はてなキーワード: 結果的とは
発達障害で診断おりてるなら、病院で心理テストやってると思うから、まずそれを熟読してみるといいんじゃないかな?
その上で、現状の問題と心理テストからわかる認知特性を紐づけて考えてみる。
認知特性自体がことなるので、こういう特性があるから、今このような問題を抱えているとちゃんと理由づけしましょう。
のは○○という特性のためだ。具体的に
例えば、私の場合、同じように家に帰ってスマホすると同じように1,2時間動けなくなりますが
これは、私の認知特性で短期記憶の容量がすくないことで、スマホ以外に気をくばることができず、結果として
これに対応するには、スマホを見る前に夕食をつくってしまえ。というのが一つの回答になるかと思いますが、
結果的には、これだけではうまくいきませんでした。夕食を作る作業が重労働すぎて、帰宅後、ちょっとした休憩なしには
作業できず、休憩するとスマホを触ってしまう。という悪循環でした。
それを断ち切るために、夕食は、ミールキットを使うとか、仕事に行く前に下ごしらえをしておくとかで、帰宅後、
いっきに夕食を作り切れる(15分ぐらいの作業)にして、対応しました。
このような感じで問題のひとつづつを、自分の認知特性から理由付けしながら順番につぶしていくしかないんじゃないかな?
認知特性が似ていて、同じような状況をうまくできている人が身の回りにいると真似すればいいだけだけど、なかなかいないとおもうので、
ひとつづつ順番にかな。
一部の面倒な連中を切り捨てることに成功して上手くいってるけど、それで切り捨てられた面倒な奴らが予想通り面倒なことを喚き散らしてる。
40手前独身男、家を買う?
結婚の予定もなければ結婚したい、できそうな相手もいないにもかかわらず、家を買う決断を迫られている。
我が家はワケあって10数年前にそれまでに住んでいた持ち家を失った。
私はちょうどそれと時を同じくして県外に就職したため直接的な影響は受けていないが、「実家が借家」という状況が今日まで続いている。
当時は「私はこのまま県外で誰かと結婚して定住するのだろう」と漠然と考えていたが、結果的にそうはならず、しかも地元にUターンすることになった。
つまり、現在は「実家が借家=自分の住まいが借家」なのである。
(年齢的に親と同居とはアレかもしれんが、親も自分も別々の家賃を払うなんて経済的に不合理なので1人暮らしは選択できなかった)
借家でも何でも、住むところがあればそれでいいのだけど、まず、地域柄「持ち家が当たり前」(見栄のために持ち家を持ちたがるパターンを含む)なので、特に親の"感覚"からは「自宅が借家=恥ずかしい、世間体が悪い」と感じるところがあるようだ。
そして現実的な問題として、時がたてばいずれ賃貸借契約を受けてもらえなくなることが不安、それは親だけでなく私自身も同じだ。
これらの理由から、内容を吟味して計画を綿密に立てればギリギリ住宅ローンの利用も可能な「今」、家を買うか否かの決断を迫られることになった。
もはや結婚する気もないし、あったとしてもどうせ自分好みの相手を選べる立場にはない私だから、親と自分の将来の安心(親としては「最期を迎えられる場所」がほしいだろうし、私としても用意してあげたい)のためと思って家を買う選択肢はある。
ただ、この先万に1つ、いや億に1つ、結婚したいとなったとき、住宅ローンという多額の「負債」が間違いなくその足枷になるであろうことが容易に想像できる。
負債の有無だけで結婚するか否かを決めるのかどうかはわからないが、負債なんてないほうがいいのは確かだし、そもそも2人でいっしょに決めた負債ならまだしも、(法律的には結婚前の資産・負債はお互いに影響しないとはいえ)相手が勝手に抱えた負債と運命共同体みたいになることを好んでする女性もいないだろう。
いずれにしても負債を抱えることは結婚に「有利にははたらかない」ことは確実である。
杞憂も多分に含まれるが、なにせ巨額の買い物になるので結構動揺している。
とりあえずこの場に吐き出させていただいた。
御免。
「ランク分け何て人をなんだと思ってるんだ!!」なんていう人も、
例えば女の事を「付き合える、付き合えない」みたいに大雑把にランク分けしてしまってる。
そういう人に限って相手方から付き合う可能性を排除し、相手の事を知ろうともしないし、
恋愛すると相手の事を神聖化してしまって自分の理想を押し付けてしまう。
だけど相手の事を例えば
A=かわいい子、付き合いたい
B=やれるならやってもいい
C=興味ないけどお願いされたら
E=お願いされても無理
D=論外
っていう風にランク分けすると、おそらく多くの人がAに入って
相手の事を知ろうとするし、結果的にみんな幸せになると思うんだ。
女の事を「付き合える、付き合えない」ってランクにしている人は恐らく、
「普通に考えれば分かる」と思っている人と話すのが辛いを読んで、初めて増田を書くことにした。
この増田を書いた人の状況は、周りの人間の問題なのか、本人のスキルの問題なのか、あるいは本人の発達障害が問題の原因なのかは判断がつかないが、一部のコメントでも言及されている通り発達障害の方に多く見られる「汲み取る力の不足」や「ケアレスミスの多さ」が見られるので、自分では気づいていないが発達障害の方なのではないかと推測している。
最初に発達障害というものを理解するきっかけになったのは、とある元同僚とのこんな一幕から。
自分:「Aさん、今お客さんに送ってくれたメールの内容の件だけど、Aさんが書いていた「〇〇タスク」の状況ってどうなってたっけ?」
5分経過。まだパソコンで何かを調べて難しい顔をしている。
自分:「え?今10秒前(最初の質問時点)にAさんが自分で送ったメールの内容だよ?憶えてないの?」
Aさん:「ごめん、メールを送ったのは憶えているけど、内容がすっかり忘れちゃっていて...」
自分:「まじで?(あまりに信じられない状況だったので)それ本当だったら、結構ひどい状況だよ。体の調子が悪いとか?」
Aさん:「いや〜、実は昔から周りに『AさんはADHD(発達障害の一つ)っぽいところあるからな〜』なんて言われているんだよね。そのせいかな〜」
自分:「ADHDって言うのがあるんだ。ネットで調べて見たけど一度ちゃんと病院で見てもらった方がいいんじゃない?10秒前の事を憶えてないってやばいよ」
その後Aさんは初めて発達障害の検査ができる病院に行き、発達障害(ADHD)の診断(グレーゾーンでない)をもらった事を教えてくれた。
その事がきっかけで発達障害の事をいろいろ調べた結果、過去の自分が一緒に仕事をしてきた人達の中で「当たり前・普通の事ができない」と感じた人に、発達障害の人に見られる特徴がいくつもある事に気づいた。
・依頼した事が実施されていない
・ケアレスミスが多い
・長めの会話をテンポよく進めると話について行けない(話を聞いていないように周りから見える)
また、それぞれの人に程度の差はあるが、これらの特徴を持つ人がある特定の職種に異常に高い比率(過去実績で100%)で存在している事に気づき、仕事上ではその職種の人とのやりとりに気をつけるようにしていたのだが、自分の職場に部下としてこの職種の人(Bさん)が入社してくる事になった。
既に色々な知識や経験から、この入社してくるBさんも一定の高い確率で発達障害の可能性がある事を覚悟していたのだが、仕事を始めるとすぐに上記のような特徴がある事が分かり発達障害の特徴に配慮した仕事上のコミュニケーションを行っていた。
対処療法として、自分が相手の課題・苦手な部分をカバーする事で仕事としては成立させる事ができるのだが、発達障害を持つ(と思われる)Bさんはその事に気づかないため、理解のある同僚が永遠にカバーし続けなければならない。これはカバーする方には業務量の負担増加や、相手から感謝されるわけでもないので単純にストレスの増加に繋がる。
また、発達障害を持つ(と思われる)Bさんも自分の課題の原因(発達障害)についての理解がないため、課題の改善が進むわけでもなく得意な部分での仕事で成果が高まらない限り高い評価を受けることはできないため、仕事における達成感・満足度を感じづらい期間が続くのである。
根本的な解決方法は、Bさんに発達障害の特徴がある事を伝え、もし発達障害であるのならそのマイナスの側面をカバーするような対策を自分でも行えるようになってもらうか、苦手な部分は他の人のサポートに任せ得意な部分で大いに貢献をしてもらうかのいずれかだと思っている。
