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2022-07-13

anond:20220713134103

20代前半だと

未だに総理と言えば安倍の印象があり、喪失感が大きい

これは当然だろう

なにせ物心が付いたときからずっと安倍総理やっていたんだから

2022-07-12

マニフェスト

わたし1995年まれだ。ここ最近になって政治をめぐる世の中の温度感が急変したように感じていたが、わたし記憶にある限り、本当に他者を思いやることのできた平和時代など実はなく、物心いたこからすでに物事はこの方向に向かって動き出していたのではないだろうか。2000年代にはすでに国家レベルでそういう状況に突入しており、わたしたちは今あの時代に張り巡らせた伏線ひとつひとつ回収しているのだと考えるほうが、世の中がここ何年かで急速に変化したと考えるよりも自然な気がする。

教科書に書いてあることはいだって周回遅れだからわたしたちの世代ならまだ、教科書をまじめに読んでいた人は一昔前の価値観に触れることができていた。かろうじてそれを正しいとみなして人格形成することもできた。しかし、見ないようにしていただけで、見てはいけないと自分に言い聞かせていただけで、そこにはすでに分断はあった。わたし自身、これまで分断を見ないようにしたり、うまいこと避けたり人のことを見下したりしてのらりくらり過ごしてきたが、そうした態度は結果的にこうした時代の到来を早めることに繋がったかもしれない。でもあの時はどうしようもなかったのだ。わたしも幼かったし、大人たちも幼かった。大人らしく振る舞うとはどういうことか、誰もわかっていなかった。わたし教科書を読めたし、読めるのに読むなというのは無理な話だった。

2010年わたしたちはRADWIMPSを聴いていた。給食時間、校内放送スピーカーは「僕が総理大臣になったら~」と歌っていた。「厨二」みたいなことを言って人々は馬鹿にするけれど、気づいたらこちらが馬鹿にされる側にまわっていたという意味では、本当に間抜けだったのはこちら側なのではないだろうか。

すごく怖い話をすると、もしかして自民党投票する人ってリベラルなつもりで入れてんじゃないかと思う。Liberal Democratic Partyだけに。LiberalでもDemocraticでもないだろふざけんなと思ってきたが、まあ東谷さんに比べたらどう考えてもliberalだしdemocraticですね。

とにかくみんな余裕がなくなっている。自分自分の身内以外の誰かほかの人のことを考えるにはあまりにも疲れすぎているし知性も足りなすぎる。コミュニケーションは日々奪われており、わたしたちの会話はゆっくりと、しかし確かに通じにくくなっている。誰にもこの流れを止めることはできない。

若い世代そもそも思いやりという文化を知らない。それほど若くもない世代は、たとえ本人が忘れてしまっているとしても、そういう文化存在していたこ自体は知っているはずだが、今ではみなそういう文化のことを冷笑するか雑巾を見るような目で一瞥するだけになってしまった。それほどまでに、今、わたしたちは貧しい。明日ご飯が食べられるかどうか、という次元にいる。

投票率が上がっても下がってもろくなことは起こらないような気がするという意味で、わたしたちは今、どうしようもないところまで来ている。そんなことはあり得ないだろうけれども、仮に次の選挙政権が交代して志位さんが総理大臣になったとしても、その傍らで東谷さんのような候補当選し続ける。投票率が上がるというのはそういうことだ。そして、投票率が下がれば、政治家の票田は市井から宗教団体に移り(実際には宗教団体の教団内部が完全に「市井」でないとは言い難いが、ここでは便宜的に二者を区別することとしたい。つまり宗教勢力政治家とのかかわりが密接なものとなるということだ)、今回のように銃撃に倒れる政治家は後を絶たないだろう。どっちにしても地獄だし、どっちかを選べと言われても困るのが実情である選挙に行っても詰み、行かなくても詰み。死ぬしかないのかもしれない。まあこの状況では、放っておいても人はばたばた死んでいくだろうが。

選挙に行っても詰み、行かなくても詰みの状態になったとき人間がどういう行動に出るのかは興味深い。どっちでも最悪の結果になるとわかっているときわたしたちはどちらの地獄選択するのだろうか?

母親統一教会信者で苦しんだ話

私は今年35歳になる。

人生でただの一度も他人に「母親統一教会信者である」と言ったことない、言えるわけがない。

今回の安倍元首相事件の話でフラッシュバックしてしんどいのでせめてここで吐き出そうと思った。

母親は多分、結婚後の私が生まれるかその後か、1990年前後に入信している。

きっかけは知らない。

ただ、限界集落のようなド田舎出身で、結婚して街に出て友人もいなかった母にとって、統一教会存在は心の拠り所だったんだろうなという想像はできる。

物心ついた頃には教会と呼ばれる施設へ連れて行かれ、ビデオを見せられたり、お祈り場に参加させられたりした。

そのせいでお経?のようなものを覚えてしまい、うっかり父の前で唱えて怒られたことを覚えている。

ちなみに教会ではよくメッコールを飲まされていた。同じ経験をした人はあれをそんなにマズく感じていないと思う。

ある程度自我が強くなってからはそういった場所には行かなくなったが、母は教会へ足繁く通い、献金や水行や断食をしていた。

高麗人参エキスを買わされていたり、姓名判断ができたり(多分印鑑を売るための手段の一つ)、ハングルを覚えたりしていた。

そういったことがバレるたびに父とはよく揉めていて、深夜にDV家具の破損はよくあった。

朝起きて、物が壊れたり部屋中に暴言が書き殴られていたり、顔を腫らした母をみる日が定期的にあった。

そのせいか中学生になるまで夜尿が治らなかった。

いつだったか、母が私を含めた兄弟祖母の家に預けどこかへ行こうとしたことがあった。すぐに父に見つかって、また大変なことになっていた。


献金がとにかく大変だったようで、借金をしたり、定期契約の集金のパートをしてそのお金を回したりしてやりくりしていた。

父はもちろん母にお金を渡さず、切り詰めた生活を強いられていた。ご飯が足りないということはなかったけれど、贅沢や外食は一切なかった宿泊するような旅行帰省以外ほぼなかった。

高校生になるまで両親の喧嘩は絶えず、母の信仰も続き、早々に家を出られるよう努力した。

無事国家資格を得て、21歳で就職一人暮らしを始めることができたが、家を出る直前まで両親の喧嘩は続いていた。

家に残っていた兄弟たちからそれ以降どうだったのかは聞いていない。

私がお金を得るようになってからは、貸してほしいと言われることが何度もあった。

献金のためとわかっていたので貸さなかった。父か自分の親に頼めと言い続けている。

母は普段から教会の教えのようなものを私にしてくる。

先祖の行いが現代の我々に降り掛かってくるから祈らなきゃいけないだとか。(祈りには献金必要らしい、なにそれ。)

サタンがどうだとか、酒はサタンおしっこで、タバコサタンおならだとか。あほか。

家庭連合ということもあり、結婚しろとよく言う。天国は二人で行く国だから、独り身でいることは未熟な人間でいることだと言う。

両親の喧嘩を見て育ってきた私が結婚にいいイメージがあるわけないだろうに、無責任に言ってくる母が嫌だった。

一応母とは普通に話すし、両親も離婚していない。

DVの父とも私は仲がいいし、家族食事をしたりもする。

今両親だけで住んでいるが、今回の事件実家がどうなっているのか怖い。

そういえば選挙のたびに母が自民党投票してと言っていたことを思い出した。

今回の事件で、ああそういうことかと納得できた。

殺人絶対に許されないけれど、犯人殺人を決意した家庭環境には共感できてしまう。

身近な友人には誰にも言えないけれど、今回の犯人はどうにも責めきれない私がいる。

2022-07-07

自助グループがしんどかった話

※論旨に影響が無い程度のフェイクを混ぜています

また、特定自助グループ非難する意図も、自助グループ存在非難する意図もありません。

あくま自分体験です。

自助グループがしんどかった

先日、初めてある自助グループに参加した。

私は既婚なのだが、夫婦間での問題が実害として表れ始めたので、相談機関相談したところ、自助グループに参加することになった。

自助グループとはなんなのか

自助グループとはどういうものかというと、なにかしらの問題を抱える人が集まり、お互いの経験や現状を話し、つらさな気持ちを分かち合う場だ。基本的に「言いっぱなし・聞きっぱなし」、すなわち問題気持ちを吐き出して整理する場所で、傾聴に重点がおかれた形式をとることが多い。

