はてなキーワード: アラサーとは
年収100万円もない年金暮らしの親のボロアパートに居座るアラサーこどおじだけどさ
誰も俺が年収500万円で結婚して子供を持てる可能性があるような社会を作る政策出さないよな
そんなんで弱者味方とか死んでも言うなよ
よくなんで選挙行かないとか言われるけどさ行かねーよ
選挙なんて俺みたいなやつからしたら当たらないギャンブルみたいなもんだろ
逆になんで俺みたいな奴になんの期待も出来ない選挙行けって抜かしてるのか謎
ふざけんな馬鹿
アラサー既婚2年目夫婦。東京在住で両家とも実家は新幹線で数時間の遠方。
私の実家はまあ狭い家で、6畳2間に両親と私と弟、家族4人身を寄せ合って暮らしているような世帯だった。
居間と寝室しかなく、思春期になってからは寝室6畳を私と弟の部屋で無理やり割って、自分の部屋として3畳の空間を確保して暮らしていた。親は居間に寝るようになった。
そんな実家なので、結婚した後も夫を実家に泊りにこさせるのは無理だろうな(昼間遊びにくるならまだしも、客を呼ぶ家ではない)と思っていた。
なのに今年のお盆、いつも通りひとりで帰る連絡を実家にしたら、親がいい加減旦那を連れて帰って来なさい、とのたまう。
これまでは夫を放っておいていいの?と言われても、友達にも会いたいからと言ってスルーしてひとりで帰っていたものの、親としてもそろそろちゃんと親戚づきあいしないと、と言い出した。
配偶者の実家に泊まることが、「ちゃんとした」親戚づきあいだというのか?
別に実家には泊まってなくても、親が東京にくるときまたは実家近くに行くようにして、3ヶ月に1度の頻度で夫と親は顔を会わせている。
定期的に贈り物のやり取りや手紙だって送るし、関係は十分良好だと思う。
なのになんでわざわざそんな狭い実家に呼ばなきゃいけないのか。
夫は心の綺麗な人なので、両親が呼んでくれるなら行くよ〜と気軽に言ってくれるが、何より私がいやだ。
狭い家で育ったというコンプレックスもあると思う。
親からはそんな私の心理を見抜かれて、恥ずかしい実家かもしれないけどいつまでも夫だってお客さんじゃないんだから、、と言ってくる。
恥ずかしいと思ってないよ。いやちょっと思っているけど。
でも狭い家に無理やり夫を連れて行くことはないじゃない。ホテルだっていいじゃない。
なのに親は納得してくれない。
別に私だって実家が嫌いなんじゃないんだよ。ひとりで帰るには全然いいんだよ。でも実家は窮屈なんだよ。夫を連れて行きたくないんだよ。
実家に帰ると、たった3畳のクーラーもない部屋で、いつかここより広い部屋に住んでやると思いながらガリガリ勉強した18の夏に戻っちゃうんだよ。
今の私は東京都心に住みながらバリバリ働いてる設定なんだから、あんな狭い家に育ったという設定は似合わないんだよ。
夫の実家は3LDKのちゃんとしたマンションで、泊りに行けばプライバシーは確保されるし、うちのような狭い世帯とはわけが違うんだよ・・・・
無理して自分の実家に呼ばなくていいじゃないか。。。と思う自分はおかしいのだろうか。。。
あー、こういうことを思う時点で実家に関してのコンプレックスが結構あるんだろうな。
夫を連れていけばそれも解消されるのかしら。呑気に旅行気分でいてくれるから楽しんでくれればいいのだけど。
それにしても憂鬱。
私アラサーで女なんだけどさ、子供ほしいって思ったことないからこういうこと言えるのかもって自分でも思ってるけど、
公共の場でオナニーさせられたって考え出したらどんな人でもとんでもなく悲しいきもちになっちゃうじゃん!!
しかも、これは私が勝手に感じてるだけでずっと前からなのかもしれないけど、
男の人は性的じゃないことこそ立派みたいな風潮あるじゃない。
わたしも女が長くなってきたからね!正直性的な言動に生き生きしすぎて、性欲というよりは自己顕示?って、そういう男性のことを馬鹿とかもっとひどい言葉でたくさん心中罵ってきたよ!!
しかしね、私だけのオナニーっていうのがぶち壊されるのは男女関係なくひどいことなんだよ。
でもみんな言えないでしょ!!男だから!!だめだよ!!
わたしは生理痛のときにいい顔して仕事引き受けてくれた後輩がこの先痛かったり辛かったりするときに1人で抱え込まないように、男性のオナニーについて大切に守ります!