しかし、自分では客観的に見て明らかに「発達障害が原因」と判断しているものの、その事を伝えられるBさんの気持ちや受け止め方の多様性を考えると2年間伝える事ができなかった。
Bさんは転職する事を自分に告げる時「色々良くしてもらって仕事していたのですが、自分が組織に貢献できている気がしませんでした。申し訳ないです」と言っていた。
自分はどうするべきだったのだろうか。
誰か教えて欲しい
数年前まで客として通った。
はじめて行ったのは創業1年にも満たなかった頃だったと思うが、すでに予約が全然取れない状態だった。実際に行った直後はコリが消え、細くなった。この効果が出るのは時間あたり1万5千円以上のサロンだと思っていた。しつこい勧誘や物品販売がなかった。良い意味で男女の別を区別しなかった。(勧誘や物品販売はあったという話もある)
誰でも、どんな姿かたちでもあなたです、それはそれで素晴らしい。エステをプラスすることでなりたいかたちや心地よさを得ましょう、という考え方が従業員にも浸透しており、それまでエステを利用したことがない層も通っていた。これがSNSで口コミを生み出した要因であり、悲惨な最後につながった。
採用的良かったところ
基本的にいつでも採用、いつでも働けて、休みを設定するのも自由だった。一定の技術がクリアされていれば髪型、体型、髪色、肌の色、家族構成、持病など全く気にしない文化だった。規模が大きくなるにつれて最低出勤日数や最大出勤日数が法律に準じて設定されていった。
講習を受けて実技テストに合格すれば、即ジュニアとして働けた。このジュニアの料金がオイルマッサージとしては破格の安さだった。
従業員同士のコミュニケーションは推奨されず、個人個人自律することが推奨された。
実際に客として接する際には、オタクがすぎるなと感じることはよくあったが美容業界を知らない人が突然始めたなら心からの気遣いなだけだなと思う接客で、人間として嫌な思いをすることはあまりなかった。
ちなみに手技に習熟し、一定時間働いた(フルタイムに近い出勤状況で一年程度のようだった)シニアクラスに昇格すると、手取りで30万円以上になるようだった。のちにもっと上のクラスが作られ、手取りはもっともっと伸びたようだ。そのクラスになると、料金はそこらへんのエステと変わらなかった。
学歴も職歴もない女性やトランスが、年齢でも差別されることなく努力でここまでの収入を得られる場所は今の日本にはあまり存在しない。ゼロスタート、美醜を気にせず、マネジメント側になることなく、ユニクロの店長とそうかわらぬ収入に到達できたのだ。
(細かい数字は従業員だったことはないので知ってる方修正してください)
初期の昇級には、秘書検定や英検を義務付けたこともあった。英語、数学、理科などのエデュケーションを社内でトライしていた。
テックベンチャーでは当たり前のことを、他分野ベンチャーとしてやろうとしていた。
採用基準の結果、学歴が低く、バイトや低賃金職をまわってきた従業員が多かったので、学ぶことを教えようとしていた。
内装を日本のエステではありえないほど簡素化した。昔の東南アジアのマッサージ屋のようだったが来店者もエステ初心者だったのでそんなに気にされなかった。
シンプルなサービスから、高価格帯や付加サービスを年々、増やして行った。プロモーション費用はかけず、基本的に口コミのみで客を増やした。
後期には、借り入れをしないことが会社を畳むことに繋がらず、やめた従業員を苦しめた。従業員保護が法的に発動するのは会社が動いてないことが前提であることを痛感した。
悪かったところは簡単に。
客側デメリット
・コンテキストを理解していないと、悪夢。一般的なエステの常識とは違うサービス。
・隣のブースの会話が聞こえる
経営的悪かったところ
・高バック率で現場社員に価格のうちの高いパーセンテージを渡していたので、回転が止まるとそのまま会社が立ち行かなくなる設計だった
・バックオフィス、コールセンター、現場に出ない経営陣が直接コストセンターとなった
・上記のバランスの改善のため、最高級チームを作ったら、普通のオイルマッサージエステと変わらない金額になった
・常にベッドは埋まっていたので新店舗開発に突き進んだ
・社会保険、消費税を名目上とっておきながら、会社として納めていなかった(とされている。そんなことあるのか?)
