はてなキーワード: 共通語とは
ざっくり「関西弁」と言われると「関西標準語」的なふわっとしたものを指す言葉として認識している。
恐らく大阪京都あたりの言葉をベースに、関西圏の人同士なら割とすんなり意味が通じる程度に方言をマイルドにしたような何か。
実際に概念としてはそういったものはできつつあるらしい。 → https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E8%A5%BF%E5%85%B1%E9%80%9A%E8%AA%9E
私は実家が兵庫、住まいは京都なのだが、確かに同じ近畿圏だけど、実家で自然と話す播州弁と、
職場で関西圏のいろんな地域から来た人たちとの間で自然と使っている、京都弁とも大阪弁ともつかない言葉はだいぶ違う。
でも明らかに標準語とも違うから、名前を付けるとするなら関西標準語とか関西共通語とか、まあそんな感じになるよね、みたいな言葉。
自分も周囲も標準語を話そうとすると「キショい」「サブイボ出る」となって落ち着かなかったり(なんか歯茎や首筋や鼻毛がムズムズする)、
たまに関東から新人がくると、新人が口を開く度にツッコミを入れずにいられない人が社内にも社外にも何人もいたり、
イントネーションの違いを関西風に直しつつ意味を確認しないと違和感が気になって会議で話が進まなかったりして、
実際にコミュニケーションの妨げになってしまうので、話し言葉として標準語を使うという選択肢が最初から排除されている。
なんならビジネスの場面でうっかり標準語を使うと、発話者が標準語話者であるという前提を知らなかったり、うっかり頭から抜けていると、
受け手が無意識のうちに「余所余所しく信頼関係ができていない」「バカにされている」「煽られている」「ケンカを売られた」といったネガティブな印象を持つことがあってマジで危険。
関東からきた新人を連れて行ったり、丁寧に敬語で話そうとしすぎて標準語っぽくなった際に、
えらくぶっきらぼうなオッサンから急に「自分(出身は)関東?」と聞かれることがあるが、その辺のスイッチを切り替えるために必要な確認だったりするのだと思う。
裏で「やっぱ関東出身はアカンわ、しゃべり聞いとるだけでかゆーてしゃーない」などと言う事はあっても、大体表面上は態度をスイッチしてくれる。
そんな環境なので、関東圏から就職してきた新人も、数年もしない内に(必要に迫られて)自然と関西標準語話者になるのだが、
イギリスのEU離脱騒動について、最初は離脱に入れた人達はバカだという気持ちが強かったが
今はどちらかというとドイツをはじめとしたEU側のイギリスいじめとでもいうべき態度に引いている。
すぐ出て行け、一切の交渉を許さないという強硬な姿勢に驚いた。
EUを抜けてもイギリスがヨーロッパの一国なのは変わらないし、これからも付き合っていくことには変わりないんだから
離脱派が勝ったとは言え差は割と僅差でしかも若年層の方が残留派が多いと言う結果、
それならば「今は別れるけれど隣人として仲良くしようね、気が変わったら戻ってきてね」というのが大人の態度なんじゃないの?
今のEU側はどうも、手段が目的化しているように思えてならない。
イギリスは貿易相手としても大きいし、ドイツやフランスに住んでいるイギリス人やその逆もいる以上
関税をバカみたいに上げたりして嫌がらせをしたら自国の国民や企業だって不利益を受けると思うんだが。
EUは本来平和の達成のために作られた訳で、EUの存続自体が目的化するのは本末転倒だと思うんですけど?
EUはただの装置でしょ?抜けたら嫌がらせしてやるなんて姿勢で維持してどうするの?
このままイギリスを締め付け、今後離脱するかもしれない国を脅し…って、そんなやり方では新たな紛争を呼ぶとしか思えない。
第一次世界大戦後にドイツに法外な賠償金を要求した事がナチスの台頭の一因となったという話は常識だと思うんだが
ドイツ人なのになんでそれを考えないんだ?もしかして理系だから歴史の勉強もしていないの?
