はてなキーワード: リソースとは
はてなーとはなしてて自民党信者は民主党信者より大分ましだときづいた
頭のよい自民党信者→自己中心的で身勝手だけど言ってることはまとも
頭のよい民主党信者→信条のためなら人の命とかレイプとかもどうでもいい
頭の悪い自民党信者→国を良くしようと言う気概はあるけどバカだから自民党に騙される
頭の悪い民主党信者→信条のためなら人の命とかレイプとかもどうでもいい
自民系は総じて知能によって行動が大分変わるけど民主はおなじなんだよ。何か教義があって全てのリソースをその教義を布教するために使ってる。
民主系はあり得ないな。
オッサンの巣窟であるはてなで利権だのお仲間だのって意見が散見して悲しい気持ちになってきたわ。多分こういう事言う奴って非正規だったり下っ端社員だったりで人を使う立場で働いたことがないんだろうね。
職位が上がるにつれ人をいかに動かすかが重要になっていくし、板挟みになってどっちも正解じゃない中で決断しなきゃならないし、自分でコントロール出来ない事に対して責任を持たなきゃいけない。付き合う中には嫌な奴もいるけど成果のためには我慢しなきゃいけないこともある。
自民はクソだけど成果を出さなきゃいけない立場の苦労ってのは理解できるんだと思うね。維新も大阪では与党だし。
だけど野党の左翼政党にはそういった責任者の立場ってのが無いんだよ。可哀想だと思ったら助ける、リソースはどっかにあるはず、副作用は知らん。この法案は懸念があるから反対、元の問題は懸念と共に無かったことに、とかね。
別に現役世代で積極的に自民を支持してる奴なんて殆どいないと思うぜ。だからこそ野党には頑張って貰いたいんだがバカの方ばっか向いて真面目に政権奪取目指してるように見えないから余計に腹立たしいっていうね。
おっす。オラ工業高校卒。以前に学力テストについて話をかいてみんなにいろいろ突っ込まれたおかげで知見がすげえ広がってうれしかったぞ。
最近、はてなのスター、シロクマ先生が以下のような記事を書いてたんだ。
https://blog.tinect.jp/?p=85698
こうした認識があったものだから、『安楽死が合法の国で起こっていること』を読んだ私は安楽死の導入に大きな不安を抱くようになった。欧米、とりわけアングロサクソンの国々で安楽死が制度化されるのはまだ理解できる。だが、日本のように自由と責任の建付けの曖昧な国で安楽死が制度化したら、その安楽死はいったい誰の自由意志によるものなのか、その安楽死はいったい誰のためのものなのか、やっぱり曖昧になるだろう。
と、「人権感覚の進んだ欧米では安楽死制度は運用可能かもしれんが、人権後進国の日本では無理」みたいな感じで書いてあったんだ。
でも、この文章のネタ元になっている『安楽死が合法の国で起こっていること』では、安楽死制度を導入した国で起きたエグい問題についての話がガッツリ書いてあって、人権先進国だろうがなんだろうが、とても人間には運用不可能な制度って印象なんだ。
でも、シロクマ先生記事だけ見ると「多少の問題はあるが、人権意識の進んだ国ならおおむね運用可能だし将来の有望な選択肢」みたいに見える。本を読んだオラからすれば、地球人を信用しすぎてないか?って気がするぞ!
シロクマ先生はこのあたりの事件はセンセーショナルすぎて、持論を書くには邪魔になると思ったのかもしんねえ。確かにこういう事件に感情的な反応をする人が多いから、本質的な議論ができなくなるってことはありそうだ!
でもオラは、シロクマ先生が書かなかったことはみんな知っとくべきだと思うんだ!ブコメでもあんま突っ込まれてなかったしな!
詳しくは『安楽死が合法の国で起こっていること』を借りるなり買うなりして読んでほしいんだけど、本で挙げられている「安楽死制度を導入した国で起きたエグい事件」について参考リンクを示しながら書いてみるぞ!
参考:https://www.bbc.com/news/world-europe-49660525
最初に書いておくが、安楽死を担当した医者は安楽死のガイドラインを逸脱はしていないとして無罪となっているぞ!
