしているとかは、日常茶飯事だった。
それだけでなく、ありもしない罪を作り上げて、勝手にクラス中に噂を流されることもあった。
そういうことをするのはその女子一人だけではなく、その女子と仲のいい女子何人かも同じようなことをしてきたし、女子が言ったことに対しては誰も疑いを持たずに信じた。
噂が一度流れてしまえば、自分のクラスでの立場は地の底へ落ちた。
先生が噂を知ったとしても証拠など求めないし、ただ女子の話だけを聞いた。
そもそも触られた、という噂に対して証拠など求めようが無かったのだろうけど。
彼女らはいつでも「私は被害者だ」というスタンスをつらぬいた。
男子からのいじめや嫌がらせではそういうことはなかった。教師に相談すれば、解決するとは限らなかったが、少なくともこちらの話を聞いてもらえないということはなかったし、加害者の言い分も聞いていた。
自分が小学生の時に、クラスメイトのことを少しでも悪く思ったことを恥じた。
当時は、同じような経験をした人はそれほどいないと思っていたが、最近ネットで検索すると、全然珍しいことではなく、全国の小中高で当たり前のように行われているいじめで、泣きながら自分が被害者だと主張するのは女子だけであることが分かった。
きっと、男子が同じようなことをしても、周囲は冷たい目を向けるだけのことがほとんどなのだろう。
今思えば、小学校、中学校、高校と、女子はほとんど特権階級と言っていい扱いを受けていた。
あれだけ人を傷つけても、咎められたという話を聞いたことが無い。「被害者」という立場に立たれてしまえば、目に見える被害を残す男子のいじめと違って、生徒も教師も咎めることが出来ない。
そういうことを繰り返す子が周囲の子から嫌われることはもちろんあっただろうけど、本人は自分が被害者のつもりなのだから、自分のやったことを反省することは無い。
自分の気に入らないものを、被害者という立場で自由に排除することができる人生というものは、さぞ愉快なものだろう。
大学院入試では、大学の研究室で研究した内容をプレゼンして自分の研究をアピールする必要がある。面接官は大学の教授で、研究内容についての厳しい質問がたびたび飛び出してくる。
無事に合格して、研究室の教授と入試についての話をする機会があり、こう言われた。
「女の子の場合は、言葉に詰まると泣き出しちゃう子が多いんだよね。全く、泣けばいいってもんじゃないのにさ。」
高校生までは周りから許してもらえていた涙も、大学生では、むしろ全く逆の効果をもつものになってしまっていた。
就職活動のシーズンになると、ほとんどの学生は何十社も受けて、ほとんどの会社にお祈りされるのが当たり前になっていた。
自分の知り合いの女性に、建設系の学部で現場監督を目指している人がいた。
詳しくはないが、現場監督に女性が少ないことはなんとなく知っていた。だから、苦労するだろうことは予測できていたし、本人も予想していたはずだった。
ところが後日就職活動の調子について話を聞くと、10社ほど受けたところで現場監督は諦めたという話だった。
どの会社からも、「女性が少ないところだけどちゃんとやっていける?」と聞かれたそうだった。
本人は、どうせ女だからって落とされたんだ、と怒りを込めて愚痴っていた。SNSを見ても同じような文言で怒りを呟いていた。
自分は、なぜそれが原因で落とされたと思い込んでるのか、むしろ思い込みたいのか、理解に苦しんだ。
ただ、今思うと不遇な扱いへの耐性がとても低かったのかもしれない。
色覚に異常があるとか、身長が足りないとか、そういう理由ではっきりと志望する職種に行けないことがわかった友人を何人か知っているけど、彼らは別の方法を考えたり、似ているが別の職種に志望を切り替えたりしていた。
はっきりとそれが理由だと言われたわけでもなく、それも別の手段をいくらでも考える余地がある人がすぐに、どうせ女だから、と言って社会への不満を爆発させるのは、きっと今までは同じ理由で優遇されてきたからなのだろう。
SNSなどで女性が社会に強い不満を持っている話題についての言及を見ても、
高校生以下からの不満はほとんど皆無で(大人が高校生以下の境遇を憂いている話は聞くが)、たいてい大学生や社会人が不満を言っているのも、それが理由なのかもしれない。
まだ未熟な若い頃に、特権階級と言ってもいいくらいの優遇を受けてきたのに、大人になったら急に立場が下がってしまうという事実に対しては、人間が過去の記憶しか持たない以上、子供の頃から立場が低かった人と比べても、はるかに強い不満を覚えてしまうのは仕方のないことなのだろうと思う。
男性の場合は、若い頃にしばしば不遇な扱いを受けて、大人になってからやっと人並みの扱いを受けられるようになった、という経験を持つ人が多いが、それを思うと、今がどうかに関係なく、人生は上がり調子が一番社会への不満を持たずに済むのだろう。
自分の子供に不遇な扱いを受けてほしいと思う親などいないが、将来の幸せのことも考えて、人生はだんだんと右肩上がりになるようにしないと、将来不満ばかりの人生にさせてしまうかもしれない。
