はてなキーワード: ヒーローとは
村人が行動せざるをえない情報を意図的に改ざんして流したのは大きな罪でしょう
(罪の定義が村人が村人の行動に対しての裁量の範囲内だったとして)
むしろその少年が村人が行動する動作が見たいという欲求を満たすために不必要で実態のない情報を使って行動させ
その行動がコストに見合ったリスクとリターンを得るべくして構成されていたのに完全に虚実としてコストのみ消費させる
村に対し損害を成すことであるのにその支払いを求めなかった事は村人たちの善意でしょう
団地の非常ベルを鳴らすと非日常的な状態が展開するので楽しいから押すのは非常ボタンを設置している団地の責任ではないですよね
オオカミ少年の問題は事実の伴わない物語を口走るいわゆる「嘘」を発言することが楽しかったわけではなく
狼がこようがこまいが狼対策で行動をする村人たちの姿 そのコストを浪費する姿を見ることが楽しかったことが問題です
他の何かの行動で問題行動を回避し満足感を得るように行動を制限させるべきは親の仕事で彼の行動を制限したり教育してその警報部分を触らせないようにする必要があったのは監督者の責任ですが
監督者が愉快犯を教育していないことが悪いという言い方もおそらくできますが この物語で大切なのはこれを教訓として特定の読み手に特定の知見を得てもらうためです
それは無邪気に嘘をつくような若年者に おまえに罰がくだるぞという教育方法で自分のデメリットでしか物事の価値をはかれない相手に 嘘はよくないという事柄を伝えるためです
監督者の責任で嘘をつくことが 自分を育ててくれて保護してくれてる相手に損害を与え申し訳ない思いをし それは自分自身の損失よりさらに大きい反省をする感受性のある相手にならば監督者の責任を問う物語になっていたでしょう
あと余談ですが「嘘」というのが「ただの言葉の羅列でつかいどころによる何か」みたいな定義にされているでしょうか
現状まだ発生していないことに対するものすべてを嘘といえば嘘になるかと思いますが それは「予定」となにが違うのでしょうか 「約束」は嘘に「まだなっていない」だけで嘘と呼んではいけないのでしょうか
現実になる可能性の低い見込みのものを敢えて または情報を伝達された人がおおよそ予想するであろう事を反映しない結果に至ることをしっていて 情報を伝達することがおおよそ「嘘」の類でしょう
それならば手品も嘘になりますし ぜったい行くといっておいていけない可能性があるけどする約束は嘘になるでしょうか
結果当事者となる人が先に予定していたものと異なる結果になった時点のことを嘘といって その可能性を排除するために事前に失敗の予測を「嘘(の可能性)」として認識するのではないでしょうか
すると今日の夜「狼がきた」という嘘(狼が来るのは明日の夜)でその発生時点から行動して有効な対策が打ち終わる時点までにおいて狼が来なかったら「嘘」で行動を終了して撤退するはずです
しかし翌日狼が来たら「誤差1日で予言が的中した」と言えなくはないですが言う意味はありません むしろ対策行動にでるタイミングをずらしたというのはフェイントをかけた形になり意図的な侵害行為でしょう
少年が正常な精神状態でなかった場合狼がみえてしまっていた可能性があったとしてもその少年を「管理」や「治療」することがなかったことが村人の善意だったのかもしれませんし またその行動を制限しなかったことが「少年が行動したかったことの自由を制限した」ことでもないので良心ではあるでしょう
どう考えても少年の無知による楽しみとそれが楽しかったとしても支払うべきコストには見合わないことを知らなかったことが問題でしょう
無知は罪だったこと その無知による他者へ行動を要求する傲慢さは支払いをもとめられること この構造を理解してもらうために少年という悪が罰を受けるという説明的な物語になるのは合理的でしょう
少年はすこしも救われるべきではないし発言する前からそれが事実とはことなることを情報として発信することには大きく問題があることを知ってもらう必要はあります
少年が自分だけは助かるなどという選択肢はありません 一人で生きていけるなら少年は嘘をつく旅に出て一人で暮らしてもいいはずです 少年は村人をつかってあそびたい 村人の中に居て共に生きていくうえで問題行動をしたいという破壊的な問題要素そのもです
嘘をついても反省すれば許されるという許容が村といった自治を形成する組織で適用されるものか 村とはどんな組織か 教育とは何か を「嘘ついたら死ぬぞ」でしか知見を得られない知識レベルの人に教えることはできません
オオカミ少年は死んで当然でした
嘘が許される社会形成について教育について話を書くのであれば かなう可能性のない自己責任の約束を行いそれが守れなかったときに後悔と反省を踏まえ自己犠牲により対象となる包括組織に報いるべきでしょう