アルツハイマーを患っていた患者は、以前から「介護施設に入るようになるまで症状が悪化したら安楽死したい」「死ぬ時期については自分で決めたい」と意思表示していて、書面に残していたんだ。
で、実際に症状が悪化して施設に入ったんだけど、患者の状態が悪化していて意思疎通ができなったので、医師がほかの医師とも話し合って安楽死の日取りを決めたんだ。
当日、家族が見守られる中、鎮痛剤入りのコーヒー(これはガイドライン違反)で大人しくして安楽死をさせようとしたんだけど、安楽死用の薬剤を注射しようとしたとき、手を引っ込めちゃったんだ。
どうやら鎮痛剤が効かなかったようだ。そこで医者は家族にその患者を押さえつけさせて、抵抗する中で薬剤を注射して安楽死を行ったんだ!
これが「本人の意思を確認したか」という点で裁判になったんだ。死ぬ直前になって怖がるなんてこといくらでもあるからな!
結果、最初に書いた通り医者は無罪になったぞ!ついでに安楽死前に鎮痛剤とか使って大人しくするのも合法化されたんだ!
うっひょー!そんな死に方はちょっとしたくねえな!
参考:https://www.frontiersin.org/journals/psychiatry/articles/10.3389/fpsyt.2022.933748/full
19歳のときに境界性パーソナリティ障害と診断された患者がその障害の重さから仕事や私生活で苦労し続けていて、大学を卒業してパートナーを暮らし始めて安定したところで、薬物使用とパートナーからのDVとそれによる別れで鬱を発症、なんとかうまく行きかけてた人生で大きな挫折をしてしまうんだ。
もとからあった希死念慮がさらに強くなってたところにセカンドオピニオンで他の医師を受診するんだけど、その医師は安楽死を推進する団体をやっているような人で、患者がアスペルガー症候群であると新しい診断をしたうえで、それの治療を試みることなく、アスペルガーとパーソナリティ
障害が併発していることを理由に安楽死を申請して、認められ、患者を安楽死してしまったんだ。
この件は本だと無罪になったとされているが、現在は遺族が大陪審に上訴して現在も争ってるぞ。
たぶん、
こういう記事をふむふむって読んで知識仕入れてる層は原典どころか取り上げた本すら読まねえから、適当に書いてインプレ稼いだもん勝ちだしどうせバレない。
って思われてるんじゃねえかな?Webで物書いて飯を食うには確かにこのスタンスは強いと思うぞ!でも見習いたくねえな!
ちなみに、本だと
あたりも書かれてる(むしろ、こっちのほうが議論になりうそうな問題が多い)ので、このあたりの知識がない人間が安楽死制度の問題を考えるなら、まず一読するべき本だぞ!
というよりこれすら読んでない人は””制度としての””安楽死の是非についてはあまり語らねえほうがいいと思うぞ!自分が死にたいとか言うのは勝手だけど、他人を殺す基準を作るなら感情ドリブンで話しちゃだめだ!
Amazonのリンク置いとくから、気になったら買ってくれよな!:https://www.amazon.co.jp/dp/4480075771/
対立というか実際弱者男性とか言って女性に割かれるべきリソースを奪おうとしてるのは明らかなんだが
ことについて私はちょっと怒っていた
正確には黄金頭さんは野生のギャル曽根や食べ盛りの運動部員他…までちゃんと想像していて、なんか救われたような気持ちになった
https://goldhead.hatenablog.com/entry/2024/03/16/171118
私自身は私の持つマナーや常識や、自信を持って他人のマナーをどうこう言えるほどに誇れる自身の品位なんかの問題でなく単に他人に「この人間は社会をやれてない」と思われたくないがための必死で卑屈な小心ゆえに、
かつ自分が空気を読めない部類の人間であることを知っている不安から状況を深読みしすぎるゆえにお店のきりもりや他の客の感情のことを勝手に考えてこの条件なら一人1.5人前程度はいいだろう…などと余計な思考を巡らせて実際そのように行動しているタイプなので
最初あの話題が盛り上がりかけたとき一人での来店なら1皿追加、二人なら3皿くらいまでいいかな…などと考えていたのだけど、正直自身でも「適切」で「常識的」な範囲は実際何皿なのか?ということはわからなかった
だからブコメが盛り上がるうちにそれはおのずと浮かびあがってくるものだろうと思って追っていた
こんなにも「常識的な範囲」「迷惑でない範囲」ということを知っているだろうブクマカがいるっぽいんだからそうならないはずはないと
しかし実際ブコメでこの件の価格でのやり方なら○○皿が適切だろうという具体的の例示がなくて、でもじゃあ実際何皿ならいいかな?という素朴な疑問もなく、ただただ件の人を愚かだマナーがない品位がないハックだバグ(ハックとバグこれらはさすがにびっくり、全然違わない?と思った)だ店への嫌がらせだというコメントばかりあったからだんだんモヤモヤしてきた これが分からない私という人間も、果たして非常識で迷惑な側として斯様に断じられるのだろうか?
