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2013年5月4日 東京・日比谷公会堂での講演から 五井野 正
1997年3月に、ロシアのヤリスラヴリ州立医学アカデミーで、私が末期がんの臨床実験を行なっていたことをお話しましょう。そのアカデミーの下に大学があり、そして日本でいうホスピスのような州立オンコロジー病院があります。私はその病院で糖尿病の重症患者や、発病して最終末期のエイズ患者、さらに は末期がんの人たちに、私が発明したGO Pで臨床実験をし、多くの患者を治して生還させてきました。(1997年4月1日発行『ウィッピータイムス』7号に掲載)
当然、むこうでは大きく新聞にも掲載され、テレビでも30分と1時間のドキュメンタリーが放送されましたが、日本では報じられてはいません。なぜかというと、私は某宗教団体 (創価学会) から実に40年近く、みなさんが信じられないほどの驚くほどの圧力がかけられて、さまざまな妨害や中傷を受けているからであり、しかも何度も殺されそうになったこともありました。
ですから現在においても、政党 (公明党) までも持つこの某宗教団体 (創価学会) から支配されているほとんどのマスコミからシャットアウトされているために、私が日本のため人類のためにどんなに国際的な活動をしても、日本ではそうしたことが報道されないのです。私は40年来ずっとそういう立場に置かれているのですが、日本の人々はそれを知りません。
それはたとえば、私がチェルノブイリの子供たちを助けているときにも、私を拉致するためにマフィアまで使ったのです。しかしロシアの国家サイドがそれ から必死に護ってくれたので、逆に誰の指図であるかの悪事が次々と明らかになりました。その結果、エリツィン大統領はその宗教団体 (創価学会)をオウムと同じくカルトと判断し、宗教法まで改正しました。
私の医学や芸術活動は旧ソ連邦の国々だけではなく、当然、ヨーロッパでも大反響を起こしました。南ヨーロッパの地中海に浮かぶマルタ共和国では、私を サポートしてくれているメリック博士が私の絵の展覧会を開催する前に、GOPで重病の子どもを治してしまいました。その結果、ビザが取り消しになってしま い、それを知ったガン患者の家族がその扱いに騒ぎ立ててそれが現地の新聞の1面に出たことがありました。(写真13)
というのは、 今までラトビアやロシア、ウクライナなどでは、厚生省と病院とウイッピー総合研究所で臨床実験の契約をした後に、病気の治療をしていたからです。ところが メリック博士がマルタで、悲しんでいる患者の家族に同情して思わずGOPを使ってしまったのです。しかしマルタでは、GOPを使用させてくれるようにと国民の約8%が署名し、大統領に嘆願書が出されました。(写真14) このようなことからメリック博士にビザが下り、私はマルタで、博士と一緒にマルタ国の英雄として新聞一面扱いでした。(写真15) しかしそうであるのに、空港の入国審査ではストップされて、GOPの持込も、治療も禁止されてしまいまし た。
このようなことがあるので、某宗教団体 (創価学会) のメンバーたちが厚生労働省を牛耳っているような状態の日本では、GOPがどんなに効力があっても治療として使うことができません。ですから国内の重病患者の家族からも頼み込まれていますが、どうすることもできない現状にあるわけです。ですから頼むのなら、某宗教団体 (創価学会) が私に圧力をかけないように頼んでください。
そこで薬として認可してもらうためには、旧ソ連での臨床実験では弱いために、ヨーロッパでのスタンダードな臨床実験が必要になってきます。そのためにはまず、 効力があることを証明するために細胞実験から始めなくてはなりません。ロシアやラトビア、ウクライナなどでの臨床実験データによって1999年に、デンマークのコペンハーゲン大学でGOPの細胞実験を行なうことができました。その結果、がんに効く画期的な治療薬として証明されたために、ヨーロッパのテレビやラジオで取り上げられ、スウェーデンやデンマークでは新聞一面に掲載されました。(P.81) そしてこれからが世界的にGOPの活躍がすごいことになるのですが、それは次の機会に話しましょう。
私がGOPを完成させたのは1992年頃ですが、その効能のすごさに私自身が驚いてしまいました。しかも自然薬ですから副作用というものがありません。健康体の人が常用すれば若々しくなります。しいて言うと、元気になりすぎるのが副作用とでもいえるくらいです。そこで1996年頃には難病の人を何と かしてあげたいという気持ちでいっぱいでした。そんなときにオーストラリアから私の事務所へ、「ガンを治してください」という内容のファックスが来たこと があります。そこで50万円かけて、スタッフである北村君をオーストラリアまで派遣し、GOPでガンを治したことがあります。もちろん無料です。
その後、その女性がよくなってヨーロッパに旅行に行ったとき、かつて彼女が働いていたラトビアの病院に寄ったのです。そしてその後偶然にも、その病院 とラトビアの国立科学アカデミー、それにラトビア政府とウィッピー総合研究所の合意により、幸運にも初めて臨床実験が進められることになったのです。ラト ビアの臨床実験はすぐに、驚くべき効果を出したので、それが新聞に掲載されて大騒ぎになりました。この記事では取材のときは患者は6人と記載されていまし たが、残り3人は奇跡的に病状が回復して退院してしまった後だったからです。さらにテレビでドキュメンタリー番組として放送されたので、現地では大騒ぎに なりました。(写真18)
ところが、日本の外務省に巣食っている某宗教団体 (創価学会) のメンバーがこちらで暗躍し、病院は突然に患者の要望を放り出し、GOP の臨床試験を突然中止してしまったのです。しかもそれまで我々の通訳をしていたラトビアの通訳が、ラトビア駐在の日本大使館の人間と一緒にいるところを見 かけて以来、その通訳は一方的に我々の通訳の仕事を断ってくるようになりました。
