はてなキーワード: トップクラスとは
ウィンドエアコンを取り付けようと、ウィンドエアコン業界ではトップクラスのCORONAというエアコン会社のエアコンを買った。
「女性でも簡単に取り付けできます」嘘つけぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!お前のところの製品のおかげで、もう、2週間ぐらいエアコン取り付けで苦労しているぞ!!!!
http://www.corona.co.jp/index.html
https://www.corona.co.jp/aircon/howto_m_waircon.html
「■冷暖房兼用タイプ(CWH-A1817)のご購入を検討されているお客様へ」の文字が見にくいんだよぉぉぉぉぉぉ!!!!!!おかげでWT-8を買っちゃったじゃねぇかぁぁぁぁぁぁ!!!!詐欺師!!!!詐欺師!!!!
最悪なのが、別売りのエアコン拡張枠、公式ホームページにはWT-8という5千円ぐらいの商品の情報しか無いのに、WT-8Hというタイプの枠も売りだされていて、CWHという本体につくタイプには、どうやら、Hがついている方の枠(WT-8H)しかつかないらしい。
ふざけんんあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!公式ホームページに対応表載せろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!取扱説明書に対応機種書けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!紛らわしい名前をつけるなぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!
コロナは本当に客商売する気があるのか!!!客に損をさせておいて!!!!おまけに、
つぶれろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!苦しめぇぇえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!俺はお前のところのホームページの嘘情報で2週間苦しんだんだから、お前らも2週間苦しむのが社会正義だ!!!!!!苦しめ!!!!苦しめ!!!!!お前らも苦しめぇぇぇぇ!!!!!誠意を見せろぉぉぉぉぉ!!!!!
ライターのヨッピーさんが、最近叩かれやすくなっているような感覚がある。
有名だからもとからアンチはそこそこいたのだろうが、ここ数カ月急激に可視化されてきている。
でもこれ、ヨッピーさんあんまり悪くないよな、と思い、増田を書く。
(1)前提条件として、ヨッピーさんはオモシロを得意とするライターであり、「正しい人間」ではない
→これまでいろいろギリギリなことをやってきたし、別にジェンダー意識とかも高くない(むしろ男子校ノリっぽい)
→PCデポ問題とか、まとめサイト問題とか。あと広告記事の健全化とか。それで「ヨッピー=正義」という空気ができた
(3)と同時に、お金の話をするようになった。ライターの中ではトップクラスに稼いでいることもわかった
→そうじゃないと夢が全くないのでそれは超いいことです
→「SPOT」は大赤字とのことですが、個人としてはめっちゃ稼いでいる
(4)結婚した
(5)これまでは「オモシロで権力的なものへのカウンターをやってくれる人」だったのが、「正義の心でいろいろやってる社会的強者のおっさん」というイメージになった
→このイメージ(勝手に抱かれてしまったもの)に反することをすると叩かれやすくなる
→特にジェンダー系(吉野家のツイートとか)、社会に影響系(いろはすとか)だと、「正義じゃないのかよ!」という反発が来る
インターネットは社会的強者に対して卑屈な態度と無敵な強さをもっている。これに立ち向かったり受け流したりするのはメッチャ難しいことだと思う。
タイトルのようなことを思ったんですが。
旅行や不動産のように取引が難しい財は一般的に登録や免許(資格)が必要。
それと同じように、「人の魅力」を取り扱う産業にも一定の規範やモラルが必要だと思う。
産業特性上、電波を利用したメディアとの取引が多くなることで、
独占・寡占的になりがち。
同時に、出演者側にも必要な知識を十分に提供することも必要だと思う。
食品衛生責任者?みたいに、適切な芸能の提供に必要な法的知識を講習会で教えていくと良いと思う。
日本のJKビジネス「売春の温床に」 イバンカ氏ら発表:朝日新聞デジタル