『卒論、どうなるんだろう…』
自分もその一人で進捗もまずいんだが、俺は心からヤバさを自覚で来てなくて現実からとことん逃げようとしてる。
何から話せばいいかわからないが、自分が今ラボでどんな状態かを説明させていただきたい。
テーマの目標が曖昧過ぎる、みんなに当初から「どう卒論としてまとめるの?」と言われ続けるも全く分からずもう11月へ突入。
当初予定していた、特注の機械を用いた先進的なこと(具体的には言えない)は共同研究先の不手際により多分もう不可能
それ以前に研究する材料の納品が半年以上遅れて、実験をかなりやらなければならないテーマなのに他のメンバーより初動がかなり遅れてしまった。
プロジェクト担当の教授が何もわかっていないせいで暴走しかけた。
しかもこのテーマは企業のノウハウに依存する部分が大きい、重要な部分がブラックボックス化してしまっている。
・配属後の自分について
研究の遅れをこじらせて鬱になり、一時期大学にも行けなくなった。(今は休みがちなもののコアタイム中は行けるようにはなっている)
しばらく精神科や大学のカウンセラーに定期的にお世話になってた。
そんな最中、院進学を決意してしまった。理由としては一応推薦入試が受けられるというので、せっかくなら受けて進学しようと思った。ただし研究室は学内の別のところに変えることにした。
今自分は色々実験という名の作業を行っているが、正直やる意義がわからないし面白味もない。
また自分は研究に不適合なのではという思いが強くなってきている(テーマが悪かったというのは大いにあると思うが、それを加味してもだ。
いろんな人にこれを言われ続けて半年以上たつけど、いまだに見失う。
ゴールが曖昧過ぎてそこまでの道が組み立てられない。
この間のミーティングも報告がかなりスカスカになってしまった(しないよりはマシだとは思うが)
進学先でどうなるかは知らない。なるようにしかならないと思う。
留学したいと進学先の先生に言ってしまったが私は耐えられるのだろうか。
友人がいないわけではないが、人付き合いが得意ではない。それを研究室生活で思い知ってしまった。
故郷にも帰りたい、ただクソ田舎県のため院卒はウケが悪いんだろうなあと思う。
話は卒論に戻るが、このままだと実験したことつらつら並べてテキトーに解析して『はい、何も得られませんでした~wwwwww』としかならない。
教授に俺の卒論どうなるんだと相談はしているがかなりあいまいな回答しか返ってこない
先輩方は『ここの教授はとりあえず卒業はさせてくれる』とはいう。ただ自分が限界を迎えてしまう可能性が高い(それを防ぐためにあまり研究室に居残らないようにしてる)
俺どうなっちゃうんだろうなあ…そんなことがもう夏休み明けから頭を渦巻いている。
留年したらもうしちゃったでもういいかな、そう思う自分がいるのも事実だ。
この問いは卒論が終わるまであと数か月頭をよぎるんだろうな。
引継ぎの後輩は、俺みたくならないでほしいが先輩曰く『お前の状態誰でも病むわ』って言ってたので避けられないだろう。多少状況がマシになっているとはいえ(材料がある、それだけでも自分にとってはかなり恵まれていると思う)
定期的にここに自分の思いこんでいることを書いて行こうと思う。
・自分の興味があることを選ぶ。
・メリット・デメリットを考える。講義の幅が広い、専門性が弱いなど。
・出口戦略を決める。
・進路・進学先を調べる。就職先の傾向が自分に合っているか調べる。大学院が別キャンパスだったりすることもある。
・研究室を調べる。卒論・修論を見て、自分のやりたいことと合っているかを確認する。
・人に相談する。
・教授に相談する。他の学科との違いなど。直接相談してでも聞いてみる。
・学科の先輩に相談する。連絡が取りづらいだろうが、雰囲気を掴むには一番よい。合わないと結構辛い。
・進振りの点数
・点数だけでは選ばない。
kurikuri321
@kurikuri321
関係ないけど(あるけど) 歴代の日本人宇宙飛行士は軒並み首都圏出身者ばかりだったことを思い出します。
米国だと全米様々に出身地がバラけていたのが印象的でした。研究者のみならず、軍人上がりがいるから?でしょうか。。。
PsycheRadio
@marxindo
東大前期入試合格者のうち東京出身が37.1%,東京除く関東が22.1%だって。東大生も半分くらいは自宅から通っているのではないラジか。
午後7:58 · 2021年11月10日·Twitter for iPhone
https://twitter.com/kurikuri321/status/1458388561536098305
----
kurikuri321
@kurikuri321
両親は金持ち。実家は首都圏。有名な大学や研究室は自宅から通える。
このコンボをキメないとなかなか研究者にはなれないし、宇宙飛行士にはなれないのだろう。