どうも世の中、理系なら論理的で偏見の無い判断をしてくれるという理系信仰が強いけれど、実際のところ理系でも十分に感情的だったり偏見まみれだったりする人は多いよねと思う。
しかも公用語から英語を外してフランス語とドイツ語中心にするって…おいおい。
「shi3zの長文日記」がホッテントリに入っていますが少し言葉足らずかなあ…
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20160607/1465246379?_ts=1465261918
”また、いま普及している聖書は基本的にさまざまな本の断片を集めた合本であるため、訳者によっても微妙に解釈が違う。そもそも原著はヘブライ語で、ヘブライ語聖書からそのまま翻訳しているわけでもなくて、一度英語になったものを翻訳したりするわけだから話がさらにややこしい。”
上記は旧約聖書にはあてはまりますが新約聖書にはあてはまりません。
http://www.bible.or.jp/know/know07.html
”旧約聖書はヘブライ語で記されている。ごくわずかの部分はアラム語である。”
ですが
”新約聖書はギリシア語で記された。このギリシア語はヘレニズム時代に地中海世界で共通語となったコイネ-と呼ばれるギリシア語で、古典ギリシア語とは異なるものである。使徒たちによってキリスト教が伝えられていったのは、このコイネ-・ギリシア語の世界であったので、新約聖書はコイネ-・ギリシア語で記されたのである。”
イエスが生きた時代のパレスチナの日常会話はアラム語であり、ローマからオリエント世界における国際共通語はギリシャ語でした。
一般にイエスが実際に発した言葉はアラム語で、その言葉を使徒が書留め、書簡に記したり布教に使用したのはギリシャ語だったと考えられています。
”イスラエル民族はカナンの地(パレスチナ)に定着してからヘブライ語を使用したが、後にアラム語が使われるようになった。このアラム語はアッシリア、バビロニア、ペルシアで用いられていた。エズラ記のアラム語部分はペルシア王との間に交わさた手紙であるが民衆は理解できなかったことを示す記録が列王記18:26にある。アラム語は次第にイスラエルに浸透するが、バビロニア捕囚はそれに大きな役割を果たしたと考えられる。ギリシア支配時代以降ヘブライ語は聖書その他の宗教文書に用いられ、一般にはアラム語が日常化していった。イエス時代のパレスチナではアラム語が用いられていた。福音書記者はイエスの語られた言葉の中に、ごく少数ではあるがギリシア語と並行してアラム語を保存している。「タリタ・クム」(マルコ5:41)「エッファタ」(同7:34)「アッバ」(同14:36)「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(同15:34)がそれである。”
「現在の常識では不可能です」終わりになってしまうので、本来なら説得力のあるガジェットを用意しなければならないはずだが「ある日、目が覚めたら異世界にいた。」これだけで終わってしまい以降その現象について付言する作家は極端に少ない。
■言語
いきなり異世界に訪れたとして、偶然言語が同じであったというのは不自然極まりない。言語と文化は渾然一体である。話が通じるならそれなりのバックグラウンドを説明する必要があるが、
異世界と現代日本の妥協点は皆無であり。「なんだかわからないが、話は通じるようだ。」で終わってしまう。
そのわりには、単語を知っている知らないという茶番は多いのだが。(特にネットスラング関係)
そもそもエルフなんかの場合、外見から可聴域で会話していない可能性もあるのだが。
純ファンタジーである場合はこの問題はそれほど難点ではないが、旅をする場合、日本のような狭い国土でさえ東北弁に字幕が必要であったりするので言語にリアリティを求めるならば行く先々で言語学習というステップを踏んだほうが良い。
でなければ「カタコト」程度の意思疎通ぐらいしか望めない。大陸共通語等の便利な定義は可能ではあるが、文化的背景が同じであるのだとすればこの異世界は恐ろしく狭いことになる。(四国ぐらい?)
識字はさらに難しくなるが会話ができる状態なら識字については物語の進行上それほど問題にならない。
■単位
いきなり異世界ではこの点は問題にならない、素直にメートル、キログラム、で記述して問題ない。
逆に純ファンタジーでは格段に難しくなる、キログラムがポンドに、メートルがマイルになっただけで何がなんだかよくわからないのに、数値を使わず何がどれくらいの大きさでどれくらいの距離にいるのか説明するのはものすごく面倒であり。
また、正しく読者に伝えられるかどうかと言うと疑問符が付く。
馬ほどのモンスターというのがどれくらいの大きさなのか普段馬に接していないと感覚的にわかりづらい。家ほど竜といってもその世界の家がどれほどの大きさなのかをまず説明せねばならず、「どこそこ街まで馬車で3日の距離」馬車の速度を知っている読者は少ないだろう。
いきなり異世界では、主人公の独白で物語が進む場合これはさほど問題にならないが、異世界人と交流する際、相互の認識のずれを修正する描写を毎回挟まないとならない。いきなり異世界であってもやはりその異世界には独自の単位が存在しているのは自明であり、5kmをkmを知らない人間に説明する描写が不可欠である。これは逆でも可。
■食料
いきなり異世界では現代の日本人が異世界に赴くパターンであると思う。
だが、現在の日本人は虚弱であり異世界の食生活になじむのには相当に時間がかかると思われる。そもそも食材が異世界産であるので食べられないという指摘もあると思うがハビタブルゾーンを考慮してある程度地球に近い食べ物があるという推測は一応立てられる。
異世界の技術水準が中世である場合、日本人の胃腸が耐えられる可能性は非常に低い。飲み水の確保すら難しいと思われる。
インド人ならいけそうな気もする。
■病気
異世界の歴史が数千年を超えている場合、未知の感染症、寄生虫のリスクがあるのはほぼ確定的であり。耐性をもっていない現代人は即死の可能性が高い。
インド人でも無理だろう。
■暦
異世界の年単位、昼夜の間隔、さらに言えば時間間隔が偶然地球と同じであることは想定しにくい。
その相互の違いの説明無しに時間制限を設けたりするとリアリティと言う側面では違和感が残ってしまう。
異世界人の年齢をいちいち10代に設定してあるのは何基準なのだろうか。
本来なら最も異文化を象徴し、十分に説明しなければ異世界の世界観を説明できないのでは無いかと思うが。
あいまいなままなんの説明も無く、貴族や国王といった地球由来の価値観で定義してしまっている。(それも地球産のものよりも、すごく雑な形で)
大体において貴族、国王、ギルドという言葉だけで理由は無いがそういうものだということで説明を放棄し、これらが前提として話が進む。
※白熱光を読んだけどもうね、何一つ理解できなかった。
貧困層といっても色々あるけど、たぶん進学できず就職もできない人が多数を占めると思う。
で、不思議なのは、「政府は意図的に貧困層を生産して兵士になるしか選択肢が与えられないようにしてるんだ!」とわめく人たち。例えば國分功一郎のこのブログ記事→http://ameblo.jp/philosophysells/entry-10570987570.html
いやそれおかしいよね。進学できなかったり就職できないってことは基本的な仕事や知識を身につけていない人たちってことでしょ?こういう人たちを一人前の兵士(自衛官?)に育て上げるまでにどれだけのお金が必要なのか考えたことはある?で、その人たちに出す俸給はどこから出るの?財務省が大幅な自衛官の人数増加を許すと思うの?
