はてなキーワード: 競争原理とは
こんなことから書き出すとバリバリの格安SIM使いかと疑われるところだが大手キャリアサービスを使っている今年の7月に乗り換えようかとはしているが。。。
「iPhoneが売り上げ減少」
そりゃそうだ、iPhone5が出た時ぐらいから既に「情弱専用端末」使用者はアホだがキャリア間の競争原理が働き回線だけがマトモって構図が完成
ブレイクスルー的な革新が止まった昨今MVNO 格安SIMが大流行なのもうなづける。
例の暴力団との交際問題で芸能界からドロップアウトした島田紳助が恋愛について語った例え
「普通の道をを走るのに君たちみたいなバリバリのF1のような女は確かにカッコもいいが運転しづらい、普通のミニバンや軽のほうが使いやすいねん」
そのまんまでしょう
それにしてもiTunesは使いずらい、音楽関係のPCツールとしては良いが スマートフォンのバックアップとしては改善しないね。
まとめてみる。似たような言葉が並んでいるが。
<まとめ>
・横一列で競争を嫌う=みんな一緒
・ポジショニングできない=横一列
=やばいかも
⇒産業は衰退し原始人にもどりそう
●だから
性別に関係なく男性的な思考と女性的な思考の両方をバランスよく持っている人間が理想的
<まとめここまで>
色々突っ込みどころはあるが、
まず、ポジショニングってなんなのか。急にモノを配置始めるのか、俺はここだもんねとか言い始めるのか。
何とでも取れるが好意的に「職位・職掌の采配」とでも見ておく。
上記から推測すると、男性的・女性的思考は次のような特徴として見ていると思われる。
・横一列での競争
=結果による職位・職掌の采配
・競争を伴わない=(転じて協力的な業務遂行・ノウハウの共有?)
要は競争原理と成果主義の仕事に無理に非競争と画一的な職務采配を導入するとヤバイ。
そりゃそうかもしれんが。
何がヤバイって社内の話に留めておけばいいものを経営や産業の理論とやらが破壊されて
原始に戻るほど競争・階級主義じゃないかと思うが原始人=ド低脳ぐらいに好意的に読み替えても
それはもう女性とか男性とか限らずド低脳のトップと社会だったに過ぎないんじゃないかと。
たぶん「代わりがいない」でFAなんだよな。
ここ数年思ってたことをSMAP騒動にかこつけて吐き出すと、お茶の間や学生の人が思ってるよりも、日本は遥かに狭くてプレイヤーが少ない国だよ。
もちろん日本の全人口はすごい多いけれど、ある特定の業種や機材に焦点を当てて考えると、みんなが思ってるよりずっと狭い。競争原理なんて働かないほど狭い事は往々にしてあるよ。
「ちょっとイケメンでTVに出たい程度の青少年なんてそこらにいくらでもいるだろ」って書き込みがあった。事実そういう人はたくさんいるかもしれない。でも「ちょっと顔が良くて踊れる程度の何者でもない青少年を百人単位で雇用するベンチャー企業(=芸能事務所)を立ち上げたい経営者」って日本に何人いるかな? その野望だけじゃなくて、資金調達能力や調整能力まで含めたら、1人もいなくても不思議じゃないよ。
ジャニーズは外部から見る限りであっても結構大規模なエコシステムで、研修生を売れ筋アイドルのバックダンサーで踊らせることによって場数と知名度と小銭を稼がせながら、将来の収穫対象に育成するとかまでやってるわけだよね。つまり、規模がメリットになっている。そういう先行事業者がいる畑で、いまから後追いで後釜を狙うには、すさまじい初期投資と営業能力が必要だよ。そしておそらく運も。
