はてなキーワード: 一言とは
どうしたら自分に興味をもたせることができるのだろうか。
「まずは自分が先に人に興味をもて」とよく聞くから、何らかの質問などから入る。
だから質問を小出しにするとか、出てきた話題と関連する別のネタを挟むとかするが、結局手ごたえはない。
まあここまではネットにも載っているような小手先のテクニック的なものにすぎないから、奏功しなくとも何も問題はない。
その後その人とは同様の一言二言を交わすくらいのことはなくはないが、それ以上関係性が進展することはない。
かといって関係性が後退することもない、多少の言葉を交わす程度のことは続く。
時折会話がややプライベートな、パーソナルな内容になっていくこともあるが、やはりそれ以上でも以下でもない。
そこから徐々に関係性を発展させ、最終的に男女の関係、正式な彼氏彼女の関係になるには何が足りないのだろうか。
質問するとかいったテクニカルなものではないような気がするが、果たして何が不足しているから、最終的に男女の関係、正式な彼氏彼女の関係にまで至れないのだろうか。
反対に、最初このようなきっかけで最終的に男女の関係、正式な彼氏彼女の関係に至った人と私は、何がそんなにも異なるのだろうか。
様々な人がBTSの魅力や人気を集めた理由を語っているが、俺と同じ切り口で論を進めているものがないように思ったのでn=1の感想を書いておく。
BTSの魅力としてよく挙げられるのは曲や高度なパフォーマンスなどだが、俺はやはり、根本にあるのは高いエンタメ性だと思う。
そもそも、彼らのプロデューサーであるパン・シヒョクは日本のアニメ、マンガ等のサブカルチャーに造詣が深い。新海誠の「彼女と彼女の猫」「君の名は。」虚淵玄「魔法少女 まどか☆マギカ」などに対する感想を本人のTwitterで呟くほどだ。
そんな彼が発展途上の少年達をプロデュースしたらどうなるか? 簡単である。
これは俺が語るよりも実物を見た方が早いので一度見てみてほしい。最初は誰が誰だか分からないと思うが、全体の雰囲気だけ感じてくれたらそれでいい。歌詞は英語字幕をつけられる。
一言でいえば「無力で無鉄砲な少年たちが若さだけを武器にわちゃわちゃするmv」だ。
「Dynamite」の堂々たるスター感とはほど遠く、顔つきも体つきもまだ幼い。それもそうだ、冒頭で水に潜っているテヒョン(BTSでの活動名はV)はまだ19歳、最年少のジョングク(活動名はJung kook)は17歳だ。若い……!
この世界観は「花様年華」という彼らの一大コンセプトだ。「RUN」だけでなく、様々な曲で共有されている。全然関係ないが同タイトルの台湾映画も面白いのでオススメ。
BTSの花様年華はトラウマを持つ弱い少年たちが出会い、交流を深めることによって傷を癒していくというストーリーだ。完全にフィクションの世界観だが、メンバーはそれぞれの本名で役を演じている。
それぞれの役も、ナルレコプシー、代理ミュンヒハウゼン症候群(おそらく)、親殺しなど、往年の葉鍵ヒロインのような重い家庭事情のもとで育っている。
そんな彼らのトラウマを描写した映像作品として「Wings short film」シリーズがある。一本が3分ほどで、メンバーが7人なので7本ある。どれも面白いが、特にお気に入りの一作を貼っておく。ティムバートンとかシャフトとかの悪夢っぽい世界観が好きならおすすめだ。
Short film jimin
林檎、マリア像、風景画、烏の刺青など複数のメンバーの映像で共通する小道具も多く、#7のソクジンの回まで通して見れば、ちょっとした達成感を抱ける。
この辺りまで見れば、少しずつメンバーが見分けられるようになっているのではないだろうか。
見分け方は他の方のブログに詳しく書いてあると思うが、花様年華に限って書くと、ガソスタにいたらナムジュン(活動名はRM)、車を運転していたらソクジン(活動名はJIN)、火を見ていたらユンギ(活動名はSUGA)、寝てたらホソク(活動名はJ-HOPE)、溺れてたらジミン(活動名はJIMIN)、血を浴びてたらテヒョン、殴ったり殴られてたらジョングクだ。見てれば慣れる。
例えば「I NEED U」は花様年華シリーズ第一作の自己紹介的ソングだ。登場人物が何に悩みどう生きているのかが分かりやすい。本当はこれを一本目に勧めるべきなんだが、俺はRUNの荒々しさや青さやスピード感が好きなので。
他のブログを読めば詳しく知れるが、この曲はBTS がスターダムの第一歩を踏み出したきっかけになったらしい。こちらのmvはVの怪演が光っている。今の19歳ってあんな感じなのかな? 怖いな。
下の動画なんて、12分の動画のうちドラマパートが8分あり、エンドロールでようやく曲が流れる。曲を売る気があるのか。
ドラマパートはスタンドバイミーとかが好きなら気に入ると思う。歳をとったからか、最近こういう一瞬の青春みたいなやつに弱い。そしてこの動画を見れば、やけに意味深な描写が多いことに気づくのではないだろうか。
『Butterfly』 official mv(花様年華prologue)
そう、この花様年華、ただのボーイミーツボーイではない。タイムリープものだ。
花様年華シリーズは様々なメディアミックスがされている。主なものは小説とマンガだ。(CGアニメや実写ドラマ化などが進行中らしいが詳しくは知らん)余談だが、この辺りパン・シヒョクPDはとても商売がうまい。MVで意味深なストーリーをチラ見せし、全貌が見たければ小説を買わせる。ようつべで聞ける曲ばかりが収録されたCDを買うのはよほどのファンだけかもしれないが、小説なら比較的敷居が低い。よく出来た予告映像を見てつい劇場アニメを観てしまうようなものである。
さて、マンガ/小説版 花様年華のストーリーは以下のようなものだ。
トラウマを持つ少年たちが学校で出会い、仲を深めるが、様々な理由で軋轢が生まれ、海に行ったある日、決定的な仲違いをし、離れ離れになってしまう。3年後、留学に行っていたソクジンが韓国に帰ってくると、かつての友人は死んだり、人殺しで捕まったり、シンプルに困窮していたりで、めちゃめちゃに不幸になっている。ソクジンはタイムリープを繰り返し、彼らを救おうとする。
葉鍵であり、シュタゲ要素もある。盛りだくさんだ。ちなみにマンガ版はLINEマンガというアプリで無料で読めるが、ただでさえ見分けがつきにくい少年たちがさらに絵で描かれている。俺は読み進めるのに根気がいったが、顔認識能力が高い人はいけると思う。
さっきメンバー紹介のところでわざわざ、アルファベットの活動名とカタカナの本名を併記したのは、このマンガではキャラクター名が全て本名で表されているからだ。
本名ではジミン、ジョングクなどJがつく名前がやたら多いのに、J-HOPEの本名はホソクである。なんでだよ。一番Jであるべきだろ……!
