はてなキーワード: ヒーローとは
まだ、例がそこまで集まっていないが、二つ手に入れたので記入
ゲームブックは昔隆盛したが衰退している。
オープンワールドは現在盛り上がっているが、将来下火になるだろうという自分の予測。
・オープンワールド(https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89)
いわゆるステージ制のような一方通行あるいは限定的な経路や、ゲームプレイが中断されるロード画面を繰り返し挟んだ構成などから成るのではなく、シームレスで自由な移動や行動が可能な単一の広い空間が中心のレベルデザインや、それを採用しているゲームのことをオープンワールドと呼ぶ。有名な例を挙げると、GTAシリーズやTESシリーズなどをイメージすると分かりやすいだろう。
つまるところ、オープンワールドという概念と呼び方はGTA3以降に定着したもの(先のシェンムーは「FREE」というジャンルを称していた)ではあるが、それと同様のレベルデザインは古くから様々なゲームタイトルで用いられており、概念が定着した現在では過去のゲーム作品のレベルデザインを指して呼ぶことも一般的である。ただし、過去のゲーム作品は当時オープンワールドと名乗っていた(意識して製作された)わけではなく、あくまでプレイヤー側の解釈なので若干曖昧な部分も含まれている。
こうした理由からオープンワールドという概念は厳密には2D/3Dを問わないものであり、3Dで構築されたワールドに限定されているわけではないが、3Dのオープンワールドの普及とともに広まった概念であり、その定義において3Dに限定して考える者も少なからずおり、2Dも含める者との間で解釈に違いが生じていることもある。(後述)
・ゲームブック(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF)
本文は数十から数百個のパラグラフ(段落)に分けられており、各パラグラフには順に番号が付いている。読者はそれらのパラグラフを頭から順番に読むのではなく、パラグラフの末尾で指定された番号のパラグラフを次に読む。パラグラフ番号の代わりにページ数をそのまま利用し、1ページを1パラグラフとして扱うゲームブックもある。いずれも次に読むべきパラグラフは1つに限らず、多くは複数の行き先が存在する。それらはプレイヤーによる任意選択ができたり、後述するランダム要素によって決められたり、以前に行った選択や判定の結果が影響して決まる。このような方法によって、多様に変化するストーリーを実現している。
と、あるが
一方、当時の日本は任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)をはじめとする家庭用ゲーム機が爆発的に普及していった時期であり、そのため日本ではコンピューターゲームをベースとしたゲームブックが多数発行された。特に双葉社の「ファミコン冒険ゲームブック」はコンピューターゲームを主体とした低年齢向けのゲームブックを多数だしており、最終的に130以上のタイトルが刊行された[1]。他にはケイブンシャから「アドベンチャーヒーローブックス」シリーズが刊行されるなど、数多くのゲームブックが発売されている。中には全て漫画で描かれた作品も存在した。ゲームメーカー自らが制作する例もありコナミからは双葉社を意識した装丁で、自社ブランドの『コナミワイワイワールド』、『メタルギア』や『魂斗羅』、『ドラゴンスクロール』などが発売されている。エニックス(現スクウェア・エニックス)からも「エニックスオリジナルゲームブック」として、同社が発売したコンピュータRPGの人気作ドラゴンクエストシリーズ(ゲームブックドラゴンクエストの項参照)などのゲームブック化作品が発行されている。 「所さんのまもるもせめるも」は所ジョージ自身が書いた。
さらに
本の形式ではないためゲームブックとは異なるが電話を使用したテレホンアドベンチャーと呼ばれる作品も存在する。これは決められた電話番号にかけると音声ドラマが流れ、選択肢番号の代わりに電話番号が示される形式であった。正しい選択肢を選ぶと少ない電話代で最後にまで辿り着くことができ、そこでのメッセージを送ると抽籤で賞品が当たるようになっていた。『地層階級王国』や『次元からくり漂流記』『魔界横断ドラゴンラリー』など双葉社の作品があった。
後にCDが普及すると各トラックが選択肢番号になっている作品も存在する。選択肢の代わりに指示されたトラックを選択すると音声ドラマが流れるという形式である。ゲームブック原作からは『地層階級王国』と『次元からくり漂流記』の二作品がCDゲーム化されている。
