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はてなキーワード: 物心とは

2022-08-26

政治不信への対応を報じなかったマスコミの罪

投票率が下がると固定票を持つところが勝つ。

物心ついてから政治不信になるようなニュースばかりで興味もつのが遅れた。

間違った政治家政府へはとにかく投票にいくことなのに、それを強く訴えてこなかったよね。

それとも投票率があがるとマスコミには不利益なのか?

よくある家庭崩壊

正社員として働き始めてから毎週土日は出掛けてるおかげか、鬱になる暇もなくかなり心が健康になり始めた。

だけど、過去の嫌な記憶は暇さえあれば思い出して色々と考えてしまう。

から、これを機に過去地獄だった期間の記憶言語化して、過去清算をしようと思う。

この記事を完成させるのに思い出して書いてる間、精神的苦痛と元の文章力の低さ故に読みづらい文になっているかと思います。ご了承ください。

たまにここの日記見たりしてますが、ここの人達の長文書いてる人の文章力高いので、初投稿ビビってます

だけど、今は精神状態普通に良い社会人なんで正直にコメおなしゃす(^O^)

子供の頃の両親と自分

俺の両親は物心ついた時から既に仲は最悪だった。たぶん週1,2のペースで喧嘩していたと思う。喧嘩の内容の殆どは、父が不潔でそれに対して怒ってたと思う。問題なのは母がヒステリックな事なんだが。

母は子供に割と尽くしたりしていたが、その反面で父は無関心な方だった。(それで母がヒスってた事もあったな~)

たぶん中2くらいの時から自分が徐々に論理的思考できる様になったり、しっかりとした考えを持つようになった。それで、母の言動おかしいと思う様になり始めた。

今になって確信に変わったのだが、母は自分が思い通りにならないと怒ったり、言い合いでは論理性が一切通用しない人だった。自分にはめちゃくちゃ甘く、人にはクソ厳しい。おまけにADHD

高校までの自分は考えを言語化する能力が今より乏しかったし、世界がまるで見えてなかったから、何で正しい事が分からないのかと自分ヒスな母に対抗していた。

そしてお互いが暴れていても、父は依然として無関心。

高2の記憶

もっと前かもしれないけど、たぶん高2くらいかお金問題毎日喧嘩する様になった。

寝る前も、勉強中も、大事テスト間中も、部活が終わってクタクタな時も、、、如何なる時も母が叫んでた。

こうなると拉致があかないので、昔から俺が止めに入ってた。そしてこの時も。

最初は俺も落ち着いて止めに入っていたが、次第に母がエスカレートしていった。無理矢理に父の部屋から追い出しても辞めないので、手を出すようになった。

それでも母は叫ぶ事も愚痴をずっと喋る事もやめない。

当時は気づかなかったが、今思えばその頃から次第に俺の精神は壊れていった。

それからはもうめちゃくちゃだった。

人生唯一となる殺意がここで芽生えた。ストレス一方的に溜めさせてくるのは母なのに被害者面して、警察を何度も呼んだり。

そして、それがしばらく続いた後、自由がままに母は本当に意味もなくアパートを借りて、たまにそっちで過ごす様になった。(しかも2回。ただでさえお金が無いって発狂してるのに、本当に意味のない行動だった。俺からしたらそれも怒り所の1つだった。)

冬頃になると父は家を追い出された。

しかし、相変わらず母と同じ空間にいると一生矛先を向けてきたりして、また俺らの間で喧嘩になったりしていた。

そして不幸が重なり、家の給湯器が壊れた。母はアパートだったり近くの祖母の家でシャワーを浴びていたが、母方である身内は全員母の味方をしていて被害者である俺を責める様な姿勢だったので、シャワーを借りに行く事は出来なかった。

そして、ただでさえ忙しい学校生活の中、チャリで2,30分ほどのアパートにいったり、家でガスを使って身体を洗える分だけのお湯を貯めたりと、更に家にいてもゆっくり過ごせない状態になった。

高3の記憶

母のあんな感じのキチ●イが1年以上続き、ついに父がアパートを借りて二人暮らしする様な流れになった。

正直いって父は家事はまともにできないし、何より汚い。

だけど、母のあのキチ●イを毎日受け続ける生活より断然良いと思っていたが、割とそうでもなかった。

まず、母からは何も支援を受けず父から毎月3万を渡されるだけだった。

父は殆ど家事をしないし、勤務時間帯的にあんまり顔を会わせる事もなく、ほぼ一人暮らし生活スタートした。

そんな高3の大事な忙しい受験期に一人暮らしみたいな生活を強いられ、まともな生活費を渡されず、裏では受験費用は愚か目の前のお金すら悩まされて、そんな日々だった。

そして毎日死にたいと思った。そして起きている間、ずっと色んな事を考えるようになっていった。

気づいたら鬱になっていった。

学校にもサボり気味になっていった。

小学生の時からその時に至るまで、どんな日でも真面目に学校にいっていた。そして課題も真面目にやっていた。

そんな生徒が朝は起きれないし、授業も何も頭に入ってこなくなった。

当時の俺は疲れてるから怠くなって仕様がないよな~って軽い気持ちで考えたけど、鬱の症状で朝起きれなくなるらしい。

夏の引退までは変わらない詰まったスケジュールで、その上に家事や安さを考えただけの食事

日常が1mmも楽しくない、それどころか全てが苦痛だった。

夏のインターハイが終わり、とうとう本格的に受験期に入った。

半年以上まともに勉強していない自分学校に通って定期テスト等をこなしていくのに精一杯だった。

なのにも関わらず、馬鹿真面目だった当時の俺は大学受験しないと人生終わるとか狭いコミュニティに属していると出てくる典型的思考に陥ってしまっていて、周りに合わせて漠然大学受験をしようと思っていた。