USは割と出身も職業もバラエティに富んでいていかにも〜、って印象に落ち着いた。
考えた。
博士学生というのは必然的に、教授を除いた研究室での最年長となる。
稀に助手がいたりしてもサンプル数は少ないし、助手たちも博士学生のときにモデルケースを見ないで育って来ている可能性が高いので、彼ら自身はモデルケースとして有用ではない。
最年長なので接するのは年下ばかり、さらにまだ学生であるという気分も重なって、歳ばかり重ね、礼節に欠けたダサい博士学生が出来上がるのだ。
一方会社だと、2、3年後の自分の立ち位置を簡単に想像することができる。
それは2、3年先輩の社員がうようよいるからで、彼らもまた、自らの数年先の目標として先輩、上司の姿を見ている。
連続的にモデルケースが連なっているので、年齢を重ねるのに伴う社会的地位向上と、取るべき態度や見た目の練度向上がスムーズに変化する。
博士学生はずっと大学にいるから、社会に出ないから、と言われるが、それは間違っていると思う。
ここのところ研究室に対するヘイトがすんごい溜まってきてるのでなぐり書きします。ガチのブラックと比べれば屁でもないのですが吐かせてください。
私の大学では研究室に配属される前に研究室説明会というものがあり、そこでどのような研究室かということの紹介をする。
コアタイムがある研究室はそこで話すのだが、私の所属している研究室はコアタイムに関する説明は一切されなかった。
しかし、いざ入ってみれば情報系の研究室にも関わらず9~18というコアタイムが存在した。
私はバイトや家庭の事情のためコアタイムのない研究室に入ろうとしていたが出鼻をくじかれた。
このコアタイムの嫌なところはタイムカードシステムがあるところである。
このタイムカードシステム9時までにチェックインしないと罰金までとられてしまう。
じゃあ、9~18で張り詰めて研究しているのかといえばそうでもない。途中家に帰ったり昼食を食べに1~2時間レベルの外出をしたりとやっていることがチグハグすぎてついていけなくなった。
しかも何もすることがない状態でもわざわざ交通費をかけて研究室に行かなければならない。情報系とは思えないほど非生産的なシステムである。
作業があったとしても研究室に行かなければ研究が出来ないタイプのものではない。PCのさえあれば家でもできるのに行かなければならない。タイムカードを切るために。
しかもこのコアタイムM2と研究員が仕切っているのである。教授じゃない人たちによってもたらされるコアタイムが本当に謎すぎる。
今思えば説明されなかったのも納得である。教授がコアタイムを管理しているわけではないのだから。
うちの研究室には当然ながら教授がいる。しかし、直接指導することはまれなタイプの人である。(でも相談すればそれなりに解決してくれるため非常に助かっている)
その他にいまいちよくわからない研究員という肩書の人がいる。その人が曲者というかよくわからない人であった。
研究室配属時に一つ上の先輩に「研究員の人に言われたとおりにやっていれば問題ないよ~」という趣旨の話をされ、研究員と卒論テーマを相談し卒論は書き終えた。
なんなら他の学部生よりも難しいテーマを選びかなりやる気も見せていた。
しかし、大学院に進学後突然放置され始めたのである。こちらが4月頃に「先行研究はこのような形のためこういうテーマなら新規性もあると思います。修士の研究として妥当でしょうか?」という趣旨の質問をしても「ちょっと考えるわ、待ってて」との一言で4ヶ月以上返信は来なかった。
今思えば、一つ上の先輩たちはその研究員のお気に入りであったのだ。slackに残っているチャンネルの履歴を確認すると去年はその研究員が今のM2をゴリゴリに指導していた。
研究員のお気に入りと気づかないM2は当然後輩にも「研究員の人に言われたとおりにやっていれば問題ないよ~」という趣旨の話をする。しかし、それを真に受けた後輩(私)は適当にあしらわれ今年の前期を完全に無駄にした。
さらには研究員主導で行くシンポジウム等の出張をM1ではなくB4を連れていくという始末だ。M1には何も話はこなかった。よほど見限られたらしい。
大学側から後期開始2週間(9/27~10/8)は原則オンライン授業・入校は控えるようとの指示があった。しかし、そんな中でも意味のないコアタイムは健在である。
上記でも話したとおり研究員が返信すらしてくれないため研究テーマすら決まっていない状況だ。そのよう状況ではやることもない。
なのに9時にタイムカードを切るためだけに来いとM2が強く連絡してくるのである。もはや意味がわからない。
本格的にどうかしていると思ったのは去年の5月と今年の7月に研究室全員で飲み会を行ったことだ。
コアタイムで同期と毎日一緒に過ごしているとそういう思考になるのだろうか?理解が出来なかった。
M2の「研究員の人に言われたとおりにやっていれば問題ないよ~」という趣旨の話を信じ切って研究員に頼り切り、返信をずっと待っている間あまりにもやることがなさすぎてコアタイムをサボっていた。