地方自治体の箱物関係の予算開示にまつわるものもそう。「なんでこの建設業者に毎回発注してるの?」「高くない?」「競争原理はたらいてないの?」。そんなの働いてない。日本全国に建設会社なんてそれこそくさるほどあるけれど、建設会社にはそれぞれ得意なジャンルがあって、どの建設会社でも何でも作れるわけじゃない。過去の実績とかある。そのうえ、地方自治体だと、地元の起業に発注したい(経済活性化を考えて)。そういう幾つかのフィルターをかけると、もう、選択肢が事実上ひとつふたつしかないって状況は、ままあるんだよ。全国区のマスコミで放映されると、そこが抜け落ちてしまう。こういう状況に「地元企業との癒着だ」って叩くのはOKなんだけど、だとするならば「他の地域の企業への利益供与だ」は叩くべきじゃない。そのふたつはダブスタだよね。
工作機械なんかの場合もっと極端で、ある特定の目的のニッチな機材を扱う会社は、日本どころか、世界でも数社しかないなんてざらにある。
いわゆるお茶の間的なみんなが思ってるよりも、(ある視点、要求を元に眺めた場合の)世界はすごく狭い。参加者も少ない。
はてなではよく「起業するなんて一般人には無謀」みたいなコメントが有って、それ自体は正論なんだけど、でもそういう自縛型の文化なんだから、社会の新陳代謝は遅くて当然なんだよ。失敗した人を責める社会なのだから、過去の成功者(まさにジャニーズだ)が、邪悪な院制で弾圧しても、それは甘受しなきゃ。新しい挑戦者を用意できないんだから、過去の王者が独裁をするよね。
全ての本を電子化して、電子データを国立電子図書館で管理して、ネット経由で貸し出せばいい。
データ形式はpdf。DRMはかけない。(図書館で借りた本をコピーできないなんて事は無いわけだし)
未返却のまま除籍される図書館の本は全国でものすごい量に登る。そんな未返却問題が一斉に解決する。
図書館員の憂鬱な仕事の一つにその督促業務がある。それも一切無くなる。
また、本が破損したとか、汚れたとか、そういうことが一切起きない。
またそれに伴い、貴重な閉架図書もガンガン貸し出せるし、高額な本も余裕で貸し出しOKとなる。
図書館の大きな役割の一つに、知を広く市民に広めるというものがある。
だが、図書館は基本日中しか開いていない。サラリーマンは土日しか知に触れられない。
多くの図書館は月曜日が定休だ。月曜日は市民は知に触れられない。
人気のある本は何百人も貸出を待っている。待っている間はその本には触れられない。
図書館が遠くにある人は、図書館までわざわざ出向かないと知に触れられない。
運転免許が無かったら? 怪我をしていたら? 悪天候だったら?
そんな問題も一気に解決だ。
そして何より、「借りたいと思っていた本が図書館にない」なんてことがなくなる。
借りたい本が具体的に決まってるなら、他のどこよりも、この国立電子図書館にある確率が高い。
当然、借りたいと思い立ったらすぐに借りられる。
図書館の大きな役割の一つに、文化や知識の保存というものがある。
電子図書館ができれば、全国の図書館で同じ本を買う必要がなくなる。ここでまず購入予算が大幅に浮く。
そして、物理的な空間も一切不要となる。棚も不要。そもそも図書館という建物が不要になる。
全国にある公共図書館は3200以上。これらのほとんどがいらなくなるのだ。司書も大いに減らせる。
(都道府県に一つ中央図書館くらいは残しておくべきだとは思うが)
ただ、これまで日本全国で図書館に使われていた予算のうち相当な部分が浮くことになるのは間違いない。
そのお金で、世界中の本、地方の零細出版社の本、昔の本などをガンガン電子化していこう。
知識の森はどんどん豊かになる。
CDやDVD(やBD)も、一部は図書館にあり、貸し出されている。
だがそんな制約ももう無くなる。全国に一つだけの国立電子図書館で購入すればいいからだ。
これでまた知識の森が豊かになる。
が、これで彼ら彼女らは本来業務のレファレンスサービスだけに特化できるようになる。
