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はてなキーワード: ライトノベルとは

2011-10-26

今10ブクマ!!   頑張れ お前らの嫌がらせでもこうやって利用できるんだ!!

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/oooquree/20111025/1319512673


しかし、世の中には、いるんですね。。。

こういう奴

状況をわきまえずな奴

社会

書くと隠そうとするかもしれないけど、嫌がらせしてきた中で、少しでも社会性があるやつがいたら、その表の会社などにも報告してやろうかと思った。

ネットハラスメントって、きっとこれから問題になると思う

ライトユーザーをなぜ取り込んだか、その方が儲かるから

そういうまともで健全社会人に受けない事は、今後ネット運営会社たちが極力避けようとするんじゃないかと思ったりする

ネットハラスメントは今に始まった事じゃなく、逆だけど

元々は、ハラスメントはあって当たり前だったり、それしかないみたいな状況のところもできていたりした

法律がなかったか

今も法律ではネット人格に対しての名誉毀損は無いけど、ハラスメントは問題になる可能性は今のがあると思う

ライトノベル作家で、カタルシスを得る為に作中人物を殺すのはよくないと考えていると言う意見の人がいたらしい、カタルシスという事場を普通に使っているのがちょっと意外だったが、こういう心理はあると思った。ストレスというのは人を殺したくなる気持ちじゃなかろうか?と思ったが、何かそういうものを抱えた病んだ人たちがこんなにも居たとは!

精神病院の中に居た人たちは確かにおかしかったが、弱い者がもっと弱い者を叩く的な事ができない人たちだったんだろうな、と思う人も居た。どんなに弱い者に見えても叩こうと思って更に弱い者を探せば居る。


はてなというのは、マイルドさを装った2chが更に悪質化したもの、なのかもしれない。

一見善良そうな普通日記ブログもあるが、それをブコメコメさせるという機能もある

はてブって、どういうつもりで始めたサービスなんだろう?

誰か全くの部外者が調べて見て欲しい

他人に対してこういう関わり方ができる状態を提供してしまっている仕組みが、いろんな意味で凄い

すごいw




すごいきもち悪いです








今日見たブクマは、「どーもシュールハイセンスです」というものがあった

別にどうでもいいが、こっちが書いた内容とのギャップを考えると、葬式できゃっきゃできる不気味さや、うちの親にも通じる気味悪さ 徹底しすぎた傍観態度を更に推し進めてしまったものを感じた。


はてなに居ても、あまり意味ないんだなと思った。



晒してるつもりかもしれないけど、現実とのリンクを忘れてる

寧ろ、私には、どーも!とか言える滑稽さの方が大きいと思う




そうじゃなかったら、世の中の方が狂っている





追記

気持ち悪さってこういう事。

昔見た2chのニュー速か何かで、あそこは今でも酷いだろうけど。横田めぐみさんのご両親ががテレビで会見してて、咽び泣いているのが、映っていた。実況スレかどうか忘れたけど、それを見てた書き込みが、「咳、し過ぎ!!」というものだったのを見た時、良い悪いじゃなく、気持ち悪ーーーーいものを感じた。 自分もそうされてきたか、何かが欠落した状態なんだろうと思った。

2011-10-19

ハーレクイン秘書モノがすばらしい件について

概要

アニメとか漫画とかライトノベル女の子うつつを抜かしていた俺だが、ハーレクインというものすごい鉱脈発見してしまった。

特に秘書モノと分類可能な作品群は、委員長モノが好きな諸兄におすすめ

はじめに

俺は恋愛モノ好きなオタのおっさんなんだが、エロゲ文化の周辺たる萌えラブコメとか好きだったんですわ。でもアニメはちょっと時間かかりすぎて体力が持たないし、萌え漫画少女漫画電車で読みづらいじゃん?すぐ読み終わっちゃうし。

そこでライトノベルを重宝していたんだが、あれ現実よりのセッティングの話探すの結構大変よね。非現実なのはそれはそれで好きだが、そればっかりだと飽きるじゃん?舞台設定に振り幅が欲しいと思った。

そこでまず行ったのがミステリサスペンス系統西之園萌絵さんとか教授とらぶらぶでちょうかわいいでしょ。萌えが売りじゃないわけだからストーリー面白いしね。でそればっか読んでて今度人死にすぎって思ったわけよ。サスペンス超怖いし。探すとこちょっと間違ってたなと。

で、ふと考えて女の子向け小説かなって思った。でもブックオフ女の子のいるところで本を開いてみるとホモ率高いんですよ。痛い目見る。そこでおっさん考えたね。

「そうだおばちゃん向けだ!」

って。

で、ハーレクインが置いてある棚を試してみることにしたんですよ。

ハーレクインとは

わずと知れた翻訳恋愛小説ね。著者近影とか後ろの広告に載ってるけど大体白人のごつい顔のおばちゃんがにっこりしてますな。

ストーリーは全部同じ。自動生成かって言うぐらい同じ。出会って、波乱があって、愛して、ヤって、幸せになる。まあそれ言うと小説は失う話と失ったモノを取り戻す話しかないとかいう極論になっちゃうんでおいといて。

ハーレクインはいくつか分類がある。

まず、現代的でないモノはヒストリカルという名前がついている。英国貴族モノとか、中東ハーレムモノとかね。ファンタジー度高め。いや現代の舞台ハイスクール諦めて村の農業用品店で働いて病気の母を養ってたら仲良くなったカウボーイの渋いおっさんが実は多数の農場のオーナーだったとかいうのがファンタジーじゃないかっていうとファンタジーなんだけど剣と魔法的なそれっすよそれ。魔法出てきたためしがないけど。変に現実的なんだよな。

ええと、次にロマンスとかディザイア。典型的なやつですな。そもそも俺「ハーレクインロマンス」っていう出版社かと思ってた。これな、ほぼ100パーセントSEXシーン有ります。途中まで純愛純愛してても絶対ヤります。というか主人公の女は官能小説みたいな身体の構造してます。好きな男と目を合わせたら身体の芯が熱くなってこまっちゃうし口で嫌とか言っててもキスされたら熱烈に返しちゃうし。いわゆる「強姦されたい願望(※ただし大好きな男に限る)」ってやつですな。まあただこのSEXシーン、野郎が読んでも抜けませんが。

最後イマージュ。一番ソフトですSEXシーンはありません。朝チュンです。ええ、朝チュンです。やっぱりヤってます描写がないだけで。キス朝チュン→いちゃいちゃ→改行2行→子供抱いてる、みたいなそういう。全般的に描写押さえ目な代わり些細なことでヒロイン不整脈とか狭心症起こします。心臓大丈夫か死ぬぞおまえみたいな。あとこのシリーズで初めて「カナダ人にも間接キスでドキドキっていう概念がある」というのを知りました。どうでも良いですかそうですか。

