はてなキーワード: スピードとは
ここ軸にしてゆっくり診察してくれる所を探したよ
懐かしい夜の峠にやってきた。まもなくオリオン座流星群がピークを迎えるという。瞬く星空の下、久しぶりに日記を書き始めた。この場所で書くたび、いつも新たな発見がある気がする。
夜の峠には、昔から私を惹きつける何かがあった。人影のない暗闇の山道、ひたすら続く曲がりくねった道に誘われるように、一人車を走らせる。スピードを求めているわけではない。少しだけ開けた窓から流れ込む風が、自然の気配を静かに運んでくれるだけでいい。季節の変わり目には、その匂いや温度の微妙な変化が、峠をより新鮮に感じさせてくれる。
ヘッドライトだけが頼りの世界で私が感じるのは、寂しさや侘しさだけではなく、それらが心の奥底を満たしていく奇妙な充足感だった。普段は目を背けている孤独に身を委ねると、孤独は私を優しく迎え入れてくれる。曲がりくねった道を一つ一つ越えるたびに、この世界にただ一人存在しているという感覚が押し寄せる。それは恐怖でも不安でもなく、むしろ包み込まれるような安らぎだった。
故郷から峠を越えると、別の世界が広がっている。麓のコンビニの駐車場で飲む缶コーヒーから、その地での生活の一端が垣間見える。峠はまさに、異なる現実を分け隔てる境界線だった。深夜、その境界の真っ只中では、何にも囚われず、ただ私だけの時間が流れていく。郷愁と内省が美しく重なり合うこの場所の魅力は、何度訪れても色褪せることがなかった。
しかし、私の生活にパートナーが現れてから、峠での体験は少しずつ変わり始めた。かつての充足感はどこか薄れ、代わりに微かな違和感が芽生えた。その正体は掴めないが、何かが欠けているような感覚だった。景色も匂いも変わらないはずなのに、なぜか以前のようには心に染み込まない。それ以来、夜の峠へ向かう足は自然と遠のいていった。
気がつけば、私はもはや独りではなかった。自分とパートナーとの境界は曖昧になり、日々の充足感の源泉にはパートナーの存在が横たわっていた。相手の幸せを想う気持ちが、自分の幸せと繋がっていた。それは単なる依存ではなく、確かに愛でもあった。けれども、私にとって孤独もまた大切なものだったのだろうか。
時折、峠のことを思い出した。季節の星座に記憶された木々の匂い、エンジンの音と共に静寂の中へと溶け込んでいく体験。独りが故に触れることのできた神秘的直感の世界は、遠い記憶へと変わりつつあった。それでも、あの時間は心の奥底で密かに息づき、再び訪れる時を待っているようにも感じられた。
そんなことを考えているうちに、私たちは別れることになった。心にぽっかりと穴があいた。無意識のうちに広げられてしまった自分。そこにできた空白を埋めるものは見つからず、私はまた独りだった。そうなると、やはり峠が私を呼んでいるような気がした。あの安らかな時間が、再び私を癒してくれるに違いなかった。
車を走らせながら、胸の中には息苦しい緊張感があった。空っぽのはずの助手席が、車を重く感じさせた。やがて見晴らしのいい場所に車を停め、故郷の灯りを見下ろす。こうして今、私は再び峠にいる。しかし、ここには冬の訪れを予感させる冷たさが広がるだけで、私を満たすものは何もなかった。確かに独りでいるはずなのに、もうあの頃の独りには戻れない気がする。これほど人生が長く感じられる瞬間が来るとは思わなかった。かつてはここで未来への希望を映し出していたオリオン座も、今はただ無機質に私の涙を照らすばかりである。
少しでも自浄を期待してるから、選挙明けに責任取らされてすぐ降ろされそうな石破がかわいそうだよ、
どうせなら
・裏金やったやつ
・それ以外(まともかどうかは不明)
くらいに選挙期間だけでも分裂してくれれば"まだ自民的な存在"に票を入れやすいのにな
政党ごとの議員上限数30くらいに制限するのもどうかなとおもってGeminiに聞いてみた。いまいちだったけど、今の与党に対する処方箋としてはどうだろうか。