Yahoo!知恵袋みたいな形でレファレンス履歴を蓄積していけば、優秀な司書も分かるようになるだろう。
そのうち、利用者がレファレンス履歴を検索すれば望む本にたどり着けることも多くなるはず。
「本来のレファレンス業務がぜんぜんできない」などと嘆いている司書の皆様には、
是非競争原理のなかで切磋琢磨して生き残りを目指していただきたい。
5年位使っていた電波目覚まし時計が電池の液漏れでこわれてしまったので、新しいものを買おうと思い、ネットで下調べをした。
いままで使っていた、比較的シンプルなデザインの製品は生産終了となっており、別のものを探さなくてはならないことがわかった。時計メーカーのサイトやAmazonで30分くらい探し続けて、驚いた。
どのメーカーのデザインも、30年位前から全く変わっていないように見えるのだ。というか、ばーちゃんの家に行くと置いてあった昭和40年代の時計と大差ないように見える。
http://www.seiko-clock.co.jp/product
http://www.rhythm.co.jp/search/result2.php?category_id=03011
置き時計たちの、この「昭和テイスト」はいったい何なのだろう。
自動車や携帯電話のデザインに比べると、驚くほど変化に乏しいように見える。
電波時計になったりして、内部の機構は進化しているはずなのに、デザインだけは、昭和のアパートの畳の上に置いてあるとしっくりくるものばかりだ。
置き時計のデザインは、変わらないことが求められているのだろうか。つまり、消費者が昔ながらのデザインを求めているから、古臭いものが売れ続けて、デザイン上のイノベーションが起きないのだろうか。それとも、置き時計はもともと利幅の薄い商品なので、デザインを変えて消費者に訴えかけるだけのコストをメーカーの側が払わないから、競争原理が働かないのだろうか。
連休なので、過去のツイート編集を投稿して、3以上のブクマが付くかチャレンジ。
(今日は既に3つ投稿して、2勝1敗。『CMに見る日本人の女児嗜好の強さ』はメガヒットだな。)
今回は、一応自信作なんだが。
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お客さんとの契約書類とか、社内の決裁・伺、はては「個人交通費の建替払」のような書類ですら、記載漏れや添付書類不足を起こすような人。
いわゆる経理部とか総務部とかの人間からしたら、「なんでこんなカンタンな書類一枚も、作れないのか?」な低レベルだったりする。
でも、そういう人が「営業スキル」はピカイチで、契約を取ってきたりするから不思議だ。
『書類作成能力がある人』と『ない人』では、たぶん人間の種類が違っているんだろう。
★役所というのは『書類作成スキルがマトモな人』ばかりが集まっている場所。
役所の人間は、世の中に『書類作成能力が欠如している市民が、少なからず存在している』という事実を、全く想像すらしていない。
役所担当者は、『99%の市民は、書類作成スキルを持っているだろう』な前提で、各種行政を組み立てる。
マトモに対行政の書類を作れない市民が割といるということを、行政は意識せずに、行政サービスの手続きに書類作成を組み込んでしまう
★皮肉なことに「行政による弱者向けサービス」ほど、不正受給対策のために書類が煩瑣になる。
で、弱者向けサービスを必要としている層ほど、書類作成スキルが低い。
★世の中には「行政書士」という職業があるが、行政書士も相手にしないレベルのカンタンな書類、例えば「児童手当の申請手続き書類」なんかですら、
マトモに書けない市民なんてのもいたりする。
★「なにが言いたいか?」と言えば、