三十代前半の女。
気を抜くとすぐに口が開き、口呼吸になる悩みがあった。
口を閉じる気合が足りないからだと思っていたが、どうやらこれは出っ歯の弊害らしいとわかり歯列矯正を考えた。
数件の医院を回ったが、どこへいっても抜歯した上での矯正をすすめられて悩んでいる。
歯が並ぶスペースがないから抜歯するという理屈はわかるが、もうすでに親知らず4本抜歯している身でさらに4本抜歯すると32本中8本、4分の一の歯を抜くということになる。
中には希望すれば非抜歯でやってくれそうなとこもあったが、ぶっちゃけ審美歯科の胡散臭いばかり。
矯正については金がかかることは知っていたが、まさか抜歯するのがスタンダードだったとは調べて初めて知った。
ネットで調べただけだが、日本人が矯正する場合6割から7割は抜歯するとになるらしい。
歯並びの悪い人や出っ歯に対して気軽に矯正しろ矯正しろって世間ではいうし自分もそう思ってたけど、イコール抜歯しろって意味だと思うと気軽に薦められるものでもないよな。
親や親世代(60才付近)の人間はすでに歯を数本失ってる人が多いので、相談すると100%反対されるし、
アラサー世代でも抜歯矯正により老けた、ほうれい線が濃くなった(自然に老けたのを矯正のせいにしてるだけ?)って体験談もきく。
おっすおら無敵の人。小卒だ。
なんとかベッド抜け出して、夜はパキパキ過ぎて寝れないから
ただ世の中には、そういう形の葛藤もあることは理解してほしい。
誰もがそれぞれの地獄で、何とかやりくりしていると思うけど、
まぁ、その典型例の一つなんだと。
俺は大名ってとこに住んでいる。
ピンと来た人もいるかもしれないが、低能先生が事件を起こしたあの小学校の近くだ。
特定の誰かに殺意を抱いたことなんてないが、彼は俺でもあり得た、と思った。
幸いにも、今の俺には愛する人がいて、愛する音楽も映画もある。
早いところ、食い扶持を稼いで、支えなきゃいけない両親もいる。
月曜日に配信のSpotifyの”Discover Weekly"はブルーマンデーとやらも色めき立たせてくれるし、
リアルにはてしない物語ばっかのHBOのドラマシリーズは、週末を待ち遠しくさせてくれる。
GOTが終わったのは寂しいが。
一方で、俺が頑張らないといけない理由が、こんなにあって幸せだったとも思う。
ぎりぎり踏みとどまってられるからだ。
警察に薬中扱い(”Fuck the police" by N.W.A)されてマグショット撮られたり
ときに打ちのめされたりして、葛藤と後悔で潰れそうにもなるが、
もっと早い段階にあれば、話は違ったのではないかと思うからだ。
先生や事務には察知されている。はなから白眼視してくる人もいたし、
稀に同情的な人もいた。最近になって、少し距離を感じた人もいた。
普段は、知的で自由を尊ぶ人々が、基地外を怖がってるのが辛い。
自分が辺境にいるStrangerだということは、もう本当に重々承知していて、
30年かけて、やっと折り合いをつけた。それでも村八分にされたり、
後ろ指さされるのは、少し訳が違って、未だに新鮮な辛さがある。
”窮鼠、猫をはむ”かどうかは、本人の資質に依る部分が大きいと思うが、
そこまで追いこむかどうかってのは、コントロールが効く部分だと思う。
でも、ただ恐れるんじゃなくて、リスクマネジメントする方向に向かって欲しい。
ほんの少しの優しさと理解を携えて。それで救われる基地外はきっとたくさんいる。
ADHD。Kendrick Lamarの1stアルバム。ではなくて、病名。小5のときに、担任教師からADHDの疑いでの受診を進められていたが、両親が”うちの子が障害をもっているわけない”と突っぱねた。うーん、時代。仕事を始めてから、やばいぐらいミスしまくって初受診。
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Blue Monday。New Orderの曲。名曲である。だが俺は自殺しないと決めた。ボケかけの親父と癌の母親の介護をして生きていく。
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辛いやつ。頭に生ゴミ乗っけられた時、そこまでの侮辱の経験がなくて、状況が飲み込めず、ヘラヘラしていた。その後、ひどく相手を恨んだ。毎日、胃が痛んだ。だが、ある日、相手が作ったまかないのとん汁がべらぼうにうまくて、とりあえず許した。福岡の名店、中田中よりうまかった。
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辛いやつ2。結局、福祉手帳を提示し、照会してもらい事なきを得た。しかし、家族に警察署に迎えに来てもらわなければならなかったりして大分キツかった。2年ほど前だったが、”Huaweiなんてスマホ聞いたことがない。どこで入手したんだ ”というセリフはさすがに笑った。あと露骨にGood cop, Bad copやられたのも笑った。恐ろしかった。