そうやって適切な規制をかけていけば、AV出演強要問題とか改善するといいなと思う。
しかし特に日本においては、彼らが大きな産業となるような気があまりしない
特に受託産業として機械学習を用いる会社は果たしてどうなのだろうか
大きなビジネスをしている大企業は、効率を1%上げるだけで何億と儲かってしまうから
でもそれは一握りでいい、せいぜい全体の規模としては数百人といったところではないだろうか
webの規模には及ばないし、モバイルの規模にも及ばないだろう
もちろん、皆が期待するのは受託ではなく、各々の会社が機械学習チームを抱え
そういった動きは未だに見て取れない
機械学習を何かの最適化に用いるのであれば、まずそれが成功しなければならず最初からチームを抱えることができない
ベンチャーであれば尚更
そういったプロダクトの方はそもそもライバルが世界の企業になってくるので、これまたチャレンジする会社があまり現れない
せめて何か一つでも世界に対抗できるプロダクトと会社が日本から生まれてくればいいと思うのだが
日本においては、何だかただブラック業界をまた一個作るだけのような気がする
私の会社には持ち前のパワーを振りかざし、部下にきつい言葉を投げかけ、上司にはいい顔をしようとするクソ中間管理職がいる。
今まで何度か転職もして色々な上司も見てきたけれど、平気でクソみたいなことを部下に言ってしまうクソ上司は過去出会ったことが無かったので今までのパワハラワードをまとめる。
特定されるのが嫌なので本当にごく一部だけ。
・俺がやれば1時間で終わる。なぜそんなに時間がかかるのか理解できない。
・俺の頭の中ではすでにその仕事は終わっている。なぜそんなに(以下略
・お前のせいで俺が上司に怒られる。
・俺は頭がいい。どんな企業でも俺を欲しがる。俺が言ったことを実践すればいい。
・俺の評価は社内でトップクラス。俺の行動を見て少しでも俺に近づこうと思わないの?
・俺はお前を育てるためにわざわざ時間を割いてこんな話をしてあげてるんだ。わかる?わかるかって聞いてるんだよ
・上司が機嫌よく仕事を通してくれればいいんだよ。お前がどうなろうが関係ない。
・脳みそ足りてないんじゃないの?俺は頭がいいから、馬鹿の考えることは理解できない。
・俺に媚びを売るとか喜ばせてあげようって気持ちは無いわけ?
・暇だから面白いこと言って。ここで面白いこと言えなかったら社会人としてまだまだ未熟だってこと理解してね。
あるいは何も見えていないのか。
そもそもアイドルにあまり興味のない自分からすると、アイドル、というかAKBグループの活動内容を客観的に見て一体全体どうして「信じて応援しよう!」という気持ちが起きるのかが謎で仕方ありません。
だって考えても見て欲しいんですけど、恋愛禁止なんですよね?だったら当然ファンとも恋愛禁止ですよね?でも一部のファンは恋愛感情を抱いていますよね?そしてアイドル側も明らかにそれを分かっていますよね?
ということは、確実に報われない、不毛な想いであると分かった上で、その好意を利用して不特定多数の異性にお金を貢がせているわけですよね。これって、世間一般では間違いなく不誠実と捉えられる行いだと思うんですが。
百歩譲って握手会への参加のみであれば、ファンとの交流を大切にしているだけだ、と言えなくはないですが、総選挙に出馬し、あまつさえ投票を呼びかけるようなメンバーに関してはもはや擁護不能でしょう。「頑張ります!」って、一体何を頑張るんですか?頑張るのはファンでしょう?「次は1位になります!」って、「ファンは今の○倍金出せよ」って意味でしょう?それとも、あと一年でファンが激増するような画期的なプランがあるんですか?ないんでしょう?あったらとっくにやってますよね?
今日、とあるエントリで見た「夢に向かって頑張るなら、恋愛してる暇はない」という意見。尤もらしいように聞こえますが、それらが絶対に両立できないようなものであるとも思えませんし、もっと言えば、その考えを持っていながら、なぜAKBのような低スキルアイドルを応援するんですか?全員とは言いませんが、歌は口パク、ダンスは素人レベル、活動内容は他人任せで他にないような独自の才能を持っているでもなく、恋愛する暇が無い程忙しいとはとても思えないんですが。確かに、広いアイドル界の中には何か一つを極めようと、あるいは他人にない個性を獲得しようと必死で頑張っている子もいるでしょう。そういった人は確かに恋愛する暇もないかもしれませんし、私自身もそういった人がもっと評価され多くのファンを得るべきだと思います。あなたが応援しているアイドルは、本当にそんな人ですか?
「女優になりたい」「歌手になりたい」立派な夢ですが、彼女達が今やっていることが、本当に夢への近道になっているかは正直疑問です。「歌手になりたい」と言いながら平然と口パクしてるようなメンバーも居ます。アイドルだって歌手の一種でしょう?今、貴重な実践の機会をみすみす無駄にし続けて、どうしてソロであればやれると思うのでしょう。
「夢に向かって、青春を投げ捨ててまで、一心不乱に頑張る」人は、当たり前ですがアイドルにもアイドル以外にも存在します。アイドルがそうでなければならない、とあなたが考えるのは勝手ですが、そのアイドルが本当にそうなのかどうかは、あなた自身が判断してください。思考停止しないでください。あなたの人を見る目の無さを棚に上げないでください。
ついでに言うと、年齢が若いほどアイドルとしては価値があるように見なされがちですが、一方で年齢が若いほど人として未熟である(=ルールを破る)可能性が高いことも頭の隅には置いておくべきです。
あとこの際だからもう一つ気になる点を。AKBグループの(主には握手券が付属するシングルCDに関して)楽曲製作に関わっているクリエイターの方々は、どんな気持ちで印税を受け取っているのか常々疑問です。もちろん、楽曲そのものへの評価と売り上げとがイコールでないことは分かっていますが、この場合の売り上げにはAKBメンバーの握手に対するものが多分に含まれていますよね。個人的な気持ちとしては幾分かはメンバーに還元してあげて欲しいなと思います。
とにかく、「神聖」とか「偶像」といったアイドルのイメージに関して、余りにもかけ離れた「不浄」なイメージがアイドル(特にAKBグループ)には多過ぎるように感じます。それでも応援する奇特なファンについては、まあ別に個人の自由ですから良いんですけど、せめて裏切られた時に醜い悲鳴や汚い罵声を上げないようにして欲しいです。だって、そういったアイドルの殆どは「私は無神経で不誠実な人間です」って日頃から自分で言ってるようなものであって、その通りになっただけなのですから。
(追記)
https://twitter.com/gofin20/status/876784223771701248
https://twitter.com/tigerhouse1978/status/876448624627941376
ちなみにこの子はAKBグループの中でもトップクラスにダンスが上手いそうです。
色々書きましたけど、AKBにも応援する価値のある人はいると思いますよ。本当に言いたかったのは、(推す相手を)間違えるなってことです。少なくとも、真っ当な努力もせず将来へのビジョンもなくファンの過剰消費のみに頼って芸能界でのし上がろうなんて人が、「夢を売る商売」だなんてちゃんちゃらおかしいってことです。
黒子のバスケの作者の新作。
「ロボットみたいな性格で動作も機械みたい。ゴルフをやってみたらスイングが正確でボールが真っ直ぐ飛んで狙ったところにいくという隠れた才能が開花」
という設定なんだけど、他の選手のボールを曲げて飛ばすみたいな技も見ただけで真似できる。
ゴルフ部に入部するけどスポーツ経験がなかったから体力なくてランニングでビリ。
でも(倒れるほど努力するけど)何日か特訓したら部でランニングのタイムがトップクラスになってしまう。
連載の冒頭で、パワーで飛ばすのが主流になっているゴルフ会へのアンチテーゼみたいな話があったけど、こいつ、筋トレしたらパワーでもすぐトップクラスに慣れるんじゃね。
先日、ネットの匿名で書き込めるある場所で、自分が古代祐三さんを知らなかったことを
「にわか」
と馬鹿にされました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E7%A5%90%E4%B8%89
日本を代表するゲーム音楽作曲家であり、代表作は『イース』『アクトレイザー』『世界樹の迷宮』など。
ゲーム音楽の黎明期を支えたゲーム音楽作曲家であり、現在も第一線で活躍している。
そのことを踏まえれば、ゲーム音楽好きを名乗りながら古代さんを知らない人間が「にわか」と呼ばれることについては全く異論がないように思えます。
例えるなら…
(人物のたとえが適切かどうかは別として…)というような人が「にわか」と呼ばれてしまうのは仕方ないと容易に想像できます。
ゲーム音楽好きだけど古代祐三を知らないというのはそういうことなのでしょう。
ですが私はにわか叩きに苦言を呈したいのです。
世の中の一部にはゲーム音楽を好み、その音楽を頻繁に聴く層(=ゲーム音楽好き)が存在するわけですが、ただ、ゲームをプレイせずにその音楽を好きになることは稀です。
つまり、「ゲーム音楽好き」とは、あくまで「自分のプレイしたゲームのゲーム音楽好き」なわけです。
私も、ゲーム音楽好きを名乗っておりますが、過去の名作ゲームはあまりプレイしたことなく、あるゲームの音楽を頻繁に聴いています。
人に好きな音楽を聴かれて、わざわざ、「○○と○○のゲームの音楽が好き」というのはめんどくさいです。
ゲーム音楽好きを名乗らなければ叩かれなかったかもしれませんが、じゃぁどうしたらいいのでしょうか。
ゲーム音楽作曲家は基本的に裏方であり、ゲームのファンであってもその名前を知らないこともあると思います。
だから、稀にインタビューが組まれたりしますが、基本的に表にはあまり出てきません。
私はプレイしていい音楽だなと思ったら、その時初めて作曲家の名前を覚えます。
だからいくら作曲家が有名でも、ゲームをプレイしてないと名前を知らないということもあるのではないでしょうか?