それから後の話ですが、エリツィン大統領が 1996年の9月頃に危篤状態になっていたことがありました。それでラトビアでの私のGOPの臨床実験の成果を大統領府が聞きつけ、ある日特別な使いが私のところに来ました。それというのもクレムリン病院には100人くらいの医者がいますが、エリツィンの病気は秘密になっていたようで、医者たちにもわからなかったのかもしれません。しかも状況は、「エリツィンを治すな。治すならその主治医の親を殺す」という脅迫があり、両親を殺された主治医はアメリカに逃げてしまっているという状況にありました。そんな中で私に声がかかったのです。
彼らの知りたいことは、「エリツィン大統領の病状は何か? GOPで治せるか?」ということでした。そこで私は、危篤状態にあるエリツィン大統領の病 名とその理由を手紙に書きました。すると折り返し、「エリツィン大統領を必ず治せるか? 呼んだらすぐ来られるか? 返事をして書名できるか?」とファッ クスして来たので、両方とも「イエス」と書名して送り返したのです。
モスクワに出発する前日、東京のロシア大使館で新任の駐日ロシ ア大使の就任パーティがあって参加しました。その時、前に述べた友人が新任のパノフ大使に、「五井野さんがこれからエリツィン大統領を治しに行きます」と 興奮して言ってしまったことがありました。突然なので、パノフ大使は何のことかよくわからなかったようでした。次の日、私はモスクワ行きの飛行機に乗りま した。そして飛行機がモスクワ空港に着くと、なぜか軍人が2~3人乗って来ました。すると飛行機はそのままバックしてタラップで降りることになりました。
私が立ち上がると、美しいキャビンアテンダントが私を静止させ、日本の都甲(とごう)ロシア大使が先にタラップを降りることになりましたが、下では迎 えの大使館の人たちが大声で叫んでいるのです。次に私がタラップを降りるとメリック博士が出迎えてくれて、私を一般用のバスに案内するのです。私がどうし て「VIPじゃないの?」と言うと、私のスタッフ全員がタラップを降りるのを確認すると、突然、「ドクター、急げ!」と言って、都甲大使のVIP専用車に スタッフとともに案内してくれました。
大使の専用車に私たちが乗っても、日本の大使館員たちは何も話しかけてきません。
私がエリツィン大統領の招待を受けているのに、じっと黙っているだけです。後で考えたことですが、その時、私が狙われてはいけないと言うことで大使館側の人がわざと大声を出して、大使を先に降ろさせて私の身代わりになってくれていたのかもしれません。空港の案内室に入ると大使館側の人たちはサッといな くなり、私たちは花束を持ったロシア国立芸術アカデミー副総裁と事務局長など一行の歓迎を受けました。
私がアカデミーの人たちと話 していると、私を送迎するはずのボルボがいなくなり、しばらくして再びやって来ました。メリック博士が、「長く駐車していられないので、急いであなただけ乗りなさい!」と言います。「どうして?」とモタモタしていると、またボルボはいなくなる。そんなことを何度か繰り返して、最後に私とスタッフだけを乗せ てボルボは走り出しました。ほとんど渋滞なしで突っ走りましたが、後でわかったことですが、メリック博士によるとモスクワ空港には私の安全のために40人のKGBが守っており、私が重要人物であることを知らせないために素早く乗車させたということでした。(当時はボルボの新車はVIPしか乗れなかった)
また渋滞がなかったのは、左右の道路をすべてストップさせていたからだと説明されました。しかも私たちの後ろには、替え玉のまったく同じ色のボルボがついて来ていた。泊まるホテルにも、重要人物とレストランで会う時にも、常にKGBの人たちが従業員として警備していたことも後でメリック博士から聞かさ れました。そうしてやっとエリツィン大統領にGOPが渡され、大統領は奇跡的に回復したのです。そんなことがあって、私はエリツィンに信頼され、親しく なったのです。
エリツィン大統領は「北方四島を日本と共同で芸術の島にする」と、ロシアのテレビで語った
その後 1ヶ月くらい後の1996年11月頃に、日本とロシアで日ロ国交回復40周年記念集会がありました。そのとき日ロ協会の会長の三塚大蔵大臣や外務省の東郷 次席公使、それにペンクラブ代表や日本相撲協会理事長なども出席し、私も特別ゲストとして出席しました。ロシア側は教育大臣など9名くらいが出席しまし た。私はその時にロシアの教育大臣に、北方四島返還に関する平和条約10項目の提案書を渡し、その後もちろんエリツィン大統領にも渡しました。
エリツィン大統領は、北方四島返還に関する平和条約10項目が、提案書の中で「一番最高で実現性が高い」と支持してくれました。というのもこの日に、 日本・ロシア・アメリカから300もの提案書があったのだそうです。私の北方四島返還に関する平和条約10項目の提案というのは、簡単に言うと四島にすで に住んでいる地元の人々のことを考えて、北方四島にまず日本がインフラ整備をすることでした。どうせ戻ってくるのですから、日本は10年間で1兆円かけて もいいでしょう。10年間はロシア領土のままで、10年後には日本に戻る。しかし戻ってからも10年間はロシアも使えるというものです。(1997年11 月15日『ウイッピータイムス』発行。写真19)つまり20年間かけて、北方四島に芸術の国、文化の国をつくろうという話です。
エリツィン大統領も賛成し、外務省を通じて当時の橋本首相にも知らされました。ですから外務省が知らないわけがありません。しかし日本国民には何も知らされず、コントロールされているマスコミは何も報道しなかったのです。(略)
ところが某宗教団体 (創価学会)の票と政治協力を再び自民党に呼び戻すために、暗躍した某国会議員と外務省が何度も邪魔を しました。もし私の活動が彼らによってぶち壊しさえされなければ、日本とロシアは平和条約を結び、北方四島は戻ったはずなのです。(ネットで「五井野正・ あおぽ」で検索し、『あおぽ』のホームページで五井野正博士特別寄稿の記事から”北方四島は戻るはずだった!!”の記事を開いてください)。
