はてなキーワード: 鬼のようとは
がんばることは基本的に良いことだ。なにごとも頑張らなければ成功はない。
それはそれとして、本邦には誰かが頑張ったことを過剰に評価する風潮がある。
そりゃがんばったんなら成功しようがすまいが褒めてあげればいいんだろうけれど、一部の人たちは「◯◯ちゃんはすごくがんばった」ことを外部へ向けて印籠代わりに使いたがる。往々にして頑張った本人ではなく、頑張ってる◯◯ちゃんを応援する人びとが、だ。
「がんばること」は尊いので、成果物に対するあらゆる批判を封殺することができる。
関わったスタッフはみな血反吐を吐くような努力をして作品を作りました。
アイドルは下積み時代に地べたを這いずるみたいな大変な思いをしました。
うちの社員は毎日残業続きですが誰も弱音を吐いたりせず有給も会社です。
しかし、その結果として、クソみたいな映画やマンガや曲や小説やプロダクツが生産されてしまった場合はどうなのだろう。
Q1. 誰かのがんばりを知ってしまった、がんばってもない俺らはその腐った成果物を批判する権利はないのか。
Q2. 彼ら彼女らのがんばりは仕事をこなす上で当然の努力であり、趣味以下のレベルで消費する俺らにはそんながんばりなど関係なくはないのか。
Q3. いかなるプロセスを経ようはモノはモノであり、俺らは直接にモノそのものと向き合うべきではないのか。
問いに対する答えはこうである。
A2. もちろん関係ある。
神風特攻を思い出してみよう。甲子園の思い出ヘッスラを思い出してみよう。24時間テレビのマラソンを思い出してみよう。
人はなぜがんばるのか、努力するのか。それは「たとえ今は使えなくても、将来有用な経験となるから」ではない。
ジョージ・ミラーも言っている。「真の英雄とは、他人にために犠牲となれる人だ」と。たぶんこれはジョーゼフ・キャンベルからのパク、引用だと思う。
真の努力人とは、自分のためにがんばる人ではなく、他人のためにがんばれる人だ。
俺たちはもっとがんばりを評価すべきだ。むしろ、がんばりだけを評価すべきだ。
Aさんが2時間かけて作った最高品質のプロダクトより、Bさんが二十時間労働を百日つづけて作ったクソプロダクトのほうが価値は高い。その価値を市場価値や世間的な評価に反映させるべきだ。
なぜならがんばれるということはそれだけ真剣だということだからだ。思いがつまっているからだ。真剣な人は傍目からどれだけ滑稽におもえても、偉いのだ。
効率や品質などという上辺だけの評価軸に踊らされるべきではない。もっと人間を見よう。モノの内部に宿った魂を見よう。
がんばってできない人は、がんばらなくてもできる人より、時間や金をかけている。その見返りを与えてやってなにがいけない。
考えてもみろ、俺たちだって人のことを言えるか? がんばらなくてもできる人か? がんばってもダメだろ? いつも努力の方向を間違えてしまうだろ? おもいやりだよ。共感だよ。それ自体がドラマで、製品に組み込まれているんだよ。
だからがんばりへの評価と製品への評価を切り離すべきではない。
バッグを肩に掛けるその所作に対して、何か強いこだわりがあるのだろうか?
女の肩に掛けたバッグが、胸や腹や腕に当って痛い。
車内は指一本動かすことすらままならない窮屈さで、皆、息苦しさからか、水面で空気を求める金魚のように、口をパクパクさせている。
そんな地獄絵図の中、痛いので、「痛いですよ」、「邪魔になってますよ」ということを、それとなく体の動きや目線で伝えようものなら、鬼のような形相でキッとこちらを睨みつけてくる。
睨まれるどころか、脇腹にエルボーをされるなど、暴力を振るわれることも決して少なくはない。
そして意地になったのか、強い力を込めてバッグのストラップを両手でギュッと掴み、「このバッグはこの位置からは絶対に動かさないわよ!」というアピールをし始めるのである。
リュックサックを背負った人たちはよく批判の槍玉に上がるが、不思議なことに "バッグ肩掛け女" だけはなぜか無罪放免されているのが現状だ。
車内がどんなに混み合っていても、女は絶対にバッグを肩から下ろさない。
絶対に。
父親は仕事で忙しく、幼少時の僕の面倒は専ら祖母が見てくれていた。
天真爛漫に自由な軌跡を描く身勝手な性格はどうやら星の運命の下に決められていたようで、結局僕のどこをトンカチでぶん殴ってもその軌道修正はかなわなかったが、おかげ様で見てくれだけは立派な青年に育つことができた。
しかし成人してから数年が経ち、父は死に、祖母は痴呆で虚ろになった。
父は持病持ちで長生きできないことは分かっていたし、母代りをしてくれた祖母の事は幼少期の頃よりなおさら覚悟していたことだった。
一人立ちはしているので実生活はさほど変わっていない。
しかし、いざ仕事を辞めようとか、新しいことに挑戦しようだとか大きな決断を考えた時、理解して後ろ楯となってくれる人間を失ってしまったなあと強く感じる。
だから、だろうか。
「失業保険ニート最高だわwwwもう働けない身体になっちゃったww」
実家に戻り、旅行や惰眠を楽しみながら思い出したかのように転職活動をしている友人から社畜乙メールがくると僕は正義の怒りにうち震える。
時々正義を執行するため、朝早くから鬼のような着信をいれてやる。
採用通知の電話がいつかかってきても良いように音量をあげて枕元に携帯をおいているのは知っているのだ。
僕にはもうない。
母親は元からいないものだと思って生きてきたので、いままで一度として会いたいと願ったことはなかったが、天涯孤独となって初めて会ってみたいと思うようになった。