マンガは興味ない、ただただエモい映像が見たいという人にはこっちを見て欲しい。
バラード曲。「八月でも(あなたに会えないなら)冬だ」という一節が印象的。RUNで後先考えずにその辺を散らかしまくった彼らがパーティの後始末をしていて、青春は永遠に続くものではないことを描いている。全体的に褪せた雰囲気で、オレンジと青が強い独特の色味のpvになっている。安全ピンでピアスホールを開けてあげるシーンがあるのだが、国が違ってもエモ仕草は変わらないんだなと感心した。
比較的新しいmvなので、みんなスタイリングも服も普通なのに、めちゃめちゃ垢抜けている。幼さや青さというより、思春期を越えた7人が二度とは戻らない日々を愛おしむ話。撮影してるの明らかに真冬なのに、半袖のアロハ着せられてる子がいてかわいそう。
花様年華、面白い。確かにストーリー展開自体は王道で、言ってしまえばどこかで見たことがあるようなものばかりかもしれない。彼らの演技も、本業ではないから当たり前だが、全員が素晴らしいというわけではない。ぎこちなかったり、ムラがあったりする。だが、その未完成さが、若さが、今の俺には一番眩しい。
2019年に「天気の子」、2021年に「シン・エヴァンゲリオン」が上映され、かつての「セカイ系」作家たちは次々と己の世界観にピリオドを打っている。さらに、まどマギやピンドラなど、壮大な世界観でファンを魅了したアニメも新作の公開が決定した。
2021年、俺たちが愛したあの頃の「セカイ系」はもうどこにもないのかもしれない。
そんな中で、かつて俺たちと同じようにアニメやゲームを愛したオタクが、革命前夜の少年たちを巻き込んで、今も続くストーリーを紡いでいるというのは、なにかとても尊いことのように思える。
タイトルの花様年華、これは「人生で一番美しい瞬間」という意味らしい。BTSのこのプロジェクトは間違いなく、俺にとっての花様年華を思い出させてくれた。
どうでもいいがこのテンションのままボン・ボヤージュ(メンバーたちによるゆるい旅番組)を見ると、辛い展開に耐えられないオタクが作った日常系同人誌っぽくて面白い。こっちもおすすめ。
ホモソーシャル・マッチョな文化になじめず、不登校で引きこもっていた。情報探索処理能力がたりないのでオタクにもなれずにいた。
そんな中で昔フェミニズムの本を読んでちょっぴり救われたり、好きな音楽を抱きしめながらなんとか生きていた。
弱者男性論がホットエントリに盛んに上がってきているのは意識してはいるけど、丁寧に追っかける物理的、精神的な余裕もない。
一言で弱者男性といっても定義は定まっていないみたいで、結局のところ何がどうなれば多少なりとも救われるのか、一人一派なんだよね。
ソーシャルメディアでひとりひとりが個人の主張をできるようになって、それは民主的である一方、議論があまりにも拡散している。
おれは頭が悪いのでそろそろ「バリバラ」で取り上げてくれないかなと思う。
バリバラといえば、この前、LGBTQ×障碍者のことを取り上げていて、温度差が人それぞれ違うのでリスペクトしようっていうような趣旨だった。
よくわかるんだけども、それを言い出すと世界には76億通りの自己認識があるので、頭がパンクしそうになる。
弱者男性とかフェミニストとか非モテとかは音楽のジャンル分けに似ていて、これはロックだジャズだ、いや違うみたいな論争がバカバカしい一方、ジャンル分けは他者とのコミュニケーションでは便利なツールでもあってモヤる。人間の脳はまだすべての個人を個別に認識するまでは進化していない。
ポチポチゲーが苦手なのとシナリオライターさんがあんまり得意じゃない記憶があり、開放されてる時にざっと読んだだけだったオタク。
Musicがリリースされると言うことでCrazyRouletteのMVを見てみて度肝を抜かれた。
他のユニットもどんどんYouTubeにあがってきてEdenのTheGENESISのMVを見たときまた度肝を抜かれた。
好きが詰まっていた。
Valentine Eve's NightmareのMVをみ(以下略)
ということで始めてみることにした。
最初はちょっと主にイベント関係で四苦八苦して(システムが全然理解できなかった)MVだけ見れたら良いかなぁ…たまにユニット衣装以外が欲しいけど…
みたいなノリでとにかくユニットのMV衣装の解放をしていく日々。
Double FaceのEYEに…
どーーーーーーーーーーーしてもイベ限についてるMV衣装が欲しくなり初めての課金をする事にした。
※ちなみにここまで現在に至るまでまともにストーリーを読んでないので知識は全てニワカなので全く複雑な気持ちとかもなくただかっこいいからという理由だけでイベントを走っている。※
有志の方のExcelをお借りして走ってみてとても楽しかったし、無事DoubleFaceMV衣装をゲット出来た。
会社でコロナが発生し、色々予定がなくなった時に可愛いと思ったBrancoのイベントが始まったのでむしゃくしゃしてたし走ったり
複雑な気持ちになったりもせずただただフライトユニットさんのモデリングにダンデライオンスタジオさんのMVに興奮するだけのオタクだけど本当に楽しい。
こんな楽しい女性向けアプリは他にないのでは???と思うくらいには楽しい。
コロナのせいで暇なStayHomeもあんスタのMVと可愛いMV衣装があるから乗り切ってこれたような気すらする。
そのうちズ!!の方のストーリーを読んでみたい気もする。長いけど…ね…
動画の最後に放たれる「ご視聴ありがとうございました」的なセリフが聞きたいのだ。
俺みたいな低層な人生では、日常を生きていて「ありがとう」なんて言われる機会はなかなか無い。
だから、その「ありがとう」が俺ひとりを向いたものでなかったとしても、その言葉は心に染み入る。
ちなみに、YouTubeにハマるまでは、コンビニやたばこ屋がその役割を果たしていた。
しかし、そこでは「ありがとう」の発生に何らかのコストが発生するため、おいそれと多用できなかったのだ。
それなのに、YouTubeは無料だ。これは嬉しいことだ。一日に何十回でも「ありがとう」と言われることができる。
一円も払わなくとも、ただ動画の終了までひたすら待つだけでいいわけだ。なんなら、動画を最後まで飛ばしてしまえば済む。
しかし、それではせっかくの動画作成者に申し訳無い。ちゃんと、10分でも20分でも動画の終わりまで、ウサギのように早送りせず見る。
そうやって待ちわびた後に来る「ありがとう」は風呂上がりの一杯を思わせる貴重なものだが、
それでも、そんなことをしていては、受け取る「ありがとう」の濃度が下がってしまう。
もっとたくさんの「ありがとう」を浴びたい。俺の人生を祝福する「ありがとう」の言葉が聞きたい。
最初のうちは、自分が普通に生きていれば知らないような内容の動画を作って頂いた上に、
さらに私というさもない存在に感謝の言葉が頂けるなんて、動画作成者はなんて低姿勢な人たちなんだ!とも思っていたが、
今や、長い雑談の上に「バイバイっ」じゃねーんだよ、欲しいのは「ありがとう」の一言なんだよ!と悪態をつく始末。
だから、こうなったら、他人に頼らず自分で動画を作ってYouTubeにアップすれば済むような気がしている。
10分、20分もかかる動画じゃなく、数分で終わるようなやつ。そして、最後に「ご視聴ありがとうございました」と必ず言うやつ(重要)。
ただ、自分の声で感謝されても気持ち悪い(なんで、マイクを通すと自分の声はあんなに気持ち悪く聞こえるのだろう?)、というか、
自分が自分に「ありがとう」と言う惨めな気持ちの方を強く感じてしまうので、声は何とかロイド(白元じゃない)ってのを使うことにしよう。
そうすれば、その動画作成者が自分であることも忘れられるし、気持ちよく「ありがとう」を浴びられる。
それでも、同じ動画を繰り返すのではダメだ。それでは笑い袋を押し続けるのと変わらず、満足が足りない。
色々な人に「ありがとう」って言われたいんだ。だから、動画も一本では足りない。
短い動画をたくさん作ろう。でも、たくさん作るためには、色々なことに興味を持つ必要がある。
今のままでは無理だろう。色々な本を読む必要がある。なんなら図書館に行ったり。
外出が増えるだろう。社会に出ていく必要がある。さらには、誰か他人に話を聞いたりする必要もあるだろう。
また、動画を作るには解説する態度を身につける必要がある。その相手には知識を請うだけでなく、
自分の意見を聞いてもらうことも必要だ。その上で議論になったりするだろう。相容れなくて仲違いもするだろう。
しかし、私には「ありがとう」が必要なのだ。「ありがとう」を自分に聞かせるために動画を作る必要があるのだ。
だから仲直りをする。仲直りをするための努力をする。そうできるだけのコミュニケーション能力も必要だ。
仲直りをすると、相手も謝ってくるだろう。自分も仲直りしたかったといった内容で。
自分も謝りたかったけどできなかった。だから、謝って来てくれて嬉しかったと感謝される。
感謝される。
感謝される!
私の行動が徐々に緩やかに変化していった理由が、「薬の効果」のおかげなのか、それとも「薬を飲んでいるという意識」から自発的に無意識に変わっているのかは判断が出来ません
上記の文章で「病院に行ってみることをおすすめするよ」と言った以上、執拗に言葉を正させていただくのだけども
「薬の効果がすごく出る」とは一言も伝わって欲しくは無かったな
最初のインパクトとしての話であり、明確な変化は継続して見られませんでした(意訳)と書いたつもりでしたが、プラセボと捉えられるほどに誇大表現になっていたのであれば「そうではない」と訂正します。
事実、飲み始めてもミスは完全に治ってはいないし、10ヶ月たった今もそもそもの薬を飲み忘れることがある(飲み忘れたときの頭の痛さとかめまいが酷すぎるんだな)
しかし、落ち着いて行動出来るようになった、って言うのは主観的だが事実ではあるので、おすすめした迄です。
もしこの増田を読んで本当に病院に行くことを検討した人は、どうかインターネットや文献などから正しい情報を取捨選択して、自分で判断して行ってみてください。私もそうしました。よろしくな!
一言で表すなら「自治体」というなのとおり、それぞれが独立採算をもとに自分達で作るのが一般的だから。それに民間だろうと同じ会社系列でも地域によってやり方やフォーマットが違うのは良くある。同じフォーマットにすると抜けを無くすために膨大なすりあわせと冗長なシステムにならざるを得ない。全てを統廃合する手間をかけるなら自分達でちみちみやってた方がいい。そうでないと、第2第3のみずほになる。
私も想像は出来ませんでした。
ウマ娘は2015年に発表、2018年にアニメ化、2020年に4コマアニメ化、2021年にゲームリリースされました。
当時コロナで暇をもて余していたので評判のよかったウマ娘のアニメを見てみたところ、とても面白くて、
そこから競馬にハマりゲームリリースが待てなくなってウマ娘の二次創作まで漁り始めました。
その頃のウマ娘はゲームの情報がまだ一切出ておらず2020年リリース予定と出てるだけで世間の評判は「また延期するんでしょ?」という印象だったと感じます。
そのため狭い界隈になっておりウマ娘が本当に好きな人たちが愛のある二次創作を作っていて、私もその中に参加したいと思い二次創作イラストや漫画を描いていました。
適当な落書きレベルでも感想をいただけて非常に嬉しかったです。
その後うまよんのアニメを見たり、9月の生放送でゲームリリース日が出なくて年内は無理だろうと察したり、
11月の生放送でやっとリリース日が出ましたがやはり2021年で少しショックだったり、
その後アニメ2期を見ましたが、感動路線に振り切ってて個人的には合わない作品で残念でした。
期待していた以上のゲームで1年間待ち続けてよかったなあと心底思いました。
こんな良作ゲームが元の狭いウマ娘界隈だけで盛り上がる訳はなく、徐々に人気は高まっていきソシャゲでは今一番人気のゲームと言えるほどになりました。
ゲームがリリースされてからは大人気Twitter絵師さんたちが大量にウマ娘のイラストを描くようになったので、底辺絵師の私の絵など誰も見向きはしなくなりました。
それは仕方ないと思います。ですが他の人の数字を見て自分のものと比較すると気分がよくないので、徐々にTwitterでウマ娘の絵を描くことは減りました。
元々私はVIPで活動をしていた絵描きでTwitterより5chの方がホームの人間です。
理由としては数字を気にせず、自分の好きな絵を描くため。数字を見ると気にしてしまい、自由に描けなくなるからです。
Twitterでウマ娘の話をしなくなってからは5chのスレの方で楽しんでいました。そこで描いたイラストがあり、スレ内でも好評で非常に嬉しかったです。
しかしそのイラストを何度もスレで見かけることがあり、疑問に思って検索したところあるツイートが見つかりました。
私の描いたイラストをアフィリエイトサイトが転載し、そのスクリーンショット画像を転載しているツイートでした。
そのツイートはRT1万いいね3万もついていて、私の今までのイラストでは考えられない数字でした。
私が今までリリース前に上げたウマ娘二次創作は大体いいね100前後。コンテンツの大きさが変わったことを実感します。
それだけ私が考えたイラストが多くの人に受けたという事実は嬉しいです。
でもそれは建前で自分でツイートしておけば、他のウマ娘イラストや漫画も多くの人に見てもらえたのかなあと悔やんでいるところもあります。
数字を気にしたくないからTwitterから逃げて5chに行ったのに、それを転載&転載されることで嫌でも見せつけられる事実に困惑しました。
こうなるとモチベーションは下がります。当分はウマ娘の二次創作を描くことはないと思います。
自分で上げても誰も見てもらえませんし、他人が転載した方がよっぽど反応をもらえるのですから。
ウマ娘自体は変わらず大好きです。ゲームは目茶苦茶やってます。タウラス杯はデバフ盛り盛りネイチャで出るので覚悟してください。
最後にまとめサイトのスクリーンショットをツイートする人には一言だけ言いたいです。
それが5chの人間が作ったものでも作者はいるので、出来たらツイートしないでほしいです。
私はそのツイートさえなければ自分のアカウントで描いたイラストを公開できたのですから。
追記:5chは基本的に匿名の掲示板です。なので作者を名乗って主張したりしたら逆に批判されます。
「キモい」は気軽に使える割に与えられるダメージが大きいということで、もしヘイト扱いとなって禁止されたらファンタジー作品に出てくる禁断の魔法って奴によく似るよね。
ハリー・ポッターでも唱えるだけで人を殺せる「アバダケダブラ」が禁止されてるけど、闇の魔法使いは禁止上等で多用してくるので悪を取り締まる側の魔法使いは大変だよね。
ワイ、自称オタクで、釣りも競馬もキャンプもやってきて、それぞれの良さ知ってるけど、一言でいうなら、面倒。続けてくにはかなりリソース食う。
ワイが飽きっぽいからかもしらんし、人付き合いが苦手やからかもしらんが。
自分で体験するのと、オタク向けコンテンツで二次体験するのを選んだ上でオタクやってるやつも結構おるやで? ワイみたいに
ワイがそこそこ頑張って陽キャと付き合えるぐらいの、ナチュラルボーン陰キャやから、ワイよりも三次元に絶望してるやつのことは知らん。
結論から言うと、note筆者の「88cmと8kg」氏は、小さい頃から学校や街中など、あらゆる場面で女性に「キモい」と言われ続けたそうです。
フェミニストのみなさん、「キモい」は本当に本当に強烈な抑圧の言葉なんです|88cmと8kg|note
弱者男性だけどもうフェミニストをやめたい|88cmと8kg|note
仕方なく街を歩けば「キモい」「あいつはナシ」だの定期的に言われた。みんなこれが妄想に聞こえるそうだけど事実だ。男性だってそういうことを言われる。言ってきたのはすべて女性で、男性からは一言もない。今でも。
そして中学を出る頃には、こういう一部の男性は、「キモい」という言葉に強烈な苦手意識を持ちます。自分の名前が呼ばれる10倍以上「キモい」という言葉が飛んでくるような環境では、自分の名前よりもすぐに反応する言葉になります。
ゼミでも、学部でも少し喋れば「異様な雰囲気の怖いキモ男」だった。基本、女性にモテたい男性は、キモ男を、一緒にいると「格が落ちる」から無視するか、マウンティングの道具として利用しはじめる。結局俺はここでは男性からも孤立した。ホモソーシャルは最悪だ。でも知ってる。ああいうことをするのはモテるためで、一部の女性はそういう人を喜んで持ち上げてきた。ドラマやゲームで人気の男性キャラの特徴を思い出してみればわかる。
ここからは個人的な話になりますが、自分は今でも道を歩いていると女性に「キモい」と笑われることがあります。2か月に1度くらいの頻度です
「キモい」は、身近な人間から直接、何千回も投げかけられる言葉です。もう一度言いますが、多くの場合は自分の名前よりも多く投げかけられます
こういう経緯から、88cmと8kg氏は「キモい」という言葉に対して、極度の恐怖心と抑圧を感じています。
なので例えば、駅のホームで待っている時、女子高生たちが「キモい」という言葉を使って笑っている時は動悸がしますし、レストランで女性の友人と話している時相手が「キモい」という言葉で同級生を笑うとき、それが延々と続く場合は笑顔を作って席を外して心を落ち着けます
そして、一部男性に対する抑圧を象徴する端的な表現として「キモい」という言葉がある、という認識に到っています。
今の社会では女性は抑圧され、社会のあらゆるところに抑圧を象徴するものが転がっていますが、一部の男性にも似たような構造があります。そして数あるそれの中で、最も一般的で、最も象徴的な言葉が「キモい」なんです。
ここまではOKでしょうか。88cmと8kg氏は、主に女性に「キモい」と言われ続けてきて、そのことを強い抑圧と感じて苦しんできました。ここまでの話では、フェミニズム/フェミニストは出てきません。88cmと8kg氏の主張がフェミニズムとつながるのは、以下の文脈です。
フェミニストのみなさん、「キモい」は本当に本当に強烈な抑圧の言葉なんです|88cmと8kg|note
「女子高校生に「きもい」言われ立腹 傷害容疑で県立中央病院職員を逮捕|事件・事故|徳島ニュース|徳島新聞」
記事タイトルではまるで女子高生が見ず知らずの人にキモいと言って殴られたのように見えますが実際は全然違います。この記事によれば、
・突然あらわれた男が「家に来ないか」と声をかけ、
・「キモい」と言われ逆上し、逃げたところをしつこく追跡してきて、
という本当に酷い事件です。女性であるというだけで声をかけられ、断ると逆上され暴行されるという、ヘイトクライムそのものの事件です。 そして、こういった事件は現代では見逃されないし、勇気ある人たちは沈黙しません。「夜未成年がうろついてたから悪い」だとか、「キモいと言ったから暴力されても仕方ない」だとかいうセカンドレイプそのものの意見も、現代では正当化されず批判されます。自分はこの空気が救いです。強盗が起きて、強盗された側が悪いなんてことは決して絶対にありません。しかし、たくさんリツイートされたフェミニストのみなさんの意見の中にこういうものもあります。
として、以下の「フェミニストのみなさん」のツイートが挙げられます。
これに対して、88cmと8kg氏は、こう言います。
私はフェミニストでありたいと思っている男性です。弱者男性といったほうが多分すぐわかると思います。なので言いたいです。
今回の件は100%加害者の男性が悪いと言い切れます。しかし、「キモい」という言葉の致命的な力を絶対に忘れないでください。本当に強烈な抑圧の言葉なんです。汚い言葉を引用しますが、「ブス」とか「クソマンコ」や、「ニガー」などよりも強いかもしれません。なぜなら、一部の男性は、小学生くらいの幼少期から、女性の集団に1日何十回もその言葉をかけられ続けて尊厳を奪われているからです。それは一般的なことなんです。しかも、誰も真剣にそれをとらえません。こういったいじめが記事になったことが何度ありましたか?男性から女性はシャレになりませんが、逆は男性が「みっともない」からなんです。もしくは、自分が「キモい」から悪いんです。告発しても女性は無罪放免、怒った自分が先生に怒られるなんてことはよくあることです。席替えで「キモい」生徒の横に来た女子生徒が泣く行為が怒られた現場を見たことがありますか?