そんなこというと、「いや、民間軍事会社に就職せざるを得ないように政府は仕向けるんだ!」と主張するかも知れない。でもそれも変じゃん。例えばパ○ナがそういう会社を新設したとして、どこの軍隊がノウハウのないぽっと出の会社と契約したがるの?信頼して仕事任せられないでしょ。それなら海外の民間軍事会社に就職?最初に挙げた貧困層の定義に限って考えれば、進学できなかった日本人がまともに英語喋れると思うの?もし万が一、日本が東南アジアで軍事展開するとしてその下請けをするとしても、日本は現地の政府軍ないし米軍と共同作戦する可能性が大でしょ。となると英語が共通語になる。日本語しか喋れない人がそんな状況で使い物になるの?
関西弁話者は、経験的に言って自分の使う方言を主に使う。それが他の方言話者であろうと関西弁。共通語話者であろうと関西弁。国会などでは抑えられがちだが、イントネーションを隠そうともせず関西出身アピールが著しい。「郷に入りては郷に従え」というが、関西弁話者にそれは通用しない。
他方、それ以外の方言話者は基本的に自分たちの方言を使うときは自分たちの地方だけで使う。東京に来れば基本共通語であり、今となっては地元にいてもだいたいは共通語である。
以上のことから、関西弁話者はそれ以外に対して侵略的であることが、明らかである。
クマゼミといえば西日本でよく鳴くセミだが、最近は勢力を東へと広げている。アルゼンチンアリも東日本へと勢力を拡大させている。これは関西弁もまた、東日本へと勢力を拡大させるだろうことの、十分な証拠である。
これこそが恐ろしいことである。関西弁話者と話すと、まずイントネーションを支配される。共通語を使っているのに、なぜかイントネーションがぎこちなくなる。次に、アクセントが支配される。そして、ボキャブラリも関西弁特有のものとなる。こうやって徐々に関西弁話者は、関西弁を共通語としての地位を確立させようと画策しているのである。関西弁と話した人間は、しばらくそれが抜けないため、判断は容易であるが、回復は時間経過のみでなされる。
それに対して我々が講じうる策は、残念ながらない。我々は侵略される側でありながら抵抗するすべもなく、関西弁を話す傀儡へと遂げるのである。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/06/01/kiji/K20140601008278820.html
関西を舞台に長く放送作家を務めた百田氏は「大阪ではね、強調ために『ド』とか『クソ』を付けるクセがあるんですよ」とし、今回の件を「単なるギャグ」と説明。“問題発言”の後「入った泥棒も、あんまりかわいそうやから、小遣いでも置いていこうか。そういう国や」と言い「(会場は)ドッと笑ったんですけどね。(記事に)書くんだったら、そこまで書けよ、と」
その証拠に、関東には流れない大阪・読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」(日曜後1・30)で1年前にも同じ話をしたが、何のクレームもなかったという。
MCの東野幸治(46)が「バヌアツやナウルの国の人たちが聞いたら、悲しい思いをする、配慮が足りなかったかなとは思わないんですか?」と水を向けると、百田氏は「うーん、でも事実でしょ」とキッパリ。「謝る気はないですか?」には「うーん、これは例え話やからね」と答えた。
“問題発言”も「撤回しませんね、当然です」としたが「『クソ』は撤回してもいいかな」と“譲歩”した。
コメンテーターの「ダウンタウン」松本人志(50)は番組の準レギュラー・百田氏について「言ってることの大枠は間違ってはいない。ただ、伝え方がぞんざいというか…」とフォローした。
上記引用文を読めば明らかであるが、大阪ローカルの番組でクレームが出ないということは、その関西弁話者も差別的思想に染まっている可能性があり、これは百田個人の問題ではなく、関西弁話者共通の性質として考慮されるべき問題なのである。
関西弁が侵略的外来種であり、その話者がキャリアーであることは、これまでで明らかになった。当然だが、悪いのは侵略的な関西弁であり、話者ではない。
地域性豊かな方言を守ることは多様性の上で急務であるから、その一歩として、まずは関西弁を侵略的外来種として登録することで、その話者に関西弁の使用を控えていただくことが望ましい。
我々としても、自分たちの郷土の言葉を大事にし、地元ではたくさん郷土の言葉を使うことで、ふるさとの言葉の保全に貢献しようではないか。
http://d.hatena.ne.jp/tvhumazu/20140420/p1
自発的表現
五段活用動詞の「未然形+さる」、上一段・下一段活用動詞の「語幹+らさる」 共通語には存在しない自発的表現となる。一部の特定の動詞で用いられることが多く、「進んでそうしようと思っているわけではないが、状況が自動的にそうしてしまう」という心情を表せる。
●この本面白くて、どんどん読まさる。 - この本が面白いので、どんどん読んで(読めて)しまう。
●この塩辛旨くて、ご飯たくさん食べらさる。 - この塩辛が旨いので、ついご飯をたくさん食べてしまう。
ふむふむ。
