日本のサブカルチャーがカウンターカルチャーと接続していないと言う指摘はそうだと思う。
ただ、大まかな論の流れの中で
そしてアニメや漫画が海外でも受け入れられているのは、そういうカウンターカルチャー要素が含まれていないサブカルチャーとしての娯楽を待ち望んでいた人たちが実は多くいて、そのニーズを満たしているということもあるんじゃないか。
この一節は違うのではないかと思った。
カウンターカルチャー要素が含まれていないサブカルチャーの娯楽が多くの人に待ち望まれていたから日本のアニメや漫画が海外でも受け入れられたのではなく、カウンターカルチャー要素が含まれていないサブカルチャーだからこそ、世界のさまざまなカルチャーを持った人々が受け入れやすかったと言う方がより正確なところなのでは。
だから日本の漫画やアニメのキャラクターが海外でカウンターカルチャーの象徴として祭り上げられる現象が起こる(ハム太郎とか)ことがあるのだと思う。