そこからが更に地獄だった。

周りは徐々に成績を伸ばしていき、親のサポートも手厚くなっていったり目に見えてギャップがどんどんと見えてきた。

その頃にはプラス感情が湧かなくなっていった。友達と笑う場面でも愛想笑いだったり、周りが楽しそうにしているとため息が出てしまっていた。

白髪も段々と増え、ため息も常にする様になり、身体的にも鬱の症状が見え始めていった。

受験間近になると、また新たな問題が増え、もう書くの面倒だから省くが、更にストレスが増えていった。

今思うと、あの状態受験する人間がいるなんて笑える話だ。

こうして、今まで真面目に通学し授業を受け課題をして勉強して積み上げてきた人生無駄になった。

高校卒業

まあそんなこんなで高校生活が終わり、その後の予定なんて何も考えていなかった俺はそのままフリーターになっていった。その後のフリーター1年目の時に気づいたが、受験に落ちて良かったと本当に思っている。

もし受かっていたら、入学金やら準備やらのお金でまたストレスを抱えていた。そして、大学に入っても周りとのギャップ気持ちよく過ごせない日常で更に鬱が悪化していたかもしれない。最悪死んでたか

高校卒業をしてから気持ちが楽になった。

何よりバイトが楽しかった。今までは報われるかも分からない課題をどんどん突破していき遠いゴールを目指していたが、バイトはその場で対価が得られる。その感覚がずっと学生だった自分にとっては、すごく気持ちがよかった。

そんな感じで職場の先輩たちにも恵まれ、1年でお金を貯めて遠い場所にいって一人暮らしを始めた。

現在

事実小説よりも奇なりというが、本当にそうだと思う。

テレビでの不幸エピやドラマでの家庭崩壊物を昔にたまに見ていたが、まさか自分たちがこうなるなんて夢にも思わなかった。

一人暮らしを始めてからは全てが軽くなって、徐々に普通に近づいていき、日々に幸せを感じる様になっていった。

完治したと言いたいところだが、何かしらの物事トリガーになったり時々憂鬱な気分になったり、やはり鬱病の原因である母親を一生許せはしない。

未だに本人は1mmも悪いと思ってないし、昔と何も変わらない。

数年経ったら母もさすがに落ち着くだろうと思って関わってみても、やっぱり人間としてどうしようもない人は子供の頃から一生変わらないんだろうなって、母と瓜二つの祖母を見て悟った。

母が過去にしてきた事は、母が精神を追い詰められたが故と仕様がない気持ちを少し抱いてたが、これを見ると元からどうしようもない人間だったんだと笑えてくる。

母は頭が悪すぎるし嘘をついて自分が有利な立場になろうとするし親だから立場が上だと勘違いしているし、そもそも話し合いにならない。不思議祖母と母の喧嘩は成り立ってるらしい。もちろん彼女らは問題解決をした事はないが。

IQ20以上離れていると会話が成り立たないというが、これも本当だ。

まあこんな感じだから、母たちと関わるとアレルギー反応を起こすかの様にストレスが溜まるし、今関わらなくても後々面倒そうなので、縁を切りたいと思っている。

希死念慮が消えたかと言えばそうじゃなくて、昔みたいにどうにでもなれっていう考えたけど、幸せなまま死んでしまいたいって思う事はたまにある。

でも、死なないで今を生きて、そして楽しいと思えるのが本当に生きててよかったと思う。

普通に生きていたら今の視点視野にはたどり着けないだろうし、どっちが楽しいだろうかと考えたら、やっぱり今のルートなのかもしれない。

本当に人生何があるか分からない、良くも悪くも。

2022-08-21

嫁のはてブが閉鎖し、なれのはてブを作って1週間が経った

嫁のはてブが閉鎖して1週間が経った。変わらず手癖でGoogleに「嫁のはてブ」と入れてサイトに飛んでしまうのが悲しい。

[補足] 嫁のはてブ関連のブコメで「嫁のはてブって何だ?」というコメントを見かけたので、もし嫁のはてブを知らない人は以下ページを見てもらうといいと思う。

■「はてブ」をリニューアル前風デザインで 個人が一晩で開発 - ITmedia NEWS
https://www.itmedia.co.jp/news/spv/1301/09/news089.html

2013年から10年間ほぼ毎日嫁のはてブを使っていた。

嫁のはてブの閉鎖が決まってからはてなブックマーク公式サイトを使おうとしてみたが、正直キツい。

アプリの方はまだ見た目には良さそうだったのだが、自分は気になった記事ページとブクマページを一旦タブで全部開いて、開ききってから読んでくというスタイルなのでアプリは合ってなかった。

Hatebu::Classic を試してみたがこちらもあまりしっくり来ず。

結局求めているもの嫁のはてブだったので、見た目ほぼそのままの なれのはてブ を作った。

(ちなみに作ったあとに はてなフィルター存在を知った。もし作る前に知ってたら、なれのはてブは作らなかったかもしれない。)

500を超えるブックマークと、多くの人に利用していただけて大変感謝です。

また嫁のはてブと作者の後藤基史氏には感謝してもしきれない。約10年間本当にありがとうございました



なれのはてブを作ってる時にふと思い出したのが、昔地元にあった十一屋という本屋のことだった。

近所にあった本屋で、物心ついた4歳頃には絵本立ち読みしていた記憶がある。

小学校低学年の頃はマリオ攻略本文房具を買い、高学年の頃はファミ通立ち読みしたり大技林を買ったりしていた。

エヴァブーム後はアニメージュ綾波レイホシノ・ルリリナ・インバースの熾烈なランキング合戦を毎号チェックし、電撃王のふりをして電撃姫を買うなど、まさに自身の成長とともにあった本屋だった。