1.行政は市民とくに弱者市民の『書類作成スキルの低さ』を正しく計測把握すべきである
2.行政は可能な限りにおいて、要求書類数を減らすように行政サービス手続きを設計すべきである
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「行政書士はなんでも対処するが、むしろ行政書士の存在そのものが弱者に認知されてない。」とのRTを受けた。
★だから、弱者福祉って、「役所に来てください」「書類書いてください」な待ちの姿勢の行政じゃなく、
「何かありませんか?」とこちらから出向いていく「攻めの福祉行政」に転換すべきなんだろうな
★例えば「民生委員」とか「ケアマネージャー」とか、弱者のための各種スタッフ制度は、
「必要としている弱者」が「どれだけ彼らの存在を認知している」のか、疑問。
冗談抜きで、世帯年収200万円未満の人に「民生委員って、知ってますか?」と聞き取りアンケートすべき
★実際、ウチの妻なんか、
「民生委員って、そんな職業(?)があるんだ、知らなかった」と言ってるもんな。
一般人でも、実は民生委員制度の存在知らない人が3~4割いそうな気がする。
義務教育の過程で、『生活保護の仕組み』『民生委員の役割』『行政書士について』など、
『弱者に転落した際の、生存ライフハック教育』をすべきじゃないかと思う。
★生活保護なんかだと、一説には「行政は極力、制度を使わせないようにブロックしている」と揶揄されているが、
「行政が用意した弱者向け制度が、アピール不足等で全く弱者に周知されてなく」て、
「行政が利用率向上に躍起」という弱者向け制度は、実は結構多い。
行政が用意した弱者向け制度の利用率が低迷していると、ぶっちゃけ、「次年度以降、予算打ち切り」になっちゃうから、
役所側もメンツにかけて利用率向上のために啓発にいそしむんだよな。
なんか倒錯した話。
★で、有識者会議なんかが
「なぜ、●●という弱者救済制度の利用率は低いのか?」と雁首揃えて議論するんだが、
「手続きがややこしくて、申請を挫折する」みたいなプリミティブなハードルが高いということに、有識者は気づいてない
いちいち教育するより「共産党に聞きなさい」「公明党に聞きなさい」と教えた方が一発だったりする
共産党や公明党の地方議員は、その意味では下手な行政書士よりは機能している訳だ。
民主党がダメダメなのはこの辺だろうな。弱者が困った際の相談窓口の機能を、まるで果たしていない。
★変な話だが、共産党と公明党(の地方議員)同士で、『弱者救済競争』になって切磋琢磨してるんだな。
もし公明党が出現せず、弱者救済が『共産党の独占状態』だったら、共産党も胡坐をかいてしまって、弱者救済がおざなりになってただろうな。
『競争が好結果を生みだした』訳で、そう考えると、『創共協定』で両者を和解させようとした松本清張は、
『競争原理を、わかっていなかった』ということになるのか。
生活保護制度以外の支援政策って、自分も含めたほとんどの人は認知していないんじゃないかな?
人によっては、生活保護よりも最適な支援政策がある筈だったりするが、それが弱者にアプローチしていない。
「生活保護の一強状態」は、いろんな意味で日本の福祉行政を不幸にしている。
生活保護制度は、あまりにも有名になりすぎたが故に、給付を意図的に抑制するなどのイレギュラーな運用を強いられる。
「知名度がないから利用率が低い」
⇒「利用率が低いのは問題だとして打ち切られ、新しい制度が出来る」
⇒「新しい制度だから、なお一層知名度が低くなってしまい利用率が低下・・・」のデフレスパイラルに陥っている気がする。
本気で「弱者への福祉制度の効果的周知メソッド」を研究すべきなんじゃないか?