コンピュータゲームの一ジャンルであるサウンドノベル(またはビジュアルノベル)は、ゲームブックの影響を受けたものであり、画像や音楽による演出やゲームブックでは難しいマルチストーリーやエンディングを盛り込んだものとなっている。[2]
ここで、私がよいと思う定義の発展性をみよう
・ローグライト(新しい方)
・ローグライク(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0)
「International Roguelike Development Conference 2008」において議論された、ローグライクの持つ要素[2]。 厳密な定義ではなく、いくつかの要素を無視しても構わない。
ランダムな環境生成 ― マップ構造やアイテム配置がランダムで、リプレイ性が高い。
恒久的な死 ― 一度死んでしまえば最初からやり直しになる。ランダムな環境生成と合わさることでゲームが面白くなる。
ターン制 ― 一つのコマンドが一つの動作に対応する。じっくりと考えながらプレイできる。
グリッドベース ― ゲーム世界がタイル(マス目)で構成されている。
ノンモーダル ― 移動も戦闘も一つの画面で完結しており、画面変遷を伴わない。AngbandやCrawlの「店」等、しばしば無視される。
複雑さ ― 豊富なアイテムやモンスターが用意されており、ゲームの解法が一つではない
リソース管理 ― 限られたリソース(食料やポーション)を管理し、その用途を考える。
ハックアンドスラッシュ ― 多くのモンスターを次々に倒していく。
探索と発見 ― マップを慎重に調査し、未知のアイテムの使用法を発見する。
1人のプレイヤーキャラクター ― プレイヤーは1人のキャラクターのみを操作し、そのキャラクターの死をもってゲームオーバーとなる。
プレイヤーに似たモンスター ― プレイヤーとモンスターに同じルールを適用する。モンスターもアイテムや装備を持ち、魔法を使う。
戦術的な挑戦 ― ゲームの難易度が高く、何度もプレイすることで戦術を学び、プレイヤー自身が成長していく。
数値 ― ヒットポイント等の数値が明示されている。
・ローグライト(https://minorgame.syowp.com/archives/roguelike-roguelite.html)
有名なSFゲーム『FTL: Faster Than Light』。ランダム生成された星系マップを進んでいき、そのさきざきでランダムイベントが起こります。
つまり厳密にはローグライクではないけど、「死んだら終わり」「ランダムマップ」という『ローグ』の要素があるものです。
ゲーム評論家のTotalBiscuit(John Peter Bain)氏は、それらを「ローグライト(Rogue-lite)」という概念で位置付けました。
普通に生活しててミソジニー的なことを堂々と言う人なんていないのよ
でもネットには大体いつもわだかまってて
しかも今回の学者じゃないけど女に粘着して見せると仲間に喜んでもらえてヒーロー扱いされるから
女は普通にネットしてるだけでもたまに害虫みたいにミソジニー男に遭遇して嫌な思いをさせられる
石をめくると虫がむちゃくちゃたくさんいて蠢いているのにとてもよく似た感覚を抱いた
石の下にはこんなに悪意と頑迷と嘲笑とべったりした連帯感の煮凝りみたいなのがうぞうぞいたんだなー
そしてここから時々這い出てきては地上の人間に付きまとってたんだなー
みたいな
湿った虫の住みかがきっちり日光消毒されることを願うわ
虫そっくり
元増田です。
色々な反応をいただいたので、いくつかお返事しようと思います。
>動物飼ったことが無い人は良く勘違いしてるけど犬でも馬でもやりたくないことを本気でやらせる事は出来ないんだよ。
>動物のお医者さんの犬ぞり回を読むと良いよ。楽しいかというより「俺はやるぜ」という本気なんだよ
興味深いと思いました。
僕は生涯通して犬猫、小動物(ハムスター、モルモット)と暮らして、馬術部で馬と接してきて、人生を通して関わってきた動物は比較的多い方だと思っています。
その上で、持論を書いてみます。
そして、たしかにあの話においては、本人たちの意思で走っているように描写されています。
まあ漫画なので、現実と同一視できるかはわかりませんが、実際に犬ぞりの映像を見たときも、犬は割と楽しそうに走っているように見えました。
ただ、2つの論を同一視する前に、犬と馬の本能の違いについて話させてください。
犬は集団で狩りをする肉食動物です。犬ぞりは、確かに犬の体に本来かからない負荷はかかるものの、