小6か中1の時に閉店となり、文字通り泣くほど悲しかった。自分の中で最初の大きな喪失だった。

当時、再び同じ場所十一屋という店名で本屋を開くことが少年の夢だった。

(残念ながら本屋は開けてはいない。またその場所に同じく思い出の地であった総合スーパー清水屋の狭小店舗移転してきたのもあり、現状同じ場所は難しそうである



嫁のはてブの閉鎖は十一屋と同じような喪失感があった。

嫁のはてブができた頃、自分新卒で入った会社を辞め、社員2人の会社で1人プログラマーをしていた。

Webサービスを作っていたのだが、当時の自分学生時代C言語Javaを書いたことがある、新卒で入った会社ではABAPという謎言語を少し書きあとは専ら神エクセル作りとパワポに画面キャプチャを貼る仕事だったのでWeb開発経験ゼロ

そんな自分を救ってくれたのはインプレスの基礎 Ruby on Railsと、そして嫁のはてブだった。

はてブRSpecを書くことを覚え、いいgemを知り、Font Awesomeを知り、いい感じのjQueryを見つけ、Reactを知り、AWSの使い方を覚え etc

この約10年間のプログラマーとしての成長はまさに嫁のはてブとともにあった。

いまもまだ閉店した本屋は復活させられないが、閉鎖したWebサービスは復活させたよと当時の自分に言ってあげたい。


さて、なれのはてブだが今日ダークモード対応した。

タイトル横あたりにある太陽・月マークで切り替えられる。

今後も見た目のシンプルさはそのままにちょこちょこと機能追加していけたらと思っている。

もしよかったら使ってみてもらえると嬉しい。

なれのはてブ https://narenohatebu.jp/

2022-08-19

anond:20220819171959

今は幅広い層から支持を得てる人気ミュージシャンとか、男性アイドルとかでも

最初キモい女性ファンに気に入ってもらって、そこから女性に人気という触れ込みで

どんどんそれ以外の属性認知されていったりしてるよね。

 

自分コンテンツを展開する際のアーリーアダプターキモい女性ファンだって知らんかったんやろうな。

物心ついた時には目に入るのは人気アーティストばかりで下積み時代を知らずに。

そういうイメージなかったとか?