★この辺の構図は、「(本来は知の弱者のための施設である)図書館の活用法を、肝心の知の弱者が知らない」な話に似ている。
自分は「景品で弱者を釣る禁じ手を使ってでも、知の弱者の図書館利用率を上げろ」と考えてるが、「知名度低い弱者支援政策」も、景品で釣るべし
★大阪都構想について、いろいろ言われているようだが、あまり指摘されていない「メリット」を指摘する。
大阪市が「5特別区」に分割されることによって、各特別区の間で「いい形の競争」が働く。
北特別区と中央特別区の間でオフィス誘致競争したり、商業施設誘致競争したり。
あるいは、東特別区と南特別区で、良質なマンション立地の競争をしてもいい。
例えば新宿区・渋谷区・豊島区の副都心3区は、繁華街を抱えている区同士で、繁華街活性化の競争を、
「新宿区でこういう繁華街活性化の政策を導入しているから、我が渋谷区でも導入すべきだ」的なやり取りが渋谷区議会で行われている。
★大阪特別区の区分けで、現行の「北区」と現行の「中央区」を別の特別区にしたのは、非常にウマいやり方。
商業競争、タウンマネジメント競争、インバウンド誘致競争が、キタとミナミの間で繰り広げられる。
★23区の「都心区」以外の「郊外区」でも、ちゃんと競争原理は働いている。
例えば杉並区の区議や区職員は、近隣で性格の似ている世田谷区とか練馬区を「仮想ライバル」とみなし、
「世田谷区がこういう子育て支援をしたから、杉並区でも導入しよう」
一方、「大阪市」という「ひとくくり」だと、そういう競争原理が働かない。
「じゃあ、京都市や神戸市を意識して競争すればいいじゃないか?」と言われそうだが、
★ちなみに東京23区についても、「6特別市に再編」するアイデアを確か(都市学の権威の)伊藤滋先生が言ってた気がする。
港区+南方面郊外区/渋谷区+南西方面郊外区/新宿区+西方面郊外区/豊島区+北方面郊外区/千代田区+北東方面郊外区/中央区+東方面郊外区、
業種は似たような感じ。
が、ほんとにつらい。
これは自分が悪いっちゃ悪いのだが
FBとかやりたくない。
結構好きだったんだけどほんとにない。
(正確にはあるんだろうけど確率が非常に低い。)
現実逃避的に土曜は元いたところに出かけたりしてるけど
距離が距離なのであんま遊べない。
転勤する人もほとんどいないし。
転勤できれば都会とか海外にいける可能性はあるんだけど。
良しとされていないのもあって
どう考えても詰んでる感じがある。
車でイオンにいって
フードコートでめし食って
パチンコやって終わりみたいな。
隣の人の行きつけのバーとか連れてかれた時とか
最高にカビ臭くて耐えられなかった。
なににつけても。
許容幅が狭いと言い換えてもよい。
本当に耐え難い苦痛だ。
どうすればいいのか本当にわからない。
高望みかもしれないけど。
まず、有料化OKにしたいなら全面的にコネ入社OKにしてからだね。アメリカなんかは大学もこね入学普通にOKなんだから(だから"裏口入学"なんて物が存在しない、そもそも裏じゃないので)
この金額なら確かに効果はあるかもしれないけど、これを解禁してしまうと限度が無くなるから
だから、上としてはどうしたってここは全てを止めざるを得ない。
そもそも、この程度の金額なら、100社くらい払うだろう、今の若者なら。
100社でも25万だ、地方から泊まり込みで何度も就活に来てるのを考えれば大した額ではない。
(今回は地方は除く、とかにしてるけど、これはこれでまた色々差別にどうしたってつながるので一般的に行うのは難しい)
一番簡単なのは単に書類を出し審査してもらうまでの過程を大変にすること。
論文を提出せよ、みたいのだと流石に見る方も大変になるけども、でも、ある程度成果物を最初に提出させる、っていう入社試験をやってるところは多いけど、
それが一番志望者を減らし、且つ、ホントに入りたい人が受ける様になる方法だと思う。
今は、皆が皆、100も200も受けて、ってやってるから焦るかもしれないけど、皆が皆、10も受けたら大変だ、みたいな感じになればそれなりに収まるのでは?
最初は人気の会社ばかりに偏ったりしてその会社が大変になったり、一方、ちょっと下のランクの会社には全然応募が無くなったりするかもしれない。
でも、なんだかんだの競争原理で上手くばらまかれるんじゃないかな、とは思うが。
ただ、そうすると、今度は、「就職試験対策塾」みたいなのが本格化し、くだらん金の動きが出る可能性が否めない、というか、確実に出る。
リクルートとかはすでにアップをはじめてる、というか、実際そういうのはじめてる害虫も居るわけで。
それを避けるには会社側が工夫しなきゃいけないんだけど、今度は、その工夫が出来ないからコンサルみたいなのに頼んだりするようになり、
結局は堂々巡りでいろんなところに害虫が入ってくるだけで上手くいかないな。。。
どうしたらいいの?