犬からしたら、「群れの犬たち(※この中には、飼い主も含むのかもしれません)」と、「目的の場所/餌まで行く」という点においては、一貫性があり、ストレスない行動に見えます。
ここで馬がどうかを考えると、馬は本来は、とても、のんびりした草食動物です。
基本的には、野生で馬が、馬同士と競走することは、ありません。危険がなければ、ずっと草を食ってのんびりしてる子達です。
馬が走るのは、危機感知した時。つまり、命が危険だ!やべえ!と察知して、「逃げなきゃ死ぬ!」というところまで追い詰められたときです。
レースや本番になると目つきが変わる馬は僕も見たことがありますが、気合が入っているというより、どちらかというと非常に気が立っているなあ、と感じました。
度重なる出走で、「ここに入れられると、めちゃくちゃアドレナリンが出る」という風に、体が覚えたのかもしれません。
これは僕個人の感じ方なので、再三言っている通り、馬がどう感じているかなんて、もちろんわかりません。
(周囲は「やる気十分だね」なんて言っていましたが、普段はすごくおとなしいのに、少し近づいただけで蹴られそうになりました)
「みんなが望まないレースをさせられていると断定するのは馬をバカにしているんじゃないか」、というのは、必要な考え方だとは思います。
僕も、僕の意見への反論として、常に忘れないようにしていきたいです。
ただ、裏を返せば「みんなが望んでレースをしている」と断定するのもまた愚だとおわかりいただけたと思います。
それをコンテンツ化して、美談にするというのが、危険な行いに見える、というのが、元投稿で言いたかったことなんです。
———————————
>じゃあ食肉はどうなんだよ。オメーはヴィーガンなのか?(意訳)
まず、僕はヴィーガンではないです。食肉について、確かに思うところはありますが、それは主旨がずれるので今回は割愛。
元投稿で僕がいいたかったことは、消費されてる対象が、人間の勝手なストーリー付与によってコンテンツ化されてるの怖くね?という話です。
コンテストで一位をとるために、ウシ娘が嬉々として日々体型管理するストーリーとかだったら、同じように苦言を呈したと思いますよ。
書いてて思いましたが、これ本質的にはエロ漫画と近い議論かもしれないですね。
まあ、普通の女性はこんなふうに考えんやろwが常識の前提にあるのと、受け手がフィルタリングされてること、人間は自分の意思を発信できる分、エロ漫画のほうが正直よっぽどマシですが。
(繰り返しますが、ウマ娘によって、実情を加味せず、馬たちは全員「自分から走りたい/一位を取りたいと思っている」という常識を植え付けられているのが、僕の最も問題視してるポイントです)
>人間の女キャラがスカートめくられて「いやーん」っていってほほそめてるのが「本当にイヤ」なのかもしれないという認識があって然るべき
そういうことです。
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ただ、元増田での論点は一貫して、「競馬を本人たちの意思の結実/美談として切り売りする手法」のウマ娘について、のつもりでした。
競馬業界に問題があることは否めないです。ただ、境遇を今すぐに変えるのが難しいことも分かってます。僕にそんなお金も力もないです。あればなんとかしたいですが。
だから、せめて、彼らの意思っていうサンクチュアリには踏み込むなよ!って怒りが湧いてきたのかもしれません。
―――――――――――
>増田の想定する「芸能人」にアイドルが含まれてるかどうかはわからんが、アイドルも一般的には「大人に利用されてる資本主義の象徴」
>「ファンが一方的に消費している」「本人の意思は尊重されていない」というようなことを言われる。確かにそのような面はあるし、
>特に女性アイドルは過度な期待を背負って潰れていく子も多い(男性アイドルには詳しくないが、ジャニーズ外では男の子もそうなのかな)
増田の想定する芸能人にはアイドルは含めてますが、一応アイドルは人間で、一応本人の意思を口にできるので、ある程度自分で望んでやってることなんじゃないかなと思います。
増田の親戚に、ほど…ほどに売れてるアイドル声優の子がいるんですが、その子も水着撮影とかはお金のためって割り切ってるみたいですね。親は嫌がってましたが…。
ただまあ、男性芸能人と比べたら顔と若さを偏重して重視される商売なんで、その子含め、無価値感みたいのは募るみたいです。
若くなくなったら/顔が老けたら死ぬしかない、人間としての自分を愛されてるわけじゃなくて、顔と体を切り売りされてる、みたいな。まあそれ含めて本人の選択といえばそれまでなんですが…。