僕は打ち上げ花火が嫌いだ。 2

https://anond.hatelabo.jp/20220817003734

そのとき、姉さんのほうから僕にキスをしてくるんじゃないかって思った。

でも違った。

姉さんは僕の尻を軽くポンと叩き、「こら、そういうのは好きな子としなきゃ駄目だよ?」と諭すように言ってきた。

それから手で涙を拭い、笑みを見せると窓に目を移す。

打ち上げ花火の姿。ドンッと響く爆音

僕らは並んで、打ち上げ花火を観賞し続けた。

「綺麗だね」と姉さんが窓に目を向けながら、微笑んで言った。

から

僕は打ち上げ花火が嫌いだ。

夏休みが終わり、初日の登校日。

クラスでは例の詐欺師話題で持ちきりで、姦しいほどだった。

被害総額50万の詐欺師でも、田舎ではそれなりのニュースだったのかもしれない。

けれど僕は興味がなかった。

から外を見ていると後ろから

「よう、泡姫

クラスメイトに呼びかけられ、振り返る僕。にやけ顔を目にしたとき、気付けば相手を殴っていた。

クラスメイトは不意をつかれて吹き飛び、クラス悲鳴が上がった。

僕は自分行為に驚いた。

放課後、姉さんが呼ばれた。当然、向こうの親も。

その場には僕と担任先生しかいなかった。ガラガラと戸が開く音。僕は振り返らず、背中越しに聞いた。

担任は立ち上がって会釈するように軽く頭を下げ、僕は振り返らなかった。

足音がすぐに近付いてくる。

でも姉さんは僕の横に来るといの一番に「すみませんでした!!」と大きく頭を下げた。

深々と頭を下げ続けた。

僕はなにもできなかった。

廊下には殴ったクラスメイトが居た。

それに母親も。坂井なんとかっていう女優に似ていた。黒っぽいワンピースのような服を着ていて、何かの帰りに見えた。

姉さんは二人にも深々と頭を下げ、僕はそれでも頭を下げたなかった。

母親と息子は、僕たちを無視するように中に入っていった。

僕はまだ、怒りが収まりきれてなかった。

時間は止まったかのように感じれらた。

相手母親は姉さんに毒々しい目を向けた。

姉さんは深々と頭を下げ、僕の手を引いて廊下を歩こうとする。

僕はそれに従い、けれどこんな姿を誰かに見られなくもなかった。

すぐに手を離し、姉さんは困惑した表情を見せた。

それから僕と姉さんは学校を出るまで一メールぐらいの距離を隔てて歩いた。

帰り道、「もうこんな時間だし…晩御飯ファミレスで食べてく?」と姉さんが言う。

僕は拒否した。迷惑を掛けたのに、さら無駄遣いさせるのは忍びなかったから。

から「いいよ、そんなの」と断ると、姉さんは「あっ」と言った。

「そうそう。私、用事あるから先に帰ってるね」

用事があるから先に帰ってる。

普通なら”用事があるから先に帰っていて”だろう。

でも違う。けど正しい。

その意味を、僕は理解していた。

姉さんはお店の客を自宅で相手することもあった。

そういうときはいつも、姉さんは僕にお小遣いをくれる。

僕はそのお金ゲーセンカラオケ、たまに漫画喫茶へと足を向け、時間をつぶした。

今日もそうなのだろう、と僕は思った。

それからお金いくらかもらって姉さんと別れると、僕はゲーセンに向かった。

2時間ぐらい、時間をつぶしてから帰ると家の近所からカレーのにおいが流れてきた。

物心いたころには”家族団らんでカレーを食べた”なんていう記憶はない。

にも関わらず、そのにおいは僕の哀愁を刺激した。

からカレーのにおいに感じる哀愁はきっと本能的なものだ。

家に入ると「あ、おかえり」と姉さん。

それからカレーライスをテーブルに持ってくる。

「えっ?」と僕。微笑む姉さん。

姉さんは、そういう人なのだ

からこそ

省略されました。全てを読むにはわっふるわっふると書き込んでください。

2022-08-16

anond:20220816141209

トロッコ問題と臓器くじはパラレルにならないんだよね、特に日本では

トロッコ問題トロッコ轢かれうるような職場にいる時点で覚悟してきてる人の自己責任と見做せるけど、国については選んで生まれてくるわけじゃないし

物心ついた後に祖国を捨てるのも言語障壁治安障壁のせいで大陸国家よりだいぶ難しい

自分の子もの生命と、自分生命を天秤にかけてどちらを選ぶか?

自分生命よりも価値のあるものはない、自分が失われれば自分にとって体験できる世界は無になるので、自分存在しない世界には意味がない。あらゆる概念よりも自分の命が大事である

というのが物心ついてから成人するまで、一貫して自分の抱いてきた信念だった。だから自分生命をなげうって赤ちゃんを助ける母親、というのがまるで創作しか思えなかった。そういう人もいるかもしれないが、いかにもリアリティのない作り話だろうと。母親の中の更に一部の特別母性が強い人に限られた現象なのだと思っていた。

しかし30歳を超え、子どもが生まれた。そして40歳が見えてくると、節々で自分人生の先が見えたように感じる瞬間がある。そんな時にふっと子どもをみると、この子未来と引き換えなら別に今死んだとしても仕方ないかな、と当たり前のように感じる時がある。


すでにいくつか体のガタも出てきている。時折腰痛やら頭痛やら出てくるし、寝不足の翌日は明らかに仕事パフォーマンスが落ちるようになってきた。仕事においても趣味においても、想像し得ないようなことが起きるというのは考えがたい。それに引き換え目の前の子には、手垢のついた表現だが無限可能性がある。この子人生に何が起きるか、どのような思考や信念をもつようになるのか何もわからない。

これは別に愛情とか大げさな話しではない。単純に、今から自分人生で起こりうる可能性に比べ、3歳のこの子可能性が果てしなく広がっているため、普通に考えてそちらを優先するよね、という損得勘定であるであるのだが、しかし単純な損得勘定自己消滅を納得できるわけもなく、これが子の為に生命をなげうつ親の心の一端なのだろう。子どもを育てていると思いもよらない気づきが得られるのがなんとも面白いところである

2022-08-14

父親が触ってくる

腕や太もも、お尻を父親が触ってる

物心ついた頃から、35歳を超えてもまだ

腕や太ももベタベタ、お尻は一瞬だけど痴漢みたいな触り方で

父親の横に座ったり車で助手席に触ると大体触られるので嫌だ

何度かやめて欲しいとお願いしたし、怒ったりしたがヘラヘラ笑われて終わった

嫌すぎて一人で泣いたこともある

母親に対しても同じようなことをして母親には怒られている

姉のことはどうだか分からない

普通ことなのか、異常なのか、誰にも相談できていない

一般の家庭はどうなんだろうか

娘はみんな家でこんな感じなのか教えてほしい

 

 

追記

反応があって嬉しいです

ずっと溜め込んでて辛かった

私は20超えてから一人暮らしをしていて、たまに会うたびにたびにそんなことになります。二人の時だけではなく、家族が他にいても親戚がいてもそうなります

子供にするって愛情表現という感じではなく女性にする態度っぽくてそれが気持ち悪くて嫌いです。

顔は似てるので父親の子供だと思います。母と姉には相談できてません。

anond:20220814083155

ようしらんけど物心つく前に殺されなくてよかったね 一番うるさい時期は見逃してくれたんだ

2022-08-13

24歳の心境

物心ついたときにはエコがうんたら言われていたので節度ある生活をしていたら若者の云々離れがなんたらと文句垂れられ

景気のいい話なんぞ終ぞ聞かずに社会に出たら平均株価が上がっているので今は景気がいいんだなぞとはぐらかされる


韓国カルト的人気を誇るアイドルに難癖つけてた層は韓国カルト合理性見出し

平和融和を説いていたインテリリベラル達の党は今何分割されているのだか

2022-08-12

anond:20220812055448

物心ついてから牛乳石鹸を使ってたけど、いつだったか広告ポスターが肌に合わなくて使うのやめたな

今日も若手社員を泣かせてしまって、

自責の念でいっぱいです。

さ、洗い流そ。

ってやつ

久々に見直してみたらやっぱ天然物のやべー奴って感じで笑ってしまった

https://www.j-cast.com/photo/2017/08/16306004.html?num=2

2022-08-10

歴史ある地域に戻って住むかいなか

迷っていることがある。

とある史跡の多い地域で育ったが、今はそこから車で1時間弱ぐらいの距離の田園地帯の中にある会社(工場)でSEやってる。(現在自然豊かな場所にある賃貸で職住近接と言えなくはない生活を送っている。)

そこの社員は大半がいったん工場の近くから通う生活をするが、子供の進学を考えてどこかのタイミング東西南北どっちかの方向の地方都市移住する選択をする。

自分出身地付近もその選択肢の一つとして割と選ばれているような(というか自分もそうするつもりで働き始めた)のだが、

いざ移住先を検討し始めると、気持ちが他の候補地の方に傾いてしまいがちであることを発見してしまい戸惑いを隠せない。

昔は、「この町は史跡が多くてなかなか面白い風情だな」と思っていて

いちばん長く過ごした場所ではあるが生まれ場所ではないし、物心ついた時は別の地方都市暮らしていた)