そのことを、当時のロシア問題の関係者で外務省筋の友人、当時の真樹会の事務局長に述べたら、「そんな重要なことが日本でニュースになっていないとはどういうことか」と驚いていました。そうしたことからもわかるように、日本のマスコミは某宗教団体 (創価学会) からアメとムチで支配されており、某宗教団体 (創価学会) の会員たちがマスコミの社員や幹部として送り込まれているだけでなく、日本の政治家や官僚など隅々まで彼らに牛耳られているという現実があります。
(日本の某宗教団体 (創価学会) の政治的妨害で、日本は境界線だけ引いてくれればいいと逆提案をして、結局、北方四島返還も日ロ平和条約も反故(ほご)になってしまったという事実は、日本のマスコミ界では今でもタブーとされています。)
book 『今、知らなければいけない重大な真実を語るメジャーな人々 Vol1』
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1275318/1293328/91560568?page=1
「大事にしてたのは嘘ではないよ」
分かってほしい、分かんないよね
私のブログは悪意で燃やして
火サス見終わって二階に上がって
ご飯できたよって息子に触って
散らばった夢は全部捨てた
真夜中のスクランブルエッグ
私もこんな風になりたかった
over thirty おばさん
鏡の中でちょっとマシにやっている
お前の国の言葉なんて知らない
桜が終わって40デニール
味見しなきゃ分かんないよなんてね
今すぐ会いに行くよ
今だから君に夢中
ムキになっても恥ずかしくないほど青春だったね
見たことないけど多分すごく
新しく通った高速道路
ウエディングロード
新車のローン
over thirty おばさんを
散らばった夢は全部捨てた
真夜中のスクランブルエッグ
私も誰かとこんな風になりたかった
over thirty おばさん
鏡の中でちょとましにやっている
over thirty おばさん
OVER THE PARTY
姉が急病になって急に倒れました。
めまいがすると言っていたら急に倒れて、呂律がまわらない感じ。
救急車を呼んだのだけど、運悪く家の前の路地に違法駐車があって救急車が入れん。
姉まじどうなるんだと思ったら、父が車の窓をたたき割って、ペンチでなんかやったと思うと、「車後ろから押せ!」と言われ。
サイドブレーキをを壊したのか? なんか動かせて救急車が入れました。
無事に姉は搬送されて、しばらく入院したけども無事に後遺症もなく回復しました。
で。
その後、例の車の所有者から連絡があって、まあ結構壊れていたらしい。
まあ違法駐車とはいえ壊したのは親父だし、修理代を渡してなんとか示談は済んだようだ。
それが4年前にあった話な。
先月、親父が新車を買ったんだ。
そしたら4年前に車を壊されたおっさんがさ、それを知ったみたいなのね。
そしたら連絡があってさ、
「新車を購入するなんて当時のことを反省していない、車を壊された私の心がすごく苦しい。傷つけた」
と言ってきたわけ。
いやいや、示談すんでるやん、とお父さんは正当化するわけで、それは当たり前だと思う。
で、先週が親父の誕生日でさ。
あの時親父のおかげで一命を取り留めた姉が、親父のために何をしようっていろいろ考えてさ。
まあ料理とか作ってお祝いしたのね
それもどこで知ったのか例の車のおっさんがさ。
親父があんなことしたのに、なんでお前はおやじに感謝なんかしてんの? って、家の前でいきなり言われたそうな。
まじ怖がっていた姉がかわいそう。
靖国参拝問題について
GW最後の日を自宅でエンジョイしているはてなの皆さん、ごきげんよう。毎年恒例、5月の憂鬱の時間ですよ。
付き合って長くなる相手がいる。付き合う前に私は結婚をしない主義だと明確に伝えている。
すごくざっくり言うと「そろそろ胎を括って俺との結婚を考えたらどうだ」みたいな事を言われた。
私が当初伝えた結婚への考え方の事を綺麗さっぱり忘れているわけではないだろうが、「付き合いも長くなってきてお互いの事もすっかりわかっているし、最初に言ってたような強情な結婚観は解けてきて、もう今更女で一生独り身なんて非現実的な事は考えは捨てて、無難な落とし所ってものを分かってきている頃だ」などと都合よく思っているのだろう。
今の私達は、互いに仕事を持って住居をおのおの確保して非効率(何がとは言ってなかったけど多分、経済的な意味で)だ、
一緒になれば、いろんな事(何をとは言っていなかったけど多分、私が懸念している私の親の老後とか)を解決できるに違いない、
といわれた。
だが、私には結婚にそんな希望を見出せない。結婚に明るいイメージを持てない。
結婚をすれば、避妊具無しの性行為を受け入れるよう暗黙の内に強いられるだろう。拒否して相手の機嫌が悪くなれば、私の生活の拠点がストレスの源になる。嫌だ。殴られるかもしれない。嫌だ。離縁を申し渡されるかもしれない、戸籍に傷がつく。嫌だ。
かと言って、子供を持つのは嫌だ。妊娠しませんようにと祈りながら避妊具無しの相手を受け入れるなど、愚の骨頂ではないか。私に避妊具無しの相手を受け入れるという選択肢は無い。
子供を持てば、子育て自体が経済的にも肉体的にも大変な負担なので、衰えた親に手を貸すことが益々難しくなる。私は、自分の両親に安らかに老後を生きて死んでほしい。子供なんて要らない。あんな煩くて、大飯ぐらいで、不潔で、自己主張が強くて、躾のなっていない犬みたいな生き物。その上人権なんか持ってて扱いづらい。犬よりタチが悪い。自分の子供時代を思い出して冷静に分析しても、やっぱり躾のなってない犬同然だった。
結婚をして、万が一子供を作らずにすんだとしても、私の背負っているものを相手が半分背負ってくれるというイメージをまったく持てない。
結婚してしまったら、私が自分の親に心を砕けば、「君には君の人生があるのだから」「君は君の、この家の生活をまずちゃんとすべきだ、君には兄弟がいるんだし、君一人がご両親の事を背負わなくていいんだ」とか何か綺麗ごとを言いながら親を助けることを制限されてしまう気がする。そして結婚相手のいう「君のすべきこと」とは、食事の上げ下げや洗濯をしながら収入を家に入れて、義理の親の機嫌をとったり援助をしたりすることなのだ。
