はてなキーワード: 新語とは
「アモングアス」は納得がいかない。
古来より日本では発音「ʌ」をカタカナ語で表す時はあ段で表すと決まっているだろが。(例:Monday=マンデイ or マンデー)
もちろん「ʌ」をお段で表すよう定着した単語(monkey=モンキー、front=フロント)もあるが、それは例外。
これらの例外は広く定着しているため今更変えようがなく、慣例に従ってお段で表すのは納得ができる。
でもamongは「アモング」として定着してないだろが。
amongはカタカナ語としては新語に近く、ならば基本的な規則性である「発音『ʌ』をカタカナ語で表す時はあ段で表す」に従うべきだ。
なお、一部のアホは「そもそも正しい発音はカタカナでは表せないからどっちでもいい」とか訳分からんことを言ってるが、それなら「ウンコブリブリ」でもいいことになるだろ。アホか。
また、一部のアホは「"among"という一般的な単語を議論しているのではなく、あくまで"Among us"という固有名詞について議論しているのであって、一般的単語に適用されるカタカナ化の法則が"Among us"にも適用されるわけではない。」みたいなことをほざくが、なら明日からMcDonald's公式が「我々のことは『ウンチブリブリ』と呼んでください。」と言ったら従うのかよお前は。
McDonald's公式が「我々のことは『ウンチブリブリ』と呼んでください。」といっても俺は「マクドナルド」と呼ぶし、
Among us公式が「我々のことは『アモングアス』と呼んでください。」といっても俺は「アマングアス」と呼ぶ。
譲らねえからな。
男性器
愚息
いきり立つもの
なぜこれを男を排除して初めて成立する「百合」にブチ込んでしまうのか。
俺は百合に性行為かつ抜き目的の所謂「おかず」を求めていないから「ふたなりなんていらねぇんだよ!」に行きつくんだろう。男女の恋愛が嫌だからという逃避目的で百合を好んでいるわけではないが、だからと言ってちんぽを入れる理由もない。入れない理由はいくらでも思いつく。
彼女達が笑い合ってくれればそれでいいのでくっついたりキスしなくてもいい。友愛でいい。あの娘と楽しむ彼女は無防備で素直な人間で、生きていることを感じられるようなドロッとした時間を過ごしてくれればそれでいい。そのままの彼女達であってくれ。
…まぁこれは百合作品じゃなくて他よりちょっとだけ女の子同士の友情が強い作品に対してなので、百合作品ですとカテゴリ分けされたものに対しては素直に受け止めるよ。手を繋ぎ、キスをし、肌を重ね合ってくれても構わない。けどふたなりはやだなぁ。百合がいいのであってふたなり百合は別もんよね。
ふたなり好きで抜き目的以外で活用してる奴なんているのかな。ちんちん生やす時点でセックス目的だろ?ファッション感覚で気軽に付けるもんでもねぇし、なんだかんだ適当な理屈こねても結局セックスさせてぇ!抜きてぇ!!なんだろ。エゴでしかない。これが二次創作なら目も当てられない。キノコ食ってちんぽ生えました!じゃあないんだよ。お前の墓標を秒で生やすぞ。
女性にちんちん生えてるのが好みってどういう人生歩んだらそうなるんだろうな。どこで性癖歪まされたんだろう。エロ本以外でふたなりちんぽ出てくる全年齢作品あんの?それに触れちゃった?パンドラの箱だよそれ。ガキの頃ならまだしもいい年で触れちゃったらそれはもうお前がおちんぽ大好きだったってだけだよ。最後に残ったのは"希望"でしたじゃあないんだよ、最初から最後までちんこしかねぇよ。ンなもん東京湾にでもぶちまけとけ。実質海洋散骨だ。俺にとって百合ふたなりなんて災厄以外のナニモンでもねぇ。表紙にちゃんと書いといてくれ。