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>まずウマ娘の技術で最新なモノは別にない、丁寧に高クオリティに創られてるだけ
>システムはもうさんざん言われてたようにパワプロのパクリ ~
>枕で大した調べも想像もしてない隙があると読む気もしないよね
パワプロを触ったことがなく、軽率な発言だったと思います。ごめんなさい。
ウマ娘というアプリゲームそのものと、開発に対しては敬意を表しています、というスタンスを伝えたかったんです。
ゲームシステムや面白さの是非は、今回言いたかったことの主題からは外れてしまうので。
ただ、良い勉強になりました。ありがとうございます。
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>なんか「かわいそうな境遇の〇〇がいる」っていう可能性がインプットされると
>その思考回路のせいで、自己実現の方法としてAV女優やレースクイーンをやってる人を全否定し
本人がそれを自己表現の一環としているなら、何を商売にしていても、そこに貴賤はないと思います。
馬が走るのを楽しんでいる「こともある」かもしれません。
楽しんでいる可能性は否定できませんが、同時にレースに出る馬は「みんな1位を取りたがっている!」というのは、あまりにも急いた結論だと思いますし、そういうものとしてキャラクターを刷り込んでくるコンテンツにタチの悪さを感じているんです。
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>競馬の残酷さはそこじゃねぇだろ、そこが問題なら動物番組・ペット動画に発狂してないとおかしい。
嫌いなものの話をしても仕方ないですが、僕はペット動画・動物番組も基本的に苦手です。なので、一貫性はあると思います。
動物投稿の中には、「動物との生活を大事にしている」というよりも、「動物を飼っている人物」になりたい、という作為が見え透いているものがたくさんあるからです。
例えば、ハムスターが後ろに転がる動画の投稿。ハムスターは驚くと後方に飛び退りますが、面白がって何度も繰り返し驚かす動画を見た時、頭を疑いました。
普通に動物にとってストレスですし、それ以前に「かわいい動画撮った私」が大事なんだろうなと思います。そういうのは嫌いです。
僕もかつてペットを色々飼っていた身なので、過去の己に対する怒りもあるんだと思います。
今はペット産業そのものに対して思うところが大きいですし、本当に自由で幸せな環境を与えてあげられないなら、命を束縛することはもうやめようと思っています。
動物は大好きですけどね。
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>お前も勝手に馬に「かわいそうな」物語を見出しているのでは?
そう見えたなら、僕の書き方が稚拙だったんだと思います。僕は馬の物語を、無理に悲劇にして、憐憫に浸らないようにも心がけてます。馬の気持ちや、脚の痛みは、僕にはわからないから。
ただ、ウマ娘の描き方は、競走馬に対する感情を「なーんだ!この子達だって、望んで走ってたんだ!よかった、もっと応援しちゃお!」
に上書きさせようとしてくるので。そこが一番問題に感じてるポイントですかね。
―――――――――――
「用途」のために、人間が「造った」無機物なので、全く違う議論だと思います。少なくとも僕は。
まあ乗組員さんや、史実で亡くなった方たちのことを考えればセンシティブな側面も大きいですし、難しいですね。
僕のアンテナが届かなかっただけかもしれません。
―――――――――――
>関係ないけど、せめてレース頑張ったおうまさんはちゃんと一生面倒みたげてほしいな。行方不明になっちゃう子多いんだよね。
本当にそう思います。
今回の意味のねえ投稿に唯一帰結があるとしたら、これかもしれません。
走ってるときヒーロー扱いしたなら、最後まで面倒見てやってほしいです。
馬さんは超絶維持費かかる動物ですが、まあウマ娘に触れた人口の目がそっちにも向くようになった分、多少は状況改善するかもしれないですね。
そう祈っておきましょう。
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たくさんの人に読んでいただいてありがたかったです。
出版社勤務の増田です。編集者ではなくPC周り担当だが、部署が狭いので話は筒抜け。
以前、とある若手編集が新人の持ち込み原稿を編集長に見せながら
