2021-11-12

人生、上がり調子が一番幸せ

小学校卒業式の予行練習の日、体育館に入場する時に男女2列で並ぶことになって、その並び順が決まった時、クラスのある女の子が泣いていた。

その様子に気づいた先生が、どうかしたの、体調が悪いの、と尋ねると、「○○君の隣は嫌…。」と言ってさらに泣き続けた。

○○君は、同じクラス男子で、自分の中では変わり者でいつもニヤニヤしていてよくからかわれてるという印象はあったけれど、悪さをするわけでもなく、特に好きでも嫌いでもなかった。ただ、理由はわからないけど女子には嫌われていた。

○○君の様子を見るといつも通りにやにやしていて、平気そうにしていた。

先生は○○君の言い分を聞くこともなく、○○君を別の列に移動させた。

その様子を見た当時の自分は、女の子を泣かせるなんてきっとひどいことをしたんだろうな、と単純に考えることしかできなかった。

中学校卒業式が近づくと、再び予行練習が行われた。小学生の時とやり方はほとんど変わらず、また体育館まで2列で並んで行くことになった。

すると自分の隣になった女子が突然、「コイツの隣なんか嫌だー!」と言いながら泣き始めた。

すると担任が飛んできて、「お前、場所変わってやれよ。」と言われた。周囲のクラスメイトも先生意見にこそこそと賛同していた。こちらの言い分は一切聞かれることがなかった。

だけど、このまま泣かれ続けるのは苦しかったし、意地を張って同じ場所に留まり続けることは、中学生から見ればその女子との間に何かがあるのだと思われることは間違いなかった。

しかったし、つらかったけれど、泣いてはいけないと思って、必死に涙を堪えながら場所を移動した。

思い当たることはたくさんあった。その女子からは、見た目がキモいとか、仕草気持ち悪いという理由で何度も嫌がらせをされたことがあった。わざと自分にだけプリントを配らないとか、友達と話している時にこそこそとなぜか聞こえるように自分悪口の会話をしているとかは、日常茶飯事だった。

それだけでなく、ありもしない罪を作り上げて、勝手クラス中に噂を流されることもあった。

そういうことをするのはその女子一人だけではなく、その女子と仲のいい女子何人かも同じようなことをしてきたし、女子が言ったことに対しては誰も疑いを持たずに信じた。

噂が一度流れてしまえば、自分クラスでの立場は地の底へ落ちた。

先生が噂を知ったとしても証拠など求めないし、ただ女子の話だけを聞いた。

そもそも触られた、という噂に対して証拠など求めようが無かったのだろうけど。

から泣いている方が常に正しかった。

彼女はいつでも「私は被害者だ」というスタンスをつらぬいた。

男子からいじめ嫌がらせではそういうことはなかった。教師相談すれば、解決するとは限らなかったが、少なくともこちらの話を聞いてもらえないということはなかったし、加害者の言い分も聞いていた。

自分小学生の時に、クラスメイトのことを少しでも悪く思ったことを恥じた。

当時は、同じような経験をした人はそれほどいないと思っていたが、最近ネット検索すると、全然珍しいことではなく、全国の小中高で当たり前のように行われているいじめで、泣きながら自分被害者だと主張するのは女子だけであることが分かった。

きっと、男子が同じようなことをしても、周囲は冷たい目を向けるだけのことがほとんどなのだろう。

今思えば、小学校中学校高校と、女子ほとんど特権階級と言っていい扱いを受けていた。

あれだけ人を傷つけても、咎められたという話を聞いたことが無い。「被害者」という立場に立たれてしまえば、目に見える被害を残す男子いじめと違って、生徒も教師咎めることが出来ない。

そういうことを繰り返す子が周囲の子から嫌われることはもちろんあっただろうけど、本人は自分被害者のつもりなのだから自分のやったことを反省することは無い。

自分の気に入らないものを、被害者という立場自由排除することができる人生というものは、さぞ愉快なものだろう。

しかし、その特権いつまでも持ち続けているわけではない。

大学生になり、大学院入試が行われる季節になったころ。

大学院入試では、大学研究室研究した内容をプレゼンして自分研究アピールする必要がある。面接官は大学教授で、研究内容についての厳しい質問がたびたび飛び出してくる。

自分学部では学生の半分程度が大学院を目指していた。

無事に合格して、研究室教授入試についての話をする機会があり、こう言われた。

女の子場合は、言葉に詰まると泣き出しちゃう子が多いんだよね。全く、泣けばいいってもんじゃないのにさ。」

男子には皆無で女子にだけそういう学生がいるとのことだった。

高校生までは周りから許してもらえていた涙も、大学生では、むしろ全く逆の効果もつものになってしまっていた。

就職活動シーズンになると、ほとんどの学生は何十社も受けて、ほとんどの会社にお祈りされるのが当たり前になっていた。

自分の知り合いの女性に、建設系の学部現場監督を目指している人がいた。

詳しくはないが、現場監督女性が少ないことはなんとなく知っていた。だから、苦労するだろうことは予測できていたし、本人も予想していたはずだった。

ところが後日就職活動調子について話を聞くと、10社ほど受けたところで現場監督は諦めたという話だった。

どの会社からも、「女性が少ないところだけどちゃんとやっていける?」と聞かれたそうだった。

そして、全てお祈りされたらしかった。

本人は、どうせ女だからって落とされたんだ、と怒りを込めて愚痴っていた。SNSを見ても同じような文言で怒りを呟いていた。

自分は、なぜそれが原因で落とされたと思い込んでるのか、むしろ思い込みたいのか、理解に苦しんだ。

ただ、今思うと不遇な扱いへの耐性がとても低かったのかもしれない。

色覚に異常があるとか、身長が足りないとか、そういう理由ではっきりと志望する職種に行けないことがわかった友人を何人か知っているけど、彼らは別の方法を考えたり、似ているが別の職種に志望を切り替えたりしていた。

はっきりとそれが理由だと言われたわけでもなく、それも別の手段いくらでも考える余地がある人がすぐに、どうせ女だから、と言って社会への不満を爆発させるのは、きっと今までは同じ理由優遇されてきたかなのだろう。

SNSなどで女性社会に強い不満を持っている話題についての言及を見ても、

高校生以下からの不満はほとんど皆無で(大人高校生以下の境遇を憂いている話は聞くが)、たいてい大学生社会人が不満を言っているのも、それが理由なのかもしれない。

まだ未熟な若い頃に、特権階級と言ってもいいくらいの優遇を受けてきたのに、大人になったら急に立場が下がってしまうという事実に対しては、人間過去記憶しか持たない以上、子供の頃から立場が低かった人と比べても、はるかに強い不満を覚えてしまうのは仕方のないことなのだろうと思う。

男性場合は、若い頃にしばしば不遇な扱いを受けて、大人になってからやっと人並みの扱いを受けられるようになった、という経験を持つ人が多いが、それを思うと、今がどうかに関係なく、人生は上がり調子が一番社会への不満を持たずに済むのだろう。

自分の子供に不遇な扱いを受けてほしいと思う親などいないが、将来の幸せのことも考えて、人生だんだん右肩上がりになるようにしないと、将来不満ばかりの人生にさせてしまうかもしれない。

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