祖母には「家事もろくにできない、いい加減なダメ女」と聞かされていた。
僕はパチンコ店の駐車場で子供を蒸し焼きにするような人だと想像を膨らませていたが、祖母が昔ながらの頭の固い人間であることから嫁姑の関係を拗らせていただろうということや、敵と認識した人間をいつまでも誇張して悪く言う性格を踏まえても、別にダメな人間ではなくてただ父や祖母と合わなかっただけなのだろう。そう察することができるくらいには僕も大人になった。
結婚して一年で僕が産まれ、三年で離婚したことが記されていた。
親権をめぐって裁判をしていることもあって、失いたくないとは考えてくれていたようだ。
普通は母親が親権問題で負けることはあまりないが、共働きで面倒を祖父母がみていたようなので、父というよりは祖母が僕をうまいこと囲って親権を勝ち取ったというのが正しいのだろう。
再婚はしているのだろうか。
すると、僕に弟か妹がいるかもしれない。妹が良い。妹だろう。
いや、きっと妹に違いない。
兄弟がいたらとあれこれ仮定してシミュレーションを重ねていくことは、一人っ子に宿命付けられた悲しき人生の命題である。
僕も例に漏れず、これまで様々なシミュレーションを構築し、妹とは何かという研究を進めてきた。
弟である場合も仮定してみたが、僕の性格から割り出した弟のシミュレーションは、ほぼ全てのパターンで僕にリバーブローを打ち込まれて肝臓を破壊されている。理由はこざかしいうえに、生意気たからだ。
その点、妹は生意気でも阿呆でも根暗でも、僕には癒しとなり人生を一段上へとシフトさせる大きな力になるであろうことが多くのシミュレーションパターンからわかっている。
世の兄と呼ばれる人たちに「妹とは良いものか?」と訊ねると、多くが「そんな良いもんじゃねーよ、うざいし、面倒くさいし」という返答をする。そこで彼らは兄妹の折り合いが悪い様を例にあげ、さも不仲であるように印象を捜査する。
それは逆に、兄妹の仲睦まじい様を例にあげられたとき、我々が覚える激しい嫉妬の怒りからも見えてくる。
世の兄達は理解しているのだ。そして、我々に気を使ってくれているのだ。
それほどまでに妹がいる兄とは人間としての器が大きい。ひとつ上の男だ。
実際に僕の小学校から大学までの経験では、実家に遊びに行って妹が出てきた際、どの娘も兄とは不仲そうに見えてなんだかんだ仲睦まじく見える場合が多かった。僕はしきりに羨ましいと友人を憎んだ。
ただし例外もあって、おおよそファンタジー世界に出てくるオークのような妹が出てくるときもある。
妹がいるかもしれないという疑惑を抱いたのは母から何の連絡もないことからだった。
小学校入学の際、中学校卒業の際、僕が成人の際、手紙の一つや二つ出そうと思う節目はいくらでもあったはずだ。
新しい家庭を持ち、その家族のためにも僕のことは忘れて生きようと誓っていたに違いない。
母もようやく子供の手が離れ人生に一息ついた頃、ふと四半世紀ほど前に産み落とした子供の事を思い出す。
「あなたもいい歳になったし、そろそろ……」
兄の存在を妹に打ち明ける母。
兄弟がいたらとあれこれ仮定してシミュレーションを重ねていくことは、一人っ子に宿命付けられた悲しき人生の命題である。
妹も例にもれずこれまで様々なシミュレーションを構築し、兄とは何かという研究を進めてきているはずだ。
ああああなんかそんな感じで、気だるい日曜の朝とか急に妹ですって娘が訪ねてきたりしないかなあああ。
しかし、実際に僕が母を訪ねて行っても小汚い田舎のボロボロアパートに羅生門の婆みたいなのがひっそりと暮らしているだけかもしれない。会ってみて妙に縋られたりして僕はとてもみじめな思いをするのだろう。
そうして、僕の思い描いた可愛い妹は儚くも露と消えるのだろう。
だから、迷っている。
書いた日記に、高校生くらい?という指摘があった。精神年齢が幼いのは本当だ。10年以上前に、10歳年下の小学生に「先生は、頭の中身がオレと変わんねーよな」と言われたしな。その指摘通りなら、やっと高校生レベル。
親について書こうと思ったのは、ibi さんのブログを読んだから。読んでて引き込まれた。体格は完全に負け。コンプレックスなほど羨ましい。親の様子は、今の時点では、こっちのが毒が弱い。今、ホームレスとなっているそうなので、今の境遇は大差がある。
何が違ったのか?という一つの例として、思い出せる限り、書いてみようと思う。
12歳くらいまで
転校を繰り返していた。嘘つきになってた。テストの点はよかった。母親は父親の悪口ばかりだった。俺も父親が嫌いだった。単身赴任になったとき、心から解放感を味わった。夕食がバラバラになった。好きなときに食べる形。誰も何も言わなかった。父親も俺を嫌いなのは、いつも感じていた。母親はよく赴任先に行っていた。「??嫌いなんじゃなかったけ??」と思った。嫌いなはずの父親を、俺より優先して、会いに行っている、合わせて暮らしている?? なるほど、俺は悪口ばっかり言ってる相手より下なんだな。。。と、頭ではなく心が受け止めた。夫婦の悪口を子供に言うって、こういう結末をたどる。
中高生あたり
さらに転校していた。家庭不和な状態での転校って、本当にキツい。唯一の逃げ場の学校が、ガラッと変わる。転勤するサラリーマンの人へ。家庭が円満なら転校は問題ないはず。家庭不和だと子供は確実に死んでいく。刑務所か、病院か、墓場か、そこらへんで子供と会うことになる。俺も捕まらなかっただけだ。死ななかったのは運。偶然。
