はてなキーワード: 身辺整理とは
今のところそこそこ稼げていて、仕事も楽しいけれども、10年後、40代後半になったときにはどうなってるかわからないような仕事だ。
そのころには、今は元気な母親も、介護が必要な状態になっているだろう。
妹は固い職業に就いているが、給料は決してよくはない。父は早くに死んだ。
実家はいちおう、そこそこの値段のマンションだが、まだローンがかなり残ってる。10年じゃ終わらない。
今はわがままを言って実家を離れているけれど、そのうち戻って、実家に今よりももっと金を入れないとダメだろう。
金の問題がなくとも、現状、実家で母と同居している妹に、母親の世話を押し付けてしまっているような状態だし。
家事はまだ母親は自分でできているけど、寂しい老人の話し相手になるのはストレスが溜まるもんだ。
妹には恨まれているだろう。
というか、先日、まとまった入金があったので、一念発起して趣味に関するちょっとデカい買い物(つうても二桁万円代前半ですが)をしたら、「不安定な仕事で、これから金もかかるのに、どうしてちゃんと貯蓄に回したりしないんだ」とめずらしく、本当にめずらしく、妹に激怒されてしまった。
あんなにあいつが家計のことだとか、将来のことを気にして、いろんな気持ちを溜め込んでいるとは思わなかった。
なんかもうな、母親が死んだら、適当なタイミングでスパッと死んでしまいたい。
貧困状態で生きていくような元気はないので、身辺整理して、妹に迷惑がかからないような形で、スパッと死にたいよ。
本当に、今は楽しい。今、これまでの人生で一番楽しい時期を過ごしてる。
学生時代もできなかった一人暮らしができてて、それなりに自分の城らしきものを作れてさ。
俺のZENSTONEが逝っちまったああああああ
まあでも2000円で2GBっつー当時の破格で10年もってくれたら大往生だよなあ・・・
すんげー使いやすかったんだよなー
液晶なしだけど触り心地で操作できるから見る必要なくてむしろ便利だったし
俺はほとんどつかわなかったけどイヤホンはずしたらスピーカー状態になるのも地味によかった
これはシを考えてる俺へのなんらかのメッセージっぽくてちょっとぞわっときたわwww
ちょうど身辺整理今週頑張ろうとしはじめたときにこれだからなー・・・
偶然とはいえ恐ろし屋
緑ランプ点滅状態のまま死ーんって感じだったけど今みたら点滅とまってて試しにボタン押したら再生できた
復活してた!
まだPCにつないで曲入れたりができるかは確認してないけど・・・
これは「やっぱ死ぬのやめたわ、お前もやめとこうぜ」みたいなことなの・・・?
うーむ
どこかで吐き出さなければいつまでも気持ちの整理がつかないので書く。
先日友人が亡くなった。部屋で自分で首を吊ったらしい。大学を卒業後、最初に入った会社で心を病んでしまい長年実家に引きこもった末のことだった。
家族は支援センター等に相談しながら解決の糸口を探していて、本人も社会復帰をしようと週に数回の非正規の仕事をしたりしていたので、良くなるかなぁ、良くなればいいなぁと思っていたが、こういう結果になってしまったのが残念でならない。
葬式では、棺に入った友人を見ても現実味がなく、ただ、友人の家族が「助けてあげられなくてごめんね」と友人に向かって話しかけていたのが印象に残っている。
亡くなる数週間前、友人から「本を貰ってくれ」とLINEが来た。僕は「おーありがと、近いうちに取り行くよ。でも貰ってばかりじゃアレだから俺も〇〇が気に入りそうな本持って行くわ」と返事をした。結局、仕事が忙しく取りに行けなかったが、葬式で坊さんのお経を聴きながらその時初めて、あれは身辺整理だったんだと気づき自分の能天気さと馬鹿さ加減を恨んだ。友人の家族は友人の変化を感じていたものの、きっと良くなる兆しだろうと思ったらしい。客観的に見ると、あ、死ぬな、と分かるのに、本当に気づけなかった。無意識に最悪の事態を避けるのか、もしくは希望が目を曇らせるんだと思う。