ただ、情報系の研究室のためコアタイムをサボっても誰にも迷惑はかからないだが、多分ここで見限られたのではないのかと思う。
やることや研究テーマさえ決まればコアタイムは守るつもりであった。
コアタイムをサボったのは、コロナの状況も今よりもひどかった時期であり実家暮らしの者としては無意味に行きたくなかったというのもあった。
ちなみにやることがなかった間は資格の勉強をしていた。FE,APは取得済だったためネスペの勉強をして、今年の秋の試験を受けた。多分受かりそうです。
流石にこの時期まで研究テーマが決まっていない状況はやばいと思い、教授に相談した。他にもM1が4人ほどいるが全員同じような状況だ。
上記の話はすべて私の憶測のため、教授には話さなかったがとりあえず研究の方向は見えてきた。
で、学生時代を思い出した。
私が人生で一番楽しかった時期が大学1・2年であり、逆に3・4年がとてもつらかった。
1・2年までは部活動が楽しくて充実していたが、3年から研究室に入るようになったのだが先生が合わなかった。というか研究が合わなかった。
学ぶこと自体は好きな分野なのだが、じゃあ何がしたいのか?問い詰められて何もでなかった。
4年になりみんながテーマを決めて研究を進める中、一歩も進まない自分。
就職も決まらず、付き合っていた恋人とは別れ、大学にも通えず風呂にも入れず一日中布団の中で過ごす毎日。
当然留年した。卒業式には出なかったが、遠くへ行ってしまう友達には会いたかったので大学には来た。
それでも同級生の華やかな姿は見たくなかったのでトイレの個室で待っていた(電気消された)
とりあえず親からは「二留はやめろ」と言われたので途中から研究室には顔を出した。でも何も決められなかったので見かねた別の先生がテーマをくれたのでそれで卒論を出した。
自分はこの留年という烙印が屈辱的で情けなく、それ以来この出身校を避けていた。
学生時代前半はあんなに楽しく絶頂期だったはずなのに、楽しい学生生活で終わらせられなかったことが悔しかった。
特に部活動は熱心にやっていたのに、大学不登校になってから自分が情けなく関わりあいを避けた。自分から避けた癖に、仲間の輪に入れなかったことが寂しい。
それでも繋がりを持ってくれている数少ない友人は数名いる。だが同時に、「私の苦しみを友人でも共有できないのだ」と絶望していた。
出身校に対するネガティブな感情、しかも誰かから被害を受けた等ではなく自分の失敗によるものによる苦しみ。
友人たちはそういったものを持っていないようだった。
卒業をして、ニートを挟みながら職場を転々をして渡り歩いてきたが、「退学や留年した人ってどこにいるんだろう?」と思う。
まあ職場で学歴の話なんてしないので、本当はしている人はごまんといるのかもしれないけど。
一度「中途退学したよー」とあっけらかんと話す人がいた。だがよく話題に出すので、本当に気にしているのかいないのかは判断がつかなかった。
あと対面で「実はこういう苦しみを持っているんですよ」って言わないよね。他人からしたら「留年?退学?ばかだな~w」という反応かもしれないけど自分は口に出すのもつらい過去だし。
ネットでも自分は人見知りだから知り合いいない。だから観測できない。でもいるだろ、同じような気持ちの奴。
情けない話だけど10年離れてやっとちょっと薄らいできたんだよな。いつもそのまま捨てるニュースレターを包装を解いて目を通したのも進歩なんだよ。
で、学生時代を思い出した。
私が人生で一番楽しかった時期が大学1・2年であり、逆に3・4年がとてもつらかった。
1・2年までは部活動が楽しくて充実していたが、3年から研究室に入るようになったのだが先生が合わなかった。というか研究が合わなかった。
学ぶこと自体は好きな分野なのだが、じゃあ何がしたいのか?問い詰められて何もでなかった。
4年になりみんながテーマを決めて研究を進める中、一歩も進まない自分。
就職も決まらず、付き合っていた恋人とは別れ、大学にも通えず風呂にも入れず一日中布団の中で過ごす毎日。
当然留年した。卒業式には出なかったが、遠くへ行ってしまう友達には会いたかったので大学には来た。
それでも同級生の華やかな姿は見たくなかったのでトイレの個室で待っていた(電気消された)
とりあえず親からは「二留はやめろ」と言われたので途中から研究室には顔を出した。でも何も決められなかったので見かねた別の先生がテーマをくれたのでそれで卒論を出した。
自分はこの留年という烙印が屈辱的で情けなく、それ以来この出身校を避けていた。
学生時代前半はあんなに楽しく絶頂期だったはずなのに、楽しい学生生活で終わらせられなかったことが悔しかった。
特に部活動は熱心にやっていたのに、大学不登校になってから自分が情けなく関わりあいを避けた。自分から避けた癖に、仲間の輪に入れなかったことが寂しい。
それでも繋がりを持ってくれている数少ない友人は数名いる。だが同時に、「私の苦しみを友人でも共有できないのだ」と絶望していた。