そんなのはジャンプのヒーロー漫画でしょっちょうやってるので、オオカミ少年を小難しい大人の話にぼかして問題である嘘(ついてる時点ですでに破綻しているので社会的に裁定が下される時点で罪で悪)をなにかしらいい話にフィーチャーする必要もないでしょう
シンプルに「嘘ついたら死ぬ」ストーリーの単純で明快な話を ごちゃごちゃと手を加えて意味の解らない話にするならもうむしろ狼少年以外でもなんでもいい話です
おそらく元増田が混ぜ込みたい「嘘とは範囲がひろくていいウソわるいウソ(罪とされるされないの差のあるものがある)」は、嘘という名前になっている時点で「嘘(害悪)」です。
根拠がない警報を鳴らし続けることが特訓になるとして、そのコストを無駄に支払わせる決議権がなんの同意もなしに唐突に少年などにふりそそぐものでしょうか 社会が崩壊してます
嘘は嘘です 失敗した予定は失敗した理由を挙げて次回に反省をして改善をしていくことで 嘘≠失敗 ではない履歴にのこせます
狼がきていないけれども 狼が来たぞと警報をだしてみた もしきてたらすごいことなので というのは 記録して反省してどうすべきか考えれば「狼がきていない時の状態でも緊急体制をとっておく」でしょうか
いつでも対応できることでしょうか そのコストを払えるだけの村の収益を大きくすることでしょうか そんなビジョンの話はまた別です この童話は「当事者は責任をとる」がそんな漢字を知らない子供にもわかるようにしたものです
それを言い伝えるほうの大人がいい年して情報の扱い方もわからず達成できなかった事象についてなんでも嘘といったり改善できる過去の失敗を嘘といったり語彙が足りないことには嘆かざるをえないでしょう
某人気スポーツ漫画の最終巻で、今まで出てきたキャラクター達の進路が描かれている。
過酷な練習や試合をくぐり抜けてきた彼ら、夢を追いかけて、己のやりたい事を追求して、スポーツに関係あるなしに自分の道を切り拓き、大人になってゆく。
… まったくもって漫画やキャラクターへの文句とかクレームとかではないのだが、これ自分が多感な時期だったらめっちゃ辛いなーと思った。
誰も高校卒業後、挫折したりドロップアウトしたりしてないんだもんね。
一部ヒーローはプロ選手に、は夢のある分かりやすい展開だけど、その他大勢は「ちゃんとやる事や夢のある普通の大人」ルートに。全員。何かしらやってる。「進路」がある。
そりゃこれから失敗して消えるかもしれないし、そもそも淘汰され落伍してった者は舞台に上がってないのかもだけど。(天才に振り落とされたキャラクターはちょっとだけ登場するけど)
努力や前進はもちろん推奨される素晴らしい行為だが、そうできないやれないやらない、ちょっと湿って陰った人間の人生も等しくあると知れた方が、その後は生きやすいかも。
そこにはテレビで見たことがある、かっこいいヘルメットが置いてあった。
私は思わず手にとって、そのキラキラした装飾の細部や目元を隠す黒いツヤツヤのゴーグルに見惚れた。
子供向けの、戦隊ヒーローなりきりヘルメット。今思い出してもなんの特撮ヒーローだったかはわからない。
それでも当時、遊びに行った名前も思い出せない男の子の家で見つけたそのヘルメットに、私は一目惚れしていた。
それを被ってみようとした時、冷水のような声をかけられた。
それから、二度と触らせてはもらえなかった。
当時テレビにかじりついて見ていたレッツアンドゴーというアニメに出てくるミニ四駆は、どれも魅力的でかっこよかったのだ。
頼み込んで買ってもらった一台のミニ四駆。
完成させて眺めているだけでは飽き足らず、私は母と買い物に行くたび、ミニ四駆の別売りパーツをせがんだ。
改造すればどんどん速くなる。アニメの作中で出てきたモーターは絶対に欲しがったし、コーナーを曲がるために必要なベアリングも買ってもらったし、ダウンフォースを発生させるためのパーツも揃えた。
私には年の離れた兄と姉がおり、末っ子として多分かなり甘やかされて育ってきた。
なにか欲しい物があれば、買い物に行くたび必ず一つは高価でなければ買ってもらえた。
他より少し高いウルトラダッシュモーターは特によく憶えている。手に入れた嬉しさでずっと手の中で眺め回していた。
他とは明らかに雰囲気の異なる、速さを強調するUltradashという金色の印字に心躍った。
そうやってコツコツ集めたパーツや工具はお菓子の空き箱に収まらなくて、これもアニメで見たようなミニ四駆用のかっこいいレーサーズボックスをねだって、買ってもらった。多分、クリスマスか誕生日のときだ。
ミニ四駆をパーツや工具とともに持ち運べるアイテムを手に入れてしまったのだ。