・全ての行動をきちんと契約の上に行うという行動が伴っていなかった
・最後は給料を受け取らなくてもそのうちよくなると信じた信者社員によって会社が延命されてしまい、未払いに先に苦しんだ元社員が一番苦しむことになった
弱者を救う思想の組織を会社組織で回そうとし、回っていた期間は本当に素晴らしかったと思う。実際に社長が産休中でもほかの経営者で回っていたことはあったのだ。
後期、税金未納、規模拡大、バックオフィスの無計画な拡大などを吸収しようとし、サービスと価格が釣り合わなくなってきたところが最後の転換点だったように見える。ただしそれも、遅配を我慢してきた従業員によってすでに延命されてきた実績の上のことだったのかもしれない。よく担当してもらっていた方が突然やめた一昨年をきっかけに行くのをやめてしまった。
経営には一定の知識が必要であり、従業員としても賢くあらねばならんのだなという勉強になった。
お世話になった方々には本当に励ましたりよくしてもらったので、幸せになって欲しい。今どん底の元社員の方々も明るい未来がきて欲しい。
ところで、これらの経営課題、そしてなにより決算時に違法?脱法?行為を知っていたはずの会計、法務担当の外部士業の方々は何をしていたのであろうか?
何か怖いものに今いるところが襲われることがわかっていて母に言われて何か準備をする。時間が来たら怖いものがきて何らかのお題をさせてもらえる。そのお題をクリアできれば解放されるというもの。
今回の夢が怖いのはいつだったかわからないが、かつて同じ夢を見ている上に二回目以降のバッドエンドということだ。さっき見た夢の中で私はキーボードを操作して何か怖いものに備えていた。画面の前から操作しているものの直接母に指示を受けたり触ったりとメタとゲーム画面が入り混じっているような感じに近かった。何回目かはわからないけれど、怖いものは同じ内容をお題にしていたようで、夢の中の私は慢心していた。また同じ内容だろうと襲来後、操作をミスって短気になった上に質問にも答えられなくて母と手を繋いだところで目が覚めた。
以前みた夢と全く違って不思議な点が、
①夢の中の私がキーボードを操作しているなどゲームのようになっている。
②怖いものに対して「○○○!」と名前を呼んでいるが、その名前がほぼミリ知らレベルのとある創作神話に出てくるものと同音であり、怖いものも特に否定はしない
③失敗後に怖いものが「虎になるか椅子になるか」と問いながら私たちの方に向かってくる。前回の時は成功した直後に目が覚めたと思う。
④失敗後に怖いものが私が周回していることに気がつくような台詞を言う。
⑤失敗後に気づいたが、いる場所が現実で知っている場所ではない。
⑥そもそも母だと思っていた人物は母でなく、夢の中の私はいっさい疲労しない。夢の中と現実で私の身体が違うかもしれないということに失敗後にぼんやりと思う。それでも恐怖は本当に感じていた。
⑦質問の入力に失敗する(正答と違うことを結果的に答えた?)みたいな感じでアウトになったが、その時すぐ近くにいなかったはずなのに母(便宜上)が怖いものよりも先に私のところにたどり着く
ディズニーの作品、マレフィセントやアナ雪なんかは、「同性の恋愛や、姉妹愛こそが至高」っていうメッセージが込められてるわけだ。
それだけならまだいいんだ。日本の漫画やアニメだって、そういうシーンは沢山あるし、だからと言って漫画やアニメを見た人が、ラディカルな思想に染まることはない。
でもおかしいのは、「異性愛」を敵に置いて、徹底的に嫌悪しているところ。
いや、こういう作品を見て喜ぶのって、「異常者の母親」つまり毒親でしょって思う。
この毒親ってのは結構な社会問題だと思っていて、奴らの頭の中はマレフィセントみたいなファンタジー妄想でいっぱいなんだよ。
「親子愛こそが優先されるべきで、異性愛は糞」みたいな。
この作品が一部の趣向に向けたならまだしも、世間はこれを「正しくて素晴らしい価値観」として許容しているわけでしょ?その捉え方はおかしいと思うのよ。
エドゲイン、加藤智大の母親ってのは、徹底的に異性愛を嫌悪してたんだよね。エドゲインの母親は男が嫌いで、自分の子供に対し性器に唾を吐かせたりさせてた。
結果的にエドゲインはその性癖の行き場を無くして、他者の死や母親、女になることに対して性的価値を見出してしまったわけだよ。