つまり、このnoteで88cmと8kg氏がフェミニストのみなさんに対して批判的なのは、
からです。だから、88cmと8kg氏はそうした「フェミニストのみなさん」に対して「「キモい」は、身近な人間から直接、何千回も投げかけられる言葉です。もう一度言いますが、多くの場合は自分の名前よりも多く投げかけられます。そして、多くのフェミニストはそれを正当化してしまうんです」「お願いなので、「キモい」という言葉を過度に正当化することはやめてください」と訴えています。「過度に正当化する」というところに含みがありますが、つまり、この言葉を何か/誰かを批判するときに普通に使うこと自体が、「キモい」という言葉とそれがもたらす差別を正当化しているんだ、という主張だと思います。
そして、このことが敷衍されて、弱者男性差別は存在するから知ってください、フェミニストはこれ以上差別しないでください|88cmと8kg|noteでの主張につながっていきます。
例えば「女は黙って朝飯作って帰りは正座で待ってくれてないと」のような差別的な言葉と「無職の男とか絶対無理キモい」のような差別的な言葉は同じくらい重い、そう言えます。特に後者の言葉は実際に人を殺せるヘイトスピーチなんです。
実際問題、自分はフェミニストのみなさんが入っているTLを見ると、自分に「有害な男性らしさ」が激しく発生していることに気づきます。それは「彼女も作れない人間はセクシストで、そのような人間の悲鳴はすべてミソジニー」というような意見をフェミニストが多くするのが原因です。男らしくならなければジェンダー平等を訴える人たちの間でさえ人間扱いされないどころか、セクシスト扱いされるのです。自分はミソジニストになるのを避けるために定期的に表アカウントからは離れています。だからインセルのようなろくでもない連中が、フェミニストが増えた後増える理由も正直わかります。いかれた差別主義者がわめくのは無視できますが、社会的正義の名のもとに差別を正当化される苦しみは無視できないのです。
嘘だと思うのなら、最も弱者男性が差別的なことを言っていて、かんたんに論破できるような「女をあてがえ理論」に対するフェミニストたちの反応を見てください。「弱者男性とかキモい無理。女性の人権を侵害している。」、「その考えが差別的。特権意識から降りろ。」、その他諸々。なぜ、「女性が誰と結婚するかは個人の自由なので社会や国家が介入するな。」とだけ言えないんですか??なぜ、弱者男性をトランス女性とかアジア人のゲイとか入れ替えた時に、極めてグロテスクな差別発言になってしまうことぐらい差別を訴える人ならわかってくださいよ!「トランス女性とかキモい無理。男性の人権を侵害している。」「アジア人のゲイが他の人種と同程度に愛されたいと思うのは差別的」。そういう言葉なんですよ??「非処女とか汚い無理」とか森元総理でも言いませんよ?障害や貧困や差別で苦しんでいる中で、誰か一人にでも愛されたくても無理で絶望して今も首をを吊っていってる人たちに、無理とかキモいとかお前の孤独感さえ差別の証だだとか、それはもう加害欲求が暴走している、差別が楽しくてやめられない、としか言えないじゃないですか。おそらくは相手を人の言葉の通じないゴブリンか何かだと思っているのでしょう。ミソジニスト、ネトウヨ、白人至上主義者、その横に並ぶのが上の発言をした人たちです。最近も一緒になって車椅子の人の人権を訴えた人たちだったのに!!差別主義者の気持ちがわかった良い授業だったと思いますよ?
そもそも、ゲイも、トランスジェンダーも、在日コリアンも、ハーフも、黒人も、障害者も、相手を「キモい」と言って正義の名のもとに糾弾する光景をあまり見ないですが、フェミニストだけは例外です。先程もその光景を見ました。「キモい」なんて感情にしかよらない侮蔑語は、マジョリティの規範に依存する言葉です。上記の属性の人々を攻撃する最悪の矛として常用されているし、だからこそ理性による人権という盾で身を守ってきたのです。実際キモいからしょうがない、口をふさぐなと言うかもしれません。しかし、上記の人達は人権を訴える場所でその言葉は使いません。マジョリティにその言葉を使われる苦しみを知っているからです。性犯罪について裁判などで男性が同情されやすい特権があるのように、女性には差別しても批判されにくい特権があると言わざるを得ません。そして悲しいことに、差別と戦う人たちでさえそれを濫用してしまっているのです。
88cmと8kg氏にとっての弱者男性論の根幹は、長年にわたって女性から自分に投げかけられ、自分を傷つけてきた「キモい」という言葉への被抑圧感情と問題意識と、彼の観測するフェミニストのみなさん達が、女子高生暴行事件の犯人を批判するときや、その他の文脈(これについては直接の引用がないので、「弱者男性とかキモい無理。女性の人権を侵害している」という発言が実際にあったかどうかはわかりませんが)で、「キモい」という言葉を普通に使っている、という認識にあります。その文脈で読めば、88cmと8kg氏の訴えがなぜ「女性とフェミニスト」に向かっているのか、より具体的に理解できると思います。
深夜に殴り書いた言葉を公開させてください。
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私は夢見る、私の性別がなくなることを。
女友達と手作りの料理を持ち寄って会った。母親に男かと揶揄されるたび居た堪れない気持ちになる、と話したらいつのまにか女性の生きづらさの話になって、社会で圧迫される自分自身のことについて話してた。
絵の中で無性別になれるようになったこと、裸を描けるようになったこと。それは昨年唐突に訪れた解放で、ふりでない、本当の意味での理解が訪れた瞬間だった。昔からの友達に突然カミングアウトされたり、周りにいろんなセクシュアリティの人が増えて、そこに対して何も思わなかったけど、一方で私はどう考えてもシスヘテロで、ただ家族の強制する性の価値観はあんまり理解できなかった。
