2021-05-14

「ありがとう」って言われたくて〜YouTubeを見続けるけど〜

YouTubeで見る動画の内容はわりとどうでもいい。

動画最後に放たれる「ご視聴ありがとうございました」的なセリフが聞きたいのだ。

俺みたいな低層な人生では、日常を生きていて「ありがとう」なんて言われる機会はなかなか無い。

から、その「ありがとう」が俺ひとりを向いたものでなかったとしても、その言葉は心に染み入る。

ちなみに、YouTubeにハマるまでは、コンビニたばこ屋がその役割果たしていた。

しかし、そこでは「ありがとう」の発生に何らかのコストが発生するため、おいそれと多用できなかったのだ。

それなのに、YouTube無料だ。これは嬉しいことだ。一日に何十回でも「ありがとう」と言われることができる。

一円も払わなくとも、ただ動画の終了までひたすら待つだけでいいわけだ。なんなら、動画最後まで飛ばししまえば済む。

しかし、それではせっかくの動画作成者申し訳無い。ちゃんと、10分でも20分でも動画の終わりまで、ウサギのように早送りせず見る。

そうやって待ちわびた後に来る「ありがとう」風呂上がりの一杯を思わせる貴重なものだが、

それでも、そんなことをしていては、受け取る「ありがとう」の濃度が下がってしまう。

もっとたくさんの「ありがとう」を浴びたい。俺の人生を祝福する「ありがとう」言葉が聞きたい。

から、興味の持てる範囲で短い動画ばかり探してしまう。

最初のうちは、自分普通に生きていれば知らないような内容の動画を作って頂いた上に、

さらに私というさもない存在感謝言葉が頂けるなんて、動画作成者はなんて低姿勢な人たちなんだ!とも思っていたが、

今や、長い雑談の上に「バイバイっ」じゃねーんだよ、欲しいのは「ありがとう」一言なんだよ!と悪態をつく始末。

から、こうなったら、他人に頼らず自分動画を作ってYouTubeにアップすれば済むような気がしている。

10分、20分もかかる動画じゃなく、数分で終わるようなやつ。そして、最後に「ご視聴ありがとうございました」と必ず言うやつ(重要)。

ただ、自分の声で感謝されても気持ち悪い(なんで、マイクを通すと自分の声はあんなに気持ち悪く聞こえるのだろう?)、というか、

自分自分「ありがとう」と言う惨めな気持ちの方を強く感じてしまうので、声は何とかロイド白元じゃない)ってのを使うことにしよう。

そうすれば、その動画作成者自分であることも忘れられるし、気持ちよく「ありがとう」を浴びられる。

それでも、同じ動画を繰り返すのではダメだ。それでは笑い袋を押し続けるのと変わらず、満足が足りない。

色々な人に「ありがとう」って言われたいんだ。だから動画も一本では足りない。

短い動画をたくさん作ろう。でも、たくさん作るためには、色々なことに興味を持つ必要がある。

今のままでは無理だろう。色々な本を読む必要がある。なんなら図書館に行ったり。

外出が増えるだろう。社会に出ていく必要がある。さらには、誰か他人に話を聞いたりする必要もあるだろう。

また、動画を作るには解説する態度を身につける必要がある。その相手には知識を請うだけでなく、

自分意見を聞いてもらうことも必要だ。その上で議論になったりするだろう。相容れなくて仲違いもするだろう。

しかし、私には「ありがとう」必要なのだ「ありがとう」自分に聞かせるために動画を作る必要があるのだ。

から仲直りをする。仲直りをするための努力をする。そうできるだけのコミュニケーション能力必要だ。

仲直りをすると、相手も謝ってくるだろう。自分も仲直りしたかったといった内容で。

自分も謝りたかったけどできなかった。だから、謝って来てくれて嬉しかったと感謝される。

感謝される。

感謝される!

ということは、その係り結びとしてやってくる言葉は…

「ありがとう」

「ありがとう」

まさかの、「ありがとう」を作るための「ありがとう」

そうやって、「ありがとう」のための楽しい仲間がポポポポーンと増えていけばいいと思った。

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