はてなキーワード: 学費とは
俺も身に覚えがあるような話だ。
俺は学生時代、他の増田が言ってるような「プログラミングで稼げば」っていうのを数年前に実際やってた。当時は工学系の学生だった。どことは言わないけど偏差値で言うと58程度の大学。
借りてた奨学金は学部時代が5万で、大学院時代は研究に集中したかったので8万にしていた。どちらも2種。親からの仕送りは学費の分のみ。
ただ、どうしたって稼ぎ方を覚えるに従って「もう大学いる意味あるのか?」とか「授業出るより研究するよりプログラミングした方がよくないか?」といった風になる。
ただでさえ金のない中高生時代を過ごしていた俺にとって、少し頑張れば贅沢できるというのは麻薬だった。
そうして、学業がおそろかになり、大学院は中退してしまったが、職も得て元気でやってる。
参考になるか分からんが、元増田には共感するし応援する。 10万稼いでるなら既にプログラミング系のバイトなのかな? 大学に行きながらそれだけ稼いでるなら大したもんだ。
応用情報を取ろうとしてるならそれも良いが、大学で学ぶべきことってのはそういう資格試験のような場当たり的な学びじゃなく、大きな事だ。
線形代数、数学やデータ構造、アルゴリズム、信号処理、そういった知識を身につけるべき。
増田の書き込みを見てると「大学の勉強」と「バイト」だけじゃなく、将来の不安から「資格試験の勉強」をしようとしてるようだけど、それは今ゼッタイに必要なのか?
少し肩の力を抜いてみても良いかもしれない。今のITはネットでブラックブラック言われるほど酷い状況じゃない、良い会社に入れれば着実に実力を伸ばして、良い収入に繋がるはずだ。
健闘を祈る。
しかし,家賃光熱費食費を引くと手元に残るのは約3万円。これは貯金して,資格のために回さないといけない。
こういう生活をしていると,他の人から「凄いね!いい経験になるよ!」とか,「将来大物になるよ」とか根拠のない賛辞をもらうことがあるんだけど,ちょっと引っかかる。
どう考えても生活に余裕があって,暇を持て余すような環境のほうが色んな学問に目を向けることだって,それにチャレンジすることだってできるんじゃないか?と思う。
自分は学校行ってバイトして,時間があれば家事をするといったサイクルを続けている。今年の3月に一人暮らしを始めてから,ずっとこういう生活だから,まだ大学生になって3ヶ月ぐらいにしか思えない。
あっという間に時間が過ぎて,今日もバイトを終えてご飯を作ってオフロに入ったらこんな時間。
勉強する時間,趣味を楽しむ時間もそんなにない。みんなは資格の講座を受けてる中,自分は家事バイト。
何より辛いのが,自動車免許が取れないこと。まず短期合宿をする時間がないし,お金もない。
奨学金は学費を支払うためだけに借りている。親が借金で痛い目にあったそうで,借金に関してはとても厳しい。保証人が親である以上,その親のやり方に従うしかない。
大学生活は多忙な身である為,余計な人間関係に巻き込まれず,「大勢が苦手」な友達に恵まれ,付かず離れずと言った距離で付き合っている。(部活はなかなか顔が出せなくてトラブルになって辞めたけど)
幸い,親の良いところが遺伝してくれたのか,勉強の時間は少なくてもしっかり覚えてるし,理解もできる。
お金がない人は大学に行かなきゃ,まともな家庭を持てないと思う。
うちの姉が高卒なんだけど,卒業して1年後に精神病で会社をやめている。
次に行くところは,俺のバイトとあんまり変わらない給料らしい。
姉は彼氏もいるし,女性だからまだマシだけど,自分がこうなったら生活できるのかわからない。中学時代に精神病で大変な目にあったので他人事じゃない。
大学を出ると,大卒の名がもらえるから,就職の幅が広がるらしい。そうやって,給料のマシな所へ進んでいかなきゃ,自分が家庭をもった時,みんなを守れないし,子供にも自分と同じ目を合わせることになる。
それ以外にも単純にこれからも知りたいことがたくさんあるっていうのもあったから,大学には進んだ。
姉も自分も高校卒業後一人暮らし。理由はこれ以上養えないとか,生活保護家庭だからとか色んな理由があると思うけど。
自分の家の家具はその姉のお下がり。働くことができなくなった姉は,実家に戻ることができたらしい。
その点は恵まれてると思う。
NHKでやってたあのニュースは自分もリアルタイムで見てたんだけど,高校の設備を利用すれば良いのに,キーボードだけ渡すのとかわけわからなかったし,これが可哀想なのかも理解できなかった。
奨学金のシステムも,「優が○○以上」とか,「学科順位○以上」だったりするんだけど,何度も言うように勉強する時間はないし,貧乏人も人間だから睡眠だって取りたいし,疲れるし,遊びたいときもある。
生活ができないから働いているのに,働くことが大学生としての自分の首を絞めるんだから笑えない。親の扶助の元で伸び伸び勉強している人の方が,そりゃ成績も良いし,免除されるよ。。
