2016-10-16

わたしと親のはなし

金銭面では全く困っていなかった。我慢というのをしたことがなかった。多少高価なものでも結局は買ってもらえていた。父も母も35を過ぎてようやく出来た一人娘だったからかわたしには本当に甘かったし、特に父は毎日わたしを膝の上に乗せて「〇〇ちゃんは父さんの宝物ー♪」と揺らしながら変な節をつけてよく歌っていた覚えがある。母は専業主婦小学校から帰るといつも家にいて手作りおやつで出迎えていた。漫画みたいな家であるわたしわたしで今考えてみれば、宿題明日の準備→習い事→夕食、風呂帰宅した父に今日の出来事報告→21時就寝 (テレビニュース教育系のみ、ジャンクフード禁止)これを小学校1〜6年の間、むしろすすんでやっていた。小学校勉強簡単でつまらなかったので、図書館に篭って赤川次郎読破したり隣の市の英会話教室に通ったり中学受験組に混ざって論理的思考系の問題を嬉々として解いていた。この頃が多分一番楽しかった。こんな流行りのテレビも知らないくそ真面目だったためか一部のクラスメイトからはいじめられていたが、優等生でいると周りから両親が褒められるのが何より嬉しかったので全くダメージはなかった。

14歳の時に母がわたし小学校時代担任不倫した。衝撃である。あっという間に理想家族崩壊した。ヒステリーを起こし担任名前叫び続ける母を泣きながら殴る父を見ながら「ここは地獄か」と思った。父はわたしが泣いてお母さんを叩かないで、と言えばやめてくれるので、罵声を聞けばすぐ泣けるくらいには涙腺がイカれた。父はわたしには全く暴力は振るわないかわりに、母を殴る場面はよく見せた。母はわたしを睨んで、それでもわたしがお願いしなければ暴力をやめてもらえないためそのうち擦り寄るようになった。限界だと思った。わたしは母を見捨てて全寮制の高校に通うことを決めた。寮が閉まる盆と正月は先輩の家に転がりこんで3年間1度も帰らなかった。母はわたし大学入学と同時に何百万か持って家出したらしい。父から電話であの女は死んだと思えと言われただけだった。わたしは今年21歳になる。せっかく入れたそれなりの大学はたった1年でやめた。今はキャバクラで父と同じような年代相手ニコニコしながら酒をつくっている。正直なんの展望もないし、30くらいで唐突に死にそうではある。ただ今でも母の夢を見る。毎回わたしが泣いてるのを「なんで泣いてるんね~」と言いながら台所でごはんを作っていて、ああ良かった夢じゃないんだあやっと会えたあというところで目が覚める。最初に見捨てたのはわたしから仕方ないなあと思う反面、そろそろ許してくれよという気もする。何が言いたいか上手くまとめられないけれど、なんとなく吐き出し。

トラックバック - http://anond.hatelabo.jp/20161016093303
  • http://anond.hatelabo.jp/20161016093303

    まあ、全寮制の高校の学費も、それなりの大学の入学金や学費も全部親に出してもらっていたんだろうから、まずそれを全額返済するのを当面の目標にしたらどうかな。 親が不倫しよう...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん