はてなキーワード: 競争原理とは
アメリカの起業家、イーロン・マスク率いるHyperloopをご存知だろうか 新しい形の交通システムで、真空にした筒の中をリニアモーターによって1200km/hで駆け抜ける。 (詳細↓) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97 リニア新幹線の受注競争のライバルであり、すでに多くの受注を得ている。 他方、日本ではリニア新幹線の開発/建設が進んでおり、採算性の問題や技術的な問題などが疑問視されている。
ここで、リニア新幹線は一度設計を見直してHyperloopに似た構造にしてすべきだと主張したい。
あくまでリニア新幹線を取りやめてHyperloopにするのではなく、リニアをHyperloop風に改造すべき。
以下、「リニア新幹線を改造してHyperloopにすべき4つの理由」と題して、リニア新幹線を技術的経済的側面から再考したい。
※物理学の知識が完全ではないので、詳細不明の部分には*をつけています
以下、Hyperloop=HL , リニア新幹線=リニアとします
一概に言えるものではないと思うが、”現段階では”リニア新幹線の技術はHyperloopよりも相当高いと思う。
理由は以下の4つ。
<1>HLが無人200km/hでの走行にとどまっているのに対し、リニアは有人600km/h以上での走行に成功している。
<2>HLが身をかがめて乗車しなければならないのに対し、リニアは車内の空間も格段に広い。
<4>リニアは「室内の電源問題」を解決している。
真空中を進む場合、機体の外は真空であるため、機体に航空機並の気密性の高さが求められる。
しかしながら、東海道新幹線N700系ですでに航空機に近い機密性を持っているとされており、
リニアは少しの設計変更で条件を満たす気密性を確保できるはずである。*
走行区間を真空するためには、線路(この表現が正しいかはわからない)の上に
しかしながらリニアはすでに走行区間の大半がトンネルのため、これをそのまま利用できる。
トンネルが多いためリニアは普及しないと言われたが、これを逆手にとって利用する。
「絶対ペイしない」と言われるリニアであるが、広い車内を利用して、物流手段として活躍することも考えられる。
具体的には、物流拠点に予めリニアの路線を通しておき(ここは真空にしない)、超高速物流に当てる。
これにより、比較的地価の安い名古屋近辺に物流拠点をおいて東京大阪へ1時間以内へ荷物を輸送できるかも。
競争原理の話とか。
②遅い開発スピード
ライバルとなりうるHLはベンチャーであり、開発のスピードが異常に早い。
相対的にリニアの開発のスピードは遅く、「現段階では」アドバンテージのあるリニアも
今後の状況では受注競争で相当に不利な状況に追い込まれる。 (すでに出遅れていると言ったほうが正しい?)
③面倒な持ち物検査(まだ確定ではないが)
新幹線が飛行機に比べて圧倒的なシェアを誇るのは、駅の立地に加えて、持ち物検査がないことで待ち時間が少ないことが考えられる。
リニアで持ち物検査を行えば結局新幹線を使ったほうが早いということもありうる。
プラットフォーム、どんだけ地下に作る..エスカレーター等乗り換えだけで10分以上取られるのであれば誰も使いたがらないだろう。
「クオリティに関わらず同じ料金取られる」
この2点が心底気に食わないとマイナスイメージになって次の購入に繋がらなくなる。
前者は、一般受けを狙い過ぎたせいで
一番ヒットしそうなストライクゾーンばかりみんなが狙い続けてる。
結果としてどの雑誌でもお決まりの話になって新鮮味もリビドーもなくなる。
作者だけのオリジナリティを絵柄だけじゃなく話でも出してくれないと、単純に飽きてしまう。
途中で読む気がなくなる。
その点、同人は自分にリビドーが合うのをユーザー側で自由に選択できる。
欲しいやつを買うだけ、欲しくないなら買わない。
自由に選択できるし、売り手も競合と被らないことがメリットになるので、
あまりにもニッチすぎて売れなかったのなら次はマイルドにするとかの調整を自分でできる。
実際にニッチすぎるものは売れない市場に「なってしまっている」。
でもそれならそれで、他の作家が頑張るとかそれに目をつぶるだけの利点が欲しい。
クオリティと値段が素直に直結してきているが、
雑誌はどれだけ下手な作家を入れ込んでもページ数が同じなら同じ値段。
つまるところ、数を絞ったほうが、既得権も守れるという意図は誰でもわかる。
既得権はとにかくとして、競争原理にさらされれば質が上がるという政府の理屈は無理筋で、獣医師会の言い分はもっとなところがある。
ここで獣医師会が主張を突き通せないのは、これまで、
と強く主張しすぎたことだ。
公衆衛生分野、これが微妙で、狂犬病予防員として保健所が獣医師を抱える必要性がどれだけあるのか、鳥インフルエンザの水際防疫が獣医じゃないと無理なのか、と思うところはあった。
もちろん、獣医師会がそれを他資格者に開放するはずはないのだが、
「俺たちのシマだ!人が足りない!」
とこれまでこんだけ言い続けていたのに、新設すると言い出した途端に、
「いや、新設しても増えない!数の問題じゃない!」
というのはさすがに苦しい。
公務員獣医師の待遇改善をしたら、当然獣医師が公務員を目指すはずなんだが、そもそも、獣医じゃないと出来ない公務員の仕事というと
もちろん、公務員就職した場合、その他の雑務一般に追われるわけで、時にはフォークリフトを操り、時には糞尿にまみれ、様々な仕事をするわけだが、
本当に法律の上でも獣医師かできない業務となると、狂犬病予防員と食肉検査くらいに限定される。
それ以外の業務は、トレーニングさえすれば、牛の採血だろうと、食中毒菌の分離でも、免許は不要だ。
いっそ、公衆衛生分野から獣医が撤退したら、大学教育もペット診療と家畜診療の教育に専念できるわけで、教育のレベルも卒業生のレベルも上がるだろう。
加計学園問題を巡り、獣医学部の規制が、国民のためなのか、獣医師会のためなのか?という議論が交わされています。
規制が緩和され獣医師の数が増えれば、競争原理が働き、動物の治療費が安くなるかもしれません。
また、腕の悪い獣医師は競争過程で淘汰されてしまうのを恐れているのかもしれません。
その他にも、新設の結果、獣医学部が法科大学院のように潰れてしまい、私学助成金などの我々の税金が、結果として無駄なってしまうかもしれないという問題点があります。
しかし、ここには、重大な視点が欠落しています。それは、動物の視点です。
「国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る。」とはマハトマ・ガンジーが残したとされる言葉です。
獣医師になるためには多くの動物の犠牲が必要であることは、言うまでもありません。
解剖、手術、動物実験等様々な用途で、動物が使用されます。使用される動物としては、マウス、犬、豚、馬、牛などが挙げられます。
獣医学部が新設されれば、当然使用される動物も増えるでしょう。
確かに獣医師の数が増えれば犠牲になった動物の数よりも多くの動物を救うことができるかもしれません。
しかし、需要を上回る獣医師を養成し、人手が余ってしまったとしたら、その時犠牲となった動物の命は無駄になってしまうのではないでしょうか?
獣医師が余るなら、獣医師としては食べていけないなら、獣医師免許が不要な職種で活躍していけばいいじゃないかという意見もあります。
しかし、本当にそれで動物たちは浮かばれるのでしょうか?市場原理に目がくらみ本当に大切なことを忘れていないでしょうか?
獣医師は、 人間ではなく動物の命を預かるという点で、医師、歯科医師、薬剤師とは根本的に異なります。
人間なら医学および歯学の発展のため献体を行うような教育における犠牲の合意形成が可能ですが物言わぬ動物たちはそれができません。
獣医学部新設の認可は文部科学省の利権といわれていますが、結果的にこの規制は動物のためにもなっていたと思います。
市場原理に任せやみくもに獣医学部、獣医師を増やしてはいけません。不足している分野の獣医師の待遇改善など動物の命を犠牲にしない方法を検討するべきです。
今こそ「命を守る政治」が求められているのではないでしょうか?
加計学園問題を巡り、獣医学部の規制が、国民のためなのか、獣医師会のためなのか?という議論が交わされています。
規制が緩和され獣医師の数が増えれば、競争原理が働き、動物の治療費が安くなるかもしれません。
また、腕の悪い獣医師は競争過程で淘汰されてしまうのを恐れているのかもしれません。
その他にも、新設の結果、獣医学部が法科大学院のように潰れてしまい、私学助成金などの我々の税金が、結果として無駄なってしまうかもしれないという問題点があります。
しかし、ここには、重大な視点が欠落しています。それは、動物の視点です。
「国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る。」とはマハトマ・ガンジーが残したとされる言葉です。
獣医師になるためには多くの動物の犠牲が必要であることは、言うまでもありません。
解剖、手術、動物実験等様々な用途で、動物が使用されます。使用される動物としては、マウス、犬、豚、馬、牛などが挙げられます。
獣医学部が新設されれば、当然使用される動物も増えるでしょう。
確かに獣医師の数が増えれば犠牲になった動物の数よりも多くの動物を救うことができるかもしれません。
しかし、需要を上回る獣医師を養成し、人手が余ってしまったとしたら、その時犠牲となった動物の命は無駄になってしまうのではないでしょうか?