出身校に対するネガティブな感情、しかも誰かから被害を受けた等ではなく自分の失敗によるものによる苦しみ。
友人たちはそういったものを持っていないようだった。
卒業をして、ニートを挟みながら職場を転々をして渡り歩いてきたが、「退学や留年した人ってどこにいるんだろう?」と思う。
まあ職場で学歴の話なんてしないので、本当はしている人はごまんといるのかもしれないけど。
一度「中途退学したよー」とあっけらかんと話す人がいた。だがよく話題に出すので、本当に気にしているのかいないのかは判断がつかなかった。
あと対面で「実はこういう苦しみを持っているんですよ」って言わないよね。他人からしたら「留年?退学?ばかだな~w」という反応かもしれないけど自分は口に出すのもつらい過去だし。
ネットでも自分は人見知りだから知り合いいない。だから観測できない。でもいるだろ、同じような気持ちの奴。
情けない話だけど10年離れてやっとちょっと薄らいできたんだよな。いつもそのまま捨てるニュースレターを包装を解いて目を通したのも進歩なんだよ。
自然災害の後、電気が真っ先に復活するかどうかは災害の規模によります。たとえば東日本大震災の場合、ガソリン不足は被災地(仙台市内)でも1ヶ月ほどで解消されましたが、電力不足は災害翌年にまでも全国的に問題になりましたよね。
全ての自動車/トラックがEVである状況で大災害が発生し、東日本大震災と同等、またはそれ以上の電力不足に陥った場合。電力不足により自動車を動かせず、被災地だけではなく日本全国の物流が1年以上にもわたって影響を受け続け、経済的に大きな打撃を受けるリスクが考えられます。
EV信者はバッテリーを電源として利用できることを理由に「EVは災害に強い」と主張しますが、「災害に強い」の意味を履き違えてはいないでしょうか。
「災害に強い」とは、数日で復旧する程度の災害において快適に暮らせることではありません。東日本大震災のように想定を遥かに超える最悪の事態が起こったとしても、多くの国民が細く長く生き延びることができ、いち早く、かつ確実に復興できることを、「災害に強い」というのです。
確かに、EVは数日の停電で済む程度の災害時に快適に暮らすためには良い道具かもしれません。しかし、未曾有の大災害において命を守り、そこから確実に復興することを主眼とした場合、EVシフトが済んだ社会はあまりにも貧弱です。
【ソース一覧】
https://www.news24.jp/articles/2021/03/05/07834380.html
大雪立ち往生でEVが抱える最も困難な問題は充電の問題です。ガソリン車であれば燃料を携行缶で持ってくることができますが、EVではそれができません。
上の項に書いたように、災害時に大切なのは細く長く生き延びることです。暖房をかけっぱなしにできる分EVの方が快適かもしれませんが、電池が切れたらそこでおしまい。長く生き延びることも、立ち往生が解消された後に移動することも困難になります。
一酸化炭素中毒のリスクはありますが、定期的に除雪を行い(めんどくさいがエコノミー症候群の防止になる)、必要最低限の暖房が済んだらエンジンを切る方法であれば、ガソリン車の方が大雪立ち往生においてよっぽど有利ですし、EVが大雪に脆弱なのは明白です。
この問題が身近にある豪雪地帯で、果たしてどれだけの人がEVを所有したいと思うでしょうか。命に関わる問題ですから、これはEV信者が考えている以上に重大な問題ですし、EVが普及できない理由に十分なりえます。
仮に各国が完全にEVシフトしたとしても、ガソリンや軽油の生産はなくなりません。なぜなら、原油は蒸留されることによって利用されるからです。
原油は燃料以外に、プラスチックの生産にも利用されます。プラスチックの生産にはナフサが使われますが、原油を蒸留してナフサを取り出す過程で、軽油やガソリンも作りたくなくても生産されてしまうわけです。
仮にEVシフトしたとしてもプラスチックの生産が止まるわけではありませんから、軽油とガソリンは今まで通りどんどん生産されていきます。EVシフトが完了し、ガソリンの使いみちが無くなった世界で、この余った燃料をどのように使えばいいんでしょうね。
仮に余った燃料を火力発電に利用し、EVを動かす電力に当てる場合を検討してみましょう。
石油を燃料とした火力発電の熱効率は現在最大で40%ほどですが、将来的な技術革新を考慮し45%とします。さらに輸送ロスは5%、EVに搭載されるモーターのエネルギー変換効率は多く見積もって90%ほどですから、最終的な変換効率は、
(45-45*0.05)*0.9=38.475%
となり、現行のハイブリッドカー(熱効率40%強)の方が良い結果となります。
火力発電所(石油)の熱効率が50%に到達してやっと、EVのエネルギー効率がガソリン車と同等になります。EVがガソリン車に対して優位になるためには、火力発電所(石油)には60%近い熱効率が求められるでしょう。