もう一つ。
世の中には名作と呼ばれるゲームがたくさんあります、『イース』や『アクトレイザー』や『世界樹の迷宮』などもそのうちのひとつに数えられるでしょう。
しかし、毎年のように繰り返し生み出される名作ゲームは年々増えていきます。
ゲーム業界でも、「いよいよ、あのゲームをプレイしたことがない世代が入ってきたか…」というような経験をすることがあるそうです。
後の世代になればなるほど予習しなくてはならない名作ゲームはどんどん増えていきます。
ただの、業界人でもない一般人が、ゲーム音楽好きを名乗るだけに、それだけの学習が必要なのでしょうか…。
注)もちろん、あくまでここで必要とされているのは、「作曲家の名前を知ってるか知らないか」ということ……ですが、上記の通り、音楽を知らずに人物だけを知るのは難しいような気がします。彼らの気持ちの裏には、「名前を知っているだけではなく音楽を聴いたことがあるかどうか」という気持ちも隠されてるような気がします。
彼らには「ゲーム音楽はこうあるべき」という気持ちがおありなのだと思います。
ゲーム音楽好きは昔の名作ゲームをすべてプレイして作曲家を覚えるべき、そうでなくてもプレイしてないゲームの作曲家まで網羅すべき、と。
そもそも、ゲーム音楽は音楽の中では圧倒的にマイナーな存在です。
世間一般で音楽といえば歌のことであって、BGMを聴くという発想はあまりないようです。実際に、ある人にゲーム音楽を聴くと言ったらすごく驚かれたことがあります。
とはいってもゲーム音楽にもすごいファン層がいるので「ゲーム音楽は相対的にマイナーである」というのが正しいかと思います。
マイナージャンル同士仲良くしたらいいと思うのですが……いきなりにわか叩きはないんじゃないかと思います。
ところで、なぜにわか叩きは行われるのでしょうか。
①にわかを叩くことによって、にわかがその作品または人物についてよく調べ、ファンの質が上昇する。
②にわかを叩くことによって、にわかがファンを離れ、ファンの質が上昇する。
など、いろんなことが考えられるかもしれませんが、これは逆効果ではないかと考えてしまいます。
古代さん自身は、「俺を知らないなんてにわかだなぁ」とは言わないし言えないでしょう。
だからこそファンが代わりに、「ゲーム音楽業界を啓蒙しなくては」「彼の偉業を知らしめなくては」「能力ある人、努力した人は評価されるべきだ」という気持ちがあるのかもしれません。そういう気持ちは大切ですが、古代さんを他人を叩く武器に使うのはどうなのでしょうか?
だらだら書いてしまいましたが、まとめると、
と考えています。
…あと、いちおう書いておきますが、いきなり「誰こいつ」などと書き込んだわけではありません。
貴方はどのようにお考えですか?
追記:
無知をさらしてしまった面もあり、それに関しては申し訳ありません。
追記2:
久しぶりに加筆。
古代さんの曲を聴いてみると書いてみたが、結局ちょろっと聞いただけに終わってしまった。
ぶっちゃけ言うと、今好きで聞いているゲーム音楽も積極的に探し求めていたわけではない。
ゲームをやってて好きになった曲や、動画でつかわれてて好きになった曲ばかり。
「ゲーム音楽あげてけ」みたいなスレがきっかけで好きになった曲といえば、ヴァンパイアキラーくらいだと思う。
現状、古代さんの音楽が好きでは無ければ、好きではない状態の曲を積極的に聴こうとは思わない。
もちろん、それは今自分が好きな音楽についても同じことで、きっかけがなければ好きにはならなかったと思う。
まぁ、もし自分がゲーム音楽関係のイベントや仕事にかかわったとしたら知らないですでは済まされないから、知っておくべきだけど、趣味で聞く分にはどうでもいいでしょとおもう。
ゲーム音楽だなんて、そもそもバックグラウンドに過ぎなんだから、仮にどんなに優れた音楽でもゲームが糞だったら聴いてもらえないし、評価=すごさとも限らんと思う。
なんか考えがまとまらなくてだらだら書いてしまうけど、この手の話はゲーム音楽業界にかかわらず、どの業界にもあると思う。
ゲーム音楽自体、音楽の世界ではマイノリティー側だと思うけど、その中でもマジョリティとマイノリティがいて、マジョリティ側の人はこれは知ってて当たり前だもんなぁ。
JPOの人が、えっ○○知らないの?とか、これ有名なバンドだよとか言ってきたらどう思うよ?
