はてなキーワード: 物心とは
はてなーの言うことを真に受けすぎないように
食べられるものが少ない奴は可哀想だけどそいつに付き合わなきゃいけない奴も可哀想だからな
ボクちんお野菜が食べられないのーお魚は骨があるからやなのー肉は脂身が気持ち悪いのーであれも食べないこれも食べない
ママの特別メニューしか食べられないから家族で外食に行けない、家族団らんで外出する思い出が作れない
きょうだいは好き嫌いがないのに食事メニューが制限されすぎて毎日ほぼ同じものばかり食べさせられる
友達や恋人の家で出された食べ物に手をつけなくて気まずい空気を作る
どうしても好き嫌いがあるにしてもお前仕様のメニューが出てくるのは親の献身と周囲の我慢によるものであって当たり前じゃないからなって物心ついた頃に叩き込んでほしい
「家族」なんだから、父の日、母の日、誕生日、勤労感謝の日、クリスマス、バレンタイン、敬老の日…には感謝を込めて何かを用意するのが当然だと言い含められていたから、そういうものか、と思って今まで特に疑問に思わずやってきた。
実家を出てからは、お中元やお歳暮、折々の仏前のお供えなんかも送ってきた。
家族の好みや世間の流行りも考えて何を送るか考えるのはそんなに苦ではなかった。
けど、感謝されるでもなし、そもそも5つ下の妹は何も用意したことないにも関らず特に親から何も言われてもいないのを知って、なんか家族のために心を砕くのも時間をとるのもお金をかけるのも馬鹿馬鹿しくなってしまった
そしたら、母親からしょっちゅう送られてくる「仕事やめて地元に帰らないか、帰らないならせめて結婚しないのか」というお小言も、父親から毎日のように送られてくるクソどうでもいい写真やクソ滑ってる親父構文も、ぜーんぶ相手するの嫌になっちゃったー!あははー!
物心ついた時から、いや、思春期くらいからうっすら希死念慮を抱いている。
それは三十代も真ん中になった今でも変わらずで、ちょっとした心身の不調の時に姿を表す。
いや、心身に不調がない時でもうっすら希死念慮が消えないでいる。
嬉しいことやいい事があった時も、家族と上手くいってる時も、ペットが可愛い時でも、うっすら死にたいのだ。
私ももう少女ではないのでそういう感情の御し方は分かっているはずなんだが、それでも本当に死んでもいいなぁと思うことがあって。
死んでもいいけど、死ぬのは怖いなとか、死んだ後の世界が見れないのは嫌だな、家族やペットの事が気になるな、とかで積極的に死のうとはしない。
いや、嘘だ。
それなりに死へのアプローチ(実行)はしていた。
そして、今も消えない希死念慮を抱いて持て余して辛くて消えてしまいたいな、でも死ぬのは怖いなと考えているのである。
でも、皆そういうものなんだろうね。辛いのが私だけということは絶対にない。
生きてるだけで丸儲けらしいから。
昨夜、遺書を書いていた。
本気で死ぬための遺書じゃない。遺書を書いてみるとすっきりして生きられるというのを期待して書いていたのだ。
遺書を書いてみるといろいろなことを考える。
思えば物心ついたころからずっと死にたいと思って生きてきた気がする。
あの頃はなぜ死にたいのかが明確で、そう思わせるものからは逃げるようにして生きてきた。
私はお金に困っているわけじゃない。結婚し子どももいて、家族関係は良好だと思う。少ないが友達もいるし、趣味だって多趣味な方だ。
そうしたものを手に入れてきて、自分が不幸だと思っているわけじゃない。
もうどうしたらいいのか分からない。
助けてください、助けてください。
そう思った。
そうだ、私は生きていたいのだ。生きるための遺書を書いたのも、生きていたいからだ。
生きているうちに神様のところに行くには、宗教を信じるしかない。
私は宗教に頼って生きていくのはある種の思考停止だと考えていた。でも、分かった。思考停止でいいのだ。
宗教は、自分の考えで生きようとすると生きていられない人のためにあるのだ。