アニメなんてなくても生きていける。
そう論じるのは簡単なことだ。
だが
人間はそもそも不完全なものであり、合理性のみで人生を全うすることは難しい。
それが出来る人間もいようがその数は決して多くない。
アニメに限らず、ゲーム、酒、タバコ、異性、ギャンブル、車、ゴルフ、音楽、アイドル、スポーツ観戦、特撮、映画、小説…
多くの人間は一見非生産なものにひと時その身を浸して癒やしを得、日々の暮らしにおける心の糧にしているものだ。
まずこういったものに批判をすること自体禁酒法時代のアメリカや天保の改革の風俗取締令のようなナンセンスさがある。
すでに多くの批判が寄せられているが、大阪芸術大学の純丘曜彰教授の例のコラムの改稿前のものを長くなるが引用し、思うところを述べていきたい。
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/夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。/
あまりに痛ましい事件だ。だが、いつか起こると思っていた。予兆はあった。たとえば、16年の小金井事件。熱烈なファンが豹変し、本人を襲撃。アイドルやアニメは、そのマーケットがクリティカルな連中であるという自覚に欠けている。
もとはと言えば、1973年の手塚プロダクションの瓦解に始まる。同じころ、もう一方のアニメの雄、東映も労働争議で多くの人材を放出。かれらは、それぞれにスタジオを起こした。だが、これらのスタジオは、アニメの製作ノウハウはあっても、資金的な制作能力に欠けており、広告代理店やテレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働が常態化していく。
そんな中で74年日曜夜に放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、視聴率の低迷以前に予算管理と製作進行が破綻して打ち切り。にもかかわらず、時間帯を変えた再放送で人気を得て、77年に映画版として大成功。当初はSFブームと思われ、78年の『銀河鉄道999』や79年の『機動戦士ガンダム』が続いた。しかし、サンリオ資本のキティフィルムは、80年に薬師丸ひろ子主演で柳沢きみおのマンガ『翔んだカップル』を実写化し、SFではなく、その背景に共通しているジュブナイル、つまり中高生モノの手応えを感じており、81年、アニメに転じて『うる星やつら』を大成功させる。
このアニメの実際の製作を請け負っていたのが、手塚系のスタジオぴえろで、その応援として、同じ手塚系の京都アニメーションの前身が稼働し始める。そして、その後のアニメ業界の大勢の方向を決定づけたのが、84年、この監督だった押井守の映画版オリジナルストーリー『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』。SF色を取り入れた学園コメディで、学園祭の準備が楽しくて仕方ない宇宙人の女の子ラムの夢に世界が取り込まれ、その学園祭前日を延々と毎日、繰り返しているという話。
アニメには、砂絵からストップモーションまで、いろいろな手法があり、セル画式だけでも、『サザエさん』や『ドラえもん』のようなファミリーテレビ番組はもちろん、『ドラゴンボール』や『ワンピース』のような人気マンガを動かしたもの、『ベルサイユのばら』『セーラームーン』のような少女マンガ系、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』のようなディストピアSF、さらにはもっとタイトな大人向けのものもある。
にもかかわらず、京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ。それも、『ビューティフル・ドリーマー』の終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する。たとえば、07年の『らき☆すた』の最終回第24話は、『BD』と同じ学園祭の前日。エンディングでは、あえて『BD』のテーマ曲を下手くそに歌っている。つまり、この作品では、この回に限らず、終わりなき日常に浸り続けるオタクのファンをあえて挑発するようなトゲがあちこちに隠されていた。しかし、「エンドレスエイト」として知られる09年の『涼宮ハルヒの憂鬱』2期第12話から19話までとなると、延々とほとんど同じ夏休みのエピソードが繰り返され、『BD』に悪酔いしたリメイクのような様相を呈する。