分かんない。上でも書いたけど抜き目的のふたなり百合って結局自分本位だから女の子同士で完結してないんだよ。自分の"欲望"があって成立するじゃないですかこの場合。だから汚してるんだよな、女の子を。穢れた手で触れてはいけないし変なものを生やすもんでもない。百合えっちはなんか物足りないからちんちん生やしますって、バカか。野郎になるな。お前が百合を想う時だけ女になれ。お前のちんぽを去勢しろ。
…え?女性でもふたなり百合好きはいる?…あっちは概念的なもんだから……まぁ…ね………。
これは持論だけど、百合ってのは気付いちゃいけないんだよ。散らさないよう荒らさないよう柵を立てるもんでもない。ただそこに咲いていることに気付かないふりをするんだ。己を介入させるな。"自分"という存在は百合に不要、ノイズになるだけ。観葉植物になって見守りたいじゃあない、意識して傍観者になるな。
って自論書いたけどふたなり百合好きな人ってそもそも百合好きなの?ふたなりというジャンルが好きで百合がおまけで付いてきました…っていうか、野郎をふたなりちんぽで掘るのは実質ホモだから百合の方が好みですみたいな消去法で手出してるんと違う?まぁこれはなんで百合好きなのにふたなりOKなの…?っていう信じられなさもあるんだが。どうなんすか?実際のとこ。
…もしかしてふたなり単体が好きってことか……?なんで…?なんで女の子にちんちん生えてるの好きなの………それってホモってことじゃないの?他人にちんちんが生えてるかどうかなんて気にしないでしょ普通………もうわけわかんなくなってきた…なんだよふたなりって……道具じゃダメなの…?ダメなんだろうなぁ……。
百合好きを一旦置いとくと、言わんとしてることも分かるっちゃ分かるんだよ。あのキャラが野郎とセックスすんのは許さねぇから女に生やしますという一種の代替案でふたなりを求めるのは分かる。理解はできないが分かる。こういう人もいそうだよな。ただそういう理由でふたなり百合を求める人は少数な気がする。なんとなく。
というかさ、ふたなり百合好きって真面目に内容考えてないでしょ。そもそも女の子にちんちん生やすこと自体ギャグみたいなもんだからふたなり自体ギャグなんだよ。お前の性癖もギャグ。大真面目にちんちん生やしてみましたって奴いるか?絶対半笑いで「これウケんだろうな」って思いながら描いてるだろ(求めてる層は純粋に好きそう)。もっとふたなりに真剣になれ。なんでお前は女の子にちんちんを生やす。お前のふたなりルーツを探れ。就活で聞かれたら笑顔で元気に答えられるぐらいにしろ。
色々書き殴ったけど結局のところマジにふたなり百合、というかふたなり自体どこがいいかさっぱりってだけなんで好きな人はどこが好きなのかと派閥(ふたなりも百合も好きだよとかふたなりは好きだけど百合は興味ないよ≠利便上のふたなり百合好きとか)を教えてください。
pptppc2 個人的に片方だけふたなりの場合、百合の成立はまず無理だという認識。のでふたなり百合って現象がそもそもあまり無いと思ってる。これが両方ふたなりになると「百合のようなBL」と同じ法則で百合になる場合が文字数
すまん「百合のようなBL」という今年の新語にも載ってないような単語をさも昔から使われてますが?みたいな体でお出しされて頭ハッピーセットになった。
けどあなたの言わんとしていることは分かる、なんとなくだが分かる。ちょっとこのテーマで誰か記事書いて欲しい。
greenT 百合好きのアレルギーのような反応はかつて供給が極端に少なくハーレムやふたなりのおまけを細々と享受してた時代の反発だと思うけど、もう豊かな時代になったから理解できない周辺ジャンルも許すべきだと思うんだ
勘違いしないで欲しいのは俺は別にふたなり百合に憎悪してない。百合の間に切り込み隊長みたいなのじゃないから。
ただ単純に好きな人はどこら辺が好きなんだろうなってだけ。元増田の下の方にも書いてある。