アニメでは少年たちがみずからチューンした自慢のミニ四駆を複雑かつ巨大なコースで走らせている。
アニメほどではないにしろ、現実でも地方大会や某テレビチャンピオンなんかで何レーンもある長いコースが用意され、それらで競い合うことができる。
大会では独特な格好をしたタミヤのお兄さんが実況でレースを盛り上げてくれる。
とても、かっこいい。
家で、レーサーズボックスを開けて、ミニ四駆のモーターを交換したり、専用の充電池を充電したり、ボディに穴を開けて軽量化に勤しんだりしていた。
ミニ四駆の大会で、紹介している映像や写真を見て、私は気づいた。女の子がいなかった。
でも、小規模な大会だとしても数十人は集まるあの場所で、女の子がミニ四駆を手にレースを楽しんでいる姿を、私は見つけられなかった。
いつだか、父が「女の子が(そんなもの振り回して)恥ずかしいでしょ」と刀のおもちゃで遊ぶ私に苦言を呈した。
今思えば、狭い家の中で棒状のものを振り回すな、危ないという意図で注意していたのだとわかる。
実際、家の中で暴れまわってガラスの戸棚を割ったりしたことがあった。私はそこそこ家庭内ゴリラだった。
周りは男の子しかいないのに、ミニ四駆を持って出かけていくのが。
なんで女の子がミニ四駆で遊んでるの?と言われるのが、想像するだけで実際にそう言われたわけでもないのに、怖かった。
それでもミニ四駆を走らせたい願望が高じて、ダンボール紙で部屋の中にミニ四駆のコースを手作りした。
複雑なものが作れないから、ただのO字コースなのに最初のカーブを曲がれる確率が四分の一くらいだった。
激しく宙を舞うミニ四駆。
私はアニメの必殺技と重ねて「マグナムトルネード!」と家の中で叫んだ。コースに復帰したことは一度もない。
母は男の子っぽいおもちゃを欲しがることに、特に反対しなかった。
いつも男の子っぽい趣味のものを売り場から持ってくる私に「これがいいの?」と不思議そうな様子で、それでも嫌な顔せず買ってくれた。
多分、年の離れた末っ子だからワガママもよく聞いてもらえたんだと思う。
年の離れた兄の部屋は私にとって魅力的なもので溢れていた。
少年漫画から青年向け漫画、パソコン、ゲーム機、かっこいいロボットのポスター。
私は嫌がられながらも入り浸ることが多く、自然と『男の子っぽい』ものに傾倒していたんだと思う。
兄の部屋にはメガドライブがあったから、私は今でもどちらかと言うとソニー派よりセガ派だ。
同じく年の離れた姉の趣味にはあまり興味がわかなかった。自分の中でワクワクする要素が薄かったのだ。
父はたまに冗談交じりで「まーた男の子みたいなおもちゃ買ってもらって」と言った。
現夫と付き合っていた頃に、彼の方が仮面ライダーにそこそこ詳しく、新しく始まるライダー見てみよっか、と軽いノリで一緒に観始めたのがきっかけだ。
逆に言えば、そのきっかけがなければずっと敬遠していたかもしれない。私の中で特撮モノはなんとなく遠ざける傾向にあった。
そして観始めた。
もう、ドはまり。
やっぱり変身して戦うヒーローはかっこいいな!!!という思いを強く、強くした。
大人の鑑賞にも耐えるビターな展開が多めだった仮面ライダーは自分の趣味とも合ったので、それからは毎年観られる限りは続けて視聴している。
放送当時はなかなか手に入らなかったメダルも一式揃って同時発売の専用ホルダーに大事にしまっている。
我が家にいる0歳児のイタズラする手の届かないところへ。
彼女がもう少し大きくなったら一緒に番組を観て、もし気に入ったのならベルトで一緒に遊ぼうと思っている。
プリキュアのほうが好きだと言うなら一緒に見るし、戦隊シリーズのほうが好みなら合体ロボット全部そろえて買ってくる。
どれにも興味がないならそれでもいい。
今思えば、あのヘルメットは男の子にとって大事なおもちゃだったんだろう。
自分の大事なものを勝手にいじくりまわされたら、それは怒る。私だって怒る。
当時の私はそんな配慮も知らない未就学児だった。それでも、その男の子の態度が今でも思い出せるくらい強烈な記憶として残った。
ヘルメットを取り上げられたことより、『男の子が遊ぶものだから触っちゃいけなかった』ということに大いなる衝撃を受けたのだ。
度々、周りの人から口にされた言葉を鵜呑みにしていた過去の自分。
当時の『男の子っぽい』ものが好きで手に入れられなかった子どもたちと比べれば、私は恵まれていたんだろう。
それでも『男の子っぽい』おもちゃで遊ぶのは家の中だけ。男の子たちが楽しそうに遊んでいる『男の子っぽい』遊びには参加しない。
逆の場合もしかりで、私は『女の子っぽい』遊びをする男の子をバカにして、囃し立てたことがある。
自分と同じように傷ついてきた子に対して、同じ言葉で傷つける。なんて不毛で、馬鹿げたことだったんだろうか。
恥ずかしい?