獣医師が余るなら、獣医師としては食べていけないなら、獣医師免許が不要な職種で活躍していけばいいじゃないかという意見もあります。
しかし、本当にそれで動物たちは浮かばれるのでしょうか?市場原理に目がくらみ本当に大切なことを忘れていないでしょうか?
獣医師は、 人間ではなく動物の命を預かるという点で、医師、歯科医師、薬剤師とは根本的に異なります。
人間なら医学および歯学の発展のため献体を行うような教育における犠牲の合意形成が可能ですが物言わぬ動物たちはそれができません。
獣医学部新設の認可は文部科学省の利権といわれていますが、結果的にこの規制は動物のためにもなっていたと思います。
市場原理に任せやみくもに獣医学部、獣医師を増やしてはいけません。不足している分野の獣医師の待遇改善など動物の命を犠牲にしない方法を検討するべきです。
今こそ「命を守る政治」が求められているのではないでしょうか?
匿名ダイアリーに投稿するのが初めてなもので、要領を得てないかも。すみません。
私は昔からモテない(異性から人気が無い)人間でしたので、恋愛に関してはいつも蚊帳の外でした。だからなのか、恋愛そのものに気持ち悪さをいつも感じています(もちろん、妬みもあるでしょうが)。なぜか周りには理解されないのですが、ネットの世界は広大なので共感してくれる人がいるのではと期待して投稿します。
唐突ですが、「付き合う」って何なのでしょうか? 本当によくわからないのですが、彼氏彼女の関係って定義ははっきりしないのに何故か共通認識として社会全体で共有されていて、理解に苦しみます。セフレという言葉もありますが、あれと何が違うのか、誰か教えてほしいところです。また、この「付き合う」ということは、明確に好意を示すことになりますが、気持ち悪いのは”周囲に”示すことです。わざわざ関係の無い人たち(多少はあるでしょうが)にアピールする必要が感じられません。リア充自慢なら話はわかるのですが、どうやらそうでもない場合が散見されます。あと、これはそもそも論なのですが、そもそも誰か特定の人間を特に好きになって他を除外していく仕組みが不愉快。愛だのなんだのと高尚な言葉を使っているわりには、競争原理で差別しあってヒエラルキーをつくる方法なのが胸糞悪くないですか?
最近の風俗嬢は不幸な身の上話なんてするのは田舎から上京してきたばかりのガキしかいないけど、
逆にガチでハマってる趣味の話を延々をする子が多い。もちろん、風俗を始めたのも趣味のためだ。
だが、何だか事情があって働くのは、まあ健全と言えば健全な気がするのだが、
完全に趣味のためだけに風俗働くのは、逆にもう完全に病んでる感じがハンパない。
そんなもののために、少なくない数のオッサンのチンコしゃぶって
そんな実生活では趣味に没頭して生きている。そっちの方がだいぶ病んでるって。
(学生や昼職やってるならマシかもしれんが)
と、ジャニおっかけの子や、バリ島にハマるオキニの日常を聞いていて
彼女らの趣味比べれば、高給ソープでもなければ風俗なんて端金だもんね。
実際に働いて稼いでいれば、競争原理も働いている昨今では風俗なんて安いもんだし。
学費のため、なんてベタなこと言う子の方がめずらしい世の中になってしまって不思議。
<追記>
誰だか知らんがブコメありがとう。増田で初めてブコメもらった。
でも、たかが趣味のためにキモイオッサンに褒めながらの授乳プレイ。。。いや、ガチで病んでるだろ。
<追記2>
みんなたくさんブコメありがとう。100超えたの人生で初めてだ。オッサン嬉しいよ。
ただ、ひとつだけ言っておかなきゃいけないことがある。
授乳プレイに関しては、b:id:cloq さんのブコメを受けただけで、自分が授乳プレイ好きなわけじゃないんだ。うん。
オッサンの性癖を開陳するのも何だけど、オッサンね・・・ドSなんだ。
プレイして射精すらしないことも多いし、この記事を書いたときは賢者タイムですらないんだ。
ついでに言っておくと、やっぱりまだまだ趣味を全面に押し出す子は少数派なんだ。確実に数は増えているけど。
一番多いのは本当にやる気なさそうにイヤイヤやってる子達で、そういう子たちは別に何も聞かなくとも
こんなことから書き出すとバリバリの格安SIM使いかと疑われるところだが大手キャリアサービスを使っている今年の7月に乗り換えようかとはしているが。。。
「iPhoneが売り上げ減少」
そりゃそうだ、iPhone5が出た時ぐらいから既に「情弱専用端末」使用者はアホだがキャリア間の競争原理が働き回線だけがマトモって構図が完成
ブレイクスルー的な革新が止まった昨今MVNO 格安SIMが大流行なのもうなづける。
例の暴力団との交際問題で芸能界からドロップアウトした島田紳助が恋愛について語った例え
「普通の道をを走るのに君たちみたいなバリバリのF1のような女は確かにカッコもいいが運転しづらい、普通のミニバンや軽のほうが使いやすいねん」
そのまんまでしょう
それにしてもiTunesは使いずらい、音楽関係のPCツールとしては良いが スマートフォンのバックアップとしては改善しないね。
まとめてみる。似たような言葉が並んでいるが。
<まとめ>
・横一列で競争を嫌う=みんな一緒
・ポジショニングできない=横一列
=やばいかも
⇒産業は衰退し原始人にもどりそう
●だから
性別に関係なく男性的な思考と女性的な思考の両方をバランスよく持っている人間が理想的
<まとめここまで>
色々突っ込みどころはあるが、
まず、ポジショニングってなんなのか。急にモノを配置始めるのか、俺はここだもんねとか言い始めるのか。
何とでも取れるが好意的に「職位・職掌の采配」とでも見ておく。
上記から推測すると、男性的・女性的思考は次のような特徴として見ていると思われる。
・横一列での競争
=結果による職位・職掌の采配
・競争を伴わない=(転じて協力的な業務遂行・ノウハウの共有?)
要は競争原理と成果主義の仕事に無理に非競争と画一的な職務采配を導入するとヤバイ。
そりゃそうかもしれんが。
何がヤバイって社内の話に留めておけばいいものを経営や産業の理論とやらが破壊されて
原始に戻るほど競争・階級主義じゃないかと思うが原始人=ド低脳ぐらいに好意的に読み替えても
それはもう女性とか男性とか限らずド低脳のトップと社会だったに過ぎないんじゃないかと。
たぶん「代わりがいない」でFAなんだよな。
ここ数年思ってたことをSMAP騒動にかこつけて吐き出すと、お茶の間や学生の人が思ってるよりも、日本は遥かに狭くてプレイヤーが少ない国だよ。
もちろん日本の全人口はすごい多いけれど、ある特定の業種や機材に焦点を当てて考えると、みんなが思ってるよりずっと狭い。競争原理なんて働かないほど狭い事は往々にしてあるよ。
「ちょっとイケメンでTVに出たい程度の青少年なんてそこらにいくらでもいるだろ」って書き込みがあった。事実そういう人はたくさんいるかもしれない。でも「ちょっと顔が良くて踊れる程度の何者でもない青少年を百人単位で雇用するベンチャー企業(=芸能事務所)を立ち上げたい経営者」って日本に何人いるかな? その野望だけじゃなくて、資金調達能力や調整能力まで含めたら、1人もいなくても不思議じゃないよ。
ジャニーズは外部から見る限りであっても結構大規模なエコシステムで、研修生を売れ筋アイドルのバックダンサーで踊らせることによって場数と知名度と小銭を稼がせながら、将来の収穫対象に育成するとかまでやってるわけだよね。つまり、規模がメリットになっている。そういう先行事業者がいる畑で、いまから後追いで後釜を狙うには、すさまじい初期投資と営業能力が必要だよ。そしておそらく運も。
地方自治体の箱物関係の予算開示にまつわるものもそう。「なんでこの建設業者に毎回発注してるの?」「高くない?」「競争原理はたらいてないの?」。そんなの働いてない。日本全国に建設会社なんてそれこそくさるほどあるけれど、建設会社にはそれぞれ得意なジャンルがあって、どの建設会社でも何でも作れるわけじゃない。過去の実績とかある。そのうえ、地方自治体だと、地元の起業に発注したい(経済活性化を考えて)。そういう幾つかのフィルターをかけると、もう、選択肢が事実上ひとつふたつしかないって状況は、ままあるんだよ。全国区のマスコミで放映されると、そこが抜け落ちてしまう。こういう状況に「地元企業との癒着だ」って叩くのはOKなんだけど、だとするならば「他の地域の企業への利益供与だ」は叩くべきじゃない。そのふたつはダブスタだよね。