本題の秘書モノなんですけど

で、ロマンスとかディザイアに頻繁に出てくるモチーフに「秘書」があるんです。これが俺のおっさん心にど真ん中ストライクでした。

ストーリーはみんな同じ。

  • 大体ストーリー開始前から秘書ボスに惚れてる。でも真面目な子なので一度も顔に出したことはない。もしくはアピールしてもボスに気づかれない。

例「おはよう増田君」「(やーん今日も良い男♥)おはようございます社長(キリッ」

例「おいどうなっとるんだコンパニオンこねーぞお前ちょっとこの服着て展示説明やってろ」「はい社長!(えっ私こんな凄いの着るの…?)」

例「準備できました社長」「よしいけ今のうち代役手配しておくからな!頼んだ!(こいつこんな綺麗だったっけ…?)」

  • 両思いになってはいるとは露知らず、ボスは無理矢理仕事をこなす。秘書の方も仕事になってないケース有るが大抵日常のドキドキには慣れきっているので冷静の仮面は楽々維持。
  • 我慢できなくなったボスが押し倒す。秘書、口だけ抵抗。
  • 感極まって秘書がずっと惚れてたのがばれる。
  • 次の日出社するとすっかり元の秘書に戻っていてボス驚く。

例「(どうしようどんな顔すればよいかからない)おはようございます社長(キリッ」「お、おはよう増田君(おかしいな昨日はあんなに、夢でも見てたのかワシ)」

  • かと思うと急にやめるとか言い出していなくなる。

例「プリンタに君の履歴書が大量にあったんだが」「やめるんですさようなら社長!」「えっちょっとまてええ」「さようなら今までの私!(片思いばれちゃったし好きって言ってくれなかったし身体だけとかもう耐えられない)」

ちなみに秘書は可能な限りの全力で泣きながら地の果てまで逃げます。頑張れボス超頑張れ。金とか人脈とか秘書親族とか両手いっぱいの薔薇とか全社員の前で告白とか使う。

まとめ

そんなわけでハーレクインオフィスモノは委員長モノ好きとか一部のツンデレ好きに超おすすめ

謝辞

色々な恋愛世界における全てのボス秘書に。

参考文献

2011-10-15

子供の頃、ゲームは特別な存在だった。


 近頃、ゲームを全くしなくなった事をよく実感する。学生の頃にはまっていたMMORPGをはじめとするネットゲームは勿論、Xbox360PS3にも滅多にゲームディスクを挿入することなく、もっぱらDVDブルーレイの鑑賞機器として稼働している。PSPDSに至っては一年以上電源を入れていない。

 と言っても、ゲーム自体が嫌いになったわけではない。今でもレースゲームRPGにはわりと興味があるし、最近読み始めたライトノベルの影響か、ネットゲームに対する興味もやや増してきた。多分、これから先もゲームから完全に意識が遠ざかる事は難しいだろう。また、ネット上ではよく「体力が続かなくなった」という声を聞くけども、それも何か違う。確かに昔の様に丸一日をテレビモニタの前で過ごせるほどの体力は無いとしても、半日くらいなら問題なく向かえるはずだ。

 要するに、モチベーションの問題なのだと思う。ゲームなんてただのお遊び。そういう考えが板に付いてしまった。こんな事を言うと「仮想と現実の区別がついてない」という類いの批判を受けるかもしれないが、それに乗っかって言うなら、ゲームというものは仮想をもう一つの現実として扱うからこそ楽しかったんじゃないだろうか。少なくとも、子供の頃はそうだったと思う。勝った負けたに真剣一喜一憂し、難題が持ち上がると全力で解こうとしていた。今の様に「暇だな。ゲームでもしようかな」ではなく、学校から帰るやいなや、ランドセルをほっぽり出して友人の家に駆けつけてはコントローラーを取り合っていた。

 あの頃の俺にとってゲームは特別な存在だった。当時を思い出す度にその一端は感じられるだろう。しかし、今はもう違うらしい。では「今の自分にとって特別なもの」とは何なのか。ゲームに限らず、同じ様な事を感じた時は特にこの点を思い出して欲しいと思う。

2011-10-01

http://anond.hatelabo.jp/20111001064550

すっきりしねーと言えば、主人公が悪党から逃げてる間にゲストキャラ悪党の企みを燃しちゃったアレもそうだよ。

ゲストキャラだけで話を進めてるんじゃねーよ! そこは主人公が活躍すべきところだろ!

漂流伝説クリスタニアもそうだったなあ。

数年前に先に冒険に出た先行者に憧れて、自分たちも冒険に出た主人公。

悪の帝国にひと泡吹かせるも、悪の帝国守護神(以下邪神とする)がちょっと力を振舞っただけで、主人公たちを一ひねり。

こうなったら神様達の会合に行って直談判するしかない!

ってわけで神様達の会合に苦労して到着するが、肝心の邪神が来ない。

なんと、邪神は力を使った後に、先行者によって封印されていたのだった!

邪神の力は失ったものの、悪の帝国はまだまだ健在、俺たちの戦いはこれからだ!

・・・で実際次々に○○伝説シリーズが続くんだけど、正直「漂流伝説」単品として見たときはぜんぜんすっきりしなかった。

主人公の苦労はなんだったのよ?

自分努力や行動の範囲外のところで、世の中や自分のすう勢が決まってしまうことは現実じゃ当たり前かもしれないが、フィクションしかライトノベルでそれをやる必要ないだろう?

メディアジャンル全然関係ない話で申し訳ない。

ただ、なんとなく思い出したんだ。

2011-09-19

ライトノベルエンタメ)||||||||||||||||純文学

歌謡曲|||||||||||||||||||||||||表現音楽クラシックなど)


左は、前知識や想像力が無くても楽しめる

右は、前知識や想像力が無いと楽しめない


勿論、折衷の作品も存在する

2011-09-04

ラノベは何も萌えイラストが書いていればラノベになるわけではない。」(笑)。それはお前がそう思っただけだろ。

どういう層に向けてどういう訴求を行っているかを考えれば、”萌えイラスト”もひとつの判断要素にはなる。

ジャンルという客観的な指標について語ろうとしているのに、「自分が、自分が、」の定義で、その醜さに気づいてないのは、そのなんだ。

イタイよな。

なんだよこの追加された文章。アタマイタイです

あなたライトノベルだと思ったものライトノベルなんだろ?良かったね

あぁ俺がなんでラノベにハマれなかったかわかった。

ラノベを対象としてる読者層が「美少女が大好きなオタク」だからだ。

俺はオタクだが美少女はだいっきらいなんだ。ツンデレとか特に嫌いだ。

からハマれなかったんだ。

そっか、普通オタクたちは今も美少女が大好きなんだな。だからラノベから離れられないんだな。

確かにオナニーしてる現場でお前がオナニーしてる理由はとか語られてもうざいだけだよな。

はてぶのウザイ反応は、オナニー邪魔された中学生とそっくり。

あぁごめんなさい。オナニー邪魔してごめんなさい。

それにしてもラノベって高すぎ。あのカバーカラーイラスト部分剥ぎ取って売れよ。100円以下で。

http://anond.hatelabo.jp/20110904082055

あなたライトノベルと思うものライトノベルです。」

この定義嫌いだわ。

ライトノベルしか読まない人間が他の小説を全部ライトノベルに当てはめて読もうとするから

ただ、やっぱりライトノベルに興味があるのってラノベしか読まない人間ばっかりなんだな。俺みたいなのは希少種なんだな。残念だ

2011-09-03

ライトノベル起源SFにあるんだよ

http://anond.hatelabo.jp/20110903204912

ライトノベル黎明期を知っているか

小説には元々「ジュブナイル」という少年少女向けの分野がある。冒険物語を通して、社会常識を身につけさせるのが目的から、内容はかたかった。「努力をすれば報われる」「大人になるのは良いことだ」といったテーマで、ある程度名前の売れた小説家が書いていた。

