はてなキーワード: 理系とは
昔はカトリックの司教領(日本では藩)の長が裁判権をもっていたが、プロテスタントは蜂起によってその裁判権を奪ったわけだ
(日本でもプロテスタントがカトリックを排除し、開国させて「帝が裁判致すべし」となった)
信者になりたい人は、大金を寄付することで遇される側に(差別する側に)回り、
仲間を増やして叩かれないようにしたいという下心もある
だからプロテスタントは国家神道を成立させたし、裁判関係者などは、率先して信者になったのではないか
また裁判関係者は文系の長なので(理系的な研究はせず)、何が事実であるかについても、事実に基づいてではなく、協議によって決めたりする
自分は奨学金を800万円くらい借りて未だ返済中だけど、特に奨学金に恨みはない。というか感謝している。
奨学金のおかげで、入学から卒業まで親から1円も貰わずに暮らせた(親は自己破産手前の経済状況)。
理系で授業は忙しかったけど、バイトをあまりせずに勉強に集中できたのでよかった。
でも、多分自分が奨学金を悪く言わないでいられるのは、大学に行ってよかった(一応上位国立大)、そしてまともな職に就けているからだと言うのはわかる(それでもこの毎月の3万数千円の返済がなければ…ぐぬぬ…と思わないわけではないけど)
そうじゃない人(ブラックな仕事にしかつけない)は大変だと思う。まあ根本的に、まともな給料出さない会社が悪いよね。毎月返済5万円だとしても月給50万円ならやっていけるでしょ。
貸付型の奨学金は悪だ!というからじゃあ給付型に移行しますよ(今でも給付型はあるけどかなり少数)となったら、今の規模で学生が利用することはできず、上位大学限定とかかなり狭き門になる。大多数の学生は進学できなくなるね(からきっと、貸与型は残ると思う)
個人的には国立大は学費無料+貧乏な子には月50,000円〜100,000円の給付
やっと夜勤に人が増えた。女子フリーターアルバイトさんが、その人が面接にやって来たときに丁度シフトに入っていて、その人を見てたそうで「高校生くらいの男の子」だったと言っていたが、実際は高専の五年生だった。女子フリーターアルバイトさんにかかると35才以下の男はみんな「高校生くらいの若い男の子」になってしまう。自分とほぼ同くらい見分けてくれ……。
女子フリーターアルバイトさんは「高専」というものをそもそも知らなかったらしく、「それって高校と専門学校のどっちなんですか?」というから、「中学を卒業した後に入る、もっぱら理系ばっかりの専門的なことを勉強する学校」とざっくり説明したら、
「なんだぁー専門学校かぁー。よかったぁ」
と何がいいのかよくわかんないなと思いつつ、
「高専っていったら、理系のすごく頭がいい奴が行くところだよ、少なくとも私の地元では」
と言ったら、女子フリーターアルバイトさんはすごくショックをうけていた。
「えぇー。うちすごい馬鹿だから、そんなに頭のいい人とは話が合わないかもしれない。どうしよう……」
と深刻な顔で言う。まあ、大概の男は女子の頭の中身がいかほどであるかなんてきにしてないから大丈夫じゃね? しらんけど。
私の地元では高専=天才の行くところだが、こっちでもそうであるかは知らないと言った事により、女子フリーターアルバイトさんは初めて私が地元民ではないことを知ったらしい。あんまり気にした事がなかったが、私、女子フリーターアルバイトさんの前で自分の事を何一つ話した事がないんだそうだ。そういえば、以前に女子フリーターアルバイトさんから年齢と子供の数とその年齢を聞かれて答えたくらいしか話した事がなかったかもしれない。実家は何県のどこなのかとか、学生時代何部だったのかとか、事細かにプロフィールを聞かれた。
新人の高専五年生が出勤してくるのは20時30分で、女子フリーターアルバイトさんの上がりの時間は20時なので、女子フリーターアルバイトさんは残念がっていた。棲む世界の違ってそうな人でも、同い年の男なんて日常生活でお目にかかる機会が今や滅多にないから貴重で、やっぱり会えるもんなら会いたいんだとか。
高専五年生は火曜日が初出勤だったのだが、いつもは新人の初日には必ず居るオーナーがその日は休みだった。オーナーは新人教育をAさんに丸投げした。
新人はたいてい入って二週間はトレーニング期間で、その間の働きで本採用かどうかが決まる。だがオーナーは何を思ったのか、高専五年生を今週3日連続でシフトに入れて、来週に「見極める」とAさんに電話で言ったそうだ。雑用の類いを教えるのはAさん任せにして、重要な仕事はオーナーが自ら教えるのだが、来週はその仕事を教えて大丈夫かどうか「見極める」っぽい。