このチンポ気持よくて、腰動かさる。 このチンポが気持ちいいので、腰が動いてしまう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/604236
英語いらんとまで言って、学生の学習意欲を削ぐこともなかろう。
「日本国外の人間を使いたいから」の英語必要性ってのがブコメでもあんまり見えなかったから、ね。
まあ自分も「おもてなし」以上の意味で庶民が英語使える必要があるとは思わない。
TOEIC600点台で海外出張での商談には通訳の人がつくし、正式な書面はネイティブチェックが入る環境で仕事してる。
メールも定型ならなんとかなるけど、結構頻繁に辞書引くし、日常会話レベルでもかなり怪しい。
飛行機飛ばなくてもパニクらずにホテル予約して、天気予報を見てタクシー載って観光地回るのに困らない程度。
ただ、これって「人生にギターは必要か?」と同じレベルの質問。
「英語」って書いてあるところは「北京語」とか「ヘブライ語」とかに置き換えると理解しやすいかもしれない。
英語関連の話は、結構色々混ざるから、一度分類すると理解しやすいかも。
この中で問題になるのは、1番と3番かな。
必要だね。
ただ、僕も国外で仕事することもあるけど、別に英語喋れなくても不自由しない。
これは通訳さんがついてくれたり、タクシーやホテルで多少変なコト言っても外国人ってことで流してもらえるから。
これは「英語を喋る仕事が特別だ」としてもらえる間は、問題にならない。
どういうことかっていうと、えーと昔は清書屋さんって居たんだよね。
つまり、書類を渡すとワープロでパチパチ打って書類にしてくれる人。
ブラインドタッチって、そこそこの技能として通用してたのよね。
いまだって、中小企業だったらExcelが使えるのは技能として通用するし、
社長さんがパソコン使えなくても事務員さんがやってくれれば問題にはならない。
そういうレベルの話。
今度は、部下とか上司とか、請負とか業務委託とか、どっちかというと自社内の話。
この場合はちょっと違って、間に通訳を挟むのは、無駄に見える。
実際、無駄だよね。
でっかい契約ならともかく、週次の報告会でそれやると、無駄が多い。
と、言うか、数字で見る経営者には、その翻訳のコスト(時間・人、つまりお金)は無駄でしか無い。
「上司は英語を勉強しないが、新人には英語を勉強させる」ってのは、正鵠を射ている。
頻度が増えれば当然特別扱いしてくれなくなる。
メールの英文程度は通訳使うとかフザケンナ、みたいには結構みんななってるよね?
これが、受発注作業ぐらいは、業務管理ぐらいは、簡単な契約更新ぐらいは、になってくるってこと。
そして、特別扱いして貰える人(経営者とか、特殊技能者)は、別に今後も通訳を使えば良いだけ。
キッカケになったtogetterで言ってんのはコレかな?
「エリート層の英語力=国際競争力を高める」ってところにみんな違和感があるんじゃないかな。
例えにあがってるブラジルの低所得者層が英語を使えなくて、高所得者層は英語が使えるって件、
コレは多分逆で、英語が使えると日本人とビジネスが出来て、英語が使えないと警備員にしかなれない。
教育状況にもよるんだろうけど、やる気や能力とは無関係だよね。
だから、日本は自国語以外が使えなくても高所得者層入りできる国だってだけの話。
ただ、さっきのビジネスの件以外に、エリートとしてって概念はあり得る。
第二言語習得の研究とか読むと判るけど、ネイティブじゃない言語を使うと、能力が落ちる。
計算能力とか、思考力とか、第二言語をしゃべる方に能力を割り振るから、使える力が減る。
これはもうどうしようもない。
それと同じように、英語圏の人にとって英語が喋れないというのはソモソモの能力が劣っていると判断される。
カタコトの日本語をしゃべるガイジンを、日本人は笑うじゃない?嫌な笑い方じゃなくても。
そして、流暢な日本語をしゃべる大使館員みたいな人を、賢んだろうな、と推測する。
これはどうやら、どの国の人であっても同じらしい。
ハッタリも重要なビジネスの世界において舐められない事が重要なのと同じように、
エリートの教養として、英語程度は流暢に喋れないとね、という話。
ラテン語を読めず、聖書の引用ができず、シェイクスピアを読んだことがない。
日本人ならまあどってこともないけども、欧米においてそれはどうなの?って言う。
例えば、ザッカーバーグならパジャマでプレゼンしても、逸話として残るかもしれない。
でも、普通のビジネスマンが商談に行くのに、スーツにスニーカーは無いよね、とか
そういうレベルの話。
日本の恐ろしく高い土木建築技術で世界を席巻するというのとは違う次元で、
エリートの教養として英語が流暢に喋れるというのは、重要だったりする。
これはもう相手に期待する(パジャマでも能力が高いと正しく判断できるか)しかない世界よね。
なんか長くなってきたから巻いていこう。
ラテン語で論文書かなきゃ存在しないのと同じ、みたいな時期があった。
これはある意味で傲慢とも言えるし、ある種自虐ネタにもなってる。
ただまあ、面倒だからみんな英語ね、レベルの話。どうしようもない。