将来またその場所生活することを割と望んでいた。・・・が、勤務先との通勤距離のこともあって別な方角の地方都市を片っ端から比較のために調べてみていると、

出身地積極的に選ぶ理由が意外と乏しいことが浮き彫りになってきた。

考えてみれば当然のことで、史跡まみれの町ということは大胆な都市計画ができなくて、さら観光業っぽい地元商店既得権のせいで

郊外かごく限られた地域しか新しめの商業施設営業できない状態になっているし、鉄道道路といったインフラ地元住民以外に観光客のためのものとして整備されていて

普通生活が(そういうシガラミがない地域と比べると)なにげに不便なのだ。比べる対象を持っていなかった時には気にならなかったが具体的な比較をするとその弱点が際立ってしまう。

もちろん歴史上のエピソードに関連した場所が沢山あること自体マイナスではないのだが、

その価値(すなわち日本の歴史勉強する価値)は相対的に下がってきているのではないか・・・?という気持ちが沸くようになってきている。

端的に言うと、そんな優雅なことを守り伝えていく余裕は今後の日本にあるのか?という事への疑念が強くなってきてしまっていて、ただの不便な場所に見えてきているという話である

科学的な発見がされた場所とかならまだ良かったのだけど・・・

いちおう土地勘があるとか友達も若干数いると言う利点はなくはないのだけど、

きれいな水と空気に囲まれ生活に慣れた後では、不便なくせに空気が汚い出身地に戻って住むことが大して魅力のない選択肢に映って仕方がない。

ただいずれ帰るという暗黙の了解のもと両親にはいろいろ支援してもらってしまっているし、今より実家が遠くなるのは良くないという認識はあるし、

地縁もないのに子供会社周辺で育て続けることはとてもする気にならないので、どこかへの移住はすべきなのだと思っているが、

どうせなら合理的街づくりができている所に住みたい気持ちがある。

通勤時間さえ長くて良いなら条件を満たす場所はなくはないが、通勤時間がかなり長くなるので即決できない。候補バリエーションは以下のような感じで、一長一短である

 A:実家の割と近くで駅とショッピングモール中間(古い住宅地道路が狭く空気はよどみがち。通勤40分)

 B:実家と同じ市町村の辺縁部でバブル後も開発が継続していた地域商業施設が充実しており斜面が多いが道路は広くて空気も奇麗。通勤60分)

 C:実家の隣の市町村最近開発された大型分譲地(空気は奇麗で道路も広いが、切り開いた斜面であり地盤不安。また将来ゴーストタウン化の懸念あり。通勤50分)

 D:会社のあるところの隣の市町村会社のある市町村よりはメジャーチェーン店が多く来ていて道路も広い。人口は同等で実家からは30分ぐらい遠くなる。通勤30分)

 E:実家とは別の方向の現在人口増加中の地方都市大都市に近い場所であり利便性は格段に高いが、実家から距離はやはり遠くなる。通勤40分)

 F:実家とは反対方向の地方都市県内最大都市なので、利便性最重視の場所からゆったりとした郊外まで幅広い選択肢がある。実家からは当然遠い。通勤45分)

気持ちを整理するために書き出してみたが、やはり決心を付けづらい・・・。なお通勤はいずれも自家用車。体調的な理由で長時間運転は苦手なので40分以上かかるところはしんどいと思っている。

2022-08-08

anond:20220807004927

この10年で物心ついたような奴がもう増田にモノを書き込む時代なのだ

2022-07-31

anond:20220731161732

数年〜10年前くらいまではやっていたけど、最近はすっかり見ない…あたりの絶妙な線

若者20を想定してるとすると数年前〜10年前は余裕で覚えてるよ

15〜20年前の「おっさんからするとちょっと前だけど若者からすると物心つく前か生まれる前」が絶妙な線だよ

2022-07-27

勉強自分を救ってくれた

自分物心ついた時からいじめにあっていた。

近所の子供たちから気持ち悪いと言われたり、草や泥で作ったものご飯だと言って口の中に押し込まれたりしたこともある。

お金を持ってきたら一緒に遊んでやると言われて、親に理由を言ってお金が欲しいと言ったら、親が相手の子供に抗議してくれたが、親も気持ち悪いとか、チンパンジーの親子だとか言われて馬鹿にされた。

小学校に入った時から自分有名人で、「近づくと〇〇菌がうつる」と言われて、友達もできなかった。友達がいないので、一人で遊ぶしかないのだが、一人で遊んでいるとますます気持ち悪がられた。

近所のスーパー駄菓子コーナーでお菓子を物色していると、同級生が親子で買い物に来たことがあった。その同級生が「あ、〇〇菌がいる」というと、その親に「汚いから〇〇が触ったお菓子とっちゃだめよ」と言われたこともある。

学校では、上履きを隠されたり、机の中のものを全部出されてトイレに捨てられたりしたこともあった。体操服の入った袋をとられて、校庭でサッカーボールのように蹴られて遊ばれたこともある。こともある、というかよくあった。

当然、両親も自分いじめにあっていることは知っていて、学校相談したりしてくれたが、全く解決できなかった。逆に、〇〇君は勉強をしっかりしていないので、家でしっかり勉強の面倒を見てあげてほしいとか親が責められたこともある。だっていじめられてて学校が嫌なのに、勉強なんてするわけないよ。

そんな時、母親が2つ離れた市にある学習塾に通ってみるかと提案してくれた。小学校5年生になった時だ。離れた市なら知り合いもいないし、塾の先生事情を話したら、市外の子でも大丈夫と言ってくれたそうだった。

小学校の授業は、今でも記憶にないくらい何を教えてもらっていたのか覚えていない。当時も学校に行きたくなかったので、授業も全く聞いていなかったと思う。自分馬鹿だと思っていたので、塾なんて無理だと思っていたけど、子どもだし親に言われるがままにその塾に行ってみた。