もっと言ってしまえば、京アニという製作会社が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだった。学園物、高校生のサークル物語、友だち話を作り、終わり無く次回作の公開に追われ続けてきた。内容が似たり寄ったりの繰り返しというだけでなく、そもそも創立から40年、経営者がずっと同じというのも、ある意味、呪われた夢のようだ。天性の善人とはいえ、社長の姿は、『BD』の「夢邪鬼」と重なる。そして、そうであれば、いつか「獏」がやってきて、夢を喰い潰すのは必然だった。
なぜ学園物が当たったのか。なぜそれがアニメの主流となったのか。中学高校は、日本人にとって、最大公約数の共通体験だからだ。入学式、修学旅行、学園祭、卒業式。教室、体育館、登下校。だが、実際のファンの中心は、中高生ではない。もっと上だ。学園物は、この中高の共通体験以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすがとなってしまっていた。それは、いい年をしたアイドルが、中高生マガイの制服を着て、初恋さえ手が届かなかったようなキモオタのアラサー、アラフォーのファンを誑かすのと似ている。
夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。グッズを買い集め、「聖地」を巡礼し、そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。それが拒否されれば、連中がどう出るか、わかりそうなものだ。
『恋はデジャブ』(93)という映画がある。これもまた、同じ一日をループで繰り返しながら、主人公が精神的に成長するという物語。この話では、主人公だけでなく、周囲の人々も同じ一日を繰り返す。つまり、主人公の成長を待ってくれる。だが、映画と違って、現実は、そうはいかない。終わりの無い学園物のアニメにうつつを抜かしている間に、同級生は進学し、就職し、結婚し、子供を作り、人生を前に進めていく。記号化されたアニメの主人公は、のび太もカツオも、同じ失敗を繰り返しても、明日には明日がある。しかし、現実の人間は、老いてふけ、体力も気力も失われ、友人も知人も彼を見捨てて去り、支えてくれる親も死んでいく。こういう連中に残された最後の希望は、自分も永遠の夢の学園祭の準備の中に飛び込んで、その仲間になることだけ。
起業する、選挙に立候補する、アイドルやタレント、芸人になる、小説やマンガの賞に応募する、もしくは、大金持ちと結婚する。時代のせいか、本人のせいか、いずれにせよ、人生がうまくいかなかった連中は、その一発逆転を狙う。だが、彼らはあまりに長く、ありもしないふわふわした夢を見させられ過ぎた。だから、一発逆転も、また別の夢。かならず失敗する。そして、最後には逆恨み、逆切れ、周囲を道連れにした自殺テロ。
いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。まずは業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別し、しっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
まずはこの業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別する必要がある。もう学園祭は終わったのだ。休もう。番組も、映画も、穴を開けて休もう。あれだけの京アニの惨事を目の前にしながら、よりタイトな状況で黙々と規定の製作スケジュールをこなそうとしていることこそ、異常だ。こんなときくらい、京アニにかぎらず、業界の関連全社、いったん立ち止まって、仕事や待遇、業界のあり方、物語の方向性、ファンとの関係を見直し、あらためてしっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
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「京アニは学園ものだけ」という言説に対し、傷痍軍人の女性が戦後を生きる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の存在意義が改めて燦然と光り輝いているという事実。劇場版も企画されており以降もシリーズ化されればそれはもう「学園ものだけ」という批判にはあたらない、はずだったのだが…。
また京アニオリジナルの源流をたどればMUNTOという異世界ファンタジーもあり、今後何が飛び出すか、その可能性は無限に満ちていた。