流暢である必要はないけど、質疑応答には答えられるようにね、って言う。
圧倒的に多い英語話者に対して、環境を整えていこうね、という。
これもまー、どっちかっていうと、日本にお金落としてね-系の話。
医療、教育、サービスが英語で行えるようになると、外国企業の人も来てお金落としてくれるしね、という。
例えば、バンガロールとかハノイで日本語が通じて日常生活不自由しなかったら、
そういうレベルの話。
まず、ビジネスで「英語が使える」は、「Excelが使える」のと同じ感じになると思う。
掛かるコストは必ず削られる。残業代も出ない企業で専属の通訳は何人雇われるだろう。
いまは特別感のある仕事でも、そのうちソレぐらいは出来てアタリマエって言われちゃう。
これはまあカタコトでもブロークンでも伝われば良い世界。ただ使わない人は使わない。
つぎに、エリートとしての英語教育は、まあ、それなりにやった方が舐められないかもね。
プレゼンや商談で、決定権者が流暢な英語使っていたほうが、格好はつくしね。
(カタコトでも日本語を話せる賢いガイジンを笑う日本人が、他所に比べて特別品性下劣なわけじゃない)
ただそれは、他の国と同じように、資産も熱意も運もあるエリート自身が解決すべき問題かも。
そして、アカデミックな分野で英語を使えないのは、居ないのと同じ。
イギリスのネイチャー、アメリカのサイエンスが君臨する世界が早晩変わるとは思えない。
そのせいで、日本の大学で英語を使って不自由なく研究が出来ると世界中に思ってもらいたい、
と、政府が思い始めると、大学では英語を使うのがアタリマエになっていくかもしれない。
他に問題が多くても、独立した問題は予算がついたもん勝ちだから。
最後に、政府方針としての英語教育は、まずは外貨獲得としての英語サービスの普及化を目指すんじゃないかな。
日本に誘致する際には、医療教育サービスの英語話者増加は必要だから、庶民が英語を使えるようにする方針に進みそう。
(まずはアメリカにいる移民がカタコトの英語を使ってるのと、同じレベルで)
おおきなまとめになるけど、結局のところ世界も慣習という慣性の法則には逆らえないってところか。
あとは、世の中カネ、かな。
英語が世界で通じる言語になってるから、英語を学ぶ人が多くて、それがまた英語を世界共通語にしてる。
スペイン語話者だって多いけど、富裕層は英語を使うから、やっぱり英語が力を持ってる。
ラテン語から英語に学術言語が変わったみたいな大きな転換がない限り、
何が言いたいの?
そらそうでしょ?ネイティブとノンネイティブってどこで分けるの?単に母国語、もしくは幼少から使ってきたか、どうか、だけでしょ?
って言ってるじゃん。それが全てじゃん?圧倒的に学習量が多い(単に学校の授業とかだけじゃなくたってその言語と接する機会が圧倒的に多い)わけだから。
アカデミック、って言ったって結局は単に言語の中でスタイルをある程度絞ったもの、に過ぎないんだから、まずはより多くを知ってたほうが強いに決まってるわけで。
そうやって色々な国の人が書けるようなスタイルを
ここが意味不明だな。別にノンネイティブにも分かりやすいように、ってんで、英語が共通語になったわけじゃないんだけど。
ドイツやスペインがもっと大きく侵略してたらドイツ語やスペイン語が主になってたかもしれない。そこに言語の特殊性はほとんど関係ないし、共通語にするために進化なんてしてない。
(未だにイギリス英語アメリカ英語って言ってるくらいなんだから。。。)
お前が自分の知ってることを誰かに教えて、あーこいつ、こんなこともわからんのだな、って思う感想と同じだろ。別にお前の知識はお前だけのものじゃない!思い上がるな!
大学院生向けの英語論文の書き方講座が大学で開かれていた。そこで講師をしていた女性(白人)が最悪だった。
いかに日本人の英語(の文章)がオーガナイズされていなくて、理解しがたいかを延々と語っていた。
校正を頼まれるとうんざいするとか。本当はやりたくないらしい。それでそんなに言うからには凄いことを言うのかなと思って身構えていたら
結局残りの時間はThesis statementとTopic sentenceの話。なんだそりゃ。確かに重要だけど、うちの大学の1年目で習うような内容だ。
こんなのネイティブだろうがそうでなかろうが、少し勉強すれば分かる。
こんな初歩的なことをもってノンネイティブの英語は駄目だとか日本人の英語は読む気にならないとはちゃんちゃらおかしいわ。
アカデミックライティングの技術を習得する機会は確かにネイティブのほうがノンネイティブよりも多い。
ただその技術は自分で勉強、努力して習得するもので、ネイティブに与えられた才能なんかじゃない。
だからネイティブだけが書ける文章なんてない(少なくとも学術的な文章では)。そうやって色々な国の人が書けるようなスタイルを
でもそれ以前に日本の雇用形態だとどの身分で生きるかじゃないかと。
正社員とパートには壁があるんだし、その身分のステップアップの武器としてスキルだとか能力だとか口に上りやすい単語が出てる。(色んな意図によって)
万人にわかりやすい言葉って落とし穴があって、射程が広い分足元掬われやすいんだよな。