なぜ、傾聴が重視されるかというと、発言に対して正論で責められると吐き出すものも吐き出せず、結局そこでは安心して話せないことになるからだ。

そもそも正論で片付けられるような状況であればそこまで困っていないというのもある。問題というのは様々なバックボーン出来事タイミングなど複雑な要素で成り立っているので、誰かにとっての正論が必ずしも当てはまるものではないということは確かだ。

とりあえず、誰にも言えないことを吐き出せる。そういう場所として自助グループがある。

結論からして、具体的なアドバイス医師カウンセラー等、金銭的対価を払って、ある意味職業的責任を持ってくれる」人たちに頼ることが良いかと思う。

ただ、他の人の経験を聞ける、自分経験を話せると言う点では自助グループ有意義だとも思う。個人的感想です。)

私もメンタルの病を持っており、医師カウンセラーに頼りつつ、同じようにメンタル問題がある人と繋がったり、信頼できる人を見つけて、お互いに傾聴するような関係を築いたりもしてきた。そういう前提のもと、前述の経緯で、ある自助グループに参加した。

~~~~~~~~~~~

びっくらこいた。

ガンガンアドバイスをされるのである

形式上は傾聴だ。まずミーティング的なものがあり、その際は順々に気持ち吐露していく。これについてその場でアドバイスされることはない。

また、ミーティング中は特定施設や団体等の名前を出すことは禁止されている。

しかしその後「ご飯行きましょ」という流れがあり、どこの病院がいいとかそういう話はミーティング後にすることになる。正直状況的には藁をも掴む思いなので、参加した。

①全体的に否定される

前述の通りミーティング後の食事等でまた状況の話をするわけだが、何を話しても「それは病んでいる」「おかしい、普通じゃない」といった反応がくる。

正直病んでてもともとなのである

自分の話になるが、物心がついたときから死にたい」と言って暴れたり、自傷行為に走ったりしてきて、頻繁に家出もしていた。大人になってからやっとの思いでメンタルクリニックにつながり、服薬とカウンセリングでなんとか生きてきたし、今もそうだ。

親との関係そもそも拗れていたのだが、最近になって親との関係も徐々に清算されてきた。親元はすでに離れているのだが、親も勉強したり考えたりしたようで、こちらも落ち着いて話せる環境になってきた。親には、「心配はするけど、生きたいように生きなさい」と言ってもらえて、荷が下りたような気持ちになったのが、最近のことである

病みつつ、病んでるなりになんとかやっていっている。

そこに状況の否定が来ると、混乱する。

おかしいと言われれば、たしかおかしいだろう。病んでいる。そんなことはわかっている。

②繋がりを否定される

まあ、おかしいだとか普通じゃない否定される分には「世間的にはそうですよね」で片付けられるのだが、決定的にしんどかったことの一つが、自助グループ以外の繋がりを否定されたことだ。

前述のとおり、同じような境遇の友人がそれなりの数居り、お互い「それはつらいね」「そういうとき、私はこうしたよ」など、傾聴を重視した関係を築くことに成功したわけだが、そのことをぽろっと自助グループで話したところ「友人に話すことはあまりよくない」といったことをアドバイスされた。

また、親とも少しずつ和解しており、今では困ったことがあると相談する関係なのだが、そのこともぽろっと話したら「親に相談することも良くない」らしかった。

そして、「自助グループで話すのがいい」という流れになる。相談するなら自助グループの人にしなさいと連絡先を渡された。

友人に話すことには良くない面もある、それは理解できる。

死にたい」「つらい」「助けて」といったことを頻繁に友人に対して言うのは、友人に心的介護要求することになる。それは友人にとって良くないのはもちろん、自分にとっても良くない。介護する側と介護される側となると、対等な関係ではなくなるからだ。

しかし、そこは理解した上で、友人とは付き合っている。本当にどうしようもないときは、病院カウンセリングに頼る。友人にサービス要求しない。傾聴はするし、お互いの嬉しかたことや悲しかたことを共有こそするが、それは友人関係範囲でのことだ。逆に、その辺りの意識が共有できない相手相談することはない。

これは(成人して一応社会生活を送れる身としては、)友人を親に置き換えてもほぼ当てはまる。少なくとも私の状況では。

なので、病院カウンセリングを中心に頼っている今は、友人たちとも親ともかなり良好な関係が築けていると思っている。

友人や親とは一応心配しあってはいるし、お互いの状況や気持ちを聞いて「そりゃきびしいなあ」とか「やったやん」などと言うことはあるが、それで「あれをしてあげた、これをしてあげた」ということはない。

そんな関係を、あまり詳しく話をしていない段階で否定されたことに衝撃を受けた。

③傾聴が機能していない

また、そもそも傾聴が重視されるはずの自助グループで傾聴が機能していなかったことも衝撃だった。

夫とはクールダウン期間として別居しているのだが、事情考慮した結果、また同居をするつもりでいる。

その旨を話すと、鬼のように止められた。

絶対同居はダメ」くらいの勢いである。

しかに同居にはデメリットもある。心理的距離が保てない(=自他境界曖昧な)二人が同居すると、それはそれはトラブルが絶えない。

しかし、「自他境界曖昧問題が起こる」ということを自覚した上で、病院カウンセラーを頼りつつ落としどころを見つけていく、ということはそんなにまずいことなのだろうか。

実際、別居のメリットも十分感じた。

最初はお互い(別居に対する)抵抗感があったが、一回離れてみると見えてくることはたくさんある。自分生活を律するのは最終的に自分だということ、金銭的にお互いを頼ることはなるべく避けた方が良いこと、べったりと一緒にいなくても生きていけること、たくさん気づくことがあった。

でもその上で、仕事場へのアクセス金銭事情、また単純に「適度に自他境界をつくり、一緒にいる楽しさに目を向けられる関係を目指したい」という点で、つまり試行錯誤をするというプロセス上、とりあえず同居してみてもいいのではないかと思っている。

トラブルがあれば、その都度カウンセリング医療機関を頼る、また一時的親族の元に身を寄せることもできる体制を構築した。これが保険となり、同居を前向きに考えられるようになった。

細々(こまごま)とした事情自分の中の天秤にかけた結果が「同居」なのだが、それは自助グループ的にはあり得ない様子なのである

これがまた結構な人数で説得される。そうなると場としては同調せざるを得なくなってしまい、「確かにそうですね…」と言ってしまった。

そのことがまあまあなダメージで、自助グループに行く度に「同居絶対ダメ」と説得されるのだが、そのあと1~2日はもやもやして寝込んだり泣いたりしてしまった。

もともとメンタルの病で意志薄弱なところがあるのだが、私のことは私で決める、ということが少しずつ出来るようになってきたところだ。

そこに大人数の説得が来て、かなり混乱した。もしバックボーンが違えども混乱するのではないか、と思う。

また付け加えると、ミーティング中の発言に関しても多少の突っ込みを受けた。これでは「言いっぱなし聞きっぱなし」の意味がなく、傾聴とは言えないのではないだろうか。もやもやもやもや

~~~~~~~~~~

その自助グループに参加してから、混乱したり寝込んだり涙したりしていたわけだが、その自助グループで「確かにそうですよね」等と言っていると、どんどん自助グループへの関与を勧められる。毎日どこかしらでやっているので、ほぼ無限に勧めることが可能なのだ

それで、その場の流れで「では、~曜日は~でやっている会に参加します」などと言ってしまった(本当は、要らないことは言わなければいいので、ここは私の落ち度と思う。)。

その場では参加する宣言をしたわけだが、私の場合、しんどさは大体翌日~翌々日にやってくるので、その場は平気でも後々「あんなことを言ってしまったが、行かなければならないのか…死にたい…」という状態になる。

行く宣言をした自助グループの会を翌々日に控え、「死にた~い…」となっていたとき、前からかかっているカウンセラーの顔が浮かび、カウンセリング相談したらいいのではないかと考えた。

ここ数ヵ月希死念慮は無かったのに、こんなに死にたいのはまずい状況だ。しか意志薄弱傾向もあって、「自分で決められない、誰かに相談しないと落ち着かない…誰か背中を押してくれ…でも友達にも親にも話すのはやめた方がいいって言われたし…」等と、くどくど考えていたが、最終的に友人が背中を押してくれたので、すぐカウンセリングに行くことにした。

カウンセラーにつらさを話すと、まずつらさを肯定してくれた。もうこの時点で涙が出るほど安心した。

一通り打ち明けたところ、自助グループ役割や傾聴の意義について説明を受けた。また、傾聴が徹底されている自助グループもたくさんあり、自助グループが全部私の経験したような場所ではないことも教えてくれた。