yukari_gohan ふたなり百合なのかふたなりBLなのかは見た目で決まるのだろうか、それとも本人の性自認によるのだろうか
ふたなりBL…え?お?凄い世界だ。野郎にまんまん付いてるってこと?半端ないな……。
見た目か性自認かの二択なら前者じゃないかな。後者は野郎にまんまん付いてなくてもふなBLになるかってのなら、それは性同一性とかそっちの方じゃない?だからちょい違うと思う。
kozilek 男×ふたなり、とふたなり×女、で違うだろうけど観測範囲では前者が多いので、ふたなりは百合とは遠くて、むしろ男の娘やTS作品が好きな層に近いのではなかろうか。少なくともみさくらなんこつは百合じゃないよね
俺は後者の方で話してた。前者の方が多いのか…ふた女が男を掘るんか?逆に見たことないなそっち。
「ふたなりは百合とは遠くて、むしろ男の娘やTS作品が好きな層に近いのではなかろうか」
だよねどちらか言ったらそうだよね。百合の派生のふた百合じゃなくてふたなりの派生。みさくら先生の名前久々に聞いたよ。
naka_dekoboko ありえたかもしれない百合がつけられた男根から発せられる衝動によって壊されていくNTR的な気持ちよさが女×女ふたなりモノにはある
こういう破壊衝動は普通の百合では起こりにくいから独自の面白さって言えるね。
Hana56 BLのふたなり(受に膣や子宮が生成される)は要注意書きではあるけど、そんなに別物になる感じでもない印象。もともと穴も棒もあるところに穴が増えるだけだからインパクトのレベルが違うのか…
ふたBLって単語知ってるの二人もいんだけどそんなメジャージャンルなの?それともブクマした人がとびきりの変態さんなのか?(失礼)
まぁ確かに女の子にちんちん生えるインパクトに比べれば穴だけだしね…「なんと奇遇な!」ぐらいのインパクト欲しい。
理解できねぇから知りたいってこと書いてるって元増田読んでたら理解できるのにこういうブコメしちゃう京都大学霊長類研究所のアイちゃん以下の知能指数の人ってよくここまで生きてこられたなって感心する。そもそも理解できねぇことを増田に書くのってどこが悪いんだ?理解できねぇからそこで終わりの思考停止ならまだしも持論を書いたうえで知りたいから教えてって乞いてんだろ。拒絶じゃねぇだろ、歩み寄ってんだろ。マジに最初から最後まで読んだか?こんなんがトップブコメとか終わり過ぎだろ。自称高学歴様が集う増田ってこんなもんなんですか?ていうかこのブコメ内容と合ってない気するな。何が言いたいんだろう。ちゃんと100文字使いなさいよ。
nmcli 自分の場合、実社会において男性が嫌いなので男性を描いて欲しくない、ただしオスメスのセックスは描いて欲しい、という矛盾した理想があるので、ふたなり百合はその答えの一つとして支持できる。
こういうのだよ、こういうブコメが欲しいんだよ。自分の中で「ふたなり百合とはなにか」の答えを持ってて、それを発言してるだろ。 id:fusanosuke_n はこのブコメ他をA4紙に印刷して家中に貼り付けろ。
合意なしなら動物と変わんないけどそれはそれで「百合乱暴」ってジャンルがあるから難しい。
こっちはゆるゆりでちなつがあかりちゃんにするそれっぽくて、ギャグ寄りだよね。他は知らないです。
LuneC 私は孕ませをこじらせて「孕みも孕ませもいけるふたなり最強じゃん…おそろい腹ぼて…」です!百合の文脈ではないな!
好きを突き詰めた結果たどり着いた境地理論好き。ツワモノのにおいがする。
このケースは孕ませ→ふたなり→百合だからふたなり成分が濃いね。孕ませが男女か女女からなのかでちょい変わるけど。
seachel 男性向けエロは男女でも射精のメタファーとしての潮吹きが好まれやすいので、単純に自分にない感覚を視覚的でない状態で理解しづらいという特徴があると思ってる。フタもそこの延長線では?