中には「知人なら距離を置くかも、嫌かも」「夫がこういうことをしたら指摘するかも」というようなことを書いている人も何人もいたけど、
えっ、いや、そこでなんで「わたしの思う常識的な食事量の人が欲を出している」想定をするんだろう、そこは「旧知のギャル曽根」か、あるいは「もえのあずきくらい日常的に食べることをこっちもよく知っている夫」を想定しないと思考実験にならなくない?と思った
実際無名時代のギャル曽根がお好み焼き店?だかで出禁(この辺はまさにお店の裁量だろう)を食らった話をかつて本人がしていたと思うけれど(その後和解はされたようだ)、
無名時代の大食い人間が近くにいたらこの人たちはそうやって自分の常識で黙ったまま相手を断じて勝手に軽蔑したりするんだろうな……って気持ちになってなんだか暗くなった
(まあ現在のギャル曽根さんはきっと自分自身で学んできて自分に課したルールに従ってお店ではバランスよく加減しながら大食するだろうタイプの人だとは思いますが)
私は人生において幼稚園から一緒の無二の友人がhttps://anond.hatelabo.jp/20240320101739この増田のようなタイプ(友人の両親もそう)で、
病院にも行って体に問題はないとわかったもののとにかく日常生活において人より大食してエネルギーをとらないと動けなくなるタイプの燃費の悪い高級車みたいな人間もいることを知っているから、悪意やハックなどという意識がなくてもそのくらい食べる人間はいるし、そういう人間について自分の思う範囲の「常識的な食欲・食すべき量」は当てはまるものではないということを知っていたから自然とそういう想像をした
私が今回のことですごく嫌だったのは、「大抵の人間は似たような食事量のはずで、だから自分の知っているまあ常識的な範囲の皿の数以上を食べ放題で頼む人間の行動は、必ず悪意か欲得づくである」というごく「自然」な発想に基づいて、たくさんの人が件の人や食べ放題で同メニューを大食する人をマナーがない、迷惑だと非難している点だった
(50皿同種のものを頼むのさすがに私もだいぶどうやろ…って思うけど、3皿が基準の人ならそれ以上だし5皿が基準の人ならそれ以上になればもうそれでその人は「非常識」「迷惑」な人の範囲に入っちゃうんだよね?
ルール内にはそれだけ幅があって、でも誰も自分のそれを語らない、そんな調子であるならばこの話は「ルールになければ何をしてもいいのか」がテーマでもなければそれで紛糾する以前の話なのではって私は感じたんだけど……)
まあ発端の人についてだけ言うのなら書き方がイキリっぽいとこもあったり読み手に勘違いさせたりわざとしたいのかなって感じもあったりでそういう気持ちも理解できるけど、
「食べ放題で悪意や欲得づくでなく大食する人」を自分のとなりに置く想定もしないほど自分に想像力がないのに、その小さな想像力で実際にはないかもしれない悪意を見出してはその想像力の及ぶ範囲での「常識」を正しいととらえて他人の品位を論評することについてなんの衒いもない人がたくさんいることについては本当に悲しくなった
「知っている飲食店でご飯やキャベツのおかわりがなくなった、回数が少なくなった。これもこういうバカがいたからだろうな~」といったブコメもいくつか見たけど、確かに中にはそういうお店もあるかもしれないが、
ほとんどの場合は普通に原価高騰の状況で削れるところから削っているだけだと思う……なぜなら家族が飲食店で働いていてそういう状況の複数の店の話題をたくさん聞いたから……
実際には状況や原因がわからない現実の事象について、似た場所で何かが起こったらそこから答えを引っ張ってきて当てはめて、自分の思いたいような嫌いな悪人を想像して納得するの、あんまりよくないと感じる
こういうのも上に書いたのと同じで、自分はそうではない(ここ大事)から堂々と他人マナー違反を咎めたり人の間違いを指摘するのって結局気持ちいいからそういう欲求に負けてしまうことって情けないことに結構あるけど、
実際それってすっごい意地悪なことじゃないかと思う
なにかあったときに外側の人や状況について「悪意」や「迷惑」の方からまず想像するの、なんかしんどい
(まあ私もこの増田でだいぶやっていると言えるので情けないが、違和感や怒りや非難の表明はせめて世間や常識に基づいてのものではないごく個人的なものとしたいと思う感情からこの増田は書く)