だから、自分で考えるのをやめて、心を神様にささげて、その代わりに生きていけるようになるのだと思う。
遺書を書きながらそこまで気づいて、近場にある教会の宗派を調べて昨夜はパソコンを閉じた。
でも、本当は生きていたいってことが分かっただけでも、遺書を書いてみてよかったと思う。
母方の祖母が亡くなって6年になる。
祖母は聖人君子ではなかったが、なぜか昔から人に好かれる性質のようで、私が物心ついてからの記憶でも、近所の人に好かれていた。
しかし、祖母は癌を患っていよいよといったときに「私が死んでも誰にも言わないでね」と願った。
実際のところ、祖母は「周りの人」などどうでもよかった(何なら面倒だった)のだ。
私たちはその通りにした。
Sさんは、私の母より少し年上くらいの年齢で、祖母が若い頃(3,40代か))からの付き合いらしい。
Sさんは祖母が死んでいたことに大変なショックを受け、これまで別に、祖母の家に毎年来ていたわけでもないのに、
「私の目の黒いうちは来るわ」などといって。
だから毎年、祖母の命日はSさんのもてなしに時間を割かれて、最悪だ。
家族のだれも、祖母を手放したくなくて、未だに骨壺をリビングに置いているが、Sさんが来る日は、祖母を別の部屋に隠す。
Sさんはただおしゃべりに来る。
「最近のお菓子はどこもおいしくないわよね」といって、私たちが前日から準備したメジャーなメーカーのケーキに手も付けない。
いい年こいて、人に言えない関係の男に私の家まで迎えに来させる。
その男は、祖母の命日だというのに、自分の母親の話を私たちに自慢する。
数々の無礼に、気疲れに、前後合わせて一週間無駄にさせられている。
私は祖母のことを考えない日がないから、祖母の命日を覚えてないのに、「Sさんが来る日」として覚える。
最悪。最悪過ぎる。
いつまでくるんだ、Sさん
別に祖母は、あんたのこと好きじゃなかったし、なんなら馬鹿にしてたよ
七回忌を機に断るように母や叔母に言ったこともあるが、
物心ついた時からセックス、および女性器のことがこわくて仕方がないのだが、最近身体に実害が出るようになってきて困っている。
日常生活の中、様々なきっかけから”セックス”のことを意識する時、下腹がめしょっと凹んだような感覚に襲われ、激しく緊張してしまう。
なんだろうな、背中の肉とお腹の肉がぎゅんと内側に引っ張られ、まるで腹の中が真空状態になったような心地がして、内臓が全て体外にこぼれ落ちていくような錯覚に襲われる。
夜布団の中でこの状態になると堪ったものではなく、内臓がこぼれないようにずり…ずり…と這いだし、上体を起こして動悸を落ち着かせる。
得体のしれない怖気が全身を走り回り、特に両手には全く力が入らなくなってしまい(小刻みに震える感じ)、1分程度じっとしていると落ち着く。
そもそもセックスという行為のことが本当に理解しがたく、身体に空いた肉の穴の中に同じく身体の肉を突っ込むなど端的に言って正気の沙汰ではない(個人的な意見です)。
性嫌悪とかではなく、純粋にこわい。絶対痛いと思うし、異物感半端ないだろう。身体の中だよ!?なぜ皆それを憧れの対象にできるのか本当に不思議で仕方ない。
仮に自分が男性だったとしても女性器…肉の穴…のグロテスクさにウッ…となってそんな得体のしれないものの中に自分の身体を入れようとはならないと思う。
当然セックスもしたことはなく、一生しなくていいしさっさと子宮をとってしまいたいな…と思ってはいるのだけど、「子宮摘出」と検索欄に打っただけでまた内臓がぎゅん…となる気持ち悪さに襲われ、サイトにすらたどり着けない。うう………………
まぁこんなのただのお気持ちの話なので数年放置していたんだけど、最近は内蔵ぎゅん!冷や汗だらだら!の状態に襲われることが少しずつ多くなってきて(特に寝る前)、安眠のためにも病院に行ってみた方がいいのかなあと思っている。
しかし行くとしてもどこに行けばいいのか...?心療内科なのか産婦人科なのか..........