なんで、恥ずかしいの?
私たちは、恥ずかしいことをしているの?
そういう言い方じゃなかったことに、私は当時から続く男の子向け、女の子向けおもちゃの呪いのようなものを感じていた。
もしかしたら親から言い聞かせられていたのかもしれない。おもちゃ屋で当然のように分けられる○○向け、の雰囲気でそう感じたのかもしれない。空気感、暗黙の了解。普通は。だって。
そんな悪意のない制限を物心つく前から課している世の中が窮屈だなと思っていたところに、バンダイのクリスマスカタログについての記事を見た。
ライダー好きの女の子、プリキュア好きの男の子にも。2020バンダイクリスマスカタログが変わった件 - プリキュアの数字ブログ
2020年にして、ようやく、あのよくわからない呪いが解かれ始めている。
私は少し泣いてしまった。
体が資本の彼にとって、毎朝のボディケアは欠かすことのできない大切な日課だ。
熱いシャワーで目を覚まし、花王エッセンシャルワーカーで傷んだ髪の修復を。
潤いのある顔芸をキープするため、朝カゴパクも忘れない。
身支度を整えたら今度は朝食。
美容のために白米は食べないという彼の前に置かれたのは、茶碗にあつ森されたアマビエだ。
「ミネラルと食物繊維をしっかり摂ること。それが美容の秘訣です」
そう言って、美味しそうにアマビエを頬張る彼の笑顔は、実にZoom映えする魅力に溢れていた。
/////
それが彼の正体だ。
彼は今日、ここからデビュー30周年を記念した全国ツアー「GoToキャンペーン(後藤キャンペーン)」へと出立する。
「そんなに褒められるとテレワークっ!」
瞬間……!
フワちゃんの周囲は一変し、彼の体はどこまでも続く異空間へと転移していた。
「き、貴様は……ぼる塾!? ソーシャルディスタンスの手先か!」
「クケケケケッ。騙されたな、アーノルド=後藤=フワルツェネッガー。お前にはオレたちの活動資金を集めるための人質になってもらう!」
異世界より来訪したとされる彼らは世界征服を目論み、地球人の濃厚接触者を次々と「ぼる塾」に変えながら勢力を拡大している人類共通の敵である。
「ソーシャルディスタンスの力によって新しい生活様式を手にしたオレは、もはやタダの人間ではない。人の革新たるニューノーマルなのだ。PCR検査をすり抜けるなど造作もない!」
「くっ! まぁねぇ~ロンダリングだけに留まらず、営利誘拐にまで手を広げるとは……。許せん!」
「怒ったところで、ただの人間であるお前にはどうにもできまい。安心しろ。大人しくしていれば危害は加えん」
「……ふふふ。ただの人間、だと?」
「な、何がおかしい?」
「いいだろう。見せてやろう、わたしの秘めたるもうひとつの姿をなっ」
そう言い放った次の瞬間……!
ニジューッ!!!
「BlackLivesMatter――」
掛け声と共に、フワちゃんの体を構成する素粒子のBLM運動が光速をAI超えし、因果律を無視した三つの密を形成する。そして……。
「ま、まさかっ! お前は……!」
「……コロナの温度は100万ケルビン。マスクの値段は143円。ガーゼの力で悪事を防ぐ、正義のヒーロー《アベノマスク》! ここに参上!!!」
「アベノマスク……! アベノマスクの正体はフワちゃんだと!?」
「覚悟しろ、ぼる塾! わたしの3密を知った以上、もはや貴様を生かして帰すことはできん! ここで(自粛)んで貰う!」
「くっ、正義の味方のくせに、まるで悪党のようなことを! むざむざヤラれてたまるかっ。喰らえ、第4次韓流ブーム!!!!!!」
だが、絶体絶命のピンチに追い込まれたはずのアベノマスクは、なぜか微動だにすることなく、静かにただ眼前に迫る韓流ブームを見据えている。
「……明鏡香水」
そう呟いたアベノマスクは、いつの間にか手に握っていた鬼滅の刃を目の前にかざすと、その切っ先でブームを受け止め、そのままブームを刀身に纏わり付かせてしまった。
「オ、オレのブームを吸収した……だと?」
「明鏡香水。相手の力を我がモノとし、自らの力を倍加する。語学留学で日本にステイホームしているときに身につけた、ウーバーイーツの奥義だ!」
「わたしの力と貴様の力。NiziUの力をもってすれば、総合的、俯瞰的に考えてオレの勝ちだ、覚悟しろ!!!」
「ズ、ズルいぞ、アベノマスク!」
「アベノマスクは2枚入り。これがわたしの戦い方だ! 喰らえっ! 《太陽剣・オーロラプラズマ恩返し!!!》」
「ぺ、ぺ、ぺ、ぺこぱぁぁぁぁぁぁぁっ(総合的、俯瞰的に考えて、やられたぁぁぁっ)」
アベノマスクの他人の技名をカゴパクした必殺技は「ぼる塾」を消し去り、異空間を消し去り、そして飛行機の片翼をも消し去った。
「し、しまった。やりすぎた……」
愛の不時着が目前に迫る飛行機の中で、変身を解いたフワちゃんは反省していた。
だが、総合的、俯瞰的な観点からすれば、この程度の事態は大した問題ではない。