黄金頭さんが怒りたいのもそういうところだったんじゃないのかなって勝手に私は受け取って思ってしまったので(多分違う上に話題に出してごめんなさい)、「回避能力高ければそもそも触らない」っていうのも違うんじゃないかなって
(このエントリのブクマで見たコメについてhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/smart-flash.jp/sociopolitics/278501/1/1/)
自分のエネルギーを多量に消費しようが返ってくるものが苛烈であることが確実であろうがそれでも怒らなきゃならないこと表明しておかなければならないことが時には個たる人間には生じるもので、このことは本当にそうだったんだと思う
その後車いすと映画館の話題でも侃々諤々があり、似た無理解と構造があると感じた
自分が多数の側にいると思われるとき、その自分の想像できる範囲の常識や普通って実際のところかなり狭いということはいつもよく自分に言い聞かせておかないといつでもどこでもすぐさま傲慢な人間になってしまうということについてよく考える
できてないけどやっていくしかないんだよな…
”べつに上のツイート全部が嘘の書き込みであったとしても、思考実験の材料にはなる。そして、おれはこう思った次第である。あんたはどうだろうか。”
私も空気読みができる人間でも社会的に強い側にいる人間でもないので
今回の件では今回のようなこととは他のあらゆるシーンにおいてもこのような状況は生まれ、誤解されたり断じられたりが数多発生していることへの想像に自分の意志とは関係なく脳のリソースを使い、
なんだか自分や他の立場の人が置かれている状況や場を想像しては悲しくなったり不安になったりして上のようなことをいろいろと私は考えました
ブクマを戦争や闘争やプライドの場と思っているのでない限り、ただ素直にこれに応えればいいだけなのだと感じた
(私は3皿かなあとか俺は5皿くらいかな?…とかも普通に答えてよくない?いろんな人の「だいたい」知りたかったよ…黄金頭さんのエントリのブクマは200ブクマ超えたあたりでしんどくて読むのやめちゃったから書いてる人いるかもだけど)
0か100かのブコメがたくさんで落ちこんだよ……
(そこそこ長いので、さっさと結論の説明してほしい人は本論まで飛ばしてください)
僕はブラック企業で追い詰められて精神科に通い出した、典型的なうつ病患者。
手帳も貰ってるよ。
3級だからポリコレカードバトルだとあんまり環境に刺さってないけど。
会社に行くために電車に乗ってたら突然心臓がバクバクし、まだ秋口なのに全身に悪寒が走り手が震え出した。
近くにあった神経科のクリニックに行くと「新しい環境に馴染めないストレスから出た自律神経失調症」と診断された。
その日から会社は週に2回勤務できたら頑張った方で、基本的に布団から動けない。
動かないんじゃなくてな。
幸いにも手首から先と腰だけは動いたので、トイレに行って戻ったら寝る、そしてまた起きてトイレに行くの繰り返し。
手が震えて×ボタンが正確に押せねぇから広告の嵐を呼ぶジャングルよ。
いやお前らの言う事は分かる。
全くもってその通り。
日光浴してランニングして筋トレして風呂掃除してお湯張って浸かればうつは軽減されるだろうな。
毎朝6時に起きて日光浴して、9時から18時まで、残業も考えたら20時までかな。
それで退勤してからジムで汗流して入浴をこれから数年間続けられる?
あ、出来る人はここでお帰りください。
あなたは強い人なので、弱者の事は気にせず元気に幸せな人生を歩んでください。
比較的マシな日に、どうにかこうにか顔洗って身支度して、さあ出社しようとしたらな、
いや理屈では分かるよ、鍵開けてドアノブ回して前に押し込めば開くよな。
MAXの力を出してドアノブに手をかけたまではいいんだけど、次何すれば良いんだっけってなっちゃうのよ。
そのうち頭が真っ白になって30分以上そのままの体勢を取り続ける。
なぜならもうこれ以上、思考と行動のための脳のリソースが無くなっているから。
全力で100m走ってる人は「ユニフォーム汗でビチャビチャやから後でシャワー浴びよ」なんて考えてないでしょ?