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女の子らしさはガサツで割と男性的とされる趣味の多い私にはハードルの高い問題で、170cm近い体躯と王子役を押し付けられまくった経験から「LGBTなの?」「腐女子なの?」と言われることも多々あり、それが耐え難き苦痛に感じる私自身も嫌だった。
普通であることに安心する家族。普通であることに怯えるわたし。曖昧な言葉には常に適度な距離感が必要で、冷静さを欠いた議論には意味がない。そういう話をするたび、周りの“いい人”たちはみんな私のことを考えすぎだと言った。そんなに思い悩むから生きづらいのだと。
思考をやめる気はさらさらないが、一方で年々神経を蝕まれつつあるのも事実だった。精神科にかかったことはないし、これからもお世話になるつもりはないが、胃痛で薬を飲むという意味がわかるようになってしまった。自傷的に何度か手を出した煙草のせいだが、倦怠感で身体が動かなくなったりもした。腹痛で意識を失いかけた。神経症で人は死ぬんだと思った。
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「S/N」を見たのは好きな人の影響だが、どうしてあの人を好きになったのかを思い出した。どうして彼じゃなきゃだめだったのかを。酷い時も、辛い時も沢山あったし、客観的に考えればこうした方がいい、とかもいっぱいある。ただ、それが重要なわけではなくて。愛の器官が母親の甘い束縛と重め(笑)の虐めで壊れて、他人からの暴力や罵詈雑言を崇拝の一形態だと感じるようになってしまったんだと思ってた。精神的に魘されないと安心できないのかと。でも違う。
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わたしはきっと、何者にもなりたくなかったんだと思う。透明になりたいし、全てになりたい。もう殴られたくないよと強く願ったら17歳になる頃には殴られなくなったけど、真綿で締め付けられるような虚無が残ったからいつも首に縄をつけてぎりぎりで生きてる。側からはそう見えないはずだけど。好きなトラックメイカーが音楽よりもいつか結婚した時の愛する人の方が大事だよ、と言っていて、すごく驚いた。私はずっと、天啓のような何かを信じることでしか、辛い過去を受け入れられずにいたから。いまもそうだし、そうでないといけないと思うの。
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本当にばかばかしくて、ちょっと幼い話だけど。わたしは、好きな人がわたしの目をじっと見て、「眼鏡でもかわいいよ」と言ってくれたその一言で22年近くの呪いが解けた人間である。でも、親の呪いがこんなに深くわたしの中にあるって知らなかった。
小さい頃から蝶よ花よと育てたられた私だけど、母は写真を撮るたびに眼鏡を外させた。かわいくないから外しなさい、と言った言葉はいつの間にか習慣になって、眼鏡さえ外せば最強なのだという行きすぎた自尊心すら生んだ。実際に眼鏡の有無で同一人物だと気付かれないことがあったのも遠因だろう。わたしは眼鏡を諸悪の根源にすることで耐えていた。
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恋愛にもそんなに恵まれず、高校で軽い虐めに遭った際「わたしがかわいいからでしょう?」と母の言葉の確認をとったら、途端にキョトンとした顔をされ、その時から全てがわからなくなった。ルッキズムの最下層に突き落とされたような気分だった。
当時の私は髪のとかし方も知らず、見えている世界のレイヤーが少なすぎたので、たしかに見目麗しくはなかったと思う。でも好きなバンドのインストアイベントで憧れていたギタリストに前の女の子と明らかに異なる冷たい目を向けられたこととか、そういう体験が、私の不安を加速させた。何をやっても痩せなかったし、服屋の服は全部小さすぎて似合わなかった。最悪だった。
大学生になって古着にハマって、ようやくアメリカサイズの服を着ることでサイズの問題を解決したけど、やはり可愛いという言葉が怖かった。私から一番遠いところにある気がした。
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好きな人の言葉は頭の先から足元まで響くような衝撃で、衒いのないトーンは私を惑わせた。本当に、本当に、誰に言われても嘘だろうと、嫌悪感しか抱かなかったその恐怖が、ようやく解放されたような気がしたのだ。それ以降は人の褒め言葉を、きちんと信じられるようになった。
まあ今もコンタクトはたまにしてるけど、選択肢に眼鏡を含められるようになったのは、あの時好きな人が認めてくれたからだった。それだけで意味がある。私は体質的に目が乾きがちで、眼鏡ですら頭痛や眩暈がすることがある。健康被害よりも強迫的なコンタクト依存から解放されたのは、本当に嬉しかった。
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「S/N」を見た時に自覚した。わたしは他の人では満たされない渇きを、好きな人ならわかってもらえる気がしたのだと思う。ジェンダーの話はわたしも後追いだし、LGBT当事者でもなくて、フェミニズムに明るいわけでもない。どちらかと言うと旧体制的で、内心少し男根主義に傾いてるけど、でも、多様性を締め付けられる社会が本当に息苦しかった。私が可愛いものを好きなのはかなり異常者で、可愛くないことは罪だって、ずっと見えない誰かの声が聞こえて死にたかった。でもそれを人は幼いという。若気の至りだと。本当にそうだろうか?