工作機械なんかの場合もっと極端で、ある特定の目的のニッチな機材を扱う会社は、日本どころか、世界でも数社しかないなんてざらにある。
いわゆるお茶の間的なみんなが思ってるよりも、(ある視点、要求を元に眺めた場合の)世界はすごく狭い。参加者も少ない。
はてなではよく「起業するなんて一般人には無謀」みたいなコメントが有って、それ自体は正論なんだけど、でもそういう自縛型の文化なんだから、社会の新陳代謝は遅くて当然なんだよ。失敗した人を責める社会なのだから、過去の成功者(まさにジャニーズだ)が、邪悪な院制で弾圧しても、それは甘受しなきゃ。新しい挑戦者を用意できないんだから、過去の王者が独裁をするよね。
全ての本を電子化して、電子データを国立電子図書館で管理して、ネット経由で貸し出せばいい。
データ形式はpdf。DRMはかけない。(図書館で借りた本をコピーできないなんて事は無いわけだし)
未返却のまま除籍される図書館の本は全国でものすごい量に登る。そんな未返却問題が一斉に解決する。
図書館員の憂鬱な仕事の一つにその督促業務がある。それも一切無くなる。
また、本が破損したとか、汚れたとか、そういうことが一切起きない。
またそれに伴い、貴重な閉架図書もガンガン貸し出せるし、高額な本も余裕で貸し出しOKとなる。
図書館の大きな役割の一つに、知を広く市民に広めるというものがある。
だが、図書館は基本日中しか開いていない。サラリーマンは土日しか知に触れられない。
多くの図書館は月曜日が定休だ。月曜日は市民は知に触れられない。
人気のある本は何百人も貸出を待っている。待っている間はその本には触れられない。
図書館が遠くにある人は、図書館までわざわざ出向かないと知に触れられない。
運転免許が無かったら? 怪我をしていたら? 悪天候だったら?
そんな問題も一気に解決だ。
そして何より、「借りたいと思っていた本が図書館にない」なんてことがなくなる。
借りたい本が具体的に決まってるなら、他のどこよりも、この国立電子図書館にある確率が高い。
当然、借りたいと思い立ったらすぐに借りられる。
図書館の大きな役割の一つに、文化や知識の保存というものがある。
電子図書館ができれば、全国の図書館で同じ本を買う必要がなくなる。ここでまず購入予算が大幅に浮く。
そして、物理的な空間も一切不要となる。棚も不要。そもそも図書館という建物が不要になる。
全国にある公共図書館は3200以上。これらのほとんどがいらなくなるのだ。司書も大いに減らせる。
(都道府県に一つ中央図書館くらいは残しておくべきだとは思うが)
ただ、これまで日本全国で図書館に使われていた予算のうち相当な部分が浮くことになるのは間違いない。
そのお金で、世界中の本、地方の零細出版社の本、昔の本などをガンガン電子化していこう。
知識の森はどんどん豊かになる。
CDやDVD(やBD)も、一部は図書館にあり、貸し出されている。
だがそんな制約ももう無くなる。全国に一つだけの国立電子図書館で購入すればいいからだ。
これでまた知識の森が豊かになる。
が、これで彼ら彼女らは本来業務のレファレンスサービスだけに特化できるようになる。
Yahoo!知恵袋みたいな形でレファレンス履歴を蓄積していけば、優秀な司書も分かるようになるだろう。
そのうち、利用者がレファレンス履歴を検索すれば望む本にたどり着けることも多くなるはず。
「本来のレファレンス業務がぜんぜんできない」などと嘆いている司書の皆様には、
是非競争原理のなかで切磋琢磨して生き残りを目指していただきたい。
5年位使っていた電波目覚まし時計が電池の液漏れでこわれてしまったので、新しいものを買おうと思い、ネットで下調べをした。
いままで使っていた、比較的シンプルなデザインの製品は生産終了となっており、別のものを探さなくてはならないことがわかった。時計メーカーのサイトやAmazonで30分くらい探し続けて、驚いた。