ーーー以下Gemini回答ーーー(タグとか知らんかったので直コピペ)
日本の政党の議員数を30人程度に制限した場合のメリットとデメリットについて、詳細に検討してみましょう。
政党の多様性減少、政治の安定化: 政党数が大幅に減ることで、政党間の対立が激化し、政治が不安定になる可能性が低減します。政策決定がスムーズに進み、政治の安定化に繋がる可能性があります。
小政党の消滅防止: 議席獲得がより困難になるため、小政党は合流や解散を迫られ、政治勢力が再編される可能性があります。これにより、特定のイデオロギーや地域の利益を代表する小政党が消滅し、多様な意見が反映されにくくなる可能性があります。
政策決定の効率化: 議員数が減ることで、意思決定プロセスが簡素化され、政策決定のスピードが向上する可能性があります。
議員の専門性向上: 少ない議員数で国政を運営するため、各議員はより幅広い分野の知識や経験を身につけることが求められます。議員の専門性向上に繋がる可能性があります。
多様な意見の反映不足: 議員数が大幅に減ることで、多様な意見が国政に反映されにくくなる可能性があります。特に、少数意見や地域特有の課題などが軽視される恐れがあります。
政治の硬直化: 政党数が減り、政治勢力が固定化されると、新しいアイデアや政策が生まれにくくなり、政治が硬直化する可能性があります。
有権者の選択肢減少: 選挙で選べる政党数が減るため、有権者の選択肢が狭まり、政治に対する関心が低下する可能性があります。
地域代表性の低下: 議員数が大幅に減ることで、地域ごとの代表性が低下し、地域特有の課題が国政に反映されにくくなる可能性があります。
政党の独裁化: 議員数が少ない政党では、少数の有力者が党の方針を決定しやすく、民主的な意思決定が阻害される可能性があります。
その他
議員1人あたりの負担増: 議員数が大幅に減ることで、1人あたりの業務量が増え、議員の負担が過大になる可能性があります。
選挙制度との整合性: 議員数を制限する場合、現在の小選挙区制や比例代表制など、選挙制度との整合性をどのように図るかが大きな課題となります。
憲法との整合性: 議員数の制限が、国民の代表制や政治参加の自由といった憲法上の権利を侵害する可能性も考えられます。
まとめ
議員数を30人程度に制限することは、政治の安定化や効率化といったメリットがある一方で、多様な意見の反映不足や政治の硬直化といったデメリットも考えられます。
この問題を考える際には、単に議員数を減らすことだけでなく、どのような選挙制度を採用するか、議員の選出方法をどのように工夫するか、といった点を総合的に検討する必要があります。
結論としては、議員数を30人程度に制限することは、メリットとデメリットを十分に考慮した上で、慎重に議論を進める必要があると考えられます。
具体的な数字: 30人という数字はあくまで一例です。他の数値を想定して、メリットとデメリットを比較検討してみましょう。
選挙制度との関係: 議員数を制限する場合、どのような選挙制度が適しているのか、様々な制度を比較検討してみましょう。
国際的な事例: 他の国では、議員数を制限している国はありますか?その国の政治状況を参考にしましょう。
闇バイト強盗殺人事件からの流れで「馬鹿はそもそも遵法感覚が超弱い」とか「最近のやつは暴力や犯罪にウブすぎる」みたいな話が出てきているが
テニスやサッカーのラインイン/アウトみたいにハイスピードカメラで判定つくものならいいけど
公選法違反はどうしたってグレーゾーンはあるし、公正を口実にバンバン当選取り消しすることは例えば特定勢力狙い撃ちに使えるし、あるいは使ってないのに狙い撃ちしてるという騒ぎを誘発しうる。
エンダーのゲーム(著:オースン・スコット・カード)というシリーズを知っているか?