「時を戻そう」
再びBLM運動が光速をAI超えし、因果律を無視した三つの密を形成する。飛行機は時空をAI超えておうち時間へと到達する。
こうして、飛行機を無事に救ったフワちゃんは、改めて優雅な空の旅を堪能するのだった。
2019-2
https://anond.hatelabo.jp/20191108151727
2019-1
https://anond.hatelabo.jp/20191107002918
2018
https://anond.hatelabo.jp/20181109213637
2017
https://anond.hatelabo.jp/20171109235515
2016
https://anond.hatelabo.jp/20201103142227
これに便乗して、前々から不思議に思っていたことを書く。大元のアツギとは全く関係ないけど。
最近、百合漫画が面白いと思って読んでる。元々漫画はきららを少しだけ読む程度だったけど、
少し前のKindleセールでふと手にとった少女漫画テイストの百合漫画がとてもおもしろくてあっという間に全巻買って読んでしまった。
それからは、無料で読める範囲の百合漫画を探したり、いくつか買おうと思ってる作品もあるし、今期のアニメは異例で百合系作品が多く、
もっと色々見てみたいと思っていた自分にとってはまさしく渡りに船な状態だ。
ここで、タイトルを挙げて宣伝したいけど、万が一にもこれが炎上したら作者さんに迷惑がかかるので、あえて伏せとく。
それで、ある時、百合漫画の読者層には男性もいるが、女性もいると聞いた。
恋愛漫画では男性が主人公でヒロインが女性の場合は、メインの読者層は男性だろう。
逆に主人公が女性で相手(ここではヒロインの対象でヒーローになる?)が男性の漫画は、メインの読者層は女性になると思う。
それで、百合漫画では読者層には男性と女性がいるとのことだ。(どちらが主な読者層なのかは、わからないが…)
ならば、百合漫画のちょうど対極にあるであろうBL漫画の読者層も、百合漫画の話をそのまま当てはめると、男性と女性が居るのではないかと考えた。
しかし、自分の周りにはBL漫画の読者などいないし、(そもそもこういった漫画とかで話し合える相手があまり居ない)
自分にとっても、正直なところ、BL漫画はnot for meで、個人的な体感としてはBL漫画の読者には男性がそれなりに居ると思えない。
なので、百合漫画とBL漫画とでは、その読者層も対称になるのではないか頭では考えるのだが、
体感としては非対称な気がしてずっともやっている。
例を挙げると、今ヒロアカで凄い巨大な敵とヒーローが戦ってるんだけどさ、その時に町の住民はヤベーぞ死ぬぞーって逃げ惑ってんだよ。でもヒロアカって1話段階においては、巨大な敵とヒーローの戦いを娯楽として皆楽しんでたはずなんだよな。それがいつの間にかヴィランとの戦いは娯楽なんかじゃなくて災害という扱いに変化した。それはヒーローの象徴性が失われたからだって作中では表現されてるんだけど、そうは言ってもそういう世界観なら1話の怪獣プロレスでも事故った時に死なない程度には皆逃げてると思うんだよ。明らかにリアリティラインの線引きが変更されてる。ヒーローとヴィランの戦いでは特別な場合を除いてモブは怪我をしないっていうルールから、そういう戦いに巻き込まれたモブは最悪死ぬっていう世界観に世界のバージョンがアップデートされてるわけよ。
まあ、これを単にそれまでのヒーロープロレスは一時的にギャグ時空だったから……と言われればそうなのかも知れないんだが、そういったギャグ時空だから無敵ってのもどこまでありなのかと思ってしまう。
大雑把にキャラクターのダメージだけに絞って作品のリアリティラインを
レベル10 全てのダメージがリアルと同じ程度に発生。ギャグ時空は存在しない。もしくはギャグ時空で骨折しても骨折はリアル時空でも残り続ける。
レベル5 リアル時空のダメージもリアルより若干低め、肋骨がある程度折れてても戦える。ギャグ時空でのダメージは一瞬で治る。
レベル0 全てがギャグ時空。ボボボーボ・ボーボボみたいな状態。
って感じで段階分けするなら、ヒロアカ初期はレベル3ぐらいだったのが、今はレベル7ぐらいにまで時空のリアル度が高まってるわけだ。
俺はこういうのがちょっと苦手でな。
何故かって言うと、いくつもの作品を同時並行で読んでるとどの作品がどれぐらいのリアリティを想定してるのかについてちょこちょこ更新したくないんだよ。
せいぜい、リアル時空ではどの程度までダメージOKでギャグ時空の扱いはどうなのかを作品毎に一括で把握するぐらいにしたい。
初期であればノーダメだった攻撃が、後半からは致命傷になるみたいなことにされると、もう付いてけない訳。
この感覚わかる?