加藤智大も女と仲良くならないよう邪魔をして教育し、結果的に人本来の衝動が全て学歴や自身のコンプレックスに向かってしまった。
何が言いたいかっていうと、「大多数の思想を否定することを社会的に正しくするな」ってこと。
俺はヒーロー映画は好きだが、暴力で他人をねじ伏せる事を社会的に正しいと思っている世界には住みたくない。
ああいう映画は、同性愛が好きな人や毒親的なフェチを持つ少数派の為の映画であるべきであって、あれが正しいとなる社会は、社会が犯罪者の母親としての性質を持つのと同義だ。
昔シングルマザーと付き合ってて、彼女のことは大好きだったんだけど、連れ子の親になる自信が無くて、自分から別れを切り出した。連れ子が理由とは言わずに。
連れ子は小学校高学年の女の子でそろそろ反抗期で、俺と15歳も年齢差が無くて、この子の父親になるのは当時の自分にはとても無理だった。
恥ずかしい話だけど、埼玉の連れ子殺人事件で養子縁組しなければ連れ子の親にはならないと初めて知った。
このこと知ってて、彼女と相談していれば、結果的に意見が合わなくて別れることになっても、嘘はつかないで済んだかもしれないと後悔している。
地球温暖化や気候問題に対する彼女の主張に反論するつもりはまったくないし、彼女の行動にも文句はない。
学校を休んで活動をすることに目くじらを立てる人もいるかもしれないが、それは個人の意思だし、別に周りがどうこう言う問題ではない。
16歳という若さながら、国際舞台に立って行動を起こしていること自体は本当にすごいことだと思う。
ただ、そんな彼女に対してどうしても違和感がある。Wikipediaページによると、
トゥーンベリは、彼女が8歳の2011年に気候変動について初めて聞いたと言っているが、なぜ気候変動への対策がほとんど行われていないのか理解できなかった。 3年後、彼女は落ち込んで無気力になり、会話と食事をやめ、最終的にアスペルガー症候群 [12] 、強迫性障害 (OCD) および選択的無言症と診断された。 [13] その診断は「以前は私を制限していた」ことを認めながら、彼女はアスペルガーを病気とは見なさず、代わりに「スーパーパワー」と呼んでいる。
とある。アスペルガー症候群は近年、発達障害が一般にもよく知られるようになってきたことから、耳にしたことがある人も多いだろう。また、強迫性障害もアスペルガー症候群ほどではないが知名度はあるように思える。しかし選択的無言症はどうか。これは場面緘黙症とも言われる疾患であり、詳しくは[wikipedia:場面緘黙症]を見てほしいが、アスペルガーほど知られた疾患ではないと思う。上記にもあるように、彼女はアスペルガーに関しては「スーパーパワー」として肯定的にとらえているが、場面緘黙症については、
So when I was 11, I became ill. I fell into depression, I stopped talking, and I stopped eating. In two months, I lost about 10 kilos of weight. Later on, I was diagnosed with Asperger syndrome, OCD and selective mutism. That basically means I only speak when I think it's necessary - now is one of those moments.
とhttps://www.ted.com/talks/greta_thunberg_the_disarming_case_to_act_right_now_on_climate]において発言している。
これがどうも腑に落ちない。これは場面緘黙なのだろうか。急に話さなくなったり、必要だと思う時にしか話さないという彼女自身の説明には疑問が残る。
もちろん、当時の彼女を診断した医師がそう判断し、彼女はこのスピーチの中でそれを話しただけかもしれないし、時間の都合上分かりやすい表現としてこのような表現になっただけなのかもしれない。
しかし、意地悪な見方をすると、これは場面緘黙症という疾患を利用しているのではないかとも思う。場面緘黙症自体があまり馴染みのない疾患であることから、多くの人はその疾患について「話すことが困難なんだな」程度の認識だろうし、そのような人々がこの話を聞いたとき、彼女に対して「そのようなハンデを持ちながらも環境のために声を上げた16歳の少女」のイメージを強く抱くであろうことは容易に想像できる。場面緘黙だけでなく、アスペルガーや強迫性障害についてもそうだ。