「主人公がしっかりもので純粋タイプの長男キャラ? 流行らないよぉ~」
「主役ならアクが強いヤツじゃなくちゃ。ワイルドにタバコ吸って、敵を倒すためなら味方も騙すようなタイプ」
などと言って高笑いした。
その持ち込み漫画は載らなかったが、昼休みにちらっと見せてもらったら滅茶苦茶面白かった。
いっぽう、編集長の肝入りで連載が始まった悪役ヒーロー漫画は7回で打ち切りになった。
若手編集は文芸の部署に異動願いを出し、漫画部門を去った。「マンガが好きだけど、編集長と方針が合わない」とこぼしていた。
先見の明があったんだろうな。新しい部署でも上手くやってくれ。
でも他のジャンプキャラに「アイツって凄いのか?」って思われながら敵を圧倒していくジャンプのキャラクターとか見たいよな。ラッキーマンとか今はもうラッキーさとかがフィーチャーされすぎてるけど。
ワンダビジョンが考察の楽しいびっくり箱だった分、こう、ちゃんとMCUしてる。
言われるまでわかってなかったけど、アイアンマンいないしキャップいないし、ブラックパンサーは物理的にいない、ソーはリーダーではないし、スパイディは大好きだが、リーダー株じゃないよね…。
アントマン社長も引っ張ってく感じではないし…じゃあ魔法使いの方はちょっとアメリカのリーダーではないもんね。
アメコミの方は読んでないから、新しいヒーローが!!!みたいな予測はさっぱりできない。
フェーズ4に移る際に新しいリーダーは実はなくて、ぐちゃぐちゃなアベンジャーズが始まる「多様性」みたいな振りじゃなかろうな…
先週末にエヴァ観てきて、
基本新劇世代でアニメと旧劇は一回サラッと観た、漫画は途中までの人間の解釈なので浅すぎんだよ!という話だったらごめん。
※すみません素で名前間違えました…ありがとうございます、直しました。深夜テンションはよくない。
いやもう14年も経ってシンジのこと好きじゃなくなってるのもケンスケが大切な人になってるのは全然めちゃ理解できる 普通 けど
そもそも村でのアスカの様子(村人との交流がないどころか、人の来訪の気配に対して拳銃構えなきゃいけないレベルの精神状態)から言って、
まともな(健康な)精神状態の28歳になれてる訳じゃないじゃないですか。
エヴァの呪縛に縛られてる時点でそれはもうどうしようもないというか。それはいくらケンスケが優しくしてくれようが愛してくれようが認めてくれようがどうにもならない。
そしてその自分じゃどうにもならない呪いに対する感情を多分その気持ちを唯一出してもいいかなレベルの人は、同じパイロットのマリの前でだけだったのではないかと。(マリとアスカに百合みを感じたのはそういうことだったんだと思う)
ケンスケとの関係もやるこたやっててもやってなくてもいいんですけど、多分アスカの心情的には結局まどマギのさやかちゃんみたいなものでしょ?
いくら自分がケンスケを大切に思っても、アスカには委員長のようにケンスケとの間に子供もできないし一緒に歳を重ねることもできない、結局エヴァの呪いに縛られてそこからはどう足掻いても救われないしまさかこの呪いから解放される訳がないと思ってる(そりゃ14年も経てばな)。だから最後の闘いの前にシンジにあんなこと言っちゃう…。
(余談だけどさやかちゃんの「人間ではなくなってしまった自分は恭介と結ばれることができないと思い詰める」(wikiより)の心情が全然理解できてなかったんだけど、今回のアスカのお陰でちょっと理解できた気がする)
物理的には無理でも精神的に呪縛から解き放たれたアスカが描かれていたら、
あーアスカは先に大人になっちゃったんだなと思って全然印象違ったと思うんだけど、
あーゆー感じに村の描写使ったりゲンドウの回想入れるなら余計に…
せめて委員長だけでも(新劇ではそんな友人関係じゃなかったかもしれんが)アヤナミにみせたやさしさのかけらでもアスカに向けた描写があればなあ。
アスカがアスカのままでいいと言ってもらえたのを受け入れられるようになれるのは、
そういう意味でアスカにとってのヒーローはどう足掻いてもシンジで、
呪縛の14年間一緒に過ごしたマリ(多分この14年の間にマリがいてくれたことに対してアスカは紛れもなく救われた部分がある)を選んで、
どっちもアスカにとっては色々思うところがあるにせよめちゃくちゃに大事で恩人な訳じゃないですか。どっちも幸せになってほしいナンバーワンの人間というか。それは違うか…でもまあ何も言えんじゃん。
そういうことで最後駅のシーンでもアスカは一人らしいのは(私はもはやアスカの存在見つけられなかったんですけど一人だったらしいですね?)まあ納得なんですけど、この流れはあまりにもかわいそうでは!?