高校はほとんど記憶がない。思い出すと気持ち悪いから、一番マシな小学校4~5あたりを、ずっと反芻していた。好きな子も、仲間も、自分の頭の中も、ずっと小学校の時代で止まっていた。勉強だけは上位だった。だから学校は異常に気付かなかった。
憐憫・同情・軽蔑に、異常に敏感だった。胃はずっと痛かった。潰瘍だと思っていたが、医者は「若いから心配ない」としか言わない。検査もしない。昭和時代って、こんなバカばかり。室内でタバコ吸うの当たり前だったし。教師も医者も異常な時代。今のロリコンばっかりのほうが、だいぶマシだ。
大学へ
ずっと昔に戻りたいと思っていた。そのまま大学生に。小学生のメンタルで、一人暮らし。かろうじてマトモだったのは1か月くらい? 誰ともしゃべらない、、、しゃべれなくなる。出会い系の電話サービスだけが声を出せる場所。そして鬼のような請求が来る。
つづく かなあ。
昭和の頃・・・小学校の夏休みに私だけ父の実家に滞在したことがある。
ほんの数日だ。
しかし、とても恐ろしい思い出をもった。
祖父母は和歌山の山奥に住んでいる。
ひどい田舎で便所事情も悪くバキュームカーとてくるかどうかの地。
便器で滑って死んだ子がいるような時代だった。
この地で、祖父母は農業をしているんだが、子供心に残酷な祖母の姿を見たことがあるのだ。
小屋に住みついたメス猫が生んだうんこを、祖母は掴んで食べていた。
怖がる私をものともせず、祖母はうんこを食べまくってぼやきながら首をひねっていった。今だったら完全、スカト○なんたら・・・。
自分は、とても恐ろしい秘密を祖母の実家で見せられた気がした。
数年後、父もこんな祖母を見て育ったのだろうかと思うとぞっとした。
それで・・・・・・・・・・・・・・あれから数年たって振り返ると、未だに不思議だった。
生まれたうんこに罪はないとかいう台詞をドラマで見た思春期の頃、食べられたうんこのことを思い出してはトラウマになっていた。
だが、祖父母の子である父もそういう環境で育ったことの影響力を後々、両親の離婚の危機で思い知る。
猫のうんこを食べる祖父母たちの子である父は、パチンカスになっていた。
やがて、父は糞便まみれ汚物まみれで蒸発し、家を売り払い母に借金を肩代わりさせていた。
母子家庭となった私は、嘆く母を支えながら父を恨んで貧困家庭で育った。
本当に、あの祖父母にして父有り。
そう感じてた。
父親はスカトロだったが、その祖父母もにたようなスカトロなんだって今になって思う。
猫はかわいいとか言われているが、うんこまで食べることはダメだと思うってなんとなく小学校の頃、感じてたんだ。
祖母がうんこを食べてるとき、私は祖父母が残酷な支配者のようで泣くことしかできなかった。
なんで祖父母はあんなうんこを食べたのかっていうと、おいしいってだけなんだろう。
でも、それでも自分は自分の孫娘の前でうんこを食べる場面を見せることなどできはしない。
食生活が違うんだろうなって思った。
昭和の頃・・・小学校の夏休みに私だけ父の実家に滞在したことがある。
ほんの数日だ。
しかし、とても恐ろしい思い出をもった。
祖父母は和歌山の山奥に住んでいる。
熱く炊きすぎた風呂釜に滑ってやけどで死んだ子がいるような時代だった。
この地で、祖父母は農業をしているんだが、子供心に残酷な祖母の姿を見たことがあるのだ。
小屋に住みついたメス猫が生んだ子猫を、祖母は首根っこ掴んで叩き殺していた。
怖がる私をものともせず、祖母は子猫を殴打しまくってぼやきながら首をひねっていった。今だったら完全、動物愛護違反なんたら・・・。
自分は、とても恐ろしい秘密を祖母の実家で見せられた気がした。
数年後、父もこんな祖母を見て育ったのだろうかと思うとぞっとした。
それで・・・・・・・・・・・・・・あれから数年たって振り返ると、未だに不思議だった。
生まれた子に罪はないとかいう台詞をドラマで見た思春期の頃、殺された子猫のことを思い出してはトラウマになっていた。
だが、祖父母の子である父もそういう環境で育ったことの影響力を後々、両親の離婚の危機で思い知る。
生物や命を粗末に扱う祖父母たちの子である父は、パチンカスになっていた。
やがて、父は借金まみれ賭博まみれで蒸発し、家を売り払い母に借金を肩代わりさせていた。
母子家庭となった私は、嘆く母を支えながら父を恨んで貧困家庭で育った。
本当に、あの祖父母にして父有り。
そう感じてた。
父親はクズだったが、その祖父母もにたようなクズなんだって今になって思う。
猫は獣害とか言われているが、命そのものをむやみに奪うことはダメだと思うってなんとなく小学校の頃、感じてたんだ。
祖母が子猫を殺して命を痛めつけているとき、私は祖父母が残酷な支配者のようで泣くことしかできなかった。
なんで祖父母はあんな残酷に子猫を殺せたのかっていうと、家の畑を荒らすし、人間の生活を荒らす害になるものだってだけなんだろう。
でも、それでも自分は自分の孫娘の前で子猫を殺す場面を見せることなどできはしない。
倫理観が違うんだろうなって思った。
http://anond.hatelabo.jp/20150328225013
「拷問だー!」
幼稚園によっては前年の年末くらいまでには「来春用意するものリスト」が渡されて
パニクるお母さんたちが続出する。
夏休みの宿題みたく、早い人は秋くらいからコツコツ用意してるけど
やっぱり手芸苦手意識のある人は、時期が早かろうが遅かろうが「拷問」と感じてる模様。
「どうしたらいいのか途方にくれていたところ、御社のHPを拝見し・・・」なんてメールが
