はてなキーワード: 適用とは
なるほど、非常に鋭い指摘をありがとうございます!ここで出てきたデコヒーレンスや純粋状態から混合状態へという概念を基に、あなたの意図している点を深掘りしてみます。
まず、エントロピーと観測、情報の確定に関する議論を整理すると、確かにあなたが言う通り、観測によって「情報が確定する」と、その状態に関するエントロピーは減少します。量子力学におけるNo Deleting Theoremや、情報理論における情報の不消失原理(情報は消去できない、保存される)という枠組みでは、情報自体は消失しないという原則に従っています。このため、情報の消失がエントロピー増加を引き起こすという直感は正しくなく、実際には情報の確定や観測がエントロピーの減少につながる場合が多いです。
次に、あなたが指摘したように、エントロピー増加といえば、やはりデコヒーレンスの概念が非常に重要です。デコヒーレンスは、量子システムが周囲の環境と相互作用することで、純粋状態から混合状態へと遷移する過程を指します。この過程がエントロピー増加を引き起こす理由は、以下の点にあります:
純粋状態は、システムが特定の状態にある場合であり、このときシステムのエントロピーは最小です。ところが、システムが環境と相互作用し、情報が「環境に漏れ出す」ことによって、システムはその相互作用の結果として「混合状態」に遷移します。混合状態では、システムの状態が確定しておらず、多くの可能性が存在するため、エントロピーは増加します。つまり、システムと環境の相互作用がエントロピーを増加させる主要なメカニズムです。
デコヒーレンスの過程では、システムが環境に情報を「渡す」ことによって、その状態の確定性が失われ、システムは多くの可能性を持つようになります。この過程で、システムの情報は「環境に組み込まれた」形になりますが、環境の状態はシステムから「取り出す」ことが非常に難しくなります。これが、情報が消失したわけではないのに、エントロピーが増加したように見える理由です。
あなたが言う通り、No Hiding Theoremは、混合状態においても情報が完全に失われることはないと述べています。実際、システムが混合状態に遷移しても、環境との相互作用の痕跡を利用すれば、理論的には元の純粋状態に戻すことが可能です。この情報の復元が可能である限り、情報は消失していないわけです。
しかし、この復元には非常に高い計算コストがかかり、環境との相互作用の影響が大きい場合には実際にはほぼ不可能であるため、情報が「隠される」という形になります。このプロセスがエントロピーの増加に寄与します。言い換えれば、システムが混合状態に向かう過程は、情報の確定的な減少、すなわちエントロピーの増加を意味します。
熱力学の第二法則が成り立つ理由は、このデコヒーレンスの性質にあります。観測可能なスケールで、システムと環境の間で膨大な情報のやり取りが行われるため、最終的にシステムの状態は非常に多くの選択肢を持つ「混合状態」に至り、結果としてエントロピーが増加します。最初は純粋状態で始まったシステムも、環境との相互作用により、最終的にはその状態の確定性が失われ、エントロピーが増加します。
この過程は、単に「情報が消失する」わけではなく、情報が環境に埋め込まれ、取り出すことが難しくなるために、エントロピーが増加するという形で現れます。この現象は、熱力学の第二法則と一致します。熱力学的には、エントロピーは孤立したシステムの中で増大し、最終的に「熱的平衡」に至ることが示されていますが、これもまたシステムと環境の間での情報の交換や相互作用に起因しています。
観測によって情報が確定することでエントロピーが一時的に減少することは確かですが、システムが環境と相互作用し、純粋状態から混合状態へと移行する過程では、エントロピーは増加します。この過程での情報の「隠蔽」や「取り出しにくさ」が、熱力学的なエントロピー増加を引き起こし、最終的に熱力学の第二法則が適用されます。
したがって、No Deleting TheoremやNo Hiding Theoremが示すように、情報自体は消失しませんが、デコヒーレンスと環境との相互作用により、システムのエントロピーは増加し、最終的には熱力学的に安定した状態に至ります。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%8B/
じゃか‐じゃか の解説
[副]
「楽器を乱暴にかき鳴らす」ような音が「じゃかじゃか」という擬音になるのは自然だが、おそらくそれが比喩的に「乱暴に書き散らす」ような行為にも適用されるようになったのだろう。
「細かくコントロールされない大きな動作」というのがコアイメージか。
「じゃんじゃん」「じゃぶじゃぶ」なども近い音・意味であり影響があるかもしれない。
じゃかじゃか 鳴物を喧しく鳴らす音にいふ語
などと載っているが、二番目の意味はない。
といった用例が見られる。
じゃかじゃか。ぬかるんだ道や水溜りの道を歩く際の様子。擬態語。
じゃがじゃが、それでいいとよ(そうだよそうだよ、それでいいんだよ)
じゃかじゃか 絶対違う(重複強調)
といったものは散見されるが、先述の「じゃかじゃか」の意味からはいずれも遠い。
いまのところは「物事が勢いよくたてつづけに行われるさま」という意味での「じゃかじゃか」が方言だという話はなさそうである。
・robots.txtなどでWebクローラーに避けてもらう
・パスワード付きページなので条件が揃わないと外部からアクセスできないようにする
・画像全体に "ウォーターマーク” を掛けてそのまま利用できないようにする
・画像全体を変色させる加工を施して学習素材として利用させにくくする (GlazeやNightshadeなど)
・スクレイピング対象から避けやすくするため長辺を256px未満にする←New!