まあそれがアスカらしくね?と言われたらそれまでなのかもしれんけど。
エヴァの呪縛から解放されただけで幸せなのかもしれんけど…それでいいのか…他キャラとの差が…
別にじゃあどうしたらよかったとかはなくて、
ほんとにアスカ幸せになったのか?最後までかわいそうだったなあ…とじわじわ毎日思ってる。
モルカー流行ってるよね私も見たよモルカー
可愛かったし人類は愚かだったしでドハマりした
たった2分半でも毎週楽しみにしていたし
最初の路線からかなりジャンルが変わってきたけどどれも面白かったから気にならなかった
9話までは。
10話をまだ見ていない人はyoutubeで見てきて2分半だし
それで何が言いたいのかと言うとこのありきたりなオタク賛歌に失望したのね
モルカーを美少女化するだけでもげんなりなのにその上に痛車として仕上げたオタクには何もないんだもん
痛車にしたおかげで奇跡が起きてめでたしめでたしハッピー じゃないんだよ
あそこでやるべきだったのは猫を助ける為なら痛車という見た目でもお構いなしに木に登るべきだったんだよ
それこそ周囲の目を恐れないで助けに行くのがヒーローなの ファンタジーに助けられましたじゃ意味ないの
それを勘違いしたオタクがTwitterで良い気になってるのも気に入らないし
その上調子に乗って更にオタクっぽい絵柄にして動画にしたり他のモルカーの美少女化イラストまでアップしたりと
モルカーが一気に汚された オタクっぽくないからこそモルカーは素晴らしかったのに
将来は子供に見せてあげたかったのに10話だけはとても見せたくないし円盤が出ても10話をカットする機能が欲しい
悲しいよ
「若くて色々頑張っていて足掻いてくヒーロー」
に対して、大体の男は若くなくても頑張って足掻いているけど、
だけど、
そして、
今日はサンキューの日だからって、サンキューって言ってるわけじゃないのよ!
あのさ、
いつも気が向いたらたまに行くうどん屋さんは
毎回日替わりを頼んでいたんだけど、
って言っても嫌みを言ってるんじゃなくて、
少しでも手間暇かけて時間が掛かることにソワソワしちゃうのよ。
牛のドン屋さんで
私はもう牛のドンがない世界の世界線で生きているのかしら?って不安になるわ。
ワンオペ大変ねって同情を禁じ得ないわよ。
もしさ、
別の宇宙があることさえも知るよしもないというか、
眠れない夜はベッドに入ってそんなことを考えると秒で寝付けるわよ。
やってみて!
でね、
話をもとに戻すんだけど、
私のオーダーがどんどん先を越されて後から頼んだ日替わり定食に追い抜かれちゃうのよ。
私のオーダーちゃんと通ってるのかしら?って
一抹の不安っていう一抹の不安味のアイスクリームのスイーツを私が開発するとしたら、
抹茶味にするわ。
私のオススメのスイーツは一抹の不安アイス!って自信を持ってみんなに食べてもらいたいのよ。
そしたら、
お好み焼きと言うより、
どちらかと言うと焼きそばみたいのが出てきて
これ広島焼きですか?ってリアルに店員さんに尋ねてしまったことは内緒にしておいて欲しいんだけど、
そのぐらい
もっとどーんと広島焼きはソバ要素多目って自信もってもいいと思うの。
だから私はその時助けてー!ヤキソバン!っては呼ばなかったけど、
心のヒーローのヤキソバンがその時駆けつけてきてくれたとしても、
これはこういうものだよ!って諭されるだけかもね。
そこで私は世の中の道理と言うモノを学んだの。
日々学びでもあるし、
だから
それが全てだと思う。
ダダこねたって、
ごめん、
涙拭くね。
今度生まれてきたときはロッテリアのある世界に生まれられればタラレバにいいわね。
だから私は言うの、
みごと伏線回収よ!
うふふ。
日本食の板前の職人さんもリアルなカニと騙されてしまうと言う「香り箱」をはるかに凌ぐカニ感!