スキルやコミュ力というワードは少し前の就職活動や出世のワードだった気がする。
それが雇用形態が多様になることによって変節して、適当に使われている。
実情と少しズレたところでまかりとおる。
「Aじゃないかな」「うん、Aだと思う」みたいな会話が成立してても、実際1割ぐらいしか成立してないけど、それでも本人たちは9割程度わかりあってるようなご様子、とか……
この前「大学受験でTOEFL義務化!」とか言ってたのが立ち消えたかと思ったら、またなんかホッテントリにニュースが入ってたよ。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20130404-00000471-fnn-pol
このへんと合わせて読むとたいへん興味深いよねーー
http://d.hatena.ne.jp/gorotaku/20130404/1365066300
TOEFLを「義務化」から「活用」までトーンダウンしたけど、ここまでほぼ脈絡もなく、根拠もなく(2つ目のリンク参照)、唐突にTOEFLゴリ押されるとなんかこう、裏を考えたくなっちゃうよね。 自分だけかなーー
これってさ、大学の受験、卒業要件にTOEFLを導入するとかいってるけど、単純に受験料だけ見ても、日本の大学生が2011年で257万人(もーめんどくさいから240万人にするね)、受験料がだいたい2万円とすると、全員が受験、卒業と2回の受験でパスする(そんなことはありえないけれども)としたら、
240万人÷4×2万円×2=約240億円
って計算合ってる? 桁、これで合ってる?って、ど文系の自分がパニックに陥るレベルのお金がアメリカのNPOに入るわけだ。なんてこったい。実際には何度もうける人がいるから、これの数倍にはなる。
センター試験の予算が100億円くらいだそうなので、まあ軽くその規模を上回るわけですね。
これだけでもアメリカの外圧を邪推するのに十分だとは思うんだけど、この自民党のTOEFLゴリ押しはやっぱりTPPとの関連で考えるべきだと思う。スピーキングスピーキング言ってるけど、コミュニケーション能力をはかる試験は他にもあるでしょう、と。IELTSとかさー ていうか英検だってスピーキングあるじゃん? そもそも100億円以上もかけるんなら、自前で英語の試験つくれるでしょーよ、と。
じゃあなんでTOEFLなのか。それは、これがアメリカの試験だからだよね。つまり、アメリカの基準で英語能力をはかります、と。
歴史的に考えてみても、新しい共同体(国民国家とか、国家間の共同体とか)作るときには、まず「言語」を統一するっていうのが基本なんだよね。近代だけで考えても、まずフランス革命後に「近代フランス語」をつくる努力が行われているし(ドイツもグリム兄弟ががんばったよねー)、あるいは最近で言えばEUが創設されるときもこれが大きな問題だったわけだ。何語を共通語にする?と。で、結局、全部を共通語にすることにしたんだけど、そうすると、それぞれの言語の習得っぷりにも共通の基準が必要になる。A国でB国人が働くとき、A国語がこれくらいできなきゃいけませんよーっていう基準と、B国でA国人が働くとき、B国語がこれくらいできなきゃいけませんよーっていう基準が違ったら困るわけね。これが許されたら、ある種の障壁をそれぞれの国が作ることが可能になっちゃって、地域共同体つくった意味がないからね。で、それぞれの国でバラバラだった、その国の言葉を外国語として学ぶ時の基準とかシステムとかが共通化されていったんですね。たとえば「ヨーロッパ言語共通参照枠」とかでググると出てくるよ(わかりにくい訳語ですよねーー)
さて、まあそんなことを思い出してみると、アメリカが日本政府に「TOEFL導入しろ」って圧力かけているっていう仮説も、まあ、アメリカを中心とした地域あるいは経済共同体を作りたいからだと考えれば、ありそうな話だと思うのです。EUは一応他言語主義をベースにしているから、マイノリティの言語にも生き残る道はあるけれど、TPPって要するにアメリカ中心の経済圏をつくる構想だよね?(建前は違うかもしれないけど) そしたら「アメリカの英語」を共通語にっていう圧力かけられてもおかしくない。アメリカの英語の試験の影響力が強まるということは、アメリカの英語の影響力が強まるということでもあり、その影響力の強さはまたアメリカの地政学的な影響力の強さと裏表の関係にある。(そもそも英語が世界共通語になったのは、大英帝国の覇権→アメリカの経済/軍事大国化の影響だよね。まあ、それだけではないにしても)
ちょっと強い言い方をすれば、これはある種の「侵略」だ。この言い方が強すぎるとしたら、言い換えよう、「これからやってくる侵略の地ならしだ」と。
英語って「アメリカの英語」だけじゃないんだよねー イギリスも、カナダも、オーストラリアも、インドも、フィリピンも、公用語としている国だけでもいろいろあるしさ、そもそも、もはや「世界共通語」になっていて、非ネイティブが英語を話すことのほうが多い勢いだ。「ネットの共通語」でもあるしね。グロービッシュという造語もできたくらい。ほら、あれだ、古代アジアにおける「漢語」みたいな?