これが可能なのはそれが見えない症状だからだ。身体的なハンディキャップがある人とは異なり、アスペルガーや場面緘黙症は一見しただけでは当人がそういった疾患を持っていることがわかりにくい。しかし逆もまた然りだ。自称しているだけだとしてもそれを見ぬくことは難しい。
グレタさんに関してはいろいろな意見が出ており、親に利用されているだとか、誰かがバックにいるとか、陰謀論じみたものまで出ている。実際のところどうなのかはわからない。
結果的に多くの人々に気候問題を考える機会を与えたことは良いことだと思うが、場面緘黙症についての発言だけは、どうしても違和感をぬぐえない。
上記増田は単に自分のミスで金を失ったことで、しなくていい対象に八つ当たりをしている。よって、この記事に書いてある教訓らしきものをまともに取る必要はない。
今年JALの国際線のチケットを購入したところ、搭乗日の前日になって、webチェックインができないことに気づき、電話で問合わせた。
JALの職員は言いにくそうに、私が予約をした際に姓(名字)と名(下の名前)を入れ違いに入力したまま発券してしまっていると告げた。
JALのサイトから直接航空券を購入すると、登場者名をアルファベットで入力するよう求めてくるが、日本の企業なので、入力フィールドが「姓」「名」の順に並んでいる。
パスポートに記載するアルファベット名の順番は、「名」「姓」の順番だと思っていたので、よく確認せずに入力してしまったのだ。
修正する方法はないのかと尋ねると、もう発券してしまっているので、いったん予約をキャンセルし、チケットを買い直すしかないと言われた。
出発日が迫っており、あれこれ考えている余裕はないと思い、言われたとおりにいったん予約をキャンセルし、同じ便で空いている席を探してもらったところ、同じ金額のチケットを見つけてもらうことができた。
結果的にキャンセル料の約3万円だけが差額でかかったことになる。
この金額にちょっと足せば無印のiPadが買えてしまうので、失敗の授業料にしては痛かったと思っている。
うむ。ということは、津田大介が開催した「表現の不自由展」はつまり「表現の不自由というテーマに関した作品を並べて沢山の人に見てもらい、それで補助金をせしめるためのイベントだった」ってことで、ここで言う所の「表現者」もしくは「表現」を行ってる人間とは関係ないじゃん。
結果的にというかそもそもが「表現の不自由」ってタイトル背負った芸術作品があればよかっただけの話で、本質的に表現的に不自由な作品かどうかよりも「津田大介が不自由だと思った」作品が並んでるにしか過ぎないじゃん。
「表現の不自由」を展覧することはできても「不自由な表現から表現者を解放する」なんてそもそも目的とされてないよな?
昼食時にオフィスやコワーキングスペースで、同じ室内にいる人が弁当やテイクアウトのランチを開けて食べ始めた瞬間の、ウッとくる臭いがだんだん耐え難くなってきた。
テイクアウトのカレーを開けると、まるで爆弾が爆発したみたいに、臭いが室内いっぱいに拡がって籠もってしまい、周囲に微妙な空気が流れる事態は経験したことがある人が多いと思う。
最近は東南アジア系のテイクアウトランチが増えてきた結果、事態はもっとカオスになっている。ナムプラーが入ったサラダやパッタイなどを開封した瞬間に、室内に便所のような臭いが拡がる。
だがもつとも耐え難いのは、冷めた肉の臭いだ。鳥の唐揚げ弁当を開けた人がいると、ニンニクの臭いに混じって、どこか酢えたような肉の臭いが拡がり、吐き気がしてくる。
他人の食べるものって、話題にするにはどこか微妙なためらいがあり、しかも、あれは持ち込まないでほしい、これはよい、などとはっきり線引きをしにくいから、結果的に臭いの問題は野放しになっているような気がする。
いい年をした大人が、男女関係なく、食べ物の臭いのことになるとまったく周りに気を遣わなくなるのはとても不思議なのだが、オフィスなどで弁当やその他持ち込みの食べ物の臭いについて、なにか決まりがあったり、配慮するよう全員で合意している例などがあったら教えてほしいと思っている。
はい。
──ドラマ制作側から「こういう曲調で」みたいな要望はありました?