心の底から、「このカウンセラーさんと繋がっていて良かった…」と思った。

結局、しんどかった自助グループとは距離を置くことにした。今は、カウンセラー医師相談しつつ生活を建て直し、また傾聴が機能している他の自助グループに参加してみる方向で動いている。

自助グループしんどい人へ

何故この文章を書いたかというと、「自助グループ しんどい」で検索すると、「自助グループ行きたくないというのは偏見があったり、病識がないからだ」「とりあえず継続して行った方がいい」といった記事が出てくるからだ。

自助グループしんどいとき、これらを見ると、更にしんどい。

その自助グループや、自助グループというもの自体否定する気持ちは全く無い。実際、それで助かっている人はたくさんいるからだ。継続して色々な場所の会に通えば、どこかしらで自分と合った環境が見つかることも考えられる。吐き出せる場所が見つかれば、問題を抱えた人にとっては大きな助けになる。

私も、「それはそう、でも私はこうする」という切り分けができれば、多分その(しんどかった)自助グループに通っていたと思う。また、そこはしんどくても、同じグループの他の会を探すとか、しんどくてもご飯の流れだけは断って自衛するとか、そういう手もあった。

でも、傾聴があまりよく機能していない自助グループに、病気持ちで意志薄弱の傾向がある人が行くと、調子を崩すこともある。

場の流れを崩す恐怖が強くて、うまく自衛ができない人もいる。

その場合は、カウンセラー医師相談してみてほしい。自助グループは、死にたくなってまで行くものではないと思う。また、そこまで病的に意志薄弱(または意志があってもそれを伝えるのが苦手)なのであれば、まず医療機関等を頼るのが最優先だ。

それに、自助グループはたくさんあるので、「ここしかない」ということもない。その点でも、医師カウンセラー相談して、安心して話せる自助グループを探してみてほしい。

(カウンセラーについても、無資格カウンセラーはたくさんいますが、臨床心理士さんのいるカウンセリングルームの方が安定感があるのでおすすめします。ライフハック

臨床心理士さんが居る相談機関を探せるホームページがあるので、リンクを張っておきます

http://www.jsccp.jp/near/rinsho/indexsch)

この記事にたどり着いた人が、無理せず、良き生活、良き自助グループライフを送れるように、祈っています

自助グループがしんどかった話

※論旨に影響が無い程度のフェイクを混ぜています

また、特定自助グループ非難する意図も、自助グループ存在非難する意図もありません。

あくま自分体験です。

先日、初めてある自助グループに参加した。

私は既婚なのだが、夫婦間での問題が実害として表れ始めたので、相談機関相談したところ、自助グループに参加することになった。

自助グループとはどういうものかというと、

なにかしらの問題を抱える人が集まり、お互いの経験や現状を話し、つらさな気持ちを分かち合う場だ。基本的に「言いっぱなし・聞きっぱなし」、すなわち問題気持ちを吐き出して整理する場所で、傾聴に重点がおかれた形式をとることが多い。

なぜ、傾聴が重視されるかというと、発言に対して正論で責められると吐き出すものも吐き出せず、結局そこでは安心して話せないことになるからだ。

そもそも正論で片付けられるような状況であればそこまで困っていないというのもある。問題というのは様々なバックボーン出来事タイミングなど複雑な要素で成り立っているので、誰かにとっての正論が必ずしも当てはまるものではないということは確かだ。

とりあえず、誰にも言えないことを吐き出せる。そういう場所として自助グループがある。

具体的なアドバイス医師カウンセラー等、金銭的対価を払って、ある意味職業的責任を持ってくれる」人たちに頼ることが良いかと思われる。(個人的感想です。)

私もメンタルの病を持っており、医師カウンセラーに頼りつつ、同じようにメンタル問題がある人と繋がったり、信頼できる人を見つけて、お互いに傾聴するような関係を築いたりもしてきた。そういう前提のもと、前述の経緯で、ある自助グループに参加した。

~~~~~~~~~~~

びっくらこいた。

ガンガンアドバイスをされるのである

形式上は傾聴だ。まずミーティング的なものがあり、その際は順々に気持ち吐露していく。これについてその場でアドバイスされることはない。

また、ミーティング中は特定施設や団体等の名前を出すことは禁止されている。

しかしその後「ご飯行きましょ」という流れがあり、どこの病院がいいとかそういう話はミーティング後にすることになる。正直状況的には藁をも掴む思いなので、参加した。

①全体的に否定される

前述の通りミーティング後の食事等でまた状況の話をするわけだが、何を話しても「それは病んでいる」「おかしい、普通じゃない」といった反応がくる。

正直病んでてもともとなのである

自分の話になるが、物心がついたときから死にたい」と言って暴れたり、自傷行為に走ったりしてきて、頻繁に家出もしていた。大人になってからやっとの思いでメンタルクリニックにつながり、服薬とカウンセリングでなんとか生きてきたし、今もそうだ。

親との関係そもそも拗れていたのだが、最近になって親との関係も徐々に清算されてきた。親元はすでに離れているのだが、親も勉強したり考えたりしたようで、こちらも落ち着いて話せる環境になってきた。親には、「心配はするけど、生きたいように生きなさい」と言ってもらえて、荷が下りたような気持ちになったのが、最近のことである

病みつつ、病んでるなりになんとかやっていっている。

そこに状況の否定が来ると、混乱する。

おかしいと言われれば、たしかおかしいだろう。病んでいる。そんなことはわかっている。

②繋がりを否定される

まあ、おかしいだとか普通じゃない否定される分には「世間的にはそうですよね」で片付けられるのだが、決定的にしんどかったことの一つは、自助グループ以外の繋がりを否定されたことだ。

前述のとおり、同じような境遇の友人がそれなりの数居り、お互い「それはつらいね」「そういうとき、私はこうしたよ」など、傾聴を重視した関係を築くことに成功したわけだが、そのことをぽろっと自助グループで話したところ「友人に話すことはあまりよくない」といったことをアドバイスされた。

また、親とも少しずつ和解しており、今では困ったことがあると相談する関係なのだが、そのこともぽろっと話したら「親に相談することも良くない」らしかった。

そして、「自助グループで話すのがいい」という流れになる。相談するなら自助グループの人にしなさいと連絡先を渡された。

友人に話すことには良くない面もある、それは理解できる。

死にたい」「つらい」「助けて」といったことを頻繁に友人に対して言うのは、友人に心的介護要求することになる。それは友人にとって良くないのはもちろん、自分にとっても良くない。介護する側と介護される側となると、対等な関係ではなくなるからだ。

しかし、そこは理解した上で、友人とは付き合っている。本当にどうしようもないときは、病院カウンセリングに頼る。友人にサービス要求しない。嬉しかたことや悲しかたことを共有こそするが、それは友人関係範囲でのことだ。逆に、その辺りの意識が共有できない相手相談することはない。

友人たちとはかなり良好な関係が築けていると思っている。そこを、あまり詳しく話をしていない段階で否定されたことに衝撃を受けた。(今思うとあまり詳しく話をしていない状況だったか否定されたのかもしれない。)

③傾聴が機能していない

また、そもそも傾聴が重視されるはずの自助グループで傾聴が機能していなかったことも衝撃だった。

夫とはクールダウン期間として別居しているのだが、事情考慮した結果、また同居をするつもりでいる。

その旨を話すと、鬼のように止められた。

絶対同居はダメ」くらいの勢いである。

しかに同居にはデメリットもある。心理的距離が保てない(=自他境界曖昧な)二人が同居するとそれはそれはトラブルが絶えない。

しかし、「自他境界曖昧問題が起こる」ということを自覚した上で、病院カウンセラーを頼りつつ落としどころを見つけていく、ということはそんなにまずいことなのだろうか。

実際、別居のメリットも十分感じた。

最初はお互い(別居に対する)抵抗感があったが、一回離れてみると見えてくることはたくさんある。自分生活を律するのは最終的に自分だということ、金銭的にお互いを頼ることはなるべく避けた方が良いこと、べったりと一緒にいなくても生きていけること、たくさん気づくことがあった。

でもその上で、仕事場へのアクセス金銭事情、また単純に「適度に自他境界をつくり、一緒にいる楽しさに目を向けられる関係を目指したい」という点で、つまり試行錯誤をするというプロセス上、とりあえず同居してみてもいいのではないかと思っている。

トラブルがあれば、その都度カウンセリング医療機関を頼る、また一時的親族の元に身を寄せることもできる体制を構築した。これが保険となり、同居を前向きに考えられるようになった。

細々(こまごま)とした事情自分の中の天秤にかけた結果が「同居」なのだが、それは自助グループ的にはあり得ない様子なのである

これがまた結構な人数で説得される。そうなると場としては同調せざるを得なくなってしまい、「確かにそうですね…」と言ってしまった。

これがまあまあなダメージで、自助グループに行く度に「同居絶対ダメ」と説得されるのだが、そのあと1~2日はもやもやして寝込んだり泣いたりしてしまった。

もともとメンタルの病で意志薄弱なところがあるのだが、私のことは私で決める、ということが少しずつ出来るようになってきたところだ。

そこに大人数の説得が来て、かなり混乱した。もしバックボーンが違えども混乱するのではないか、と思う。

また付け加えると、ミーティング中の発言に関しても多少の突っ込みを受けた。これでは「言いっぱなし聞きっぱなし」の意味がなく、傾聴とは言えないのではないだろうか。もやもやもやもや