えっゲーム音楽なんて聴いてるの?って笑われたらどう思うよ?
「制服を着るような役を卒業したい」と周囲に漏らしている、みたいな記事を見かけた。
よくあるどうでも良い芸能ニュースだ。そもそも嘘なのか本当なのかも分からないし、第一興味もない。
ドラマや邦画も殆ど見ないので、彼に何の思い入れもない。最近人気の俳優で元仮面ライダー、くらいの認識だ。
記事内の年齢の()表記を見ると、どうやら彼は俺と同い年らしい。
調べてみると俺は92年、彼は93年早生まれなので正確には同学年だった。
その彼が制服を着る役、すなわち高校生役をやめたいと漏らしているらしい。
成熟した役柄にステップアップしたいだろうし、何より制服姿に無理が出てきている。
なんか女の子しか出てこなかったけど、なるほど。みんなかわいいけど、高校生役はさすがにしんどい。
彼女らが高校生役という映画・ドラマ・CMも、ここ数年は見聞きしないような気もする。
日本中の同学年の中でトップクラスの容姿を持つであろう彼女達ですら緩やかに年を取っていく。
容貌こそまるで違えど俺とて同じ人間。俺の若さも同じように日々着実に目減りしており、刻一刻と失われつつあるのだ。
至極当たり前のことだが、「加齢」という厳然たる事実を胸元にドンと突きつけられて狼狽えてしまった。
そしていつも抱えている焦燥感が更に膨らんでしまって、気分が滅入ってきた。
友達ゼロ、高校もろくに行かず、なんとか受かった大学もつまらなくてすぐ辞めた。5年前の話だ。
でも、紆余曲折を経てホワイト中小企業に潜り込むことができ、なんと正社員登用された。
給料は安いが良い上司にも恵まれたし、残業もほぼ無い。ボーナスも出る。運が良かったとしか言いようがない。
仕事に慣れたころ、「このままじゃ人生ダメだ」と思って義務的に何個か始めた趣味。
ほとんどが長続きしなかったが、1個だけガッチリと自分にハマる趣味もできた。
趣味経由で片手で足りるほどではあるが、親友と呼べるような友達(同性)もできた。
酒も飲めるようになったし、イベントなどにも出向くようになった。
16~20歳の間の自暴自棄だった自分がバラバラに散らかしてしまった人生のパズルのピースを
ここ数年を掛けて一生懸命拾い集めて、この1年でようやく一枚の絵になってきたような印象だ。
そう、恋愛である。この箇所に関しては清々しいほどに真っ白である。
ここで冒頭の話に繋がる。
俺はパズルのピースを必死で拾い集めている間に貴重な若さを随分と消費してしまっていたのだ。
まだまだ若いだろ、と自分に言い聞かせているうちに、20代の折り返し地点に到達してしまった。
冒頭のネットニュースは、その事実を俺にずいぶん遠回しな形で伝えてくれた。
俺はピースを拾う優先度を間違えてしまったのではないか。そんな悔恨がふつふつと涌いて出てくる。
友人や定職といったピースを血眼で探しているうちに出来上がったのが24歳の童貞である。
友人や定職、確かに重要だ。でも、恋愛すらできずに何が人生だ、と考え込んでしまうようになった。
知人にフリーターなのに彼女と婚約しようとしている大馬鹿者がいるが、彼の方が俺より幸せそうに見える。
まずは血眼になって恋愛すべきではなかったのか。とりあえず何事を差し置いてでも。
最愛のパートナーと泣いたり笑ったりしつつ、友人や定職を探しても遅くなかったのではないか。
これは隣の芝生を青く感じてるだけなのか。無い物ねだりなのか。
何度も反芻するたびに、どんどん気分が沈み、胸から喉にかけての辺りがずっしりと重くなってくる。
友人達に女性を紹介してもらえば?もちろん何人か紹介してもらったさ、でも誰とも話が噛み合わなかった。
コミュ障気質は治ったつもりだったんだけどな。数を熟せばいいのかな。どこに出向けばいいんだ?もうよく分からない。
飲みの席でも年を経るごとに「彼女が出来たことがない。」という主張が容認されなくなってきたのを肌を持って感じる。
最近ではヘラヘラしつつ、「ずっと居ないんですよw誰か良い娘いないっすか?」と笑って誤魔化す悪癖ができた。
同僚の中年独身男性の一挙手一投足や悲惨な孤独死のニュースにばかり目がいくようになった。俺もああなるのかね。
もう最近は恋愛を飛び越して結婚したくなってきてしまっている。子供も欲しいなぁ。どうしたものかね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20170511170337