細かいものはいくつかあったんですけれど、一番印象的だったのが「傷付いた人を優しく包み込むようなものにしてほしい」というオーダーで。最初はそこに忠実に作り始めたんですけど、結局できあがったものは決してそういうものにはならなかったんです。結果的に「あなたが死んで悲しいです」とずっと言ってるだけの曲になった。そうなるまでにはいろいろあったんですけど、1つ大きかったのは、曲を作っている最中に自分のじいちゃんが死んだことで。
──そうなんですね。
自分は死にまつわるようなことをずっと歌ってきた人間だから、それを音楽にするというのは言ってみればなじみの深いものだったんです。だから「やろうと思えばできるかな」って感じのテンションで作っている最中に、自分のじいちゃんが死んだ。肉親の死という確固たる事実が塊として自分の目の前に現れたときに、「果たして自分は人間の死というものを見つめることができていたのだろうか」って考えてしまって。ひょっとしたらあやふやな状態のままだったのかもしれない、と。
──最初はある種の観念的なものとして死に向き合っていたわけですね。それがいきなり自分自身のことになった。
そうですね。最初はドラマと自分の中間にあるもの、そこにある一番美しいものを目指して作り始めたんです。でも、そうやって自分の目の前に死が現れたとき、果たしてそれは一体どういうことなんだろうって思って。今までの自分の中での死の捉え方がゼロになった。それゆえに、また1から構築していかなければならなくなった。気が付いたらものすごく個人的な曲になったような気がします。
私もフェミ臭さがある方だし増田と同世代だけど、この内容は増田の「性」に対する志向が出すぎていると感じる。大原則については私個人は同意できるし、その後もある程度は同意できる面もあるが、全然同意できないところもある。
そもそも性(ジェンダー)に対する認識は、それこそ性自認やLGBT etc.というタームも含め、個別性がきわめて強い。
「性をこういう風に捉え、このような原則に基づいて取り扱うのがよろしいのです」などと受け取られかねない「方法」に向かいやすいのはダメだと思う。性(ジェンダー)の取扱いについての原則を立てるということは、やってはダメなことだと思うのだ。「アタクシが考える良きセックスを、ワークショップでさぁ教えてあげるわよ」という上から目線な雰囲気を感じてしまう。発信側がそういうつもりはなくとも、そう受け取られる可能性がある。発信者と受信者で性志向が異なっている場合、かつ発信者がマジョリティ寄りの場合、その発信はより強く悪意をもって糾弾されると思う。それはとっても危険なことだと感じる。
更に、肉体の成長スピードも個体差がある。もっと見えにくいジェンダーへの意識も性癖も性欲の成長スピードも、その人が持つ性欲の絶対量も人によって違うのに。
セックスファンタジーのくだりあたりは特に、気持ちは分からないでもないが、正直、全然ダメだろう。
性行為を理解していない可能性が高い子供に「セックスファンタジー」と現実の線引きを理解させるのは簡単ではない。それ以前に、子供だろうが大人だろうが、性(というか他者)に関するファンタジーと現実との線引きの位置はその人によって、そして他者(相手)によって、更には二者間(または一人(オナニーのケース)あるいはそれ以上(スワッピングのケース)もありうる)の相性や関係性によって、すべて異なる。
極端な例だが、痛めつけられることを求める人と痛めつけずにはいられない人が双方合意していたら、一般的なレンジからは外れてはいるかもしれないが、双方合意のもとに行われる素晴らしいセックスだとも言える。一方が抱いているセックスファンタジーにあまり気が進まないけまぁ良いかと他方が乗ってみたらハマったというケースだってある。増田から見たら精神的な疾患や犯罪的な問題をうかがわせるような愚かな行動に見えたとしても、それがその時点でのその人の最善の選択であるケースもある、それが人間の欲望やセックスの恐ろしく、難しく、そしてとても面白いところだ。
私が、元記事のブコメを見てて確かにそうだなと思ったのは、「男はそもそも自分の性について教えてもらえず放置される」という視点だった。男性の性器が外形的に明示されやすいことと、乱暴に大っぴらにしても元気がよくて宜しいと言われやすいジェンダーを背負っていることなどもあって、結果的に男子は「自分の中に眠っているかもしれない性への感情(繊細だったり乱暴だったり内向的だったり)」を発見できていない可能性があるのでは、ということだ。そしてこれはもちろん女子にとっても同じだ。
そもそも自分と向き合うことができてない人が、どうも多いみたいなのだ。
自分が持っている肉体と向き合うこと、自分の性自認と向き合うこと。自分の体や自分の性への感情をどうやって尊重するか、同じように他人をどのように尊重するか、そういうプロセスを踏んでいく必要があるんだろうと思う。