日本のオタク作品の大半が確かに学園ものなのは事実であるが、それは世界観の説明が容易であること、多くの視聴者が経験していて没入しやすいこと、といったアドバンテージがある、いわば「手堅い」ジャンルゆえ。
京アニは決して裕福な会社であったとは言い切れないし、またアニメ業界自体流行り廃りが激しく、そんな中で一定の収益を手堅くあげる選択をとっても批判されるいわれはあるまい。
エンドレスエイトがいまだに物議を醸す存在であるのは事実だが、話題性が1期よりは希薄になりがちな2期ハルヒを「語る」上で大きな要素になっているという点では意義のある存在ともいえるのかもしれない。
終わりなき学園祭としてひとつの象徴となった「ビューティフル・ドリーマー」、
うる星やつらが漫画版で約9年、アニメ版で約5年もの長きに渡り「途切れることなく」続いた学園ものであった記憶もあって、ことにアニメに対して古い感性の人間ほど「終わりなき青春」を延々続ける印象もあるが、
近年の製作ペースは1クール12話、月にならせば3ヶ月ほどのスパンが基準で、シリーズが続いても2クールか長くても4クールあたりが殆どで、1年を通して続くことはもはや一部の例のみで、1クールないし2クールベースの途切れ途切れの発表ペースになっている。しかもうる星が3年を超えて学生生活を描き続けたのに対し、妥当な時間経過とともに終わり即ち「卒業」があるのも近年の特徴。
しかもアニメファンは常にコンテンツの新陳代謝にさらされる中で、コンテンツの完結を一区切りとして、同じ制作会社だからといって次に提示される新コンテンツを必ず追い続けてくれるとは限らない。
1期で好評だったシリーズ物の2期ですら、1期以上に人気を得るのは実際難しい。
そしてこの御仁が憂うまでもなくアニメ自体卒業していく人間も確かに存在する。
そういった熾烈なレッドオーシャンで波間の泡のように浮いては消えていくのがアニメ制作会社の非情なる現実。
そんな熾烈な世界にあって健気に誠実に作品を作り続け、また大きな落ち込みもなく良質な作品を供給できる会社を存続させてきた、業界の良心の要石のような会社が京アニであって、それはこういう批判の俎上に上げるべき存在ではそもそもない。
事件前からかねがね用意されていたであろう「ぼくのかんがえた日本アニメ概論」をここぞとばかりに持ってきたのだろうが、世界的に見ても比類なきほど理不尽な、そして悲惨な事件に対して論じるにはあまりにも適さない代物であったと言わざるを得ない。
このケースは犯人の特性も含めて極めて異常であり、安易な因果応報的論説にははめ込めないほどの歪さ不条理さがあるのだ。いやしくも大学教授を名乗る立場にふさわしくない浅薄さであったと言わざるを得ない。
この御仁が禄を食んでいる大阪芸大は早くからサブカルチャーに特化した今やオタク御用達の大学であり、辺境にありながら高い人気を持ち続けているのはそれ故もあるのに、そこからオタク批判をすること自体、あたかも親の庇護を受けながらヤンキーやってるイキリ中学生のようであり甚だ滑稽でしかない。
まぁ一方で確かにアニメ作りすぎなのは事実であるが、それは業界全体レベルの話であり京アニを論って言う話ではない。それは数を作らないと食えないという業界構造にこそ問題があり、是正されるべきものであるのは論を俟たない。だが、かつて勇名を馳せた会社ですら粗製乱造なものも見受けられる中、ひとつひとつの作品を売れる売れないに関わらず本当に誠実に作ってきた会社を取り上げて言うことではない。まして「麻薬の売人以下」とまで蔑まれるいわれはない。
あとアニメうる星はその後綺羅星の如く多くの俊英を生み育てる土壌になり、アニメ産業及びアニメ文化の嚆矢ともなったという意味で意義深い作品であり、とりわけビューティフル・ドリーマーはアニメ制作班の若き野心とオリジナリティに溢れた傑作であったことも付け加えておく。だがそれに内包されている批判精神は今や一周回って定番になってしまい、それをもってアニメ批判オタク批判をするには「今更感」で一杯で陳腐化していることも。
最後に
人的物的、そして心理的にも大きなダメージを負い再起すらも危ぶまれる中、これからの再起を表明した八田社長と京アニには、深い敬意を表しつつ、事件前に比肩する制作体制を整えるのはおそらくまだ時間がかかるであろうとも、その行く末を見守っていきたいし、微力であれ力添えもしていきたいものである。
そして、亡くなられた方のご冥福と、負傷された方のご快癒をお祈りしつつ、件のコラムのような浅はかな批判論を払拭する新たな可能性に満ちた作品群を期待したい。それがいつになろうとも。
友達の話。
アイドルゲームにどハマりしてるアラサーの子持ちママなんだけど、子育てどうしてるの?ってくらい二次創作やゲーム関連のイベントに参加してる。
