2024-05-31

人の目に映る自分を見なければいけない。そうでなければ、自分というのは虚無になるから

日常の中で、僕はいつも他人視線意識している。仕事場での同僚の評価、友人たちの言葉の裏にある感情、そして通りすがりの見知らぬ人々の一瞬の視線。これら全てが、自分自身を形成する一部になっているのだ。鏡に映る自分の姿だけでは不十分であり、他者の目を通して初めて自分という存在確立される。

他者評価に頼ることで、僕は安心感を得る。承認されることで、自分価値確認する。だけど、その一方で他者の期待に応えようと無理をしてしまうこともある。自分が本当に望んでいることや、自分の考えがどんどん薄れていく感覚に襲われるのだ。自分自身を見失い、他人の目に映る理想像を演じ続けることに疲弊してしまう。

社会の中で生きていく以上、他者との関係は避けられない。しかし、それに溺れてしまうと、いつの間にか自分が本当に何を感じ、何を望んでいるのかが分からなくなる。自分自身を見つめ直す時間を持つことが大切だと思う。静かな場所で、他人の目を気にせずに、自分の心の声を聞く。それが、自己を取り戻すための第一なのだろう。

しかし、現実はそう簡単ではない。他者の目を意識しないで生きることは難しい。人間社会的な生き物であり、孤立することはできないからだ。結局のところ、他者の目に映る自分と、本当の自分とのバランスを保つことが求められるのだろう。

それでも、そのバランスを保つことは容易ではない。他者の期待に応え続けるうちに、自己本質が徐々に薄れ、やがて消えてしまうかもしれない。そうしていつの間にか、自分自身というものアイデンティティ社会霧散して二度と帰ってこなくなる。

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