そっから自分にないならあるものをってことでふた化させるって、やり方がいろんな意味で強引だけどその強引さが好きです。分かりやすい方がいいこともあるよね。
damonon 元々マイナーなジャンルのものがちょっと有名になったからってさらにそこから分派してるマイナーなジャンルを叩く行為はお前本当に何様?って気持ちになる
これぐらいで叩きだと思い込む繊細ヤクザ。そもそも叩いてないし理解しようとしてる。過度な思い込みで見当違いのブコメ残すお前自体何様だよ、ドーベンチワワかよ。
生き辛そう。もう休んでいいですよ。
yogasa 汚い男の珍子突っ込まれてるのに興奮する派と,同じ珍子なら女の子についてたほうが興奮する派の100年にわたる闇の戦いの歴史があってだな……
どっちかっつったら後者だな。ただこれは前者は勘弁して欲しいという消去法からなので、純粋に後者が好きな人よりはリビドーが薄いです。
kingate プラトニック百合っていうのがどうにも肌に合わん(教条主義に発狂している百合ファンのツラを想像するとキモいというルッキズム自家中毒なのだろう多分)。いいからさっさとパンツを下ろしてファックしろ。
よく分からんけど肌に合わない理由が外的要因ならもったいないんで一度プラトニック百合に触れてほしい。
百合作品じゃないけど百合みあると言われてる作品から始めてみよう。
anigoka 射精イベ欲しいじゃん? 潮とイキ感は一致しないけど射精は一応一致するし。尿道、膣口、肛門と挿入先の選択肢も広がる
自分に正直で笑顔になった。男性向けはかつ丼っつわれてる理由が少し分かる。こういうのもっとちょいだい。
e_denker 百合好きが「それホモじゃん?」とか言ってるの見ると悲しくなるな。『宝石の国』は無性だから百合じゃないって意見を見かけた時の気分だ。生えてないと描けない関係性だってあるだろ。私はそれも百合として祝福する
ごめん言葉が少なすぎたというか迂闊だったというか…ちょっと間を簡略化し過ぎだよな。ちょっとないと思う。
それはそれとして、生えてないと描けない関係性ってなんやねん!と思うんで参考資料下さい。
Ugu-nomicon 何がいいのか尋ねてみたら「一粒で二度美味しい」という簡潔な返事が返ってきた(闇闇闇
グリコ理論は分かりやすくて良い。けどそれをふた百合に当てはめ続けるとどっかで訴えられそう(営業妨害
catsnail まあ別ジャンルよねーと思って読んでたら突然“あっちは概念的”とかで除外されてよくわからなくなった。あと当然両方に生えてるものだと思ってた。男に乳生やすのも好き。ふたなりは「全」 なんだ
これは「心にちんこ生やしてる女性もいるよね…けどあっちは概念的なものだから」の流れで書いたんだと思う。前を消したんでよー分からんくなったなごめんなさい。
好き好んで見てないんで「見てしまった」でもの語るけど、生えてるのは片方の方が多かったな。けど「ふたなり百合」の字面は両方生えてそうだよね。
ちょっとググったら説明書きが面白すぎた。その界隈では超有名なんだね、新しい扉開きそうだわ。
inatax 女性同士の恋愛を通してでしか描けないものがあるように、ふたなりを介さないと表現できないものがあるだろう。そこに貴賤はない
個人的にだけどふたなりって出オチじゃないですか。インパクトだけで押し切るというか。
って思ってるから何かを訴えかけるような重厚なシナリオのふたなりなんてあるんかねぇってなるんですよ。なんかオススメあったら教えてくれ。
pachikorz ふたなり百合好きだよ。抜き目的ではない。理由は、やっぱりちんこがかわいいと思ってるからかな。ふたりともふたなりなのも片方だけも好き。関係ないけどふたなり逆アナルも好き。個人の感想です。
ちんこ嘆美派。
hiruneya 文章がヤバすぎてつらいが、まあ要するにお前にとっての女体・百合は男根が生えた程度で毀損されるものなのねと。美少女好きがバ美肉おじさんに萌えたのが数年前やで
元増田読んでその解釈その感想しか出ないお前の読解力のなさがヤバいし全くかすってもない見当違いのバ美肉おじ出してくる国語力のなさがヤバい。作者の考えを答えよの正解率2割切ってそう。書き込む前に何回か見直した方がいいよ、マジで。
あのね、こういう力技大好きなんですよ。
「手を繋ぐための手くらいの認識まで落とすべき」
とんでもねぇ暴投するでしょ?突拍子がなさ過ぎるんだわ。なんかいいこと言ってるように見えて滅茶苦茶蛮族なんですよものの例えが。強引。好きだなぁ。
ichigocage ペニバンのことどう思うか聞いてみたい。
最初の方に書いたけど元々「女の子同士の友情が強い作品」の中にある百合が好きで、そこに百合えっちはいらないです派なので当然なし。
ただオリジナル系だとあり。百合えっちも乱暴もペニバンディルドもあり。ただ好き好んで読まないだけ。
ajisu 私は凛々しく美しい女性に雄々しい男根が生え、自らの内に発生した雄の性欲に振り回される話が大好きだけど、他者に理解を求めようとは思わないしチンコ生えてない百合のことも差別しないよ!