葬式が終わってから、数日色々考えて会社に辞表を出した。理由は、友人の引きこもるきっかけが仕事や職場の辛さ・ブラックな労働環境だったことだ。
僕が今勤めている会社は地方の零細企業で、社長が白だと言えばカラスも白鳥になるような、いわゆるワンマン経営の会社だ。社員に対する社長の当たりが強く、そのせいで職場の雰囲気がかなり悪い。離職率もその分高く、胃をやられたり、ストレスから病気になったりして辞めて行く人が後を立たないような職場だが、自分は割と受け流せる性格だったのでヘラヘラしながら長年勤めていた。ただ、葬式の後に「ウチみたいな会社が友人を死に追いやったのかなぁ」と思ったら、そんな会社で働きそんな会社を存続させる一旦を担っている自分も、友人を死に追いやった一人になった気がして急に何もかもが無理になってしまった。零細企業だと経営者の大変さや会社を継続させる凄さも近くで見えるので、自分の考えが甘いというのは重々承知だけど、社員を不幸にする会社は潰れてくれと思ってしまった。
また、世間の「当たり前」や「こうすべき」といったものに対しても拒否感が出るようになった。働かざるもの食うべからず、とか結婚って普通するよね、とか、男は強くあらねばならないとか。そんな単純な話じゃないんだろうし完全に想像だけど、そういう「当たり前」や「こうすべき」がなければ、友人は今でも生きていたんじゃないかと思う。
仕事では部下が100人くらいいるプロジェクトのマネージャーをやっていた。
後任への引き継ぎもほぼ完了して、自分の仕事はあまりない状態で出社している。
自分に次のプロジェクトが用意されているのなら、こんな気持ちにはならないだろう。
復帰しても今と同じ仕事ができるとは思えない。
まずは生活のリズムを整えるところからで、それからどんな仕事ができるか考えよう、といったところだ。
上司は結婚して子供ももいるので、理解はあると思うし、言っていることは正しいと思う。
しかし、自分のキャリアの目指す場所がわからなくなってしまったし、次の道が見つからなくなってしまった。
チームで練習を積んで、技術やら何やらを積み上げていくような趣味なので
今後は今のようなペースでは続けていけないからだ。
何もやめなくても…とは言われるが
今と同じペースで練習できないことにフラストレーションがたまってしまい
逆に続けることが逆にストレスになりそうなため、今はきっぱりとやめる決断をした。
今まで、仕事と趣味で自分のアイデンティティを保てていたんだな、と痛感した。
仕事も趣味も、自分が頑張ればそれなりに評価されたり、達成感を得たり、自尊心を満たすことができた。
仕事の次の予定がない。
趣味の次の予定がない。
私には何もない。
ひとりで完結するような、新しい趣味を初めた。
そこに楽しさはある。
だけど、まだ自分の技術が低くて、ぽっかり空いた隙間を埋められるようなレベルにはなってない。
よし、じゃあこれから技術を磨くぞ!となるころには子供が産まれているのだろうから
そんなことはできないよなぁ、と思うとどうにも入れ込めない。
出産が近くにつれて、色々身辺整理をしていたら自分には何も残らず虚無感を感じている。
自分が他者になにかを与えることに対して喜びややり甲斐を見出せないことは自分が一番よくわかっているし
そもそも子供が好きではないので、そこに自己評価を見いだすのは自分にとっても子供にとってもマイナスにしかならないと思うのでやめたい。
「安楽死支援制度」を立ち上げて、安楽死に向けた身辺整理の調整とかをサポート出来るようにしたりとかは出来ないの?
生活保護がもうすぐ切れそうな人や、就職支援で上手く言ってない人達にも需要はあると思う。
勝手に死なれてもいい迷惑だし、最後の尻拭いを手伝ってやることで国のお荷物を減らすってのは国策としてありじゃない?