業を煮やした私がある日「私とあなたの親はお義父さんとお義母さんだけじゃないのよ。私には自分の生みの両親も大事なの」と言えば、「まあまあ、そう言わないでさ、今日は付き合ってよ。親父とお袋も寂しいんだって。君の両親にもいつでも電話してあげれば良いし、今度お土産もってゆっくり会いに行こうじゃない。車出してさ」となだめすかすのだ。
義理の両親は私達にニコニコ顔で食事をご馳走するが、私の中では「外食なんかする金なんかあるんなら、後生大事に貯金しておいてよね。将来介護つきの老人ホームに入る金くらい自分で何とかしてくれよ。お前ら、持ち家あって、嫁は専業主婦で、子供は一人だけで、世帯主はまだ現役サラリーマン。家計に余裕あるんだろうが」という本音が渦巻く。自分の2本の腕で、義理の親の下の世話と生みの親の下の世話、どちらかしか出来ないとなればどちらを選びたいかなんて決まっている。いらん娯楽に金費やすなボケが。
私は「私の親のこと、家族の心配事の負担を軽くするためにに力を貸してくれるんじゃなかったの? 新車なんかどうでもいい!そのお金があれば、少しでも私の親の先行きの不安を取って上げられるのに!!」と心の中で叫びながら食後の後片付けをしたりするのだ。
私は今、年金だけでは家を守れないから衰えた体に鞭打って働く父と、まだいくらか体力に余裕はあるもののフルタイムで働いてもすずめの涙ほどの収入しか得られない母親の家計を遠方から歯がゆい気持ちで見守っている。
母は私が一緒に暮らすのも選択肢の一つだと提案するとほっとした顔を見せるが、父はお前にはお前の将来があるからお前の将来に迷惑をかけられないと言って私の提案を固辞する。
私は、親が逝くのを最後まで見守りたい。そしてその後は出来れば介護や他人の経済的な支援が必要になる前に自分は都合よく居なくなってしまえたらいいなと思っている。親が死んだあとは、もう誰からも必要とされたくない。でないと、まだ生きないといけないから。
いわゆる「ハゲタカファンド」であるサーベラスが、西武HD経営陣と対立し、TOBを仕掛けている。
で、経営陣への要求として「不採算路線の整理」を挙げ、具体的には秩父線・新交通システム山口線・そして多摩川線を挙げた。
確かに多摩川線は、西武各線と切り離された離島路線で、かつ単線でローカル臭が漂っているので、
「確かにサーベラスが言う通り、不採算路線で切り捨て止むなしなんだろうなあ」と考えている人も多いだろう。
「多摩川線=大赤字」主張者のエビデンスの一つに、「推定営業係数」がある。
営業係数というのは、各路線毎に100円売り上げるために要したコストを示した係数で、
これが100を下回れば黒字、100を超えれば赤字、というインデックスである。
元々は国鉄赤字路線廃止のための尺度として用いられた概念である。
しかし、西武HDは、というか、全国の各鉄道事業者は、今は個別の営業係数を開示していない。
なので、外部から「推察」する格好になっており、直近では鉄道ジャーナリスト梅原淳氏が
週刊東洋経済臨時増刊号「鉄道完全解明2013」で公表している数値がある。
それによれば、多摩川線の推定営業係数は「241.9」の大赤字路線、と試算されている。
本当に売上の倍以上のコストが嵩んでいるなら廃止やむなし、となるが、ホントにホントか?
梅原氏の推計仮定に誤りや無理があって、過大に赤字評価されているのではないか?
梅原氏によれば、推計営業係数は、以下の方法で算出している。
★売上=鉄道事業者の鉄道売上全体×(当該路線の旅客人キロ÷全路線の旅客人キロ)
★運送費=鉄道事業者の運送費全体×(当該路線の旅客人キロ÷全路線の旅客人キロ)
★減価償却費等=鉄道事業者の減価償却費等全体×(当該路線の営業延長÷全路線の営業延長)
この推計方法を、池袋線新宿線という大幹線と多摩川線のような枝線を抱える西武鉄道という鉄道事業体に
自分から見ると、この推計方法を、西武のような路線格差が生じている事業体に適用するには、極めて乱暴じゃないか?と思っている。
本当の営業係数と、推計営業係数の、想定される「ズレ」要因を、以下に列記する。
1.実際の営業係数は、推計値より悪い、と思われる要因
★多摩川線の車両は、いわゆる本線系統で長年走っていた車両が「お古」でやってくる。
従って、電力消費が多大⇒推計よりも運送費は嵩んでいると推察される。
つまり、同じ旅客人キロでも、運送費は多摩川線の方が嵩んでいると思われる。
(逆のいい方をすれば、本線は乗客を多量に詰め込むことによって、運送コストを抑えている、と言える)
以上が「多摩川線の営業係数は、推計より悪くなる」という要因だが、
逆に「多摩川線の営業係数は、推計よりも良くなる」という要因の方が、ずっと多い。
2.実際の営業係数は、推計値よりも良い、と思われる要因
★多摩川線は、路線延長が短く、全ての乗車は数キロの乗車でしかない。
初乗り区間の乗車も数多い、と思われる。
鉄道会社の運賃体系は、短距離だと(対乗車キロ単価で)割高運賃になり、
長距離だと割安運賃になる。
なので、短距離乗車ばかりの多摩川線は、「儲かりやすい初乗り乗客比率が高く」、
より売上は多いと推察される。
基本流動は是政が末端で、武蔵境に向かって増えていく、という流動だが、
つまり、双方向流動がある。
本線系の場合は、朝ラッシュ時に池袋・高田馬場へ向かう流動(夕方は逆)が圧倒的で、
逆方向流動は少ない、つまり逆方向輸送の効率は良くないのだが、
多摩川線は、本線系統よりも逆方向流動比率が高い、つまり「効率がいい」。
★沿線に「競艇場前」という駅があり、競艇開催日には競艇客輸送をしている。
競艇客は、普通運賃客(割引率の高い定期客ではない)なので、売上は高くなる。
練馬~石神井公園の高架複々線化などは最近終わったばかりだし、
有楽町線(練馬~小竹向原)は地下線だから、相当な減価償却になる。
あるとすれば武蔵境の高架工事だが、これも大半は国や都の税金で事業を行なった筈だ。