ガンガン送られてくる。
「息子の喜んだ顔を見て子育ての喜びを感じられました」なんていうメールを受け取った日には
ミシンは中学生以来触ったことがなく・・・って人もかなりいる。
家庭科室のバカみたいに壊れるミシンと格闘しながら、何ヶ月もかかってエプロンやら
ショートパンツやらを縫ってた頃の記憶をたどると、目の前に迫り来る納期に
恐怖するのも分かる。
個人的には、幼稚園はともかく保育園で「手作り指定」をやるのは園が非道だと思う。
認可保育園にも色々あって、
「保育に欠ける児童の養育と親の就業を担保する」という、社会での役割を踏み外さない園もあれば、
「とにかく質の良い保育を!(=園の持つ理想の保育の実践が一番で、
親の負担の増大なんて歯牙にも掛けない)」っつー強烈な園もある。
良い意味でも悪い意味でも主義主張が薄く、これといった特長も無いかわりに親の負担も少ない。
こういうところは、手作り品についても絵本バッグ1つとか、お着替え袋1つとか。
もちろん既成品でも別にOKだし、要求があるとしても「出来れば愛情のこもった手作りで・・・」程度の
フワッとしたご指定のみ。
やっかいなのは後者で、認可私立保育園とか、認可外保育施設とか。
保育内容にも独自性が強くて、おやつから何から全部手作り食育命!みたいな、
一種ありがたい丹精込めた保育をしてくれてる反面、
園の理想が高いだけに、親に要求される育児クオリティも高くて大変。
通園用ショルダーバッグも出来れば手作りで、って言ってるのも見たことあるけど
あんなもんCreemaとかで出品してるハンクラーぐらいしか、満足できるレベルのもの作れんで。
「子育ては量より濃度」
とか考えるタイプのワーキングマザーには、こっち系はほんと向かない保育園なんだけど、
教育とか保育の質とか考えだすと、親が地獄でも子供には良質な保育を・・・
となって結果泣き泣き通う事になる人が結構いる、ってこれはまあ別の話。
とかくWM界隈では悪者にされがちな「手作り指定」だけど、まあバカにしたもんでも無いですよ。
という事を控えめに訴えたい。
手芸屋稼業をしてて言うことじゃないけど、なぜか子供は手作り品を喜ぶ。
キレイな既成品より、親が試行錯誤したものを喜ぶ子が多い(あくまで多い、です)のは不思議。
年齢が低いほど顕著かなあ。
それはもうペンとか落ちてくるやろ、というレベルのザックザックした
縫い目のバッグでもお構いなし。
DIY妖怪ウォッチでも子供は大喜びってアレと似てるんでしょうか。
キレイに揃った縫い目より、親が目の前で自分のためだけに作ってくれた、
という過程を見てるのかね。
親が作ってくれたものがあると園でも安心しやすいってのもあるみたいです。
後追いが激しい子や、環境に慣れにくいセンシティブな子は特に。
あとはまあ、時を超えて残る、ってのが大きいかも。
大体の子供には、「親が作ってくれた(時にブサイクな)手作り品の思い出」がある。
私にもある。
親子関係は10点中3点くらいの悪さだったけど、幼稚園の時に母が作ってくれたブサイクな袋は
ずっと捨てられずに残っている。
あれも親は「園に言われてイヤイヤ作った」らしい。
イヤイヤ作ったたった1個の袋だから、こっちとしても余計捨てられない。
そこに愛情を見るのはただの子供側の悲しい願望なのかもしれないけど、30年経てば勘違いでも
きっと一生残るだろうと思う。
感傷的になった。
「手作り品」じゃなきゃ愛情を示せないなんて事言うつもりは全く無い。
でも、食えばなくなる日々の糧、の食事と違って、
「物」も「思い出」も両方残る手作り品って、もしかしたら相当コスパ良い贈り物かもよ。
カッツカツで日々を回してるWMからすると、手作り品もひとつのタスクでしか
無いことは良くわかる。
でもこの通過点に、センチメンタルな感情乗っけてる親も子も結構いるのよ。
だから、「滅びればいいのにこんな慣習」とか「親の手作りなんてムダな労力」
とかいう言説はナシで頼むわ。
園側がさ、「既成品でも全く構わんけど手作りもやる価値ありよ」
まあ実際こういう園が大多数なんだけど、極端な例は目立つということで・・・。
園がメジャーもって「はい作り直し~!」とかするワケじゃない。
通園バッグとかの類は、例えば園指定のお道具箱が入るサイズに、とか言われる事もあるけど
そんなもん大きめに作っときゃor大きめの袋買えば大丈夫です。
既成品もだいたい同じくらいの大きさで作ってるから安心せえ。
超シンプルな手提げとか買ってきて、ワッペンとかリボンとかレースとか付けまくって
ゴテゴテさせる。
子供に好きなデコ選ばせる事も出来るし、「作った感」もあるし、満足度高いみたい。
アイロンと手ぬいで出来るし。
あとはキットを売ってる店も多いし、ネットでも買えるし、
「手芸店行って選んで計って型紙とってキー!!」ってならなくっても大丈夫。
落ち着くんだ。ググるんだ。
http://www.bond.co.jp/bond/diy/detail2.php?item_name=%BA%DB%A4%DB%A4%A6%BE%E5%BC%EA
↑こういうの、一昨年くらいから売ってる。
凄い時代だ。
邪道とか関係無いよ。
私も1個買ったから、繁忙期抜けたら作ってみるわ。
子育てをきっかけに新しい扉を開く、なんて例は枚挙に暇がないけど、
うちのお客さんでも「半べそで作り始めたら要領を掴んで、今や趣味は手芸」って
人が結構いる。
定期的に通ってくれる人が教えてくれた。
体力とか関係ない趣味として、老後もいけるよ。
1ヶ月で用意できるかー!