まあ簡単に言えば、宇宙戦争時代を舞台に「あれ?また俺なんかやっちゃいました?」していく作品だ。
生まれたのが50年近く前でまだなろうという文化も無かったため「これは画期的だ!」と滅茶苦茶評価され映画にもなったわけである。
わずか30ページ程度の中で何度も繰り出される「あれ?俺なんかやっちゃいました?」「ちょっと工夫しただけですよ?」「俺なんかにこんな大役を・・・」が楽しいハイスピードやっちゃいました系小説となっている。
ハッキリ言う。エンダーシリーズの中で一番面白いのはこの短編だ。
エンダーの基本となるエッセンスが混ぜモノなしでそのまま味わえるからだ。
こういった「短編や読み切り版の方が面白い」ということはどこの界隈にだってある。
ジャンプの新連載なんてしょっちゅう「読み切りでは面白かったのにね。1話が読み切りのリメイクで2話~20話まで全部蛇足は笑っちゃうよ」みたいに言われて消えていく。
ゴールデンに移籍して枠を増やした結果つまらなくなった深夜番組の如くである。
とはいったものの、俺は小説と漫画ぐらいでしかこういうのを知らんのよな。
たとえば「特別版2時間スペシャルで評判が良かったので1クールのドラマシリーズにしたらクッソ評判悪かった」みたいなのが沢山あるはずなんだよ。
なんなら「20分のショート動画として受けたので2時間の映画にしたら、蛇足まみれでゴミになった」みたいなのとかもさ。
音楽の世界にもあるのかな?まあ「一発屋の大成功で上がった評価がアルバムのしょーもなさでバブル崩壊」みたいなのは結構起きてるか。
つまりだな、そういうことだ。
個人的に目に留まった回答をピックアップしてみました。今回もAFEEに感謝。
引用元:第50回衆議院議員総選挙の候補者に向けて実施した表現の自由についてのアンケート結果
設問(1-a):
どちらともいえない、答えない
設問(1-b):
表現の自由やプライバシー権を守りながら、子どもを性虐待・性的搾取の対象とすることを許さない社会にしていく必要があります。そのための自主的な取り組みを促進していく必要があります。
共産党のテンプレ回答。引用は現委員長。ざっくり50人くらいが採用しており、2024年衆院選公約を踏襲した内容です。「子どもポルノ(非実在児童ポルノ)」の法規制には反対する一方で、党公約では国連を引き合いに出していることから、「子どもを性虐待・性的搾取の対象とすることを許さない」には「子どもポルノ」も含むと解釈するのが妥当です。つまり「『子どもポルノ』の法規制には反対するが、それ以外の手段で社会から排除されることを目指す」という立場になります。
設問(1-a):
どちらともいえない、答えない
設問(1-b):
表現の自由を最大限尊重し、マンガ・アニメ・ゲームなどの内容に行政が過度に干渉しないコンテンツ産業支援を目指すべきである。現行法規の遵守を徹底したい。
維新のテンプレ回答。引用は現代表。10数人が採用。こちらも共産党と同じく、党公約を踏襲しています。設問1-bで「現行法規の遵守徹底」を謳いつつ、設問1-aの回答が「どちらともいえない、答えない」という齟齬が気になります(一応、2名が「法令で規制するべきではない」を選んでいます)が、基本的には現状維持なのかと思われます。
設問(1-a):
どちらともいえない、答えない
設問(1-b):
立憲のテンプレ回答。引用は前代表。10数人が採用。法規制すら否定していないので、共産党以上に規制寄りと言えそうです。
ちなみに立憲の2024年衆院選公約には以下の文言があります。
メディアにおける性・暴力表現について、子ども、女性、高齢者、障がい者をはじめとする人の命と尊厳を守る見地から、人々の心理・行動に与える影響について調査を進めるとともに、情報通信等の技術の進展および普及のスピードに対応した対策を推進します。
設問(1-a):
設問(1-b):
インターネットの普及により猥褻映像が簡便に入手できるようになり若年者にも閲覧可能な環境となっている。フィクションとノンフィクションの判断が曖昧な若年者に与える影響は大きいと考えるからである。
設問(2-a):
設問(1-a):
設問(1-b):
インターネットの普及により猥褻映像が簡便に入手できるようになり若年者にも閲覧可能な環境となっている。フィクションとノンフィクションの判断が曖昧な若年者に与える影響は大きいと考えるからである。
設問(2-a):
テンプレというほど数は多くありませんが、完全に同一な回答のお二人。
設問(1-a):
設問(1-b):
日本のサブカルチャーは海外で高い評価を受けており、クールジャパン戦略で日本のファンが増えれば世界平和に繋がるし外貨獲得にもなる。非実在ポルノと児童の権利を侵害する行為の関連性も明らかになっていない。
争点を理解した規制反対理由だと思ったら、過去山田太郎氏と対談しており、2021年衆院選でも氏が支援している候補者でした。
設問(1-a):
設問(1-b):
設問(2-a):
刑法の猥褻物頒布規制, AV新法による規制, ポリコレの言葉狩り等, 新サイバー犯罪条約による創作規制
設問(2-b):
設問(3):
好きなアニメ・漫画は「進撃の巨人」、「鬼滅の刃、「スパイファミリー」、「キングダム」、「推しの子」です!みんなの「推しメン政治家」になりますので、推し活よろしくお願いします!^^ 好きなゲームは、「ゼルダの伝説」、「ドラゴンクエスト」、「ファイナルファンタジー」など、主にRPGが好きです♪仲間と一緒にやる盛り上がるゲームも大好きです!