どのメーカーのデザインも、30年位前から全く変わっていないように見えるのだ。というか、ばーちゃんの家に行くと置いてあった昭和40年代の時計と大差ないように見える。
http://www.seiko-clock.co.jp/product
http://www.rhythm.co.jp/search/result2.php?category_id=03011
置き時計たちの、この「昭和テイスト」はいったい何なのだろう。
自動車や携帯電話のデザインに比べると、驚くほど変化に乏しいように見える。
電波時計になったりして、内部の機構は進化しているはずなのに、デザインだけは、昭和のアパートの畳の上に置いてあるとしっくりくるものばかりだ。
置き時計のデザインは、変わらないことが求められているのだろうか。つまり、消費者が昔ながらのデザインを求めているから、古臭いものが売れ続けて、デザイン上のイノベーションが起きないのだろうか。それとも、置き時計はもともと利幅の薄い商品なので、デザインを変えて消費者に訴えかけるだけのコストをメーカーの側が払わないから、競争原理が働かないのだろうか。
連休なので、過去のツイート編集を投稿して、3以上のブクマが付くかチャレンジ。
(今日は既に3つ投稿して、2勝1敗。『CMに見る日本人の女児嗜好の強さ』はメガヒットだな。)
今回は、一応自信作なんだが。
~~~~
お客さんとの契約書類とか、社内の決裁・伺、はては「個人交通費の建替払」のような書類ですら、記載漏れや添付書類不足を起こすような人。
いわゆる経理部とか総務部とかの人間からしたら、「なんでこんなカンタンな書類一枚も、作れないのか?」な低レベルだったりする。
でも、そういう人が「営業スキル」はピカイチで、契約を取ってきたりするから不思議だ。
『書類作成能力がある人』と『ない人』では、たぶん人間の種類が違っているんだろう。
★役所というのは『書類作成スキルがマトモな人』ばかりが集まっている場所。
役所の人間は、世の中に『書類作成能力が欠如している市民が、少なからず存在している』という事実を、全く想像すらしていない。
役所担当者は、『99%の市民は、書類作成スキルを持っているだろう』な前提で、各種行政を組み立てる。
マトモに対行政の書類を作れない市民が割といるということを、行政は意識せずに、行政サービスの手続きに書類作成を組み込んでしまう
★皮肉なことに「行政による弱者向けサービス」ほど、不正受給対策のために書類が煩瑣になる。
で、弱者向けサービスを必要としている層ほど、書類作成スキルが低い。
★世の中には「行政書士」という職業があるが、行政書士も相手にしないレベルのカンタンな書類、例えば「児童手当の申請手続き書類」なんかですら、
マトモに書けない市民なんてのもいたりする。
★「なにが言いたいか?」と言えば、
1.行政は市民とくに弱者市民の『書類作成スキルの低さ』を正しく計測把握すべきである
2.行政は可能な限りにおいて、要求書類数を減らすように行政サービス手続きを設計すべきである
~~~~
「行政書士はなんでも対処するが、むしろ行政書士の存在そのものが弱者に認知されてない。」とのRTを受けた。
★だから、弱者福祉って、「役所に来てください」「書類書いてください」な待ちの姿勢の行政じゃなく、
「何かありませんか?」とこちらから出向いていく「攻めの福祉行政」に転換すべきなんだろうな
★例えば「民生委員」とか「ケアマネージャー」とか、弱者のための各種スタッフ制度は、
「必要としている弱者」が「どれだけ彼らの存在を認知している」のか、疑問。
冗談抜きで、世帯年収200万円未満の人に「民生委員って、知ってますか?」と聞き取りアンケートすべき
★実際、ウチの妻なんか、
「民生委員って、そんな職業(?)があるんだ、知らなかった」と言ってるもんな。
一般人でも、実は民生委員制度の存在知らない人が3~4割いそうな気がする。
義務教育の過程で、『生活保護の仕組み』『民生委員の役割』『行政書士について』など、
『弱者に転落した際の、生存ライフハック教育』をすべきじゃないかと思う。
★生活保護なんかだと、一説には「行政は極力、制度を使わせないようにブロックしている」と揶揄されているが、