クリストファーノーランの「TENET」は考えれば考えるほどよくわからなくなってくる映画だ。
この映画では大きく分けて4つほど大きなイベントが発生しているが、どのイベントでも複数の人物が各々の思惑で動いているうえ、常識的にあり得ない時間の流れ方が一部に起こり、尚且つ一つのイベントがより大きなイベントの一部であったというような入れ子構造になっていたりもする。人類の命運をかけたヒーローとヒールの一騎打ちだとか、国家総力を手玉にとったクライムアクションとして扱うには話が複合的過ぎる。
それでもなんとかストーリーの流れは把握できてそれなりには楽しめた。生意気を言うと映画作品の出来としてはちょっと言いたいこともあるけど、好事家同士で談義したり一人で考察を広げたりしがいのある作品であることは確かだと思う。
先々週の日曜に初めて観たあと、気になった部分を確認するため先週末に再び映画館に行った。パンフレットはあいにく売り切れていたのでAmazonで注文することにした。
二回見てある程度自分の解釈が固まってきたので言葉にまとめようと思う。
劇中内でいくつか引っかかるシーンがあって、それが集中しているのが冒頭のウクライナ国立オペラコンサートホールでのテロ事件のシークエンスである。
1998年にロシアのミサイル基地から行方知れずとなってしまったプルトニウム241(以下241)という危険物質を、CIAスパイがウクライナ政府関係者に成りすまし入手した。
しかしその情報をリークしたロシア(ウクライナ?)政府がオペラコンサートの爆破テロに見せかけて強奪しようとする。
主人公たちのチームもCIAスパイで、ウクライナに潜入中の仲間の救出と241の保護のためテロの制圧しようとコンサートホールに乗り込む…
といったあらすじである。一見しただけはこれだけでも把握するのが難しく、詳細を解説したいのは山々なんだけど話が長くなるので割愛する。
まずこのシーンでの主人公周りの描写においてその後のシーンと辻褄が合わなかったり奇妙な部分がちらほらある。
主人公は持ち物置き場からウクライナ潜入者のバックパックを探し出し、中から241(観た人はわかるが実際は奇天烈な”アルゴリズム”)を運び出している。だが後々のシークエンスで再び241を見た際に「これはプルトニウムじゃない」とか「プルトニウムじゃないなら(敵に)渡してもいいんじゃないか?」と不可解な発言を行う。
また冒頭部分では度々「黄昏に生きる 宵に友なし」というホイットマンの詩の一節を合言葉として用いているが、その後セイターにそのフレーズを投げかけられた時は「それがどうした?」とばかりに呆けた反応を示していた。セイターは主人公がCIAか確かめるために組織で使われている合言葉でカマをかけたんだという解釈をしている人を見かけたが、プリヤが言うようにセイターは元から241を奪取した主人公を襲撃して横取りする手立てだったので、セイターが主人公の素性に拘る必要性はあまりない。それに外交員という見え見えな嘘で近づいて241のことをまくし立てる主人公を見て、テネット組織の存在を嗅ぎ取れないほどセイターは鈍感でもなければ情報を知らないわけでもないはず。
最後に、コンサートホールから逃げ込んできた主人公と同僚は逃走用のバンに乗り込むが、「違う男だ」という支離滅裂な言葉を浴びせられた後に殴り倒され人気のない列車の車庫基地で拷問を受けることになる。主人公を拉致したこの一味は何者なのか、「違う」ということはどんな男が乗り込んでくることを想定していたのか、様々な点で確信できる情報がなくこのシーンは謎に満ちていて解釈が難しい。
ここで僕がたてた仮設というのは、あのコンサートホールに主人公は二人いたのではないか?というものだ。
ご存じの通りスタルスク作戦でテネットがアルゴリズムを手に入れた後、全てを知った主人公は世界の均衡を守るために過去に戻りテネットを創設することを示唆して物語は終わる。
(ニールが未来の主人公の指令で派遣されてきた未来人で彼がテネットを組織したという説が根強いけど自分はそうではないと思う。長期の逆行自体が危険でリスクの高い行為であり、かつそれだけの逆行を経てもあの若さであるということは幼く経験が乏しいころに指令を受けたことになる。それよりも主人公自身が逆行を重ねて各時代ごとに指示出せば、もし主人公の身に何かあっても誰かが跡を継げるのでよほど現実的ではないか。ニールが「君は物語の中間地点にいる」「僕は過去に君に会って、君は未来に僕に会うんだ」といった感じの台詞(うろ覚えすまん)もそう考えるほうがしっくりくる気がする。重要事件であるフリーポートの件で、回転扉から出てきたマスク男の正体に最初は気がついてなかったりと、事の顛末を知っている未来人とするにはニールは無知すぎる気もするし。)