設問3の回答がやけに軽いので目に留まりました。設問1-aで選んでいるのは「法令で規制すべき」ですが。
設問(1-a):
どちらともいえない、答えない
設問(1-b):
表現の自由に配慮し、規制のあり方について議論を進めていく必要があると考えています。
設問(2-a):
内容自体は正直虚無で、敢えて取り沙汰するまでもないですが、自民党の派閥領袖クラスが回答しているのは珍しいと思います。無内容なのでスタッフが作成し、最後にOKを出しただけかもしれませんが。
設問(1-a):
どちらともいえない、答えない
設問(1-b):
設問(1-a):
どちらともいえない、答えない
設問(1-b):
かつての児童ポルノ禁止法改正反対の旗手が、実にそっけない内容。一方、その枝野幸男氏と国会でやり合い、表現規制派と目されていた葉梨康弘氏もトーンダウン。結果、同じ回答に。
設問(1-a):
設問(1-b):
現行の児童ポルノ禁止法が、保護法益の曖昧な悪法であることは、同法に長けた奥村徹弁護士も指摘するところで、簡潔にして当を得た規制反対理由だと思います。
設問(1-a):
設問(1-b):
実在しないキャラクターであるから芸術ないしは表現形体の一種と考えるべきである。自主規制の組織を作り、そこで規制すべきで、法律による規制には反対。
東京都の青少年健全育成条例(以下都条例)改正の昔から、一貫して規制に反対されていてブレないです。ただ「自主規制の組織」は、個人的には首肯し難いです(CEROを思い浮かべながら)。
設問(1-a):
設問(1-b):
創作表現は実在の人権を直接害さず、その影響も科学的に未立証だ。感情論や印象論のみで規制すれば表現の自由を不当に制限する。送り手・受け手の権利も尊重すべきであり、法による規制は不適切である。
設問(2-a):
刑法の猥褻物頒布規制, AV新法による規制, クレジットカード会社の決済制約, ポリコレの言葉狩り等, 新サイバー犯罪条約による創作規制, ジェンダー平等論に基づく創作規制
設問(2-b):
これらの規制は、創作や表現の自由を様々な形で制限する可能性がある。法的規制や社会的圧力により、芸術や言論の萎縮を招き、多様な表現を抑制する恐れがある。表現の自由は民主社会の基盤であり、慎重に扱うべき。
表現規制反対派らしく、争点を踏まえた規制反対理由だと思います。ろくな候補者がいない選挙区の在住者からすると贅沢な悩みかもしれませんが、東京1区の投票先は悩ましいですね。
設問(1-a):
設問(1-b):
かつて都知事選に出馬した際、不健全図書指定の基準明確化を謳っており、「語れる」人だと思うのですが、そっけない回答なのが残念。
設問(1-a):
設問(1-b):
表現の自由の範疇で最大限保障される。人権制約原理たる公共の福祉は他人の人権との調整機能である。これらを踏まえると、他人の権利を侵害しない非実在キャラクターの表現に対する規制は最大限抑制的であるべき。
設問(1-a):
設問(1-b):
実在する人物に実害が及ぶという明確なエビデンスが無い段階で、単に過激な性的・暴力的表現を含むことをもって安易に法令で規制をかけることは、憲法が保障する表現の自由を損なうと考えるから。
設問(1-a):
設問(1-b):
設問(2-a):
憲法が保障する権利である表現の自由は平和や平等と同じくらい重要なものであり、いずれも規制する権力側が嫌悪感や倫理観等の曖昧な基準で規制することは避けるべき
かつて成人向けゲームの販売規制の請願紹介議員となり、表現規制派と目されていた方ですが、数年前から規制反対を公言しています。以前の認識のままの方は、是非この機会に情報のアップデートを。
設問(1-a):
設問(1-b):
児童ポルノ禁止法が所持や提供や製造を禁止しているのは、実在する児童を性暴力・性搾取の被害から守るためです。「何か影響や関係があるかも」という理由で規制の対象を広げるべきではないと考えます。
設問(2-a):
刑法の猥褻物頒布規制, AV新法による規制, クレジットカード会社の決済制約, ポリコレの言葉狩り等, 新サイバー犯罪条約による創作規制, ジェンダー平等論に基づく創作規制, 政府等が何らかの表現の制約をする時は常に。