あげく最近では海外に出張して1人を謳歌してるそうだ。まだ1、2歳の子どもを残して。
正直、子供がかわいそうだ。
こんな自分の趣味にしか生きず、子どものそばにいてやろうとしない親、私だったら好きになれない。自分の親がこうでなくて良かった。
人様のことだからとやかくいうのは間違ってると思う。だからここに吐き出す。
自分の趣味が大事なのはわかる。二次創作も、ジャンルが加熱してる今だから出来ないのも分かる。
でも、それを捨ててまで、子どもとの時間よりも二次創作か。ホモを書くのか。
けど、彼女は限度を超えている。
旦那が仕事で毎日大変だと口では言いながらフォローはせず子守り要因としてしか見ていない、そんな人間の作る同人誌など読みたくない。
正しくは危うく見てしまう所だった、だけど。
夜中にアイスノン取り替えようとしたら、台所兼リビングの隣の父の自室の電気付いてんの。間にある襖は常に開けてるから丸見えなんだけどさ。
最近『電気付けてた方が寝れる』なんて言ってたし、それかなーって。
でもまあ気にせずアイスノン冷凍庫から取り出して部屋戻るか、って振り向いたらさ
下半身丸出しで、せめてこちらに見えないようにの配慮か横向きで寝てる父の姿。
とりあえず気づいてませんよ~って感じで部屋に戻って寝直した。
朝起きて台所行きつつおはよ~って声掛けたら、いやいや暑いっしょ、普段もっと着てないじゃん、くらいに着込んで『ああおはよう』なんて返された。
掲題通り。ざっくり言うと、彼女がいることを告げずに、部屋に知人女性を招いた男性と薄々感づきながらも誘いに乗った女性の話。それだけです。
ノンフィクションのような顔をしたこの文章は、この後に及んで恥を捨てきれないわたしの編集が入ったフィクションである。ありふれた出来事である。それでも当事者になった今、心の整理がつかずどこかに吐きだしたいと思ってしまった。
今月初め旧知の男性と久しぶりに連絡を取った。互いの家に行き来しながらも色っぽい雰囲気にはならない。当時はそういう間柄だった。
互いの仕事の話をし、たまに食事をする日が続いた。食事代は彼持ちだった。食事の後は決まって夜の路地裏を散策した。帰りは彼の家から逆方向にもなろうとも必ずわたしの家のそばまで送ってくれた。指一本わたしに触れることはなかった。以前会っていた頃は当たり前のように割り勘だった彼が、いつのまにか身につけたスマートな身のこなしの居心地の良さに身を委ねていた。そういえばちょっと好きだったことを思い出した。ちょろい女ですね。
今月半ば彼の家を訪問した。間取りが不思議だというのでどうしても見に行きかった。私たちの共通点は好奇心が旺盛なところで、それは昔もこの先も変わらない。彼は好奇心を武器にして世界を広げ、私は好奇心に身を滅ぼされる日々である。
男の一人暮らし「っぽい」部屋の中で、スマホで動画を見た。テレビのない部屋だったから。明かりはすぐに消された。街灯が室内を十分に照らしたので、部屋の暗さは気にならなかった。動画は謝罪会見だった。大人の男が信頼を寄せていた組織に裏切られて涙を流す様は悲壮感に溢れ、とんでもない光景の目撃者になったと感じた。動画を見終わり彼はわたしに寝台の上に来るように誘った。わたしは数回それを渋り彼はたいそう残念がった。その姿はとても可愛かった。
互いの全ての衣服が寝台の脇に積み重なった後、彼はわたしに「彼女がいたらどうする?」と聞いてきた。え!彼女がいるのに、どう見ても面倒な女に手を出さないでください!「やばいタイプを見抜く。適切な距離感を保つ。」あなたのそういう危機管理能力の高さをわたしは尊敬していた。
登っていると思っていた大人の階段は、大人のロッククライミングからの大人のフリーフォールだった。「どうする?」じゃない。知っていたら今あなたの部屋ですっぱだかになってない。「彼女いないの?」と聞かなかったのは、好きになってしまったわたしの落ち度だ。
虚無感を覚えたわたしは寝台を降りて服を身につけ、彼の頭を撫で「あなたが眠るまでここで見守ってあげる。」というあほな提案をした。彼が睡眠を求めている訳ではないことは当然知っていた。アラサーにもなって何をしているんだろうと思った。脳内鬼束ちひろが鳴り止まない。こんなもののために生まれたんじゃない。わたしは神の子やぞ。どういう歌詞だ。好きだ。彼の部屋にあったお酒は美味しすぎた。彼はわたしの好きなものをよく知っている。そんな彼のおかげでわたしは「愛憎入り交じる。」という気持ちを知ることができた。
仕事の相談も報告も彼女にすればいい。旅先の奇天烈なお土産だって彼女にあげればいい。わたしがあげたものをいまだに喜んで使ってくれなくてもいい。永遠に続くとりとめもないLINEだって彼女が喜んで相手になってくれたと思う。というか同時に相手してるんだろう。