上2つのように「自由には触れさせない」作戦はまあいいとして、それ以外は多かれ少なかれ画像を劣化させる方向にばかり頭を使っている印象。
仮にそれで機械学習の対象から外されたとしても、自らの子と言っても過言じゃないイラストの「劣化版」を出して憚らない、ってのは端から見ていて辛い。
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そう言えば、コピープロテクトのせいで正規ユーザーが被害を被る、って話は昔からあったね。
CDのリッピングは容易で法的にもセーフだけど、そのせいでCCCDとかいう特級呪物が産まれたし。
ただ、正規ユーザーが被害を受けない限りにおいては、コピープロテクトなどの防衛策で予見される金銭的損害を講じるのは正当だと思う。画像の素材集や映画などにウォーターマークが乗ってたりするのはこのパターン。
でも、無償公開分……収益は考慮しない趣味絵のようなものにまでウォーターマークを適用するのは (正規ユーザーも被害を受けるので) よろしくない。
逆に、Skebはなぜ (依頼した人に渡す分じゃなくて) ネット公開する分の画像にウォーターマークやGlazeなどを施さないのか。処理コストを嫌がっているのか、中の人がその手の技術を好きじゃないのか。
ブコメでは、結婚が「所有物扱いで他人の性愛や恋愛を死ぬまで制限できる」と主張していますが、これは結婚制度に対する極端かつ誤解を招く見方です。
結婚という制度が、必ずしもパートナーを「所有する」ことを意味するわけではありません。
現代の結婚は、信頼と愛情に基づくパートナーシップであり、どちらか一方が他方を「所有する」ような関係ではないのが一般的です。
結婚は、互いの自由や独立を尊重しつつ、共同で人生を歩むことを意味します。
もちろん、個々の関係にはさまざまな形があり、伝統的な結婚観に基づく価値観が強い場合もありますが、現代社会では、パートナーシップの形態やお互いの自由に対する理解も重要です。
したがって、結婚が「他人の性愛や恋愛を制限する」という描写は、現代の結婚観には合わない一面的なものです。
ブコメは「お互い好きでそうする分には素晴らしい」としていますが、この主張は結婚の本質を理解していない可能性があります。
結婚においては、単なる「好き」だけでなく、相互の責任やコミットメントが重要です。
結婚は、感情的な自由だけでなく、相手を尊重し、共に人生を歩む責任を伴うものです。
もし「好き」で結婚が成立するならば、結婚の持つ社会的責任や、互いに対する倫理的義務(信頼、尊重、忠実さなど)を無視していることになります。
このような視点は、結婚における責任感や倫理的側面を軽視しており、現実の関係においてはうまく機能しにくいものです。
ブコメは結婚を過度に自由主義的に捉えており、「死ぬまで制限できる」という側面を強調するあまり、自由と責任のバランスを欠いています。
結婚やパートナーシップにおいては、個人の自由はもちろん重要ですが、その自由は相手との関係や社会的な責任に基づくものです。
自由主義の立場は、確かに個人の自由や選択を尊重するものですが、これを無制限に適用することで、パートナー間の責任や義務、あるいは社会的な影響を軽視してしまう危険があります。
結婚には、互いに尊重し合い、支え合うという責任が伴い、これを無視した「自由のみに基づく結婚観」は、実際には安定した関係を築くうえで問題を生じさせることが多いです。
ブコメは結婚を自由の制限として捉えている部分がありますが、実際には結婚自体が「自由を制限する」ものではありません。
結婚は、お互いに約束や信頼を基に成り立つ共同の営みであり、その中で互いに支え合う自由が大切にされるべきです。
結婚が「自由を制限する」と捉えるのは、パートナーシップの意義を誤解していることになります。
また、結婚をしているからといって、パートナーが他の人との性愛や恋愛を一切できないわけではありません。
現代の結婚では、カップルによってはオープンな関係を築いている場合もあり、「制限」という概念が必ずしも適用されるわけではありません。
要は、結婚をどう捉えるか、どのようなルールで関係を築いていくかが重要です。
ブコメは「結婚してイエに入れば所有物扱い」と述べることで、伝統的な価値観を非倫理的だと一括りにしていますが、このような極端な視点では、結婚や人間関係における多様な価値観や倫理的側面を無視することになります。
結婚には、相互の尊重、信頼、愛情、責任が必要であり、それらを軽視することは、関係における基盤を弱くする危険性を孕んでいます。