本人も納得できると思う。
高齢者の介護問題や交通事故問題も、安楽死支援制度によってかなり改善できるはず。
「生きるためには危ないと分かっても車を運転する必要があるんです」→「じゃあ死ねよ(山岡士郎)」でスッキリ解決でしょ。
役所の仕事は一時的にちょ~~っと増えるだろうけど、そこはお荷物がなくなることで浮いてくる社会保障費を見越してちょっと予算つけてやって非正規雇えば解決っしょー。
万事丸く収まりすぎない?
いろいろなことが重なって3年くらい前が一番しんどかった
精神科に通ってたけど医者とも合わないし薬も合わない上に大量に出されててただつらいだけだった
あの当時ちょっとおかしかったことは気づかれてたんじゃないのかな
そういうときって何してたのかって
本当に何にも出来なくて這って生活してたよ
合う医者と合った治療に出会ってようやく元の状態になったと思う
それまでは、ずっと誰かと会うときもこれが最期になるかもと思って会ってた
何か思うところがあったのか、「また来ようね」「今度○○しようね」って約束された気がする
正直友達と遊ぶのもしんどかったんだけど、約束したことはしなくちゃって思ってたから
その約束が全部なくなったら死んでしまおうって思ってたんだよね
医療関係者でもなく、身内や身近に透析している人もいないので、ニュースの内容くらいでしか判断できてないです。
なんで、今頃これかっていうと、この間友達とお酒を飲んでてこの話になったから。
気づいた時には末期で転移もしてて、多分生きていられたとしても痛みを抑えるケアしかできなかっただろうって話だった。と言っても、これも死後に検査結果が出てからわかったことなんだけど。(検査入院中に急変した)
一応かかりつけ医にはかかってて風邪が長引いてるって診断だっただよね。
なかなか治らなくて総合病院にかかった頃には…ってやつ。
これを友人は悔やんでて、治療方針とか決める時間も迷う時間もなかったって言ってる。
私の方は両親とも健在。とはいっても肉体労働のある自営業なのでそこそこ大きめの怪我はある。
透析中止のやつなんだけど、これで友達と意見が真っ二つに割れたんだよね。
「選択できる状態で、透析して悪くなるってわかってて再開しようとしたときには再開できないくらい悪かった。そんなこと知ってたでしょ。そんな状態の妻を残して手術とかしてる方が悪いのでは。他の人たちは訴えてないんだし、自分達で決めた選択をごねてるんじゃないか」って友達。
「医療過誤じゃないかと思う。患者側はそこまで難しく考えてなかったんじゃないか、説明されて理解出来なかったかも知れない。医師がいうことには頷いてしまう人もいる。治療にお金がかかるから家族や先生に迷惑かかるかもと思って遠慮して判断してるかもしれない。そういった事を含めて患者側と病院側で話が出来てたのかっていうのもある。今まで中止して訴えなかったのは、亡くなったあと泣き寝入りしてたからでは?」と私。
友達の考えはわからないでもないけど、医者は意外に適当なことをいうし、老人は医者を神様かなんかだと思ってる節があると思ってる。なので、いくら同意してても私だったら親の治療方針は本人(と配偶者)にだけ説明するんじゃなく成人してるなら子供にも説明して欲しいと思ったんだ。
その上で家族で話をして方針を決めるとかならまだありだと思ったんだよね。
で、斜め読みしかしてなかったけど、このニュースをもう一度読んでみたら、無くなった奥さんて44才だったんだね。うわっ!!思ったより全然若かった!これで透析中止するかどうかの選択??自分の親(60代)くらいかと思ってたよ。マジかよっていうのがまず思った。
これ病院おかしくない??なんで中止とかも選択のうちっていっちゃったの。
ニュース読めば読むほど訴えられるだろうな…って思う。透析って確かにお金かかると思う、透析してても治るわけではないし。この人が80才まで生きるとして40年も透析しなきゃいけないかもっていうのも負担だと思う。だけど、でも透析って辞めたら死ぬじゃん?それなのに、中止の選択?そんな簡単に身辺整理ってできる?私なら無理だぞ。オタクなので蔵書適正に処分するだけで数年かかりそうなんだけど。
家族に任せたらきっと希少本焼却処分だって思うだけで胆が冷える。
身辺整理出来ても、心構えってできる?無理無理!もっと不治の病的なやつ余命1ヶ月とか半年とかってやつならともかく。透析したら延命できるってわかってたらそんな心構えっできないよ。
私まだまだやりたいことあるもん!子供がいたら成人式、結婚式とか考えちゃうよ!