世の中のほぼ全ての人はこのような悩みを抱えていないというのはやはり、自分にとって未だに信じられないことではある。
あまりに馬鹿らしい話だから誰かに話したことはなかったんだけど、俺には物心ついたときから未来の記憶がある。あまり鮮明な記憶ではない
その記憶はどこかの店のトイレの鏡で自分を見て、すっかり老けたなと感じるところから始まる。そのまま少し物思いにふけったあと、トイレを出て席に戻るとそこには女性がいて(顔は思い出せない)、女性は俺に「終わったの」と問いかける。俺はなんのことを言っているのかわからず困惑するが、たしかに終わったのだと感じ即座に理解に至らなかった自分を恥じながら女性に「終わったよ」と返答をする。もちろんトイレの話ではない。トイレの話ではないが何の話かはわからない。女性は「そう」とだけ返事をして席を立ち二度と帰ってこない。俺はそのまま遅れてやってきた終わったんだいう実感に打ちひしがれながら席を立てずにその記憶は終わる。
この記憶が意味することは今でも俺にもわからない。でもなんとなくその時が少しずつ近づいているような気がする。すぐではないし数年後というほど近くもないが、たしかにその記憶の時が少しずつ近付いてきているという実感と不安が時折よぎるようになってきた。もうすぐ何かが終わる。
私は物心ついてから少し前まで、ずっとジャニーズが嫌いだった。やたらとテレビに出てくるし。あと何よりもジャニーズのファンが嫌いだった。
悪評は広まりやすいもので、ジャニーズを知らない世界にいてもジャニオタの悪い話は沢山耳に入る。出待ちだの、メンバー見たさに迷惑かけて新幹線を止めるだの。パーナさん事件なんかも当時めちゃくちゃ引いた。ファンの素行が悪すぎてツアーが無くなったグループの話も知っている。
個人的に嫌いなのは、例えばメンバーで熱愛が発覚した際のファンの反応である。女性アイドルや声優業界ではタレント本人のことを一定のファンが責めるのに対して、ジャニーズはタレント本人ではなく相手の女性のことを激しく非難するイメージがある。(正直私はアイドルの恋愛に関しては隠していれば良いと思っているので、本人を責める気もない。複数の人間と遊んでいるより、特定の1人とお付き合いをしている方が遥かに健全だと思う。)ここが本当に怖いと感じている。何故相手の女性だけが執拗に責められなければいけないのか?隠しているのはメンバーだって同じなのに。
あとは熱愛ではないが共演した女性に対しても文句を言う人が多いイメージがある。ただ仕事で共演しただけなのに失礼にも程がある。
最近になって私はとあるグループのファンになった。読むうちにわかると思うが、念のため名前は伏せておく。
初めのうちは自分が持っていたイメージと違って穏やかな界隈だなと感じていた。しかし少し前のシングルで珍しくソロパートが大きく偏った際に不満が続出していた。気持ちは分かるが、その言葉遣いはなくないか?と思った。別の界隈で何度も不公平を目にしていた身なので、このグループはありとあらゆる面で驚くほど平等なのに、なんて贅沢なんだとも思った。
また最近ではテレビ番組で一般の学生と絡む企画に対して文句を言う人が一定数いた。これが本当に嫌だった。嫉妬からくる発言なのだろうが、学生さんたちはサプライズでメンバーが来ることを全く知らなかったから声をあげるのも仕方ないだろう。私としてはメンバーが世間に認知されていて、若い子たちにも浸透していると言う事実が嬉しい。
だがしかし、やはり一定数は一般人であろうと、メンバーと一回りも歳の離れた学生さんであろうと文句を言う人がいるのである。非常に悲しいし腹立たしい。相手は青春を努力に捧げている普通の一般の学生さん。何を心配して文句を言うのか?金も払わずに会えるなんてズルい!と言う気持ちなのだろうが、そんなの学生さんからしたら言われても困るだろう。あちらは知らなかったのだから。キャーキャー言うことに対してはコロナ禍じゃなければなかった声なのかなとも思う。でも黄色い声がないというはいささかシュールというか、寂しいと思うのだが。
何よりメンバーがやりたいと望んだ企画に対して文句を言うのは、メンバーに対しても失礼である。コロナ禍で思うようなことが出来ず、やっと叶った企画だろうに。嫌なら何も言わずに見なければいい。反応が少なければ自然と企画もなくなるかもしれない。