だがAさんはこの三日間で高専五年生を仕上げないと本採用にならないと頭から決めてかかっていて、短期決戦で全部完璧にするという。目の色が変わってるぜ。
とりあえず今週はレジ打ちは教えなくていいというオーナー命令により、Aさんが高専五年生を教えている間、私はレジ打ちや細々とした事をすることになった。そしたらAさんは本当に高専五年生につきっきりになってしまったので、夜ももうたいがい遅いというのに、レジに長蛇の列が出来てしまう。
やっとお客様がみんな帰っていった後、Aさんが高専五年生に教えているのを盗み聞きしたが、そんなに説明することってあるかというくらい延々と講釈を垂れており、高専五年生は真面目にメモを取り続けていた。大丈夫だろうか。メモを取らせるのはいいとして……、やってることは家事と変わらない。バットを食洗機にかけるとか、フライヤーから油を抜いて掃除するとか、大概の人間は見て実践すれば覚えるのではなかろうか。
米飯とサンドイッチとパンの検品・品出し作業は、私が米飯とパン(アイテム数がとても多いから)を担当し、高専五年生とAさんがサンドイッチを担当した。私は自分の作業に集中しているふりをして、二人の様子をチラ見していたのだが、Aさんはまたしてもずっと説明をしている。高専五年生はずっとメモを取っている。作業はAさんが説明をしながらやっていて、高専五年生はそれを立って見ている。検品作業は専用の機械の使い方を覚えなきゃいけないけれど、品出しは手を動かすだけの作業で、覚えることといったら古い商品を前に出して新しい商品を奥につめこむことくらいしかない。そこまで説明することってあるのだろうか。
私は仕事の合間にAさんに何度か言ったのだが、Aさんは、
「来週にオーナーの見極めがあるから、この三日間で全部の仕事を出来るようになってもらわないと」
と繰り返すばかりだ。ただでさえ募集しても人の来ない夜勤の貴重な新人なので、そう容易くクビは切られないだろうし、むしろ普通の新人よりもずっと大切にされると思うのだが。
そんな火曜日だった。
水曜日は私は休み。でも水曜はDさんもシフトに入るので、Aさんがなんかやり過ぎたりしていたら、私よりもよほど直球に文句を言うから大丈夫だったんじゃないかなと思いたい。
そして木曜日。高専五年生は初日のような生彩がなくてしかも猫背になっていた。Aさんは、
「昨日で全作業を教えて彼もよく覚えたように見えたから、今日で仕上がると思います」
と言いながら、なんでかフライヤー棚のバットを自分で片付けているので、
「……で、それで何でAさんがそれを全部やっちゃうんですか? 時間が許す限り彼にやらせて下さい。いくら頭に知識として入っていても、オーナーの前で再現できずにまごまごしたら、何も覚えていなかったのと同じですからね」
と私は言った。こんなに強い口調でAさんにものを言ったのは初めてだったが、Aさんも私がイラッと感を顕にするとこなんか見たことがないのでビビったらしく、「あ、はい」と反論してこなかった。
オーナーがどういうつもりで「見極める」という言葉を使ったのかは、本人に聞かない限り真意はわからないけれど、いつものパターンだと言うほど大した事じゃないので、この三日間で本採用にするかしないか決まるって事はないというか、よっぽど最悪のやらかしをしなければ、高専五年生はずるずるといつの間にか本採用になっているだろうなと思う。ので、オーナーのお気持ちなんかけっこうどうでもよくて、一方、どうでもよくないのは高専五年生当人の気持ちだ。この三日間で、難しいなとかやっていけなさそう、割に合わなさそう……なんて思われたら採用を辞退されてしまう。そうならないで欲しいんだけど、この三日間の詰め込み学習っぷりに高専五年生は何を思ったのだろうか。作業に手を出せば最後までやらせて貰えず、しかもやったそばから手直しをされることでフラストレーション溜まってないかなあ。
上がりの時に挨拶がてら高専五年生と話す。なんか女の子大好きそうなので、夕勤に高専五年生と同い年の女の子がいて、何れシフトが一緒になると思うよと言ったら案の定食いついてきたのだが、
そこなの? と思いつつ、
「うん? フリーターだよ」
と答えたら、「そうですか……」と高専五年生はあからさまテンションが下がった。大概の男は女子の頭の中身がいかほどであるかなんてきにしてないから大丈夫じゃね? と想ったらだいじょばなかったかもしれない。しらんけど。まあ、高専男子なんて今を逃したら一生付き合えないと思うので、女子フリーターアルバイトさんがんばれって思った。
そして、落ち着いた感じであんまり女の子とお話しないような理系の男の子と、月に3回くらい、たまたま2人で一緒に帰る機会があるんです!!!