それを透析やめて1~2週間で出来る気がしない。
(透析を辞めると1~2週間で毒素がたまって心不全を起こしやすくなるそうです)
親がそうなって本気で死にたいって思ってるならともかくお金のためとか周りへの遠慮で中止を判断するくらいなら、自分が二倍でも何倍でも働いてお金は工面するので、やっぱり自分にも治療方針聞いてほしいし、病院側にもそのための時間をつくってほしいと思った。親の住んでる地元と離れてるけど緊急ならとにかく電話ででもスカイプでもなんでもいいから。
「何ができるか、何をすべきか」って簡単に一般化できる話ではないと思うけど。個別具体的に考えていかないといけないのでは?
「どういう態度で臨むべきか、どういう考えをもつべきか」とかそういう精神論的なことなら一般化できると思うけどね。
たとえば肺ガンと告知されれば「タバコやめてればよかった」って思うかもだけど、今すべきアクションは「肺ガンとは?」「どんな治療がある?」と調べること。あるいは家族のことを考えて身辺整理をすることかな。
抽象化すると「事態をより悪化させないよう、問題を正確に把握し、現状における最善の策は何かと考え続ける姿勢」が必要ということかな。
もっと個別具体的な話をした方がいいと思うよ。第一、手遅れって、個人のことを言っているのか、社会のことを言っているのか不明。
予定通り、本日で身辺整理を終えたので、記念に書き残していく。
この2018年は、一昨年末に退職した直後から悪化した鬱病の治療に徹する一年だった。
失業保険をいただきながら、求職活動と並行して、障害の治療をしながら、トラウマ緩和ケアを自力で行った。
よくなったと思ってはまたドン底に沈み、を繰り返し、あっという間に一年が過ぎた。
どんなに自分の心と向き合っても、フラッシュバックのつらさは少しも軽くならなかった。
むしろ次のステップに進もうとすると悪魔の囁きみたいに、何気ないことから連想されて一気にグルグル思考に突き飛ばしてくる。
深夜二時まで会議室で「なんで出来ないんだ」と責められ続けたこと。
毎日深夜残業しても私一人の能力では業務が収まらなくて土日祝日関係なく出社していたこと(私もホワイト化を妨げたくてしていたわけじゃない、ただ本当に必死だった)
「未経験で、部下も持ったことがありませんが大丈夫ですか?」と何度も確認したが「うちは未経験しかいない部署だから大丈夫」と言われ入社を決めたが、フォローしてくれるどころか毎日未経験業務について出来ないことを責められ続け、この会社には仲間など誰もいないのだと入社半年で絶望したこと。
(思えば東京にいた半年間で私は完全に鬱病になっていた。自殺を考え始めたのは丁度9月くらいだったので)
同僚たちの「仕事しろよ」「病気を理由にするな」「言い訳するな」「発達障害じゃなくて性格だから、それ」という言葉。
藁にもすがる思いで信頼して相談していたマネージャーKさんの、退職意向を伝えた際の嬉しそうな表情。
病院の先生は「脳の障害なので、性格とは違います」と言い聞かせてくれたが、私は今も自分を責めることをやめられずにいる。
なんでこんな欠陥品の自分が生きているのだろう?申し訳ない、申し訳ない…と、そんなことばかりが頭を巡る日々だった。
確かに発達障害は、脳の機能障害なのかもしれないが、世間の見方はそうではない…と、私は感じている。
今の世の中は、タレントなどの有名人や、著名人、成果を創出する優秀な発達障害者だけが、「私は発達障害です」と言っていいのだと思う。
そうではない凡人の発達障害者が公言すれば、「逃げている」「言い訳だ」と責められる。
少なくとも私はそうだった。
ごめんなさい。
ミスを繰り返して本当にごめんなさい。
席にじっとしていられなくて、すみません。
チームの和を乱すようなことをして本当に申し訳ございませんでした。