設問(2-b):
表現を規制する際は、仮に正しい目的のためにどうしても必要に見えても、どこかに問題が隠れているかもしれないという視点に立ち、その目的と手段が本当に適切かどうか、慎重に確認し続けることが大切だと思います。
外国人参政権関連で右派から批判されていましたが、都条例改正から一貫して、表現規制反対を主張されています。反対理由も明快です。
設問(1-a):
設問(1-b):
設問(1-a):
設問(1-b):
実在しないとはいえ、児童を対象とした過激な性的・暴力等はそもそも適法ではなく、また、当該表現に影響されて犯罪を惹起する可能性があること、等から所持・提供・製造を認める積極的理由がないから。
設問(1-a):
どちらともいえない、答えない
設問(1-b):
表現の自由やプライバシー権を守りながら、子どもを性虐待・性的搾取の対象にすることを許さない社会にしていく必要があります。そのための議論と合意への自主的な取り組みが重要です。
規制派、規制派、できの悪いテンプレと、この中から選ばないといけない東京20区にお住まいの有権者には同情したくなります。
設問(1-a):
設問(1-b):
マンガ、アニメ、ゲームについても、表現の自由(憲法21条)として保障されるものであり、それを制限るには、他の人権との調整であることが必要と考えられます。非実在児童の場合には被侵害利益がありません。
都条例改正から一貫して表現規制に反対されています。バキを彷彿とさせる脱字を除いては、規制反対理由も模範的で、こういう方を大切にしたいです。
設問(1-a):
設問(1-b):
かつては都条例改正にも児童ポルノ禁止法改正にも反対されていたのですが、こちらはどうも、宗旨替えされたようです。
設問(1-a):
設問(1-b):
様々な性癖を持つ人々が創作物を通じて情欲を解消できる環境を整えることは重要です。これにより、犯罪や被害者を減少させることができるなら、適切なゾーニングのもとで自由を認めるべきです。
古株かつ筋金入りの表現規制反対派。セクシュアリティの尊重を規制反対理由としている唯一の方(見落としていたらすみません)です。
非モテとか非リアとか言ってワーキャー言ってたのが遠い昔のよう
チー牛も元は自虐ネタがいつの間にかルッキズム的な差別用語になった
→車線変更したくてウインカーを出すと車間を詰めてくる人が圧倒的に多いので入りませんよという空気を出しつつ隙を見て同時に車線変更をしなければ一生入れない
安全運転の為に車間をあけているとほぼ必ずウインカーと同時に割り込まれる
もはやウインカーを出すと損
・後ろの車が数百メートル離れていたらウインカーを出さずに車線変更
・制限速度+20kmで走らないと煽られる
・右車線を制限速度以下でゆっくり走っているくせに左から抜かされそうになったら急にスピードを上げる
→ケチ
・一生クラクションが鳴っている
→うるさい
→それどころか左折で横断歩道で止まっている隙に対抗の右折のほうが先に行こうとする
・バスが多すぎる
・アルファードが速すぎる
→道狭いのに…
世界一かっこいいはずのドイツ人ですら「ナチ Ist cool!」だったからね。
でも気づいたら軍隊オタクは格好悪くてキモくてニキビ面でカードショップみたいな臭いがする連中って扱いになっていった。
それこそバブルが弾けるようにあまりにも突然にそれはやってきたんだよ。
他にも「皇族・王族好き」や「ヤクザ好き」といったブームがあったけど、完全にキモくてダサくてどうしようもなく時代遅れななにかへと変わった。
アニメ好きといえば言語化能力に障害があって死ぬまでバージンの憐れな生き物だった。
それがいまや「アニメが好きなのが普通。未だにアニメを叩いてるような老害って太陽の季節でセンズリしてるような奴らでしょ?」って扱いだ。
つまり、このバブルが弾けるまでのタイムリミットも早いってことだよ。
10年は持つと思う。
20年後、怪しいよね。
30年後、多分きっとおそらくもう駄目だろう。
でも実際には身体という物理的インターフェースを通して外界と繋がってる。