その男の子と楽しくおしゃべりできてちょっとハッピ〜な日々だったのですが、今日、複数人のグループで大学構内で待ち合わせをした時に、「すみません、、それってどこですか、」みたいなLINEが私の所にきました。その時は「ここだよー」と送りましたが、よくよく考えたら既にLINEを追加してる別の子や、LINEグループに聞いても全然良かったはずですよね。それなのにわざわざ追加して私個人に聞いてくれたことから私は、あれ、あれあれあれ、もしかして脈アリですか〜🤤???となって有頂天になっております。
そして、帰りが同じ時に「突然追加してすみません」と追加の話題を振られました。そして色々な話題を話すうちに、「ぜひ、教えた動画を暇な時にみて、感想とか送ってください」と言われました!!!!
そんな感じで少し展開してヨイヨイヨヨイと小躍りしてるのですが、これって脈アリでしょうか???
考えてみたら、屋外で個人で作業する時に、少し離れたところにいても気付いたら横で彼も作業してるし、目が合うし、本当に、本当に、これで脈がなかったら私は腹を切る。介錯頼む
4回って言い方でわかる人もいるかもしれない。私は関西の大学生だ。頭は良くないけど、そんなに後悔しない大学生活だった気がする。まだまだやりたいことあるしね。
本来なら舌ピなんて1回で開けて楽しんで就活を前に閉じるものかもしれないけど、私はやっと内定が出た直後に開けた。そこの会社に行くかはまだ迷っているけど、我慢できなかったので。
ピアスは病院で開けた。ニードルかなと思ったらピアッサーで、少しずれてしまったけどまぁ満足してる。開けたのは先週土曜だから、そろそろ3日くらい。まだじんわり痛いし、違和感もある。舌を火傷した時や、口内炎が出来たような痛み。咀嚼すると痛みが強くなる。熱いものは駄目。辛いのとアルコールと煙草は控えている。奥歯の方に押し込めるものは割と食べれる。スープや飲み物や豆腐とかプリンは全く問題なし。茶碗蒸しが大活躍している。
両耳たぶは開いてるけど、他は開けてなかった。
耳は高校の卒業式のその日に開けた。アマゾンで買った一番安いピアッサーで、その日に。高校は校則が厳しくて、携帯持ち込み禁止、寄り道禁止、髪染めピアス禁止、アルバイト禁止、SNSのアカウント作るの禁止、他にも色々禁止だった。校則に書いてあるだけとかじゃなくてほんとに先生に見つかったら指導されるレベルの厳しさだった。有名ではないけど幼稚園からある女子校だからそんなものかもしれない。今となっては懐かしいけど、それは私が隠れてバイトもSNSも寄り道もしていたからで、真面目に守っていたならきっと後悔していただろう。
一度無断で休んだ時は反省文を書かされた。学校へ行くくらいなら死のうと思ってホームドアのない電車を探していた時、行かなくてもいいんじゃないかと思った。先生や親も死ぬよりサボる方が嬉しいんじゃないかなんてやたら冷静に客観視してた。反省文を書きながらこれは何の反省なんだろうと思った、だって死ぬか行かないかの二択だったのに。
両耳のピアスは私としては早かったが世間的には遅いだろう。私はいつもそうだった。みんなより全部遅い。化粧を覚えたのも高校3年だった。
前髪を初めて作ったのもはたちになる少し前だ。高校生の時から散々ある方が可愛いだろうと言われていたし思っていたのに。
髪を初めて染めたのもはたちすぎてから。しかもインナーの一部で殆ど分からないくらい暗い青だった。でもそれがきっかけで色んな色をやった、インナーだけど。大学入って直ぐに染めてたらもっと色んな色が出来たのにとも思う。
次は全頭してみたいと思っている。遅いかもしれないけど、遅すぎはしないだろう。だって大学生だし。ぎりぎり。
いつも遅い。みんながやり始める頃にはそんなの興味無いとばかりに見ていて、後からやりたくなってもっと早くても良かったなと後悔する。そしたらもっと楽しめたのに。
成人した直後からワインを飲んでいる。家にカクテルセットがあるというと驚かれる、大学生では珍しいかもしれない。日本酒もすき、ジントニックもすき。クラフトビールもすき。そんな感じ。
幼少期に読んでた本は大抵大人びていた、気がする。少しだけ。英才のように文豪たちを読破したとかカントを読んだとかはない。今はキルケゴールの死に至る病を買って、大学生だと言うのに意味が分からなくて呻いている。もしこれを読んだ方の中に哲学好きな方がいたら、あれを上手く読み解く為のコツとか解説書なんかを教えて欲しい。
閑話休題。