そんな事してたら当然クビだわな。
そりゃそうだ、週に2回来れるか来れないかの人間雇う余裕なんてないもんな。
そうなると、元々少ない給料が無くなって、貯金残高がみるみるうちに減るわけだ。
自立支援医療とかのおかげで病院代と薬代は1割負担になったけど、それ以外の生活コストは減らせない。
自炊して食費を削る?
じゃあ生活保護貰うために役所のどの受付に行ってどんな書類書かないといけないのか、何を提出すればいいのか調べて思考しないとね。
「止まない雨はない」に対して「今降ってるこの雨が耐えられないって言ってんの」状態なんだよ。
僕だって何かを変えようとして、インフォームドコンセントを目的に神経科から精神科に移ろうと初診の予約で電話したよ。
そしたらどの病院やクリニックでも「最短でも1〜2ヶ月後になります」って言われちゃうもんな。
明日の事も考える余裕がない人間が明後日より先の事考えられるワケねぇだろ!
僕の場合は地元の先輩が心配してくれて、引越しの手伝いから生活費を援助してもらったりなど、生きるために必要な事をほとんど支援してくれたから今生きてるけど、大半のうつ病持ちはそんな都合の良い人居ないわな。
引越し先でようやく精神科に通ったら即うつ病認定されて、手帳の交付に必要な診断書とかの支援もしてもらえた。
手帳持ってると便利だぞ、電車の路線によっては半額で定期券が買えたりするからな。
そんなこんなで療養期間を設けて、何とか非正規雇用だけど雇ってくれるところを見つけた。
障害者雇用枠の求人と合わせて200社くらい受けて、9割以上は書類選考で落とされたけどな!
そう、障害者雇用枠における精神障害者の割合は身体障害者の半分以下なのである。
なぜならオフィスをバリアフリーにする等、身体的に関わる問題を解決すれば中身は健常者と同じなのでちゃんと働いてくれる。
しかし精神障害者は朝起きる瞬間まで出勤できるか分からないし、出社しても仕事が大変だとやれ「早退します」だの「身体が動かないので休ませてください」だのカスみたいな事を言い散らかすからである。
僕の場合は「雨が降ってて気分が沈んでいるので休みます」と連絡したのが1番パンチの効いた欠勤理由だったなぁと思う。
これで僕は「障害者と健常者、両方の性質を併せ持つ♡」というヒソカ状態になった。
勿論、就職が決まったからと言ってうつは治ってくれないし、手足の震えも止まらない。
様々な抗うつ薬(うつエアプ勢が分かりやすくする為にまとめて「抗うつ薬」として表記してます)や、普通はパーキンソン病患者に出す震え止め薬を通常使用量の3倍近く常飲し、急な不安が湧き出した時用に頓服の薬も処方された。
軽い運動や入浴など、どんなにセルフマネジメントを重ねてもダメな日はダメなのである。
職場にたどり着く事がまず困難なのに、仕事なんてできないわな。
「いやお前ガイジなんだから普通の人と同じ生活なんて出来るわけないじゃん(※超意訳)」
って言われた。まさに然もありなん。
前置きが長過ぎて既にページ滞在率は激減してると思うが、同じ精神疾患の人にはあるあるネタとして、シンプルに興味を持ってくれた人には感謝として本論書きます。
もう30%は寝てる時間なので何もできません。
人生の自由時間が30%以下なんてどう考えてもおかしいでしょ。
しかも若いうちに取れる自由時間は少なく、本当に自由を満喫できるのが65歳になってからなんて嫌すぎない?
ナウル共和国見てみろよ、生きてるだけで国からお金もらって公共料金全部タダだぜ?