上記記事のコメント欄を見て何度めかわからないけれど「左翼的な言説の限界と言うか気持ち悪さというかなんかもやもやするもの」についてのメモ。
初めに断っておくと、自分個人は穏健な左翼的な人間だと思ってる。この辺曖昧なのは「それそのものの人」に「お前なんかニセモノだ、死ね!」と棍棒で叩かれるのが怖いからであって、内心ではちゃんと穏当左翼だよ悪いスライムじゃないよぷるぷる、と思ってる。再配分はした方がいいと思うし、生活保護の捕捉率は上げたほうがいいと思ってるし、戦争はしないほうがいいと思ってるし、言論や思想の自由は大事だと思ってる。
でも、一方で、それは「俺という個人がそう願ってる」であるとも思っている。
ただ単純に「俺という個人がそういう政治的思想で、つまりは、そういう好みで、そうなればいいなあ、そうしたいなあ」と思っているという意味だ。
でも、政治的な記事へのはてブのコメントを見たり、世の左翼的な言説をするひとの発言を読んだりしていると、割と頻繁にどうしようもない違和感を感じる。
たとえば「再分配しないと社会が歪むでしょ」「再分配しないと治安が悪化するでしょ」「再分配しないと経済が伸びないでしょ」みたいな種類のコメントだ。
それらって、まず第一に、本当に本当なんだろうか?
例えば、社会が歪んだ結果、カタスロフ的なことが起きて世界が滅亡する――というような想定がなされているのであるならば、全人類が私欲を捨てて力を結集するというのにはインセンティブがあるのは明らかだ。しかし、想像だけど「社会が歪むでしょ」といったときの「歪む」って、そういうレベルの大災害を想定していない気がする。
そして第二に、だとすると、それって主観マターなんじゃないだろうか? つまり、歪んでいると感じない人(例えば富裕層)が存在する程度の「歪み」なんではないだろうか?
「治安が悪化するでしょ」「経済が伸びないでしょ」もそうだ。程度の問題で主観マターになってしまう気がする。
ここ2000年くらいの歴史を見ても、相対的に評価すれば、いまは全地球的に豊かで幸福な時代だと思う。歴史上最も格差が広がっているこの時代に、最も幸福なのだとすれば、格差が人を不幸にしているというのは、どういう説得力をもっているんだろう?
最初に言ったように、俺個人は再配分政策に賛成だ。もう少し弱者のケアをしたい。だから、そういう歪みや経済悪化を感じる主観があるってことそのものは、別に問題だとは思わない。ただ、でもそれは「俺はそう感じているんだよ!」でしかないので、他者を説得するに足るものではない。
違和感を感じるのはそこで、はてサであるいは左翼言説でよく見られる「~(は自明)でしょ」「そうすべきなのは明らかでしょ」「それが正解でしょ」という態度だ。
その発言を行った時点で「説得できた」と思っているような態度と言い換えてもよい。
左翼の人たちは、なんだか、「正しさ」に過剰な自信を抱いているようにみえる。「正しい(と自分自身で思っている)結論」を呟けば、それで話は終わるというような、その発言にあるような未来がやってこないのは、政府の/権力者の/資産家の陰謀であるとか、衆愚が正しさを理解しないからであるとか、なんだかそういうニュアンスを感じる。
俺個人は、どうしてもそこで安心して話が終わったという気持ちになれない。
俺が左翼っぽい、福祉とか再分配をもうちょっといい感じにしたいと思っているのは、純然に俺の好みでしか無いと思うし、そんな好み程度の発言で誰かを説得できるとも思わない。
日本の社会の歪みについては、歴史的に見ても、今ある歪みを直せば別の種類の歪みが出てくると思う。それは福祉をケアするという変更ですらそうだと思っている。この歪みとあの歪みのどっちがいいかっていうのは、まだそれを実行してないので選べないけれど、「歪みのない完璧社会が来る」なんて思えない。「いまよりましなのはこっちなんじゃないかなあ、好み的な判断だけど」くらいしかいえない。
治安の悪化については、うん、格差が広がると治安は悪化すると思う。でもそれを前提とすると、日本は世界的に見て治安がトップクラスに高いので、まだまだ格差はちいさくて、この先格差をどかーんと広げる余地があるっていう結論になってしまうんじゃなかろうか?