親自身は,一人っ子で両親に可愛がられていたから,この生活も理解できないらしい。
「自分が決めた道」と言うのは確かにそうだし,これからも甘んじてそれを受け止めて勉学に励むつもりだけど,服すら買えない自分を笑ったり,食べる時間も食べ物も無くて倒れたら怒るのに,一切の援助も無く,「自分の時代はこうだった」と楽しい生活を語るのはちょっとオカシイんじゃないかと思った。
両親が借金をして,離婚しなければこんなことにならなかったのに,なんて言えない。
生活保護家庭は働き手が一人でもいたら,保護費は収入分減額されるんだけど,学生の場合は世帯分離として減額免除されるらしい。
だけど,自分は家をでなければならなかった。以前,離婚した親父に似ているのが憎いと言っていたし,齟齬が生じて喧嘩になることもあったから,あまり顔を合わせたくないのかも
Twitter程度の短文ならいつでもかけるし,そんな感じの貧乏学生ブログでも書いてやろうと思ったけど,そうなると貧乏による苦労がコンテンツになってしまって,一生幸せになれない気がした。
近頃、頭の中に死にたいという気持ちしかない。いつでもどんなときでも何もかもが何となくうまくいかない。恵まれてないわけではないと思う。でも私から希望が皆無になるぐらいには、いつといつもいつもいつもうまくいかない。だから、自殺したい、でも勇気がない。こんなこと書くと構ってちゃん乙とか早く死ねとか言われるんだろうな。ネットってそんなもんだよね。まあそんなことはどうでもよくて自殺したいのって原因が多数あるからってよく聞く。だから家族のはなしをしようと思う。きっと私の死にたい気持ちの一因ら家族だろうから気持ちの整理のために家族のはなしをする。
今では父親と憎み合っているものの、小さな頃は割りと父親に懐いていたと思う。というよりも私は自分の家が円満だと信じてた。だから父親に懐いていた、それがあるべき姿だと思ってたから。でも実際はその頃から母親と父親は喧嘩していたのを幼い私は知っているし、父親から私に接したことはほぼほぼ無かった。あの頃から父親は私に興味もなかったんだろう。それはそれとして、父母の仲が壊滅的になったのは私が母親の腹のなかに居たとき、出張していた父親がどこぞの女と不倫したかららしい。小学生のとき知らない女の人から手紙が来ると母親がこぼしていたのを覚えている。それでも私は自分の家庭は円満だと思ってた。馬鹿過ぎる。その父親が嫌いになったのはその話を聞いた少し後だった。運動会で自分の居た組が優勝したとき、それを嬉々として父親に話したら怒鳴られた。うるっせえな黙れって。ショックだった。いくら色々あったとは言え、私のお家は仲良しだと思ってたから。ほんとうに馬鹿過ぎる。びっくりして怖くて、ぼろぼろ大泣きしてるときに、小さな頃に怪我をしたことを思い出した。父親が原因で私は怪我をしたことがあった。そのとき父親は確か俺のせいじゃないって血が引いた顔をした母親に言ってたんだった。私は痛がって大泣きしてたのに助けなかった。そんなことが、たくさんあった。今まで嫌いにならないほうがおかしかったんだ。それから父親は会社の金を勝手に使ったり、私の学費を払わないとか、やってはいけないことをしたから年月と共に嫌悪は憎悪に変わった。いつからか父親は私に遠巻きに死ねよとか消えろとか言うようになったけど、無視し続けている。そんな呪詛程度で傷付いたりしないし、言い返せば同じレベルに落ちてしまうからね。いっそのこと暴力でも振るってくれれば、いくらでも訴えられるのに。おかげで男の人大嫌いになったよ、それから、私には父親なんて最初から居ないなって思えるよ。それに悔しいけど、呪詛のせいか、私はいつでも死にたいよ、お父さん。
母親とは割りと仲が良い。でも一緒に居ると疲れる。母親は私じゃなくて私の評価を気にしてるから、自分の世間体を繕わなきゃいけないから、母親の前じゃ良い子じゃいなきゃいけなかった。母親に自分のこと言うと全部否定されるから言いたいことを言おうとすると汗と涙が出るようになった。母親が突然理由なくキレるときに八つ当たりされたときの止まったような重苦しい時間が大嫌いだった。今も嫌になる。突然怒ったり癇癪を起こしたときが。今じゃ馬鹿らしくて良い子じゃないけれど、それでも気を遣う。嫌になる。母親は自分の意見が第一で他の意見は全て無駄だと思っているようだ。だから怒ると手を付けられないし、私は母親の都合に悪そうな自分の意見を言わなくなった。そしてそのうちに自分の意見がわからなくなった。どれが本当の自分の意見だかわからない。自分というものが上手に形成できなくて、歪な自分が嫌で、自分を大事にする方法がわからなくなった。母親も可哀想なひとって知ってるけれど、母親からの圧迫に私は耐えられない。