一番いいのは新卒一括採用を辞める、ってことは誰もが解ってることだとは思うんだけどね。これだけはカイガイガーと言われようが海外のゆるさを取り入れたい所。
ただ、そのためには、まず、終身雇用を完全に撤廃して、正規とか非正規とかなくして、だれでもすぐ辞めれてすぐ入れる様な組織を作っていかなくては行けないんだけども。
科学は「あるべき」論を欲しない。それが求めるのはただ「である」の集大成であって、科学が科学者に「あるべき」姿を望んだことなぞ金輪際ない。「あるべき」姿を求める行為は常に人と社会の関わりの間でのみ起こりうる現象であり、すなわちそれを求めるのは科学でなくて社会なのであるからして、まるで科学そのものの原理として、「あるべき」姿のごとき、ともすれば宗教のタブー・律法のようなものが存在するかのような議論は、極めて非科学的と断ずる他ない。
ノバルティス社の臨床試験データ偽装は何が問題だったのか。言うまでもなく、効果の不確かな薬品をそうでないと偽って売り出そうとした商業的な詐欺の片棒をかついだことであり、すなわち社会的行為としての罪であって、決して科学として「あるべき」姿を犯したからでも、タブーを破って神の怒りを買ったからでもない。科学はいついかなるときもその「あるべき」姿を自ら求めることはなく、従って「あるべき」ように見える科学のあり方に反したことそのものが罪になることなどあり得ない。
論文の剽窃もまた、何故か当たり前の様に科学そのもののルールに反した行為のように語られているが、実際のところそれの何が問題であるのかと言うと、単に労働市場の競争原理にもとる行為であるからに他ならない。誰が誰を剽窃し功績を偽ろうと、それは科学の「である」ことの積み重ねそのものには何の直接的な影響もないし、それを利用するものにとって、正しい知識が誰から得られたものであるのかを気にする意味はない。ただ、金銭や名誉という社会的なインセンティブが人間としての科学者に間接的な影響をもたらすのみである。
不思議な現象は、科学哲学の立場からこれらの「あるべき」論を押しつける風潮のあることである。しかし、科学哲学は科学がどう「である」かを論じるものであって、科学がどうで「あるべき」かを論じるものではない。哲学に出来るのは、それが「科学と呼べるのかどうか」を「哲学の外」(主に科学の現場)から持って来た観察を元にすりあわせることだけであって、「哲学の中」で決まった「あるべき」論を元に「これは科学」「これは科学でない」と勝手に現場の事象を振り分ける様になってしまっては、宗教原理をもとにありとあらゆる森羅万象を解釈する妄信と何ら変わらなくなってしまう。
科学論文の不正、捏造が批判されるべきでないなどとは言わない。言うはずがない。しかし、このように本当のところ何が問題であるのかは社会的行為として誰が誰に罪を負うのかを個別の事例として見なければはっきりとは言いがたいものであって、それが「科学」であるが故に「いかなる瑕疵も許されない」、「たった一つの不正が信頼を揺るがす」などとヒステリックに騒ぐのは、ナイーブと言うか原理主義的と言うか、非常に危うい日本人の知的状況を浮き彫りにするだけのものに見える。科学をもって「信頼を損ねる」などと、信じるか信じないかの問題にしようとしてしまう勢力を前にして、「科学も所詮現代の宗教」とシニカルに眺めていれば良い状況とは、自分にはとても思えない。
保育士が足りないって話。
保育士になりたい人は多いんだよ。子どもと触れ合って、毎日、楽しい!みたいな希望を持って。
でさ、認可の保育園は結構、書類作成が多いのよ。認可される根拠となる提出物が。そもそも保育士を目指した人って、そういうの苦手だと思うんだよね。
ウチの妻はパートの保育士だけどさ、俺から見ても優秀な保育士だと思うんだよ。雰囲気からして子供に好かれそうだし、常に笑顔だし。社会人になってからも大学の保育に関する講演会みたいなの聞きに行って勉強したり、意識が高い(笑)保育士だと思うよ。
でも、いろんな知り合いから「フルタイムで働かないか?」とお誘いがあるのだけど、全部断ってるんだよね。「フルタイムになると書類作成やらされるから嫌だよ」って。
プログラミングがしたいのに、Excelで表を作ったり、仕様書を作ってる時間が多くなってるみたいな。そんな感じ。
でさ、仕様書とかそういうのをたくさん作らなきゃいけない案件ってさ、国や地方自治体の仕事が多いでしょ?