しばらく彼の頭を撫で続けていると「お願いだから帰ってください。」と彼は泣きそうな顔で言い出した。「嫌です。あなたが眠るまでここにいます。」と言い張る性格の悪い女を彼は抱えるように自宅の外に連れ出し、いつも通り家のそばまで送ってくれた。
お互いの中で、あのエンタメ界に激震が走った夜はなかったことになっている。彼は今もLINEでわたしの好きそうな話題を振ってくれる。わたしの好意を知りつつ、彼女と別れることは絶対にない。
JITTERIN'JINNのプレゼントに出てくるあの子超かっこいい。あんな風に爽やかにさようならをプレゼントしたい。
わたしはどうしようもなく愚かだし自分に酔っている。彼にこの文章を見つけてもらって嫌われたいと願っている。ほんとうに厄介でたちが悪い。あ、このありあまる謎のエネルギーを転職エネルギーにでも転化しよう。昇華させようそうしよう。って自分に言い聞かせよう。彼女いるの?っていう確認は早めにしよう。
ワイもアラサーで1500万あったやで
おっすおら無敵の人。小卒だ。
なんとかベッド抜け出して、夜はパキパキ過ぎて寝れないから
ただ世の中には、そういう形の葛藤もあることは理解してほしい。
誰もがそれぞれの地獄で、何とかやりくりしていると思うけど、
まぁ、その典型例の一つなんだと。
俺は大名ってとこに住んでいる。
ピンと来た人もいるかもしれないが、低能先生が事件を起こしたあの小学校の近くだ。
特定の誰かに殺意を抱いたことなんてないが、彼は俺でもあり得た、と思った。
幸いにも、今の俺には愛する人がいて、愛する音楽も映画もある。
早いところ、食い扶持を稼いで、支えなきゃいけない両親もいる。
月曜日に配信のSpotifyの”Discover Weekly"はブルーマンデーとやらも色めき立たせてくれるし、
リアルにはてしない物語ばっかのHBOのドラマシリーズは、週末を待ち遠しくさせてくれる。
GOTが終わったのは寂しいが。
一方で、俺が頑張らないといけない理由が、こんなにあって幸せだったとも思う。
ぎりぎり踏みとどまってられるからだ。
警察に薬中扱い(”Fuck the police" by N.W.A)されてマグショット撮られたり
ときに打ちのめされたりして、葛藤と後悔で潰れそうにもなるが、
もっと早い段階にあれば、話は違ったのではないかと思うからだ。
先生や事務には察知されている。はなから白眼視してくる人もいたし、
稀に同情的な人もいた。最近になって、少し距離を感じた人もいた。
普段は、知的で自由を尊ぶ人々が、基地外を怖がってるのが辛い。
自分が辺境にいるStrangerだということは、もう本当に重々承知していて、
30年かけて、やっと折り合いをつけた。それでも村八分にされたり、
後ろ指さされるのは、少し訳が違って、未だに新鮮な辛さがある。
”窮鼠、猫をはむ”かどうかは、本人の資質に依る部分が大きいと思うが、
そこまで追いこむかどうかってのは、コントロールが効く部分だと思う。
でも、ただ恐れるんじゃなくて、リスクマネジメントする方向に向かって欲しい。
僕は相手にベタ惚れだったんだけど、結局恋人未満止まりでした。
が、人生わからないもので。アラフォーにいたった今になって進展しました。
びっくり。
友人関係はずっと続いてたんですよ。
僕が少し遠くへ転勤した関係で、せいぜい半年に1回ご飯食べに行くくらいですけど。
2か月ほど前に彼女がこっちに遊びにきたとき、お互い飲みすぎてべろんべろんに泥酔しまして。
新幹線も夜行バスも最終を逃して彼女が地元に帰れなくなりました。
しゃーないので、その辺の奇麗めビジホにお泊り。
僕はスーパージェントルなので普段ならシングル二部屋かせめてツインを取るところなんですが
なにぶん自分もべろんべろんなもので。気が付いたらダブルに泊まってました。
とはいえジェントルかつべろべろなので、特にDo itすることもなくぎゅって抱きしめながら普通に寝ました。
そんで先月ですね、今度は僕が向こうにお呼ばれして遊びにいきまして。
お買い物したり、温泉行ってまったりしたり。もちろんお風呂は別浴よ?
今度はべろべろにならない程度に地酒など嗜んだりして。
そうこうするうちに僕の電車の時間が近づいて、帰路につくわけですけど。
またいちゃっとする流れになって。
なんかすっごい遠回しに好きって感じのことを言われるんですよ。
どんだけにぶいの。他の女のとこに行かれるのは嫌。みたいなことも。
え、今更?こっちは何年も前に、苦心の末に諦めをつけたというのに?
でもそれはパートナーになることを断念しただけで、好きでなくなったわけじゃない。
そりゃもうイグニッションですわ。
その日は僕の側も思いのたけを一部ぶちまけて、時間切れ終了。
あれだよ、本気の僕は、重いよ?
おりこうだけど飼い主大好き遠慮なしの大型犬よ?