(当然その姿勢が問題になっているのは承知の上で、国や人によって仕事の捉え方って違うよねって話です)
趣味に没頭するために、お金を稼ぐ手段として仕事をしている人も居るでしょう。
何年も無遅刻無欠席で出勤する。
それらをこなしている時点で、少なくとも僕は「貴方は狂ってます」と言います。
だって僕は趣味や好きだったことが全部できなくなったからです。
料理が好きでした。
自分しか食べないものを作る気力が湧かないから全部冷凍食品にしました。
編集画面を開くどころかパソコンの電源ボタンに触れることすら激減しました。
人生の意味なんて人によってあったりなかったり全然違ったりします。
でも意志がなくなってしまうと、もう何もかもができないんです。
毎日「通勤電車にジョーカーが乗ってきて銃で瞬殺してくれないかな」と思ってます。
「心という器は、ひとたび、ひとたび ひびが入れば二度とは 二度とは」
きっとその「何か」が漏れきった時、僕は押入れにしまっている縄と子供用プールを広げる日が来ると思ってます。
内田先生のお話で好きなもののひとつに「ストカスティックなプロセス」というものがある。
それは、目的志向的に物事をこなすことを指す言葉であり、例としては、ハサミで紙を切る場合、バイクでカーブを曲がる場合などが挙げられるだろう。
ハサミで紙を切るときは、手元ばかり見ていると、真っすぐに切れない。
その先の、切り終わった自分を思い浮かべ、そこにハサミを進めていく。そうすると真っすぐに切れるのだ。
そんな感じで、物事を終えている未来の自分という幻想を持たないと、今現在ある仕事をこなすことができないという現象がある。
それを、内田先生は「ストカスティックなプロセス」と呼んでいるのだ。
さて、もう一方の「ゾルトラーク」とは、マンガ「葬送のフリーレン」に登場する魔法のひとつだ。
同マンガでの魔法の考え方には特徴があり、それは、自分が想像できない魔法は使えないというものだ。
例えば、水を操る自分を想像できれば、それを可能とする魔法が使えるし、何かを切る自分が想像できれば、それを可能とする魔法が使える。
そして、同マンガのアニメも最終回を迎えるにあたり、私は、それって「ストカスティックなプロセス」と考え方が同じだな、と最近気づいたのだ。
どちらも、将来に何かを実現する自分を想像して、実際にそれを成し得るという考え方ではあるわけだ。
そのことを私は、全く別方面から同じ考え方が出てくるってなんか新鮮だなと感じたのだが、
それと同時に、現代ではなぜ、そういう考え方が多方面で扱われるのだろうとも思ったのだ。
そういう考え方が、お話のひとネタだったり、ストーリーのギミックだったりし得るのは、
人々がその考え方を好ましく感じつつも、それが目新しさとして、人々の中にまだ定着してないからだろう。
でも、一方で、「コスパ」「ダイパ」と呼称して、目的以外にはリソースを振り向けない人々も居る。
そういう人は、目的志向的とは言えるわけだが、「ストカスティック」とはなんか違う感じがする。
いや、「ストカスティックなプロセス」が好ましく感じられれば、「コスパ」「ダイパ」も同じくらい好感を持てそうな気もするのだが…
世間一般と比べて割と現代的・進歩的な考え方が尊ばれる事が多い(と俺は信じてる)はてなでこの増田みたいな言説にそれなりの賛同が集まるのは単に概念が知られてないだけなんじゃないか?と思ったので書く
この冒頭20字足らずの時点で、合理的配慮を車椅子ユーザーに対するサービスだと思っていて、言い換えると障害者=受益者だと思ってるだろ。これは「障害」を障害者個人が持つマイナス特性だと捉える「個人モデル」というヤツで、20世紀に廃れた考え方なのよ
一方、日本を含む今の国際社会は障害を「社会モデル」で考えるのが常識なのね。一言でいうと、「社会が“五体満足で定型発達な健常者”向けにできてる」ために、それ以外の人が不利益を被ってる状態が「障害」の正体だ。例えば仮に、街に段差や隘路が全く無かったとしたら、車椅子ユーザーであることに何の障害も無いだろ
彼ら障害者が特別なサービスを受けて優遇されるわけじゃない。俺ら健常者が「既に特別なサービスを受けて優遇されてる」のよ。俺らが既に受けてるサービスから排除されてきた人らに対して、遅ればせながら可能な限り穴埋めしますよ、と。これが合理的配慮なわけ
そうは言っても現実に金も人も有限じゃないか? 社会の整備にコストが掛からんわけないだろ。少なくとも、「障害者に対して割くコスト」って考えを止めろ。それは「社会に対して割くコスト」であって、個人に関連づけて言うなら「健常者がこれまでに得た利益の還元」だ。自分の考えを変えるのにコストは掛からん。今すぐ変えろ
この増田だけじゃない。本件に関して「サービスを受けたら“ありがとう”を言うのが常識だろ」とか言ってる君ら全員これだぞ。彼らに「ありがとう」を言わせる前に、俺らが社会に対して「健常者を優遇してくれて“ありがとう”」と言わなきゃならんし、障害者に対して「健常者ばかり優遇されて“ごめんなさい”」と言わなきゃならん。「ありがとう」「ごめんなさい」はコミュニケーションの基本だとか言ってる君らは当然言うよな?