遅いとか早いとか、そういうことは無意識に思ってしまう。早いうちに触れるのはいいことだ、何歳になっても遅いなんてことは無い。そうは言っても現実はその通りでは無い。
小説家やイラストレーターになりたかった。学生のうちに仕事を受けられるようになっていなければそれで生計を立てるのは難しい。そもそもいちばん暇な大学生でプロのレベルまで出来なかったのは才能がないのだろう。能力ではない、やり続けるという才能が。
研究者になりたかった。小学生の頃の行きたい大学はマサチューセッツだった。ちなみに今も昔も英語ができたことは無い。向き合う度に外国語は向いていないことをひしひしと感じる。
研究者に憧れがある、科学者、数学者、天文学者、宇宙の真理やこの世の理、最先端の技術、未知の可能性、人類の進化、魔法と区別がつかなくなるまで発展する科学技術。無闇な憧れだ。論文も本も何も理解出来ず、どういうふうに系統だっているのかも分からない。でも憧れている。でももう遅い。私はサインコサインすら分からない。
頭がいい、と思っていた。昔は。人と会話することもある程度得意だ。
国語は勉強しなくても偏差値が取れた。小学生で漢検2級を取った(これは母の全力の献身によるものだ、私の努力ではない)。他の教科も聞いてたら何とかなった。でも中学2年くらいから授業を聞かなくなって、数学や理科ががくんと落ちた。相変わらず国語はトップ近くで、社会は本から得た知識でなんとかなって、英語は長文とリスニングで何とかした。文法はからきしだった。
高校ではやれば出来るのにと言われ続けた。地頭は良いのにと。そうかもしれないと思っていた。そう思いたかった。
でもそうでは無いのだろう。
本を読んでも理解できないことが増えた。読み終わっても中身を忘れることが増えた。あんなに無限に読めると思っていた本を、もうしばらく最後まで読めたことは無い。難しくなったら駄目だった、ライトノベルは多分いまでもサクサク読める。
私は天才でも秀才でもなくて、やる気とかいう最大の生まれ持つ才能も持っていなくて、やる気がなくてもなんとかなる能力もなくて、全く興味の湧かない仕事内容の会社に就職しようとしている。
昔はゲームなんて時間の無駄だと本気で思っていた。それなら勉強した方が世界も広がって能力も高まって良いと。
勉強なんてもう何年もしていない。ソシャゲに毎日数時間と毎月数万を使う立派なソシャカスだ。
ピアスやタトゥーには憧れていた気がする。酒や煙草にも。アウトロー感のあるものには憧れがあって、でもテンプレートな安い人間にはなりたくなかった。でもなってしまった。
白衣を着て、日本でも有数の大学院で試験管を持ったり数式を書き散らしたり、ドイツ文学やフランス文学を原文で読んで純粋理性批判について論文を書くような学生だったら、髪がペールブルーとターコイズの二色で舌や唇にピアスが開いてて身体にタトゥーが入ってたら最高にかっこよかったかもしれない。
そんな格好をしている美大生なんて山ほどいる。
そんな格好をしている鬱の社会不適合者なんて山ほどいる。
私がなりたかったものにはもう一生なれなくて、それでも表面だけで真似できるものだけ、努力しなくてもできるものだけ、真似している。
大学は楽しかった。散々文句を言ってやる気がなくてチャイムがなって数十分後に来てチャイムと同時に帰っていたけど、物を作るのは楽しかった気がする。ともだちもいる。そうそう人を友人と口に出せない私が友達だと確信を流石に持てるくらいには仲がいい、はず。
桜の咲く公園で夜にビールを飲んだり、宅飲みでマリカしたり、自主休講して展示を見てパフェを食べたり、ナイトプールにいったり、ディズニーとユニバにいったり、覚えてもいないくらいたくさん話して笑ってた。最近は知り合いの家に酔った勢いで雀卓をアマゾンで買って送り付けてルールを説明した。自分も分かってないのに。
彼らにとって大した思い出でもないかもしれないが、私にとっては一人では死んでも得られないそれらをくれた事に死ぬほど感謝している。
ずっと死にたいという思いはあって、でもその中にもう死んでも構わないというポジティブな希死念慮があることは間違いなく楽しかった大学生活のお陰だろう。いやなこともたくさんあった、アルバイトも大変だった。バイト先に警察が来たこともあった、これはいい経験だけど。人生で経験できることはできるだけしておきたいので普通にその時も良かったなと思っていた、店からはたまったものじゃないだろうが。