認可の保育園って、まさに、補助金で儲けてる組織だから、その手の書類作成が結構んだよ。
保育園によっては、経理や総務みたいな仕事も保育士さんがやってるらしいよ(妻の話なので事実かどうか知らないが)。
保育園に赤ちゃんを預けると、国とか自治体とかから補助金が月20万円くらい、保育園に入ってくるそうな(裏付けソースはない)。これが保育園の収入だ。
それだけの税金がかかってること、みんな知ってるんだろうか。
保育園の料金を、1ヶ月10万円くらい(俺はそれが妥当だと思うよ)にして、その上で親に子ども手当10万円(バウチャーでもいいけど)渡せばいいと思う。保育園はある程度のルールさえ満たせば誰でも作れるとすればいいと思う。
http://masudamaster.hatenablog.jp/entry/2014/01/09/215828
より転載
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20140105/1388933903
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20140109/p1
お笑いである。次は「アフィリエイトは悪くない」運動でも始めるのだろうか?
金銭欲そのものを叩いてる人は残念?
が
「業者」と「ワナビー」
というゴキブリをネットに繁殖させた歴史をまるで知らないのだろうか?
他人がアイドルやタレントになる手助けを何で我々がしなければならないのだ。
他人の金儲けを何で我々が手伝わなければならないのだ。我々はお前らの戯言や
自己実現よりも、人々の好きなもの、人々の日常でのささいな幸せ、彼らの黒歴史や
日々の苦しみ、葛藤、悩み、その人が現実では言えないこと、そういうものを
読みたいのだ。それをアフィリエイトと承認欲求なんかで見えなくされてたまるか。
であって、「俺の方が上手くやれる」「褒められてるあいつが妬ましい」
なんて動機は一切無い。それがあるのは健常者(ワナビー)の方だろ。
ツイッター登場以降に急激に増えやがったよな。
「中二病」「ドヤ顔」とかも健常者が意味をねじ曲げたり作り上げたりした
言葉だろ。妖怪は中二病もドヤ顔も大好きだよ。それを表現したり摂取したりして
俺たちはネットで生きてたんだ。それがネットでどんどんできなくなっていった
のは、スカした健常者のせいだろ。
健常者は自縄自縛になってるんだよ。自分たちでワナビーをいっぱい作り出して
おいて、ていうかお前がワナビーなのに
「人を妬むのは止めよう」「承認欲求は悪くない」
じゃねーよ。マッチポンプだろ。お前らはネットで妬み嫉みしかできないんだよ。
インターネットで「何者か」になりたいのか?ネットでそんなもんになってどうすん
だよ。その限界はニコニコ動画のタレントが見せてくれてるだろ。
「何者か」になりたい野心を持った健常者が大量にやって来たからインターネットに
わけのわからん競争原理が生まれたんだよ。そんでカーストも生まれた。属人性や
パーソナリティが重要視されるようになった。サードブロガーとかもそれの被害者
だろ。
「ぼくはアルファブロガーに勝てない」じゃねーよ。誰がそんなこと決めたんだよ。
勝てるかもしれないじゃん。自分を値踏みするな。好きなことを書けよ。
「さとりブロガー」じゃねーよ。そんなこと言ってる時点で悟れてねーだろ。
これはさ、健常者たち自身の生み出した毒で健常者たちが苦しんでるだけなんだよ。
表現欲求は無いのに承認欲求だけはあるんだろ?だから毒がどんどん染み出して
いく。そういう毒でネットが汚れるんだよ。一般化する前の2ちゃんねらーの観察眼
とはまた一味違う、いやらしい、人間の観察の仕方。小野ほりでいとかが生まれたの
もそういう背景からだよ。他人の自意識を邪推したりカーストを作ったりしてる。