…上の「ふたなりじゃないと書けないものがある」ってこういうことか。ケモ百合のケモ側が野性を抑えられず乱暴しちゃうとかそういうのと同じか。いいじゃないですか。
sekiryo 「見つめあう二人」や「秘密の」とか誰かが提唱してくれた"粋"に賛同している程度ならいいのだが、その他人の褌を錦の御旗にして殴りかかってくるのは最高にダサい気がするのだが。器の狭さ自慢してる自覚あるの?
「誰か」が誰なのか教えてほしいですね。自分を賢く見せようと京都人も首をかしげる遠回りし過ぎて着陸失敗してる言い方だからよく分かんない主張になってることに気付かないのが最高にダサい気がするんですがその自覚はおありでしょうか?
器量の狭さ云々は元増田の最後の方に書いてあります「理解できねぇから教えてくれ」を読んでもそう仰るなら見当違いですのでお帰り下さい。
ラクで五人の日本人が拉致され、その後、全員無事で解放されました。
http://studium.xsrv.jp/demo/voice/TGT040423_iraq/index.html
この間、日本政府はとつぜん「自己責任」という言葉を使い始めました。
大部分の日本人にとって、これは耳慣れない言葉です。そこで、この言葉がどういう意味で使われているのかを、まずは押さえておきたいと思います。
政府が「自己責任」という新語によって言いたいことは、以下のようなポイントに分けられます。
政府は国民に対して、イラクには行かないよう、何度も勧告した。
拉致された五人の日本人は、政府の勧告を無視して、イラクに行った。
だから五人は、自分の身の安全について、自分で責任を持つべきである。
新型コロナウイルス(COVID-19)の流行で頻出するようになった言葉。
日本語の生成が追い付いてない。
たとえ訳語がなくても呼びやすい略語があれば良いが、それもない。
例えば「PCR検査」を毎度毎度「ポリメラーゼ連鎖反応検査」とか“polymerase chain reaction test”とか表記したり発話してたら面倒臭いじゃん。
ソーシャルディスタンス、「ソーディス」はなんか語呂が悪いし「SD」では伝わりづらい。
「密です。」が近い使われ方だが「ソーシャルディスタンス」と1対1では置き換えられない。
エッセンシャルワーカーもそう。「エッワー」では語呂悪いし「EW」ではわかんない。
日本語だと「医療従事者、介護や保育の仕事にかかわる人、宅配業者、スーパーの従業員、公共交通機関で働く人、ゴミ収集業者など
市民の生命と財産を守る為、社会を支える必要不可欠な仕事に従事している人達」と長ったらしすぎる。
オノマトペの「もふもふ」はここ10年位で定着したものだろうが、「もふもふ」はいかにして意味を確立し、市民権を得たのか。これについて考察し、一定の知見が得られたので報告する。
まず、「もふもふ」の初出には諸説あるが、調べた限り最古のものは、筋肉少女帯の「香菜、頭をよくしてあげよう」 という曲である。1994年発売の8cmCDに収録されているこの曲の中で「モフモフ」は、ジャムパンを食べる際の擬音として用いられている。
次に登場する用例は、2001年発売の武井宏之の漫画「シャーマンキング」14巻である。やはりパンを食べる際の擬音として「モフモフ」が登場する。
その後、2004年に高橋弥七郎氏のライトノベル「灼眼のシャナ」に、メロンパンをあらわす擬音として登場する。この用例では、メロンパン上部のクッキー生地を「カリカリ」、中心部のパン生地を「モフモフ」と形容している。
現在書籍などで「もふもふ」の初出とされているのは、概ね上記の3つである。筋肉少女帯のジャムパンを食べる際の擬音が最も古く、また3例ともパンを表す擬音であることが分かる。これらは似た時期に自然発生したものではなく、初出である筋肉少女帯と、それに関連づいた2例であると言えるだろう。
さて、ここで気になるのが、2020年において「もふもふ」は、パンを食べる際の擬音としてはあまり用いられていない点である。肌感覚ではあるが、2010年ごろには、もっぱら動物等の質感や毛並みを表す語として「もふもふ」を使用していたように思う。
2013年にはドコモの「iコンシェル」のキャラクターの羊が「きゅるりんきゅるりんモフモフきゅるりんきゅるりん♪」と歌っていたことが、SNSの投稿などから分かる。少なくとも2013年においての「もふもふ」は、動物の毛並みを表す言葉として一定の市民権を得ていたようだ。
では、いかにしてパンを表す「もふもふ」は毛並みを表すものに変わったのか。
先述の3つの用例のうち、灼眼のシャナでメロンパンを描写した際に使用されていた「カリカリモフモフ」が、「もふもふ」が動物の毛並みを表すに至るターニングポイントになる。
「ルイズコピペ」を覚えているだろうか。2006年に2ちゃんねるのゼロの使い魔スレに投稿されていたもので、ゼロの使い魔の登場人物に対する愛の叫びである。
ルイズ!ルイズ!ルイズ!ルイズぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!
あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!ルイズルイズルイズぅううぁわぁああああ!!!
あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくん
んはぁっ!ルイズ・フランソワーズたんの桃色ブロンドの髪をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁあ!!
間違えた!モフモフしたいお!モフモフ!モフモフ!髪髪モフモフ!カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!!
小説12巻のルイズたんかわいかったよぅ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!
アニメ2期放送されて良かったねルイズたん!あぁあああああ!かわいい!ルイズたん!かわいい!あっああぁああ!
コミック2巻も発売されて嬉し…いやぁああああああ!!!にゃああああああああん!!ぎゃああああああああ!!
ぐあああああああああああ!!!コミックなんて現実じゃない!!!!あ…小説もアニメもよく考えたら…
ル イ ズ ち ゃ ん は 現実 じ ゃ な い?にゃあああああああああああああん!!うぁああああああああああ!!
そんなぁああああああ!!いやぁぁぁあああああああああ!!はぁああああああん!!ハルケギニアぁああああ!!
この!ちきしょー!やめてやる!!現実なんかやめ…て…え!?見…てる?表紙絵のルイズちゃんが僕を見てる?
表紙絵のルイズちゃんが僕を見てるぞ!ルイズちゃんが僕を見てるぞ!挿絵のルイズちゃんが僕を見てるぞ!!
アニメのルイズちゃんが僕に話しかけてるぞ!!!よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!
いやっほぉおおおおおおお!!!僕にはルイズちゃんがいる!!やったよケティ!!ひとりでできるもん!!!
あ、コミックのルイズちゃああああああああああああああん!!いやぁあああああああああああああああ!!!!
注目するべきは、「カリカリモフモフ」が転じて「髪髪モフモフ」になっている点だ。駄洒落のようだが、これがパン専用の擬音だった「もふもふ」が、毛並みを表す語として使われた最古の例ではないだろうか。
このコピペや、これを改変したものは大いに流行し、当時2ちゃんで見かけない日はなかった。2ちゃん(というよりはVIP)のまとめブログ等も流行っていた時代であり、このコピペの認知度はそれなりに高かったように思う。
ここから、ふわふわした毛並みのものを「もふもふ」と形容するようになり、近年の猫ブームも手伝って広く定着し、NHKがけしからんモフきゅん番組に「もふもふモフモフ」というタイトルをつけるに至ったのではないだろうか。
長くなったが、ここまでが「もふもふ」がいかにして生まれ、意味を確立したかについての考察である。
他に「もふもふ」の起源や遷移についての知見があれば、ご教示願いたい。もふもふ。
様々な用例や知見が集まり、とても参考になった。挙げられた例や参考資料については、可能な限り後で目を通そうと思う。
「もふもふ」の語源について調べると、ネットやマンガ・ラノベ由来で近年発生した語であると説明されている場合が多いため、新語だと思い込んでいた。中にはシャーマンキングが初出だと言い切るインチキな書籍まである始末だ。
案外毛並みの「もふもふ」の歴史も古いようなので、元々毛並みとパンの2系統存在していた「もふもふ」を、たまたまルイズコピペが結び付けてしまったに過ぎないのかもしれない。
それから、2020年にルイズコピペにこれほどの求心力があるというのも、興味深い事実である。
ブコメで挙げられていた「オノマトペの謎――ピカチュウからモフモフまで」という本を読んだ。シャーマンキングとシャナのパンの描写を挙げ、00年代半ばの2ちゃんねるで「もふもふ」が使われ出したような説明がされており、結局「もふもふ」の初出と遷移について目新しい知見は得られなかった。なぜ本を書く人は筋肉少女帯を無視するのか。
しかし、その本の中で「は」行が柔らかな印象を付加する効果を担っているため、「もこもこ」に無いニュアンスを補完する新たな語として「もふもふ」が定着したと説明されており、それについては合点がいった。