最初に受けた算数の授業の内容、今でもよく覚えている。今でも衝撃的なその瞬間を覚えている。

勉強が分かる。楽しい。多分、自分人生が変わった瞬間だったと思う。

それから、塾の勉強一生懸命取り組むようになった。塾のテストで成績が上がると、先生はいっぱい褒めてくれた。うれしかった。

他の生徒も、自分のことを知らないのもあったのかもしれないけど、知らない子がいる程度の感じで、気持ち悪がったりすることはなかった。ただ、友達はできなかったけど。

小学校では相変わらずいじめを受けていたけど、塾に通うようになってから、前よりも辛く感じなくなっていた。

ただ、中学に入ってからいじめがよりひどくなった。中学1年の時に、クラス女子が、〇〇に痴漢をされたと触れ回ったことだ。当然、痴漢はしていないし、話したことも触ったこともない。

その後3年間、机や教科書には痴漢魔と落書きされ、上級生がわざわざやってきて、痴漢魔への制裁といって、毎日頭をはたかれたり、後ろからいきなり蹴り倒されたりした。

今でも忘れられないのは、中学2年の時に、休み時間が終わると(その時はいじめられない図書館に逃げていた)自分の机の上に、何か液体が入った小瓶がおかれていて、その中身がどうやら精子だったことだ。

誰かがそういういじめをしようと計画したのだろう。いじめをしていた男子女子の方にその瓶近づけると、女子たちは悲鳴を上げて逃げていた。最後には、その瓶の中身を机の上に出された。

拭くものがなかったので、落書きされた教科書プリントで拭うと、周囲からまた悲鳴が上がって、本当につらかった。

それでも、塾には通い続けた。その時は親と相談して高校は県外の高校を受けることに決めていた。

またその時は、塾以外に打ち込むものもできていた。10歳年上のいとこがバドミントンをやっていて、社会人バドミントンサークルに誘ってくれたのだ。

ただ、サークルで使っている体育館は、家から車で1時間半くらい離れたところにあった。毎週土曜日の夜に、父親が送り迎えしてくれた。

塾も市外で遠いところにあって、ほぼ毎日母親が車で送ってくれていた。

念願かなって、希望した高校に受かった。

塾は高校の部もあったけど、県外に進学したので通えなくなって辞めたとき、両親と塾に挨拶に行った。

塾の先生はよかったな、と泣いてくれた。先生を見て両親も泣いた。

高校に入ってからは、いじめられることはなくなった。

バドミントン部に入って、友達もできた。その友達とは、大人になった今でも付き合いがある。

高校3年間は、とても楽しかった。男子校だったが、クラスちょっと悪そうで遊んでるような、中学だったらいじめをやってそうなタイプの奴でも、ものすごくいいやつで、そいつそいつ彼女との色々な話を聞くのが楽しかった。

誰も外見とか性格とかで差別しなかったし、勉強部活文化祭体育祭も全力で楽しめた。

勉強もかなり頑張って、第一志望の大学に入ることができた。

大学に入ってからバドミントンは続けたし、部活関係バイトを紹介してもらった。

大学でもバイト先でも、自分のことをいじめたり、気持ち悪がったりする人はいなかった。

ただ、女性に対しては、中学の時の痴漢騒ぎを引きずっていて、苦手だった。結局、高校大学恋愛とは無縁な学生生活だったけど、とても楽しく、充実したものだった。

大学大学院まで行き化学系の研究室研究を頑張った。大学院での研究大変だったけど、それでも乗り越えられたのは勉強の楽しみを教えてくれた塾のおかげだと今でも思っている。

その後、希望していた化学系のメーカー就職することができた。

就職してからも、仕事のために勉強しなければいけないことが無限で、終わりがない。

でも、勉強はかならず答えを与えてくれる。やればやるだけ成果が出る。結果が出る。自分にとって勉強は最強の武器だと思っている。

そして、こんな自分にも出会いがあり、結婚することもできた。バドミントンは今でも続けていて、社会人バドミントンサークル出会ったのが奥さんだ。

奥さんには申し訳ないが、自分のような女性と縁のない人間女性出会えたのは、やはりしっかりした仕事についていることが信頼されたことが理由だと思っている。

そして、その仕事につけたのも、勉強を頑張ったからだ。

今の世の中、勉強にはネガティブイメージがあると思う。

勉強ばかりしてないで、たくさん遊べとという考え方の方が普通だし、その方が楽しくて幸せ人生を送れるのかもしれない。

自分場合は、訳あって、遊ぶ人生を選べなかった。

それでも、勉強という、自分の中で揺るぎない武器があることが自信につながったし、今の幸せ勉強が与えてくれたものだと思っている。

2022-07-25

anond:20220725110733

安倍に親しみを覚えている層はそんな細かいエピソードは知らない。

そこに「物心ついたときからずっと首相をがんばってた安倍さん」以上の情報はない。

彼らが安倍言及するときは「私は政治のことはわからないけど」が枕詞になってる。

結婚が良いものなのか未だに分からない

うちの両親は、私が物心ついた頃から仲が悪かった。

仲が良い時期を知らず、常に喧嘩していた。小学校高学年になるころにはもはや会話すらなく家庭内別居だった。それでも私が高校卒業するまで離婚せずにいたのは両親の責任だったのだろう、有り難い。

私にとっての夫婦とは両親のことだった。子供のために存在する番でしかない。


から私は結婚したいと思ったことはなかった。明確に拒否する気はなく、人生の流れでいつか結婚することになるんだろうと思ってはいたが、できなくても別にいいと思っていた。なお、現在恋人すらいない。