そのころ、マンガ世界で読者の年齢層に近い作者たちが現れた。感性が近いか共感を得られる。あっと言う間に人気者になっていった。SF小説世界にも10代の作家が現れた。軽妙な語り口で、高校生を主人公に小説を書いてみせた。同年代から圧倒的な支持を得た。

その頃から少年少女向けの小説は、主人公の年齢に近い感性を持った小説家が書くようになったんだ。

それと、日本文学史は、ずっと「書き言葉から話し言葉に近づこう」としているんだよ。言葉は流動的なもので、どんどん変わっていく。でも書き言葉は文字で残るものから、変わる前の言葉で残っていく。で、ある程度の差が出来ると「もっと話し言葉に近づけよう」という運動が起こって、普段しゃべっているのと同じ口調になっていくんだ。さすがに地の文で「ちょべりば」とか書いてある本は読んだことないけど。

ライトノベル文学史の流れに沿って、生まれるべくして生まれたものだ。だから、形が変わることがあっても、廃れていくことはないよ。いつの時代も若者存在する。だから若者向けの小説もまた存在し続けるんだ。

20110904追記

kori3110さん、失礼。もっと前の話なんだ。1980年ごろ。ライトノベルという名称がつく前に少年少女向けの小説を書いていた人たちのこと。ライトノベルから一般小説へと守備範囲を広げていったのではなくて、一般小説を書いていた人たちが、少年少女向けの小説も書いていたということ。「ジュニア小説」って名称もあったけど無くなっちゃった

2011-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20110831183952

まさしくhttp://iwatam-server.sakura.ne.jp/column/lightnovel/index.html

けいおんってライトノベル的なものと受け止めれば理解できるんだな。

唯はまだ良かったが、澪だけはどうしてもダメだった自分。まぁ、単純に唯の声のほうが可愛いからだったんだが。

キャラを立たせるのと性格を決めるというのは全く違うものなんだなと良くわかる。

後者フィクション、前者はライトノベル

キャラを立たせるというのは人物を人間としてではなく「キャラ」というペラペラの虚構として認識しているが、

性格を決めるというのは「決める」という言い方なのにその人物がとるであろう行動を想像することで「理解する」という趣がある。だから、この場合人物は人間として認識される。

キャラを立たせた結果できた人物は、創造主の意志がなければ何も出来ない人形なのに対して、性格を決めて出来た人物は自由意志を与えられているのでどんなことでも出来る。

2011-08-20

サブ・カルチャーが力(power)をもつこと、教養のはなし

浅田彰Wikipediaページを読んでいた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E7%94%B0%E5%BD%B0

長いけど引用

人文知の現在については、『表象』no.01(2007)における松浦寿輝との対談において、「プラグマティック工学知とそれによる利潤追求がすべてだ」(テクノキャピタリズム)という発想の全面化により、「人文知の成立する余地が失われた」。「いまや国家もハイ・カルチャーに興味をなくしつつあるし、オタクあがりのIT成金もハイ・カルチャーに興味をもっていない」。残っているのは、「日本における動物スノッブあるいはスノビッシュな動物としてのオタク、その幼児的倒錯」しかないように見え、実際、「幼児的退行を売り物にするカルチャーが、日本的なオタクの特殊な表現であるということで、世界的に売れてしま」う。「2000年前後に、ドラスティックな変化があった。それまでは近代文学というものが辛うじて生きていた。しかしいまやそういう意味での文学とは違うところ、いわゆるライトノベルケータイ小説アニメゲームのほうが、主流になってしまった。文学もそういうふきさらしの荒野に出てしまったと言う感じははっきりする」

しかし「素直に言って、僕はそういうものは最悪だ」と思うし、「市場論理がすべてだとは絶対に思わない」。とはいえ、それらへの「反動として、ヨーロッパ的(あるいは東洋的)な古きよき教養に戻るというのも望ましくもなければ可能でもない。亡命知識人の体現するヨーロッパアメリカ臨界に、20世紀の人文知の最大の可能性があった。それを21世紀にどうやって取り戻せるのかというのが、ひとつモチーフになる」と述べている。

この鋭さはやはりすごい。

これについこの前の内田樹の話がかぶってくる。

http://blog.tatsuru.com/2011/08/01_1108.php

こちらは引用しないけど、ネット上の言論が暴力的になってきているという彼の印象と、それについての言説。

で、

サブ・カルチャー社会において力を持つということは社会教養レヴェルが(全体的に)落ちたということではないのか?

教養の不足、というのは、他者との距離感を錯誤する。わたし、と、あなた、の違いが曖昧しか感じられなくなってくる。

総理大臣に『バカッ!』ということが、冗談でなくて本気で彼に伝わる、そんな感覚さえもつようになるのでは?

そして政治家もまたひとしく教養を欠き、彼らの十八番であった言葉遊びができなくなって、記者会見で泣き出す?

政治家でない私が政治家と違うのは、互いの囲まれた環境(circumstance)が違うのだから当然で、彼の言葉を理解できないから『理解しようとする』。

今そういうことを皆できなくなってきてるのではないか

『おマエ氏ね』と書き込むひとは、案外以前より一層、本気で書くようになってきたのではないか

二人のコトを読んでそんなことをぐるぐる、もやもや、考えた。

2011-07-28

韓流が多いのは「韓流ブーム」が商品で、韓国が「広告主」になったか

http://anond.hatelabo.jp/20110728182943

今、韓流が多いのは安いとかいう話じゃない。たんに「韓流ブーム」の広告化が始まったからだ。

現実的に言うと今、韓流はブームをすぎて定着期にはいってる。もともと日本には在日や在留の韓国人を含め受け入れられる厚い層があり、

ここを中心として少なから日本に広まり、受け入れられた。(これは海外アニメが受け入れられた時と同じ)