~~~~~~~~~~

それで混乱したり寝込んだり涙したりしていたわけだが、その自助グループで「確かにそうですよね」等と言っていると、どんどん自助グループへの関与を勧められる。毎日どこかしらでやっているので、ほぼ無限に勧めることが可能なのだ

それで、その場の流れで「では、~曜日は~でやっている会に参加します」などと言ってしまった(本当は、要らないことは言わなければいいので、ここは私の落ち度と思う。)。

それで参加する宣言をしたわけだが、私の場合、しんどさは大体翌日~翌々日にやってくるので、その場は平気でも後々「あんなことを言ってしまったが、行かなければならないのか…死にたい…」という状態になる。

行く宣言をした自助グループの会を翌々日に控え、「死にた~い…」となっていたとき、前からかかっているカウンセラーの顔が浮かび、カウンセリング相談したらいいのではないかと考えた。

ここ数ヵ月希死念慮は無かったのに、こんなに死にたいのはまずい状況だ。しか意志薄弱傾向もあって、「自分で決められない、誰かに相談しないと落ち着かない…誰か背中を押してくれ…でも友達にも親にも話すのはやめた方がいいって言われたし…」等と、くどくど考えていたが、最終的に友人が背中を押してくれたので、すぐカウンセリングに行くことにした。

カウンセラーにつらさを話すと、まずつらさを肯定してくれた。もうこの時点で涙が出るほど安心した。

一通り打ち明けたところ、自助グループ役割や傾聴の意義について説明を受けた。また、傾聴が徹底されている自助グループもたくさんあり、自助グループが全部私の経験したような場所ではないことも教えてくれた。

心の底から、「このカウンセラーさんと繋がっていて良かった…」と思った。

結局、しんどかった自助グループとは距離を置くことにした。今は、カウンセラー医師相談しつつ生活を建て直し、また傾聴が機能している他の自助グループに参加してみる方向で動いている。

何故この文章を書いたかというと、「自助グループ しんどい」で検索すると、「自助グループ行きたくないというのは偏見があったり、病識がないからだ」「とりあえず継続して行った方がいい」といった記事が出てくるからだ。

自助グループしんどいとき、これらを見ると、更にしんどい。

その自助グループや、自助グループというもの自体否定する気持ちは全く無い。実際、それで助かっている人はたくさんいるからだ。継続して色々な場所の会に通えば、どこかしらで自分と合った環境が見つかることも考えられる。吐き出せる場所が見つかれば、問題を抱えた人にとっては大きな助けになる。

私も、「それはそう、でも私はこうする」という切り分けができれば、多分その(しんどかった)自助グループに通っていたと思う。また、そこはしんどくても、同じグループの他の会を探すとか、しんどくてもご飯の流れだけは断って自衛するとか、そういう手もあった。

でも、傾聴があまりよく機能していない自助グループに、病気持ちで意志薄弱の傾向がある人が行くと、調子を崩すこともある。

場の流れを崩す恐怖が強くて、うまく自衛ができない人もいる。

その場合は、カウンセラー医師相談してみてほしい。自助グループは、死にたくなってまで行くものではないと思う。また、そこまで病的に意志薄弱(または意志があってもそれを伝えるのが苦手)なのであれば、まず医療機関等を頼るのが最優先かと考えている。

あと、自助グループはたくさんあるので、「ここしかない」ということもない。その点も、医師カウンセラー相談して探してみてほしい。

(カウンセラーについても、無資格カウンセラーはたくさんいますが、臨床心理士さんのいるカウンセリングルームの方が安定感があるのでおすすめします。ライフハック

臨床心理士さんが居る相談機関を探せるホームページがあるので、リンクを張っておきます

http://www.jsccp.jp/near/rinsho/indexsch)

この記事にたどり着いた人が、無理せず、良き生活、良き自助グループライフを送れるように、祈っています

2022-07-04

物心つく前に子宮男性移植しましょう

ってどういう意味なん?

2022-06-30

anond:20220629234522

80代:戦前まれ戦争地獄見てる。

70代:戦中戦後まれ団塊世代。幼少期の貧困学生運動の敗北がトラウマ

60代:二度のオイルショック直撃するも、日本経済右肩上がりで割と楽観的。

50代:バブル世代。まともな人にとって浮かれた青春時代は割と黒歴史

40代:段階Jr氷河期世代バブル崩壊後の混乱を目の当たりにしてニート化。

30代:ゆとりさとりミレニアル世代物心ついた時からずっと不景気

結局それぞれの地獄があるってことで…

正直、ファストファッションとかニトリとかジェネリック家電とかで、

貧困層と言われている人達生活レベルは相当高い。

昔は団地が憧れの住まいだったんだよな。

2022-06-29

ていうか赤ちゃんって気持ち悪くない…?

物心ついてからずっと謎なんだけど、赤ちゃんって気持ち悪くない?

ひとりの人間だし守るべき大事にすべき存在だっていうのには大いに共感するし、共に暮らしてたら愛おしくなるのはわかるんだけど、それ以前の赤ちゃんという概念の持つ見た目や行動や存在自体は率直に気持ち悪いと思う

人間なのに意思疎通ができないし、見た目が気持ち悪い

でも世間的には赤ちゃんはみんなかわいいってことになってる

何なら気になってこの世の何割くらいの人がかわいいと思ってるのかのアンケートとかを検索しようとしても見つからいくらいにはかわいいのは既定路線らしい

無論、ひとの赤ちゃんと会うときかわいいね〜って言うし、気持ち悪さを上回って一個人として大事にしようとは思うんだけど、本音はやっぱ気持ち悪い

みなさんどうなんだろ

2022-06-26

離婚相手のことを子供にどう説明するか

子供物心つく前に離婚した。面会交流はないので、子供離婚相手認識してない。

今のところ、子供は片親であることを質問してきてはいないが、聞かれた時にどう説明するか悩んでる。

基本的には「合わなかったので離婚した」という程度に留めておいて、子供がある程度大きくなって子供から聞かれるまでは(高校生くらいか?)詳細は説明しないでおこうと思ってる。

が、自分の親(子供から見たら祖父母)は離婚相手の悪行を事細かに説明すると息巻いている。離婚相手子供接触していた時に悪い奴だと分かっていないと引き摺り込まれ懸念があるからだと言う。

かに離婚相手自分努力せず、人に寄生して生きていこうとするタイプだったのでその懸念分からんでもない。

ただ、自分も小さい頃に親から祖父母悪口を聞かされてきてすごく嫌だったので、子供が小さいうちは離婚相手悪口を聞かせたくない。その血が自分にも流れているわけで、大袈裟に言えばアイデンティティに関わることだと思うからだ。

自分の親にはそう言ってるのだが、言うと余計に怒り出すので手をつけられない。

片親な分、親戚が少ないので、子供にとっての祖父母との交流は維持したいが、このままなら難しいかもしれない。

実際どうしたらいいんだろう?親が離婚した家っていない方の親のことはどう説明してる?子供立場からこう説明してもらえると良かったとか教えてもらえると嬉しい。

anond:20220625194208

優生学は「人類遺伝的素質を改善することを目的とし,悪質の遺伝的形質を淘汰し,優良なものを保存することを研究する学問」なのでこの議論には全く関係ないです。

人間を”何らかの基準”で選別して殺すことを全部優生学とするのは誤用なので言葉の使い方にもっと気をつけましょう。

”何らかの基準”に遺伝的素質の優劣が入った時だけ優生学と言う事ができます

元増田は”何らかの基準”として物心がついているか否かを挙げていますので優生学ではありません。

2022-06-25

赤ん坊人権>>胎児人権 なの謎すぎる(追記!)