しかし、私の想定外夫婦を何度か見ることになる。最初に見たのは小中高の友人の両親で、非常に仲がよかった。あんなくだけた会話をする夫婦がいるのか、珍しいほど仲が良いんだなと思っていた。

その友人は結婚願望が強く、就職2年目ですぐに結婚した。今は3児の子持ちだ。

数年前、友人が結婚した。女好きでいろんな出会い系に手を出しているモテ男だが、嫁と女遊びを区別しているらしく、長年連れ添った女と結婚した。

これまた非常に仲が良い。彼は色々あってちょっとした冒険を始めることになったのだが、なんと嫁さんと始めた。嫁さんは、旦那が始めたんだから私も始めるのは当然といった態度だった。

旦那の苦労は家族の苦労、付き添うのは当たり前。

私はうらやましくなった。


ネットを見てると、男を結婚就職先としか思っていない女の話をよく見る。

私が付き合った女性も、結局は私が「利用価値があるか、女に都合が良いか」という面を探しているのがわかる。あなたの苦労はあなたのものだ、私を巻き込むな。そういうものだと思っていた。


夫婦人生の伴侶と呼ぶこともあるが、私は人生の伴侶ならば欲しい。

2022-07-24

夢に出てくる自宅

小学校5年?から19歳まで住んでいた家しか出てこない。

番長く住んだからなのか、思春期を過ごしたからなのか。

次点で長いのは生まれから小2?まで住んだ家だけど物心つく前も含んでるし、家の中の細部は思い出せない。

他の家は大体長くても3、4年だけど細部まで思い出せるとこも多い。

みんなはどう?

2022-07-23

マイク・タイソン(56)←これいくらなんでもちょっと若すぎじゃないか

俺今28なんだが物心ついた頃にはもうマイク・タイソンって伝説ボクサー代名詞みたいな扱いの印象だったんだが(多分スト2とかはじめの一歩最初の方の巻知識)

その感覚的には80歳とかでもおかしくない気がするんだが、いくらなんでも若すぎないか?百歩譲って70歳とかだろ

この感覚からない?

2022-07-23

創価学会3世で未活動関係も断っているが、公明党に票を入れてる

理由簡単、バチが怖いから。

物心つく前から「勤行しないとバチがあたるよ!!」と、幹部だった祖母仏罰の恐ろしさ刷り込まれ学生部男子部に上がるにつれそれが学会組織公明党になり、学会と疎遠になっても私は票田として機能している。

一定年代以上の福子は、絶縁されたり破門(って今は言わないのか?)される=仏罰が下る、という畏怖があって活動続けている人も多いと思う。

から創価学会カルト」って誰かに言われると、反射的に「いやそれは違うよ」と言ってしまうのは、否定しないと自分にバチがあたるという恐怖が少なくともあるから

距離を置いても、時間が経っても、この洗脳はなかなか解けない。どうしたらいいのかね?

anond:20220723204934

興味深い。

本物の仏教のほうは、とくにペナルティないみたい。

波羅夷罪(はらいざい)[1]、あるいは単に波羅夷(はらい、巴:梵:pārājika, パーラージカ、波羅市迦)[2]とは、仏教出家者(比丘比丘尼)に課される戒律具足戒)の内、僧団(僧伽永久追放に値する最重罪の総称

概要

上座部仏教のパーリ律の場合比丘男性出家者)は淫・盗・殺・妄の4つ(四波羅夷)、比丘尼(女性出家者)には更に触・八事・覆・随の4つを加えた8つ(八波羅夷)がある[2]。

もし、出家者にして戒律身分を捨てて還俗をしないで、この戒を破った際には、全ての資格ととを剥奪され、仏教教団から追放されて仏教徒では無くなり、二年間、一切の宗教活動禁止しなければならない重い罪となる。

また、後に罪を悔い改めたとしても、仏教徒に戻ることは許されるが、再び出家である僧侶となることはできない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E7%BE%85%E5%A4%B7%E7%BD%AA

創価学会3世で未活動関係も断っているが、公明党に票を入れてる

理由簡単、バチが怖いから。

物心つく前から「勤行しないとバチがあたるよ!!」と、幹部だった祖母仏罰の恐ろしさ刷り込まれ学生部男子部に上がるにつれそれが学会組織公明党になり、学会と疎遠になっても私は票田として機能している。

一定年代以上の福子は、絶縁されたり破門(って今は言わないのか?)される=仏罰が下る、という畏怖があって活動続けている人も多いと思う。

から創価学会カルト」って誰かに言われると、反射的に「いやそれは違うよ」と言ってしまうのは、否定しないと自分にバチがあたるという恐怖が少なくともあるから

距離を置いても、時間が経っても、この洗脳はなかなか解けない。どうしたらいいのかね?

最近オタクってやっぱりただのアニメ好きの一般人だよね

https://kazugoto.hatenablog.com/entry/2022/07/09/235906

https://bokukoui.exblog.jp/32726091/

ここら辺のブログを読んで思った。まぁ小難しい文章なので今も続き読んでるけど。あんまりまとまってない文章書くことになるけどごめんなさい。

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墨東氏は《コンテンツは、鑑賞や批評対象というよりも、「みんなで盛り上がる」手段と化してしまったのではないでしょうか。すると小難しい批評は嫌われ、定型フレーズネットの「みんな」で叫ぶことで一時の快を貪る、そういう人が増えたのです》と述べますが、”オタク”界隈の「批評」なるものを、商業誌商業媒体、ならびに同人誌批判的に取り扱ってきた私としては、果たしてそんな「批評」が社会に何をもたらしまたか、結局は内輪だけで言葉を消費しただけではないのですか、と言いたいです。内輪だけで消費される「批評」に価値があるなど、笑止千万しか言い様がありません。

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うぉぉ。言ってしまった。内輪話し合ってるだけのそれっぽい論評が社会の何に役の立つのかと言ってしまった。

っていうのも気になるけど、一番は「小難しい論評が嫌われ、定型フレーズ・・・」の文。

ぶっちゃけこれ陽キャがやってるのと似てない?