そんなことをして何が面白いんだよ。そんなことをするから、誰も自分の本心を
語らなくなったんじゃねーか。今や本心(?)を語るのは炎上上等の芸人と
デリカシーの無いタイプの女だけになっちまった。しかも彼女たちはオブラートに包
夫に話すと「愚痴」が「悪口」になっている
これが良い例だよ。こんな意識でブログ書いてるんだよ。読む人の心にナイフ
グサグサ刺してるんだよ。
「承認欲求(笑)」「歌い手(笑)」「創作(笑)」「黒歴史(笑)」みたいな茶々入れが、クリエイターにどれくらい悪影響なのかそのうち語りたい。”そんなの気にすんなよ”ってアドバイスじゃ片付けられない何かがあると思う。中学の英語の授業で、発音が正しいと茶化されるみたいなのに似てる。
@私がui_nyanだ
全部お前らがやって来たことなの。ワナビーを増やしておいて(競争原理を取り入れて
おいて、)「茶々入れが増えた」じゃねーよ。ワナビーが増えたからカーストが生まれ
俺たち妖怪は他人の英語の発音が巻き舌でも馬鹿にしなかった。議論を「くさい」
とか言って忌避しなかった。俺たちは本気とネタを見極めた。俺たちに上昇志向なん
かなかった。俺たちは何者にもなろうとしてなかった。
でも俺たちもゼロ年代の終わりと共に絶滅したんだ。今や俺や嫌儲が最後の砦だよ。
でも俺たちもいずれ滅び行く。そうすりゃカースト作りと自意識邪推の上手い
健常者が今よりもっと幅を利かす。でもさ、そういう世界で一体誰が何かを本気で
語ろうと思うんだよ?インターネットからどんどん(ポジティブな)熱が消えて行って
るのはどんな鈍感な奴だって気づいてるはずだ。当たり前だ。金銭欲や承認欲求は
人を自由にさせない。タレント志望や金の亡者が世界を面白くできるか?
「承認欲求を叩くのはけしからん」とか言ってるお前の存在が、いちばん人の言論を
スポイルしてんだよ。
というかさ、そもそも承認欲求なんて私的領域で満たすものだろ。ピングドラムも
そういう話だ。家族や親友関係の中で傷ついたり喪失したり葛藤したり、そういう
それを公的領域(社会)で誰かに認められて云々というワナビーの話にすり替える
ありむーが「ニコニコ動画ごときで満たされるカジュアルな承認欲求など要らぬ」
と言ったのは至極正しい。ニコニコ動画を馬鹿にしてるわけじゃない。MMD杯には
いつも感動してるし、今でも探せば、お金や承認欲求なんかに関係なく、
ただ「自分のやりたいこと」を本気でやってる人は山ほどいる。そういう作品を
見たり作ったりする営みは、作り手も視聴者もすごく満たされると思う。でも
それは「承認欲求」が満たされてるんじゃなくて、もっと別な何かである気がするん
だ。
つまり、創作や表現で「承認欲求」を満たすことが目的の人って決定的に何かが間
違ってるんじゃない?という疑問が拭えない。
そんな疑問だらけの欲求、いや欲望と言おう。その欲望でネットをこれ以上汚すのは
美大・芸大の世界に、一般大のようなランクを当てはめようとするのは無理がある。
まず、芸術の才能は、偏差値の様に数値で測れるものではないから、
なので、予備校の先生の感覚で、○○大学はレベルが高いとか、○○大学はレベルが低いとか、判断される。
予備校の先生が、大学を評価する感覚に、受験生の将来が左右されるといっていい。
だけど、そんなこと言うと、予備校の先生だって、美大芸大の実力について、
偏差値の様に、分かりやすい尺度がある中で判断できるものじゃないので荷が重い。
大学のレベルを測るには、実績を出している卒業生がいるか?とかで判断するしかない。
そうすると、仕事の多い関東が就職率に置いて有利になるだろうけど・・・。
大学のレベルというよりは、その土地の経済状況に活躍は左右される処もある。
あと、みんながみんな、レベルの高い大学を目指しているとも限らない。