そりゃ理念は理念だよ。理想論的な部分もあるだろうさ。でも、現場ですぐに実現できないからといって考え方まで現状維持を是とするのは現実主義でも何でもない、単なる知的怠惰だろ?
何かまとまらないので、障害の「社会モデル」の考え方についての真面目な説明は首相官邸のページとか見て下さい
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/udsuisin/pdf/kyo02.pdf
具体的でわかりやすい例示はこのへんとか
内田樹が触れているように、日本は「立ち帰るべき初期設定」(注1)がない国である。立ち返るべき初期設定がないということは、現行のルールを自発的に、外部からのイベントなしに、変更しにくいということでもある。何かがおかしいと感じられていても「平穏」である限り、そのルールは維持される。仮にその「平穏」がル・グウィンの書いた「理想都市オメラス」のような平穏であってもだ。「立ち返るべき初期設定」がないから、そのルールの良しあしを判断できないのだ。官僚機構は、自らに課せられたルールを忠実に守る。それが官僚機構の役目だからだ。官僚機構に自発的な変革は期待できないし、期待してはいけない。期待するとすれば、政治家と国民の、そして、外部からのイベントになる。
さて、ルールの再考のきっかけとなる、外部からのイベントの一つが、「人の死」である。ブラック企業対策のきっかけになったのは、高橋まつりさんの死だったし、統一教会対策に動き出したのは安倍晋三元首相の死がきっかけだった。でも、この2つはもともと国民の側にある程度の不満が溜まっていたからこそ、一人の死でここまで動いた。では、もし、国民と政治の側が致命的な選択肢を選んでいるにもかかわらず、その致命さに気づいておらず、不満も持っていなかったら?
参考になるのは、前世紀において、日本はアジアに対して行った侵略戦争である。日中戦争開始当時、そのことを間違っていると考えた国民は少数派だった。みずからの選択肢が誤っていると判断して無条件降伏するまで、多くの人が亡くなった。特に、戦争末期になって戦没者の数は急激に増える。全戦没者のうち9割を占めると言われる。最終的に、東京大空襲、沖縄戦、ソ連の侵攻、原爆投下にいたる。死者は軍人・軍属、民間人合わせて240万人〜310万人とも言われる。当時の総人口を7500万人とすると、3.2〜4.1%にあたる。それだけの犠牲者が出た段階で、ようやく政府は終戦を決断した。
さて、今現在、日本は、戦時下にある。それはCOVID-19との戦争である。互いに殺し殺されるという関係では、戦争も公衆衛生もたいして変わりがない。違うのは、ウイルスには意志も戦争遂行の責任者もない点である。歴史は繰り返さないが韻を踏むという。すでにその兆候は見えている。
・責任者の不在
5類の意向により、政府は感染対策を民間に丸投げし、積極的な感染対策を取らなくなった。
一方、民間は民間で、上の指示がない限り積極的に感染防止対策を行わない。結果、誰が責任者かわからないまま、だらだらと戦争は続いている。
すくなくとも、戦争が始まってからの数年間の動きは素晴らしかった。しかし、それらは、現場や民間の努力によるものであり、長続きはしなかった。
中国や米国の実力を見誤ったように、コロナウイルスの実力を甘く見積もる。「ただの風邪」という言説はその最たるものである。しかし、実際にはコロナウイルスは想定よりも厄介なウイルスである。心臓疾患や認知障害をはじめとする様々な疾患を引き起こし、感染性も高く、免疫逃避性も高い。繰り返し感染するごとに、後遺症を発症する確率もあがってゆく。
脱マスク、診療報酬の削減、ワクチンの任意接種化で、全数把握の取り止め、無料検査事業の終了、患者の届け出の把握など、わざと自らのリソースを削減する。
これらの結果、戦争開始当初は、現場の奮闘と戦術でうまくいくが、戦略の無さとリソースの不足でやがて負ける。いくら、指揮命令系統を強化しても意味がない。負ける理由は戦略の不足であり、決断の不足であり、思想の欠如であり、「立ち帰るべき初期設定」の欠如だからだ。幸か不幸か、戦争相手はウイルスであり、どこかに大本営があるわけではない。現場で戦う個々人に対し、リソースを潤沢に供給し、支援し、戦い続けられば、少なくとも五分五分には持ち込めるだろう。マスクを着用させ、手洗いを励行させ、ワクチンを接種させ、その代金を支援し、発熱外来やコロナ病床を提供する医療機関を資金面で支援し、ワクチンを製造し、備蓄し、抗原検査キットを配布させれば戦い続けることはできるであろう。しかし、緊縮財政の名のもとにそのリソースを絞ってしまった。