問題は、定着すると話題にはならないということだ。

今の韓流は、簡単に例えると「ライトノベル」だ。ある程度のファン層はいるけど、

それ以外からは、どれも同じように見え、マンネリで、対して興味をもたれていない。

今、韓流ブームと言われているが、では、

2011年日本流行した韓国ドラマは?」「2011年日本でヒットしたK-POP楽曲は?」

という質問に、ほとんどの人が答えられることができないだろう。

結局のところ、一般人の間では、韓国ドラマは「冬ソナ」でしかないのが現実だ。

そこで、問題になるのが「韓流」とは何か?ということだ。

韓流」は正直に言ってコンテンツビジネスではない。韓国という国家ブランドの向上を目指した国家的な施策だ。

そのため、国の後押しにより赤字であっても、とにかく、海外で放映され話題になることが重視される。

コンテンツビジネスであるならば、定着することは悪くないことだが、国家ブランドの向上を目指すのでは、定着して話題にならないのはまずい。

そこで今起きているのが「韓流ブーム」の広告による打ち出しだ。「コンテンツ提供者」だったが韓国が、今は「広告主」になり初めている。

すでに一般層からは飽きられ始めたコンテンツは二の次で「韓流」という「ブーム」を広告でうりはじめている。

解かり易いのが、「チャン・グンソク・ブーム」だ。普通、何かがブームになるのはコンテンツのヒットありきだ。

冬ソナ」のヒットがあって「ペ・ヨンジュン・ブーム」がある。「ビギナー」のヒットがあって「AKB48・ブーム」がある。

ヒットしたコンテンンツなしで、広告による打ち出しで始まった「チャン・グンソク・ブーム」は、「誰それ?」になって視聴率が悪くなるのは当然だろう。

今回、高岡氏が事務所をクビになったのは、テレビ局を批判したからではない。

テレビ局を批判したところで、テレビ局的にも別にたいした問題にはならない。

だが、テレビ局の「広告主」を叩くことは許されない。

広告収入が厳しくなっているテレビ局にとって、「韓流ブーム」で広告をうってくれる韓国救世主なのだから

2011-07-23

友達趣味評価(大爆発)

http://anond.hatelabo.jp/20110721143713 の趣味を男から見た場合

無理

酒癖の悪い奴(暴れる・泣く 絡む 意地汚い どれか一つでも当てはまると誘わなくなる)

OK

風俗病気うつされるのは自己責任。無理やり誘われるのは勘弁)

ギャンブル馬 (借金自己責任 誘われても悪い気はしない たかられるのは勘弁)

ギャンブルパチンコスロット借金ry たかられるry 自慢をするなら飯でもおごれ)

ギャンブル麻雀 (自分が負けたことをくよくよ言い続ける奴は勘弁)

ネットゲーム(生活に支障が出るくらいはまってると心配。激しく誘われたり、意味のわからない自慢をされるのは勘弁。意味がわかるように面白い話にしてくる奴は楽しい

凌辱系アダルトゲーム(個人の自由 いろんな人がいる場所で声高に叫ぶのは勘弁)

ロリアダルトゲーム(個人の自由 いろんな人がいる場所で声高に叫ぶのは勘弁)

泣き系アダルトゲーム(他ジャンルエロゲーを何故か下に見るのは勘弁)

年上のお姉さんに責められる系アダルトゲームおすすめを教えてほしい)

萌えフィギュア(綺麗に飾って欲しい)

エロフィギュア(ウォーターラインが苦手)

レジンキャスト尊敬に値する)

声優自分の愛する声優を際だたせるために、他の声優を蔑む行為は勘弁)

低年齢アイドル(個人の自由だがお勧めされても困る)

同人面白いものを作ってる人は尊敬に値する。ファンだった人がプロになったことをワシが育てたと自慢され続けるのは勘弁。2回くらいなら言われてもいい。)

アイドル(誘われても困るけど、地下アイドルの話は面白い

萌えライトノベル萌えアニメイメージ萌え分類されるのは勘弁 大勢人がいる場所でブヒられるのは勘弁。仲間内でのブヒりが芸の域に達する奴は最高)

猫オタ・犬オタ(動物大好き。動物愛護団体シーシェパードを一緒にしている時点で…)

特撮面白さを伝えてくれるのは楽しいが、昭慶爆発とか言われても困る)

格闘系orシューティングゲーム(上手い人のプレイはすげえ、ただプレイするのは好きじゃないので巻き込もうとする人は嫌)

鉄道(濃くても常識的なオタなら歓迎、情熱のあまり一般人に迷惑をかけるようなオタはどの分野のオタクでも底辺)

深夜ラジオ伊集院派)

バイク事故だけには気を付けてほしい、子供が出来たらバイクに跨るかっこいいお父さんをやってほしい)

熱帯魚水冷PCの冷却水で熱帯魚を飼えるかチャレンジしてほしい)

オーディオ(良い音を確認させるために、好きじゃないジャンルの曲をかけられても困る)

お酒(楽しく飲めれば。自慢するなら俺にも呑ませてほしい)

ファッションTPO

料理美味しんぼみたいに人の作った料理を片っ端からけなしまくるのは嫌だけど、来週に呼ばれて本物の〇〇をご馳走されたい。)

カメラ風景画をひたすら見せられても困る)

萌えアニメ自分が好きじゃないアニメを面と向かって否定する奴は何と戦っているのか不思議2chとか匿名煽り合うのは全然OK)

スポーツ 旅 楽器演奏 カラオケ 読書 (王道だと思って舐めてると、ものすごい痛い目に合う趣味

映画鑑賞(男二人で見に行くのは嫌なのでお勧めしてほしい)

萌え漫画(他の人の好きなものを蔑むのは勘弁)

萌え漫画(他の人の好きなものを蔑むのは勘弁)

テーブルゲーム(弱かろうと強かろうと、遊びを本気でやらない奴は嫌い)

歴史(何かにつけ故事を言うけれど何もしない奴がいて、過去ってあだ名が付いてた)

登山(死なないでほしい)

キャンプアウトドアゴミを持ち帰るなら)

釣りゴミを持ち帰るなら)

追記

自分オタク

アウトプット面白かったり、迷惑をかけられないのなら何やっててもだいたい大丈夫

人の好きなものケチを付けるのが趣味な人って、仕事ができなそう

2011-07-22

男の趣味評価(偏見大爆発)

無理

風俗お金性的なことをするってのが嫌、病気うつされる)

ギャンブル全般(ゲーセンとかのパチンコは見てて楽しそうだけど)

ネットゲーム(ハマるとリアルをないがしろにすると聞くので怖い)

 

きつい

アイドル(全く興味が持てないので一緒に楽しめそうにない)

低年齢アイドル(同上)

 

許容範囲

お酒(飲めない)

オーディオ(今のところ興味がもてそうにない)

スポーツ(正直スポーツマンとは友達になれそうにない)

登山キャンプアウトドアインドア派)

 

普通

声優

特撮

鉄道

深夜ラジオ

バイク

ファッション

楽器演奏

カラオケ

テーブルゲーム

釣り

 

嬉しい

アニメ漫画全般(おすすめものを教えてくれたらうれしい)

凌辱系アダルトゲーム(凌辱ゲー最高)

ロリアダルトゲームかわいい二次元女の子大好き)

萌えエロフィギュアエロ系は子どもができたら隠してほしいけど、人形は好き。作ってみたい)

同人コミティアとか一緒に参加したら楽しそう)

萌えライトノベルアニメとあるって萌え系に入る? 上条さんかっこいい!)