また、エンジン車やハイブリッドカーの進化は止まっていないこともお忘れなく。研究室では単体で熱効率50%を超えるエンジンが既に開発されており、「ガソリン車で熱効率50%オーバー」は既に現実的な目標となっています。仮定に仮定を重ねるEV信者論法に則り、ガソリン車の熱効率が50%に到達したと仮定した場合、火力発電所(石油)が59%程度の熱効率を達成してやっとガソリン車と同等のエネルギー効率となります。
【ソース】
https://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1408/26/news009.html
なら男と同じだけのことやりなよ
溶接工になって真夏にクソ熱いバーナーで火傷しながらビルの手すり作ったり
旋盤工になって指飛ばす危険と隣り合わせで産業用機械の部品を削り出したり
納品直前の仕様変更に対応するために一週間毎日12時間労働したりさ
同じ工員として同じことやってるのに女だけ給料低いっていうならそりゃ不当な扱いだよ
でも女は3K仕事にはぜーーーーーーったいに就かないで派遣になる
ウチは給料いいし部長課長になるとかなりいい額もらってるけど部下の仕事も丁寧に見てくれるから
その後に自分の仕事してるから月末が近付くと退社は毎日21時や22時だ
うちに来てくれる他社の営業さんだって仕事が落ち着く15時や18時に訪れて、それから自社に帰って仕事してる
9時過ぎに来て15時におやつタイム取って17時に帰る派遣やってれば低収入なのは当たり前だろ
俺の感覚では、自己申告68kg(正味70kgぐらい?)だとデブという感はないね。ぽっちゃり程度。
抱き心地がいいし、顔のつくりと性格の良さ次第では、愛嬌が全身からこぼれ出ているように感じる。
実際、そういう子を何人か見ているけれど、皆モテてたね。俺もその中の一人と付き合ったことがある。
それとは別に、大学生のときのサークルに、誠に申し訳ないが、ばくだんいわみたいな顔の子がいて、
体重も、どう考えても68kgとか70kgとかじゃきかないような、まあなんというか、ふくよかな体型で、
性格もいまいちだったから、サークル内でも学部でも研究室でも全くモテていなかったみたいなんだけど、
その子、卒業して1年かそこらで、就職先の人と婚約・結婚して、皆で「何で!?」って驚いたことがある。
二次会に参加したけれど、旦那さん、小さくてひょろっとして、その子の半分ぐらいの体積に見えたな。
で、どうも、旦那さんはふくよかな体型の女性が好きなタイプだったみたいで、いずれにしてもお互いが
望み通りに結婚できたわけだし、子どもも生まれて、まだ離婚していないようだし、よいことだよな、と。
話はそれたけれど、その男性社員は、ぽっちゃりとかふくよかとかいった体型好きの可能性もあるから、
その場合は、あなたとは縁がないかもね。とはいえ、その男性社員は、自己申告68kgの子とは単に、
頭を使うより体を動かすほうが好きなので、ウェットのバイオ系研究室に入った
3回生までの学生実習は楽しかったけど、研究室で何やるかまだ分かっていない
スペが入ったのはテイオー研でした
配役はこれ
研究所所属のメジロマックイーン教授の話をよくしてくるので勝手に会ったことないマックイーン先生に親しみが湧いている
トウカイテイオー教授の夢いっぱいなヴィジョンを現実的に進められる実務能力を持つ教授の片腕が務まるのはエアグルーヴ
研究進めてみるといつもトウカイテイオーの見ているものが正しくて驚く
物静かだけど理路整然としていて、それでいて行動力を持つのが助教エイシンフラシュ
なんか心向くままに研究やってて、一般企業に就職もしたくないままいい結果出してきて助教になったナカヤマフェスタ
クッソ頑張るしギラギラしてて尊敬できる先輩なんだけど、なんかいつも怖い
でも機嫌いい時は色々面倒見てくれる
無理しすぎてるから、たまに寝坊していない日はついに死んだのかと思う
ちょっと話しづらいけどめっちゃ知識が幅広いので、セミナーで質問してくると一番嫌なのがゼンノロブロイ先輩
最近、トウカイテイオーに国際学会に連れてってもらって張り切っている
DC1取っていて、マイペースで実験するからあまり話さない先輩
でも自分がセミナーすると、たまに楽し気に、ほう、とか言ってくれるからちょっと嬉しい
なんか頑張ってるのに結果が出ないのでいつも難しい顔してイライラしている
「ドクターは何も考えずに行くところじゃない」といつも言ってくるのが怖い
研究室対抗ソフトボール大会で優勝経験がある研究室だから、という理由でテイオー研に入った
実験中にトレーニング理論話してくるのがよくわからんけど先輩だから聞くしかない
ヲタクでこわい
優秀だよ、と聞くけど正直よくわからない
セミナーでヲタクっぽい絵を挿入してくるのでエアグルーヴ先生がよく怒る
めっちゃ面倒見てくれる優しい先輩
https://note.com/s1000s/n/na0dbd2e8632d