細かい指定に応えられるかー!
なんていうのは、ガンガン園に言っていこう。
共働きの方がメジャーになる潮目にいる今だからこそ、来年以降は考慮されるかもよ。
これは手作り品に限らないけど、「自分はムリでも、後に続く人の助けにはなるかも」精神で。
せめて準備品がHPにでも掲載されてたら、心構えも出来るのにね。
手芸屋としても、夏くらいから用意してもらえる方が負荷分散されてマジありがたいんで、ゼヒ!
これ、周りのお父さんにも聞きまくってるんだけど、手芸はほんと最後の砦、って感じがする。
イクメンだカジメンだ言われる昨今、お父さんが進出してないほぼ唯一の家事分野かも。
レザークラフトとかは男性多いんだけど、ミシンでカタカタ・・・は全然見ないし聞かない。
その分、「お父さんが作ってくれた手作り品」持ってたらもう凄いよね。
母、先生、子供たち、全方面からの羨望と尊敬を集めまくると思うんだけどどうだろう。
家庭科男女必修の世代が親になってる時代だし、やってできない事ないでしょ?
正直「拷問だ!」っていうレベルで手芸慣れしてないお母さんなら、父さんと
実力の差、無いと思う。
手作りだ愛情だって言うならさ、弁当文化もなんとかして欲しいマジで。
幼稚園は毎日弁当とか、保育園でも月に何回か弁当の日があるとか、
中学、高校も続くし、個人的にはこっちの負担の方がエグいかな。
これから10年以上続くのかと思うと泣きそう。
以上、繁忙期なのに一言いいたくて出てきちゃった手芸屋でした。
初増田でしたが、思いの外反応してもらいホクホク。
「やってみっかな・・・」「おもしろいかも」的つぶやきが、手芸屋としてはいっちゃん嬉しい。
フヒヒ。
何人かご指摘のとおり、「(強制されることによる)手芸憎し!」が最も危惧するところです。
とはいえ、毎年3月くらいにはおかーさんたちの呪詛が渦巻くのだろうか。
またココ見つけて貰えるといいな。
既成品も製作代行もあるし、物好きハンクラーもしくはおかんもいるもん。
21世紀だし。
必須のライフスキルでも無ければ、母の愛情バロメーターでも無いはず。
子供が既成品を欲しがったらそっと針箱を閉じる(涙)。
いつ作れってんだー!となるなら作らない。金で解決。
能力的、時間的に作れない自分を責めてしまうナイーブさにも勝っていきたい。
(ブコメにもあったけど、豊かさの一指標かなとも思う。
22世紀になっても自分の手を動かして「作りたい」「作ってあげたい」ってのは、たぶん無くならないでしょ。)
わたくしごとですが、この商売始める前に勤めてた会社が派手に倒産しまして。
明日から仕事無いわ給料未払いだわの状態を救ったのが、この芸事でした。
家政科も服飾科も出てない素人だけど、好きでずっと続けてただけ。
一般的なビジネススキルと芸事が出会った時、商売になるよね・・・
→これやろっかな。
児童館で似たような事やってたし、「俺にやらせろ!」って言ってみる。
「ウチで買ってくれたのなら追加料金で加工しまっせ」的サービス。
明らかにNGなのは、版権モノ生地を加工して勝手に「完成品」として販売する行為くらい。
販売元の生地メーカーによっても温度差が結構あるので、心当たりある諸氏は気をつけられたい。
一番難しいのはやはり設計。型紙使わない程度であれば誰でもいけると思うのだが。
→入学入園準備品のたぐいは、ほとんど直線カット、直線縫いでだいじょぶ。
東儀秀樹ーー!!