俺が言いたいのは、胎児人権を大切にしろ!ってことではなく、むしろ逆なんすよ

赤ん坊もぶち殺しまくっていいだろ なぜなら実質自我なんてないようなものから」 

ってことなんすよ

だってそうじゃん

赤ん坊のころの自分に、まったく連続性感じねえよ あの辺って助走期間みたいなもので、つまりは胎内にいたときと大差ないじゃん

でも、世の中ってよくわかんねーじゃん

3ヶ月の赤ん坊を藪に捨てて死なせたりしたら非難轟々じゃんわりと

なぜなんだ

中絶するのと本質的に変わんなくねえか?

中絶禁止法にブチギレつつ、赤ん坊の命は大切にしたい人たち、どういう思考なんだ

どこでどんな線引きしてんだよ

俺は、「物心ついている」と言えるくらいの賢さがある存在しか人権を認めたくないという思想を持っているので、実際2歳児とかもぜんぜん「中絶」していいと思ってる

ですから思想一貫性があるんだ

中絶OK赤ん坊が死んでもどうでもいい、牛や豚やタコを食いまくってOK

皆さんはどうなんだよ

中絶OK、でも赤ん坊は宝物だから守らないといけない(法的に中絶NGになった瞬間に宝物化するのか?)、牛や豚やタコは食いまくってOK(赤ん坊より賢いのに?!)

 

わかんねえんですよね

胎児人権存在しないか存在したとしても母親の快不快より下なんでしょ

でも、生まれた瞬間に、フルスペック人権に変貌するんでしょ

なぜなんだ

いやまあ、法的には、それがいいと思うよ実際

一番線引きしやすいしね

でも、ここでしたいのは、内心の話なんだよな

皆さんは、心から、「こどもは、法的に中絶をしたらダメになった瞬間/出生の瞬間から守るべき存在になる!」と思っているのか?

俺は思ってないんだよお

 

ーーー

こういう露悪的な増田を書き散らしてほぼスルーされるっていうのはいガス抜きになるんだけど、ヘタにブクマが伸びたりすると、慮外ストレスに晒されてしまい、一方で承認欲求が満たされてやや気持ちいい感じもしてしまうため、クセになっちゃう!と一瞬思わなくもないが、でもこんなクソみたいなエントリいくらどうなったところで、俺が誰にどう承認されたってことになるんじゃボケという話もあり、つまり、最悪

最悪です 最悪の増田体験なんだ

この形の最悪増田体験、もう10回くらいになる気がするんだけど、ホントにやめたほうがいいと思っていて、じゃあどうやってやめるのか?っていうと、これがわからない

実のところ、露悪的な増田を書いてスルーされるのは良いんですよ 普段考えてることに、ムダに下劣ニュアンスを加えて、適当に文を書いて、送信して、何かを発散して、それで終わり

後で読み返してうわー恥ずかしい!と思って消したりもする まだ健全なんだ

なぜ健全じゃなくなるのか?というと、これは、ブクマカの皆さんが悪い

きさまらが戦いを好むばっかりに、戦場にできそうっていうだけで、こういうウンコみたいな、中身のない、中学生が書いたような、糞エントリブックマークをつけるのが悪い

だいたい、ブックマークですよこれ

お前いいのかよ

今お前の栞にウンコがついたんだぞ

ウンコでできた本に栞を挟むな お前の栞にウンコがつくから

俺は休みの日には早く目が覚めてしまって、そのあと全然眠れなくなるんですよ

そういう、ちょっと寝不足状態で書いた、自分で読み返しても何言ってるかわかんない、糞エントリ中の糞エントリなんだこれは

やめろやめろ〜!糞エントリ放置しろ

もっとこう、いい記事ブクマしてくださいよ

 

実際のところ、俺は法的には現行の中絶制度全然文句はなくて、内心の話がしたかったんだと思う

結局は「皆さんの心の中にある、中絶子供の命関係の線引きってどんなもんなんですか?」っていうのを純粋に聞きたかっただけなんですよ

 

あとね、中絶要件の話、これは白状するが、全然知らん

22週?とか、どっかに区切りがあって、そこを過ぎると手術NGになるっていうのはさすがに知ってる

それより前なら無条件に中絶できるわけではないぞ、というのも何かで見た気はするんだけど、なんかそれって建前で、実質は時期さえOKならなんでもOKだと思ってたわ 配偶者同意とかを抜きにすれば…

そうでもないもんなの?実際

裕福で健康で、あきらかに大丈夫やろ!って感じだったら、いくら嫌でも中絶できなかったりするもんなのか?

という点に関しては、これから調べますありがとう

 

実際土曜朝からエントリ書いて、糞ブクマがビチャビチャついて、皆さんは糞エントリを見ないといけない、俺は自分の糞エントリと向き合わないといけない、本当にダメですよ

トイレが詰まってウンコが逆流してきたようなもの

さっきからウンコの喩えしか出てこねえな ダメなんですよ俺は ダメなんだ

というわけで、俺はファイアーエムブレム無双 風花雪月に戻らせていただきます

みなさんも、ファイアーエムブレム無双 風花雪月をやったり、The Boysシーズン3を観たり、そういうことに時間を使ったほうがまだマシだと思う 

2022-06-23

野原ひまわり 小学3年生

兄が死んだ。

とは言っても5年前の事だ。

私の物心がつく前の事で、あまりよく憶えてはいない。

母が言うには凄く“ 特徴的な子 ”であったらしい。

母と一緒に出かけた時、道で兄と同じ幼稚園だった親子とたまに会う。

母は髪を横に分けている男の子に話しかけ、兄との思い出を話すが、その子はいつも困ったように笑う。

たぶん記憶が薄れていて、よく憶えてはいないのだろう。

それを見て、母も寂しそうに笑う。

2022-06-22

人生がよくわからなくなってしまった話1

色々あってもう死ぬか!ってなった時に、自分の出生について知らない部分があったため

出生の経緯を知る数名に「教えなきゃもう死ぬぞ!」と脅迫したら思ってもなかった真実が語られて

死ぬ気は失せたけど生きる気力も湧かないふにゃんふにゃん状態になってしまった話。

この出来事は数年前のことなんだけど、カウンセリングに行ったり投薬治療したりしても

ふにゃんふにゃん状態から抜け出せず漠然と生きていることが辛いのでここに書き出していく。

数年経った今でも、気持ちがぐちゃぐちゃで整理できない状態なので、途中気持ちが爆発して読みにくいかもしれない。あと長い。スマソ。

死にたくなるまで(1)