経済の発展については、最低賃金は上げたほうがいいと思う。でも、資産家からお金没収してそれをやるなんてやったら、それこそ経済ぶっ壊れると思う。私有財産権という、民主主義が旺盛や封建制から血みどろで奪った権利を「俺の好み」程度で犯すのは、到底「正義」だとは思わない。
何度も言うけれど、俺個人は福祉とか再分配をもうちょっといい感じにしたいと思っている。けれど、それはただ単に俺の政治思想的な好みの問題であって、「俺が正義で唯一正しい結論を言えるから」ではない。当然他の好みの人もたくさんいるのだ。自由主義とグローバリズムは、地球規模で見れば多くの人を救ったと言われれば、そうなんだと思う。俺個人は、そっちの思想の人を「お前は不正解」と断罪できるほどの「正しさ」をもっていない。
さまざまな政治信条の人が暮らす社会で自分の願いの方向に動かすのは、粘り強い議論とか、空気の醸成とか、そして選挙とかを経なければならないのだ考える。
仮にそっち方向に社会が進み始めたとしても、その後やってくるのは、プロジェクトを立ち上げた時に出てくるような、うんざりするほどの運営トラブルと制度バグと、それを一個一個デバッグしてアップデートしていくクソ長い時間だと思っている。
なので、「左翼的な決断が正義でしょ/当たり前でしょ/そうしないと社会滅びるでしょ」みたいな「正解を言ったんだからわかれよ」みたいなコメントを読むとものすごい違和感を感じるし、日本の左翼的な思想の限界ってここ――つまり「俺たちは正しいのでそうならないお前らが悪い」という、政治的対話や妥協を拒否する、傲慢な怠惰さなんじゃないかと思う。
今よりもっと良い社会がほしいのなら、今よりもっと対話のテーブルで汗をかく必要があるんじゃなかろうか。多くの人たちに自分たちの主張を「好き」になってもらえるように。
出版業及びその周辺業界ってそんなに大したもんじゃないぞ。正義を守る公務員じゃないし、ただの営利だし、業界全体を合わせても紅しょうが業界よりも規模小さいぞ? 日本人は出版業に対する幻想が大きすぎだよ。アホみたいに膨大な品目の書籍をアホみたいに安くそのうえ長期所有可能なほど品質良く発売日厳守で全国同時展開しなきゃゆるさんとか。「電子書籍版を読む権利」とか、正直ちょっと引くくらい要求が過大だ。
はてブのコメントつけてるのは全員モンスターユーザーなのかと思うんだが、割合日本の「読書家」とかいうのの大半がそうだったりする。
そんな要求すべてに応えられる体力は、もう、業界にはないんだよ。いま、年間に売れる書籍の数は、年間に図書館で貸し出される書籍の数よりも少ない。日本において、書籍はもはや買うものではなく借りるものになってしまった。
「俺はちゃんと買ってるよ」「出してくれれば買うのに」なんてコメントに全く意味はない。少量多品種商品の極北である書籍は、インフラ構築や維持費用を全体で分散しているから、いままで多様な商品を出せていたんだ。「俺はちゃんと買ってるよ」と呟く増田の求める本が千円であるのは、別段増田が(そして他の誰もが)千円でその本を買う権利を持っているからではなく、その本の価値が千円だからでもなく、ただ単にインフラ負担費用と生産量(=初期部数)の関係上その値段に落ち着いただけであって、そんなものは普遍を保証しない。
少量多品種生産品である書籍は生産数が増えれば増えるほど加速度的に利益率が良くなっていく商品だ。つまり出版社の利益の大部分は、ごく一部の大ベストセラーが稼ぎ出していて、その利益を利用して、少部数が予想される本や実験的な本の開発や生産をしている。そういった構造は、出版社目線で見れば利益部門の利益を用いて将来を担う開発へと投資しているわけだから、一般社会の企業運営視点でも何ら問題はない。