そんな気持ちだからバンジージャンプも行ったりした。単に絶叫好きなだけかもしれないが。ピアスもその一環かもしれない。開けなければどんな痛みかなんて知らない。舌ピ開いてるあのキャラクターとかも、開けた直後はポタージュとか豆腐とか食べてたのかな、と思うとちょっと面白い。
シーシャも行った。今度葉巻もいく。
努力の要らないものばかり。ボランティアでもしてみれば良かったな。したい気持ちはあるけれど時間とか労力とかいきなりその日鬱になったらとか思うとなかなか出来ない。
習い事もしてみたかった。音楽がからっきしだから何か楽器とか。バレエとかダンスとかにも興味がある。踊るのはすきだ、振り付けは真似するのが苦手だから即興ばかり。音楽を流して踊り続けるのだけは得意だ、人に見せたことは一度もないけど。あとボルダリングとか、薙刀とか、色々やってみたかった。
そういう系だとサバゲーもある。これはサークルに思い切って入った。楽しかった。銃を買ったけれどコロナでサークルが停止してそのままなくなってしまったので一度もフィールドで撃てなかった。いつか思いっきり撃ちたい。
スキーやスケートは好きだから、フィギュアスケートもやってみたかった。ずっと憧れはあるけどスケートリンクが近くにあったことがないのでこれはしょうがない。
バイクにも乗ってみたい。一度後ろに乗せてもらって、免許取りたいといったけれど、結局バイクを持つのが大変なことやお金を考えて取っていない。
美容にはすぐお金を使ってしまう。というか費用対効果だ、時短になるならやっておきたい。二重はやった。脱毛はもうすぐ一回目がある。まつパもやりたい。レーシックもやりたいけどカラコンを入れなくなりそうだと思うとちょっと躊躇する、眼鏡も少し気に入っているので。外した方が可愛いけど。
少しでもかわいくなりたい。自分が死ぬほどかわいくなくて、死ぬほど魅力がないのを知っているから、少しでもってなってしまう。
アイドルになりたかった。歌手でも俳優でもいい。最近はミュージカルがすきだからミュージカルにも憧れる。服のモデルもいい、写真撮られるのも色んな服を着るのもだいすきだ。
でも私は人前が苦手だ。頭で苦手だと思ったことはない、好きなアーティストのライブにいっても、こんなにたくさんの人の前で歌ってこんなにたくさんの人に愛されるのはどれだけ快感だろうということを考えてしまう。
でも人前に出ると勝手に身体が震えて、平衡感覚がおかしくなって、喋れなくなる。大学の発表でもそうだ。上手く話せなくなる。頭は冷静だから対処はできるけど、身体は勝手に震える。
人前というか知らない人と歌う機会があったことも少しあって、褒められたら嬉しかった。けど歌手やアイドルになれるほどじゃない。顔も可愛くないし、ダンスも下手だ。自分では出来てるつもりでいても動画を見るとキレのなさに絶望する。これは本当に才能だと思う。
女の子のアイドルゲームが出来ない。羨ましくなってしまうから。男の子なら普通に推せてたまに羨ましくなるくらいだけど、同性だと近いから難しい。でもなりたいのは男の子のアイドルだ、イケメンと一緒に可愛い女の子にキャーキャー言われるなんて最高じゃん、と思う。
先生になりたかった。人に物を教えるのはすきだ。上手い方だと思う、友人に教える時も。相手の知識量や理解力に合わせて単語に解説をいれ、分量を変え、分かりやすそうな例えを使う。フラットな目線を持っているとも自負しているし、向いている気もしてる。先生と言うよりかはマンツーマンで指導する方が向いているかもしれない。
でも一度家庭教師に登録していて、仕事の話もあったけど、大学名で難色を示された。多分向こうの親御さんが文系か理系の学生がいいと言ったんだろうな、とぼんやり思った。同じ大学でも塾講師をしている子はいるので普通に学力があれば大丈夫なんだろう。私には教える力はあっても学力はない。でもやる気がなかったからこそやる気を出させたり、本を解説するのだけは本当に上手いと思うのだけど……まぁ、仕方ない。
他にもいろいろ夢はある。理想の生活もたくさんある。でももう叶わない。分岐点はとっくの昔にある。
今できる楽しそうなことだけを積み重ねて、本は難しくて気力がない時には読めないからソシャゲの周回とTikTokをして、少しずつあの日の高潔な私が死んでゆく。取り返しはもうつかない。じきに働かなきゃいけなくなる、働けるかは分からないけど。
せめてできる新しいことをしようと思って日記を書いた、ちょっと憧れていたから。ツイッターでフォローしてる文章の上手い人のnoteが良かったから、ああいうものを書きたいと思った。