iPad で Web をスクロールしてるとき、情報は指の筋肉のアクションを起点としてインターネットを通って外のコンピュータを電気シグナルが巡り、やがて自分の目にフィードバックする。
人間の脳が情報の集約ポイントとなり、主観という意識を形成する。
一番高速な自分の脳が消えれば、外界という効率の悪い脳の外部インターフェースに頼らざるを得なくなる。
通常の 0.00000000000...1 倍のような速さになるから、もし50年昏睡してたら、その間1秒くらいの人生だったと思えるほど、薄まるだろう。
しかし宇宙の寿命は数百億年か、もっとある。もしかすると永遠かもしれない。
1704年、猫の世界でとびきりの物理学者、にゃートンが重力を発見した年だ。
猫界の物理学者たちの間でも、この名前を持つ者は何かしらの大発見をすることが求められていたのだ。
にゃートン自身は気難しい性格で、他の猫たちが昼間にひなたぼっこやネズミ捕りに興じている時でも、彼は小さな研究所で丸くなって本を読むのが日課だった。
そんな彼の口癖は「にゃんだこの世の法則は?」で、どんなことにもすぐに疑問を持つ。
そしてその日も彼は、好物のキャットミルクを飲みながら、世の中の不思議に思いを巡らせていた。
しかし、にゃートンは体が大きく、どうしてもお腹がぽっこりとしてしまう。
日差しが暖かくて少し眠くなってきた彼は、おもむろに木陰で昼寝をしようとした。ちょうどその時、古いリンゴの木の下で丸くなったにゃートンの頭に、ぽとりとリンゴが落ちてきたのだ。
「にゃ!?」
頭を押さえて飛び起きたにゃートンは、しばらくぼんやりとリンゴを見つめていた。
そして、何かがピンときた顔をして「にゃにゃにゃ、そうか、これだ!」と叫んだのである。
そう、猫の世界でも伝説となったこの瞬間、にゃートンは重力というものを発見したのだ。
「このリンゴ、ただ落ちたんじゃないにゃ。引っ張られて落ちたに違いないにゃ!」と、彼は木の下でくるくると踊り出した。
「地球にゃんかが、リンゴを引き寄せたにゃ!だからリンゴは落ちたんだにゃ!」
彼の研究室はリンゴだらけになり、彼のノートは「重力の法則」と書かれた図や数式でびっしり埋まっていた。
にゃートンの研究は、もちろん猫界でも注目を集め、街中の猫たちは彼の発見に興奮した。
特に、ネズミを追いかけるスピードを理論的に説明できることが、ハンター猫たちの間で大ブームになった。
ただし、にゃートンが重力の法則を説明するために、リンゴを頭に乗せて実演しようとした時は、ちょっとしたハプニングが起こった。
彼の助手を務める子猫、にゃんパードが、にゃートンの真似をして頭にリンゴを乗せた瞬間、足を滑らせてそのまま転がり落ちてしまったのだ。
「にゃんパード、それはただの事故だにゃ!」
そんなやりとりが続きながらも、にゃートンは研究を進めた。
やがて、重力の影響で物がどう動くかという「にゃートンの法則」を完成させた。その時、彼は自信たっぷりに「これで世界中の猫たちは、もっと賢くなるにゃ!」と胸を張った。
そして、にゃートンの発見が世に出た後のこと、彼の名は猫界だけでなく、なんと人間の世界にも響き渡ることとなる。
実は、にゃートンがリンゴを使って研究をしていたことを、偶然近くに住んでいた人間の学者が目撃していたのである。
その学者は後に「ニュートン」として名を残し、にゃートンの発見を「自分のもの」として発表したのだった。
しかし、にゃートンはそんなことを全く気にしなかった。むしろ「にゃんだ、誰でも同じ結論にたどり着くにゃ」と気楽に笑っていたという。結局、彼にとって重要だったのは、世界の法則を自分の目で確かめることだったのだ。
その後、にゃートンは長い猫生を重力の研究に捧げ、猫界の科学の発展に大きく貢献した。しかし、彼が本当に一番誇りに思っていたのは、自分の発見がネズミ捕りの技術を格段に向上させたことだった。
「重力があるおかげで、ネズミも落ちてくるにゃ。感謝するにゃん」と、彼はしばしば微笑みながらそう語っていた。
そして、にゃートンが生涯を終える時、彼は最後の力を振り絞って「重力の研究はにゃんとも楽しいものだったにゃ」と言い残し、ふわりと眠りについたという。