番組の方向性が変わると言うのも、イレギュラーな状況から始まっているのだから変わるに決まっているのに。文句があるならTwitterで口汚く愚痴るのではなく、丁寧な文章で番組にお便りを送るべき。その攻撃的なツイートのせいでファンが怖いと感じる人もいるのに気づいてほしい。
ジャニーズが世間一般からなんとなく嫌煙されているのは露出の多さもあるが、半分くらいはファンのマナーの悪さにも問題があると思う。私だってこれまでジャニーズを毛嫌いしてきたのはマナーのせいだ。
メンバーのメディアへの露出の多さについては、それだけ事務所がしっかり関係各所に宣伝しているからなんだなと実感した。現に別界隈では事務所が全く宣伝しないせいで、実力はあるし芸能界隈に多くのファンを抱えていたメンバーがいたにもかかわらず、年々メディア露出が減っていった。事務所の力とはこのことかと思い知った。
またメンバー本人たちはしっかりと日々努力している。彼らは与えられた仕事を必死にこなしているだけだ。実際ハマってみて、いかに彼らが努力を重ねているのか目の当たりにした。そのため、ジャニーズタレントに対する偏見は消え、受け入れられるようになった。
しかしいくら彼らが頑張ろうと、マナーの悪いファンが目立てば全て台無しになる。前述したように汚い言葉で罵ることが多ければ、外野からは「このグループのファンはマナーが悪い」と受け取られる。違うグループ同士のファン間の争いだって本当に醜い。いつまでもそんなことをしているからジャニーズタレントにまで悪影響が出続け、世間からは嫌われる。どんなに良いグループだろうと「でもこのグループのファン怖いのしかいないじゃん」というレッテルを貼られてしまう。自分たちの行いのせいで新規獲得の機会を逃しているかもしれないと言うこと、自分の攻撃的な発言や行いのせいでタレントの評判まで落としていると言うことを、今一度考えてほしい。「〇〇担怖い」と言われていることに危機感を覚えた方がいい。
ジャニーズタレントのことは好きになれたし推しもできたが、やはりジャニオタのことは当分好きになれないと日々感じている。いつかジャニオタのせいで担降りしてしまう日が来てしまわないか不安だ。
ネットでコミュ障の定義といえば、チー牛陰キャキモヲタが日常会話すらできないことのようだけど、本物のコミュニケーション障害者の俺からしたらこういうファッションな定義は本当に迷惑なのでやめてほしい。
俺がどれくらいコミュ障なのかというと、
・非言語(ノンバーバル)コミュニケーション、ハイコンテキストな表現は全部理解できない
親や友人などどんなに親しい人でも、ジェスチャーや目配せ、口の動きなどの言葉によらないコミュニケーションは全く理解できない。
一から十まで、主語と述語を省略することなくすべて言葉で表現してもらわないと、相手が何を伝えたいのか理解できない。
「これ」とか「あれ」のような抽象的な言葉も、それが何を指しているのかわからないので、代名詞を使われるとやはり何を伝えたいのかわからなくなる。
聴覚に異常はないが、ざわざわしたところでは相手が何を言っているのか聴き取れない。
静かなところでも、相手が静かな声やボソボソした声で発言するとやはり聴き取れない。
特にコロナ禍でマスクをしたまま話すことが多くなり、ただでさえ活舌が悪い俺の発言は3回くらい大きな声で言いなおさないと聞き取ってもらえない。
つまり、文字で表現してもらわないとこちらには伝わらないし、こちらも文字以外では相手には伝えられないというのが俺の日常。
こんなにコミュニケーションに障害がある人間からすると、日常会話で「あっ、あっ」とか言ってるくらいの人はコミュ障でも何でもない。
物心ついたころから、言いたいことが頭の上に文字で表示されればいいのにとずっと思ってきたが、実現の見通しはたっていない。
ちなみに、上記の障害はどこで診てもらえばいいのかわからないので、病院には行っていない。診療情報など詳しい人がいたら教えてくれると嬉しい。
物心ついた時からゲームが好きで今も暇さえあればゲームをしている。
明治や昭和といった時代に発行された物が数多の人の手に渡り巡り巡って私の手元にあるという事実に
表現が難しいがその時代に生きていないのにも関わらずノスタルジーを感じてしまうのだ