母親のこと大好きだよ、大好きだけどこのままじゃ私はずっとダメな気がする。母親と一緒に居るのが嫌だ。私に付き合う友達選べって言うのも、お母さんの言うことは全部正しいって言うのも、世間体ばかり気にするのも、父親の悪口言うくせに結婚記念日とお兄ちゃんの誕生日比べてみたらデキ婚だってことがわかったのも、本当に本当に生まれたくなかったって思うほど嫌だった。それでもお母さんが好きな自分も大嫌い。家族なんか捨てたいちゃい。捨てられるのに捨てないのは私が家族を好きだからだ。でも家族は私なんか好きじゃない。だからこんなに死にたいのかな、父親の不倫がわかったとき、きっと生まれる前の私を殺せたのに。何で殺してくれなかったの、生まれたくなんてなかった。そうだ私は生まれたくなんてなかった。だからせめて早く死にたい。愛されてみたかったけど無理だから死ななきゃ。
ここまで書いてみて冷静になったけど、気持ちの整理なんて無理だった。ずっと一緒に居たいなって思った好きな人と触れ合ったときからだになんだか壁ができた。触れてるのに、触れられなかった。気持ちが駄目だった、心が駄目だった。やっぱり私は死ぬしかない。こんな、人間として出来損ないだから早く死のう。勇気を出そうと思う。
まあ、全寮制の高校の学費も、それなりの大学の入学金や学費も全部親に出してもらっていたんだろうから、まずそれを全額返済するのを当面の目標にしたらどうかな。
親が不倫しようが仲が悪かろうが離婚しようが、大学を1年で辞めたのはあなたの意思なんだから誰のせいにもできない。
私の祖母も、私の母の通っていた小学校の校長と不倫していて、6人兄妹たち全員がそのことを知っていたみたいだけど、みんな黙っていたみたいだね。
祖母と祖父の仲もあまり良くなく、兄妹間のいじめも激しかったみたいだが、まあそんなのはよくある話である。
母の兄妹たちはそれぞれ大学や短大を卒業し、立派な職に就いて暮らしている。
そんな中でただ一人、私の母だけは短大を中退し、結婚後離婚し、ろくな職歴もないシングルマザーでも正社員として働ける生保レディーとして長年働いてきた。
増田は自分の境遇を周りの環境のせいにしたがっているように見えるけど、環境どうこうよりも本人の素因が一番大きな要因だと思う。
それは一生尾を引くことだろう。
国立大学の学費は大幅に上がってるよ今でも40年前の15倍だしさらに教育費を削っていって2031年には現在の二倍くらいの年間93万円予定。
そもそも金がない親は幸福や選択の自由を諦めて高卒以下で低賃金の下流階級として生涯を過ごす子供を産めってのがおかしな話。
今の日本は学費が高く奨学金がお粗末様で、無理してでも子供に教育を受けさせたい親頼りで国民の教育をしてるけど、国民が急速に貧しくなってそれに限界が来てる。
親の財力に関係なく能力のある子供に平等に高等教育を受けさせるチャンスがあるのは国力の維持のために必要なんだ。
その違和感をずっと考えてたんだけど「子供は自分たちと同じ程度に裕福な生涯を過ごせなければならない」って前提であるんだと気が付いた。
「いやいや、自分の子供の幸せ願うのは当たり前でしょ?」っていうのは、まあ、感情としては理解できる。でもしかし、その天秤の反対側に「じゃ産まない」ってのが乗っかるのはどうなんだ?
っていうのは、個人の能力や努力とは無関係に、国家が下降潮流にはいるってことはあるでしょう? そういう時代の中にあって、もちろん子どもの才能や運不運や相続の影響はあるけれど、全体のトレンドとして「子供時代の生活は今より厳しくならざるを得ない」という時代。その時代になったら、みんなが同時に子供なしなしやめ! って判断になるの? そしたら本当に国滅んじゃうよね。少子化による消費人口低下云々じゃなく、本当に人種絶滅的にいなくなっちゃうでしょ。
もちろん、自由な個人の家庭の運営判断をないがしろにするわけじゃない。子供産むよりも自分の生活優先っていう、トリアージが行われるのも理解できる。子供の幸福と国の浮沈という二者択一は個人の判断の手に余る(それに自分一人が子供産んだ程度で景気良くなるとは限らんわけだし)。
しかし一方で、その判断ってなんだか非常に気持ち悪い部分を内包しているのも事実だ。そもそもなんで「子供は自分たちと同じ程度に裕福な生涯を過ごせなければならない」なんて前提が置かれているんだ? 子どもに幸せになってほしいという感情は肯定するが、しかし、多少歴史を学べば景気の上昇も下降もあるし、日本にいるとリアリティはないけれど、ある世代では隣国と戦争になったとか、領土が減ったり増えたりとか、そういうのすらあり得るのが「時間の流れ」なんじゃないのか? この世界はそういう世界だと考えるのが当たり前じゃないか? 「景気はずっと上昇していくし、そうでなければおかしい」ってのは非常に傲慢で気が狂った意見に思えるんだけど、どうだろう?