猫オタ・犬オタ(動物大好き! 話が合うとうれしい。でも爬虫類はちょっと苦手かも)

格闘系orシューティングゲーム(上手い人のプレイを見るのは好き)

熱帯魚きれいな魚は好き)

料理レパートリーが少ないので教えてほしい)

カメラ写真部に入ってたので撮るのは好き)

映画鑑賞全然知らないけど好きな作家さんが映画好きなのでおすすめを教えてほしい)

読書川端康成大好き)

歴史学問知識が増えるのが好きなのでいろいろ話を聞いてみたい)

 

http://anond.hatelabo.jp/20110721143713

2011-07-21

Sランは半端ない

S ネットゲーム アダルトゲーム 同人誌 フィギュア SF 三国志 軍事 声優 風俗 オカルト

A アイドル アニメ サバイバルゲーム アマチュア無線 鉄道 競馬 切手 腕時計 パチ○コ

B 漫画 バイク カメラ ライトノベル 特撮 民族学 自作PC 女子アナウンサー 麻雀 オーディオ機器

C 携帯電話 ラーメン 深夜ラジオ 映画 サブカル 自動車 ファッション テレビドラマ 熱帯魚 釣り

D ビリヤード ワイン 自転車 ダーツ テニス サーフィン ギター 純文学 クラシック音楽 アウトドア


私女だけど、Bまでなら許す

それより上はさすがに…


2ちゃんのどっかで見かけた男の趣味ランクテンプレだが、このうちどうしても理解できなかったのが、

ネトゲがSランクだったこと。


でも実際ネトゲをやってみて、Sランクものすごく妥当だと思った。

正確にはネトゲ廃人に対する評価として妥当という感じ。

というか男の趣味に貴賎をつけるとしたら、あいつらはエロゲオタを差し置いて

間違いなく最下層と言わざるを得ない。


エロゲについては「童貞去勢するような商売はやめろ」とか

「大っぴらではなく影でこそこそやれ」とは思うけど、個人的には

そんなにキモいと感じない。


その点、ネトゲ廃人はもうこれ以上ないくらいキモい


そもそもネトゲ特にMMOは↓の記事にあるように「自己顕示システム」として強烈な麻薬性がある。


http://lovelove.rabi-en-rose.net/blog.php?n=227


廃人はこのシステムに取り憑かれ、自己顕示欲に溺れてしまった人達と言える。

欲望の赴くままに俺TUEEEEE俺SUGEEEEEを貪る。

その姿がどうしようもなく嫌らしく、気持ち悪い。


そして俺TUEEEEE俺SUGEEEEEは他者との関係無しには成り立たない充足感なので、

周りをあまねく不快にさせる。

しかしよく訓練された廃人だと、そうして周りからウザがられても

「なーんかまたザコが負け惜しみ言っちゃってるよーでも実際俺超かっけーから仕方ねーわ、

あー嫉妬されるマジつれーわw」

という感じで快感脳内変換されるらしいので付ける薬はない。

まさしく「ギルド一番の誇り高き戦士」の面目躍如といったところか。

全く自重しない態度に胸熱だ。


特に10からいくつもいろんなネトゲやってるみたいな、MMO経験が長い人ほど要注意だ。

文字通り頭狂ってる奴が結構いる。

もちろん初心者のうちから廃人傾向の言動する奴もいるけど(リア充ダークサイドとも言えるか)。


こういう奴らに比べたら、こんな所でヘイトスピーチまがいのクズ日記書き捨ててる

自分のほうがまだマシだと心底思う。

2011-07-18

ライトノベルアニメ化」にウンザリ について

ライトノベルアニメ化」にウンザリ

http://anond.hatelabo.jp/20110717063617

角川グループ寡占問題

 それより角川グループ寡占問題ということならば、近年DVD/BD売上げ≒注目率が落ちてるのに相変わらずアニメ化の枠は

 縮小せずに寡占しつづけてる、MF文庫JヒロインをキャハハウフフさせてEDで走せるあの仕組みを何とかしようよ。

 MF文庫Jほとんど一年中、オフシーズン(?)までTBSとやらで枠とってるんだぜ。

 数年に一度注目されればラッキーHJ文庫どころの話じゃねーだろまじで。

プライド云々

結としては、マイナーレーベルアニメ化が少なすぎてイラつくのはわかるけど、ロリコン枠の問題と感情移入して応援することとそれを他人にも押し付けることとは区別したほうがいいと思いました、て感じで。




☆★☆    まったく、小学生は最高だぜ!!    ☆★☆

2011-06-14

ライトノベルの表紙カバーの手触りは、二次元キャラクターの肌触りをイメージして作られている

印刷所で働いている知人から聞いた話なのだがびっくりしてしまった。え、そんなところまで凝ってるの?って純粋に驚いた。

ツルツルしすぎず、乾燥しすぎず。触ったときにほどよく手にフィットして、なおかつ少しヌルっとした、性的で艶かしい感じをイメージして作られているそうだ。

指紋が若干付着してしまうのも、ある種の所有欲を購買層に抱かせるための手法のひとつなのだとか。

凄いんだな、ライトノベルって。

2011-06-12

本のカバーと帯

本を買うと、カバーや帯をどうするかいつも悩む。カバーや帯がない方が明らかに読みやすい。

それも漫画とかライトノベルならともかく、実用書や専門書の場合は読みやすさが勉強ストレスにも響くから、ものすごく取りたくなる。

しかし一方で、中古の本を買うとカバーや帯がついてて驚く。

最近高い専門書を買うことが多く、出費が嵩んでいるので、必要のない専門書は売るべきかとも思っている。

そうなると本の保存状態は重要になる。

それでどうしようかと地味に考えていたが、単にカバーと帯を別の所に保存しておけばいいだけということに気付いた。

本を買ったらカバーと帯をはずし、その保存用の角形2号封筒の中にまとめて入れて保存している。

2011-04-25

本を買う

今日はこのタイトル

本を買った

漫画ライトノベル普通小説

図書カードを知人から貰ったので、それを元として前々からしかった書籍を買う事にしたのだ

いつもの本屋に入り、目当ての本を探す

1冊見つけ、2冊見つけ、3冊見つけ

そうこうしてる間に両手は一杯になった

レジに向かい生産をする

貰った3000円の図書カードは消え、財布からは1万円札が消えた

その書店で一番大きな紙袋を手にして帰路に着く

買うという行動は何によって強化されたのだろうか

本を読み、それから得た楽しいという感情からだろうか

自分は、そうとは思えなかった

お金を渡して商品を受け取る

その時に一番満たされた気がしたのだ

その感情はどこから来たものなのだろうか

足りないと気付いたのは、自分が小さい時からだった

自分は親によく駄菓子をねだった

一緒に行くスーパーで最も安く、買って貰い易かったのが駄菓子だったからだ

初めの内は、甘かったり辛かったりして美味しい物が食べたいから頼んでいた

その内に、買ってくれる事自体が嬉しく感じるようになった

いつしか買ってもらった駄菓子を食べないようになった

両親は、駄菓子を買い与えてもそれを食べない自分を叱った

それが続くうちに両親はねだられても買わないようになった

自分は長らく忘れていたその事を、帰宅してから思い出した

幼い自分が感じていた「足りない」という感情

思えば、共働きであった両親を夜遅くまで待つ時に強くそれを感じていたのだった

両親が居ない今、自分に何かを買ってやれるのは自分しか居なくなった

「足りない」を「満たして」やれるのは、自分だけになってしまった

から、なんだろうか



まあ、本屋で13000円分買ったこと以外は嘘なんだが

まどか3巻とおりこマギカ早く出ないか

2011-03-06

ワナビライターと並びたくない


めがね王だの、ソラノートだのなんなので、ワナビライターどうのこうのって話になっているが、

ネットで活動しているワナビライターが、WEB系ので記事を書くことが多くなっているのはご存じだろうか。


特にオタク業界ではそれが顕著ですね。アニメライトノベルなんか特にそうで。

奴らが何かの表紙で雑誌に記事を書くと大変なことになる。


一緒に掲載されたくないから降りるという、取材相手やベテランライターいるからだ。


巻き込まれると、とても面倒くさい。自分も共にライターから降りることになりかねない。


特に、ネットで一定以上のコミュニティ能力を発揮しているやつや、

大学サークル絡みで推薦してくるようなライター使った場合は、は本当に面倒くさいことになりがちだ。


連れてきたヤツ共々、一緒に消えてくれと思うくらい。

でなければ雑誌が消えてしまう。


うそう。


ワナビライターの特徴といえば、盛り上がっているネタの流用である


その一例がこれだ。


http://www.4gamer.net/games/098/G009850/20110225011/


面白いですか?