コンサートホールには何も知らずにただ爆破テロの被害を最小限にすることに勤しみ、謎の男が逆行弾を放つのを目撃してから拷問を受ける主人公Aと、実はテネットメンバーであるウクライナ潜入者とアルゴリズムをコンサートホールから救出するために未来からやってきて奔走する主人公Bがいたのではないだろうか。
このシークエンス中ずっと主人公の傍らにいるジョセフゴードンレヴィット似のCIA工作員(以下ジョセ)がいるが、彼もテネットのメンバーでありアルゴリズム保護作戦の補助と主人公Aの警護が彼の役割だったとする。ジョセは皆で物置に入って防護服から着替えていくところまでは主人公Bの傍らにおり、その後主人公Aがホールから出るのを待ってAと共に車に乗り込んだと考える。「黄昏~」の合言葉はテネット内で使われる言葉でありウクライナ潜入者、主人公B、ジョセ、ニールの間では通じるが、主人公Aは当然そんなもの知らない。
そう考えれば合言葉を使いこなしアルゴリズムをバックパックから取り去った主人公Bの活躍は、主人公視点に立てば物語の一番最後となるためそのあとのシーンの主人公が諸々知らないことにも納得がいく。劇中における物語の始点は主人公Aが逆行弾を目撃するシーンからというわけだ。
そう考えると例の拷問シーンや、カモフラージュのために組織のメンバーは皆服装を変えているのに主人公だけはずっと防護服を着ていることも説明がつく。
「違う男だ」という台詞は主人公Bを捕まえるつもりがAの方を捕まえてしまったということだ。ぱっと見ではジョセがウクライナ潜入者の影武者になったということのようにも見えるが、リスクヘッジとしてあまりいい考えとは言えないし、ジョセが一番最後にホールから出てきてはその意味がないので妥当な解釈ではないはず。あの一味はアルゴリズム強奪という目的以外にテネットに関する情報を掴みたかったのではないだろうか。
(主人公が飲んだ偽装自殺ピルも実は製造にテネットが関わっているのかもしれないと思ったけどどうだろう?普通の毒薬を回転扉を介することであのピルができたりしないだろうか?エントロピーの減少とかよくわかんね)
この説明を聞いて「結局アルゴリズム取られてもう一回タリンで奪取しに行ってんじゃん。逆行してきたんならなんでキエフの作戦失敗するんだよ」とつっこみが入りそうだ。この点は逆行経験者は常人とやや異なる思考をするためなんだと思う。「空ってわかってんだからわざわざ車越しにケース受け渡しするの無駄じゃね?」と一瞬感じてしまったりするセイターが仕掛けた挟撃作戦のまどっろこしさや、ニールの「起こったことは変えられない」という言動からわかるとおり、未来を知っていてその行為が自分にとって不利益になるとわかっていても、最終的な結果に至るプロセスに絡んでくるなら避けようがないし、パラドックスを起こしかねないので避けようとするべきではないと逆行経験者は考える。キエフとタリンの失敗があったからこそスタルスクの戦いが成功したんだと認識しているはずなのだ。
主人公は覚醒後に君はテスト合格者だと告げられるが、安全のために未来から来た主人公はテネットメンバーにも素性を明かしてない
このオペラコンサートのテロ事件はロシア政府とCIAが241をめぐって攻防を繰り広げるという風に説明したが、描写される情報が少ないために鑑賞しただけでは如何様にも解釈ができる。
第一に1998年にロシアから241がなくなった事件の際実際何があったのかはよくわからないし、その後の20年近く241がどんな環境に置かれていたのか、なぜ今はウクライナにあるのかも把握しようがない。CIAが戦っている相手はウクライナの特殊部隊に変装したロシア人なのか?それともロシアに脅しをかけるため241を利用しようとしたウクライナ政府が、ウクライナの部隊を借り出して工作しようとしているのかもどちらか断言はできない。CIA及びテネットも事前にいくつかワッペンを用意していた辺り当人たちもそこらへんはっきりわかってないようだ。
ここからは僕の想像でしかないが、実はこのテロ事件はセイターが裏で仕組んでいたことではないだろうか。
つまりスタルスクの企みから少しでも目を逸らすため、またタリンでの241強奪に繋がる道筋を作るために、コンサートでのテロが引き起こされるよう各要人をセイターが誘導していたのではなかろうか。
アルゴリズムを集めることをライフワークとしていたセイターは241の行方についても常に関心を払っていた。それは主人公よりも先にタリンで241の受け渡しがあることを知っていた部分で顕著に現れている。(セイターのアジトがタリンにあることから、セイター自身がタリンまで241を運ばせた可能性もある)セイターはウクライナで起こった事件の詳細を把握していたはずであり、把握するために自分や部下を現場に派遣していたと考えるのが自然だろう。