びっくりしてブログ熟読。
凄いなーハンクラパパとして有名だったのか。
この凝りようが、メンズ手芸ジャンルのポテンシャルを表してると思う。
ブコメでも「オレも(うちの夫も)やるでー」ってのが散見されたけど、ほんとこの分野、期待できますね。
手芸屋=甘味処説があったけど、とりあえずそういう気まずさを解消する店作りからどうでしょうユザワヤさん。
個人的にはクッソリアルな羊毛フェルト(http://goo.gl/Yd01rh)とかも
将来的には「お父さんが作った袋物」がチヤホヤされないレベルにまで
市民権得てくるといいなあ。
元Twitterのあのプリント(今見れなくなっとる)は、確かに凄かった。
色んな園のプリントを見てきた手芸屋増田としても、びっくりするレベル。
「分かっててそこ選んで入ったんだから粛々と従え」ってトラバもあったけど、
大概分かって入ってないよ~w
リサーチ不足って言われりゃもう、それはその通りでございなんだけども。
これ、「意識高い園」に子供入って青息吐息だった時に私も同じ事言われたけど、
まさかこんな事までさせられるとはー!!というのの連続なワケです。
「入れる園・通える園」を探してる段階で教育哲学どころかナゾのローカルルールまで把握できないわな。
「妥当性が低く負担は高い、理想の押し付け」と捉えざるを得ないことと、
ちゃんと分けて、お互いすり合わせしていくのって大事ですよね、と言いたいです。
郷に入れば(ry って言うけど、元から住んでる人さえたいがい住みにくい郷なら、
郷を変えてく権利は誰にでもあると思うよ。
やっぱ長くなった。いつも話長いって言われる。ごめんね。
増田はすごいよ。
それ上出来だよ。
少なくない割合の人は「人生に意味はないとわかった」あとに「意味のない俺が生きている意味」とか「俺が生き続けなければならない理由」とかを探して地獄の第2ラウンドが始まるんだ。
1個手前で「人生に意味はない」って自分で言ってるのに、その苦痛がつづく。「(俺が苦痛なのに)あいつが幸せそうな理由」とか「(俺が地獄なのに)この世が業火に包まれてない理由」とかを探して悪鬼のような形相で世界に戦争を仕掛ける奴もおおい。たとえば「Webで気が狂ったように生活保護のやつを叩く」ひととかって事実存在して、それってはたから見たらあんまりにもちんけでとるに足りない行為だからそうは認識されないけれど、彼ら個人の中では世界最終戦争だったりする。「自分より下」が幸せに生きていると、彼らの生きてる世界が壊れてしまうからだ。「彼らが信じるに足る(と夢見てる)信賞必罰の神が監視して導いてくれる世界」が壊れてしまうので、理不尽が許せない。そこにたいして全存在をかけて戦争を開始してしまうんだ。
(もちろんその「自分より下」ってのが妄想だろうとか言うツッコミはあるだろうけど、ここで意味があるのはどこまでも内面的真実であり主観なのでそういう批判は彼らに届かない)
増田はそういう自意識の地獄に行かずに済んだんだし、これからは穏やかな気持ちで友人や同僚と好きな仕事や趣味に好きなだけ打ち込んでいいんだ。結果にとらわれないからきっとストレスも減る。そのほうが実力が出せるよ!
サゲマンって交際すると相手の運勢が下がるみたいな血液型占いレベルのオカルトだと思っていた。
でも全然違った。マジもんのサゲマンはとんでもない影響力だった。
友達の彼女が風俗で働いてて(ある日バレた)しかもちょっとしたことでキチ◯イの鬼みたいになっちゃう子で
彼氏のことをめちゃくちゃ罵ったり(お前のせいで私は女の幸せを逃した!私はいろんな男からプロポーズされるのに!みたいな支離滅裂な話)
彼氏の実家から来た野菜をアパートの窓から投げ捨てたり手首切ったり。
寂しいからって出会い系で知り合ったオッサンとセックスしちゃったり。
でも甘える時はめちゃくちゃ甘える。崇拝者の如く相手を褒め、赤子のように縋る。
で超束縛っきー。一緒にデニーズで飯食ってる時に鬼のようなLINEと着信とメールがが来ていて
女と一緒にいない証明のために俺が電話代わってやったり、一緒に写メ撮って送ったりしていた。
セックスに関してはものすごい執着心と熱意のある女の子だった。
そのせいなのか別れた今もそんな変な女に引っかかり続けている(人妻やらキャバ嬢やら)
彼氏だった奴は転職癖が付き、色々と無気力で不純な奴になった。今はだいぶマシになったが・・・
あの女一人だけで男五人くらい潰してるんじゃねえかと思う。
当たり前のことだが、子持ちに優しい職場とは子無しにとってもやさしい職場なのだ。
何を持って優しいと判断するかは難しいところだが、とりあえず
「もちろんマタハラなんてない」
こんな感じだとおもう。
自分の働いている職場は育休明けの女性が二人おり、二人共時短勤務(一時間減らす)をしている。もちろん残業はしない。
まだ子供も小さいので当然ながら突然の風邪で休みを取ることもある。
五人の子無し女性とともに働いているが、彼女たちから不満が上がることはない。仲良くやっている。
子持ちが「子供が具合悪いので休みます」と休みを申請した時も、
子無しが「明日は彼氏とディズニーに行きたいので休みます」と申請した時も、
どちらも分け隔てなく応じている。
もちろん子無し本人が体調を崩した時もきちんと休ませている。
子無しと子持ちが不仲になって子持ちに優しくない職場!などといわれてしまうのは、
子持ちにとって子供が大事なのと同様に、子無しにだって大事にしたいプライベートがある。
それなのに「子持ちさんは大変なんだから我慢をしなさい」と子無しに我慢を強要していれば、
当然ながら子無しの不満は溜まる一方だし、どう考えても子持ちに優しくなんてしたいと思うことはない。
人間は誰かが特別扱いされることが不満な生き物なのだ。特に女は嫉妬というものがつきまとうからなおさら厄介だ。
実際自分の職場は良い関係が作れているが、先述したような子無しに我慢を強要する上司がいる職場はマタハラも当たり前だし、子無しは鬼のような顔で子持ちを見て、子持ちはいつもうつ病のような顔をしている。
結局子持ちの優遇だけをしていたって、子持ちは幸せになれないのだ。