「景気はずっと上昇していくし、そうでなければおかしい」ってのに対して「そりゃ変だろ、歴史の立場に立てばいい時も悪い時もあるよ」っていう人が大半だと思うけれど、なぜその同じ人が子育てに関しては急に「子供は自分たちと同じ程度に裕福な生涯を過ごせなければならない」って目を三角にするんだ? 「子供(に限らず個人の)の裕福さ」なんてのは時代の景気の従属変数に過ぎないというのに。
そもそも、子育てに関して、20年でン千万必要です、とか語ったとして、教育制度や教育費、そして貯金の価値が不変だとなんで信じられるんだ? たかがこの10年で年金の支払額やその可能性が取りざたされているこの現在、なんでそんなに「2016のたまたまの今の常識」を無謬だと信じられるんだ? たとえば、その学資保険はある日紙くずになる可能性だってあるし、大学の学費が大幅に値上がりする可能性もある(未来は不確定という意味では同様に大学無償化の可能性もあるけれど、値上がりのほうが蓋然性は高そうだ)。
30歳から40歳の人間は携帯連絡手段のない時代、ポケベルの時代、PHSやガラケーの時代、スマホの時代と目まぐるしい移り変わりを目にしたと思うけれど、にもかかわらず「2016年の常識がずっと続く幻想」があるんじゃないか? 正確に言うと2016年じゃなく「今この瞬間が過去も未来も延長されているという歴史認識」に近いと思うんだけど。べつに、だから「貧しくとも子供を産め」みたいな話じゃなくて、その(どうにも奇妙に思える)常識感覚を神格化してる部分が気持ち悪いと思う。
結局、子供を産まない、あるいは生活に余裕がないと感じているその感覚の正体は「日常的に下流たたきをしている自分のエンタテイメントスタイル」が逆照射して「下流だと叩かれる恐怖におびえる、あるいは恐怖から目をそらすために必死になる」みたいなものなのじゃないかと感じる。
ただもう、時代は昭和じゃないわけで、多様化するライフスタイルの中で、ある部分の豊かさを守るために、どこか別の部分は切り詰めるというような時代になってるんじゃないのか? そして今この国の文化の中では「家族と一緒に過ごす、子供に囲まれた生活を送るために、子供の豊かさはある程度あきらめる」というのが許されないようになっていると思う。その種の選択は「子供を不幸にする重罪人」としてすくなくともはてブではフルボッコだ。
しかし「富裕層であろうとそうでなかろうと、子供を作り囲まれて過ごすのは幸福の中心である」という判断は国や文化によっては当たり前だ。「多少裕福とは言えなくても子供を産んで育てるのは当たり前だ」という国のほうが世界では多数派だろう。世界の多くの国において「貧困層が子供産むなよ迷惑だ」とか「貧困層に生まれた子供はかわいそう」なんて糾弾は、まったく常識的ではない。
少子化の背景は、国の支援不足のはるか以前に、「子供は自分たちと同じ程度に裕福な生涯を過ごせなければならない」っていう無意識の変な前提と、「一定以上の金額を投資してもらえない子供はそれだけで不幸だ」「投資できないのに産んだ親は子供に対する愛情がない」と断罪する、ある種の下流たたきエンタテイメントなのではないのかな? そういう意味でこの国の少子化は、経済的な問題では全くなくて(だって日本より不景気な国いくらでもあるでしょ)、先進国共通の社会構造の変化部分を除けば、国民の国民たたきの結果に思えて仕方がない。
30代の女だが、誰か私に精子と補助金さえくれればいくらでも子供産んで育てるのに、っていつも思う。
女の私から言わせてもらうと、
・誰でもいいから子作りしたい。セックスしたいけどそれが無理なら人工授精でいい。
(私はデブでブスで貧乳なので、男がセックスしたい肉体では無い。)
・仕事を産休、育休している間の収入補填が欲しい。旦那は別にいらない。
・子供を育てながら1日6時間くらい働きたい。それで少しでも生活費を補填したい。
(今は1日12時間くらい働いていますが、子育てを考えると6時間くらいがいいです。)
できれば1日6時間くらい20年間働くと女一人でも子供を大学まで卒業させられるくらい稼ぎたい。
・シングルマザーだとしたら、子供を部活に入れようなんて思わないので、小学校5、6年、遅くとも中学くらいから働かせて、
(本当は私一人でなんとかしてあげたいんだけど。)
えらい人どうでしょう。
同じように思っている女性の方いませんか?