http://d.hatena.ne.jp/kim-peace/20110226/p2


「こういう面白いこと書けるのは凄い」らしい


小さなサークルだけで通用するパクりネタを褒め合い、縮小し、消滅する。

紹介するのが目的の筈が、ただの身内、パクリネタで、コンテンツを消費していく。


「こんなの絶対おかしいよ」



身内だけで通用する言語ネタで書くなら、自分サイトでやってろよ。


他にも、一般的に人気が取れないような作品をサークル内で褒め合い、

まるで一般性があるように持ち上げるというのもあるけれど、それはまた別の機会に。


大学生内でマイナーエロゲーラノベが盛り上がるのは、

「違いのわかる俺」と「金がないから貸し借り」と、「他に友達がいないからついていくため」の三つだってことだけなんだが


その仲間捜しの大規模版が今のネットメディアなんだろう。結果衆愚となるだけだ。


誰得なさらし者。まな板の上で踊る鯉。


彼らと同じように見られたくない。

からプロは彼らワナビに毛が生えたようなライターと並びたくないという。

2011-03-05

http://anond.hatelabo.jp/20110305144312

ウソには 能動的な嘘と受動的な嘘の2つがあります

いままで、QBは受動的な嘘 = 相手のミスリードを誘う に終始してきたと見られていますが

今回の9話では総合するに、能動的な嘘=事実と異なることを言える=ウソを言える。 が発生している。という事だと思います。

 

コレにより何が起きるかというと、ようするに、QBの言っていることは、いままではミスリードだったので推理小説のように読者が推理可能な物。

論理的な作品かと思っていたのです

QB事実と異なることを言う。という事実によって。

推理可能なもの=単なるノリだった。という事だったと。

 

という事になり、小説カテゴライズ的に言うなら、推理魔法少女ライトノベルだとおもっていたら、魔法少女ライトノベルだった。

という事になるなぁ、というおはなです

根元に戻れば、ワケワカンナイヨではなく、まったく君たち人間は、非合理的だね。というべきでした

であれば、合理的に全世界のために、たかだか人間一人は犠牲にすることができるいきものである。という結論が導き出されます

ただしこの事は、大のために小を殺すということであり、スケールの問題として、人間が(大)のために、それ以外の小をどうにかする。つまり、人間の種の保存を、すくなくとも、人類の危機がない限りは優先するという事は理解できる。という事を言っています。そして9話では具体的に、そのように死ぬ気になったらと、自己生命保全が、主の保存よりも優先する可能性があることも発言しています。

越生であるなら、なぜ、種の保存を優先しない?と不思議に思うはずです。ここでも、ワケワカンナイヨと混乱しないとおかしいしかし、混乱しなかった。よく理解しているじゃないですか。そう、そして、その事を理解していいないとQBの一連の能動的行為は導き出せない。(矛盾する)

ワケワカンナイヨというセリフでは、死を回避しない生物。超越した生物ということが導きだされるので、たかだか宇宙崩壊のために、能動的に行動する。という事は導き出せないので、それこそ、ワケワカンナイヨという感想だと。

2011-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20110219002824

いろいろ書いたんだけどなんだか蛇足な気がしてシンプルにまとめてみる。

>一瞬『もう差別化を図ることが難しいんだろうなぁ』とも思ったけど

いーや、全然可能だよ。だってラノベ世界って極めて閉鎖的で小さいじゃないか

芸術は借り物・パクリ文化なんだから、他からパクってくればいいわけさ。

具体的に言えば、谷川流がお遊びじゃなくて本気でSF好きなオタだったからこそハルヒが目新しい作品になってヒットしたように。

差別化図れないのは、例えるなら谷川流の真似をしてる本人が実はSFなんて全然好きじゃなくてせいぜいスペオペアニメをちょっと見た程度だったりするから。それじゃラノベの閉鎖空間から抜け出せない。

>そしてこの状態から突出した作品を書ける人が、本当に才能ある人なんだろうな、と

あなたに限らず一般人は才能にたいして幻想を持っているようだから言うけど、

ようはたくさんのネタを知っていてそれを上手くパクリまくれる根性があればいい。別にオリジナリティ溢れまくる神のごとき才能なんていりませんよ。

ガチ萌え絵ばっかりじゃキモくて新参はひいちゃいますよ

これはもう、ラノベの体質としてどうしようもなくなってる。

多分ああいう気色悪い(というのは俺の主観だが)絵をやめようと思ってもやめられない。

電撃文庫だとしたら、電撃文庫は表紙は「ああいテイスト」の絵っていう指示があって、そこから抜け出したら「売れないかダメ」になるだけ。

別に絵がアレじゃなくても売れるものは売れるはずなのに、ライトノベルという不確実な存在を無理やり定義づけるためにはあの絵がないとどうしようもないし売れなくなる(つまり、ラノベというジャンル買いを惰性でやっている消費者が離れてしまう)

というわけで、一度売れに売れなくなってラノベというジャンルが衰退するか、どっかのレーベルがああいう絵から脱却して頑張るか、何かをしない限り永遠にあの萌え絵のままだと思う

2011-02-16

(◕‿‿◕)ラノべえ「そんなことより僕をテーマにして研究生になってよ!」

つい先日、卒業研究を終えました。この日記は後輩やこれから卒業研究を自由に決められる人のためになればいいな、程度に書きました

私は卒研テーマに「ゲームをする人」を掲げ、一年自分のやりたいことを自由にできましたので、非常に幸せしたですので、後輩にもぜひ好きなテーマ卒研をして欲しいと思っていました

私の同じ研究室には、3年生の後輩の一人に、「ライトノベル(以下ラノベ)を読む人」をテーマにして、実際発表した後輩がいましたしかし、後輩に「今の自分研究テーマをそのまま卒研にするのか?」という旨を尋ねたところ、悩んでいるという回答が帰ってきました

どうやら、発表の反応が鈍いことで二の足を踏んでいるようでした

そこで私は思い切って、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NOwikipedia考察いかに素晴らしかたか」という話をしたかったのですが、酒の席であること、他の後輩もいたこと、説得力に欠けていたこともあって、遺憾ながら場は白けて終わってしまいました

この世の果てで恋を唄う少女YU-NO - wikipedia ((http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%81%93%E3%81%AE%E4%B8%96%E3%81%AE%E6%9E%9C%E3%81%A6%E3%81%A7%E6%81%8B%E3%82%92%E5%94%84%E3%81%86%E5%B0%91%E5%A5%B3YU-NO&oldid=28528480))

また、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」は「アドベンチャーゲーム」の代表例として実際に卒業研究になっているようです

CiNii 論文 -  マルチシナリオゲームにおける並列世界モデル ((http://ci.nii.ac.jp/naid/110002942865))

これらを編集、記した方々は私よりも遥かな、確かな、達成感・効力感を持っているに違い有りません。(実際、素晴らしい考察だと思いませんか?)