うまくいかない要素も山盛りだけど。
ともあれ人生って色々あるんだね。
私も女だけど。
二十歳を超えて本気で恋したのは趣味の合う同い年の女性だった。フラれたけど。
男の人も好きだ。
好きだけど、ガンダムとか働く車的なかっこよさを感じるだけで、多分恋愛感情ではない。筋肉かっけー!骨太い!から発展しない。
それどころか筋肉も骨もまるでない同じ女性の笑顔やまっすぐさにいつも恋する始末。女性に対してだけは異常に惚れっぽい。
養いたい。ひたすらに養いたい。
塩分を摂りすぎない程度に毎日おいしいものを食べて趣味に打ち込んで欲しい。
お金にならなくていいから働きがいのある職場で充実した日々を送って欲しい。
毎晩出迎えてくれなくていいから一緒に一軒家に住んでふかふかの布団でゆっくり休んで欲しい。
そんな風に幸せに暮らす所を誰よりも一番近い所で眺めていたい。出来れば私にだけ見せて欲しい。強欲の化身。
こんなことを長年考えておきながら、成人女性一人養うほどのお金を稼ぐこともままならない。
仕事が出来ないばっかりに。
アラサーで年収350万は頑張ってる方なのかもしれないけど、コミュ力ゼロだから出世からは程遠いし、350万で女二人不便なく暮らせるかと言われたらキツい。
二馬力ならいけるだろうけど、それなら男の人と結婚したい女性のほうが圧倒的に多いのも事実。
子供どうすんだとか、ご両親の説得とか考えるだけであまりにもハードルが高い。
あ〜〜〜〜石油王になりたい。
パパ活でいろんなコと知り合って、最近の「そこそこ可愛い」コの成り上がりストーリーがわかってきた。
■前提
・整形が発達して、「そこそこ可愛いコ」なら「相当可愛いコ」にすることができるようになった。釈由美子の時代の整形と、深田恭子や石原さとみ時代の整形の差。最近の数年で整形技術は飛躍的に進化し、一般人でも100万程度で手が届く。
・水商売は過激なほど稼げるわけではない。 「そこそこ可愛いコ」がソープやデリで働くよりも、整形して「相当可愛いコ」になってキャバクラやラウンジにいる方が圧倒的に稼げる。
・AVはそれ自体稼げない。パパ活や海外売春のためのステータス付け。
・パパ活の普及はヤバイ。「そこそこ可愛いコ」でも普通に月30-50万は稼げる。「相当可愛いコ」だと、月100万は余裕。
・海外売春は完全にルートができてる。おそらくは反社系のシノギだけど、「相当可愛いコ」なら月に200万稼ぐことも可能。
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こういう背景の結果、頭やスキルで稼げない、どこにでもいる「そこ可愛い女のコ」の成り上がり術として
以下のルートができた。
ちなみに「そこそこ可愛い」の定義は、高校のクラスで上位2-4番目くらい、って感じのレベル。
4:さらに200万くらい稼ぐ
5:さらに整形する → 「まあまあ可愛いコ」から 「相当可愛いコ」になる
7:1000万から2000万の現金と「相当かわいいアラサー」になる
8:可愛いアラサーとして婚活して、ハイスペ童貞と結婚。これまでの経験を活かせば簡単に手玉にとれる。
9:稼ぎが良くて真面目で仕事人間な旦那とコドモ作って何不自由なく暮らしつつ、人妻不倫をエンジョイ。稼いだ2000万はヘソクリで手堅く運用。離婚しても安心。
https://ameblo.jp/kekkon-monogatari/entry-12493520665.html
ちょっと困る。正直印象も良くない。
だって年収高い男の人って育休とか取れなそうじゃん。特に大企業に勤めててその年収とかは。
子どもが欲しくて婚活してるけど私の実家は新幹線で2〜3時間ぐらいの距離だしそもそも祖父母世代の世話があるから親は頼れないし。
何より、子ども、二人で育てたくない?
他人の子ども(とそれを親が慈しみ時に手を焼きながら育む様)しか見たことないけど、子ども、居たら何だかんだでかなり楽しんじゃない??
婚活の時に「職場の育休どうですか?」的な話を必ず出して「ええっと…モゴモゴ」ってなる人は年収の高低問わずお断りしてるくらいには「家族に時間割けるかどうか」を重視してるので、後出しで「実は年収高いんだよ(その分仕事が忙しいです)」は最悪だし、じゃあ不労所得ならいいかっていうとそれもヤダ。
どうせなら不労所得の育て方的な、いかに四苦八苦してその状況に持ち込んだか的な話が聞きたい。私も自分の不労所得持ちたい。あるいは不労所得持とうとして失敗したり挫折したりしたい。なんか不労所得って親から引き継いだ投資用マンションとかそういうアレで自分で育てるようなヤツじゃない気はするけども。
単に実は年収がもっと上でしたとだけ言われても、「え、その話はどう受け止めればいいわけ?喜ぶと思ってるのか??私が使える金でもないのに???それともそれを私にしゃべったことで正直者として禊を済ませたみたいな気分になってたりするの???私はずっとウソつかれてたわけで禊どころかなにかが穢れたような気さえするのですが???」みたいな気持ちで最高にモヤモヤする。あっだめだこれ普通に恋も冷めそう。
ATMなんか要らないんだよ。
だって私も(幸いなことに!)暮らすだけの金は稼げているし、暮らすための金が稼げている自分を気に入っているんだから。
子どもができたらもっとお金が必要になるんだろうけど、そんときゃそんときだろ。そのために私ももっと頑張って稼ぐし。貯金だって年収に色つけたくらいはあるし。
そういう生活がしたいのだよ。
だってきっとその旦那様だって養うのしんどいなとか思うときあるでしょ。
しんどさとか分け合いたいじゃん。養われてたら分け合えないじゃん。
分け合えないんじゃ私は何のために一緒になるんだかわからないよ。