とりあえず誰か精子ください。
お願いします。
この人 雨宮@迷走ニュース(@amamiya9901)さん | Twitter のこのブログ ドイツ発 雨宮の迷走ニュース の中から、特に「アイタタタ笑」と読んでるこっちが恥ずかしくてムズムズしてしまうようなものを中心に。
※万が一ご本人が読まれていたら: 腹が立つかと思いますが、頑張ってもう少しマトモな文章が書けるようにならないと、一定以上の水準の知性を持った人たちには相手にされず、日本人相手の攻撃的な落書きでPV乞食する以外に稼ぐすべがなくなってしまいますよ。応援しています。
まずはこちら。 「この前と言ってることちがう」←当然でしょ、思考停止してるの? - ドイツ発 雨宮の迷走ニュース
1時間後にまったく逆のこと言ってたら「えっ」ってなるけど、1ヶ月や半年経てば、考え方は変わってきますよ。
あなたは半年や1年経っても、まったく同じ考えをしてるんですか? それって思考停止状態ですよ?
ということらしいです。
確かに、単純に「ある物事を自分がどのように感じるか、考えるか、判断するか」ということであれば時間の経過とともに変わるのも普通のことです。
これとかは変わっても良いわかりやすい例。紙の本はオワコンだと?電子書籍ってただのデータじゃん - ドイツ発 雨宮の迷走ニュース
ざっくりまとめると「電子書籍を読んだことはないけど、味気ないしなんかしっくりこない」という内容です。
うん。わかる。私もかつてはそう思っていた。けど初めてKindleを手にしてから30分後には「電子書籍最高だ!」「手持ちの本を迅速に自炊しよう!」「この世の本すべて電子化されればいいのに!」となっていたし、その1週間後には「うーんやっぱり電子書籍に向く本とそうでない本があるな」となっていました。
そんな具合に、物事の感じ方ってのは時間の経過とか経験とか、そのときの心身の状態によって結構コロコロ変わるものです。
でも、紙の本が滅びることはあり得ない、と断言します。
こういう、自分自身以外の対象について論じたり、「断言します」とまで言うためには、根拠を示して論理的な議論をして(少なくとも試みて)結論を示す必要があります。
結論が変わるのは、
当然時間の経過や自身の成長とともに事実の錯誤とか論理の飛躍に気づいて結論が変わる、というのはあり得ます。
しかし、1つめについては自分の思考がどうのこうのという問題ではないし、2つめ3つめについては確かに自分が成長したということの証でもあるわけですが、「思考は発展するんですよ?」と開き直ったり、矛盾を指摘してきた人に「思考停止ですよ」とか噛み付くのは知的な態度と対極に位置するものです。
結論を変えるに至った、事実認識や論理展開の差分を示して訂正するのが当たり前です。恐縮する必要は全くないけど、開き直ったり噛み付いたりするのは端的に言って無知・無教養さの現れです。
紙の本が滅びることはないのは以下の理由によるそうです。
だって電子書籍を読む人は読むけど、読まない人は絶対に読まない。わたしみたいに。うちの家族はみんな本は紙のものです。そうういう人たちにとって、本とは紙しかあり得ない。そういう人間がいる限り、本が滅びることはない。完全電子化社会にならない限り、そういう人もいなくならない。だから滅びることはない。そう思います。
一番インパクトがあるのはこれですか。
完全電子化社会にならない限り、そういう人もいなくならない。だから滅びることはない。
「完全電子化社会」というのは本が全て電子化した(つまり紙の本が滅びた)社会のことを指しているようです。
結局「紙の本が滅びない限り紙の本は滅びない。だから紙の本が滅びることはない」と言っているわけです。うんうん、結論はわかったから根拠を示してね。
また、この部分を取り除いたところで「私は紙派だから電子書籍はなくならない」と言っているにすぎません。
履歴書不要の「目隠し選考」。学歴だってちゃんと見るべきじゃない? - ドイツ発 雨宮の迷走ニュース によると、
学歴なんて、社会でなんの役にも立ちません。実際そこそこの偏差値があって仕事できない人なんてごまんといるわけだし。わたしだけどね!
でも、その学歴を手に入れるために努力したっていう事実は変わりません。企業はそこを見てあげてもいいんじゃないかと。
「学歴がいい=頭がいい→だから採用」じゃなくてね。「この子はこの大学に入るためにがんばった人だ」っていう評価。
これはふつうにアリじゃないでしょうか。
うん、言えてる。でも大学生の本分は、学問を修めるための素養を身に着けて実際に学問を修める(せめて囓ってみる)ことであって、仕事ができるようになることじゃないよ!
それから、立教大に入るのに努力というほどの努力が必要って、「努力している」と自認するレベルが低いか、そもそもお勉強が苦手なだけじゃないですか?