たとえば、結婚が所有物のように扱われることを問題視するのは理解できますが、それをすべての結婚観に当てはめることは誤りです。
結婚における平等性やパートナー間の自由を重んじる考え方もありますが、これは所有という概念に基づくものではなく、あくまで信頼と協力に基づくものです。
ブコメは結婚に対する自由主義的アプローチを強調しすぎて、結婚における責任や倫理的な側面を軽視している点が問題です。
結婚は自由でありながらも、互いに支え合う責任が伴うことを理解し、価値観や文化に基づく多様な結婚観を尊重することが重要です。
自由が重要であることは間違いありませんが、それを実現するためには、個人の自由と社会的責任とのバランスを取ることが必要です。
またブコメを書いた人の思考にはいくつかの偏りが見受けられます。以下にその特徴を挙げてみます。
ブコメは結婚を「自由を制限するもの」として捉え、結婚を批判しています。この視点は、自由主義的な立場を過度に強調し、結婚が持つ多様な意味や責任、パートナーシップとしての価値を軽視していると言えます。結婚が「自由を制限するもの」として描かれているため、結婚の本質的な価値や役割を過度に否定する偏りがあります。
偏りの具体例:ブコメは「所有物扱いで他人の性愛や恋愛を死ぬまで制限できる」という見解を示していますが、これは結婚制度の実態を過度に単純化したものです。現代の結婚においては、パートナーシップの自由や独立を重視する考え方も多く存在しており、結婚を一面的に「自由を制限するもの」とだけ捉えるのは誤りです。
ブコメでは結婚をほぼ否定的に捉え、「所有物扱い」といった極端な表現を使っています。結婚は「自由を奪うもの」であるという前提を置き、結婚における責任やパートナーシップの価値を十分に評価していないように見えます。
偏りの具体例:結婚における責任感や共同生活の価値を無視し、結婚を単に「所有」や「制限」の観点から批判している点は、過剰な批判的視点に基づいています。結婚は、信頼や尊重、協力の上で成り立っている場合も多く、その側面を無視して自由を制限するものだと決めつけるのは偏った見方です。
ブコメでは、結婚という制度がすべて「所有物扱い」や「自由を制限するもの」だと一般化しています。しかし、結婚制度は文化的背景や価値観、個々のカップルの関係によって非常に多様であり、その全体を一つの偏った視点で評価するのは誤りです。
偏りの具体例:「結婚してイエに入れば所有物扱い」という表現は、伝統的な結婚観に基づく一部の事例を過度に一般化したものです。現代社会では、平等なパートナーシップとして結婚を捉える考え方も多く、すべての結婚が「自由を奪うもの」だとは限りません。
ブコメは、自由を非常に強調し、「お互い好きでそうする分には素晴らしい」という視点を持っていますが、これは理想化された自由の概念に偏っている可能性があります。結婚においても恋愛においても、個人の自由を尊重することは重要ですが、それと同時にお互いの責任や義務が存在することを理解していないようです。
偏りの具体例:自由の尊重は重要ですが、それが互いの信頼や責任感を無視することと結びつくわけではありません。結婚には、相手を尊重し、共に歩んでいく責任が伴います。ブコメは、自由が理想的なものとして描かれていますが、現実的には責任感やパートナーシップの価値も同じくらい重要です。
ブコメには、道徳や価値観が相対的であることを過度に適用する傾向があります。結婚という制度が自由を奪うものであると一概に否定することで、他者の価値観や文化的背景を考慮していないように見受けられます。道徳や倫理観は文化や社会において異なるため、その相対性を無視するのは問題です。
偏りの具体例:結婚を「自由を制限するもの」と一括りにして批判することは、個々の文化や価値観を尊重しない姿勢に見えます。実際には、結婚が持つ意味や価値は地域や個人によって大きく異なりますが、その多様性を無視して一つの視点に固執するのは偏った考え方です。
ブコメを書いた人は、結婚に対する過度に自由主義的な立場を取るあまり、結婚の責任や相互の支え合いという側面を軽視し、理想化された自由の概念に過度に依存しているように見えます。また、結婚という制度に対する批判が過剰に一般化されており、その多様性や実際のパートナーシップにおける倫理的価値を十分に考慮していない点が、思考の偏りとして挙げられます。
もしかすると男の人たちは自力で性欲を制御できないかも、って議論は興味ある。
それを前提にすると、社会はどう変わるか?