しかし、書籍は出版社だけで作っているわけではない。その大ベストセラー作家の視点で見れば、本来自分が得られた利益を契約によって出版社側が非常に有利に得ている構図になっている。特にすでに知名度もあって、巨大部数が想定できる作者であれば、出版社にみすみす売上の多くを渡す意味は薄くて、部数によってスライドする印税契約をするほうが経済合理性から見て当たり前だ。あるいはそれこそAmazonのような外資との間で特約を結び、出版社抜きで出版したほうがずっと儲かる。しかし知るかぎり、日本の出版業界の場合ベストセラー作家の人でさえ多くの場合そこまで自己利益を主張しない。出版業界の発展のため、今は売れていない無数の作者のために(かどうかは内心なので断言できないが)、変わらぬ印税率で執筆活動を続けている。
言葉は強いかもしれないが、日本の出版業界がいまのようにバラエティ豊かなこんなに多くの書籍を出せているのは、彼らの「形を変えた寄付」があるからだ。当然ユーザーもその恩恵に預かっている。
電子書籍も一緒だ。いま電子書籍の売上が上がっていると言っているけれど、日本の電子書籍の多くは物理書籍の電子版であって、それはつまり書籍内容の開発費用(作者からみれば執筆費用であり出版社からみれば管理費用)を物理書籍側にタダ乗りをしているから、その前提で成長しているという点は否定できない。
重ねていうけれど、いまこんなに様々な種類の本が安くて早くて良い品質で生まれているのは、そうやって寄付してくれる人やインフラ負担をしてくれる母体が有るからだ。「俺は書店で買うけどね」「おれは電子書籍派だから関係ないけど」とかいうひとであっても、安くそれに乗っかって利益を得ている側なのだ。
Amazonはたしかにすごい脅威で黒船だけれど、それだけではなく、今急速に「本を買う」っていう文化そのものが縮小しつつある。人口だって減っていく。国際言語とはとても言えない日本語話者は、日本の人口の影響をもろに被るからだ。そうなれば従来のインフラは支えきれないんだよ。
いまランチ1回分くらいの価格帯の本は、いずれ三割から二倍くらいまで値段が上がるだろう。少部数しか期待できない本は、そもそも出版されないか、受注生産じみた高額&個別配送の商品になるだろうし、安価な書籍(雑誌やコミックを含む)は実体書籍としての販売は見合わせになっていく可能性が高く、そもそも書籍として世に出るアイテム数はぐっと減ると思われる。そうなれば職業としての作家や漫画家は食えるものではなくなり、兼業がふえて、一部の産業化した制作スタジオ以外ではいずれ作品クオリティも落ちていくだろう。
でもそれは異常なことではなくて、日本語話者の数(発売ターゲットの母数集団)と世界の書籍事情をみれば、平均に近づいていくだけなんだ。世界の国々の多くは、すでにそういう状況下、もしくはもっと書籍事情的に貧困だ。
日本は幸運なことに書籍大国、読書大国だ。いまでもかろうじてそうだ。でもそれは、日本の読書家が天の神様から与えられた絶対不可侵の権利などではない。(もちろん文化振興などの努力はあったにせよ)いままではたまたま偶然そうだっただけなんだ。
Amazonの件も電子書籍絡みの件も、なんでかそういう当たり前のことを無視して、いまの恵まれた環境が未来永劫続くと思い込み、それが揺らぎそうだと業界の無能を責め立てるコメントが目について暗惨たる気分になる。
「出版社がなんの努力もしない無能だから」「取次が搾取をしてるから」そんなコメントが溢れているけれど、そんな無能と悪逆が支配する業界が、なんで世界有数(というかトップクラスの)商品バラエティーと低価格と高品質のアイテムをわんさか出せているの? その資金的労力的な原資はどこから振ってきてると思ってるの? 別に取次や出版社を弁護するつもりもないけれど、「業界を責めればいまより良くなる」なんてのは無邪気を通り越して花畑だと思うよ。
ヤマトの配送と一緒だ。コストで無理なもんは無理。いままでは恵まれてたけれど、これからは国際標準に近づいて貧相になります。以上。