さらにいうと、企業にとっては「努力しても結果が出ない人」とか「努力すれば結果が出る人」よりも「努力しなくても結果が出せる人」が大事なのでお間違いなく。
Fラン大学の葛藤。日本の大学制度は終わってる - ドイツ発 雨宮の迷走ニュース によると
偏差値50が平均だとして、平均以下の学問レベルの人たちが大学に進学したところで、意味がないと思っています。
う、うん。言いたいことは分かるよ!勉強する気もないおバカちゃんが学歴のために大枚はたいて大学行って4年間遊び呆けてるのって国家的損失だよね!
でも、「偏差値50が平均だとして」で頭が痛くなりました。平均値を50とすることは偏差値の定義に含まれています。「だとして」とかいう余地のあるものではありません。「偏差値」でググってください。
素朴な疑問なんだけど、本当にそこまでの学費必要なんですか? 私大とか、なんのためにあんなお金集めてるの?
ぶっちゃけ言えば、Fラン大学の授業の質が、その学費に見合うとは思えません。いや、質がどうこうというよりもレベルが低いと思います。
う、うん。これも言いたいことは分かるよ!
でも私に言わせれば、立教大学で身につくものも学費に見合うとは思えません。
学歴社会の日本における「立教大卒」という立派な肩書は学費に見合っているのかもしれませんが。
「仕事に役立つ能力」を期待するなら専門学校にでも行くべきだし、外国語が身に着けたいだけなら仕事しながらイーオンとか通ったほうが効率良くないですか?
たとえそうであっても、コイツの親の払ったであろう171万円(受験料+学費)はドブに捨てられたんだよなあ…。
https://www.nuas.ac.jp/profile/campuslife/expense/index.html
でもそれはお金持ちだから仕方ないよね。みたいにみんなが羨んでた。
一方で、すごく可愛いんだけど、片親で学費もギリギリみたいな女の子がいた。
そのおじさんのカードで服やアクセを同じようにおじさんのカードで買いあさっていた。
それに対してはみんなは、ヤリマン、ビッチ、異常者、男好きだと中傷して遠ざけた。
それが本当かどうかはわからないが、仮に本当に体の関係がなかった場合、
彼女を責めることは正当なのかと今になって思う。
当時は、なんとなく悪いことで、悪いことをしているから悪い!って自分では思ってたけど、
お金持ちの女の子と、お金持ちを見つけた女の子の違いってほとんど無いように思える。
お金持ちが若かったら、お金持ちと交際していたら、、条件を変えても、
いまさら学歴が欲しいとは思わないけど、大学生時代を過ごしてみたかった気がする
結論からいって、教育業界で一番価値=価格が高いのは学歴なのだ。
間違いなく出産前後の幼児・知育教育から大学入学~卒業、そして就職とおおよそ20年前後の中で、もっとも価値=価格が高いものはダントツの学歴なのだ。
大学生活をまさに青春を謳歌する4年間のモラトリアムだとか揶揄する向きもあるし、
実際に学生の多くが4年間の中で、「この時間にこそ対価を払っているのだ!」と冗談めかして言ったりする。
だけど入学前からその時間欲しさに高い学費や一人暮らしのための諸々の費用を払うつもりの人はごく少数だろう。
それに大学で獲得する学歴を得るための費用は、学費や仕送りだけではない。
志望の大学へ入学するために通う予備校の費用や、進学校へ通う高校の学費も含めて、全ては大学で学歴を手に入れるための費用なのだ。
結局あの番組は、あの高校生は、僕らに何をして欲しいという主張だったんですか?
あの高校生は自分の趣味で絵を描き、イラストレータになりたいために
その入学金が出せないと主張していた。
(実態は知らないんですが、普通に勉強して会社勤めするより年収低いのではないかと思います。しかもこの分野は最近中国の人の台頭が激しいような気がします)
夢がかなってイラストレータになれたとしても、良くて年収300万だとすれば、
彼女は自分から望んで相対的貧困の生活を送ろうとしているのだ。
http://nanairo-taiyou.com/lifelog/?p=911
http://human-yakan.com/manga/column/028623.php
そのような破滅的な夢に向かう人に対して、今の制度ではなくて何をすべきだと主張されているのか、あの番組からは全く読み取れなかったんです。
でも無利子の奨学金を利用して学生時代を楽しく過ごした結果、その先の彼女に何が待ち構えているかは考えるだけでイヤになりますよ?
じゃあ学費は全額補助するようにする?