どうりで超絶美味しいわけね。
世の中の道理をまた1つ知れたわ。
それするんだったら
今日は普通にレモン炭酸ウォーラーに追いレモンしたレモン要酸っぱみ増し増しの
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「え?」と思うかもしれないけど、ダイの大冒険は、新連載当時は、実は画期的なレベルで新しかったんだよ。ダイの大冒険は最初読切から始まったんだけど、物凄い人気で連載にこぎつけた。それだけ新鮮な漫画だったんだよ。
ダイの大冒険の連載開始は89年。この当時のジャンプの漫画が何だったかは、「89年 ジャンプ 目次」あたりで画像検索するとわかる。ドラゴンボール、魁!!男塾、聖闘士星矢、ろくでなしBLUES、ジョジョ(第2部〜第3部)の時代だ。ドラゴンボールを除いてヒーローものは劇画で、主人公は割と老け顔。そして、ファンタジー世界の作品はドラゴンボールぐらい。当時はまだゲームっぽい雰囲気の作品って全然なかった。
そこに、それまで珍しかったドラクエ的な和製ファンタジーを題材にした冒険漫画が、王道であるジャンプに出てきたから、「それまでに無い漫画が来た!」と、当時の子供たちは夢中になったのよ。
80年代後半はゲームブックとかライトノベルという形で、和製ファンタジーの世界観を物語化する流れが出てきていたんだけど、まだまだ傍流だった。これをメインストリームに持ってくる原動力になった作品の一つが、ダイの大冒険だった。アニメにもなったし。
90年代に入ると、和製ファンタジー作品が、ライトノベルや漫画、アニメといった、あらゆるメディアに登場するようになり、その新鮮味が急速に薄れてきた。沢山の作品が出るということは、つまりジャンルが洗練されるということ。ダイの大冒険はこのジャンルの元祖的なポジションであるが故に、洗練される前の80年代的な表現がそこかしこに見られるのはやむを得ない。
お前がやってはいけなかったのは単身で猫を飼うことじゃなくて、スマホの緊急情報に必要な情報を登録していなかったことだ。
あるいは財布や身分証明書に緊急時用のメモを入れておかなかったことだよ。
俺は親と二人暮らしで、親は要支援2。この辺りは当然やっている。
デイサービスは週一度なので最悪6日間は間が開いてしまう。
だからいろいろな手配をしている。
SECOMの見守りサービスを使っているが、ここまではしなくても、たとえば、職場に、もし無断で休んで連絡が取れない場合は、然るべき所に連絡を取って欲しいと依頼するようなことはある程度できるのではないか。
と誤った結論を出して、安易に悲劇のヒーローを気取って自己陶酔している場合ではない。
やるべき事をちゃんとやろう。
冷静に原因を考えて、正しい知識を普及しよう。
それが何よりも供養になる。
なのに、増田がこんな間違った結論を広めてしまうと、助かる命も助からないかもしれない。そう言う事をもう一度かんがえてみよう。
ツイフェミを観察して大まかな生態が分かってきたので記したい。
https://anond.hatelabo.jp/20210223230157
上記を書いた増田だ。変な意味で反響を頂いたので続編を記したいと思う。
まずは前回ありきの内容なので上記をまだ読んでない人は先に読んで欲しい。
映画というフィルターを何十層もかかりまくったコンテンツに触れる事で海外を知ったような気分になり
そんな私は先進的だと錯覚してしまう生態がいる。それが洋画ツイフェミである。
この生態は海外が生みだしたコンテンツを妄信してしまう傾向が強いように思える。(洋ドラマと韓国の映画やドラマも含む)
ハリウッド映画はポリコレ的にもLGBT的にも配慮するようになってきたのは事実ではあるが(とはいえエンドゲームで女性ヒーローだけいきなり集まるシーンは不自然だったと個人的に思う)
それはあくまでも映画内の話であって現実ではまだまだ差別や偏見が強く蔓延っているのは海外ニュースを見ていれば痛感するはずだ。
それでも洋画だけ見てその現実を直視せず海外は先進的だと思い込み、このまま日本は遅れており家父長制だとかホモソだとかの批判を始めてしまう。
これは昔から海外に留学や滞在して「これだから日本は・・・」と帰国してから言い出す症候群のようなものでもはや伝統文化でもあるが
ずっと日本にいて海外に行った事ないのに洋画だけ見てコレダカラ日本ハ症候群を患ってしまうのはちょっと落ち着いて欲しいとは思う。
邦画も嗜む人もいるが基本的に邦画は女性を搾取する要素が多いと(そう思い込んでいて)見下しているのだが
こないだ「テネット」という映画が公開され、俺も観に行ったのだが下手に口するとネタバレになるので超大雑把に言うと悪党が家庭内DVを振るっている場面があった。