つまり、西武全体の減価償却比率と比べると、多摩川線は減価償却がずっと進んでいる筈。
「単純な路線延長按分」で算出された数値とのズレは大きいはずだ。
駅舎などの減価償却も然り。(武蔵境を除き)旧態依然な多摩川線の駅舎は、とっくに減価償却終わってる筈だ。
あと、多摩川線は単線、本線系は大半が複線。路線の減価償却となると、単線か複線かの違いは大きい。
★車両の減価償却、という観点では、新車が多数投入されている本線系統の減価償却負担が大きく、
★そもそも「路線延長で比例配分して、車両の減価償却費用を按分する」というのは、
多摩川線は4両、本線系は8~10両。同じ1編成でも、減価償却は倍違う。
さらにラッシュ時の運行本数からして、路線長単位の本数落差は甚大。
路線長1キロ当たりの車両減価償却費用は、恐らく本線系は10倍以上嵩んでいると思われる。
・・・と眺めていくと、トータルでは、多摩川線の営業係数は、推計よりも「良い」と推察される。
さらに、多摩川線のようなミニ路線、売上も少なければ費用も少ない路線だと、
例えば、売上10億費用10億の「A線」と、売上100億費用100億の「B線」があったとする。
推計計算の過程で、費用を10億余分に見込んでしまった場合、B線の営業係数は100⇒110になる程度だが、
A線の営業係数は100⇒200と、思いっきり悪化する。
つまり、ささいな推計のブレは、零細路線では大きなブレとなってしまうのだ。
ということで、自分は梅原氏の推計営業係数「241.9」というのは、殆どウソ、眉唾に近いと考えている。
では、本当の係数はどれくらいなのか?
ここから先はあくまで推察であるが、首都圏で似たような境遇の「流鉄」(総武流山鉄道)の営業係数は「120.8」とされている。
また、近畿圏で似たような境遇の「水間鉄道」の営業係数は「130.3」とされている。
これらの事業体は、鉄道路線は1路線しか有してないので、この営業係数はまあまあ信頼できるだろう。
・・・となると、多摩川線の営業係数は、悪くても120~130、恐らく110程度ではないか、と思われる。
地方鉄道の豊橋鉄道、ここは多摩川線よりも輸送人員は少なそうだが、豊橋鉄道で「96.9」の黒字だから、
多摩川線も、実は黒字、という可能性も、案外ありえると思ってる。
まあ営業係数110程度として、それくらいなら、多少の努力で黒字に出来る数字である。
禁じ手かもしれないが、10%値上げすれば黒字化出来る。
あと、西武グループトータルで見れば「黒字」という可能性だってある。
沿線は建売供給エリアで、三井不動産レジデンシャルとかがファインコートシリーズを供給したりしてる。
三井不レジは、23区内だとグループ内の三井ホームに施工させてるが、府中市とか小金井市の物件だと「西武建設」に施工させるケースが多い。
ということは、多摩川線を維持⇒三井不レジが沿線で建売計画⇒西武建設に施工依頼、ということで、
少々路線が赤字でも、西武建設の施工売上で挽回する、ということもありえる。
・・・ということで、梅原氏の営業係数推計は、こと西武のような「幹線と枝線の双方有する会社」に適用するのは
相当に乱暴な議論だと思う。
煽りでもなんでもなく、何するにでも一緒だった相棒のような存在。
思い入れがあれば通す所だけど、いずれは訪れる別れと思ってあきらめることにした。
車なんて必要ないよな、と思ったけど地方都市ではやはり車は必要。
そこで、スズキのディーラーで聞くと現行パレットを1年限定でリースしているとのこと。
おそらく、今月中にFMCするんだろう(車名がスペーシアだかなんだか)。
俺は車は道具だと思っているからオイル交換ぐらいのメンテナンスはするけど洗車なんてしない。
そう思っていてもやはり相棒は相棒だった。心の空白はやはりできてしまう。
きっと、娘を嫁に出す父親はこんな心境なのかなとも思った。
俺にとっては次は初めての新車。心を切り替えて楽しもうと思う。
音楽の歴史にはさほど詳しくない素人として、オケの楽器編成はいつも不思議に思う。
オケの音楽様式はリュリがその形を作ったとされていて、大雑把に言ってしまえば、弦楽器が表現の中核で、それで表しきれない部分を管楽器や打楽器が補う。
時代が下るにつれて、管打の存在感は増してきたけど、それでも基本は割と同じ。
だって楽器が高い上に、育成にも非常に時間が掛かる弦楽器奏者を、大人数揃えないといけないから。
ヴァイオリンなんて最たるもので、プロになるなら就学前から習い始めるのが当たり前、楽器のお値段は最安でも新車が買えるレベルという奏者の皆さんが、ベートーヴェン以降の作品だったら最低でも30人は必要。
一方、オケ以外の器楽グループ、特に管楽器メインのビッグバンドとか吹奏楽とかだったら、プロでも始めたのは中学高校の部活動からで、別に最初からプロ目指していたわけじゃない人がほとんどだし、楽器だって管体が貴金属というだけで高価なフルートとかでもヴァイオリンの銘器と比べたら全然安いし、何よりメンバーが30人もいたら「何でもできる、あるいは多すぎ」レベルなのに、オケではヴァイオリンの1st2ndという、たった2つのパートしか揃わない。
これが今の今まで1ジャンルとして確固たる地位を築いていることが驚きだ。
もちろん「表現は効率とは無関係なんだよ低俗なツッコミはやめろクソが」と言われればその通りなんだけど、オケの本場のヨーロッパでも、あんだけ無駄と非効率の塊みたいな音楽が愛されてきたのが「ケタ違いの表現力」の一言では済まされない気がするんだよね。
原子力発電に安全神話があるように、太陽光発電にも安全神話がある。安全安心でメンテナンスフリーという神話である。
普通の一軒家に設置するような光発電システムは、10年も使っていると5軒に1軒ぐらいはパワーコンディショナが修理か交換になってしまう。7軒に1軒ぐらいは、ソーラーパネルも1枚以上交換している。果たして、投資の一環としてはじめた屋根借りるタイプのにわか太陽光発電業者や、元が取れると家主に設備を買わせようとする施工業者は、利益率の計算にその費用をちゃんと入れているのだろうか…?