「行政が用意した弱者向け制度が、アピール不足等で全く弱者に周知されてなく」て、
「行政が利用率向上に躍起」という弱者向け制度は、実は結構多い。
行政が用意した弱者向け制度の利用率が低迷していると、ぶっちゃけ、「次年度以降、予算打ち切り」になっちゃうから、
役所側もメンツにかけて利用率向上のために啓発にいそしむんだよな。
なんか倒錯した話。
★で、有識者会議なんかが
「なぜ、●●という弱者救済制度の利用率は低いのか?」と雁首揃えて議論するんだが、
「手続きがややこしくて、申請を挫折する」みたいなプリミティブなハードルが高いということに、有識者は気づいてない
いちいち教育するより「共産党に聞きなさい」「公明党に聞きなさい」と教えた方が一発だったりする
共産党や公明党の地方議員は、その意味では下手な行政書士よりは機能している訳だ。
民主党がダメダメなのはこの辺だろうな。弱者が困った際の相談窓口の機能を、まるで果たしていない。
★変な話だが、共産党と公明党(の地方議員)同士で、『弱者救済競争』になって切磋琢磨してるんだな。
もし公明党が出現せず、弱者救済が『共産党の独占状態』だったら、共産党も胡坐をかいてしまって、弱者救済がおざなりになってただろうな。
『競争が好結果を生みだした』訳で、そう考えると、『創共協定』で両者を和解させようとした松本清張は、
『競争原理を、わかっていなかった』ということになるのか。
生活保護制度以外の支援政策って、自分も含めたほとんどの人は認知していないんじゃないかな?
人によっては、生活保護よりも最適な支援政策がある筈だったりするが、それが弱者にアプローチしていない。
「生活保護の一強状態」は、いろんな意味で日本の福祉行政を不幸にしている。
生活保護制度は、あまりにも有名になりすぎたが故に、給付を意図的に抑制するなどのイレギュラーな運用を強いられる。
「知名度がないから利用率が低い」
⇒「利用率が低いのは問題だとして打ち切られ、新しい制度が出来る」
⇒「新しい制度だから、なお一層知名度が低くなってしまい利用率が低下・・・」のデフレスパイラルに陥っている気がする。
本気で「弱者への福祉制度の効果的周知メソッド」を研究すべきなんじゃないか?
★この辺の構図は、「(本来は知の弱者のための施設である)図書館の活用法を、肝心の知の弱者が知らない」な話に似ている。
自分は「景品で弱者を釣る禁じ手を使ってでも、知の弱者の図書館利用率を上げろ」と考えてるが、「知名度低い弱者支援政策」も、景品で釣るべし
★大阪都構想について、いろいろ言われているようだが、あまり指摘されていない「メリット」を指摘する。
大阪市が「5特別区」に分割されることによって、各特別区の間で「いい形の競争」が働く。
北特別区と中央特別区の間でオフィス誘致競争したり、商業施設誘致競争したり。
あるいは、東特別区と南特別区で、良質なマンション立地の競争をしてもいい。
例えば新宿区・渋谷区・豊島区の副都心3区は、繁華街を抱えている区同士で、繁華街活性化の競争を、
「新宿区でこういう繁華街活性化の政策を導入しているから、我が渋谷区でも導入すべきだ」的なやり取りが渋谷区議会で行われている。
★大阪特別区の区分けで、現行の「北区」と現行の「中央区」を別の特別区にしたのは、非常にウマいやり方。
商業競争、タウンマネジメント競争、インバウンド誘致競争が、キタとミナミの間で繰り広げられる。
★23区の「都心区」以外の「郊外区」でも、ちゃんと競争原理は働いている。
例えば杉並区の区議や区職員は、近隣で性格の似ている世田谷区とか練馬区を「仮想ライバル」とみなし、
「世田谷区がこういう子育て支援をしたから、杉並区でも導入しよう」
一方、「大阪市」という「ひとくくり」だと、そういう競争原理が働かない。
「じゃあ、京都市や神戸市を意識して競争すればいいじゃないか?」と言われそうだが、
★ちなみに東京23区についても、「6特別市に再編」するアイデアを確か(都市学の権威の)伊藤滋先生が言ってた気がする。
港区+南方面郊外区/渋谷区+南西方面郊外区/新宿区+西方面郊外区/豊島区+北方面郊外区/千代田区+北東方面郊外区/中央区+東方面郊外区、