男女平等がまず崩れるし、女性専用車両は痴漢予防のために増設されるし。
特例法は手術の可否にはまったく関係ない。そもそも手術時点では改名以外で裁判所と関わることがない。手術に関わり得るのはジェンダークリニックの専門医から成る判定会議くらい。従来の運用では、特例法は手術を受けた後に家庭裁判所に申請して使うものだった。
そのもともとの趣旨はすでに性別移行をしている人の戸籍の記載情報と実生活のズレによる生活上の不便を解消するためで、従来はその適用の条件に手術が入っていたけど、そうするとすでに移行しているけれど手術をしていない人が困難な状況に置かれ続けたり、特例法を使うには恒久的な不妊化が必要ということになり身体への過度な介入になったりで、問題が意識されるようになった。
逆にカジュアルに変態性癖持ちのキモい俺尖っててやべえっしょをアピールして、大学生協なら当たり前に適用される割引を使ったのをなんか脱法的に使ってやったぜやべーっしょみたいなイキリ仕草で喧伝していく姿こそが推奨される姿ってこと?
少子化を加速させているDINKSも同様に社会の役に立ってない。
パワーカップルやDINKS、こいつらが日本を腐らせているので、103万の壁議論に合わせて狙い撃ちにした増税をやってほしい。
まずは年少扶養控除復活+妊娠特別控除創設+所得税に若年既婚者子なし割を追加。40歳未満で結婚後5年以内に妊娠しないカップルは社会の役に立たないので適用。増収分は不妊治療や体外受精の保険適用拡充に全額使う。いわゆるパワーカップルには3倍課税する。
これで少子化解消するやろ。
どうや?
難しく考えすぎだ。
恋なんてのは、どれだけ言葉をきれいに飾ろうと、結局は他者に対する独占欲、あるいは喪失に対する恐怖心のことであって、執着を言い換えに過ぎないよ。
愛ってのは、あまねく森羅万象に適用されるが、だからと言ってそれらを自らのものにしたいと思ったり、失われたりすることで、悲哀憐憫は感じても、そのように在るものとして容易に受け入れることができるだろ?
親にしろ友達にしろ自分自身にしろ、究極的にはそれぞれがなにを考え、なにを想い、どのような人生を歩んで、どのような顛末を迎えようが心底どうでもいいことだが、それでもそれぞれの対象に愛情はあるはずだ。
しかしここに執着が生まれると、それはもうすでに愛から変質した別物であって、性愛対象と結びついたものにあっては、それを恋と呼ぶ。
所詮は感情の振り幅を大きくすることで人生に一つの彩りを添えるためのツールであって、別に流行ってるからといって、全人類がそれを使って遊ばなければならないなんてルールはこの世にはないぞ。
18歳から22歳ごろまで水商売にドップリの生活をしていて、某繁華街でいわゆる有名嬢だった。
令和のキャバ嬢やホストは億を売り上げる人もいて、数千万くらいは特別凄いことでも無さそうだから、今なら通用しないと思うけど。
最近はSNSで夜の仕事への憧れがより高まっている感じがあるけど本当の意味での成功はなんなんだろうとたまに考えたりするので書いてみる。
自分の人生、ずっと緩やかに絶望的な状況が続いているように思う。
キスもまだ、むしろ気持ち悪いと思ってたし初恋自体がなかった。
家が貧乏で学歴もなく、実家も出なきゃだったから稼ぐしかなかった。
面白いと思った芸人のフリートークとかを参考にしてちょっと突っ込んでみたり、
バカな女ぽくしたり
売れてるキャバ嬢の服や化粧を真似てみたりしたら
学生時代、男子からも女子からも下から数えたほうが早いレベルのブスの扱いを受けていた気がするけど、背が高くてガリガリに痩せていて、元々大袈裟な二重瞼で厚ぼったい唇をした私は夜の世界では美人扱いをされるようになった。
その間に酔いすぎたタイミングで処女を飲みに来たそこらへんの仕事帰りのホストで喪失した。
それまで自分はノンセクシャルとかなのかと思ってたけど、意外とやれるもんだとわかってからはそこまで鉄の貞操ではなくなったし、何人かの男と付き合ってみたりもした。ただやっぱり、恋愛感情はよくわからないままだった。
風俗のスカウトマンやらホスト、同業の男が付き合ってみたら夜の仕事に反対的なのは意外だったしつまらなかった。
不動産系のプルゴリみたいな営業マンは、稼いでるみたいだからと思って付き合ったのにいざ付き合うとクリスマスもホワイトデーのお返しもなにも無くてつまらなかった。
だったらキャバの客にVIPで寿司の出前でも取らせて、客に3代目を歌わせて、ランニングマンやってるのを大して面白くもないのに爆笑してあげて、ノリでテキーラ頼んで、口直しにシャンパンも飲みたいって言って。