他にもネットを探すとユニークテーマに出くわせます。例えば「プロ野球選手結婚するための方法論に関する研究」なんて研究もあります

卒業研究は、CiNii - NII論文情報ナビゲータ ((http://ci.nii.ac.jp/))で検索しなくても大学生ならば、各々の大学の概要集を捲れば自然と笑みがこぼれるものです

しかに、「好きだからテーマしますたwwwサーセンwww」なんて動機は発表までに、必ず根本的で大きな壁とぶつかり、ツケを払うハメになるでしょう。ですが、学生の本分は研究です研究について真剣にできるならば、それが真に正しい姿だと思います。

学生のあり方について、素晴らしい文章があります

修士論文の代わりに退学願を提出してきた - As a Futurist... ((http://blog.riywo.com/2009/02/27/120733))

=====以上が、今回の日記意図です

もう一つせっかくですので、私がなぜ「ラノベを読む人」が素晴らしいテーマだと思うかについて書きたいと思います。

論文とは「問い」です。一般的に論文テーマとなる問い(リサーチクエスチョン)は根源的な、直感的なものが白眉であると知られています。

ラノベを読む人」で解釈すれば、「ラノベを読む人はなラノベが好きか」ということになるのでしょうか?

これはなかなか直感的だと思います。もちろん、大きな欠陥があることも否めません。それは、村上龍のこの箴言に集約されていると思います。

「「好き」は理性ではなエモーショナル部分依存する。だからたいていの場合、本当に「好きなこと」「好きなモノ」「好きな人」に関して、わたしたちは他人に説明できない。なぜ好きなの?どう好きなの?と聞かれても、うまく答えられないのだ。「好き」が脳の深部から涌いてくるもので、その説明を担当するのは理性なので、そこに本来的なギャップが生まれるからだが、逆に他人にわかりやすく説明できるような「好き」は、案外どうでもいい場合が多い。」

無趣味のすすめ - 情報考学 Passion For The Future ((http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1021.html))

つまり、「どう好きかは聞き出せない」という点です。聞き出せないならば、研究意義はないのでしょうか?それは違うと思います。つまり、いままで『「説明でき」なかったであろう「好き」の理由』を導ければいいのです

そのためには、誰よりも人一倍考察が半ば前提的に必要になると思いますが。(私も自分の先輩に研究前にコテンパンに全否定されましたが、それがあっての卒業研究になっています。)私の後輩の考察は活き活きと良く出来ていた分、勿体無いという感情がたしかに私の中にはあるのです

さて、前提的な考察は、すなわちラノベの「定義」と、研究する「意義」とに、密接に関わっていきます。まず、ラノベの「定義ですが、混沌としているようですね。

青少年を対象にした娯楽小説

程度で良いと思います。「読む人」に焦点があるならば、よく読む人はおそらく青少年から成人男性20~30代)でしょうから。(成人男性青少年対象の小説を読んでいる点は「オタク」で考察・解説すれば重複すると思うので、日記では割愛します。)

また、文学物語といった点に対する「ラノベ」の遍歴も欠かせないでしょう。ここで、古めかしいものとの接点を設けること、考察をしてるサイト、本から概念引用することが結果を導く前から既に必要となります

例えば、物語的に観れば大塚英志提唱した物語消費」がありますね。また、ラノベではありませんがアドベンチャーゲームとの類似点があると思います。

れとろげーむまにあ: アドベンチャーゲームを振り返って思ったこと((http://nesgbgg.seesaa.net/article/185700949.html))

ライトノベルにおいてもゲーム的な世界観が必要であり、大きな影響を与えてきたということは言われていますね。

また、純文学の外に広がるキャラ萌え世界について詳しい

オタクたちのメンタリティには、教養主義文学性を引きずりながらも、シミュラークルに代表される動物的な消費社会の波に骨の髄まで浸かっているという両義性がある。という指摘をした東の「動物化するポストモダン」(1・2)も取り入れられると思います。

東浩紀動物化するポストモダン|FRAMES INTERVIEW ((http://moura.jp/frames/interview/070423/03.html))

ここで、「外部性」や「キャラ萌え」(この日記では、美少女キャラに限定します。)が「文学としてのラノベ」のキーワードカテゴリー)として浮かび上がってくるのです。言い換えれば、「外部性」は「社会性」、「キャラ萌え」は「女性性」にあるといえるでしょう。

ところで、先ほどラノベ定義は「混沌」としていると述べましたが、同じく「混沌」とした定義文学に「SF」がありますね。

サイエンスフィクションもまた、外部性の幅が限界まで拡張されることによって何十年も前から定義は揺らいでいました

ここで一つのSF批評を紹介します。

小谷真理の『女性無意識』に対する松岡批評です。なお、小谷真里は、SF研究者であり、ラディカル・フェミニストであるそうなので「文学としてみたラノベ」を知る上で意外に検討する必要があると思います。

最初ハーバード大学フェミニズム文学者アリス・ジャーディンが「ガイネシス」(女性的なるもの)という言葉を造り出した。 (中略) テクノイネシスはそれにもとづいて提案した概念で、

父権的な社会蔓延するなかで女性的な無意識の紐帯が結ばれていく可能性を示していた。

長いあいだ、文明の基準や男性覇権社会価値観のなかでは、普遍的すぎる母性、すべての他者をとりこむ包容力、あるいは基準をいちじるしく逸脱する狂気、説明のつかない無意識などは、しばしば社会の外部に押しやるべき面倒として片付けられてきた。中世魔女裁判だけでなく、近代以降も「女子供の戯言」として片付けられ、20世紀後半になってもこの傾向と対決するためのウーマンリブ運動セクハラ問題が噴出してきた。

では、そのように外部に押しやられた意識をつなげたらどうなのか。あるいは、家庭という内部(実は外部的辺境)に押し込められた意識といってもよい。男性から見れば、多くの家庭は基準社会の外部にあたっているからだ。 ジャーディンはこういう問題を引き取って、そこにはそのままこれらを連鎖させるべきメタネットワークがありうるのではないか、それは女性無意識を象徴するガイネシスになるのではないかと見た。