こんな出来損ないな自分が、生きていて、人並みに働こうなんておこがましいことを考えて、皆さんに多大なご迷惑をおかけして、本当に、ごめんなさい。
とても転勤できる状態にないのに、「東京にまた転勤するしかない」と言い渡され、それがきっかけて依願退職することになりましたが、「やっと辞めてくれるのか」と言わんばかりの嬉しそうな表情が忘れられません。
その時になってようやく、「辞めてほしがっていたんだ」と気が付きました。
察する能力に欠けるので、ずっと気づいてあげられなくてごめんなさい。
口では「力になれず申し訳ない」と言っていましたが、目はらんらんと輝いていたので、正直な人だなと思いました。
ただ、そのあと退職届の提出を催促してきたのには、裏切られた思いがしました。
「○○さんも決めたら色々動くこともあるだろうから手続きを急ごう」とおっしゃっていましたが、私が、ではなく、Kさんが「○○の気が変わらない内に既成事実にしなければ」と焦っていたのですよね。
一年たった今思い返すと、あの転勤命令は、解雇通告だったのだと納得しています。
転勤できる病状ではないことは、お伝えしていましたので。
会社的にダイバーシティを推進しており、『誠実』『仲間』といったコアバリューを掲げている手前、外堀から固めていくほかなかったのだと思いますが、本当なら「すまん、今の状況的に面倒見きれん」とハッキリ仰っていただいた方が、よっぽど誠実で仲間思いだったと思います。
少なくともこれほど裏切られた感じは強くなく、傷も浅かったと思います。
会社の情勢的に今そういう(ダイバーシティを実現する)馬力はないのだ、と納得できますから。
けど、「仕事しろよ」と言われたのは本当に、今も日に何度も思い出されます。
また、皆の前で叱るのだけは辞めてほしいと何度もお願いしましたが、聞き入れてもらえなかっただけでなく、インターンシップ実施中に学生の前でも辛く当たられたのは血の気が引く思いでした。
とにかく学生に会社に対して悪印象を持たれないように取り繕うのに必死でしたが、あの時の態度は後々ボディブローのように効いてきました。
皆で行く予定だったスノボ旅行、最後に形だけでも参加できればと思っていたので、Facebookアカウントをブロックされたのは本当に悲しかった。
あの頃にはもう、記憶障害も進行していたのだけど、皆と過ごす時間の楽しさだけは覚えていたから、なんとか参加できればと体調調整していたのだけど、新入社員歓迎会も参加拒否されたうえのブロックだったので、本当にとても悲しかったです。
治療しようと決めたのはあなたのおかげで、なんとかうまくやるためにも、一時的にチームと距離を置くような形になると思う、と話していて、納得してくれていると思っていたけど、心の中では嫌悪していたこと、まったく気が付かなくてごめんなさい。
あなたは健康で、バリバリ働けるからこそ、ハンディキャップを持っている人のことなど理解できなくて当然です。
(私も自分がハンディキャップを持っているという言い方をしたくない、そんな自分が嫌にもなる…けど、この隔たりをどう伝えたらいいか今の私には他に思いつかない)
あなたがこの先、体調を崩すことがあったときに初めて、私がどんな思いでいたか理解してもらえるんじゃないかと、そんな期待をほんの少しだけ、まだ持っている自分がいます。
私怨から事あるごとに因縁をつけられ、その都度こちらから歩み寄る努力をしていましたが、徒労に終わっただけでした。
また、拠点長代理という立場になると、今度は因縁をつけるのではなく明確に排除しはじめたのも印象的でした。
心の弱い人間が権力を持つとどうなるか、よくない方の典型的なパターンだと思いました。
責任ある立場の方なので、迷惑をかけまいと、また理解を得るために私の治療状況についても早い段階でお伝えしましたが、それがかえってよくなかったと思い知るのに時間はかかりませんでした。