「こういうセックスは危険なセックス」「こういうセックスは犯罪」ということを理解するためには、社会的な合意形成を理解できなくてはいけないが、この社会的合意に従えない人はいるだろう。少数派の性志向を持っているほどしんどいと思う。もちろん法律では決まってて法律違反はしちゃいかん訳だが、法律を守れない人は必ず存在するしそういう人も、法律違反した後でも生きていかなきゃいけないわけですよ、性欲の飼い慣らしかたも教えてもらえないままに。本当に簡単ではないし、簡単ではない性向の人ほど、問題や性犯罪に近くなる。それをハナから排除する可能性がある性教育の意味はゼロだろう。
教条的なのはダメだと思う。すべからく具体的で、参加する人が主体的であれるように。カリキュラム以前ではあるが…
生理と出産にまつわること、性病や望まない妊娠についての知識など、生物的な肉体としての性(sex)への理解。
ワークショップ・・・主に社会的性(gender)について、および「sex×gender」について。「人によって違う」ことを理解し尊重しあえるか
WSのシナリオは年齢とか開催主体によって考えなきゃいけない、全く持って適当だが。
LGBTやニッチな性癖や、性関係なくそもそも自尊心の欠如した子や、もちろん一般レンジに収まってるマジョリティも含めて、それぞれ全員が自分の自尊心パーセンテージを高められるようにカリキュラム設計できたら100点なんだけどね…。まぁ大変簡単なことじゃない。相手を傷つける性行為や犯罪は、根本的なところでは多分、加害者自身に自尊心が満たされていないから犯すんだろうと思うのだ。
地域を代表するものが、 (すでに廃止された) 古い地名を名乗っていることに疑問を持っている。
讃岐うどんって言うなよ、クソが。 それは「香川県のうどん」だ。
讃岐と呼ばれていた頃と同じうどんなら讃岐うどんって言ってもいいけどさ、讃岐うどんってのはイリコの生臭さと噛み切れないほどのグニャグニャした (少なくとも食べなれない人からすると) クソまずい食い物なんだよ。
旅行客が食べて「美味し~~ (^^♪」って言ってるのはカスタマイズされた香川県のうどんなの!!
特にバスツアーとかで寄る店は観光客向けに調整してるから、味が美味しいかまずいかは知らんけど平均的な讃岐うどんではない。
でも、それも含めて旅の醍醐味なんだから、美味しいものを食べに行くっていう感覚はやめろ。 まずくてもそれを楽しむんだよ。
讃岐うどんかどうかはともかくとして、しいて言えばつるやのうどんはまああまあおいしいです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4674644977268989730/comment/mamezou_plus2
名物(常食を除く)だからな。日常食でそんな不味い物が残る訳ないだろ。日本人喰意地はってんだから※讃岐うどんブームは麺通団が発祥
旅行客にとっては「よその地方の」ものを食べているという話をしています。
食い物のおいしさを絶対的な指標で測れるという間違った考えを持っている人のことを想定していなかったので、そういう人にとってはわかりにくい文章でしたね、すいません。
私が名古屋へ行った時もあらゆるものが塩まみれで呑み込めませんでしたが、駅ナカで食べた串カツはたぶんよそ者向けにカスタマイズされていておいしかったです。
しかし、名古屋の料理はガチでしょっぱいわ~というのも貴重な異文化体験です。
日本国内でさえ様々な価値観があるというのが旅行体験として重要なのです。
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遠方へいってまで食べるのが普段食べているものの上位版に過ぎぬというのはつまんなくない?
普段よりおいしいものが欲しけりゃ地元にもちょっとした高級店くらいあるだろ。
結果的によそ者にとっても美味しいことだってあるだろうけど、よそ者向けにカスタマイズされたものを食って満足するのってあほらしいなぁと思うのだった。
正直メギドが流行った理由の何割かってFGOの虚無性からの難民が多数いたのはあるからなぁ。メギドというより「スキップチケット・オート機能があるソシャゲ」のウリは大体「FGOとは違う」に収束するとは思う。
まぁ良識ある人間は直接的にそんな風には言わないだろうけど、ぶっちゃけ誰もが感じてることではある。
FGOを貶める意図は無いにしても、ソシャゲとして優れてる点を上げたら結果的にFGOを下げる事になっちゃってるプレゼンはいくつか見たし。ただそれを持ってして「自age他sageやめろ!!」っていうのは違うかなと思う。
もちろん「FGOとは違う!」って直接言っちゃうのがいるのは間違いないし、増田の言うことは全体を通して正論だとは思うけどね。
ユーザー層と運営が自分に合わない、吐き出したいってのはしょうがないし、ゲーム部分は評価してるだけに気の毒だなと思わなくもない。