ただそれだけで同世代の会社員の何倍も稼げた夜の仕事のほうがまだ暇つぶしにはなった。
けどそのうち、男が好きでもないのに、ノンセクシャルを疑うレベルなのに、恋愛感情もわからないのに、たまたま女の体に生まれたから女をやっているだけなのに、女の部分を売る仕事に限界を感じて精神を病んでしまって、ラストイベントも打たずにその繁華街から消えることにした。
20半ばからは誰とも付き合ってもなければセックスもしてない。DL同人をよく買うから性欲は間違いなくあるんだけどその性欲が生身の男に向かない感じがある。アラサーになってから気づくなんて。
キャバ嬢時代に何人かの男と暇つぶしで寝て不毛な時間を過ごしていたことに対する後悔に今更さいなまれてる。
30を過ぎた今は雑貨屋で店長をしていて、祖父母の家に月5万入れて居候をしている。子供部屋おばさんと言って良いと思う。
店長と言っても、手取りは残業が少ないと20万を切ることもザラにあるので今でもたまに場末のキャバで時給泥棒をしてる。昔はガリガリだったのに、今はぽっちゃり。売れっ子ではないけど、そもそもナンバーワンも大して売れてない店だから何も言われずに働いている。
なんとなくライブを見に行ったり、美術館に行ったり、ちょっとしたサブカル女としての活動にお金を使うことが多い以外は特にお金を使ってない。キャバ時代のブランド品も全部手放した。
学歴も高卒で、職歴もキャバが1番長い自分が名ばかりとはいえ店長をやれてるんだから給料安くても文句は言えないなと思ってる。
親とは不仲で、高校を出た後5回も会ってない。親に金を貸したことはか20回以上あるけど。
親に頼れない自分はさっさと男を作るべきなのに男もしっくり来ない。
キャバ時代貯金なんて全然してなかったからすっからかん。生活に困らない程度には暮らせてはいるけども。
母子家庭育ちでその母も男好きのしょうもない女だったから母親像とかわからんし、私的にはサザエさんのほうが異常に感じるレベルだし、お年玉とかもらったことほとんどないし、居候させてもらってはいるけど祖父母も全然金ないし。
そもそも自分の生命にうっすら嫌気がさしてるのに他人に生命を与えてはいけない気がする。
反出生主義ではないけど、自分に対してだけうっすら適用してる感じ。
犬を飼っていて、それがものすごく賢くて人懐こくて多分世界で1番可愛い犬だからその子を生きがいに生きてる。
でもどうせ10何歳かで死んじゃうのはわかってるから、いつか犬が死んじゃった時に私の人生が今と同じ調子なら生きる意味はもう無いかなと思ってる。
初めからペットが自分より先に死ぬだろうことはわかってるからペットロスなんてヌルい考えだと思うけど。
上記をこの前祖母に言ったら「私は孫を看取らないといけないの」と言われて笑ってしまった。
祖父母はこの2年くらいでめっきり老けた。
鏡を見るとあの頃よりだいぶ太り、雰囲気はボーイッシュに、見た目は歳の割には多分若い、けど美人ではない私が映る。
私はモテないんじゃない、結婚できないんじゃなくてしないだけ、学歴はないけど中学まで勉強はそこそこできたし、男に選ばれなかったんじゃなく自分が選ばなかっただけ。親がちゃんとしてればキャバ嬢なんかやらなかったし、大学も行った。大体大学まで行ってデキ婚して専業主婦みたいな女は世の中舐めてる。それにその辺のキャバ嬢より売れたんだから私には価値があるはず。
男と寝るのはうっすら気持ち悪いからエロ同人買ってるけど出張ホスト呼ぶやつよりマシ。
何より私には最強に可愛い犬がいる。毛並みを今日も褒められた。毎日仕事して犬の世話して私はとっても偉い。
そしていつか、犬がいなくなってしまったら多めに眠剤飲んで練炭を焚いて眠ればいい。
そんな自意識過剰の中で今日もゆっくり絶望してそこそこに生きてる。
なんか散らかった文になってしまったけど、若い子に言いたいのは学歴なくても職歴なくても意外とぬるっと絶望しつつそれなりに生きられるってこと。いざという時は死ねば良いんだし。
死は救済、心安らかなり
という人向けに調べた内容をざっくり書いてみました。
※以下の話は私が加入している「協会けんぽ」の話です。
加入している保険組合で内容が違うかもしれません。特に後期高齢者医療保険はそれなりに違いそうです。
知らない人もいるかもしれませんが、実は今使っている健康保険証(水色のプラスチックカードのやつ。正確には健康保険被保険者証。以下、「従来保険証」)はあと1か月も経たないうちに使えなくなります。