これ読んで思ったけど、「学術分野」って何故か一括りにされて
「論文」っていうのも全て同列に扱われてるよね
最近気付いたけど、実際には「研究」の捉え方が分野によって全然違う
例えば卒業論文を例にしても、序論とかは先輩・研究室の過去の論文をコピペすればよくて
ちゃんと「はじめに」を書いて参考文献も全部読んだものを書かないとダメな研究室もある
同じ大学内でも分野というか学科とか研究室によって違いがあるから
同じ学士・修士であっても能力差が大きすぎる(流石に博士はどこの大学でもそこそこ敷居が高い)
査読論文とかも分野によってはいい加減で査読者のレベルが低すぎて通らない分野とか
査読が形骸化してて事前に先生にネゴらないとダメな分野があったり
逆にダブルブラインドしてて著名な先生の論文も平気で落とされる論文誌とか全然違う
「この分野は適当な人が多すぎるし、とにかく現象にかっこいい名前を付けた人の勝ちです」
とか自虐しててヤベー分野だとは思ってた
数学>物理学>医学>理学>工学>経済学>その他社会学など>>>>心理学
だと思ってる
一応言っておくが社会に役立つかどうかとかは全く別
そういう現状を知ってる人からすると学術会議の任命拒否ってのも
っていう思いを抱くんだけど、知らない人からすると「学術分野」を一括りにして神聖化してるからとんでもないことをした、っていう印象だったりするんだろうなぁ、と思った
オンライン授業でレポートの精度が向上大学准教授が推測する背景とは
https://blogos.com/article/561722/
残念だが、諸君は何もわかっていない。
現役の大学生である私がオンライン授業で学生の成績がよくなった本当の理由を教えてあげよう。ちなみに2年生だ。
私の大学は都内の有名私立と呼ばれるもので、学生の質が著しく悪いということはない (と思う) し、同様のことが他大でも起きているということも念のため書き添えておこう。
オンライン授業がメインの大学では「課題だけの関係」が非常によく発達する。
課題だけの関係とは、ガイダンスなどで珍しく登校した際や #春から〇〇大 などで繋がった人とLINEを交換し、以来趣味の話をするでもなく課題のやり取りだけを行う関係のことである。
ネット上で〇〇大界隈などといって馴れ合っているじゃないかと思われるかもしれないが、それをする、或いはそれができるのは極々一部の学生だけだ。
少し調べてみると同じ人たちばかりがツイートしていることがわかる。
前期は一人孤独に耐えたが後期もオンラインが確定し仕方なくTwitterを始め、春でもないのに #春から〇〇大 でツイートする人も非常によくみてきた。
課題だけの関係の闇が深いのは、どうしても学力差がつきもの、という点だ。
次第にどちらかが答案を送りどちらかが写す関係に切り替わっていく。下請けだ。
そして大抵は複数人とLINEを交換するので、だんだん優秀な答案が出回っていく。孫請けだ。
こうして9割S (弊大学の最高評価) の講義なんてものが誕生する。解説するまでもなく簡単な話だろう。学校は社会の縮図とはよく言ったものである。
対面の頃も課題だけの関係は存在しただろうが、上級生の様子をみると、オンライン授業世代の我々ほどは深刻ではない。
対面試験が実施できず課題だけで評価されることが多いのも要因としてあるだろう。
出席率も高くて素晴らしいなどと言っているようだが、オンライン授業を休むとは一体なんだろうか。
一方で、対面授業のほうがオンライン授業よりも学習効果が高い、などとするオンライン授業に否定的な大学教員もいる。
現在はどの大学でもオンライン授業と対面授業を選べる講義が増えてきている。
その上で対面授業に来た学生のほうが成績がよい、という主張だ。
ここまでオンライン授業を批判してきたわけだが、私はこれにも懐疑的だ。
ちょっと考えれば当たり前のことを言っているだけなのがわかる。
世間は大学生はみな対面授業を望んでいると思っているようだが、大学生の本音は「一度キャンパスに行くという『大学生感』を味わえたならあとは正直オンラインで構わない」だ。
対面授業が本格化すると試験も対面になってしまうのでそれは困る。
ではなぜ対面授業のほうが成績がよくなるのか?もちろんオンラインの方がよくなった講義もあるだろうが、多くの場合、その答えは登校するのはそのうち勉強熱心な学生だけになるから、それだけだ。
ここまで読んで、あなたは大学生とはなんとわがままな人種なのだろうか、とでも感じただろうか。
大学生がわがままなのは否定しようもない事実ではある。申し訳ない。
ただ少し待って欲しい。おかしなことを言っているのは学生だけではない。
さて、冒頭で「諸君は何もわかっていない」と述べたが、正直なところ私は何もわかっていないとは思っていない。
出席の異常さに何も感じないわけもない。
指摘すると面倒だから何もしていないんだろう。わかる。私だってその立場なら指摘したくない。