あなたが抱えている弱者蔑視、女性軽視、年齢差別、依怙贔屓といった数々の排他的行動原理は、どう取り繕っても人間性から滲み出てしまうものだと思います。
願わくばあなたが、自分の感情を優先しない冷静で平等な管理者となりますように、お祈りしています。
あと、この会社に限らず、ダイバーシティ推進とかいって障害者雇用だの多様性を活かすだのと、そんな包容力もないのに表面上だけ推進すると、(私が色んな人に迷惑をかけたように)無実の罪を量産することになると思うので、能力が低い発達障害者にあまり期待を持たせないでください。
もう死ぬのだし、言いたいことを吐き出してやろうと思い、心の中に溜まっていたことを綴らせていただきました。
それでいいと今は思っています。
意味があったほうが今の私には重すぎて逆に辛いので、無意味に死んでいけることを幸せに思います。
どこでもいいから書きたかった。何か残るところにと、考えもせず書き殴っている。保険をかけておくと、文章を書くなんて何年もしていないししかも最後に書いたのは必死こいてやった卒論だ。私的で深夜テンションで酒も入っているしちょっと無気力な気分だし句読点は正直苦手だからきっと中々入ってこないけれど、それでも書きたかったのだ。そして文章の癖として自分に酔っているような文になる。よし、ここら辺でいいだろう。
今日は久しぶりに昔の曲を引っ張り出して聴いていた。ごちゃまぜのプレイリストから昔に聞いた曲が流れ、青春のようなものを思い起こしては消えてしまいたい欲に駆られていた。ああ好きだったなと曲を聴いては曲名とアーティスト名を検索してもいた。そのなかに、約3年前に亡くなった人がいた。
情報には疎いほうなので当時死んだということを知るのに時間がかかったが何ヶ月経っても新曲の情報が流れてこなかったり急激にカバーが多くなったりとうすうすは感じていたのだと思う。ああ、死んだのか。死ぬということにあまり感情が動かない、というよりその他諸々の感情も中々動かないのだが、実際その程度だった。皆が悲しんでいるのを見て、ああ人が死んだら悲しむのが正解なのかと葬式に参加しなければならないときはいつも感じていたしその時もそう感じていたのだと思う、多分。よく覚えていないや。酒を追加する。
そして今日、ツイッターで名前を検索してみたら多くの人が悲しんでいてさようならとありがとうが溢れていた。各々故人を悼んでいるのだろう、絵や歌詞が呟かれRTやいいねが沢山ついていた。一番多い言葉は「大好きでした」だ。本人最後のツイには多くのリプが来ていたが、今年のものは少なかった。死んだことを忘れたのか、それが日常になったのか。プロフィール画面から遡っていくと、確かにそこに存在し生きていた。
インターネットを検索すると、様々な情報がわかる。その信憑性はまちまちだが話半分で聞いているぶんには面白く、そして時々胸を穿つものが現れる。目を引いたのは「大人になりたくなかったのですね、だから大人になる前にと」
大人になりたくなかった、だから死んだのか。その真偽はどうでもいい。その文が目に入ったとき考えたのは「置いていかれた」だった。
実際には置いていかれるほどこんな一個人ましてやちょっとファンであったやつのことを置いていったとも思ってはいないだろう。ただ単に、大人になりたくなかった自分が絶望しただけだ。
何が言いたいのかわからない。まってろ酒を追加する。