そんななかで「アメリカの英語試験」であるTOEFLを自民党が(たいした根拠もなく)ゴリ押すとしたら、やっぱりそれはアメリカに対する「外交的配慮」だと思うんだよね。
それでいいんすかね。
日本人が使うんだから、日本の基準で英語の試験作ればいいんですよ。その試験の有用性が低いんなら、それを改良していけばいい。「日本人が話して伝わる英語」は必ずしも「アメリカの英語」とは限らない。
これって、本来の保守層からしたら、立派な「売国」だと思うんですけど。てか、日本語守れや。むしろTPPの共通語に日本語入れるくらいの強気の交渉姿勢でお願い致します。(弱小言語は放っておくと死滅するのもまた歴史が証明しているわけで)
Pythonの方が弄れる対象が多いのに、なんでウェブ系だとPHPの方が流行ってんだろ
端末からのテキスト処理も楽だし、数値計算周りのライブラリも充実しているのに
PHPが優遇されているのって歴史的な経緯以外に何か他の理由でもあるのか?
けどまぁ、情弱な文系SEが大半を占めているバカだらけの日本じゃ別にPHPで困ることもないか
数値計算や端末からのテキスト処理なんてWeb系じゃ大して使わないからなあ…
Pythonに関しては、ZopeさえコケていなければWebサーバ用LLとして大成功していたはずなのに、
Railsなんかが登場したおかげで、すっかり影が薄くなってしまいますた....
ってか、railsにインスパイアされたフレームワークって今じゃ幾らでもあるよね
djangoとかCakePHPとか。rubyってRoRを使いたいユーザを除くと、
pythonやPHPの方がユーザー数は圧倒的に多いと思うんだけど
本家のrailsって、他を遥かに越えるほど良いものなんだっけ?
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Zopeが登場した当時、「RDB+PHPはもう古い、これからはOODB+ZopeがWebの中軸になる!」と
少なくとも自分はZopeからPythonという言語を知ったし、その時点でRubyは知らなかった
そして、その後のORM(RDB)+Railsの出現と華々しい革新性への注目は、誰もが知っているだろう
今でもZopeの開発は継続されてはいるが、結果的に当初の期待が大きく裏切られたという事実は動かしがたい
djangoとCakePHPについては実際に触っていないので憶測になるが、おそらく技術水準ではRailsと同等だろう
しかしRailsはRailsでコミュニティの活動が活発だし、その進化は異常に早い
Railsに何か致命的なトラブルが発生して開発が停滞する、あるいはdjangoやCakePHPから
何かのイノベーションが提示されでもされない限り、後発のdjangoやCakePHPがRailsに追いつくのは無理
Railsは決して技術的に完璧なWebフレームワークではないんだけどね....(たとえばSeaSideのような.... )
だからこそ「もしもZopeが....だったなら」という「たら・れば」感はPythonコミュニティの潜在認識になっている
C a k e P H P は う ん こ
CakePHP使ってんの?
可哀そうにw
でもやっぱりいつもの使い慣れたLL(Python/Ruby)で
Webサービスを書きたいってのがある
求人数は
Ruby on Rails>>>>>>>>Django
http://www.indeed.com/jobtrends?q=django%2Cruby+on+rails&l=
どういうことなの?
求人数が多いのはそのためだと思うよ
なんかのミスかと思ったがアメリカでもRuby on Railsは人気があるのかなあ・・・
Pythonのほうが使いやすいと思うのだがフレームワークはRailsが優位なんだろうか
Djangoは周辺ライブラリが微妙だし本体も鈍くさい感じがする。
でも、FlaskはSinatraより好きだから、Pythonが嫌いってわけではない。むしろ好き。
ただ、いざ作り始めるとやっぱりRailsが楽だなあってなって、Railsを使い続けている。
同感だ
同じように思っている人が他にもいて安心した
PHPはフレームワークが乱立しすぎているから、RailsをPHPで実装してみようというやつが出てきた。
それに比べてPythonは、Zopeというデファクトスタンダードが既に存在していたけど、
ただ、どうやってもRailsもどきがRailsを超えることはできないのは間違いない。
パクリはオリジナルを超えられない(キリッ って定型句だけど、
これってキリッって言いたいだけだと思う。
D言語って超えたって?
B言語って超えたって?
PHPで同じ事をできないわけではないだろうけど、Ruby on Railsほど簡潔にはできない
まあくだらねえWEBサービス作って喜んでる情弱は早く死ねって事だよ
そういう理由じゃなくてRailsのほうが単純に情報もプラグインも多いからでしょ
linuxじゃデフォのツールなんだし、ツールとの連携を考えたらpython一択じゃん
わざわざ不合理で不完全な言語を使うなんて
もしも
>linuxじゃデフォのツールなんだし、ツールとの連携を考えたらpython一択じゃん
真実であるのなら、今頃はdjangoの情報とプラグインが溢れかえっているはず
yumや、gdbとgnomeの拡張がpythonであるからといって、それをwebアプリでも使いたいと思う人は少ないというだけのこと。
ソースからインストールする必要があったとしても、web開発ではrubyを使いたいという人が多いというだけのこと。
というか、世界中のPythonプログラマが Remeber Zope!! を合い言葉に
打倒RailsたるWebフレームワークを開発しているはずだけど、
Railsも登場してから、かなりの年月が経過しているんだけどなぁ....
その間にもRailsはRails 3が登場して、REST/AJAXの強化等の進化が継続しているよ
Ruby では
ary.map {|x| x**2}
map(lambda x: x**2, ary)
となり、lambda の本体が1つの式では表現しきれなくなると
.....