私はただ、持っていない性善説をもとに存在しない大学生理想像を作り、それについて検証などと称して記事を書き仕事しました顔をしているのが気に入らないのだ。
大学生はみな自分一人で課題をやっている、毎朝対面授業に行き勉強したがっていると信じたふりをして話をするより、もっとすべきことがあるはずだ。
そんなことよりオンライン授業の質を高める方法を検討してくれ。
https://kaden.watch.impress.co.jp/docs/topic/topic/1352034.html
PLCなんてオワコンも良いとこで誰も注目してないのに定期的に提灯記事が上がるのは不思議でしょうがない
初めてPLCを使ったのは大学での某イベントのネットワーク設営の時だった
当時はまだまだ若かったから「PLCっていう便利な奴があるらしい」という情報だけで導入を決めてしまった
接続機器が有線接続だけで近くにはコンセントしかなかったのでPLCでいいじゃない、という話になり導入決定
研究室で実験したら普通に繋がったので喜び勇んで本番にいきなり投入(今考えるとありえん)
そして無事に接続できずに死亡
ほんの10m程度だったから繋がるだろうと思っていたのだがPLCは予想の遙か上を行ってくれた
結局はLANを臨時で引き回して事なきを得たが二度とPLCは使わないと心に決めた
それから数年が経ち、PLCの悲劇も忘れた頃に今回のような提灯記事を見かけた
「そうか。当時はまだまだ発展途上だったから繋がらなかったんだな」
と胸をなで下ろし、ちょうど自宅の寝室がWiFi難民状態だったので導入してみようということになった
寝室でドアを閉めると5GHzは通らず、2.4GHzは間にある電子レンジで切れやすい
そもそも3Mbpsぐらいしか出てなかったのでPLCでいいじゃない!となった
安くも無い機器を購入していざ導入
故障か?と思ったが二口コンセントの上下に繋ぐとリンクアップするので故障じゃなさそう
家の中のいろんなコンセントで試したけれど全くリンクアップせず
今や非常に安価にメッシュWiFI対応機器が出ているし、小型で使いやすい
PLCはコンセントに指すだけ、という嘘を広告しているのがよくない
親機・子機の両方でEthernetケーブルを接続しないとダメで配線が面倒になる
子機側で直接WiFi出力できることも少ないのでWiFi APを導入するとAPの電源も必要になる
階段付近に置けば2階に届くし5GHzをバックボーンにすればかなり早い
船とかトンネルとか配線工事ができないしWiFiも届かない環境で使えるよ、とかいうブコメがトップに来てるが
個人的な経験もあるが周辺でPLCを使って通信をした、っていう話をほぼ聞いたことが無い
そしてWiFiが届かない場所には今や代替手段がたくさん用意されている
例えば一般的なWiFi APの電波出力は全方位に出力するので距離が短くなるが、指向性アンテナを持たせることでかなりの距離を稼ぐことが可能になる
指向性が高まるので障害物があると問題だが見通しが効けばWiFIはかなりの距離飛ぶ
それでも繋がらないという人はアンテナ設置の場所や方法が悪いだけだったり、製品を変えれば繋がることも多い
それでも導入している場合があるとすると恐らく騙されたんだろうな、と思う
鉄筋コンクリートでも2.4GHzはかなり通る
窓も無くて金属に囲まれてる工場でWiFi使いたいっていうシチュエーションに遭遇したことはないが
そんな場合にPLCを勧めるようなことは全くなくて普通に工事してください、と勧める
ちなみに金属に囲まれてると外からは通らないが一度中に電波が入ると無茶苦茶繋がる
昔は隠れ端末的な話があったけど最近は指向性持たせたりしてかなり優秀
どんだけデカい家か知らんけれどほぼ間違いなくWiFiで足りる
今はメッシュWiFiの機能が充実してるからメッシュさせればかなりのエリアをカバーできる
どうしてもWiFIは届かないっていう田舎の持ち家なら自分でLAN配線も簡単にできる
というかうちの実家はやってる
ホームセンターに行って機材買ってくれば普通にLANを引き回せるしその方が確実
今ならSFP+とかも安価だからファイバー引き回しなんていう夢のあるようなNWも組める
まぁPLCで10Mbpsぐらいの通信をしたいならご自由にすればいいんだけど
その変のメッシュWiFI持ってくるだけで300Mbpsぐらいは出ますし
SFP+とルーター買ってくれば10Gbpsの未来が到来しますよ(上流は知らん)
BASE2持ってこいよ。ターミネートしてやるよ。(歳がバレる)
PLCの強みのコンセントに指すだけでインターネット!が全く無くなってる
PoEとPLCとどっちが勝つかなーと思ってたら普通にWiFiが勝ったよね
メッシュWiFiが最強なのでそっちに投資する方が建設的ですよ
PLCはやっぱりいらない
そもそも既設の古い建物のごく一部でしかメリットがないような市場規模が凄く小さい技術
おまけに建物が建て替えられていくとどんどん使われなくなる技術だからそりゃ先が無いよ
なぜ推進しているのか全くの謎