言えるのは、それでちょっと悲しくなって自分は何をしているんだろうとこんなのうのうと死んでいないだけで食料を無駄にして電気を無駄にして物語を終わらせたくないからとゲームを積んでエンディングを見ず作り手の意思を反故にしてまた新しいゲームを買っては通帳の数値を気にして積んで自分が死んだらこの数字は銀行に吸収されるのだろうなとか中学生の時に親に自分の好きな曲を否定されたことを思い出して好きなことを話題に出しては否定されるか変にプレッシャーをかけてきては自分が間違っている気になってしまって親に好きなことについて話すこともなくなって文章を褒めてくれた教授は40も下の男にも女にもなりたくなかったあの子を性的対象と見ていたことを卒業してから言外に伝えることに成功したただの勘違い人間だったし中学生の時友人とみていいのか分からなかった人をフィクションとして書いてどうしてそんなことするのと失望されてひとりになって成人してもなお好きなことや煙草を吸っていることすら周りの人間に秘密にして死にたいという願いを込めて書いた文章は生きたがっているようにみえると言われ学年が上がることに不安になって受験も就職も推薦やらなんやらで周りの大人がなんとかしてくれて本当に自分は資源を無駄にするだけの人間なんだと、改めて思ったということだ。
希望を持ったこともある。二十歳になる前に死ぬと天啓のように思っていて近づくにつれて身辺整理というものをしてみたしどんどん清々しい気分にもなっていたが、後に残ったのは妙に片付かれた部屋と成長しきれない心だけだった。
死にたかった。誰の記憶にも残りたくなかった。でも自殺する勇気も行動力もなくて生命保険のこととか考えてしまって結局布団の中で静かに首に手を当て某児童書の「死ぬとは長い一日の終わりに眠りにつくようなものだ」という言葉に望みを抱いて朝が来ないように祈りながら眠りにつくしかなかった。そして結局ハッピーエンドの物語のように朝は来る。
夢の中では知らない誰かが何度も殺しに来てくれて血の流れる感触を覚えているのにそのまま眠りにつくことすら許されず眩しさに目を開けるしかないのだ。
最悪だ。
いっそ死ぬような病気だったのならと何度考えたことか。きっと物語のように生きたいと願いながら死ぬことができるのだろう。それが羨ましくて仕方がない。社会不適合者であるという点を除いては全くの健康体であるのがもったいない。もったいないおばけがでるぞ。
そうだ、この際気に入っているものを全て言ってしまおう。今は酒の力で無敵である。
ありとあらゆるものが好きだ。人間の感情にぶれぶれな所が好きだ。腐が好きだ。百合も好きだ。じれったいのも好きだし万人と同じくエロも好きだ。あれは感情の振れ幅が大きくて理解しやすい。推理小説は昔から好きだし切なく終わるものも好きだ。つまりメリバというやつだな。バッドエンドだって好きだし魔法学校の物語も好きだしジャンプも好きだ。悪魔や妖怪が出てくるものもすきだ。転生しちゃったりトリップも好きだ。アイドルや魔法少女もしゃべるぬいぐるみだってゴミを固め続けるロボットだってすきだ。国も刀も艦隊も人造人間もヒーローも好きだしグロも好きだ。Rー20なんて足りないくらいだし食人だって好きだ。いいぞ、もっとやれ状態である。ギャグも日常系もそれに人外も好きだ。異形頭は一等気に入っているし一つ目も多目も分け隔てなくすきだ。それにケモナーでもあると言っていい。ベースがきいているものが好きだ。前にしていた部活の影響か裏打ちが好きだ。ジャズもクラシックもすきだ。エレクトロニカも好きだしポップもきく。ボカロは青春と言ってもいいし洋楽は夢の塊だった。歌舞伎も能も好きだ。落語の入り込む時が一等好きだしミュージカルも好きだ。舞台に立つ喜びも知っているからか演劇も好きだ。格闘ゲームはゲーセンでもやるくらい好きだし音ゲーもゲーセンでやるくらい好きだ。パズルゲームも好きだし脱出ゲームなんてやり続けてるしRPGも好きだ。その影響かTRPGも好きだしものを作るゲームも好きだ。ほかにももっともっと好きだと言えなかったものが沢山ある。
つまり、何でも好きなのだ。何でも好きと言うことは何も好きではないことと同義だと考えてしまう。そして、何も好きなことがないということと同じなのだ。
お酒を追加したい。