と書き換える必要があります。
f = lambda x:(x and f(x-1)*x)or 1
RubyにはPythonのように「lambda本体は式でなければならない」という限定がありませんから、
f = lambda{|x|if x == 0 then 1 else x*f.call(x-1) end}
または
f = lambda{|x|x == 0 ? 1 : x*f.call(x-1)}
と書けます。lambda内でreturnが使えますから、書きたければ
f = lambda{|x|if x == 0 then return 1 else return x*f.call(x-1) end}
でもOKです。
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これはPythonをdisっているように見せかけてRubyをdisっているのか? と一瞬思ってしまったw
だってRubyのほうが長くない?CLのfuncallみたいなcall()がちょっとうざいし…
そしてどっちもlambda式の中で束縛変数の名前で再帰可能、と
print [x*2+100 for x in [1,2,3,4,5] if x > 2 and x < 5]
暗号のように見える。
puts [1,2,3,4,5].select{|i| i > 2 and i < 5}.map{|i| i*2+100}
思考の流れと、コードの流れが一致しているので書きやすい。
map(lambda x: x*2+100, filter(lambda x: x > 2 and x < 5, [1,2,3,4,5]))
pythonて可読性が高いのをうたってる割にはそこいまいちだよね
Rubyの場合には、左から右へと無名関数がデータフローあるいは
関数型プログラミングに不慣れな初心者でも、参照透明性のあるコードが自然に書ける
プログラマにとって優しい or プログラミングの楽しさを教えてくれるのがRuby
それと比較すると、Pythonのコードは、関数型プログラミングというものが
いかに高度で難解なものであるかという事をもったいぶってプログラマに押し付ける
もしもPythonしか知らないプログラマであれば、関数型 = 難解 という印象を持つだろう
階乗計算くらいだと単純すぎて、ナゼ重要なのかが分かりづらいと思うのでコードで示す
result_list = source_list.map { |elem|
x = foo(elem.x) # ここが局所宣言を書く部分
x + y # 最後に評価された式の値が、無名関数のリターン値になる
}
Rubyでは、map等に与える無名関数の中で局所的な環境(クロージャ)が作られるから、
x = foo(...) のような代入文がいくつでも(= 複雑な処理でも)書ける
このポイントは、実用的なプログラムを関数型風で書こうとした時に、威力を発揮する
余計分かりづらくなった
高卒ドカタなんだろうなぁと可哀想になる
集合の表記に似せてることが分かるから
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>map/filterはfor/ifと同じだと言っているだけだから、難解という印象は持たない。
関数型プログラミングに慣れた、あるいは得意な人であれば、そういった印象なんだろね
Rubyの魅力はこれから関数型プログラミングを学ぼうとする初心者、 あるいはそんな初心者へ教える立場から見た、優しさ or 分かりやすさなんだ
[1,4,3,2].sort.reverse.map{|x| x.to_s}.join('-')
Pythonだと読みにくい。
'-'.join(map(str, reversed(sorted([1,4,3,2]))))
Pythonでは思考の流れと一致しないばかりか、「カッコだらけ」のコードになると.....
カッコだらけのコードを分かりやすくする基本的な方法は静的単一代入じゃないか
Rubyのやり方は基本ではなく玄人のやり方だろ
Pythonでは組み込みの型でメソッドチェインはやって欲しくないな
似たようなコレクションtuple,deque,array,queue等にも同じメソッドが必要になってくるし。
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外部のライブラリでも列挙可能なものは、たいていEnumerableモジュールをimportしてますね
Rubyユーザーは列挙可能なものはmapやselectできて当然だろって思ってる気がします
Pythonは「何かを便利に書くためのしわ寄せ」をはっきり寄せてくる
得意と不得意を言語レベルではっきり主張するのでメリケン好みと言えなくもない
Rubyは全方位になんとなく八方美人なので、全体的になんとなく書きやすくてなんとなくキモくて遅い
「書きにくいってことはその処理に向いてないってことだから諦めろ」を地で行く
無名関数が文を使うほど複雑なら名前を付けるのが Python 流と想像。
これを読みづらいと感じるのは、左から右に流れる
もしかしてアラビア語ネイティブな人からすると逆に読みやすいのか?
日本語で何を言っても理解されないから結果として悪印象をもたれることはないぞ。
ある程度言葉が通じて場にそぐわないことを言ったとしても
「言葉を完全には習得できていないから仕方がない」と免罪されるぞ。
相手の発言の裏を読むことも求められないぞ。
態度や行動の真意を察知することは求められるかもしれないが、
(少なくともイエスかノーかがはっきりわかる程度には)真意を悟るのは割合容易だ。
相手がいかに悪意ある発言を向けてきても、理解できないから不愉快になることも傷つくこともないぞ。
態度や行動で察知できることもあるかもしれないが、
それが言葉によらず信号から相手の感情を読み取る訓練になるぞ。
「こういう表情や仕草をしているときは、口で何と言っていようと、結果はノーなんだ」という経験則を積み重ねることができるぞ。
ましてや、「結果がイエスのときには、人はこういう表情や仕草をするのだ」という経験則だって況やをや。
なるべく「風貌で外国人と悟られない」近隣アジアに行くのが良い。
人間は言葉を身につけることによって意思の伝達を可能にし生活の質を飛躍的に向上させたが、
必ずしも幸せな結果のみをもたらすわけではなかった。
知らなくていいこと、伝えなくていいことも世の中にはたくさんある。
英語が完全に世界共通語として全人類に普及するようになったら、
意思が通じるゆえの余計な争いも発生するだろう。