日本語で何を言っても理解されないから結果として悪印象をもたれることはないぞ。
ある程度言葉が通じて場にそぐわないことを言ったとしても
「言葉を完全には習得できていないから仕方がない」と免罪されるぞ。
相手の発言の裏を読むことも求められないぞ。
態度や行動の真意を察知することは求められるかもしれないが、
(少なくともイエスかノーかがはっきりわかる程度には)真意を悟るのは割合容易だ。
相手がいかに悪意ある発言を向けてきても、理解できないから不愉快になることも傷つくこともないぞ。
態度や行動で察知できることもあるかもしれないが、
それが言葉によらず信号から相手の感情を読み取る訓練になるぞ。
「こういう表情や仕草をしているときは、口で何と言っていようと、結果はノーなんだ」という経験則を積み重ねることができるぞ。
ましてや、「結果がイエスのときには、人はこういう表情や仕草をするのだ」という経験則だって況やをや。
なるべく「風貌で外国人と悟られない」近隣アジアに行くのが良い。
人間は言葉を身につけることによって意思の伝達を可能にし生活の質を飛躍的に向上させたが、
必ずしも幸せな結果のみをもたらすわけではなかった。
知らなくていいこと、伝えなくていいことも世の中にはたくさんある。
英語が完全に世界共通語として全人類に普及するようになったら、
意思が通じるゆえの余計な争いも発生するだろう。