自分はマルチタスクが苦手で、キャパシティが小さく、動きが遅い。2つ以上のことを同時にやると何かを必ず忘れるし、覚える事が多いと混乱する。仕事になれたとしてもそのスピードは上がらない。
加えて、昔から人見知りが大人になってもある。バイト先の雰囲気に慣れるまで、初めての人に話しかけられない。
こんな無能でも細かいマニュアルをすぐ見れる状態でのバイトであれば、問題ない。マニュアル通りに動けばいいのですぐ慣れる。
問題は最低限しか書かれていないマニュアルやそもそもマニュアルがないアルバイトである。
仕事内容を頭に入れながら作業をする必要が出てくる為、必然的にマルチタスクになり、キャパシティオーバーになる。自分の仕事でいっぱいになり、他の人を見てる余裕はなくなる。
そんなタイミングで、自分で考えなければならないような、曖昧な指示を出されれば何をしていいか分からなくなる。そして、最終的に仕事をしないないと見られ、仕事をしろと注意されるのだ。
ちなみに今のバイトには簡単なマニュアルしかないし、メモをとるような時間は無い。説明を1回聞いただけでやりながら覚える所だ。もちろん、ミスをしたら怒られる。呼び込みしてという指示だけ出して、どのような呼び込みをすればいいのか具体的な指示はなく、周りを見て考えろというスタンスである。つまり、自分と相性の悪いバイト先である。
自分でもどうにかしたいが、対処法が分からない。暫くは、今の簡単なマニュアルがあるバイトで働いて対処法を見つけたいと思う。バイト先には迷惑をかけるし、嫌われるだろうが、バイトを辞めれば縁が切れる。とりあえず半年は頑張ってみようと思う。
教育係の人、説明したらすぐ出来るでしよ?の考えのよう。4日間ぐらい一緒に仕事した感じ、その人自身がそういうタイプなんだと思う。吹っ切れたからマイペースにやってみようと思う。コメントくれた人もありがとう。
AIで作ったと思しきTOEIC風の問題を掲載したサイトがホットエントリになっている。
これに対して「難しい」とか「わかるわけがない」みたいなコメントがついているのが気になった。
全問は見てないけど、ざっと見た(聞いた)限り、決して難問ではない。
AIで作った音声の不自然さ(平板で息継ぎがない)は気になるが、読み上げスピードは日本人向けテストとしてはノーマルレベルだと思う。
また、設問に関しても、Part1・2は中学で習うレベルの受け答えが多いし、
Part3・4も答えの文言がそのままスクリプト内にある問題が多く、特定のフレーズや単語だけ聞き取れれば答えられるレベルだ。
感覚的には、TOEICで500~600点くらいのレベルじゃないかと思う。
英語ができないといけないとか、できるから偉いとか(ましてやTOEICの点が高いから偉いとか)、そういう話をしたいわけではないんだが、
走らない飛ばない。
走るにしても、ボールを取りに走るか、塁間を走るか、決まった方向に走るだけ。
コンタクト(体のぶつかり合い)もほぼなし。
投手もダラダラと何十秒もかけて一球投げる。
相手の戦術に対する試合中のアジャストのような戦術の応酬なんてあるわけない。
そのため、チームプレーや呼吸を合わせたプレーなんて、滅多にない。
息を合わせるプレーなんて、二遊間みたいな内野の守備のやりとりくらい。
選手がベンチにいる時間も長いので、ベンチのたびに配球をコーチ陣と相談したり、熟考する時間だってある。
試合中に選手がじっくりタブレットやノーパソみて考える時間があるから、瞬時的な判断能力なんて不要。
こんな風に思ってるやつが野球なんて見るわけないので、詳しくは知らないが。
さらに、筋トレ技術が普及・発達して投球スピードが上がったら、肘を壊す投手多発。
試合時間も長く、夏場に育成年代がやるには熱中症の危険も高い。
育成年代の保護者からしても、投手と捕手以外の選手が関与する時間が極めて乏しく見ごたえがない。
親の洗濯の手間も多そう。
現地野球観戦は何を見るんだ?
一部の観客席以外、一番重要な配球等のやりとり見えないだろ。
サッカーなら、戦術や連携として、ボールのないところの動きが重要になるが。
観るにしても、自分でやるにしても、親がさせるにしても何が面白いのかさっぱり分からん。
これまでやってきた奴が競技引退後も観戦を楽しむ気持ちはまだわかる。