ソーラーパネルの製造元は、10年保証や25年保証と言った長期保証をつけるから大丈夫だ、と思うかもしれない。ところが、システムが完全にダメになる前に、出力が落ちている、というのに気づくのは困難なのだ。
太陽光発電は設置したら終わり、と思われている。だから、ほとんどの場合、点検は太陽光発電システムのオーナーが自腹で点検をよばないとしてもらえないのだ。しかも、点検項目はパネルがしっかりと設置されていてゆるみがないか、配線はしっかりしているか、などであり、パワーコンディショナやパネルの性能チェックや故障チェックをする項目がないのだ。これでは、長期保証がついていても交換してくれとメーカーに言うことすらできない。だって、気づいていないのだから。
一つ一つのソーラーセルは、半導体製造装置からそのまま出てくる代物で、確かにそれだけならかなりメンテナンスフリーである。ただ、ひとつ0.6Vぐらいしか電圧がないので、かなりの数を直列に接続してモジュールにしたてないといけない。ここに、壊れる要因が潜んでいる。それぞれのセルを表・裏・表・裏とつないでいく配線にたいへんな電流が流れるので、長年使っていると弱いところから発熱に負けてハンダづけしたところが外れたりして断線が起こってしまうのだ。一箇所切れると、切れなかった配線に電流が集中し、発熱し、また一番弱いところが切れていく。それが全部切れると、パネル1枚無効になってバイパスダイオードに他のパネルで発電した電流が通る。それを長年続けると、バイパスダイオードが切れて、パネルの残りに電流が流れていく…
パネル全体が急にダメになれば、普段から出力をこまめに知っていれば普段と違うのでわかる。一部ダメになっているのは、なんと屋根から1枚ずつはがして検査しないと、メーカーでもわからない…
ハンダが溶けて外れるぐらいの熱を出している、壊れたソーラーパネルが屋根にのっていたり、屋根に組み込んであったりしても、安全なのだろうか?
まあ当然、まったくもって安全ではない。家ごと燃えることもある。国内事例だと消費者庁のサイトに一件だけ公表されているのがあるそうな。欧米では結構ばんばん燃えているらしい。日中燃えると、水をかけることができないので燃えっぱなしになるそうだ。消防士感電しちゃうからね。
家が燃えている時、水をかけたいから発電を止めたい、と思っても太陽光発電はとまらない。光が当たると絶対に電気が出てしまうのだ。原子力発電とは違った意味で、太陽光発電も人間の都合では止まらない。ほったらかした太陽光発電は、安全でも安心でもないのだ。
点検をしよう。モジュールの劣化に気づくような点検をしようよ。
発熱からの火災が怖いんで、調子悪いところはもともと発熱しているわけだし、温度を調べればいい。かといって屋根全体を温度計くっつけてまわるわけにもいかないから、ここは赤外線カメラ、サーモグラフィの出番だ。まあ、安いのでも20万円以上、高いのはコンパクトカーの新車ぐらいと、ちょっとしゃれにならない金額なんですけどね…
こまめに温度を測って点検することで、異常に早く気づいて対処することができるようになる。パネルの一部に影が落ちたり、汚れがあったりするだけでパネルの温度は均等ではなくなって部分発熱したりするようだから、素人が撮影して「うわー発熱してるー火事だー故障だー」っていうのはまずいらしいけど、点検できる人材を一定量確保して、定期点検するように、公共としてはしないと火事がヤバイと思うよ。
ブコメで指摘する人が出たので。そう、元ネタは産総研の加藤和彦先生の講演。
みんな、俺の文章なんて読んでいないで加藤先生の本「太陽光発電システムの不具合事例ファイル」を買うんだ。
http://www.enecho.meti.go.jp/saiene/renewable/solar/index.html
感電の証拠ね。言うと思ったんだ。ぐぐるぐらいしかできないし間接なんだけど。
http://www.enecho.meti.go.jp/energy/jutaku/hyoujun/hyoujun1/yousi22-1.pdf
http://www.zaimu.metro.tokyo.jp/syukei1/zaisei/23jigyouhyouka1/02_jiritu/23jiritu104.pdf
http://www.fdma.go.jp/neuter/topics/houdou/h24/2403/240327_1houdou/01_houdoushiryou.pdf
まあ、本当の根拠をとうとうと回答できるのは加藤先生な。最近、講演でひっぱりだこだそうよ。
あっ
昨日は遠くに住んでいるあの人と会えた、素晴らしい日。
昨日は午前中はバードウォッチング、午後から夕方にかけては街中まで車で出て、映画を2本見ることに。
映画と映画の間に、イタリア料理を食べる。あの人は助手席の人だから、お酒を飲む。僕は運転手だから飲まないでいる。
こういうのが当たり前になって1年近くになる。長距離のドライブでも、僕の車に乗ってくれる。
僕の車は、正直言って男が乗る車ではない。急に車が必要になって、クルマ選びの方法もわからないで、買った車。
それなりに運転していて、運転の楽しさを教えてくれた車でもあったが、中古車ゆえのトラブルも多くなってきた。
そんなとき、仕事で知り合ったディーラーさんから先月電話をもらい、話だけ聞こうということで、隣町へ。
そして結局のところ、決算前とか何とか、口車に乗ってしまった。乗ってしまったのは、セールストークにやられただけじゃない。