小さい頃から、うちにはお金がないと言われて育った。なので、物心ついた時からうちは貧乏なのだと思っていた。
実際小学生の頃、鉛筆を最後まで使うという節約のために鉛筆ホルダーを使わせられ、それを見た小学校の先生に悪いことだと怒られ、それを聞いた母が学校に「うちは貧乏だから節約してるんだ!何が悪い!」と怒鳴り込みに行き、先生が「かっこつけでつかってるのだと思いました、すみません」と謝る、などという一幕もあった。
私はマンガが好きだった。なので中学生の頃マンガの専門学校に行きたいと思いマンガ雑誌の広告にあった専門学校の宣伝を読んでみたが、入学金100万(確か)の時点で諦めた。
じゃあ普通に進学しようとし、どこの高校にしようかと両親と相談した。両親は「お前を大学に行かせることはできない、その代わり高校は私学でもいいから好きなところに行け、その分の金は貯めてある」と言ってくれた。それなら、ソコソコの成績なのでソコソコの公立進学校に行きたい、と主張した。が、大反対された。「大学に行かないんだから進学校に行く必要はない!」と。じゃあ好きなところに行けってどういうことやねんと思ったが、その進学校に行きたいのは大学に行くためではなく、単に学力的に手頃で駅から近く通学路に本屋さんがいくつもあるからだと主張したら、しぶしぶ許してもらえた。
しかし実際に入学してみると、1年生の段階で理系に進学したいか文系に進学したいかまだ決めていないかを訊かれた。その答えで2年次から進学先別にクラス分けがされるような高校だった。
うちの両親は私がそういう校風に感化されて大学に行きたいと言い出さないか警戒していた。だから常々言われた。「お前を大学に行かせることはできない、もし大学に行きたいのだったら自分の力で行け」と。私も最初は大学に行く気は無かった。
だが周りのクラスメートたちは徐々に大学に行くため予備校に通い始める。そんな中で私は思った。私だけが大学に行けないのは許せない、と。みんなは普通に大学に行けるのに、自分が大学に行けないのが悔しくてたまらなかった。だから、「自分の力で」大学に行くための算段を始めた。
まず学費の問題から私立は不可である。しかし、国立の学費も半年で30万と高すぎる。一年通ったら60万だ。60万といったら我が家の年収の約1/6であり、親には到底頼めない。奨学金も調べてみたが、そもそもが借金であること、利子なしの一種は月額5万円であることを考えると、自然と選択肢は狭まってきた。自宅から通える国立大学はあったが、通学費が半年で15万くらいかかる場所にある上学力的にも厳しい。そうして最終的には、すごく家賃の低い部屋に住み、奨学金も借り、バイトで月10万ほど稼ぐこと前提で、学費が国立大の半額になる国立夜間部を目指すことにした。
夜間と言っても国立である。自宅から通える国立大学ほどではないが、今の学力では到底届かない。そのため、一年浪人することになった。宅浪するかどうか迷ったが、自分の頭と意志の強さを信じられなかったので、予備校の月謝制講座を2コマだけ取り、バイトで月5万ほど稼いでそれを右から左へ月謝に充て、予備校と自宅でみっちり勉強した。
それでも最後の関門があった。入学金である。夜間であれども20万ちょっとは入学金として必要だったが、バイトのシフトもこれ以上入れなかった上、バイトを増やすのは勉強時間的に不安でもあった。
なので、そこは両親に頼み込んだ。1年かけて頼んだ。
最初両親は、私が本気で自力で大学に行きたいと思っているとは思わなかったらしい。とにかく反対だけされた。金は出せん、諦めろ、それだけだった。
それでも私がバイトをしながら予備校に通い夜遅くまで勉強していると、「勉強なんかするな!無駄なんだから!」と部屋に怒鳴り込んできた。
けれどもめげずに勉強し続けた。
時には不安になり、大泣きもした。これほど勉強しているのに、両親がお金を出してくれなかったら何もかも無駄になる。なぜうちにはお金がないのだろう、と。
そんな気持ちが最後には届いたのか、両親は大学に行くことを認めてくれた。入学金と部屋を借りるためのお金に関しては出してくれることになった。12月のことだった。
残りの予備校代も貯まったことだし、そこで私はバイトを辞めラストスパートに入った。
そうして無事に合格し、家賃的にも距離的にも大学に通えるレベルの部屋も無事決まり、私は大学に行けるようになった。大学に行ってみたら夜間部であっても周りがお金持ちばかりでカルチャーショックを受けたが、それはまた別の話。
そうして今思うと、両親には無理をさせたな、と思う。世帯収入300万台の家であり、5人家族で、田舎ながら一軒家のローンも背負っている。その両親にとって、予定していない出費入学金と引越し代合わせて30万強はいかほど大変だっただろう?