これは私の家庭に深く関わる話なので家族構成と生い立ちから話したい。

物心ついた時から、母はとにかく厳しくて、私はだらしない人間だった。

何事も白黒はっきりつけなきゃ気が済まない性分の母と自分気持ちを優先する自己中な私はとにかく喧嘩が絶えなかった。

父は私が生まれる前に亡くなり、母1人子1人フルタイムで働く母は、仕事育児の両立で忙殺していた。

なんらかの事情で幼い頃は引っ越しを繰り返し、1年以上同じ場所に定着できたのは小学校低学年の頃だった。

我が家には叔母や祖母といった家族交流はなく、私は預かり保育の常連だった、でも似たような家庭の子がたくさんいたので寂しくはなかった。

幼稚園の頃、母が急病で即入院となってしまい母の友人宅に数ヶ月お世話になったのだが、そこで私は苦労の多い母と可哀想な子という扱いを受けた。

私は父がいないこと、母以外の親族との交流がないことで多少寂しさは感じることはあったが、そこまで可哀想だと自分では思ってなかった。

だけど、この時からなんとなく違和感を感じるような出来事が何度かあり、ただその正体に気づくことも探ることもなくすくすく育っていった。

とにかく自己中な私は、母を怒らせることが多く、1度言っても聞かないため罰として布団叩きで叩かれたりビンタされたり大事な物を壊されたりした。

でもこれは言って理解しない私が悪いので、当然のことだった。母は私を「お前は人間ではない。早く猿から人になれ」と言った。これは口癖だった。

いつからかはもうわからないけど、たくさん怒られて、痛みと恐怖でなんで怒られているのか何を反省しなければならないのかわからなくなっていった。

とにかく殴られたくない、怖い思いか解放されたい一心で謝った、何が悪いかわからず謝っていたので、その場しのぎで嘘の謝罪意味はないと、さらに叱られ続けた。

これは大学生になっても続き、私が人間になれることはなかった。

幼少期、特に印象に残る出来事が起こった。

母は用事が多く1人で過ごすことが多かった。そんな時は児童向け施設でよく遊んでいた。

広場にある時計を見て、◯時まで遊んでいいよと言われ、その時間になったら母が迎えに来ていた。

ある日、そこで知り合った同い年くらいの子と仲良くなり、一緒にイベントに参加しないかと言われた。

だけどそのイベントは母との約束時間を過ぎてしまもので、母の許可なく参加することはできなかった。

の子母親が、私の母が広場に来たら声をかけてあげるから遊んでおいでと言ってくれたため、どうしても遊びたかった私はその言葉に甘えてイベントに参加した。

イベントが始まり、これまでやったことのない遊びに心から楽しみ大興奮したことを今でも覚えている。なんでこんな楽しい遊びを知らなかったんだろうと思った。

そのイベントの途中、怒鳴り声をあげてイベント会場に入ってきた大人がいた。母だった。

友人の母親とおそらく施設スタッフに止められながらも、母は私の髪を引っ張って会場を後にした。

帰宅後、私がしてしまった行為いかに愚かなものか叱責された。

普段は2、3回殴られる程度で済むのだが、今回ばかりは罪の重さから日食事抜きで母は家から出たまま帰ってこなかった。

母が帰ってこなくなって2日目、痛みと空腹で私の気持ちはぐちゃぐちゃだった。

約束を破ってまで遊んでしまたことへの罪悪感とそれでも楽しかたこと、遊びたかたことと色んな気持ちでいっぱいだった。

母に強く言われたのが、もし友人と母親悪人だったらどうするつもりだったのか、誘拐されるリスクがあるのになぜ他人を信用したのかと。

私は友人とその母親悪人だったらという話にすごく腹を立てていた。なぜなら2人は優しくて、誘拐なんてされなかったかである

そんな怒りと罪悪感とでぐちゃぐちゃになっていた時に、一本の電話が入った。

普段、私が電話に出ることは禁止されていたが人と喋りたかった私はまたしても約束を破りその電話をとった。

電話をかけてきたのは、母の友人を名乗る教師だった。

母に用事があった教師は、泣きじゃくる私の声を不思議がり「何があったかゆっくり話してごらん」と言ってくれた。

私はこれまでの出来事と痛みと空腹で辛いこと、もっと遊びたかたこと、友人とその母親を悪く言われて腹が立ったことと思っていた全てを伝えた。

要領を得ない私の話を黙って聞いていた教師は話終わってなく私にこう言った。

「よくわかったよ。辛かったね。お母さんと話してみるね。」

私はその教師にお礼をいい、電話を切った。

次の日、眠っていたら水をかけられ起こされた。

怒り心頭の母が目の前に立っていた。

教師から連絡があったと母が言った。

「お前は反省していないようだな」と言われた。

教師から、私が電話に出たこと、電話口でとにかく自分可哀想だと自分のことしか話さず全く反省していなかったことを伝えられたらしい。

どうしてお前はここまでしてもまだわからないのか、申し訳ないと思わないのかとさらに殴られた。

お前なんて産むべきじゃなかったと言われ、今回のことから自分が徹底的に悪であるということを言われ続けた。

約束を破ったのだから、当然である

殴られたり食事を抜かれる理由を作ったのは自分である

他人を信用しないのは、常識である

この出来事電話きっかけに私は常に自分が悪い、自分の非から話させなければならないと強く思うようになった。

長くなったので一旦区切りまする。

反応あれば続き書きます

2022-06-21

anond:20220621004630

他人同士が理想的関係性を築けるというある種の幻想フィクション起源で身につくものだと思う。

フィクションフィクションか〜。

俺は普通にマンガだのゲームだののフィクションにまみれて育ったけどね。

個人的な予想としては、自己肯定感を育むのに重要と昨今言われる「幼少期の無条件の全肯定」が起源なんじゃないかと思うんだよな。

俺はそういうの無かったから、無条件で全肯定されて育った人の感覚想像しているだけなんだけど。

恋愛なんかはその最たる例だろう。

普通に恋愛結婚しているんだけどね。

からといって妻が無条件で自分理想像と同じ方向を向いたりそれを実現したりしてくれるとは全然思っていない。

妻にも特に何も期待していない、のかもしれない。俺の感覚としてはもちろんそんなことはないんだけど、世間一般的にはそういうことになるのかもしれない。

でもそれだとモラルを身につけるのも難しくないか

それがモラルに結びつく感覚全然想像できないな。

一応、仕事なんかではモラリストというか真っ当な人格という評価をもらうことが多い。

物心ついたときからそうだったというよりは、自分でずっと考え続けた(誰も教えてくれないか自分で考えるしかなかった)結果そうなったという感じなので、考えすぎて何かが壊れた結果普通の人におけるモラルと「期待」の相互関係が切れたのかもしれないとも思う。

2022-06-20

女は若ければ需要がある、っていうけれど

実際には多くの女は十代どころか小学校にも入らないうちから自分容姿で格付けを思い知らされて自信を失う訳なんだが…

若くてもブスには需要がないですよ

実際物心つかない赤ちゃんのうちから可愛い子とそうでない子とでは扱いが違うしな

(確かエビちゃんの子供とかが赤ん坊の時からめっちゃちやほやされていた)

2022-06-19

オタクをしてた頃に戻りたい

物心ついた頃から本や漫画映画が大好きで、絵を描くことも好きで、同人活動もしていた。オタク友達も沢山できて、ジャンルが違ってもお互いの推しの話をしたり毎日話が尽きなかった。社会人になってからも、よれよれで帰ってきてからきつい!と言いながらも楽しく原稿を描いて本を出して、休みの日にはライブ舞台に行ったり、それはそれは毎日忙しくて楽しくて楽しくてしょうがなかった!

オタクをやめるなんて考えられないし、仕事もまあ嫌な時はあるけどオンオフ精力的にずっとやっていけると思ってた。

思ってたんだけどな。

数年前大事家族を亡くしたこときっかけか、一切興味を持てなくなった。なんとか立ち直ったが、そこから仕事人間関係トラブル続きで。

なんとか気を紛らわそうと色々漫画を読んだり映画を観たりしたんだけど、不思議なことに全く、何も感じない。オタク登場人物名前を覚えないなんてことあるか?一切頭に入ってこないというか、右から左へって感じだ。

前のような絵を描くぞ!という気力も全く湧かず、あれ?元々気持ちの切り替えが上手い方だったのに…みたいな焦りがあり、休日は寝てるだけになった。

友達相談したけど、原稿やオタ活が忙しいんだろう、だんだん自分には声がかからなくなり、自分抜きで盛り上がっていることにまた落ち込む。

みんなが原稿をしながら通話してるのを見てまた落ち込む。

オタクなんて所詮趣味の付き合いでしかなかったんだよな。オタク友達は素晴らしいけど、オタクの付き合いばかりしてきたため気づけばそれ以外の交友が皆無だった。

社会人運動サークルに参加してみたり職場の人と飲みに行ったりしてみたけど、それぞれ恋人がいたりもっと仲のいい親友がいたりして、なんでも話せるオタク友達ほど深い付き合いができない。

オタクをしてた頃は本当に良かった。休日が来るたび、今週も何もできなかったと落ち込み焦り、へこんで月曜日を迎えることが虚しくてしょうがない。

オタクってマジで素晴らしいと思う。生きる糧だったんだな…まさか自分オタクをやめるなんて考えもしなかった。いつかまた絵を描きたいし、ライブ舞台情熱を燃やしたい。そんなふうに考えながらもう数年経つ。

オタクのみんな、オタク友達以外の付き合いもある程度大事にしたほうがいいぞ。あとその情熱は本当に素晴らしいものから、何かにハマれるうちは全力で楽しんでほしい。

オタクをやめた人、どうやって過ごしていますか?またオタクに戻ってこれることってあるんだろうか。

あー。また週末何もできずに月曜日が来る…

日本人マスク好きなんて話はコロナ以前から毎冬のニュースやらで言ってたじゃないですか

いまさら知ったようなコメントを残してる人って、よほど世間情報入力していなかったのですな

ニブチンだなあ

まあ、年齢が3歳くらいで物心ついた直後って可能性もありますかね?