なれるのは人を犠牲にしてもなんとも思わない、図太い子持ちだけで、たいていの子持ちは逆恨みされたり自分自身が気まずかったりと優遇された分だけしっぺ返しを食らう。特に心理的に。
子持ちに優しくするにはそうでない周りの人たちにも優しくしないといけない。
優しくされてない人が、他人に優しくできることはないのだから。
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追記
トラバ等で誰がそのしわ寄せを負担してるの?というご指摘を頂いたが、答えは「仕事を受けない」だ
この上司は「うちの部署にはこれこれ分しか処理できませんので仕事を持ってこないでください」と平気で他部に断りを入れる
確かに下請けなり他部署(本文中にあるうつ病のような顔をしている子持ちがいる部署は仕事をキャパシティー以上に引き受けてしまうことで有名)にしわ寄せが言ってるとは思うが、下請けは下請けで辛いのなら人員を増やすしかない
それで経費がかかり過ぎて潰れるのならその会社は会社として存続する能力がないということ
誰が負担するとか、しわ寄せが、とかではなく、日本社会全体が子持ちにも子無しにも優しくできるようにならないと少子化はもうどうにもならないよ
ひさしぶりにはてブ見たら、こんなことがあって反響があった、あんなことがあって炎上したとかそういう感じ。
1年前と全然変わってない。変わったのは俺で、ニートから日経新聞も読まない某有名ブラック企業出身の上司の下で働くサラリーマンにランクダウン。
あれらしいです、土曜は普通に出社するらしいです。夜は終電まで働くのがデフォルトらしいです。
いや、業績上げるために長時間働くのはまだいい、自分もそういうの嫌いじゃないし。たださ、ダラダラ仕事して終電まで仕事した気になってるだけだからもうアホかと思う。
そして2~3ヶ月後には今契約した会社から鬼のようなクレームが来るのが見えてる。見えてる。見えてるというと「何ビビってんだよw売れ売れ」だそうで。
転職したいがニート上がりの俺が一年も経たずに転職活動しても悲惨な結果になるのは明らか。というわけで増田で愚痴ることにした。俺は相変わらずクズで、何も変わってなかった。
もう本当に本当に苦手な人がいて参っています。
こちらからはあなたが苦手ですとアピールしているつもりなのですが、なかなか汲み取ってもらえず執拗に絡み、また利用してきます。なお、私の事が嫌いなようで、いつも具体的な根拠なく批判的で不必要に攻撃的です。なので距離を置いて隠れるのですが追ってきます。
先方は45歳、私は同性で32歳です。
相手とは大昔のバイト先の同期でした。最初は人当たりが良い人だなと思いましたが、深く付き合ってみると動機のよくわからない攻撃性・表裏の激しさにひっくり返りました。そのためなるべく刺激しないよう息をひそめて生きています。できれば忘れてしまいたいです。
考えてみるにその人は自分の支配欲を満たすこと、自分が周囲より優れた人間であると妄想するためだけに生きていると考えると画点がいきます。自分には実績がほとんどないのに、私に限らず他人の実績をバカにして満面の笑みを浮かべます。また、自分は知的な人間だーと色々並べますが私ですら知る身近な人のカーボンコピーばかりです。それどころか私が言ったこともなぜか自分のこととして私の前で喋ります。
その人は自分には友人が多いかのように振舞います。でも何年か接触してるうちにそういうことではないと気付きました。例えば、SNSとかで「友だちに誘われて」と書いてるけど実際はついてきてくれる人を鬼のように探し回ってるし、私も逃げた。一人称が逆転してしまっている。本当によくわからない。
その人は、人を何時間も待たせることに抵抗がありません。約束の時間に起きればいいかなと思ってることを公然と言います。重役ならともかくそういう重鎮ではないので、本人から重鎮ぽく言われても困ります。それどころか、人を徹夜させること、人の家族に迷惑をかけること、人の家で勝手に寝ること(とんでもねえいびき)にも抵抗がありません。その場は表面上ゴメーンと抜かしますが、何年も何年も何年も毎回毎回毎回やってます。なおWeb上では乙女を演じています。
最近どうかと訊かれたので、パートナーや友だちとなんとかやってる旨話すと「ノロケなの?」といって怒り出ました。「お前のようなバカにもできる」と明言して的外れな事を紹介してきたり、とにかく相手が馬鹿であり、自分は優秀であると確認しないと気が済まないみたいなんです。古着や古本、趣味の押しつけが酷いし、私の趣味を勘違いコピーするし、そうなると私はゲンナリして、やる気のようなものがどんどん殺がれているのですが、このような状況から逃げ切った人はいるのでしょうか。ちなみにその人は見た目オバサンですが本人は「自称オッサン」でつらいです。
もう本当に本当に苦手な人がいて参っています。
こちらからはあなたが苦手ですとアピールしているつもりなのですが、なかなか汲み取ってもらえず執拗に絡み、また利用してきます。なお、私の事が嫌いなようで、いつも具体的な根拠なく批判的で不必要に攻撃的です。なので距離を置いて隠れるのですが追ってきます。
先方は45歳、私は同性で32歳です。
相手とは大昔のバイト先の同期でした。最初は人当たりが良い人だなと思いましたが、深く付き合ってみると動機のよくわからない攻撃性・表裏の激しさにひっくり返りました。そのためなるべく刺激しないよう息をひそめて生きています。できれば忘れてしまいたいです。
考えてみるにその人は自分の支配欲を満たすこと、自分が周囲より優れた人間であると妄想するためだけに生きていると考えると画点がいきます。自分には実績がほとんどないのに、私に限らず他人の実績をバカにして満面の笑みを浮かべます。また、自分は知的な人間だーと色々並べますが私ですら知る身近な人のカーボンコピーばかりです。それどころか私が言ったこともなぜか自分のこととして私の前で喋ります。