高校時代にしていたバイト代をお小遣いに充てず、ちゃんと学費として残しておくべきだったと後悔しきりである。
でも、それでも私は幸運だった。本当にギリギリのところで両親に助けてもらえたからだ。親との関係が本当に悪く、助けてもらえない人もいるだろう。親に本当にお金がない人もいるだろう。だから、自分一人でも頑張れば進学できる、とは主張できない。
以下のウェブサイトをみてほしい。
202.45.166.123
202.45.167.69
202.45.167.87
一方で、IPアドレスがいずれも同じ貸サーバー会社のものであること、
いずれもWordPressで作成されていることから、同一の作成者が作った
1匹見たら30匹。
では、どこにリンクしているのか。
日本経済大学だけあったりする。
少子化により激しい学生獲得競争が起きているとは知っていたが、
そう思いたい気持ちがなくもない。
いったい誰がこんな・・・。
学費数百万をつぎこんで劣悪な教育環境にいるのではないかと心配になり、
どうやら、2014年に「大学の法的基準に達していない」と判定されているが、
改善に取り組んでいるらしい。改善しようとする姿勢はすばらしい。
http://www.jue.ac.jp/news/index.html?id=28901
中国人、ベトナム人、ネパール人らの留学生が日本人よりも多い、
国際的な(アジアンテイストただよう)キャンパスになっているらしい。
現地のブローカーに札束わたせば多少は留学生を引っ張ってこれる時代ではあるが、
それでも数千人規模というのはめったに無い。
http://www.studyjapan.jp/ja/schools/detail/R14201
オックスブリッジ大学の学寮(カレッジ)での短期間研修プログラムを
子どもって乳幼児でもなく中高生でもなく、大学に入ってから一番お金がかかる。
学費も高いし、通学距離が伸びれば定期も高い。付き合いで飲み食いが増え、ファッションにも気を使うようになる。
過保護かよww自分でバイトしろよwwwって思うだろ?でもあれこれ賄うためにバイトに精出して、気づけば扶養範囲超えてましたとなると親子とも負担急増で詰む。稼げるようになったのに稼げば逆に貧困の始まりだなんて何かのギャグかよ。
控除といえば配偶者控除ばっかり話題になるけど、子どものバイトはなぜかあまり注目されないよな。子育て支援も乳幼児の医療費補助、中学生までの児童手当、高校授業料無償化まで来た。次は子どもの扶養控除の枠を広げてほしい。学生の稼ぎは200万まで控除とかになれば、親も子もすごく楽になる家庭がたくさんあると思うんだ。
そもそもあの女子高生は貧困高校生の代表としてあの会議に出席したのではない。
「高校生の代表」として子どもの貧困について発言するために出席したのだ
繰り返す。
http://www.asahi.com/articles/ASJ3R6721J3RULOB020.html
彼女は高校の生徒会長だそうで、こういう活動に熱心だったからこれにも参加した(選ばれた?)のだろう
その会議の中で、
「だが自分は「貧困」に当てはまるのかもしれない-。フォーラムの準備を進める部会に参加して、初めて感じた。」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160819-00011304-kana-l14
のだ。
それが相対的貧困の貧困だとは書いてない。彼女は「感じた」のだ。
周りには専門家がいるにも関わらず「確信した」になってないのは確認しなかったんだろう。
彼女は周囲の大人たちや同じ高校生や大学生によって「貧困女子高生の代表」になってしまった。、記事によればもう1人いた。
その「貧困女子高生」が自身の経験を発表している会議をマスコミ(カナロコ・NHK)が取材した。
NHKは彼女が相対的貧困の「貧困」だと思い込み、家まで行って取材し、それでストーリーを作り上げ放送した。
家に行けば冷房器具があることはわかったはずだ。使ってなかったのは事実なんだろう。
だがNHKは「冷房はありません」とアナウンサーに語らせた。冷房を使わないことを「冷房はありません」と表現することは
必ずしも間違ってはいないかもしれないが、視聴者の大半はそうは受け取らない。なぜ「冷房は使ってません」じゃなかったのかは
大いなる疑問。
学費問題にしとけば何の問題もなかった(それでも批判するやつはいるにはいるだろうけれど)ことを、NHKのミスリードで炎上させた。
この件はこういうことなんだと思うよ。
前提知識
うららさん家庭は、うららさんが5年生の時に母子家庭となった
姉は今働いている
手取り211万円と考えると、額面は250万円とか?
母の収入と手当がそれを下回ったらOECDの定める相対的貧困だけど
確かに昔は該当していたのだろう
今は姉が働いているし、うららさんもバイトしてるらしいので
どうあがいても貧困にはならない
ここまでわかってた?
じゃあ論点はどこなの?学費問題?でも専門学校はどう足掻いても対象外だよ?
適当すぎだろ
今回、うららさんはもう貧困者ではないが、学業にはまだ制限があるだろう
何で関係ない貧乏エピソードだして悲劇のヒロイン感出してんだよ
逆に学費問題を除けば、三人で手取り211万円はギリギリだがやっていけるだろ?
6人に1人っていうパワーワードをセンセーショナルに使いたいだけじゃねーの?
NHKも神奈川県もなーんも理解しないで「JKかわいそう」ってやってる感じだわ
何がどう問題でどうしたいのさ