私は承認欲求が強い。物凄く。いいねひとつに一喜一憂して、私より評価されている人全員が羨ましくて、なんとかいいねをしてくれそうな人に届いて欲しいけどそれを表に出せない。せめてタグをつけてRTをするくらいだ。
私は私の作品が好きでも、クオリティが低いことは知っていて、それでも好きだと言って欲しくて、でも他の有象無象の、私から見てあまりにも稚拙で低俗な作品といっしょくたにいいねされてると悲しくなる。こういうところが本当に性格が悪いと思う。けれど好悪はもう変えられないし、今更承認欲求も手放せない。昔は承認欲求なんてないと、どうでもいいと、むしろそれを持っている人になんでそんな感情を持つんだろうと疑問にすら思っていたのに、自分に承認欲求があるとしたら全てが腑に落ちた。無いと思い込んでいても消せなかったものは、多分もう消えてはくれない。
私は自分が底辺であることを知っていて、それでも結局どこかによく見られたいという願望が残っていて、ナルシストなところもあって、性格の悪さもあって、それがこの文章からも滲み出ていることが本当にいやで、でも取り繕うことすらしないのも嫌だからどうしようもない。
理想の自分になりたかったと思いながら、今日も自分をひとつ成長させてくれるはずの買い込んだ本をめくることすらできず、朝になった。
この文章は最初からひたすら思いついたことを脱線するまま書いて、読み返しや修正もしていない。
どうせ誰にも刺さらないことを知っている。私の作品が好きですという感想を匿名で貰ったことは一度もない。一度も。本の感想も。
最後まで読んでくれた人が数人でもいたら御の字だろう。
それでも誰かが読んでくれて、コメントをしてくれることを夢見ている。認めたくないけど、心のどこかであわよくばインフルエンサーとかがTwitterに投稿したりして、バズって、はてな文学みたいな扱いを受けたりしないかななんて期待している。醜い。でもこの醜い感情を抱えていたくないから書いてしまおう。心に秘めていたりツイッターでぼかしながら細切れに話してることを、全部思いのまま書きたくてこの文章を書いた。
何が刺さるんだと言われたら自分でも分からない。実力以上の評価が欲しい訳でもない。努力もしないくせに数字だけ貰えるなんてことはないと分かっていて、それでも楽なことの方がすきでそちらを選ぶ。趣味だからなんて言い訳せずに絵の練習でもしていたら今頃もう少しましだっただろうか。漫画も描きたかった、漫画の方がバズるから。表現媒体としても面白い、ネタを思いついても小説では書けないこともある。でも描こうとしても絵が下手すぎて結局再現は出来ない。
楽な方に楽な方に流れている。
ひとつ開けたら憧れの気持ちが止まらなくなってしまった。人生で一回は開けておきたい、テンプレートに近づくとしても。死にたいとか鬱だ何だとかいっている言葉が、昔より軽くなりそうだ。ファッションが変わっても私の中身は何も変わらないのに。
楽な娯楽だ。努力しなくてできる変化、合法的な自傷。腕を切ったことはない、痛いから。でも首を絞めることはある。いつか首を吊るためのシミュレーションのように。一度失敗したきりだけど、いつかはきっと死ぬだろう。寿命まで耐えられるとは思えない。
本当は耐えて欲しい。耐えられるくらいでいい、その程度でいいから、幸せになりたい。
普通の人になりたい。創作をする、私は天才だと思っている友人は、死にたいけれどその死にたさも自分だから治らなくていいと言っていた。
私は幸せになりたいから心療内科に通った。意味はあんまりないけれど。
これを書いている間もずっと舌が痛い。これが収まる頃にスクランパーとインダストリアルを開ける。思い切り食事ができるのはまだ先になりそうだ。
何度も終わらせようといい感じに結べそうな文を書いているのに書きたいことが溢れてしまう。
私は人に知って欲しいたちだ。なんでも、やったことや見たもの、感じたことや思想、なんでもすぐツイートしてしまう。勿論セーブはかなりしているけれど。そしてそのツイートを全部見て欲しいと思ってしまう。何故なら私は好きな人のツイートを全部見たいタイプだから。ある程度好意を持っていたら何を喋っていたか知りたいかなんて当たり前だと思うけど、世の中では意外と少数派らしい。でも私の中ではそれが当たり前だから、ツイートを見ていないと言われる度にそんなに私に興味がないのかと傷つく。表には出さないようにしている、めんどくさいと思われるから。でもあえて出す時もある、相手が平気そうだったり、そういうキャラで私がやっていけそうなら。メンヘラちゃんのキャラでいたら、少しだけ私の本音を言うことができる。