あのアーティストでさえ死んだことが死んでいると言うことが日常になる日がくる。日々は誰かが死んで出来ている。乗り越えるとかそういうことじゃない、ただそうであるということを受け入れて日々を浪費していくしかない。他人を完全に理解することは難しいしきっと一生無理なことは分かっているが、それでも親に「ちょっとぽっちゃりしたね」と言われて密かに筋トレを始めるような自分とはおさらばしたいし、何か誇れるものがあれば死にたいと思うことは少なくなるのではと少し希望を持ってはいる。大人になんてなりたくなかったけれど過去に戻りたいかと言われれば戻りたくない。温室のような過去に戻りたくはないが砂漠に雪を降らすことも出来ないので、きっと死神の目には見えている寿命を全うするしかない。
3年前に亡くなったアーティストの曲を聴いて勝手に悲しくなってその感情をどうすることもできずにただ書き殴るしかできない酔っ払いの今までを消化できるようお祈りし、悼辞の言葉と代えさせていただきます。おーい!誰もおまえのことなんて覚えていないし考えてもいないからお前が死んでもただ数値が1減るだけだぞー!じゃあな。
なんか数カ月後の俺みたいだなと思って筆を執った
俺は今休職中だけど1ヶ月後くらいには徐々に復職するかもという感じ
でも正直もう仕事戻りたくないし何なら生きてる意味ないから死のうと考えてる
少なくとも今年中に身辺整理して自殺するぞと思い続けてはや年末
焦って片付けを始めて、そこそこ片付いてきた
持っておきたいけど持っておいても結局2年くらい一度も読みもしなかったから処分しても問題ないとは思うけど手放すのが惜しいと思う葛藤と戦っている
でもまあ多分処分するけど
そんで買いたくなるような場所に近寄らなければ多分もうものは増えない
やめてるぶん自殺しても会社に迷惑かけないあなたのほうが偉いんだろうな
他の人だって毎日しんどいけどがんばって仕事して生きてるんだとは思う
休日でなんとか充電してまた1週間がんばる、とか
社会人になってせいぜい10数年だけど、正直もう生きる気力ないわ
長生きしてもいいこと何もないってわかってるのに生きる意味なんてない
死なずに生きれたらいいけど、そんな立派な人間にはなれなかった
クソみたいな国の養分になるのも生きるために生きるのも嫌だ
愚痴だとか自分の中の暗い部分とか、そういうツイートをする垢を消してきた。
元々はそういうアカウントでもないし、全員身内だがフォロワーもいるアカウントなのでTLに人がいることも当然あるし、身内同士で盛り上がっていることもある楽しい垢だった。ただ、一度TLの雰囲気が病み垢(というのが適切かはわからないが)のようになってから、ぼそぼそとそういったツイートをする垢になっていった
だが、いつしかそういったツイートをするのは自分だけで、はじめは共感などのいいねをされることもあったが、最近はうんざりされたのか、何も反応がなかった。当たり前のことだ。人のネガティブな気持ちにいちいち目を向けていては疲れてしまう。
それはわかっていても、自分ではどうしようもないから助けが欲しくてツイートをやめられなかった。
なのに、昨日 突然辞めてもいいんじゃないかと思えてきた。だから また呟きたくなっても呟けないようにと思ってアカウントごと消してきた。
身内の中でも特にある程度許している範囲の広い身内しかいないアカウントだったので、居心地が良かったし、消したら消したで何かと不便だと思い、中々踏み切れなかったが、自分の中の何かがすっぱりと切れ 消えてしまったのですんなりと削除できた。
何となく、身辺整理だとか何だかそういったものをした気分だ。これが自分にとって最良の消え方だと、無理やり思い込もうとしているのかもしれないが、そう感じている。
TLの人たち。今までご迷惑おかけしました。不快な思いばかりさせましたね。ごめんなさい。
救われたい。