好きな人に会う前から、男性に恋をしても、きっと眺めるのが好きなだけだった。男性の男性性は愛おしくはあるが恐怖で、私は母の教育方針もあって、結構性をタブー視してた。ちょっとフィクトセクシュアルの気もあるせいか、虚構を覗き見ることだけが唯一許されてる気がして、それ以外は全部怖かった。そこがギリギリのライン。
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それでもようやく付き合ってもいいかなという人に告白されて、焦りであっさり色んなことを済ませてしまったわけだけど、思ったより呆気なくて、何も感じなくて、その行為はいつの間にか虚無感に満ちた義務になった。心がない行動は演技で、いつも断れない自分も嫌だった。でも私というキャラクターが彼を承認した以上、そのキャラクターには責任を持たなければならない。告白を承認する、他人の人生を背負うとはそういうことだと思った。
そこには頭では納得していたけれど、ある時期から本当に、他人に身体に触れられること、好意を抱かれることに恐怖を抱くようになった。何度か背筋が凍るほど嫌な思いをしたせいもあるだろう。私を世の中に貸し出すのが無理になって、人が信じられなかった。そしてどこかで、プツンと糸が切れた。
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…好きな人もその一人といえばそうだし、それは最悪の搾取の仕方ではあったけれど、あれよあれよと巻き込まれたプライベートな時間は、たぶん優しさであったように思う。私は余りにも臆病で、そして彼の傷は大きすぎたから、私たちは付き合うという選択を保留することにしたけれど、彼は私に好意を伝えてくれたし、たくさん泣いていた。
なんかもう、それだけでよかった。
セックスは搾取じゃなくて優しさで、きっとお互いを信じ合うことで、小さな希望で、だから好きになってくれる人たちに怯えるのは私が間違ってるって思う。でも怖かった。
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好きな人は、私が今まで誰にも話さずに来た、心の穴を知っていた。きっと直感的に。運命めいたことを言うとキザだから言わないけど、彼は他の誰にもない魔法で、私を狂わせるけど、よく考えたらそれが無ければ痛くて痛くて生きてられなかったかもしれないし、また勉強が好きになれたからとか、恋心で作品が作れるからとかそんな現金な理由よりも、なによりも私が感じていた性の不安とか、かわいいに怯える切実な揺らぎとか、そういう感情に無理解でいなかったから。普通に属してるひとたちは…家族も含めて、気づいてなかったのだろう。私が泣くたびに宥められて惨めになる。好きな人だって適当な時あるけど、もしかしたら私のその不安を、あなたならわかってくれるんじゃないかと。
そういう、希望だったんだ。
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私の部屋はいま彼がくれたお洋服とか、お揃いのものとか、ドローイング、筆跡で満ちている。ちょっとファナティックだと自分でも思う。
でもこれしかなかった。彼になりたかったというよりか、嘘でもいいから愛されてみたくて、その嘘を嘘で終わらせるのが本当に耐えられなくて、本人の知らないところでそれを実現させるために、彼を統合失調的に創造しようとしたのだ。なぜか告白されたり、結局関係性がよくわからなくなったりして、側からみればきっと軽い地獄なんだろうけど。毎日家でも学校でも暴力を振るわれたり表現手段を持たなかった頃よりは、全然幸福だよ。
それそのものが救済なんだ。
私はセックスのない世界に行きたかった。それが思い出せたことだけでも、(私が生まれる前に作られた)この作品はとても、とても深い爪痕を私の身体に残したと思う。
2人の娘がいる父親です。
家族も全員爬虫類を含めた動物が好きで、蛇やトカゲと触れ合ってはニコニコしています。
特に娘2人はボールパイソンが好きらしく、物心ついた時から触れ合いを楽しんでいました。
上の娘が中学生に、下の娘が小学生に同時に上がったためお祝いを買ってあげることになったのです。娘たちは「ハムスターがほしい」と言いました。
厳重に管理をしているとはいえ、もしもどちらかが脱走した時にはハムスターが食べられてしまう危険があるからダメだ、と伝えました。それでもハムスターがほしいと2人ともわんわん泣く始末です。普段物を欲しがらない娘たちが泣くほど欲しがってるなら自分たちが気をつければいいだけの事だと妻に諭され、サプライズとしてハムスターを飼うことにしました。
ペットショップでジャンガリアンを2匹購入しました。持ち帰り、ハムスター飼育経験のある妻が別室で娘たちにバレないように管理を行っていました。
翌日。その日私は蛇の給餌を行っていました。2人の娘も一緒です。すると妻の部屋から「キャッ」という悲鳴が聞こえた後に「まって!」と大きな声がしました。
何事かと思いドアを開けた瞬間、足元を小さい影が抜けていきました。
そうです。ハムスターでした。娘たちはそれに気付かず「ママどうしたの?」「大丈夫?」と妻の心配をしています。指をケージの扉を開けた時、ケージから出ようとしたハムスターを手で遮った瞬間、指先を噛まれたようでした。
大丈夫だよと娘に声をかける妻が、口パクで「ハムスター つかまえて」と伝えてきたので部屋に戻り、捕獲の手順を頭に浮かべた瞬間でした。
「シュッ」という音が聞こえたのです。娘達が好きなボールパイソンが、冷凍マウスを食べる時に聞こえる音がしたのです。
嫌な予感がして床を見ると、弱肉強食の世界が見えました。時すでに遅し、ボールパイソンは自分の頭と同じサイズ程のジャンガリアンハムスターに巻きついていました。
本当に一瞬だったのでしょう。ハムスターの顔は買った時とほぼ同じ顔なのに、体は冷凍マウスのようにぐにゃぐにゃなのです。そしてゆっくり、ゆっくりと頭から飲み込まれて消えていきました。
完全に私のミスです。妻の声に驚きケージの扉を開けたままでした。娘が見なかった事だけ不幸中の幸いと言えましょう。それでも動物虐待だと罵られても仕方の無い出来事です。
部屋から出てきた私を見て、妻は小さな声で「あちゃー…」と一言だけ呟くと、私に「これは事故だから、いい教訓になったと思えば良いと思うよ。これから気をつけよ。」と言いました。
落ち込む私に笑顔満開の娘二人が「パパ!ありがとう!」「2人で大事にそだてる!ありがとう!」と抱きついて来ました。
ごめんよ。本当は一人1匹だったんだよ。
2人と2匹で色んな思い出を作ってあげたかった。
寿命の長い爬虫類では幼い君たちが感じづらい命の大切さを教えてあげたかった。
本当にごめんなさい。