アルゴリズムを起動しようとしていた時にセイターはハノイ沖のクルーザーに居たが、このセイターは未来から逆行しやってきた個体である。では順行時間軸上のセイターはどこにいたのか?というと劇中明示されていないのではっきりとはわからない。セイターもキエフにいた可能性は大いにある。
スタルスクに側近ボルコフがいるため、キエフでのテロに一枚噛もうとしていた場合セイター本人が赴いて事態を確認するのは道理にあっている。また物語上の動機付けとしても妥当であるように思える。
僕が思うにセイターはこのテロに、未来から来た主人公を拉致し拷問にかけるという裏の目的を忍ばせていたのではないだろうか。そう考えれば、主人公Bが車に乗り込んだ後の「違う男だ」という台詞とも符号する。主人公Aを捕まえる魂胆だったセイターの手先が、間違えてBを車に招き入れてしまったためにあのようなリアクションになったのではないか。
セイターが終盤しげしげと眺めていたあの銀色のカプセル。あれはタイトルロールで主人公が飲み込むのに失敗したあのカプセルではないだろうか。
主人公に帯同したジョセも主人公Aを逃すためにBを囮にし、かつ主人公Bがテネットに保護されるまで時間を稼ぎ守るという使命を負っていたのではないだろうか。ジョセは主人公に飲ませるための特別なカプセルを携帯しておりそれを飲ませたのだ。
テネットという映画の全編はスタルスク挟撃作戦を内包した壮大な挟撃の戦いとも言えるわけだが、話は劇中を飛び越えて、さらに未来から逆行しながらテネットを指揮していく主人公と、何十年も前から順行時間上でアルゴリズムを集め世界を攻撃し続けるセイターの幾度にも渡る戦いがあるような気がしてならない。テネットのストーリーもまた長年の戦いの一部というわけだ。さらにいえばセイターを操る上位存在である未来人とそれに拮抗する現代人の戦いでもある。
こうして映画という枠を超えた途方もない入れ子構造を想像したとき僕はロマンを感じたし、ストーリーの背景にある物語を観客に思惑させられるノーランの作家性にただただ舌を巻くばかりである。
ブログ用として1か月半前に8割がた書いたものの、そのまま放置してしまった文章をまとめました。気がついたら11月になり世間は鬼滅の刃ブームの真っ只中。完全に時季外れとなってしまいましたがせっかく書いたのでここに流します。
これを書いたあともう一回観に行きました。Blu-rayも特典目当てで買うと思います。
現代の各地に存在する回転扉についての解説や、タリンでクラッシュしたセダンが風力発電所からテネットの研究所へ移動する際に使われていたものと同型ではないか?という考察など、他にも気になる点があるので機会があればどこかに書いておきたいです。
「退職届」
ってタイトルのメールを上司や総務、会社のアドレスなど複数を宛先にして送るんだ。
退職願い、だと向こうにゴネる余地があり、アドレスがひとつだと握りつぶされる恐れがある。
本当は電子証明書付きのメールがよいのだが、たぶんお持ちでないでしょう。
メールではなく内容証明郵便を使うと手間はかかるがより確実だ。
有休の残量を調べて、たとえば二週間だったら「二週間後のこの日に辞めます。それまで有給休暇を取ります」って書いとくと、有休を消化できるからオススメ。この方法を使えば、会社は増田がやられていた「時季変更権」を使って休む日をズラす事ができなくなる。会社に退職を拒否する権利がなく、ズラす先の日にちが無いから。
Twitterで政治とか性別とか転売とか金銭とか炎上とかマナーとかそういった話題に言及するのをやめろ。
みんながインターネットで争っているので俺が不快になりました。あーあ。
俺は炎上ツイやそれに対する言及をみるとこういう感情を抱くしTwitterに同じような感情を抱く人間は多分一定数いる。
トレンドに出てきていつも炎上ツイをRTしているフォロワーがここぞとタイムラインに流してくる。
炎上ツイに言及して称賛を得るのも批判を受けるのも全員争っている人間で、
あれやこれや物申すマン達がトレンド上で議論を交わして、それが嫌いな人間達が静かに「インターネットやめろ」とつぶやいている。
炎上ツイをRTする人間も、それが嫌いな人間も、みんな話題に言及した人間しか見ていない。
俺たちは話題に言及した人間ばかりに注目していて、沈黙している人間に気づいていないんじゃないか。
炎上ツイに対する称賛も批判も、更にそれに対する批判もすぐに湧いて出てくるが、沈黙している人間に対する称賛はない。
沈黙することでみんなのタイムラインを清潔に保っている人間こそが炎上している話題の中での唯一のヒーローじゃないのか。