これに関して洋画ツイフェミはどう反応したのかというとスルーなのである。スルーした上でテネットの出演者の画像やgifをペタペタ張り付けて尊い…と言って終わりである。
映画好きな人はなんで画像はともかくgifを貼りたがるんだろう?と思いつつ、映画の中でも都合の悪い現実は見ないのだろうかと思い知らされた。
あと女性蔑視に対してはとても敏感なのに映画の中で男性が辛い目にあったり、男性ではならの苦悩に苛まれているシーンに対して「苦しんでいる姿が素敵…」とウットリするのは何とも謎である。
鍛えている男優は多いのでムキムキだと「雄っぱいありがたや…(合掌マーク)」と、もし男が女優のおっぱいありがたや…と言ったら叩くよねそれ?と先進的でありながら性欲に介しては後進的なのも謎である。
ハリウッド業界で活躍する俳優は実力主義の世界で勝ち取り、ルックスもキャリアも素晴らしく自立した人間として完璧でこれ以上のない理想像であるのは間違いない。
しかしその理想像はその俳優の頑張りであってあなたの頑張りではないのだ。それにおんぶ抱っこするのは俳優に対して失礼でもあり
自分を成長する機会も見失ってしまうので俳優の画像を張り付けて満足して終わらないようにしてみてはどうだろうか。
正直言うと難しいのである。どう難しいかと言うと彼女らは間違いなく性的に消費されている立場なのだが
事情が本当に一人一人違うので「わかっててその道を選んだよね?」なんて言葉は言えないのである。
自業自得な人もいれば本当に運がなくてこの道を選んでしまった人もいるからだ。
商売とはいえ客を選べないのが辛い所で様々な男性の嫌な面を見てきて男性嫌悪が悪化してしまうケースは少なくない。
そこは同情もするのだが男性嫌悪が行き過ぎて客からのLINEをTwitterで晒し上げたり客からのプレゼントをそのまま売ってレシートを公開するのは
ストレス発散として多少考慮する所はあるとはいえ、それをTwitter上で行えて特に批難されないというのは女性特権を行使しているともいえる。
客からの指定が来るまでは待機なのでその間にスマホ触る時間が多いからかTwitter上ではとにかく男性嫌悪やフェミニスト的なツイートをRTをしまくってるのだが
正直これもストレス発散であり、思想としてそこまで強い拘りがあるわけでもなくただ男性を叩くツイートをフリスクを食べる感覚でRTしているだけのように思える。
男性を嫌悪しながらその男性を性的に奉仕するという矛盾は精神衛生上よろしくないのは間違いはないし本人の為にもならない。
金銭的に困っていなければ風俗を引退して一人の人間として見てくれる相手を探して欲しいのだが、結局ホストに走ってしまう。
エコーチェンバーについてはググって調べて欲しい。もし俺の口から説明したら矛盾するからだ。
俺が最初に出会ったツイフェミであり、俺がツイフェミを観察しようと思ったきっかけでもある。
そしてTwitterにいるツイフェミの大半はこれなんじゃないかと俺は思う。
恐らく最初は軽い気持ちでフェミニスト関係の人をフォローしたかRTしてきっかけを持ったに過ぎないと思う。
しかしその最初にフォローしたフェミニストが発信する情報の中に別のフェミニストがいてそれに関心を持ち始め、またフォローしていく。
そうして連鎖的に増えて行ってついにはフォローしているフェミニストの割合が3割超えた辺りから、その人はツイフェミと化してしまうのだ。
最初はフェミニストに関心もなかったし、趣味の事で話せたらと始めたはずのTwitterだったのに気が付けばツイフェミと変わり果ててしまった人は少なくはない。
実を言うとこれは他人事ではない。身内が陰謀論に目覚めたとか、反ワクチンやアメリカ大統領選挙の不正などを信仰してしまうように
ネットに触れる事で変わり果ててしまう人は昔から存在しており、今もなお増加しているのだ。
ここで勘違いして欲しくないのがフェミニズムを陰謀論と同じ扱いにしているのではない。情報が偏り過ぎてバイアスが起きてしまっていることに対して警鐘を鳴らしているのである。
ここからは個人的な話になるのだが上記の話は俺のフォロワーでもあった人の経過でもある。最初は趣味を通して知り合ったはずなのだが
気が付けば彼女はツイフェミに変わり果ててしまった。彼女はようやく本当の自分になれた気がしたと呟いたが、趣味を楽しんでいた時が一番貴方らしかったと思う。
趣味の呟き頻度は少なくなり毎日男性に対する攻撃ツイートにRTが続いていき、ついに俺はブロック解除してしまった。彼女は悪くはない。
そうして最初にリストにひっそりといれ、少しずつ増やしていったのが俺の観察の始まりだ。
ひとまずはこれで記すのは以上にしたいと思う。
リストの中でもツイフェミから離れて自分らしさを取り戻せた人はたまにいて