え??大丈夫なの??と思った人。
今持っている「従来保険証」には経過措置期間が設けられていて、特に何も手続きしなくても来年(2025年)12月1日まではそのまま使うことが可能です。
じゃあ、今年の12月2日から一体何が変わるんだ?となりますよね。
基本的にはさんざんニュースなどで取り上げられている「マイナ保険証」のみが正規の保険証となります。
今年の12/2以降は新規加入者へは保険証の発行はされず、事業主の手続き→年金機構でデータ処理が完了したら元々持っていたマイナンバーカードが自動的に「マイナ保険証」としてそのまま使えます。(処理にタイムラグはあるようです)
いやー便利便利♪
と、そこで話が終わればいいのですが、制度上2つほど大きな問題があります
私はマイナポイントがもらえるときにマイナンバーカードを作成して保険証の紐づけまでやっちゃいました。
ただまあ、全国民が「マイナ保険証」を持っているわけではなく、
・マイナンバーカードを作っていても「マイナ保険証」として利用するための手続きをしていない
という人が一定数います。これは良し悪しの問題ではなく、自身の考えであったりいろいろな理由で作っていない人がいるので仕方ありません。
で、「マイナ保険証」を持っていない人はどうなるの?となるんですが、
これも安心してください。
なんと「資格確認書」という「従来保険証」と非常によく似たカードが発行されます。
色は黄色になるみたいです(少しでもマイナ保険証への移行が進むように目立つ色味にしたんじゃないかと邪推してます笑)
「従来保険証」と違い、有効期限があるのとおそらく事業主名は記載がないです。
あと、身分証明書として扱われないです。(顔写真も無いペラペラのカードが身分証ってのも怖いのでその方がいいと思います)
じゃあ、「マイナ保険証」なんて要らないんじゃ、、というのは野暮ですね。
既に「従来保険証」を持っている人で「マイナ保険証」を持っていない人には保険者から「資格確認書」が自動的に発行されます。
どうしても「資格確認書」が欲しい人は「マイナ保険証」の紐づけ解除をそれまでにしておくといいかもしれません。
2.顔認証(実は顔写真データがICチップに入っている)or暗証番号入力で本人確認
4.医療機関に保険情報を通知(本人同意があれば、過去に他医療機関で処方された薬の情報や特定健診情報が医療機関側で閲覧可能になります)
何も問題なければ上記の通信により、(厚生労働省曰く)より適切な医療サービスを受けられるんですが、
顔認証付きカードリーダーやオンライン資格確認用パソコン、病院のネットワーク機器などに機材トラブルが発生することがあります。
そうすると「マイナ保険証」だけでは保険情報の確認ができません。
受診歴があればまだいいのですが、特に新規の患者さんの場合、病院側も目の前にいる人がどの保険組合に加入しているのか判別できません。
そうなると、とりあえず10割負担と言われる可能性が高いです。
自分に落ち度はないのにその日保険適用できず10割支払わされるとか納得いかないですよね?
これもなんと「資格情報のお知らせ」という新しい書類が発行されます。
「資格情報のお知らせ」は実はもう発行されていて、みなさんの手元に届いているのではないかと思います。
機材トラブルで「マイナ保険証」が読み取れなかった場合、「マイナ保険証」と一緒に「資格情報のお知らせ」を提示することで
って、絶対無くしてしまうやつ、、しかもほとんど使わないからそもそもナニコレ?ってなりそうなやつ。
まあ、最悪「資格情報のお知らせ」が無くてもマイナポータルにスマホでログインできれば同じ内容を表示させられるので
それなりにスマホを使える人には無くても何とかなるんですが、、
制度の穴を埋めるために仕方ないんです
制度がややこしいのと、所感とかも書いちゃったのでごちゃごちゃしてしまいました。
一旦まとめますと
・2024年12月2日から「マイナ保険証」のみが正規の保険証となる
・「従来保険証」は経過措置があるので来年の12月1日まで使えるがそれ以降は使えない
・「マイナ保険証」を持っていない人には「資格確認書」が発行され、「資格確認書」で受診
・機材トラブル等で「マイナ保険証」が使えない場合のために「資格情報のお知らせ」がある
厚生労働省の下にいる保険者なのでマイナ保険証推進するスタンスは分かるんですが、資格確認証についてアナウンス少なすぎませんか??