また、女子中高生ケータイ流行語大賞2010に「もふもふ」がノミネートされていたことも、この本で示されていた。2010年の「もふもふ」は、2020年における、「〇〇しか勝たん」のような位置付けの言葉だったというなら、やはり「もふもふ」は新語なのだろうか……
また、このトラバも大変参考になった。
https://anond.hatelabo.jp/20201127104845
ここでは、旧仮名遣いについても言及されているが、国立国会図書館のデジタルコレクションで見ることのできる1784年の黄表紙「もふもふもふ怖噺」が「モウモウモウコワイハナシ」であることから、旧仮名遣いの「もふもふ」は「モウモウ」と読むのが適当かと思う。
コントロールできないものを、さもコントロールできるかの様に語る
宗教はたしかにその対応策にはなるし、宗教がこの世界に必要ないとは自分は思わない
ただ、大衆の不安を逆手に取って、実態は集金ビジネスなのに宗教を装う、というのが近年の新興宗教のほとんどなわけで
地頭とかコミュニケーション能力とかも、一種の新興宗教なんだろう
そう語っておけば納得できるみたいな
でも、納得した気になっても、その目の前の何らかの問題はまったく解決しない、するわけがない
問題を解決するためには、何か適切なパラメータを測定し、仮定し、実験し、検証するを繰り返さなければならない
これは科学的問題でもヒューマンな問題でも同じ様に自分には思われる
というか、これが「地頭に含まれる論理的思考」なんでないの?w
コミュニケーション能力だの地頭だの語るとき、その背後に何かun-touchableなものでもあるんでないの?
その後ろめたさを誤魔化すために何か曖昧な言い訳をしたい、そこで新語を造語し、
ってまんま1984だよなあww
たしかに1984はやたらと新語を造語するし、それは背後にun-touchableなものがあるからだ
政府を批判するべきでないとか、そういう状況が新語を作らせてる
例えば、就職の面接で落とした理由が、コミュニケーション能力の欠如だったとして、
だったら、自分なら、単におまえは気に入らない、だから落とした、で問題ない気がするんだよな
でも、法律的にどうこうだの、
というより、美辞麗句で本音を単に隠したいビビリ君だからなんだろうけど、
おまえが気に入らないから落とした、とは言えない
そうすると社会がどうなるかというと、
コミュニケーション能力を向上させる教材w
だとか、コミュニケーション能力を向上させる研修wセミナーw
上記のように、コミュニケーション能力で会社を落とされた、特に新卒とか社会を知らない人がそれを購入する、
という仕組みが完成する、というか実際そうなってるw
まあ人生(の勝ち組や負け組)や地頭をダニング=クルーガーで語るべきではないは言い過ぎなのかなあ
人生勝ち組だろうが負け組だろうが、運を実力と勘違いしてる輩はダニング=クルーガーみたいなものなのかもしれないけど
でも地頭でググって曖昧な定義の次に東洋経済wが出てくる時点で、あー、痛い人の使う単語としか思えない
オカルトっぽいというか
地頭の定義も「学校では習わない論理的思考とコミュニケーション能力」って、もっと定義が曖昧になっていくw
(というか、学歴コンプレックスにも似た、こういう学問をバカにして悦に入る人がビジネスの世界は多いの何なの?
多分、社会的な成功と学歴とか学術的頭の良さは関係ないから、そう思いがちなのだと推測はするけど
そりゃ、関係ないわなwと自分でも思うわけだが、それを攻撃的な話に持ち込むのが解せない
勉強なんてするより地頭とコミュニケーション能力、というのは要は、上司や老人を敬えとか大衆に迎合しろとかの言い換えに過ぎないし、
まあ、大衆に迎合しろとか、上司や老人は敬えとか、世渡り上手になれというのは理解はできる
だったら、そう言えばいい
まわりくどいんだよ
というか、まわりくどく言わないとならない後ろめたさがあるんだろ?)
論理的思考は知能検査でも繰り返せばいいのかもしれんが、コミュニケーション能力はどう探求すればいいんだ?
「おまえのコミュニケーション能力の探求や理解は浅はかだな。ダニング=クルーガー現象に陥ってないか?」
とか語るべきものなのか?
正解がないものに、さも正解があるかのように語るとか、
何か変なことが多すぎる
正解はないのだけど、探求し続ける、という姿勢ならまあ正しい
本当に、地頭だのコミュニケーション能力というものを探求し続けるという人がいるならそれはそれで素晴らしいんでないの?