今乗っている車が、やはり助手席に女の人を乗っけるには、さすがにどうなのかなという気持ちが湧いていた。
僕が選んだ車は、女性オーナーがあまり多くない車だ。男性らしいデザインとかいう宣伝文句で売られてもいた。
それに中古車である現在の愛車を買って少しした時にカタログで見て、これいいな・・・でもなとか思ったこともあった。
そんなこんなで、男らしい車に今月下旬に切り替える。具体的な納車日はまだわからないので、ドキドキしながら待っている。
昨日はそのことを、結局あの人には言わなかった。喉まで出かかった、今度新車買うんだよ、の言葉。でも。
そのことを言わないでいるのは、驚かせたいから。家まで新車で行って、驚いた顔をするであろうあの人を思い浮かべる。
黒い色の車。今の車よりも1.5倍大きい車。運転には慣れないといけないが、試乗してみて大丈夫かなと思ってる。
早く新しい車に、あの人を助手席に乗せて、ドライブに連れていきたい。気に入ってくれると信じてるけど、どうだろう。
何はともあれ、今月下旬が待ち遠しい。早く納車日がわかればいいのに。人生で一番大きな買い物だ。
これほどまでに、車のことが気にかかるなんて、つい少し前までは思いもしなかった。車って、いいものだと思う。
私は産まれ持って運が良い。いや、良かった。
父親は建築家、母親は音楽家の家で、世田谷にある比較的大きな一軒家に産まれ、私立の幼稚園に行かされ、小学校は両親が「ずっと私立では現実が見れないから」と公立に行かされたのだが、中学高校はエスカレート式の某有名私立進学校へ。大学はアメリカの某校。母親の影響で小さい頃は音楽の道を目指しはしたが、大学でコンピュータサイエンスの分野に触れ、魅了され、その手の博士号も取得した。
正直、そこまではほとんど何の苦労もしなかった。ぶっちゃけた話、少なくとも中学受験はおそらく裏口だったんだと思う。勉強をせずに遊んでばかりいたので試験問題の半分も分からなかったから。来てくれていた家庭教師の先生、ごめん。
お金にも困ったことはない。幼稚園小学校の頃は1日1000円持たされていたけれど、お金の使い道も特にないし、駄菓子屋的なところで使ってもお金は無くならないし、何に使ったら良いか分からなかった。中高では銀行口座を作ってもらい、必要な分だけ自分で引き出して使うように言われていた。その口座の預金額が7桁を切ったことは今まで一度も無い。渡米し大学に入り、初めて持たされたクレジットカードも数字が15桁の黒色だったし、大学の寮に入ることもなく、大学から少し遠くはなるが郊外にある丘の中腹に、プール付きの一軒家(これは流石に中古だったが)と、新車を買いそろえて貰った。友達と飲む時はいつもオゴっていた。自宅で派手な乱交パーティをしたときは警察が来たが、いくらかお金を払って見逃してもらった。というかその警察官も参加したかったようだった(お金を渡したあと、しばらく居座り、ニヤニヤしていた)。
そして昨年の頭に帰国した。父親の具合が悪くなり、3ヶ月に1度ぐらい日本の実家に帰ってきていたので久しぶりの日本という訳ではなかったが、親の体調の事も考え、日本に戻ってきたのだ。母親もあまり日本に居ることが少ないので私が父親の面倒を見ることにした。特に余命宣告されているとか、そこまで悪い訳ではないのでのんびりしたかったというのもあるが。
日本で何もしない訳にはいかないので、コンピュータサイエンスに秀でたいくつかの大学研究室に問い合わせ、研究員を探していないか、という旨を伝えるも全て空振り。どこも「足りている」らしいのだ。
仕方ないので外資系のIT企業にいくつか在籍などしてみたが、どうにも上手くコミュニケーションがとれず、どこも1ヶ月ほどで転々する生活を送っていた。
固定のお付き合いしている女性はいなかったが、寄ってくるのはいわゆる玉の輿を狙っているアラサー女性ばかり。パーティなどを開いてもつまらなかった。
結局、日本に帰ってきてもう一年半が経つが何も生産的な事が行えていない。自宅でアメリカの教授とSkypeでやりとりをしつつ研究開発を行ったりはしているが、無報酬だ。一度だけ出版社から書籍を執筆しないかと依頼が来たが断った。マネービジネス本を書けるほどの経済への知識も無い。
そしてこの半年ほど、母親が日本に帰ってこない。ネットの某掲示板ではヨーロッパで素敵な男性とよろしくやってるなどという噂もあるようだが、真相は分からない。
予約が必要な人気の車種を、予約しないで生産終了から5年後くらいに安値で買おうとして、なんで新車が残ってないんだ!って言ってるように見える
嫁・彼女を車に例えて考えてみた。
車を買おう。
でも車は高い買い物。
新車の何がいいって車体には傷一つなくてピカピカだし、
それだけでテンションが上がる。
対して中古車は、他人の手垢がついてたり、車内に異臭が染み付いてることもあるだろう。
ムリな運転でエンジンも多少傷んでるかもしれないし、あちこちガタが来てて当たり前。
いや軽い事故ならまだいい。
百歩譲って事故車でもいいとする。
多少故障が多くたって、機能として走ることが出来るのであれば。
でも何が一番嫌か。
カーセックスに使われていたりするかもしれないし、何か得体の知れないモノを積んでいた可能性だってある。
前のオーナーに自分の知らない場所で、自分の想像だにしない使われ方をされていたらどうするよ。
そう考え始めると、新車に比べたら中古車は安くて手に入れやすいかもしれないけど、
もし金持ちの知り合いに「同じ車種の新車と中古車、どっちか君の好きなほう上げるよ」
ヤバい誰か論破して!