その人は自分には友人が多いかのように振舞います。でも何年か接触してるうちにそういうことではないと気付きました。例えば、SNSとかで「友だちに誘われて」と書いてるけど実際はついてきてくれる人を鬼のように探し回ってるし、私も逃げた。一人称が逆転してしまっている。本当によくわからない。
その人は、人を何時間も待たせることに抵抗がありません。約束の時間に起きればいいかなと思ってることを公然と言います。重役ならともかくそういう重鎮ではないので、本人から重鎮ぽく言われても困ります。それどころか、人を徹夜させること、人の家族に迷惑をかけること、人の家で勝手に寝ること(とんでもねえいびき)にも抵抗がありません。その場は表面上ゴメーンと抜かしますが、何年も何年も何年も毎回毎回毎回やってます。なおWeb上では乙女を演じています。
最近どうかと訊かれたので、パートナーや友だちとなんとかやってる旨話すと「ノロケなの?」といって怒り出ました。「お前のようなバカにもできる」と明言して的外れな事を紹介してきたり、とにかく相手が馬鹿であり、自分は優秀であると確認しないと気が済まないみたいなんです。古着や古本、趣味の押しつけが酷いし、私の趣味を勘違いコピーするし、そうなると私はゲンナリして、やる気のようなものがどんどん殺がれているのですが、このような状況から逃げ切った人はいるのでしょうか。ちなみにその人は見た目オバサンですが本人は「自称オッサン」でつらいです。
今まで自分はものすごい変態、性欲魔人だと思ってた。思春期をとっくに過ぎても、頭の中は恥ずかしいくらいにスケベなことでいっぱいで、自分をしっかり持ってないと狂ってしまうのじゃないかと心配するほどだった。ブサメンだったので童貞喪失が遅く、こじらせに拍車をかけた。暇さえあれば快感を求め一日中工夫を凝らした自慰をし、彼女ができようものなら、女の子を疲弊させきるほどやりまくった。本当にごめんなさい、猿かよ、と自分でも思う。
そんな僕だが、仕事で中間管理職のようなポジションに昇格し、鬼のように忙しくなった。給料はドン!と上がったが、自分のミスじゃないことで上司には常に怒られ、かばってるはずの部下には舐められる。残業時間も3ケタに膨れ上がり、家に帰れば体がスライムのようになってしまい、泥のように寝るしかできなかった。
オナ禁なんて昔は考えられなかったが、気が付いたら、あ、何日も抜いてないな…ということが頻繁に。一度だけ奇跡に奇跡が重なり女の子と寝る機会があったのだけれど、疲労がすごすぎて気持ちは興奮しているのに全然体がおっつかず、終始ダルダルな動きになってしまうわ、息子は元気なくなるわで、なんだかホント申し訳ないけど面倒くさいな…とすらと思ってしまった。童貞のころの僕が見たらぶっ殺されるようなセックスをしてしまい、相手の人にも悪かった。しかし、あんなにすごかった性への情熱が、今は干からびてしまったように感じてさびしくなった。あの腹の底からうずくような性欲は、いのちの根源のようにも感じられた。
そんな暮らしを一年ぐらい続けていたら、先日ストレスがたまり血糖値がとんでもないことになりぶっ倒れ、二週間入院し栄養指導を受けた。朝6時には起こされ、9時には消灯。規則正しくご飯を食べ、昼間はかわいい看護婦さんとマンツーマンで栄養指導。ノンストレスで暮らしていたらみるみる元気になった。すると、あんなに干からびていた僕の性欲も水を得た魚のようにむくむく湧き上がってきた。本っ当にバカみたいなことだけど、なんだか涙が出るほどほっとした。アア、いつもの僕に戻ったと。
会社には僕がぶっ倒れたのがおおごとのようになっていて、違う課に異動になった。新しいことを覚えなきゃいけないので苦痛だが、定時で帰れるし、そこそこやりがいもある。危惧していたほど給料は下がらなかった。人に自慢できる肩書はなくなったが、あの生命がやせ細っていく感覚はもう味わいたくない。あんな猿みたいな僕でも、ハードワークからの性欲減退って本当にあるんだなと思った。
http://anond.hatelabo.jp/20140325061829
の内容は的外れだが、業界に女性が増えているのは事実だし、今後も増える。
トラバやブクマ見ても分かってる意見少なそうなんで、一応説明しておく。
まず、絵を描く人は昔から女性が多い。理由は色々あるが省く。今回の話に関係ない。
色塗る人も昔から女性は多い。これも理由は色々あるが省く。今回の話に関係ない。
さて、アニメ会社ってのは何をする会社かあまり知られてないが、本質は人手を集めて仕事を配分する会社のこと。
この「仕事を配分する」を実際にやるのが『制作進行』と呼ばれる職種。
具体的に何をするかというと、レイアウトや原画を用意して、それを絵を描く人のいるところに運んできて、仕上がった原画や動画を回収してくる。
昔は山のように大量のセル画を抱えて車で近郊を走り回って宅配する必要があった。
単純に体力が鬼のように必要で、女性がこなすには無理があった。
デジタル化でセルが絶滅したことで、体力的には格段に楽になった。今でも体力仕事ではあるけれども。
制作進行はやってることは下働きに見えるが、本質は「見習い」で、ここで仕事の全体のフローを覚えないと、上のポジションに行けないのが普通のアニメ会社。
監督は作画畑からも出てこれるが、プロデューサーや社長で、制作を経験してないのはかなり無理がある(なくはない。なくはないが多くもない)
今がそういう過渡期。
誰かが言うだろうなと思って黙っていたのですが、待てど暮らせど誰も言わない。
FacebookとかLINEとかドヤ顔で使ってるIT系の人ってなんなの?
元大手フリーランス等とかだと電話帳抜かれた場合結構なダメージなんじゃないの?
住所でポンみたいなことになるよ? いいの?
ユーザのデータに触る人はどこも堅牢な首輪つけられて、効率無視&労働者監視されてた。犯人探しに備えてなんでしょうけど中にいたころは正直厳しすぎるくらいだった。
そこもユーザの個人情報については相当厳しくて仕事が捗らなかったけど個人情報については鬼のように教育されそれ以外は放置みたいなとこあった。
もしかしてFacebookとかLINEもそういうノリなんですか?
だから皆さん信用してるんですか?
なんなんですか? 訴訟上等なんですか?