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まあこれは、「オタク」が一般化した結果、かつてはオタクバカにしていた「みんなと月9ドラマ話題で盛り上がる『一般人』」(もちろんオタクも彼らをバカにしている)と、「オタク」が同じ存在になったということともいえるのです。

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つーか当の墨東先生も言ってるし。やっぱそうだよね。陽キャが「昨日のドラマ見た!?」って盛り上がってるのと一緒だよね。俺らが「昨日の鬼滅見た!?」って言ってるのと一緒。墨東先生は「同じ存在になった」と表現しているけど、27の俺にとっては物心ついた時からこうだったと思うけど。

一般人を馬鹿にしているっていうのも、あっちがバカにしてきたかアニメだって面白いんだぞ、少なくともお前らが見てるドラマぐらいには内容あるし!みたいな感じで、高尚な論評だとか云々は関係いかな…

正直、小難しい論評だとか無理だと思うよ。だってやべぇやつに思われちゃうもん。じつは伏線として漫画の一コマにこんなのが…!みたいな考察

https://note.com/iovis_takahasius/n/n5d806216d51c

ここにある通り鬼滅は自助・共助を推奨している!みたいな政治的方面に進んじゃったらもう大変。悪いけどやべぇやつまっしぐら

友達ドラマの話してて「自民党政権が…」っていいだしたら「え、どうしたの?」って心配されちゃうよ。

こういうのを見てると、オタクっていうのはもう彼らにお返しして、俺たちは娯楽としてアニメを見るのが好きな一般人として生きたほうがいい気がするなぁ。

2022-07-17

Vtuber たちが一斉に休んでビックリしたよ…

いつもの Youtubeライブ放送では、彼らはショーマンに徹していて、政治的スタンスは徹底的に隠している。視聴者の俺たちも探りを入れたりするようなマナー違反はせずに、楽しみの供給側・受給側として一定距離を置いていた。モニターを隔てた両岸には政治的思想的な摩擦はなく、スムーズで快適な互恵関係が築かれていた。

俺は政治思想は、はてなブックマークで学び。

エンターテイメントは主に YoutubeVtuberゲーム配信を視聴して賄っている。

情報収集用のツイッターアカウントまで分離して、相異なる領域ゾーニングして保護してる。

たぶん誰もが知っている、快適な距離感を維持するコツ。

あの日Vtuberゲーム配信者たちが一斉に配信を休んだ。

もちろん全員が同じ理由であるハズはないし、あの日はそれなりに暑かったから熱中症とかで休んだ人もいたかもしれない。ボカされた個人理由を勘ぐるのはモラル違反だ。でも、全体的な傾向は否定できないだろう。それほど多くの配信中止の宣言があった。

今日は気分が乗り気じゃない」「配信を予定していましたが…」「ゆっくり休もうと思います

20歳〜30歳の、普通若者である彼ら・彼女ら。

フォロワーたちも「わかります」だの「しっかり休んでね」だのと、同調共感を表明していた。

マジかよ…

俺は元首相の死に際して、志村けんさんがコロナで亡くなった時と同じような思いだった。

正直、お気の毒だとは思うけど、やっぱり、他人ごと。

仕事を休むほど心が傷ついたわけじゃない。

から一色に染まったツイッターの流れが、ショックだった。

お前ら、そっち側だったんか… モリカケとかどう思ってるのか聞いてみたい衝動に駆られた。

安倍信者… という言葉が頭をよぎったよ。

目先の楽しさに夢中になるうちに、いつのまにか足元を浸すカルト宗教の恐怖。

関連・

[B! 人生] てぎ on Twitter: "十代の人の安倍晋三氏の死に対する反応を聞く機会があったのだが、わたしの想像をはるかに超えてかれらの安倍氏への親しみの度合いは深いようで非常に驚いた。かれらが物心ついたときからずっと総理大臣であったということからくる感情を小さく見積もってはならないと痛感した"

それも普段全く政治的な発信をしない、ジャニーズやKpop好きの普通中高生が、そうしてる。

anond:20220717024440

anond:20220717182819

おっ正論パンチマンじゃん

お前親元以外で育ったことないだろ?

どんな理由があれ実の親に問題があって一緒に暮らせないことは必ず子の精神を蝕んでるから

どんなに家族計画をやろうと、物心がつかない段階で引き離さない限りその後正常に育つ子はいない

2022-07-15

これからゆっくり政教分離が進んでいくだろう

しかし今回の事件で思った。

宗教ってつくづくやるもんじゃないなと。とくに新興宗教

ここ数日、聞いたこともないような宗教団体について内部リークみたいなエントリばかり。

(なんかその流れも既定路線って感じでキナ臭いけど)

もしこれを機に政教分離が進むのであれば、アメリカと、さらに上の組織が、

日本はもう新興宗教というツールで内部かく乱して分断社会にする必要はないね

って判断したのかもしれないね

まり民主主義根付いたってこと。

ネットがなく無知時代は、仏教悪用して、「信心」をカネに変えて人間支配する方法有効だった。

しかし今はネットSNS若者自分の頭で判断できる。

物心ついたときから民主主義がある。

逆に、国家全体を新興宗教のような形にしている独裁国家もある。

それらの国の虐殺・侵攻の状況を見て、新興宗教方法で縛る方法はもう古いと判断したんだと思う。

宗教による洗脳も、人間の緩慢な虐殺といえるからね。

いずれにしても、なんらかの強い力が動いて、世界浄化してくれるんだと思い、感謝したいと思う。

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