しかし、古銭や古紙幣の蒐集にかかる時間など大したものではない
オークションを眺めるのがほとんどで新着の物だけ見れば十分な事もあって1日1時間もかからない
この間、妻に「収集癖あるのにゲームのグッズは買わないよね、フィギュアとか」と言われた。
「いや、ゲームはパッケージ版しか買わんのだが」と答えたが確かにフィギュアは一体も持っていない。
考えてみれば手に取ったことはあれどついぞ人生で一度も買ったことは無いし、欲しいとも思ったことが無いのだ。
いや、厳密に言えば買ったことはある。ゲームの初回限定版の予約特典なんかで何回も付いてきた記憶がある
しかし場所を取るだけだから、ゲーム本体だけ残してまんだらけだのブックオフだのですぐさま手放してしまうのだ。
なぜだろう好きなキャラ・モンスターだとしても全く欲しくならない…
調べてみるとメーカーによって特徴があったり原型師と呼ばれる個人にファンがついていたりと奥が深い
細かいディティールにも各所こだわりを持って作成しているようで凄いなとは思った。
しかしやはりと言うべきか凄いなと思うだけで一向に欲しくはならない。
古銭や古紙幣なら何でも興味がわくのに…
フィギュアを蒐集している人は何に駆られて求めているのだろうか
そして私はなぜフィギュアに魅力を感じないのであろうか…
笑い事ではなく深刻な悩みだ。
仕事で会社の人間関係が原因で鬱になったりして、最悪退職したり自殺したりする案件があるかと思うが、自分の場合はその家庭版だと思ってほしい。
嫁はとにかく理不尽に不機嫌になる。そして不機嫌になる理由が嫁の仕事上でのストレスであることが分かっている。
共働きなの家事育児は分担しているが、自分は完ぺきにこなしている自負がある。というかむしろ嫁の方がだらしがなかったり、面倒くさがったりして、そのシワ寄せが自分に来る。
脱いだ服は脱ぎっぱなしだったり、後片付けが全然できていなくて、放っておくとテーブルの上がぐちゃぐちゃになる。
一番腹が立つのは台所の使い方で、嫁が料理をするときは台所がものすごく汚くなる。
嫁が料理をしたときは自分が洗い物などをするのだが、あまりの汚さにうんざりしている。
逆に自分が料理をするときは料理をしながら片付けも同時にするので、嫁が洗い物をする負荷は相当低い。というか自分が料理をした時も洗い物をサボられて結局自分が洗い物をすることの方が多い。
そんな感じで、むしろ家事育児に関しては、自分の方が嫁に対してイラつくことが多いし、ストレスも半端ない。
それなのに、嫁は理不尽に不機嫌になる。その原因は私ではなく仕事にある。
これまで数回、もう我慢できないから離婚してくれ、もう愛情はない。別居してくれと言ったことがある。
子供もいるので、本当に悩みに悩んでの行動だった。父親はよほどのことがなければ親権はとれないし、本当に胸が張り裂ける思いだった。
離婚してくれ別居してくれと言ったときは、絶対に別れない、不機嫌なのはあなたに怒っているわけではない、と謝罪された。
出ていこうとしたときは、泣いてすがってきた。
それなのに、ほとぼりが冷めると同じことの繰り返し。
もう怒る気力もなく、逆に嫁のことが怖くなっている。
別れようとしたときは、子供もまだ物心が付いていないくらいの年だったので、父親がいなくなってもすぐに忘れるだろうと思っていた。
でも、今はもう別れることもできない。
このまま子供が独立するまで我慢して、熟年離婚まで待つしかない。
本当につらい。
「一般家庭出身者の望むハッピーエンドは親が改心して家庭円満、
虐待家庭出身者の望むハッピーエンドは親が逮捕されて子供は良い施設か優しい里親に引き取られる。
……と言っていた人がいたが
いや虐待家庭出身者と言っても考え方は人それぞれなんだから一括りにするなとしか。
あと「毒親が改心」がファンタジーなら、今の日本の状況でそんなに「良い施設」があるのも十分ファンタジーだと思うし
大体引き取りたがるのは新生児か物心ついてない乳幼児で、小学四年生にもなって既にひねくれた被虐待児を好んで引き取る「優しい里親」も十分ファンタジーだろ
引き取られるのが女の子ならそれこそ性的虐待目当てで強姦され妊娠、実母の元にいて虐待されてる方がまだマシだったって事すらありうる