だからひたすら書き連ねるのは楽で楽しくて、でと整理されてない文章なんて誰も読みたくないだろう。でも日記というか、書き散らしというか、日々の所感としてはこんなものかもしれない。
舌が痛いし眠くなってきた。多分何も無ければ無限に喋り続けられるだろう。自分の話をするのが好きだ、相手に知ってもらいたいから。好きな人のことはなんでも知りたい、血液型とか、健康診断の話になった時の視力とか、すぐメモってしまう。私の記憶力が悪すぎてメモっているだけで、覚えておきたいというだけなんだけど。締めに頭の中で用意しておいた文章のストックがもうない。前のを引っ張ってこよう。ちょっと書き換えて。
そうやって楽な方に楽な方に流れている。
今度はスクランパーとインダストリアルを開ける。お手軽な変化を得て、なんとかぎりぎり生きている。バイトの当欠も、説明会のキャンセルも、自主休講にしすぎな大学も、なんとかなってるとは言えないけど、取り敢えずまだ致命傷ではない。致命傷ではないけど、ゆるやかに死んでいくのだ。
きっと今の私は、昔の私が一番なりたくなかった姿だろう。働きたくないとか甘えるやつ、努力しないやつ、後回しにするやつ、遅刻するやつ、頭の悪いやつ、死にたいと
最近の某事件の犯人が、某私大の理系学部を経済的理由から中退していた、とネットの記事で知りました。
私も犯人と同年代で、同じような経験をしています。同様の境遇の若い人たちに、何とかなるかもしれないと思って欲しくて、私の体験した私大生活や修士号取得について書きます。
なお、犯人が起こした事件は決して許されるものではないと思っており、犯人を擁護する意図はありません。
私は高校時代、恥ずかしながらセンター模試の結果がいつもボロボロでした。中でも古文漢文や歴史、化学などの科目がひどい出来でした。
一方で、得意科目の物理や数学が大きく評価される私大模試では、いつもなかなかの偏差値でした。
結果、センター試験は本番でもボロボロでしたが、早慶や関関同立といった私大の理系学部に合格しました。
それまでも職を転々としているような父で、実家には大した預金もなかったようです。
入学式を迎えたものの、いつ授業料が払えなくなるか分からない状態でした。
大学の事務室で授業料について相談し、入学直後に募集のあった大学オフィシャルの奨学金に申込みました。
家庭の収入を証明する書類や推薦状など揃えなければいけない書類が多く、なかなか大変な手続きでした。
親の都合なのになんで私が…と思いながら手続きしたことを覚えています。今思えばバチ当たりな考えですね。
無事に奨学金の審査に通り、私の場合は年間およそ100万円の授業料が免除されました。
ただし、年間50万円ほどの施設利用料は支払う必要があり、こちらは母が支払ってくれました。
奨学金の審査は毎年ありましたが、幸い三年間、連続で採用されました。
この間、奨学生になるために成績だけは学科タップをとり続けていました。
だからといって勉強漬けではなく、アルバイトで飲み代を稼いで、サークル活動も楽しんでいました。
大学3年生になると、理系学生は院進学について決めなければなりません。
私は進学してもう少し勉強したい気持ちがありましたが、来年、さらに修士課程でも奨学生になれるとは限らない。
大学3年生で4年生と共に試験を受け、合格すれば来春から一年早く修士課程に入学できるのです。
もちろん入試を受けました。
志望先の研究室の学生にコンタクトを取り、院試面談に関するアドバイスをもらって無事合格。
おまけに特待生として修士課程二年間の授業料免除もゲットしました。
さらに無利子の奨学金で月7万円を頂くことができ、激安の学生寮にも入れたので、修士課程はバイトなしで生活できました。
ときどき研究室の先生にTAをさせてもらい、お金を貯めて研究室旅行にも行くことができました。
大学院での研究は、周囲と比べると卒論を書いていないという負い目もありましたが、先生には分け隔てなく指導いただきました。
また、リーマンショック前の売り手市場だったこともあり、就活では複数の大手企業に内定をもらいました。
さらにラッキーなことに、そこそこの成績だったようで奨学金の返済が半額免除になりました。
結局、学部時代から約50万円プラス生活費で修士号を取得することができました。
その後、就職してから数十年。すでに奨学金も返し終わっています。
それが何だと思われるかもしれませんが、東大生人気ランキングに入るような会社で、そこそこお給料もいただいています。
自分の子供には幅広い選択肢の中から進路を決めてほしいと考えていて、日々子供のために頑張って働いています。
あのとき、奨学金制度を教えてくれた方や、採用して下さった方々のおかげで、今があります。
経済的な理由から学びを諦めそうになっている学生の方へ。何か方法がないか、周囲の大人に相談したり、裏技がないか調べてみてください。
学ぶ意欲のある人には、どこかで誰かが味方がついてくれると思います。
どうか諦めないで。
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男女雇用機会均等法で企業が求める性別を求人票に記載できなくなった。
この為対策として、「男性(女性)が活躍している職場です」などの記載がされるようになった。
またパンフレットなどで、職員が片方の性別に偏ったイメージ写真を掲載し男性職場とか女性職場と言うのを求職者が察せられるようにしている企業もある。
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具体的な求人事例の調査は行わないが、結論を言うとこのようなズルい手口はアウトの可能性が高い。何も対策になっていない。
https://www.mhlw.go.jp/general/seido/koyou/danjokintou/dl/rule.pdf
男女双方に資料を送付していても、いずれかは初めから採用しない方針を立てて、形式的に資料を
送る。
「ウエイター」「○○レディ」 など
男女のいずれかを採用する方針で、写真やイラストにおいて、一方の性に偏った職場を強調する等
の表現をすること。
これら引用に限らないが性別を選ぶための小手先の手口はみんなアウト扱いである。
たまに聞く「求職者は応募の自由があるだけで、企業が性別を理由に不採用にするのもまた自由である」もアウトである。
(というか、この考えでは男女平等になっておらず意味不明すぎる。)
もしかしたら昔は法の抜け道として脱法的な扱いだった時代もあったのかもしれずその時代の噂かもしれないが(詳しくは知らない)少なくとも現在においては不可である。
そもそもこのような手口で”対策”してまで採用の自由などを振りかざす企業が存在するとすれば異常である。
こういう事を言うと女性にも過酷な労働を~のように皮肉めいたことを言う人が出てくる事があるが、そもそも男女雇用機会均等法には例外の仕事もありそこは既に考慮されている。
つまり
ただし問題なのは、このような例外を拡大解釈し「企業が自由にこちらの性がこの職場に適していると認めたらOK」のように誤解してしまう事である。
これはとんだ誤解である。そもそも企業や部署の風土の独自裁量であれば男女雇用機会均等法はザルであろう。
厚生労働省の資料にも「単に、一方の性に適していると考えられているだけでは該当しません。」と記載がある。
個人的にもっというと一方の性に適しているという考えも科学的な根拠の稀薄なデマであることが良くある。
女性はきめ細かな仕事に長けている、男性は理系に強い、このようなジェンダーステレオタイプ(またはアンコンシャスバイアス)は捨て去るべきだ。
そのような特性が科学的に証明される時代がきたらその時にまた議論をしたらいいが差別はいけない。
フェミ(フェミニズム)とか無関係にもはや科学的な事実関係の問題でもある。
そしてその傾向が科学的に証明されたとしても今度は"統計的差別"という問題がある。
統計的差別が認められるわけでは無い。だから、女性はきめ細かな仕事に長けていると科学的に証明されたとしても、女性に絞った採用は不可能である。
男性でも同じ。
(なお、性別の傾向が見られたとしても結果としての後天的な理由なのか、それとも先天的な理由なのかという点で男女の違いという観点でいえば大きく意味が異なる。しかし平等に選考しなければいけない点においてはなにも違いが無い為、この記事では対象外とする。)
良い傾向である。
性別による適性や性差と言うデマに引っ掛かり法律も誤解し人を差別し適材適所を実現できなければ企業にとってなんにもならない。迷惑も良いところである。
ここはきちんと「人材が仕事をする」という考えに戻り、能力と意欲を図り、企業と求職者双方にとって利益となる公正な選考を行って頂きたい。