2022-06-17

STORYの表紙を見てちょっと泣いた

子供数学の成績よりも着たいワンピのこと考えたい!」

こう表紙にデカデカと書かれたSTORY2022年7月号が色んな意味話題になっていた。

https://storyweb.jp/story/219415/

「女を馬鹿にしてるのか?」「アホなママ」「こんな親を持つ子供はかわいそう」と否定的意見ほとんどだったけど、私は「母がこんな風でいてくれたらうちの家族はどんなに幸せだっただろう」と思った。

うちの父は医師で母は高卒喫茶店店員だった。

父方の祖母は「うちの息子にはもっとふさわしい人がいる」と反対したが、父は親に初めて反抗して押し切って結婚した。

そして私が生まれたけど、祖母は「◯◯(私)の頭が悪ければお前の遺伝子だ。お前は子供を不幸にする」とずっといびっていた。物心ついたばかりの私が既に分かるくらいには。

父も祖母にあまり逆らえなかった(今思えば父も被虐待児だったんだろう)ので、プレッシャーにまみれた教育パパママと化した両親に強制されて私は小学校受験中学受験体験した。

小受の記憶ぶっちゃけあんまりないけど、中受は本当に地獄だった。

第一希望偏差値65程度で、大したことないと思う人もいるかもしれないけど、落ちたらいったい両親はどうなってしまうんだろうと考えながらする勉強は辛かった。

何より大好きな両親が祖母罵倒されたり殴られたりするのが嫌だったので頑張ったけど、受験当日は不安で眠れなかった。

受験間中ずっと母がピリピリしていて、でも私が辛い顔をしているのが見るのも辛い、なんで私はこんなことしてるんだろうっていう顔をずっとしていたのでそれも辛かった。

母は私の勉強を頑張ってサポートするだけでなく、祖母にやいのやいの言われて仕事しながら3食めちゃくちゃしっかり作っていた。3時就寝5時起床とかだったと思う。

弁当マックケンタッキーでうちのマママジ適当wって言ってる子供、点数の低いテスト用紙を見て爆笑してる親子が羨ましくて羨ましくて仕方なかった。

結局合格し、大学就職も順調にいき、私が成人したころ父は祖母と縁を切ったのでそれ以降は平和だった。

当時は全員ボロボロになったけど両親との関係は良好で、特に母とはまあまあな頻度で温泉に行ったり買い物に行ったりする。

一緒にゆっくりつかって上がって二人で横並びでドライヤーをしている時、横を向くと母が笑顔で「幸せだね〜」と嬉しそうに言うので安堵で泣きそうになる。

というか中読んでないから分からないけど、表紙のママはしっっっかり子育てしていてプレッシャー毎日押し潰されそうで、ワンピのこと考えたい(キラキラ)ではなくどっちかというとワンピのこと…考えたい…(げっそり)だと想像する

色々批判されてるけど、「そう考えてもいいのかな」と思えて少しでも救われるママがいればいいんじゃないだろうか。

2022-06-15

大人だけど昨日うんこ漏らした

焼肉ドカ食い酒ドカ飲みした後にカラオケ1時間だけ行って冷房寒い中でまた酒を飲み、腹が痛くなったので駅でトイレ行って緩いうんこをまあまあ出した。電車が2分後だったので残うん感はあるものの「まあ行けるだろう」と思い、早く帰ることを優先して電車に乗り、途中また腹が痛くなり最寄駅でもトイレに行った。めちゃくちゃ臭くてゆるいうんこがたくさん出た。

帰宅後、体中から焼き肉臭がしていたので何よりも先に風呂に入り、風呂を出て、身体を拭いてパンツだけ履いて顔に化粧水を叩きつけている時だった。

お腹痛え〜!!

お腹丸出しだから温めたら我慢できるかな、と思って服を着ようとした。ていうか電車乗る前に駅で出したし言うて我慢できるでしょ。物心ついてから人生うんこ漏らしたこととか一度もないし肛門括約筋のこと信頼してるし。

とか余裕ぶっこいていたら、マジでその瞬間どこにどんなふうに力を入れていたとかの記憶全然ないんだけどパンツの中にむにゅって何かが生まれた。

おいおいお〜い!!!

服を放り投げて急いで気と肛門を引き締めて裸足でトイレに駆け込んでパンツを下ろしたんだけど、普通にトイレする感覚でずりって下ろしたらパンツぺろって捲れるじゃん? あ、って思ったらもう遅くて、パンツの中に生まれてたものが、床を少しと、足元に置いてあったトイレ用の100均スリッパ(この時は急いでたので履いてない)の上にボトり……

😱

幸いパンツにはおりものシート貼ってたかパンツ自体は汚れてなかった。

とりあえず便器の中に出すものは出して、床はトイレクイックルで拭いた。スリッパは慎重につまんで、おりものシートと共に生理用品用のゴミ箱にセットしてあったビニール袋の中に入れて口を結び、さらにもう一重ビニール袋に入れて結び、ゴミ箱に入れた。パンツは汚れてはなかったけど洗濯機に入れて新しいやつ履いた。

かくして証拠隠滅

そういえば一年くらい前にも、記憶がなくなるほど飲んだ後に玄関口で鍵を開けながらおしっこ漏らした(翌朝起きたら玄関下半身の服が全部脱ぎ捨ててあってしばらく「なんだこれ?」って思って、そういえば夢の中で漏らしたような……いや夢じゃねえわってなって血の気が引いて靴と服全部捨てて寝具も全部洗った)し、マジ酒飲んだとき気をつけよ……

てか焼き肉の後のうんこ、マジくせ〜

一人暮らしでよかった〜

よくねえ〜

2022-06-07

仕事中に社用車内で上司に襲われた

我ながら情けない話だけど人生で誰かにモテ経験がなさ過ぎて、自分みたいな喪女相手でも穴さえあればそれでいいっていう猿がいる可能性を失念してたんだよね

元々ボディタッチ多いおっさんだったけど、営業職の体育会系ってこんなもんかなーくらいにしか思ってなかった、数か月前の自分アホすぎ

営業先で用事済ませていつも通り帰社するもんだとばっかり思ってたら全然知らん道走ってる、そん時もメシ連れてってくれんのかなーくらいにしか思ってなかった、助手席自分アホすぎ

人気もなーんもなくて雑草ぼーぼーのだだっぴろい市営駐車場ついて、隣が墓地だったから知り合いの墓参りか?とかまだのんきに考えてた、その時に限ってスカート履いてた自分アホすぎ

「そろそろいいよね?」の意味が分かんなくてしばらく間抜けにただへらへら笑ってたし、おっさんスカートの中に手突っ込んでくるまで本当に何も気付いてなかった

ユニクロで二枚セット980円のパンツをずり下ろされそうになった瞬間、恐怖より思考より何よりも先に「病気だけどいいですか?」って言ってた。今思うと意味わかんなくて草

おっさんは一瞬で固まって、「ビョウキ?」と初めて聞いた単語みたいにカタコトで言った。

私はようやく思考が戻ってきて、いやゴメン戻ってきてないかもしれない、何か聞かれるよりも先に「うれしい!私、性病持ちだからだれにも相手にしてもらえなくてずっと悩んでたんです」って前のめりで言った。おっさんスカートの中から手を引いた。

それからおっさんは私のほうを見ようともせずしっかりハンドル握って、「なんか今日暑いね、会社の方が涼しいかもね、アハハ」とか笑って、サイドブレーキをがちゃがちゃやってた。すごい慌てて、事故られても困るから、「運転代わりましょうか?」って言ったけど、今までにない優しい声で「いいよ、座ってなよ。疲れたでしょ」とか言われた。今日取引だっておっさんの隣に座ってただ笑って資料出し入れしてただけだけどな。

そのあと車内は無言のままどこにも寄らずに会社直行、車を停めた途端おっさんは「急ぎの会議があるから!」とあわただしく駆けて行った。走る背中に「車のキー返しときますよ」って言ったけど、無視された。

その日の定時すぎ、うしろデスクのお喋りデリカシー皆無男こと私の従兄弟が「おまえ病気持ちなの?」と聞いてきた。一日すら黙ってられんのかおっさんは。

病院行ったことないから知らない(※マジで健康体すぎて物心ついてから健康診断と予防接種以外一度も病院に行ったことない)」と言ったら、「てかヤったの?」と興味津々な様子で聞かれた。お前それが聞きたかっただけだろ。