俺はまったく興味ないけど
地頭だのコミュニケーション能力だの語りだす輩とイケハヤの親和性は高くて、
イケハヤ@仮想通貨大好き on Twitter: "「科学的とはどういうことか」を考えさせられますね~。ぼくは「外から流れてくる数字や言説を信じず、まずは自分の体で試して、確認すること」が科学的だと思うかな。そこから探求が始まるわけですから。自分のことばで語れるようになります。"
科学的である、というのは疑い続けることだし、そのためには仮説を立てて検証する、を永遠に繰り返すことだと自分は考えている
つまり、科学的であるというのは「永遠の知的好奇心による探求の旅」である
地頭だのコミュニケーション能力だの人間力だの老人力だの、いい加減にしろ
まあ、内心思うだけで言わんけどな
意味が曖昧な言葉を作って、何かを語った気になるって、江戸しぐさと似てるよなあ
ウソでも悪いことは言ってないからいいだろ、って、そりゃ駄目だろ
言葉遊びで、俺うまいこと言うなあ、うん、みたいなノリで聴衆を納得させるみたいなのってどこから来たんだろう
元々は富裕層向けのサロンだったわけだし、あれ登壇するために発表する側が大金払ってたりするわけで、
TEDは英語の勉強になるし、比較的まともな人はいい話することもあるけど、
時代はまったく違うんだけど、大衆が求めてるものとしての結論がそこに向かってる気がする
はー、ほんと不愉快だ
1. きちんと説明できないことは、ペラペラと関係ないことまで持ち出して長々としゃべりまくり、相手のやる気を殺ぐ。
2. ほとんど意味不明の下品なヤジを飛ばすが、謝れば済むと思っている。
3. まったく根拠のないことでも、さも裏付けのある事実のように粉飾して相手を煙に巻く。
4. 「“絶対に”大丈夫」とか「“決して”起きない」などと、根拠のない強い表現を好むが、そこを突かれると逆切れする。
5. 意味不明の言葉を新語・造語をやたらと持ち出す。その言葉の定義があいまいだから、議論がうまく噛み合わない。むしろ、そこを狙っているのかもしれない。
7. 開き直る。
http://www.magazine9.jp/article/hu-jin/19600/
確かに多いと思うよ。
当事者的にも覚えきれないし、ほとんどの当事者は気にもしていないけどね。
当事者として自己確立してしまえば、どんな言葉で自己定義するとかどうでもよくなるから。
どっちか言うと運動家や研究者(必ずしもLGBTではない)が使っていることが多いと思う。
「わからないもの」をわかろうと四苦八苦してるときに新語って量産される傾向があるし、
LGBT自身というよりその周囲の人が理解するための道具って印象。
あと、自己確立する前の、セクシャリティで悩んでいる人(含むメンヘラ)が使っているかな。
増えすぎの原因には、言葉を作った人間が注目を集められるってのももちろんある。
論文で提案した言葉がバズれば、被引用がっぽり稼げてインパクトファクター上がるし。
一時期レインボートイレみたいな当事者が迷惑がって反対するような提案が自治体の施策として取り上げられたりしたり
あんまり質の良くない、LGBTに詳しいと自称するコンサルタントの活動がずいぶん目立ったし。
ただまあ、それだけ言葉がなかったってのも大きいと思う。
性ってのは主観的な目に見えない部分が多いから、どうしても客観的な言葉にしにくい。
『奇跡の人』のサリバン先生も「言葉は心にとって光以上のもの」って言ってるけれど、言葉がないとどうしてもうまく悩めないのよ。
自分自身の心を見つめるにしろ、人に相談するにしろ、言葉不足は足を思い切り引っ張るから。
最悪LGBTってほどじゃないのに、その言葉しかなかったせいで、自分のこと考えるときに言葉に引っ張られてこの道に迷いこんじゃう人も出る。
10代20代の「自分がよくわからない」モヤモヤを抱えた子が自己確立する上では
もしくは、LGBTじゃない人たちがLGBTを理解する上では有益な面もあるから、一概に新語を否定もしたくないかな。
悩みを通り抜けて自己確立してしまえば、もうそんな言葉は不要になるけれど。
(増田の提案は自己確立済ましてることが前提だから、実は当事者にはあんまり意味ない)