(中略)著者はこんな出だしで手をゆるめない。次から次へとバウンダリートランスグレッション(境界侵犯)を見せつけた。

また、女性SFに関してこういう考察もなされています。

それにしてもいつのまに、女性こそが文学可能性と限界を語るに最もふさわしい発言者だという情勢になっていたのだろうか。

まずはエレイン・ショーターが父権文学規範の修正を迫ったそうである。ついでパメラ・サージェントが『驚異の女性たち』のなかで、メアリーシェリーの『フランケンシュタイン』に始まる女性SF史がありうることを指摘した。他方、これに呼応するかのようにして、陸続とサイエンス・フィクションに挑戦する女性作家が出てきたようだ。 そこで、ヴァージニア工科大学の英文学者マーリーン・バーが「女流SFフェミニズム理論には相似的な進行があるのではないか」と指摘した

(中略) なぜこういうことがいえるかといえば、マーリーン・バーによると、多くのSFは“外部の他者”を描くわけだけれど、そこには現実を超えた出来事があまりに現れすぎて、文学的にはサブジャンルに追いやられるようになっていた。

しかし考えてみれば、そのように追いやられる宿命をもっていたのは、実は“外部の他者”の扱いを受けつづけてきた女性なのである。これではSFフェミニズムとが連関していて、まったく当然だったということなのだ。

松岡正剛の千夜千冊『女性無意識小谷真理 (( http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0783.html ))

ということで、ここでは「外部の他者」たる女性文学との密接な関連がみえてきました。これは美少女に「キャラ萌え」する「ラノベ」も他人ごとはないのではないでしょうか?

では、そもそも男性にとっての「女性」とはどういうものなのでしょうか?もはや哲学の領域に関連しているように私には思えます

そこで、デリダにとっての「女性」というものを引用します。ちなみに、「動物化するポストモダン」の著者であり、前述した東は

「【デリダとは】仏哲学者20世紀のすぐれた哲学者の常として「哲学なんていみなくね?」というのをすごく哲学的に言って、ややこしくなってしまったひと。でも基本の着想はいいので哲学呪縛から解き放たれればいい仕事できた可能性がある。」

ツイッター上で紹介しています。* ((http://twitter.com/hazuma/status/24868908779446272))

デリダは、「真理が女性であるとすれば」という『善悪彼岸』冒頭のニーチェの仮定から出発して、「女性というもの(=真理というもの)」は存在せず、したがって「性的差異というものも存在しない」という驚くべき帰結を導き出している。(「性的差異」の問題が重要はないと言っているわけではない。逆に、デリダは、ハイデガーニーチェ読解には、「存在論的差異の問題」はあっても「性的差異の問題」がないことを問題にしている。)

ニーチェは『悦ばしき智彗』の中で、「女性たちの最も強力な魅力は、それを遠方性において感じさせること」、つまり「遠隔作用」だとしている。

女性の魅惑を感じるために、「遠隔」が必要なのであり、遠隔のところに身を置くことが必要なのである

女性というものは、「遠ざけるものであり、自分自身から遠ざかるものなので、女性本質存在せず」、「女性の真理は存在しない」。

女性は、真理が存在しないことを知っているのであり、真理の存在を信じない限りにおいて、女性であり、真理であるのだ(女性本質、真理の本質は、それが存在しないということであり、自分存在しないということを知っているということである)。

実際のところ、「女性=真理」を信じているのは、「男性」なのである(この意味で、フェミニスト女性たちは「男性」なのであり、「フェミニズムとは、それによって女性男性に、独断論者の哲学者に似ようとする活動」だということになる。)

ニーチェの『善悪彼岸』の「序言」の冒頭は、次のように始まっている。

真理は女性であると想定すれば、すべての哲学者たちは、彼らが独断論者であったかぎりにおいて、女性たちをうまく理解できなかったのではないかと疑うべき理由があるのではなかろうか。

そして、これまで彼らが真理を探求してきた際の恐るべきまじめさ、不器用な無遠慮は、女の子をものにするためには、拙速で不適切なやり方だったのではないか

デリダ女性も真理も、与えることによって所有するのであって、こうして贈与=所有も非弁償法的な決定不可能性は、あらゆる存在論的、現象学的な解釈の試みを失格させてしまう、とした

つまり、贈与に先立つ固有なものの存在がないのだから女性(真理)というものはないのであり、性的差異といういものはないということになる。という帰結に至った。

(知の教科書 デリダ 著者 林好雄 廣瀬浩司

見事にややこしいこの解釈から女性の振る舞いは虚構的であるという面ががわかってきたのではないでしょうか。

ニーチェ芸術的と指摘しましたが、遊戯的、ゲーム的と捉えても過言ではないでしょう。

つまり、オタク男性)にとって、ラノベとは

女性という存在外部性とを遊戯的につなげている文学メディア媒介装置

であることがわかります。(また、女性性を獲得し、同時に女性に所有されたいという願望を解消するメディアとも解釈できます。)

十数年前に、男性オタク達は「萌える」という言葉発明した;「萌える」という言葉を使えば「セックスしたい」「愛してる」といったストレート表現を避けながら、美少女キャラクターへの思慕をオブラートに包んで表現できる

オタクが豚になった――「萌えるからブヒる」へ - シロクマの屑籠(汎適所属) ((http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20110215/p1))

という指摘もあります

例えば、オタクにとっての現実における外部性インターネットがあります

オタク男性であろうツイッターユーザーアイコンが、イラストアニメ美少女アイコンである可能性が高い点はオタクにとっての外部性無意識に象徴しているのではないでしょうか。

また、ラノベ作家は決して女性が多いというわけではないですが、その必要はなく、いわゆるユング提唱したアニマ(男性女性的側面)による手で書かれている点、それがラノベを好む多くの男性読者に受け入れられている点こそ検討すべきでしょう。これはつまり、女性を真理とするのではなくアニマこそを真理とするさらなる「遠隔作用」をもたらしているとも考えられますね。

このアニマを真理とすることによる遠隔作用の効果としての共時性

先程のツイッターイラストアニメ美少女アイコン無意識的に選択させる要因になっているかどうかを検討することは興味深い対象ではありませんか?

以上より「ラノベ読者はなラノベを好むか」という問いの考察を注意しつつ踏まえ、ラノベ読者(男性)の実際に構築しているコミュニティ家族間の関係、他の好きなメディア媒体等について研究することは簡単には説明できなかったラノベ読者の感性、つまり一つの社会的な側面を知る上で、大いに意義があると思うのです

ラノベ本質は-文学であり-女性性であり-外部性であり、それがラノベ読者の実生活と対照的にどう関わるかが重要なのではないでしょうか?

私はそのことについて考える限り、とても意義ある研究だと断言できると思っています。

2011-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20110215121834

あんた,低学歴やろw

低学歴の人って自分の頭を良く見せようとして

ヘンテコな書き込みをするよね,あれはなんでなの?

大学でそういう風にしろって教えられてるのか?

ちなみに旧帝卒です。 (´‘ω‘`)

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ひょっとすると,

ライトノベルの影響でヘンテコな言葉使いになってるのかもしれんねw

2011-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20110116094808

ライトノベルほどの大きなジャンルルーツ作家一人に求めるのもおかしな話

漫画エロゲCRPGTRPG児童文学純文学は、ラノベルーツじゃないのか?

そもそも「万能感と孤独と仲間と世界」なんて抽象的な表現

当てはめようと思えばどんな作品にでも当てはまるじゃん。

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