デリカシー皆無男は放置して、定時前に約束をとりつけておいた上司(もちろんおっさんではない、おっさんより上の人)に事の顛末を報告…しようと思ったけど上手く言えなくて、「社用車ドライブレコーダーって車内の様子も分かるようになってますか?」みたいな意味わからんことしか聞けなかった。

優上司はある程度察してくれたらしく、「落ち着いたらでいいから、話せるときに話して」と言い、しばらく私の業務をひとりでもくもくとやる作業タコ部屋みたいなもん)にしてくれた。

タコ部屋作業に3日で飽きたので3日目の夕方時系列をまとめた文書優上司に報告した。優上司は一応社用車ドラレコ確認してくれたらしく、掠れた音声だけではあったが何が起きたかを察するのは容易だったかもしれない。

自分が明確に拒否していないので対応は難しいかな、と思ったけどあの日から2週間も経たないうちにおっさん営業から姿を消していた。

世の性病の人たち、勝手性病を利用して本当にごめんなさい。私は女がどういう性病にかかるかどうかすらよく知らない。

2022-06-06

anond:20220606011153

増田に近いパターン子供作らなかったんだけど、よく子供作る気になったなあと思う。

あーでも増田物心ついた頃から優秀で学校生活は上手くやってたのか。自分子供の頃はコミュ障落ちこぼれで(たぶんASDだと思う)いじめられたり勉強出来なさすぎて教師に呆れられたりで散々だったからなあ。最終的には高学歴になったけど。

きょうだい問題の末路

2人姉弟の姉。30代。2歳下弟は軽度知的障害手帳持ち。

正直自分幼児期から出来が良くて勉強もすごくできたけど、親、特に母親からは手放しに褒められた記憶なし。自分の子もの出来が良いことに喜ぶようなそぶりもなし。

どんなに良い成績を獲っても、一番ましな時で「あんたの100分の1でも○○(弟)ができたらね」と疲れた顔で言われた記憶しかない。悪い時は「成績が良いからって調子に乗るな」と言われる始末。

小さい頃から生意気だ」「育てにくい」「贅沢」「気が強い」「わがまま」と言われ続け、小学校高学年になった頃には反抗期で親との関係は悪かった。

ずっと成績は良かったけど、相変わらず良い成績を獲っても特に誉められず、常に「扱いづらい娘」という空気母親には出されていた。

あんたがいくら勉強できても、○○(弟)の方が優しいし、人間そっちの方が大事」みたいなことを何回か言われたこともある。

母親精神疾患持ちで、物心ついて以降少なくとも小学校の時、高校の時の2回長期入院

特に高校の時は反抗期で荒れていた自分のせいにされているような空気を感じていた。(実際の原因は職場にあったよう)

母親から妄想も入り混じって時には暴言吐かれたし、こちらも相当なことを言っていたと思う。

他の親が当たり前にやってくれる様々なことはやってくれず、他の親が関心を持ってくれること(成績とか)には全く興味がなく、ただただわがままわずにとにかく大人しくしといてくれ、としか思われていない感じがずっとしていて、辛かった。

弟の軽度知的障害母親精神疾患も恥ずかしかったし、障害の有無関係なく弟のことは人間的にあまり好きになれなかったし、今もなれていない。

そんな家族が嫌で早く出ていきたくて、勉強して良い大学に入って良い企業に入ってお金を稼いで家族とは物理的にも精神的にも距離を置けることを願っていた。

難関大学合格して高校卒業後は一人暮らし

離れてから母親との関係改善して、たまの里帰りは楽しくできるようになっていた。弟の存在はやっぱり嫌で、両親亡き後のことを考えると本当に気持ちが暗くなって、自分一人っ子だったらどんなによかったか、とよく思うようになった。

問題ばかりの家族で最悪な環境だったと思っていたけど、弟さえいなければ両親のことももっと好きになれたし、普通にまあまあ良い家族になれたんじゃないか、と何度となく夢想した。

数年前、結婚して子どもも出来た。

子どもが出来た時は弟のこともあり、遺伝カウンセリング胎児エコーなどできることはなんでもやった。

今のところ子どもは健常で、幼児期自分と同じように周りよりも発達が早くて賢くて自慢の子どもだ。

自分に似て気性が荒いところもあるけど、そこも含めて本当にかわいくてかわいくて仕方がない。

自分の子どもを育てるうち、自分には母親に手放しで可愛がられた記憶が一切ないけど、もしかすると弟が生まれるまでは自分もこんな風に愛されて可愛がられていたんじゃないか、と思い始めた。

かに自分子どもが2人いて、そのうちの1人は平均よりもずっと勉強ができるがもう1人は知的障害でごく普通人生さえ送れない、という状況だったら、どんなに平凡でも2人ともに「普通」であってほしい、と願うかもしれない、とも思った。

自分の子どもに障害があるかも、という状況でその不安を隠して上の子愛情いっぱいに育てられるようなキャパは確かに母親にはない。

でも、その場合の子存在って何なのか。

もし知的能力移譲可能世界であれば、私は弟に足して2で割った差分を譲るべきなのか。

私自身、私のアイデンティティはないのか。

幼児期の私の気持ちはどうなるのか。小学校の時の私は。中学高校の私は。

頑張っても親に褒められず喜ばれず、何をしても疎ましそうな顔で見られ、二言目には「贅沢」「わがまま」「上を見過ぎ」と言われる。

今、褒められないながらも勉強を頑張ったおかげで、社会的にはまあまあ成功している部類だと思う。子どもの頃散々親に言われた「贅沢」で「上を見過ぎ」な生活を送っている。

親は、そんな言葉をかつて娘に投げかけたことは綺麗さっぱり忘れ、高学歴社会的成功している娘家族を、昔からそうしてきたかのように褒め、出来の良い孫を褒め、手放しで可愛がっている。

ただ、今どうしても許せないことがある。

人並みの親孝行として両親を家族旅行に誘うと、当たり前のような顔で弟も連れてくる。

良い大人なので、連れてくるなとは言えない。

でも、小さい人間だと言われるかもしれないが、最悪だった家族環境努力して手に入れたこの私の幸せ家族に、両親は屈託なく参加し、そこに私が嫌っていることを間違いなく両親も知っている弟を平気な顔で毎回連れてくることが許せない。

弟が一人で留守番できないということはなく、両親が私の家に泊まるような時はさすがに連れてこない。

旅行ならいいだろう、と思っているのかもしれない。

上記のような気持ちを、隠して両親とは接している。

両親はあまり出来た人たちではないので、この気持ちをぶつけてもオロオロするだけだということはわかっている。

両親は両親でかわいそうな人たちだということもわかっている。

自分達には手に余る障害育児に苦しみ、上の子反抗期に苦しみ、自分や妻の精神疾患に苦しみ、という時期を経て今は子育て仕事も落ち着いて、孫も可愛くて、幸せそうにしている。

そこに水を差すのは心苦しい。

でも、幼児期からのこの自分の苦しみを、誰にも言わず自分だけの中にとどめておくのが辛い。

両親にぶつけたいと何度も思ったけど、もう老い始めているあの人たちから納得のいく弁明を聞けるとも思わない。

ただただ辛い。

旅行に弟が来なければ、ただの親孝行としてこちらも楽しめるのに、と思う。

これからも弟を連れてくるのなら、もう二度と行きたくないと毎回思う。

連れてこないでほしい、と言うことがどんなに大人気ないことかもわかっている。

どうしたらいいのかわからない。

2022-06-03

anond:20220603101430

息子が物心つく前なら存分に痴漢おじさんと音を上げるまでよんであげればいい

痴漢おじさん、ご飯冷蔵庫から出してたべてねー

痴漢おじさん、マッサージなら合法だよー

2022-05-29

anond:20220529221119

今別れると謎のおじさんになってしまうんだなあ。。

でも物心ついてから別れると子供を傷つけてしまうから、それよりはマシか

2022-05-26

平成なんちゃらかんチャラ

物心ついてからずっと平成だったか平成初期によく平成なんちゃらかんチャラって名前の奴あっても

意味わかんね〜って思ってたけど、令和なんちゃらかんチャラらとかも出てくると、新しいって意味名前平成をつけてたんだなーって思ったけど

別に令和なんちゃらかんチャラも新しいって感じしないし、普通にださいので、よくわからん

やっぱり平成なんちゃらかんチャラも、ださかったし、ノブシコブシとか意味わかんねーもんな。ノンスタイルが一番ダサいけど

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