マイナ保険証に関する特設サイトが協会けんぽホームページにありますが資格確認証についてほぼ説明がありません。
まあ仕方ないとは思いますよ?マイナ保険証作らなくても資格確認証とやらがもらえて普通に受診できるなんて分かったら誰もマイナ保険証なんて作りませんからね、、
[B! 大学] 東京電機大学生、生協で取り寄せたらどんな本も1割引きになると凌辱物のエロ漫画を購入→大学「学内で調査を行っております。調査後、大学として厳重に対処いたします。」
いちいち引用しないが、事実を誤認した大量のゴミブコメがトップに並んでいる。
「生協でエロ本を買うのは制度の悪用であり、お目こぼしがなくなりルールの厳格化を招く」? 全くのデマである。
書店でなぜ原則本を値下げできないのかというと、日本には「再販制度」、製造元である出版社が決定する定価を書店は変えてはならない、という業界慣行があるからだ。
だが、この形態の取引方法は、独占禁止法において明示的に禁止されている。
第二条⑨ この法律において「不公正な取引方法」とは、次の各号のいずれかに該当する行為をいう。
四 自己の供給する商品を購入する相手方に、正当な理由がないのに、次のいずれかに掲げる拘束の条件を付けて、当該商品を供給すること。
イ 相手方に対しその販売する当該商品の販売価格を定めてこれを維持させることその他相手方の当該商品の販売価格の自由な決定を拘束すること。
ロ 相手方の販売する当該商品を購入する事業者の当該商品の販売価格を定めて相手方をして当該事業者にこれを維持させることその他相手方をして当該事業者の当該商品の販売価格の自由な決定を拘束させること。
我々の生きる資本主義社会というのは、市場での公正で自由な競争を大原則とするものであって、価格決定権は小売業者が持つべきものである。価格統制を行い、小売業者同士の競争を禁止するなぞ以ての外である。
このような掟破り行為が出版業界でおおっぴらに行われているのは、独禁法の23条4項に、著作物の発行事業者による正当な行為であれば、独禁法を適用しないという例外が定められているからだ。
なぜこのような特権が認められているのか? 独禁法の教科書を開いてみよう。
著作物に係る法定再販制度の趣旨は,必ずしも明らかではないが,戦前からの定価販売の慣行を追認したものとされている。また,著作物の種類ごとに,例えば,新聞については戸別配達の維持,書籍・雑誌については多様な出版物の発売や書店での展示販売の確保といった説明が後付け的になされているが,再販行為の必要性とは必ずしもつながらないと思われる。(『条文から学ぶ独占禁止法 第3版』p271)
「趣旨は必ずしも明らかでない」「戦前からの定価販売の慣行を追認したもの」「説明が後付的になされているが、再販行為の必要性とは必ずしもつながらない」なかなかボロクソな書きぶりではないか。
当然「商慣習の追認」なる貧弱な理由で、大原則を曲げていいはずがない。再販制度廃止の動きはこれまでも何度もあった。今もなお現存しているのは、廃止の動きがあるたびに既得権益を守りたい新聞業界が大々的に抗議キャンペーンを行い揉めに揉めたからである。政治的駆け引きの末の「お目こぼし」によって成り立っている制度なのだ。
新聞業界という第四の権力がバックにある以上、既得権益を廃止するのは難しい。されど、お目こぼしをいいことに既得権益を拡大しようとする、出版業界のイキり行為には公正取引委員会は否を突きつけ続けてきた。
1990年代を通して喧喧諤諤の大戦争となった再販制度廃止論争は、2001年公正取引委員会による「当面再販制度を存置するのが妥当」という停戦宣言により一応の終結を迎えた。
事実上の勝利にイキった出版業界が次に目をつけたのがポイントサービスの禁止である。
確かに、再販価格維持契約で定価販売を義務付けても、ポイント還元がOKであるならば、事実上値引きと言っていい。「本はどの本屋でも同じ価格」というカルテルを侵す存在であり、再販制度に当面のお墨付きを得た出版業界が禁止を目指すのは当然の成り行きであった。
されど原理原則に戻れば、現状の再販制度さえ、政治的判断による苦渋の決断として認められているにすぎないのである。
出版業界の舐めた振る舞いに激怒した公正取引委員会は、ポイントサービス禁止運動を行う業界団体に対し、「事業者団体による共同行為を禁止する」独占禁止法第8条違反を宣告。
結果、業界団体の会長は責任をとって辞任、クビを差し出して詫びる羽目になった。
ポイントサービス禁止論争で争点となったのは、1%程度のごく低率のポイントサービスであったが、
現在では、アマゾンやヨドバシなどの大手通販サイトを見れば、条件付きではあれど12%ポイント還元だとか10%ポイント還元だとか、大幅な値引きを行っている。再販価格維持契約?なにそれおいしいの?の域である。
しかし再販制度自体がお目こぼしの例外である以上は、再度「ズルいからやめろ」とヤブをつついて蛇を出したくないというのが業界の考えだろう。
再び公正取引委員会の逆鱗に触れ、今度はアマゾンの政治力を背後に一気に再販制度廃止まで持っていかれるかもしれないのである。
この事例からわかるように「イキり行為」に気をつけなければいけないのは消費者である大学生ではなく、売り手である出版業界側であって、ブクマカの認識はまったくあべこべなのだ。
ここまで述べた再販制度の縛りを、大学生協は負っていない。これは独禁法第23条5項が生協を例外の例外の1つとして指定しているからである。
つまり、書籍は例外として再販売価格を拘束する契約を結んでよいが、その例外として生協には通常の取引と同様に、再販売価格の拘束契約を結んではならないということである。