消費税増税って、住宅取引に代表される高額取引には致命的ダメージを与えるのだが、同時に
「新築から中古へ」「新品から中古品へ」の流れを加速すると思う。
例えば、土地=2,000万円、税前建物=2,000万円のマンションの場合、
消費税額=2,000万円×5%=100万円、だったのが、2,000万円×10%=200万円となる。
エンド価格で見れば、税込み4,100万円⇒4,200万円になる訳だ。
個人、というのは、「業として不動産取引をしていない、いわば素人間の取引」だから、消費税は課税されない。
中古マンションは、経年劣化分のハンディとか、仲介手数料や取引諸税がかかるというハンディがあるので、
新築マンションと同価格では競争力ないが、新築価格比で2~3割ディスカウントした価格が相場とされる。
(中古マンションの方が、駅近や南向などの好立地マンションが多いので、 さほどディスカウントされない、という地域もある)
新築の相場が4,100万円なら、中古は2,900~3,300万円程度が相場か?
で、ここで新築マンションが税率10%化されて4,200万円になる、ということは、
新築・中古の価格乖離が100万円上積みされる、ということだ。
新築マンションが不利になって中古マンションが有利になる、というのは、
「既存ストックの有効活用」という面では「環境に優しい」と言えるが、
他方「従前の旧式な省エネ性能な住宅が温存され、最先端の省エネ性能の住宅の普及が妨げられる」
という面では「環境に優しくない」とも言える。
住宅に限らず、一般財で考えても、
「法人取引に課税し、他方個人間取引を課税しない」日本の消費税制は、
「商取引を法人間取引から、個人間取引へ誘導する性格がある」と言える。
税制として、商取引に対し中立でなく、歪みを生じさせるということだ。
家電製品・パソコン・ブランド品・書籍、いずれも「新品より中古が有利」となる。
ヤフオクが有利になり、新品メーカーが不利になる、ということ。
税率5%では顕在化しなかった中立性への悪影響は、税率10%になると無視できないレベルに拡大する恐れがある。
この辺の「税制による商取引中立性への歪み」を是正するには、
存在意義が出てくるのは
のどれかの要件を満たさないといけない。
「免許も持たない交通弱者の救済」を企図していないことは明らか。
となると、大幅に安い価格にするとか、
「自転車並に路駐が出来る」とか、その辺のメリットがないと普及しない。
新たに作った「超小型車規格」が、革新的に安価になるとは、とても想像できない。
軽自動車の新車よりは安くなるのかもしれないが、軽自動車の中古よりは高くなってしまうのでは?
価格の観点では、「超小型車買うよりは軽自動車の中古を買う方がオトク」となる。
(数年経過すれば超小型車の中古、というのも出回るのかもしれないが、絶対流通量は少ないだろう)
現状では、「EVに仕立てて、燃費(電気代)が安いことをメリットにする」という考えのようだが、
そんなに燃費が決め手になるのか?
現状考えられているような「10キロ程度のちょい乗り」ということだと、
なによりも問題なのは
高速道路以外でも走行禁止区間が出てくる、となると、普段遣いに問題が出るのでは?
(恐らく、バイパス道などの走行を制限するつもりか?)
「国交省役人の「こんなクルマがあったら売れるハズ」「交通弱者が救済されるハズ」という
全く無意味な脳内妄想の産物」で、それに自動車メーカーがお付き合いしている、という構図じゃないか?
少なくとも対外輸出できるようなスペックじゃないと、「ガラパゴスケータイ」の二の舞になる。
Googleが研究しているようなオートドライブ技術を極めたり、
あるいは軽自動車のカーシェアネットワークを地方自治体が運営したり、
そういう方が効果的では?
ケーブルTV見てたしネット引いてネトゲしてたし食事も普通だったし普通免許もとって新車も買ったぞ?
(時給590円くらいで朝から晩まで月~土働いて、サービス残業あたりまえタイムカード前押しでそんなもん)
いまだと最低時給あがってるとはいえ、うちのあたりだと700円ないから、同じ感じで働いても年収170万いくかいかないかだろうね
そういう非正規雇用のひとらがみんな切り詰めた趣味もない生活をしてるかというとそうでもない
200万ってかなり余裕あるよ
まともな生活ができないと贅沢ができないの間にはかなり幅があるのでイコールではない
あ~地域差かなぁ
http://todo-ran.com/t/categ/10014
新車かどうかという話しとは関係なく、ふと思ったんだけど、日本って高齢化が進んでいる上に人口が減っていってるじゃない。だとするとクルマを運転する人数も減ってると考えるべきだから、保有台数に変わりがないというのはどういうことなんだろう?
複数台持つ人、あるいは今まで持っていなかった人が買うようになった?
そもそも「車離れ」自体が正しくない
http://blogs.itmedia.co.jp/isojima/2012/02/post-3107.html
しかし車の保有台数は概ね横ばい。(あえて言うならむしろ微増)
つまり、昔も今も同じように車を保有し、乗っているわけだ。
あくまで「車購入離れ」であって、車に対する意識や態度は何も変わっていないと見て良い。
「車離れ」自体が事実に反する表現なので「むしろ今の方が~」とかの論も「車離れ論」と
ナンセンスな点では一緒。
まあ「車離れ」という表現を考えた人は「新車の購入に限定された話」と分かった上で、
あえて誤解を招く表現にしたのかもしれないが。
事故のニュースじゃ決まって軽の方が亡くなってる⇒軽は自身に重きを置いてない・置かれてないような人が乗る車種⇒そこそこ責任が科せられてくる20後半独男で軽は恥ずかしい(と世間から見られてしまう)
以上の考えから、よく走って気に入ってたんだけど半年後に車検が切れるスバルR2から乗り換えようと思います。
年300万の底辺貧民なので予算は80~100万を頭金として、本体150~160万位の車を狙っています。中古含めて。
デミオスポルト(G:デザインが良くそこそこ余裕の走りが出来そう。維持費も安いしね。・B:内装が地味で、そこそこにしか走らなそう。)
スイフトスポーツ(G:このクラスじゃ(GTIを除いて)最高?B:デザインが…。ボディがリッター車なんで維持費が鬱陶しく感じるかも)
もう一声で、
ロードスター(良くも悪くも今しか乗れない。面白そうだけど、これ一台じゃ。あと通勤に使うと後ろ指指されそう。)
CR-Z(意外と洒落たデザインだけど、中身がFITとの噂も聞いて)