おそらく、前戦争におけるミッドウェー海戦に相当するものは、コロナウイルス感染症の5類移行である。あれをきっかけに潮目が変わった。明らかに、社会はコロナウイルス感染症は警戒しなくて良いというメッセージと受け取った。テレビでは、「コロナ明け」という単語が飛び交い、マスクをつけなくなり、飲み会に繰り出し、満員電車は復活し、学校では積極的に脱マスクが推進されている。ウイルスは弱毒化どころか、ますますその凶悪な性質が明らかになっているというのに。
やがて、免疫が弱体化して感染症が蔓延し、または、再感染でロングCOVIDが蔓延し、人がバタバタ死に始め、国民がおかしいと気づくまでこの状況は変わらないであろう。どのくらいの人が死ぬだろうか。前大戦では総人口の3.2〜4.1%であったことを思い出してほしい。2024年現在の日本の人口を1億2000万人とすると、死者数は、384〜492万人に及ぶ。そこまでの死者を出して、ようやく国民と政府は、自らの選択肢が間違っていると気づくであろう。
20代から投資はほぼ最適解のNISAオルカン超長期投資出来て
体力あって結婚にとらわれなくて
まじで無敵じゃん?
落ちこぼれたやつを最低限のセーフティネットで救い上げる方式にしろよ
このままだと大多数のまともな人間は使いつぶされる。
なぜ障碍者どもに王侯貴族かのように振る舞うことを許してるのか
今のやつらは甘やかされ過ぎて勘違いしている
ADHDだのASDだの、一昔前は人間扱いされていた人間が、人間扱いされないようになって
ああ、俺は障碍者だから社会の歯車として生きていかなくていいのだ、という免罪符を与えられる
俺もADHDの診断を受けたものの、薬物は使わずにTool Assistedで何とか社会人として生きている
あのまま、医者の言われるがままに手帳を取っていたらと思うとぞっとする。
日本は何でもかんでも付加価値にならないところにお金と労力を掛けすぎだ。
そりゃいいところもあるよ。余裕があるから細かい部分にフォーカス出来て独自の文化が作られている側面もあるだろう
だが、それが行き過ぎて大多数の優秀な人間、善良な人間が割りを食うようになったらおしまいだよ
昨年、障がいを抱えながらも定年まで勤め上げた叔父が亡くなった。
晩年、彼はずっとこういい続けた
こういう事例を見掛けるたびにそれを思い出す。
今までそれから疎外されていながらも、存在を許されていたはずの彼らが
社会の在りようを自分中心に定義するようになってしまえば、大多数の人間が苦しむようになる
これでは誰も救われないじゃないか。
多様性の時代、存在を許すこと自体はいいし、出来る範囲でさらなる快適さを求めるのはいい
だが、それはあくまで存在だけであって、社会の有限の余剰リソースを使ってそれが許されているに過ぎない
少数民族が大多数のリソースを使いつぶす社会は絶対にうまくいかない
それはまるで、グリーンベレーが少数民族に国を支配させたような植民地支配の形だ。
我々は、お互いに謙虚でなければならない。
例えばハンセン氏病や数々の公害病、増田の言う「活動家」や一部の言う「マスゴミ」とやらが黙ってたらもっと早く、うまく解決できたなんて世界線
法律の制定が権利主張なしに良心に満ちた人々によって行われるとでも信じているのだろうか。大したお花畑。激しくない権利主張は現実として黙殺されるだけ。差別者が被差別者の大人しい主張に傾聴すると思うかい?
な?
典型的だろ?
過去の「人権がなかった」時代の過激な運動で「人権を認めさせた」事を以って
なんで同列に並べんの?
【今】殴ってる相手は、他人から人権奪ってせせら嗤ってるクズなのか?
それとも、リソースが足りなくてどうにもならない奴なのか?
もしかしたら、善意を搾取されてるのは叩いてる相手かも知れんぞ?
想像力がなさすぎるんだよ
正義に酔いすぎ
吐き気がするよ