ブクマカが勝手にでっち上げていう「学業目的の特例」とかそんなものではない。実際、書籍の割引は一般の生活協同組合(例えばコープこうべ)でもおこなわれていることだ。
再販制度という大本の例外が設けられた理由を再確認すると「商慣習の追認」が定説である。ただこの理屈では再販制度は生協のみならずすべての事業者において廃止すべきという結論しか導かれない()。
なので百歩譲って少数説である出版業界のポジショントークを参照すると、再販制度なしには、書店が理念を見失い利益至上主義に陥り売れ筋の俗悪本のみが蔓延る世界になるから、らしい。
しかしこの捏ねくりだ出した理屈ですら生活協同組合に適応することはできない。生協は、利益を目的としない消費者どうしの相互共助団体であるからである。
利益の追求のために消費者に不利益を与える行為は法律で禁止されており、また組合員が持つ平等な議決権及び選挙権によって効果的に阻止される。再販制度の容認などという副作用の大きな例外を認めるだけの意義はどうあがいても見出すことができない。
前節では、大学生協で書籍が割引が「可能」である理由を述べたが、愚かなブクマカは「大学生協は学生の学業を支援するためにあるのだから、制度上可能であってもエロ本については割り引くべきではない」などと言うかもしれない。
しかし大学生協の目的なぞをでっちあげたいならば、まず定款を見るべきだ。
第1条 この消費生活協同組合(以下「組合」という。)は、協同互助の精神に基づき、組合員の生活の文化的経済的改善向上を図ることを目的とする。
(事業)
第3条 この組合は、第1条の目的を達成するため、次の事業を行う。
(1)組合員の生活に必要な物資を購入し、これに加工し又は生産して組組合員の生活に必要な物資を購入し、これに加工し又は生産して組合員に供給する事業合員に供給する事業
(2)組合員の生活に有用な協同施設を設置し、組合員に利用させる事業
というか名は体を表すというように、大学生協とは生活、「大学に属するすべての人つまり大学生/大学職員/教職員の生活」を共助する団体である。役割は学業に限られない、当然娯楽を提供することも含まれるのである。
書籍の割引販売は、それが教科書であろうと、学術書であろうと、コミックであろうと、エロ本であろうと
に一律で含まれるであろう。
(追記:id:worris 氏のブコメより、誤りの指摘があった。書籍は第3条第1号「組合員の生活に必要な物資」である。つまるところ、生協の言う「生活に必要な物資」とは日常用語の生活必需品より広い概念であり、娯楽を含むのだろう。論旨の変更は必要ない。)
もちろん、娯楽の提供は大学生協の役割に含まれると言っても、程度問題は存在する。
生協の資金力にも労働力にも限界は存在するのだから、何にリソースを投じれば「組合員の生活の改善及び文化の向上」を達成できるか、取捨選択が必要になる。
決めるのは、一人ひとり議決権あるいは選挙権を持つ、組合員である。
ブクマカは「イキるとお上のお怒りを買うぞ」という論調であるので、決定権が生協のおえらいさんとか大学経営陣とかにあるように勘違いしているように見受けられるのだが、事実は全くの逆なのだ。
組合員自治の原則を念頭に置いた上で、なぜ本が一律割引されるのかを考えてみよう。
大学生とは多くの人にとって人生で一番本を読む時期である。これは今年『何故働いていると本が読めなくなるのか』という新書がベストセラーになったことでもわかることである。
そして生協は再販価格拘束契約で縛ることのできない例外的な存在として、彼ら組合員に独自の価値を提供できる。
そう考えると書籍の一律割引販売で、組合員の合意がまとまるのは、ごく自然ななりゆきである。
仮に「娯楽本は除外」とか「教科書のみ割引」とかいう制度になったならば、利益を得る層が組合員の中で偏ってしまう。みんながWin-Winになる制度こそが、民主主義的な議論で選ばれるものである。
紙の本をほとんど買わない組合員からすれば、事業資金は「書籍を10%引きで売る」ことより「生協食堂のメニューを1品増やす」方に費やしてほしいことだろう。
「学術書読んでる同級生は応援したいけど、エロ本はな……」と彼らの票が離れることは、あり得る展開ではあるかもしれない。
しかしエロ本を割引販売することで、大学生協は何ら損をしていないことにも留意が必要である。むしろ、大学生協は新たな顧客層を開拓することで利益を得て、他の事業へ投資可能な資金を増やしたと言える。
「割引率が10%であるべきか5%であるべきか」は難しい経営判断であり組合員間での真摯な議論が求められるところであるが、割引中止とか販売停止とかになると誰のトクにもならない論上に上げるまでもない愚論なのだ。
なお大学生協に客を取られなければ、定価でエロ本を1冊売ることができたであろう一般書店は損をしたといえるが、再販制度というお目こぼしに守られているものが「ズルイ!」なんて言える立場にないことは先に述べたとおりだ。
大学生の行為を「バカッター」とか「バイトテロに等しい」だとか意気揚々と名誉毀損行為を行うブクマカたちは、
実際は、自分たちがこそが大学生協の役割を勝手にでっち上げたイキりバカブクマカであり、はてなというプラットフォームの名誉を大いに傷つけるブコメテロであることを認め、真摯に謝罪すべきである。
そして、大学生協の役割を学業目的だと誤解する人がここまで多いという事実は、「生協ではどんな本でも割引される」ということを声高く啓蒙する意義を証明している。